「Nothing」と一致するもの

Christopher Owens - ele-king

 何がどう、ということもない。というのは、ガールズと名づけられたバンドのときからそうだった。レトロ・スタイルのロックンロールやロカビリー、R&Bを下地に、ほとんどが2、3分のポップ・ソングに乗せて甘ったるいラヴソングや痛みについて歌うだけ。だが、ブロンドのどうにも危うい青年のその歌にこめられた感情、その響きが混じりけなく聞こえてしまうことが、バンドへの批評的態度を無効化する力を持っていたことはたしかだ。ガールズのファースト・アルバムである『アルバム』に収録された“ヘルホール・ラットレース”はいま聴いても呆気にとられてしまうくらいの名曲だ――「僕は泣きたくない、だからいっしょに笑ってくれ」というほとんど幼児のようなつぶやきが、しかし何度聴いても迫真であるという恐ろしさによって。
 だからこそ、僕はガールズに入れあげることはなかった。なぜならば、特殊な生い立ち(カルト教団「チルドレン・オブ・ゴッド」で育ち、やがてそこを脱出した)を持つその歌い手……クリストファー・オーウェンスのナイーヴネスの前でおのれの繊細さや感受性が試されるような気がして、なんとも居心地が悪く思えたからだ。そのピュアなラヴソングに同化するにはたぶん僕は年を取り過ぎていたし、「若者の心の震えは素晴らしいね」と言って距離を置くにはまだ若かった。ガールズが終わったときも、ソロ前作『リサンドレ』がリリースされたときも、彼、クリストファーの「信奉者」でなければそれらについてコメントすることは許されていないような気分だった。

 だが、ふと発表されたソロ2作めをリピートするのを止められない。何がどう、ということもないという点では何も変わらないアルバムであるにもかかわらずだ。ただ痛みや、それを分かちあうための愛や、それが手に入らない痛みをピュアに歌っているだけのソングブックを本当に何度も何度も聴いてしまう。
 それはこのアルバムが、「ただの」ゴスペル・ロック・アルバムになっていることが関係しているのだろうと思う。多くのナンバーで黒人女性コーラスが導入され、とりたてて珍しくもない教会音楽になっていて……つまり、非常にアメリカの内側の匂いがするのだ。そのことは、この歌たちをクリストファー・オーウェンスそのひと個人の物語から引き離していく。ごくパーソナルな内容を歌っているだろうと思われる歌詞でありながら、しかしこの聖歌たちはかの国に住む取るに足らない人びとの取るに足らない人生と愛を歌っているように聞こえる。カントリーやR&Bを基調としたレトロ・スタイルも、クリトファー・オーウェンスによる天性のどうしようもなく甘く切ないメロディも、そのすべてが借りものにすぎないからこそ、そこにこめられた感情は古くから繰り返し繰り返し歌いつづけられてきたものとしての説得力を孕んでいく。

 クリストファー個人の生い立ちが赤裸々に歌われているスウィートなゴスペル・ナンバー“ステファン”を聴いていて、ふと諸星大二郎の傑作短編『生命の木』を僕は思い出していた。ある隠れキリシタンの村で巻き起こる聖書の再現。彼らの「宗教」は間違いだらけで偽ものにすぎないが、しかしその信仰心だけは本物だった。ライナーノーツによれば、本作のアルバム・タイトルは新約聖書のもじりだという。チルドレン・オブ・ゴッドで育ったオーウェンスがいま、ゴスペル・ロックを奏でることは皮肉でも何でもない。その聖歌が本物かどうかなど関係なく、ただその心の深さによってポップ・ソングとしての純度を高めていく。アルバム本編のラストから2曲め、8分の6拍子の“オーヴァーカミング・ミー”のセンチメントにはめまいがする。「なんて言えばいい ぼくに何ができる どうやってきみを忘れたらいいんだ」……そこに重なるコーラスとオルガンの泣き!

