「Noton」と一致するもの

Disclosure - ele-king

ハウスの時代 木津 毅

 ときどき、何かを思い出したようにようにブリアルの最初期のシングル"サウス・ロンドン・ボローズ"を聴くことがある。ガラージのビート、重々しいダブ・サウンド。ここから始まったものが変化し、拡散し、いまやダブステップと呼ばれるものがかつてのダブステップと違ってきていることは知っての通りだが......ビート・ミュージックにおけるこの10年の最大の成果であるダブステップの精神のそのすべてが、それでもまだそこにあるように思うのだ。いまだに僕は、その生々しい迫力を簡単に聞き流すことができない。
 その南ロンドンで生まれたローレンス兄弟は兄のガイが91年生まれ、弟のハワードが94年生まれ。"サウス・ロンドン・ボローズ"の時点で14歳と11歳かそこらである。音楽にもっとも敏感に反応する時期をダブステップ全盛のロンドンで育ち、のちにディスクロージャーと名乗る兄弟の目に、ダブステップの変遷はどんな風に映っていたのだろう。ジェイミーXXそしてディスクロージャーら若い世代がいまハウスに向かっているのは、南ロンドンで生まれたかつてのものが、アメリカでEDMとして白人のレイヴ・ミュージックになっているものと世間では同じ名称を与えられていることと無関係ではないだろう。それとこれとは、別のものなんだと。

 エアヘッドのインタヴューに同席して僕がとくに印象的だったのが、ジェイムス・ブレイクと遊びに行ったフランソワ・ケヴォーキアンのDJがすごく良かったというエピソードだった。ポスト・ダブステップ時代のトラックメイカーたちの興味がハウスに向かっていることは理解しているつもりだったが、それにしてもフランソワKとは! 僕にとってフランソワK辺りは上の世代のものというか、キャリアをしっかり積んだ立派なベテラン(要するに大御所)というイメージだったもので、彼らがまったく新しいものを発見するようにそのオーセンティックなハウス・ミュージックに出会っていることが、どうにも羨ましく思えたのだ。
 『セトル』の国内盤のライナーノーツによれば、兄のガイがダブステップの影響元を遡って発見したのがハウスやガラージだったという。それは彼らにとって紛れもない発見であり、そして恐らく、わたしたちがダブステップの黎明期に感じたような興奮を兄弟はそこで覚えたのだろう。まったく自然な成り行きとして、そしてこのデビュー・フル『セトル』は、ハウスとガラージが中心を占めるアルバムとなった。
 アルーナジョージを招聘したシングル「ホワイト・ノイズ」のセクシーなハウスの時点では、あるいははじめて通してアルバムを聴いたときは、すごくよく出来ているクラブ・ミュージック以上の印象を受けなかったのだが、『セトル』の最大の良さは"イントロ"から間髪入れずに"ホウェン・ア・ファイア・スターツ・トゥ・バーン"へと突入するドライヴ感、タイトル通り炎が燃え上がる瞬間を捉えていることだと何度か聴くとわかる。20代前半が作ったとは思えない完成度の高さが世間に大いに驚かれておりそれも事実なのだが、同時に彼らが自分たちが「新たに」発見した音楽を作っている興奮がここにはある。"スティミュレーション"などを聴いていると、ハウス・ミュージックのワイルドさ、ソウル、セクシーさが、とてもプリミティヴな状態で立ち現れているように感じる。というか、ある程度年のいった連中からすればこれは聴き慣れたハウスのコレクションに聞こえるのかもしれない。が、ダブステップで育った世代からすれば、これはクラブ・ミュージックにおけるソウルの復権運動である。
 その意味で、僕にはサム・スミスが歌うシングル"ラッチ"や、ジェイミー・ウーンがハイ・トーン・ヴォイスを聞かせる"ジャニュアリー"辺りがベスト・トラックだ。そのキャッチーなソウル・ヴォーカルそしてバウンシーなビートには歓びと、クラブ・ミュージックをピュアに謳歌する前向きさがある。ようやくクラブに入るIDを手に入れた連中の、弾む足取りがある。「やっと捕まえた君を離しはしない/取り囲まれた君は逃げられない/俺は君を手に入れる」"ラッチ"

