「CE」と一致するもの

David Bowie - ele-king

 これはジャズではない。では何か? ただの痛みだ。

 たしかに先行曲ともいえる“スー”は、新世代ジャズ・ラージアンサンブルで知られるマリア・シュナイダーとのコラボレーションが話題になった。アルバム曲には、管楽器にダニー・マッキャスリン、鍵盤にジェイソン・リンドナー、ベースにティム・ルフェーベル、ドラムにマーク・ジュリアナら新世代のジャズ・ミュージシャンを起用している。彼らがアルバム全編にわたって活躍をしており、とくにジュリアナのドラミングの凄まじさは誰しもが驚愕するだろう。だが、それにも関わらず本作はジャズではない。彼らであればいとも簡単に演奏できてしまうであろうジャズ的な和声やリズムを半ば拘束的ともいえるほど禁じているからだ。

 では本作はロックなのだろうか。たしかにときにシンプルな3コードに収まりもするボウイのソングライティングはロック的即物性を兼ね備えてはいる。だが、 ボウイは(少なくともメロディ・和声面での構造では)ビートルズの影響をまったく受けていないように思える。これは60年代以降のロック・ミュージシャンとしては、ルー・リードと並び極めて異例である。

 それでは、そもそもボウイの音楽は何なのだろうか。もともとはアマチュアのジャズのサックスプレイヤーであり、60年代にロック・ミュージシャンとしてデビューをした彼は何者なのだろうか。簡単にいえば、彼は「デヴィッド・ボウイの音楽」を「演じてきた」特異点のような存在なのだろう。むろん、彼の「演技性」と「肉体性」と「ペルソナ」の問題など、ロックの本を紐解けばどこにでも書いているし、そもそもボウイのファンならば当たり前すぎることだ。いまさら語っていいとも思えない。

 私がここでもっとも重要視したいのは2点だ。より正確には後者のひとつだ。まずひとつ。ボウイのソングライティングは、黒人音楽と白人のポピュラー・ミュージックのキマイラのようであり、それは20世紀という時代のモダニズムの象徴である点。そして、もう1点。彼の音楽はロックにテクスチャーの感覚を導入したという点である。もっともそれは彼一代限りのものでない。スコット・ウォーカーからボウイが受け継ぎ、デヴィッド・シルヴィアンに受け継がれていった感覚でもある。
 
 わかりやすい例として有名な『ロウ』を上げよう。ブライアン・イーノも参加したというこの傑作は、イーノ特有のアンビエンス/アンビエント感覚を大胆に導入し、アルバム後半(B面)のインスト曲によって、ボウイはそのテクスチャー感覚を前面化させる。淡い音色によるシンセサイザーの持続音が一定のムードを生成し、そこにリズムやサウンドが絡み合う。このB面のアトモスフィアこそ、後の電子音響からエレクトロニカなどに、たとえば、カールステン・ニコライやクリスチャン・フェネス、インダストリアル/テクノのザ・ストレンジャーまで受け継がれていく感覚でもある。

 そして本作『★』は、そんなボウイのテクスチャー感覚が久しぶりに、それこそ『ロウ』以来、前面化した傑作とはいえないか。コード進行など楽曲の変化は曖昧で、聴き手は掴みきれない曲のテクスチャーを撫でるように聴くことになる。名うてのジャズ・ミュージシャンたちは、ボウイのテクスチャー感覚を生成するために召還されたといっても過言ではないだろう。なぜか。ボウイが欲したのは、彼らジャズ・ミュージシャンの演奏情報量の豊富さであり、それをある一定のトーンに制御することで生まれるムードではなかったか。
 事実、本作において、彼らは意識的にロックの即物性に「拘束」されている。あの複雑なリズムを分割できるマーク・ジュリアナですら、8ビートのリズムを叩いているのだ。しかしそれでも彼らの持っている演奏情報量の複雑さが「漏れでてしまう」。正確に、拘束的にバッキングに徹するなかで、ときにドラムのリズムが、サックスのフレーズが、ベースラインが、ジャズ的な複雑さをもらしてしまう。そこに拘束とから生まれる官能によって、この『★』の音楽に生まれているように聴こえる。本作は非常にマゾヒティックな官能に満ちたアルバムなのだ。
 10分に渡る“★”にせよ、先行曲のリミックス曲“スー”にせよ、まるでジョイ・ディヴィジョンのようなイントロの“ラザルス”にせよ、ジャズ・ミュージシャンに「ロックを演奏させる」拘束を見事に成功している。そこから生まれる拘束の官能性は、本作の色気を象徴しているといっていい。マーク・ジュリアナのビートは複雑なリズムと単純なニュー・ウェイヴ的な8ビートを往復しながら、彼のソロ・アルバムや他の参加作品とは異質の「色気」を放っている。

 では、なぜこのようなコンポジションが可能になったのか。私見だが「拘束の響き」の基調として、本作のどの楽曲にも、(たとえ聴こえていなくとも)ひとつのの持続音が流れているように思えならないのだ。聴いてみればわかるが、管楽器もシンセサイザーもロングトーンを奏でており、ギターのコードのカッティングよりも、そのロングトーンが楽曲の中心であり、ムードを形作っていることがわかるだろう。
 この感覚こそがあの『ロウ』に近いものであり、本作がときに『ロウ』以来の傑作と呼ばれるゆえんに思える。そして、ボウイのヴォーカル・ラインは、そのロングトーンのひとつの変奏として象徴的に響いているのだ。拘束。解放。生(本作は音楽家の受難と解放そのものように聴こえるし、その意味では非常に「西洋音楽」的だ)。
 このロングトーンの感覚は、果たして彼がサックス・プレイヤーであったことに由来するのだろうか。この傑作『★』を繰り返し聴くにつけ、肉体が奏でるロングトーンの揺らぎと拘束こそが、彼の音楽の官能性の根源だったのではないかと思えてならないのだ。
 だからこそ、その拘束が外されたかのように(偽装する?)、最終2曲、“ドラー・デイズ”と“アイ・キャント・ギブ・エブリシング”のメロディは、単なるポップというだけではない死の不穏さを称えているようにすら聴こえてくる。そう、「生」の拘束以降の世界に響く、死後のポップ・ミュージックのように……。

   ***

 ここまで書いたところで、公式サイト、フェイスブック、ツイッターの公式アカウントがこのようなアナウンスをリリースした。本文は、彼の「死」を知る直前に書きあげた記録として「あえて」修正せずに提出させて頂いた。「死」のフィルターを通していないレヴューであるが、確実に「死」の影を感じていたことも事実である……。そこが芸術の力でもあると思う。

January 10 2016 - David Bowie died peacefully today surrounded by his family after a courageous 18 month battle with cancer. While many of you will share in this loss, we ask that you respect the family’s privacy during their time of grief.

https://www.davidbowie.com/news/january-10-2016-55521

RIP David Bowie - ele-king

英国に止まない雨が降った朝文:ブレイディみかこ

 ある雑誌の企画で「いま一番聴いている5曲」という調査に参加することになり、アンケート用紙に記入してメールした後、酒を飲みながらボウイの新譜を聴いていた。
 「いま一番聴いている5曲」の中にも、『Blackstar』収録の” 'Tis a Pity She Was a Whore”を入れた。過去と現在の音をカクテルにしてぐいぐいかき混ぜながら、確かに前進していると思える力強さがある。みたいなことをアンケートには書いておいた。
 そして新譜を聴きながらわたしは眠った。
 が、朝5時に目が覚めてしまった。
 まるで天上から誰かが巨大なバケツで水をぶちまけているかのような雨が降っていたからだ。雨の音で目が覚めるというのはそうある話ではない。こんな怒涛のような雨が降り続いたら、うちのような安普請の家は破れるんじゃないかと本気で思った。妙に真っ暗で、異様なほどけたたましい雨の降る早朝だった。

 しばらく経つと電話が鳴った。時計を見ると6時を少し回っている。受話器を取るとダンプを運転中の連合いだった。
「ボウイが死んだ」
「は? ボウイって誰?」
そんな変な名前の友人が連合いにいたっけ?と思った。最近やけに死ぬ人が多いので、また誰か逝ったのかと思ったのだ。
「ボウイだよ、デヴィッド・ボウイ」
と言って、連合いは電話口で”Space Oddity”を歌いだした。
「えっ」
と驚いて「いつ?」と訊くと
「いまラジオで言っている。公式発表だって」
と連合いが言った。
 頭がぼんやりしていた。意味もなく、いまUKで連合いのように“Space Oddity”を歌っている人が何人いるのだろうと思った。

 以前も書いたことがあるが、わたしはボウイのファンではない。そもそもロックスタアの逆張りとして登場したジョニー・ロットンを生涯の師と定めた女である。だから彼の音楽も「まあ一通り」的な聴き方をした程度だし、同世代の女性たちのように麗しのボウイ様に憧れた思い出もない。
 寧ろ、彼の音楽に本格的に何かを感じ始めたのは前作の『The Next Day』からである。
アンチエイジングにしゃかりきになっているロックスタアたちへの逆張りを、誰よりもロックスタアだったボウイが始めたように感じたからだ。
 彼は老いることそのものをロックにしようとしていると思った。
 絶対にロックにはなり得ないものをロックにしようとする果敢さと、その方法論の聡明さにわたしは打たれた。だからこそ、2013年以降は
「いま一番ロックなのはボウイだ」
と酒の席で言い続けてきたのだ。

 権力を倒せだの俺は反逆者だの戦争反対だのセックスしてえだの、そういう言葉がロックという様式芸能の中の、まるで歌舞伎の「絶景かな、絶景かな」みたいな文句になり、スーパーのロック売り場に行儀よく並べられて販売されているときに、ボウイは「老齢化」という先進国の誰もがまだしっかり目を見開いて直視することができないホラーな真実を、ひとり目を逸らさずに見据えている。そんな気がしたのである。

 しかもまたボウイときたら、それをクールに行うことができた。
 新譜収録の〝Lazarus”のPVの死相漂うボウイの格好良さはどうだろう。
 プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは「彼の死は、彼の人生と何ら変わりなかった。それはアートワークだった」と語っているが、ボウイは自らの死期を知っていて、別れの挨拶として新譜を作ったという。リリースのタイミングも何もかも、すべてが綿密に計画されたものだった。
 思えば2年前。クール。というある世代まではどんなものより大事だったコンセプトを復権させるためにボウイは戻って来たのではなかったか。
 そのコンセプトというか美意識がずぶずぶといい加減に溶け出してから、世の中はずいぶんと醜悪で愚かしい場所になってしまったから。
 ボウイのクールとは、邦訳すれば矜持のことだった。

