「P」と一致するもの

The Automatics Group - ele-king

 数々の有名EDMのトラックから低周波のみをサンプリングし抽出することで、まるでグルーヴの残滓を再生成するかのように快楽的なミニマル・ダブを生みだすこと。これが本作の目論見である。いわば「極限のサンプリング」によるサウンド生成。

 ジ・オートマティックス・グループはヨーク大学の音楽研究所の一員、テオ・バートのプロジェクト。本作は〈アントラクト〉から200部限定で2011年にリリースされた『サマー・ミックス』(E130)の国内盤である。
 〈アントラクト〉はエクスペリメンタルなサウンド・アート的な作品を送り出しているレーベルだが、音楽の形式性に束縛されない自由なリリースを継続しており、本作もレーベルにしては異質の(それゆえこのレーベルらしい)ミニマル・ダブ・アルバムとなっている。乾いた砂塵のような持続音と、偶然と構築のエラーから生まれたマイクロスコピックな電子音、再蘇生したようなキックなどからなるトラックは、とても快楽的だ。まさに2015年の夏に相応しいテクノといえる。ベーシック・チャンネルをオリジンとし、Gas(ウォルフガング・ヴォイト)、ヤン・イェリネック、ディープコードなどに連なる洗練されたミニマル・ダブの系譜にあるアルバムだ。

 だがよく聴いてみると、いわゆるミニマル・ダブとは低域の作り方が異なっているようにも思える。端的にいって音が軽いのだ。その「軽さ」ゆえ、聴覚に直接的にアディクトする感覚もある(音量の増大によってトラックのコンポジションを起こっているように聴こえる)。となると、やはりEDMのサウンドを抽出し、そのサウンドによってトラックを組み上げていったことが、とても重要なことに思える。
 つまり、「EDMのトラックから抽出したコンセプチュアルな音響生成によって生まれたこと」を考慮すると、〈アントラクト〉のレーベル・カラーどおりのサウンド・アート作品にも聴こえてくる/思えてくるわけだ。これは2010年代ならではの「音響彫刻」作品なのではないか。
 すると砂丘の砂塵のように乾いた快楽的な音が、デジタルサウンドの残骸のようにも感じてくるから不思議だ。仮想の人工楽園で展開される開放的な死後の世界のような無常観が、ディスプレイのむこうに再現される、そんな同時代的なアイロニー感覚を感じるのだ。また、EDMのアーティストの名を羅列した「だけ」の曲名にも強いアイロニーを感じる。まさに「デス・オブ・レイヴ」!

 このような独創的なアルバムを2011年にCD作品としてリリースした〈アントラクト〉の先駆性も驚きだが、それを2015年にアナログ再発した〈デス・オブ・レイヴ〉、さらに国内CD盤リリースに踏み切った〈メルティング・ボット〉の同時代的な嗅覚も素晴らしい(国内盤「JP」はボーナス・トラックが1曲追加され、計5曲収録の決定盤となっているのでお勧め)。アルバムのアートワークもこの国内盤に合わせ、〈アントラクト〉の近年のリリース作品のフォーマットにリメイクされている。

 それにしてもベーシック・チャンネルといいGasといい、ミニマル・ダブのサウンドが、まったく古くならないのは何故なのか。テクノロジーの進化と直結している電子音楽が、数年でそのサウンドが古くなってしまうことが多いなか、ミニマル・ダブの耐久度の高さは異常なほどだ。単なるサンプリングではなく、原型をとどめないほどにサウンドを加工することから生まれる音の快楽性、低音重視という聴覚の普遍性を接近しているからか。
 本作は、高度に完成されたサンプリング/エディットの美学であるミニマル・ダブに、EDM(の残骸)を利用するというアイロニーによって介入している点が重要なのだ。まさに2010年代敵な「デジタルの残骸」の活用。ここにヴェイパー以降、2010年代的な「新しいアイロニー/ニヒリズム」があるといえば、いい過ぎか……。

 むろん、普通に聴いても最高のミニマル・ダブ/テクノであることは繰り返すまでもない。この夏、そんな「世界の終わりのダンス・ミュージック」を聴きまくりたいものだ。

 昨年『ザ・レフト―UK左翼セレブ列伝』という本を書いた。
 で、5月7日に行われた英国総選挙の前後、そこで取り上げた著名人たちにも動きがあったので拙著の続編としてまとめてみたい。

 まず、マンチェスターのサルフォードから国会議員に立候補した元ハッピー・マンデーズのベズ。彼はリアリティー党という政党を立ち上げ、今年1月に選挙委員会に登録しようとしたが、以前リアリスト党という政党が存在したことが判明し、有権者の混乱を招くかもしれないので改名せよと選挙委員会から命じられ、ウィー・アー・ザ・リアリティー・パーティー(俺らがリアリティー党だ)という党名に変更している。
 のっけからトラブルに見舞われた船出となったが、立候補者3名のミニ政党にしてはさすがに注目を集め、BBCニュースの小政党特集にも招かれ、ベズが党首インタヴューを受けた。吉本新喜劇のヤクザ役が着るような派手なストライプのスーツを着て登場したベズは、緊張していたのかラリってたのか判然としない目のとび方で、「フラッキングに反対ならマラカスを振れ」、「全ての人に変革を、それも今すぐに」という党の選挙スローガンについて語った。目つきはヤバいしスーツは池乃めだかみたいだし、ってんで完全にイロモノ扱いされていたが、ベズはインタヴューの中で、自分が政党を作って立候補したのはみどりの党がマンチェスターでは弱いからだということを明かした。
 みどりの党のお膝元といえば我が街ブライトンだが、各選挙区で勝利した政党のカラーで色分けされた英国マップを見ていると、ロンドンは赤(=労働党)だが、それより南の地域は見事にブルー(=保守党)一色であり、最南端のブライトン&ホーヴ市だけが赤とグリーン(=みどりの党)になっている。よって「ブライトン&ホーヴは南部のスコットランド。独立すべき」などと言う人もいるが、みどりの党の国会議員キャロライン・ルーカスは、拙著『アナキズム・イン・ザ・UK』に登場する底辺生活者サポート施設のアドバイザーを務めていた人だ。みどりの党は、「エコお洒落なミドルクラスのための政党」と呼ばれた頃とは違い、近年は反緊縮や貧困廃絶のカラーを強く打ち出している。
 北部の労働組合が強い地域は今でも労働党が幅を利かせているので、ベズが立候補したサルフォードでも約2万1000票を獲得して労働党議員が当選した(ベズは約700票で落選。8候補者中6位)。が、ブレア以降、著しく保守党寄りの政策をとるようになった労働党にベズは不満を感じており、SNP(スコットランド国民党)やウェールズ党と組んで反緊縮、反核の左翼連合を組んだみどりの党への強い共感を表明している。
 投票日の夜、ベズは地元紙にこう語っている。
 「これは単なる始まりだ。今年は勝てなくとも、俺たちが重要だと思っている問題への人びとの認識を高められたと思う。同時に、俺は人びとにもっとみどりの党に投票してほしい。彼らのマニフェストは俺たちと非常に似ている」
 他党への投票を訴える党首というのもなかなか新鮮だが、みどりの党さえベズを受け入れる勇気があれば、次はグリーンのマラカスを振っている可能性もあるのではないか。

