奇才山本精一、衝撃の初エッセイ集『ギンガ』の復刻版!
世界的な評価を得ている大阪のオルタナティヴ・ユニット、ボアダムスに中心メンバーとして1986年 - 2002年まで在籍。現在は、日本の人力トランス・バンドのパイオニアROVO、Phewとのミニマル・パンク・バンドMOST、ムーンライダースの岡田徹とのポップユニットYA-TO-Iなど、多くのユニットでおもに作曲、編曲を担当。ソロ作も高い評価と支持を受ける一方、文筆家としてもすでにゆるぎない存在感を放つ異形のアーティストによる初エッセイ集『ギンガ』が復刻。
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ギターを持った幸田露伴、山本精一の名著『ギンガ』『ゆん』に続く待ちに待った最新作『イマユラ』が今週末ついにリリースとなる。紙『ele-king』の好評コラム連載でも、192ページの本誌に毎号深い切れ目のような痕を残していくあの異様の筆にふるえてしまうという方は少なくないだろう。『イマユラ』には、その連載「ナポレオン通信」からも収録されている。
それにしても、本当に水際立った文体によってつづられた随筆で、音読すればたちまち韻文的な相貌もせりあがってくる。読みふけってふと我に返れば、自分のからだが沼とも谷ともいえる深淵のきわに立っているような錯覚にとらわれるだろう。この夏休みには、高校生の方だってこっそりと手をのばしてみてほしい。本書から音楽家・山本精一に出会うのも、音楽から文筆家・山本精一に出会うのも、どちらも素晴らしい体験だ。
また、このタイミングで長らく品切れだった第一著書『ギンガ』の復刻版が再度蘇る。これは2009年に新たに32ページを加えて刊行された『ギンガ 増強版』と同内容だ。さらには、2011年の『ラプソディア』以来2年半ぶりとなるオリジナル・フル・アルバム『Falsetto』も完成。こちらも見逃せないリリースとなっている。
70年代生まれの私たちにとって、女子小学生の遊びといえば、リカちゃん人形をはじめとする着せ替え人形が定番でした。しかし現代の女児たちは、着せ替え遊びにあまり関心がなさそうです。長女が4~5歳の頃に夫からリカちゃん人形を買い与えられたとき、高いドレスをねだられないようにあわてて古着をリメイクしてリアルクローズな人形服をこしらえ、今後のリクエストに応えるべく裁縫材料を購入したものです。しかし彼女がリカちゃんで遊んだのはほんの一時期。落書きされた哀れなリカちゃんは、ビニールケースの中に無造作に突っ込まれたままです。
「もう着せ替え人形では遊ばないの?」
「友だち誰も遊んでないしー。みんな『アイカツ!』とかゲームとかのほうが好きだしー」
たしかに娯楽が山ほどある現代において、服を着せたり脱がせたりするだけの遊びは退屈にちがいありません。というか、自分自身もなんでそんな退屈な作業をしていたのか、よくわからなくなってきました。狭い家で地味なお下がりを着るしかなかった当時の庶民女児の一人として、リカちゃんになにがしかの夢を託していたのでしょうか。一方、リカちゃんのドレスとさして変わらない値段でひらひらワンピースを買ってもらえるファストファッション時代の現代女児は、わざわざ着せ替え人形で夢を見る必要はなさそうです。事実、リカちゃん人形の売上は、ピーク時に比べて半分以下に下がっていると聞きました(ITmediaニュース)。
そんな我が家に、なぜかやってきたのが、「起業家バービー」と「大統領バービー」。

左が「起業家バービー」、右が「大統領バービー」
私が「仕事つらい……」と愚痴っていたら、夫が「起業すれば?」と誕生日プレゼントとして注文してくれたのです。
「起業家バービー(Entrepreneur Barbie)」は、今年6月にマテル社から発売された、バービーがいろいろな職業に挑戦する「Barbie I Can Be…」シリーズの最新作。髪色と肌の色が異なる4種類のラインナップで、アクセサリー小物はスマホにタブレット端末、ブリーフケースと、「おうちサロン」レベルではなさそうな本格的なキャリアウーマン風です。

「Barbie I Can Be…」シリーズではこのほか、コンピュータ・エンジニア、歯科医、獣医、パイロット、ライフガード、レーサー、サッカー選手、スキー選手、女子アナ、北極レスキュー隊などに扮したバービーが発売されています。「大統領バービー」(U.S.A. President Barbie)もその一つ。ガチャピンにひけをとらないチャレンジぶりですが、同シリーズに限らずバービーの職業人としての歴史は意外にも長く、1960年代の時点で宇宙飛行士、会社役員、地理教師に、1970年代にはダウンヒル・スキーヤー、外科医にもなっています。フェミニズムがカルト思想扱いされている日本に住んでいる身からすると、うらやましいほどのポリティカルコレクトネス。