文:木津 毅

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いまUKでは、ハウスがお洒落なのだよ 野田 努

 よくできている......なんて書き出しは偉そうでよくない。しかし、はははは、笑うしかない。だってこれはインナー・シティないしは90年代ガラージ・ハウスやんけ~。もしくはUKファンキー/2ステップのリズムをハウスに差し替えただけ。いつだってハウスは魅力的だ。これがいま快楽に走るUKでバカ売れ。つまり......2013年、我が家のコレクションが流行の最先端になってしまった、そういうことなのだ。
 こんなことを口走るとDJヨーグルトは決まってこう言う。「録音が違っているから違っているんです」と。たしかにそうだ。ドンシャリがはっきりしている。第一、新しい世代のやっていることに対してオヤジが知ったかぶりするのはよくない。ハウスはロンドンのライジオでも、街中でも、お洒落なカフェでもかかっているような、若い男女(もしくは男男)が一緒に楽しみを共有しやすい、もう何年も前からポピュラーな音楽といえばそうなのだ。踊りやすいし、来るモノを拒まないわかりやすさがある。元々はアンダーグラウンド・ミュージックだったわけだが、20年かけてこのスタイルが広く浸透し、新しい世代をも魅了するのは充分にうなずける話だ。

 豆知識:インナー・シティは1980年代末にデトロイト・テクノの上昇をメインストリームにおいてセレブレートしたプロジェクトで、"Good Life"や"Big Fun"といったヒット曲は日本では黒服系ディスコでもヒットした。"グッド・ライフ"はつまり"ストリングス・オブ・ライフ"がレイヴ・カルチャー(アンダーグラウンド・シーン)をセレブレートしたことのポップ・フィールド・ヴァージョンとして広まっている。
 僕はインナー・シティが大好きだった。初期の7インチ・シングルにおけるユニークなUKガラージを捨ててハウス・プロジェクトと生まれ変わったディスクロージャーのデビュー・アルバムも抵抗なく聴ける。懐かしいというよりも、また俺の時代かと勘違いしてしまいそうで自分が怖い。ザ・XXもハウスだし、ジェイムス・ブレイクもハウスだし、まさかのスクリームまでも......いまちょっと掘れば、少し前までインディ・ロックないしはダブステップと括られていたもののなかからハウスがうじゃうじゃ出て来そうじゃないか。さすがUK、流行に敏感。さあ、みんなでディスクユニオンの中古コーナーを漁ろう。
 個人的に関心を持っているのは、フットワークやグライムにアプローチするような連中なのだが、その理由は単純、ハウスのレコードをたくさん持っているし、素晴らしいハウスのDJでさんざん踊ってもいる。もういい。無茶もしたし、良い思いもした。アナーキーな経験もした。いまの僕にとっての朝日は始発に乗りながら浴びるそれではない。まだ眠りたいというのに朝の6時になると否応なしに目覚めしてしまい、歯を磨きながら眺める朝日なのだ。
 ハウスとは求愛の音楽であり、セクシャルな音楽であり、セレブレートする音楽である。今日のUKインディ界は何をどうセレブレートしているのだろう。何にせよ、UKのハウス熱が日本でどのように伝播するのか楽しみではある。日本にも良いDJがいるし、ディスクロージャーを好きになったならシカゴやデトロイトやニューヨークで生まれたハウスにも触れて欲しい。"Bring Down The Walls"を聴いて欲しい。UKにも素晴らしいハウスのアルバムがあることを知って欲しい。そして、この音楽がどこで生まれ、どこから来たのか知って欲しい。
 僕はいまでも"Good Life"のデリック・メイのリミックス・ヴァージョンを聴けば気持ちが上がる。フィンガーズ・インクの"Mysteries Of Love"を聴くと身体が反応する。アルーナジョージの歌を聴いて木津毅が上がるならそれで良い。週末はナイトクラビングだ。楽しいぞ、最終的に音楽は(良い意味で)BGM、人との出会いや友だちとのコミュニケーションこそが重要なのだから......と考えていくと、ネットでコミュニケーションしたつもりになっている文化、ないしはポップ・ダンスへのカウンターとしてのクラブ・カルチャーが盛り上がっているということなのだろう。そうか、そういうことか......、え? 本当にそういうことなのか? 
 ディスクロージャーがジャケで素顔を隠しているのは、ハウスの匿名性というこのジャンル特有の、ある種硬派な態度表明である。一応、形だけでもダフト・パンクがそうであるように、間違ってもファットボーイ・スリムみたいに陳腐なポップ・スターとして振る舞わないことが、ハウスを知る者の流儀としてある。顔よりも音楽だ。それを偶像崇拝を捨てきれないロック・メディアはピュアリストという言葉で揶揄したが、ああ、そうだとも俺はピュアリストだと言ったのが20年前のアンドリュー・ウェザオールというDJだった。主役はお前なんかじゃない。音楽であり、we(我々)なのだ。かつてのサラ・チャンピオンのように、この音楽を本気で感じている人の言葉を読みたい。それがあればだが。

