「IO」と一致するもの

 坂本慎太郎のzelone recordsからの新作案内によれば、『ナマで踊ろう』からおよそ2年ぶりの、坂本慎太郎の3枚目のソロ・アルバム『できれば愛を(Love If Possible)』のリリースが決定しました。7月27日(水)発売です。
 内容に関しては、「顕微鏡でのぞいたLOVE」という分かりにくいテーマのもとに制作された全10曲と、それを分かりやすく表現したアートワークが完成いたしました」とのことです。カセットも出るようですね。
 期待しましょう。

■2016年7月27日(水) zelone recordsより発売!

できれば愛を / 坂本慎太郎 

1.できれば愛を(Love If Possible)
2.超人大会(Tournament of Macho Men)
3.べつの星(Another Planet)
4.鬼退治(Purging The Demons)
5.動物らしく(Like an Animal)
6.死にませんが?(Feeling Immortal)
7.他人(Others)
8.マヌケだね(Foolish Situation)
9.ディスコって(Disco Is)
10.いる(Presence)

All Songs Written & Produced by 坂本慎太郎


●CD:
初回生産盤: zel-015s / JAN: 4582237835205
通常盤 : zel-015 / JAN: 4582237835212
価格: ¥2,600+税 (初回生産分のみ紙ジャケ仕様/各2枚組/インスト


●LP (Vinyl): zel-016 (1枚組/mp3DLカード付)
価格: ¥2,600+税


●CT (Cassette Tape): zel-017
価格: 2,130円+税

●Digital: iTunes Music Store / OTOTOY / レコチョク
●Hi-Res: OTOTOY / e-onkyo / mora   

interview with The Temper Trap - ele-king


The Temper Trap
Thick As Thieves

Infectious / BMG / ホステス

RockIndie Pop

Tower HMV Amazon

コートニー・バーネットが今年2月に行われたグラミー賞の主要部門である「最優秀新人賞」にノミネートされたことはここ日本のインディ・ロック・ファンの間でも大きな話題となり、ツイッターでも授賞式の模様は全世界どこでもリアルタイムで実況された。彼女はまた独特の異彩を放っているが、その他にも、ハイエイタス・カイヨーテ、フルームなど、オーストラリア出身の新世代アーティストたちの活躍が止まらない。そしてザ・テンパー・トラップのヴォーカルのダギー・マンダギも「オーストラリアン・バブルかもね」と表現していたが、快進撃の先陣を切ったのこそが、まさしく彼ら、ザ・テンパー・トラップだった。

 彼らの2009年のデビュー作『コンディションズ』は世界で累計100万枚以上を売り上げ、YouTubeの再生回数にいたっては2000万回以上という記録を残している。グラストンベリーやロラパルーザなど主要フェスへの出演を含めた全世界ツアーも経験し、英米以外の新人としてじゅうぶんすぎる成功を収めた。

 いま音楽においてはインディとメジャーの垣根も、国境も、時差も、まったく関係ないに等しく、情報速度差なく世界中でヒットが共有されていくことは珍しくない。では、アーティストはその環境の変化の速度に付いていけているのだろうか? 今回インタヴューに答えてくれたダギーとジョセフはとても穏やかな口調ながら揺るぎない信念を目の奥に光らせ、「とにかく俺たちは好きな音楽をやるだけ」とばかりにその身を委ねているようだった。しかし、オーストラリア出身のアーティストの名を挙げ、「オーストラリアのアーティスト同士はお互い助け合いたいね」とさらりと地元シーンへの愛も見せる。変化の速度に呑まれることなく、ごく自然にアイデンティティを保持しながら、静かに勇敢に世界へと漕ぎ出している。

 セカンド・アルバムで実験的なサウンドに挑戦し、バンドとしては少し迷っていた時期やメンバーの脱退を乗り越えて、今作「シック・アズ・シーヴス」は制作された。長年のツアー・メンバーであったジョセフ・グリーアを正式メンバーに迎え、あらためて絆を強めた彼らは、兄弟のように親密であることを表すタイトルをニュー・アルバムに冠し、いまや世界で活躍するスタジアム・ロック・バンドとなったという使命感にあふれるように、スケールの大きい楽曲を展開している。

 垣根なく自由に世界を漂えるいまだからこそ、ザ・テンパー・トラップのような誠実なアーティストにとってはかえって帰属意識やバンドの結束が高まる場合もあるのかもしれない。「オーストラリア出身の」という説明はもはや世界で活躍する彼らにとって不要なようでいて、やはり彼らの重要なエッセンスであるし、「シック・アズ・シーヴス」とあらためてバンドの結束を表明することも、やはり彼らにとっては必要なことだったのだ。

 インタヴューの日にはブルース・スプリングスティーンの着古したTシャツを着ていたダギー。世界的にヒットしていてもけっして急に小綺麗になったりしていないごく普通のロック好きな隣の兄ちゃんといった風貌だったが、中身もきっとデビュー時とあまり変わらずそのままに、今日もどこかでスタジアムを熱狂で包み込んでいるのだ。


■The Temper Trap / ザ・テンパー・トラップ

オーストラリアはメルボルン出身。2005年に結成。2006年にオーストラリアでEPデビュー。世界デビュー前から英BBCの注目新人リスト「Sound of 2009」やNME「Hottest Bands of 2009」に選ばれ、2009年には彼らのために復活した〈インフェクシャス〉再開第一弾バンドとして契約。世界デビュー作『コンディションズ』をリリースし、同年夏にはサマーソニック09出演のために初来日、秋には東京と大阪での単独公演を行なうため再来日を果たしている。2012年、かねてよりサポート・ギターを務めてきたジョセフ・グリーアが正式メンバーとして加入し、新たに5人組となって制作されたセカンド・アルバム『ザ・テンパー・トラップ』をリリース。その後ギタリストのロレンゾの脱退を経て16年、4年ぶりとなる新作『シック・アズ・シーヴズ』を完成させた。同年8月には7年ぶりとなるジャパン・ツアーも決定している。

メンバーはDougy Mandagi(ダギー・マンダギ / vocals, guitar)、Jonny Aherne(ジョニー・エイハーン / bass guitar, backing vocals)、Toby Dundas(トビー・ダンダス / drums, backing vocals)、Joseph Greer(ジョセフ・グリーア / keyboards, guitar, backing vocals)

タイトルは、もともとは聞こえがよかったからっていう理由だけで付けたんだけど、忠誠心、兄弟愛という意味もあって。(ジョセフ)


新作のジャケとタイトルのコンセプトは?

ジョセフ・グリーア:ドラマーのトビーがタイトルを選んだよ。もともとは聞こえがよかったからっていう理由だけで付けたんだけど、忠誠心、兄弟愛という意味もあって。ちょうどメンバーが脱退してから初のアルバムでもあったし、よりメンバーの絆が深まったり忠誠心が強くなったりしている時期だったということもあって、偶然に意味合い的にもつながったと思う。ジャケットに関しては、ベースのジョナサンがハロウィンときに街中で撮ってインスタグラムに上げていた写真だよ。これを“シック・アズ・シーヴス(Thick As Thieves)”のシングルのジャケットに使って、僕たちの写真をアルバムのジャケットに使おうと思っていたけど、この写真(今作のジャケット)のほうが兄弟というイメージも強いので、これをアルバムに使おうということになったんだ。

ジョセフがサポートから正式加入するきっかけは?

ジョセフ:2008年、デビュー・アルバムの『コンディションズ』のときにツアーのサポート・メンバーになって、2011年か12年頃のセカンド・アルバムの時期に正式に加入した。その頃はまだギターにロレンゾがいたから、僕はキーボードをメインに演奏していたけど、彼が脱退したのでギターになったんだ。ツアー・メンバーだった頃からいっしょに時間を過ごしていたので、その頃からオフィシャル・メンバーのような感覚ではあったよ。

今作ではスタジアムでのライヴの光景を想像させる、アンセミックでさらにスケールの大きい楽曲が多いと感じました。インディから着実に積み重ね、だんだんと動員も増え、ライヴの規模が大きくなっていったことも曲作りに影響しているのでしょうか。

ダギー・マンダギ:ありがとう! 原動力になるというのはもちろんあるけど、何より演奏していて、曲を作っていって楽しいから自然とそうなることが多いんだ。この曲は会場が盛り上がってくれるだろうな、というのも想像したりもするけど、まずは自分たちが演奏していて気持ちがいいというのが最初にあるよ。

歌詞はパーソナルなもの? それともフィクション?

ダギー:両方だね。ほとんどはパーソナルな経験にもとづいたものだけど、たとえば今回のアルバムで11曲めの“オーディナリー・ワールド”なんかはすべてフィクションのストーリーだよ。

影響を受けたアーティストにプリンスをあげていますが、彼の魅力や影響は自らの音楽にどのように反映されていると思いますか?

ダギー:最初の頃はプリンスを参考にしたりヴォーカルのスタイルを彼のように意識していたというのもあったけど、彼の本当に素晴らしいところというのは自分の好きなことをやって自分でアートを生み出しているところだと思うんだ。誰かに言われてやるのではなく、自分でスタイルを作り出しているよね。そういう姿勢こそ彼の魅力だと思うので、テンパー・トラップとしてもそのようにやっていけたらな、と思っているよ。


女の子のために曲を書いたりはしないからなあ~。冗談だけどね(笑)。(ダギー)


映画「(500)日のサマー」であなた方の“スウィート・ディスポジション”が使用されたことについてですが、あの映画は見ましたか?

ダギー&ジョセフ:もちろん見たよ!

どうでしたか?

ダギー&ジョセフ:う~ん、まあ女の子向けの映画だよね(笑)。

曲が使用されることになった経緯は?

ダギー:マネージャーの友だちがその映画の音楽担当と仲がよくて、監督も僕らの曲のファンだということで話が持ち上がったんだ。自分たちがその映画を好きかどうかは関係なく、映画で使われることによって自分たちの曲がより多くの人に知られるきっかけになったのでとてもいい経験だったよ。

サマーのような奔放な女の子ってどう思う?

ダギー:でも今の女の子ってみんなそうなんじゃない(笑)!? 日本の女の子は違うかもしれないけど。

きちんと曲のことが理解されて使用されていると思いましたか?

ダギー:曲とシーンがつながっているかというとそうでもないかもしれないけど(笑)、キャリアにとってプラスにはなったと思うよ。

あなた方の曲の中には、繊細さやフェミニンな部分も含まれているように感じますが、どちらかというと違和感があると。

ダギー:女の子のために曲を書いたりはしないからなあ~。冗談だけどね(笑)。ソフトだったりフェミニンな要素はたしかにあるかもね。何も考えない商業的な歌詞というのではなく、意味のあるものだからこそ繊細さがあるように思われるのかもしれないね。


僕らが幸運だなと思うのは、オーディエンスの幅が広くて、15歳から60歳までいろんな人がいるんだよね。(ジョセフ)


ローリング・ストーンズのフロントアクトをつとめたと思うのですが、その経緯は?

ダギー:まあ正直ブッキングされて、という感じなんだけどね(笑)。だからそこまで自分たちの中ですごく大事件というほどではなかったんだけど、最初で最後かもしれない、いい経験だったよ。一夜だけだったので何か学んだとかもあまりないんだけどね。

ローリング・ストーンズといえば存在そのものが「ロック」とも言えると思いますが、あなた方には自分たちもそのロックというものを引き継ぐ存在であるという意識や、あるいはそれを前進させていきたいというような考えはありますか?

ダギー:もちろんストーンズから影響は受けているし大好きなバンドだよ。彼らのようにブルース・ロックンロールという感じに僕らがなろうとは思っていないけど、たとえば僕らの今回のアルバムでも“シック・アズ・シーヴズ”だったり7曲めの“リヴァリナ(Riverina)"はそういうストーンズのようなブルース・ロックの要素が全面に出ている曲でもあると思う。バンドをはじめた頃はよりそういう音だったけど、逆にいまはそれがより薄れて変化してきていると思うよ。

それは昔といまでオーディエンスが変わったからでしょうか?

ジョセフ:僕らが幸運だなと思うのは、オーディエンスの幅が広くて、15歳から60歳までいろんな人がいるんだよね。それは変わらないし、今回のアルバムも幅広く受け入れられる音楽だと自分たちでは思っているよ。


The Temper Trap - Fall Together (Official Audio)


同郷のコートニー・バーネットはグラミーにもノミネートされたりと世界的に注目を浴びていますが、あなた方はいまでも地元のインディ・シーンを意識していたり刺激を受けたりしますか?

ダギー:自分たちはそういうシーンも把握しているし、コートニー・バーネットもそうだし、フルームやテーム・インパラなどのオーストラリアのアーティストが国際レベルで活躍するのはすごく素晴らしいことだし、誇りに思うよ。オーストラリアのシーンから世界に出ていくのを互いにサポートしたいという気持ちもあるよ。

同じオーストラリアでもシーンとしては違うと思いますか?

ジョセフ:オーストラリアのバブルみたいなものもあるけど、自分たちは独特の音楽をやっていると思うし、ルーツは同じかもしれないけど、7~8年前まではロンドンに住んでいたのでそこまで意識はないかな。

7年ぶりの来日公演もありますね。日本で楽しみにしていることはありますか?

ダギー:食べ物だね!

ジョセフ:ファーストのときに来日してとても気に入ったからまた来たいと思っていたけどセカンドのときは来れなかったから、今回はまた来れるということで興奮しているよ。

ダギー:あ、でもウニは苦手だな(笑)。

interview with Mala - ele-king

E王
MALA
Mirrors

Brownswood Recordings / Beat Records

DubstepLatinWorld

Tower HMV Amazon

キューバの次はペルーと来た。理由は以下に詳しい。70年代のナイジェリア音楽やガーナのヴィンテージ・サウンドがこのところエディットされたり、サンプリングされまくる傾向をワールド・ミュージックのリユースとするなら、トランス・ローカルな産物といえるDRCミュージックや『BLNRB』、あるいは〈サウンドウェイ〉から『テン・シティーズ』としてまとめられた初顔合わせの試みは完全にコンテンポラリー・サウンドに属し、過去の音楽を現代に蘇らせたものとは素直には言い難い。

 マーラがキューバに続いてペルーの現地ミュージシャンと作り上げたセカンド・ソロ『ミラーズ』もはっきりと後者に属し、1+1を3にも4にも膨らませようというダイナミズムに彩られた驚異の試行錯誤である。マーラが人気に火を点けたとも言えるスウィンドルがひたすら50年代のアフロ-キューバン・ジャズに執着しているのとは対照的に、マーラは「いま、そこ」で音楽活動を続けているミュージシャンの力量に基礎を置き、彼らが現在進行形で有しているスキルを時の流れにスポイルさせてしまうような方法論は取っていないともいえる。DJカルチャーならではの非常に回りくどいコラボレイションの方法論をつくりあげたというのか、ダブステップとはかなり懸け離れたイメージを漂わせてしまうかもしれないけれど、もしかしてそのアーキタイプはブライアン・ジョーンズの『ジャジューカ』なのかなとも思いつつ、南米を逍遥しつづけるマーラ自身に話を訊いた。

Mala / マーラ
ダブステップのデュオ、デジタル・ミスティックズの片割れとしても活躍するロンドンのプロデューサー、DJ。同ユニットにおいて初めてダブステップを本格的に普及させるきっかけとなったパーティ〈DMZ〉を主催してきた他、自身でもレーベル〈Deep Medi Musik〉を立ち上げてさまざまなアーティストの発掘、紹介に精力をみせる。2012年にジャイルス・ピーターソン主宰の〈ブラウンズウッド〉からマーラ名義では初となるアルバム『マーラ・イン・キューバ』をリリース、世界的な評価を浴びた。2016年6月には2作め『ミラーズ』がリリースされる。

異国の地に行って、現地のミュージシャンとの出会いだったり、そこで発見した新しい楽器、新しい食べ物、新しい文化、新しい物語、新しい経験をもとにアルバムを作りたいと思った。

『マーラ・イン・キューバ』(2012年)は現地のリズムを録音しながら随時エディットしていくというものだったそうですが、ペルーがインスピレイションの元になったという新作も制作の方法論は同じですか?