 ざあざあ止まない雨の中を、子供を学校に送って行った。
 息子のクラスメートの母親が、高校生の長男がショックを受けていると言っていた。
「彼にとって、なんてひどい朝なんでしょう。起きて一番最初に耳にしたのが、自分が知ったばかりの、大好きになったばかりのヒーローが亡くなったというニュースだなんて」
そう彼女は言った。
 ああそう言えば、日本に送ったアンケート用紙のボウイに関する記述を過去形に訂正しなくては。と思った。
 ざあざあ止まない雨が降る空は、明るいわけでも暗いわけでもなく、幽玄なまでに真っ白だった。

文:ブレイディみかこ

RIP Paul Bley - ele-king

 弁護士にしてエスペランティスト、バーナード・ストルツマンが1964年にたちあげたESP-Disk――ESPはエスペラント語の頭文字に由来――はオーネットとセシル・テイラーが拓いたフリージャズの耕地からの最初のまとまった収穫といえるもので、ビル・ディクソンがしかけたジャズの十月革命とともに、60年代なかばのニューヨークはフリージャズの夢に浮かされることになるが、ESPの66年あたりに俗に「顔ジャケ」と呼ばれるアルバムがかたまっているのを読者のみなさんはおそらくご存じあるまい。というのも、俗もなにも、そう呼んでいるのは私だけだからであるが、目くじらを立てずにもうしばらくおつきあいいただくとして、カタログ番号1021を皮切りに1026のヘンリー・グライムス・トリオ『The Call』(1026)までをひとかたまりに、番号とんで、チャールズ・テイラー『Ensemble』(1029)、ノア・ハワード・カルテット(1031)とサニー・マレーの『s/t』(1032)もこの括りにはいる。パティ・ウォーターズの『Sings』(1025)は王道顔ジャケだが、1055番の『Collage Tour』のカヴァー写真の影になった眼窩によく見るとうっすら目玉がすけているに気づいたときは、夜中だったもんでさすがにギョッとしました。ジャケの呆けた笑みと、低温で燃焼するようなヴォーカリゼーションをジュゼッピ・ローガンのフルートが煽るこのアルバムを私は顔ジャケの横綱に推挙したい。それに対抗できるのは、洞穴のような狂気を思わせるフランク・ライト・トリオ(1023)のジャケットしかないと思うのだが、こっちはいくらか「顔負け」した典型的なフリージャズ――なに? 典型的なフリージャズ? ジャズの枠組みを外すことを目するフリージャズに様式を認めるこの形容は、ジャズの即興を問うなかで何度も蒸しかえされた命題でもあり、いまもって正解はない。しかも時代がくだるごとにアーカイヴが膨らめば、あらたな即興の可能性はそれと反比例して縮減する。もちろんこれは単純化した数字の話にすぎないし、当時を現在の観点で論ずる誤謬もあるにしても、ジャズの前衛から欧州の即興者を中継し音響の文脈のウラに貼りつき、隙あらば前景化したがるこのテーマに私たちは何度もたちかえってきた。ベイリーであれ間章であれ、実践であれ批評であれ、原理に降りるには意思の力は欠かせない。私はその厳しさが内在させる美しさを否定する気は毛頭ないが、形式に内容を充填することで、さらに上位の形式を、普遍の域までとはいわないまでも、高めたがるものもいなくはない。

 ポール・ブレイはジャズで、ジャズという様式そのものを問いつづけることでそれをおこなった数少ないミュージシャンだった、と私は思うのである。

 ESPの「顔ジャケ」シリーズはカタログ番号1021、彼の精悍な顔つきを大写しにした『Closer』(66年)を嚆矢とする。もっともブレイはその前に『Barrage』(1008 / 65年)をESPにのこした。リリース前年に吹きこんだこのアルバムはミルフォード・グレイヴスとエディ・ゴメスのリズムにデューイ・ジョンソン(tp)と、ちょうどニューヨークに出張っていたサン・ラーのアーケストラからマーシャル・アレン(as)の二管を加えた布陣で、カーラ・ブレイのオリジナルを演奏しているのだが、曲も音もオーソドックスなフリージャズの域を出ていない。それが翌年録音の『Closer』では曲の尺はこの手のものにしては極端に短く、作曲者の意図に沿い、ときにそれを超えるところまで音楽をいかに飛躍させるか、アドリブはそのためのスプリングボードとなっている。と書くと、あたかも即興を軽視したようだが、1932年、カナダのモントリオールに生まれたブレイがビバップを知悉したピアニストとして――チャーリー・パーカーとの共演歴もある――当地のシーンを牽引し、ミンガス、マックス・ローチとデビュー作でわたりあったように、ブレイのプレイは巨人たちにひけをとるものではなかった。おしむらくは、生来の耳と手と頭のよさが身体性の突出をさまたげたところはなくはなかった。とくにフリージャズという情動の発露の側面のある方法ではポール・ブレイは異質だった。怒りもなければ抒情に流れすぎない、アイラーのような楽天もなければ、セシル・テイラーの鋭さともちがう、ビル・エヴァンスの系譜に連なるかもしれないが、彼のピアノは彼よりも、ただ音楽をあらわす。それはひとえに音楽への、ひいては他者を感受する力がもたらすものであり、ポール・ブレイは生涯をかけてそれを貫いた。

 余談になるが、いや余談ではないのだが、60年代なかごろ、ポールの盟友にして伴侶だったカーラ・ブレイは『Closer』をリリースしてほどなく、彼のもとを去り、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラのマイケル・マントラーと暮らしはじめる。ロバート・ワイアットの『Cuckooland』(2003年)でも名前を見かけたカレン・マントラーはふたりの娘で、かわりにポール・ブレイは60年代初頭よりしばしば共演したゲイリー・ピーコックの妻であり、ジャズ・コンポーザーであるアネット・ピーコックと親密になり、アネットはゲイリーのものからポールにはしった。ポールとゲイリーはこのこともあって一時疎遠になったが、60年代後半にふたたび合流し、ブレイのたちあげたImprovising Artists Inc.から発表した『Virtuosi』(67年)ではアネット作の「Butterfly」と「Gary」の2曲をレコードの両面たっぷりに吹きこんでいる。後者は(元)夫の名前をとったのだろう。その抑制と解放はECMの作風をさきがけているが、私は逸話にことかかないジャズ史のなかでもこのエピソードに長年興味をそそられてきた。ゲスの極みといわれても仕方ないが、対話に比せられるジャズという演奏形態において、演奏者同士、あるいは作者とプレイヤーは音で対話するとき、そこに一瞬でも私情の過ぎることはなかったのか。イアン・マキューアンが長篇に仕立て、フランソワ・オゾンあたりがやおらメガホンをとりそうな、音楽家たちのこみいったロマンを、しかし音楽以上に一意に直截にあらわす方法は地球上にありえない、とポールは確信していた。そのためにもまず音という抽象物の背後にある作曲者と共演者のすべてに、その厚みにこそ耳を澄まさなければならない。推論というよりほとんど妄想だが、そうでなければ、100を超える多彩な作品とジャズ史を通観するような共演者にめぐまれるわけがない。ところが十日ばかり前、彼はたえることのなかったリリースをいったんきりあげることにした。ECMがリリースした『Open, To Love』の続々編ともいえる一昨年の『Play Blue (Oslo Concert)』をもって、その感受する力をそそぎつづけた音楽活動に終止符を打った。私はねぎらいのことばをかけられるほど熱心なリスナーではなかったかもしれないが、それでも、針を落とせば、ポール・ブレイのすべてに耳を傾けることができる。(了)

interview with Tortoise - ele-king

 彼らが新作を録り終えた情報はつかまえていた。「別冊ele-king」のポストロック号をやっていたときだったので数ヶ月前になるが、おあつらえむきの特集なのにリリースの都合でとりあげられなかったのはいかにも口惜しい。爾来このアルバムは何度も聴いた。冒頭の表題曲のニュース番組を思わせるジングルめいたイントロにつづくトータス節ともいえるリズムの提示、アンサンブルは複雑さよりスペースを求め、打鍵楽器の記名性はこれまでより鳴りをひそめシンセサイザーがムードを演出するこのアルバムは『イッツ・オール・アラウンド・ユー』『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』の、つまり『TNT』以後の傾向雄の延長線上にあるのはあきらかだが、前作から7年の時間の経過は彼らの、リロイ・ジョーンズいうところの「変わりゆく──」いや、よそう。それより『ザ・カタストロフィスト』にはミシェル・レリスの書名「成熟の年齢」をかぶせたくなるやわらかさとかすかな官能をおぼえる。90年代、私たちはそれをまさにテクノロジーの、つまりポストロックのかもすものとして聴いたが、20年を経て、それがトータスの唯名性だったことにおそまきながら気づきつつある。

 ジョン・マッケンタイア、ジョン・ヘーンドン、ダン・ビットニー、ダグラス・マッカム、ジェフ・パーカー──5人を代表してギタリスト、ジェフ・パーカーにお答えいただいた。

■トータス・Tortoise
1990年に結成されたシカゴのバンド。ダン・ビットニー、ジョン・ハーンドン、ダグラス・マッコームズ、ジョン・マッケンタイア、ジェフ・パーカーの5人からなる、音響的なアプローチを持ったインストゥルメンタル・バンドであり、「シカゴ音響派」等の呼称によって、当時の前衛音楽シーンを象徴・牽引した。のちに「ポストロック」という言葉の誕生、発展、拡散とともにさらに認知度を上げ、多彩な試みをつづけている。今年1月リリースの『ザ・カタストロフィスト』で7作めのアルバムを数えることとなった。

シカゴ市のための組曲に入れるべく、メンバーそれぞれが1曲ずつ作曲したんだ。


TORTOISE
The Catastrophist

Thrill Jockey / Pヴァイン

Post RockIndieElectronic

Tower HMV Amazon

『ザ・カタストロフィスト』はおよそ7年ぶり7枚めのアルバムですが、これまでのどのアルバムより、作品の間隔が空いた理由について教えてください。

作品の間隔が通常より空いてしまったのにはいくつか理由があるんだ。ひとつはメンバーのうち2人がLAに住んでいて、みんながいっしょに集まることのできる機会を見つけるのが難しくなったこと。もうひとつはそれぞれ別のプロジェクトが忙しかったこと。自分はフリーのジャズ・ミュージシャンとして、ジョン・マッケンタイアはエンジニアやプロデューサー業、マッコームズはブロークバックやイレヴンス・ドリーム・デイで、等々。

『ザ・カタストロフィスト』に着手したきかっけについて教えてください。またいつごろはじまり、終わったのはいつですか。

新しい楽曲には『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ(Beacons Of Ancestorship)』のツアーが終わってからすぐ取り掛かりはじめていたんだ。シカゴ市から新しい作品を依頼されて、シカゴの即興音楽コミュニティのアーティストとコラボレートして組曲を制作した。そのときの楽曲が今作に収録されている曲の元になっているんだ。

本作の制作上のプロセスでいままでと変化したところはありますか。各自がアイデアをもちより、編集的に構築したのか、セッションでつくっていったのか、あえていうならどちらの比重が高かったですか。

