「Dom」と一致するもの

Common - ele-king

 コモンの新譜情報を漁っていて見つけた『ローリング・ストーン』の記事には「先行シングル『Black America Again』のアウトロでスティーヴィー・ワンダーは歌う:『山のような問題を解決するひとつの手段として、人を自分にとって大切な誰かであるかのように思うこと(以下略)』」などと書かれていたので、あれ、これはジェームズ・ブラウンのMC音源のサンプリング部分のことでは、てか『ローリング・ストーン』誌ともあろうものがこんな間違いをするだろうか、とコメント欄を開くと「スティーヴィーじゃない、JBだよ」というどこかの誰かの呆れたような短い一文がぽつんと書かれているだけで別に訂正もされていないところを見ると、ひょっとすると誰もこの曲について大した関心は持たなかったのではないか、と思えてくる。

 しかし、いくら何でもJBとスティーヴィーを取り違えたままでいいものだろうか。

 シカゴ出身のラッパー、コモンの11作目となるアルバム『Black America Again』がアメリカでリリースされたのは11月4日、米大統領選投票日の4日前である。「(ま、いろいろ突っ込みどころはあるけど)どうせヒラリーじゃね?(盛り上がんねぇなぁ)」といった物見遊山なムードだけを感じつつぼんやり日本から眺めていた自分は日本時間の11月9日頃にはやべえ、やばいけど落ち着け、などと極めて凡庸にうろたえておりました。そんな中でふと、本当に偶々コモンの『Black America Again』を耳にして、ああアメリカにはこの人がいた、とようやく自然な呼吸ができるように思えたのでした。

 選挙後、同じくシカゴ出身のカニエ・ウエストが、あたかも面白ポップにひねり過ぎて自分自身を捩じ切ってしまったかのような先月の惨状とは際立って対照的に、かつてカニエと組んで『Be』(2005)/『Finding Forever』(2007)などのヒット作を飛ばしたコモンが見せる姿勢は今作もほとんど揺るがない。相変わらず重層的にメロディアスであることも、生真面目に「一枚目」を務めることなど躊躇わない様子も、先人の遺産への深い敬意と愛着を失わないことも全て含め、何はともあれキャッチーに売れなくては、といった発想ではないのが清々しい。件のシングル「Black America Again」の20分を越すロング・ヴァージョンPVなどはさながら実験映画のようでもあるし。

 アルバムとしては自伝的なリリックにTasha Cobbsのヴォーカルで締めくくられる14曲目“Little Chicago Boy”でシミジミと終わる、というのが無難に常道なやり方であるはずなところにボーナス・トラックのごとく足された(奴隷制廃止から現在に至る150年間の連続性を扱ったAva DuVernay監督のドキュメンタリー長編『13th』(2016)で使用された曲とのこと)15曲目“Letter To The Free”が、そんなリラックス・ムードで聴いている人間に軽く平手打ちを喰らわすかのように鳴り響いてくる。

 「俺らが吊るされた南部の木、その葉」という、ビリー・ホリデイの“奇妙な果実”を本歌取りした一節から始まるこの曲は畳み掛けるように「The same hate they say will make America great again」とトランプの選挙戦キャッチフレーズを折り込み、「Freedom, Freedom come, Hold on, Won't be long」というチャントで終わる。そんなラスト曲を繰り返し聴いていると、元々は『Little Chicago Boy』にする予定だったらしいアルバム・タイトルを『Black America Again』に改めた彼の確かな危機感も伝わってくる。そう言えば、ずっとクリントンを応援していたアメリカの友人(黒人ではないがゲイの映像作家)のことが心配になり、でも事情を何も知らないジャパニーズがいまさら何と声を掛ければ良いもんやら、と途方に暮れながらも投票日から数日後に短いメールを送ったところ速攻で「今や皆がアクティヴィストになっている。確かに解き放たれた感はあるがしかし、この恐怖はリアルなものだ」とこれまた短い返信があった。

 実は冒頭に触れた『Black America Again』について書かれた記事で「アウトロでスティーヴィー・ワンダーが歌う」という記述は間違いではないのであるが、致命的なことにラインが違う。ジェームス・ブラウンの語りに続いてスティーヴィーが10回以上繰り返し実際に「歌う」のは「We are rewriting the black American story(ブラック・アメリカンの物語を書き直すのだ)」というワンフレーズである。果たして歴史なり現実なりが「物語」に回収されていいものだろうか? とは思うものの、何かが危機に瀕しているらしい時に人びとをユナイトさせるのは良かれ悪しかれある種の「物語」である、というのもまた事実である。

 真面目な正論っていつだって何だか息苦しい(よね)、という時代が妙に長すぎたせいか、最早ポップなものは多かれ少なかれふざけたアティテュードをまぶさないと拡がらない、といった情勢は末期的ではありつつもまだ今のところ隆盛だ。が、コレ面白いから見て見て見て(聞いて聞いて聞いて)と氾濫する情報に窒息しそうな自身に気付いた時、ド直球にまともな作品に触れることでこれだけ楽に息ができるのだ、という現実はどう考えても未だ経験したことのない感覚である。

EQUIKNOXX - ele-king

 いま紙エレキングの年末号で死ぬほど忙しいのですが、重要なニュースを告知し忘れておりました。イキノックスが来日します!! 予告として言ってしまいますが、今年の年間ベスト30で、イキノックスは、満場一致でかなり上位に選んでおりまして、ダンス/クラブ系ではダントツ1位っすわ。
 まずはネットで探して聴いて。これ、ダブステップ/グライムの“次”を探していた人なら、間違いなく、「うぉ!」と唸りますよ。そして、このプロデューサーがジャマイカ人だと知ったら、さらに驚くでしょう。いや、ジャマイカの音の革新力、まったくいまも衰えていませんわ。UKのクラブでも大流行だっていうし。すげーよ、ホント、ダンス・ミュージックは更新される!

Goldie × Lee Bannon - ele-king

 10月にコンゴ・ナッティとマーラを迎えて開催された「Drum & Bass Sessions」こと「DBS」の20周年記念パーティ。なんと、その続報が届けられました。2016年を締めくくる「DBS20TH」第2弾は、ドラムンベース/ジャングルの帝王ゴールディと、〈ニンジャ・チューン〉などからのリリースで知られるリー・バノンの夢の共演です(リー・バノンは今月Dedekind Cut名義で新作『$uccessor』をリリースしたばかり)。相変わらず豪華な面子でございます。12月17日(土)は代官山UNITにて、一夜限りの「THE DARK KNIGHT BEFORE CHRISTMAS!!!」を体験しましょう。

★GOLDIE (aka RUFIGE KRU, Metalheadz, UK)

"KING OF DRUM & BASS"、ゴールディー。80年代にUK屈指のグラフィティ・アーティストとして名を馳せ、92年に4ヒーローの〈Reinforced〉からRUFIGE KRU名義でリリースを開始、ダークコアと呼ばれたハードコア・ブレイクビーツの新潮流を築く。94年にはレーベル〈Metalheadz〉を始動。95年に1stアルバム『TIMELESS』〈FFRR〉を発表、ドラムンベースの金字塔となる。98年の『SATURNZ RETURN』はKRSワン、ノエル・ギャラガーらをゲストに迎え、ヒップホップ、ロックとのクロスオーヴァーを示す。その後はレーベル運営、DJ活動、俳優業に多忙を極めるが07年、RUFIGE KRU名義で『MALICE IN WONDERLAND』を発表、08年に自伝的映画のサウンドトラックとなるアルバム『SINE TEMPUS』をデジタル・リリース。09年にはRUFIGE KRU名義の『MEMOIRS OF AN AFTERLIFE』を発表、またアートの分野でも個展を開催するなど、英国が生んだ現代希有のアーティストとして精力的な活動を続ける。12年、〈Metalheadz〉の通算100リリースにシングル「Freedom」を発表。13年には新曲を含む初のコンピレーション『THE ALCHEMIST: THE BEST OF 1992-2012』をCD3枚組でリリース。14年、〈Ministry of Sound〉からのヴィンテージMIXシリーズ『MASTERPIECE』を発表、ヘリテージ・オーケストラとのTIMELESS LIVEが好評を博す。16年、音楽とアートの功績を称えられ大英帝国勲章MBEを授与される。15年の「Broken Man」以降リリースはないが、フライング・ロータス、ブリアル、フォーテックらが参加した新作のリリースが待たれる!

★LEE BANNON aka DEDEKIND CUT (Ninja Tune, NON WORLDWIDE, USA)

カリフォルニア州サクラメント出身、現在はNY在住のビートメイカー/プロデューサー。映画からインスピレーションを得ることも多く、フィールド・レコーディングを多用した自由なプロダクションが賞賛を浴びた1stアルバム『FANTASTIC PLASTIC』を2012年にFLYING LOTUSの作品で名高い〈Plug Research〉からリリース。またブルックリンの若手ヒップホップ・クルー、PRO ERAとの交流を経て、代表格のJOEY BADA$$のプロダクションや彼らのツアーDJとして注目を集める。13年にはダーク&エクスペリメンタルな『CALIGULA THEME MUSIC 2.7.5』、『NEVER/MIND/THE/DARKNESS/OF/IT...』の2作のデジタル・アルバムのリリースを経て〈Ninja Tune〉と契約、ダウンテンポの「Place/Crusher」を発表。14年、〈Ninja Tune〉からアルバム『ALTERNATE/ENDINGS』を発表、90'sジャングル/ドラム&ベースのヴァイブを独自のサイファイ音響&漆黒ビーツで表現し、『Rolling Stone』誌のBest Electronic and Dance Albumの15位となる。15年には前作とは趣を異にするドープなドローン/アンビエント色の濃厚な怪作『PATTERN OF EXCEL』をリリース。その後、突然改名を宣言し、新たにDEDEKIND CUTの名前でEP「Thot eNhançer」をセルフ・リリース。LEE BANNONと決別したDEDEKIND CUTはエクスペリメンタルなノイズ、ニューエイジ、アンビエントの現代的なアプローチを標榜し、16年に「LAST」、「American Zen」を発表、11月には注目のアルバム『$UCCESSOR』がリリースされる。

Rider Shafique - I-Dentity / Freedom Cry - ele-king

Rider Shafique - I-Dentity / Freedom Cry (Young Echo Records - YE001)

 〈ノー・コーナー〉、〈ホットライン〉、〈ペン・サウンド〉といったレーベルを運営しながら、ブリストル新世代の音楽を世に送り出してきたヤング・エコー。ゴーゴン・サウンドとしても知られるふたり、カーンとニークの他、ヴェッスル、エル・キッド、ジャブ、アイシャン・サウンドなど、個々の活動においても注目を集めるプロデューサーたちが参加しているコレクティヴだ。彼らがカバーする音楽範囲はグライム、ダブ、パンク、エレクトロニカと幅広く、これまでに発表されてきた作品では、いずれにおいても過去の焼き直しに終わることのないエッジの効いたサウンドを聞くことができる。そんな彼らが多岐にわたる活動を集約することを目的に、コレクティヴ名を冠した〈ヤング・エコー・レコーズ〉を始動した。

 コレクティヴの運営面を主に手掛けているオシア曰く、「ダンスフロア向きではないリリースが増えていきそうだから、できるだけ多くの人に届けられるようにしたい。これまでのレーベル運営で得た経験を活かしてコレクティヴの音源から特別なものを作っていければと思っている」とのことで、〈ヤング・エコー・レコーズ〉では以前よりも広義の意味でのエレクトロニック・ミュージックが対象とされていくようだ。そしてレーベルの第1作を担当するのはコレクティヴに所属するMC、ライダー・シャフィーク。「I-Dentity / Freedom Cry」は、彼の個人体験に根付いた葛藤を深く掘り下げたメッセージ性の強い作品となっている。

 「もともと、どこからやってきた?」という問いに対し、「俺は母親の子宮からやってきた。多くの人と同じように。みんなと何も違わない」と坦々とした声で自らの出自を表明するライダー・シャフィーク。幼少期に自分はブラックなのだと母親から告げられたものの、ベージュに近い肌を持つ彼はその言葉に違和感を覚える。魂を映し出すのは肌だけではない、ブラックとは肌の色よりも深く、表面的なものではないと教え、社会が彼をどのように見るのかを説明する母親。白人ではない人々が受ける扱いは、かつてとは幾分変わってきたのかもしれないが、それでもなお、先述の質問のように差別的な言葉使いとは違うかたちで日常のちょっとした場面に表出する。アイデンティティは誰に証明するためにあるのか。その問いに対し、彼の思いを綴った“I-Dentity”。独白しているような声の向こう側で金属摩擦のような甲高く不穏に起伏するドローンを鳴らすのは、今年、ミューザックをテーマに作品を発表したサム・キーデルことエル・キッドだ。

 一方“Freedom Cry”では、アイシャン・サウンドとのプロジェクトであるゾウとしても活動するジャブが厳かな雰囲気のホーンセクションに合わせてジャズのドラムブレイクをループさせ、そこへライダー・シャフィークが人種差別撤廃運動を繰り広げた人物を挙げていきながら、ブラック・パワーの詩を読み上げる。「俺の使命は人間が人間として繁栄している姿を見ること。もともとシンプルなものを俺たちはなぜ複雑にしてしまうんだ? とてもシンプルなのに」と彼は説く。本作では、気付かぬうちに意識へ根付いている先入観や境界がライダー・シャフィークの個人体験を通じて浮き彫りにされている。

 数ある才能を抱えるヤング・エコーから、なぜライダー・シャフィークをレーベル1作目としてフィーチャーすることにしたのかをオシアに尋ねてみたところ、「現在の世界情勢を考えたとき、今、聞かれるべき重要なメッセージになるんじゃないかって思ったんだ」という答えが返ってきた。以前からポリティカルな姿勢を取っている彼らしい回答だが、レーベルは必ずしも本作のようにメッセージ性の強いものになるとは限らないようだ。ブリストルの次世代を牽引してきたコレクティヴによる、これからの展開には今後も注視したいところ。

interview with galcid - ele-king

 金魚は目をぱちくりさせていた。
 初めてgalcidのライヴを観に行ったときのことだ。9月21日に日本橋・アートアクアリウムでおこなわれたgalcid + Hisashi Saitoの公演は、想像していた以上にダンサブルで、ハードで、でもふと虚をつくような意外性があって、不思議な体験だった。フロアは大量の金魚鉢に包囲されていた。金魚にはまぶたがないから、まばたきなんてできるはずがないんだけど、これがgalcidの力なのだとしたら、おそろしい。


galcid - hertz
Coaxial Records/Underground Gallery

Techno

Amazon Tower iTunes

 文字通りインダストリアルな環境に生をうけ、10代でニューヨークに渡り、クラフトワークやYMOなどの過去の偉大な遺産と90年代の豊饒なエレクトロニック・ミュージックを同時に大量に浴びて育ったgalcidは、ある意味では正統派であり、またある意味では異端派でもある。「ノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーション」を掲げ、モジュラー・シンセを操り、インプロヴィゼイションにこそテクノの本懐を見出す彼女は、ソフトウェア・シンセが猛威をふるう昨今のエレクトロニック・ミュージック・シーンのなかで間違いなく浮いた存在だろう。もしかしたらそういった表面的な要素は、「あの頃」のテクノを知るオトナたちに哀愁の念を抱かせるかもしれない。だがgalcidの音楽が魅力的なのは、単にオールド・スクールなマナーをわきまえているからだけではないのである。
 以下のインタヴューをお読みいただければわかるように、galcidの音に対するフェティシズムは相当なものである。「音色マニア」あるいは「音色オタク」と呼んでも差し支えないと思うのだけれど、そのような彼女の音に対する執念が、予測不能のインプロヴィゼイションというスタイルの土台を形作ることで、ありそうでなかった独特のテクノ・サウンドが生み出されているのである。〈デトロイト・アンダーグラウンド〉が反応したり、ダニエル・ミラーやカール・ハイド、クリス・カーターといったビッグ・ネームが惜しみなく賛辞を送ったりするのも、きっとそんな彼女の職人的な細部への配慮に尊敬の念を抱いているからだろう。
 galcidの音楽には、これまでのテクノとこれからのテクノの両方が詰まっている。その不思議なサウンドが生み出されることになった秘密を、あなた自身の目で確認してみてほしい。きっと目をぱちくりさせることになるよ。

2回目に見たgalcid(ギャルシッド)はより進化していて、さらにインプロヴァイズでの自由度が増した素晴らしいパフォーマンスだった。
──ダニエル・ミラー(2016年9月21日@日本橋・アートアクアリウム)

小林(●)、野田(■))

前に『ele-king』でダニエル・ミラーのインタヴューをしたとき、彼がギャルシッドの名前を出しているのですよ。

レナ:そうなんですか!

「日本人アーティストのリリース予定はありますか?」と訊いたら、ギャルシッドを挙げていましたよ。

一同:へえー。

羽田(マネージャー):DOMMUNEの神田のイベントで1度共演したことがありまして、先日アートアクアリウムで再び共演する機会があり、当日ダニエルと話してみたら、よく覚えていてくれたんですよね。ただ、メディアでコメントをしていた、というのは初耳でしたね……。

レナ:それはすみませんでした(笑)! 実はカール・ハイドがギャルシッドの音源をネットで見つけて会いたいって言ってくれて! この前、東京に来ていたときに会ってきたんです。それをディスク・ユニオンに言ったら、セールスのコピーになっていました(笑)。その前後にダニエルの言葉も入れたかったなぁ……(笑)。

ギャルシッドの音楽は、アンダーワールドよりはダニエル・ミラーの方が近いかもしれないよね。

プラッドと写真を撮られていたのをツイッターで拝見したのですが、プラッドもギャルシッドの音源を聴いていたのですか?

レナ:あのときはたまたま会場で会っただけなんです。それよりクリス・カーターが話題にしてくれて嬉しかったです。すぐ宇川さんに連絡したら、カール・ハイドよりも燃えていましたね(笑)。

うん、クリス・カーターを好きな人のほうがギャルシッドに入りやすいと思います。

レナ:そうですよね。

それではそろそろインタヴューに入りたいと思います。まず、ユニット名の由来は、「ギャル」+「アシッド」ということなんでしょうか?

レナ:そうですね。これはプロデューサーの齋藤久師がポロッと言って決まりました。私がDOMMUNEに出ることになったときに「名前どうする?」と聞いたら、「女性だし、ギャルシッド(galcid)でいいんじゃない?」というすごく軽いノリで決まりましたね(笑)。こんなに長く使うことになるとは思わなかった。

それは何年だったんですか?

レナ:2013年の末ですね。11月末に1回やって、年末のLIQUIDOMMUNE。そこが本格的なスタートになりましたね。

レナさんが最初に音楽に興味を持ったのはいつ頃だったのですか?

レナ:2歳のときですね。「題名のない音楽会」を見て、自分でやりたいと言ってピアノをはじめたんです。あの番組に中村紘子さんが出演していて、すごくカッコよく見えたので、「(ピアノを)習わしてくれ」と両親にお願いしたのですが、当時2歳からのピアノコースが故郷の高松市(香川県)にはなかったんですよね。そこでエレクトーンをはじめました。エレクトーンのコースは小学校に入る頃に終わってしまうので、そこからはピアノという風に自然に切り替わるんです。で、そこからはピアノをやっていたんですが、だんだん課題曲が難しくなってくると、五線譜がすごい感じになってくるじゃないですか!!
 そこから耳コピの世界に入っていきましたね。先生に弾いてもらって、それを聴いて練習していたんですけど、先生は(私が楽譜を)読めているという錯覚を起こしていました。耳で聴いて何かをやるというのはそのピアノ教育のおかげだと思うんですよね。ピアノは中学生のときまでやっていました。

子供のころにピアノとか鍵盤をやっていて、途中でついていけなくなってテクノに行く人は多いよね。OPNだってそうじゃない?

(OPNは)母親がクラシック音楽の教授と言っていましたよね。そこからどのような経緯でテクノに行ったのですか?

レナ:先ずは実家が鉄工場なんですよ(笑)。もう、家がインダストリアルなんです、朝起きたら、もわーっとシンナーの匂いがしているし(笑)。だから、そこから遠いところに行きたくてクラシックやったり、フルートやったりしていました。高校生のときに坂本龍一さんの音楽をちゃんと聴きだして。当時はまだ地元にも中古のレコード屋さんがいっぱいあったんですね。そこに浅田彰さんとの『TV WAR』とか『Tokyo Melody』とか廃盤になったLDがいっぱいあって、『音楽図鑑』とかYMO直後のソロ作品をすごく面白いなあと思って、買って聴いていたんですよ。そこからテクノとは直接は繋がらなかったんですけど、何かの本に坂本さんのインタヴューが載っていて、「クラフトワーク」という言葉が書いてあったんです。それで「クラフトワークって何?」と思って探って、初めて聴いたのがライヴ盤だったんですよ。“トランス・ヨーロッパ・エクスプレス”の80年代のライヴを聴いて、これは聴かなきゃいけない、と思ってずっと聴いていました。そうしたら、だんだん好きになってきましたね。

80年代のライヴ盤って、海賊盤じゃないですか?