マーラ:同じだ。細かい部分での違いはあったけど、基本的には同じ方法をとった。つまり、異国の地に行って、現地のミュージシャンとの出会いだったり、そこで発見した新しい楽器、新しい食べ物、新しい文化、新しい物語、新しい経験をもとにアルバムを作りたいと思った。新しい発見は楽しいし、刺激的だ。まるで子どもに戻ったような感覚になる。異国に行って、右も左もわからないんだけど、だからこそまっさらな状態で新しいことを学び、吸収することができる。そうやって何かを創造することが好きなんだ。

(通訳)なぜペルーだったのですか。

マーラ:2つの理由でペルーになった。ひとつは、いまのパートナー(恋人)がいつもペルーの話をするんだ。出会ったときからずっと。俺の方は、ペルーについて何も知らないまま育った。学校でも教わらなかったし、育った環境もペルー出身の知り合いもいなかった。いままで全く接する機会がなかった。だから新しい発見があるにちがいないと思った。新しい人や音楽、あと、食べ物との出会い。ジャイルス(・ピーターソン)と〈ブラウンズウッド〉から「またアルバムを作らないか」と 言われたとき、彼らの方から「こういう国はどうか」という提案がいくつかあった。でも、ペルーは誰も予想していないだろうと思った。案の定、ジャイルズとレーベルのみんなも驚いていたよ。

“テイク・フライト”の試みはとてもユニークだと思いましたが、これもペルーのリズムなんですか?

マーラ:リズムに関してはなんとも言えないな。あの曲で主にペルーなのはギターだ。ペルーのギタリストが演奏している。でもドラマーはちがう。というのも、現地で録音したものとはまったくちがうドラムを組みあわせているんだ。というのも、(ペルーから戻ってきて)どうもピンとこなくて、元からあったドラムとパーカッションをすべて抜いたんだ。そこからどうしたらいいのか途方に暮れていた。とりあえずちがうドラム・サウンドやビートを重ねてみたりした。そこで、ぴったり合うようなドラム・パターンを見つけた。でも、サウンドがちがっていた。生ドラムの音じゃなきゃだめだと思ったんだ。



 ちょうどその頃、リチャード・スペイヴンというドラマー用のリミックスを仕上げたところだったんだ。彼はザ・シネマティック・オーケストラの作品にも参加しているし、ホセ・ジェイムズのバンドのドラマーでもある。あと、日本人トランペッターの黒田卓也ともやっている。とにかく、そのリチャード・スペイヴン用のリミックスを終えたところだった。で、例のトラック用に新しく作ったドラム・ビートには生ドラムのサウンドがいいと思って、最初はソフトを使って、スタンダードな生ドラムの音で作ったんだけど、イマイチだった。作ったドラム・パターンを録音しておくのによく使うスタンダードな生ドラムの音だ。だから彼に連絡して、「君が叩いたらぴったりだと思うんだ。やってくれないか」とお願いしたんだ。そして彼にトラックと自分が作ったドラム・パターンを送ったら、完璧にやってくれた。彼のドラムが 入ったおかげで曲が断然良くなった。俺が作って送ったフィル(ドラム・パターン)を叩いてくれているんだけど、彼は生きたドラマーだから、曲に息を吐き込んでくれた。あの曲の仕上がりには本当に満足している。

ギターという楽器を打楽器として再発見しているような印象もありますけれど、これは誰が演奏しているのでしょう?

マーラ:すべてペルーの現地のミュージシャンだ。アルバムに参加しているのは2人のギタリストだ。彼らにペルーの伝統的なリズム・ギターを弾いてくれ、伝統的な曲を弾いてくれ、とお願いするんだ。そうして録音したものをサンプリングして、一度解体して、また曲に再構築するんだ。

リズムに対する興味はかなり広範囲になっていると思います。とはいえ、無制限でもないようで、自分ではどのあたりで線を引いたということになるのでしょう。

マーラ:それは正直、自分でもわからないんだ。自分がどうやっているのか。アルバムを作るとなると、作品としての統一感や流れを持たせることを意識せざるを得ないわけで。でも、それでいいのかどうかという確信は最後まで持てない。アルバムを作る作業が進んで、さらに深く掘り下げながら、終わりに近づくにつれて、そういう考えがより明確に頭の中をよぎる。そして、「この曲の後にはどの曲を持ってくる」といった具体的なことを考えるようになる。それをする上で 決まった作業の進め方があるわけではない。個人的には、アルバムを作るのには苦労する。たくさんの楽曲を作って、ひとつにまとめる作業というのはけっして簡単なことではない、と思っている。

キューバ同様、いくつかのちがうリズムがペルーにも存在する。さまざまなアフロ・ペルーのリズムが。

“インガ・ガニ(Inga Gani)”はDJニガ・フォックスやポルトガルのクドゥロに影響を受けたものに聴こえます。これもペルーのリズムなんですか?

マーラ:ペルーのリズムではあるけど、さらにその前にまで遡れば、今日のペルーの文化にはアフリカに由来している部分もある。かつてスペイン人がペルーにたくさんの奴隷をアフリカから連れてきているからね。人口の1割はアフリカ系ペルー人だ。だから、地域によっては、アフリカの流れを組む音楽を耳にすることができる。だからキューバだろうと、アンゴラ、ポルトガルだろうと、アフリカ音楽が土台にあるから、似た雰囲気に聞こえるのだろう。リズムにしても、6/8拍子だったりとか、すごく似ている。この曲のリズムもペルーのリズムだ。アフロ・ペルーと呼ばれている。ノヴァリマ (NOVALIMA)というバンドとも共演しているマルコス・モスクエラ(Marcos Mosquera)というパーカッショニストがこの曲に参加している。もう一人著名なアフロ・ペルー音楽のミュージシャンのコチート(Cotito)もこの曲に参加している。彼らは二人ともアフリカ系ペルー人だ。

(注*アフロ・ペルー音楽に興味を持つのは国外の人が多い。ペルーで一般的なのはサルサやロック。もしくはケーナやチャランゴといったフォルクローレ。クラブ系ではテクノ・クンビアことチチャ。ちなみにペルーの首都リマにちなむノヴァリマは元はスラッシュ・メタルだったという噂も)

(通訳)ちなみにタイトルにはどんな意味があるのでしょう?

マーラ:インガ(Inga)というのはあるリズムを意味している。キューバ同様、いくつかのちがうリズムがペルーにも存在する。さまざまなアフロ・ペルーのリズムが。たとえば、フェスティーホ(festejo)と呼ばれるものだったり、インガ(inga)、それからランドー(lando)、ザマクエカ(Zamacueca)といったものがある。「Inga Gani」のGaniは特に意味はない。インガ(Inga)はこの曲のインスピレーションのもとになったリズムを指している。

『ミラーズ』というタイトルは自分自身がさまざまなものを反映しているという意味ですか?

マーラ:たしかにここ数年、いくつかの辛いこともあった。そんな中で音楽だけは、自分が大人になってからの人生において心のよりどころになっている。音楽と向き合っている時間は、瞑想だったり、自分のスペースを見つけたり、思案する時間でもある。この数年、このアルバムに費やした時間と労力を振り返ってみると、「self-reflection(内省)」が大きな部分を占めていたと思う。そういう観点から、「ミラーズ」がアルバムのタイトルにふさわしいと思った。あと、「鏡」というのは、われわれが普段「鏡」と呼んでいる「光の反射を利用して形・姿を映す道具」のみを指すのではなく、自分の場合、たとえば山の中にいるときだったり、目の前に海があってそれを眺めているときだったり、スタジオにいるときなんかの、自分と向き合うことのできる瞬間のことでもある。「聖なる谷」にいるときのように。

「鏡」というのは、自分の場合、たとえば山の中にいるときだったり、目の前に海があってそれを眺めているときだったり、スタジオにいるときなんかの、自分と向き合うことのできる瞬間のことでもある。「聖なる谷」にいるときのように。

 ペルーにはウルバンバというクスコから車で1時間くらいのところに、「聖なる谷」と呼ばれている谷がある。あれだけ多くの星を夜空に見たのは、そこに行ったときが初めてだった。夜中1時くらいに、そこでただ夜空を眺めながら座っている瞬間というのは、大自然という野外の環境に身を置きながら、同時に非常に内省的な体験でもある。内なる自分と向き合いながら、宇宙とひとつになる瞬間だ。自分を見つめ直す瞬間なんだ。ペルーでの多くの体験に、この内省的な体験を 感じたんだ。だから「ミラーズ」がぴったりのタイトルだと思った。
当初は別のタイトルにする予定だった。制作開始から1年くらいは別のタイトルで作業を進めていた。でも、アルバムの完成が近づくにつれ、当初予定していたタイトルがしっくりこなくなった。そこで、別のタイトルにしようと思って、いろいろ探して、「ミラーズ」に行き着いた。おもしろいのが、「聖なる谷」 を訪れた際、あるシャーマンに会いに行ったんだ。そこで、そのシャーマンといっしょにアヤワスカの儀式を行った。その儀式の終わり近くになって、自分の頭の中 で巡らせていたいろいろな思いをどうしても書き留めたいという衝動に駆られたんだ。そのときに、日記に書き留めた文章の最後の言葉が「ミラーズ」だったんだ。でも、そのことに気づいたのは、アルバムのタイトルを決めた後だった。決めた後に、「もしかしたらもっといいのがあるかも」と思って日記を読み返したら、最後に「ミラーズ」と書いてあって、「そうだよな、やっぱり『Mirrors』だよな」と思った。全部が理にかなっていた。

(注*アヤワスカはDNTとして知られる地上最強のドラッグの材料。ロサンゼルスで体験する人も多く、フライング・ロータス『パターン+グリッドワールド』のジャケット・デザインもおそらくDMTの幻覚に由来)

トライバルなリズムに浮かれた気分を持ち込まないのはあなたの性格の表れですか? それとも、実際にいま、そういったリズムが生まれる場所の社会情勢がそういう気分にさせるとか?

マーラ:いくつか理由はあると思うけど、俺自身の性格が大きいと思う。というのも、普通にアフロ・ペルーのリズムを聴くと──たとえばアフロ・ペルー音楽を奏でるスペシャリストのバンドなんかの演奏を聴くと、それはむしろアップ・ビートでまさにカーニヴァルやお祭りで人々が踊って、騒いで、笑顔で手を叩いているのがぴったりくる。だから、メランコリックなサウンドになるのは、俺の性格や人間としての気質の表れだと思う。この世界には光や美しいものもたくさんあると思うし、そういう世の中のいい面も見えてて、外向きな面も自分にはあるけど、同時に悲惨で、恐ろしい、破壊的なことが継続的に起きていることを見ないふりはできない。だから、その両極の間のどこかに自分をつねにおいているんだと思う。

『マーラ・イン・キューバ』にそこはかとなく感じたメランコリーは『ミラーズ』にはストレートに受け継がれていないように感じたのですが、自分自身ではいかがですか?

マーラ:正直、自分ではわからない。今作を作るにあたって、ものすごく苦労したし、悪夢のように感じた瞬間もあった。その一方で、自分がすべてを掌握していると思えて、方向性にも非常に満足できた瞬間もあった。自分にとって、これは自分の人生そのものなんだ。この3年間に起きたことすべて、さらにはその前の出来事もすべてが、この作品を作る糧になっている。だから、今作が前作と比べてメランコリックかどうかと、俺からは言えない。音楽の素晴らしさ、ひいては人間の素晴らしさっていうのは、自分の頭で考えることができることだ。「この音楽はこういうものだ」という説明ができるだけない方がいいと思っている。俺にとってのこの作品は、人が感じる印象とはまったくちがうかもしれない。だから聴き手が自分たちの好きなように解釈してくれれば、それでいいと思う。どう解釈しようと自由なわけだから。

今作に関して自分にとって重要だったのは、共演しているミュージシャンに対して、彼らの音楽の魅力を十分に引き出すことだった。

『マーラ・イン・キューバ』は世界中で大絶賛でしたし、日本でも音楽誌一誌で0点が付いたのを除けば満点評価に近いものがありましたが、自分で反省点などはありますか?

マーラ:プロデューサーとして、自分は音楽を2つの観点で見る。ひとつは、科学者的な見方だ。つまり、分析的で、批評的な観点から、とかく考えすぎなくらい、すべてが完璧であるようにと何度も確認を重ねる自分だ。でも、同時に人間でもあるわけで、自分の感覚をもとに音楽を作っている。クラシックの教育を受けたミュージシャンではないからね。だから作品を作る際は、自分の感覚に従うしかない。でも、その感覚も日々変わるわけだ。自分のその日の気分だったり、 その週に自分の身の回りで何が起きたかといったことが、自分の見解に影響を与える。だから、すごく前向きになれるときもあれば、落ち込んだり、疑心暗鬼になることだってある。でも、心に留めておくようにしているんだ。「完璧な作品を作るのは不可能だ。むしろ完璧である必要なんてないんだ」ってね。プロデューサーとして、自分の中の科学者的な自分に言い聞かせなければいけない。「完璧でなくたっていいんだ」ってね。肝心なことは、自分が何を意図してその音楽を 作っているか、ということ。
さらに、今作に関して自分にとって重要だったのは、共演しているミュージシャンに対して、彼らの音楽の魅力を十分に引き出すことだった。というのも、今回参加してくれたミュージシャンは誰もが、とにかく寛容で、寛大だった。非常に快く、惜しみなく捧げてくれた。だから俺も、そんな彼らを尊重し、敬意を表したかった。彼らが今作を聴いた際、気に入ってくれるものを作りたかった。今作はまた、『マーラ・イン・キューバ』や『リターン・トゥ・スペース』(ディジタル・ミスティック名義)や、何年も前に出した最初のアルバム同様、俺の人生のある瞬間を切り取ったもので、後になって振り返ってみて、「ああ、あそこをもっとこうできた。こうやってればよかった」と思うこともできるけど、俺はむしろ、振り返ったときに「いい経験をさせてもらった。ペルーに行って、現地で新しいミュージシャンたちや新しい楽器と出会い、その結果、独創性に満ちた作品を作る機会を与えられて自分はなんて幸せなんだろう」と思いたい。実際、今回ペルーには1ヶ月、パートナーと子ども2人の家族で滞在することができた。このアルバムにはそういう思い出も詰まっているんだ。だから自分の作品を振り返って、重箱の隅をつつくことだってできるけど、俺はありのままを受け入れて、それを作る機会をあたえられたことに感謝することを選ぶ。

日本に行ったときの、人から受ける印象やおもてなしは他とは比べものにならない。

世界中のさまざまな場所を旅していますが、仮にイギリスを追放されるとしたら、どこに住みたいですか?

