「E E」と一致するもの

 音楽がファッションを発信できずしてどうしよう。ラッパーとして、アート・ディレクターとして、はたヴィジュアル・クリエイターとして、多彩な活躍をみせるこの若きアーティストは、ヒップホップ・クルー、KANDYTOWN(キャンディタウン)の中心人物として注目を浴びる存在だ。MURO、ANARCHY、KOHHらとともに、メンバーYOUNG JUJU、DONY JOINTと揃ってUNITED ARROWS企画のサイファー「NiCE UA 37.5:“Break Beats is Traditional”」に参加したことを筆頭に、ファッション・ストリート誌を賑わせ、クリエイター集団BCDMGへの加入、KID FRESINOの新作『Conq.u.er』収録の“Special Radio”への参加など、世間の彼への熱は高まるばかり。その当人、IO(イオ)の待望のソロ・デビュー・アルバムのリリースが決定したとの報。弊誌でも注目していきたい。


《《》》 - ele-king

 一度すでに体験したという感覚を、錯覚と称するのは不当であると私は思う。むしろこのような折りには、実際にかつて一度体験したことのあるものが触れられているのだが、これ自体は、一度として意識されたためしがないゆえに、意識される形では想い出されないのである。簡単に言うなら、「既視」の感覚とは、ある無意識の空想の想起に向けられたものなのだ。
               ジークムント・フロイト『日常生活の精神病理学にむけて』

類例など

 ある演奏の録音と、それを参照せずに行われた別の演奏の録音を、そのまま重ね合わせることでひとつの音楽を生み出そうとする試みは、その系譜をたどるならばジョン・ケージの偶然性の音楽へと遡ることができるものの、近年のいわゆる即興音楽シーンにおいてもいくつか類例をみることができる。たとえば2009年にリリースされた吉田アミと中村としまるによる『蕎麦と薔薇』というアルバム。同じ年にリー・ノイズとバリー・チャバラによってリリースされた『ザ・シェイド・アンド・ザ・スクイント(The Shade and the Squint)』にもこうした方法論を見て取ることができる。2011年にマッティンがリリースした『エクスクイジット・コープス(Exquisite Corpse)』は、彼が書いた詩篇を譜面に見立ててバンド・メンバーがそれぞれ3分間の演奏を個別に録音し、それを重ねてカオティックなパンク・ロック調の音楽を仕上げるという手の込んだ試みである。なかでもとりわけ極端かつ過激ともいえるのは、キース・ロウ、クリスチャン・フェネス、ピーター・レーバーグらが参加する即興音楽集団M.I.M.E.O.による2007年のアルバム『サイト(Sight)』だろう。11人の演奏者がそれぞれ60分のCD-Rに5分間の即興演奏を収め、それらを機械的に合成することで擬似的な「集団即興」を行う。それは即興演奏において同じ場所と時間を共有することの意味、あるいは共演者に対して反応をするとはどのようなことなのかといったことを、なかば露悪的に遡上にのせる企てだった。

 このたび〈ダウトミュージック〉からリリースされた《《》》(メツ)のセカンド・アルバム『Relay』の制作手法から連想され得るのは、たとえばこのような作品群である。たしかに、これらの作品群が独奏の累乗から「合奏」を作り上げているのに対して、《《》》のアルバムでは、合奏に合奏が重ね合わされているという微妙な異なりはある。すなわち聴いていない(聴くことのできない)相手の音だけではなく、そこに場所と時間を共有しながら聴いている(はずの)相手の音も混在しているのである。これは彼らの演奏スタイルを鑑みるならば、重ね合わされるふたつの録音=演奏に、より一層異なる傾向をもたせようとしたのではないかと思われる。だがいずれにせよ、「相手の音を聴くことができない状態で行った演奏をそのまま重ね合わせる」という手法の眼目は、即興演奏における音楽的時間/空間に切れ目を入れることによって、相手の音に対する反応のクリシェ化を回避し、意想外の展開をもたらすような偶然性を導入することにあるのだと、ひとまずはいうことができるだろう。

《《》》とその『Relay』について

 《《》》は2014年から活動を開始した即興音楽グループで、大島輝之、中田粥、竹下勇馬、石原雄治の4人からなっている。それぞれギター、キーボード、ベース、ドラムスを担当すると書くと、ありふれたカルテットにみえるかもしれないが、ここから想像できるような音楽は聴こえてこないだろう。とりわけ説明を要すると思われるのは、中田粥が扱うバグシンセサイザーと竹下勇馬による自作エレキ・ベースである。バグシンセサイザーはサーキットベンディング的発想によって剥き出しにされたキーボードの基盤を誤作動(つまりバグ)させることで音を出す楽器であり、本人の言によれば「内部奏法の延長線上」にあって、アナログシンセ的なノイズ、内蔵された音色パターンの誤作動から生じる音、そしてプリセットされた音楽の自動演奏というおもに3種類の用い方があるという(1)。一方で竹下の自作エレキ・ベースは、本人のホームページなり何なりに載っている写真を参照していただければ早いのだが、エレクトリック・ベースにいくつもの電子回路やエフェクト装置などを取り付け、通常のベースでは出せないような電子音響を鳴らすことができるようになっている。ライヴの際に明滅するLEDランプは視覚的にも強烈だ。楽器の解体から新たな響きを見出そうとする中田と、むしろ器材を付け加えて新たな響きを獲得していく竹下では、自作楽器を用いている点では同じでも、そのやり方は対照的だといえる。