そんなバービーですが、本国ではときに厳しいバッシングにさらされてきたのも事実。いわく、バービーで遊んでいた少女ほど、自分の身体イメージに自信が持てず、小学生の頃からダイエットに励む傾向にある。人種偏見を助長する。ジェンダーに対する固定的なイメージを植え付ける。「ご心配なくお母さんお父さん。バービーで遊んでもあなたの娘さんは拒食症になったり人種差別をしたり生涯年収が減ったりはしませんよ」──そんな保護者へのメッセージが、起業家バービーには込められていそうです。起業家バービーの発売に合わせて、公式サイトで実在の女性起業家10名をフィーチャーするBarbie Celebrates Women Entrepreneurs特設ページを設けているのも、フェミニズムを標準装備している保護者へのアピールの一つなのでしょう。またバービーオフィシャルのTumblr「THE BARBIE PROJECT」でも、少女手作りのバービーハウスやお手製メキシコ民族風衣装などのクリエイティヴな遊びの数々が紹介され、娘の知的発達を阻害したくない親心をくすぐってくれます。
ところが、今年3月にオレゴン州立大学の研究者らが発表した調査は、こうした試みに水を差すようなものでした。バービーで遊ぶ女の子は、男の子よりも将来の職業の選択肢を少なくとらえており、それは従来のバービーで遊ぶ子もお医者さんバービーで遊ぶ子も変わらなかったそうです。職業の選択肢の数が男の子と変わらなかった女の子は、『トイ・ストーリー』のミセス・ポテトヘッドで遊んでいたグループだけ。
![]() ジェンダーフリーを推進する |
女子がセクシーであるべしという価値観を内面化してしまうと、必然的に職業の選択肢が減ってしまうということなのでしょうか。ごつくなったり忙しすぎて髭が生えそうな仕事は避けたいでしょうし……。それでも、建前ではあってもコンピュータ・エンジニアが女の子の職業として提示される環境は、率直に言ってうらやましいなと感じています。私は子どもの頃プログラミングや数学が大好きでしたが、女の自分がそれらを活かした道に進めるなんて夢にも思いませんでした。ロールモデルの代わりに与えられたのは、「女がそんなことに興味を持っても何にもならないのに」という、やはり性別ゆえに大学進学を諦めざるをえなかった母親の複雑そうな顔だけ。大人になってみて、女向けとされる仕事は若さや容姿が必須でキャリアを積みづらい職も少なくないことを実感しました。このことが男女間の格差を生んでいる一因であるようにも思われます。ロールモデル、超重要。
ともあれ、バービーを一目見た長女は、執拗にねだりはじめました。
「リカちゃんでぜんぜん遊んでないじゃない。バービーならいいの?」
「バービーは背が高くてかっこいいからいいの。化粧が濃いのはちょっとイヤだけど。リカちゃんは……かわいい系かな」
「ピンクはもう嫌いになったって言ってなかったっけ。この人たち、どピンクですけど」
「(パステル)ピンクは子どもっぽいもん。でもこのピンクはかっこいいと思う」
そういえばバービーたちのチェリーピンク×黒の取り合わせ、長女の最近のファッションに似ています。黒ジャージ下にチェリーピンクのトップスという、私からすると不思議なコーディネートは、「強そう」という理由でお気に入りらしい。
彼女は2体のバービーを両手に持ち、着せ替えはせず(そもそも着替えは付いていないのですが)それぞれの声をアテレコしてごっこ遊びをはじめました。完全に起業家と大統領になりきっています。すごい、ロールモデルになっている。私は子どもの頃、リカちゃんをロールモデルとしてとらえたことはありませんでした。正直、どんな人なのかすらよくわかっていなかったのです。しかしリカちゃんだって時代に合わせた展開をしているはず。調べてみると……
![]() リカちゃん |