マーラ:素晴らしい国はたくさんあるけど、中でも行くのが大好きな国が2つある。今年で9度めの来日になるわけだけど日本は間違いなくいちばん好きな国の一つだ。理由はまず「人」。日本で多くの素晴らしい人たちと出会った。日本に行ったときの、人から受ける印象やおもてなしは他とは比べものにならない。食べ物もそう。日本食は間違いなく、世界中を回る中で、もっとも美味しくて、健康的な食べ物だ。日本から帰ると、行く前よりも自分が健康的になったと思える。全部の国がそうではない。新鮮で健康的で清潔で美味しい食べ物を食べたくてもなかなかありつけない国もたくさんある。それから日本の風土も。特に日本の田舎は本当に美しい。俺はこれまで2度ほど朝霧ジャムに出る機会に恵まれた。朝霧に行って、富士山を目の当たりにしたり、京都もそうだし、南に下がって沖縄に行っても、美しい景色がたくさんある。だから日本にはぜひ住みたいと思う。
それか、ニュージーランド。世界中で心から好きなもう一つの場所だ。あと正直な話、ペルーもぜひもう一度行ってみたいと思っている。人が優しくて、美味しい食べ物もペルーにはたくさんある。深く力強いエネルギーに満ちた場所だと思った。

子どもたち2人とも、生まれて最初に聴いた音楽がオーガスタス・パブロの曲だ。彼らに最初に聴かせたレコードだ。

ちなみにアメリカとキューバが国交回復をしたことについて、なにか思うところはありますか?

マーラ:俺は政治家じゃないから政治の話はできない。俺は音楽で人と人を結びつけたいだけだ。

また、カストロはいつもアディダスばかり着ていますけど、政治的なリーダーとしては親近感を持ちますか?

マーラ:う~ん。自分なりに意見はあるけど、ここでは政治的なことよりも、音楽の話に留めたい。

すでに亡くなっているミュージシャンからあなたが尊敬する人をひとり選ぶとしたら誰になりますか?

マーラ:残念ながら多くの偉大なミュージシャンが亡くなってしまった。……。もしかしたら、安易な答えに聞こえてしまうかもしれないけど、もっとも深く影響を受けているミュージシャンとなると、オーガスタス・パブロかな。1人選ぶとしたら彼だろう。彼の音楽は俺が自分の音楽を確立する上で大きな存在だった。オーガスタス・パブロがメロディカを弾くのを聴くといつも「自由」を感じる。彼の音楽には決まった構造やアレンジがなく、自由を感じた。そういう音楽を作る上での既存の定型にとらわれない姿勢というのを彼から学んだ。自分の子どもたち2人とも、生まれて最初に聴いた音楽がオーガスタス・パブロの曲だ。彼らに最初に聴かせたレコードだ。自分が最初にやったDJライヴでも、最初にかけたのはオーガスタス・パブロの曲だった。というくらい、オーガスタス・パブロの音楽は俺にとって大きな存在で、彼の存命中に彼と会って、いっしょに音楽が作れていたらどんなによかっただろう。

あー。

interview with DJ MIKU - ele-king

 君がまだ生まれたばかりか、生まれる前か、よちよち歩きしたばかりか、とにかくそんな時代から話ははじまる。1993年、移動式パーティ「キー・エナジー」は、東京のアンダーグラウンドを駆け抜けるサイケデリックなジェットコースターだった。実際の話、筆者はジョットコースターを苦手とするタイプなのだが(いままでの人生で5回あるかないか)、しかしあの時代は、目の前で起きている信じられない光景のなかで、乗らなければならなかった。いや、乗りたかったのだ。なにがカム・トゥゲザーだ、外面上はそう嘲りながら、もはや太陽系どころの騒ぎじゃなかった。そして、そのとき我々を銀河の大冒険に連れて行った司祭が、DJミクだった。
 DJミクは、80年代のニューウェイヴの時代からずっとDJだったので、そのときすでにキャリアのある人物だったが、当時としてはヨーロッパのテクノ、ジャーマン・トランスを取り入れたスタイルの第一人者で、とにかく彼は、10人やそこらを相手にマニアックな選曲でご満悦だったわけではなく、1000人以上の人間を集め、まとめてトリップさせることができるDJだった。


DJ Miku
Basic&Axis

Hypnotic Room

Techno

iTunes beatport DJ MIKU Official web

 さて、その栄光に彩られた経歴とかつての過剰な場面の数々に反するように、本人は、物静かな、物腰の柔らかい人で、それは知り合ってから20年以上経っているがまったく変わっていない。
 時代が加速的に膨張するまさにそのときに立ち合ったこのDJは、しかし、その騒ぎが音楽から離れていくことを案じて、常識破りのバカ騒ぎを音楽的な創造へと向かわせようとする。90年代半ばにはレーベルをはじめ、音楽を作り、また、売れてはいないが確実に才能のあるアーティストに声をかけては作品をリリースしていった。このように、パーティ以外の活動に積極的になるのだが、しかし、いわば偉大なる現実逃避の案内人が、いきなり生真面目な音楽講師になることを誰もが望んでいるわけではなかった。
 こうして司祭は、いや、かつて司祭だったDJは、天上への階段を自ら取り壊し、自ら苦難の道を選んで、実際に苦難を味わった。ひとつ素晴らしかった点は、かつて一夜にして1000人にマーマレードの夢を与えていたDJが、10年経とうが20年経とうが、いつか自分のソロ作品を出したいという夢を決して捨てなかったということだ。その10年か20年のあいだで、90年代初頭のど派手なトリップにまつわるいかがわしさはすっかり剥がされて、輝きのもっとも純粋なところのみが抽出されたようだ。アルバムには瑞々しさがあり、清々しい風が吹いている。それが、DJミクの、活動35年目にしてリリースされるファースト・アルバムだ。
 アルバムのリリースと、6月4日の野外パーティ「グローバル・アーク」の開催を控えたDJミクに話を聞いた。アルバムは、活動35年目にして初のソロ・アルバムとなる。それだけでも、DJミクがいま素晴らしく前向きなことが伝わるだろう。

どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね

DJをはじめて30年ですか?

DJ MIKU(以下ミク):35年ですね。

というと1981年から! 35年もブースに立ち続けるってすごいです。

ミク:運が良かったんだと思います。最初にすごく有名なナイトクラブ(※ツバキハウス)でデビューさせてもらったおかげで、次行く店でも割と高待遇な感じでブッキングされて。そういうクラブは気合も入ってるし、80年代はクオリティの高いディスコなりクラブのブースで、ずっと立ち続けることができたからね。で、90年代に入ったときには、自分たちのやったパーティが成功したと。まずは「キー・エナジー」、その次に「サウンド・オブ・スピード」でもレジデンスをやって、あともうひとつ「キー・エナジー」の前にラゼルというハコでアフター・アワーズのパーティもやったな。

ぼくにとってミクさんといえば、なんといっても悪名高き「キー・エナジー」のレジデントDJですよ(笑)。

ミク:まあまあ(笑)。その前も80年代のニューウェイヴ時代にもやってるんで。

いやー、でもやっぱりミクさんといえば「キー・エナジー」のミクさんじゃないですか。


天国への切符? Key -Energyのフライヤー。good old days!

ミク:そうなっちゃいますよね。90年代はとくね。

いや、あんな狂ったパーティは、ぼくは日本ではあそこしか知らないです(笑)。少なくとも、90年代初頭にテクノだとかレイヴとか言って「キー・エナジー」を知らない奴はいないでしょう。あれほどヤバイ……、ヨーロッパで起きていた当時の狂騒というか、過剰というか、狂気というか(笑)。日本でそれを象徴したのは紛れもなく悪名高き「キー・エナジー」であり、その名誉あるレジデントDJがぼくたちの世代にとってのミクさんです。だからいまでもミクさんの顔を見るたびに、ジャム・アンド・スプーンが聞こえてきちゃうんですよ。「フォローミー」というか(笑)。

ミク:ははは、懐かしい。そういう時代もあったんだけど、自分としては35年と長くDJやっててね、「キー・エナジー」はおそらく3、4年くらいしかなかったのかな。

もっとも濃密な時代だったじゃないですか。

ミク:かもしれないですねえ。

サウンド・オブ・スピードはどこでやったんでしたっけ?

ミク:それもやっぱり移動型のパーティで、それこそ代々木の廃墟ビルでやったりとか寺田倉庫でやったりしましたね。

ヒロくん? 彼はもっと、ワープ系だったり、ルーク・ヴァイバートなんかと仲良かったり、エクスペリメンタルな感じも好きだったでしょう?

ミク:そうそう。

ああ、思い出した。ミクさんは「キー・エナジー」であれだけヤバい人間ばかり集めたんで、やっぱりもうちょっと音楽的にならなきゃということで、「サウンド・オブ・スピード」にも合流するんですよね。ただ、あの時代、ミクさんがDJやると、どうしてもヤバい人間がついて来るんだよね(笑)。それがやっぱりミクさんのすごいところだよ。

ミク:どうなんですかね(笑)。

あの時代の司祭ですから。

ミク:はははは。


1997年の写真で、一緒に写っているのは、Key -Energy前夜の伝説的なウェアハウス・パーティ、Twilight ZoneのDJ、DJ Black Bitch(Julia Thompson)。コールドカットのマットの奥方でもある。余談ながら、1993年にTRANSMATのTシャツを着て踊っている筆者に「ナイスTシャツ!」と声をかけてくれたこともある。

テクノと言っても、当時のぼくなんかは、もうちょっとオタクっぽかったでしょ。良く言えばマニアックなリスナーで、そこへいくとミクさんのパーティにはもっと豪快なパーティ・ピープルがたくさん集まったてて。あれは衝撃だったな。イギリスやベルリンで起きていたことと共通した雰囲気を持つ唯一の場所だったもんね。あのおかげで、ぼくみたいなオタクもパーティのエネルギーを知ったようなものだから。

ミク:ところがその頃からレーベルを作っちゃったんですよ。

〈NS-Com〉?

ミク:そうですね。最初のリリースは97年だけど、その前身となった〈Newstage〉を入れると96年。

〈Newstage〉は、それこそレイヴ的なスリルから音楽的な方向転換をした横田進さんの作品を出してましたね。横田さんとか、白石隆之とか、ダブ・スクアッドとか……。ときには実験的でもあった人たち。でもミクさんの場合は、DJやると、どうしてもクレイジーな人が来るんだよなあ(笑)。それが本当ミクさんのすごいところだよね、しつこいけど。

ミク:はははは。DJでかけるものと自分の好きなものが違うんですよ。やっぱりDJでかけるものってハコ映えする曲なので。

去年コリン・フェイヴァーが死んだの知ってます?

ミク:知ってますよ。

縁起でもないと怒られるかもしれないけど、もし東京にコリン・フェイヴァーを探すとしたらミクさんだと思いますよ。

ミク:一度やったことあるけど、すごいオッサンでしたね(笑)。

コリン・フェイヴァーは、ロンドンの伝説的なテクノDJというか、ポストパンクからずっとDJしていて、そしてUKのテクノの一番ワイルドなダンサーたちが集まるようなパーティの司祭として知られるようになる。アンドリュー・ウェザオールがテクノDJになる以前の時代の、偉大なテクノDJだったよね。いまの若い子にコリン・フェイヴァーなんて言っても、作品を残してるわけじゃないからわからないだろうけど、90年代初頭にコリン・フェイヴァーと言ったら、それはもうUKを代表するテクノDJでね。

ミク:「キー・エナジー」でコリン・フェイヴァーを呼んで一緒にやって、やっぱりすごく嬉しかったな。あこがれの人と出来て。ただ自分がDJでプレイする曲って、いま聴いちゃうと本当どうしようもない曲だったり。こう言ったら失礼かもしれないけど、B級な曲なんだけれどもフロアで映えるという曲をプレイしていて。つまりダサかっこいい曲が多かった。でも自分の家に帰ると実は練習以外ではほとんど聴かなかったですね。

練習?

ミク:自分は練習量に関しては負けない自信があるんですよ。どのDJよりも練習したし、いまもしょっちゅうネタを探してるしてやってます。そういう意味では努力していると思う。

練習って、ミクさんは筋金入りだし、ディスコ時代から修行を積んでこられてるじゃないですか。

ミク:そういう経験にプラスしてMIXやネタのところでも負けたくないなというのは今もありますね。

当時のぼくはオタク寄りのリスナーだったけど、ミクさんはもうすでに大人のDJだったっすよね。遊び慣れているというか。

ミク:どうなんだろう……

だってミクさんが相手にしていたオーディエンスって、だいたいいつも1000人以上?

ミク:多いときは1500人くらいはいましたねえ。


1995年、Key -EnergyのDJブース

でしょ? そもそも「キー・エナジー」はマニアック・ラヴ以前の話だしね。

ミク:ちょっと前くらいかな。

リキッドルームなんか、そのずっと後だもんね。で、マニアック・ラヴというクラブがオープンして、それがどれほどのキャパだったかと言えば、100人入ればかなりいっぱいになるようなハコだったわけでしょ。で、実際、当時はそこに数十しかいなかったわけで、それでもすごく画期的だったりして(笑)。それを思うとですよ、あの時代、1000人の前でプレイするってことが何を意味していたかってことですよね。ナンなんですか?

ミク:時代の勢い?

ひとつには、それだけ衝撃的な吸引力があったってことじゃないですか? 「こんなのアリ?」っていう。

ミク:だけどねえ、人数は関係ないのかなあ。俺がDJやってていちばん手が震えたのは、横浜サーカスというところでやったときで。ちょうどパブリック・エナミーが来日していて、ハコに遊びに来たんですよ。で、フレイヴァー・フレイヴがDJブースに乱入してきて、いきなり俺のDJでラップはじめて(笑)。

すごいですね。

ミク:87年か88年かなぁ。しかもサーカスというとクラブの3分の1から半分くらいがアフリカ系アメリカ人なんですね。その外国人たちがすごく盛り上がっちゃってね。外したら氷とかコップとか投げられそうになるみたいな(笑)。そのときは手が震えたね。

「キー・エナジー」以前にそんなことがあったんですね。初めて知った。

ミク:まあその話すると逸れてしまうので、レーベルの方に話を移すと、じつはキー・エナジーをやっていた頃に野田さんに言われたことがあるんですよ。「ミクさんたちはビジネス下手だからなあ」って(笑)。「これだけ話題になってるんだからもっと上手くやればいいじゃん」って言われたんですよ。

ええ、本当ですか? それは俺がまったく生意気な馬鹿野郎ですね。ビジネスを語る資格のない人間が、そんなひどいこと言って、すみません!

ミク:いえいえ(笑)。クラブ業界と音楽業界は違うんですよ。たしかにレーベルやるということはビジネスマンでなくてはいけない。それまではただのいちDJ、アーティストとして音楽業界と接していたんだけど、レーベルをやるということはCDを売らなきゃいけないということなんだよね。流通とか、プロモーターとか、他にも汚れ仕事もしなきゃならない。でも、当時は俺も経験がなかったですし、はっきり言って新人ですよ。DJとしてはもう、その頃で10年以上はやってたんだけど、でも音楽業界のプロの人に現実的な事をすごく言われちゃって。理想的なことばっかり話してたもんだから呆れられて、とくに良く言われたのが「ミクさんアーティストだからな」とか(笑)。シニカルなことを良く言われました。

俺そんなこと言いました?