レナ:え! 友だちから借りたんですよね……まずいですね(笑)。

一同:(笑)。

レナ:その後は自分でアルバムを買ったりして、すごくハマっちゃったんですよね。そういうものを抱えたまま渡米をしたんです。『ザ・ミックス』が出た頃だったかな。95、6年にそれを聴いて、「(いま聴くべきものとは)ちょっと違う」と言う人も当時いたんですけど。いろんなアルバムを集めたり、クラフトワークのコンサートもニューヨークで観たりしましたね。そのときもけっこう賛否両論で、「クラフトワークに進化はなかった」と言って帰っていく人、私みたいに「生き神に会えた!」という人の両方いましたね。その会場で、エンジニアみたいな人とかゴスやパンクの人、ヒップホップの人とかオタクっぽい人とかがぐちゃぐちゃに混ざって列に並んでいるのを見たときに、「この振れ幅はハンパない!」と思ってすごく感動した覚えがありますね。

クラフトワークが『ザ・ミックス』を作った理由のひとつは、デトロイト・テクノに勇気づけられたからなんですよ。だから当時のアメリカ・ツアーは、クラフトワークにとってみたらきっとすごく意味があったと思いますよ。

レナ:そうだったんですか!! すごい長蛇の列で、ふたつ先のストリートまで並んでいましたね。最後にロボットが出てきて、もう歌舞伎とかでいう十八番みたいな感じでしたよ(笑)。

羨ましいですね。当時はクラフトワークがあまりライヴをやっていなかった時代ですからね。

レナ:その後はけっこう頻繁にライヴをやっているイメージがありますけどね。96、7年頃はアメリカの中でエイフェックス・ツインも表立って出てきたし、〈Warp〉がすごくアクティヴだったじゃないですか?

アメリカでは〈Warp〉がすごく力があったんですよね。とくに学生たちのあいだでね。あの時代、アメリカという国の文化のなかで、オウテカやエイフェックスを聴くというのはすごいことですよね。

レナ:MTVが彼らをとても推していて、『アンプ』という番組でガンガンに詰め込んで放送していたんですよね。その番組で、私が田舎で買ったLDに入っていたナム・ジュン・パイクと坂本さんの映像がちょろっと使われていて、「ここでこんなものを観るとは思わなかった!」とびっくりした覚えがあります。テクノの番組がすごく盛り上がっていて、録画して観まくっていました。ちょうどクリス・カニンガムやビョークが盛り上がっていた頃ですね。ほかにも〈グランド・ロイヤル〉とか、サブカルチャーがかっこいいという流れがあって、そこに学生としていたので、影響は大きかったですね。

ちなみにおいくつで?

レナ:当時は10代でしたけど。

ませてるナー。

10代(17歳)で、いきなりニューヨークに行くということに、特にとまどいはありませんでしたか?

レナ:あまりなかったですね。それは田舎にいたおかげだと思っていて、東京に出るというのとニューヨークに出るというのは、違うんですけど……

言葉が違うよ(笑)。

レナ:(田舎を)出るということに関して、高校生くらいの頃からみんなが選択をするんですよ。うちの場合は近場だと神戸、大阪とかで、東京組はまた感覚が違うんですよね。私の同級生でも何人か海外に行った子はいましたね。父親も変わっているから、鉄を打ちながら「全然いいんじゃん?」と言ってくれました(笑)。父親はジャズとか集めている音楽マニアで、「語学はその国に行って学ぶのがいちばんいいから、いいんじゃないの、その語学で何か学んで来なさい」とふたつ返事で許してくれましたね。

「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

父親が聴いていたジャズの影響はあったのでしょうか?

レナ:いや、特に10代の頃はほとんど聴いていないです。でも後から知ったんですけど、父はセロニアス・モンクとかバップ系のジャズが好きで、私も速いテンポのが好きなので、もしかしたら影響はあるかもしれないですね(笑)。

小林君はその話をインプロヴィゼーションに結びつけたかったでしょう(笑)。

レナ:そうなると綺麗ですね〜(笑)。すんません(笑)。

ふつう父親が好きな音楽なんて聴かないよ。

レナ:そうですよね(笑)。

周りにレコードが膨大にあって、元々クラシック・ピアノをやっていたということで、環境は整っていたという印象を受けました。それと鉄がガンガン鳴っていたということで(笑)。

レナ:鉄は嫌いでしたけどね(笑)。まあ、そういう意味ではそうですね。

当時テクノというとヨーロッパの方が強かったんですが、なんでロンドンではなくニューヨークだったんですか?

レナ:私も行ってから気づいたんですよね。本当にバカだなーと思ったんですけど、アメリカとイギリスの文化の差があまりわかっていなくて。坂本さんはニューヨークに行ったじゃないですか。「なるほど、ニューヨークはクールなんだな」と思って、行っちゃうんですよね。でも、聴いている音楽はすべてイギリスの音楽だったんですけど(笑)。

90年代のニューヨークはハウスですよね。

レナ:そうですよね。私の場合は90年代と言っても後半ですが、当時ハウスはあまり聴いていなかったので、そういう意味ではニューヨークのものからは影響を受けていないかもしれないです……。後にドラムンベースとかのムーヴメントになってきて、その頃からいろいろなところに顔を出しはじめました。それから、エレクトロニカがいっぱい入ってきたので、オヴァルや〈メゴ〉系のものを聴いたり、結局ヨーロッパ系ばっかり聴いていましたね。ニューヨークにいなくても全然良かったという(笑)。あ、でもノイズ系、アヴァンギャルド系のものに出会えたのは大きかったです!

ハハハハ。

何年くらいまでニューヨークに住んでいらっしゃったのですか?

レナ:2003、4年くらいまでいました。テロの前後くらいにD.U.M.B.Oというブルックリンにアート地帯を作るというプロジェクトがあって、元々アップル・シナモンの工場だったところを占拠してパーティをしたりしていたんです。そこに出させてもらったりもしていて面白かったんですけど、企業が入ってきて、表参道みたいな感じで整備されはじめて。そのときにテロが重なって、アーティストたちがニューヨークを去ってしまったんですよね。私はそれが理由で帰ったわけではないんですけどね(笑)。レーベルはデトロイトにあって、どうしようかなと思っていたんですけど、東京に住んだ経験がなかったので住んでみたいと思ってたんです。住んだことがないところへの憧れってあるじゃないですか。とくにその頃、私は小津安二郎・塚本晋也・ビートたけしの映画を観たり、アラーキーさんの写真集を見ながら、『ガロ』を購読していたりしたので(笑)。

あなた何年生まれですか(笑)?

レナ:ハハハハ、ニューヨークに(書店の)紀伊國屋があって、そこで『ムー』と『ガロ』を定期購読していたんです。

だから宇川君と気が合うんだ(笑)。

レナ:『ユリイカ』の錬金術特集とか本気で見ていましたからね(笑)。それで「日本すごいな」と思って、憧れの東京に行きたかったというのが帰国の理由ですね。

先ほど、ニューヨークにいる時点で所属レーベルがデトロイトにあったとおっしゃっていましたが、その頃からレーベルとの契約があったのでしょうか?

レナ:そうですね。インディーズのレーベルなんですけど、〈Low Res Records〉というレーベルがあって、いま出している〈デトロイト・アンダーグラウンド〉も含めてみんな仲間なんです。あとは〈ゴーストリィ・インターナショナル〉とか、みんな近所なんですよね。

アーティストもダブっていますよね。

レナ:そうなんですよね。ヴェネチアン・スネアズとかが出してました。うちはたまたま白人のコミュニティだったんですよ。デトロイトって、一部の黒人になりたい白人がいたりして、私もそのなかにピョンといたんです。GMキッズと言って、お父さんがみんな車のデザイナーをやっているような人たちが、金持ちなのに一生懸命チープなやつで作っていて(笑)。ちょっと根本のスピリットが違うんじゃないか? とか思ったり(笑)。〈ゴーストリィ・インターナショナル〉はまさにそうですね。

〈ゴーストリィ〉の社長は、フェデックスの社長の息子なんですよね。

レナ:そう、そのサムはすごくいい人ですよ。ただ乗っている車がハマーとか、NYに居る妹の住んでる場所がトランプ・タワーだというだけで(笑)。
 デトロイト辺りで活動してる人ってけっこう保守的なところがあるんですけど、そのなかでも〈ゴーストリィ〉周辺の人たちは実験的なことをやっていましたね。
 昔、シーファックス・アシッド・クルーと一緒にヨーロッパをツアーで回ったんですけど、それも刺激を受けましたね。シーファックスはカセットテープと101と606でプレイしていて、「違う!」と言いながらテープを投げていたのが「かっこよすぎる!」と思ってました。606の裏を見てみたら「TOM」と書いてあったので、「兄貴の借りてるんじゃん(笑)。大丈夫なの?」と訊いたら、「彼はいまお腹を壊してるし、大丈夫!」とか言ってて、すごいなあと(註:シーファックス=アンディ・ジェンキンソンはスクエアプッシャー=トム・ジェンキンソンの弟)。そのときに、「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

いつから自分で作りはじめたのですか?

レナ:すごく恥ずかしいやつは高校生の頃から作りはじめていますね。

ニューヨークに行ってから意識的に作りはじめたということですか?

レナ:そうですね。機材を買いはじめたのもその頃ですね。ずっと作りたいとは思っていたんですけど、機材というのは敷居が高かったですね。
 オール・イン・ワン・シンセ全盛期だったので、まず階層の深さにやられてしまいました。ステップ・シーケンスは組めるんですけど、音色もすごい量が入っていて、何をやりたかったか忘れてしまうような操作性だったんです。あの当時、ローランドだったらXPシリーズ、コルグだとオービタルが宣伝していたトリニティとかいろいろ出てきたんですよね。とりあえずオール・イン・ワン・シンセを買ったんですけど、シーケンサーに打ち込むということにすごく苦労してしまい、苦戦していたところ、ローランドから8トラックのハード・ディスク・レコーダーが手の届く値段で出たのでそれを買って、そこから幅が広がりましたね。

たしかにあの時代って、作るときのイクイップメントがわりと形式化していたというか、「こうでなきゃいけない」みたいのがいまよりありましたよね。

レナ: 88鍵もなくても別に大丈夫なこととか、少しずつわかってきて、同時に、ニューヨークにあるちょっとマニアックな楽器屋さんに通うようになって、そこで店員をしていたのがダニエル・ワンだったんです。彼はシンセに詳しくて、日本語も上手だったから、行けば教えてくれるんですよ。「オール・イン・ワン・シンセってすごく便利だけど、絶対こっちでしょ!」とミニモーグを勧めてくれて、「なるほど」という感じで、ずっと憧れの機材でした。
 当時、バッファロー・ドーターとかマニー・マークとか、メジャーだとベックとか、モンド・ミュージック要素のある音楽がブームだったんです。同時にムーグ・クックブックが出てきて、音色に感動して、またアナログ・シンセのほうに傾倒していったんです。
 ちなみにニューヨークに行って最初に買ったCDが、YMOの1枚目なんですよ。それまで聴いたことがなくて……。実は、日本にいたときには電子音楽が嫌いだったんです。当時流行っていたのが、全然自分が好きではない音だったんですよ。その当時は聴かず嫌いでYMOも好きではなかったんです。でもクラフトワークはすごいと思っていたので、日本人のシンセの音色がそういう音なのかな、と思っていたんですけど、芸者からコードが出ているジャケのアルバム(註:YMOのファーストは、日本盤とUS盤とでジャケや収録曲が異なっていた)を聴いてみようかなと思って買ったんです。「X/Y」の棚のところでXTCとYMOで迷ったんですけど(笑)。でも自分も日本人だし、「買ってみるか!」と思って、いざ聴いてみたら「すごい! こんな温かい音だったんだ!」とびっくりしてしまって。
 それで「いまさらかよ」という感じでハマっていって、10代の終わりの頃に色んな音を聴きはじめるんですよね。当時の最先端の〈Warp〉系のものと、クラシックなクラフトワークやYMOを同時に聴いていて、「すごいな、いいな」と思って楽器屋さんに通ったんです。ミニモーグは1音しか出ないのに、「こんなにするの?」って心で泣いてました(笑)。

やっぱり最初からアナログ・シンセの音色に興味があったんですね?

レナ:でもなかなか自分で手に入れるまでには至らず、IDMとかが流行って、そういう要素も取り入れながら「頭よさそうにやってみようかな?」とやってました(笑)。もちろんその時期のオヴァルやプラッドは大好きだったんですけど、自分でやるとなると、ああいう頭のいい感じではなかったですね。やっぱり野蛮な方が向いていたみたいで(笑)。ギターも触ってみたし、本当にいろいろやりましたよ。何が一番いいんだろうと思ったんだけど、やっぱりアナログ・シンセへの憧れが捨て切れなかったんですよね。
 その後、NYで出会った保土田剛さん(註:マドンナや宇多田ヒカルのエンジニア)からMK2のターンテーブルとアナログ・シンセを借りたんですよ。それをハード・ディスクで録ったりしていましたね。

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女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

音色に対するフェティシズムですね。

レナ:そうです。そうして帰国後、仕事で齋藤久師に会うんですね。それで彼のスタジオに行ったら、全部アナログ・シンセだったんですよ。スタジオに行って10時間くらい(アナログ・シンセを)触っていましたね。何も飲まず食わずでずっとやっていて、それくらい没頭しました。
 フルートをやっていた経験がアナログ・シンセの仕組みを覚えることに役立って、フルートって息の量だったり吹き方だったりで音を変えていくんですけど、シンセのモジュールもまさにそういうことで、楽器の吹き方というのをフィルターとかで弄っていく感覚でやっていくと、すぐに覚えられたんです。仕組みがスッと入ってきたので、すごく合うな、と思いました。単音の太さにもやられて、ピアノは和音勝負というかコード勝負というイメージですが、アナログ・シンセの本当に単音で、にじみが出るような音を出せるということにますます魅了されてしまって。
 これをどうやって自分の音楽に取り入れようかと思って、初めはけっこうミニモーグで曲を作っていました。昔のペリキン(註:ペリー&キングスレイ)とかああいうコミカルな感じの曲を作ったり、ディック・ハイマンとかそういう音楽を聴いて作ったりしていましたね。昔のモーグ系の音楽ってカヴァー曲が多いじゃないですか。モーグ・クックブックなんかその最たるバンドなんですけど、カヴァー曲ではなくて自分の音楽を作りたくて。
 だんだん「メロディってなんのためにあるんだろう」と思うようになって、ある意味ジャズ的にマインドが変わっていったんですよね。
 私はそれまで音楽の活動をするときに、すごく時間をかけてやることが美しいと思っていたんですよ。3ヶ月くらい山に籠って歌詞を書いてきましたとか、すんごいカッコいいと思って(笑)。「レコーディングは6ヶ月掛けてやっています」みたいなのがすごいと思っていたんですけど、でも、うちのプロデューサー(齋藤久師)はその真逆だったんですね。何か作ってみようということになったら、「5分くらいで考えて」とか言われて、「え、5分!? いま録音するんですか?」と言ったら、「だってフレッシュなうちがいいでしょ」と。そこで一生懸命絞り出して思考をするということを初めてやって。
 やったことないことにトライするのはすごく好きなので、直感的にすぐにやるということに面白さがあるということに気づいたんです。それで「セッションしてみようよ」と言われて、楽曲制作はしてましたけど、実はセッションなんてしたことがなかったんですよ。「セッションしてみないと楽器がわからない」とか「0から100までのレベルを全部使ってやってみないとわかんないから、全部セッションで試してみればいいんだよ」とか言われたので、「わかりました」と(笑)。やっている最中は「ダメだな」と感じたのに後で聴いてみたらまとまっていたりして、そういういろいろな発見があって、セッションでの制作やライヴの仕方に傾倒していったんですよね。

可能性としてはディック・ハイマンみたいな、モンドというかイージー・リスニングというか、そういうものに行く可能性はあったのですか?

レナ:すごく好きな世界だったので、可能性はありましたね。

でも結果はそれとはある意味で真逆な世界に行きましたね。

レナ:そうですね。その前からエレクトロニック・ボディ・ミュージックとかパンクとかいろんなものを聴いていたんですけど、モンドってお洒落じゃないですか。女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

なるほど。

レナ:このアルバムを作ったときに、「態度としてすごくパンクだ」と言われたんですよね。(アルバムを)聴くと、これまで聴いてきたものが、どこかしらに滲み出ているということに気づいたんです。私の世代から下の世代のって、ジャンルが細分化されすぎてひとつのジャンルをずっと聴いてるようなイメージがあるんですけど、私は周りに年上の人が多かったというのもあって、たくさんのジャンルの曲を聴きましたね。それでも、電子音楽というのは自分を表現するのにいちばん適しているジャンルだな、というのはなんとなく思っていたんですが。

ギャルシッドのスタイルに一番影響を与えたのは誰だと思いますか?

レナ:うーん、考えてもいなかったですね。

3年くらい前に『ele-king』で「エレクトロニック・レディ・ランド」という特集を組んだんですね。打ち込みをやる女性が00年代に一気に増えてきたので、それをまとめたんです。USが圧倒的に多いんですよね。そのなかでローレル・ヘイローっていう人を僕はいちばん買っているんですが、彼女にインタヴューしたら、「私が女性だからという括りで珍しいとか面白がるというのはない」と言ってきたんですが、考えてみたら当たり前で、それはそうだよなと反省したんですね。女性がテクノやっていて珍しいからすごいのではなく、ローレル・ヘイローがすごいんですね。それと同じように、ギャルシッドは、性別ではなく、やっぱ音が面白いと思うんですけど、でも、女性の感性というものが作品のどこかにはあるんでしょうね?

レナ:女の人はマルチタスクというか、何かをしながらいろいろなことを考えられるから、そういう視点はもしかしたらあるかもしれないですね。何か「この楽器1本で!」みたいな気負いはたしかに感じていないですね。

アルバムを聴いていて思ったのは、単純にずっと反復が続いていくという曲があまりなくて、展開が次々と来る感じじゃないですか。

レナ:それは私のクイーン好きから来てるのかな?(笑)。私、性格がせわしないんですよ(笑)。

一同:(笑)。

クイーンはまったく思い浮かびませんでした(笑)。と言いつつ、踊れないわけではもちろんなくて、僕はボーナス・トラックを抜きにした最後の曲が気になりまして、この曲はキックが入っていないですよね。でもキックを入れたらかなりダンサブルなハウスになると思うんですよ。

レナ:“パイプス・アンド・ダクツ”ですね。純粋にビートを入れるということを抜いて、あの曲には和声も珍しく入れたので、それもあると思います。これは私は言葉と声で参加しただけで、齋藤久師が作曲しました。あの曲を聴いているとある時代に引き込まれていく気分になるんですよね。多分、彼自身がリアルに生きていた時代に、という事だと思うのですが、やっぱり音楽は記憶と結びついていると思うので。まあ私はインダストリアルというだけで懐かしいんですけどね(笑)。

音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。

テクノをやっているという意識はあるんですか?

レナ:プロデューサーの意図は別として(笑)、本人的にはあまり気にしていないんですけどね。4つ打ちにすればダンサブルになるわけだし、ライヴではいかようにもできるんですよ。でもそれだけだと「ドンチー、ドンチー」となってしまうので、「ドン、ドン、ドン、ドン」ではなくて「ドン、ドン、ドドン、ドン。ドン、ドコ、ドドン、ドン」みたいにトリッキーなリズムにしてみたり、いろいろと試行錯誤してみますね。私はいまTR-09を使っているんですけど、意図するものとは違うという意味で打ち間違いもしてしまうんですよ。そのとき面白いリズムになったりするんですよね。そっちのほうでグルーヴができたら、そのまま修正せずに作っていったりして、そういう意味では軽く縛られているのでそれが面白いですね。

ジュリアナ・バーウィックなんかは、自分の声をサンプリングしてそれを使用するんですけど、ギャルシッドはそれとは真逆で、もっと物質的ですよね。それでいてダンス・ミュージックでもある。いったい、ギャルシッドが表現しようとしているものは何なんでしょうね。それは感情なのか、あるいは音の刺激そのものなのか、あるいはコンセプトなのか……。

レナ:いまは自分でノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーションという縛りを作っているので、まずそこをスタイルとして楽しんでいるというのがあるんですけど、最近ソロでやっているときはマイク・パフォーマンスの比重が多くなってきているんですよ。それに自分でダブをかけながら、エフェクターで低い声を使うときもあるんですけど、最近は素声でもやっていてパンキーに叫ぶときもあったり。それをダブでやっているんです。それを聴いた人が「あまりこういう感じは聴いたことないね」と言ってくれて(笑)。前までは2、3人でやって間を見計らいながらやっていたんですけど、ひとりでドラムやって、シークエンスふたつ持って、ミキサーいじって……となると仕事が多くて、最近は突然全部切って叫んだりして、また全部スタートさせるみたいなことをはじめたんですよ。

ライヴの度合いがどんどん高まっているということですか?

レナ:そうですね。だから2枚目はどうなるんだろうということを話しているんです。性格が変わってきているのかもしれない。言葉にはすごくメッセージがあるのでヘタなことは言えないんですよ。

いまは言葉にも関心があると?