 《《》》の4人による演奏は、今年発売されたファースト・アルバム『《《》》』において、「なにも手が加えられていない状態」で聴くことができる。括弧書きしているのは録音という加工が施されているからに他ならないが、ともあれこの一発録りのライヴ・レコーディングからは、突如演奏がはじまったかと思えば唐突に立ち止まる痙攣的/発作的な彼らの演奏スタイルを聴き取ることができるだろう。それはそれだけ互いの音に対して敏感に耳をそばだてながら瞬時に対応していくという即興演奏のありかたを示しているということでもある。
 シンガーソングライターの柴田聡子とテニスコーツのさやを迎えたセカンド・アルバム『Relay』は、先にも少し書いたように特殊な録音手法によって制作されている。ライナーノーツによれば、まずデュオによる即興演奏を5分間録音し、つぎにそれを聴いていないふたりが同じ時間だけ演奏し録音をする。そしてそれらをそのまま重ね合わせることでひとつのトラックが完成されているのである。アルバムでは、以上のようにしてなされた録音の、片方が次のトラックにも組み込まれるというふうにして、演奏が連鎖的に続いていくこととなる。わたしたちは5分前の演奏とまったく同じ音源が、別の相手との「合奏」によって鳴らされるのを聴くというわけだ。それは5トラックめでさやが「デジャヴ、デジャヴ……」と囁くように、初めて聴くはずのものにどこか既聴感が含まれているかのような不思議な体験だ。そしてボーナス・トラックとされた最後の「合奏」の片方が一トラックめに回帰することによって、アルバムは円環構造をなしていく。

 本盤において《《》》の4人のメンバーだけで行われた演奏が収録されているのは4トラックめのみである。とはいえこれも、実際には竹下・石原のデュオと大島・中田のデュオが別々に行われ、それらの録音を重ね合わせることで生み出された擬似的な「合奏」だ。前二者による緊迫感溢れる静謐な演奏と、後二者による高速度でノイズが散りばめられていく演奏という、ふたつのサウンドの流れが並び立つ「合奏」は、相手の音に敏感に反応するという彼らの演奏スタイルであればこそ、ときにグルーヴするリズミカルな展開さえみられた前作とはまるで異なった、音楽的時間の多層化がもたらす新鮮さを聴かせてくれる。しかしそれはまったくちぐはぐなふたつの演奏が終始噛み合わないままでいるのかというと、そうでもないのであって、まるで示し合わせたかのように聴いていないはずの相手の音に反応したり、ともにアンサンブルを編み上げていく場面も聴かれるのである。収録された他のトラックにも同じことがいえるが、とりわけ6トラックめで柴田の歌唱にコーラスするさやの絶妙さは、あらかじめ決めておくことからは到達し得ないような、録音手法がもたらした偶然性の奏功を示しているといえるだろう。

音に反応するということ

 だがそもそも、フリー・インプロヴィゼーションにおいて相手の音に反応するということは、聴き手であるわたしたちに対してどのようなこととしてもたらされているのか。言うまでもなくそこには「反応しない」という反応さえ含まれているのである。音盤で「合奏」する彼ら/彼女らの相互触発は、反応できないにも関わらず見事な「反応」を引き起こしたから凄い、ということに過ぎないのか。定められた構造を目的とすることのない即興演奏にあって、予定調和を打破しようとする《《》》が、たとえば特定の相手の音に反応してはならないという禁則を暗々裏に個々人が設けたうえでライヴをするとき、『Relay』で聴かれる「合奏」と何か本質的に異なる響きをもたらすことがあるのだろうか。反応することと、反応するように聴こえることとに、わたしたちが見出すことのできる差異とは何か。
 かつて大友良英が手がけた作曲作品「Anode」のシリーズにはまさに「無反応」や「他の楽器の音に反応しないこと」といったルールが定められていた。それはしかしあくまで演奏の論理(あるいは演奏家の倫理)にフォーカスした作品であって、厳密にルールを適用することよりも、そうした制限が課されたなかで演奏家の聴取行為にいかなる変化が起こるのかということが探究されていた。それゆえに即興演奏における反応がもたらす響きの組織化の問題は、ここではあくまで実験的な段階にとどまることとなる。ならば「無反応」を徹底するならばどのような響きが生まれるのか――それは別の企てによって実践されることとなる。Sachiko Mとの共同ユニットであるフィラメントによって2004年にリリースされたBOXセットに収められている“Tokyo 20012004”という楽曲である。これは大友とSachiko Mのふたりがそれぞれ空間を隔てて同じ時間帯にソロ・インプロヴィゼーションを行い、それらの録音をそのまま重ね合わせることで出来上がった作品だ。「Anode」における禁則のひとつは、ここでは「相手の音に反応できない」ことによって厳密に適用されることとなる。

 冒頭で挙げたいくつかの作品群と同様の手法によるものの、それは意想外の展開をもたらすためというよりも、M.I.M.E.O.が『Sight』において露骨に掲げていたような、むしろ音を聴くことの不可能性からでさえ、つまりは演奏家が反応できない状態にあっても、発された音どうしに否が応でも生まれてしまう関係性をこそ示していた。そしてこの路線を極限まで突き詰めたのが、2008年に初演され、昨年末から今年の初めにかけてNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で開催された「音楽と美術のあいだ」展において再演された作品『quartets』だった。あらかじめ8人のミュージシャンの演奏を録音・録画し、独自のアルゴリズムに従って選択された4人の演奏家の影を会場に設置された巨大な直方体の四側面にそれぞれひとりずつ映し出すとともに、彼/彼女が発している音を再生することでカルテットによる「合奏」を仮構する。登場するミュージシャンが入れ替わり立ち替わりするために、異なる「合奏」が半永久的に生成されていくという仕組みである。ここに至って大友の企ては、空間だけではなく、時間さえバラバラに分割したとしても、それらを組み合わせることで「集団即興」が、つまりは「反応」がどこまでも続いていくことを提示したのだった。それは「既に為されて/起こってしまった演奏=出来事を組み合わせていくだけでも『即興』(もしくは限りなくそれに近似した状態)は成立してしまう」という事態を示していた(2)。