 何も変わらないと書いたが、しかしガールズの頃とはっきりとちがうところがあって、それはクリストファーのヴォーカルだ。かつてのカエルの鳴き声のようなダミ声ではなく、ジャケットに集まったバンド・メンバーたちを慈しむかのようなとても優しい歌い方をしている。最終曲のタイトルは“アイ・ジャスト・キャント・リヴ・ウィズアウト・ユー”と名づけられていて、やはり子どもが受けた傷についての甘いポップ・ソングが歌われている。だがそこにはカッコでそっと「バット・アイム・スティル・アライヴ」と付け足されている。だけど僕はまだ生きている。そんなアルバムだ。

死の黒は春の黒へ - ele-king

 現〈アンチコン〉を代表するビートメイカー、バスが、今年発表したEP『オーシャン・デス』でみせた意外な展開──ダークでミニマルなテクノ──は、音楽のモードばかりでなくもうひとつの“モード”にも接続した。〈ディオール・オム〉2015年春のビデオ・ルックブックのサウンドに、そのタイトル・トラックである“オーシャン・デス”が起用されたのだ。
 デイデラスの寵愛を受けるLAビート・シーンの鬼っ子、といった説明はすでに過去のものになっているが、当時もいまも、「どこか」のジャンルに繰り入れられることなく、アーティに、かつポップに、そしてオリジナルなフォームのもとに独自の世界をひらいてきたバスが、ファッションとの交差においてするどい緊張感をはらみながら魅せる音の色は、『オブシディアン』(2013)から引き継ぐ黒。3人の男たちのまとうディオールからは、そのつややかな黒をやぶって萌えいづる春の色がのぞいている。パリのクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)によるデザインが完璧なフレームを提供する、この欠けるところなきヴィデオをご覧あれ。



 Dior Homme 2015年春ビデオルックブックのサウンドに、Baths「Ocean Death」が起用されました!!

 ビデオに登場する、モデル達が佇むモジュラー式シーティングのデザインはビョークやカニエ・ウェスト、そして数多くのビッグメゾンとコラボレーションをした、パリを拠点に活動するクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)(エムエムパリス)によるもの。

 コレクションの世界を象徴するBathsの曲“Ocean Death”のエネルギッシュなビートにのって映像ははじまります。

■詳細
https://www.dior.com/magazine/jp_jp/News/アーバン-ミックス

■Baths『Ocean Death』

リード楽曲


ライヴ映像 (収録曲「Ocean Death」パフォーマンスは12分50秒から)



Baths
Ocean Death EP

Anticon / Tugboat

TowerHMVAmazon

作品詳細

https://www.tugboatrecords.jp/4912

・発売日:2014年07月16日発売
・価格:¥1,380+tax
・発売元: Tugboat Records Inc.
・品番:TUGR-015
・歌詞・対訳・対訳付き

■Baths
 LA在住、Will WiesenfeldことBathsは現在25歳。音楽キャリアのスタートは、両親にピアノ教室に入れてもらった4歳まで遡る。13歳の頃にはすでにMIDIキーボードでレコーディングをするようになっていた。あるとき、Björkの音楽に出会い衝撃を受けた彼は、すぐにヴィオラ、コントラバス、そしてギターを習得し、新たな独自性を開花させていった。大傑作ファースト・アルバム『Cerulean』は、LAのanticonよりリリースされインディ・ロック~ヒップホップリスナーまで巻き込んだ。満を持して2013年にリリースしたセカンド・アルバム『Obsidian』はPitchforkをはじめ各メディアから高い評価を得た。いまもっとも目が離せないアーティストと言ってもけっして過言ではない。


 さまざまな雪像が飾られた昨冬の雪祭りの写真を眺めながら、長女が言いました。「この頃は『アナと雪の女王』も『妖怪ウォッチ』もなかったんだねえ」。

 たしかに、今年3月14日に日本公開された映画『アナと雪の女王』、そして今年1月8日からテレビアニメ版の放送がスタートした『妖怪ウォッチ』は、子どもカルチャー・シーンをすっかり塗り替えてしまった感があります。子どもが世間に大放出される夏休みともなると、アナ雪ソングを大声で歌う女の子と妖怪ウォッチの話をまくしたてる男の子がアブラゼミなみにそこらじゅうで観察されたものです。いつの日か子どもカルチャー史が編まれることになったら、2014年は「妖怪ウォッチとアナ雪の年」として刻まれることでしょう。

