「IO」と一致するもの

Prefuse73 - ele-king

すべては“響き”のなかに 矢野利裕

 ギレルモ=スコット・ヘレンという音楽家は、僕にとってあまりにも底知れない。アキレスと亀の関係のように、その姿を捉えたかと思うとすでに先に行っている。プレフューズ73『ヴォーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス(Vocal Studies And Uprock Narratives)』のときから、それはそうだった。プレフューズ73を一躍「ヴォーカル・チョップの人」にしてしまったその作品は、〈ワープ〉レーベルでさえもしっかりと認識していなかった当時の僕からすれば、DJプレミア的チョップ&フリップの鮮烈な応用として映った。しかし、佐々木敦による国内盤解説を読むと、それはむしろ、ポスト・ロックやエレクトロニカ、並びにフリー・ジャズの文脈から出てきたものらしかった。こんなにもゆたかな音楽性をもつプレフューズ73はしかし、その手法の見事さゆえに「ヴォーカル・チョップ」という印象とともに語られ、多くの模倣者とフォロワーを生んだ。その水脈は、現在のメジャー感のあるEDM~ダブステップにまで流れている。「ヴォーカル・チョップを期待してるリスナーのために、最初の曲で派手にやりまくっておいて、そこから新しい世界へと繋げていったんだ」とヘレン自身が語るように、ヴォーカル・チョップへの葛藤は『ワン・ワード・エクスティングイッシャー(One Word Extinguisher)』ですでに示され、その後、いわゆる「ヴォーカル・チョップの人」としてのプレフューズ73は、息をひそめていくことになる。
 プレフューズ73の4年ぶりの新作は、『リヴィントン・ノン・リオ+フォーシス・ガーデンズ・アンド・エヴリー・カラー・オブ・ダークネス(Rivinton Não Rio + Forsyth Gardens and Every Color of Darkness)』として2CDにまとめられた。前作『ジ・オンリー・シー・チャプターズ(The Only She Chapters)』に比べてビートに対する関心は高く、ヴォーカル・チョップまで披露されている。人によっては、往年のプレフューズ73の帰還と見るかもしれない。コンセプチュアルで静謐な『ジ・オンリー・シー・チャプター』から考えれば、そのとおりだろう。しかし、ビート・ミュージックかそうでないかは、たいした問題ではないのだと思う。いや、僕も今作で聴ける繊細なビートにじゅうぶん酔いしれているのだけど、そんな繊細なビートも含め、サウンド全体の響きに耳が行く。それは、『ヴォーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』の頃よりさらに深化させられている。状況論的に言えば、現在のEDM~ダブステップが捨ててしまった細やかな響きこそを追求しているかのようである。ヘレン自身、「同じような音楽を作っている連中が増えたのも事実だ。スクリレックスが悪いとは言わない。けど皆が彼の真似をはじめて、それまでのエレクトロニック・ミュージックが否定されたような気がしてしまった」とも語っている。プレフューズ73にとって、ヴォーカル・チョップは目的化されるものではない。新しいサウンドの響きを獲得するための一手段だ。波形処理によって微分化されたサウンドを緻密に再配置して、繊細な手つきでエフェクトをかけて、未知なる音響を獲得すること。プレフューズ73の音楽は、そういう試みとしてあり続けている。ヴォーカル・チョップという手法はそのヴァリエーションのひとつだ。この音響へのこだわりという点はもちろん、サヴァス&サヴァラス他の変名ユニットに通じている。電子化されているか/いないかは、方法論的な違いに過ぎない。

 今作で言えば――キリがないのだが――まず、ロブ・クロウをフィーチャーした“クワイエット・ワン”とサム・デューをフィーチャーした“インファード”という、ヴォーカル入りの2曲が特筆されるべきである。アコースティック・ギターのサンプルを刻んで変則的に再配置する“クワイエット・ワン”は、シカゴ音響派的なアプローチのトラックと言え、そこでは美しいアコースティックの響きに強いビートが加わっている。優しいヴォーカルと美しいギターに、アントニオ・ロウレイロ的なミナス感を覚える人もいるだろう。ヘレンはかつて、サヴァス&サヴァラスでミルトン・ナシメントの曲をカヴァーしたこともあったが、このような、ミナス的なアコースティックへの志向は、ヘレンの音楽に確実に脈打っているものである。だとすれば、“クワイエット・ワン”の次曲“スルー・ア・リット・アンド・ダークンド・パス・パート1&2(Through a Lit and Darkened Path Pts. 1 & 2)”における、弦楽器の突然の挿入も、音響への関心が室内楽的なものへ向かっていく過程として聴くことができる。この曲の中盤からの展開は、ドラマティックでとても素晴らしい。一方、“インファード”は、サム・デューのヴォーカルに対して幾重にもコーラスが重ねられており、その点、ディ・アンジェロやホセ・ジェームスの音楽を彷彿とさせる。この特徴的な多重コーラスは、ヴォーカルの存在感を高めると同時に、曲全体のリヴァーヴがかった空間の演出に奉仕している。ヴォーカル自体が他のサウンドとともに、繊細な響きの一部となっているのだ。ビートが強くなり、さらにリヴァーヴが深くなっていく同曲のリミックス(ディスク2収録)も必聴だ。
このように、『リヴィントン・ノン・リオ+フォーシス・ガーデンズ・アンド・エヴリー・カラー・オブ・ダークネス』に対しては、それが一定の事実であるにせよ、プレフューズ73のビート・ミュージックへの帰還という物語を読み込み過ぎないほうがいいと思う。複雑なビートは、全体の響きを追求するなかで構成されている。ギレルモ=スコット・ヘレンという音楽家は、その意味で驚くほど一貫しているのだ。したがって見るべきは、トラック全体でどのような響きが獲得されているか、である。ビートもヴォーカルもラップも、トラック全体の響きのなかで捉えるべきである(“140・ジャブズ・インタールード”」で披露されるバスドライヴァーの早口ラップが、どんだけ音響的な気持ちよさを獲得していることか!)。今作は、リズム、メロディー、ハーモニー、ヴォーカル、ラップ……あらゆる要素が一体となって、唯一無二の世界を聴かせてくれる。プレフューズ73の底知れなさは、一部の要素を取り出すことができないからかもしれない。エフェクトがかったサンプルと変拍子的なリズム、あるいは多重コーラスなどが、結果として、あのアコースティックで繊細な音楽をかたどっているのだ。

 ところで、まぎれもない打ち込みの音楽であるプレフューズ73の音楽に対して、「アコースティックな響き」と言うのは抵抗がないこともない。しかし、そこにある種の繊細な響きがあることは、やはりたしかだろう。ポスト・ロック/エレクトロニカからフォークやブラジル音楽、あるいは一部のジャズ(それこそ、スティーヴ・チベットとか)などに抱え込まれているような繊細さ、とでも言おうか。ポスト・ロック以降に幅広く共有されることになるが、必ずしもポスト・ロックに中心化されるわけではない、あの繊細でポリフォニックな響き。そしてこの、確実に共有されているが明確にされているわけではないサウンドのありかたが、現在、さまざまなミュージシャンに追求されている気がする。ロウレイロ、ホセ、ディ・アンジェロの名前を出したが、ジャンル問わずさまざまなミュージシャンが、繊細かつポリフォニックなサウンドを表現しようとしているのが、現在の音楽シーンの一潮流ではないか。ジャズとエレクトロニカ、オルタナティヴ・ロックなどを越境するピアニスト、ティグラン・ハマシアンは、自身の曲のリミックスにプレフューズ73を起用していた(『ザ・ポエット・EP』)。4年ぶりの新作と言われるが、『リヴィントン・ノン・リオ+フォーシス・ガーデンズ・アンド・エヴリー・カラー・オブ・ダークネス』が、プレフューズ73の、そういう活動を経ての作品であることを忘れてはいけない。そのような世界的かつ現代的な視野のなかで、今作は聴かれるべきだろう。ギレルモ=スコット・ヘレンという音楽家の、ゆたかな音楽性を、少しでもつかまえるために。

文:矢野利裕

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プレフューズ73の「復活」、エレクトロニカ15年の問題デンシノオト

 プレフューズ73の「復活」の報を受け、その新作をあれこれ予想しているとき、ふと思ったのだが、いまの20代から30代頭くらいの世代はプレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンのことをどう思っているのだろうか。場合によっては彼のことを知らない方も多いのではないか。これはネット上での「復活」の反応をみても実感できることであった。

 考えてみればプレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンのデビューは2000年、ファースト・アルバムのリリースは2001年である。なんと、もう14~5年も前の出来事だ。現在30歳が当時15歳。もしくは現在の25歳が10歳。むろん10歳でもプレフューズを知っている人もいたであろうが、その歳でプレフューズの衝撃を味わえる人も限られるだろう。

 むろんギレルモ・スコット・ヘレンは、その後も〈ワープ〉から継続的にアルバム・リリースしてきたし、サヴァス&サヴァラス、ピアノ・オーヴァーロードなどの複数の名義を駆使しつつ多彩な活動を繰り拡げてきたことも事実で、いわば2000年代のエレクトロニック・ミュージックのスターであったわけだから、そこから新しいリスナー(ファン)がたくさん生まれきたことだろう。しかしそれですらも2000年代中盤のことであって、現在からすれば7年から10年前の出来事なのだ。

 さらにプレフューズ73名義の沈黙前のアルバム『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』は2011年リリースであるが、これすらも4年前のこと。しかも、そのときプレフューズ73のシーン(しかし、とは何か?)での存在感は随分と変わってきたようにも思えた。端的にいえばかつてほど影響力はなかった。これでは知らない人もいて当然だ。10年~15年前という時期はいちばん空白になりやすいものである。そこで、まずは彼の経歴をざっくりと話しておこう。

 2000年代初頭、いわばエレクトロニカ全盛期の時代。それはいわば「9.11前後」の世界でもあるのだが、しかしエレクトロニカは、テクノロジーの急速の発展と普及(ハードディスクとコンピューターの高性能化)の恩恵を受けるかのように、小春日和の季節の只中にあった。そんな時期、マイクロ/エディットによるビート&サウンドによって、彗星のように(本当にそうだった)シーンに登場したアーティストが、プレフューズ73ことギルモア・スコット・ヘレンである。彼は2000年代における「新しい音楽」のホープですらあった。なぜならエレクトロニカ的手法とビート・ミュージックに結びつけたからだ。私がロック雑誌の編集者なら「革命、きたる!」というコピーで特集を組んでもいいほどだ(冗談です)。しかしこれは誇張ではない。彼は、90年代の〈モ・ワックス〉などが牽引したアブストラクト・ヒップホップと、2000年代以降のフライング・ロータスなどを繋ぐ巨大なミッシングリングなのだ。

 じじつ、スコット・ヘレンは、2001年に老舗〈ワープ〉からリリースされたファースト・アルバム『ヴォーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』によって音楽に革命を起こした。マイクロ・エディットによるヴォイスとビートのエディットはこのアルバムから生まれたといっても過言ではない(本当はプレフューズだけの「功績」ではないのだが、その影響力の大きさは勲章ものだ)。いわば90年代的なレコード・サンプリングから00年代的なPCのハードディスク内でのマイクロ・エディットの手法へ。たとえるならグラフィック・デザインが、版下の手作業からDTPに変化したような革新・革命・進化であった。

 しかし、である。ヴォーカル・チョップと呼ばれる、あのヴォーカルやヴォイスを細かく切り刻み、グリッチなリズムを生み出すその手法は、あまりに衝撃的であったゆえに多くのフォロワーを生みだしてしまった。そのうえ技法のみが語られる状況も生んでしまった。たしかに、あまりに安易で表面的な作品や言説が多かったことも事実だ。スコット・ヘレンは、その状況に心底ウンザリしたのであろう、ヴォーカル・チョップを封印してしまう。また、自らの名声をはぐらかすように、サヴァス&サヴァラスやピアノ・オーヴァーロードなど複数の名義をコントロールするかのように駆使し、2000年代を駆け抜けきた。

 そして本体プレフューズの作風も変化を遂げていく。前作のカラーを引き継ぐセカンド・アルバム『 ワン・ワード・エクスティングイッシャー』(2003)を経て、ウータン・クランのメンバーも参加した2005年の『サラウンデッド・バイ・サイレンス』以降、いわば〈ワープ〉後期のプレフューズ・サウンドは、ヴォーカル・チョップを封印した結果、音楽性は拡張の一途をたどっていくのだ。たとえば、彼の心情を反映したかのようなヘビーなビート・トラックを凝縮した『セキュリティ・スクリーニング』(2005)、生演奏を導入したサイケデリック絵巻『プレパレイションズ』(2007)、あえてアナログ・テープに落としたという『エヴリシング・シー・タッチド・ターンド・アンペキシアン』(2009)などのアルバムは、その作品ごとの方法論の「変化と拡張」がもたらす巨大さゆえに、われわれを失語症へと追い込んでしまう。
 その「拡張と失語」の方法論と完成形がもっとも極まった作品こそ、〈ワープ〉から最後のプレフューズ73名義のアルバムとなった2011年『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』だ。ビートもエディットもヴォーカルもサウンドもすべてがサイケデリックなサウンドの万華鏡の中に反射し融解していたのだ。いわば膨張の果ての融解の果て。まるで1968年にリリースされたサイケデリック・アルバムが最新のテクノロジーで「蘇生」してしまったような謎めいた作品に思えたものだ。彼の10年近いキャリアがその時点での結実。以降、プレフューズ73は長い沈黙に入る。