レナ:そうなんです。それは元々あったものなんですが、またここにきて出てきていて、もっとコンセプチュアルになっていくのかなと思っていますね。今回(のアルバム)の最後の曲には声を入れているんですけど、2枚目へのバトンタッチのような気がしていて、あれは声そのものを音として処理しているんですけど、次はもっと声や言葉が意味を持ってくるのかなとも思っています。

クリス・カーターがギャルシッドを気に入ったのは、きっとギャルシッドの音が冷たいからだと思うんですけど、それは意識して出したものなのですか? それとも自然に出ているものなんですか?

レナ:意識はしていないですね。私自身はあまり冷たいとは思っていなくて(笑)。暴れ馬とか、プリミティヴというイメージでやっているので、音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。
 クリス・カーターがまず言ってきたのは映像だったんです。YouTubeにギャルシッドの紹介ヴィデオを上げていて、それを見て「この音はなんなんだ」と言ってくれたみたいで、「デジタルを使っているのか? 使っていないのか?」とかそんなことを聞いてきたんですよね(笑)。「一応MIDIは使いましたけど……」とか答えたんですけど(笑)。あの人はそこにこだわっているのかな、という感じがしたんですけど、「グッド・ワーク」と言ってくれたので良かったです。昔、DOMMUNEでやったときに、宇川さんが「クリス&コージーだ!」と言っていたんです。そのときのセッションはたしかにノイズではじまっていたんですよ。

ファクトリー・フロアって聴いています?

レナ:聴いていないですね。

UKのバンドなのですが、クリス・カーターがリミックスしているほど好きなバンドなんですよ。最近はミニマルなダンス・ミュージックなんですけど、初期の頃はギャルシッドと似ているんですよね。まさに雑音がプチプチという感じで(笑)。そういうインダストリアルなエレクトロニック・ミュージックはいまいろいろとあるんですけど、もうひとつの潮流としてはPCでやるというのがありますよね。OPNやアルカもそうだろうし、EDMもそうですが、PCが拡大している中で、なぜギャルシッドはモジュラーやアナログにこだわるのでしょうか?

レナ:私の場合は最初にオール・イン・ワン・シンセで体験した階層の深さというのがあって、PCでやるときに操作に慣れればいいんでしょうけど、直感でノブを回すのとマウスでノブを回すというのはちょっと違うんですよね。思ったようにいかなかったりね(笑)。いまこうなんだ!という感覚がマウスやトラックパッドなどのインターフェースだとかなり違いますよね。直感的に動かせないというのが、ひとつのフラストレーションになってしまいますね。
 もうひとつの理由としては、バンドをやって歌を歌っているときにPCを使っていたんですけど、PCがクラッシュしたときほど苦しいものはないということですね(笑)。いまは起動時間がだいぶ速くなったと思うんですけど、でも何かあったときに冷や汗かいちゃう感じとか、どうしようもないときにマイクで「トラブル発生!」とか言いながら繋ぐのも嫌で(笑)。専用機って強いじゃないですか。叩けば治るとかありますし(笑)。

はははは、アナログ・レコードは傷がついても聴けるけど、CDは飛んじゃうと聴けなくなるのと同じですよね。

レナ:そうなんですよ。そこの機能性・操作性は絶対的であって、やっぱり触れば触るほどコンピュータからは遠くなってしまうというか。コントローラーのちょっとのレイテンシーも、音楽のなかではすごく長いんですよね。特にライヴで使っていると、それは私のなかでは大きなデメリットなんですよね。

大きな質問ですが、エレクトロニック・ミュージックに関してどのような可能性を感じていますか?

レナ:私はエレクトロニック・ミュージックにこれ以上技術はいらないと思っていて、楽器メーカーの流れを見てもみんなが原点回帰しているというか、昔あったシンセの6つの階層を2つにして全部いじれる場所をむき出しにするみたいな、より操作をシンプルにしていこうという流れがあって、ライヴ性が高くなるように機能する楽器が出てきているんですね。エレクトロニック・ミュージックの可能性としては縮小していく感じはいまのところまったくないじゃないですか。どこで線引きするのかは別としてですけど。

質問を変えますが、ジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけているということで、そこに至った経緯を教えて下さい。

レナ:レーベルがイアンと仲が良くて、レーベルのなかでイアンがジャケを手がけているシリーズがあるんですよ。それは絶対に写真は使わないでグラフィックのみなんですけど、そのラインにギャルシッドを入れるかという話になっていました。夜光という工業地帯で撮った写真をメインに入れたくてお願いしてみたら、とりあえずイアンに見せてみよう、ということになったんです。そうしたら写真をとても気に入ってくれて、おまけに音も気に入ってくれて、即OKが出ました。結構早めにあげてくれたよね。

羽田(マネージャー):そうですね。

レナ: 「ギャルシッド」というロゴを入れているんですけど、あれは手書きでやっているみたいです。

あのカクカクの文字って彼のデザインの特徴のひとつでもあるのですが、たぶんずっと手描きなんじゃないでしょうか。

レナ:それを知らなくて、すごく失礼な質問をしちゃったんですけどね(笑)。

本当はもっと冒頭に聞くべきだったのですが、〈デトロイト・アンダーグラウンド〉からリリースすることになった経緯を教えて下さい。

レナ:オーナーのケロとはデトロイトの別のレーベルと契約していた頃からの知り合いで、私がやっていることには前から注目してくれていて、彼の友達のジェイ・ヘイズが東京に来るときにも連絡をくれたりして、ずっと繋がっていて、同レーベルのアニー・ホールが日本に来たときにうちにずっと泊まっていたんですよ。そんな経緯もあって、私のやっていることもケロはよく知っていて、「アルバムを出すことを考えているんだよね」と言ったら、「うちから出そうよ。とりあえず作ってやってよ」と手放しに喜んでくれて、その後に音源を聴いて、それでそのままリリースしたんですよね。でもあのレーベルの中でも今回のアルバムは異質だと思います。あそこのレーベルはもうちょっとグリッチ系なんですけど、私は全然グリッチしていないので(笑)。

確かに(笑)。ちなみにカール・ハイドとは何かプロジェクトをする話はあるのですか。

レナ:話だけではそうなっています。私で止まっているんです。連絡しなくちゃ(笑)。「俺が歌うよ」と言われたんですけど、「ギャルシッドが歌?」って話しになって、「じゃあギター弾くよ」と言われて、「ギター弾くとうるさくない?」と返したら本人は爆笑していました(笑)。どうやってコラボするんだろうという感じなんですけど、それもまた面白いところかなと思っていますね。でもすごくミュージシャン・シップを大事にしている方だったので、「お蔵入りなんていっぱいあるよ。U2とのやつもお蔵入りだからね。そういうものなんだって」と励ましてくれたんですけど。彼は人とやるということの大切さを語っていて、確かにそれで違う自分を発見できたりもするので、いろいろやってみたいなとは思っています。

最後に、ギャルシッドの今後の予定をお聞かせ下さい。

レナ:12月2日に渋谷ヒカリエでボイラールームに出演しますね。あと、カセットテープで『ヘルツ』のヴァージョン違いをCDと同じ〈アンダーグラウンド・ギャラリー〉から出す予定です。来年にはボイラールームを皮切りに海外でやることが多くなるので、いまはその準備という感じです。

—galcid Live Information—

10/23 (Sun) Shibuya Disk Union 4F (Workshop & Live) with Hisashi Saito
11/11 (Fri) Contact Tokyo
11/26 (Sat) Shinjuku Antiknock
12/02 (Fri) Boiler Room at Shibuya Hikarie

more info:
https://galcid.com/

宇多田ヒカル - ele-king

情愛の濃さを一方的に注いでいる状態、全身的に包んでいて、相手に負担をかけさせない慈愛のようなもの、それを注ぐ心の核になっていて、その人自身を生かしているものを煩悩(ぼんのう)というのです。……愛という言葉はなんとなく、わたくしどもの風土から出て来た感じがしませず、翻訳くさくて使いにくいのでございますが、情愛と申したほうがしっくりいたします。そのような情愛をほとんど無意識なほどに深く一人の人間にかけて、相手が三つ四つの子どもに対しても注ぐのも煩悩じゃと。石牟礼道子「名残りの世」

 ポップ・ミュージックにおける「わたし(I)」と「あなた(YOU)」をめぐる歌は、たいてい「ラヴ・ソング」とくくられがちなのだけれど、そこでの「愛」はセックスの欲望をふくんだ恋愛関係だけに限られるものではけしてなくて、セクシャルな欲望よりももっと大きく、深く、強い感情もそう呼ばれる。慈愛……なんていえば聞こえはいいけれど、人は生まれて、必ず死ぬから、その愛も必ずいつか断ち切られる痛みをともなう。水俣公害の苦難を描いた『苦海浄土』で有名な熊本土着の作家、石牟礼道子は、ネガティヴな仏教用語をほがらかに裏切った民衆の言葉づかいで、その愛を「ぼんのう」と肯定的に呼んだ。それはこの国の大衆=ポップの言語感覚だ。

 インタヴューなどではっきりと語られているように、この『Fantôme』には、3年前に急逝した宇多田ヒカルの実母の存在、というか不在が横たわっている。もちろん歌は歌だし、言葉は言葉だ。ポップ・ミュージックに見いだされる意味はいつだって複数あって、それらはときにアーティスト本人のなかでさえ不確かに重なり合いながら発せられ、オーディエンスに受け取られる。このアルバムで生々しさを増した彼女のヴォーカルは、あくまで普遍的なメロディと言葉に落としこまれることで、ポップ・ソングとしての透明な強度を保っている。とてもパーソナルで、シリアスなモティーフを扱っているのに、とても開かれていて、ぞっとするほど優しい。

 いつか彼女がフェイヴァリットとしてあげていたのは、コクトー・ツインズやPJハーヴェイ、シャーデー、それに実母である藤圭子といったシンガーとともに、アトムス・フォー・ピース、フランク・オーシャン、最近ではOPNとハドソン・モホークの手を借りてアノーニへとトランスフォームしたアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズといった名前だった。それでなんとなく、復帰後のアルバムはポップ・ソングの形式を前衛的に溶解させるものになる可能性もあるのかなと思ったのだけれど、このアルバムのたたずまいは、あくまでクラシカルでオーセンティックだ。多くの曲でエンジニアとしてクレジットされているのはスティングやU2、昨年のグラミーで4部門を受賞したサム・スミスなどを手がけたスティーヴン・フィッツモーリス。マスタリングはスターリング・サウンド。ベースになっているのは丁寧に音響処理された生楽器の演奏、彼女自身の手によってプログラミングされた電子音、それに静謐でドラマティックなピアノだ。

 『Fantôme』は宇多田ヒカルの8年半ぶりのオリジナル・アルバムということになるけれど、その長い沈黙を意識したことがない人間でも、彼女の名前と顔、そしてその声を知っている。前世紀末にピークを迎えた20世紀の大衆音楽の巨大産業化の波は、日本では「Jポップ」と呼ばれるムーヴメントとして現れた。そのスター・システムの最大で、おそらく最後の申し子。平成日本のポップ・スター。

 21世紀になってCDの売上がごっそりと減り、音楽シーンの断片化が進み、ストリーミングの普及によってさらに流動的な多極化が進む現在、「ポップ」という言葉を定義するのはますます難しくなりつつある。それでも、1990年代末に物心がついていた世代で、彼女の声をまったく聴いたことがない人間というのは日本にたぶん存在しない。本当に存在しないかなんてわからないけれど、わからなくてもそう言わせてしまうのがポップ・スターというものだ。15歳でデビューした彼女は、アルバムを重ねるごとにシンガーとしてだけではなく、自分自身に対するプロデューサーとしても成長していった。名実ともにポップ・フィールドの頂点にいるのに、どこか居心地の悪そうな表情を浮かべながら。宇多田ヒカルはやがて2010年に「人間活動」を宣言し、表舞台から姿を消した。

 このアルバムはリリース直後、アメリカのiTunesで6位にチャート・インした。かつて全編英語詞でのぞんだ2枚のアルバムが商業的には苦戦したことを考えれば、ほぼすべて日本語で歌われるこのアルバムのチャート・アクションは驚くべきことだ。ティンバランドやトリッキー・スチュアートといったプロデューサーを起用したそのアメリカ進出のアルバムについて、彼女が強く感じた違和は、英語による詩作よりも、自分の作品に自分以外の声を入れること、だったそうで、それはこれまでの彼女のアルバムがいつもどこか密室的な空気を漂わせていたことと無関係ではないと思う。その宇多田ヒカルがこのアルバムに自分以外の人間の声を歓迎した。元N.O.R.K.の小袋成彬、椎名林檎、そしてKOHHだ。クレジットで確認する限り、KOHHは唯一、声だけではなく言葉をこのアルバムに捧げている。

 そういえば彼女のアメリカでのアーティスト・ネームは、「UTADA」だった。ファースト・ネームじゃなくファミリー・ネーム。すでに2012年に発表されていた“桜流し”をのぞけば、アルバムのクライマックスと呼ぶにふさわしい“忘却”に招かれたKOHH。彼もまた、幼い頃に死別した実父のファミリー・ネームを名乗る人物だ。著名な音楽一家で英才教育をうけ、10代のなかばでポップ・スターになったニューヨーク帰りの帰国子女と、父親との死別と母親の薬物中毒を赤裸々に歌いながら日本のアンダーグラウンドなトラップ・ミュージックの立役者となった、北区王子の刺青だらけのラッパー。いかにもメディア好みの組み合わせだし、間違いなく現在の日本のポップ・シーンで最大級の事件ではある。けれどここにあるのは、それぞれに周囲から押しつけられる「特別さ」に背を向け、手ぶらでみずからの根源的な喪失の経験に向き合おうとする、ふたりの人間の誠実な姿だ。

 みな望んでこの世界に生まれてくるわけではない。誰も生まれる家族や場所を選べない。突然ある国に、ある家族に、ある肉体に産み落とされ、ある言語を、人種を、国籍を、セクシャリティを、肌の色を、からだの形を受け入れることを強いられる。どんなに普遍的に表現しようとしても必ずある特定の言語に縛られてしまう「言葉」を、誰もが感覚的に感知できる「音」へと変換することを「歌」と呼ぶなら、歌とは、不自由な世界で自由であろうとする意志のことだ。

 リード・トラックは宇多田自身の手によってプログラミングされたシャープで吹っ切れたダンス・ポップ、“道”。フックの「It’s a Lonely Road, but I’m not Alone」という嗚咽のような切実なリフレインは、リズムに乗ったファルセット・ヴォーカルの軽快さによって引っ張られつつ、直後の「そんな気分」でチャーミングにはぐらかされる。まるでタトゥーのように心の傷跡を引き受けること。不在という形の存在=ファントーム(幻/気配/亡霊)というアルバム・タイトルの秘密は、ここであっけらかんと明かされる。

 ダブル・ベースに誘われた濃厚なバンド・セットで共依存的な男女をロール・プレイする“俺の彼女”。歌声のトーンと一人称を使いわけ、空虚なマチズモをフェミニスト的な視線でアイロニカルに戯画化するのかと思いきや、それだけではなく、見せかけの強さと共犯関係にある、ほの暗い内面のもろさを描く。重なり合わない男女のモノローグの並列は、ストリングスをバックにしたスリリングな欲望を訴えるフックをはさんで、振り出しの男の語りに巻き戻され、宙吊りのまま終わる。この曲のクライマックスにフランス語で忍ばされた「永遠(L'éternité)」をめぐる関係性のモティーフは後半、ヘルマン・ヘッセを呼び出しながら勇ましいホーンを響かせるファンク・チューン“荒野の狼”では逆に、今度はお互いに交差することができずに「永遠の始まりに背を向ける」人間同士の孤独として変奏される。

 ヒップホップ的なリズム・セクションで始まり、インコグニートのベーシストが心地よくベースを滑らせる“ともだち”は、本人がインタヴューでLGBT的な問題系を意識して作曲した、と発言したことで一部で話題になっている。きわめて保守的なジェンダー観をかかげる自民党の政治家までがレインボー・プライドのパレードに顔を出す現在、そうした解釈が可能なポップ・ソングが日本語圏で歌われること自体はそこまで驚くべきことじゃない。けれど、ポップスの社会的インパクトが歌詞のメッセージうんぬんを超えて、それが誰によって、どんな場所で鳴らされるかによって現実を揺さぶるパワーを生み出すのだとすれば、この曲はやはりとてもアクチュアルだ。

 この夏、都内のあるロースクールで同級生による同性愛のアウティングによって命を絶った青年の事件が明るみに出た。遺族の会見での言葉、あえて公開されたプライベートなLINEでのやりとりのディティールなど、いまだこの社会に蔓延するセクシャル・マイノリティに対する無理解の残酷さを痛感させる出来事だった。小袋成彬の深みのあるヴォーカルをバックに、あくまで軽いトーンで口にされる「君に嫌われたら生きていけないから」というボーイ・ミーツ・ガールのクリシェは、ボーイ・ミーツ・ボーイにも、ガール・ミーツ・ガールにも、あらゆる関係性にむけて開かれることで、ひどく生々しい痛みを表現してしまっている。それにしても、「ハグ」と「キス」のあいだの無限の距離をじれったく逡巡する歌声、口には出せない嫉妬や性的なファンタジーをほのめかす言葉、そんな葛藤を無視して悪戯っぽく欲望を煽るホーンのアレンジ……社会的なコンテクストうんぬんを抜きにして、まずはポップスとしての緻密な魅力をこの曲が持っているからこそ、そこにはあらゆるアイデンティティを超越する力が宿っているのだ。

 もっとも力の抜けたストレートなヴォーカルを聴かせる“花束を君に”は、オフコースやチューリップを意識してソング・ライティングされたというオーセンティックな葬送曲だけれど、それは「薄化粧」というワンフレーズで匂わされるだけ。それにアルバムで最初に完成させたという、悲恋の歌のようにも聴こえる追悼歌“真夏の通り雨”の、コーラスと呼ぶにはあんまりな言葉をリフレインしながらのフェード・アウト。爪弾かれるハープの響きに夢のあわいから拾ってきたような詩を並べる“人魚”は、左右のチャンネルに丁寧に振りわけられたドラム・パターンの絶妙なズレが心地よく鼓膜を撫でる。

 “二時間だけのバカンス”でデュエットする椎名林檎とはいつかカーペンターズの“アイ・ウォント・ラスト・ア・デイ・ウィズアウト・ユー”をデュオでカヴァーして以来のオリジナルの共演だ。この曲自体が、切実なモティーフにあふれたアルバムのなかで、それこそ古くからの友達に誘われて出かけたような解放感に満ちている。そしてある1曲をはさんでラストの直前、サム・スミスの“ステイ・ウィズ・ミー”でも響いていたシルヴェスター・アール・ハーヴィンの抜けのいいスネアに後押しされ、彼女のソロ・ヴォーカルが跳ねる“人生最高の日”。「歓声にも罵声にも拍手喝采にも振り返んない」というラインは、KOHHがフランク・オーシャンの“Nikes”への客演で披露した「自由にする/まるでパリス・ヒルトン」という、毎分毎秒、何億万分の一の出会いの可能性を祝福するラップの転生した歌声のようにも聴こえる。

 ラスト・ナンバーは“桜流し”。仏教的な諸行無常の死生観、本居宣長以来のその日本ヴァージョンとしての「桜」というモティーフ。繰り返す生と死……いや、それでも決定的な死はある。「もう二度と会えないなんて信じられない」からのぞっとする絶望と諦観は、このトラック・リストの最後に置いてしまえば、どうしてもアルバムの核に置かれた、家族をめぐる喪失のストーリーを連想させてしまう。けれどこの曲はその決定的な出来事の前に発表されているのだ。あらゆる別れはひとつの死であること。すべての葬送は生き残った者たちのためのセラピーであること。この曲が、まるでその喪失にむけて歌っているように聴こえてしまうことは、なによりも彼女のソング・ライティングの普遍性を物語っている。

 そして作品が他者に開かれたという意味でも、アルバムを通じたハイライトといっていいだろうKOHHとの“忘却”。最初はノイズだと思った。クリアに、そして重く鳴る心臓の音。すぐにアンビエント的に風景を覆い尽くすストリングスが鼓膜を支配して、後ろでピアノが踊り、曲の三分の一がそのまま過ぎる。前触れもなくヴォーカルが入る。「好きない人はいないもう/天国か地獄」。黄達雄(KOHH T20)という強烈な固有名詞は、「三歳の記憶」、「二十三年前のいい思い出」という記号的な数字にそっけなく置き換えられる。「思い出せないけど忘れられないこと」について韻律をたどる男の言葉に亡霊のように女の声がよりそい、やがてラップが途切れると、女の声が生々しく実体化する。「熱い唇/冷たい手/言葉なんて忘れさせて」。次のヴァースでぶっきらぼうに女の背中を押すラップは、「吐いた唾は飲むな」、「男に二言はない」といった男性的なジェンダー・ロールを裏切り、ラストのオルガンにのせた「いつか死ぬとき手ぶらがベスト」という彼女のパンチラインに引き継がれる。ふたりの声は、ぎりぎりまで接近して、だがはっきりとは交わらず、ただ言葉だけがダイアローグをつなぐ。足をすくうベースの低音の浮遊感に抵抗するかのように、心音はいつのまにか力強いドラムスに変わっている。