 そして「アナ雪」ブームも一段落したいま、男児の『妖怪ウォッチ』熱は女児にも伝染したもよう。最近の娘たちはもうプリキュアもディズニープリンセスも卒業したとばかりに、アニメ版『妖怪ウォッチ』トークに花を咲かせています。あまりの過熱ぶりに、長女のクラスではついに担任教師から「妖怪ウォッチのゲームの話禁止令」が言い渡されてしまいました。作中に登場する腕時計型アイテムの玩具「DX妖怪ウォッチ」も需要に生産が追いつかず、ちょっとした社会問題に。ネットをよく見る人なら、同製品を入手できなかったママたちが子どものために手作りしたハンドメイド妖怪ウォッチの画像を一度ならず目にしたことがあるのではないでしょうか。また『ドラえもん』が看板だったはずの小学館の学年誌『小学一年生』は、今夏以降すっかり表紙を『妖怪ウォッチ』に乗っ取られてしまっています(バックナンバー一覧参照)。


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未来のロボ猫そっちのけで妖怪猫が表紙を飾る『小学一年生』『小学二年生』最新号。


 親も先生も巻き込むこのムーヴメント、私は一貫して遠巻きに見ていました。「どうせポケモンみたいに妖怪こき使ってバトルさせるとかでしょ? で、勝つと負かした妖怪が子分になって、美少女がチューしてくれるんでしょ? 好きよね男児そういうの~」。しかししつこくせがむ娘たちにおされてYouTubeで「ようかい体操第一」を何度も再生しているうちに、「これはもしかして、ものすごく好感が持てるアニメなのでは……」と思えてきたのです。美少女キャラが真顔でウンコ踊りをしてるし! クレジットを見れば、作詞と振り付けはラッキィ池田。団塊ジュニアが抗えるはずもありません。そこで『妖怪ウォッチ』を全話配信しているHuluで、遅ればせながら娘たちといっしょに見ることにしました。

 第一話では、主人公・ケータの家に居候する猫の妖怪「ジバニャン」がいかにして地縛霊となったかという来歴が紹介されます。生前はアカマルという名を持つ飼い猫だったジバニャンは、飼い主の身代わりとなって車にひかれてしまいます。何度も何度も……。こう書くと悲惨なようですが、描写はあくまでもギャグ。猫の身体が車にぶつかって高くはねあげられるたび、子どもたちはケラケラと声をたてて笑います。このひどさ、この軽やかさ。近年の子ども向けアニメでは珍しいくらいに正しくスラップスティック・コメディです。

 先ほどポケモンを引き合いに出しましたが、すでに多くの人に指摘されているとおり、アニメ版『妖怪ウォッチ』のキャラ構成は『ドラえもん』によく似ており、現代版『ドラえもん』とも言われています。主人公ケータをのび太とするなら、彼の家に居候する猫の妖怪ジバニャンはドラえもん、体の大きいガキ大将のクマはジャイアン、体が小さくおしゃれなカンチはスネ夫、彼らにまじって遊ぶ美少女フミちゃんはしずかちゃん。またケータはのび太と同じく郊外一戸建て核家族の一人っ子です。こうまで似ていると、どうしても『ドラえもん』と比較したくなってしまいます。

 まず、クマもカンチも普通にコミュニケーションがとれるイイ奴です。暴力をふるったり、財力をひけらかしたりということがほとんどありません(妖怪に取り憑かれないかぎり)。ケータのお母さんもガミガミ言わず家族仲は良好で(妖怪に取り憑かれないかぎり)、ケータは母親に家事を頼まれれば素直に手伝いをします。ケータはバランスのとれた健全な男の子で、普通すぎるのが悩みといえば悩み。ジバニャンはケータの庇護役ではなく、対等な友だちで、どちらかというとボケ担当です。フミちゃんは男の子だけではなく、女の子の友だちもいっぱいいるようです。たしかにジャイアンみたいなヴァイオレンス小学生が現代にいたら通報ものですし、いじめのターゲットになるのはのび太ではなく自慢したがりなスネ夫のはずで、のび太は苛立つ母親とともに学習障害のケアを受けることを勧められるでしょうし、しずかちゃんは「オタサーの姫」と呼ばれることでしょう。

 未来への夢がいっぱい詰まっているはずの『ドラえもん』ですが、その世界観は誕生時の社会背景もあって厳しいものです。男性は腕力や財力を誇示してヒエラルキーを形成し、負け組男性は嬲られるほかなく、カワイイ女の子は勝者に与えられるトロフィー兼お色気サービス要員で、ブスはただただ疎まれるばかり。そもそもドラえもんは、のび太の結婚相手をジャイ子からしずかちゃんに変更するために未来から派遣されてきたのでした。しずかちゃんの意志ガン無視です。ああ、なんという残酷な世界なのでしょうか。