 べスの政党同様、ケン・ローチのレフト・ユニティーも今回は全滅した。10人の候補者を立てたが、最も多くの票数を獲得したべスナルグリーン&ボウ選挙区でも949票となかなか厳しい。レフト・ユニティーは著名人候補者を1人も立てなかったし、ケン・ローチを前面に出してメディアを使う戦略も取らず、地味な草の根の選挙運動を行ったので、一般的にはまだその存在を知られていない。若いスクワッターやフディーズと、ゴリゴリの社会主義タイプの中高年の両方を党員に抱える政党なので、意見の衝突もあるようだが、あくまでもストリートで支持者を獲得して行こうとする方針では一致しているようだ。
 ベズとは対照的に、ケン・ローチはSNP、みどりの党、ウェールズ党の国内左派ブロックは屁温いと感じているようで、ギリシャのシリザ、スペインのポデモスへの共感を示し、「国境を超えた反緊縮連合VS大企業に支配されたヨーロッパ」のイメージを構想している。
 「緊縮の終焉は新経済の誕生を意味する。それがシリザやポデモスが求めていることだ。これはヨーロッパ規模で行わねばならない。大企業支配への対抗勢力を作らねば」
 「産業を計画し、生産を計画すれば、国民全員の雇用を実現できる。すべての子供たちに社会に貢献する権利を与えなければいけない。安定した生活を得て、家庭を作ることを計画でき、人生を計画する権利を一人一人の子供たちに与えなければ」
とマニフェスト発表記者会見で語ったローチは、SNPやみどりの党、ウェールズ党の国内左派連合については
 「反緊縮での連携は良いことだ。しかし、これらの党は社会民主主義政党だ。彼らは庶民に有利に働くように市場を操作することは可能だと思っている。僕はそうは思わない」
と発言している。
 EU離脱、スコットランド独立問題などのナショナリズムの気運が高まる英国で、ケン・ローチの欧州主義は時代に逆行する古めかしさを感じさせるが、逆に「今」ではないからこそ「未来」を見ているのかもしれない。

 今回の選挙で大きな注目を集めたのが革命の扇動者ラッセル・ブランドだ。彼は投票日直前に労働党のミリバンド党首を自宅に招いて公開インタヴューを決行し、現在の労働党に足りないものを率直に助言した。それを知った保守党のキャメロン首相が「ラッセル・ブランドは単なるジョークだ」と発言し、右派の新聞が「コメディアンにまで頼らねばならないピエロを首相にはできない」とミリバンドをこき下ろしたものだからラッセルは激昂、「現代の政治への最大の抵抗は投票しないこと」というスタンスから劇的なUターンを見せ、投票日の3日前に「緊急事態発生:革命のために投票を」と題した映像を900万人のツイッター・フォロワーたちに送った。彼は映像中でこう呼びかけた。
「もし君がスコットランドに住んでいるなら、すべきことはもうわかっているだろうし、もし君がブライトンに住んでいるならみどりの党に投票してくれ。だが、それ以外の人びとは労働党に投票して欲しい。なぜなら、ミリバンドはまだ我々の言うことを聞こうとするからだ。一番危険なのは他者に耳を傾けない首相だ」。
 しかし、保守党が過半数の議席を獲得して勝利した直後、衝撃を受けたラッセルはもう政治からは手を引くと宣言し、右派メディアが自分とミリバンドのインタヴューを利用して大騒ぎしたことが労働党のマイナスイメージに繋がったとして、「選挙をクソみたいな結果にした責任の一端は自分にもある」と反省した。が、すぐに気を取り直し、キャメロン首相の勝利演説を鋭く批判する映像を発表し、「これはポスト・ポリティクスの時代の始まりだ。人びとが政治から離れ、自分たちでオルタナティヴなシステムを創造する時代が来る」と発言している。

 最後に、スコットランドとSNPの躍進が大きくクローズアップされた今回の選挙で、そのとばっちりを受けた人物としてJ・K・ローリングに触れておきたい。スコットランドは左翼的思想と燃えるようなナショナリズムを両立させている地域だが、後者のほうは結構えげつない部分もある。スコットランド在住のローリングは昨年の独立投票で反対派に回ったので、一部のSNP支持者たちから「裏切り者」「スコットランドで生活保護を受けながらハリポタを書いたくせに、その恩を忘れたか」と迫害された、という話は『ザ・レフト』に書いたところだ。
 で、SNPが労働党の議席を奪って選挙に大勝すると、勝利の美酒に酔う一部のSNP支持者たちが再びローリングいじめを始めた。
 「親愛なるJ・K・ローリング様。わが国は95%がSNP支持者になりましたが、まだご無事でおられますか」「労働党支持の糞ビッチは出て行け」「労働党のクソどもはくたばれ。スコットランドでは貴様ら左翼の時代は終わった。特にお前だ、J・K・ビッチ顔」など、数多くの口汚いツイートが寄せられたが、中でも面白いのは最後のつぶやきで、これなどはSNP支持者には自分たちを右翼だと思っている人もいるということを端的に示している。はっきり言って彼の地ではもう誰が右なのか左なのかわからない状況なのではないか。というか、SNPは右にも左にも足をかけているから支持が飛躍的に伸びるのだ。両方カバーできるのだから無敵である。
 で、彼女をビッチと呼んだり、容姿をからかったりする愛国者たちのツイートをJ・K・ローリングはこう制した。
 「インターネットは女性憎悪的な虐待を行う機会を提供しているだけではありません。ペニス増大器具もこっそり買えたりしますよ」
 彼女の反撃はイングランドでは痛快だと評価され、メディアに大きく取り上げられた。一方、スコットランドの新聞のサイトでは、ローリングを批判した人びとが彼女のファンからネットで集中攻撃を受けているという話が大きく報道されていた。
 昨年から、この国では「ソリダリティー」という言葉がよく聞かれるようになってる。が、どうも今のところ民衆のソリダリティーはナショナリズムの枠組みの中にしか存在しないように感じられる。愛国主義がソリダリティーの位置にすっぽりスライドしているというか。
 だとすれば、それは同性愛者たちが炭鉱労働者たちと団結した『パレードへようこそ』のあのソリダリティーとは異質のものであろうし、新しい夜明けが来るように感じられた選挙前のムードが実はまったくの勘違いだったのも、それと無関係だとは思えない。

interview with Prefuse 73 - ele-king


Prefuse 73
Rivington Não Rio + Forsyth Gardens and Every Color of Darkness

ElectronicHip Hopabstract

Tower HMV Amazon iTunes

プレフューズ73の帰還。これは2015年のエレクトロニック・ミュージックにおける「事件」といってもいい出来事だ。

 プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレン。彼は90年代のDJシャドウ、モ・ワックスなどのアブストラクト・ヒップホップと2000年代以降のフライング・ロータスを繋ぐ重要なミッシングリンクである。時代はプレフューズのファースト・アルバム『ボーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』(2000)以前/以降と明確に分けられる。彼は偉大な革命者だ。エレクトロニカとビート・ミュージックを繋げることに成功したのだから。その革命者が帰還した。これを「事件」と呼ばずして何と呼ぼうか。