リカちゃんハウスがスマートハウスになっていました。そっち方面に進化していたのか。小物類も、洗濯乾燥機、ルンバ風のロボット掃除機、電動自動車と、最新家電事情を反映しています。しかしこれ、女児は喜ぶのでしょうか。電動自転車で双子の送り迎えもラクラク! 太陽光発電なら電気代もオトクだし、洗濯乾燥機とルンバがあれば夫が非協力的でもどうにかなるワ~って、それ家事育児と仕事を一人で担うお母さんの願望なのでは? よくよくスマートハウスの商品写真を見てみると、台所でお菓子作りをしているお母さん&リカちゃんに、ダイニング・テーブルで新聞を読んでいるお父さんと、家は最新型でもジェンダー観は昭和のままです。写真まんがでは、リカちゃんのドジっ子ぶりも昭和風。あらたにおともだちに加わったキャラの将来の夢は、「ヘアスタイリスト」「トップモデル」「アイドル」「トリマー」「へアメイクアップアーティスト」と、ファッション系で占められています。夢に何を選ぼうが自由とはいえ、偏りすぎというか、リアル女児の夢ももう少しばらけているように思います。これでは起業家リカちゃんや大統領リカちゃんはもちろん、SEリカちゃんも地方議員リカちゃんも生まれそうにありません。家電をきわめてカツマーリカちゃんになれば、意識高いバービー勢に対抗できるかもしれませんが……。
とはいえ、かの小保方さんがなぜあの論文とあのノートであの地位まで上り詰めたのか、と考えたときに、6歳児ですら嫌がるパステルピンクを積極的に取り入れ、昭和のドジっ子のような実験ノートの取り方をし、理詰めではなくうるうるの瞳で訴えるといった「リカちゃん好きの女児のまま大人になった感」が、大きく介在しているであろうことを思わずにはいられないのです。エライおじさんたちの判断力を奪うほどのピュアな女児力(プリンセス細胞!)。科学の世界だから問題になっただけで、文化系業界や実業界ならあのまま成功し続けただろう、とも感じます。日本の女の子が好きな道で成功するには、リカちゃんをロールモデルにするのが結果正解なのかも。そんなことをぐるぐる考えていたら、ごっこ遊び継続中の娘からこんな声が。
「私ね、29歳で大統領って言ったけど……あれはウソなの」
「実は私も、社長じゃないの」
虚言癖バービーになっていました。まあそうですよね。身の回りに女性社長も、女性大統領もいないもの。『OECDジェンダー白書――今こそ男女格差解消に向けた取り組みを!』によれば、日本は子育てをしながら働く女性の、男性との給与格差が先進国で最大(男性の39%)なのだそうです。残業ができないために出産前までの職種に戻ることが難しく、パートタイム派遣に就いている私も、格差を構成する母たちの一人。そんな日本の母たちの姿を見ている女児が、人形だけでアメリカンドリームを抱けるはずもなく。やっぱり自分が起業するしかない……のかも。

Aliveというサービスをご存じだろうか?
立ち上がってまだ1年にも満たないというが、テレビや経済系のメディアなどでも紹介されているので、ご存知のかたもいらっしゃるかもしれない。
Aliveとはいわば新しいスタイルの“呼び屋”システムだ。一般のユーザーから呼びたいアーティストのリクエストを受け、その実現が可能なレベルまで“支援”が集まれば、ライヴが開催される。“支援”とはチケット予約のこと。もちろん企画が実現されない場合は決済は行われない。イメージとしては、ライヴ・イヴェント限定のクラウドファンディング・プラットフォームといったところだろうか。
しかし、ユーザーがリクエストと“支援”を行うだけ、という最小限の手間によって、効率的にニーズを集約できるのはすごい。まだサービス開始から数か月という短い期間でありながら、モントリオールのドリーム・ポップ・デュオ、ブルー・ハワイをはじめとして、シューゲイジンな人気ガレージ・バンド、クロコダイルズやUKのサマー・キャンプ、クラムス・カジノらと比較される年若きプロデューサーXXYYXXなど、さまざまなアーティストの招聘が現実化している。「自分は大好きなんだけど、こんなマイナーな人たちの来日なんて無理だよなあ……」というようなアーティストの顔をだれでもひとりやふたり思い当たるだろうが、Aliveにリクエストしてみれば、この広い世の中、同じように酔狂な人間が意外な数存在しているという幸福な事実にぶつかるかもしれない。
ともあれ、公式サイトに飛べば詳しい説明や絶賛支援募集中のアーティストを見ることができる。もちろん諸事情あるだろうから、リクエストがただちに支援募集企画として立ち上がるわけではないが、投稿欄にはインディ・アーティストを中心にジャスティン・ティンバーレイクなどまでが上がっていておもしろい。ついつい発想がインディにかたよってしまったが、超ビッグネームが意外な抜け穴を通って来日することだってあり得るよね。
詳しくはこちら!