 日米のヒップホップにおけるラップの主流が、セルフ・ボースティングによるマチズモと具体的な固有名詞を駆使したリアリズムをベースとしていることを考えれば、ここでのKOHHのラップはひどく特異だ。最近の彼のラップ、たとえば『DIRT』シリーズ以降のいくつかの曲の英訳に目を通すと、ほとんどヒップホップのリリックとは思えないほどのアブストラクトさを実感する。「女と洋服と金」というトラップ・ラッパーとしての彼のマテリアリズムとは真逆の、スピリチュアル・ミュージックとしてのラップ。時代のアイコンであることを背負わされたポップ・スターが、ごくごくパーソナルな喪失の経験に生身で向き合う、その最奥の現場で、あまりに人間的なリアリティを歌ってのし上がったラッパーが、これまでにないスピリチュアリティに接近している。ここにあるのは、ポップ・スターのロール・プレイでも、ヒップホップ的な成り上がりのストーリーでもない。

 このアルバムを語る際、しばしばイギリスのアデルが引き合いに出されているようだ。それは国民的なポップ・スターとしての存在感、という意味ではなるほど頷けるものの、しかしすくなくとも純粋に音楽的にいえば、どちらかといえばコンサヴァティヴなたたずまいのアデルに比べて、卓越したグッド・リスナーとして吸収したエッジーな音楽的要素を独自に消化し、普遍的なポップスに組み上げる宇多田ヒカルの手腕は際立っている。そのことを別にすれば、そういえばアデルの大ヒット曲“ホームタウン・グローリー”は、そのサンプリングをネタにイギリスの各地のラッパーたちがそれぞれの地元をレプリゼントする曲をYouTubeに発表するストリート・アンセムになっていた。それはたしかに、日本のヒップホップ・シーン界隈での宇多田ヒカルの根強い人気にもオーヴァーラップする。PSGのPUNPEEがDOMMUNEでのスペシャル・セッションで示したように、ニューヨークのハードコア・ラップのキング、ナズが“ザ・メッセージ”でサンプリングしたスティングのあの“シェイプ・オブ・マイ・ハート”のギター・フレーズは、ここ日本では、「二人で靴脱ぎ捨てて、はだしで駆けていこう」という“NEVER LET GO”の彼女の甘い歌声とともに記憶されているのだ。

 そして、デビューしたばかりだったKOHHの“MY LAST HEART BREAK”での、“SAKURAドロップス”のサンプリング。スキャンダラスなラインとヴィデオばかりが話題になりがちだけれど、あそこでKOHHは、ひどく猥雑なラップの隙間で、「これが最後のハート・ブレイク」という原曲の歌詞を「これが最後の傷だから平気/自分に言い聞かせる」というリリックでさりげなく引き継いでいた。「壊れない心臓」という歌い出しで始まるあの曲が、登場時のKOHHのまるで内面を欠いたエイリアンのようなメンタリティの誕生を記録した曲だったとすれば、ふたりの新たなフェーズを予感させるこの曲でのセッションは、飛び交うハイプとはまったく無関係なところで、やはり記念碑的な意味を帯びている。

 「宇多田ヒカル」というひとりの人間について語ろうとすれば、天才と呼ばれるその才能であるとか、特殊といえば特殊なその生い立ちであるとか、どうしても特別なドラマがつきまとう。もちろんポップ・ミュージックはそうしたバックグラウンドさえ原動力にしてさまざまな感情をオーディエンスから引き出すものだ。けれどここにあるのは、誰もが誰かの子であり、ときには父や母となり、そして誰しもいつかは喪失を経験する、というシンプルなリアルだ。普遍的な喪失の経験に向き合おうとするこのアルバムの誠実さを、もしドラマティックと呼ぶのなら、どんな人間の生もドラマティックなのだ。彼女のパーソナルなセラピーの記録でもあるこのアルバムは、大切なのは「特別であろうとすること」じゃなく、「自由であろうとすること」なのだと教えてくれる。世界の不自由さをいったん受け入れ、それでもそこには「自由になる自由がある」と。宗教思想においては煩悩と呼ばれる愛も、諸行無常の死生観も、しなやかに飲みこんで笑ってみせる大衆音楽=ポップスのぞっとするような力がここにはある。

 2016年、カニエ・ウエストにせよビヨンセにせよフランク・オーシャンにせよ、話題作をリリースしたトップ・アーティストたちはいずれも、リリース形態そのものがアート表現の一部であるといっていいような動きをみせていた。そうでなくても、この日本ではポップ・アイコンに否応なくつきまとう「物語」への消費欲望だけをあっけらかんとアンプリファイしてCDの売り上げに結びつけるセールス方法が定着してひさしい。データ配信やストリーミングの普及と、アナログ・レコードへのフェティッシュな回帰のはざまで、CDというメディアは過渡期のものとして衰退していく運命にあるとの声もあるほどだ。そんななか、彼女は特典もなしのフィジカルCDとiTunesによる配信という、とても素朴なフォーマットでこのアルバムをリリースした。そこには、自分の音楽に対する自負……というよりは、なにかもっと力の抜けた、大げさにいえば、自分を取りまく世界に対する信頼のようなものを感じる。

 宇多田ヒカルが愛読しているという話もある小説家、中上健次の音楽論はけっこうデタラメなものも多いのだけど、もっとも印象的に記憶しているもののひとつに、耳と音にかんするものがある。耳は目や口と違い、閉じることができない感覚器官だ。しかも脳にいちばん近い。だからそれはもっとも脆く、それゆえ聴覚とは生命や霊のヴァイブレーションをもっとも鋭敏に感じとる器官なのだ……と彼は真剣に論じていた。冗談のようなその熱弁にならうなら、このアルバムでもっともスピリチュアルな場所で鳴らされる音は、生命のヴァイブレーションそのものである、心臓のたてる鼓動だ。誰も自分の心音を直接に聴くことはできない。鼓動を聴くためには、誰かの胸に耳を押しあてる必要があるし、鼓動を聴かせるのなら、誰かの頭を胸に抱く必要がある。聴くこと、聴かせることは、誰かを信じることなのだ。

vol.86:大統領候補テレビ討論会 - ele-king

 もはや何回目かわからなくなっているrandom NY連載だが、大統領選挙の43日前の9/26、第一回の大統領候補のテレビ討論会が行われた。

 討論会が巨大スクリーンで見れるという、近所のバーhumboldt & Jacksonに出かけたのだが、午後8:30頃着くと、まだはじまってもいないのにスクリーンのあるバックルームは人でいっぱい。外で友だちを待って入ると、通りすがりの人が「まだはじまってない?」と聞いてくるわ、みんなよく知ってる。そうしている間に、余りにも人が多くなり、ドリンクもオーダー出来ない状態になる。バックルームは、ソールドアウトのショーのような人の入り。少し見て、別のバーに行くと、ここも普通にテレビで討論会を見てる。今日はもう何処であろうと、ほとんど100%のアメリカ人が、テレビにかじりついているのだろう。これくらい緩い方がいいか、と思いつつ、バーテンダーも客もみんなテレビに釘付け。やっぱり、ドリンク、オーダーしづらい。

 詳しい内容は、ニュースを見て頂くとして、ザクッと、タックス、ISIS、アメリカの人種、経済、犯罪などについて討論をしたのだが、オーディエンスは、ヒラリーさんとトランプさん、それぞれの一語一語にびっくりする程よく反応する。ヤジを飛ばしたり、ブーイングが出たり、盛り上がりはスーパーボウル並み。テレビにですよ! 通りすがりの近所の人たちもバーに入ってきて、テレビ討論会を見ては、やんや言っている。テレビに向かって、これだけ言えるのは、やっぱり国民性か。討論会が終わった後はさらに、知らない人も(バーテンダーも)一緒になって話し込んでいた。これでまだ1回目なのだから、2、3回目などはどうなるのだろう。

 オーディエンスのダイレクトな反応も面白かったが、切り返し等、いろいろ練習したんだろうと思わせるヒラリーさんに比べ、トランプさんは、行き当たりばったりという感じ。モデレーターも良いところを突いていた。今回はヒラリーさんの勝利、ということだが、討論は選挙に関係ないという意見があったり、ソーシャル・メディアではトランプさん支持が多かったり、まだまだ先は読めない。
 普通の音楽ショーよりも断然人が入る大統領候補の討論会は、あと3回ある。
 
 10/4(火)、10/9(日)、10/19(水)。私たちの未来がかかっているのだから、気にならずにはいられない。

interview with Shuntaro Okino - ele-king

   沖野俊太郎は、ヴィーナス・ペーターという、その真価を未だ十分に認められたとはいえないセカンド・サマー・オブ・ラヴ直系のインディ・ダンス・サイケデリック・バンドフロントマン/ヴォーカリストとして知られている。彼は90年代初頭に世に出た新しい世代のなかでも、その才能とポテンシャルに比べ過小すぎる評価を受けたアーティストの筆頭格といっても過言ではないヴィーナス・ペーターの初期からの支持者として、ぼくもまたそんな現状に歯がゆさと苛立ち、ぼく自身の力不足をも感じてきた。

   しかし、沖野昨年リリースした、ソロとしては15ぶりのアルバム『F-A-R』は、そんな不当な評価をくつがえすに足る素晴らしい内容の復帰作として、ヴィーナス・ペーター以来の根強いファンのみならず、2000年代に国境を越え反響を呼んだ『LAST EXILE』や『GUN×SWORD』などのTVアニメの主題歌・挿入歌で彼を知った新しいファン驚喜させ、ひいてはヴィーナス・ペーターのさらなる再評価を促す最高傑作となった。

 

「全てあきらめてしまったわけじゃない/すこし疲れただけなんだ/心配なんかいらないんだよ」(“声はパワー”)

「オレは光/オレは光/闇夜/引き裂く/Im the light,everlast」(“The Light”)

「この夜にさよなら/この夜にさよなら/その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」(“この夜にさよなら”)

 

   アルバムの冒頭の3曲を聴いただけで、漲るような生命力と充溢を感じるF-A-R』は、インストのインタールードを除くすべての楽曲に自作の日本語詞が付いている。メジャー、インディーを問わず当たり前のように英語詞のバンドが受け入れられている現在からは考えられないほど、英語詞というだけで賛否を呼んだ(日本語詞で歌わないというだけで否定的な反応が多かった)過去の葛藤が嘘のように、飾らない言葉とあまくとろけるメロディ、これまでの音楽遍歴を血肉化した変幻自在のサウンドにのって、聴き手の体を揺らし、心を躍らせてくれる。

   93年、ヴィーナス・ペーターの〈トラットリア〉からのラスト・アルバムとなった『Big Sad Table』のなかで、「ほしいものは何もなくて/待つ者も誰もいなくて/のろのろ歩くしかなくて/見えてるものも見えなくなる」(“The Tripmaster Monkey”)と酩酊していた若き日の姿は、そこにはない。彼自身の人生観の変化と人間的成熟を感じポジティヴなトリップマスター、それが最新型の沖野俊太郎だ。

(あくまで私見だが、“宅録マスター”としての沖野の資質には、ぼくここ数年来、密かに耽溺しているマック・デマルコ、マイルド・ハイ・クラブ(アレックス・ブレッティン)、アリエル・ピンクといった、2010年代のデイドリーミングなローファイ・サイケ・ポップの精鋭たちと共振する先駆的センスを感じる)

 

   そして、この度リリースされた『F-A-R』と対になるリミックス・アルバム『Too Far』には、十代の頃、velludo(ビロードというバンドを共に組んでいた盟友・小山田圭吾(コーネリアス)をはじめ、サロン・ミュージック、シュガー・プラント、元シークレット・ゴールドフィッシュの三浦イズルと山本アキヲ、元スーパーカーのナカコー、GREAT3の片寄明人ら、90年代に同じフィールドを共有していた同世代、もしくは近い世代のアーティストから、リン・モリのように沖野とはこれまで接点のない若い世代のアーティストまで多彩なリミキサーが参加し、「遠くへ!」という沖野の呼びかけに対して「遠すぎるよ!」と賛辞を贈る最高にフレッシュなトラックを提供している。

 すべての創造行為は、どんなものであれ、作者自身のリアル・ライフと夢想との間に横たわる気の遠くなるような距離を、イマジネーションの力で超越する冒険だ。サイケデリアは逃避のための夢想ではなく、どれだけ遠くまで行けるかという人間の限界への挑戦なのだ。ロックは、何時でも現実と対決し乗り越えるための天啓となりえる。

 

「物語は自分次第でそう/変わっていくんだ/We are stories(“We Are Stories”)


 2016513日、ヴィーナス・ペーターの再結成時を除けば、95年のソロデビュー・アルバム『HOLD STILL-KEEP GOING』のリリース以来、21年ぶりの再会となった沖野とのインタヴューには、やはり同世代の盟友であり、当時ヴィーナス・ペーター、シークレット・ゴールドフィッシュ、デボネア、ビヨンズらが所属していたインディ・レーベル〈Wonder Releaseの創設者、現在は元銀杏Boyzの我孫子真哉らと共に注目の新レーベル〈Kilikilivillaを運営するDJ/ライター/オーガナイザーの与田太郎も同席、対話に加わってくれた。


■沖野俊太郎 / SHUNTARO OKINO
  (ex. Venus Peter / aka. Indian Rope / Ocean)
1967年3月23日、東京生まれ。1988年、小山田圭吾とvelludoというバンドでインディーズ・デビューするも沖野本人のニューヨーク行きにより活動停止。1990年、ニューヨーク+ロンドンから帰国後、Venus Peterに加入。〈UKプロジェクト〉及び〈ポリスター(trattoria)〉よりアルバム3枚を発表。1994年のバンド解散後、ソロ・アルバムを2枚リリース。小泉今日子他、アーティストへの楽曲提供を行うかたわら、2000年にはソロ・ユニットであるIndian Rope名義にてEP3枚、アルバム2枚を発表。テレビアニメ『LAST EXILE』(2003年)や『GUN x SWORD』(2005年)のテーマ曲や挿入歌の作曲でも知られる。2005年には1年のみの期間限定でVenus Peterを再結成。2006年には13年振りのアルバム『Crystalized』をリリース、ツアーも行う。2008年、Venus Peterのギタリスト石田真人とのニュー・プロジェクトOCEANのミニ・アルバム発表後、ソロ活動を続けながら昨年2014年にはVenus Peterの8年振りとなる新作『Nowhere EP』をリリース。2015年、ソロとしては15年振りのフル・アルバム『〈F-A-R〉』が完成。同年秋、サブ・プロデューサーであるタカタタイスケ(PLECTRUM)を含むバンド、The F-A-Rsを率いてライブ活動を再開。ニュー・アルバム 『〈F-A-R〉』を11月11日にリリース。2016年、アルバム『〈F-A-R〉』を総勢12組のアーティストによって再解釈したリミックス・アルバム 〈Too Far [F-A-R Remixes〉を発表する。

復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。


SHUNTARO OKINO
Too Far [F-A-R Remixes]

Indian Summer

Rock

Tower Amazon


SHUNTARO OKINO
F-A-R

Indian Summer

Rock

Tower Amazon

ぼくは『Too Far』、すごく好きです。いいトラックがいっぱいあるし、なによりも沖野くんのパワーが、参加したリミキサーの人たちにしっかり届いてる。みんなが沖野くんのセンスに共鳴していて、「沖野くんのこういうところがカッコいいんだよ」って、いろんな角度からプレゼンテーションされてる気がしました。その結果、それぞれのトラックを通してリミキサー自身の資質も見えてくる。そういう意味で、愛のある理想的なリミックス・アルバムだなと。リミックスって、オリジナル曲のトラックの中から「俺はここが好き」という部分を拡張して、さらにカッコよくするというのがひとつの理想だと思うのですが、ぼくの個人的な好みで選ばせてもらうと、断トツに好きなのがシュガー・プラントのリミックス(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)。これは超クール! 7インチ・ヴァイナルで欲しいなと思いました。

沖野俊太郎(以下沖野):レーベルの社長もあれがいちばん好きなんですよ。

構造的にはシンプルだけど、トラックを構成してる要素の一個一個が素晴らしい。ダンサブルなベースライン、クールなエレピ、そしてドラム・ブレイク。その上で沖野くんのヴォーカルが際立つという。余計なものが一個もなくて、本当に理想的だなと。ダンス・トラックとしても、リスニング・トラックとしてもいけるし、これぞロックだという感じ。2016年にそういう新作を聴けることがどれほどうれしいことか。
いまや“ロック”という言葉や概念そのものが完全に形骸化して、とっくに終わっているようにみえるけど、ぼくは、ロックは死ぬ、しかし何度でも蘇ると思ってるんです。誰か一人でもロックに価値を見出せたら、ロックは生きてると。そういう意味では、沖野くんがロッカーとして、いまの日本に存在しているという事実が、すごくうれしい。この曲(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)聴いてると、気分が上がる。オープニングの三浦イズルくん(The Lakemusic)の“I’m Alright,Are You Okay?(lady elenoa mix) ”も最高にいい。この2つのトラックに挟まれた他のトラックも、みんなそれぞれの佳さがあって、とても楽しめました。
沖野くんは「感覚だけでいままで生きてきたし、音楽を言葉で説明するのが好きじゃない」と言う。その気持ちもわかる。だけどカルチャーって、作り手に対する受け手の「俺は、私はこう受け取った」という解釈があって、つまり双方向のコミュニケーションがあってこそ成り立つものじゃないかな。良質なジャーナリズムがロックのカルチャーに貢献することがぼくの理想で、そういう意味でライティングにも力を入れて世代間を繋ごうとしている、与田(太郎)さん(kilikilivilla)の最近の活動にもすごく共感しています。『Too Far』というこのリミックス・アルバムは、オリジナルの『FAR』が企画されたときから両方出そうと考えていたのですか?

沖野:いや、ぜんぜん考えてなくて。コーネリアスにリミックスを頼んだのも、正直、宣伝に使わせてもらおうというようなところもあった。

でも、単なる宣伝なわけないでしょう? 小山田くんとの対談を読んでグッときたしね。

沖野:(照笑)『F-A-R』のアウトテイクが数曲あるんですよ。それをEPで出そうか? みたいな話になったときに、誰かのリミックスも入れたいね、じゃあコーネリアスがいいね! ということになったんだけど、流れで他にもいろんな人に頼むことができて。だったらもうアルバムにしちゃえ! っていうふうに、なんとなく決まりました。

これは作ってくれて本当によかった。オリジナルとリミックスの両方があって初めて見えてくるものもあると思うし。リミキサーのセレクションは沖野くんが全部考えたの?

沖野:そうですね。この人がやったのを聴いてみたいという基準で頼みました。

それは曲ごとの指名?

沖野:いや、それぞれのアーティストに選んでもらいました。選ばれなかった曲はしょうがないから俺がやるという感じ(笑)。

I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix)

全体を通して聴いてみて、とてもおもしろかった。普段はリミックスとかあまりやっていない人もいて、自分の音楽ではなかなか出せない部分を出していたり、そういうところも興味深くて。それでは1曲目から順に訊いていきたいと思います。まずイズルくん(The Lakemusic)の“I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix) ”から。

沖野:イズルくんは「やらせて」と言われた(笑)。彼はそんなに自分の作品を作ってる感じでもなかったけど、映像制作の関係で付き合いはあって。仲はずっと良かったんだよね。

彼がこういうメンバーの中にいてくれないと寂しいというのもあるけど、一曲目だからね。いきなりヴォーカルとストリングスだけで始まって、そのまま最後まで引っ張る大胆なプロダクションに驚きました。

沖野彼は河口湖の地元でミュージカルのオーケストラの作曲とかもやってて、オーケストレーションを僕の作品に活かしてみたいから「自分にも参加させてくれない?」って。

アルバムのオープニングにふさわしいし、沖野くんの声を強調することで、マジックを生み出してると思った。あと、“I'm Alright, Are You Okay?”というタイトルの曲を選んだことにもメッセージを感じます。「ぼくは大丈夫、きみは大丈夫?」――それはイズルくんからのアンサーでもあると同時に、リスナーへのメッセージも含まれてる気がする。昨年リリースした『F-A-R』を聴いて、「沖野くん、久しぶりに復活したな」という印象を持った人も多かったと思いますが、そういう意気込みで新作を作ったのですか?

沖野:いやあ……復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。中途半端で終わっちゃったような曲がものすごくストックしてあって、とりあえず1枚出さないと次に進めないという状態が10年くらい続いちゃってて。そういうときの気分で選んだんですよね。

何かしらの基準はあったの?

沖野:うーん……どうだったけな(笑)。そのときアルバムにするなら、という感じで選んだかな。コンセプトはなかったんで。

「自分はこれをやるんだ!」という吹っ切れた感じがすごく伝わってきて、楽曲も粒が揃ってたし、沖野くんの最高傑作だと思いました。オリジナルの『F-A-R』の中で、ぼくがいちばん好きな曲は“Welcome To My World”なんです。これはまさに沖野くんの世界を構成している要素が、サウンドにもリリックにもいろいろ入っているなと。ウェルカム・トゥ・マイ・ワールド――それは、言ってみればアーティストの基本姿勢というか、それに尽きると思うんです。だから、もう一回自己紹介する、というニュアンスもあるのかな? 昔の友達やリスナーへの「久しぶり!」という挨拶、もちろん新しいファンに向けている部分もあったと思うし。

沖野:詞を書いたきっかけは、基本的にはもっと個人的なことなんですけどね。

たとえば何かエピソードはありますか?

