Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第36回:バンクシー、バーチル。そして2016年
バンクシーが発表したグラフィティーがまた話題になった。
それはフランスのカレイにある移民・難民キャンプの壁に登場した、スティーヴ・ジョブズが難民になってアップルのコンピュータを片手に歩いている絵だ。
ジョブズの実の父親は政治的理由でシリアから米国に渡った移動民だった。
で、皮肉だと指摘されているのは、現在の欧州への移民・難民の大移動をもたらせた原因の一端はi phoneに代表されるスマートフォンにあると言われていることだ。移民・難民は皆スマートフォンで情報を入手し、連絡を取り合う。
「綺麗でクール」と観光者が言う英国に、見捨てられ、荒廃したアンダークラスの街がポケットのように存在しているように、世界にもずず暗いポケットがある。その紛争や暴力が終わらない地域の若者たちが、ネットを介して世界にはもっと豊かで平和で自分が能力を発揮できそうな場所があることを知る。そして大移動が起こる。難民になって移動しているジョブズの絵は、まるで「だよね。僕でもそうするよ」と言っているようだ。
例えばUKの大衆音楽である。ビートルズ、セックス・ピストルズ、ザ・スミス、オアシス。英国ロックのレジェント、これぞブリティッシュ、と思われているバンドはすべてアイルランド移民の子供たちが率いたバンドである。ジョン・レノンも、ジョン・ライドンも、モリッシーも、ノエル・ギャラガーも、経済移民がいなければUKには生まれなかった。
人道の側面から難民受け入れは大事、とか、少子高齢化社会の労働力を補うために移民が必要、とか言われているようだが、わが祖国ではもっとも肝要な点が議論されていないと思う。
厳粛なファクトとして、移民は一国の文化や思想や経済や技術開発に国内の人間にはないDNAや考え方を吹き込んで、その国を進化させる。
閉塞感、閉塞感と何十年も言い続けている国は、治安の良さと引き換えにスティーヴ・ジョブズやビートルズを生み出すチャンスを捨てている。
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話は変わるが、ジュリー・バーチルという女性ライターがいる。
17歳でNMEの名物ライターになり(『Never Mind The Bollocks』の伝説の新譜レヴューは彼女のものだ)、その後は数々の高級紙・雑誌で政治、文化、ファッションなど広範な分野でコラムを書き続け、英国の女性ライターで最高の執筆料を誇る書き手になった人でもある。
この言いたい放題、やりたい放題のビッチ系フェミニストは、2度結婚して2人の子供をそれぞれの父親のもとに残して離婚した。「英国最低の母親」を自ら名乗るバイセクのアナキーなライターだが、根底には古き良き時代の英国のワーキングクラス・スピリットがある。というのが、わたしが2冊の拙著で書いたところだった。
が、今年、そんなバーチルの人生に異変が起きた。
彼女の息子が、6月に自殺したのだ。
「英国最低の母親」は、次男ジャックの死後、The Stateman誌にコラムを発表した。
二番目の夫との離婚は、彼と一緒に立ち上げた会社の女性社員とバーチルが恋に落ちたのが原因だったため、夫はそのことを裁判で強調し、バーチルは「母親失格者」の烙印を押されて息子の親権を夫に奪われた。「子供を産んでは捨てる女」と呼ばれてきたバーチルは、実は親権争いで戦って負けたのだった。
が、週末や学校の休みには息子に会うことを許されていたそうで、バーチルは、故郷ブリストルの近くにあるリドに息子を連れて行ったらしい。
英国のリドとは屋外プールのことだ。イタリアの湖畔のリゾートに憧れてもそう簡単には行けなかった時代の英国の人々がそれっぽい雰囲気を味わうために作ったレジャー施設である。1930年代には英国各地に多くのリドが作られ、戦後も労働者階級の憩いの場として愛されたが、時代の流れと共に廃れ、閉鎖が続いた。
バンクシーが今夏ディズマランドを開いたのも、そんな老朽化したリドの一つだった。
そこには「パンチ&ジュディー」をもじった「パンチ&ジュリー」という展示物があった。これはジュリー・バーチルに捧げられた展示物であり、バンクシーから協力を要請されたとき、彼からバーチルに送られてきたメールにはこう書かれていたそうだ。