Aliveサイト:https://www.alive.mu/
先日、コロンビアの女性と音楽の話になったときに、「コロンビアには豊かな音楽があるけれど、クンビアはダサいから聞かない」とバッサリ斬られた。クンビアとはコロンビア発祥の4分の2拍子のリズムを持つラテン音楽である。彼女にとったら、デジタル・クンビアの流行後にイナたい昔ながらのクンビアまでもが、世界各地で聞かれたり、踊られたりしている光景に違和感を感じるらしい。「ボンバ・エステレーオやシステマ・ソラールみたいなコロンビアの伝統音楽をイマっぽく演奏する国際的なグループはいるけれど、現地の若者は誰もクンビアを聞かない」と。しかし、コロンビアの首都ボゴタ出身の6人組、メリディアン・ブラザーズの4枚目のアルバム『サルバドーラ・ロボット』を聞くと、こんな新しい見せ方のクンビアもあるんだから、と彼女に言いたくなる。
メリディアン・ブラザーズの公式ホームページのプロフィールによれば、彼らは1998年に結成し、ラテン・ロック(とくにアルゼンチンのロック)に多大な影響を受けているそうだ。
ジャイルス・ピーターソンに評価されて注目を集めた前作『Desesperanza(日本語に訳すと「絶望」)』(2012)では、ラテンと電子音のポップな混合という印象が強いが、今作では、クンビアを前衛ロックやジャズに昇華している。単純にデジタル化させることなく、きちんと演奏しているのがいい。
ピロポロと呑気なアナログ・シンセの音色が派手に構えているけれど、肝は鋭いドラムだ。奇妙に変調するシンコペーションが気持ちいいが、その音の渦の合間に訪れるタメに、はっとさせられる。クンビアのあいだとジャズのあいだが重なる瞬間は恍惚であり、このグループはすき間の使い方がとても巧い。クンビアだけでなく、コロンビア発祥のバジェナート、ウルグアイのパーカッション音楽のカンドンベ、ペルーのクリオージャ音楽のような南米のアフリカ文化の色彩が豊かに散りばめられている。歌っているのは労働者の悲哀や、男と女のエゴとかで、酒場できかれるような愚痴に近い。つまりは、大衆歌謡の流れを継承しているのだが、音には一筋縄ではいかない姿勢が滲み出ている。ジミ・ヘンドリックスの『パープル・ヘイズ』の陽気に壊れたカヴァーで、アルバムの幕を閉じるあたりにも、その気概を感じるのだ。ちなみに、この音楽は「ごった煮」ではない。トロピカルと反骨の共生への果敢なる挑戦なのである。
WAH WAH(毎月第3金曜@The Room)、IN BUSINESS(不定期@UNIT)、kickin(毎月第1日曜@Club Cactus)でレギュラーDJやっております。
今回は、LIQUIDROOM 10周年「A Tribute to Larry Levan 2014」ニッキー・シアーノ来日に因んで<the GALLERY>がスタートした1972年にリリースされた曲を選びました。
https://www.liquidroom.net/schedule/20140720/19588/
In 1972 (2014.07.10)
![]() 1 |
Carleen & The Groovers - Can We Rap - CJB |
|---|---|
![]() 2 |
Bobby Womack - Across 110th Street - UA |
![]() 3 |
The Fabulous Mark III - Psycho - Twink |
![]() 4 |
Miles Davis - On The Corner - Columbia |
![]() 5 |
Fela Kuti & The Africa 70 - Shakara (Oloje) - EMI |
![]() 6 |
Ernie & The Top Notes, Inc. - Dap Walk - Fordom |
![]() 7 |
Patti Jo - Ain't No Love Lost - Scepter |
![]() 8 |
The J.B.'s - Hot Pants Road - People |
![]() 9 |
Alice Clark - Never Did I Stop Loving You - Mainstream |
![]() 10 |