 とはいえ、ギレルモ・スコット・ヘレンは活動を止めていたわけではなかった。自身のレーベル〈イエロー・イヤー・レコード〉を立ち上げ、ティーブスとのユニット、サン・オブ・ザ・モーニングのEPもリリースし、マシーンドラムとのコラボレーション曲も発表した。昨年にはプレフューズ73名義で来日もしていたのである。

 そして2015年、プレフューズ73はついに復活した。数年をかけて制作したトラックは膨大な量になり、そこからブラッシュアップされ、1枚のアルバムと2枚のEPにまとめられた(日本盤はCD2枚組にまとめられている)。リリース・レーベルは〈ワープ〉ではなく、〈テンポラリー・レジデンスLTD〉。ハウシュカやウィリアム・バシンスキーなどのアルバムをリリースしている優良レーベルである。
この新作では、〈ワープ〉後期においては抑圧されていたビートと、あのヴォーカル・チョップが復活した。いわば初期プレフューズらしいマイクロ・エディット・ビートが自由自在に展開しているのだ。そしてサヴァス&サヴァラス的な、彼らしいヴォーカル・トラックも収録されている。新しいプレフューズ73の新作は、軽やかで、メランコリックで、精密で、何よりポップだった。これは2015年現在の「ビートによるアート」であり、彼の「ソングライティング」を満喫できるアルバムでもある。そう、これこそプレフューズ73の新しいスタートだといわんばかりの出来だ。

 私が本作を聴いたとき、ビートやサウンドの構築はたしかに初期プレフューズ的にも感じたが、同時に、そのメランコリックでどこかブラジリアンの雰囲気にサヴァス&サヴァラスに近いものを感じたものだ。「作曲家としてのギレルモ・スコット・ヘレン」の個性が出ているというべきか。彼は優れたサウンド・デザイナーであると同時に個性的な作曲家でもあった。作曲家とは、自身の和声感覚を持っている人のことであり、音楽家ギレルモ・スコット・ヘレンにはそれがある。そして、この新作には、彼のリズムに旋律と和声が見事に畳み込まれているのだ(本作のプロトタイプは2013年にリリースされたサン・オブ・ザ・モーニングのトラックにあったと思う。メランコリックなムードが共通している)。その意味で、彼はクリスチャン・フェネスやステファン・マシューなどのエレクトロニカ・アーティストと同じく「作曲家」として資質が強いアーティストなのであろう。
 そこであえて注目したいのがフリーで配信されたEP『トラヴェルス・イン・コンスタンス, Vol. 25』のラスト・トラック“ブロード・プラント”だ。これがとてもメランコリックな儚い美しさを持ったピアノ曲なのである。サウンドには微かにグリッチ処理がされている。私は、この素朴な曲に満ちているミニマル/メランコリックな雰囲気と空気感にこそ、彼の音楽の本質があるような気がするのだが、どうだろうか。それはとても「女性的」な何かのようである(考えてみると彼のアートワークには女性がたびたび登場する。本作もそうだ)。

 いずれにせよ、今回の「復活」は歴史と現在性の両極から捉えることができる。ひとつはこの15年ほどのエレクトロニカ以降の電子音楽の問題。さらにもうひとつはサンプリング以降、マイクロ・エディットによるビート・ミュージックという問題。そしてそれらを交錯した「現在」の問題である。プレフューズは「フュージョン以前」という意味だという。現在は、彼に影響を受けた(はず)のフライング・ロータスがコンテポリーなジャズ・シーンで存在感を放っているのが時代である。そんな状況下において、「フュージョン以前」という名前を持つプレフューズ73の復活の持つ意味は大きい。この新作を聴き込みつつ、15年ほどのビート・ミュージックとエレクトロニカの意味と歴史と変化を考えてみるのもいいだろう。

文:デンシノオト

interview with Mourn - ele-king


MOURN

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 この感覚、かつて体験したことがある、と過去の記憶をめぐらしてみて、あ、と思い出した。「僕はペイヴメントとかピクシーズが好きなだけ。ペイヴメントの歌詞をちゃんと理解できたらどんなにハッピーなんだろう! そんな気持ちで曲を作ってバンドで歌って……気がついたらいまここにいる。ほんとにそれだけなんだ」。1995年、最初のアルバム『グランポー・ウッド』を発表したベン・リーに最初に取材をしたときのことだ。彼は当時17歳、どんなにやんちゃな青年なんだろう、と想像して訊ねてみると、好きなバンドの影響を受けて、好きなように自分もギターを手にしてみただけなんだ、というあっけらかんとした回答。そのときの、肩すかしを食らいつつもどこか晴れ晴れとした感覚を、いま、このスペインの若き4人組を聴きながら思い出している。

 いや、もしかするとベン・リー以上に冷めているかもしれない。まだ全員10代というスペインはバルセロナを拠点にするモーン。結成からわずか2年でワールド・ワイド・デビュー、さらにはピッチフォークなどのメディアで高い評価を得るにいたった彼らにはたちまちのうちに注目が集まることとなった。パンクやオルタナティヴ・ロックに触発されたというそのスタイルだけ取り出せばたしかに稚拙ではある。成熟という言葉からはほど遠く、演奏を動画などで見るかぎりはあどけない様子も伝わってはくる。だが、どこまでむき出しにするのかと不安にさえなる荒削りな演奏、感情を闇雲に発露させる場所というより、感情を淡々と刻みつける場所といった感じで、不気味なまでに薄暗い表情を時折見せるヴォーカル、どこか冴えない生活や風景をひたすらに言葉に置き換えたような歌詞……これが果たして10代の姿か、と思えるほどに醒めた表情をうかがわせるのも事実。「ペイヴメントの歌詞を理解できるアイツはカッコいいな」と無邪気かつアイロニカルに歌っていたあの頃のベン・リーを部分的に思い出させるが、モーンは根底にもっと切実な何かを抱えている印象さえあるのだ。

 とはいえ、今回メールで取材をした際の下記回答を読んでもらえばわかるように、ほとんど難しいことを語らない、語りたがらない。その素っ気ない対応はモラトリアムとも思えるもので、この自我を包み隠したような態度がその成長と同時にどう崩壊し、再構築されていくのかを静かに見守っていたい、と、彼らの親世代である筆者は思うのだった。

■Mourn / モーン
バルセロナを拠点として活動する4人組バンド。〈キャプチャード・トラックス〉とサインし、2015年にファースト・アルバム『モーン』をリリース。デビュー前からメディアの高い評価を受けるなど注目を集めている。

ソニック・ユース、スーパーチャンク、アーチャーズ・オブ・ローフ、サニー・デイ・リアル・エステイト、カーシヴとかみたいな90年代のアメリカのバンドに浸かってたわね。

あなたがたはまだ15~18歳とのことですが、幼馴染みや学校の仲間同士なのでしょうか? いつ、どのようないきさつでバンドが結成されたのか教えてください。

カーラとジャズ(以下C&J):カーラとジャズは3年前から同じ学校で人文科学を学んでいたの。レイアとジャズは姉妹だからいっしょに育ってきたし、アントニオとジャズは11歳のときからの友だちなのよ。

あなたがたのホームタウンのバルセロナでは、あなたがたと同じ世代の友だちはどういう音楽をおもに聴いているのですか? スペインのドメスティックな音楽シーンはどういう状況なのでしょう?

C&J:うーん、地元のガレージ・ロックをたくさん聴いたけど、他にも商業的なものとか カタラン・ルンバ(catalan rumba)とかも聴いた……けどやっぱり、わたしたちはソニック・ユース、スーパーチャンク、アーチャーズ・オブ・ローフ、サニー・デイ・リアル・エステイト、カーシヴとかみたいな90年代のアメリカのバンドに浸かってたわね。他にもイギリス、スウェーデン、ベルギー、オランダのバンドも大好き。いまはインターネットがあるから、世界のどこにいてもそういう他国のバンドのレコードやニュースを簡単に見つけることができるでしょ。もちろん、スペインのミュージック・シーンもおもしろい。とくにバルセロナにはたくさんのクールなバンドがいるのよ。なかでもアニミック(Anímic)とBeach Beach(ビーチ・ビーチ)が好きだな。

わたしがある程度知っているかぎり、スペインには80年代頃から独自のインディ・シーン、インディ・レーベルがあり、日本でも古くは〈エレファント〉や〈マンスター(Munster)〉などがインディ・ロック・ファンの間で人気でした。最近では、〈マッシュルーム・ピロー(Mushroom Pillow)〉というレーベルや、デロレアン(Delorean)、ポロック(Polock)、エル・コルンピオ・アセシノ(El Columpio Asesino)、チャイニーズ・クリスマス・カーズ(Chinese Christmas Cards)などのバンドを個人的にはチェックしています。あなたがたはこうした他のスペインのインディ・ミュージック・シーンの中でどういうポジションにいるのでしょうか?

C&J:私たちは自分たちがバルセロナのインディ・ロック・シーンにいると思っているわ。私たち、町の小さなパブや会場で演奏をはじめたからね。マデイ(Madee)、オハイオス(Ohios)、レッド・ベアズ(Red Bears)、ザ・サワーズ(The Saurs)、ダ・サウザ(Da Souza)などとも共演したのよ。

私たちは自分たちがバルセロナのインディ・ロック・シーンにいると思っているわ。

スペインには「インディ・ミュージック・アウォード」という賞があるようですが、あなたがたの世代にとってもこうしたアウォードは一つの通過点、目標だったりするのですか? もしくは、もっと現場でホットなヴェニューやギグ、イヴェントやフェスなどがあれば教えてください。

C&J:賞は私たちにとってゴールではないわね。ただ曲を書いて演奏しているときに楽しみたいだけなの。ただ、〈アポロ(Apolo)〉という私たちのお気に入りの会場で演奏するのが本当に好きで、そこで演奏するときは気楽でいられるわ。前回そこで演奏したとき、本当にすばらしく魔法のようで、次にまたあそこで演奏するのが待ちきれないの。あと、〈プリマヴェラ・サウンド(Primavera Sound)〉っていう私たちが 好きなフェスの一つで演奏したときも興奮したわ。バルセロナには他にも〈ソナー〉っていうかっこいいフェスがあるんだけど、こっちはエレクトロ・ミュージック寄りね。

では、具体的にはどういうバンド、音楽にシンパシーを感じて楽器を手にしたりバンドを組もうと思ったのでしょうか? 

C&J:初めてわたしたちをギターを手に取って音楽を作るように駆り立てたのは、パンク・バンド。ラモーンズ、クラッシュ、セックス・ピストルズ……みたいな。私たちは本当にパンク・ミュージックが好きなの。わたしたちがいっしょに演奏をはじめたときは、PJハーヴェイ、ローリング・ストーンズ、ラナウェイズ、クラッシュ、エリオット・スミスなどのカバーをいくつかやっていたわね。でも、最終的に彼らのどういうところにインスパイアされたかっていうと、音と詩の力強さ、彼らが生きていた瞬間、彼らの働き方についての好奇心、彼らのいろいろな考え方、メッセージや彼らの感じ方、わたしたちができる見方、記憶に深く残って、素晴らしい! と思わせるいくつかのコード……それこそさまざまなの。それらのすべてがわたしたちを突き動かし、毎日楽器を弾かせつづけているんだと思うわ。

初めてわたしたちをギターを手に取って音楽を作るように駆り立てたのは、パンク・バンド。ラモーンズ、クラッシュ、セックス・ピストルズ……

あなたがたが実際にオリジナルの曲を作りはじめたとき、お手本にしたソングライターはいましたか? そして、いまのあなた方が最高と思えるソングライター、コンポーザーは誰ですか?

C&J:そうね、わたしたちはエリオット・スミスのようなリリックや、そしてパティ・スミスのパンク調のポエトリーが本当に大好きなのよ。後は、デヴィッド・ベイザン(ペドロ・ザ・ライオン)やマーク・コズレク(サン・キル・ムーン)なんかも本当にクールなリリックで大好きよ。私たちは物語を作るのが好きで、言葉で生活に対しての感じ方、不安感、いらだたせるものや話したいものについて表現しているの。もちろん、好きな映画や本、写真など影響されたものはなんでも曲にしたいけど、生活の中から感じることを歌にすることが好きなのよ。

それは、あなたがたの場合、スペインという国、バルセロナという町に暮らす一員としての社会への意識が活動のバネになっているということでしょうか?

C&J:そう。わたしたちはスペインのいまの状況に憤りを感じているわ。でも、政府に代わって主張しているつもりはないし、曲を書き演奏しているときはそういったことは避けているの。ただ、それが好きだからそうしているし、少なくともいままではそれが衝動的だったのは間違いないところ。私たちの必要性が評価されているとして、それがすべて社会に対してのそういう憤りの反映ではないとは思うけど、やっぱり社会に対して何かを感じてしまうのよ。おそらく、いつかわたしたちは音楽とこういう考え方、社会への見方を関わらせていくつもりよ。いままでは私たちはライヴではそういうことをとりあえずいっさい忘れて、演奏を楽しみたかったけど、いつかはちゃんとカタチにしたいわね。

僕たちは偽ることなしに誰よりもいいと思っているし、自分たちの音楽が好き、世界には好きなバンドも多くいるから演奏しているってだけなんだ。

あなたがたが〈キャプチャード・トラックス〉と契約することになったきっかけをおしえてください。マック・デマルコなど新たな世代のヒーローへのシンパシーもきっかけになりましたか?