沖野:いやあ……ぶっちゃけると、再婚して子どもができて。妊娠してお腹の大きい嫁を見て生命というか、そこからなにか感じたものを歌詞にしていった感じだったかと。時期的にはそうですね。

そうなんだ……これはぼくの勝手な解釈なんだけど、ある意味、引きこもりアンセムみたいだなって(笑)。それは肯定的な意味で言ってるんだけど。ぼく自身、引きこもり的な感覚をいまの自分の中に感じざるを得ないところもあるし(笑)、もはや引きこもりをポジティヴに捉えられないと、現代をサヴァイヴできないという認識もある。

沖野:2012年くらいから曲は書いてあったから、その頃は引きこもってるつもりはないですけど、潜ってましたからね。間違ってないです(笑)。

ぼくの解釈を押し付けるつもりはないので、念の為(笑)。この心地よい浮遊感を音楽に還元できるというのは、沖野くんの素敵な才能だと思っていて。自分の世界の中で自由に遊び、感覚を解き放つのは素晴らしいこと。

沖野:でもいろいろとやる気を出してきた頃ですよ。

「あぁ こころはもう雲の上まで/上昇したまま/宇宙まであと少し」って歌ってるしね。このリリックが好きなんです。「光を纏い/命の深い闇の中/泳ぐ幸せ/君に似合うよ/Welcome to my world」。こういう詞を書けるようになったんだな、と思って。この曲は大好き。トリッピーな曲が多いのは相変わらずだけど、本人はそんなにドラッギーな感じではないなと。

沖野:もう、だって……更生したというか。

(笑)。もうひとつ訊きたかったのは、『F-A-R』のラスト・ナンバーで最後に赤ちゃんとの会話が入ってる“Mood Two”というインストのリミックスが『Too Far』には入ってないけど、あれは誰にも渡さずにおこうという感じだったの?

沖野:べつに誰にも選ばれなかったという……。

これは手をつけちゃいけないとみんな思ったんじゃないかな。沖野くんがまたどういうふうに作るのかなあ、と思ってリミックスを聴いたら、あれだけは入ってなかったから、やっぱり手を付けなかったんだと思って、それはそれで感動しました。では、とくに意味はなかった?

沖野:意味はないですね。

「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。

了解(笑)。ではあらためて、イズルくんのリミックスをもらったとき、どういう感想を持ちましたか?

沖野:すごいグッと来ましたねえ。昔からちょっと“エリナ・リグビー”とかを意識してて。

なるほど! ふたりともビートルズ大好きだもんね。

沖野:「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。メロディがこういうふうに響くんだなあって、自分でも思った。正直、期待してなかったんですよ(笑)。

(一同笑)

沖野:最近は彼、あんまり真面目に音楽やってる感じじゃなかったから。「良かったら使うよ」みたいな依頼で(笑)。そういうところは気さくに話せる。

イズルくんは映像制作の仕事が多いけど、〈fantasy records〉という自らのレーベルを立ち上げて、音楽活動もマイペースで続けてるよね。

沖野:そしたらすごい良かったなあ。嬉しかった。

これは1曲目に置きたいなと思った?

沖野:それは、その時には思わなかった。曲順は本当に悩んで。曲順を決めるために聴き飽きちゃったくらい。

誰かに相談して、という感じじゃなくて、やっぱり自分で決めたかった?

沖野:いや、相談もしました。リミキサーを決めるにあたって、一応自分の中で、90年代からいまもリミックスなりトラックなりを作ってる人、現役でやってる人がいいというこだわりがあったんで。初めは頼みたいと思っていても、最近やってない人には、結局頼まなかった。だから複雑な気持ちの人もいると思う。

The Love Sick(Akio Yamamoto mix)

2曲目の“The Love Sick(Akio Yamamoto mix)”は、オリジナル・ヴァージョンもヴィーナス・ペーターを想わせるファンキーなロックで大好きだけど、アキヲくんにはどういう頼み方をしたの?

沖野:アキヲくんは『FAR』のマスタリングもやってもらってるし、彼のトラック・メイキングの仕事をずっと知ってて。アキヲくんとイズルくんって元Secret Goldfishだし、いまだに仲良くて。で、ちょうど電話がかかってきて「あ、アキヲくんがいたよ!」と思って、本当にそんな感じで決まりました。いろいろ彼の作品を聴いたりして、音に対する鋭さというか、感性がすごいから、どういうトラック作るんだろうと思って。

沖野くんの志向性として、浮遊感だけじゃなくてエッジーな尖った部分というのもあって、そういう表現を別名義のOceanとかIndian Ropeでやってるし、きっとそういうものが欲しかったんだろうな、って。

沖野:とにかく徹底的に自分の音楽を追求している人だよね。

アキヲくんは本誌の古くからの読者にはお馴染みのHOODRUM(田中フミヤとのユニット)とか、『Too Far』に“The Light(I’m the 2016 light years home mix)”を提供してる高山純(Speedometer)さんと組んだAUTORAとか、他にもAkio Milan Paak、Tanzmuzikなど複数の名義を使い分けて多彩な活動を続けてるアーティスト。曽我部(恵一)くんのベスト・アルバム『spring collection』のマスタリングも彼が手がけてて驚きました。「The Love Sick」のリミックスはテクノ寄りのマッドチェスターという感じで、沖野くんにぴったりハマってる。3曲目の「The Light (bluewater mix)」のbluewater(Hideki Uchida)さんは、ぼくは不勉強で知らなかったけど、すごくカッコいいトラックを作る人だなと。

Shuntaro Okino&The F-A-R’sによるライヴの模様。曲は“The Light”

沖野:彼は与田さんが出たりしてる〈SUNSET〉っていうイヴェントでレギュラーDJをやっていて、立候補してくれたんです。リミックス・アルバムを出す話が出る前だね。彼はストーン・ローゼスの“エレファント・ストーン ”かなんかのマッシュアップをやってたんだよね。それがすごい良くて。

“The Light”のオリジナルって、マッドチェスターのフィーリングがあるサイケデリック・ロックでしょう? リミックスは4つ打ちなんだけど、「オレは光」っていう歌詞のキー・フレーズに着目して、言葉のパワーをさらに増幅するような解釈が新鮮で、こう来るか!と。

沖野:彼もマッドチェスターとか全部通ってて。

このリミックスを聴いた感想は?

沖野:この曲はアシッド・ハウスっぽくて、すごく気に入りましたね。あれなんだろう、アシッド・ハウスっぽいよねえ。

与田:しかもフロアで聴いたときにすごくダンサブルだった。実際にクラブで掛けたんですけど。踊るオーディエンスの気持ちがよくわかってる。

Summer Rain(Shunter Okino mix)

4曲目の“Summer Rain(Shunter Okino mix)”、これを自分でやったというのは何かあるの?

沖野:意味はないです(笑)。これは余ってたので、自分でやりましたね。

これもサイケデリックなヴィーナス・ペーター以来の王道というか、このラインは沖野くんの専売特許で、いつやってもいい十八番。それを自分でリミックスしようとなると、どういうふうにやろうと思ったの?

沖野:もう何も考えないでやりましたね。

同じ曲でもいろんなヴァージョンがあったりするのかな?

沖野:最近ハードディスクを整理して出てきたんだけど、この曲はあと2つくらいヴァージョンがありましたね。そっちを出してもおもしろかったなあ。

Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)

そして5曲目は与田さんの“Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)”、これは素敵です。愛を感じますね。

与田:『F-A-R』の中でいちばん好きな曲なので選びました。

沖野:与田さんは俺のことを本当にわかってるんで。与田さんが好きな世界もわかってるし、ああ与田さんだ、みたいな(笑)。

「ウェルカム・ホーム・リミックス」っていうネーミングもいいなあ。

沖野:ちょうど欲しかったタッチの曲になってくれた。

やっぱり2人とも音に対して繊細なところがあるので、とても丁寧に音を構築しているところが好きですね。ネオアコ的な清涼感もあって、すごくいいアクセントになってる。

与田:僕はミュージシャンじゃないんで、むしろ元ネタありきで、この沖野くんの声にこの曲のビートとこの世界観を合わせてみたらどうなるんだろう、というやり方なんです。サンプリングで作っているような感覚なんですけど。この曲はインディ・ダンスにしたかった。テンポ遅めのインディ・ダンスにしようと。

自分のパーティーで掛けたい曲?

与田:そうですね。

Swayed(Linn Mori Remix)

これとその次の“Swayed(Linn Mori Remix)”が隣り合わせているのは、必然性があるというか、よく馴染んでいていいなあと思いました。リン・モリさんはどういう方ですか?

沖野:リン・モリくんはサウンドクラウドで適当にたどっていたら、ぶち当たって。彼の作ってるトラックが全部良くて。まだ25才かな。自分でいろいろ調べましたね。ずっと印象に残ってたんですよ。それで今回リミックス・アルバムをつくろうということになったとき、直接お願いしました。

オリジナルは初期のデヴィッド・ボウイを想わせるアコースティックなバラードだけど、上がってきたリミックスは、ほぼピアノとシンセのインストゥルメンタル。

沖野:全部再構築してくれて。でも基本的にはこういう感じのアルバムを考えてたんですよね。アキヲくんとかもトラックメイカーだから、歌とか使わないでもっと切り刻んでものすごい尖ったものを作ってくるかと思ったんですけど、ちゃんと歌ものにしてきたので意外でしたね。俺のことを知ってると、どこかでやっぱり歌を使いたいと思うのかも。

そう思うし、尊重しようという気持ちがあるのかも。

沖野:たぶん尊重してくれる部分もあると思うんですよ。リンくんは原曲を活かすというよりは、俺のことを知らない分、自分でぜんぜん違う世界を作ってきたという感じだよね。リンくんとは世代も違うし、思い切りがいいし。それがすごいよかった。

原曲はデリケートなラヴ・ソングだし、いっそのこと詞はなしで、みたいな方向なのかな(笑)。これも好きですね。

The Light (Indian Rope Remix)

次の7曲目、“The Light”のIndian Rope名義でのリミックスは、ヘヴィかつドープなサイケでじわじわ上がっていく感じがよくて。煙っぽいサックス・ソロも効いてるし、最後は残像をのこしてドローンと消えていくところも洒落てますね。沖野くんの持ってるコアな部分が出てると思うんだけど。

沖野:これはIndian Ropeを意識しました。Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

Indian Rope名義では久しぶり?

沖野:15年ぶりくらいかな。

〈トラットリア〉以降はこの名義は使ってなかったの?

沖野:使ってないですね。

Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

インディアン・ロープを始めたときってどういう感じだった? ソロといっても、もっとトラック・メイキングに特化してやりたかったのかな。

沖野:そうですね。当時はいまと違ってまだパワーマックとかの時代だったんですけど、いちおう自分ひとりでできるという時代になってはきていて。昔からデモは作りこんでいたんですけど、他人に頼んでボツにしちゃったりしてたんで……やっぱ全部自分でやろうと思って。

そう、沖野くんの曲はデモの時点でほとんど完成しちゃう。

沖野:凝ってましたよね。

ヴィーナス・ペーターの初期の名曲“Painted Ocean”もデモの段階でほぼできていた?

沖野:そうですね。そんなに変わってないですね。

ぼくは本当にシンプルに、あの曲が好きなんですよ。あれ一発で惚れた。しかもいちばんいいと思えるような曲を惜しげもなく『BLOW-UP』(※〈Crue-L Records〉のファースト・リリースとなった91年発売のコンピレーション・アルバム。参加アーティストはブリッジ、カヒミ・カリィ&ザ・クルーエル・グランド・オーケストラ、マーブル・ハンモック、フェイヴァリット・マリン、ルーフ、ヴィーナス・ペーターの6組)に入れたところがカッコいいと思った。自分たちのファースト(『Love Marine』)に取っておかない気前の良さに(笑)。

Moon River(Salon Music Remix)

次の8曲目、Salon Musicの“Moon River(Salon Music Remix)”は絵画的というか、音で絵を描いてる感じが素敵だなと。沖野くんの中に意識せずしてあるものが形になって提示されていると思うんだけど。音でこういうことができるのが、音楽の素敵なところだと思います。

沖野:あと2人でやってくれてるというのがすごく大きいですね。仁見さん(竹中仁見)の声とかファズ・ギターが入っていたり、うれしさがありますよね。サロンを選んで、自分ながらこれはよく思いついたなあと(笑)。

サロン・ミュージックは〈トラットリア〉のレーベル・メイトだし、吉田仁さんはヴィナペの2014年作『Nowhere EP』もプロデュースしてるし、ずっと近くでやってたじゃないですか(笑)。

沖野:近くにいるんですけど、意外とあんまりリミックスは聴かないですよね。

たしかに、リミックスはそんなにやってないかもしれない。

沖野:ライヴにもしょっちゅう来てくれてるんですけど、あんまりつながらなかったですね。

あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

でも沖野くんって、雰囲気がちょっと仁(吉田仁)さんと似ているところもあるし、シンパシーみたいなものがあったんじゃない? あとサロン・ミュージックは英語詞だけでやる先駆者でしょう? 今回の『F-A-R』は日本語詞がメインのアルバムだから、直接そこは関係ないけど、ヴィーナス・ペーターが登場したときとか、その前にフリッパーズ・ギターがデビューしたときとか、仁さんとの出会いはとても大きかったと思うんだけど。

沖野:そうですね。唯一付き合いのある先輩なんで(笑)。あんまりねえ、ミュージシャンとの付き合いがダメなんですよ。苦手なんで。仁さんだけはライヴにも来てくれて、話が合うんですよねえ。

それは音楽性が共通しているというだけではなくて?

沖野:あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

YMOを通ってないというのは、世代を考えると意外なところはあるよね。小山田くんだって、別にリアルタイムでは通ってないと言ってたけど。いまはほぼバンド・メンバーだけどね(笑)。

沖野:もちろんあの時代の人たちを尊敬はしてますけど、影響されてないというか。サロンは、昔からやってることが本当かっこよくて。そういう意味ではいちばんセンスを信用している先輩が、あのおふたりですね。

洋楽志向というより、最初から洋楽だった先輩という感じだよね。ぼくだって80年代初頭に“Hunting on Paris”の12インチを聴いて、「完璧に洋楽だよ!」ってびっくりした。YMOはそれぞれ一角のキャリアのある人たちが組んだスーパー・グループだけど、サロンは突然現れてロンドンから逆輸入という感じだったから。

この夜にさよなら(Cornelius Remix)

インディアン・ロープ~サロン・ミュージック~コーネリアスという並びは、個人的には「トラットリア・ストライクス・バック!」という感じで盛り上がりますね。“この夜にさよなら(Cornelius Remix)”は、意外といえば意外だった。沖野くんのオリジナルは『F-A-R』のリード・トラック的な曲だし、この爽やかな感じはこれまでなかったから、パッと聴いていいなと素直に思ったけど、小山田くんの解釈がいわゆるコーネリアス調じゃないのがおもしろかった。小山田くんのリミックスって、たいていの場合は原曲のタッチをほとんど残さずコーネリアス調に作り変える作業だけど、これはそうじゃないと思って。非常にレアなケースじゃないかな。

沖野:この曲は、聴いているうちにあー、やっぱコーネリアスだなあ、って思うようになりましたね。

うん、まさしくそういう感じ。だから、いつもの感じでやらなかった、ということ自体にスペシャル・トリビュート感があるなと。音数は少なくて、隙間を活かしたすごくシンプルなアプローチというところは小山田くんらしいけど。

沖野:コード感とかが小山田くんの中にあるものと合ってて、たぶんこれだという直観で選んだ部分があると思う。彼も忙しいし、これがいちばん料理しやすいと思った、って気がするけどね。

さらっと仕上げているようで、飽きずに長く聴ける感じ。沖野くんに対するリスペクトを感じますね。原曲の歌詞は、最初に聴いたとき、亡くなった人へのレクイエムのように聴こえたんだけど、そういうことってあったりしますか?

沖野:うーん、そこははっきりと明言するのは避けたいです。ただ実は自分史上、最高に悲しい曲ではありますね。

切ない曲だよね。友達なのか家族なのかわからないけど、いまはこの世にいない大切な人に捧げた特別な曲、という気がしました。

沖野:うーん、やっぱりそこもノーコメントで。ただこの一行は彼、とかこのくだりは彼女、とかそういうのはあります。基本的には大きい括りなんですけど。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

すごく秘められたドラマを感じる曲だったので……。

沖野:そこに気付いてもらえたのはすごくうれしいです。単に爽やかな曲というふうに言う人も多いんですよ。

でも、爽やかな曲調でこの詞だから、よけいにグッとくるところがあって。さっきいちばん好きな曲は“Welcome To My World”と言いましたが、リリックは“この夜にさよなら”がいちばん印象的でした。沖野くんの個人的な世界というよりは、誰かにこの思いを伝えたいという気持ちが溢れている感じがしました。

沖野:そういうことは思ってるんですよね。

「この夜にさよなら」というリフレインも、「その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」という最初のヴァースからしてハッとさせられるというか、この曲は違うぞ、とまず最初に思って。でもその後に「その胸の暗やみ/この胸の苦しみ/いつまでも一緒さ/だからこの夜にさよなら」と続いて、いろんな人と出会う中で傷ついたこととか、つらい思い出みたいなものを、捨て去るのではなくて、それを持ったままいっしょにさよならする、というところにものすごくグッと来る。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

それは強い決意だなあ。実際、痛みも傷も闇も、なかなか消えないじゃない? 本音を言えば、そんな簡単に消えるわけないだろ、という。ちょっとの間は忘れていられても、不意にフラッシュバックしちゃう。ぼくもそこは一緒で、だけどそれをこういうふうにさらっと歌えるというのが、いまの沖野くんの大きな成長だと思う。

沖野:少ない言葉でそれを表現したかったというか。

この曲のリリックは最高。すごい名曲だと思う。最後のヴァースがまたグッと来るんだよな。「悪い夢で構わない/いつか/夜の彼方で彷徨う君を見つけよう/また会おう」。「さよなら」と言ってるんだけど、最後に「また会おう」と言って終わるというのが……ニクいね(笑)。日本語詞でこれだけのものを書けるんだから素晴らしい。それを小山田くんが選んでるというのがまた……。

沖野:その話はしてないですけど、そこはうれしかったですね。

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Dream Of You(Akito Bros. remix)

次の10曲目、Akito Bros(アキト・ブラザーズ)の“Dream Of You(Akito Bros. remix)”。メロディメーカーとしての沖野くん史上屈指の名曲にさらに磨きをかけた感じ。繊細な音作りが素晴らしくて、これもすごく好き。片寄(明人)くんに頼もうと思ったのは?

沖野:いま、沖野俊太郎 & The F-A-Rsでギターを弾いてくれてるタカタタイスケくんのバンド、プレクトラムがGREAT3と対バンしたのを観に行ったのがきっかけ。GREAT3ってじつはちゃんと観たことなくて、音源もほとんど聴いてなかった。たぶんGREAT3が活躍している頃(90年代後半)は、わりとテクノとかばっかり聴いてたから。でも、そのライヴがすごい良くて。

ぼくは、GREAT3がいまいちばんカッコいいロック・バンドだとマジで思ってるよ。片寄くんのことは昔から知ってるし、デビューのときからGREAT3は大好きだったんだけど、どの時代のGREAT3よりもいまがいちばんいいと思えるくらいカッコいい。

沖野:じゃあちょうどいいときに見たんだ(笑)。ずっと3人でやってるんですか?

オリジナル・ベーシストの(高桑)圭くんは脱退したけど、若い新メンバーのjanくんが加入して、オリジナル・ドラマーのケンちゃん(白根賢一)は変わらずに3人でやってる。ライヴはギターとキーボードにサポートが入るときと、サポートなしでトリオ編成でやるときがあって、いろいろだね。

GREAT3のライヴがすごい良くて。

沖野:片寄くんがリミックスやってるの聴いたことないな。あれだけすごい知識を持ってるし、プロデューサーもやってるのに。でも、わりとそういう発想があったんですよ。この人がリミックスやったらどうなるんだろうという。

それはヒットだね。じゃあ、これまで交流はそんなになかった?

沖野:ぜんぜんなかった。それからライヴとか呼んでくれて。

そうなんだ。片寄くんもめちゃめちゃサイケな人だし。いまは菜食主義者だけど(笑)。沖野くんとの相性は絶対いいはずだと思ったけど、案の定、片寄くんらしいメロディアスな風味のリミックスで、仕上がりもバッチリだった。

沖野:今回やってくれた人たちの中ではいちばん、元の素材をそのまま使って組み立てなおしたという感じですよ。他の人は歌だけ使うという感じなんだけど、片寄くんと5ive(COS/MES)くんは唯一、俺のトラックを全部使ってくれましたね。彼らはリミックスするというよりも……。

リ・コンストラクションした感じ?