文:野田 努

AMBIENT definitive 1958-2013 - ele-king

 好評『TECHNO definitive 1963-2013』に続く、「definitive」シリーズの第二弾、アンビエント・ミュージックのカタログ本、その決定版、お待たせしました。三田格監修の『AMBIENT definitive 1958-2013』、今週末26日(金曜日)に発売です。
 1958年から2013年まで、この55年間に発表されたアンビエント・ミュージックの代表作、隠れ名盤を一挙紹介。2009年にインファスから刊行された『アンビエント・ミュージック』と『裏アンビエント・ミュージック』から332枚を厳選し、新たに407枚を加筆したもので、しかも、『TECHNO definitive』同様に全250ページカラー。700枚以上のアンビエント・ジャケットを眺めているだけでも気持ち良いですし、アンビエントに関しては本当に多くの隠れ名盤があるので、意外に聴いてないものが多く、ゆえに楽しみも残されているとも言えます。まだこんなに聴きたいアルバムがあるのかーと、嬉しくなります。本書は、次に何を買うのか探すときの良いガイドになりますよ!
 初版のみ紙エレキングの最新号同様に電子書籍アクセスキー付きなので、レコード屋さんに行ったときにスマホでチェックしながら買えるという画期的な1冊にもなっています。通勤や通学の電車のなかでアンビエントの膨大なカタログを眺めるのも一興です。
 夏の暑さをアンビエントを聴いて乗り切りましょう......(ざざざざざざざぁーーー、これフィールド・レコーディングした波の音、フェイドアウト......)

 一気に夏になったブライトンで、わたしの週末を支配しているのが、息子の友だちのバースデイ・パーティ・ラッシュである。
 夏のあいだに誕生日を迎える子供たちの親が、学期中にパーティを終わらせようとするので、土曜の朝はこっちのパーティ、午後はあそこのパーティで日曜もまたパーティ。といった按配だ。英国人のパーティ文化は、幼少の頃のバースデイ・パーティではじまる。わたしの周囲でいまいちばんパーティ・アニマルなのは、ゲイの同僚とうちの6歳の息子だ。