C&J:きっかけはブランク・ドッグスのマイク・スナイパー(レーベル・オーナー)がニュースレターで私たちのスタジオでの映像を見てくれてね。興味を持ってくれてたらしいの。で、アルバムが出たときにわたしたちのスパニッシュ・レーベルである〈ソーンズ(sones)〉が連絡してくれたのよ。何が起こるかわからないわ。もし、彼が映像を見てくれてなかったらいまこうやって話せてないわね(笑)。

そのマック・デマルコには1月に日本に来たときに取材したのですが、そのときに彼はこのように話していました。「チープでロウ・ファイなサウンドにしているのには狙いがある。ウェルメイドな音作りに飽き飽きしてしまったのと、どこか“Weird”な音を出すことそのものが刺激的だから」。では、あなたがたの場合、たった2日間でアルバムを録音してしまうというようなその姿勢に、何か確信犯的な意識はありますか?

C&J:なるほどね。そうね、わたしたちの場合は多くの資金を持っていなかったからっていうのがまず一つめの理由。それとライヴを録音したかったからというのもあるわ。おかげでより楽しく、本当に新鮮で信頼のできるものができた。それはわたしたちのオリジナルなやり方であって、そこにいっさいの策略はないの。たしかにレコーディングはたった2日間だったんだけど充実していたし過不足もなくて。録音はバルセロナと私たちの町に近いアレニス・デ・マルという町の〈ノーチラス(Nautilus)〉というスタジオでしたわ。そこはとても美しくてたくさんのカーペットがあって、本当に高い天井の部屋で。ジャズの父親のバンドのドラマーでもある ルイース・コッツ(Lluís Cots)にプロデュースしてもらって、わたしたちはとても快適な雰囲気の中、作業をしたの。安心していられたわ。

ピッチフォークでも高い評価を得て、世界規模であなたがたのエネルギーが注目されるようになりましたが、そうした状況の変化についてどう受け止めていますか?

C&J:いやあ、そんな実感もまだわからないし、野望とかを抱くような感情もまだ持っていないんだよ。高い評価をもらってどうですか? って訊ねられることもあるけど……本当にまだ何もわからないんだ。そういうことを考えて活動しているわけじゃないからなあ。ただ、僕たちは偽ることなしに誰よりもいいと思っているし、自分たちの音楽が好き、世界には好きなバンドも多くいるから演奏しているってだけなんだ。

interview with Jaga Jazzist - ele-king


Jaga Jazzist
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 加齢にしたがって人のハッピー度が下がっていくものである。シニカルになりがちなのも、新鮮味という感覚を得る機会がどんどん減っていくからである。あれほど驚きに満ちた世界も、どんどん既視感に埋められていく。ゆえに、環境の変化が必要になってくる。問題は、その変化に身体がついていけるかどうか……だ。

 ジャガ・ジャジストって良いよと僕に教えてくれたのはたしかハーバートだった。彼がジャズにアプローチしていた時代、2002〜2003年あたりの話だ。ノルウェーで出会った大所帯のバンドの何が、無闇に他を褒めないイギリスの左翼系電子音楽家のハートを捉えたのだろう。ハーバートはリミックスも手掛けているし、「マシュー・ハーバート・ザ・ビッグ・バンドのノルウェー公演へサポート・アクトとして出演したときの盛り上がりは、伝説的なステージ・パフォーマンスとして高い評価を得た」とビートインクのサイトにも記されている。

 僕は、バンドのリーダー、ラーシュ・ホーンヴェットの『Pooka』(2004年)が好きだった。このアルバムは、その年、もっともよく聴いた1枚だ。ジャガ・ジャジストが交響楽団だとしたら、こちらは室内楽団といった趣だが、同じように茶目っ気あるエレクトロニクスが散らばっている。

 ジャガ・ジャジストは、基本、ハッピーなバンドだ。エクレクティックなところはこのバンドの特徴だが、音楽のなかに何を混ぜようが彼らは最終的には桃源郷に向かっていく。イギリスのプログレッシヴ・ロックやクラウトロックへと大接近した前作『ワンアームド・バンディット』を経てリリースされる新作『スターファイヤー』も、いろんなものが混ざっているけれど、彼らの旅の出口は、最終的には明るい。トッド・テリエのリミックスもご機嫌である。
 誰にでもうまくいく話ではないのだけれど、ジャガ・ジャジストの場合は、変化を与えたことでまたひとつ若返ったようだ。人生もこうありたいものである。

LAでは免許なしではやっていけないから、免許をとったんだ。で、それをきっかけにハウス・ミュージックをたくさん聴くようになったんだよ。運転中にはちょうど良いよね。いまでは運転が大好きだ(笑)。

LAでの生活はいかがですか? またなぜオスロからLAに越されたのですか?

ラーシュ:とても気持ちいいよ。明日からまたノルウェーに帰る。で、また寒くなったらLAに戻ってくる。ノルウェーの冬は、ずっと暗くて気がめいるからね。
 LAに越したのは、アルバム制作を新たな気持ちでスタートさせるためだったんだ。これまでも曲作りのためにいろいろと場所は変えてきたけど、普通滞在するのは1、2ヶ月。でも今回は休暇で訪れたLAがすごく気に入った。人がたくさんいる場所でもあるけど、一人にもなれるし、集中できる。毎日太陽を浴びれるっていうのもすごくポジティヴになれるしね。ノルウェーの冬から逃げるっていうのが一番の理由だけど、マネージメントやブッキングエージェント、レーベルのみんながこっちをベースにしてるっていうのも理由のひとつだよ。

このアルバムにおける重要なポイントのひとつに、LAというはありますよね? LAを選んだ理由について訊きます。オスロの外で録音することが重要だったのか、それともLAという場所が重要だったのでしょうか?

ラーシュ:そうだな……自分でもわからない。環境や自然が音に大きく影響してるとは正直思わないね。でも、LAって、作業ひとつひとつにすごく時間がかかるんだ。すごく広いから移動に時間がかかるし、渋滞もすごい。だから、ゆっくりなペースのプロセスっていう意味ではLAが影響していると思うし、もしかしたらそれが音にも出ているからもしれないね。あと、こっちに越してきたばかりの時は、車の免許をもっていなかったんだけど、LAでは免許なしではやっていけないから、免許をとったんだ。で、それをきっかけにハウス・ミュージックをたくさん聴くようになったんだよ。運転中にはちょうどよいね(笑)。それで曲の尺が長い曲を聴くようになった。だから今回は、自分が運転中に楽しめるような曲を作りたいっていう気持ちもあったんだ。音の中を旅しているような気分になれる、長めの曲を意識したね。

通訳:運転するようになったことが影響しているっていうのは面白いですね。

ラーシュ:いまでは運転が大好きだ(笑)。オスローから地元までの1時間半のドライヴだったらすごく長く運転しているように感じるけど、LAでのドライヴは全くそれを感じない。こっちでは、1時間の運転なんて当たり前だからね。わざわざ友だちとコーヒーを飲みにいくのに1時間かけて行くこともあるくらいさ。それを普通にやってるっていうのは変な感じもするけど(笑)。

どんな偉大なバンドにも難しい時期というのがあると思うので訊きますが、大所帯のバンドを長続きさせるコツを教えて下さい。

ラーシュ:この人数でこれだけ長い間活動を続けるというのは、決して容易ではない。でも僕たちはスタートした時点からいろいろなアイディアに対してオープンだったから、それも長く続いている理由のひとつだと思うし、それがあるからこそワンパターンに収まらず新鮮さを保てているんだと思う。メンバー全員がアルバムを作る度に何か新しい要素をいれようと心がけているし、ライヴでも即興や自分たちが面白いと思うものを取り入れて、自分たち自身も飽きないように心がけているしね。だからこそ、1回2時間という長い公演を何度もこなして経験を積んでこれた。
 あと、メンバーそれぞれがJagaだけではなく他のプロジェクトに参加していることも鍵のひとつだと思う。ずっとJagaだけではうんざりしてしまうかもしれないけど、他のプロジェクトにも参加することで気分転換ができるんだ。他のこともやりつつ、活動が楽しいと思う気持ちを持ち続けるっていうのがいいんじゃないかな。

通訳:20年以上も活動しているわけですが、その中で危機というか、いちばん大変な時期はありましたか?

ラーシュ:2006年くらいだったかな。続けようか、それとも止めようかっていう時期はあった。重要なメンバーたちがバンドから出て行ってしまった時で、当時はどうしていいかわからなくなってしまった。『What We Must』(2005年)のあとだね。でも、『One Armed Bandit』(2009年)を作りはじめて、また新たなスタートをきることができた。その2作品のあいだ、たぶん4年くらい何もしてなかったんだじゃないかな。重要なメンバーが去ってしまうことは危機ではあるけど、同時に、これだけ長く活動してるんだからメンバーが変わっても大丈夫だとも思えた。新しいメンバーが抜けたメンバーと全く同じことができるわけではないけど、逆にそれで新しいことができるならそれはそれでいいと思ったんだ。

やり続けることの難しさということもありますよね? 

ラーシュ:たしかに難しいとは思う。とはいえ、同じメンバーで違うことをやり続けるっていうのは、やはりその分やりがいがある。僕はとくにメロディーに対して決まったテイストを持っているんだけど、過去のJagaの作品を聴いてもらうとそれがわかると思うし、同時にそのテイストを保ちながらも様々なプロダクションが試されていることもわかると思う。……元々の質問はなんだったっけ(笑)?

通訳:(笑)やり続けることの難しさについてです。

ラーシュ:そうだそうだ。20年かけて、このバンドでは本当にたくさんのことを試してきた。だからいまでは、完全に新しいことを見つけるのがすごく難しくなってきている。アルバムを作る度に、前とは違うもの、前とは違うバンドからインスピレーションを受けようと努力している。僕ら自身もそうだし、Jagaのオーディエンスも定番の音楽を聴き続けたいタイプのオーディエンスだとは思わない。みんな、常にオリジナルで新しいものを求めていると思うんだ。活動を続けていく上で大切なのはそれだね。自分たちをリピートしないことが長続きに繋がるとも思うし、それをやるからこそアルバム作りにどんどん時間がかかるようになるんだよ。

そうやってアルバムごとのに新しいことに挑戦したり、いろいろと乗り越えてきたわけですが、今回のアルバムは、完成まではスムーズに進行した作品なのでしょうか?

ラーシュ:少なくとも僕個人にとっては、今回はいつもよりスムーズだった。このアルバムでは1回もリハーサルしなかった。僕が曲のアウトラインを書いて、それをメンバーそれぞれに渡して演奏してもらった。8人、9人同時に演奏してレコーディングするより、少人数でレコーディングするほうがそれぞれからいろいろ引き出せると思って。だから時間も長くかかったんだ。それぞれのアプローチをまとめるのにも時間がかかったしね。

通訳:それはこれまでにない初めて挑戦したプロセスだったんですよね?

ラーシュ:そう。完全に新しかった。いままではレコーディングの前に4、5ヶ月リハーサルしてきたから。レコーディング前に全てが書き終わっていたし、演奏が難しい部分はとことんリハーサルした。レコーディングの時も、大人数で一斉にレコーディングすると、かならず誰かが浮いてしまったり埋もれてしまったりする。だから今回は、バラバラにレコーディングすることでそれぞれの特徴を活かしたかった。その中でも、とくにギターのマーカスとキーボードのオイスタインは他のメンバーよりも長くスタジオに入って、いろいろと試してみたよ。

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ジェントル・ジャイアントっていうプログ・ロックのバンド知ってる?  彼らのジャケに妖精をデザインしたものがある。そこからインスピレーションを受けたのが前作。対して、今回のアルバムはもう少しダークなサウンドにしたくて、あまりユーモアの要素は入れたくなかった。


Jaga Jazzist
Starfire

BEAT RECORDS / NINJA TUNE

Jazz RockProgressive RockKroutrockIDM

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今回のアルバムの推進力は何でしょうか?

ラーシュ:そうだな……何だろう……自分自身にとってオリジナルなものを作るっていう気持ち。このアルバムのサウンドをどういったサウンドにしようかと考えるのに結構時間がかかったんだけど、さっき言った長旅のフィーリングというか、そういうアイディアを思いついてからはそれに従って制作を進めていった。だから、いままで以上に尺が長くなってる。
 このバンドにせよ、他のプロジェクトにせよ、いつも僕は新しい何かを求めていて、いちど何か面白いものを思いつくと、できるだけそれに従って制作を進める。いろんなやり方で、自分の好きな音楽、そしてその演奏の仕方を広げて行く。それを見つけ出すのは容易ではないし、長いプロセスだね。

たぶん、スタジオ録音盤としては、いままでもっとも曲数が少ないアルバムになったと思います。曲をたくさんつくることよりも、1曲のなかの展開やアレンジの濃密さを重視しているというか。

ラーシュ:このアルバムは、いままでのアルバムと形式が違う。収録されている曲のほとんどが、まるで1曲の中に曲が2〜3曲入っているような作りになっている。トラックを作るために15〜20くらいセッションをやって、プレイリストを作ってその中から重要なアイディアをピックアップしていくうちに、それを繋ぎ合わせて曲にしたら面白いんじゃないかと思ってね。アルバムに収録されているのは5曲だけど、実際はそれ以上に曲が入っているようなものなんだ(笑)。

過去にはユーモアの込められた、IDM的なアプローチに特徴があったと思いますが、今回はもっと優雅な感覚を感じます。このアルバムが大切にしているものは、何でしょうか?