 当然のことながらもしもこれが通常の作曲作品の再現前化や、即興演奏であっても特定の正統性に則ることを目指す試みであったならば、このことは成り立たない。そうした場合にはほとんどの演奏が「弾き間違い」や「ミストーン」として否定されることになるだろう。つまりはここで行われている演奏がフリー・インプロヴィゼーションであるということが重要な条件となってくる。そこでは相手の音にどのような反応をすることも、あるいはしないことをも許されている。すなわち演奏における「失錯行為」が容認されているということだ。もちろん、演奏者が「間違えた」と考えることは大いにあり得るだろう。あるいは相手の音に対して「相応しくない」と思うこともあるだろう。だが彼ら/彼女らの意志とは離れたところで、発された音は独自の関係性を生み出していく。それが正しいかどうかを決定する客観的な視座がここには用意されていないのだ。演奏者の音に対する反応が偶発的なものであれ意志的なものであれ、どのようなものであっても、発された音そのものにみられる「反応」は、それ自体が組織化された響きとして肯定されているのである。

 言い換えるならば、演奏者が相手に反応して音を発するということと、発された音がなにがしかの「反応」を聴かせるということのあいだは、決定的に断絶しているのである。そこでは相手の音に反応しないことが、結果的に「反応」し合う響きを生み出すことさえある。そしてだからこそ、『Relay』における「相手の音を聴くことができない状態で行った演奏をそのまま重ね合わせる」ということがもたらす「新鮮さ」と、程度の差こそあれども、ライヴする《《》》が到達する地点とのあいだに、わたしたちは本質的な差異を見出すことができないのである。だがそれは、どんな「出鱈目」でもかまわないということを意味するわけではない。演奏者の手から離れた音は、こんどは聴き手とのあいだで新たな関係を結ぶ。そしてこの領域においてこそ『Relay』は録音芸術たるゆえんの不気味さを響かせているように思われる。

「音楽の無意識」から

 周知のごとくジークムント・フロイトは「失錯行為」を「無意識」の表徴と捉えることによって精神分析を行った。演奏における「失錯行為」は演奏家の「無意識」を繙く手掛かりになる(本当は演奏したくない、など)かもしれないが、それは「音楽の無意識」とは別のものである。ならば音楽には「無意識」がないのだろうか。そう断定するのは性急だ。フロイトが「失錯行為」による「無意識」の分析を明快に記した『日常生活の精神病理学にむけて』が可能にした知見を援用しながら、映画がもたらす知覚の変容について、ヴァルター・ベンヤミンが次のように語っていたことを思い出そう。

 いままで澱みなくつづけられているとみえた会話のながれのなかで、そのいいまちがいのためにとつぜん深層のパースペクティヴがひらける。こういったことは、むかしならば、むしろ例外に数えられたと考えていいだろう。しかし『日常生活の精神病理学』以来、事情は一変した。それは、事物を分離し、同時にこれまで知覚の幅ひろいながれとともにおしながされていた無意識的なものを分析可能にした。映画もまた、視覚的記号世界そして現在ではさらに聴覚的記号世界の全域にわたって、同様の知覚の深化をもたらしている(3)。

 「意識」が決して到達することのない「無意識」の領域の分析を、「失錯行為」を突端にフロイトが進めていったように、ベンヤミンは視覚における「無意識的なもの」の分析を複製技術が可能にしたのだと述べる。

 カメラに向かって語りかける自然は、肉眼に向かって語りかける自然とは、別のものだ(……)意識に浸透された空間のかわりに無意識に浸透された空間があらわれることによって、自然の相が異なってくるのである(4)。

 カメラは「視覚的無意識」の世界を明らかにする。ベンヤミンが仄めかすように、このことはマイクがもたらす「聴覚的無意識」についても同様に考えることができる。わたしたちが聴くことのできる自然と、マイクが捉える自然とは別のものだ。音響再生産技術は「無意識」に浸透された時間/空間を差し出す。大谷能生が言うように、「そこには音楽と音の区別も、それが人間に聴こえるかどうかすらの区別もない。カメラが世界の中から光学的な側面だけを取り出してくるように、マイクロフォンは世界を空気の振動として記述する」(5)。わたしたちがふだん聴いているものは、耳に聞こえてくるもののなかから、つねにすでに意識的に選別されたものでしかない。だがマイクにそのような選別はなく、あらゆる響きを等価に記録していく。そこにはわたしたちが聞いていたはずなのに、聴いてはいなかった響きがある。「音楽の無意識」とはすなわち、「聴くこと」と「聞くこと」の差異にあって、音響再生産技術の助けを借りることではじめて分析可能になったのである。

 だから録音物を繰り返し聴くということは、決して同じ体験の反復にはならない。「レコードの反復性は回帰する時間の中での差異に基づき(……)レコードは回帰そのものによって肯定され、回帰のたびに差異を生むものであることによってその存在が構成されている。(……)回帰する時間はふりだしを持たず、差異の差異化として常に多方向にずれてゆく運動として生成される」(6)。だがそれは、同じ録音物を以前聴いて覚えているから二度め以降の体験が異なるのではない。「反復は記憶の力を借りない。それはむしろ忘却に根ざした直接的な能動性であり、可能態ではなく現実態である」(7)。録音物を繰り返し聴くとき、そこには聞いてはいたものの聴くことのなかった響きが介入してくる。それが「聴覚的無意識」であるかぎり、「意識」が思い出すことはできないのだ。忘却の底にあった響きが、音響再生産技術によって、わたしたちの耳元へと連れ出されてくるのである。