今回はあなたの言う両方のプロセスを組み合わせたものだった。メンバーがそれぞれアイディアを持ってきて、それからグループとしてそれを新しいものへと発展させていったんだ。『ザ・カタストロフィスト』は『イッツ・オール・アラウンド・ユー(It’s All Around You)』のスタジオをベースにした制作プロセスにより近いものなんだ。『ビーコンズ~』はライヴや実際の演奏をもとにしたものだよ。

先行シングル“Gesceap”はメロディとリズムを効果的に交錯させた、長さを感じさせないすぐれた楽曲だと思いました。たとえばこの曲を例にとり、完成にいたるまでのプロセスを教えてください

前の質問で言った、シカゴ市のための組曲に入れるべく、メンバーそれぞれが1曲ずつ作曲したんだ。“Gesceap”はジョン・マッケンタイアが作った曲で、彼はテリー・ライリーの“In C”のような感覚をよりトータス的な文脈で表現しようとしていた。アルバムに収録されたバージョンになるまでにかなり多くの回数作り直している。曲の構造はできるだけ単純化して、録音にはたくさんの楽器が重ねられているんだ。

自分たちはまだ「アルバム」を作っているんだ。

『ザ・カタストロフィスト』は多様性に富んだ、しかしとてもまとまりのあるアルバムだと思いました。断片的なアイデアの折衷というより、曲ごとの自律性を重視したつくりになっていると感じました。この意見についてどう思われますか

自分たちはまだ「アルバム」を作っているんだ。偉大な作品というのはリスナーがさまざまなムードや感情を経験することができるものだと思う。同時にグループとしての自分たちの広範な音楽的な興味を反映したものでもあるよ。

サウンド面では、『ザ・カタストロフィスト』は『イッツ・オール・アラウンド・ユー』、『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』よりエアー感が強いと思いました。今回のアルバムではトータルな音をどのようなイメージに仕上げようと意図したのですか。

今作に関して自分たちは絶対にオープン・サウンドを取り入れようと考えていた。それぞれの楽器のまわりにたくさんのスペースがあるようなサウンドだよ。

音づくりの面で、スタジオの機材およびメンバーの使用機材で、これまでと本作とで顕著なちがいがあれば教えてください。

知っているかもしれないけど、ジョン・マッケンタイアは彼のSoma EMSを15年あった場所から別の場所へと引っ越したんだ。『ザ・カタストロフィスト』はほとんど、もともとあった場所で録音されたんだけど、いくつかは新しい場所でも録音して、ミックスもそこで行われた。

『スタンダーズ(Standards)』以降、初期トータスの代名詞でもあったヴィブラフォン、マリンバの代わりにシンセがアンサンブルを牽引するようになりました。この変化は意図的なものでしたか?

そうだね。自分たちの音楽をより拡張する必要を感じて、シンセサイザーでの実験をよりたくさんするようになったんだ。

“ホット・コーヒー”は『イッツ・オール・アラウンド・ユー』時のアイデアをリサイクルした楽曲だということですが、収録を見送った楽曲を次作以降でとりあげることはままあることなのでしょうか? もしかしたら、トータスの楽曲のためのアイデアのストックはかなりの数にのぼるのでしょうか。

アルバムをリリースするごとにたくさんの「残り物」が出るんだけど、それらはしばしばシングルやコンピレーションとしてリリースしている。時折、それらに立ち返って何か新しいものを作るインスピレーションをもらったりすることもあるんだ。

“ロック・オン”は素晴らしい曲だしメンバーみんなが聴いて育ったんだ。当時としてはとてもユニークな曲だった。

デイヴィッド・エセックスの“ロック・オン”をカヴァーした理由を教えてください。またこの曲にトッド・リットマンを起用したのはなぜですか。

“ロック・オン”は素晴らしい曲だしメンバーみんなが聴いて育ったんだ。当時としてはとてもユニークな曲だった。かなりおもしろいミニマル・サウンドが加えられていたり、ロックンロールについての歌なのにギターが使われていなかったりね。自分たちはみんな長い間トッド・リットマンのファンであり友人で、彼の起用は自然な選択だった。

『ザ・カタストロフィスト』には“ロック・オン”以外にもヨ・ラ・テンゴのジョージア・ハブリーの歌う“ヨンダー・ブルー”を収録しています。なぜヴォーカル曲を2曲も収録したのですか? またこの曲はアシッド・サイケともいいたくなる曲調ですが、この曲の生まれた背景を教えてください

次回作にはヴォーカル曲をいくつか入れようと事前に考えていて、しかも自分たちはトッドと同じように、ヨ・ラ・テンゴのジョージアの曲を敬愛している。“ヨンダー・ブルー”は、曲は先にできていて、ジョージアに興味があるか音源を送ったんだ。そうしたら彼女のヴォーカルと歌詞が付いて戻ってきたんだけど、それを聴いてまったく吹き飛ばされてしまったよ。

ポストロックなることばについては、語ることもあまりないかもしれませんが、日本ではこの20年前にとりざたされたことばに今年復権の兆しがありました。こと日本だけの現象かもしれませんが、かつてトータスの代名詞ともなったこの言葉をもう一度もちだすのだすとしたら、どこに可能性を見出せばよいと思いますか。

新しい可能性というのは僕たちのイマジネーションのなかにあるんだ。可能性に限界はないよ。

今回〈Pヴァイン〉から、過去作品がすべて紙ジャケットで再発されます(それも先の質問と無関係ではありません)が、旧作のなかで現在、もっとも気に入っている作品を一枚あげてください。

すべてのアルバムが好きだけど、今日の1枚を選ぶとすれば『イッツ・オール・アラウンド・ユー』かな。

新作をライヴセットにかけるとしたら、ヴォーカル曲含め、ライヴ用のアレンジが必要になると思いますが、どのようにするおつもりですか。ライヴとスタジオワーク、トータスにとって比重が高いのはどちらですか。

どちらのケースもたくさんの作業を必要とする。よくスタジオで曲を作ってアルバムを完成させてから、ライヴでそれをどう演奏するか考えなければならないこともあるよ。それにもたくさんの時間とクリエイティヴィティを要する。

自分のやることはすべてトータスに反映されるし、トータスとしてやることはその他すべてのことへと還元されるんだ。

それにしても、私は『ザ・カタストロフィスト』はトータスの新局面をあらわす野心的な作品だと思ったのですが、なぜ「Catastrophe」を文字ったタイトルなのでしょう

アルバムのタイトルはジョン・ハーンドンが彼の読んでいた本から思いついたんだ。自分はその本を読んでないんだけど、いまの政治状況や環境のことを含めた日々の生活のことを考えると、興味深いし良いタイトルだと思った。

カヴァーアートには90年代のエイフェックス・ツインのような露悪的な意図をこめていますか? ちがうのであれば、その真意を教えてください

このジャケットは何年か前に撮った写真を使ってメンバーの顔を合成したものなんだ。自分たちの顔をジャケ写にするならこの方法しかないだろうと話していて、ご覧の通りになった。

90年代から2000年代初頭にかけて、トータスはシカゴおよび、インディ・ミュージックのある種の結節点と、すくなくともリスナーである私たちは見なしていました。現在のUSインディおよびシカゴのシーンでトータスはどこに位置づけられると自己評価なさいますか。

トータスはある特定の時代にシカゴのインディ・ミュージック・シーンを代表する存在だったと思う。メンバーはそれぞれさまざまな形でそのシーンに参加していて、それが自分たちの生み出す音楽に反映されていた。いまでは違ったシーンがあるし、自分たちの前の時代もまたそうであったように、すべてはつねに変化していくんだ。

トータスが、現在の5人、不動のメンバーになってから短くない時間が経ちました。ほかのプロジェクトでの活動も多いみなさんにとってトータスというバンドはどのような意味をもちますか。

僕たちは偶然にも同じ時に同じ場所にいた良き友人であり、気の合う仲間なんだ。自分にとってトータスはいつもアイディアを試す場所であり、アーティストとして成長する場所でもある。自分のやることはすべてトータスに反映されるし、トータスとしてやることはその他すべてのことへと還元されるんだ。

トータス約7年ぶりの新譜を祝し、本インタヴューにつづき、第2弾となる特集をお届けいたします!

 音楽がファッションを発信できずしてどうしよう。ラッパーとして、アート・ディレクターとして、はたヴィジュアル・クリエイターとして、多彩な活躍をみせるこの若きアーティストは、ヒップホップ・クルー、KANDYTOWN(キャンディタウン)の中心人物として注目を浴びる存在だ。MURO、ANARCHY、KOHHらとともに、メンバーYOUNG JUJU、DONY JOINTと揃ってUNITED ARROWS企画のサイファー「NiCE UA 37.5:“Break Beats is Traditional”」に参加したことを筆頭に、ファッション・ストリート誌を賑わせ、クリエイター集団BCDMGへの加入、KID FRESINOの新作『Conq.u.er』収録の“Special Radio”への参加など、世間の彼への熱は高まるばかり。その当人、IO(イオ)の待望のソロ・デビュー・アルバムのリリースが決定したとの報。弊誌でも注目していきたい。


RILLA - ele-king

この時期なので2015年を振り返って

Swindle & Flava D来日公演 - ele-king

 2015年にリリースされた『PEACE,LOVE & MUSIC』で、堂々と新たな一歩を踏み出したスウィンドル。同作は自身のルーツのひとつであるグライムを軸に、ジャズ、ファンク、ワールド系の音までも取り込んだ秀逸な1枚だ。あの壮大な音絵巻をDJでどうやって披露するのか、期待して待ちたい。ともに来日するフレイヴァDのストリート感覚が全面に出た、UKの現在を体現するかのようなセットにも要注目。さらに、東京公演にはふたりが所属するレーベル〈Butterz〉の創設者、イライジャ&スキリアムの出演が急遽決定。UKアンダーグラウンド・シーンを先導するクルーを体感できる貴重な一夜となるだろう。
 スウィンドルとフレイヴァDは東京、名古屋、大阪の3都市をツアーする予定。パーツ―・スタイル、沖野修也、クラナカなど、各公演には強力なゲストDJたちが集う。