 しかし、このパーティにしろ、すべての子供たちが開くわけではない。息子の学校は、富裕区と貧民区とのふたつの教区合併の形で作られたカトリック校であり、公立校にしては子供たちの家庭の階級に幅がある。とはいえ、日曜毎に教会に通っているようなカトリック信者は、裕福な教区の方が絶対的に多いので、ポッシュ派がマジョリティだ。で、趣向を凝らしたパーティを開くのはこの層の方々になるわけだが、ついに不況の波が彼らにも及んでいるのか、クラス全員を招待した大きなパーティというのは今年は稀だ。
 つまり、子供たちが、「君は招かれているのに、僕は招かれていない」という残酷なリアリティを直視しなければならなくなった。で、小学生のパーティ・シーンを見ていて気づくのは、招待者のセレクションには決まったパターンがあるということである。
 ペアレンツたちの階級や肌色、趣味趣向(聴いていそうな音楽とか)により、招かれている子供たちのメンツが違う。社会的にリスペクタブルなミドルクラスの子供たちのパーティには白人の金持ちの子供が中心に招かれているし、ミドルクラスでもちょっとボヘミアンというか、芸術家とか作家とかそういう仕事をしておられる人びとや、鼻にピアスした弁護士なんかの子供のパーティでは、外国人や貧民の子供の割合が増える。ワーキング・クラスの親は大人数のパーティは開かないので、近所に住む同じ階級の子供たちしか招かれておらず、ここもさらにふたつのグループに分かれるのだが、聖ジョージの旗を1年中掲げているようなお宅ではやはり英国人の子供の集まりになるし、なんか若い頃に妙な音楽でも聴いて道を踏み外したのかな、というようなリベラルな貧民の家庭は外国人の子供も招く。この年齢では、まだ親が幅をきかせているので、子供というより親のセレクションになるのである。
 子供たちが自分の人種や親の収入、交際すべき人びとといったソシオエコノミックな自分の家庭のポジショニングをリアルに理解しはじめるのは、こういったソーシャル・イヴェントを通してかもしれない。学校ではみな平等が理念だったとしても、いったん家庭に戻れば、巷は階級だの人種だのといった醜いイシューにまみれている。

 例えば、うちの息子のクラスにTというヴェトナム人の少年がいる。大変に勤勉な彼の両親は、15年前にはロンドンの中華料理屋で働いていたそうだが、今ではお父さんはICTコンサルタント会社の経営者、お母さんは金融街シティの大手会計事務所勤務という、絵に描いたようなソーシャル・クライマーの家庭である。
 うちのような保育士とダンプの運ちゃんの家庭は労働者階級スルー&スルーだし、ソーシャル・クライミングどころか、どちらかと言えば年々下降気味なのだが、わたしが東洋人のせいか、このヴェトナム人のご夫婦は富裕層のわりにはよく話しかけてくる。
 とくに、学芸会か何かでお会いしたときに、うちの連合いが、「うちの子は半分イエローだから、いじめられるときが必ず来る。そのときに自分の身を防御できるよう、日本のマーシャル・アートを習わせている」と言ったときは、ご夫婦で真剣に聞き入っておられ、いまではTもうちの息子と同じ道場に通っている。
 そんな風だから、やはりレイシズム問題には敏感でいらっしゃるのだろうが、このご夫婦が先週末、Tのバースデイ・パーティを開いた。久しぶりに、クラス全員が招待されたビッグな催しだ。普通は欠席する子が何人かいるのが当たり前なのだが、この日は全員勢ぞろいのようだった。息子を迎えに行くと、ちょうど記念撮影をしているところだったのだが、ふと、ひとりだけ不在の少年がいることに気づいた。
 
 「なんでRは来てなかったの? 具合でも悪かったの?」
 帰り道で聞くと、息子は黙っている。
 「ロンドンの叔母さんとこにでも行ったのかな?」
 息子は俯いたまま、ぼっそりと言った。
 「Rは招待されなかったんだ」
 「えっ。でも、クラスの子、全員いたじゃん」
 「Rだけ、招待されなかった」
 「そんな筈ないよー。招待されたけど、来れなかったんでしょ」
 「......Rの引き出しにだけ招待状が入ってなかったんだ。僕、Rと仲いいから、Tに訊いたんだよ。『入れ忘れたんじゃない?』って。そしたら、Tは急にもじもじして、『お母さんが決めたことだから』って」