Al Green - How Can You Mend A Broken Heart - Hi |
良識的なひとびとがマチズモを男根主義と呼んで眉をひそめるならば、ドリュー・ダニエルは「僕たちも男根が大好きだよ!」と不気味に笑って「彼ら」に握手を求めてみせるだろう。マトモスの片割れであるダニエルのプロジェクト、ザ・ソフト・ピンク・トゥルースの久しぶりの新作では……ああ、ジャケットを見て逃げ出さないでほしい、(ゲイの、ではなく)ホモの地獄絵図が広がっている。これはダニエルによる極めて冷静な批評であり、強烈な一撃である。差別主義者への? まあ、それもある程度。しかしそれ以上に、ポリティカル・コレクトネスに捕らわれて退屈になったゲイ・カルチャーおよび、リベラルなつもりで世のなかの醜い部分から目を背けようとする一見清潔な連中を徹底的にからかっている。
今回のコンセプトはシンプルだ。ブラック・メタルのアンダーグラウンド・クラシック・ナンバーのエレクトロニック・ミュージックによるカヴァー集……と、それだけ書けば何てこともないが、ここで繰り広げられるのは反キリスト教、サドマゾ、悪魔信仰、女性蔑視、そしてもちろんホモフォビア……のエレクトロニカ・ヴァージョンであり、その、断絶された世界のあり得ない接続である。ワイ・オークのジェン・ワズナーがヴォーカルをとる“レディ・トゥ・ファック”を聴いてみるといい。マシュー・ハーバートのリスナーもうっとりするようなエレガントでスムース、そしてフェミニンなそのハウス・トラックでの決め台詞は、「立ちあがって俺の突き刺さったハンマーを見ろよ」だ。ボディ・ミュージックめいた“ビーホールディング・ザ・スローン・オブ・マイト”、ダークで艶っぽいグリッチ・ハウス“レット・ゼア・ビー・エボラ・フロスト”、キッチュなシンセ・ポップ“ブリード・バイ・タイム・アンド・ダスト”、ドラムンベース調のカオティックな暴走“マニアック”……吐き気がするほど禍々しく不道徳であり、だが強烈にセクシーで、その分裂に聴けば聴くほど脳がシェイクされるようだ。
ひとつ確実に言えるのは、このアルバムはブラック・メタルのエクストリームさを対象化して風刺しながらもその内部に入り込んでエナジーを吸収しているということだ。背徳的なメタルの世界を指さして批判しているのではなく、その地獄で血糊を浴びて笑ってみせている。この世に蔓延る差別が反社会的で非常識な黒づくめの連中のせいならことは簡単だが、そうではない。だからダニエルはこのアルバムのオープニングを、アントニー・ハガティといっしょに朗読するゲイ・アンダーグラウンド・シーンのプロテスト・ポエットではじめる(“インヴォケイション・フォー・ストレンス”)。ここにあるのは多くの人間が見ようとしないこの世の暗部の饗宴だとそこで宣言するかのようで、戯画化された地獄は本当に存在するのだといやでも思い知らされる。
だが結局のところ、これはすさまじく悪辣かつ狂ったジョークだ。TMTがレヴューの「スタイル」を「エレクトロニカとハウスにおけるホモフォビアの悪夢」としているのには笑ったが、いやしかし実際、笑うしかない。ホモフォビアは悪夢のようだが現実に存在するのだから。ドリュー・ダニエルはアウトサイダーとしての共感の眼差しすらをブラック・メタルに向けつつ、不健全な文化と性に満ち溢れたパーティを今日も繰り広げている。
いやあ、高い。イギリスのポンドがどんどん高くなってきている。たとえば、昨年から人気が急上昇している〈ザ・トリロジー・テープス〉の12インチ・シングルは、もはやLP1枚分の価格になってしまった。〈リーボック〉と〈パレス〉のコラボ・スニーカーの映像でも強靭なノイズを添えていたリゼット(Rezzet)の新作EPが発売されるようだが、レーベル直販だと送料込で3000円とな……。日本のレコード・ショップがある程度安く仕入れてくれればいいのだが、日本に入ってこないレコードだってある。こうなるとアマゾンの利用は避けられない……。なんて、こんな風にお困りの方は少なくないのでは? 他ならぬ本作『アウェイト・バーバリアンズ』もそうだ。7インチ付きの限定盤は結局、ずいぶんな高値で通販することになった。
昨年の夏はアバウト・グループで『ビトゥウィーン・ザ・ウォールズ』をリリースしたアレクシス・テイラーことアレ様。どうやらホット・チップとしての活動はまだしばらくないようだ。