SWINDLE (Butterz / Deep Medi Musik / Brownswood, UK)
グライム/ダブステップ・シーンの若きマエストロ、スウィンドルは幼少からピアノ等の楽器を習得、レゲエ、ジャズ、ソウルから影響を受ける。16才の頃からスタジオワークに着手し、インストゥルメンタルのMIX CDを制作。07年にグライムMCをフィーチャーした『THE 140 MIXTAPE』はトップ・ラジオDJから支持され、注目を集める。09年には自己のSwindle Productionsからインストアルバム『CURRICULUM VITAE』を発表。その後もPlanet Mu、Rwina、Butterz等からUKG、グライム、ダブステップ、エレクトロニカ等を自在に行き交う個性的なトラックを連発、12年にはMALAのDeep Mediから"Do The Jazz"、"Forest Funk"を発表、ジャジーかつディープ&ファンキーなサウンドで評価を決定づける。そして13年のアルバム『LONG LIVE THE JAZZ』(Deep Medi)は話題を独占し、フュージョン界の巨匠、LONNIE LISTON SMITHとの共演、自身のライヴ・パフォーマンスも大反響を呼ぶ。14年のシングル"Walter's Call"(Deep Medi/Brownswood)ではジャズ/ファンク/ダブ・ベースの真骨頂を発揮。そして15年9月、過去2年間にツアーした世界各地にインスパイアされた最新アルバム『PEACE,LOVE & MUSIC』(Butterz)を発表、新世代のブラック・ミュージックを提示する。

Flava D (Butterz, UK)
名だたるフェス出演や多忙なDJブッキングでUKベースミュージック・シーンの女王とも言える活躍を見せるFlava Dは2016年、最も注目すべきアーティストの一人だ。
幼少からカシオのキーボードに戯れ、14才からレコード店で働き、16才から独学でプロデュースを開始。当時住んでいたボーンマスでは地元の海賊放送Fire FMやUKガラージの大御所、DJ EZの"Pure Garage CD"を愛聴、NasやPete Rockにも傾倒したという。2009年以降、彼女のトラックはWileyを始め、多くのグライムMCに使用され、数々のコンピに名を残す。12年にはグライムDJ、Sir SpyroのPitch Controllerから自身の名義で初の"Strawberry EP"を発表、13年からは自身のBandcampから精力的なリリースを開始する。やがてDJ EZがプレイした彼女の"Hold On"を聴いたElijahからコンタクトを受け、彼が主宰するButterzと契約。"Hold On/Home"のリリースを皮切りにRoyal Tとのコラボ"On My Mind"、またRoyal T、DJ Qとのユニット、tqdによる"Day & Night"等のリリースで評価を高め、UKハウス、ガラージ、グライム、ベースライン等を自在に行き交うプロダクションと独創的なDJプレイで一気にブレイクし、その波は世界各地へ及んでいる。

ELIJAH & SKILLIAM (Butterz, UK)
UK発祥グライムの新時代を牽引するレーベル/アーティスト・コレクティブ、Butterzを主宰するELIJAH & SKILLIAM。イーストロンドン出身のふたりは05年、郊外のハートフォードシャーの大学で出会い、グライム好きから意気投合し、学内でのラジオやブログを始め、08年にGRIMEFORUMを立ち上げる。同年にグライムのDJを探していたRinse FMに認められ、レギュラー番組を始め、知名度を確立。10年に自分達のレーベル、Butterzを設立し、TERROR DANJAHの"Bipolar"でリリースを開始した。11年にはRinse RecordingsからELIJAH & SKILLIAM名義のmix CD『Rinse:17』を発表、グライムの新時代を提示する。その後もButterzはROYAL T、SWINDLE、CHAMPION等の新鋭を手掛け、インストゥルメンタルによるグライムのニューウェイヴを全面に打ち出し、シーンに台頭。その後、ロンドンのトップ・ヴェニュー、Fabricでのレギュラーを務め、同ヴェニューが主宰するCD『FABRICLIVE 75』に初めてのグライム・アクトとしてMIXがリリースされる。今やButterzが提示する新世代のベースミュージックは世界を席巻している!


正月休みのための4本+1! - ele-king

 スターウォーズはもう観ましたか(僕はまだです)? フォースをすでに覚醒させたひとにも、まだのひとにも、あるいは何それというひとにも、ジェダイと関係ない冬休み映画をいくつかご紹介。映画館へ行きましょう!
 We wish you a merry christmas! よいお年を。

神様なんかくそくらえ

監督 / ジョシュア&ベニー・サフディ
出演 / アリエル・ホームズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ 他
配給 / トランスフォーマー
2014年 アメリカ/フランス
12月26日(土)より、新宿シネマカリテ他 にて全国公開。
©2014, Hardstyle, LLC. All Rights Reserved.

 ニューヨークのストリート・キッズの「リアル」を描いていると言っても、ラリー・クラーク監督、ハーモニー・コリン脚本の『KIDS』(95)とは違う。時代がちがえば、痛みもちがう。いきなり凄惨なリストカットを見せられたかと思えば、映画はずっとどうしようもなくズタボロの……ヘロインまみれの愚かな子どもたちの、汚れた日々を映すばかりだ。ここでカメラが映す21世紀の道端に、ストリートの美学なんてない。クズの輝きなんてない。彼女たちがヘロインを打つ場所はスターバックスやマクドナルドのトイレであり、正真正銘の都会のゴミとしてキッズは街をさまよっている。本作に主演しているアリエル・ホームズの自伝的な手記をもとにしていることが話題となっているが、だからといってわたしたちはこの映画を観なくても知っていたではないか……彼女たちがこの世界にたしかにいることを。主演ふたりの生々しい存在感にも胸を掴まれるが、と同時に、どうしても映りこんでしまう本物のストリート・キッズたちとそれを見て見ないフリをして通り過ぎる人びとから目を逸らせない。カメラは残酷にクローズアップを多用して、わたしたちに「ゴミ」と向き合うことを強要する……僕にそのことを下品だと言う勇気はない。冨田勲の音が耳から離れない。
 そうして映画は、アリエル・ピンクのドリーミーな歌をエンド・クレジットに流しつつ終わっていく。ドリーミーな……いったい何が? それは都会の公衆便所で見るひとときの夢なのだろうか。そこに立とうとするアリエル・ピンクというひとの無謀さに僕は、本当に震えるしかなかった。ふたりのアリエルがそこにいた記録を目撃してほしいと思う。

Ariel Pink - "I Need a Minute" (Official Music Video)

予告編



SAINT LAURENT/サンローラン

監督 / ベルトラン・ボネロ
出演 / ギャスパー・ウリエル、ジェレミー・レニエ、ルイ・ガレル 他
配給 / ギャガ
2014年 フランス
TOHOシネマズシャンテ 他にて全国公開中。
© 2014 MANDARIN CINEMA - EUROPACORP – ORANGE STUDIO – ARTE FRANCE CINEMA – SCOPE PICTURES / CAROLE BETHUEL

 これはある天才についての伝記映画ではなく、一種の芸術論である。『メゾン ある娼館の記憶』(11)でもずば抜けたセンスを発揮していたベルトラン・ボネロ監督は、序盤、分割画面で68年と69年の革命とコレクションを並列してみせいきなり観客を圧倒するが、そんなものは大して重要ではないとでも言わんばかりに、どんどん時間を進めていく。やがて時間軸はバラバラになり、時空はねじ曲げられて、すべては彼の76年の最高傑作へと向かっていくだろう。彼の才能も、性愛とドラッグにまみれた退廃の日々も、お決まりの「天才の苦悩」も愛も、さらには晩年の孤独も、ここでは最高の作品に奉仕したに過ぎない……時間は等価ではないのだ。次々に大音量で流される音楽もクールにちがいないが、ひとつひとつが美術作品のように差し出される画面と、それに魔術的な編集にクラクラする。美しい作品について語る映画であればエレガントに振る舞うのが当然、それこそがこの映画の美学であるとボネロは涼しげに言ってのける。ギャスパー・ウリエル、ルイ・ガレルといった美しい男たち(晩年のサンローランを演じるのはヴィスコンティ映画の常連ヘルムート・バーガー!)ばかりが現れるのも当然だし、やや周到に思えるモンドリアンの引用も“アヴェ・マリア”も……1976年の、その瞬間の前にひれ伏すのである……。年間ベスト映画に入れ逃した1本。

予告編


あの頃エッフェル塔の下で

監督 / アルノー・デプレシャン
出演 / カンタン・ドルメール、ルー・ロワ=ルコリネ、マチュー・アマルリック 他
配給 / セテラ・インターナショナル
2015年 フランス
Bunkamuraル・シネマにて 公開中。全国順次公開。
©JEAN-CLAUDE LOTHER - WHY NOT PRODUCTIONS

 いかにもアルノー・デプレシャンの映画である。つまり、ひとつの幼い恋が映画の中心にあったとして、その周りにありとあらゆる小さな事柄が散らばっていて、さらにその周りにはさらなる小さな事柄が控えている。自殺した母との複雑な関係や父との微妙な確執、勉学への若き情熱、パーティで踊ったデ・ラ・ソウル、仲間たちと観たジョン・フォードの映画、読みふけったレヴィ=ストロースやスタンダール……。それらはどこまでも伸びていき、終わりのない広がりを見せていく。日本でもヒットした『そして僕が恋をする』(96)のふたり――ポールとエステルのさらに若き日の痛ましい恋を描いた映画でありつつ、その青春の日々に散らばっていた瑣末なひとつひとつをランダムに思い出していく過程でもある。そしてそれらすべてのことがまた、どうしようもなく「たった一度の恋」に収束していく。ラスト30分頃のひたすら手紙の朗読を重ねるショットの切ない美しさは、間違いなく本作のハイライトである。何がどうなったという話でもないのに、人生の豊穣さを流麗に見せていくデプレシャンには毎度唸らされるばかりだ。94年生まれのカンタン・ドルメールと96年生まれ(!)のルー・ロワ=ルコリネの「一瞬」を収めたフィルムでもある。『そして僕は恋をする』におけるフランスの香り漂う恋愛模様に酔いしれたひとはもちろん、忘れられない恋を胸に抱えるひとは劇場へ。

予告編


消えた声が、その名を呼ぶ

監督 / ファティ・アキン
出演 / タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、モーリッツ・ブライプトロイ 他
配給 / ビターズ・エンド
2014年 ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/カナダ/ポーランド/トルコ
12月26日(土)より、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA 他にて全国順次公開。
© Gordon Mühle/ bombero international

 トルコ系ドイツ人ファティ・アキンによるもっとも規模を大きくしつつ、トルコで最大のタブーとも言われるオスマン・トルコによる1915年のアルメニア人虐殺をテーマとした一作。喉をかき切られ声を失いながらも娘を探して世界中を旅する父親という難役を、いまもっとも重要な俳優のひとりであるタハール・ラヒム(ジャック・オディアール『預言者』、ロウ・イエ『パリ、ただよう花』など。黒沢清の新作にも出るそうです。)が熱演。熱、といま書いたが、じつにアキン監督らしいエモーショナルな温度を帯びた作品となっている。それは情の篤さだと言い換えてもいい。ここでは史実的なジェノサイドも描かれているのだが、その勇ましい暴力の下で隠された人間の弱さや親切さもまた掬い取られている。男は圧倒的な量の死を前にして絶望し信仰を含めて多くのものを喪っていくが、彼を多くの人びとの素朴な善意が救っていくのもまた事実なのである。そして僕が映画を反芻して思い浮かべるのはどうしても後者のほうなのだ。あるいは、チャップリンの映画を前にして(それは多くの人びとにとって初めて観る「映画」として描かれる)、子どものような目で涙を流すラヒムの姿だ。それはアキン監督映画の一貫した甘さでもあり弱点でもある、が、彼を応援し続けたい理由でもある。1973年生まれ、まだまだ先が楽しみな作家のひとりだ。