 とはいえ、昭和の子どもたちはそんなことは気にも留めていなかったはずです。コミック版『ドラえもん』第一話は、『妖怪ウォッチ』に負けず劣らずブラックなユーモアに満ちていたのですから。ドラえもんの記念すべき第一声は「野比のび太は三十分後に首をつる。四十分後には火あぶりになる」で、あわてふためくのび太に「きみは年を取って死ぬまでろくなめにあわないのだ」と宣告します。その言葉の通りのび太は首吊り状態になりますが、ドラえもんはとくに助けません。未来から来た孫のセワシは「おじいさんはなにをやらせてもだめなんだもの」「だからおとなになってもろくなめにあわないんだ」とこれまたひどい。ジャイ子に向かって「おまえなんかぜったいにもらってやらないからな!」と何様な発言をするのび太もひどいですが、その前のジャイ子発言「やあ首つりだ、ガハハハ」も心なさすぎです。最終的にのび太はタケコプターが外れて地上に転落。なんてひどい。しかし誰も彼も心ないキャラであったからこそ未来のひみつ道具のおもしろさが前面に押し出されたのだし、のび太がギッタギタになろうがジャイ子の扱いがひどかろうが、心痛めることなくゲラゲラ笑うことができたのです。

 ひるがえって現代の『ドラえもん』は、“ドラ泣き”という宣伝コピーが象徴するように、感動と夢と希望に満ちた健全コンテンツ。するとどうしても、「ブスと結婚すると不幸になるから美女と結婚させよう」というドラえもんのミッションの身も蓋もなさが浮き上がって見えます。「彼は人の幸せを喜び、人の不幸を悲しむ事の出来る青年だ」とは、結婚前夜のしずかちゃんに父親がかけた有名なセリフですが、ダメ人間のまま美女を獲得するという無理に整合性を持たせるためとはいえ、「聖なる愚者」扱いには違和感を禁じ得ません。ジャイ子に暴言を吐いたり、「のび太の地底国」で独裁者となってみんなに嫌われたり、ドラえもんに「男は顔じゃないぞ! 中みだぞ!! もっとも、きみは中みもわるいけど……」と言われたのび太くんはいったいどこへ……。そんな心清らかな少年がギッタギタにされている姿は笑えないよ……。

 『妖怪ウォッチ』はかつての『ドラえもん』読者が愛していたブラックさをしっかり備えつつも、昭和的な弱肉強食男社会の凶暴さは影を潜めています。ストーリーは単純で、リモコンがなくなる、おやつを買い食いしてしまう、寝違える、忘れ物をする、お母さんが変な格好で授業参観に来る……などの子ども界にありがちな困りごとが起きるたびに、妖怪が見える「妖怪ウォッチ」を手にしたケータがそれらを引き起こした妖怪を見つけ、解決するというもの。ポケモンと同じ、ゲームという出自からは意外なことでしたが、アニメ版にはほとんどバトル要素はありません。バトルの代わりにケータたちがするのは「説得」です。妖怪の悩みを聞いてあげたり、共感したり、執着が勘違いであることを教え諭したりすることで、妖怪たちは執着から解き放たれて人に取り憑くのをやめ、ケータたちと友だちになるのです。近ごろビジネス界隈で「アサーティブ」(相手の立場を尊重した上で対等に自分の要望や意見を伝えるコミュニケーションの方法論)の有効性がさかんに説かれていますが、小学生にしてケータはアサーティブネスを体得しているといえましょう。そうしたアサーティブ・コミュニケーションの末に妖怪たちから友愛のしるしとしていただくのが名刺……じゃなくて妖怪メダルです。妖怪メダルで召喚された妖怪たちが、他の妖怪の説得に協力することもあります。

 このアサーティブの対極にあるのが、「アグレッシブ(攻撃型)」と「パッシブ(受け身型)」。これまで男の子はアグレッシブであること、女の子はパッシブであることを求められてきました。したがって小学生の頃から男児はヒーローがバトルして勝ち上がるフィクション、女児はヒロインが無垢・無作為ゆえに愛されていい思いをするフィクションに浸るのが常道で、このことが男女間の分断を生んできた感は否めません。しかしながら受験戦争に勝ってもコミュニケーション能力が低ければ高学歴ワープアになりかねないことをかみしめる不況時代の親たちは、男の子に必ずしも競争を強いません。男子が“肉食”を強いられなくなれば、受け身の女の子は取り残されるだけです。代わりにいまの子どもに期待されるのは、適切な自己主張、優しさ、協調性。ケータのふるまいは、現代を生きる男の子にも女の子にも理想的なのです。『小学三年生』以上の学年誌が休刊した際、「男女共通」という刊行形態が小学生世代のニーズに合致しないことが休刊の理由として語られました。そんななかで『妖怪ウォッチ』が珍しく男女分け隔てなく人気を博している秘密の一端は、こんなところにあるのではないでしょうか。