ミク:いや、野田さんじゃないですよ(笑)。他の音楽業界の方々です。

ああ、良かった。とにかく俺がミクさんのことで覚えているのは、「キー・エナジー」って、あの狂乱のまま続けてていいのかというレベルだったでしょ。だから、音楽的にもうちょっと落ち着いたほうが良いんじゃないかっていう。ミクさんのところはハードコアなダンサーばかりだったからさ(笑)。そういえば、1993年にブリクストンで、偶然ミクさんと会ったことがあったよね。

ミク:ああ、ありましたね。

朝になって「ロスト」というパーティを出たら、道ばたにミクさんがいた(笑)。あれ、かなり幻覚かなと思いましたよ。

ミク:あのとき、一緒にバスに帰って、野田さんはずっと「いやー、素晴らしかったすね!」って俺に言い続けていたんだけど、じつは俺はロストには行かなかったんだよ。

ええ! じゃあ、あのときミクさんはブリクストンで別のパーティに?

ミク:ロンドンのシルバーフィッシュ・レコードの連中とミックスマスター・モリスのパーティにいたの。その後ロストに行こうと思ってたんだけど、モリスのプレイがあまりにも良くて、ハマっちゃって出てこれなくなっちゃって、パーティが終わっちゃた。それで帰り道で「ロスト」の前を歩いたら、野田さんたちがいたんですよ。

そうだったんですね。俺はあのとき「ロスト」を追い出されるまでいたんで(笑)。追い出されて、もう超眩しい光のなか、ブリクストンの通りに出たら、ミクさんがいたんですよ。ようやくあのときの謎が解けた。

ミク:はははは。


テクノ全盛期のロンドンのレコード店、シルヴァーフィッシュ内でのミク。

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こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

ともかく、35年目にして初めてのソロ・アルバムを作るっていうのは……すごいことだと思うんですよね。普通は、35年もつづければ「も、いいいか」ってなっちゃうでしょ。しかもミクさんはずっとDJで、それってある意味では裏方であり、そのDJ道みたいなものをやってきたと思うんですけど。

ミク:そう、DJ道! それが本当に一番。

だから自分で作品を作るというよりは、人の良い曲をかけるという。


DJ Miku
Basic&Axis

Hypnotic Room

Techno

iTunes beatport DJ MIKU Official web

ミク:でもね、本当は自分の作品を作りたくてしょうがなかったんだ。だから1回ロータスというユニットでアルバム作ったんです。そのままやりたかったんだけど、レーベルを同時に始めちゃったので、レーベルの運営業務に時間が食われてしまうんですね。2010年くらいまでやってたんだけど、どうも2005年くらいから調子が悪くなって。テクノだけじゃ売れないし、エレクトリック・ポップとかもやりだして、どうしてもライヴだとかのマネージメント的なことも出てきちゃったり、ときにはトラックダウンやアレンジもやったりして。そうするとすごい時間取られるようになってきちゃって……自分はDJとして活動したいけど、ビジネスマンでなきゃいけないというプレッシャーもあり……(笑)。また、自分の時間がないという。
 2002年くらいから2010年くらいまでは完全に裏方みたいな感じだったな。レーベルのアーティストたちはアルバム出してるのに、自分は出せないという。だから自分のソロ・アルバムを作ろうと思ったのは、じつは10年くらい前なんですよ。

へー、そんな前から。

ミク:シンプルなミニマル・トラックだったら2〜3日で出来る事もあるけど、もうちょっとメロディの入った音の厚いものを作ろうとすると、けっこう時間もかかる。たまに単発でコンピレーションに曲を提供したりはしてたんだけど、まとまったものを出したかったんだよね。

それが結果的に2016年にリリースされることになったということですか?

ミク:遅れに遅れて。そのあいだ、こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

人生をかけたと?

ミク:侠気というのがあるじゃないですか。80年代には侠気がある先輩が多くて。自分もそれに助けられてきたんですよ。

侠気っていうか、親身さ? 面倒見の良さ?

ミク:そうですね、自分の利益を顧みないでサポートしてくれる人がいました。そんな先輩の影響もあってレーベルをやっていたところが大きい。ぼくはその精神を継承しただけなんですね。だから近くにいる奴が「ミクさん、アルバム作りたいんですけど。」と言ってきたら、「おお、やれよ。俺が面倒見てやるよ。」ってことでCD出したりしてました。

ははは(笑)。親分肌だね。

ミク:ところが2005年くらいから収入も激減しちゃって。だんだん男気が出せなくなってきちゃって(笑)。

それは単純にDJのギャラが下がったということなんですか?

ミク:うん、それもある。あとはDJをやる回数が減った。だって自分の作品出してないし、とはいえ渋谷のWOMBで2001年から06年くらいまでレギュラー・パーティのレジデントをやってたんで、ある程度DJとしての活動は出来てたんだけれども。それ以外ということになるとなかなか話題も作れなかったし、ブッキングもどんどん減っちゃってたね。

地方であったりとか?

ミク:あと小さいクラブであったりとか。2005年くらいにだんだん貧乏になってきちゃって、男気が出せないということになる。そのときに男気って経済的なことなのかなあと思って(笑)。でもそれは悔しいじゃないですか。そんなときに経済と関係なく、男気を出さないといけないんじゃないかなと思って。今度は自らのために侠気を出して6ヶ月間の生活ローンを組んで(笑)。

それはまた(笑)……しかしなんでそこまでしてやろうと?

ミク:90年代から2000年代にかけて、一緒にやっていた奴らがどんどんやめちゃうんですよ。日本でテクノじゃ食えないので。結婚したり子供が出来たりとか、いろんな理由があると思うんだけど、すごく才能のある奴もやめていっちゃう。

それはDJとしての活動ということですか?

ミク:DJとしてもアーティストとしても。でもアーティストのほうが多いかな、曲を作る人。どんどんやめていってしまう。で、そんなときだからこそ、作って刺激してやろうと。そう思って完成させました。

その気持ち、わかります。ただ、ぼくもクラブ遊びはもうぜんぜんしていないんですね。大きな理由のひとつは、経済なんです。昔はクラブの入場料なんて1500円で2ドリンクだったでしょ? 現代の東京のクラブ遊びは金がかかるんです。収入の少ない子持ちには無理です。独身だったらまだ良いんですよ。ただ、それが職業になっているんだったら話は別ですけど、カミさんと子供が寝ている日曜の朝にベロベロになって帰ってきて寝るというのはさすがに気が引けるってことですね(笑)。
 あとは、健康にはこのうえなく悪い遊びじゃないですか。寝ているときに起きているわけだから。ぼくは朝型人間なんで、毎朝6時前起きで、年齢も50過ぎているから、夜の11時過ぎに起きていること自体がしんどいんです。そんな無理してまでも遊ぶものじゃないでしょう、クラブって。つまり、クラブ・カルチャーというのは、人生のある時期において有意義な音楽であるということなんですよ。受け手側からすると、クラブ・カルチャーは一生ものの遊びじゃないというのが僕の結論なんですね。ただ、だからといって僕がクラブ・ミュージックを聴かないことはないんです。買って家で聴く音楽は、いまだにクラブ的なものなんですね。相変わらずレゲエも家で聴きますけど、ダンスのグルーヴのある音楽はずっと聴いています。だからクラブ遊びは年齢制限ありだけど、音楽それ自体は永遠なんですよね。

ミク:そこですよ。だからアルバム作るもうひとつの動機は作品を残せるから。
やっぱりDJって、とてもスペシャルなことだけど一夜限りのものなんですよ。

それはそれで最高ですけどね。刹那的なものの美しさだと思うんですよね。こういうこと言うと若い人に気の毒なんだけど、あんなに面白い時代は二度と来ないだろうな(笑)。いまのクラブ行ってる子たちには申し訳ないんだけど。

ミク:まあ別物ですからね。

いまのクラブがクラブと呼ぶなら、あの時代のクラブはクラブじゃないですから。クラブっていうのは、ぼくにとっては、スピーカーの上に人がよじ登って、天井にぶら下がったりして騒いでいる場所で(笑)。

ミク:そうですね。でもああいうパーティもまた出来ないことはないんじゃないかなって少し思っちゃってるんですよ(笑)。

レインボー・ディスコ・クラブってあるじゃないですか。こないだあれに行ったらすごい家族連れが多かったんですよね。たぶん俺と同じ世代なんですよね。で、その家族連れがいる感じがすごく自然だったんですよ。

ミク:そうね、野外だったらね。

そう。じゃあこれつま恋とかで吉田拓郎がやってフォークの世代がそこに集まったろしても、家族連れでは来ないじゃないですか。ジャズ・フェスティヴァルがあったとして、家族連れでは来ないでしょう?

ミク:たぶんそうだね。

でもダンス・カルチャーというのは家族連れで来るんですよね。それはやっぱり,ダンス・ミュージックは誰かといっしょに楽しむコミュニティの音楽からなんでしょうね。それってある意味ではすごく可能性があると思ったし、こんなに家族連れが来ても違和感を感じない文化、音楽のジャンルというのも珍しいんじゃないかなと逆にすげーと思ってしまったんですよね。

ミク:俺は、野外パーティの「グローバル・アーク」を仲間とやってて、それの基本って自分の頭のなかでは、「ビック・チル」なんですね。「グローバル・アーク」の音楽自体はダンスなんだけど、雰囲気的な所が目指したいところで。

ああ、「ビック・チル」かー、UKのその手の野外フェスで最高なものでしたよね。

ミク:1999年あたりの「ビッグ・チル」に出演したことがあって、ロンドンの郊外のだだっ広いところでやったんだけど、そのときも年齢層の幅広さに驚いたんですよね。若い子もいるし家族連れもいるし、60代もいるし。すごくいいパーティだなあ、こういうのいつかやりたいなあというのがずっとあった。それで2012年、時代が変わるときに何かやりたいと思っていて、それで「ビッグ・チル」みたいなイベントをやりたいと思ってはじめたのが「グローバル・アーク」なんです。そうすればいろんな人が交わる。若い人も、家族連れの人も、もう引退しちゃった人も。

下手したら、いまのあらゆるジャンルのなかでも平均年齢がいちばん若いかもしれないですよ。3歳児とか多いから(笑)。

ミク:そうかもしれない(笑)。東京のクラブなんかみんな30代以降と言ってるからびっくりですよね。だけど野外になるとね、それこそさっき言った3歳とか5歳とかいるわけで(笑)。その子たちが自然と音を聴くわけですよね。だから将来有望だなあ、なんてちょっと思っちゃったりもするんだけど。

そうですよ。ぼくなんか、都内のクラブ・イベントに誘われても「本当に行っていいの? 平均年齢いっきに上がってしまうよ」って言うくらいですから。

ミク:はははは、だけどああいう野外パーティもすごいリスキーでね。雨が降ったときとか……クラブでやるのとわけが違う。「グローバル・アーク」の場合3つのフロアがあるんですけど、一夜にして3つのクラブを作んなきゃいけないという。

しかも場所がね。

ミク:山の中なかですから。

最高の場所ですよね。よく見つけたなあと思います。ぼく自転車好きなんでたまに奥多摩湖に行くんですよ。家から往復すると150キロくらい。あの、奥多摩駅を超えたあたりから別世界なんですよね。本当に素晴らしい景色です。

ミク:すごく良いところです。

しかし、話を聞いてわかったのは、今回のファースト・アルバムには、ミクさんのいろんなものが重なっているんですよね。シーンに関することや、未来への可能性をふくめて。

ミク:すごくいろんなものが重なってる。シーンに関して言うと「グローバル・アーク」では最近音楽活動してない人もブッキングしたりしてるけど、アルバムを出すという行為自体が、そういう人に向けて「もっと音楽やろうよ!」というメッセージになってると思います。僭越だけど自分の中では大きなポイントだね。未来のことを言えば、ヨーロッパのどこかの国で流行ってるハウスやテクノを追いかけて曲を作るのではなく、日本のドメインの音をみんなで作っていきたいと思うな。それはパーティも含めてね。個人的に「昔は良かった」っていう話で終わらせるのは大嫌いだから常に前進あるのみでこれからも行きます。

「キー・エナジー」を繰り返すことはもう不可能だろうけどあの時代とは別のエネルギーを表現したいってことですか?

ミク:そうですね。


渋谷のWOMBでのレギュラー・パーティ、CYCLONEの様子。

しかし、ミクさんと会っていると、どうしてもあの時代の話になっちゃうんですが……、あの頃、いまじゃ信じられないけど、どこまでトリップできるかっていうか、あるときには、クラブにお坊さんを呼んでお経まで詠んでいたような時代ですからね。

ミク:はははは、エドン・イン・ザ・スカイかな?

そうそう、風船を天井に敷き詰めてね。ムーキーさんとか、あの人も時代の主要人物のひとりですよねえ。

ミク:日本のミクス・マスター・モリスみたいな(笑)。

おかしいですよ、しかも満員だったし(笑)。

ミク:だから90年代って面白かったんだろうね。ただそこをずっと見ててもしょうがない。やっぱり2010年代に新しいものを作っていきたいということでいまやってるのが、「グローバル・アーク」を中心とした活動というか。

俺、ミクさんの今回のアルバム聴いてびっくりしちゃったもん。すごく爽やかなんですよね。すごくクリーンで透明感があって。

ミク:それを目指したというかね。透明感を保ちつつ深いところへ行けるようなトリップ感。

ぜんぜんドロドロしていない(笑)。だから「キー・エナジー」の狂気とはまったく違う(笑)。今回は、ミクさんがひとりで作ったんですか?

ミク:もう全部ひとりで作りました。お金もないしマスタリングも頼めないし(笑)。自分の自宅で。それも古い機材だけで作りました。

ドロドロはしていないだけど、いい意味で90年代初頭の感じがしましたね。90年代初頭のベッドルーム・テクノな感じ。

ミク:そう、あの音、とくにヴィンテージ系シンセの音が好きなんだよね。ああいうのは、パンクだとか初期のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノとか、もちろんヒップホップとか、そういう「あるものでやる」という衝動があって。自分がいま持っているものでやろうと。だから、時間がかかったんだけどね。

90年代初頭のテクノがキラキラしていたころのサウンドですよね。

ミク:まあそれは影響あるから当然だと思う。なおかつちょっとポップに作りたかったというのもあった。というのは自分の中の永遠のテーマってディープ・ポップスなんですよ

曲がすごくメロディアスですよね。

ミク:どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね。だから野田さんにビジネスが下手ですねと言われたときに……

そんなこと言ってないですよ!

ミク:いや、言った言った(笑)。

おまえ何様だと思ってるんだという感じですよね。そのときの俺がここにいたらぶん殴ってやりますよ(笑)。

ミク:いやいや(笑)。だけど本当に、そもそも音楽業界でビジネスやるというのはどういうことなのかもいまでもよくわかってないから。

俺もわかってないですよ(笑)。DJだけじゃなく、ライターだって、長くやっていればいるほど、時代の流れ、時代の変化というものに晒されるし、ひとりだけ取り残されるという感覚も味わうかもしれない。

ミク:長くやっていればそうでしょうね。

だからいまの若い子も毎日歳を取って、で、いつかはそうなるわけであって。

ミク:打開するのは自分自身でしかないんですよね。

あとはじっとときを待つというのもあるんじゃないですかねえ。

ミク:いや、待ってても来ないですね(笑)。

そうですか?

ミク:いや、来ないです(笑)!