 そういう発想はしたくない。
 そういう思考回路を持つわたしこそが、レイシストなのかもしれない。
 が、最初に思ったのは、Rはクラスで唯一のブラックだということだった。
 で、学芸会だ、サマー・フェアだ、と学校での催し物がある度に、ヴェトナム人のTの両親が、アフロカリビアンであるRの両親をあからさまにシカトしているのではないかと思える場面があったということである。
 「Rは、なぜか外国人の子のパーティには招待されないんだよね」
と息子は言った。
 「Tもそうだし、ポーランド人のMも。メキシコ人のVもそうだった。外国人って、Rが嫌いなの?」
 と言われたときには、返す言葉を失った。
 昔、無職者が集まる慈善施設で働いていた頃は、さまざまな肌色をした底辺外国人の「対イングリッシュ」みたいな団結力が強固で、それはそれでホスタイル過ぎて鬱陶しくなることもあったが、ちょっと階級を昇ったりすると、外国人こそが最も積極的に外国人を排他する人びとになるというのは、あまりにリアルでサッドだ。
 「そんなことないよ。母ちゃんは外国人だけど、Rと彼のファミリーが大好きだ。Rの父ちゃんはユース・ワーカーだし、母ちゃんはソーシャル・ワーカーだ。アフリカから来て、この国の子供たちをサポートしている彼らは、本当に素晴らしい仕事をしている」
 とわたしは言ったが、Rの親友である息子は黙って下を向いていた。

 Tのパーティがあった週末明けの月曜日、いつものように息子を学校まで送って行くと、学校の正面玄関にたむろしている親たちは、みな口々にTのパーティを誉めそやし、Tの母親にサンクスを言っていた。
 それらの親たちと目を合わさないように、Rの父親は、ひっそりとRを玄関の脇に残して去って行く。クラス全員が招かれているのに、ひとりだけ招かれなかったという子供の気持ちも悲しいが、親の気持ちも辛い。と思った。
 Rの父親と目が合ったので手を振ると、何とも居心地の悪そうな、こちらが胸苦しくなるような笑顔で親指を突き上げて見せる。
 どうして人間というものは、こんなに残酷でアホくさいことができるのだろう。
 階級を昇って行くことが、上層の人びとの悪癖を模倣することであれば、それは高みではなく、低みに向かって昇って行くことだ。
 エリート・ホワイトの輪に入るために、自ら進んで有色人を排他する有色人。移民の多い国のレイシズムは、巨大な食物連鎖のようだ。フード・チェインではなく、ヘイト・チェイン。そのチェインに子供たちを組み入れるのは、大人たちだ。

 ぴかぴかの黒い革靴を履いた白い子供たちに囲まれて、同じような靴を履いたヴェトナム人の少年が楽しそうに談笑しながら廊下を歩いて行く。
 Asdaの安い靴を履いたRは、少年たちの群れからわざと遅れるようにして、とぼとぼとひとりで歩いていた。Rと同じAsda靴を履いたうちの息子が、Rに追いついて、ぽんと肩を叩く。その背後から、鼻ピアスの社会派弁護士の息子がふたりのあいだに割って入る。この子は生粋のイングリッシュでぴかぴかの革靴を履いているが、野蛮にもRに頭突きをかまし、「ワッツ・アップ・メーン」などと言ってげらげら笑っている。
 晴れやかに教室の中に消えて行く大グループと、遅れて歩く小グループの少年たち。
 イングランドの未来をつくるのは、この子たちだ。

              ********

 君たちの道程にサクセスあれ
 君たちの道程にサクセスあれ

 俺は間違っているかもしれない 俺は正しいかもしれない
 俺はブラックかもしれない 俺はホワイトかもしれない
 俺は正しいかもしれない 俺は間違っているかもしれない
 俺はホワイトかもしれない 俺はブラックかもしれない