 録音物を繰り返し聴くということは、つねになんらかの差異を伴った特異な体験である。たとえばわたしたちは、ある録音された音楽を聴くとき、一度めはメロディに注目し、そのときまったく気にしていなかったリズムに注目しながら二度めを聴くということがある。このような異質な経験は、ふつう、聴き手の能動的な参与によって獲得されるだろう。わたしたちはまるで同じものをなんども聴くようにして録音物に接しているからだ。だがそれが録音物のほうからあからさまに語りかけてくるとしたら、どうか。録音芸術としての『Relay』が優れているのは、「合奏」によって聴きどころのバイアスをかけられた響きが、こんどは別の「合奏」として異なるバイアスがかけられながら反復されることにある。そこでは、一度めに聞いたものの、聴き逃していた響きが不意に立ち現れる。たとえ気にも留めなかったとしても、同じ響きが異なる関係性のもとに続けて置かれることによって、「忘却に根ざした直接的な能動性」に直面させられる。「聴覚的無意識」が「聴くこと」のなかに回帰する。フロイトに倣って、「デジャ・ビュ」が以前「無意識」のうちに出会ったものが不意に「意識」へと浮上する体験だとするならば、まさしくこの意味で『Relay』は「デジャ・ビュ」である。それは「音楽の無意識」を利用して聴き手の聴覚を蠱惑する。
 だから本盤は、即興演奏の一回性を代理=表象する「かりそめ」の記録ではなく、それらの記録を偶然性のもとに縫合した単なるあり得べからざる「共演」の実現でさえもなく、むしろ同一性を逃れプロセスを生きる即興演奏の差異化の運動を、その作用方式において録音した作品だといえるだろう。わたしたちはアルバム・トラックが進む度に、録音物の非同一性あるいは差異の差異化する運動と、なかば強制的に立ち会うこととなるのである。そしてさらに『Relay』の円環構造が、こんどはアルバムそれそのものを回帰する差異化の運動のなかへと据え置く。より大きな時間の流れのなかで「聴覚的無意識」がやってくる。そのように二重化された音楽的時間は、その度ごとに異なる現実性を生きながら、二種類の「聴くこと」の変容をもたらしていくことになるだろう。

引用注
(1) 「バグシンセPV中田粥」https://www.youtube.com/watch?v=9sKWhXAoytI
(2) 佐々木敦『即興の解体/懐胎』、132頁
(3) ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」(高木久雄・高原宏平訳、『複製技術時代の芸術』所収)、38頁
(4) 同前、40頁
(5) 大谷能生『貧しい音楽』、209頁
(6) 細川周平『レコードの美学』、192頁
(7) 同前、193頁

参考文献
細川周平『レコードの美学』(勁草書房、1990年)
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』(佐々木基一編、晶文社、1999年)
ジークムント・フロイト『フロイト全集〈7〉』(高田珠樹訳、岩波書店、2007年)
『ユリイカ2007年7月臨時増刊号 総特集=大友良英』(青土社、2007年)
大谷能生『貧しい音楽』(月曜社、2007年)
佐々木敦『即興の解体/懐胎』(青土社、2011年)

The Soft Pink Truth - ele-king

 YouTube動画をはじめて見たときのことを覚えているだろうか。自分の場合、まったく覚えていないどころかそもそもいつ頃からYouTubeを使っていたかすら定かではない……が、たいていの人間にとってもそんなものだろう。それはいとも簡単に、恐ろしくスムーズにわたしたちのモダン・ライフスタイルに浸入した。が、マトモスの片割れのドリュー・ダニエルは「はじめてのYouTube動画」をはっきりと覚えていて、それはイラクの砂嵐だったという。YouTubeがはじまったのは2005年のイラク戦時中であり、のちに続く紛争とテロの10年において、つねに傍らにあったのはインターネット動画サービスだった……企業も政治家も大衆もテロリストも活用できる「サービス」だったというわけである。
 コンセプチュアル・アート作家としてダニエルはここで、政治的というよりは社会学的なアプローチでこの10年を支配したインターネット・サービスを調理する。まず、検索ボックスに「Step」「Looking」「Acapella」「Awesome」そして「Party」の語句を入力し、そこから導き出される動画の音声をサンプリング、そうして8年前にジョークとして1曲完成させる。それから動画カルチャーに嫌気がさしたこともあって放置していたそうだが、2015年の暮れに作業を進め楽曲を増やし、たんなるジョークの域をずるずるとはみ出した結果完成したのが本作である。

 ためしに僕は、最近は「ヤバい」ともよく訳される「Awesome」を入力してみた。素人なのか「ユーチューバー」なのかわからないが、多くは投稿された「驚き動画」の類のものが並べられている。スゴ技を披露する人びとの姿を見続けていると、感心しつつもすぐに気分が悪くなってしまった。なんというか、「自分」を世界に向けて無邪気に放流する人びとの姿の気の濃度にやられてしまったのだが、もちろん自分もその世界のなかにいるわけだ。そしてザ・ソフト・ピンク・トゥルースの“オーサム”を聴いてみる。誰とも知らない人間たちのはしゃぎ声がメタリックなベース音とともに野放図に広がっていく……。
 ドリュー・ダニエルの、ひいてはマトモスのタチの悪さはここからだ。ふたつめのトラック“アカペラ”の、おそらく多くは素人のものであるだろう声や歌がぶつ切りにされ、緊迫感のあるビートによってそれらが奇妙なカットアップ・ハウスへとなっていく様は不気味であると同時に快楽的だと思えてしまう。前作にあたる『ホワイ・ドゥ・ザ・ヒーザン・レイジ?』はブラック・メタルにおけるホモフォビアを異化することで逆照射的にお行儀のいいゲイ・カルチャーの現在をからかっており、そのためやや込み入った音になっていたが、ここではもっと素直にマトモスが得意とする愉快でユーモラスなエレクトロニカ、おかしなハウスが聴ける。この10年のインターネット・カルチャーの歪みをモチーフとしながら、しかしどうしようもなく愉しいアルバムである……先ほどと逆のことをあっさり言ってしまうが、ケース・スタディでありつつ、これはやはり音楽作品なのだ。これで踊れるひとだってたくさんいるだろう。
 「Pay」の検索から生まれたであろうタイトル・トラックはマトモスの『シュープリーム・バルーン』(08)を連想するようなシンセ・ポップが混ざったキッチュなエレクトロニカだが、この音の元になった動画では消費が謳われていたことだろう。が、ダニエルは「なんでもっと支払うの?」と意味を反転させる。続くトラックでアブストラクトなビートと電子音のなか「コンピュータって何だよ?」と叫ばれるのにもつい笑いがこみあげてしまう。ゲイ・カルチャーへの直接の言及は今回あまりないが、“アイ・ラヴ・ユア・アス”、すなわち「お前のケツが大好きだ」がエレクトロ調のセクシーなトラックとなっているのはまあ、彼らしい意地の悪い冗談だろう。そうしてアルバムは、パーカッションがファンキーに転がる、ソウルフルですらあるハウス・ナンバーで終わっていく。トレンディな音とは言えないが、むしろそのことがダニエルの余裕を感じさせる。