ラーシュ:さっきと同じ答えになってしまうけど、大切なことは、前回のアルバムと逆のものを作ることだった。たしかに2009年の『One Armed Bandit』では、60年代後半〜70年代前半のプログ・ロック・シーンっぽい要素に加えてユーモアがあったね。ただオシャレなだけな音楽は作りたくないから、面白くしたり、キャッチーにするためにユーモアっぽい要素を入れた。例えばあのアルバムに収録されている「Prognissekongen」っていうのも作った言葉で、“プログレッシヴのノーム(妖精)の王"って意味がある(笑)。
 ジェントル・ジャイアントっていうプログ・ロックのバンド知ってる?  彼らのアルバムのジャケにノームをデザインしたものがあって、そこからインスピレーションを受けてそのタイトルにした。そういう意味でのユーモアはあった。対して、今回のアルバムはもう少しダークなサウンドにしたくて、あまりユーモアの要素は入れたくなかった。さっきも言ったようにこれまでとは違ったものからインスパイアされたものを作りたかったし、正直これまでの作品にも果たして実際どの程度ユーモアが入っていたか自分でもわからない。曲のタイトルはジョークだったりするけど、音自体はそこまで面白おかしくはないから。

今回に限らずですが、あなたのソロをふくめ、ジャガ・ジャジストにはロック的な雑食性も感じます。今回はギターの演奏が前面に出ているので、とくにそう思うのかもしれませんが、ソフト・マシーンのような60年代末〜70年代初頭のプログレッシヴ・ロックのことは意識しましたか? 

ラーシュ:それを意識したのは『One Armed Bandit』だよ。ソフト・マシーンやジェントル・ジャイアントからはインスピレーションを受けている。あとはクラウトロックからもね。カン、ノイ!、ファウスト、クラスター、そういったバンドから影響を受けているんだ。
 こういうことは、自分たちよりも周りの方がそれに気づくことが多いんだよね。フランク・ザッパと似てるって言われるけど、実は僕たちはあまりフランク・ザッパのファンじゃない。だからとって、みんながなぜそう言うかはわかるんだ。彼らのジャンルとある意味同じものを作ろうとしているからね。キャッチーでありながらも新しく、驚きのある音楽を意識している。だから、そういった昔のプログ・ロック・バンドの要素が感じられるのは自然なことだと思うよ。僕にとってはそれはいいことで、その要素が入っていることで『One Armed Bandit』ではオーディエンスの幅が広がった。これまではもっとエレクトロニック・ミュージック・シーン寄りだったけど、リアルタイムでそういったプログ・ロックを、とくにイギリスの作品を聴いてきた自分たちよりも年上の人たちが僕らの音楽を聴いてくれるようになった。あれはよかったね。

ここ数年、日本では排外主義が目に見えるようになりました。ノルウェーでは、数年前に移民に対する連続テロ事件がありましたよね。あながたの音楽は、むしろいろいろな文化を受け入れことで成り立っています。それはノルウェーにおけるある種の理想郷のようなものを描こうとしているとも言えるのでしょうか?

ラーシュ:あれは移民に対するテロというか、テロを起こした犯人がかなりの人種差別者だったと言ったほうがいいかもしれない。あれは政府に対する攻撃で、ノルウェーの労働党に対するものだったから。30年も力を持ち続けて来た政党だから、犯人は彼らがやってきたこと全てに対して鬱憤がたまっていたんだ。彼はかなりイカレていたから、あれは例外で、ノルウェーとはあまり関係がないと思う。みんなにかなりショックを与えたし、政治に対して考え直すきっかけを与えたというのはあるかもしれないけど。理想郷を描こうとしているっていうのはちょっと考え過ぎかもね(笑)。
 僕はいま35歳なんだけど、20〜26歳くらいの時は、もっと音楽に対して堅かったし、好みが偏っていたと思う。26歳くらいから、もっと音楽に対してオープンになっていったんだ。自分があまり好きだと思っていなかったものにも耳を傾けるようになったし、それを自分のやり方で作ってみたりするようになった。それは自分でも良いことだと思うし、たしかに前よりも柔軟で、いろいろな要素を取り入れるようになってるとは思う。だから理想郷っていう言葉は褒め言葉ではあるね。ありがとう(笑)。

透明感のあるサウンドといえば、とくにノルウェーのジャズ。ドイツのECMが有名だけど、僕はそれを聴いて育ってきた。いまだに好きな音楽のひとつさ。でも、そういった音楽はロマンティックすぎるとも思う。

LAという土地にも関わる話ですが、フライング・ロータスに触発されたところはありますか? あるいは、彼らの周辺の音楽とか。

ラーシュ:ビート・ミュージックとサイケデリック・ジャズがミックスされた音楽にとってはすごく良い時代が来ていると思う。フライング・ロータスはそのマスターだと思うし、彼の作品は素晴らしいと思う。曲の作り方は彼と僕では全然違うけどね。彼はもっとサンプルを使うし、即興をよくやる。でも僕はもっと曲っぽいから。でもフライング・ロータスがやっていることは好きだよ。お互いの音楽にはジャズ要素が常に存在しているし。フライング・ロータスと僕が影響を受けてきた音楽も共通していると思う。

『Starfire』とはどんな意味が込められたタイトルなのですか?

ラーシュ:音楽を作りはじめる時は、その作品がどんな内容になるのか全く見当がつかない。だから、よく適当に意味のない仮のタイトル=呼び名をつける。あと、特定の意味を持たないオープンなタイトルが好きでもある。例えば”Starfire"っていう言葉は、宇宙のイメージがある。そこからみんな、銀河とか惑星とか、いろいろなことが想像できる。長い旅っていうイメージもあるし、良いタイトルだと思ったんだよね。しかし、元々は、「Starfire」の曲を"starfire"っていうギターで書いたからそのタイトルになった。理由はそれだけさ(笑)。でも、みんながそれぞれに理解してくれたらそれでいいんだ。

SMALLTOWN のコミュニティはいまも継続されているのようですね。今回もデザインはキム・ヨーソイ(Kim Hiorthøy)? 今回はトッド・テリエ(Tod Terije)によるリミックスがあります。

ラーシュ:僕自身はもうSMALLTOWNには関わっていないんだ。今後はまたソロ作品をSMALLTOWNからリリースする可能性はあるよ。今回のデザインはキムじゃなくてMartin Kvammeなんだ。彼は『Live With Britain Sinfonia』のデザインも手掛けてくれている。ちなみにKimは、今もSMALLTOWNで働いている。
 トッド・テリエのリミックスに関しては、僕はトッド・テリエのライヴ・バンドでプレイしているんだけど、彼とはノルウェーの音楽フェスティヴァル、オイヤ・フェスティヴァルのためにコラボレーションをはじめたんだ。だから彼の音楽は本当に良く聴いて知っていたし、彼も僕たちの曲を長い間聴き続けてくれていた。そういうわけで、彼が一番最初にリミックスを依頼したかったのが彼だったんだ。彼とはその前から共演していたけど、このリミックスに関しては去年の夏から話していたと思う。彼のスタイルが大好きだし、リミックスを初めて聴いたときも素晴らしいと思った。大満足だったね。

いまでもクラブ・ミュージックは好きですか? 

ラーシュ:大好きだね。いままでで一番聴いていると思う。このアルバムは、実はそれに影響されてかちょっとダンスできるような作品を作りたかった(笑)。結果的にはそうならなかったかもしれないけどね(笑)。元々そういうアイディアはあった。少なくとも、もう少しハウスっぽくしたいっていう気持ちはあったんだ。ハウスという点で特に聴いていてインスピレーションを受けたのは、トッド・テリエとジョン・ホプキンス。とくにジョン・ホプキンスは、曲を盛り上げて、少ない要素で音を面白くする天才だと思う。それを自分でも試してみたいと思ったんだ。
 Jagaは違うタイプのバンドだし、人数も8人だし、かなり楽器を使うから、それを再現するのはすごく難しかった。でもそういった音楽が持つ、ひとつのソウルに入り込んでいくようなフィーリングというか、長い時間をかけて盛上がっていくようなものは少なからず表現出来たんじゃないかな。ある特定の時空じゃなくて、宇宙空間に放たれるような、そういうエンドレスなフィーリングはあると思う。彼らの音楽よりも、トラックの構成はもっと”曲っぽい”けどね。

昨年出したライヴ盤では、クラークやマシンドラム、ティーブスなどクラブ系のプロデューサーのリミックスがありましたが、これはあなたがたの希望でしょうか? それともレーベル側からの意見でしょうか? 

ラーシュ:半分は僕がオファーしたし、半分はレーベルやマネージメントの意見だった。いろいろなアーティストによるさまざまなヴァージョンが聴けて、すごく面白かったよ。

いま、あらためて「ジャガ・ジャジストのコンセプトは?」と訊かれたら、あなたはなんと答えますか?

ラーシュ:ワーオ(笑)。バンドのコンセプトは、ゆっくりと進化し続けて、新しいスタイルを常に試みていくことかな。あとはたくさんの種類の音楽をブレンドすること。そして、自分たち自身にとってオリジナルなものを作り続けていくことだね。だから、もちろん影響を受けている音楽はたくさんあるんだけど、それをなるだけわからないようにしている。そうやってオリジナルのものを作ろうと心がけているんだよ。

ノルウェーらしさというと、我々は小綺麗で透明感のあるサウンドを思い浮かべますが、あなた方のように、実際そこに住んでいる者にとってそれは何だと思いますか?

ラーシュ:ノルウェーの音楽シーンは、すごく幅広い。エレクトロ・シーンも盛んだし、個人的にはロイクソップが大好きで、彼らはエレクトロのシーンでは一番ビッグだと思う。すごくクリーンなサウンドが特徴的だよね。あと、トッド・テリエのようなハウスやディスコのアーティストがたくさんいるのと同時に、良いロックバンドやジャズ・バンドもたくさんいるんだ。僕もそのシーンにハマっているんだけど、小さい国だからそれぞれのアーティスト同士が近い。だから、何か面白いことをやっていて自分がコラボしたいと思うアーティストが見つかったら、電話一本でオファーが出来る。そういう意味では、すごくオープンなシーンなんだ。
 透明感のあるサウンドっていうのは、とくにノルウェーのジャズかな。そういうサウンドで言えばドイツのECMっていうレーベルが有名だけど、僕はそれを聴いて育ってきた。いまだに好きな音楽のひとつさ。でも、そういった音楽はロマンティックすぎるとも思う。次に何が起こるかがわかるっていうか、ちょっとお決まりなんだよね。だから自分の音楽を作るときは、もっとエッジの効いたものを作るよう意識しているんだ。

オスロの音楽シーンは、10〜15年前とはどのように変化しましたか?

ラーシュ:10年前のオスロの音楽シーンは全然違ったよ。当時はBlå(読みはブローみたいです。英語でブルーという意味だそうです)っていうクラブがあったんだけど、僕たちはそのクラブやジャズ・シーンに大きく関わっていたんだ。ジャズとはいえエレクトロもあったし、すごくオープンなシーンだった。そのクラブは今もありはするんだけど、前とは違う。前はもっとミュージシャン達の場所って感じで、オーディエンスがたくさん入っていたからね。今はもっとクラブ・シーンが盛んかな。ハウスなんかもそうだし、それはそれで面白い。良いジャズ・シーンもあるよ。とくにエレファント9っていうバンドは面白いし、僕自身のお気に入りでもあるんだ。もっとプログレッシヴ・ジャズっぽくて、エッジが効いてるんだよね。前よりもシーンは広がっていて、バンドもたくさん出て来ているし、徐々に大きくなっていってると思うよ。

夏で楽しみにしていることは何でしょう?

ラーシュ:ツアー以外では、オスロのビーチでのんびりすること。夏はオスロの中で一番いい時期だからね。水はあったかくて綺麗だし、オスロの人たちは休暇で外に行ってるから空いていていい。それが楽しみだね。まあでも、メインはツアーだよ。Jagaのショーはもちろん、トッド・テリエとのパフォーマンスもあるし。今はLAにも住んでるから、オスロにいるのが前よりも楽しめているんだ。

トアン ホチュウエッキトウ - ele-king

 僕たちはからだとこころに悪い毎日を送っている。そうだとわかっていても、その毎日から逃れられないでいる。僕たちは毎日、犠牲を払っている。からだとこころが悲鳴を上げても気がつかない。著書『からだとこころの環境』で伊達トモヨシはそんなことを言いたいのだと思う。せめて自分に与えられたからだとこころの悲鳴ぐらいは自分自身で聞こえるぐらいになろうと、そのための漢方なのだろう。
 ゆにえアンビエントは、いや、アンビエントこそ、この東京でもっともやかましい街が必要としている。

 6月6日午後16時〜、原宿のVACANTで開催の「トアン ホチュウエッキトウ」は、その伊達トモヨシも出演するアンビエントのコンサート。
 音楽のライヴだけでなく演劇団体「マームとジプシー」のふたりや、舞踏をはじめ無数の表現媒体を経て現在ダンサーとして新境地に達しつつある朝吹真秀氏を迎え、融合的セッションを軸に、さらには食と香も取り入れ空間を彩っていく全感覚的なイヴェントだ。
 会場では靴を脱ぎ、寝転ぶもよしな自由な体制で鑑賞する形式で、食事ではあんこお菓子、日本食ごはん、日本酒やどぶろくのも用意される。ごろんろ寝転びながら、「からだとこころ」を解放しよう。

2015/06/06
Open/Start 16:00
Close/ 21:00

Vacant 2F
https://www.vacant.vc/

Ticket
Adv/: ¥3,500
Door/: ¥4,500

ドリンク代別途/全自由席/再入場可◎

会場では、靴を脱いでお上がりいただきます。

出演:
花代
夏の大△(大城真、川口貴大、矢代諭史)
青葉市子
MUI
Tomoki Takeuchi
朝吹真秀
藤田貴大・青柳いづみ(マームとジプシー)
Tomoyoshi Date

DJ : Satoshi Ogawa,Yoshitaka Shirakura
PA : zAk

Drink&Food:

あんびえん(最中)
こくらさんのひねもす食堂(おかずとごはん)
あぶさん(貝つまみと日本酒)
ぽんぽこ屋(どぶろく)