安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、嫌になってしまった。

 事実、プレフューズ73名義の作品は2011年にリリースされた巨大な万華鏡のような『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』以降、リリースはされていなかった。なぜ、プレフューズは沈黙したのか。それは私たちリスナーにとって大きな謎だった。しかしどうやら、彼の沈黙は「怒り」でもあったようだ。彼はこう語る。「同じような音楽を作っている連中が増えたのも事実だ。スクリレックスが悪いとは言わない。けど皆が彼の真似をはじめて、それまでのエレクトロニック・ミュージックが否定されたような気がしてしまった」と。こうも述べている。「安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、ツアーしたときにも共演するアーティストがそういう連中ばかりになって嫌になってしまった」。そして「エレクトロニック・ミュージックがしばらくつまらなくなった」とも。

2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった。

 むろん、ギレルモ・スコット・ヘレンは活動を止めていたわけではない。彼は「活動休止をしていたわけではなくて過渡期だった」と語っている。そのかわりティーブスやマシーンドラムなどのアーティストと活発なコラボレーションを行い、自身のレーベル〈イエロー・イヤー・レコード〉を主宰した。また、昨年にはプレフューズ73として来日もしている。「今回のリリースに関しては、作品を急に出そうと決めたわけではないんだ」と語る彼は、プレフューズとして機が熟するのを待っていたのだろう。そして新しいスタートの準備を着実に進めていた。
 彼は大長い時間かけて録音・制作を行っていたのだ。制作期間は「2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった」と語っている。その成果が1枚のアルバム『リビングトン・ナオ・リオ』にまとめられたというわけだ。
 むろんアルバムを聴けばその時間も納得できるはず。精密で聴きやすく、ビートも深く、なおかつポップだ。今回は音質にもこだわったようで非常にクリアなサウンドが実現している。アルバムに時間がかかったぶん、EP『フォーサイス・ガーデンズ』と『エヴリカラー・オブ・ダークネス』(日本盤はアルバムとEPをまとめて2枚組にしている)は、スムーズに制作できたようだ。驚くべきことに数多くのアウトテイクも存在するという!

テクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

 そして、古巣〈ワープ〉から離れ、ハウシュカやウィリアム・バシンスキーなどを擁する〈テンポラリー・レジデンズ LTD〉からアルバムとEPを発表する。その新レーベル移籍の理由をこう説明する。「(テンポラリー・レジデンズ運営の)のジェレミーは近所に住んでいて、すごくいい奴なんだ。〈ワープ〉は大きなレーベルで、長年〈ワープ〉からリリースしてきたから、今回はもう少しこぢんまりしたレーベルからリリースしてみたくなった。所属しているアーティスト数も多くないのでやりやすいね」。巨大レーベルに委ねるのではなく、自らの手の届く中で着実に作品をリスナーに送り届けること。そこには彼なりに「自由」への希求があるのだろう、
 その「自由」も追い風を受けるかのように、新作においては、〈ワープ〉後期においては抑圧していたビートと、封印していたヴォーカル・チョップが復活している。これぞまさに初期プレフューズを彷彿させるマイクロ・エディット・ビート/サウンドだ。彼自身は、それら「復活」については、「意図的でない」とさらりと受け流している。「今回のビートを作っている最中に自然にまたそれが出てきたんだ」。つまりテクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。

 この新作には『サラウンデッド・バイ・サイレンス』(2005〉以降のアルバムにあった重苦しさはない。ギレルモ・スコット・ヘレンも「『サラウンデッド・バイ・サイレンス』以前の作品のように満足のいく仕上がりだ。俺は自分の音楽に対して批判的になりやすいけどこの3つの作品は自分でも聴き返すし出来に満足している」と語っているほどだ。
 本作には、新しいスタート/新しい人生をはじめるかのようなフレッシュさに満ち溢れている。現在、彼はニューヨークを生活の拠点にしているというが、不思議なアルバムタイトルもこの街に関係しているようだ。「ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。ニューヨークのロウアー・イースト・サイドのリヴィングトン・ストリートに“ABC No Rio”というコミュニティ・センターがあるんだけど、プレフューズ73として音楽を作りはじめたときにこのセンターの近くに住んでいた。いまもその近くに住んでいる」。

自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ

 続けて彼はこうも述べている。「このアルバムにはとくにコンセプトはない。コンセプトを先に決めると束縛されたような気持ちになるから」。そう、あくまで自由。あの重厚な『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』の迷路を抜けた先に、このような陽光に満ち溢れた音楽世界がまっていたとは誰が予想できたか。間違いなく、プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンは帰ってきた。
 「宇宙をしばらく旅して、地球に戻ってきて、自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ」。そう語る彼の「いま」のサウンドに迷いはない。清冽でメランコリックで、ポップで緻密でクリアだ。この2枚組のアルバムは、偉大なるビート/エレクトロニック・アーティストの新しいスタートなのだ。

Goku Green - ele-king

 まるでジャクソン5時代のマイケルが鼻歌混じりにラップしているかのような甘い歌声。精鋭プロデューサーたちによるレイド・バックしつつもタイトなビート。天衣無縫でフレッシュな感性が、すぐれた音楽的な洗練とともにパッケージされている。あえて名前をつけるとすれば、平成生まれの悪童による「ヒッピー・ラップ」。
 16歳でデビューし、すでにこれまで2枚のフル・アルバムをリリースしている北海道、旭川市在住の19歳、GOKU GREENの最新EP『ACID & REEFER』は、収録された5曲すべてが、ウィードによる酩酊感を表現した、いわゆる「ストーナー・ラップ」。太巻きのブラントを吹かす、童顔のスヌープ・ドッグ? けれども、ギャングスタ的な悪ぶりやハスリングの焦燥はまったく感じられない。そこで、タイトルの「ACID & REEFER」を文字通りに解釈してみるなら、むしろこれは「ヒッピー・ラップ」だ、ということになる。
 伝わってくるのは、酩酊をもたらすハーブの煙への、ただただ純粋な愛。ともすればハードコアで間口の狭いものになりがちなテーマが、天性の音楽的センスによって、希有なポップネスを獲得している。たった5曲のEPとはいえ、驚くべきことだ。