 そういえば最近、フィンズベリー・パークでそう熱唱していたおっさんがいたな。と思う。
 RISE。という言葉には、出世、昇進のほか、怒り、蜂起の意味もある。

Factory Floor - ele-king

 UKのインディ・ロック界は、すっかりハウスに染まっている。ジェイムス・ブレイクの今回のライヴの後半が、完璧にハウスだったそうで、観に行った人たちは気持ち良く踊って帰ってきたというから、僕がリキッドルームで観たときの彼らとはもう方向性が違っているのだ。エアヘッドが取材で言っていたように、彼らは本気でハウスに向かっている。ザ・XXのライヴもハウスに染まっていると聞くし、UKでバカ売れしているディスクロージャーのアルバムがハウスである。EDMと一緒にされたくないという思いからだろう、ダフト・パンクがディスコ・クラシックを再現したアルバムは日本でも売れているが、インディ・ロックのハウス現象の顕在化にも、ダンス・ミュージックってものには品性が必要なのだと言っているようだ。最近、90年代のディープ・ハウスものの再発もやたら多いし......。
 ところで、ダフト・パンクにアルバムで喋らされたジョルジオ・モロダーの、メトロノーミックで、くらくらする16シーケンスが、ポストパンクに影響を与えたという話は有名だ。そして現代では、冷酷なインダストリアル・サウンドにモロダーを落とし込んでいるのがロンドンの3人組、ファクトリー・フロアというわけである。ハウスでもディスコでもない。これはディスコ・パンクである。
 かねてから「こいつら格好いい」と評判だったファクトリー・フロアだが、レーベルも〈DFA〉にがっつり移籍して、満を持してのアルバムが9月11日にリリースされる。これが前評判に偽りなく、本気で格好いい。とりあえず、今年の春にリリースされた先行シングル「Fall Back」のPVをご覧あれ。アルバムの内容はまさにこんな感じ。

Smith Westerns - ele-king

 それにしてもスミス・ウェスタンズはいつまで夢を見つづけるつもりなのだろう?
 ガールズは2枚のアルバムを僕らに残して解散してしまったし、ザ・ドラムスの鳴らした夏も過ぎ去ったように見える。海辺で昔の音楽と戯れていたザ・モーニング・ベンダースもポップ・エトセトラになって海からは遠く離れた場所に行ってしまった。もうあの青春はゆっくりと終わったと思っていた。

 でもスミス・ウェスタンズはまだ青春を鳴らしつづけていた。いまも変わらぬ純度でもって。
 おそらく彼らは大人になろうとはしていないないし、まったく現実なんてみるつもりもない。彼らの音楽からは「いま」が見えない。新しく公開された"アイドル"のヴィデオを見ればわかる。あたかもそれが地つづきのリアルであるかのように飄々としている。

 しかし改めて言うまでもなく彼らの音楽は本当に輝いている。これだけいろんなものに溢れた世界だからこそ、それははっきりと浮き彫りになる。本当に好きなものだけを純粋に追っている。ちっともふざけてないし、真剣である。ザ・モーニング・ベンダースのようなフットワークの軽さも感じない。正真正銘のルーザーだ。
 初めて"ウィークエンド"のミュージック・ヴィデオを観たときには、それがすぐに特別なものだとわかった。あまりにも完璧な曲だった。
 今作でもその輝きはまったく色褪せることなく、10曲40分で異常なまでのポップスへのこだわりを全編にわたって響かせて終わる。そこには現実の入り込むわずかな隙間さえない。しかし突き抜けすぎたスミス・ウェスタンズの音楽は、その反対側にやるせない現実があることを逆に僕らに告げるようでもある。
 "3AM・スピリチュアル"は新たな名曲だ。中盤では甘ったるい泣きのギター・ソロが炸裂する。彼らがいつの時代に対する憧憬を鳴らしているのかが窺い知れるようだ。4曲めの"XXIII"は、鍵盤の音ではじまりメランコリックに曲が展開されて、再び鍵盤の音で終わるインスト・ナンバー。曲名はローマ数字で「23」。これが彼らの年齢を示しているのだとすれば、そこにあった溢れんばかりの若さだけを手に「オール・ダイ・ヤング」と歌っていた前作との違いは大きい。
 クロージング・トラックの"ヴァーシティ"で切なさは頂点に達する。
 僕らがスミス・ウェスタンズと夢を見ていられるのもそう長くはないかもしれない。そんなことを思ってしまった。いつかは終わりが来る。

 ちなみに今作のアナログ盤には同じ内容のCDが付いている、もしあなたがレコードを買ったなら、CDを誰か特別な人や友だちにあげてみてほしい。他の誰かとこの音楽から得る輝きを共有できれば、それは素敵なことだ。もちろん部屋でひとりきりで聴くことはもっともっと素敵なことであるけれども。