昨年のソロEP『ナイム・フロム・ザ・ハーフウェイ・ライン』のレヴューでもふれたが、デモ・テープ趣味というか、絵のアウトラインまで描いて色は塗らないアレ様のセンスが本作にももれなく反映されている。一部のストリングスを除いてすべてアレ様が楽器を演奏している、だけでなく、録音もプロデュースもアレ様自身の手による、まさに純然たるソロ作だ。全編にわたってビートはほとんどなく、ピアノの独走にちかい楽曲さえある。『ビトゥウィーン・ザ・ウォールズ』で垣間見られたフォーク趣味も、バンジョーの音色でより際立っている。キーボード/アコースティック・ギター/ドラムなど、ひじょうに簡素な伴奏にのせて、さながらボニー・プリンス・ビリーのように粛々と弾き語る。
それにしても、相変わらずアレ様の音楽は親密的な空気をもっていて、ドアを閉めきったスタジオ=すなわちアレ様の音楽部屋で新作のデモ演奏をきいているかのようだ。その密室感=近さを息苦しいと感じたり、苦手におもう人もいるだろう。しかし、アレ様はそんなことは気にしていないのだ。彼は彼の制作意欲に基づいて音楽をつくっていくだけ。たとえピッチフォークでの点数が低かろうが、僕がまわりくどくレヴューを書いたところで、アレ様にはなんの意味もなさない。と、わざわざ書きたくなるほど、ひとりの男の完結した世界が、たしかな強度をもって本作には真空パックされている。ダンスフロアを裏切ってにわかにフォークに逃げた、というわけではないことは、そもそもホット・チップ自体が当初はフォークのスタイルではじまっていたことを考えれば納得のいくところだ。
エルヴィスにディランにホイットニーにプリンス──ポップ・ミュージックの先人たちの名を歌うアレ様の姿からうかがえるのは、自分の趣味をあきらかにして誰かと共有したい欲求。「いつだって他人の音楽のことを考えているし、つねに音楽を聴いていることで、自らにインスピレーションを与えている」と語るほど、とても純粋にいち音楽ファンであり、そうした謙虚ながらノーブルな態度を表明することで、彼と音楽との関係性に……いや、彼とリスナーの間に、だろうか、ふかい喜びと同時に疑念が生まれる。つまり、アレ様がこれから先どれだけ音楽をつくっていったとしても、じつは彼はエルヴィスやディランやホイットニーやプリンスのただのファンでしかないのではないか、というアレ様ファンとしてのコンプレックスのような疑念だ。自らの才能をアピールしたりすることなく、参照先をいつでも語る謙虚さは、ファンに歴史を顧みることを促すという意味ではすばらしい。しかし歌詞になってでてくるとどうだろうか、ソロ作はいつもデモ・テープみたいだし……。なんておもってしまうのも事実。参照先を免罪符としているのでは、という疑念がなくもないのだ。もちろん、アレ様のことだからそんなつもりはないのだろうが。つまり、アレ様ファンは、彼を最高だと手放しでいえるような、完成されたアルバムをいまだに欲している。僕が最高だと言いたいのは、エルヴィスやディランやホイットニーやプリンスではなく、アレ様なのだから。
本作を聴いていて、驚くような音の瞬間はないかもしれない。が、ひとりの人間を深追い/深読みして音楽を聴くのが趣味のひとには、ぜひ聴いてみてほしいアルバムだ。
■参照記事
Alexis Taylor: | Consequence of Sound:
https://consequenceofsound.net/2014/06/alexis-taylor-no-more-barriers/
金曜日にはゲットー・ハウスの帝王、DJファンク。土曜日には新作が待ち遠しいフォルティDL+新世代ハウスのホープ、アンソニー・ネイプルス。別の場所ではブリストルからロブ・スミスも来ている。
日曜日には、ラリー・レヴァンとフランキー・ナックルズにDJテクニックを伝授したNYガラージの偉大なる伝説、ニッキー・シアーノの来日もある。同じ日には、倉本諒企画のSKULL KATALOGもある!
祝日21日には、ジンタナ&エメラルズ(※しかもイビサ帰り)のライヴもある! 19日から21日にかけてはピースな野外フェスティヴァル〈rural 2014〉もある!
君の住んでいる街で音楽が鳴っているでしょう。Jリーグも再開する。
連休の今週末、君は何をする?