沖野:そうそう。

元の曲のトリップ・ソングらしさを活かしつつ、メロディの良さをさらに際立たせようという意図は十分伝わってきたよ。

The Light(I'm the 2016 light years home mix)

次の11曲目、Speedometer(スピードメーター)の“The Light(I'm the 2016 light years home mix)”。リミックスのタイトルはモロにローリング・ストーンズ「2000光年のかなたに」(2000 Light Years From Home)から採ってるなと。高山純さん(Jun Takayama a.k.a Speedometer)はイルリメともSPDILLというユニットをやってるし、SLOMOSという名義でソロ音源を発表したり、多彩な人ですね。

沖野:俺、高山さんのことがいちばん知らなくて。アキヲくんが彼とバンド(AUTORA)をやってて、レーベルの社長がSpeedometerの大ファンというのもあって、アキヲくんに紹介していただけないか、という感じになったんだけど。Speedometerの音源も聴いたけどすごいカッコよくて。高山さんは絶対に歌を使わないだろうと思ってたら使ってて、アンドリュー・ウェザオールみたいな印象で、すごく良かったですね。どこかしらにあの頃の匂いを入れてくれてるというのがね。

これも原曲はマッドチェスターっぽいサイケデリック・ロックだし、たとえばストーンズでも、時代が移るごとに惹かれる部分が変わるじゃない? マッドチェスター華やかなりし90年代初頭は、やっぱり『サタニック・マジェスティーズ』とか『ベガーズ・バンケット』に目が行く時代だったと思うんだけど。トリッピーな世界観みたいなものを沖野くんと共有してるのかな?

沖野:ああ、そういうことはぜんぜんお話してないんですよ(笑)。高山さんは大阪在住なので。いろいろ聞きたいんですけどね。大阪に行ったときにはぜひお会いしたいですね。

We Are Stories(The F-A-Rs Remix)

次は12曲目、“We Are Stories(The F-A-Rs Remix)”のリミックスは、バンド・サウンドからそんなに大きく変えたりしてない?

沖野:この曲は、ライヴではバンドでアレンジしてやっていて、それをリミックス的に録ってみようかと言って録ったのが、あまりに普通だったので、思いきり編集したという感じですね。ぜんぜん違う感じに。バンドっぽく聴こえるんですけど。

元はわりとデジタル・ロックな感じだよね?

沖野:そうですね。

これは自分でも気に入っている?

沖野:そうですね。まあこういうのもおもしろいというか、自分らしいとは思ってますけど。

「自分たちの物語は自分次第で変わっていくんだ」という歌詞の一節にもあるように、“We Are Stories”というタイトルにもポジティヴなメッセージが込められてる。トリッピーだけど、全体的にポジティヴな感じもこのアルバムの特徴かな。引きこもりアンセムも入ってるけど(笑)、基本的には開けてるよね。

沖野:新しく歌詞を書いた曲に関しては、だんだん明るくなってる(笑)。

声はパワー(Koji Nakamura Remix)

そういうストーリーもあるんですね(笑)。そして13曲目、ナカコーくん(Koji Nakamura)が手がけた“声はパワー”のリミックスは、ほとんどピアノの残響音だけで歌声と歌詞を聴かせる思いきったアプローチで、意表をつかれたけど、すごくいいなと思いました。

沖野:そうですね。これはナカコーくんらしいというか。まさかピアノ・メインで来るとは思わなかったんですけど。もっとエレクトロな感じかと思ったら、現代音楽じゃないけど、かなりそういう要素があったので、衝撃でしたね。まずこの曲選ぶ人がいなかったんですよ。逆にいちばん難しいじゃないですか。ナカコーくんがこれを選んでくれたのがすごくうれしくて。それでこういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲は女性コーラスがフィーチュアされてて、ナカコーくんはそれも活かしてデュエット・ソングに変えてる。そこもおもしろいなと思ったけど、「声はパワー」と言ってるのに──ヴィーナス・ペーターの初期曲“Doo Be Free”では、プライマル・スクリームが“ドント・ファイト・イット、フィール・イット”でデニス・ジョンソンのソウルフルなヴォーカルをフィーチュアするような発想で、真城(めぐみ)さんをフィーチュアしたと思うんだけど――今回はいわゆるパワフルなヴォーカルじゃなくて、ガーリーな感じの女性ヴォーカリストを起用してるのが意外だった。

沖野:歌ってるのはadvantage Lucy(アドバンテージ・ルーシー)のヴォーカルのアイコちゃんなんだけど、彼女はすごく強いものを内に秘めていて。かわいらしい女性っていうイメージが強いんだけどね、ルーシーの曲とか聴いてると……。

ごめん、決して彼女のヴォーカルが弱いと言ってるわけじゃないんだ。ただちょっと意外な組み合わせだなと思って。

沖野:うん、意外なのはわかります。そういえば彼女を推薦してくれたのもタカタタイスケくんなんです。俺も直感でこの曲はアイコちゃんだなって思ったんですよね。なにか感じるものがあった。

こういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲のイントロでヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「サンデー・モーニング」みたいなグロッケンが鳴ってるし、元々チャーミングな曲でしょう? サックス・ソロとかピアノ・リフが効果的に散りばめられてて、曲調もゆるやかに飛翔していく感覚があって、『F-A-R』の中でもいちばんカラフルな印象がある。そういうアレンジを全部取り払って、沖野くんとアイコさんの声とピアノだけで世界全体を作りかえた。このトラックも『Too Far』の白眉だと思います。

沖野:俺とアイコちゃんのヴォーカルの混ぜ方が上手いなと思って。SUPERCAR(スーパーカー)も男女ツイン・ヴォーカルだったから、そこもどこかで勉強してたんじゃないかと思うんですよね。ナカコーくんにそういうコントラストの感覚があったのかなとは思いましたね。

たしかに、沖野くんとアイコさんの組み合わせには、SUPERCARみたいなチャームを感じます。ナカコーくんに頼もうというのは、どういうところから来た発想?

沖野:やっぱり独自の作品を追及してるからですかね。そんなに近くはないんですけど、スーパーカーも好きだったし。

スーパーカー以降の、自分の世界をストイックに追求する感じも共通している気がします。

沖野:彼は昔からIndian Ropeを好きだと言ってくれてて、それも覚えてたので、やってくれるかなあと思ってお願いしました(笑)。ツイッターでヴィーナス・ペーターのこと書いたりしてくれてたんで、頼みやすかったです。

世代的にはちょっと下くらいだけど、やっぱり通ってたんだね、フリッパーズ・ギターやヴィーナス・ペーターを中高生のときに聴いて……。

沖野:(日本のバンドでは)唯一、聴いてたみたいで。

ジャンルを超えて、いろんな名義を使い分けながら活動してるところも沖野くんと似てるよね。

When Tomorrow Ends (speakeasy mix)

そして最後にSugar Plantの“When Tomorrow Ends (speakeasy mix)”。これは選曲もハマってるよね。

沖野:これはね、この曲でお願いしたんですよ。

これをSugar Plantで聴いてみたかったの?

沖野:じつはこれしかなかったというのがきっかけなんだけど。この曲は、はじめぜんぜん合わないと思っていて。あんまり想像できないじゃない? それをあえて頼んでみたんですよね。

このアレンジはショウヤマさん(ショウヤマチナツ)とオガワさん(オガワシンイチ)がふたりで……?

沖野:いや、これはオガワくんひとりでやったみたいです。

壮太くん(高木壮太)とかは参加してない?

与田:壮太くんは参加してない。

めちゃくちゃカッコよくてびっくりした。オルガンは入ってないけど、ドアーズみたいにヒップな、ヒリヒリくる感じがすごくあって、これは本当にすごいよ。

沖野:彼らの話を聞くと、元のヴォーカルだけ抜いて、ヴォーカルに導かれて……ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

やっぱりそうなんだ。このトラックは最近の新譜と比べても飛び抜けてカッコいいと思った。こういうマジックが起きるからリミックス・アルバムって作っておくもんだね、というくらいカッコいい。

沖野:本当に何回鳥肌が立ったか……『Too Far』は、自分がいちばん元の曲のことを知ってるんで、「ええっ! こうなるんだ!?」という変わりようがおもしろかったですね。

自分がいちばん楽しい?

沖野:気楽だしね(笑)。

今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。

オリジナル・アルバムとリミックス・アルバムの両方が揃ってみて、何かあらためて自分で発見したことはありますか? もしくは再確認したこととか。

沖野:何かあったかなあ(笑)。今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。いまは次のことやりたくてしょうがない。

「次はこういうことをやりたい」という具体的なアイデアはある?

沖野:それもまだ見つかってないんですよね。

モヤモヤと自分の中で渦巻いてる感じ?

沖野:渦巻いてはいるんですけど、いまはよくわからないですね……。

それを手探りしていく作業なのかな? でも、みんな次の仕事にとりかかる前はそんな感じかもしれないね。与田さんは今回の2枚のアルバム聴いてどんな感想を持ちました?

与田:今回はまず『FAR』の方で、いままでの沖野くんと明らかに違うということに驚きましたね。『F-A-R』の宣伝を手伝いつつ、僕も沖野くんにインタヴューしながら、その理由がわかってきた。The F-A-Rsと一緒にやったバンド編成のライヴを3、4回観て、僕はヴィーナス・ペーター以外のバンド形態をあまり見たことがなかったのですが、それがすごくよかったんです。で、バンドと沖野くんにだんだん焦点が合ってきて、定期的な活動ができるようになったのがいいなあと思って。あとは、『Too Far』に参加したリミキサーのラインナップは、僕もほとんどが知り合いみたいな感じなので、同世代感はありますね。みんな90年代を通して活動してた人が多いじゃないですか。しかも90年代って、ダンス・カルチャーがロックにものすごく侵食していった時代でもあるので、それをリアルタイムで体験してる人たちの作品が集まってくると、不思議なもので共通の感覚があるなあと思いましたね。

なるほど、まさにそういう人たちが集まった感がありますね。

与田:そうですね。ダンスフロアとロックがクロスしたのをリアルタイムで体験して、実際に踊っちゃってた方なんで。いまは逆にそういうリアリティを伝えづらいのかなあ。だからこういうタイミングでこういうアルバムが出てくると、自分としては、世代感覚的にもすごくうれしいですよね。とにかく楽しかったので。

あらためて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。

沖野:でもね、2枚続けてアルバムを出して、改めて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。いまの日本の若者の中で流行っているものとかぜんぜん好きじゃないし。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。結局、やるしかないんだけど(笑)。いまはSNSとかあるから、何が流行っているかわかっちゃうじゃないですか。本当の現場はどうかわかんないけど、でも俺はそういうところとはズレてる、というのを認めざるを得ないかなあ。もちろん後ろ向きではなくて。もっとどうやって(自分の音楽や状況を)良くしていくかということを考えつつ、でも生活に追われてることもあるし、難しいというのはひしひしと感じてますね。

日本のメジャー・シーンだろうとインディ・シーンだろうと、そこに対する違和感のみが、沖野くんにはあったと思うんですよ。ヴィーナス・ペーターだって、いまでも早すぎる解散だったと思うけど、沖野くんが自棄になった理由というのは、「これで変わらなかったら、何をやったらいいの」という歯がゆさだったんじゃない?

沖野:ありましたね。どうしたらいいんだろう、というのがいまだに続いているけど。

最近の若いバンドとか聴く機会もあるでしょう?

沖野:一応聴かなきゃという感じで聴いてますけど。

〈kilikilivilla〉のサイトで沖野くんとCAR10(カーテン)の川田晋也くんの対談を読んで、すごくおもしろかった。川田くんは91年生まれで、〈kilikilivilla〉の先輩たちを通じてヴィーナス・ペーターの存在を知って、まさにその年にリリースされた『LOVE MARINE』をブックオフで発見するんですよね。

与田:僕から見ると、CAR10とか、いま地方で活動してる若い子たちが洋楽ロックが好きでやってる感じが、90年代前半に僕らがやってた感じと似通ってるなと思ったんですよ。だからヴィーナス・ペーターとか聴かせると、みんなものすごく反応してくれて。

それは現行のJポップへの違和感から?

与田:完全にそうだと思いますね。

沖野:普通だったら違和感を抱かないわけないよね。「なんでこんなに分かれてるの? なんかおかしくない?」という感じ。

与田:中間がないですよね。

沖野:ここまで離れちゃうと埋めようがないくらい(笑)。

やっぱりバンドが好きですねえ。

与田:でも、90年代もそうだったんじゃないですかね。もちろんRC(・サクセション)とかブルーハーツとかいましたけど、イカ天とかホコ天あたりのイヤーな感じのバンドがわんさか出てきて。だからフリッパーズのファーストは、音楽好きにとって衝撃だったんじゃないかなあ。その感じと、いまの20代前半のバンドの、自分の好きな音を見つけてきてそれをやってる感じは、よく似てると思いましたね。ただ、いまの子たちはみんなしっかりしてるんですよ。僕らは自分たちの思いだけで突っ込んじゃって、後先考えずに突っ走った部分はあるんですけど、いまの若者はみんなきっちり仕事持ちながらやってますよね。いいことだと思いますけどね。

いまはロック・ドリームを抱きようがないというか、それはロックに限らないと思うけど、自分たちの将来に巨きな夢を持ちにくいんじゃないかな。

与田:夢、見ないですよねえ。まだ〈kilikilivilla〉の若者たちは自分の世界を作ろうとしますけど。一般的には夢とか見れない、って言われるとしょうがないですけどね……。

もちろん地に足がついてるのはいいことだけど、バンドに巨きな夢を持ちにくいというのは世知辛いよね。いつの時代の若者にとってもドリーミーなカルチャーのはずなのに。でも、理想と現実の相克というテーマは永遠のものだから、きっとまたすごいバンドが現れると信じてるけど。
そういえば、沖野くんって曲作りは自己完結してるのに、つねにバンドがあったほうがいいというジレンマがある気がして。バンドのフロントに立って歌ってる姿がいちばんサマになるし、仮に曲作りは自分ひとりで完結できるとしても、パフォーマーとしてソロでやるという感じではないよね。弾き語りの人じゃない。

沖野:ダメということはないけど、やっぱりバンドが好きですねえ。

つまりポップス・シンガーじゃないということ。沖野くんはあくまでロッカーなんだよね。そういう意味では、ボビー・ギレスピーみたいな人って日本にいない。たとえばスカイ・フェレイラとデュエットしたら、日本だとどうしても芸能界っぽい世界になりがちじゃない。ボビーは、あくまでロック・アイコンとしてポップ・アイコンと絡んでる感じがカッコいいよね。沖野くんはそういう冒険もできる人だと思うから、ロック道を突き進んでもらいたいですね。

沖野:そうですね、がんばります。

interview with DJ MIKU - ele-king

 君がまだ生まれたばかりか、生まれる前か、よちよち歩きしたばかりか、とにかくそんな時代から話ははじまる。1993年、移動式パーティ「キー・エナジー」は、東京のアンダーグラウンドを駆け抜けるサイケデリックなジェットコースターだった。実際の話、筆者はジョットコースターを苦手とするタイプなのだが(いままでの人生で5回あるかないか)、しかしあの時代は、目の前で起きている信じられない光景のなかで、乗らなければならなかった。いや、乗りたかったのだ。なにがカム・トゥゲザーだ、外面上はそう嘲りながら、もはや太陽系どころの騒ぎじゃなかった。そして、そのとき我々を銀河の大冒険に連れて行った司祭が、DJミクだった。
 DJミクは、80年代のニューウェイヴの時代からずっとDJだったので、そのときすでにキャリアのある人物だったが、当時としてはヨーロッパのテクノ、ジャーマン・トランスを取り入れたスタイルの第一人者で、とにかく彼は、10人やそこらを相手にマニアックな選曲でご満悦だったわけではなく、1000人以上の人間を集め、まとめてトリップさせることができるDJだった。


DJ Miku
Basic&Axis

Hypnotic Room

Techno

iTunes beatport DJ MIKU Official web

 さて、その栄光に彩られた経歴とかつての過剰な場面の数々に反するように、本人は、物静かな、物腰の柔らかい人で、それは知り合ってから20年以上経っているがまったく変わっていない。
 時代が加速的に膨張するまさにそのときに立ち合ったこのDJは、しかし、その騒ぎが音楽から離れていくことを案じて、常識破りのバカ騒ぎを音楽的な創造へと向かわせようとする。90年代半ばにはレーベルをはじめ、音楽を作り、また、売れてはいないが確実に才能のあるアーティストに声をかけては作品をリリースしていった。このように、パーティ以外の活動に積極的になるのだが、しかし、いわば偉大なる現実逃避の案内人が、いきなり生真面目な音楽講師になることを誰もが望んでいるわけではなかった。
 こうして司祭は、いや、かつて司祭だったDJは、天上への階段を自ら取り壊し、自ら苦難の道を選んで、実際に苦難を味わった。ひとつ素晴らしかった点は、かつて一夜にして1000人にマーマレードの夢を与えていたDJが、10年経とうが20年経とうが、いつか自分のソロ作品を出したいという夢を決して捨てなかったということだ。その10年か20年のあいだで、90年代初頭のど派手なトリップにまつわるいかがわしさはすっかり剥がされて、輝きのもっとも純粋なところのみが抽出されたようだ。アルバムには瑞々しさがあり、清々しい風が吹いている。それが、DJミクの、活動35年目にしてリリースされるファースト・アルバムだ。
 アルバムのリリースと、6月4日の野外パーティ「グローバル・アーク」の開催を控えたDJミクに話を聞いた。アルバムは、活動35年目にして初のソロ・アルバムとなる。それだけでも、DJミクがいま素晴らしく前向きなことが伝わるだろう。

どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね

DJをはじめて30年ですか?

DJ MIKU(以下ミク):35年ですね。

というと1981年から! 35年もブースに立ち続けるってすごいです。

ミク:運が良かったんだと思います。最初にすごく有名なナイトクラブ(※ツバキハウス)でデビューさせてもらったおかげで、次行く店でも割と高待遇な感じでブッキングされて。そういうクラブは気合も入ってるし、80年代はクオリティの高いディスコなりクラブのブースで、ずっと立ち続けることができたからね。で、90年代に入ったときには、自分たちのやったパーティが成功したと。まずは「キー・エナジー」、その次に「サウンド・オブ・スピード」でもレジデンスをやって、あともうひとつ「キー・エナジー」の前にラゼルというハコでアフター・アワーズのパーティもやったな。

ぼくにとってミクさんといえば、なんといっても悪名高き「キー・エナジー」のレジデントDJですよ(笑)。

ミク:まあまあ(笑)。その前も80年代のニューウェイヴ時代にもやってるんで。

いやー、でもやっぱりミクさんといえば「キー・エナジー」のミクさんじゃないですか。


天国への切符? Key -Energyのフライヤー。good old days!

ミク:そうなっちゃいますよね。90年代はとくね。

いや、あんな狂ったパーティは、ぼくは日本ではあそこしか知らないです(笑)。少なくとも、90年代初頭にテクノだとかレイヴとか言って「キー・エナジー」を知らない奴はいないでしょう。あれほどヤバイ……、ヨーロッパで起きていた当時の狂騒というか、過剰というか、狂気というか(笑)。日本でそれを象徴したのは紛れもなく悪名高き「キー・エナジー」であり、その名誉あるレジデントDJがぼくたちの世代にとってのミクさんです。だからいまでもミクさんの顔を見るたびに、ジャム・アンド・スプーンが聞こえてきちゃうんですよ。「フォローミー」というか(笑)。

ミク:ははは、懐かしい。そういう時代もあったんだけど、自分としては35年と長くDJやっててね、「キー・エナジー」はおそらく3、4年くらいしかなかったのかな。

もっとも濃密な時代だったじゃないですか。

ミク:かもしれないですねえ。

サウンド・オブ・スピードはどこでやったんでしたっけ?

ミク:それもやっぱり移動型のパーティで、それこそ代々木の廃墟ビルでやったりとか寺田倉庫でやったりしましたね。

ヒロくん? 彼はもっと、ワープ系だったり、ルーク・ヴァイバートなんかと仲良かったり、エクスペリメンタルな感じも好きだったでしょう?

ミク:そうそう。

ああ、思い出した。ミクさんは「キー・エナジー」であれだけヤバい人間ばかり集めたんで、やっぱりもうちょっと音楽的にならなきゃということで、「サウンド・オブ・スピード」にも合流するんですよね。ただ、あの時代、ミクさんがDJやると、どうしてもヤバい人間がついて来るんだよね(笑)。それがやっぱりミクさんのすごいところだよ。

ミク:どうなんですかね(笑)。

あの時代の司祭ですから。

ミク:はははは。


1997年の写真で、一緒に写っているのは、Key -Energy前夜の伝説的なウェアハウス・パーティ、Twilight ZoneのDJ、DJ Black Bitch(Julia Thompson)。コールドカットのマットの奥方でもある。余談ながら、1993年にTRANSMATのTシャツを着て踊っている筆者に「ナイスTシャツ!」と声をかけてくれたこともある。

テクノと言っても、当時のぼくなんかは、もうちょっとオタクっぽかったでしょ。良く言えばマニアックなリスナーで、そこへいくとミクさんのパーティにはもっと豪快なパーティ・ピープルがたくさん集まったてて。あれは衝撃だったな。イギリスやベルリンで起きていたことと共通した雰囲気を持つ唯一の場所だったもんね。あのおかげで、ぼくみたいなオタクもパーティのエネルギーを知ったようなものだから。

ミク:ところがその頃からレーベルを作っちゃったんですよ。

〈NS-Com〉?