ミクさんはもっと早く出したかったのかもしれないけど、むしろいまこのサウンドは求められてるんじゃないのかなと思います。ソウルを感じるし、アンビエントも感じますね。

ミク:80年代のディスコ時代は、ぼくは高橋透さんの下だったんですね。透さんはミックスには厳しい方でね、だから当時は本当にたくさん練習したし、曲の小節数も覚えたし。で、透さんはソウルやディスコの人で、ぼくはニューウェイヴの世代だったから、ぼくは若い頃すごくブラック・ミュージックにコンプレックスがあって。でも、ニューウェイヴにもソウルがあったし、なんか、それは自分でも表現できるんじゃないかってずっと思ってて。あと、やっぱり最新の便利さのなかで作ってないことも、そんな感じを出しているかもしれないね。まあ、俺はどうしても好きな音があるし、それをやるとこうなっちゃうというか。

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「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。

90年代の主要人物であったミクさんがあれだけ数多くの狂人たちを見てきて、いまそこから何を導き出せると思いますか? あの時代の何がこの時代に有効というか、何が普遍的な価値観として導き出せると思いますか?

ミク:コミュニケーションでしょうね。あの時代というのはもちろんネットもないし、ほとんど口コミですよ。

まあ、がんばって壁によじ登る必要はないからね(笑)。天井にぶら下がるのも危険だし、上半身裸で踊ったら風邪引くし(笑)。

ミク:はははは、みんなそうだったもんね。上半身裸は最近見なくなったね。「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。オーディエンス同士が濃密な関係だったから、そういう雰囲気が作れる。いまはDJ対オーディエンスだけの関係がメインになってる部分が大きいから、それをオーディエンス対オーディエンスの部分をもっとフックアップしていけば来てる人ももっと楽しいはずだし、ネット以外のコミュニケーション方法が変われば、あの熱い感じは戻ってくるんじゃいかと思うな。クラブも野外パーティもその方が絶対楽しいはずだからね。

90年代のナイト・ライフが言ってたことはじつに簡単なことであって、「週末の夜は俺たちのものだ!」ということでしょ(笑)。もちろんそこでかかっていた音楽が真の意味で圧倒的に新鮮だったことが大前提なんだけど、必ずしもマニアックな音を追いかけていたわけじゃないからね。ロックのコンサートに5千円払うんだったら、1200円で買った12インチを持ち寄ってみんなで1000円の入場料払って、集まって聴いたほうが楽しいじゃんって、ものすごくロジカルに発展したのがクラブ・カルチャーで、主役はスターじゃなく音楽なんだからさって。いまじゃすっかり本末転倒しちゃってるけど。空しいだろうな、下手したら、いまは趣味の違いでしかないから。「キミはミニマルなの? ふーん、ディープ・ハウスもいいよね」「ダブステップも最近また面白いよ」とか「やっぱジュークでしょ」とか、「このベースラインがさー」とかさ、そんな感じじゃない? 俺たちの時代は、もっとシンプルだったじゃん。「週末は行くでしょ?」だけだったんだから。「で、何時にしようか?」とか。そういえば俺、「キー・エナージー」の開場前からドアに並んでいたことあったもん(笑)。どこのバカだと思われただろうけど。

ミク:90年代は踊りに来てたんですよ。でもいまは踊らされるために来てるんじゃないのかと思ってしまうこともある。DJをあんまりやったこともないような海外のクリエイターがプロモーションの為に即席DJで来日して、プレイもイマイチなのに、みんなDJ見て文句も言わず踊ってる。これ、オーディエンスは本当に楽しんでいるんだろうか? っていう場面を良くみます。情報を仕入れに来るのもいいけど、DJは神様じゃないんだから礼拝のダンスというよりは、自己表現のダンス、時には求愛のダンスで自らが楽しんで欲しいな。

せめて可愛い女の子を探すくらいの努力はしないと(笑)。

ミク:ははは(笑)。それはそうだね。

デリック・メイが言うところのセクシーさは重要ですから。

ミク:それはある。クラブというのはそういうもんです。自分自身が関わってたパーティはセクシーなだけでもなく、サイケデリック・カルチャーとかニュー・エイジまで、本当にいろいろなものがあって、環境問題とか考えるきっかけにもなったり。いまだにそういう思想を持った人とは繋がっているし。つまり90年代のパーティは集まった人たちによる濃密なコミュニケーションから様々なものが生まれて、人との繋がりが仕事になってたり、世の中のことを議論するミェーテングの場でもあったり。そんな関係性を作れる場でもあったから、それを次の人たちにも掘り起こしてほしいね。とくに初期のトランスのパーティにはそういう原型があったと思うしね。
 音楽的にはいまで言うトランスと初期のトランスはぜんぜん違うんだけど、俺から言わせればマッド・マイクもジョイ・ベルトラムもデイブ・クラークもトランスと言えばトランスだった。自分はジャーマン・トランスはかけたけど、それはやっぱり音楽的にシカゴやデトロイトとも連動しているからで。でも、96年くらいからお客さんは、わかりやすいトランスを求めてきた。インドぽいフレーズの入ったトランスをかけないと裏切り者ぐらいのことを言われたり。でも、俺はあの音は大の苦手だったんだ。プレイはしなかった。だからレーベルをはじめて、方向性を変えて、そっち方面へ行ったオーディエンスとは一時期決別することになってしまったんだけど。でも時代が1周して最近はそっちに行った人たちも戻ってきてるというか、自分が近づいてるというか、接点も多くなってきた。

それから今回のアルバムへと長い年月をかけて発展したのはよくわかります。さっきも言いましたが、本当に澄んだ音響があって、清々しいんですね。さきほど「ビッグ・チル」の話が出ましたが、アンビエント、デトロイト、クラブ・ジャズなんかが良い感じで融和しているというかね。ところで、これからミクさんはどうされていくんですか?

ミク:目指しているのは親父DJかな(笑)。

もう立派に親父DJですよ(笑)。みんな親父DJですよ(笑)。

ミク:もっと親父な感じでやりたいのね。ハードなやつじゃなくて、チルなゆるい奴も含めて。去年一番楽しかったDJって西伊豆でやったときなんですよ。西伊豆に海を渡らないと行けないところがあって。そこで本当にちっちゃいパーティがあったんだけど。そのときに久々に8時間くらいDJやったんだよね(笑)。

すごいな。

ミク:チルな音楽中心だったんだけど、やっててすごく楽しくてね。縛りなしだし。だからそういうのを広げていきたいなというのはありますね。もちろんダンス・ミュージックはやるんだけれども、そういうゆるい感じのもやっていって。ちっちゃいパーティで身軽にやってもいいし。

俺はまあ、日本のコリン・フェイヴァーはいまのうちに聴いとけよというね(笑)。

ミク:それはそれで続けますよ、これからも! 生きてるうちは(笑)

あの時代は再現できないだろうけど、若い世代に新しい時代を作って欲しいですね。ぼくたちでさえできたんだから、君たちにもできるってね。

ミク:そうだよね、それもいままでにない違う形でね。もし手伝えることがあれば、どんどん声かけて欲しいです。


野外からクラブまで、いつまでもDJを続けるぜ!



6月4日、「GLOBAL ARK 2016 」がありますよ〜!

2016.6.4.sat - 6.5.sun at Tamagawa Camp Village(Yamanashi-ken)
Gate Open:am11:00 / Start: noon12:00
Advance : 5,000 yen Door : 6,000 yen
Official Web Site : https://global-ark.net

今年も6月の第一週の週末から日曜日の昼過ぎまで第5回目のGLOBAL ARK を開催します。
今年は、初登場のDJ/アーチストも多く新たな展開に発展しそうなラインナップとなっております。都内を中心に全国で活躍するレジェンドから新進気鋭のDJまで豪華共演の宴をご期待ください。

また、海外からはディープテクノ、ミニマルのレーベル、Aconito Recordsを主宰し、自身の作品を中心にGiorgio Gigli、Deepbass、Obtane、Claudio PRC、Nessなどの数々の良質なトラックをリリースするNAX ACIDが初来日を果たします。

そして去年のGLOBAL ARKで素晴らしいプレイを披露してくれた、
Eduardo De La Calleが再来日決定! 今年に入ってから、CadenzaよりANIMA ANIMUS EPとスイスの老舗レーベルMENTAL GROOVEから、CD、デジタル、12インチでのフルアルバムをリリース。12インチバイナルは豪華6枚組ボックスセット! まさに今絶好調のEduardoは必見・必聴です。

さらに今年は3つのエリアにDJブースが設けられ、更なるパワーアップを目指しました。そして充実のフードコート。今年も様々なメニューを用意しており、自然の中でいただく料理は格別なものとなるでしょう。近くには日帰り温泉施設小菅の湯もございます。踊り疲れたらこちらに立ち寄るのも
楽しみのひとつになるかもしれません。

梅雨入り前の絶好の季節に山々の自然と最新のTechno/House/Dance Musicをお楽しみください。皆さまのご参加を心よりお待ちしてます。

Line up

-Ground Area -

EDUARDO DE LA CALLE (Cadenza,Analog Solution,Hivern Discs/SPA)
Nax_Acid (Aconito Records, Phorma, Informa, Kontrafaktum/UK, ITA)
ARTMAN a.k.a. DJ K.U.D.O.
DJ MIKU
KAORU INOUE
HIDEO KOBAYASH (Fuente Music)
GO HIYAMA (Hue Helix)
TOMO HACHIGA ( HYDRANT / NT.LAB )
Matsunami (TriBute)
NaosisoaN (Global Ambient Star)

<Special Guest DJ>
DJ AGEISHI (AHB pro.)

-River Area -

DJ KENSEI
EBZ a.k.a code e
DJ BIN (Stargate Recordings)
AQUIRA(MTP / Supertramp)
R1(Horizon)
Pleasure Cruiser (Love Hotel Records / RBMA)
DJ Dante (push..)
Chloe (汀)
DJ MOCHIZUKI(in the mix)
Shiba@FreedomSunset
ENUOH
OZMZO aka Sammy (HELL m.e.t)
Kojiro + ngt. (Digi-Lo-t.)
SHIGETO TAKAHASHI (TIME & THINGS)
NABE (Final Escape)
KOMAGOME (波紋-hamon-)
AGBworld (INDIGO TRIBE)
TMR Japan(PlayGroundFamily / Canoes bar Takasaki)
PEAT (ASPIRE)
(仮)山頂瞑想茶屋
(仮)Nao (rural / addictedloop / gifted)

-Wood Lounge-
TARO ACIDA(DUB SQUAD)
六弦詩人義家
Dai (Forte / 茶澤音學館)
ZEN ○
Twicelight
DJ Kazuki(push..)
ALONE(Transit/LAw Tention)
Yamanta(Cult Crew/Bio Sound)
ToRAgon(HIPPIE TWIST/NIGAYOMOGI)
DUBO (iLINX)
MUCCHI(Red Eye)
(仮)cirKus(Underconstruction)

Light Show
OVERHEADS CLASSIC

Vj : Kagerou

Sound Design : BASS ON TOP

Decoration : TAIKI KUSAKABE

Cooperate with FreedomSunset

Bar : 亀Bar

Food :
Green and Peace
Freewill Cafe
赤木商店
野山の深夜食堂
Gypsy Cafe

Shop
Amazon Hospital
Big ferret
UPPER HONEY

FEE :
前売り(ADV) 5,000円 当日(DOOR) 6,000円
駐車場(parking) : 1,000円 / 場内駐車場1,500円
(場内駐車場が満車になった場合は
キャンプ場入口から徒歩4-5分の駐車場になります)
テント1張り 1,500円
Fee: Advanced Ticket 5,000yen / Door 6,000yen /
Parking (off-track)1,000yen / (in the Camp Site)
1,500yen
Tent Fee 1,500yen

【玉川キャンプ村】
〒490-0211 山梨県北都留郡小菅村2202
TEL 0428-87-0601
【Tamagawa Camp Village】
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken,
Japan

● ACCESS
東京より
BY CAR
中央自動車道を八王子方面へ→八王子ジャンクションを圏央道青梅方面へ
→あきる野IC下車、信号を右折して国道411号へ→国道411号を奥多摩湖方面へ
約60分→奥多摩湖畔、深山橋交差点を左折7分→玉川キャンプ村

BY TRAIN
JR中央線で立川駅から→JR青梅線に乗り換え→青梅駅方面へ→JR青梅駅で
奥多摩方面に行きに乗り換え→終点の奥多摩駅で下車→奥12[大菩薩峠東口経由]
小菅の湯行バス(10:35/13:35/16:35発)で玉川停留所下車→徒歩3分

Tamagawa Camp Village
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken, Japan

Shinjuku (JR Chuo Line) → Tachikawa (JR Ome Line) → Okutama →
Transfer to the Bus to go Kosuge Onsen.
Take this bus to Tamagawa Bus Stop

Okutama Bus schedule:10:35 / 13:35 / 16:35
(A Bus traveling outward from Okutama Station)

(Metropolitan Inter-City Expressway / KEN-O EXPWY)
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Hinode IC"
 Metropolitan Inter-City Expressway
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Ome IC" 
  (Chuo Expressway)
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Otuki IC"
 Chuo Expressway
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Uenohara IC"

● NOTICE
※ ゴミをなるべく無くすため、飲食物の持ち込みをお断りしておりますのでご協力お願いします。やむおえず出たゴミは各自でお持ち帰りください。
※ 山中での開催ですので、天候の変化や、夜は冷え込む可能性がありますので、各自防寒着・雨具等をお忘れなく。
※ 会場は携帯電波の届きにくい環境となってますのでご了承ください。
※ 違法駐車・立ち入り禁止エリアへの侵入及び、近隣住民への迷惑行為は絶対におやめください。
※ 駐車場に限りがあります、なるべく乗り合いにてお願いします。
※ お荷物・貴重品は、各自での管理をお願いします。イベント内で起きた事故、盗難等に関し主催者は一切の責任をおいません。
※ 天災等のやむ終えない理由で公演が継続不可能な場合、アーティストの変更
やキャンセル等の場合においてもチケット料金の払い戻しは出来かねますので何卒ご了承ください。
※ 写真撮影禁止エリアについて。
GLOBAL ARKではオーディエンスの皆さまや出演者のプライバシー保護の観点から各ダンスフロアでの撮影を禁止させていただ いております。 そのため、Facebook、Twitter、その他SNSへの写真及び動画の投稿、アップロードも絶対にお控えくださるようお願いします。
尚、テントサイト、フードコートなどでの撮影はOKですが、一緒に来た 友人、会場で合った知人など、プライベートな範囲内でお願いします。

 フライングぎみの予告だ。今年の夏に出る雑誌版の『ele-king』の表紙がKOHHに決定した。そのニュースに前後して自分のiPhoneに見覚えのないメモをみつけた。日付は去年の年末、リキッド・ルームでのKOHHのワンマン・ライヴの真っ最中の時刻だ。「これを否定する奴らは、進化への意志を捨てた連中だ。放っておけ」。もしこのメモが本当に、まだデビューから3年とすこしの日本人アーティストのことをいっているのだとすれば、さすがにちょっと狂気の沙汰だと思う。でもあのときは本気でそう思ったのかもしれない。

 そして『DIRT II』だ。昨年10月末に発表されたエイジアン・トラップの極北的な怪物作『DIRT』、その続編が6月17日に解禁される。アメリカやフランス、韓国やジャマイカといった海外勢とのコラボレーションにくわえ、2枚組のうち1枚はこれまでの楽曲のリミックスだそうだ。驚異的なリリース・ペース、ということになるのだろうけれど、KOHHについては正直なところもう感覚が麻痺してきていて、とくだんの驚きはない。KOHHはこの3年超のあいだにミックス・テープをふくめて6枚のアルバムを発表し、アンダーグラウンドな日本語のラップとしては異例のポピュラリティと、海を越えた熱狂的なプロップスを獲得した。直近でいえばフジロックへの出演アナウンス、そしてグローバルな意味ではそれよりずっと意義深いかもしれないボイラー・ルームでのライヴ・アクト。これはもはや事件だ。