 本作についてまず目を見張るべきは、その音楽的な進化/深化だろう。ジャズ・スタンダード”CRY ME A RIVER”を歌う女の声に導かれるオープニング・トラック、“OVER”からして破格の出来だ。不穏なベースラインともたつくビート、ピッチを落としたスクリュード・ヴォイスがダウナーな酩酊感を誘い、濃い紫煙の世界に一気に引き込まれる。続くのは、トリップへの愛情を「きみ」への清楚なラヴ・ソングとして昇華させた“LOVELY”、雪深い北国の不良高校生たちのストーナー・サークルの部活動を描く“STONED CLUB”。どちらもPRO ERA以降の90’Sリバイバルを意識したビート・メイク。LiL OGI、WATT、OMSBのプロデュースするトラックのうえで、歌のような、ラップのような、子音や母音を気まぐれに、だが正確なタイミングで抑揚させる独特のヴォーカルが心地よく耳をくすぐる。秘密基地をつくる少年じみた無邪気さと、初恋に似た高揚感、そのすべてがハーブの煙へと注がれるリリックの内容もなるほど衝撃的ではある。しかし、真に驚嘆すべきは、この怖いもの知らずな感性が、熟練と呼んでいいほどの音楽的な洗練を伴って表現されていることだ。若さを売りにした勢いまかせのギミックはここにはない。散りばめられたソウルの断片がトリップをもたらし、自由自在に跳躍する歌声がこのうえないユーフォリアを演出する。この音楽そのものが、まるでアムステルダムのコーヒー・ショップに並ぶチョコレート菓子のようだ。甘くて、濃厚で、体に入れるとくすくすと笑いがこみ上げて、こわばった意識をリラックスさせる。

 だが、満ち溢れる多幸感とは別に、このEPには確かに、「ここではないどこか」への逃避願望が忍びこんでもいる。当然だ。もしもアメリカの一部州やヨーロッパの都市ならば、ちょっとした冒険に過ぎないはずの火遊びも、ここ日本では大事を招きかねない。
 自分の心から愛する生の形式が、社会や国家から徹底して拒絶されていること。誰かへの純粋な愛が、そのまま同時に、自分と周囲の世界とを隔てる壁になってしまうこと。だから、これは決して若気の至りでも、青春の過ちでもない。異人種間の婚姻が禁止されていた時代に、肌の色の違う恋人を愛してしまった人間や、同性愛が強く抑圧された社会で、同性愛者として生きる人間と同じ、孤独な愛を知る者の表現だ。彼の声にはどこか、亡命者の感覚がつきまとう。

 その意味で素晴らしいのは、雪深い北日本の地方都市に生まれ育った少年の夢想と逃避願望が見事に凝縮された、"まるでCALI"。地元旭川の短い夏の気候が、湿度の低いカリフォルニアに似ている、との話を聞いて執筆したというこの曲で、制作時点ではカリフォルニアを一度も訪れたことがなかったGOKU少年は、「まるでカリフォルニア」と繰り返し口ずさむ。旭川の何気ない夏の一日が流れるようなフロウで描写され、想像上のカリフォルニアに重ねられる。ネオンカラーの多幸感とともに、切なさが押しよせる。好きな相手ができて、だけどその恋は許されない。だから少年は秘密を持つ。暗号を織り込んでラヴレターを綴り、それでも才能ゆえの大胆さで、やっぱり本音を喋ってしまう。禁じられている相手への愛を、煙にまかれた美しい歌にして告白してしまう。
 ヒッピーの聖地、カリフォルニアの地を踏んだことのないGOKU GREENが口にする「まるでカリフォルニア」というフレーズは、ひどく無邪気で、だからこそ胸を打つ。足がもつれるまで煙に酩酊して見つけた、夢の場所。北海道の地方都市と、アメリカ西海岸のあいだのどこか、たぶん太平洋上に浮かぶ雲のなかに存在するユートピア。まるでカリフォルニア。でも、ここはカリフォルニアじゃない。

 いまや世界的な企業となったAPPLEの創業者スティーヴ・ジョブスが、アイデアの重要な源泉のひとつとして若き日のLSD体験をあげていたのは有名な話だ。そもそも、ヒッピーの源流である1960年代末の「サマー・オブ・ラヴ」は、LSDやマリファナの使用を通じてオルタナティヴな社会を求める世界的な運動だったわけだし、80年代末、エクスタシーという新種のドラッグの出現をきっかけにイギリスで勃興した「セカンド・サマー・オヴ・ラヴ」は、レイヴ・カルチャーという若者たちによるアンダーグラウンドなムーヴメントを生み出した。これに対してGOKU GREENが歌うのは、「おれ」と「きみ」だけの、あるいは気心の知れた仲間たちとだけ共有される、プライベートなユートピアだ。それでも、まだ10代の少年が作り出す、この濃い煙にまみれた音楽を、日本の新聞社やテレビ局が「地元愛を歌うラップ」だとか「10代の心の声」だとかの紋切り型の視点で取り上げることは、やはり難しいだろう。ここは世論調査で成人の過半数が大麻の合法化を支持し、実際にいくつかの州で合法化され、オバマの高校時代の大麻吸引のエピソードが半ばジョークとしてシェアされるアメリカではない。

 ひるがえって、現在の日本のラップ/ヒップホップを取り巻く社会状況をみてみれば、たとえば学校指導要領にヒップホップ・ダンスが取り入れられたり、現役の中高校生たちのあいだでフリースタイル・バトルが人気を博したり、こうした現象は、多くのアーティストおよび関係者による地道な啓発のたまものだ。時代遅れの風営法への抵抗としてプロモートされた「健全な遊び場」としてのクラブのイメージ刷新も、不当な法律の運用に抗議するための必然のプロセスだった。これまでアンダーグラウンドな性格が強かった日本のクラブ・カルチャーが、ビジネス面でも社会的な責任の面でも、大きな転換を迫られているのは間違いない。
 だが、ラップ/ヒップホップがそもそも、レコードからの勝手な盗用=サンプリングによってそのビートを作り出したことを忘れてはならない。グラフィティ・ライターたちは警官に追われながらスプレー缶によるヴァンダリズムで街の壁をイリーガルな美術館に変え、ダンサーやラッパーたちは、しばしば暴力と隣り合わせの路上のバトルのなかでそのスキルを磨く。このカルチャーはやはり、マリファナの煙が漂うサウス・ブロンクスの公園の非合法なブロック・パーティで生まれ、ギャングのボスだったアフリカン・バンバータによって哲学化されたものなのだ。決してこの国の官僚や政治家たちの好む、ご都合主義の健全さに回収されてしまうものではない。いまはネクタイを締めたかつての不良たちは、そのジレンマを誰よりもよく知っているはずだ。
 そう考えると、最終曲に客演としても参加している、〈BLACK SWAN〉、〈9SARI GROUP〉の強面の後見人たちの姿は、ちょっと感動的ですらある。GOKU GREENは、昨年3月に志半ばで急逝した、〈BLACK SWAN〉の創設者であり、名だたるA&Rだった故佐藤将氏が最後に発掘し、育て上げようとしていたアーティストだった。カーリーヘアをなびかせるこの少年は、先行する開拓者たちのバトンを引き継ぐ、最年少の走者でもあるのだ。