 ちなみに『妖怪ウォッチ』は今時のメディアミックス作品らしく、女児向けメディアにも積極的に展開しています。コミックは少年誌『コロコロコミック』だけではなく、少女誌『ちゃお』でも連載されており、こちらの主人公はフミちゃんに設定されています。


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『オールカラーコミックス妖怪ウォッチ~わくわく☆にゃんだふるデイズ~ Vol.2 2014年 12月号 [雑誌] 』
*『ちゃお』連載のフミちゃん主人公版の単行本第二弾。コマさん&コマじろうのカップケーキのレシピ付き。

 フミちゃん主人公の『オールカラーコミックス妖怪ウォッチ~わくわく☆にゃんだふるデイズ~』は、本家のギャグテイストは踏襲しつつも執事妖怪が爆弾を食べて爆発するようなブラック要素は薄く、代わりにフミちゃんがイケメン妖怪に好かれたりジバニャンたちとお菓子作りをしたりとラブコメ要素が強め。妖怪と女子会を開いて冷え性について語り合うなど、フミちゃんもなかなかのコミュニケーション強者ぶりを発揮しています。しかしながら、我が家の7歳児はコロコロコミック版のほうがおもしろいと言います。「コロコロの妖怪ウォッチのほうがギャグがいっぱいあるし~それに私は女子だけど男子の心も持ってるの」。主人公が女の子ならいいってものでもないらしい。ギャグといえば、クックロビン音頭、『ガラスの仮面』、『孤独のグルメ』、さらには鶴光、『なぜか笑介』といった親世代も忘れていたような小ネタの数々が現代っ子ウケするテンポのよいギャグに生まれ変わっていることもアニメ版の魅力であることは、書き損ねてしまったけれど一応は伝えておきたいところです。男の子も女の子も大人もいっしょに同じものを楽しめる。きっとここから平和の礎が築かれるに違いないのです……きっと。

Grouper - ele-king

 音楽の永遠性とは何か。普遍性ではない。普遍は世界の側に属しているが、永遠は個人の内側にあるのだから。永遠への希求。それは凍結した時間のようなもので、一種の「死」に近い感覚だ。
そして今年発表された音楽には、そのような永遠性を希求するようなアルバムが、とても多いように思える。刹那の情報の層に世界が覆われていく現在だからこそ、音楽は永遠性=タイムレスな感覚を希求しているのだろうか。たとえば、話題沸騰中のアルカ『ゼン』にも、インダストリアル/テクノのアンディ・ストットの新譜『フェイス・イン・ストレンジャーズ』にも、そして今回紹介するグルーパーの新作『ルインズ』にも、そのような凍結された時間=死のようなものを感じる。

 このアルバムにおいてグルーパー=リズ・ハリスは、ピアノと歌による弾き語りを披露している。これまでのようにギター、シンセなどをほとんど用いることなく、4トラック・レコーダー、アップライト・ピアノ、マイクという簡素な楽器や機材で用いて制作されたという。録音は、2011年、ツアーの合間に滞在したポルトガルのアルジェズールにて行われた。そのせいか、このアルバムには、そのときどきの微かな環境音が、あたかも声とピアノとのアンサンブルのように鳴り響いているのだ。鳥の声、水の音、木々の葉。まるで映画のフィルムから聴こえてくるような音の質感。