予告編


 それでもどうしても映画館に行けないという方に、家族で観るDVD編。

くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ

監督 / バンジャマン・レネール、ステファン・オビエ、ヴァンサン・パタール
配給 / ギャガ・プラス
2012年 フランス
DVD発売中。 https://www.amazon.co.jp/dp/B014QI4Z0M 
© 2010 Les Armateurs - Maybe Movies - La Parti - Mélusine Productions - STUDIOCANAL - France 3 Cinéma – RTBF

 くまのアーネストおじさんはおなかをすかせ、ゴミばこをあさっているうちにねずみのセレスティーヌと出あいます。くまとねずみの世界は地上と地下とでわけられていたため、ふたりのであいと友じょうはやがて大きなそうどうとなっていくのですが……。という、ガブリエル・バンサンの原作絵本をベースとした物語は、いまのフランスの精神の善き部分を象徴しているように僕には思える(テロ以前の、とは言いたくない)。別々の世界で生きる孤独なふたりが出会い、やがてソウルメイトとなっていくのだが、それが裁判という公の場へと持ちこまれるのがいまの欧米のリベラルのモードだと言えるだろうか。ああ、いいなと自然に思えるのはふたりともアーティストだということだ(ミュージシャンと絵描き)。異なる世界の融和をここで素朴に体現するのは、心優しき芸術家たちなのだ。
 初期ジブリに影響を受けたと思われる柔らかいタッチの線と色使い、アクション、音楽、警察をはじとする権力や商業主義への風刺、原作への敬意、どれもいちいち効いているし、制作者の真心を感じずにはいられないアニメーション作品だ。アーネストもセレスティーヌもとにかくかわいい……とくにアーネストが……『アナ雪』と同じぐらい観られてもいいと僕は思います。

予告編

interview with Keiichi Suzuki - ele-king

“男は黙って…”ではコーラスで反論を述べさせる、っていうのをやっているのね。いわゆるゴスペルとかそのへんの基本で、それをやってみたくて。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon iTunes


鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon

『Records and Memories』について、たしかに男と女について語っているというのは、聴いていて感じましたね。そういう意味では女性コーラスの入れ方も念頭に置かれているのかなと。

鈴木:“男は黙って…”ではコーラスで反論を述べさせる、っていうのをやっているのね。いわゆるゴスペルとかそのへんの基本で、それをやってみたくて。

掛け合いソングですね。「男は黙って明日を待つんだ」っていう一節は、ちょっとした箴言を受け取ったような気持ちになりますね(笑)。

鈴木:そんな強いメッセージ性はないよ(笑)。

2曲めの“愛される事減ってきたんじゃない?ない”の「年取って 愛される事 減ってきたんじゃないないない?」みたいなフレーズは、ぼやきにも聞こえてきますが。

鈴木:それは(歌に登場する女性が)質問しているんだけど、その相手は他人かもしれないし、自分かもしれないし。

『図らずも朝夕45年』の1曲めには今作から“ひとりぼっち収穫祭”も入っています。

鈴木:この曲は内輪で人気が高いから入っている。それだけ(笑)。これはすごくややこしくて、女性が歌う歌詞なんですよ。嫌なちょっと怖い女のひと。

たしかに、「送り先は警視庁の遺失物窓口で なくした私を拾うのよ」って言ってる(笑)。女歌なんですね。

鈴木:女歌も久々に作りました。ムーンライダーズの初期のころはけっこうあるけどね。“夜の伯爵”(『ヌーベル・バーグ』収録)とか。

慶一さんにとって女性というテーマは大きいですよね。女性から受ける刺激もそうだし、傷といっていいかわからないですけど、精神的な打撃なども含めて。

鈴木:ははは(笑)。それは大きいですね。小学生のころに3、4歳年上のいとこがいて、ポップ・ミュージックを教えてもらったりとか、そういうのがあってね。通った学校すべてが男女共学で、女性が近くにいるのが当たり前だった。サッカーのあとは別だけど、飲みに行くことになって女性がいないと、帰っちゃったりすることもある(笑)。

女性がいないと楽しくないというより、不自然に思うんですね。

鈴木:なんかお尻が収まらない感じがするよね。人生の局面となるポイントで助けてもらったのは、おふくろだったりします。21年もマネージャーをやってくれているのも女性だし、女性の感覚が非常に大事なんですよ。

女性の感覚が非常に大事なんですよ。

ホモソーシャルな価値観がお嫌いなんでしょう。日本はいまだにホモソーシャルな社会で、そういう居心地の悪さみたいなものがあるように思いました。

鈴木:それはあるね。要するに、女好きとかそういうことじゃないんです。性的な差別もなくて、女性がいることが当たり前で、意見も普通に聞くし、話も普通にする。そういうのがいちばん日常的な場所。かつては男女がすべて同じだと思ってたの。でも90年代半ばくらいに、「男女に性差はあるんだな。でも同じほうがいいな」って、ちょっと変わるんだけどね。だから男らしくありたいとか、そういうことじゃないくて、性の違いはあるんだな、とは思った。それまで気づかないから、ちょっと奥手過ぎるんだけど。

女性には素晴らしいところがたくさんあるけれども、非常に付き合いづらいところもないわけではない気がするんですが、そうでもないですか?(笑)

鈴木:はははは(笑)。どうだろうねぇ。たまにはあるんじゃないんですか? そういうものもありつつ、重なるところもあって、お互いに距離もある。それで日々を生きていくことがいいんだと思うんだよね。

そういう気持ちが“LivingとはLovingとは”に入っている気がして、すてきな曲だなと思います。それから、曽我部くんとの三部作はコンセプト・アルバムの色合いが強くて、そういう余韻も今作には少し感じます。

鈴木:インストゥルメンタルの2曲め(“Memories”)とかは曽我部くんとやった曲に似ていたりもするんだけど。

“Records” と“Memories”という2曲のインストを入れるところが洒落てるなあ、と。

鈴木:あれは即興ですからね。一発ですよ。曽我部くんのときも即興はあったし、10分くらい録音していて、そこからいいところを選ぶ。そういういろんな手法があると思うんだけど、このアルバムのどこかにはそういう手法の集大成的な部分もあると思うよ。現在のテクノロジーでの最良の部分を使ってね。だからドラムも、あだち(麗三郎)くんが叩いている部分もあるけど、かなり自分で叩いているしね。ドラムを叩くっていうのは、ビートニクスだとまず考えられない(笑)。No Lie-Senseでは相当叩いている。それもあってこのアルバムでもドラムを叩いていて、そこに柴崎ディレクターとの書簡の交換により、「これは生にしたほうがいいんじゃないんですか?」ということになり、あだちくんに叩き直してもらったり。まさに「叩き直し」だなと(笑)。

「川面」と書いて、あえて「かわも」にするというのは、私のなかでは映像なわけ。

全体的に、ひとつの映画をシーンごとに作っていくような感覚というのも感じられました。

鈴木:とくに歌詞作りの段階では、私の脳みそのなかの妄想は映像なので。(“My Ways” の歌詞の一節で)「窓面」と書いて「まども」にするというのは、私のなかでは映像なわけ。だからみなさんがこの曲を聴き、歌詞を聴き、どう感じるかというのは、私の妄想なのでお好きなように受け取ってくださいと。

ちょっとテリー・ギリアムっぽいというか。『ゼロの未来』という彼の新作映画が今年日本でも公開されましたが、ご覧になりました?

鈴木:いや、観てない。

なかなかよかったです。主人公の中年男が天才プログラマーなんですけど、ひとと関わるのを拒んでいて。誰もいない教会で人生の意味を教えてくれる電話がかかってくるのを待ってるんですよね。ただ待っているんだけど、一方で“ゼロ”という数式を解こうとしてチャレンジしている。そこに女性が絡んできて、最後には人生の本当の意味に気づくという。主人公の男は世界に対しては諦念に満ちていて、いまさらどうしようもないし、変えようもない。教会の外に出てみるとあらゆるものが広告になっていて、これを買え、あれを買えとサインを送ってくる。ほとんど現在に近い近未来の光景ですけど。

鈴木:この前、テリー・ギリアムが演出していたオペラをテレビでやってたな。テリー・ギリアムっぽい作品だったね。

かなり慶一さんの世界とも親和性が高い監督ではないかと。“Sir Memorial Phonautograph邸”っていう曲も、ちょっとギリアムっぽいなと感じてました。

鈴木:基本的には、曲に全部仮題がついていて、“ホリーズ”とか“(ブライアン・)ウィルソン”とか。これは“ウィルソン”だね。コード進行とかがブライアンらしい。それを頭のなかで揉んでいくうちに、屋敷に忍びこんでいくものにしようというようにしたんだな。いろんなものをかつてここから盗みましたよ、って。

曲に全部仮題がついていて、これは“ウィルソン”だね。コード進行とかがブライアンらしい。それを頭のなかで揉んでいくうちに、屋敷に忍びこんでいくものにしようというようにしたんだな。いろんなものをかつてここから盗みましたよ、って。

最初にそういうイメージがあって、そこから画像が立ち上がってきて曲を作られることが多いのですか?

鈴木:うん。音を聴きながらね。他人に詞を書くときは、まだ曲が完成していない段階で頼まれるんですが、自分の曲の場合は、手がかりを作るには音を聴いていた方がいいんだよね。あと1曲、SEを入れちゃったんで、SE順に歌詞が出てくるやつもあります。“愛される事減ってきたんじゃない?ない”は最初にSEを入れたんですよ。まずは地下鉄の喧噪。自転車とか、車とか、バイクとか。それで権藤くんに連絡して、SEの順番を訊いたんです。その順に歌詞を作っていった。

それは初めにシナリオがあって、ということですか?

鈴木:そう。なんでこの音を入れたんだっけな、というのを歌詞を作るときに忘れちゃって困ったんですよ。そのときに、そうだ! SEの順番にしようと。“歩いて、車で、スプートニクで”(『アニマル・インデックス』/85年)の続編みたいなもの。

過去の作品の続編を作る、といった発想で曲を書かれることはけっこうありますか?

鈴木:ごくたまには、ありますね。続編というのは裏のテーマですけど。

今作のなかでは、“バルク丸とリテール号”というタイトルの意味も最初はわからなくて、「リテール」とか「バルク」という言葉を検索してみたりしました。そうしたら、「リテールは一般消費者向けの〈小売〉のことを指す。対義語はホールセールであり、いわゆる〈卸売〉を指す」とか、ようやく理解できる(笑)。

鈴木:たまたまコンピューターの部品を交換しなくちゃいけなくて、エンジニアの方とやり取りしていたの。MacBookの電源が壊れたので、品番で検索すればいいですよと。そしたら「バルク品」とか出てたの。知ってた?