空調 : ono
照明 : 渡辺敬之
会場協力:御供秀一郎、うるしさん
イラスト:伊吹印刷

イベントページ : https://www.facebook.com/events/1649012321994600/
予約ページ : https://www.vacant.vc/d/207

Info/Reserve

Profile:

花代 / HANAYO
東京ベルリンを拠点に活躍するアーティスト。写真家、芸妓、ミュージシャン、モデルなど多彩な顔を持つ。自身の日常を幻想的な色彩で切り取る写真やコラージュ、またこうした要素に音楽や立体表現を加えたインスタレーションを発表する。パレ・ド・トーキョーなどの個展、展覧会多数。ボーカルとしてdaisy chainsaw、Panacea、Kai Althoff、Mayo Thompson、Jonathan Bepler、Terre Thaemlitz、秋田昌美、中原昌也となどとコラボレーションする。tony conrad と舞台音楽で共演したり、bernhard willhelmのショウでライブパフォーマンス、そしてJürgen Paapeとカバーしたjoe le taxiはSoulwaxの2ManyDjsに使われ大ヒットした。写真作品集に『ハナヨメ』『MAGMA』『berlin』、音楽アルバム『 Gift /献上』『wooden veil』などがある。ギャラリー小柳所属。
www.hanayo.com

夏の大△
大城真、川口貴大、矢代諭史の3人による展示/ライヴ・パフォーマンスを行うグループ。2010年大阪の梅香堂での展示「夏の大△(なつのだいさんかく)」を発端に、活動を始める。
www.decoy-releases.tumblr.com

大城真 / MAKOTO OHSHIRO
音を出すために自作した道具、または手を加えた既製品を使ってライブパフォーマンスを行う。またそれと平行して周期の干渉を利用したインスタレーション作品を発表している。近年は川口貴大、矢代諭史とのユニット”夏の大△”としても活動している。
主なイベント、展覧会に”夏の大△”(2010、大阪 梅香堂)、”Mono-beat cinema”(2010、東京 ICC)、”Cycles”(2013、東京 20202)、Multipletap(2014、ロンドン Cafe OTO)、Festival Bo:m(2014、ソウル Seoul Art Space Mullae)、"Strings"(2014、東京 space dike)等。

川口貴大 / TAKAHIRO KAWAGUCHI
主に音のなるオブジェクトやさまざまな光や風、身の回りにあるモノを自在に組み合わせることで、空間全体をコンポーズしてゆくようなライブパフォーマンスやインスタレーションの展示、音源作品の発表を行う。ソロの他の活動では、大城真、矢代聡とのトリオ“夏の大△”、アキビン吹奏楽団“アキビンオオケストラ”、スライドホイッスルアンサンブル“Active RecoveringMusic”が今でもアクティヴ。最近では今までのリリース作品をお金だけでなくモノや出来事とでも買うことが出来るようにするプロジェクトを行っていて、ポルトガルの購入者から郷土料理のレシピを手に入れたり、メキシコに住む購入者の母親の育てた多肉植物を輸入しようと試みている。あとはTEE PARTYでTシャツ作ったり(www.teeparty.jp/products/list.php?mode=search&artist_id=92)DMM.MAKEでコラム書いたり(www.media.dmm-make.com/maker/293/#)もしてます。
www.takahirokawaguchi.tumblr.com/

矢代諭史 / SATOSHI YASHIRO
2003年より自走するウーハーや自作の装置による展示や演奏を始める。同時期より東京墨田区の『八広HIGHTI』の運営などを行い始める。ドラムと動くウーハーのバンド『Motallica』などの活動も行っている。
最近の主な展示:
2010年 「夏の大△」(梅香堂 大阪)
2011年 「Extended Senses」(Gallery Loop 韓国)

青葉市子 / ICHIKO AOBA
音楽家。1990年生まれ。2010年アルバム『剃刀乙女』でデビュー。
これまでに4枚のソロアルバムを発表。2014年には舞台「小指の思い出」でkan sano、山本達久と共に劇伴・演奏を担当。12月にはマヒトゥ・ザ・ピーポーと結成したユニットNUUAMMの1stアルバム「NUUAMM」をリリース。2015年夏にはマームとジプシーの舞台「cocoon」に女優として参加予定。その他CM音楽、ナレーション、作詞家、エッセイ等さまざまな分野で活動中。
www.ichikoaoba.com

MUI
tomoyoshi date, hiroki ono, takeshi tsubakiからなるアンビエントバンド。数多の諸概念・主義主張を融解する中庸思想を共有しながら、所作と無為を心がけ活動中。
www.facebook.com/mui61mui

tomoki takeuchi
幼少より音楽に興味を持ち4歳からバイオリンを始める。バイオリンを中心としたライブパフォーマンスで様々なイベントに出演し国内外の音楽家と共演する。また、バイオリン奏者としても様々な音楽家とのコラボレーションを重ねる。2013年から音楽レーベル「邂逅 (kaico)」を主宰。
www.tomokitakeuchi.tumblr.com

朝吹真秀 / MASAHIDE ASABUKI
「思い返せば26才に発病した28年周期の躁鬱二型に振り回されていただけ」と語る朝吹氏は絵画、デザイン、彫刻、舞踏、舞台美術、音響、照明、フリークライミング、家具制作、パートドベール、とんぼ玉と多岐に渡る活動を経てきたが一環して続いたのは15才からのオートバイだけである。いま60才に60台めのバイクに乗り、舞踏家ではなくダンサーとして鬱から脱出しつつある。

青柳いづみ / IZUMI AOYAGI
女優。東京都出身。2007年マームとジプシーに参加。翌年、チェルフィッチュに『三月の5日間』ザルツブルグ公演から参加。以降両劇団を平行して活動。2013年今日マチ子(漫画家)の代表作『cocoon』、2014年川上未映子(小説家)の書き下ろしテキストでの一人芝居『まえのひ』に出演。近年は飴屋法水(演出家)や金氏徹平(現代美術家)とも共同で作品を発表。2015年6月から8月にかけて全6都市を巡る全国ツアー『cocoon』に出演予定。

藤田貴大 / TAKAHIRO FUJITA
演劇作家/マームとジプシー主宰。北海道伊達市出身。2007年マームとジプシー旗揚げ。2012年「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で26歳の若さで第56回岸田國士戯曲賞受賞。同じシーンを高速でくり返すことで変移させていく「リフレイン」の手法を用いた抒情的な世界で作品ごとに注目を集め、2ヶ月に1本のペースで演劇作品の発表を続ける。自身のオリジナル作品と並行して、2012年より音楽家や歌人、ブックデザイナーなど様々なジャンルの作家と共作を発表。2013年5月「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」にて初の海外公演を成功させ、翌年ボスニア・イタリア5都市を巡るツアーを行う。2013年8月漫画家・今日マチ子の原作である「cocoon」の舞台化に成功。

Tomoyoshi Date
1977年ブラジル・サンパウロ生まれ。3歳の時に日本へ移住。 ロック、ジャズ、ポスト・ロックなどを経て90年代後半より電子音楽を開始。 ソロ作品に加え、Opitope、ILLUHA、Melodiaとして活動するほか、中村としまる、KenIkeda、坂本龍一、TaylorDeupreeとも共作を重ね、世界各国のレーベルから14枚のフルアルバムをリリース。 西洋医学・東洋医学を併用する医師でもあり、2014年10月にアンビエント・クリニック「つゆくさ医院」を開院 (https://tsuyukusa.tokyo)。随筆家としてelekingで「音と心と体のカルテ」連載中(https://www.ele-king.net/columns/regulars/otokokorokaradakarte/#004182)。漢方と食事と精神の指南書「からだとこころと環境」をeleking booksより発売。
www.tomoyoshidate.info

小川哲​ / SATOSHI OGAWA
イラストレーター。風景やモノを中心に、パターンワークやシンプルな形を使用したミニマルでリズミカルな作画で書籍や雑誌、CDジャケットを中心に活動。また音楽制作会社での勤務経験をもとに、ミュージックガイド「5X5ZINE」の制作/刊行を定期的におこなっている。
https://satoshiogawa.com/

YOSHITAKA SHIRAKURA
ノイズ・アヴァンギャルド、テクノとの混合、前衛的な”間”とビートの高揚感が、空間を特異に歪ませていく。 テクノとノイズを越境するパーティー”Conflux”を、代官山Saloonにて主催している。写真家としても活動し、様々なライブ、アーティストを撮影し、制作担当として映画『ドキュメント灰野敬二』にも関わる。
https://ysrn13.wix.com/yoshitaka-shirakura

Drink&Food:

あんびえん
餡子作りという限られた材料を元に独自の配合を研究し、日々理想の餡子を模索し続ける小豆研究家、池谷一樹によるケータリング餡子屋。一丁焼きたい焼き屋を目指し日々試行錯誤を繰り返している。今回は最中をまた同時にadzuki名義で活動する音楽家でもある。
https://adzuki-music.tumblr.com/

こくらさんのひねもす食堂
本業とは別に、生活の大切な一部として食に向かう。なんてことない料理でひねもす(一日中)おもてなしします。

あぶさん
高円寺の「あぶさん」、鴬谷の「うぐいす」、恵比寿の「あこや」と伝説を創りつづけてきた貝料理専門店より、この日限りの絶品貝つまみと日本酒を提供していただきます。

ぽんぽこ屋
手造りどぶろく屋。
無農薬自然農法のお米、神社の御神水から醸される、生きた微生物達の小宇宙は、全細胞が喜び踊る、奇跡の酒。まずは一杯どうぞ。


Pファンクとは何か? - ele-king

 先ごろ来日したばかりのPファンクが、日本ツアーを終えた直後の4月18日、レコード・ストア・デイ2015の限定商品のひとつとして、高額ボックス・セット『Chocolate City: London~P-Funk Live At Metropolis』を発売した。14年のロンドン公演を、DVD1枚、CD2枚、12インチ・シングル2枚という3種類のメディアに収めた作品で、パーラメント名義の75年作品『Chocolate City』の40周年記念にかこつけた豪華装丁版。品のある茶色の外箱はチョコレート・ボックス風の仕様、アナログ盤はマイルドとビターのチョコレート・コーティングをイメージした彩色が施されている。ふと思いついて今年の限定商品を価格順でソートしてみたら、案の定、一番の高額商品だった。買うんだから高いの出さないでよ~、と泣く泣く購入したが、公式ライヴ作品ならではのカメラ・ワークと鮮明な映像で、いつも通りの“Ain't no party like a P-Funk party(Pファンクのようなショーをやるバンドは他にない)”な楽しいライヴと、画面いっぱいに弾けるジョージ・クリントンの笑顔を見たら、なんかもう高かったけどいいやという気持ちになった。
 さて、いつも普通に「Pファンク」と言っているが、冒頭に紹介した高額ボックス・セットは「ジョージ・クリントン」名義だ。それ以外にも、長いキャリアの中で行なわれたツアーや発表された作品は、「ファンカデリック」名義、「パーラメント」名義、それに「Pファンク・オールスターズ」名義もある。こうした名義の多さはPファンクの実体をわかりにくくしている要因のひとつだと思うので、今回はこれらの名義に着目しながら、Pファンクの軌跡を大まかに辿ってみよう。