 そうだ。言葉の正確な意味で、KOHHとはひとつの事件だ。ジョン・ライドンがマルコム・マクラーレンと出会い、セックス・ピストルズという事件が生まれたように、KOHHがGUNSMITH PRODUCTIONのプロデューサーである318と出会ったことで、現在も進行中のこの事件は生まれた。「ポップ・ミュージック」という言葉が事実上の死語になってずいぶんたつ。いつのまにかみんな好き嫌いによって分断された居心地のいいサークルでのおしゃべり以上のものを望まなくなった。しかし、「ポップ」という言葉がもしもチャートの順位やテレビへの露出頻度を超えたなにかを指すのだとしたら、KOHHという事件は、いまの日本で最強のポップ・カルチャーだ。中指を立てても目を背けてもいい。だが好むと好まざるとにかかわらず、その異形の声は分割統治された安寧な領土に侵入する。ポップとはある静的な状態のことではなく、既存の秩序を破壊していくダイナミズムそのものを意味する。それは暴力的な共通言語の創造だ。

 これはたんなる直感だが、『DIRT II』はトラップ・ラッパーとしてのKOHHの殺害現場になるだろう。ずば抜けたアーティストはそもそもジャンルのカテゴリーなどに束縛されない。ベンヤミンにならうなら、すぐれた表現というのは、ひとつのジャンルを創出するか、ひとつのジャンルを破壊してしまうか、つまるところそのどちらかであり、究極的な場合には、その両方だ。震災後の叙情の涙を蒸発させるかのような熱気で盛りあがる日本のトラップ・ミュージック。かつてそのシーンを牽引したKOHHは早々と、トラップ・アイコンとしてのセルフ・イメージをみずからの手で破壊しつつある。アーティストは作品の中で永遠に生き続けるが、同時に決定的な作品を完成させるたびに何度も自死する。死が生の燃え尽きる速度によって決定されるのであれば、才能とはそのスピードのことだ。身を削る圧倒的な精神的/肉体的な能力の発現は、ほとんど閃光や爆発といった現象に近い。それは批評家の言葉が追いつくことを許さない。しばしばアーティスト本人にさえすべてを完璧にコントロールすることなど不可能だ。

 そしてこの事件は、現在まさに激動のさなかにある日本という社会の地殻変動ともけして切り離せないはずだ。2011年の震災、そしてその後の社会的な混迷から、正体不明のなにかが生まれようとしている。この島国の住人、誰もが事件の目撃者だ。このさきも生きてさえいれば、アーカイヴ化された2016年の音楽をずっと後になって聴くことだってできる。だが明日があるなんて、いったい誰が約束した? 死ねば残るのは歯と骨だけで、いくら美しくてもそれは過去の遺物にすぎない。いま生きているのは引き裂けば血の溢れる肉と臓器だ。すでに惨劇の予感はみちみちている。列島よ、眠らずにこの暗い夜を待て。(泉智)

アーティスト名 : KOHH(コウ)
アルバム・タイトル : DIRT II(ダート 2)
発売日 : 2016年6月17日(金)

仕様 :
3枚組(CD2枚組+DVD) [初回限定盤] 3,100円+税 (品番 : GSP-10)
CD2枚組のみ [通常盤] 2,700円+税 (品番 : GSP-11)
(※オフィシャル・サイト "https://やばいっす.com" 限定盤は500セットのネックレス、超先行ワンマン・チケット付など 4/19(火) 19時より予約開始)

[Track List]

(DISC-1)
01. Die Young
02. I Don't Get It (feat. J $tash, Loota, Dutch Montana)
03. Business and Art
04. 暗い夜 (feat. Tommy Lee Sparta)
05. Born to Die
06. Needy Hoe (feat. Dutch Montana, Loota)
07. Hate Me

(DISC-2)
01. Dirt Boys II
02. Living Legend II
03. Mind Trippin' II
04. V12 II
05. Tattoo入れたい II
06. ビッチのカバンは重い II
07. Hiroi Sekai II

(DISC-3 [DVD])
1. Die Young[Music Video]
2. Business and Art[Music Video]
3. Dirt Boys II[Music Video]
4. Dirt Tour at F.A.D. Yokohama[Live]
5. Dirt Tour in Jammin' Nagoya[Live]
6. Behind the Scene in Jamaica

※収録内容は予期なく変更の可能性がございます。予めご了承ください。

■オフィシャル・サイト
https://やばいっす.com

■LINE公式アカウント
友達追加→公式アカウント→「@kohh_t20」でID検索

■夏の大型音楽フェス出演
7/22(金) FUJI ROCK FESTIVAL '16

interview with Lust For Youth - ele-king

 何をきいても、きくだけ野暮になるのだ──。リズムボックスの規則正しいビートを無視して、右に左に奇妙に揺れながら、モリッシーを彷彿させるヴォーカリゼーションでオーディエンスを威嚇するハネス・ノーヴィドは、強くひとを惹きつけながらも近寄りがたいような緊張感をみなぎらせている。若く固く純粋で、土足で入ってくるものを許さない。こんなにロマンチックでドリーミーな曲なのに……いや、そうした曲でこそ彼の憮然とした表情と固い動作は美しく、聴くものの胸を打つ。

 4月某日、原宿のアストロホールでは、彼の一挙手一投足が意味を持ち、熱を生み、ひとびとの心を煽っていた。煽るといってもそれは威勢のいい掛け声やメッセージによってではない。そこで歌われていた言葉は、君に会いたいとかそんなような、きわめてささやかな、あるいは内省的なものにすぎない。音はきわめてロマンチックなシンセ・ポップ、生硬なポスト・パンク。
 そしてハネスはといえばリズムにもメロディにも、ホールの空気にすら乗ろうとしない。散漫に客を眺め、どうでもいいことのように歌い、拍を外して動く(踊るというより動き)。それは、自分の外にあるものすべてに向けての威嚇や挑発であるようにも感じられるし、ガーゼにくるまれた、純粋で傷つきやすいものを想像させもする。──わたしたちを強い力で陶酔させ、高揚させ、我を忘れようとさせていたものは、そんな繊細な姿をしていた。

 ロックにこんなふうにひりひりとしたものを聴き取るのは久しぶりだった。素晴らしく攻撃的で、ピュアで、ロマンチック。小器用なリヴァイヴァリストたちではない。ロックが説得力を失う時代を真正面から踏み抜いて、ブリリアントな曲を聴かせてくれる。ラスト・フォー・ユースは本当に特別なバンドだ。年長者が聴けば、なんだ、ニューオーダーやジョイ・ディヴィジョンのミニチュアじゃないかと言うかもしれないが、残念ながらそんなことは知らない。わたしたちが見ているのはそれではなく「これ」なのだ。そして、そこにいた人たちみなが切実に、かけがえのないものとして「これ」を感じていたからこそ、異様なほどの熱が生まれていた。わたしたちはいまここに、2016年にいるのだ。

 ラスト・フォー・ユース。ハネス・ノーヴィドを中心とする3人組。「いいバンドがいる地域」として数年来注目を浴びているコペンハーゲン・シーンの顔ともいえる存在だ。活動を開始した2009年当初はハネスの一人シンセ・プロジェクトともいえるスタートだったが、2014年の前作『インターナショナル』から現体制になっている。自分たちでレーベル活動も行う一方で、彼ら自身のアルバムはイタリアのノイズ・レーベル〈Avant!〉やエクスペリメンタルなサイケ・レーベル〈セイクリッド・ボーンズ〉などからもリリースされており、実際のところ、後者のように2010年代のシーンを賑わせたレーベル経由で世界に広く知られるところとなった。


Lust For Youth
Compassion

Sacred Bones / ホステス

Indie RockSynth Pop

Tower HMV Amazon

 先月、彼らは新作『コンパッション』を携えて来日した。先に述べた様子を思い浮かべていただければおわかりかと思うが、筆者が言葉でたずねるべきことなど本来なにもない。そこには、語らずにすべてを伝えてしまう、ハネス・ノーヴィドという名の心があるばかりだった。ライヴのあとに取材していたら、質問が変わっていたか、あるいは何もしゃべれなかったかもしれない……。

 しかしともかくもお伝えしよう。彼らはわずか30分足らずのインタヴュー中、注意力のない男子中学生のようにずっとふざけていたけれど、それはおたがいへの照れ隠しのようにも見えた。不真面目なのではない。真面目だからこそ言葉を接げないのだ。嬉々としてロックがアーティストの口からプレゼンされねばならない時代は不幸である。ジャケットには点字がならんでいる。


■Lust For Youth / ラスト・フォー・ユース
スウェーデン出身、ハネス・ノーヴィドによるシンセ・ポップ・プロジェクト。2011年にデビュー・アルバム『ソーラー・フレア(Solar Flare)』を発表。2011年に発表した2作め『グローイング・シーズ』はメンバーの脱退がありソロ・プロジェクトとして発表されたが、2014年リリースの前作『インターナショナル』よりマルテ・フィシャーとローク・ラーベクがラインナップに加わっている。自身のレーベルからの他、イタリアのノイズ・レーベル〈Avant!〉や、つづく作品はUSの〈セイクリッド・ボーンズ〉等からもリリースされている。2016年4月にニュー・アルバム『コンパッション』を発表、同月来日公演を行った。

掘り下げて掘り下げて、だんだんポップになっていった(笑)。 (ハネス・ノーヴィド)

ラスト・フォー・ユースは、歌詞が英語であることがほとんどですよね。スウェーデン語で歌わないのはなぜなんですか?

ローク:僕らの中でも2つの母国語があるからね。スウェーデン語とデンマーク語。でも世界から見れば、両方合わせてもごく少数の人数が話している言葉にすぎない。そんな中でより多くの人とコミュニケーションをしたいと思ったら、よりビガーな言葉を使うほうがいいよね。そして、僕らが知っているビガーな言葉といえば英語しかないんだ。

マルテ:英語はデンマークでも小さな頃から学校で教わるからね。

ハネス:音楽的な点からいっても、英語はいちばん通じやすいよね。ポップ・ミュージックの言葉だと思う。

マルテ:前のアルバム(『インターナショナル』2014年)は、イタリア語の曲が入っていたり、スウェーデン語の曲が入ったりもしているから、使ってはいるんだよね。でも歌うことにおいては圧倒的に英語ということになるかな。

なるほど。〈アヴァン・レコーズ(Avant! Records)〉からいくつかリリースがありますね。『サルーティング・ローマ(Saluting Rome)』(2012年)あたりはずいぶんダークで、ノイズやインダストリアル的な要素も強いかと思いますが、そこからくらべて現在はずいぶんポップなかたちになったとも言えるかと思います。そうなったことに何かきっかけや理由はありますか?

ハネス:あの頃も十分ポップだったと思うよ。

ローク:いや、最初につくっていたテープなんて、ただのノイズだったじゃん(笑)。

マルテ:ハネスがひとりでつくっていた頃でしょ? 初めて聴いたとき、「マジで?」って思ったもん。ほんとにこれをポップとして解釈することかできるのかなって。

ははは。とくにハネスさんだと思いますが、そういうノイズ・ミュージックに最初に触れたのは何がきっかけだったんですか?

ハネス:ウルフ・アイズ(Wolf Eyes)から入って、掘り下げていったかな……。10代の頃だから、何がきっかけだったかなんてあまり覚えてないんだけど。で、掘り下げて掘り下げて、だんだんポップになっていった(笑)。

僕にとってシンセ・ポップとか80年代の音楽のイメージは、「パンクのショウの後でかかってた、みんなで踊れる楽しい音楽」なんだ。(ローク・ラーベク)

それがラスト・フォー・ユースのポップの真実なんですね(笑)。一方で、ニュー・オーダーに比較されたりするように、ポスト・パンクだったりシンセ・ポップのような音楽は何が聴きはじめだったんでしょうか。それから、みなさんの国の同世代にとってそれらはポピュラーなものなんですか?

マルテ:いまでこそかからないけど、あの頃はラジオとかでかかっていたよね。ニュー・オーダーとかは。

ローク:僕にとってシンセ・ポップとか80年代の音楽のイメージは、当時僕が好きで通っていたパンクのショウ、それが終わったあとに飲みにいくところでかかってるって感じかな。パンクのショウではみんな暴れたりしていたけど、その後クラブのダンスフロアなんかに行くと、そっちから打ち上げで入ってきた男子がテーブルの上にのぼって、シャツを脱いで騒いだりしていた。そういう、みんなで盛り上がって楽しい時間を過ごしたっていう思い出が、あの手の音楽を聴くとよみがえってくるよ。「パンクのショウの後でかかってた、みんなで踊れる楽しい音楽」なんだ。

そうはいっても、みなさんは80年代当時がリアルタイムではないですよね。たとえばニュー・オーダーならどのアルバムから聴きはじめたんですか?

ローク:僕は映画『ブレイド』(1998年)のサントラとして収録されている“コンフュージョン”のリミックスだね。完全にレイヴの音楽って感じで……ニュー・オーダーの曲ですっていう感じではないけど、ニュー・オーダーの最初の思い出とかインパクトといえばそれなんだ。

マルテ:僕は「ブルー・マンデー」かな。ラジオでよくかかってたよ。

ハネス:僕は「クラフティ(Krafty)」(2005年)かな。その後は『ムーヴメント』に出会うまで気にならなかった。

私もそのアルバムが最初だと思います(『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』2005年)。同世代ですね(笑)。でも、“ブルー・マンデー”がラジオでよくかかってたというのはなんなんでしょうね。さすがにオリジナルが出た当時じゃなさそう。

マルテ:そうだね。僕は32歳だから。

それは生まれたかどうかくらいですね。

実際には仲はいいんだよ。メディアが言うように、みんなオシャレな服を着て、みんなハンサムで、みんな才能があって……なんてことはないし、そうやって十把ひとからげにされるのは違和感があるっていうだけで。

コペンハーゲンのバンドについて、英米のメディアや日本でも話題になったりしたんですが、実際にシーンを呼べるようなつながりとか盛り上がりはあるんですか?

ハネス:僕らとしては、あまり「シーン」という実感はないんだけど、それぞれのバンドに友だち関係っていう結びつきはあると思うよ。

ローク:長くやっているバンドも多いから、そこには自然に友情みたいなものはできてくるかな。

なるほど。でもメディアがそう言っているだけってことでもない?

ローク:まあ、間違いなくコミュニティ的なものはあると思うよ。でも、(お菓子を食べてふざけあいながら)僕らが集まってやることなんてこんなことばっかりで、音楽の話なんてしてないよ(笑)。そんなふうに騒がれる前にとっくに僕たちのコミュニティはできてしまっていたから、いまさらって感じはあったけどね。だから「みんな仲がいいんでしょうね」っていうような質問を受けると、あえて「いや、仲良くないよ」「きらいだよ」って言いたくなっちゃうんだ。
 でも実際には仲はいいんだよ。メディアが言うように、みんなオシャレな服を着て、みんなハンサムで、みんな才能があって……なんてことはないし、そうやって十把ひとからげにされるのは違和感があるっていうだけで。それぞれに個性があるし、みんな音楽以外の興味も大きいから。

マルテ:それにみんなの音楽性もどんどん広がっているから、まとめて語るのはますます無理が出てきているだろうね。

基本的にはパンクとかロックとかって音楽が多いんですか? クラブ・ミュージックみたいなものとは混ざっていない?