柴崎:CDの業界だと、ケースがなくて筒の状態で盤だけで納品されることで、たぶん卸売用語でしょうね。

バルクは「ひとまとめ、一括するという意味。金融機関が保有する不良債権や不動産を第三者にまとめ売りすることをバルクセールという」(笑)。

鈴木:ケースなしってことだよね? バルク品ってことばを知らなかったから、そこで知るわけだよ。それで調べてみたら、反対がリテールだったの。これは使えるなと(笑)。

それでこの歌詞ができるって謎ですよね(笑)。

鈴木:それで渋谷の話になっている。秋葉原じゃなくてね。

渋谷のB.Y.Gにライヴを観に来た方から、「渋谷をもう一回出してください」というリクエストを受けて、それで「じゃあ出しましょうか」と(笑)。

渋谷が舞台の曲って他にありますか?

鈴木:『SUZUKI白書』に1曲だけあって(“GOD SAVE THE MEN -やさしい骨のない男-”)、これが続編なんですよ。渋谷のB.Y.Gにライヴを観に来た方から、「渋谷をもう一回出してください」というリクエストを受けて、それで「じゃあ出しましょうか」と(笑)。単にそれだけではじまったのね。

これはどの時代の渋谷ですか? やはり2015年、現代の渋谷ですか?

鈴木:うん。携帯もってるし。

この間、本当に久しぶりにB.Y.Gへ行って思ったんですが、20世紀に入って、渋谷にギリギリ残っていた、“記憶のなかの渋谷”と言うべき由緒あるスポットが、櫛の歯が欠けるようになくなっていって、公園通りのジァン・ジァンとか、あるいは松本隆さんが窓際の席で詩を書いていた桜丘町の喫茶店マックスロードとか、掛け替えのないものが消えてしまった。

鈴木:私もあそこで取材を受けました。ミュージック・マガジンが近くにあったので。

最後の砦は百軒店くらいかなと。

鈴木:しかしあのあたりも変わっているよ。変わっていないのはB.Y.Gとライオンだけだよ。あとはムルギーか。でも道を隔てた反対側は全部変わっているね。あそこは怪しげなバーだったんだよな。偶然にもあとで知ったんだけど、早めに亡くなった私のおじさんがあそこらへんに出没してたらしい。法事のときに80を過ぎたおじさんやおばさんに話を聴くのが面白いよね。それでできたのが、三部作の最後の『ヘイト船長回顧録』(11年)。「天ぷら学生」とか、知らないことばだったからね。だから、歌詞にすることばっていうのは決まっているわけじゃないんだよね。なんでもいいと思う。

“Untitled Songs”で終わられると、なんかお腹いっぱいになるんで、暖炉にあたっているようなものがすっと入っていたらいいだろうな、と思ったんです。

今作では、やはり5つのパートからなる“Untitled Songs”がいちばん気になります。

鈴木:当初はパート1だけだったんだけどね。パート1は自分にとって濃すぎるんですよ。濃すぎたものの後ろに、ものすごく長いものを付けて別の状況をつけつつ、別の歌詞も入って、はじめに戻って終わるものにしようかなと思ったわけだ。

パート1だけだと、あまりにも濃すぎて、いろんな想いが溢れてライヴで歌うのが大変そうですね。

鈴木:でもやるかもしれないしね。ルー・リードがウォーホールを追悼したアルバム(ルー・リード&ジョン・ケイル『ソング・フォー・ドレラ』/90年)とかを思い出すね。

この“Untitled Songs”というタイトルは最初からあったものですか?

鈴木:最初から。初めはパート1だけは、「An Untitled Song」という単数形でメモったものがあるんですよ。でもそれはだめだったので、「un」をとって「songs」に。

「題無しソング」というフレーズには「台無し」という意味も含まれている気がするし、こうやってすべてを相対化するのも慶一さんならではというか。

鈴木:どうしてもそうしたくなりますね。あとは「かわす」とかね。本来はこれで終わる予定だったんですが、シナトラと呼んでいたもう1曲がラストに入っています。

この曲は本当に好きです。この“My Ways”って、本当に切ない、いい曲だなって。これを最後に置くのが、このアルバムのすてきなところだと思います。

鈴木:あの“Untitled Songs”で終わられると、なんかお腹いっぱいになるんで、暖炉にあたっているようなものがすっと入っていたらいいだろうな、と思ったんです。最初から曲順も決めていて、最後かなと。しかも“Untitled Songs”の次なんじゃないかなと。それもわりと最後の方でできたんだよね。

これは歌詞が染みますよ。「これからの 毎日は お別れが 揃う 夜にさよなら 朝にさよなら 数えきれぬ エンドマーク 川面に並んでる 少し消え また増えて 末広がる」という1番の歌詞や、「今までの 毎日は 長い列をなし 背丈ほどが ぶら下がって 鉄路のように土の 一部となっている 何度 掘り返しても 唾を吐いても」という2番の歌詞には、大先輩の慶一さんから見ればまだまだ人生の何たるかを知っているとは言えない世代のぼくも、人生の後半にさしかかってきたので、とくに感じるものがありますね。

鈴木:私はあんなギターを普通は弾かないからね。これはAORな音にしようと。これを作ったときの裏話があって、これはディランの新譜のスタンダード・カヴァー集を小さい音で聴きながら、別の曲を作るというやり方なの(笑)。なかなかいいんですよ。隣でビートルズが聴こえているとき曲を作ったことがかつてあったけど、それが何なのか忘れちゃった。これは確実に、確信犯的にディランの新譜を小さくかけながら、キーボードで作っています。そっちを小さい音量でかけているから、こっちはもう少し大きな音量で弾いているんだよね。つまり情報が分断する。ディランも分断されるわけ。それで誤解して曲を作る。

今作は、1、2回聴いただけだと聴き手が混乱するアルバムかもしれませんが、何回も聴いているうちに愛着がもてる作品になるんじゃないかな、と思いました。

鈴木:ありがとうございます。歌詞カードを見つつ聴くとかね。

「莫漣」はわからなかったですね(笑)。

鈴木:そうだ、“無垢と莫漣”は、「丸ビルハート団」って呼んでいたんだ。検索していたら、丸ビルハート団っていう不良少女グループが大正時代にあったみたいで。丸の内のサラリーマンをひっかけて売春すると。この間、アーバンギャルドの松永天馬くんに丸ビルハート団のことを教えたから、次の作品にタイトルで出てくるかもな。天馬くんと話してるとKERAと近いと感じるね。軽音楽部じゃなくて、文芸部とか、そういう感じになる。

ムーンライダーズ活動休止後、初めてのソロということもあって、ご自身のなかで感慨がおありだと思うんですが。

鈴木:感慨はとくになかったね。これを作り終わってから、ライヴのプレミアムシートに配る7インチ用の2曲を作ったので、私のなかの最新作はもうそっちになっているんだよ(笑)。辛かったのは、最後の歌入れと歌詞のところかな。ちょっと別の仕事とダブっていたのでね。でもユニットとか、プロデューサーがいるのと違って、セルフ・プロデュースの不安はものすごい。いまだに不安だけど。

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これは偶然だけど、私がサニーデイ・サービスを意識したのは1枚の写真なんだよね。

曽我部くんと慶一さんがいっしょにやると初めて聞いたときに、なんて絶妙な組み合わせを考えるんだ! と思いました。曽我部くんにとっては大先輩だけど、慶一さんとは人間的にも音楽的にも親和性が高いだろうから、変な遠慮なしに融合できるんじゃないかなと。

鈴木:たしかに曽我部くんに遠慮はなかったね。こちらも曽我部くんが言うんならそうなんだなと思うもん。

彼は、はちみつぱいから慶一さんの音楽を好きになっているので、それがかなり大きいのではないかと。どこから入るかでだいぶ感覚が違いますから。

鈴木:これは偶然だけど、私がサニーデイ・サービスを意識したのは1枚の写真なんだよね。ピアノのところにソロで座っていて、チェックのシャツを着てるんだよ。「あ、これははちみつぱいのころの俺の写真だ」と(笑)。まさにそれだと思ったの。

彼がライヴでカヴァーしているはちみつぱいの曲が、“僕の倖せ”だったりするのが、なおおもしろいなと(笑)。あれは慶一さんではなくて渡辺勝さんが歌っているフォーキーな曲。自分が歌って似合う曲を選んでいるんですよね。ムーンライダーズの曲からは「スカンピン」を歌うとか。三部作の最初のアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』(08年)がレコード大賞の優秀アルバム賞をとったことにびっくりしたんです。「レコ大ってそんなにロックに理解があったっけ?」と驚きましたね。

鈴木:私もソニーの方に「ノミネートされてますよ」って言われて、「あ、そう」って思っていたんだけど、優秀アルバム賞だったから「えー」と。私もすげぇビックリした。翌々年に細野(晴臣)さんとか大貫(妙子)さんとかも受賞したよね。なんかハナレグミをきっかけにそういう流れができたね。それで、賞を授与される式に行ったの。そしたら曽我部くんは革ジャンで来てさ。ふたりでもらうんだけど、レコード協会の会長さんがね「毎日聴いております」って言うんだよ。「ありがとうございます」って返したけど、なんで毎日聴くんだろうな、と(笑)。「最後に鴨長明の『方丈記』の一節を入れたせいだ」とかってふたりで言ってたんだけど(笑)。審査員の作曲家の三木たかし先生が推してくれたらしいんだよ。あのあと亡くなってしまうんだけど、病床ですごく聴いていたというお話は聞きました。

レコード大賞とムーンライダーズはあまり接点はなかったのに、ムーンライダーズではなくて、ご自身のソロ作品で賞をとったのは、やはり不思議な感じですか?

鈴木:不思議。「まさかぁ」って。挨拶が「おったまげー」ではじまりますから。便利なのが自分のプロフィールで4行はいけるぞと(笑)。あとは同総会に出たときの他人の目が変わるくらいだよ。そこで変わっちゃいけないんだけどね。

ワーカホリックじゃないよ。だっていっぱい遊んでるもん。

次は映画音楽でそういう慶事があるといいですよね。

鈴木:すげえうれしかったのは、シッチェス・カタロニア国際映画祭っていうスペインの映画祭で最優秀映画音楽賞をもらったんだよね。北野武さんの『座頭市』で。それに出演していた浅野忠信さんが行ってトロフィーを持ってきてくれたの(笑)。そのトロフィーがいかしてるんだよ。『メトロポリス』(27年/独/フリッツ・ラング監督)の(ヒロインの)マリアみたいなんだよね。それからなんの縁か知らないけど、アメリカ人から映画音楽を頼まれてね。これはいまだにどこにも発表されていないんだけど、それは去年。完成した映画を観てみたんだけど、変な映画だったなぁ。

それはホラーですか?