■18日(金曜日)
DJ FUNK
Takkyu Ishino
MOODMAN
@LIQUIDROOM 23:30~
ADV / DOOR
¥3,000 / ¥3,500
https://www.liquidroom.net/schedule/20140718/19238/
■18日(金曜日)
FALTY DL
ANTHONY NAPLES
@大阪CIRCUS 22:00~
ADV / DOOR
¥3,000 / ¥3,500
■19日(土曜日)
FALTY DL
ANTHONY NAPLES
@代官山UNIT 23:00~
ADV / DOOR
¥3,500 / ¥4,000
https://www.unit-tokyo.com/schedule/2014/07/19/140719_new_york_rising.php
■19日(土曜日)
ROB SMITH a.k.a RSD
1945 a.k.a KURANAKA
D.J.Fulltono
@LOUNGE NEO 23:00~
ADV/DOOR
¥2,500/¥3,000
■20日(日曜日/祝前日)
NICKY SIANO
DJ NORI
MOODMAN
UKAWA NAOHIRO
@LIQUIDROOM 23:30~
ADV / DOOR
¥2,500 / with flyer 3,000 / GALLERY, HOUSE OF LIQUID members 2,500 / door 3,500
https://www.liquidroom.net/schedule/20140720/19588/
■20日(日曜日/祝前日)
SKULL KATALOG
DREAMPV$HER
@幡ヶ谷フォレストリミット 21:00~
¥2000 + 1 drink
https://www.crooked-tapes.com
■21日(月曜日/祝日)
JINTANA & EMERALDS
PAISLEY PARKS
@代官山UNIT 15:00~
ADV
¥2,500
https://www.unit-tokyo.com/schedule/2014/07/21/140721_jintana_emeralds_destin.php
■rural 2014 7月19日~7月21日
7月19日(土)午前10時開場/正午開演
7月21日(月・祝日)正午終演/午後3時閉場 [2泊3日]
※7月18日(金)午後9時開場/午後10時開演 から前夜祭開催(入場料 2,000円 別途必要)
@マウンテンパーク津南(住所:新潟県津南町上郷上田甲1745-1)
https://www.manpaku.com/page_tour/index.html
前売 3日通し券 12,000円
https://www.rural-jp.com/
東京のインディーズ・シーンなんて言うとじつに抽象的で窮屈な気持ちになってしまうが、そんな渦中においてそれっぽく飾られたぼやけた存在ではなく、主張せずとも目に焼きつけられるはっきりとした色彩をもち、くっきりとピントの合った独自の美学を貫くバンドが2組。ベッドルームから現れた甘い劇薬、山口美波と河合亜由美による女性デュオ、シー・トークス・サイレンスと、みんなよく知る多くのCM曲からアーティストのプロデュース/エンジニアも手掛けるというアナザー・サイドを持つ日陰のポップ職人、橋本竜樹によるソロ・プロジェクト、ナガルジュナ(Nag Ar Juna)の12インチが新進レーベル〈de.te.ri.o.ra.tion〉より同時にリリースされた。
シー・トークス・サイレンス(以下:STS)の『When It Comes』は、昨年密かにカセットのみでリリースされ、すでに入手困難となっていた6曲入りミニ・アルバムの新装アナログ盤。アートワークも新たに最新型のSTSを堪能することができて耳寄りである(なによりヴィニールならではの音の厚みと艶が増していてうれしい!)。内容はというと、新曲とレア・トラック(コンピ提供曲やライヴ会場のみで販売していた曲)を集めたもので、これがすでに完成された彼女たちの美意識に従いつつも、いつになく多彩な陰影と色調をもった表情を見せてくれて鼓動が高鳴る。時に華やかに、時に危うげに。これまでは山口(ギター/ヴォーカル)による宅録プロジェクトという印象が強かったが(詳細は江森丈晃編・著『HOMEMADE MUSIC』で確認してほしい。そこには山口が初めてギターとMacを買ってから、わずか2年であれよあれよという間に1枚の7インチとアルバム『Noise & Novels』(2010)をリリースするまでの経過を記した制作日誌が抜粋されている)、サポートだった河合(ドラム/ベース)を正式メンバーに迎えたセカンド『Some Small Gifts』(2011)を経てリリースされた本作は——手の平を合わせて高らかにつき上げた2人のアートワークが象徴するように——デュオとしてのSTSの方向性(結束)がさらに固まり、ライヴでの演奏が重視されているのだろうか、楽曲の骨格もより美しく研ぎ澄まされたものとなっている。