 ダニエルはこのアルバムを「YouTubeにおける才能そして/あるいは狂気」だと説明している。この10年のライフスタイルの風刺画でありながら、それを嗤うのではなく朗らかに笑っている……自分もその一部なのだから。SNSをどれだけ嫌おうとも、インターネットの弊害をどれだけ語ろうとも、わたしたちはもうそれがなかった世界には戻れない……なんて真面目な顔で言うより先に、このアルバムはグロテスクな時代を舞台にわたしたちを踊らせる。

 大盛況のうちに終了した「マイマイ計画 × 野島健児presents マイマイセッション!」。お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。
ご来場のみなさまには、開演までのわずかな待ち時間の中で、著者・智司さん画のマンガにセリフを入れていただきました。
 子どものころは、お兄さん・健児さんと毎晩のように制作していたというこのマンガあそび。絵を描くのは智司さん、セリフを入れるのは健児さん──「いまもずっと同じことをしています」とおっしゃっていたのが印象的です。

 それでは、みなさんがつくってくださった作品の中から、智司さん賞と健児さん賞をご紹介いたしましょう。智司さん賞はコメント付!
 あんな短い時間で、とつぜんペンを渡されて、たくさんの方々がオリジナリティあふれるストーリーをつくってくださり、スタッフ一同驚愕とリスペクトの念に打たれました。あそびが「ひらき」ながら、クリエイティヴなエネルギーを巻き込んでいた会場でした!


ちかさん「割と適当に考えた話」

コウモリがなぜだか片言の日本語!

さかたあやこさん「うれないロールケーキやさん」

あのぐるぐるは、ロールケーキなのか?!

しのぶさん「今年の流行大賞」

トーク中に紹介した作品。ナメクジだったのか…。

よしいかずみさん「ひみつの貝」

冒頭のブタさんの非礼さがよい。


ちさかもと美さん「失恋」

森しおりさん「夕食の献立」

きょうたにかおりさん「次男のイタズラ♪」

あかさくさん「弱肉強食」

Loe(SPECTRUM) - ele-king

SPECTRUMらしい10曲:2015

RILLA - ele-king

この時期なので2015年を振り返って

Swindle & Flava D来日公演 - ele-king

 2015年にリリースされた『PEACE,LOVE & MUSIC』で、堂々と新たな一歩を踏み出したスウィンドル。同作は自身のルーツのひとつであるグライムを軸に、ジャズ、ファンク、ワールド系の音までも取り込んだ秀逸な1枚だ。あの壮大な音絵巻をDJでどうやって披露するのか、期待して待ちたい。ともに来日するフレイヴァDのストリート感覚が全面に出た、UKの現在を体現するかのようなセットにも要注目。さらに、東京公演にはふたりが所属するレーベル〈Butterz〉の創設者、イライジャ&スキリアムの出演が急遽決定。UKアンダーグラウンド・シーンを先導するクルーを体感できる貴重な一夜となるだろう。
 スウィンドルとフレイヴァDは東京、名古屋、大阪の3都市をツアーする予定。パーツ―・スタイル、沖野修也、クラナカなど、各公演には強力なゲストDJたちが集う。

SWINDLE (Butterz / Deep Medi Musik / Brownswood, UK)
グライム/ダブステップ・シーンの若きマエストロ、スウィンドルは幼少からピアノ等の楽器を習得、レゲエ、ジャズ、ソウルから影響を受ける。16才の頃からスタジオワークに着手し、インストゥルメンタルのMIX CDを制作。07年にグライムMCをフィーチャーした『THE 140 MIXTAPE』はトップ・ラジオDJから支持され、注目を集める。09年には自己のSwindle Productionsからインストアルバム『CURRICULUM VITAE』を発表。その後もPlanet Mu、Rwina、Butterz等からUKG、グライム、ダブステップ、エレクトロニカ等を自在に行き交う個性的なトラックを連発、12年にはMALAのDeep Mediから"Do The Jazz"、"Forest Funk"を発表、ジャジーかつディープ&ファンキーなサウンドで評価を決定づける。そして13年のアルバム『LONG LIVE THE JAZZ』(Deep Medi)は話題を独占し、フュージョン界の巨匠、LONNIE LISTON SMITHとの共演、自身のライヴ・パフォーマンスも大反響を呼ぶ。14年のシングル"Walter's Call"(Deep Medi/Brownswood)ではジャズ/ファンク/ダブ・ベースの真骨頂を発揮。そして15年9月、過去2年間にツアーした世界各地にインスパイアされた最新アルバム『PEACE,LOVE & MUSIC』(Butterz)を発表、新世代のブラック・ミュージックを提示する。

Flava D (Butterz, UK)
名だたるフェス出演や多忙なDJブッキングでUKベースミュージック・シーンの女王とも言える活躍を見せるFlava Dは2016年、最も注目すべきアーティストの一人だ。
幼少からカシオのキーボードに戯れ、14才からレコード店で働き、16才から独学でプロデュースを開始。当時住んでいたボーンマスでは地元の海賊放送Fire FMやUKガラージの大御所、DJ EZの"Pure Garage CD"を愛聴、NasやPete Rockにも傾倒したという。2009年以降、彼女のトラックはWileyを始め、多くのグライムMCに使用され、数々のコンピに名を残す。12年にはグライムDJ、Sir SpyroのPitch Controllerから自身の名義で初の"Strawberry EP"を発表、13年からは自身のBandcampから精力的なリリースを開始する。やがてDJ EZがプレイした彼女の"Hold On"を聴いたElijahからコンタクトを受け、彼が主宰するButterzと契約。"Hold On/Home"のリリースを皮切りにRoyal Tとのコラボ"On My Mind"、またRoyal T、DJ Qとのユニット、tqdによる"Day & Night"等のリリースで評価を高め、UKハウス、ガラージ、グライム、ベースライン等を自在に行き交うプロダクションと独創的なDJプレイで一気にブレイクし、その波は世界各地へ及んでいる。