鈴木:ホラーではないね。女性ふたりがいて、ひとりが森を観測していて、もうひとり灯台守のじいさんがいなくなっちゃう。それでもうひとりの女性が森を観測する装置を守るみたいな話。なんか不可思議だったんだよね。

そんなふうにアグレッシヴにお仕事を受けるのは、やはりワーカホリックということでしょうか?

鈴木:ワーカホリックじゃないよ。だっていっぱい遊んでるもん。その映画の試写会をアメリカでやったときに、ニューヨークの知り合いが見に行ったんだよね。そしたら「変な映画だなぁ」っていっていたけどね。映画を作ったひとが『マザー』を好きらしいんだよ。あと日本の音楽に詳しくて、メモがいろいろあったね。なんであれがウケたんだろう。

インターネットの時代になってから、海外のひとたちが日本の音楽を発掘しはじめて、レコードを探していますね。

鈴木:そういう外国の友人がいたりするね。日本に来てSP盤を買い漁って帰ったりとか。

それこそムーンライダーズとか、日本のポップ・ミュージックを聴き込んでいるひとが海外に現れたと思うんです。

鈴木:逆もあるよね。そのへんのボーダーレス状態はインターネットが推進していると思うけど。おもしろいけど、記録が多すぎるといえば多すぎる。

いまは自分の基準が見えなくなっているひとが多くなっているかもしれないですね。

鈴木:基準が見えないところで何が生まれるかっていうのは興味深いけど。

60年代は世界中、ビートルズが基準だから、わかりやすかったですよね(笑)。

鈴木:そうそう(笑)。ビートルズが基準で、70年代はそれがなくなって非常に困るわけだよ。そのときに違うヒーローが生まれるわけで、ミュージシャンのなかではザ・バンドとか。ストーンズは相変わらずやっているし。私は一応基準があった時代にいましたけど、いまではCDを買う基準とかはとくにないね。でもビートルズ『1』がブルーレイで出たら買っちゃうけどさ。ディランのあんなに高いブートレック・シリーズの最新作とかも2万円だけど、買っちゃうなぁ(笑)。グレイトフル・デッドのライヴ音源はCD80枚組とか出てるよね。

亡くなった大瀧(詠一)さんに、私の携帯のアドレスに目をつけられて「お前はやっぱりサイケデリックだな」といわれたんです(笑)。

日本のポップ・ミュージックを俯瞰で見て、出発点にグレイトフル・デッドがあるひとが海外に比べて少ない気がして、デッドとマザーズがスタートラインにあった慶一さんはそこが大きいポイントだと思います。

鈴木:亡くなった大瀧(詠一)さんに、私の携帯のアドレスに目をつけられて「お前はやっぱりサイケデリックだな」といわれたんです(笑)。「はいそうです」って答えるしかないよね。

はっぴいえんどの入団試験に受からなかったのは、それも理由のひとつだったんでしょうか。

鈴木:はっぴいえんどは酒を飲まないからな。それはけっこう大きいですよ。俺らは酒を飲むためにライヴをやっていたようなもんだもん。

今度出る本の話もうかがいたいんですけれど、どうやって作られたんですか?

鈴木:本はインタヴューです。まだ作業中なので内容は見えないんですけどね。いま、ビートニクスとか、作詞についてとか。あとは機材とか、食べ物とか。そういったところに焦点を当てて私が語るものになる予定です。

ソロに絞ったものなんですか?

鈴木:ムーンライダースについてのインタヴューもありますね。3枚組のアルバムと対をなすイメージですね。

他のひとへの提供曲についても語っていますか?

鈴木:それはなかったな。途中なので何ともいえないんです。すいません。

あまり個人史的な本ではないんですか?

鈴木:それも語っているけど、どの部分をピックアップするかによりますよね。王道も語りつつ、なぜか「なぜ私はB級グルメなのか」というところだったり。街中華と駅前食堂というのがあって、その歴史かな。あとはファッション、サッカー、楽器。サッカーとか話したら話が長くなっちゃうからね(笑)。でも全部並列だよ。男女もサッカーも。

王道も語りつつ、なぜか「なぜ私はB級グルメなのか」というところだったり。街中華と駅前食堂というのがあって、その歴史かな。あとはファッション、サッカー、楽器。

では、恋愛の話もけっこうされている?

鈴木:してるね。恋愛の話に興味もってない?

いやいや(笑)。余談ですが、慶一さんは『ウルフェン』(81年米/マイケル・ウォドレー監督)というホラー映画がお好きだと。この間、『70年代アメリカ映画100』(13年/芸術新聞社)という本で慶一さんと対談させていただきました。主編者の渡部幻くんも『ウルフェン』が好きで、『ウルフェン』がツタヤ限定でDVDが出ていると慶一さんにお伝えしてください」と言っていました(笑)。

鈴木:わかりました(笑)。覚えておきます。

あれは『ウッドストック』の監督、マイケル・ウォドレーの唯一の劇映画なんですよね。狼男ものとエコロジーが混ざってる不思議な作品。そういう変わったセレクションが、慶一さんの映画談義には出てくるので楽しいです。

鈴木:『トランザム7000』(77年米/ハル・ニーダム監督)のテーマをTBSラジオでかけるからね(笑)。

この間、B.Y.Gにうかがったときの1曲めが、『トワイライト・ゾーン』(60年に日本テレビで第1シーズンが放送された際の邦題は『未知の世界』。ホスト役のロッド・サーリングの声の吹き替えを鈴木慶一氏の父君、鈴木昭生氏が担当した。61年から67年までは『ミステリー・ゾーン』と改題されてTBSテレビで放送された)のある回(第92話「死ぬほど愛して Come Wander With Me」)で、カントリー歌手が歌を探しに旅に出て、そこで出会った歌だと。そういうところからカヴァーする曲を選ぶのが慶一さんらしいなと思って。

鈴木:『ブラウン・バニー』(03年米/ヴィンセント・ギャロ監督)でヴィンセント・ギャロが使ってるね。あのサントラに入ってるよ("Come Wander With Me"/JEFF ALEXANDER)。音の現物として初めてちゃんと聴いたのはそれです。曲自体は覚えていたけど、ギャロが使っていてビックリした。それで音源も手に入ってよかったね。それから運よく『トワイライト・ゾーン』の再放送をエアチェックしていました。

密かにカヴァーしたいそういう曲もけっこうおありになるんですか?

鈴木:まだ探しきれていない曲が記憶にはあるよね。これだけは見つけないと、死んでも死に切れないぞと。

そういう曲をあつめてカヴァー集とか出されると楽しいですよね。

鈴木:手に入るまではわからないんだよね。東京太郎という私の変名では、河井坊茶さんの“吟遊詩人の歌”をやってますけどね。子どものときから頭のなかで鳴っている曲だったんだけど、三木鶏郎さんの曲だとわかった。

『Musicshelf』の「鈴木慶一のルーツを探る10曲」と題するプレイリストのなかに、細野さんから教えてもらった曲というのがありましたよね。

鈴木:あれは口笛の曲なんですけどね。おやじの劇団員のひとたちと海へいっしょに行くと、ウクレレでずっと弾いてたのね。あの曲なんだろうなって思っていて細野さんに訊いてみたら、「いま口笛で吹いてみ」といわれて吹いてみた。そしたら「『パペーテの夜明け』だよ」ってね。『南海の楽園』っていうイタリア映画(63年)のサントラだと、あとで知るんだけど。すみやっていうサントラ専門店が渋谷にあったでしょう? そこの店長さんとお客さんの懇親会みたいなのがあったの。そこに俺は行ったのよ。それで「頭のなかで電子音楽が鳴っているんですけどわからない」っていったら、「これじゃないですか?」ってデヴィッド・ローズを教えてくれたんだけど、それだった。各ジャンルのオーソリティがいて、そのひとたちにわからない音楽を訊くとすぐに教えてくれる。あれはありがたいね。

それもひとつの“レコード・アンド・メモリーズ”という感じですね。

鈴木:自分のなかだけで自分の謎が解けていく、みたいな感じだよね。まだまだありますよ。子どものときに観たアメリカのテレビ番組とかね。

ニューオリンズのリズムを異国情緒に見せていたからな。やっぱりドクター・ジョンの『ガンボ』に尽きると思うけどね。あれはいいショウ・ケースというか。

さっき細野さんと大瀧さんの話が出ましたが、出発点ではっぴいえんどと出会われて、ライヴにキーボードで参加されたり、もしくはメンバーにならないかという話も出たほど、慶一さんははっぴいえんどの近くにいらっしゃったわけです。細野さんと大瀧さんだと、どちらの方から大きい影響を受けられましたか?

鈴木:(即答で)両方。大瀧さんに「お前は細野派だろ?」っていわれるのも嫌だし(笑)。

最初のころ、歌い方はかなり大瀧さんに近かったという有名な話もありますが、両方から同じくらい影響を受けられたのですね。

鈴木:あの4人から影響を受けていますよ。大瀧さんからはときどきメールが来たり、何か意見を言われたりしてね。バッキングをやるときのリズム・セクションの作り方は細野さんから学習した。リズム・セクションから作っていってギターを決めていく。まるでポール・バターフィールドみたいだと思っていた。大瀧さんは4人の生ギターを聴いて、「お前、2弦が鳴ってないよ」って言い当てる(笑)。そこまで聞こえてないんじゃないのかって思うんだけど、ひとりずつ弾かせてみると2弦が鳴ってないんだよね。そうやってひとりずつを追求していくんだよ。奇しくも、ニューオリンズのリズムを強力に取り入れたものを、同じ時期にふたりとも作ったね。

ニューオリンズへの着目は、おふたりともかなり早かったですよね。

鈴木:ニューオリンズのリズムを異国情緒に見せていたからな。やっぱりドクター・ジョンの『ガンボ』に尽きると思うけどね。あれはいいショウ・ケースというか。あれはまさに72年だな。ヒッピーみたいに集団生活をしていたころ。レコードが大量にあったので、ベースの和田くんが高円寺で「ムーヴィン」という店をやっていて、なんでもあったわけだよ。そのなかに『ガンボ』もあった。

松本隆さんからはどのような影響を受けましたか?

鈴木:隆さんとはいっしょに歌詞を作ったりしている。あがた(森魚)くんの“キネマ館に雨が降る”という曲の歌詞を共作しているんですよ(74年、松本隆プロデュースによるセカンド・アルバム『噫無情(レ・ミゼラブル)』に収録)。時間軸と地平軸で歌詞が飛び回るんだ。自由にいちばん飛び回れたらいい歌詞なんだよ、と隆さんに言われて。そのときに見せてもらったのが“驟雨の街”だったのね。感想を訊かれて、「すごくいいなぁ」って答えたら、「はっぴいえんどが再結成したらこれをやるんだよ」って言ってましたね。そのあと一回録音して、この前のトリビュート盤(『風街であひませう』/15年)で初めて発表されたよね。あれは72、3年だ。

鈴木茂さんとは同い年ですが、どのような影響を受けましたか?