 言うまでもなくリズ・ハリスはソングライターであると同時に、2010年代的なドローン/アンビエント・アーティストである(そしてザ・バグの『エンジェル&デビル』にも参加した優れたヴォーカリストでもある)。しかし、このアルバムは、冒頭と最終曲以外は、歌とピアノと、簡素な録音機器のみで録音されたものだ。
 むろんよく聴いてみると、声が重ねられている曲もあるし、環境音も編集されている可能性もあるだろう。しかしそれらはひとつの時間の流れとして極めて自然にアルバムに置かれているので、全体の雰囲気は統一され、まるで凍結された時間のような感覚が生まれているのである。その意味で、本作はデモテープ・アルバムなどではない。きちんと構成されたアルバム作品だ。
 事実、リズは、1曲めに、暗闇の中で何かを打つような音のエクスペリメンタルなトラック“メイド・オブ・メタル”を、ラスト8曲めに、2004年に母親宅で録音されたという11分25秒に及ぶドローン/アンビエント・トラック“メイド・オブ・エア”を置くことで、アルバムに円環性を与えている。そんなエクスペリメンタル・トラックに挟まれるように、彼女の声とピアノ(そして微かな環境音)だけによる曲が収録されているのだ。

 これらの曲は、まずもってメロディが素晴らしい。2曲めのキャロル・キングのような“クリアリング”から3曲めのジョン・レノン・ソロ曲のような“コール・アクロス・ルームス”へ。この流れは完璧だ。特に後者の滴のようにはかないメロディの素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。つづいてインスト・ピアノ曲の“レディリンス”。その瀟洒なミニマリズムは、巷のポストクラシカルを軽々と超えている。そして曲の終わりに唐突に鳴るビープ音。その音はノイズだが、まるでこの曲の、この瞬間に必要な音としてそこに鳴り響いているのだ。“ライトハウス”では蛙の声、自然音、雫のようなピアノ、ささやくような歌声がシルクの層のように重なっていく。メロディは“レディリンス”の変奏だろうか。耳を澄ますと、蛙の音などの環境音は彼女の声とピアノの後ろに鳴り続け、まるで演奏=アンサンブルをしているようにも聴こえる。天国のような平穏と美。曲はまたも環境音で終わり、掃除機でもいれるようなカタっという音がして、“ホロフェルネス”にシームレスに繋がる。この曲も1分33秒のインスト曲だ。ビートルズの“ビコーズ”のイントロのような曲。
 そして7曲め“ホールディング”は7分57秒におよぶヴォーカル曲である。澄んだミニマルなフレーズのピアノに、透明な歌声。構造的にはミニマルな楽曲だが、フローティングする感覚を保持しながら波打つように演奏されるので、まるで空気の流れのように旋律と和声が反復していくのだ(ロバート・ワイアットにカバーしてほしかった)。終盤直前に鳴る雷と雨の音。音楽はそこでいったん途切れ、やがてピアノの数音。そして本作唯一のアンビエント・トラック“メイド・オブ・エア”へと繋がる。淡いシンセ音がミニマルに鳴り響き、やがて記憶が空気の層に消失する……。見事なアルバム構成だと思う。

 このアルバムははじめと終わりの2曲以外は、すべてピアノとヴォーカルによるシンプルな編成の曲だ。しかし、私にはこれまでのグルーパーのアルバム以上に、フライジャイルなアンビエント感覚があるように思えた。これは歌とピアノのよる究極のアンビエント・ミュージックである。そして、アンビエントは記憶に作用する。ノスタルジアの生成。本盤は記憶=ノスタルジアの中に永遠性を凍結したような作品だ。凍結された永遠とは、ほとんど「死」と同義である。だが、それこそ音楽とはいえないか。

 思えば、2013年にグルーパーがリリースしたアルバムの名は『ザ・マン・デッド・イン・ヒズ・ボート』というタイトルであった。記憶の中の死。そして、このアルバムの名は『ルインズ』。つまり廃墟だ。廃墟とは記憶の痕跡であり結晶である。痕跡。結晶。凍結。死。彼女の音楽は、いつもそのような場所から鳴り響いている。そう、時間を越えている場所からの音楽。つまりタイムレス・ミュージックだ。

「沼牧場」 - ele-king

 いや、ホント、かったるい世の中ですね。それじゃま、パーティに行ってナマで踊りましょうってことで、今月の28日金曜日、代官山ユニットで、おもろいパーティがあるので紹介します。その名も「濡れ牧場」。COMPUMA、Dr.NISHIMURA、AWANOの3人による沼人パーティ「悪魔の沼」とCMT、Universal Indiann、Shhhhhの3人による放牧パーティ「濡れ牧場」との合同パーティということです。バカバカしくて、ナイスなネーミングです。ライヴにはヘア・スタイリスティックスこと中原昌也します。フライヤー持って行くと1500円で、気軽に入れるところも良いです。FOODコーナーもあるようなので、月末金曜日は、代官山で踊ろう。私も紙エレの入稿が終えていたら行って、自分を解放したいっす。