ELIJAH & SKILLIAM (Butterz, UK)
UK発祥グライムの新時代を牽引するレーベル/アーティスト・コレクティブ、Butterzを主宰するELIJAH & SKILLIAM。イーストロンドン出身のふたりは05年、郊外のハートフォードシャーの大学で出会い、グライム好きから意気投合し、学内でのラジオやブログを始め、08年にGRIMEFORUMを立ち上げる。同年にグライムのDJを探していたRinse FMに認められ、レギュラー番組を始め、知名度を確立。10年に自分達のレーベル、Butterzを設立し、TERROR DANJAHの"Bipolar"でリリースを開始した。11年にはRinse RecordingsからELIJAH & SKILLIAM名義のmix CD『Rinse:17』を発表、グライムの新時代を提示する。その後もButterzはROYAL T、SWINDLE、CHAMPION等の新鋭を手掛け、インストゥルメンタルによるグライムのニューウェイヴを全面に打ち出し、シーンに台頭。その後、ロンドンのトップ・ヴェニュー、Fabricでのレギュラーを務め、同ヴェニューが主宰するCD『FABRICLIVE 75』に初めてのグライム・アクトとしてMIXがリリースされる。今やButterzが提示する新世代のベースミュージックは世界を席巻している!


Various Artists - ele-king

 2015年に日本でもっとも売れた洋楽はビートルズだと誰かから聞かされたとき、反射的に落胆を隠せなかったその一方で、別の機会に誰かからBlackLivesMatterはインターネット時代のブラックパンサー党だと聞かされたときは妙に納得してしまっている。前者は古くノスタルジアで、後者は新しくアクチュアルだと、そう解釈したのだろうけれど、「ブラックパンサー党」という光も影もあるこの比喩をいま使われることとビートルズというロック・バンドがいまでも売れることは、考えようによっては実は矛盾していない。要するに、いまでもともにパワフルなのだ。
 SEALDsを話題にするとき学生運動がピークを迎えた1968年という年号が出てくるように、ゲイの歴史を紐解けばその権利を主張した1966年という年号を知る。フェミニズムもそうだし、リベラルと若者文化、そして消費文化とテクノロジーの進化とともに発展するポップ・ミュージックに関してもそうだ。つまり60年代とは、いまだ“現在”にリンクした過去であり、そして60年代とは、未来にリンクしていた“過去”なのだ。それはポップ黄金時代の10年である。ジョン・サヴァージは、そのディケイドの高みを1966年とする。

 ジョン・サヴァージは、個人的に好きな音楽ライターのひとりである。彼の著書『イングランズ・ドリーミング』は、戦後の旧・自由主義の所産であるポップないしは若者文化の限界を試すかのように、否定の力で時代に風穴を開けたセックス・ピストルズとUKパンクが、新・自由主義(=サッチャー)の出現のなかで敗北していく様を描いている。パンク通史としては、もっとも評価の高い本である。
 その後サヴェージは『ティーンエイジ』なる大作を著しているが、ぼくはちゃんと読んでいるわけではない。が、18世紀文学のゲーテ「若きウォルテの悩み」(作品に共感する若者たちの自殺を促した作品である)にはじまり、ズートスーツ・ライオット(世界で初めてファッション・スタイルの名が冠せられた暴動)までを描いたそれは、言うなれば、ビートルズやセックス・ピストルズが与えた影響についてのものではなく、ビートルズやセックス・ピストルズに与えた影響の源流を探っていくものなのだろう。そして、サヴェージの近著が『1966』であり、本作は著者が監修したCDというわけだ。

 『1966』も本を読んでいるわけではないが、これまた察するところ、サヴェージはその年が西欧社会における戦後の旧・自由主義のひとつのピークと見ているのだろう。ビートルズが『リヴォルヴァー』を出した年であり、ローリング・ストーンズが「19回目の神経衰弱」を発表した年、アメリカではブラック・パワーの爆発すなわち「ロング・ホット・サマー」がはじまった年だ。JBがファンクを磨き、オーティスがシャウトし、モータウンがポップを量産し、NYではウォーホルの「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」でヴェルヴェッツが演奏し、かたやビーチ・ボーイズのドリーミーなポップソングがあり、合法だったLSDは加速的に広まって、政治とドラッグ・カルチャーと若者文化とポップ・カルチャーがリンクした年……である。

 CD版『1966』は、ヒット曲集ではない。その年を象徴する全48曲によって構成されている。収録曲のすべては7インチ・シングルで発表された曲(そのB面の曲もあり)で、バーミンガムのロックンロール・バンド、ジ・アングリーズの“The Quiet Explosion”からはじまる。この手の企画ものは権利の関係で自由に選曲できないものだが、この2枚組には、明確なコンセプトのもと監修者の豊富な知識が注がれ、ポップ革命に関わる1966年のシングル曲が小気味よく続いてく。
 ザ・ストレンジラヴの“Night Time”には週末の夜の熱気が描かれ、ニューヨークの黒人女性シンガーソングライター、ノーマ・タネガの“Walkin' My Cat Named Dog”にはフェミニズムが表現されている。後にセックス・ピストルズがカヴァーしたザ・フーの“Substitute”には10代の混乱と怒りが込められ、後にザ・スペシャルズがカヴァーしたレックス・ガーヴィンの“Sock It To ‘Em J.B.”では当時のDJスタイルのユーモアと活力が記録されている。
 ジョー・ミークのハウス・バンド、ザ・トルネイドースの「Do You Come Here Often?」では同性愛の暗喩が演じられ、ザ・サースティーンス・エレヴェイターズの“You’re Gonna Miss Me”は10代の青春ソングのなかにLDS体験をにおわせる。1966年には、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが最初のシングル「I’ll Be Your Mirror」をリリースし、デヴィッド・ボウイが最初の名曲“The London Boys”を発表している……。(以下、略。詳しくはブックレットのサヴェージ本人による解説を参照)