「あなたは、僕にブリストル出身だということを誇りに思わせた最初の人物です」
バーチルは息子が自殺した3カ月後、ディズマランドを見に行った。
その場所こそが、実は彼女が幼い頃の息子を連れて来ていたブリストル近郊のリドだった。
バーチルはこう書いている。
「一つ一つアトラクションを見て回った。死にかけたおとぎ話のプリンセスからカモメに攻撃される日光浴中の人々まで。私の現代版「パンチ&ジュディー」(バンクシーはそれを「パンチ&ジュリー」と呼んでいた)では、パンチが、ソロモンの審判のグロテスク・ヴァージョンのように自分たちの赤ん坊を真っ二つにちょん切ってやろうと提案していた。本当に、そこは私の夢を現実にしたような場所だった。こうして私の人生の夏は終わった」
バーチルは、サンデー・タイムズに寄稿した記事で、息子が十年ほど前からメンタルヘルスの問題を抱え、うつ病と薬物依存症と闘っていたということを明かした。そしてブライトンで息子と一緒に暮らしていた時期もあったことを明かし、こう書いている。
「メンタルヘルスの問題を抱えた人間のケアは、足を骨折した人の世話をするのと同じではない。足の骨が折れた人の世話をしたからと言って、自分の足も折れることはない。だが、メンタルヘルスにはリスクが伴う。自分もそれを貰ってしまうのだ」
「生涯を通じて彼のライフ・コーチであり、キャッシュマシーンであり、専属メイドであり続けることに私はもう耐えられなかった。ついに私は、自分自身を守るために、溺れそうな人間が自分にしがみついている指を剥ぎ取った。彼が自殺を選んだ時、私は彼にはもう何年も会っていなかった」
バーチルは自分の息子について、7年前に「私には2人の息子がいます。1人とは交流はありませんが、もう1人とは一緒に住んでいます。ジャックといいます。彼は私のよろこびであり、アキレス腱です」とインタヴューで語ったことがあった。
少しでも物を書く人なら知っているだろう。
自分の生活をすべて晒して書いているように見える物書きにも、絶対に書かないことがあり、実は本人にはそれが一番大きなことだったりする。自分を本当に圧迫していることは、勇ましくキーを叩くネタにはならない。
バーチルがそれを書けるようになったのは、それが終わったからだろう。
彼女の人生が秋に突入したというのは、そういうことだ。
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2015年は秋も終わり、冬が来て、もうすぐ終わろうとしている。
わたしの世界は老いているのだということを、亡くなったあの人とこの人にも今年はクリスマスカードを書く必要はないのだと気づくとき、思い知らされる。
それに、わたしの世界もいよいよ病んできた。が、これはたぶんわたしだけではない。今どきの先進国に生きて、メンタルヘルスの問題で溺れそうな人間がしがみついてくる指の1本や2本、引き剥がしたことのない人のほうが珍しい筈だ。
今年、緊縮託児所(ex底辺託児所)の子供たちを見ていて痛切に思ったことがある。
今ではマイノリティーになった地元の英国人の子供たちより、マジョリティーになった移民・難民の子供たちのほうが生き生きとして伸びやかなのだ。
同じ貧乏人でも、移民の子のほうが精神的にも家庭環境的にも健康で、地元の貧民街の子供のように病んだ部分がなく、明るく溌剌としている。彼らは明日を信じている。
オックスフォード大学の人口統計学の教授によれば、2066年までには英国人は英国におけるマイノリティーになっているそうだ。
老いて、病んで、減って行く人々と、若々しく、エネルギーに溢れ、増えて行く人々。
その数のバランスが大きく変動している時なのだから、2015年がしっちゃかめっちゃかだったのも道理である。
2016年は「UNCERTAINTY」の年だとジャーナリストがニュース番組で予測していた。
つまり、さらにしっちゃかめっちゃかということである。アナキー・イン・ザ・UKどころか、アナキー・イン・ザ・ワールドだ。確実とか平穏とか秩序とか、そんなものはもう戻って来ない。
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大空をたゆたう雲よりも、わたしは地に根を張る草になりたい。