              *

 いまを生きる若い世代にとっては、きっと最高なドキュメンタリーのようなEPで、とっくの昔に青春を終えて仕事や家庭を持った大人にとっては、忘れたはずの危険なノスタルジーを刺激する、ちょっとあんまりな作品かもしれない。GOKU GREENはもうすぐ、 かねてからの望みを実現させて、カリフォルニアに移り住むそうだ。 新天地で新たなキャリアをスタートさせることになった彼にとっても、このEPはたぶん特別なものになるんじゃないかと思う。才気ばしった10代にとっては少しばかり窮屈な環境が、この美しい白昼夢のような、空想上のカリフォルニアを生んだ。世の中でも身の回りでも、色んなことが起こる。誰かが死んだり、友達が逮捕されたり、突然の別れ、遠い国やすぐ近くから飛び込んでくる災害や戦争、嫌な事件のニュースに疲れて、息が詰まりそうなとき、この音楽はそっと、その孤独な背中によりそう。まるでカリフォルニアのようで、カリフォルニアじゃない。現実には存在しないからこそ、永遠に輝く極秘のユートピア。甘い声が導く。時計が止まる。煙のなかに美しい恋人の顔が浮かぶ。どんなときでも呼吸ができる。

JAMES WELBURN - ele-king

 夏の訪れをバシバシに感じるこの頃、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。久々の大連休ゲットで有り得ないほどスパーク、怒濤のパーティー三昧で酩酊、失禁など、やらかしまくったゴールデンウィークも終わり、五月病のズンドコで連続無断欠勤から解雇、発狂、逮捕などといった話はよくありますが、そんな真性五月病のあなたに社会復帰を徹底的に打ち砕くオススメのレコードでも紹介しましょうか。

 〈ミアズマー(Miasmah)〉をご存知だろうか? ベルリン在住のノルウェジャン、エリックによって運営される〈ミアズマー〉は、レコード・レーベルとグラフィックデザイン・スタジオの両軸から洗練された耽美主義的、退廃芸術的な世界を展開する、根暗系音楽愛好家にはお馴染み(?)の「会社」(レーベルではなく、カンパニーと呼ぶことにこだわりがあるらしい……)である。発足は、90年代のデモ音源カルチャーへの返答として、エリック自身のソロ音楽活動であるSvarte Greinerの63ものフリー音源を公開したことに由来する。Svarte Greinerは〈タイプ・レコーズ(Type)〉発足初期から定期的に音源をリリースしているのでご存知の方も多いのでは? 〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉以降、ちまたに氾濫するようなノワール・ファイ・サウンドの源流にあるものを、ポスト・クラシカル的バックグラウンドから発信したレーベルだと言っても過言ではないだろう。

 2006年、〈タイプ〉に感化されたのかどうかは定かではないが、同時期より〈ミアズマ〉はレーベル運営を本格化させ、サウンドスケープを主としたエリックの美意識と共鳴するアーティストのフィジカル・リリースを開始している。レーベルの良質なリリース群から浮かび上がる、アンビエントであり、ブラックメタル/ドゥームメタルであり、ノイズであり、ポスト・クラシカルであり、しかしそのどれにも寄り添うことがなく、激情とも絶望とも狂気とも言えない、その真の意味でグレーな暗黒世界観は、完全なる異端といえる。

 〈ミアズマ〉からの最新リリースであるドローン・ノイズ作家のジェームズ・ウェルバーンのこのアルバムもしかり。本作はベテランであるザ・ネックス(The Necks)のドラマーであるトニー・バック(Tony Buck)との見事なコラボレーションであり、タイトかつヘヴィ極まるドラミングとドゥームゲイズ的なドローンが色即是空、空即是色の関係性を創りあげている。近年の再結成スワンズファンからエンドン、カズマ・クボタなどのポスト・メタル/ノイズファン、インダストリアル・テクノ経由でドローンにうつつを抜かしているファンからシューゲイザー野郎までさまざまなリスナーにアピールできそうだ。


Jim O’Rourke
Simple Songs

Drag City / Pヴァイン

Tower HMV Amazon

「オビがナイス」とのお褒めをいただいております『別冊ele-king ジム・オルーク完全読本』、ジムさんの新譜とともにいよいよ本日発売です。

 お伝えしていたとおり、初回版には、赤塚不二夫生誕80周年という記念すべき年を迎えるフジオプロさんが描き下ろしてくださった「ジム・オルーク肖像画ポストカード」が綴じ込まれています! これでいいのだ! 最高の一枚、ぜひ店頭にてお手に取ってご覧ください。

 それでは目次を大公開。新作『シンプル・ソングス』を語り尽くす超ロング・インタヴューに大合評、バンドメンバーおよび関係者が語るジム・オルーク、貴重な「完全?」ディスコグラフィに、過去記事の再録など、一冊まるごとジム・オルークづくしの永久保存版。

Tribute To Jim O’Roruke~ジム・オルークに捧ぐ 五木田智央

『シンプル・ソングス』と現在の考えを語る
~ジム・オルーク ロング・インタヴュー 佐々木敦+松村正人

『シンプル・ソングス』合評 北沢夏音、木津毅、畠中実、細田成嗣、松山晋也、吉田ヨウヘイ

証言1 石橋英子 私たちはジムさんのトリックにもりこまれて、そのときを一生懸命に生きている 松村正人

証言2 山本達久 好きなドラマーは誰ですか? 即答で「ジョン・ボーナム」って(笑) 細田成嗣 写真=小原泰広

ジムさん、タコでやりましょう! 山崎春美

ジムと歌 湯浅学

ジム・オルークと電子音楽 川崎弘二

ミュージック・コンクレートを呼びさませ 三田格

古い音信 佐々木暁

プロデュース・ワークをふりかえる 岡村詩野

証言3 坂田明 ジムが座長で、俺は花形 松村正人

ジム・オルークの特殊性 岸野雄一

即興者ジム・オルーク 細田成嗣

オルーク、ビルドゥングスロマン 虹釜太郎が語る90年代のジム・オルーク ばるぼら

アメリカから来た日本人 細野晴臣とジム・オルーク 中矢俊一郎

再録 ジム・オルークの選ぶ日本の作曲家15 ジム・オルーク

対談 五木田智央×ジム・オルーク 松村正人 写真=小原泰広

証言4 前野健太 僕の中のジム・オルーク革命 磯部涼

ジム・メイクス・サウンズ ジム・オルークの音響学 國崎晋

内容と形式がたがいを満たし合う ジム・オルークと映画 品川亮

証言5 須藤俊明 めちゃくちゃバンドです。バンド以上かもしれない 松村正人

証言6 波多野敦子 どう混ざり合い、ちがうものになれるか 松村正人

ジム・オルークのニホンゴ 渡邉美帆

再録 対談:ジョン・フェイフィ×ジム・オルーク トニー・ヘリントン

資料 ディスコグラフィ

表紙写真=タイコウクニヨシ
扉写真=菊池良助
目次・表3写真=中村たまを


■ele-king別冊 3号 ジム オルーク完全読本 -all About Jim O'Rourke-

編集:松村正人
判型:菊判 / 144頁
ISBN:978-4-907276-32-4
価格:本体1,700円+税
発売:2015年5月15日

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Alva Noto - ele-king

 過去は同時に未来だ。いまや私たちの時間はリニアには進んでいない。過去と呼べるものは、常に未知のフォームとして再生成し、未来に置かれるからだ。それはリングのように円環している時間構造といえよう。クリストファー・ノーランの映画『インターステラー』のように、過去と未来という時間の概念が紙の両面のように存在する感覚は、21世紀=インターネット的に階層化したデータ閲覧社会を生きる私たちにとっては実感できる感覚のはずだ。新/旧という概念がフォルダの中に並列に置かれ、無制限にコピーされていく。コピーの余剰に生まれるノイズ。そして、その果てにある新しいロマン主義の誕生……?

 カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトが2007年から進める「ゼロックス(Xerrox)」シリーズは、現代社会を覆うコピー=オリジナルという問題をテーマとしたアンビエント作品だった。同シリーズは2007年に「Vol.1」、2009年に「Vol.2」がリリースされており、今回、6年ぶりにリリースされる本作「Vol.3」によってシリーズは、さらに大きな円環を描く。
 「Vol.1」が「旧世界へ」、「Vol.2」が「新世界へ」がテーマだった。そして、本作「Vol.3」のテーマは「宇宙にむかって」。宇宙という円環する時間領域にむけて、まるで反射する光のように美しい音響/音楽で結晶させていくのだ。このアルバムはまずもって徹底的に美しい。

 先に書いたように、「ゼロックス」シリーズは、オリジナルとコピーという現代的な諸問題をテーマとしつつも、音楽的にはカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトによるアンビエント作品となっている。2000年代後半以降のカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトは、大きく分ければ、「ユニ(Uni)」シリーズがビート作品、「ゼロックス」シリーズがアンビエント作品と2系列に分かれている。その2つのシリーズによって、90年代からのデザイン的/建築的/科学的な音響構築から一歩も二歩も前進し、「音楽」というもののフォームを、ビート(リズム)とアンビエント(ドローン)の両極から刷新させてきた。

 ビート・トラックである「ユニ」シリーズが、バイトーンとのダイアモンド・ヴァージョンへと発展し、ポップ/アートの様相を極めていくことに対し、「ゼロックス」シリーズは、まるでカールステン・ニコライの個人史へと遡行するように、より内面的な作品となっている。
 この「Vol.3」は、「宇宙にむかって」というテーマからもわかるように本作がSF映画的だが、『2001年宇宙の旅』にせよ、『惑星ソラリス』にせよ、『コンタクト』にせよ、『インターステラー』にせよ、「宇宙の果て」で人は自分自身の投影するもの(コピー?)と出会い、そのことによって自らの内面性が乱反射し、自己の再認識(=再統合?)が行われる構成であった。
 いわば世界の果ての自己との邂逅。本作もまた、宇宙的な音響と旋律の中に、カールステン・ニコライの幼少期の記憶が圧縮され解凍されていく。

 事実、本作はカールステン・ニコライが幼少期・少年期に観たであろう『惑星ソラリス』などのSF映画にインスパイアされているという。アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』は1972年のフィルムなので、1965年生まれのカールステン・ニコライ、6歳か7歳のときの作品ということになる。もっとも東ドイツで生まれた彼が「ソラリス」を観たのはもう少し後かも知れないが、いずれにせよ、彼の幼少期である70年代の記憶や気分とこの映画がつながっているのはわかる気がする。
 そう、この『ゼロックスVOL.3』には、幼少期や当時に観たSF映画への追想などによって、彼の「70年代の記憶」が折り畳まれているのかもしれない。現代社会におけるコピーとオリジナルの問題をアンビエント/グリッチノイズ作品として昇華した「ゼロックス」シリーズが、「Vol.3」において、このようなパーソナルな領域に行き着いたことは非常に興味深い。

 カールステン・ニコライの幼年期の記憶。それは「東ドイツの幼年時代」とでもすべきものか。さながらヴァルター・ベンヤミン的でもあるが、それと呼応するかのように、この作品はカールステン・ニコライの旅行=トランジットのさなかで(空港で、飛行機で、車中で)制作されたという(マスタリングなどの仕上げは2014年にスタジオで行われている)。つまり、本作には旅の記憶と幼少期の記憶が交錯している(つまり、この『ゼロックスVol.3』は東ドイツ出身のアーティストのエッセィ的なアルバムとはいえないか)。
 また、「70年代とドイツ」とすると、70年代のクラフトワークや初期タンジェリン・ドリームなどジャーマンロックとの関連性も無視できない。本作の重く暗い旋律とアンビエントなサウンドにはそれらからの(無意識の?)影響を強く感じる(同時に硬いノイズの響きが現代へと直結している)。
 さらに「ゼロックス」シリーズには、アルヴァ・ノトの作品にあって旋律的な要素が表面化しているのだが、本作は、旋律は、はっきりと「作曲」という次元にまで高められている。このメロディはまたドイツ的なのだ(10曲め“Spiegel”のピアノは誰の演奏か。クレジットはない。坂本龍一のようにも聴こえるが……)。

 幼少期。映画。音楽。ドイツ。旅。それら記憶のフラグメンツが交錯するときに生まれるロマンティックな電子音響。それが本作だ。私は、このようなアルバムをカールステン・ニコライが作ったことに「成熟」を聴きとりもするが、同時にある種のロマン主義の萌芽を感じもする。そして、このパーソナルな個人史や内面への遡行は、2015年現在の電子音響の状況を考える上でとても重要なことではないかと思う。
そう、私たちはインターネット社会以降の新しい「ロマン主義」を生きている。コピーとノイズが溢れかえり、それらがすべて可視化されてしまう社会。その「悪い場所」において、より個人の内面性や実存性を重視すること。そのロマンティックな記憶の結晶が、新しい「美学」とでもなるかのように(だが、それは外部への連携として表出してはならず、あくまで個人の中に煌めきとして輝くべきものとも思える。それが作品化されるからこそ美しい)。

本作に煌めいているパーソナルで美しい響きは、そんな現代社会からの美しい乱反射のようにも思えてくる。2015年の最重要電子音響作品だ。

interview with Tyondai Braxton - ele-king

 さきほど深夜の原稿書きの息抜きにたまには豪勢にセブンイレブンのすばらしい100円のコーヒーでも飲んでこましたろかと外に出たらビジネスパーソンふうの男性(草食系)とおそろしくコンサバないでたちの女性が暗がりでいちゃついていてギョッとしたのである。公然とベタベタするカップルはなぜ割れナベに綴じブタのような方々ばかりなのか、あるいは私が数年来目撃してきたのはことごとくこのふたりなのか、ぞんじあげないが、ある種の協和の関係が再帰する構造はミニマリズムを想起させなくもない。俗流のそれである。ミニマル・ミュージックおよびそれをうちにふくむ現代音楽なることばがひとに難解なイメージをもたらすのは、彼らはその背後にスコアをみてとり、スコアは音楽に構成や構造や概念のあることをほのめかすからだが、いかに明確な指示や意図であってもひとが介在するかぎり、もっといえばそれが時間軸に沿った音による表現形態、つまり音楽であるかぎり、厳密な再現をもたないのはミニマル・ミュージックの第一世代はすでに喝破していた。むしろズレを包括したものとしてミニマル・ミュージックは後世に影響をあたえ、おそらくそれはミュジーク・コンクレートもおなじだろう。このふたつのクラシカルな形式の影がロックやクラブ・ミュージックのもはや短いとはいえない歴史に何度もあらわれるのはこのことと無縁ではない。そしてタイヨンダイ・ブラクストンほど、シリアス・ミュージック――と呼ぶのがふさわしいかどうはさておき──とポピュラー・ミュージックの先端に位置し、そのふたつの突端を見事に結わえたミュージシャンはまたといない。