 1977年、シカゴにやって来たフランキー・ナックルズは、NYでは流行が終わった曲をかけたところ、ものすごい受け方をして、古い曲にもまだパワーがあることを実感している。これが1980年代におけるハウス・ミュージック誕生の伏線となる。しかし、それは12インチ・シングルの話。『1966』は7インチ・シングルの物語である。恋について歌おうが革命について歌おうが、怒ろうが悲しもうが、すべての曲は2分から3分で完結する。1966年とは、シングルがアルバムよりも売れた最後の年である。その文化はいまは失われてしまった。しかし、それ以上に失われてしまったものがある。もちろんÅ取り戻すことはできるだろう。『1966』には、ポップ・カルチャーにおける型を破ろうとする覇気、媚びることない攻撃的な態度、そして不信の念を一発で解決してしまう行動力と変革の夢……そういったものが収録されている。


※ちょうこの原稿の書いた翌日、リキッドルームでのKOHHのライヴを見た。それは確実に、未来にリンクする現在だった。

映画西口東口 - ele-king

『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)から、『マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015)まで。
15年間の娯楽映画171本を紹介する、大ボリューム映画本の決定版!

新作・旧作含めて、年間250本観ている映画評論家・芝山幹郎による、最新映画紹介本。21世紀に公開された映画約13000本のなかから、娯楽映画を抽出。計171本を独自の切り口(西口映画:話や動きがおもしろい/東口映画:気配や匂いが面白い)で紹介。巻末に、若手映画評論家の
森直人との対談『21世紀娯楽映画の行方』を収録。21世紀始めから現在までを総括し、娯楽映画の未来を鼓舞する。

著者
芝山幹郎(しばやま・みきお)
評論家・翻訳家。1948 年石川県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。アメリカ文化や映画への造詣が深く、独自の映画評論を展開。主な著書に『映画は待ってくれる』(中央公論新社)、『映画一日一本―DVD で楽しむ見逃し映画365』(朝日新聞社)、『アメリカ映画風雲録』(朝日新聞出版)、『映画は遊んでくれる』(清流出版)、『今日も元気だ映画を見よう粒よりシネマ365本』(KADOKAWA)など。主な連載にキネマ旬報、週刊文春、NUMBER、GQ、PEN、エコノミスト、映画.com など。他にも劇場用パンフレットへの寄稿や対談など多数。


正月休みのための4本+1! - ele-king

 スターウォーズはもう観ましたか(僕はまだです)? フォースをすでに覚醒させたひとにも、まだのひとにも、あるいは何それというひとにも、ジェダイと関係ない冬休み映画をいくつかご紹介。映画館へ行きましょう!
 We wish you a merry christmas! よいお年を。

神様なんかくそくらえ

監督 / ジョシュア&ベニー・サフディ
出演 / アリエル・ホームズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ 他
配給 / トランスフォーマー
2014年 アメリカ/フランス
12月26日(土)より、新宿シネマカリテ他 にて全国公開。
©2014, Hardstyle, LLC. All Rights Reserved.

 ニューヨークのストリート・キッズの「リアル」を描いていると言っても、ラリー・クラーク監督、ハーモニー・コリン脚本の『KIDS』(95)とは違う。時代がちがえば、痛みもちがう。いきなり凄惨なリストカットを見せられたかと思えば、映画はずっとどうしようもなくズタボロの……ヘロインまみれの愚かな子どもたちの、汚れた日々を映すばかりだ。ここでカメラが映す21世紀の道端に、ストリートの美学なんてない。クズの輝きなんてない。彼女たちがヘロインを打つ場所はスターバックスやマクドナルドのトイレであり、正真正銘の都会のゴミとしてキッズは街をさまよっている。本作に主演しているアリエル・ホームズの自伝的な手記をもとにしていることが話題となっているが、だからといってわたしたちはこの映画を観なくても知っていたではないか……彼女たちがこの世界にたしかにいることを。主演ふたりの生々しい存在感にも胸を掴まれるが、と同時に、どうしても映りこんでしまう本物のストリート・キッズたちとそれを見て見ないフリをして通り過ぎる人びとから目を逸らせない。カメラは残酷にクローズアップを多用して、わたしたちに「ゴミ」と向き合うことを強要する……僕にそのことを下品だと言う勇気はない。冨田勲の音が耳から離れない。
 そうして映画は、アリエル・ピンクのドリーミーな歌をエンド・クレジットに流しつつ終わっていく。ドリーミーな……いったい何が? それは都会の公衆便所で見るひとときの夢なのだろうか。そこに立とうとするアリエル・ピンクというひとの無謀さに僕は、本当に震えるしかなかった。ふたりのアリエルがそこにいた記録を目撃してほしいと思う。

Ariel Pink - "I Need a Minute" (Official Music Video)

予告編



SAINT LAURENT/サンローラン

監督 / ベルトラン・ボネロ
出演 / ギャスパー・ウリエル、ジェレミー・レニエ、ルイ・ガレル 他
配給 / ギャガ
2014年 フランス
TOHOシネマズシャンテ 他にて全国公開中。
© 2014 MANDARIN CINEMA - EUROPACORP – ORANGE STUDIO – ARTE FRANCE CINEMA – SCOPE PICTURES / CAROLE BETHUEL

 これはある天才についての伝記映画ではなく、一種の芸術論である。『メゾン ある娼館の記憶』(11)でもずば抜けたセンスを発揮していたベルトラン・ボネロ監督は、序盤、分割画面で68年と69年の革命とコレクションを並列してみせいきなり観客を圧倒するが、そんなものは大して重要ではないとでも言わんばかりに、どんどん時間を進めていく。やがて時間軸はバラバラになり、時空はねじ曲げられて、すべては彼の76年の最高傑作へと向かっていくだろう。彼の才能も、性愛とドラッグにまみれた退廃の日々も、お決まりの「天才の苦悩」も愛も、さらには晩年の孤独も、ここでは最高の作品に奉仕したに過ぎない……時間は等価ではないのだ。次々に大音量で流される音楽もクールにちがいないが、ひとつひとつが美術作品のように差し出される画面と、それに魔術的な編集にクラクラする。美しい作品について語る映画であればエレガントに振る舞うのが当然、それこそがこの映画の美学であるとボネロは涼しげに言ってのける。ギャスパー・ウリエル、ルイ・ガレルといった美しい男たち(晩年のサンローランを演じるのはヴィスコンティ映画の常連ヘルムート・バーガー!)ばかりが現れるのも当然だし、やや周到に思えるモンドリアンの引用も“アヴェ・マリア”も……1976年の、その瞬間の前にひれ伏すのである……。年間ベスト映画に入れ逃した1本。