 そもそもの始まりは、まだ学生だったジョージが50年代後半に結成したドゥーワップ・グループ「ザ・パーラメンツ」だ。当初はバック・バンドともどもスーツでキメていたが、60年代半ばくらいまでにバンドに定着した十代の若者たち(ビリー・ベースや故エディ・ヘイゼルなど)は、当事、流行していたブリティッシュ・ロックの影響を受けてサイケなファッションに身を包み、クリームやジミ・ヘンドリックスなどを好んで聴いていた。ジョージもさすがにドゥーワップはもう時代遅れだと感じていたため、若い彼らの志向性を全面的に取り入れることに決め、その上で“Go crazy!”と号令を掛けた。これを境に、メンバーは競うように奇抜な衣装を着用するようになり、ジョージに至っては顔を出す穴を開けたシーツを全裸の上にはおるだけなど、クレイジーさに拍車をかけていった。つまり“Go crazy!(クレイジーになれ!)”の号令こそが、“Ain't no party like a P-Funk party”なライヴを展開するPファンクの現在の姿に直結する基盤を築いたのだ。
 そのうちバック・バンドには「ファンカデリック」という名前がつき、相前後して契約上の問題で「ザ・パーラメンツ」名義が使えなくなったため、ヴォーカル陣とバック・バンドはひとまとまりのサイケなファンク・ロック・バンド「ファンカデリック」となって、この名義でツアーをし、60年代終盤にはこの名義でレコード契約も結んで、年1作ペースでアルバムを発表するようになった。一方の「ザ・パーラメンツ」も名義の使用権が戻ったが、あまりに古臭いという理由で「パーラメント」に改名。70年には単発契約ながら『オズミウム』を出し、「ファンカデリック」名義の作品での音楽性を、もう少しポップにしてみたが、その試みはそれっきりになった。
 そして時は70年代半ば。ジョージはブーツィー・コリンズとの協力体制の下で、もはや有名無実化していた「パーラメント」をファンク部門の名義に仕立て直して再始動させた。これ以後、総がかりでレコーディングした曲を、「ファンカデリック」にはギター重視のファンク・ロック、「パーラメント」にはヴォーカルとホーンズを前面に立てたファンク、という基本方針にしたがって振り分け、それぞれの名義のアルバムを発表するという二本立ての体制が整い、一気に全盛期に突入する。当時のツアーは「パーラメント/ファンカデリック」名義で回り、ライヴ盤でも有名な「アース・ツアー」をはじめ、ステージ上にマザーシップが降り立つ壮大なショーを全米各地で展開。それが宗教的な熱狂を伴って迎え入れられたのはご存知のとおりだ。
 だが80年代に入ると比較的安価なシンセサイザーが普及したため、猫も杓子もエレクトロ化して人員削減するようになり、この風潮は大所帯のセルフ・コンテインドが基本で経費がかさむファンク・バンドにとって、大きな逆風となった。ちょうどその頃、ジョージが新たに立ち上げたレーベル、アンクル・ジャムの頓挫という事情も重なって、Pファンクは一派離散という最悪の状況に陥った。しかしいつの間にかエレクトロにも対応していたジョージは、自分の名前でソロ契約を結ぶと“Atomic Dog”の大ヒットを出して鮮やかに蘇り、「Pファンク・オール・スターズ」名義の大所帯バンドによるツアーを再開。この時の驚異的にタイトなライヴの記録は、ライヴ盤『Live At The Beverly Theater』に残されている。しかし“Atomic Dog”級の大ヒットが続かなかったため、大所帯バンドでのライヴは続行不可能となり、活動は再度、停滞した。80年代後半には、Pファンクはこのままフェイド・アウトしてしまうのかと思われたが、そんな矢先、当事、急速に人気を高めていたヒップホップのサンプリングによって、にわかにPファンクの再評価が進み、欧米のみならず日本でも、予期せぬPファンク・ブームが巻き起こった。そうした中で迎えた89年の初来日公演は、「うわ大勢いる。ジョージどれ? うわ音大きい。うわ全然、終わらない」と、生まれて初めて体験するPファンクの長尺ライヴの間中、興奮しっ放しだった。
 この頃は「Pファンク・オールスターズ」名義を使うことが多かったが、94年になると、ジョージは唐突に「パーラメント/ファンカデリック」名義を復活させた。何か重大な意味が? と、当時はいろいろ深読みしたが、たぶんその時その時で権利がクリアーになっていて使える名義の中で、最もインパクトのある名義を使う、というくらいのことだったのだろうと今は思っている。その後は「Pファンク・オールスターズ」だったり「パーラメント/ファンカデリック」だったり、わりと適当な感じだったし、要は名義が何であろうと実体はひとつ、難しく考えて振り回されることはない、ということだ。試みに、現在の形態に最も沿った呼称を考えるとすれば、「ジョージ・クリントン&ファンカデリック」になるだろうか。その理由は、「ザ・パーラメンツ」に端を発する「パーラメント」名義はヴォーカル・グループ、もしくはブーツィーを巻き込んだレコーディング・プロジェクトに使うのが相応しく、バンドのメンバーたちは今も、自分たちは「ファンカデリック」である、という意識が強いからだ。
 では「Pファンク」という名義は? ということになるが、これは「パーラメント/ファンカデリック」や「Pファンク・オールスターズ」などと同様、ジョージと彼が率いるグループの総体の呼称。だがたぶん商標登録が関わってくるような正式な名義ではなく、カジュアルな呼称だと思うので、厳密な区別が必要ない時は、いつでも使える便利な言葉だ。余談ながら、この言葉が公式に使われたのは、76年にパーラメント名義で発表された『Mothership Connection』収録曲の“P-Funk”が最初だが、もともとは単に「パーラメント」+「ファンカデリック」を略した通称的なものだったのではないかと思う。「ファンカデリック」名義でひとまとまりになっていた頃の67年には、“Parliafunkadelicment Thang”というマネージメント会社が設立されているので、たとえば“Parliafunk”→“Parfunk”→“P-Funk”とかいう具合に変化しながら、会社の通称として始まった可能性もある。“P”の意味を問われたジョージが“Pure”、“Perfect”、“Pee”など、“P”で始まる単語を列挙して、「最高のものから最低なものまで全部さ!」などと言うのを聞いたり読んだりしたことがあるかもしれないが、たぶんそれは、サーヴィス精神旺盛なジョージの、楽しい後付けだろうと思っている。
 蛇足ながら最後にもうひとつ。昨年秋に出版されたジョージの自伝『Brothas Be, Yo Like George Clinton Ain't That Funkin' Hard On You?』にも書かれていたので、もう言っていいと思うが、ジョージは長年の悪癖だったドラッグをついに断ち切った。そのため、直近の4度の来日、つまり09年の東京ジャズ、11、13、15年のビルボード・ライヴでの公演では、そのたびに前回より元気になっているという信じられない事態が起こっている。さらには40ポンドだったかの減量にも成功して、動作のひとつひとつも目に見えて身軽になった。00年、02年の来日時、そして06年に米東海岸のライヴを見に行った時には、話しかけるのもはばかられるくらい、傍目にも健康状態の悪さがわかって気掛かりだっただけに、近年のジョージの健康的な姿を見ると感慨もひとしおだ。今年7月の誕生日で74歳になるが、次回の来日でも今回よりさらに元気な姿で現れて、“Ain't no party like a P-Funk party”な、とびきり楽しいショーを見せてほしい。それもできれば3時間超のヤツを!

「ハテナ・フランセ」 - ele-king

  ボンジュールみなさん。本日のお題はフランスのお家芸のひとつ、デモとストライキ。

 ある日、フランスの国営ラジオの中でも若者向けでイケてるとされるLe Mouv’を聞きながら、そういや今日DJがしゃべんないなあと思っていた矢先「ただいまストライキのため、皆様のお聞きの放送は通常の放送ではありません。ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください」と流れた。
 あ、そういやフランスはラジオもストライキするんだったと思い出し、そんな時はどうなるんだっけと興味本位でしばらく放送を聴き続けると、ホワイト・ストライプス「Seven Nation Army」やら、最近テレビでもかかりまくってるブランディ&モニカの「The Boy is Mine」の恐ろしくダッサいフランス語カヴァーから、フランスの新人ラッパー、ジョルジオの曲までまあ脈絡のない選曲。
 というかそれすらしてなくて、局のライブラリーをランダムに放送してるだけかと思える曲たちが、数時間も聞いていると一回りしてもう一回掛かったりする、というどう見てもひどいとしか言いようのない放送が流れていた。
 フランスの国営ラジオはニュース/文化中心、クラシック中心、ジャズ中心、若者向けなど7局もの放送局を抱えているのだが、全部の局がその調子じゃいまだにラジオが重要なカルチャー発信源の一つとなっているフランスではオーディエンスのフランストレーションは結構なはず。しかもその時点で調べるとストライキは25日に突入です! とのこと。
 え? こんな放送なき放送が1ヶ月近く垂れ流されてるなんて、いい加減オーディエンスは怒るでしょ、と思いきや、周りのフランス人は「いや、これは彼らの権利だからね」とちょっと自慢げ。あれ、そこお国自慢のポイントだったっけ? と思ってハタとフランス人の権利好きを思い出した。

2012年5月1日メイデイ。労働組合は共産系が多い。cgtは炭鉱や工場など肉体労働者のための労働組合。photos by Cédric Gaury

 フランス人の子供が3〜4歳くらいから兄弟喧嘩で頻繁に使うようになる言葉の一つに「T’as pas le droit!」、直訳すると「おまえにそんな権利はないぞ!」というのがあり、意味合いとしては「やめろやい!」ということなんだが、ちびっこが権利なんて言葉使うんだ!? と最初は違和感を感じたものである。かようにフランス人は自分の権利に敏感でそれを主張するのが好きであり、その発露の一つがデモであり、ストライキなんである。
 ここでデモとストライキの簡単な定義を。この二つが違うのはわかってるけど、時々混同しちゃって「一緒にしちゃダメ!」とフランス人にプンスカ怒られる。デモは、日本でも反原発デモなどでも知られる通り、ひとつの思想なりスローガンなりの元に人が集まりその主張を行う行為で、フランス人のデモは行進とだいたいワンセット。5月1日はフランスでもメーデーであり、毎年パリでも労働組合を中心として労働条件の改善を声高に唱える大規模なデモ行進(祭りと密かに私は思っているが)が行われる。そしてストライキは労働者が雇用者に労働条件の改善などを求めて労働を行わないで抗議すること。デモで主張してもダメな場合は実力行使、と。

 ちなみに皆さんはもうご存知かもしれないが&日本もだいたい同じかもしれないが、このストライキの構造だが、まずは社員11名以上の会社では労働組合を組織することが義務付けられているのだが、その労働組合員代表は社員の投票によって決まる。そして、その組合員はフランスで正式に認められている労働組合連合に所属していることが多い。会社との交渉が行われる際はそういった労働組合連合を使ったほうがノウハウもあったり、ビラのコピーとか決起集会用ののぼりを作ってくれたりして便利らしい。そして交渉が決裂するとストライキをすることになるのだが、参加する社員は有給を使うことになる。ストライキをするかしないかはもちろんそれぞれの自由。しない人はしない人で主張があって、彼らも議論に応戦する体制はいつどんな時もバッチリできている。その時のよくある理論が「組合は自分たちと会社とのパワーゲームに勝つことに気を取られて、社員の利益を真に追求していない」というもの。

 旅行者がよく遭遇するストライキ体験は、航空会社エール・フランスのストライキで飛行機が飛ばないとか、タクシーがストライキで空港をぐるっと取り囲みパリ市内まで物騒なメトロに乗ってくるしか方法が無くて大変な思いをしたとか。世界一の観光地にして花の都パリは、綺麗かもしれない(あ、清潔とは違いますよ)がトラップがそこらじゅうに仕掛けてある刺激的な街でもあるのだ。
 そしてフランスの国民が日常的に遭遇するストライキ体験がメトロのストライキである。パリのメトロは東京のそれに比べると時間も正確じゃないし、故障やらなんやらで遅れることもしばしばだが、ストライキに入るとそれに加えて普段のダイヤの1/3やら1/2やらになる。そうなるともう通勤通学網は大混乱。それでもパリは山手線内にはいってしまうくらい小さいので、市内なら時間は多少かかっても最悪歩いて目的地まで行き着けることもあるが、郊外に住んでいるとそうはいかず、仕方なく普段の何倍もの時間をかけて通勤通学する羽目になる。
 そうするとフランス人のお得意のアレが出る。口を尖らせて「プー」と大げさにため息を吐くアレである。肩をすくめたり、目をぐるっと回したりするのと並んでのザ・おフレンチなゼスチャーのひとつ。ストライキ中の郊外の駅では「プー」の大合唱なのだ。もちろん私もここぞとばかりに張り切ってやる。まあ、権利権利というからには「ストライキ時にはぜったい文句は言わない」と豪語するフランス人もいるにはいるが、心の中では彼らだって「プー」なはずである。
 でもそうやって文句が言えなくなるとフランス人は生きていないので、彼らは生活が便利になりすぎるのを恐れているのでは、というのが私の持論だ。生活が味気なくなっちゃう、と。私に言わせればフランスでの生活は味気があり過ぎですけどね。

 兎にも角にもフランス人にとってストライキとはジュテーム・モア・ノンプリュな愛憎半ばする国民的行事なのではないかと思う。

Downtown boys ダウンタウン・ボーイズ


photo by Y.Sawai

 ダウンタウン・ボーイズは、プロヴィデンス出身のバイリンガル、ポリティカル・サックス・パンク・パーティ・バンドだ。ここ2、3年の間、プロヴィデンスのバンドに関わらず、ブルックリンのローカル・バンドのように、ブルックリンで絶えずライブをやっている。サックス2人、ギター、ベース、ドラム編成で、英語、スペイン語を織り交ぜ、音楽的にはパンク、ロック、ジャズなどをミックス、最高のエネルギーを、純粋な楽しさを、ダンスフロアにぶちまける。
 DIY会場から、ラテン・レストラン、ハウス・パーティからSXSWなどのフェスにも出演。真のDIYの彼らが、スクリーミング・フィメールズと同レーベル〈Don giovanni Records〉から、デビュー・アルバム『フル・コミュニズム(完全共産主義)』をリリースした。アメリカや世界での現在の批判的瞬間、産獄複合体、人種差別、同性愛偏見、国家資本主義、ファシズムなど、自分の精神、目、心を閉ざそうとする全ての物を破壊するためのレコードである。

 5月15日、レコードリリースを記念し、ダウンタウン・ボーイズのレコ発に行った。ブシュウィックのパリセーズ(https://palisadesbk.com)というDIY会場で、数ヶ前にはダスティン・オングと嶺川貴子やパーケット・コーツなどの新鋭のインディ・バンドがプレイしている会場である。
 かれこれ10回ほど見ているダウンタウンボーイズだが、今回のショーは今まで見た中で一番人が多かった。一緒にプレイしたバンドにもよるが、パンク・キッズが多いクラウドで、目の周りを黒く塗っている女の子や、顔中にピアスをしている男の子(タンクトップ率高し)、キスしまくっている女の子たちなど、むせ返った会場の雰囲気に圧倒された。以前、ダウンタウン・ボーイズの別バンド、マルポータド・キッズを見た時と同じ雰囲気、それがさらに倍である。


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja

 シンガー、ヴィクトリア・ルイズが、語り(叫び)はじめながらショーはスタート。パンクを注入したギター・ラインとコーラス、伝染性の強いサックス・ライン、ファンキーで不吉なホーン・ラインなど。ダウンタウン・ボーイズの曲は、エネルギーの塊だ。この世代が、時代に風穴を開ける力があることを証明する。彼らこそ、現在の声明である。
 ヴォーカルのヴィクトリアは、種差別やその他の差別、政治的なトピックを持ち出し、歌っているのと同じくらい喋ってる(叫んでいる)し、オーディエンスはそれに答え、前の方ではモッシュも起こり、会場全体が彼らのサポーターであるかのようだ。
 私自身は政治的な解説を加えるほどの知識を持たないが、この辺りは、アメリカのバンドを色濃く表しているように思える。レコードでこの熱気が伝わるかわからない。彼らが命を懸けているのは、そのパフォーマンスに、そして声を大にして叫びたいメッセージなのは間違いない。
 現在の音楽に対して、政治に対して、そして世の中に対する革命を主張する。いちどライヴ体験をすると、頭の中をスカッと風が吹く。彼らは何処でも100%だ。