Tyondai Braxton
Hive1

Nonesuch / ビート

ElectronicAvant-GardeJazz

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 いまさらタイヨンダイについてバトルズからときおこす必要はないだろうけれども、2000年代のオルタナティヴ・ミュージックを体現したこのバンドのフロントマンだった彼はバンド在籍時の2009年に実質ファーストにあたる2作めのソロ『セントラル・マーケット』を出し、翌年バンドを脱退した。『セントラル~』で彼はストラヴィンスキーのバレエ音楽に範をとり、バトルズのあの色彩感覚はおもに彼のカラーだったのだとあらためて納得させた先鋭性とポップさを同居させる離れ業をやってのけたのだがそれからしばらく音沙汰はなかった。『ハイヴ1』は6年ぶりのアルバムで、タイヨンダイは今度はリズムに主眼を置いている。打楽器からヴォイス・パーカッション、グリッチ・ノイズまで、リズムを構成するすべての音の音価と音色について。『ハイヴ1』ではそれらが交錯し干渉し逆行し、忘れてはならないことだが、ユーモラスでダンサブルでもある。お定まりの割れナベに綴じブタの関係ではないのである。

 質問の冒頭でザッパのことを訊ねているのは、『ハイヴ1』はヴァレーズを参照したと聞いたからで、ストラヴィンスキー~ヴァレーズはともにザッパが影響を受けた作曲家ということです。訊きたいことはもっといっぱいあったのだけど、時間もかぎられていたので仕方がない。彼は人気者なのだ。

■タイヨンダイ・ブラクストン / Tyondai Braxton
ポストロック/ポスト・ハードコアの重要プレイヤーが集結するスーパー・バンド、バトルスの元メンバーとしても知られるニューヨークの実験音楽家。バトルス時代の『ミラード(Mirrored)』(2007)のほか、ソロ・アーティストとしては2009年に〈ワープ(Warp)〉からリリースされた『セントラル・マーケット(Central Market)』がヒット。現代音楽の巨匠、フィリップ・グラスとのコラボーレション・ライヴなどを経て、本年、6年ぶりとなるソロ・アルバム『ハイヴ(Hive1)』を発表する。

僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。

前作『セントラル・マーケット』がストラヴィンスキー、『ハイヴ1』ではヴァレーズの“イオニザシオン”を参照されたということですが、この影響関係はフランク・ザッパとまったくいっしょです。彼のことは(直接本作とは関係ないにしても)意識しますか?

タイヨンダイ:僕とフランク・ザッパの関係は不思議だ。彼のことはすごく尊敬している。彼の活動すべてを好きでなくても、アーティストとして尊敬することはできる。フランク・ザッパの音楽も一部は良いものだと思う。なかには、僕の好みでない音楽もある。僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。僕は大学時代、ザッパについての授業を受けるはめになった。それまでザッパの音楽には興味をもたなかったし、彼のユーモアのセンスも理解できなかったから、はじめは授業を受けたくなかった。でも、授業を受けて、彼がどんな人物かを学んでから、彼に対する新たな尊敬の意が生まれた。だから、彼の音楽は共感できないものがほとんどだけれど、彼のことはとても尊敬している。彼がいままでやってきたことに、驚かされたものがいくつかある。

“イオニザシオン”は西洋音楽初のパーカッション・アンサンブルための楽曲だといわれます。『ハイヴ1』には、人間による打楽器演奏、リズム・マシーン、グリッチノイズなど、現在の音楽を構成する無数の打楽器音を総動員してつくった趣があります。このような作品を着想するにいたったきかっけを教えてください。

タイヨンダイ:きっかけはいくつかある。まず、打楽器に関して僕が興味を感じはじめたのは、打楽器をリズム楽器として演奏するのではなく、テクスチャーを生み出すものとして扱うということ。メロディとしては、扱えないかもしれないが、少なくともテクスチャーとして扱う。このアイデアは刺激的だと思った。僕はいまでもドラムがリズムを演奏するようなリズミカルな音楽も好きだ。だが、楽器にひとつの役割しか与えられていないという制限が好きではない。この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。それが第一のきっかけ。そこに、ヴァレーズやクセナキスなどの初期の打楽器音楽の影響が加わって今回のアルバムにとりかかった。

打楽器の演奏者と具体音、合成音でアンサンブルを組むにあたり、どのような手法、コンダクションをとったのでしょう?

タイヨンダイ:レコーディングしたときは、僕の意図など具体的な指示を演奏者に出すことができた。ライヴ演奏をするときは、演奏者はヘッドホンから鳴るキューを頼りにしているから、コンダクションは音声のキューがメインで、僕が実際にコンダクションをとっているというわけではないんだ。テクニック(手法)に関しては、先ほど話したように、リズミカルなパーツとテクスチャルなパーツをシームレスに行き交うというアイデアを追求した。テクニックとして、特定のパーツの焦点は何かということを理解することが求められた。あるパーツがテクスチャーを生み出しているとしたら、そのパーツのリズム要素にはあまり焦点を当てない……いや、そういうわけでもないか。テクスチャーを生み出しているからといって、テンポに合う演奏ができないともいいきれない。音楽がすべて楽譜で書かれているかぎり、テンポ通りに進むということだから。簡潔に答えるとすれば、アルバム制作で手法としたのは、リズミカルな要素に加えてテクスチャーとなる要素も意識するということ。

この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。

「ハイヴ」はもともとグッゲンハイム美術館でインスタレーションも含めたかたちで上演された、つまりサイトスペシフィックな作品だったわけですが、そういった作品を音楽作品におとしこむのはそもそもあったはずのある側面を捨象することになるのではないでしょうか? あるいは『ハイヴ 1』はそのヴァリエイションであり、その意味で問題なかったということですか?