ミク:そうですね。最初のリリースは97年だけど、その前身となった〈Newstage〉を入れると96年。

〈Newstage〉は、それこそレイヴ的なスリルから音楽的な方向転換をした横田進さんの作品を出してましたね。横田さんとか、白石隆之とか、ダブ・スクアッドとか……。ときには実験的でもあった人たち。でもミクさんの場合は、DJやると、どうしてもクレイジーな人が来るんだよなあ(笑)。それが本当ミクさんのすごいところだよね、しつこいけど。

ミク:はははは。DJでかけるものと自分の好きなものが違うんですよ。やっぱりDJでかけるものってハコ映えする曲なので。

去年コリン・フェイヴァーが死んだの知ってます?

ミク:知ってますよ。

縁起でもないと怒られるかもしれないけど、もし東京にコリン・フェイヴァーを探すとしたらミクさんだと思いますよ。

ミク:一度やったことあるけど、すごいオッサンでしたね(笑)。

コリン・フェイヴァーは、ロンドンの伝説的なテクノDJというか、ポストパンクからずっとDJしていて、そしてUKのテクノの一番ワイルドなダンサーたちが集まるようなパーティの司祭として知られるようになる。アンドリュー・ウェザオールがテクノDJになる以前の時代の、偉大なテクノDJだったよね。いまの若い子にコリン・フェイヴァーなんて言っても、作品を残してるわけじゃないからわからないだろうけど、90年代初頭にコリン・フェイヴァーと言ったら、それはもうUKを代表するテクノDJでね。

ミク:「キー・エナジー」でコリン・フェイヴァーを呼んで一緒にやって、やっぱりすごく嬉しかったな。あこがれの人と出来て。ただ自分がDJでプレイする曲って、いま聴いちゃうと本当どうしようもない曲だったり。こう言ったら失礼かもしれないけど、B級な曲なんだけれどもフロアで映えるという曲をプレイしていて。つまりダサかっこいい曲が多かった。でも自分の家に帰ると実は練習以外ではほとんど聴かなかったですね。

練習?

ミク:自分は練習量に関しては負けない自信があるんですよ。どのDJよりも練習したし、いまもしょっちゅうネタを探してるしてやってます。そういう意味では努力していると思う。

練習って、ミクさんは筋金入りだし、ディスコ時代から修行を積んでこられてるじゃないですか。

ミク:そういう経験にプラスしてMIXやネタのところでも負けたくないなというのは今もありますね。

当時のぼくはオタク寄りのリスナーだったけど、ミクさんはもうすでに大人のDJだったっすよね。遊び慣れているというか。

ミク:どうなんだろう……

だってミクさんが相手にしていたオーディエンスって、だいたいいつも1000人以上?

ミク:多いときは1500人くらいはいましたねえ。


1995年、Key -EnergyのDJブース

でしょ? そもそも「キー・エナジー」はマニアック・ラヴ以前の話だしね。

ミク:ちょっと前くらいかな。

リキッドルームなんか、そのずっと後だもんね。で、マニアック・ラヴというクラブがオープンして、それがどれほどのキャパだったかと言えば、100人入ればかなりいっぱいになるようなハコだったわけでしょ。で、実際、当時はそこに数十しかいなかったわけで、それでもすごく画期的だったりして(笑)。それを思うとですよ、あの時代、1000人の前でプレイするってことが何を意味していたかってことですよね。ナンなんですか?

ミク:時代の勢い?

ひとつには、それだけ衝撃的な吸引力があったってことじゃないですか? 「こんなのアリ?」っていう。

ミク:だけどねえ、人数は関係ないのかなあ。俺がDJやってていちばん手が震えたのは、横浜サーカスというところでやったときで。ちょうどパブリック・エナミーが来日していて、ハコに遊びに来たんですよ。で、フレイヴァー・フレイヴがDJブースに乱入してきて、いきなり俺のDJでラップはじめて(笑)。

すごいですね。

ミク:87年か88年かなぁ。しかもサーカスというとクラブの3分の1から半分くらいがアフリカ系アメリカ人なんですね。その外国人たちがすごく盛り上がっちゃってね。外したら氷とかコップとか投げられそうになるみたいな(笑)。そのときは手が震えたね。

「キー・エナジー」以前にそんなことがあったんですね。初めて知った。

ミク:まあその話すると逸れてしまうので、レーベルの方に話を移すと、じつはキー・エナジーをやっていた頃に野田さんに言われたことがあるんですよ。「ミクさんたちはビジネス下手だからなあ」って(笑)。「これだけ話題になってるんだからもっと上手くやればいいじゃん」って言われたんですよ。

ええ、本当ですか? それは俺がまったく生意気な馬鹿野郎ですね。ビジネスを語る資格のない人間が、そんなひどいこと言って、すみません!

ミク:いえいえ(笑)。クラブ業界と音楽業界は違うんですよ。たしかにレーベルやるということはビジネスマンでなくてはいけない。それまではただのいちDJ、アーティストとして音楽業界と接していたんだけど、レーベルをやるということはCDを売らなきゃいけないということなんだよね。流通とか、プロモーターとか、他にも汚れ仕事もしなきゃならない。でも、当時は俺も経験がなかったですし、はっきり言って新人ですよ。DJとしてはもう、その頃で10年以上はやってたんだけど、でも音楽業界のプロの人に現実的な事をすごく言われちゃって。理想的なことばっかり話してたもんだから呆れられて、とくに良く言われたのが「ミクさんアーティストだからな」とか(笑)。シニカルなことを良く言われました。

俺そんなこと言いました?

ミク:いや、野田さんじゃないですよ(笑)。他の音楽業界の方々です。

ああ、良かった。とにかく俺がミクさんのことで覚えているのは、「キー・エナジー」って、あの狂乱のまま続けてていいのかというレベルだったでしょ。だから、音楽的にもうちょっと落ち着いたほうが良いんじゃないかっていう。ミクさんのところはハードコアなダンサーばかりだったからさ(笑)。そういえば、1993年にブリクストンで、偶然ミクさんと会ったことがあったよね。

ミク:ああ、ありましたね。

朝になって「ロスト」というパーティを出たら、道ばたにミクさんがいた(笑)。あれ、かなり幻覚かなと思いましたよ。

ミク:あのとき、一緒にバスに帰って、野田さんはずっと「いやー、素晴らしかったすね!」って俺に言い続けていたんだけど、じつは俺はロストには行かなかったんだよ。

ええ! じゃあ、あのときミクさんはブリクストンで別のパーティに?

ミク:ロンドンのシルバーフィッシュ・レコードの連中とミックスマスター・モリスのパーティにいたの。その後ロストに行こうと思ってたんだけど、モリスのプレイがあまりにも良くて、ハマっちゃって出てこれなくなっちゃって、パーティが終わっちゃた。それで帰り道で「ロスト」の前を歩いたら、野田さんたちがいたんですよ。

そうだったんですね。俺はあのとき「ロスト」を追い出されるまでいたんで(笑)。追い出されて、もう超眩しい光のなか、ブリクストンの通りに出たら、ミクさんがいたんですよ。ようやくあのときの謎が解けた。

ミク:はははは。


テクノ全盛期のロンドンのレコード店、シルヴァーフィッシュ内でのミク。

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こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

ともかく、35年目にして初めてのソロ・アルバムを作るっていうのは……すごいことだと思うんですよね。普通は、35年もつづければ「も、いいいか」ってなっちゃうでしょ。しかもミクさんはずっとDJで、それってある意味では裏方であり、そのDJ道みたいなものをやってきたと思うんですけど。

ミク:そう、DJ道! それが本当に一番。

だから自分で作品を作るというよりは、人の良い曲をかけるという。


DJ Miku
Basic&Axis

Hypnotic Room

Techno

iTunes beatport DJ MIKU Official web

ミク:でもね、本当は自分の作品を作りたくてしょうがなかったんだ。だから1回ロータスというユニットでアルバム作ったんです。そのままやりたかったんだけど、レーベルを同時に始めちゃったので、レーベルの運営業務に時間が食われてしまうんですね。2010年くらいまでやってたんだけど、どうも2005年くらいから調子が悪くなって。テクノだけじゃ売れないし、エレクトリック・ポップとかもやりだして、どうしてもライヴだとかのマネージメント的なことも出てきちゃったり、ときにはトラックダウンやアレンジもやったりして。そうするとすごい時間取られるようになってきちゃって……自分はDJとして活動したいけど、ビジネスマンでなきゃいけないというプレッシャーもあり……(笑)。また、自分の時間がないという。
 2002年くらいから2010年くらいまでは完全に裏方みたいな感じだったな。レーベルのアーティストたちはアルバム出してるのに、自分は出せないという。だから自分のソロ・アルバムを作ろうと思ったのは、じつは10年くらい前なんですよ。

へー、そんな前から。

ミク:シンプルなミニマル・トラックだったら2〜3日で出来る事もあるけど、もうちょっとメロディの入った音の厚いものを作ろうとすると、けっこう時間もかかる。たまに単発でコンピレーションに曲を提供したりはしてたんだけど、まとまったものを出したかったんだよね。

それが結果的に2016年にリリースされることになったということですか?

ミク:遅れに遅れて。そのあいだ、こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

人生をかけたと?

ミク:侠気というのがあるじゃないですか。80年代には侠気がある先輩が多くて。自分もそれに助けられてきたんですよ。

侠気っていうか、親身さ? 面倒見の良さ?

ミク:そうですね、自分の利益を顧みないでサポートしてくれる人がいました。そんな先輩の影響もあってレーベルをやっていたところが大きい。ぼくはその精神を継承しただけなんですね。だから近くにいる奴が「ミクさん、アルバム作りたいんですけど。」と言ってきたら、「おお、やれよ。俺が面倒見てやるよ。」ってことでCD出したりしてました。

ははは(笑)。親分肌だね。

ミク:ところが2005年くらいから収入も激減しちゃって。だんだん男気が出せなくなってきちゃって(笑)。

それは単純にDJのギャラが下がったということなんですか?

ミク:うん、それもある。あとはDJをやる回数が減った。だって自分の作品出してないし、とはいえ渋谷のWOMBで2001年から06年くらいまでレギュラー・パーティのレジデントをやってたんで、ある程度DJとしての活動は出来てたんだけれども。それ以外ということになるとなかなか話題も作れなかったし、ブッキングもどんどん減っちゃってたね。

地方であったりとか?

ミク:あと小さいクラブであったりとか。2005年くらいにだんだん貧乏になってきちゃって、男気が出せないということになる。そのときに男気って経済的なことなのかなあと思って(笑)。でもそれは悔しいじゃないですか。そんなときに経済と関係なく、男気を出さないといけないんじゃないかなと思って。今度は自らのために侠気を出して6ヶ月間の生活ローンを組んで(笑)。

それはまた(笑)……しかしなんでそこまでしてやろうと?

ミク:90年代から2000年代にかけて、一緒にやっていた奴らがどんどんやめちゃうんですよ。日本でテクノじゃ食えないので。結婚したり子供が出来たりとか、いろんな理由があると思うんだけど、すごく才能のある奴もやめていっちゃう。

それはDJとしての活動ということですか?

ミク:DJとしてもアーティストとしても。でもアーティストのほうが多いかな、曲を作る人。どんどんやめていってしまう。で、そんなときだからこそ、作って刺激してやろうと。そう思って完成させました。

その気持ち、わかります。ただ、ぼくもクラブ遊びはもうぜんぜんしていないんですね。大きな理由のひとつは、経済なんです。昔はクラブの入場料なんて1500円で2ドリンクだったでしょ? 現代の東京のクラブ遊びは金がかかるんです。収入の少ない子持ちには無理です。独身だったらまだ良いんですよ。ただ、それが職業になっているんだったら話は別ですけど、カミさんと子供が寝ている日曜の朝にベロベロになって帰ってきて寝るというのはさすがに気が引けるってことですね(笑)。
 あとは、健康にはこのうえなく悪い遊びじゃないですか。寝ているときに起きているわけだから。ぼくは朝型人間なんで、毎朝6時前起きで、年齢も50過ぎているから、夜の11時過ぎに起きていること自体がしんどいんです。そんな無理してまでも遊ぶものじゃないでしょう、クラブって。つまり、クラブ・カルチャーというのは、人生のある時期において有意義な音楽であるということなんですよ。受け手側からすると、クラブ・カルチャーは一生ものの遊びじゃないというのが僕の結論なんですね。ただ、だからといって僕がクラブ・ミュージックを聴かないことはないんです。買って家で聴く音楽は、いまだにクラブ的なものなんですね。相変わらずレゲエも家で聴きますけど、ダンスのグルーヴのある音楽はずっと聴いています。だからクラブ遊びは年齢制限ありだけど、音楽それ自体は永遠なんですよね。

ミク:そこですよ。だからアルバム作るもうひとつの動機は作品を残せるから。
やっぱりDJって、とてもスペシャルなことだけど一夜限りのものなんですよ。

それはそれで最高ですけどね。刹那的なものの美しさだと思うんですよね。こういうこと言うと若い人に気の毒なんだけど、あんなに面白い時代は二度と来ないだろうな(笑)。いまのクラブ行ってる子たちには申し訳ないんだけど。

ミク:まあ別物ですからね。

いまのクラブがクラブと呼ぶなら、あの時代のクラブはクラブじゃないですから。クラブっていうのは、ぼくにとっては、スピーカーの上に人がよじ登って、天井にぶら下がったりして騒いでいる場所で(笑)。

ミク:そうですね。でもああいうパーティもまた出来ないことはないんじゃないかなって少し思っちゃってるんですよ(笑)。

レインボー・ディスコ・クラブってあるじゃないですか。こないだあれに行ったらすごい家族連れが多かったんですよね。たぶん俺と同じ世代なんですよね。で、その家族連れがいる感じがすごく自然だったんですよ。

ミク:そうね、野外だったらね。

そう。じゃあこれつま恋とかで吉田拓郎がやってフォークの世代がそこに集まったろしても、家族連れでは来ないじゃないですか。ジャズ・フェスティヴァルがあったとして、家族連れでは来ないでしょう?

ミク:たぶんそうだね。

でもダンス・カルチャーというのは家族連れで来るんですよね。それはやっぱり,ダンス・ミュージックは誰かといっしょに楽しむコミュニティの音楽からなんでしょうね。それってある意味ではすごく可能性があると思ったし、こんなに家族連れが来ても違和感を感じない文化、音楽のジャンルというのも珍しいんじゃないかなと逆にすげーと思ってしまったんですよね。

ミク:俺は、野外パーティの「グローバル・アーク」を仲間とやってて、それの基本って自分の頭のなかでは、「ビック・チル」なんですね。「グローバル・アーク」の音楽自体はダンスなんだけど、雰囲気的な所が目指したいところで。

ああ、「ビック・チル」かー、UKのその手の野外フェスで最高なものでしたよね。

ミク:1999年あたりの「ビッグ・チル」に出演したことがあって、ロンドンの郊外のだだっ広いところでやったんだけど、そのときも年齢層の幅広さに驚いたんですよね。若い子もいるし家族連れもいるし、60代もいるし。すごくいいパーティだなあ、こういうのいつかやりたいなあというのがずっとあった。それで2012年、時代が変わるときに何かやりたいと思っていて、それで「ビッグ・チル」みたいなイベントをやりたいと思ってはじめたのが「グローバル・アーク」なんです。そうすればいろんな人が交わる。若い人も、家族連れの人も、もう引退しちゃった人も。

下手したら、いまのあらゆるジャンルのなかでも平均年齢がいちばん若いかもしれないですよ。3歳児とか多いから(笑)。

ミク:そうかもしれない(笑)。東京のクラブなんかみんな30代以降と言ってるからびっくりですよね。だけど野外になるとね、それこそさっき言った3歳とか5歳とかいるわけで(笑)。その子たちが自然と音を聴くわけですよね。だから将来有望だなあ、なんてちょっと思っちゃったりもするんだけど。

そうですよ。ぼくなんか、都内のクラブ・イベントに誘われても「本当に行っていいの? 平均年齢いっきに上がってしまうよ」って言うくらいですから。

ミク:はははは、だけどああいう野外パーティもすごいリスキーでね。雨が降ったときとか……クラブでやるのとわけが違う。「グローバル・アーク」の場合3つのフロアがあるんですけど、一夜にして3つのクラブを作んなきゃいけないという。

しかも場所がね。

ミク:山の中なかですから。

最高の場所ですよね。よく見つけたなあと思います。ぼく自転車好きなんでたまに奥多摩湖に行くんですよ。家から往復すると150キロくらい。あの、奥多摩駅を超えたあたりから別世界なんですよね。本当に素晴らしい景色です。

ミク:すごく良いところです。

しかし、話を聞いてわかったのは、今回のファースト・アルバムには、ミクさんのいろんなものが重なっているんですよね。シーンに関することや、未来への可能性をふくめて。

ミク:すごくいろんなものが重なってる。シーンに関して言うと「グローバル・アーク」では最近音楽活動してない人もブッキングしたりしてるけど、アルバムを出すという行為自体が、そういう人に向けて「もっと音楽やろうよ!」というメッセージになってると思います。僭越だけど自分の中では大きなポイントだね。未来のことを言えば、ヨーロッパのどこかの国で流行ってるハウスやテクノを追いかけて曲を作るのではなく、日本のドメインの音をみんなで作っていきたいと思うな。それはパーティも含めてね。個人的に「昔は良かった」っていう話で終わらせるのは大嫌いだから常に前進あるのみでこれからも行きます。

「キー・エナジー」を繰り返すことはもう不可能だろうけどあの時代とは別のエネルギーを表現したいってことですか?

ミク:そうですね。


渋谷のWOMBでのレギュラー・パーティ、CYCLONEの様子。

しかし、ミクさんと会っていると、どうしてもあの時代の話になっちゃうんですが……、あの頃、いまじゃ信じられないけど、どこまでトリップできるかっていうか、あるときには、クラブにお坊さんを呼んでお経まで詠んでいたような時代ですからね。

ミク:はははは、エドン・イン・ザ・スカイかな?

そうそう、風船を天井に敷き詰めてね。ムーキーさんとか、あの人も時代の主要人物のひとりですよねえ。

ミク:日本のミクス・マスター・モリスみたいな(笑)。

おかしいですよ、しかも満員だったし(笑)。

ミク:だから90年代って面白かったんだろうね。ただそこをずっと見ててもしょうがない。やっぱり2010年代に新しいものを作っていきたいということでいまやってるのが、「グローバル・アーク」を中心とした活動というか。

俺、ミクさんの今回のアルバム聴いてびっくりしちゃったもん。すごく爽やかなんですよね。すごくクリーンで透明感があって。

ミク:それを目指したというかね。透明感を保ちつつ深いところへ行けるようなトリップ感。

ぜんぜんドロドロしていない(笑)。だから「キー・エナジー」の狂気とはまったく違う(笑)。今回は、ミクさんがひとりで作ったんですか?

ミク:もう全部ひとりで作りました。お金もないしマスタリングも頼めないし(笑)。自分の自宅で。それも古い機材だけで作りました。

ドロドロはしていないだけど、いい意味で90年代初頭の感じがしましたね。90年代初頭のベッドルーム・テクノな感じ。

ミク:そう、あの音、とくにヴィンテージ系シンセの音が好きなんだよね。ああいうのは、パンクだとか初期のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノとか、もちろんヒップホップとか、そういう「あるものでやる」という衝動があって。自分がいま持っているものでやろうと。だから、時間がかかったんだけどね。

90年代初頭のテクノがキラキラしていたころのサウンドですよね。

ミク:まあそれは影響あるから当然だと思う。なおかつちょっとポップに作りたかったというのもあった。というのは自分の中の永遠のテーマってディープ・ポップスなんですよ

曲がすごくメロディアスですよね。

ミク:どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね。だから野田さんにビジネスが下手ですねと言われたときに……

そんなこと言ってないですよ!

ミク:いや、言った言った(笑)。

おまえ何様だと思ってるんだという感じですよね。そのときの俺がここにいたらぶん殴ってやりますよ(笑)。

ミク:いやいや(笑)。だけど本当に、そもそも音楽業界でビジネスやるというのはどういうことなのかもいまでもよくわかってないから。

俺もわかってないですよ(笑)。DJだけじゃなく、ライターだって、長くやっていればいるほど、時代の流れ、時代の変化というものに晒されるし、ひとりだけ取り残されるという感覚も味わうかもしれない。

ミク:長くやっていればそうでしょうね。

だからいまの若い子も毎日歳を取って、で、いつかはそうなるわけであって。

ミク:打開するのは自分自身でしかないんですよね。

あとはじっとときを待つというのもあるんじゃないですかねえ。

ミク:いや、待ってても来ないですね(笑)。

そうですか?

ミク:いや、来ないです(笑)!