ハネス:バンドが多いのは間違いないね。

マルテ:でも、テクノもわりとある気がするな。たしかに僕らのまわりではないけど、でもいろんな音楽があるよ。なんでも。ユニークなことをやっている人も多いし、そういう人たちもゆるやかにつながっているとは言えるんじゃないかな。

ミニマリズムを愛する感覚とか、歴史の古さとか。日本への共感みたいなものはあるよ。(マルテ・フィッシャー)

へえ。たとえばハネスさんはゴーセンバーグご出身かなと思うんですが、ゴーセンバーグは一時期、エレクトロニックなバンドやユニットがいくつも出てきて注目されていましたよね。JJとか、エール・フランスとか、タフ・アライアンスとか。彼らなんかとは交流があるんですか?

ハネス:ゴーセンバーグは以前しばらく住んでいただけなんだけどね。いや、友だちじゃないよ彼らは。じつは僕らのイヴェントに来たいってタフ・アライアンスのメンバーが言ってきたときに、断ってしまった経緯があるんだよね。僕は彼らが好きなんだけど、僕の友だちが、ああいう人たちを呼ぶのは日和ってるみたいなことを言って断ってしまったことがあって。
 じつのところスウェーデンの音楽はそんなにマジメに聴いてないんだ。スウェーデンは昔から、自分たちがいちばんの音楽の国だっていうようなことを外に向けて言ってきた。たしかに90年代にそういうことはあったかもしれないけど、いまはそんなことないと思うし、とにかくスウェーデンの人っていうのは、視線が内側に向いていて、外の音楽に対して無知なんだ。僕はそう思う。

マルテ:でもやっぱり、ポップ・ミュージックは強いよね。アバにはじまってさ……。あと、音楽の学校がすごく充実しているんだよ。デンマークだって、普通の学校に通っていてもけっこう音楽の教育はしっかりしていると思う。

北欧……と一括りにするわけにはいきませんけど、スウェーデンもデンマークも、福祉国家であり、合理的で進歩的な考え方を持つ国というふうなイメージがありますけれども、実際にみなさんもそう感じますか?

ローク:合理的っていうのはどうかなって思うところもあるけど、ほかの2つはそうだね。美意識みたいなところでは、スカンジナビアは日本と共通するところがあるんじゃないかって思うよ。

マルテ:そうだね、ミニマリズムを愛する感覚とかね。あとは歴史の古さとか。日本への共感みたいなものはあるよ。

基本的には音楽で生活できている人が多いよ。ただ、ひとつ言えるのは、音楽でリッチになっているやつはいない(笑)。(ローク)

なるほど、意外なものの造形が似ていたりもしますからね。……でも、若い人が絶望していたりしないんですか?

ハネス:それは世界中、みんなそうだと思うよ。

ははは、それは反論しにくいですね。

ローク:未来ってことを考えると、すごく恐ろしい場所のような気がする。もしかするとすごく楽しいこともいっぱいあるのかもしれないけど、不安の方が大きいよね。

ハネス:だから考えないでおくことにしたほうがいい。

あはは。金言です。でも、みなさんやお友だちは、みんな音楽で食べているんですか? それとも何か別に職業を持ちながら?

ローク:基本的には音楽で生活できている人が多いよ。個人差はあるけど。ただ、ひとつ言えるのは、音楽でリッチになっているやつはいない(笑)。なんとかやっていけてるってだけでね。

ハネス:僕らは例外だけどね。

では、いま聴いている音楽で刺激的だと思うものはどんなものですか?

マルテ:ブリアルとか。

へえ、意外なようで、みなさんにも相通じるようなダークさがあるかもしれませんね。

ローク:僕はコペンの仲間がつくっているのを聴くだけで手一杯だよ。

ハネス:僕も。


Lust For Youth “Sudden Ambitions”


ゴシックは嫌い。(ローク)

なるほど、音をシェアしているんですね。ところでLFYの作品は近年は〈セイクレッド・ボーンズ〉から出てたりしますけど、あのレーベルにはどんな印象を持っていますか? みなさんはカタログの中ではやや異質ですよね。

マルテ:たしかに僕らは異色かもしれないね。でもそれがいいことだとも言える。

ハネス:僕は同じくらいの規模の別のレーベルからのリリースの経験もあるけど、いい感じなんじゃないかな。必ずしも有名レーベルではないけど、おもしろいバンドのものを出してると思う。僕らからデヴィッド・リンチまでね(笑)。あとファーマコンとか。

ファーマコンはいいですよね。〈セイクレッド・ボーンズ〉の中には、特異な形でではありますけど、ゴシックの要素もあると思います。みなさんは自分たちの音楽の中にゴシックを感じることはありますか?

ローク:ゴシックは嫌い。

ハネス:ははは。

ローク:でも時間はかかったけど、僕らの音楽を理解してくれるレーベルが出てきたことはうれしいことだよ。僕も自分でコペンハーゲンでレーベルをやっているわけだし、やろうと思えば自分たちでも出せるけれど、そんな中で出そうと言ってくれる人がいるわけだから、いいことだよね。

そうですね。こうやってお会いしてみると、みなさんずいぶんやんちゃな印象なんですが、曲のなかで歌われていることはわりとどれもラヴ・ソングというか。それがちょっと意外でした。これはわざと意識しているというか、ポップ・ソングは恋愛を歌うものというような考えがあったりするんですか?

ローク:やんちゃはいまだけだよ(笑)。

ハネス:嘘をつくのがうまいというだけじゃないかな。

マルテ:曲の雰囲気にインスパイアされて歌詞を書くことが多いから、それで影響されるのかもしれない。曲自体がそんなムードを持ってるんだよ。

ローク:それがまあ、ゴスが嫌だっていうことにつながるんじゃないかな。もちろんラヴ・ソングを書いている人が恋愛をしているかといえばそうとは限らない。ゴスのひとたちもきっとそうで、彼らがつねにメランコリックでウィザラブルな自分たちを演じていて、それを見て周りの人も同じ気分になってしまうということがあるんだとすれば、僕たちも自分たちの世界を曲で提示して、聴く人たちをそんな気分にさせているということなのかなと思うよ。

点字って、つねづねおもしろいものだなって思ってたんだよ。デザイン的にとっても美しいものなのに、それを読める人には見えなくて、見える人には読めなくて、っていうのがね。(マルテ)

世界といえば、ジャケットの点字のモチーフはどこから?

ローク:まず、もとになる風景はあったよ。ハネスとマルテは同じアパートに住んでいたことがあって、そこが今回のレコーディングの場所でもあるんだけどね。それで、煮詰まってくると海を眺めて──海の色か空の色かちょっと区別がつかないような色をしてたよね──それを眺めて散歩したりしてたんだ。いい気分転換になった。

マルテ:で、点字については、僕がツアー中に飲んでいた薬があるんだけど、それについていた点字がヒントになってるんだ。その海か空かわからない色みたいに、何かがはっきり見えないひとのための字を使うというのは、おもしろいと思って。点字って、つねづねおもしろいものだなって思ってたんだよ。デザイン的にとっても美しいものなのに、それを読める人には見えなくて、見える人には読めなくて、っていうのがね。

それは、音楽も似たようなところがあるかもしれませんね。

マルテ:その通りだね。



Radiohead - ele-king

 これぞ洗練の極地。そう、突如として(それこそ「神」の啓示のように?)、インターネット配信されたレディオヘッド、5年ぶりのニューアルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』のことである。

 ギター、ベース、ドラム、ヴォーカルというロック・バンドの基本フォームをギリギリまで維持しながらも、スティーヴ・ライヒのようなミニマル・ミュージック/現代音楽的な要素、オリヴィエ・メシアン的ともいえる近代・現代の和声感、そして微かなアフリカン・リズムの導入に至るまで、本作に導入された音楽的エレメントはじつに豊穣だ。ジョニー・グリーンウッドのたしかな音楽的な素養と知性の結実。バンドの円熟度の高まり。唯一無二の存在といえるトム・ヨークの声。それらが折り重なることで、この洗練の極みのようなロック・ミュージックが生まれたのだろう。音楽と声、つまり浮遊感に満ちた和声と抽象的でアトモスフィアな旋律の交錯。音楽性はちがえども、ブライアン・イーノとデヴィッド・バーンのアルバム『 マイ・ライフ・イン・ア・ブッシュ・オブ・ゴースト』に匹敵する越境的洗練性がある、とはいい過ぎだろうか。

 ライヒ的なミニマル・ミュージックの弦楽セクションが刺激的な1曲め“バーン・ザ・ウィッチ”も素晴らしいが、アルバムを象徴するトラックといえば、やはり2曲め“デイドリーミング”になるだろう。この曲は聴けばわかるように3拍子であり、いわばザ・ビートルズの“ア・デイ・イン・ザ・ライフ”のジョン・レノン・パートを思わせるブリティッシュ・ロックの伝統的ともいえる曲調である。しかしポイントは一定の感覚で刻まれるパルスのようなベースにある。このベースが4分音符で延々とキープされることで、アクセントの始点と終点によっては、4拍子にも3拍子にも聴こえてしまう構造になっているのだ。その結果、楽曲は極めてミニマルな編成ながら、3拍子と4拍子のポリ構造に「も」なっていくのである。

 さらに注目すべきは、このパルスのようなベースが、微妙に定位を変えていく点である。フラフラと浮遊するようなベースラインの音響が、夢遊するような感覚を与えてくれる。まさにポール・トーマス・アンダーソンが監督するMVで、ひたすら歩くトム・ヨークのように。この楽曲のムードや音楽的構造は、本アルバムのイメージを決定づけているといっていい。

 本作はアルバム全体に、夢を見るような感覚があるのだ。心地よさと不安さが同時に生成するような独自の感覚とでもいうべきか。その感覚の生成において、独特の和声感が一役買っているのはいうまでもない。むろん、そのような響きは、これまでのレディオヘッドのアルバムにも聴かれたものだが、先に書いたように本作ではコード・和声の感覚は異様なまでに洗練されているのだ。まるで甘美な死の匂いさえするほどに。例えば“デイドリーミング”に続く3曲め“デックス・ダーク”のコーラスに耳を傾けてみよう。まるで近代フランス印象派の和声に、ヴェーベルン的な緊張感を、一滴の香水のように落としたかのような響き。

 彼らの弦楽的な音楽性が最高潮に高まるのは6曲め“グラス・アイズ”であろう。ドビュッシーの「海」のように波打つ感覚とトム・ヨークの悲痛にして現実から乖離してしまったような声のレイヤーの見事さ。私は、このアルバムをリゲティが聴いたらどんな感想を持っただろうかと思ってしまった。

 そして、フィル・セルウェイのドラミングが冴える7曲め“アイデンティキット”から、メシアン的なピアノ・フレーズで始まる8曲め“ザ・ナンバーズ”は、ロック・バンドとしての円熟した演奏を聴かせる曲で従来のレディオヘッドのリスナーにも入りやすい曲だが、その乾いた音像の作り方がじつに巧みでもある。プロデューサーであるナイジェル・ゴドリッチの手腕の賜物ともいえる。また、“ザ・ナンバーズ”後半で展開される(彼らにしては)比較的派手なオーケストレーションは、他の静謐な楽曲と見事なコンストラクションを作っている。さらに最終曲“トゥルー・ラヴ・ウェイツ”には誰もが驚くだろう。以前からライヴなどで披露されてきたお馴染みの曲だが、ピアノのミニマルなフレーズを中心にしたシンプルなコード進行の楽曲にリフォームされていたのだから。ピアノ内部のハンマー音まで捉えた録音などは、どこかポスト・クラシカルの旗手ニルス・フラームのピアノ録音を思わせもする。
 
 全11曲、アルバム全体から漂う静謐な官能性は、ただ事ではない。まるで現代人の疎外感や疲労、世界を覆う不穏さに染み込んでくるようにも聴こえるほどである。

 このアルバムをもって、彼ら最高傑作という言い方は十分に可能だろう。だが、同時に、あまりに完成され、洗練され尽くしたアルバムゆえ、まるで「終わりの歌」のように聴こえてしまったことも事実だ。むろん、先のことなど、彼らにしかわからないが……。ともあれいまは、このアルバムを聴くことができた僥倖に浸るべきなのだろう。私たちの生きている世界への、優しさと絶望に満ちたレクイエムのようなロック・ミュージックがここにある。

十六小節 - ele-king

日本語ラップを変革したラッパー、
ジャパニーズ・ヒップホップ界のレジェンド、
TwiGyがはじめて明かす自身の歴史。

1980年代末、日本語ラップの黎明期に颯爽と登場した、当時まだ10代のラッパー、TwiGy(ツイギー)。
じつに多くの著名ラッパーたちにインスピレーションを与えてきたこの天才児は、どのように育ち、どのようにラップを考え、どのような人生を送ってきたのか。
初期のシーンの貴重な写真も多数掲載。
この本を読まずして日本語ラップは語れない。

■目次

第1章
おばあちゃん/テレビっ子/ヒーローは嫌い レコード/環境/神輿の猿/転校生

第2章
BREAKIN’ /1971/HAZU/スクール /進路/BEATKICKS /最初のリリック /認められた瞬間/増えていった現場 初の関西営業

第3章
新たな出会い/クラブGAS /チェック・ユア・マイク/前座/就職 /サーティー・ファイブ/DJコンテスト決勝 /HAZU、ニューヨークへ行く /トゥルー・ボイス/初めての音源 /スティービー・ワンダー / ウォーク・ディス・ウェイ/Audio Sports /LAST ORGY /TWIGY、ニューヨークへ行く /ジャマルスキー/シャオリン・マサ 初ジャメイカ/ニューヨークスタイル

第4章
大輔と/PAGER前夜/居場所 /MICROPHONE PAGER /現場/改正開始 /MASAO/PAGER、ニューヨークに行く /コンちゃんとの出会い /ニューヨーク・ミュージック・セミナー /トミー・ボーイ/アポロシアターで見たビギー ミューズのウータン

第5章
ZEEBRA/PAGERの終焉 /TWIGYの声/言葉をフォント化する /ブラックマンデー/雷の予感 /V.I.P CREW /ジャマルスキーと東京で /SNOOPの横顔/冬の時代/証言 煙にまけ~DJ AMEKENとの出会い/悪名

終章
エピローグ/スペルバウンド/レクチャー /二度目のJAMAICA/ロビーG /その国のマナー/帰国後の違和感 / 鬼哭啾啾/韻/えん突つ/Al-Khadir /DJ AMEKEN /七日間 /サウスHIPHOP/斬れる言葉 AFRIKA BAMBAATAA /SEVEN DIMENSIONS