1曲め“Walk Away”から乾いたカッティング・ギターと吐息のようにそっと囁かれるヴォーカル、陰りのあるメロディとコーラスが疾走感を伴って転がる。これは名曲の予感。2曲め“Just Like War”は、機械仕掛けのリズムに這いずるようなベースが耽美な楽曲の輪郭を際立たせるダーク・ウェイヴな新機軸。自らディレクションを務めたMVでも見てとれるように、黒を基調とした映像に鮮烈な赤が差し込まれ——まるでブルース・ギルバートの『This Way』(1984)のアートワークよろしく——細く長く伸びた腕、むすんでひらいて、絡み合う手、そして「HOPE」と「ANGEL」の文字が交錯するさまには背徳感すら覚えてしまう。3曲め“There's No”は、インディ・ロックだけに留まらないSTSのもう一つの動機「怒り」が垣間見えるハードコア曲。彼女たちがライヴであぶらだこのカヴァーを披露しているのも頷ける。つづく4曲め“Holy Hands, Holy Voices”は、“Walk Away”同様にインディ・ロックのマナーに則ったSTSの代表曲だ。ハンマービートにぐしゃっと歪んだギターのコード・ストローク、その上にキーボードの淡いメロディが寄り添いメランコリックに駆け抜ける。そして、呪術的なリズムとヴォーカルが印象的な“Long Ways”を経て、マリンでデカダンスな6曲め“Rosie”が海風のように横切り、アルバムはエレガントに幕を閉じる。
〈de.te.ri.o.ra.tion〉を主宰する橋本竜樹=ナガルジュナの『Doqu』は3曲入りの12インチEP。2010年にリリースされたファースト・アルバム『How Many Friends Can Die Happily?』が橋本によるエコーまみれの宅録ひとりポップだったのに対し(これがまた80年代後半に残されて、誰にも気づかれず忘却の彼方に消えてしまった奇跡のインディ・ポップ盤を発掘したような悦びを与えてくれる)、3年ぶりに登場したこのEPはライヴではお馴染みのバンド体制で録音された意欲作である。そして、バンドの面子がクセがあるようでないようでかなりあるというかめちゃくちゃある強者ぞろい。ドラムに須田洋次郎(ミツメ)、ベースにJUN(80KIDZ)、キーボードにYUJI ANDO(golf)、ギターにPUNPUN(ニュー・ハウス)を迎えたサウンドは、ソフトな質感をもちながらもじつに奥行きがあり、何度も聴き返してはその音の奥に触れたくなってしまう。
異様なまでに郷愁を誘うタイトル曲“Doqu”。西に傾く太陽と、長い影を伸ばすハリボテのような郊外団地のビル群。そんなシルエットが目に浮かんで殺伐とした気持ちにさせられるが、時折の夢のように現実離れしたサイケデリックなサウンドが視界を薄明るく照らしてくれて救われる。そして、そこにのせられる、「壊れたのはぼくの遠いドク(毒)/辿ったのはぼくの遠いドク(毒)」なんて言葉が柔らかい光をねじ曲げ、ゆるやかに流れる時間は一見爽やかで美しくもありながら、妙な孤独感を残す。STSがディレクションを手掛けたMVも、牧歌的でモノクロームな世界に浸食されていてひどく詩的だ。つづく“Sasage”は、フルートの音色が切なく、「若さを捧げた/長い日々が終わる」といった言葉が冬枯れ感を残すネオアコ曲。そして、3曲め“Miscellany(1987, 1988 and 1993)”は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの3枚めのように繊細で、ミニマル・ロック化する終盤に現れるけたたましいヴァイオリンがクールにスパークしてガヤガヤとした喧騒をきたす。
これが東京の「いま」なのか? と問われると答えに窮するところもあるが(というかそんなことはどうでもいいな)、勃発的に現れるのではなく、出てくるべくして姿を現し、具体的にコミットするシーンを持たず、頑固に、冷静に、音楽への熱情と、気高く筋金入りのDIYスピリットを最大の武器に、独創的な魅力を放つ彼らの存在はどこにも類のないものだ(STSの初期の曲にはディス・ヒートやジョセフKのフレーズを引用した曲も!)。先日、テイ・トウワを中心とした事務所〈hug inc.〉にも仲間入りしたシー・トークス・サイレンス。そして、これから自身の活動のほかに〈de.te.ri.o.ra.tion〉のリリースも活発化していくというナガルジュナ。本作のリリースによって、彼らへの羨望の眼差しはさらに増殖し、蜜に群がる蜂のように集まってくることは間違いないだろう。
しかし、注意も必要だ。砂糖菓子のように甘い誘惑をちらつかせつつも、噛めば痺れがじわりと口に広がる毒の入ったキャンディも用意されていてまったく油断ならない。すべての心に茨を持つ少年。そして筆者のようにかつては茨を持っていた(はずの)中年たちの動揺は、いつまでたっても止まらないのである。