タイヨンダイ:問題ないというわけではない。それが次なるいちばんの課題だった。「ハイヴ」は、インスタレーションとしてはじまったプロジェクトなのだけど、今回のアルバムが、ヴィジュアル要素や演奏される場所に依存することなく、ひとつの作品として機能することが重要だった。複数の次元で機能する作品でなければならなかった。僕がソロ・アーティストとして、この音楽を別のヴァージョンで披露した場合にも同じことがいえる。僕の演奏する音楽が、アルバムの様式を超越したもので、かつ、興味深いものでなければならない。また、それをやる理由も存在しなければならない。僕がソロの演奏をするとなった場合、バンドといっしょに演奏したものをどうやってソロでやるんだ? と疑問に思うだろう。その答えになるのが、アルバムの音楽で、僕が一人でやれることで、他の演奏者がいたらできないようなことを思いつくということなんだ。僕が今回、アルバムの音楽をつくる上では、そのような使命が課されていた。複数の次元で使える音楽で、様々な状況下で使える音楽をつくるということだね。


グッゲンハイム美術館にて

ミュジーク・コンクレートには現実音を抽象的にあつかう、または現実音を現実音そのものとしてあつかう、というふたつの考え方があると思います。あなたはどちらですか? またその理由について教えてください。

タイヨンダイ:アルバムを聴くと、その考え方の両方を行き来している感じがあると思う。限定された、定義しやすい要素を使うのは大切だが、その一方で、僕はその考え方を分解することも大好きだ。僕は、ふたつの考えのうち、どちらかを選択するというよりも、両方を取り入れられるという方法に刺激を感じる。たとえば、最初から抽象的なものから入るのではなく、あるアイデアを呈示してから、それを抽象化させる、など。もしくは、抽象的なアイデアから入り、それが徐々に明確なものに変化していき、題材のソースが明確になったり、題材自体が何であるかが明確になったりする、など。そういうバランスの取れた感覚が好きだね。

ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。

『ハイヴ1』ではあなたのひとつの魅力である「声=ヴォイス」も全体を構成するいち要素としてあつかわれています。あなたはヴォイス・パーカッションも演奏されますが、その経験が『ハイヴ1』には影響していますか?

タイヨンダイ:もちろん。アルバム5曲めの“Amlochley”では、ビートの構成はすべてビートボクシングでできている。僕がビートボックスをしてつくったんだ。その他のサンプルにも、僕の声ではないが、他のひとの声を使っている。今回のアルバムでは、機能する領域が限られていたけれど、自分の声を使うという実験はとても重要だった。だが、自分の声をあまり使わないようにする、というのも強く意識した点だ。僕はバトルズというバンドでは歌っていたから、僕と声を連想するひとも多いと思う。そのイメージから離れて、他の試みをするというのは僕にとって重要なことだった。声という要素にちがったアプローチで取り組み、ミニマルな方法で扱いたいと思っている。

声といえば、ロバート・アシュリーのような音楽家の作品はどう思いますか?

タイヨンダイ:ロバート・アシュリーは大好きだよ。彼の作品の演奏を観られたことを光栄に思っている。近日、僕がまだ見たことがないオペラがニューヨークで上演される。彼が亡くなったことを知ってとても悲しかった。だが今後も、彼の音楽の数々を追求していきたいと思っている。

OPNやメデリン・マーキー(madalyn merkey)、D/P/Iなどの最近の作品を聴きましたか? 聴いたとしたらどう思われましたか?

タイヨンダイ:最後のふたりはよく知らないけれど、OPNの作品はすごく好きだ。彼は、すばらしいプロデューサーで作曲家だと思う。彼の活躍は、いつも僕をワクワクさせてくれる。

たとえばテクノにおけるミニマルと、クラシカルなミニマル・ミュージックのどちらに親近感をおぼえますか?

タイヨンダイ:両方だね。ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。僕は、構成に対するミニマリストなアプローチに親近感をおぼえる。それがオーケストラ音楽であっても、エレクトロニック音楽であっても。各様式において、ミニマリズムという概念の解釈が独自の方法でなされていると思う。だから、こちらの方がもうひとつの方より興味深い、というわけではなくて、どちらもすばらしい音楽を生み出していると思う。

また、あなたはフィリップ・グラスの楽曲をリミックスした経験がありますが、ミニマル・ミュージックといえばグラスですか?

タイヨンダイ:もちろん、フィリップ・グラスは好きな作曲家の一人だ。すばらしい音楽家だと思う。スティーヴ・ライヒやジョン・アダムスといった、アメリカのミニマル・ミュージシャンが好みだ。彼らの音楽は大好き。とくにジョン・アダムスの音楽。みんな偉大な音楽家たちだ。

あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。

以前ジム・オルークは「フィリップ・グラスを大音量で聴いて、これはファッキン・ロックンロールよ、と思った」といっていました。そして私は『ハイヴ1』も大音量で聴いてぶっ飛びました。この意見についてどう思いますか?

タイヨンダイ:その言葉はすごくうれしいね。僕の音楽で誰かがぶっ飛んだと聞けばうれしいにきまってる。あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。注目を必要とする要素自体が少ないから、特徴がさらにはっきりとする。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。ミニマルとは、小さいと思われがちで、音量も小さくしなければいけないと思ってしまうからだ。だが本当は、ミニマル音楽は、大音量で聴いた方がインパクトが大きい。僕は元から音楽を大音量で聴くのが好きなんだけど、ミニマル・ミュージック全般を大音量で聴くと、すごくパワフルな体験ができると思っている。そういうふうにアルバムを聴いて、リスナーのみんなもアルバムを気に入ってくれるといいな。

「ハイヴ」アンサンブルでの来日公演の可能性はありますか?

タイヨンダイ:そういう機会があったらぜひやりたい。今回予定されている来日は、僕ひとりだけれど、「ハイヴ」を日本に連れてきて、アンサンブルをやる機会があればぜひやってみたいね。

では、ソロの予定はあるということですか?

タイヨンダイ:ああ。7月1日と2日。大阪と東京で公演がある。「ハイヴ」のソロ・ヴァージョンを披露するよ。

威力 - ele-king

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BLACK SMOKER - ele-king

 日本において〈ブレインフィーダー〉みたいなレーベルを探すなら、〈ブラック・スモーカー〉だろうね。ヒップホップと前衛ジャズ、エクスペリメンタル……昨年のハイプのひとつ、フライング・ロータスのライヴを見たあと、帰りにリキッドルームのKATAに寄ったら、ちょうどKILLER-BONGがDJしていて、こんな身近にこんなナイスな場があるじゃんとあらためて認識した。

 〈ブラック・スモーカー〉から出ている下山(GEZAN)のマヒトゥ・ザ・ピーポー のラップ・アルバム『DELETE CIPY』が話題だ。これはすごいよ。ロック・ミュージシャンが息抜きで作ったラップ・アルバムなんかじゃない。KILLER-BONG鋭くズレていくラップとトラック、奇才BUNのチョップしまくりの音響、いわゆるラッパーではないからこそ生まれるマヒトゥの独特のフロウ。SKILLKILLSのGURUCONNECTや高田音楽製作所のWATTERらもトラックを提供しているんだけど、ヒップホップという枠組みを確実に拡張する作品になっていると思うし、下山をシモヤマと読んでいる人も、これは聴くべきかもしれない。
 とくに10代~20代前半の、自分が社会からおいてけぼりになっているんじゃないかって気持ちを抱いている人にはマストよ。

PEEPOW A.K.A マヒトゥ・ザ・ピーポー

DELETE CIPY


BLACK SMOKER

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