鈴木:あのあたりに同い年が多いんだよね。林立夫とか、松任谷正隆とか。やっぱり茂の影響はギターだよな。なんでこんな音が出るんだろうっていうロングトーンを出していたから。ライヴだとギターばっかり聴こえるの。のちのちだんだんスライドギターになっていって、ソロでは完全にスライドが中心になっていったよね。『風街ろまん』に茂が歌っている曲があるけど(“花いちもんめ”)、あれを初めて聴いたのは隆さんの家でだった。たまたま隆さんの家にいたんだよね。「これ誰が歌っているかわかる?」「えっ、隆さん?」「違うよ。茂だよ。」って話をしたのを覚えてるね。はっぴえんどに限らず、他のミュージシャンの曲を早めに聴けたんだよ。あれは百軒店時代と言えますかね。リトル・フィートがいいっていうと、バーっと広がる。口伝えだよね。それで実際に聴いて広がっていくんだから。そういう店もあったということですよね。

最近よく思うんですが、その時代のことを誰かがちゃんと映画にしたらおもしろい作品ができるのに、それを作れそうな監督が日本だと思いつかなくて。

鈴木:あのディランが最後に出てくるやつみたいに?

そうです! 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(13年米/コーエン兄弟監督)。まさにそれです。ああいう映画がいつまで経っても日本でできないのは悲しいです。

鈴木:ああいう映画を観るといいなって思うよな。そこにいる感じになるもんね。

70年代の渋谷百軒店って格好の舞台だなと思います。

鈴木:まだ残ってるもんね。B.Y.Gの地下は過去の写真をもとにして復元してるからね。

慶一さんが監督されてもいいんですよ?

鈴木:いや、私は映画はいいです(笑)。音楽を監修するのはいいけど。でもその百軒店のやつは自分と近すぎるから嫌だな(笑)。批評性を失うような気がする。

でも『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』のように半分ドキュメンタリーだけど劇映画で、ディテールをきちんと考証して作られた映画は海外にはたくさんあるのに、日本だとほとんど皆無なのは淋しくないですか。

鈴木:それは、でもさ、内輪のストーリーを知らないとね。誰と誰が付き合ってたとかさ(笑)。原作に協力はしますけど。

文句をいわれない原作をぜひ(笑)。

鈴木:作りませんが協力はします(笑)。誰か作ってくれたらうれしいけど。

 バンクシーが発表したグラフィティーがまた話題になった。
 それはフランスのカレイにある移民・難民キャンプの壁に登場した、スティーヴ・ジョブズが難民になってアップルのコンピュータを片手に歩いている絵だ。
 ジョブズの実の父親は政治的理由でシリアから米国に渡った移動民だった。
 で、皮肉だと指摘されているのは、現在の欧州への移民・難民の大移動をもたらせた原因の一端はi phoneに代表されるスマートフォンにあると言われていることだ。移民・難民は皆スマートフォンで情報を入手し、連絡を取り合う。

 「綺麗でクール」と観光者が言う英国に、見捨てられ、荒廃したアンダークラスの街がポケットのように存在しているように、世界にもずず暗いポケットがある。その紛争や暴力が終わらない地域の若者たちが、ネットを介して世界にはもっと豊かで平和で自分が能力を発揮できそうな場所があることを知る。そして大移動が起こる。難民になって移動しているジョブズの絵は、まるで「だよね。僕でもそうするよ」と言っているようだ。

 例えばUKの大衆音楽である。ビートルズ、セックス・ピストルズ、ザ・スミス、オアシス。英国ロックのレジェント、これぞブリティッシュ、と思われているバンドはすべてアイルランド移民の子供たちが率いたバンドである。ジョン・レノンも、ジョン・ライドンも、モリッシーも、ノエル・ギャラガーも、経済移民がいなければUKには生まれなかった。

 人道の側面から難民受け入れは大事、とか、少子高齢化社会の労働力を補うために移民が必要、とか言われているようだが、わが祖国ではもっとも肝要な点が議論されていないと思う。
 厳粛なファクトとして、移民は一国の文化や思想や経済や技術開発に国内の人間にはないDNAや考え方を吹き込んで、その国を進化させる。
 閉塞感、閉塞感と何十年も言い続けている国は、治安の良さと引き換えにスティーヴ・ジョブズやビートルズを生み出すチャンスを捨てている。

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 話は変わるが、ジュリー・バーチルという女性ライターがいる。
 17歳でNMEの名物ライターになり(『Never Mind The Bollocks』の伝説の新譜レヴューは彼女のものだ)、その後は数々の高級紙・雑誌で政治、文化、ファッションなど広範な分野でコラムを書き続け、英国の女性ライターで最高の執筆料を誇る書き手になった人でもある。
 この言いたい放題、やりたい放題のビッチ系フェミニストは、2度結婚して2人の子供をそれぞれの父親のもとに残して離婚した。「英国最低の母親」を自ら名乗るバイセクのアナキーなライターだが、根底には古き良き時代の英国のワーキングクラス・スピリットがある。というのが、わたしが2冊の拙著で書いたところだった。

 が、今年、そんなバーチルの人生に異変が起きた。
 彼女の息子が、6月に自殺したのだ。
 「英国最低の母親」は、次男ジャックの死後、The Stateman誌にコラムを発表した。
 二番目の夫との離婚は、彼と一緒に立ち上げた会社の女性社員とバーチルが恋に落ちたのが原因だったため、夫はそのことを裁判で強調し、バーチルは「母親失格者」の烙印を押されて息子の親権を夫に奪われた。「子供を産んでは捨てる女」と呼ばれてきたバーチルは、実は親権争いで戦って負けたのだった。
 が、週末や学校の休みには息子に会うことを許されていたそうで、バーチルは、故郷ブリストルの近くにあるリドに息子を連れて行ったらしい。
 英国のリドとは屋外プールのことだ。イタリアの湖畔のリゾートに憧れてもそう簡単には行けなかった時代の英国の人々がそれっぽい雰囲気を味わうために作ったレジャー施設である。1930年代には英国各地に多くのリドが作られ、戦後も労働者階級の憩いの場として愛されたが、時代の流れと共に廃れ、閉鎖が続いた。

 バンクシーが今夏ディズマランドを開いたのも、そんな老朽化したリドの一つだった。
 そこには「パンチ&ジュディー」をもじった「パンチ&ジュリー」という展示物があった。これはジュリー・バーチルに捧げられた展示物であり、バンクシーから協力を要請されたとき、彼からバーチルに送られてきたメールにはこう書かれていたそうだ。
 「あなたは、僕にブリストル出身だということを誇りに思わせた最初の人物です」

 バーチルは息子が自殺した3カ月後、ディズマランドを見に行った。
 その場所こそが、実は彼女が幼い頃の息子を連れて来ていたブリストル近郊のリドだった。
 バーチルはこう書いている。
「一つ一つアトラクションを見て回った。死にかけたおとぎ話のプリンセスからカモメに攻撃される日光浴中の人々まで。私の現代版「パンチ&ジュディー」(バンクシーはそれを「パンチ&ジュリー」と呼んでいた)では、パンチが、ソロモンの審判のグロテスク・ヴァージョンのように自分たちの赤ん坊を真っ二つにちょん切ってやろうと提案していた。本当に、そこは私の夢を現実にしたような場所だった。こうして私の人生の夏は終わった」

 バーチルは、サンデー・タイムズに寄稿した記事で、息子が十年ほど前からメンタルヘルスの問題を抱え、うつ病と薬物依存症と闘っていたということを明かした。そしてブライトンで息子と一緒に暮らしていた時期もあったことを明かし、こう書いている。
 「メンタルヘルスの問題を抱えた人間のケアは、足を骨折した人の世話をするのと同じではない。足の骨が折れた人の世話をしたからと言って、自分の足も折れることはない。だが、メンタルヘルスにはリスクが伴う。自分もそれを貰ってしまうのだ」
 「生涯を通じて彼のライフ・コーチであり、キャッシュマシーンであり、専属メイドであり続けることに私はもう耐えられなかった。ついに私は、自分自身を守るために、溺れそうな人間が自分にしがみついている指を剥ぎ取った。彼が自殺を選んだ時、私は彼にはもう何年も会っていなかった」

 バーチルは自分の息子について、7年前に「私には2人の息子がいます。1人とは交流はありませんが、もう1人とは一緒に住んでいます。ジャックといいます。彼は私のよろこびであり、アキレス腱です」とインタヴューで語ったことがあった。

 少しでも物を書く人なら知っているだろう。
 自分の生活をすべて晒して書いているように見える物書きにも、絶対に書かないことがあり、実は本人にはそれが一番大きなことだったりする。自分を本当に圧迫していることは、勇ましくキーを叩くネタにはならない。

 バーチルがそれを書けるようになったのは、それが終わったからだろう。
 彼女の人生が秋に突入したというのは、そういうことだ。

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 2015年は秋も終わり、冬が来て、もうすぐ終わろうとしている。
 わたしの世界は老いているのだということを、亡くなったあの人とこの人にも今年はクリスマスカードを書く必要はないのだと気づくとき、思い知らされる。
 それに、わたしの世界もいよいよ病んできた。が、これはたぶんわたしだけではない。今どきの先進国に生きて、メンタルヘルスの問題で溺れそうな人間がしがみついてくる指の1本や2本、引き剥がしたことのない人のほうが珍しい筈だ。

 今年、緊縮託児所(ex底辺託児所)の子供たちを見ていて痛切に思ったことがある。
 今ではマイノリティーになった地元の英国人の子供たちより、マジョリティーになった移民・難民の子供たちのほうが生き生きとして伸びやかなのだ。
 同じ貧乏人でも、移民の子のほうが精神的にも家庭環境的にも健康で、地元の貧民街の子供のように病んだ部分がなく、明るく溌剌としている。彼らは明日を信じている。

 オックスフォード大学の人口統計学の教授によれば、2066年までには英国人は英国におけるマイノリティーになっているそうだ。
 老いて、病んで、減って行く人々と、若々しく、エネルギーに溢れ、増えて行く人々。
 その数のバランスが大きく変動している時なのだから、2015年がしっちゃかめっちゃかだったのも道理である。

 2016年は「UNCERTAINTY」の年だとジャーナリストがニュース番組で予測していた。
 つまり、さらにしっちゃかめっちゃかということである。アナキー・イン・ザ・UKどころか、アナキー・イン・ザ・ワールドだ。確実とか平穏とか秩序とか、そんなものはもう戻って来ない。

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 大空をたゆたう雲よりも、わたしは地に根を張る草になりたい。

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