 すべての大人になりたくない人たちのための音楽。『ソフト・ウィル』はそんなあなたのものだ。せめて、レコードの両面を聴き終わるまでは夢を見つづけさせて。それは僕の、そしてあなたの切なる願いでもある。

ele-king vol.10  - ele-king

〈u-25新世代特集〉
〈インタヴュー〉福田哲丸(快速東京)、下津光史(踊ってばかりの国)
ジェイク・バグ、THE OTOGIBANASHI'S     他
※電子書籍版へのアクセスキーがついています

Baiana System - ele-king

 ブラジル北東部バイーアのグループ:バイアーナ・システムのファースト・アルバム。彼の地の音楽のファンはもちろん、ロック・ギター好き、(本作のトラックの重要な基礎を成している)レゲエやエレクトロ=ダブの愛好家、プログラミング・ビート、ラップ/トースティング、あるいはバイーアの音楽に色濃い影響を及ぼしているアフリカ音楽に興味を持つ人や、単純にパーカッション好きの人など、様々な種類の耳にとって聴きどころ山盛りで、かつ他ではなかなか味わえない音楽体験ができる1枚だ。

 このグループの音楽性をひとことで説明するなら、バイーアのカーニヴァル・ミュージックのスタイルである〈トリオ・エレトリコ〉を、ライヴ・プレイによって、上述したような様々な音楽要素が渾然とするクラブ・サウンド方面にアップデイトするもの、ということになるだろう。〈トリオ・エレトリコ〉とは、トラックの上にバンドとサウンドシステムを乗せ、演奏を轟かせながらパレイドするカーニヴァル用の"エレクトリファイ"されたバンド形態のことで、その最大の特色が、このバイアーナ・システム・サウンドの要でもある小型エレキ・ギターの〈ギターハ・バイアーナ〉だ。
 この楽器は、その昔ドドーとオズマールという二人組がカーニヴァル用に弦楽器の音を増幅させるために"電化"しようとし、マンドリンをモデルに考案したものだ(サウンドカー上の限られたスペイスで演奏する際の便宜上、小型な楽器を理想としたのではないか?)。そのせいで〈ギターハ・バイアーナ〉は通常のギターよりネックが短い分、音が高く、マンドリン式に調律されるのが特徴だ。

 さらに興味深いことに、その試作品は1940年代の末に作られ、実用化するのは50年代に入ってからなのだが、つまりこの〈トリオ・エレトリコ〉は、ロックン・ロールの時代以前にアンプリファイされたエレキ・ギターを大音量で鳴らしていたのだ。その〈トリオ・エレトリコ〉の様式が時代とともに進化していくなかで、〈ギターハ・バイアーナ〉も進化を遂げ、開発者オズマールの息子が、低音弦を1本足した5本弦ヴァージョンを考案、音のレンジに厚味を持たせた。本作のジャケットは、その5弦のモダンなバイーア式エレキ・ギターとサウンド・システム(そこにはジャマイカ流の"クラブ様式"としてのそれも含意されている)を図案化したものだ。

 様々な音楽の要素を飲み込んでいる(シタールが使われている曲もある)彼らの楽曲に首尾一貫したものを感じ取れるのは、それが曲調にかかわらず、基本的にそのギター・サウンドを芯にして組み立てられているからだ。その〈ギターハ・バイアーナ〉奏者としてバンドの中心にいるホベルチーニョ・バレットは、バイーアのラジオでアフリカ音楽の番組も手掛けているアフリカ音楽通で、とくにザイール(現コンゴ民主共和国)発祥のスクス(リンガラ・ポップ)やルンバ・コンゴレーズ特有の連綿と繋がる繊細できらびやかなギター・プレイの響きを、カーニヴァル・ダンス・ビートの"フレーヴォ"や、あるいは伝統的な"ショーロ"のなかに、それらの源流として強調させている。同時に、その円環状に延々と繋がっていくギター・プレイと、きょうびのループ・シーケンサー製の電子的サウンドとの音感的な類似点を意識してもいるだろう。