 ダウンタウン・ボーイズのダニエルとノーランは、ホワット・チアー・ブリゲイドという19人バンドでもプレイしている。(https://www.whatcheerbrigade.com)
 彼らはビルディング16という会場を運営していたのだが、場所が取り壊されることになった。ラストショーに招待されたのだが、いつ見ても、彼らのストリート・バンドたる精神にど肝を抜かれる。
 人数が多いので(19人!)、ステージには入りきらない。フロアはもちろん、天井に通っているパイプによじ登ったり、手狭なステージから降り、マーチングをはじめ、会場の外で演奏を始めたり、お祭り騒ぎがオーディエンスを自然に巻き込むパフォーマンスになっている。

●ビルディング16でのホワット・チアー・ブリゲイドのラストショー:

●ビルディング16でのダウンタウン・ボーイズのショーが含まれたプロモ・ヴィデオ:

オフィサーが引張叩かれる度に、裸にされ、最後はバンドで歌ってる。

●Wave of History:

アメリカの小学校の社会の教科書に使われるべきだと思う。

 さらに、ヴィクトリアとジョーイは、マルポータド・キッズというラテン、エレクトロな別バンドもやっていて、6月全般はイースト・コーストからミッド・ウエストをツアーする。
https://www.facebook.com/MalportadoKids

 ダウンタウン・ボーイズと同郷プロヴィデンス出身の、ライトニング・ボルトは偶然にも、ダウンタウン・ボーイズのレコ発パーティの日に、ブルックリンの別会場のウィックでショーをやっていた。悩んで、ダウンタウン・ボーイズのショーに来たのだが、考えてみればダウンタウン・ボーイズとライトニング・ボルトには、たくさんの共通点がある。お互い自分たちの場所を持っていたし(ダウンタウン・ボーイズはビルディング16、ライトニング・ボルトはフォート・サンダー)、レコードよりライヴが一番、現場主義だし、とてつもないエネルギーを発散させるし、ビルディング16のラスト・ライブの時は、ライトニング・ボルトのメンバーも遊びにきていて、彼ら同士も交流がある。プロヴィデンスーブルックリンの関係も踏まえて、ダウンタウン・ボーイズが、彼らの直継承者であることは間違いない。

Punk

Downtown Boys
Full Communism Import

Don Giovanni Records

Amazon
Bandcamp
Don Giovanni Records

interview with Prefuse 73 - ele-king


Prefuse 73
Rivington Não Rio + Forsyth Gardens and Every Color of Darkness

ElectronicHip Hopabstract

Tower HMV Amazon iTunes

プレフューズ73の帰還。これは2015年のエレクトロニック・ミュージックにおける「事件」といってもいい出来事だ。

 プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレン。彼は90年代のDJシャドウ、モ・ワックスなどのアブストラクト・ヒップホップと2000年代以降のフライング・ロータスを繋ぐ重要なミッシングリンクである。時代はプレフューズのファースト・アルバム『ボーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』(2000)以前/以降と明確に分けられる。彼は偉大な革命者だ。エレクトロニカとビート・ミュージックを繋げることに成功したのだから。その革命者が帰還した。これを「事件」と呼ばずして何と呼ぼうか。

安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、嫌になってしまった。

 事実、プレフューズ73名義の作品は2011年にリリースされた巨大な万華鏡のような『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』以降、リリースはされていなかった。なぜ、プレフューズは沈黙したのか。それは私たちリスナーにとって大きな謎だった。しかしどうやら、彼の沈黙は「怒り」でもあったようだ。彼はこう語る。「同じような音楽を作っている連中が増えたのも事実だ。スクリレックスが悪いとは言わない。けど皆が彼の真似をはじめて、それまでのエレクトロニック・ミュージックが否定されたような気がしてしまった」と。こうも述べている。「安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、ツアーしたときにも共演するアーティストがそういう連中ばかりになって嫌になってしまった」。そして「エレクトロニック・ミュージックがしばらくつまらなくなった」とも。

2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった。

 むろん、ギレルモ・スコット・ヘレンは活動を止めていたわけではない。彼は「活動休止をしていたわけではなくて過渡期だった」と語っている。そのかわりティーブスやマシーンドラムなどのアーティストと活発なコラボレーションを行い、自身のレーベル〈イエロー・イヤー・レコード〉を主宰した。また、昨年にはプレフューズ73として来日もしている。「今回のリリースに関しては、作品を急に出そうと決めたわけではないんだ」と語る彼は、プレフューズとして機が熟するのを待っていたのだろう。そして新しいスタートの準備を着実に進めていた。
 彼は大長い時間かけて録音・制作を行っていたのだ。制作期間は「2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった」と語っている。その成果が1枚のアルバム『リビングトン・ナオ・リオ』にまとめられたというわけだ。
 むろんアルバムを聴けばその時間も納得できるはず。精密で聴きやすく、ビートも深く、なおかつポップだ。今回は音質にもこだわったようで非常にクリアなサウンドが実現している。アルバムに時間がかかったぶん、EP『フォーサイス・ガーデンズ』と『エヴリカラー・オブ・ダークネス』(日本盤はアルバムとEPをまとめて2枚組にしている)は、スムーズに制作できたようだ。驚くべきことに数多くのアウトテイクも存在するという!

テクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

 そして、古巣〈ワープ〉から離れ、ハウシュカやウィリアム・バシンスキーなどを擁する〈テンポラリー・レジデンズ LTD〉からアルバムとEPを発表する。その新レーベル移籍の理由をこう説明する。「(テンポラリー・レジデンズ運営の)のジェレミーは近所に住んでいて、すごくいい奴なんだ。〈ワープ〉は大きなレーベルで、長年〈ワープ〉からリリースしてきたから、今回はもう少しこぢんまりしたレーベルからリリースしてみたくなった。所属しているアーティスト数も多くないのでやりやすいね」。巨大レーベルに委ねるのではなく、自らの手の届く中で着実に作品をリスナーに送り届けること。そこには彼なりに「自由」への希求があるのだろう、
 その「自由」も追い風を受けるかのように、新作においては、〈ワープ〉後期においては抑圧していたビートと、封印していたヴォーカル・チョップが復活している。これぞまさに初期プレフューズを彷彿させるマイクロ・エディット・ビート/サウンドだ。彼自身は、それら「復活」については、「意図的でない」とさらりと受け流している。「今回のビートを作っている最中に自然にまたそれが出てきたんだ」。つまりテクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。

 この新作には『サラウンデッド・バイ・サイレンス』(2005〉以降のアルバムにあった重苦しさはない。ギレルモ・スコット・ヘレンも「『サラウンデッド・バイ・サイレンス』以前の作品のように満足のいく仕上がりだ。俺は自分の音楽に対して批判的になりやすいけどこの3つの作品は自分でも聴き返すし出来に満足している」と語っているほどだ。
 本作には、新しいスタート/新しい人生をはじめるかのようなフレッシュさに満ち溢れている。現在、彼はニューヨークを生活の拠点にしているというが、不思議なアルバムタイトルもこの街に関係しているようだ。「ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。ニューヨークのロウアー・イースト・サイドのリヴィングトン・ストリートに“ABC No Rio”というコミュニティ・センターがあるんだけど、プレフューズ73として音楽を作りはじめたときにこのセンターの近くに住んでいた。いまもその近くに住んでいる」。

自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ

 続けて彼はこうも述べている。「このアルバムにはとくにコンセプトはない。コンセプトを先に決めると束縛されたような気持ちになるから」。そう、あくまで自由。あの重厚な『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』の迷路を抜けた先に、このような陽光に満ち溢れた音楽世界がまっていたとは誰が予想できたか。間違いなく、プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンは帰ってきた。
 「宇宙をしばらく旅して、地球に戻ってきて、自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ」。そう語る彼の「いま」のサウンドに迷いはない。清冽でメランコリックで、ポップで緻密でクリアだ。この2枚組のアルバムは、偉大なるビート/エレクトロニック・アーティストの新しいスタートなのだ。

interview with Henrik Schwarz - ele-king

 ベルリンのハウス/テクノDJ、ヘンリク・シュワルツはそんなに多くのトラックを量産するタイプではないが、これまでにリリースした曲はどれもユニークで、印象に残るものばかりだ。

 最近では2011年に傑作アルバム『デュオ(DUO)』として結実した、ノルウェーの先進的ジャズ・ピアニスト、ブッゲ・ベッセルトフト(Bugge Wesseltoft)との共演、さらにその続編でベースのダン・バーグランド(Dan Berglund)を加えトリオ編成になった2014年の『トライアローグ(Trialogue)』を鮮明に記憶しているひとも多いだろう。それ以外にも、プリペアド・ピアノで有名なニック・バーチ(Nick Bartsch、スイス)やハウシュカ(Hauschka、ドイツ)とも共演。自分はMacやiPadでプログラミング/制御したヤマハの自動演奏ピアノを操り、それら鬼才との異世界インプロを成功させている。


Henrik Schwarz
Instruments

Sony Classical

TechnoHouseClassic

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 2013年11月、翌年に東京での開催を控えた〈レッドブル・ミュージック・アカデミー〉の前哨戦として〈ウイークエンダー(Weekender)〉なるイヴェントが行われ、そのオープニングとして企画されたのが築地本願寺におけるスペシャル企画、ヘンリク・シュワルツ・インストゥルメンツ(Henrik Schwarz Instruments)のコンサートだった。ヘンリクの楽曲をオーケストラ向けにアレンジしてクラシックのコンサートのように演奏するというプロジェクトの最終形態とも言えるもの。指揮の秋山愛美以下、日本のクラシック界の将来を担う若手演奏家27人が集まってTokyo Secret Orchestraと名づけられた一夜限りの編成。これまで組んだオーケストラよりも格段に若く意欲的であったこの楽団は、リハーサルからヘンリクの心を鷲掴みにしたようで、ライヴ録音されたその日の演奏は、ヘンリク自身によりエディットやミックスを施され、アルバムとしてリリースされることになったのだ。


ロイヤル・コンセルトヘボウにて、ネーデルラント室内管弦楽団と

■ヘンリク・シュワルツ / Henrik Schwarz
72年生まれ。ベルリンを拠点とするベテランDJ、プロデューサー。DJとしてキャリアをスタートさせ、後に作曲も開始、2002年に〈Moodmusic〉より『Supravision EP 』をリリースした。以降精力的に作品を発表しつづけ、2005年には『Leave My Head Alone Brain』 がヒット。現在もさまざまなアーティストとともに型にはまらない幅広い活動をつづけている。

ただテクノやハウスのトラックを模倣するんじゃなくて、もっと抽象的で、新しいアコースティック楽器のための音楽を作りたいんだとわかってきた。

あなたのDJミックス以外の初めてのアルバムがオーケストラとの共演で、クラシック専門レーベルから出るということに驚いたファンも多いのでは?

ヘンリク:僕自身もすごく驚いてるよ(笑)。そもそも、このプロジェクトがスタートしたきっかけは、4年前に〈Jazzopen〉というシュトゥットガルトのフェスに参加するオーケストラから、1時間の共演を依頼されたことなんだ。彼らはオーケストラの演奏にビートを加えるっていう形を提案してきたんだけど、それはつまらないしあんまり趣味がよくないと思って、かわりに自分がエレクトロニック・ミュージックの視点でオーケストラのために曲を提供できたら、そのほうがおもしろいことができるんじゃないかと話した。いつも自分は音楽で異なる世界の架け橋になりたいと思っているし、テクノとクラシックは遠く隔たりがあるけど、そこに挑戦するのは興味深いプロジェクトになると考えたのさ。

過去にクラシックの楽器を演奏していたことがあるんでしょうか。

ヘンリク:いや、正直言うと楽譜を読んだり書いたりもできないし、生楽器のこともあまりよく知らなかったんだ。だからオーケストラ側に、曲を譜面に起こすのを手伝ってくれるひとが誰かいないかと頼んだ。このアイデアを実現するには絶対必要な要素だからね。そうしたら、若いアーティスト、ヨハネス・ブレヒトを紹介してくれて、彼といっしょに作業することになった。彼はもともとクラシック畑の人間だったけど、ダンス・ミュージックに興味があったし、僕はクラシックを吸収したいと思っていたから互いの方向に進んだ感じだったんだ。僕らはとても気があって、プロジェクトは最初からうまくいく予感がした。最初は僕がサンプリングした楽器音を構成して、こういうことがやりたいんだって説明したよ。それから、リハーサルに入ったときに、あまりにいろんなことが起こりすぎて僕がちょっと制御できなくなったんだけど、最初の曲“ウォーク・ミュージック(Walk Music)”が流れはじめた途端に、『あ、これはすごくおもしろいし、うまく行きそうだ』という予感がして、すぐに継続していくことを決めたんだ。

けっこうな冒険ですね。もともとクラシックがすごく好きだったとか、そういう背景があるのかと思ってました。

ヘンリク:以前から興味はあったけど、深く入り込むことができなかったね。壁がある感じもあるし、あまりに膨大でどこから手をつけていいのかわからなかった。それで、このプロジェクトがはじまったころに知りあった、知識も経験も豊富なひとたちにガイドをお願いして、この4年間はたくさんクラシックを聴きまくったよ。

好きな作曲家を挙げてもらえますか?