2014.11.28.fri
代官山UNICE
open:23:00
entrance:2000yen / 1500yen(w/flyer)

濡れ牧場
(C魔T・Uni魔ersal Indiann・S魔魔魔魔魔)
悪魔の沼:
(COMPU魔・Dr.NISHI魔RA・A魔NO)

LIVE:ヘ魔・スタイリスティックス

OtOdashi Sound System
supported by BLACK SHEEP

「沼牧場」

濡れ牧場
CMT、Universal Indiann、Shhhhhが2002,3年頃から東高円寺GRASSROOTS 平日に開催していた"放牧"会。やるなら平均12時間。本人たちもその存在を忘れた頃にたまに開催される。

悪魔の沼
2008年結成。現在のレジデントである沼クルー(沼人)は、COMPU魔、Dr.NISHI魔RA、A魔NOの3人。 東京・下北沢MOREの沼に生息。 活動は不定期ながらおよそ季節ごとの開催を目指している。これまでに、E魔C魔D、瀧魔憲司、二魔裕志、MOOD魔N、 魔ltz、魔DRINK、Toshi魔-BING-Kaji魔ra、テーリ・テ魔リッツ、小魔林 径、2魔ng(一★狂/国際ボーイズ)、C魔H魔E魔E、C×魔×Tなど、多彩なDJやアーチスト達が独自の沼を演出してきた。 2014年3月に、BLACK SMOKER RECORDSより3作目のMIXCD『涅槃 -Nirva魔-』をリリースした。

HAIR STYLISTICS(中原昌也)
1970年東京都生まれ。88年頃よりMTRやサンプラーを用いて音楽制作を開始。90年、アメリカのインディペンデントレーベルから「暴力温泉芸者=Violent Onsen Geisha」名義でスプリットLPをリリース。ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンらの来日公演でオープニング・アクトに指名され、95年のアメリカ・ツアーを始め海外公演を重ねるなど、日本以外での評価も高い。97年からユニット名を「Hair Stylistics」に改め活動。映画評論、作家など多岐にわたる活動でも知られる。2013年にはdisques cordeより初の全編ビートアルバム「Dynamic Hate」をリリース。数多くの作品のリリース、ライヴなど精力的な活動が続いている。


Sote - ele-king

 昨年、イランで1日だけSNSが使えるようになった日があり、その翌日には政府が公式には解禁を否定するという報道があった。穏健派のロウハニがSNSを使えるようにすることで何が起きるかテストをしたのだろうという希望的な見解が大勢を占め、このところ観光客が激増しているイランの開放路線にさらなる期待を寄せるという欲望がそれには先立っているように感じられた。ロウハニはたしかに国際平和にとって希望の星だとは思いたい。しかし、映画界を見れば、いまだにマルジャン・サトラビもバフマン・ゴバディも国外逃亡の状態が続いている。庶民的な家族像を描くマジッド・マジディが悪い監督だとは言わないけれど、『オフサイド・ガールズ』(2006)を撮ったために20年間の映画製作禁止を言い渡されたジャファール・パナヒの例といい、イランがSNSを解禁したところで、政府に不都合なことを書き込み、500回以上RTされたら逮捕されるとした中国(最初の逮捕者は中学生だったとか)と大してちがうことにはならないだろうと思えてしまい、こういうことがいわゆる朗報には感じられない。安倍の「洗脳」もネトウヨの「自虐史観」もつまるところは批評行為を許さないということにしか行き着かないし、レイラやドクター・アトモといったイラン系の音楽家からその背後にある文化に興味を持つようになった身としては、このように興味深い映画が片端から潰されていく事態はやはり受け入れがたい。