 プログラミングされたビートと〈ギターハ・バイアーナ〉のプレイの絡み方のヴァリエイションがこのバンド・サウンドの骨組みを形成し、そこを重くウネる弦ベイスが下支えする。さらにはプラスティック・ヘッドを張った、ソリッドで少々メタリックな高音域の倍音が特徴的な、バイーア・サウンドに欠かせないパーカション:チンバウ(timbau)の音色がエレクトリック・ビートにフィットし、このクラブ・サウンドと生バンド・サウンドとの絶妙な折衷感に寄与している。(ちなみに、バイーア出身の人気パーカッション奏者カルリーニョス・ブラウンがこのチンバウを全面に出したストリート・パーカッション集団チンバラーダ(Timbalada)を結成し、プロデュースして注目を集めたことが知られているが、ホベルチーニョ・バレットは長らくその一員だった。)

 新世代の音楽がクラブ・サウンドとの親和性を高める方向に向かうのは、ご存知のように、ブラジル音楽もご多分に漏れない。一方で、いつの時代もすべての老若男女に開かれているカーニヴァルの文化は、それ自体に、伝統を守り次代へ伝える宿命がある。バイアーナ・システムの、音楽的視野を広げながらの、この伝統と革新のバランスの取り方には、聴き返すごとに瞠目している。アルバムの最後には10曲目"Frevofoguete(フレーヴォの宇宙船)"のブギーニャ・ダブ(ブラジルのダブ・マスター)によるダブ・ミックスが収められているが、これなんかはその最たる例だろう。カーニヴァル・ビート:"フレーヴォ"の未来型を思わせる曲を、さらにダブ処理したものだが、若者はおろか、カーニヴァルに軽く半世紀以上通っている人たちも、ビートとギターをむき出しにするこのラディカルさを前にして、即座に、目尻を緩めて腰を揺らすだろう。そんな風に、世代を越えて同じ"高揚"を共有できるなら本当に素晴らしいことだ。


「Frevofoguete(フレーヴォの宇宙船)」ダブ・ミックス

Jah Jah Revolta

FREEDOMMUNE<ZERO>2013 - ele-king

 今週末のフリードミューン、もはや宇川直宏のアート作品とも呼べそうな「あり得ない」ブッキングについていまここで何を言っても野暮というもの。詳しくは、ココをチェック→(https://www.dommune.com/freedommunezero2013/
 さて、たいへん名誉なことに、昨年に引き続き不肖「ele-king TV」(野田努、三田格、松村正人)も、司会:五所純子とともに、この歴史的イベントの16:00からの開会宣言に出席します。ハードコアな参加者および日帰り参加を予定している方、是非とも冷やかしついでに見に来て下さい。まだタイムテーブルは発表していないようですが、早い時間からビッグ・アーティストのライヴもあるようだし、夕方から翌朝まで目が離せないです。直に発表されるでしょうが、トークのほうもすごいブッキングですよ。ちなみに明け方のトークは、坂口恭平、磯部涼、九龍ジョーだそうで、これはいまからご苦労様としか言いようがない......。














踊ってばかりの国 - ele-king

今週の木曜日、7月11日は、代官山ユニットへ行こう。踊ってばかりの国、新ベーシストの通称シド・ヴィシャス加入後の、公式では最初のワンマン・ライヴだ。会場に行って、歴史的なライヴを目撃したことを友だちに自慢しよう。日本にもストーン・ローゼズに負けないくらい最高のチンピラ・バンドがいるってことを知ろう。名曲「踊ってはいけない」で踊ろう。自慢の新曲「東京」がどれほどのものかしっかり聴こう。下津光史を大笑いしてあげよう。ステージでビールを飲ませるな。会場内で、ele-kingも物販やります! たのむから買ってください。

https://odottebakarinokuni.com

代官山Unit
OPEN : 18:30
START : 19:30
CHARGE : ADV 2,500yen (ドリンク代別)

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