Oneohtrix Point Never - ele-king

 2015年11月13日。その日は『Garden Of Delete』の発売日だった。フランスの〈Warp〉のレーベル・マネージャーはツイッターで、OPN宛てに「ハッピー・リリース・デイ!」とリプライを送った。その夜、事件は起こった。ポップ・ミュージックのグロテスクな側面を暴くというある種のメタフィクション的な試みは、図らずも凄惨な現実のサウンドトラックとなってしまったのである。
 事件発生後、LAにいたコールドプレイは公演の予定を変更し、「イマジン」を演奏した。また、現場であるバタクランには名もなきピアニストが訪れ、「イマジン」を弾いて帰っていった。1か月後にレピュブリック広場を訪れたマドンナもまた「イマジン」を歌い、当地の人々に寄り添おうとした。猫も杓子も「イマジン」だった。それはあまりにも惨めな光景だった。テロのような出来事を前にして無難に適切に機能してくれる曲が「イマジン」をおいて他にないということ、すなわちいまだ「イマジン」に取って代わる曲が生み出されていないということ、それゆえ皆が同じように「イマジン」を持ち出さざるをえないということ。そこには、人は音楽を通して何かを共有することができるのだ、人は音楽を通してユナイトすることができるのだという、あまりにも不気味なイマジネイションが見え隠れしていた。
 昨年のパリでの出来事のもっとも重要な点のひとつは、ライヴ会場=音楽の「現場」がテロの標的となったということである。たしかに、これまでにもポップ・ミュージックが攻撃されることはあった。けれど、クリミナル・ジャスティス・アクトにしろ風営法にしろ、それらはいつも決まって「体制」側からの「弾圧」だった。カウンター・カルチャーとしての音楽は、そのような「弾圧」に抗い「体制」と闘う人びとと手を取り合うものであった。だが今回は違う。音楽それ自体が「体制」側のものであると見做されたのである。テロリストたちが攻撃したのは、まさに上述したような偽善的なイマジネイションの横溢だったのではないか。そしてそれは、まさにOPNが切り取ってみせようとしたポップ・ミュージックの醜悪な側面のひとつだったのではないか。

 『R Plus Seven』以降のOPNの歩みを、叙情性からの撤退およびポップへの旋回として捉えるならば、『Garden Of Delete』はそれをさらに過激に推し進めたものだと言うことができる。『Garden Of Delete』ではメタルという意匠や音声合成ソフトのチップスピーチが採用され、かつてないダイナミックなエレクトロニック・ミュージックが呈示されていたけれど、それは一言で言ってしまえば「過剰な」音楽だった。そこには、ともにツアーを回ったナイン・インチ・ネイルズからの影響よりもむしろ、アノーニのアルバムで共同作業をおこなったハドソン・モホークからの影響が色濃く反映されていた。
 それともうひとつ『Garden Of Delete』で重要だったのは、メタ的な視点の導入である。ポップ・ミュージックの煌びやかな装いを過激に演出し直してみせることでOPNは、通常は意識されることのないポップ・ミュージックの醜い側面、そしてそれによって引き起こされる不気味なイマジネイションを露わにするのである(おそらくそれは「思春期」的なものでもあるのだろう)。OPNはアラン・ソーカルであり、彼は自作のでたらめさが見破られるかどうかを試しているのだ、とアグラフは言い当てていたけれど、これはいまのOPNのある部分を的確に捉えた指摘だろう。
 過剰さの獲得およびメタ的視点の導入という点において、いまのOPNは、かつてのいわゆる露悪的とされた時期のエイフェックスと極めて似た立ち位置にいるのだと言うこともできる。では彼は、ポップ・ミュージックの醜さや自作のでたらめさを呈示してみせて、一体何をしようとしているのか? OPNの音楽とは一体何なのか?

 今回リイシューされた3作は、彼がそのような過剰さやメタ的視点を取り入れる前の作品である。とくに『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』は彼のキャリアのなかでもかなり初期の音源によって構成されたものであるが、それらの作品からも、後の『Garden Of Delete』にまで通底するOPNの音楽的な問いかけを聴き取ることができる。

 通算5作目となる『Replica』では、彼にとって出世作となった前作『Returnal』で呈示された叙情性が引き継がれつつも、そこに正体不明のノイズや謎めいた音声など、様々な音の素材が縦横無尽にサンプリングされていく。実際には体験したことがないはずなのに、どこかで聞いたことがあるようなマテリアルの埋め込みは、今日インターネットを介して断片的に集積される膨大な量の情報と対応し、聴き手ひとりひとりの生とは別の集合的な生の記憶を呼び覚ます。OPNは、美しいドローンやメランコリーで聴き手がいま生きている「ここ」のリアリティを浮かび上がらせながら、そこに夾雑物を差し挟むことで「ここ」ではないどこか別の場所を喚起させようとする。それによって生み出されるのは、どこか遠くの出来事のようで、いま目の前の出来事のようでもあるという絶妙な距離感だ。それゆえ聴き手は決して彼の音楽に逃避することができない。そのようにOPNは、聴き手がいま立っている場所に揺さぶりをかけるのである(それと『Replica』のもうひとつの特徴は、彼の声への志向性が露わになったことだ。それは後に『R Plus Seven』において大々的に展開され、『Garden Of Delete』にも継承されることになる。先日のジャネット・ジャクソンのカヴァーなどはその志向のひとつの到達点なのではないだろうか)。
 このような「ここ」と「どこか」との境界の撹乱は、ひとつ前の作品である『Returnal』でも聴き取ることができたものだ。『Returnal』においてOPNは、その冒頭で圧倒的な強度のノイズをぶちかましておきながら、それ以降はひたすら叙情的なアンビエントで聴き手の薄汚れた「ここ」を呈示する。要するに、『Returnal』冒頭のノイズが果たしていた役割を、『Replica』では様々な音のサンプリングが果たしているのである。

 『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』の2枚は、かなりリリースの経緯がややこしい。
 OPNは2007年に1作目となる『Betrayed In The Octagon』を、2009年には2作目『Zones Without People』と3作目『Russian Mind』をそれぞれLPでリリースしているが、他にも2008年から2009年にかけてカセットやCD-Rで様々な音源を発表している。それら最初の3枚のアルバムと、散発的に発表されていた音源とをまとめたのが、〈No Fun Productions〉からCD2枚組の形でリリースされた『Rifts』(2009年)である。
 その後4作目『Returnal』(2010年)と5作目『Replica』(2011年)を経て、知名度が高まった頃合いを見計らったのか、2012年にOPNは『Rifts』を自身のレーベルである〈Software〉からリリースし直している。その際、〈No Fun〉盤ではCD2枚組だったものがLP5枚組に編集し直され、LPのそれぞれ1枚がオリジナル・アルバムとして機能するように組み直された(ジャケットも新調されている)。その5枚組LPの1枚目から3枚目には最初の3枚のアルバムが丸ごと収められ、4枚目と5枚目にはカセットなどで発表されていた音源がまとめられている。その際、4枚目と5枚目に新たに与えられたのが『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』というタイトル(とアートワーク)である。因みに後者は〈No Fun〉盤の『Rifts』には収録されていなかった音源で構成されているが、それらはすべてすでに2009年に発表されていた音源である。
 そして翌2013年には、LP5枚組だった『Rifts』から4枚目『Drawn And Quartered』と5枚目『The Fall Into Time』がそれぞれ単独の作品として改めてLPでリリースし直された。今回CD化されたのはその2枚である。なお、LP5枚組だった〈Software〉盤『Rifts』はCD3枚組としてもリリースされているので(『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』のトラックは、各ディスクに分散されて収録されている)、音源自体は今回が初CD化というわけではない。
 とにかく、『Drawn And Quartered』も『The Fall Into Time』も、時系列で言えば、すべて『Returnal』(2010年)より前に発表されていた音源で構成されているということである。

 このようにややこしい経緯を経て届けられた『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』だが、単に入手困難だった音源が広く世に出たということ以外にも注目すべき点がある。それは、それまでばらばらに散らばっていた音源に、曲順という新たなオーダーが与えられたことだ。
 テクノ寄りの『Drawn And Quartered』は、メロディアスな "Lovergirls Precinct" で幕を開け、シンセサイザーが波のように歌う "Ships Without Meaning" や、怪しげな音階の反復する "Terminator Lake" を経て、おそらくはデリック・メイのレーベルを指しているのだと思われるタイトルの "Transmat Memories" で前半を終える。後半は、蝉や鳥の鳴き声を模した電子音が物悲しい主旋律を際立てるノスタルジックな "A Pact Between Strangers" に始まり、16分にも及ぶ長大な "When I Get Back From New York" を経由して、唐突にロウファイなギター・ソングの "I Know It’s Taking Pictures From Another Plane (Inside Your Sun)" で終わる。
 アンビエント寄りの『The Fall Into Time』は、海中を散策するかのような "Blue Drive"で幕を開け、RPGのBGMのような "The Trouble With Being Born" を経て、透明感の美しい "Sand Partina" で前半を終える。後半は、反復するメロディが印象的な "Melancholy Descriptions Of Simple 3D Environments" に始まり、叙情的な "Memory Vague" を経て、一転してきな臭い "KGB Nights" で幕を下ろす。
 この2作に共通しているのは、1曲目から続く流れが最後の曲で裏切られるという構成だ。冒頭から音の中へと没入してきた聴き手は、最後に唐突に違和を突きつけられ、「ここ」ではない「どこか」へと意識を飛ばされる。ここでもOPNは、聴き手の居場所を揺さぶるという罠を仕掛けているのである。

 貧困が深刻化し、差別が蔓延し、テロが頻発し、虐殺が横行する現代。自身の送る過酷な生と自身とは直接的には関係のない世界各地の戦場とが、インターネットを介して直にリンクし合い、同一の強度で迫ってくる時代。そのような時代のアクチュアリティをOPNは、聴き手の立ち位置をかき乱すことで呈示してみせる。近年のOPNはスタイルの上ではアンビエントから離れつつあるけれど、「ここ」と「どこか」との境界を攪乱するという意味で、いまでも彼はアンビエントの生産者であり続けている。あなたがいる場所はどこですか、とそのキャリアの初期から彼は、自身の作品を通して問いかけ続けているのだ。聴き手が、音楽産業が用意したのとは別の仕方で、世界を「イマジン」できるように。

1:個人的な体験 - ele-king

たとえ馴染みがなくても、それに付き合うだけの労力と善意をもち、その眼差しや表情をじっくりと眺め、奇矯な点をも大目に見なければならない。──そうすれば、やがてはわれわれが音楽に慣れてしまう瞬間がやってくる。音楽を期待し、音楽がなくてはいられなくなるだろうと予感する瞬間が。そうなると音楽はさらにとどまることなく威力と魅力を発揮し続け、ついにわれわれはその献身的で心酔した愛人となり、もはやこの世にそれ以上のものを求めず、ひたすら音楽だけを願うようになるのだ。──しかしこれは何も音楽に限った話ではない。いまわれわれが愛しているものすべてについても、ちょうど同じようにして、われわれは愛することを学んだのだ。 ──フリードリヒ・ニーチェ『喜ばしき知恵』

 最初にあの体験をしたのは、いつだっけ、たぶん中学2年の夏休み、昼下がり、歌詞カードを片手に大瀧詠一の『ALONG VACATION』を聴いたときだ。あのときの体験はそれまでとは何かが違っていた。それが明確に言葉になるなら音楽なんて必要なくなってしまうような、絶対的に個人的だけど、たぶん普遍的なあの感覚。あれから音楽に魅せられてしまった。
 中学生くらいまでは、僕の音楽体験は父と共にあった。家のスピーカーや休みの日に通った父の美容室では、ユーミン、大瀧詠一、山下達郎、小野リサ、スタイル・カウンシル、ダイアナ・ロス、なんかが流れていて、いま思えばすごくいい環境だったと思う。小さいころから日々の中に当たり前に音楽があった。
 高校に入ってからは、なんとなく軽音楽部に入ってベースを弾いた。スラップ奏法が好きなこと、ダンス部でブレイクダンスをやっていたことがあいまって、いわゆるブラック・ミュージックに惹かれていった。特にくらったのは、エリス・レジーナだったかもしれない。部活から帰ってぼうっと聴いていると、そのときの家庭環境のやるせなさとかも含めて宇宙のすべてを受け入れることができた。
 それとは別の文脈だったけど、日本語ラップにどっぷりハマっていったのもそのころだ。はじめは特に「さんぴん世代」を絶対視して聞いていた。とにかく好きだった。ライムスターでブレイクダンスを踊って、キングギドラで社会問題を分かった気になっていた。

 少し話はそれるけど、いま思えば、僕が現実の政治問題に関心を持つようになったのは日本語ラップの影響が大きい。周りで日本語ラップを聴いていたやつは一人しかいなかったけど、そいつとの思い出は最高で、第3会議室でのコッチャンと宇多丸みたいに、そいつと俺は右翼と左翼のそれぞれをレプリゼントして、いつも議論をしていた。左翼的だった俺に対して、そいつの家は祝日に日章旗を掲げていた。高校を卒業してから会ったとき、韓国に対するヘイト記事を紹介してきたりして俺は愛想を尽かしたけど、俺が国会前でコールをするようになったころ、ふとそいつのツイッターを覗くと、「国会前にきたけど牛田いないな」ってツイートしていて、とても嬉しくなったのを覚えている。
 高校の卒業と同時期に3.11を経験し、漠然とだけど、深く染み入るように、この社会と政治に不安と怒りを感じるようになった。このころには新譜に手が伸びるようになり、鬼やANARCHYなどをよく聴いた。部落や貧困な地域からリアルなヒップホップが出現していることを知った。想像する限り、想像を絶するような苦難の中でも決して腐敗しない、生きることそのものの初期衝動がそこにあった。

 そのあと、僕が徹底的にのめり込んでしまったのは、PUNPEEとS.L.A.C.K.だった。大学の先輩である、パブリック娘。に誘われて、初めて行ったクラブイベントは「SUISEI IS HIGH」というtofubeatsのアンセム「水星」のリリースパーティで、右も左もわからず、失礼なことにPUNPEEだけを目当てにしていた僕は、「クラブに来るの、初めてなんですけど、これってずっと前の方にいてもいいんですか」とかDJブースの近くいた人に聴いたりして笑われていたら、その周りにtofubeatsさんがいた。顔を認識してなかった僕は、誰か変わらないまま話していて、それを察したtofubeatsさんは「僕はtofubeatsといいます。クラブに来るの初めてなんだ、なんかおごるよ、なにがいい?」と言ってくださって、酒が飲めない僕はカルピスをおごってもらった記憶がある。その後PUNPEEにも「初めてクラブに来たやつ」として紹介されて、その日の夜に「今日初めてクラブに来たという、大学で友達あんまりいなそうなダサいやつを見て感慨深かった」とツイートされたのが懐かしい。

 S.L.A.C.K.は今後の連載で詳細に書きたいと思うけど、今までで一番ハマったアーティストだと思う。それまでの日本語ラップで一番しっくりきたのがS.L.A.C.K.だった。その理由はまた書きたいけど、ひとつは僕が生きているリアルと似ている「現実」を肯定的に謳っていたからだ。「普通の生活して楽しくできればいいと思うんだよ」って、俺も本当にただそう思ってた。くそみたいなこともあるけど、それほど悪くない生活。でも、その普通の生活が少しずつ崩れようとしている。よく考えると、普通が剥がれ出して、この現実がよく見えるようになっただけなのかもしれない。S.L.A.C.K.が5lackになる頃、「適当にいけよ」って、どうでもいいってことじゃなくて、本当の意味で「適当」にやらなきゃいけないってことに気づいた。初めてデモでコールをしたとき、僕は5lackの「気がづけばステージの上」を聞きながらデモのスタート地点に向かったのを覚えてる。「いまもステージの上/始まってるぜ本番/お前のLIFE」。僕は僕の人生というステージに立っている。いつだって、死ぬまでは。なら本気でやんなきゃなと思って行動してきた。

 こんな感じで、僕のこれまでの短い人生は音楽と共にあって、時に音楽に型どられ、音楽から生きるための道標を得てきた。それに長く触れることで、僕は音楽を愛することを学び、同時に、この世界と自己を愛することをも学んだ気がする。今回の連載では、そんな「生き延びるための技藝(アート)」としての日本語ラップについて書いていきたいと思う。よろしくお願いします。

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