予告編


あの頃エッフェル塔の下で

監督 / アルノー・デプレシャン
出演 / カンタン・ドルメール、ルー・ロワ=ルコリネ、マチュー・アマルリック 他
配給 / セテラ・インターナショナル
2015年 フランス
Bunkamuraル・シネマにて 公開中。全国順次公開。
©JEAN-CLAUDE LOTHER - WHY NOT PRODUCTIONS

 いかにもアルノー・デプレシャンの映画である。つまり、ひとつの幼い恋が映画の中心にあったとして、その周りにありとあらゆる小さな事柄が散らばっていて、さらにその周りにはさらなる小さな事柄が控えている。自殺した母との複雑な関係や父との微妙な確執、勉学への若き情熱、パーティで踊ったデ・ラ・ソウル、仲間たちと観たジョン・フォードの映画、読みふけったレヴィ=ストロースやスタンダール……。それらはどこまでも伸びていき、終わりのない広がりを見せていく。日本でもヒットした『そして僕が恋をする』(96)のふたり――ポールとエステルのさらに若き日の痛ましい恋を描いた映画でありつつ、その青春の日々に散らばっていた瑣末なひとつひとつをランダムに思い出していく過程でもある。そしてそれらすべてのことがまた、どうしようもなく「たった一度の恋」に収束していく。ラスト30分頃のひたすら手紙の朗読を重ねるショットの切ない美しさは、間違いなく本作のハイライトである。何がどうなったという話でもないのに、人生の豊穣さを流麗に見せていくデプレシャンには毎度唸らされるばかりだ。94年生まれのカンタン・ドルメールと96年生まれ(!)のルー・ロワ=ルコリネの「一瞬」を収めたフィルムでもある。『そして僕は恋をする』におけるフランスの香り漂う恋愛模様に酔いしれたひとはもちろん、忘れられない恋を胸に抱えるひとは劇場へ。

予告編


消えた声が、その名を呼ぶ

監督 / ファティ・アキン
出演 / タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、モーリッツ・ブライプトロイ 他
配給 / ビターズ・エンド
2014年 ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/カナダ/ポーランド/トルコ
12月26日(土)より、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA 他にて全国順次公開。
© Gordon Mühle/ bombero international

 トルコ系ドイツ人ファティ・アキンによるもっとも規模を大きくしつつ、トルコで最大のタブーとも言われるオスマン・トルコによる1915年のアルメニア人虐殺をテーマとした一作。喉をかき切られ声を失いながらも娘を探して世界中を旅する父親という難役を、いまもっとも重要な俳優のひとりであるタハール・ラヒム(ジャック・オディアール『預言者』、ロウ・イエ『パリ、ただよう花』など。黒沢清の新作にも出るそうです。)が熱演。熱、といま書いたが、じつにアキン監督らしいエモーショナルな温度を帯びた作品となっている。それは情の篤さだと言い換えてもいい。ここでは史実的なジェノサイドも描かれているのだが、その勇ましい暴力の下で隠された人間の弱さや親切さもまた掬い取られている。男は圧倒的な量の死を前にして絶望し信仰を含めて多くのものを喪っていくが、彼を多くの人びとの素朴な善意が救っていくのもまた事実なのである。そして僕が映画を反芻して思い浮かべるのはどうしても後者のほうなのだ。あるいは、チャップリンの映画を前にして(それは多くの人びとにとって初めて観る「映画」として描かれる)、子どものような目で涙を流すラヒムの姿だ。それはアキン監督映画の一貫した甘さでもあり弱点でもある、が、彼を応援し続けたい理由でもある。1973年生まれ、まだまだ先が楽しみな作家のひとりだ。

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 それでもどうしても映画館に行けないという方に、家族で観るDVD編。

くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ

監督 / バンジャマン・レネール、ステファン・オビエ、ヴァンサン・パタール
配給 / ギャガ・プラス
2012年 フランス
DVD発売中。 https://www.amazon.co.jp/dp/B014QI4Z0M 
© 2010 Les Armateurs - Maybe Movies - La Parti - Mélusine Productions - STUDIOCANAL - France 3 Cinéma – RTBF

 くまのアーネストおじさんはおなかをすかせ、ゴミばこをあさっているうちにねずみのセレスティーヌと出あいます。くまとねずみの世界は地上と地下とでわけられていたため、ふたりのであいと友じょうはやがて大きなそうどうとなっていくのですが……。という、ガブリエル・バンサンの原作絵本をベースとした物語は、いまのフランスの精神の善き部分を象徴しているように僕には思える(テロ以前の、とは言いたくない)。別々の世界で生きる孤独なふたりが出会い、やがてソウルメイトとなっていくのだが、それが裁判という公の場へと持ちこまれるのがいまの欧米のリベラルのモードだと言えるだろうか。ああ、いいなと自然に思えるのはふたりともアーティストだということだ(ミュージシャンと絵描き)。異なる世界の融和をここで素朴に体現するのは、心優しき芸術家たちなのだ。
 初期ジブリに影響を受けたと思われる柔らかいタッチの線と色使い、アクション、音楽、警察をはじとする権力や商業主義への風刺、原作への敬意、どれもいちいち効いているし、制作者の真心を感じずにはいられないアニメーション作品だ。アーネストもセレスティーヌもとにかくかわいい……とくにアーネストが……『アナ雪』と同じぐらい観られてもいいと僕は思います。

予告編

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