ヘンリク:まず、モーリス・ラヴェルの大ファンだね。ただ、誰もが知ってる『ボレロ』じゃなくて、ピアノの曲の方が好きなんだ。もちろん、『ボレロ』の革命的なアイデアはすごいと思うし、なぜこれだけ皆に愛されるのかもわかるけど、僕はピアノの奏でる美しいハーモニーに惹かれる。それから、イーゴリ・ストラヴィンスキーも素晴らしいね。彼の『火の鳥』や『春の祭典』も革新的な楽曲だったと思うけど、バレエの音楽でダンス・ミュージックと強いつながりのある作曲家だよね。僕もずっとダンス・ミュージックをやってきたわけで、やはりそこは入りやすかったし、とても共感できたね。

写真をみるとヨハネスはすごく若いアーティストのようですが、あなたにとってよきパートナーであり、先生にもなったということですね。

ヘンリク:ダンス・ミュージックに興味を持っていたというだけじゃなくて、作曲編曲や楽器のこともよく知っている上、すべての作業をコンピューター上でやれたことも大きかったんだ。まずコンピューター内でシミュレーションができたし、すぐに音を聴いて確認できるのも重要だった。いつも僕がやってる手法だからいっしょにやることができたんだ。このパートはこの楽器でやったら合うんじゃないかっていうアイデアがあったら、それをすぐに試せるってことだからね。

過去にもDJやダンス・ミュージックのプロデューサーがオーケストラとの共演を試みたことがありました。たとえばジェフ・ミルズ(Jeff Mills)の『ブルー・ポテンシャル(Blue Potential)』プロジェクトとか。そういったものは、プロジェクトの方向性を決める上で参考にしましたか?

ヘンリク:もちろん。ジェフのプロジェクトはすごいと思ったし、実際あれがあったから僕も自分なりのアイデアでオーケストラと共演できるかもしれないと考えたんだ。ただ、ジェフが試みたことと同じことをやってもしょうがないし、もう一歩エレクトロニックな原曲からは離れた形でやってみようと決めた。僕の知るかぎり、過去の例ではほとんどの場合、オーケストラがエレクトロニック・ミュージックを模倣しよう、シンセみたいな音を出そうとしてるように感じたんだ。キーもテンポも原曲と同じで、キックが入ってくるケースも多い。僕はそういうものにあまり興味を感じなかった。最初のころは、単なる直感だったんだけど、進めていくうちに、ただテクノやハウスのトラックを模倣するんじゃなくて、もちろん最初のインスピレーションはそこから得るけれど、もっと抽象的で、新しいアコースティック楽器のための音楽を作りたいんだとわかってきた。

コンピューターに働いてもらって音楽を作るのは楽だよ。でも、オーケストラと仕事をするならメンバーと戦っていかなきゃならない。それは無益な戦いじゃなくて、みんな最終的にはいいコンサートをするために、美しい音楽を演奏するために主張して、戦うんだ。

なるほど。この東京での公演以前にも、ドイツなどで別のオーケストラとこのプロジェクトをやっていますが、何度か実験を繰り返してやっと満足のいくものができたという感じなんでしょうか。

ヘンリク:そうだね、ベルリン、スイスのチューリッヒ、オランダのアムステルダムでやった。じつは録音自体も3回トライしているし、まったく平坦な道のりではなかったよ。最初は、無謀にも全部自分でやろうとしたんだ。ベルリンの教会を借りて、ミュージシャンをそこに集めて録音した。でも、これは望んだようなクオリティには達してないと感じてね。後になって振り返るとヨハネスと僕とで、オーケストラを、あれだけの数の生楽器をきちんと録音するなんて絶対無理だった(笑)。その後アムステルダムと東京でも録音したけど、東京がベストだった。リハーサルで最初の一音を出したときから、Tokyo Secret Orchestraは素晴らしかった。情熱を感じられたし、雰囲気もヨーロッパのオーケストラと比べたらぜんぜんオープンだったしね。すごく感心したよ。


東京でのリハーサルの模様、Tokyo Secret Orchestraと

それに、あんな歴史のあるお寺の本堂でやるというのもすごく良かった。ルーム・アンビエンスも生楽器のユニークな響きにつながっていたましたね。築地本願寺でやろうというのは、レッドブル側のアイデアだったんですか?

ヘンリク:そうなんだ。オーケストラのメンバーのチョイスも手伝ってくれたし、今回のプロジェクトはレッドブルなしでは実現しなかったね。僕はあのお寺のことも知らなくて、最初に連れて行かれたときには本当にぶっ飛んだよ。いまでもあんな場所でコンサートができたことが信じられないし、一生忘れられない経験になった。

4年もこのプロジェクトをやってきて、なにか興味深い逸話、経験がありましたか。

ヘンリク:そもそもヨーロッパではクラシックの世界とDJが交わることもあまりないし、オーケストラの人たちに会うと、まず自己紹介からして大変なんだ。誰も僕のことなんて知らないし、まず“君は誰?”ってところからはじまり、“こちらはテクノのプロデューサーで……”なんて誰かに紹介されても“は? なんだって?”っていう反応だしね(笑)。それに、4年間これをやっているうちに楽しめるようになってきたけど、30人それぞれ別個の考え方や態度、個性を持ったミュージシャンが集まるわけだから、それをまとめるのはとてつもなく大変なんだ。そもそも演奏したくないって人、指揮者が気にくわないって人、曲が嫌いだって人、逆に曲が大好きだって人、木管がダメだって言う弦の人……もうとにかくいろんなドラマが楽団の中に渦巻いてて、こんなもの制御できるわけないよ! って思ったこともある。でも、そういう数々のドラマがすべて音楽に注ぎ込まれる瞬間があって、その美しさたるや素晴らしいものさ。コンピューターに働いてもらって音楽を作るのは楽だよ。文句を言ったりしないしね。でも、オーケストラと仕事をするなら、メンバーと戦っていかなきゃならない。それは無益な戦いじゃなくて、みんな最終的にはいいコンサートをするために、美しい音楽を演奏するために主張して、戦うんだ。

世界を駆けまわる人気DJになると、毎週末パーティ漬けの日々になり、なかなかスタジオに腰を据えてじっくり曲を作るなんてことをしなくなってしまうひとがほとんどです。一方あなたは、こんな大変そうなプロジェクトをいくつも抱えて、新しいことに挑戦している。どうやってそんなことを実現させているんでしょう。

ヘンリク:いい質問だな! ここ2年ほどは本当によくそのことを考えてきたよ。なにしろ、このアルバムのためにすごく長い時間を費やしてきたからね。DJのために旅に出て、帰ってきてまた即スタジオに入っていうのは難しい。心とスケジュールに余裕がないとダメだし、キツキツでやっていたらトゥーマッチな状態になってしまう。バランスが重要なんだ。それで制作にかける時間をもっと長く取ることにした。ただ毎日旅してパーティしてそれを続けるだけの、新譜さえチェックしてればいいというDJだったら、もうずっとそればっかりでもいいんだろうけど、プロデューサーとして創造を続けようと思ったら、それじゃダメなんだ。頭にもスケジュールにも“空き”がなくちゃいいものなんてできないし、自分が壊れてしまう。だから、僕が学んだことは、どんなに最高に思えるようなオファーでも断る勇気を持つこと、足るを知るということだよ!

フットワークを愛するひとたちへ - ele-king

 いやー、去年末の〈Hyperdub〉ショウ・ケースはすごかった。メインフロアはもちろんですが、セカンドフロアで行われていたWeezyたちによるKata Footwork Clubのダンス・バトルがハンパではなかった。D.J.FulltonoやTrekkie TraxのDJプレイに合わせて、ダンサーたちが激烈フットワークをかましているのを見ていた僕は楽し過ぎて思わず足を踏み出してしまい、危うくバトルがはじまりそうに……。

 そんなスリルを味わったことがある方とフッットワークを心から愛する方へ。今週金曜と来週月曜は彼らのホームであるLIQUIDROOMの2階へ集合しませんか? ダンサーであると同時に優れたプロデューサーでもあるWeezyあらためWeezyTheEra。15日の金曜日は彼のファースト・アルバム『THE FLOOR IS YOURS』のリリース・パーティが開催されます。EXS、sauce81、D.J.Aprilといった彼に馴染み深いDJたちも駆けつけます。もちろんフッチワークをしてもいい……、ハズ。

 そして週明け18日月曜日には、フットワーク・シーンのパイオニアTraxman主催の〈Tekk DJ'z〉に所属すDJ Innesがメルボルンから、Violet Systemsがシカゴから来日します。金曜と同様にD.J.AprilとWeezyTheEraやFruityたちも参加決定。もちろんKata Footwork Clubも集合! 今回もお馴染みのフットワークのレッスンがあるので、これでいきなりバトルに突入してしまっても大丈夫ですね。入場料も金曜日が1000円、月曜日が1500円ととてもお得なので、Let me see your footwork!

2015.5.15 friday
SHINKARON presents WeezyTheEra "THE FLOOR IS YOURS" Release Party!!!

Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]
19:00-23:00
door only 1,000yen(with WeezyTheEra's Mix CD)

DJs:
WeezyTheEra(SHINKARON/TH王RA/Kata Footwork Club)
EXS(NTB)
sauce81(disques corde)
D.J.April(Booty Tune)
TEDDMAN(Booty Tune)
Deemc


2015.5.18 monday evening
Battle Train Tokyo feat. Tekk DJ'z

KATA[LIQUIDROOM 2F]
open/start 19:00-23:00
door only 1,500yen

Special Guest DJs:
DJ Innes(Tekk DJ'z from Melbourne)
Violet Systems(Tekk DJ'z from Chicago)
DJs:D.J.April(Booty Tune)
Fruity(SHINKARON)
Kent Alexander(PPP/Paisley Parks/NDG)
TEDDMAN(Booty Tune)
Dance/Footwork:Kata Footwork Club[Murahkey, Re:9, Takuya, Yamato, WeezyTheEra]


▼ DJ Innes(Tekk DJ'z from Melbourne)
Traxman主宰のJuke/Footworkクルー、Tekk DJ'zに所属するオーストラリア在住のDJ。オーストラリアではGaming Cult Podcastという番組を仲間のBoomaらと配信しており、Gaming CultというレーベルとしてもDJ Deeon、DJ Clent、DJ Earl、D.J.Fulltonoらが参加したコンピレーション"Gaming Cult Trax vol.1"やBags & Works参加アーティストDJ TroubleのEP"Eye of the Circle"を発表している。また彼自身も曲を作り、その作品は前述した"Gaming Cult Trax Vol.1"やTekk DJ'zのコンピ"The Tekk DJ'z Compilation Volume 1 Part 2"で聞く事が可能。上記した作品はいずれもBandcampで購入できる。
https://soundcloud.com/djinnes
https://culttrax.bandcamp.com/album/gaming-cult-trax-vol-1

▼Violet Systems(Tekk DJ'z from Chicago)
Traxman主宰のJuke/Footworkクルー、Tekk DJ'zに所属するシカゴ在住のDJ。過去には韓国に住んでいた事もあり日本にも何度か訪れている親アジアな側面もある事から日本のJuke/Footwork愛好家達にも名が知られている。Tekk DJ'zのコンピ"The Tekk DJ'z Compilation Volume 1 Part 1"への参加の他、九州は小倉のJuke/Footwork DJ、naaaaaooooo氏監修のEP"KOKLIFE Vol.1"に参加。またSoundcloud上でも精力的に作品を発表。Bandcampにてこの夏新作EPの発表を予定している。
https://soundcloud.com/entroemcee
https://violetsystems.bandcamp.com

▽ WeezyTheEra(SHINKARON/TH王RA/Kata Footwork Club)
国内ジューク/フットワーク・シーン最初期から活動するオリジナル・ジャパニーズ・フットワーカー。その活動はアグレッシブな高速フットワーク/ダンスだけに留まらず、トラックメイク、DJもこなすオールラウンダーとして国内シーンを支え続けて来た。2014年初夏には日本トップレベルの足技を武器にフットワーク総本山シカゴやニューヨークへ渡り、現地アーティストやダンサーと交流を深め、世界最高峰のフットワーク・クルーTH王RAに電撃加入。日本のキャプテンに指名される。これまでに所属レーベルSHINKARONより「ON NUKES EP」、「ON NUKES LP」をリリースしているほか、外部レーベルのコンピレーションにトラックを複数提供。また、自身のSoundCloudでも定期的に作品を発表している。2015年4月26日に待望のデビュー・アルバム『THE FLOOR IS YOURS』をリリース。今、活躍が最も期待されるアーティスト。BTTではフットワーク・レッスンの講師も務める。
https://weezytheera.wix.com/teklife
https://soundcloud.com/rioqmt
https://weezymarket.bandcamp.com
https://instagram.com/weezytheeralife

▼ D.J.April(Booty Tune)
Hardfloorでシカゴハウスに目覚め、そんなサウンドをのらりくらりと追いかけつつ、Jukeレーベル「Booty Tune」のPR&ARをしております。
https://twitter.com/deejayapril
https://bootytune.com

▼Fruity(SHINKARON)
ジューク/フットワークDJ、トラックメイカー。SHINKARON主宰。2009年パーティー"SHINKARON"を始める。2012年より同名をレーベルとしても始動させ、自身のの他、Weezy、Boogie Mann、吉村元年やDJ Rocなど国内外様々なアーティストの作品をリリースし続けている。2014年3月に1stアルバム"LET DA MUZIK TALK"を発表した。
https://shinkaron.tokyo

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