ミクさんはもっと早く出したかったのかもしれないけど、むしろいまこのサウンドは求められてるんじゃないのかなと思います。ソウルを感じるし、アンビエントも感じますね。

ミク:80年代のディスコ時代は、ぼくは高橋透さんの下だったんですね。透さんはミックスには厳しい方でね、だから当時は本当にたくさん練習したし、曲の小節数も覚えたし。で、透さんはソウルやディスコの人で、ぼくはニューウェイヴの世代だったから、ぼくは若い頃すごくブラック・ミュージックにコンプレックスがあって。でも、ニューウェイヴにもソウルがあったし、なんか、それは自分でも表現できるんじゃないかってずっと思ってて。あと、やっぱり最新の便利さのなかで作ってないことも、そんな感じを出しているかもしれないね。まあ、俺はどうしても好きな音があるし、それをやるとこうなっちゃうというか。

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「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。

90年代の主要人物であったミクさんがあれだけ数多くの狂人たちを見てきて、いまそこから何を導き出せると思いますか? あの時代の何がこの時代に有効というか、何が普遍的な価値観として導き出せると思いますか?

ミク:コミュニケーションでしょうね。あの時代というのはもちろんネットもないし、ほとんど口コミですよ。

まあ、がんばって壁によじ登る必要はないからね(笑)。天井にぶら下がるのも危険だし、上半身裸で踊ったら風邪引くし(笑)。

ミク:はははは、みんなそうだったもんね。上半身裸は最近見なくなったね。「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。オーディエンス同士が濃密な関係だったから、そういう雰囲気が作れる。いまはDJ対オーディエンスだけの関係がメインになってる部分が大きいから、それをオーディエンス対オーディエンスの部分をもっとフックアップしていけば来てる人ももっと楽しいはずだし、ネット以外のコミュニケーション方法が変われば、あの熱い感じは戻ってくるんじゃいかと思うな。クラブも野外パーティもその方が絶対楽しいはずだからね。

90年代のナイト・ライフが言ってたことはじつに簡単なことであって、「週末の夜は俺たちのものだ!」ということでしょ(笑)。もちろんそこでかかっていた音楽が真の意味で圧倒的に新鮮だったことが大前提なんだけど、必ずしもマニアックな音を追いかけていたわけじゃないからね。ロックのコンサートに5千円払うんだったら、1200円で買った12インチを持ち寄ってみんなで1000円の入場料払って、集まって聴いたほうが楽しいじゃんって、ものすごくロジカルに発展したのがクラブ・カルチャーで、主役はスターじゃなく音楽なんだからさって。いまじゃすっかり本末転倒しちゃってるけど。空しいだろうな、下手したら、いまは趣味の違いでしかないから。「キミはミニマルなの? ふーん、ディープ・ハウスもいいよね」「ダブステップも最近また面白いよ」とか「やっぱジュークでしょ」とか、「このベースラインがさー」とかさ、そんな感じじゃない? 俺たちの時代は、もっとシンプルだったじゃん。「週末は行くでしょ?」だけだったんだから。「で、何時にしようか?」とか。そういえば俺、「キー・エナージー」の開場前からドアに並んでいたことあったもん(笑)。どこのバカだと思われただろうけど。

ミク:90年代は踊りに来てたんですよ。でもいまは踊らされるために来てるんじゃないのかと思ってしまうこともある。DJをあんまりやったこともないような海外のクリエイターがプロモーションの為に即席DJで来日して、プレイもイマイチなのに、みんなDJ見て文句も言わず踊ってる。これ、オーディエンスは本当に楽しんでいるんだろうか? っていう場面を良くみます。情報を仕入れに来るのもいいけど、DJは神様じゃないんだから礼拝のダンスというよりは、自己表現のダンス、時には求愛のダンスで自らが楽しんで欲しいな。

せめて可愛い女の子を探すくらいの努力はしないと(笑)。

ミク:ははは(笑)。それはそうだね。

デリック・メイが言うところのセクシーさは重要ですから。

ミク:それはある。クラブというのはそういうもんです。自分自身が関わってたパーティはセクシーなだけでもなく、サイケデリック・カルチャーとかニュー・エイジまで、本当にいろいろなものがあって、環境問題とか考えるきっかけにもなったり。いまだにそういう思想を持った人とは繋がっているし。つまり90年代のパーティは集まった人たちによる濃密なコミュニケーションから様々なものが生まれて、人との繋がりが仕事になってたり、世の中のことを議論するミェーテングの場でもあったり。そんな関係性を作れる場でもあったから、それを次の人たちにも掘り起こしてほしいね。とくに初期のトランスのパーティにはそういう原型があったと思うしね。
 音楽的にはいまで言うトランスと初期のトランスはぜんぜん違うんだけど、俺から言わせればマッド・マイクもジョイ・ベルトラムもデイブ・クラークもトランスと言えばトランスだった。自分はジャーマン・トランスはかけたけど、それはやっぱり音楽的にシカゴやデトロイトとも連動しているからで。でも、96年くらいからお客さんは、わかりやすいトランスを求めてきた。インドぽいフレーズの入ったトランスをかけないと裏切り者ぐらいのことを言われたり。でも、俺はあの音は大の苦手だったんだ。プレイはしなかった。だからレーベルをはじめて、方向性を変えて、そっち方面へ行ったオーディエンスとは一時期決別することになってしまったんだけど。でも時代が1周して最近はそっちに行った人たちも戻ってきてるというか、自分が近づいてるというか、接点も多くなってきた。

それから今回のアルバムへと長い年月をかけて発展したのはよくわかります。さっきも言いましたが、本当に澄んだ音響があって、清々しいんですね。さきほど「ビッグ・チル」の話が出ましたが、アンビエント、デトロイト、クラブ・ジャズなんかが良い感じで融和しているというかね。ところで、これからミクさんはどうされていくんですか?

ミク:目指しているのは親父DJかな(笑)。

もう立派に親父DJですよ(笑)。みんな親父DJですよ(笑)。

ミク:もっと親父な感じでやりたいのね。ハードなやつじゃなくて、チルなゆるい奴も含めて。去年一番楽しかったDJって西伊豆でやったときなんですよ。西伊豆に海を渡らないと行けないところがあって。そこで本当にちっちゃいパーティがあったんだけど。そのときに久々に8時間くらいDJやったんだよね(笑)。

すごいな。

ミク:チルな音楽中心だったんだけど、やっててすごく楽しくてね。縛りなしだし。だからそういうのを広げていきたいなというのはありますね。もちろんダンス・ミュージックはやるんだけれども、そういうゆるい感じのもやっていって。ちっちゃいパーティで身軽にやってもいいし。

俺はまあ、日本のコリン・フェイヴァーはいまのうちに聴いとけよというね(笑)。

ミク:それはそれで続けますよ、これからも! 生きてるうちは(笑)

あの時代は再現できないだろうけど、若い世代に新しい時代を作って欲しいですね。ぼくたちでさえできたんだから、君たちにもできるってね。

ミク:そうだよね、それもいままでにない違う形でね。もし手伝えることがあれば、どんどん声かけて欲しいです。


野外からクラブまで、いつまでもDJを続けるぜ!



6月4日、「GLOBAL ARK 2016 」がありますよ〜!

2016.6.4.sat - 6.5.sun at Tamagawa Camp Village(Yamanashi-ken)
Gate Open:am11:00 / Start: noon12:00
Advance : 5,000 yen Door : 6,000 yen
Official Web Site : https://global-ark.net

今年も6月の第一週の週末から日曜日の昼過ぎまで第5回目のGLOBAL ARK を開催します。
今年は、初登場のDJ/アーチストも多く新たな展開に発展しそうなラインナップとなっております。都内を中心に全国で活躍するレジェンドから新進気鋭のDJまで豪華共演の宴をご期待ください。

また、海外からはディープテクノ、ミニマルのレーベル、Aconito Recordsを主宰し、自身の作品を中心にGiorgio Gigli、Deepbass、Obtane、Claudio PRC、Nessなどの数々の良質なトラックをリリースするNAX ACIDが初来日を果たします。

そして去年のGLOBAL ARKで素晴らしいプレイを披露してくれた、
Eduardo De La Calleが再来日決定! 今年に入ってから、CadenzaよりANIMA ANIMUS EPとスイスの老舗レーベルMENTAL GROOVEから、CD、デジタル、12インチでのフルアルバムをリリース。12インチバイナルは豪華6枚組ボックスセット! まさに今絶好調のEduardoは必見・必聴です。

さらに今年は3つのエリアにDJブースが設けられ、更なるパワーアップを目指しました。そして充実のフードコート。今年も様々なメニューを用意しており、自然の中でいただく料理は格別なものとなるでしょう。近くには日帰り温泉施設小菅の湯もございます。踊り疲れたらこちらに立ち寄るのも
楽しみのひとつになるかもしれません。

梅雨入り前の絶好の季節に山々の自然と最新のTechno/House/Dance Musicをお楽しみください。皆さまのご参加を心よりお待ちしてます。

Line up

-Ground Area -

EDUARDO DE LA CALLE (Cadenza,Analog Solution,Hivern Discs/SPA)
Nax_Acid (Aconito Records, Phorma, Informa, Kontrafaktum/UK, ITA)
ARTMAN a.k.a. DJ K.U.D.O.
DJ MIKU
KAORU INOUE
HIDEO KOBAYASH (Fuente Music)
GO HIYAMA (Hue Helix)
TOMO HACHIGA ( HYDRANT / NT.LAB )
Matsunami (TriBute)
NaosisoaN (Global Ambient Star)

<Special Guest DJ>
DJ AGEISHI (AHB pro.)

-River Area -

DJ KENSEI
EBZ a.k.a code e
DJ BIN (Stargate Recordings)
AQUIRA(MTP / Supertramp)
R1(Horizon)
Pleasure Cruiser (Love Hotel Records / RBMA)
DJ Dante (push..)
Chloe (汀)
DJ MOCHIZUKI(in the mix)
Shiba@FreedomSunset
ENUOH
OZMZO aka Sammy (HELL m.e.t)
Kojiro + ngt. (Digi-Lo-t.)
SHIGETO TAKAHASHI (TIME & THINGS)
NABE (Final Escape)
KOMAGOME (波紋-hamon-)
AGBworld (INDIGO TRIBE)
TMR Japan(PlayGroundFamily / Canoes bar Takasaki)
PEAT (ASPIRE)
(仮)山頂瞑想茶屋
(仮)Nao (rural / addictedloop / gifted)

-Wood Lounge-
TARO ACIDA(DUB SQUAD)
六弦詩人義家
Dai (Forte / 茶澤音學館)
ZEN ○
Twicelight
DJ Kazuki(push..)
ALONE(Transit/LAw Tention)
Yamanta(Cult Crew/Bio Sound)
ToRAgon(HIPPIE TWIST/NIGAYOMOGI)
DUBO (iLINX)
MUCCHI(Red Eye)
(仮)cirKus(Underconstruction)

Light Show
OVERHEADS CLASSIC

Vj : Kagerou

Sound Design : BASS ON TOP

Decoration : TAIKI KUSAKABE

Cooperate with FreedomSunset

Bar : 亀Bar

Food :
Green and Peace
Freewill Cafe
赤木商店
野山の深夜食堂
Gypsy Cafe

Shop
Amazon Hospital
Big ferret
UPPER HONEY

FEE :
前売り(ADV) 5,000円 当日(DOOR) 6,000円
駐車場(parking) : 1,000円 / 場内駐車場1,500円
(場内駐車場が満車になった場合は
キャンプ場入口から徒歩4-5分の駐車場になります)
テント1張り 1,500円
Fee: Advanced Ticket 5,000yen / Door 6,000yen /
Parking (off-track)1,000yen / (in the Camp Site)
1,500yen
Tent Fee 1,500yen

【玉川キャンプ村】
〒490-0211 山梨県北都留郡小菅村2202
TEL 0428-87-0601
【Tamagawa Camp Village】
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken,
Japan

● ACCESS
東京より
BY CAR
中央自動車道を八王子方面へ→八王子ジャンクションを圏央道青梅方面へ
→あきる野IC下車、信号を右折して国道411号へ→国道411号を奥多摩湖方面へ
約60分→奥多摩湖畔、深山橋交差点を左折7分→玉川キャンプ村

BY TRAIN
JR中央線で立川駅から→JR青梅線に乗り換え→青梅駅方面へ→JR青梅駅で
奥多摩方面に行きに乗り換え→終点の奥多摩駅で下車→奥12[大菩薩峠東口経由]
小菅の湯行バス(10:35/13:35/16:35発)で玉川停留所下車→徒歩3分

Tamagawa Camp Village
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken, Japan

Shinjuku (JR Chuo Line) → Tachikawa (JR Ome Line) → Okutama →
Transfer to the Bus to go Kosuge Onsen.
Take this bus to Tamagawa Bus Stop

Okutama Bus schedule:10:35 / 13:35 / 16:35
(A Bus traveling outward from Okutama Station)

(Metropolitan Inter-City Expressway / KEN-O EXPWY)
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Hinode IC"
 Metropolitan Inter-City Expressway
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Ome IC" 
  (Chuo Expressway)
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Otuki IC"
 Chuo Expressway
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Uenohara IC"

● NOTICE
※ ゴミをなるべく無くすため、飲食物の持ち込みをお断りしておりますのでご協力お願いします。やむおえず出たゴミは各自でお持ち帰りください。
※ 山中での開催ですので、天候の変化や、夜は冷え込む可能性がありますので、各自防寒着・雨具等をお忘れなく。
※ 会場は携帯電波の届きにくい環境となってますのでご了承ください。
※ 違法駐車・立ち入り禁止エリアへの侵入及び、近隣住民への迷惑行為は絶対におやめください。
※ 駐車場に限りがあります、なるべく乗り合いにてお願いします。
※ お荷物・貴重品は、各自での管理をお願いします。イベント内で起きた事故、盗難等に関し主催者は一切の責任をおいません。
※ 天災等のやむ終えない理由で公演が継続不可能な場合、アーティストの変更
やキャンセル等の場合においてもチケット料金の払い戻しは出来かねますので何卒ご了承ください。
※ 写真撮影禁止エリアについて。
GLOBAL ARKではオーディエンスの皆さまや出演者のプライバシー保護の観点から各ダンスフロアでの撮影を禁止させていただ いております。 そのため、Facebook、Twitter、その他SNSへの写真及び動画の投稿、アップロードも絶対にお控えくださるようお願いします。
尚、テントサイト、フードコートなどでの撮影はOKですが、一緒に来た 友人、会場で合った知人など、プライベートな範囲内でお願いします。

PINCH&MUMDANCE - ele-king

 UKのアンダーグラウンド・ダンスシーンを追っている者にとって、もはや説明不要の存在、ピンチ。ダブステップのパイオニアのひとりとして知られる彼だが、2013年に始動したレーベル〈コールド・レコーディングス〉で聴くことができる、文字通り背筋が凍りつくようなテクノ・サウンドのイメージを彼に抱いている方もいるかもしれない。
 だがそれと同時に、彼のトレードマークとも言える〈テクトニック〉での重低音の実験も止むことはなく、近年も数々の傑作をリリースしている。そのなかでも一際輝きを放っているのが、マムダンス関連の作品だろう。2015年に盟友ロゴスと共に発表した『プロト』は、UKダンスミュージックの歴史をタイム・トラベルするかのような名盤であり、2014年のピンチとの連名曲“ターボ・ミッツィ”はグライムの粗暴さとコールドなテクノが融合したアンセムとなっている。同じ年に出た彼らのB2BによるDJミックスも、時代性とふたりの音楽性がブレンドされた刺激的な内容だった。
 現在もピンチはテクノとベースを行き来する重要プレイヤーであり、マムダンスもグライムMC、ノヴェリストとのコラボのスマッシュヒットが示すように、要注目のプロデューサーのひとりとして認知されている。今回の来日公演で、どんな化学反応を見せてくれるのだろうか?

DBS presents
PINCH B2B MUMDANCE

日程:5月20日金曜日
会場:代官山UNIT
時間:open/start 23:30
料金:adv.3,000yen / door 3,500yen

出演:
PINCH (Tectonic, Cold Recordings, UK) 、
MUMDANCE (Different Circles, Tectonic, XL Recordings, UK)
ENA
JUN
HARA
HELKTRAM
extra sound: BROAD AXE SOUND SYSTEM
vj/laser: SO IN THE HOUSE

info. 03.5459.8630 UNIT

Ticket outlets:
PIA (0570-02-9999/P-code: 292-943)、 LAWSON (L-code: 74580)
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/
渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)
原宿/GLOCAL RECORDS(090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、disk union CLUB MUSIC SHOP(5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)
Jar-Beat Record (https://www.jar-beat.com/)

Caution :
You Must Be 20 and Over With Photo ID to Enter.
20歳未満の方のご入場はお断りさせていただきます。
写真付き身分証明書をご持参下さい。

UNIT
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
https://www.unit-tokyo.com

ツアー日程:
Pinch & Mumdance Japan Tour 2016
05. 19 (THU) Tokyo at Dommune 21:00~0:00 https://www.dommune.com/
05. 20 (FRI) Tokyo at UNIT  https://www.unit-tokyo.com/
05.21 (SAT) Kyoto at Star Fes https://www.thestarfestival.com/

PINCH (Tectonic, Cold Recordings, UK)

ダブ、トリップホップ、そしてBasic Channel等のディープなミニマル・テクノに触発され、オーガニックなサウンドを指向し、03年頃からミニマル・テクノにグライム、ガラージ、エレクトロ等のミックスを始める。04年から地元ブリストルでダブステップ・ナイトを開催、05年に自己のレーベル、Tectonicを設立、自作"War Dub"を皮切りにDigital Mystikz、Loefah、Skream、Distance等のリリースを重ね、06年にコンピレーション『TECTONIC PLATES』を発表、ダブステップの世界的注目の一翼をになう。Planet Muから"Qawwali"、"Puniser"のリリースを経て、'07年にTectonicから1st.アルバム『UNDERWATER DANCEHALL』を発表、新型ブリストル・サウンドを示し絶賛を浴びる。08~09年にはTectonic、Soul Jazz、Planet Mu等から活発なリリースを展開、近年はミニマル/テクノ、アンビエント・シーン等、幅広い注目を集め、"Croydon House" 、"Retribution" (Swamp 81)、"Swish" (Deep Medi)等の革新的なソロ作と平行してShackleton、Distance、Loefah、Roska等と精力的にコラボ活動を展開。Shackletonとの共作は11年、アルバム『PINCH & SHACKLETON』(Honest Jon's)の発表で世界を驚愕させる。12年にはPhotekとの共作"Acid Reign"、13年にはOn-U Soundの総帥Adrian Sherwoodとの共作"Music Killer"、"Bring Me Weed"で大反響を呼ぶ。またUKハードコア・カルチャーに根差した新潮流にフォーカスしたレーベル、Cold Recordingsを新設。15年、Sherwood & Pinch名義のアルバム『LATE NIGHT ENDLESS』を発表、インダストリアル・ダブ・サウンドの新時代を拓く。Tectonicは設立10周年を迎え、Mumdance & Logos、Ipman、Acre等のリリースでベース・ミュージックの最前線に立ち続ける。16年、MC Rico Danをフィーチャーしたグライム・テクノな最新シングル"Screamer"でフロアーを席巻、2年ぶりの来日プレイは絶対に聞き逃せない!
https://www.tectonicrecordings.com/
https://coldrecordings.com/
https://twitter.com/tectonicpinch
https://www.facebook.com/PinchTectonic

MUMDANCE (Different Circles, Tectonic, XL Recordings, UK)

ブライトン出身のMumdanceはハードコア、ジャングルの影響下、15才頃からS.O.U.Rレーベルが運営するレコード店で働き始め、二階のスタジオでプロダクションの知識を得る。やがてD&Bのパーティー運営、Vice誌のイベント担当を経てグライムMCのJammerと知り合い、制作を開始。ブートレグがDiploの耳に止まり、彼のレーベル、Mad Decentと契約、数曲のリミックスを手掛け、10年に"The Mum Decent EP"を発表。また実質的1st.アルバムとなる『DIFFERENT CIRCLES THE MIXTAPE』で'Kerplunk!'と称される特異な音楽性を明示する。その後Rinse FMで聞いたトラックを契機にLogosと知り合い、コラボレーションを始め、13年にKeysoundから"Genesis EP"、Tectonicから"Legion/Proto"をリリース、そして2nd.アルバム『TWISTS & TURNS』を自主発表、新機軸を打ち出す。14年にはTectonicからPinchとの共作"Turbo Mitzi/Whiplash"、MIX CD『PINCH B2B MUMDANCE』、グライムMC、Novelistをフィーチャーした"Taka Time" (Rinse)でダブステップ/グライム~ベース・シーンに台頭、またRBMAに選出され、同年東京でのアカデミーに参加した他、Logosとのレーベル、Different Circlesを立ち上げる。15年も勢いは止まらず名門XLからNovelistとの共作"1 Sec EP"、自身の3rd.アルバムとなるMumdance & Logos名義の『PROTO』、Pinchとの共作"Big Slug/Lucid Dreaming"のリリースを始め、MIX CD『FABRICLIVE 80』を手掛け、Rinse FMのレギュラーを務める。90'sハードコア・スピリッツを根底にグライム、ドローン、エクスペリメンタル等を自在に遊泳するMumdanceは現在最も注目すべきアーティストの一人である。
https://mumdance.com/
https://soundcloud.com/mumdance
https://twitter.com/mumdance
https://www.facebook.com/mumdance

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