 テクノには基本的には言葉がないからか、同じくイランの首都テヘランで生まれ、〈ワープ〉からソートの名義で『エレクトリック・デフ』(2002)をリリースしたアタ・エブテカールは一時期ベルリンに居住し、現在はテヘランとサンフランシスコを自在に往復しながら活動を続けているミュージシャンである。もともとはドクター・アトモと同じく90年代にジャーマン・トランスが音楽の入り口となったようで、ドラムン・ベースのミュージシャンに何例かあったとおり、途中でイスラム圏にある祖国に戻り、その後は伝統音楽とテクノの融合を試みるひとりとなっていく。じつはアラベスク模様がキレイだなと思って手に取った『オーナメンタル(Ornamental)』(2009)の作者がソートと同一人物だということを後になってから知り、彼がそれ以前にもイランの電子音楽の歴史を振り返った『ペルシアン・エレクトロニック・ミュージック イエスタデイ・アンド・トゥデイ 1966 - 2006』(2007)のような作品にも手を出していたことにも気づいたのだけれど、それらがどこに向かおうとしているのかはよくわからなかった。あるいはソートで展開していたドラムン・ベースとの距離はどんどん広がる一方で、先に「融合」とは書いたけれど、もしかして伝統に呑み込まれていくだけでは……という訝しみも生まれていた。少なくとも彼がアタ・エブテカールの名義を使うときはそのように感じていた。

 そして、7年ぶりにソートの名義である。レーベルもモーフォシスの〈モーフィーン〉とくれば、さらに期待は高まる。モーフォシスはレバノン出身のDJで90年代からおもにドイツやイタリーで活動をつづけ、アンソニー・シェイカーやチャールズ・コーヘン、メタスプライスやコンティナー(また出た!)といった曲者のリリース群だけでなく、自分でトラックを作りはじめたら、これも大絶賛という、いまや波に乗りまくった存在である(『ele-king vol.14』p.71)。この波にまさかソートが加わるとは思っても見なかった。アルバム・タイトルは『知識体系』。そして、全7曲がまさしく〈ワープ〉で展開していたドラムン・ベースとイランの伝統音楽から持ち帰ってきたような神秘性の融合、あるいはダイナミックなドラミングから一転してアンビエンスへと翻る柔軟性と、どこを取ってもワールド・ダンス・ミュージックのフロントラインと呼べる独創性を感じさせる。しかも、これまで彼がつくってきた作品のなかではダントツに気持ちがよく、イラン政府が禁じたくなるような快楽性に満ち満ちている。そう、映画監督たちが外側から食い破れなかった政治体制をもしかしたら内側から食い破ってしまうかもしれない可能性を感じさせるのである。“リル”や“ボリデ”といったファニーな曲がそれこそイランのイメージを変えていったらおもしろおもしろいのに。

TodaysArt - ele-king

 今月22日から24日の3連休。天王洲アイルの寺⽥田倉庫の施設にて、オランダ生まれの──アート・テクノロジー・音楽のフリー・フェスティヴァル「TodaysArt.jp Edition Zero 2014」が開催される! フリー・フェスなので、入場料はない。
 詳細はホームページを参照していただくとして、このフェスにおいて、なんと、URによるタイムライン・プロジェクトがライヴを演奏するから困ったものである。困るというのは、はっきり言って、この時期、仕事の忙しさが最高潮を極めているからだ。なんでこんな時期に!! というのは、個人的な事情に過ぎずに、よい子のみなさんは、久しぶりにタイムライン来日、親分の来日でもあり、しかも今回はチケット無料、見に行きたければ、このページから申し込めば良いという神戸のUNDERGROUND GALLERYの石崎さんの粋な企画でもある。
 2014年は、ジェフ・ミルズが若い世代のなかで完全に再燃して、ことX-102の“タイタン”がベース世代のなかで再評価されるという年でもあり、きっといま、タイムラインを聴きたい人は、若い世代にも多いはず。早く、チケット申し込んだ方が良いよ。


TodaysArt.jp Edition Zero 2014
@天王洲アイル 寺田倉庫関連施設(東京都品川区東品川)
2014年年11月22日(土)~2014年年11月24日(月・祝)
https://www.todaysart.jp/

Veronique Vincent & Aksak Maboul - ele-king

 夏頃だろうか。突然、アクサク・マブールの新作が出る! なんて噂を耳にしてそわそわしてしまったのだけど、それがヴェロニク・ヴィンセント(元ハネムーン・キラーズの紅一点ヴォーカル)&アクサク・マブール名義のものと知り、「……ていうか、これってアクサク・マブールというよりもハネムーン・キラーズでしょう?」と考えこんでみたのもつかの間、名義の後ろにしっかり「with ザ・ハネムーン・キラーズ」と書かれていて納得。そもそも、アクサク・マブールの頭脳であり〈クラムド・ディスク〉首謀者でもあるマーク・ホランダーは、同時にハネムーン・キラーズのメンバーでもあるんだから、そんなことはどうでもいいのだ。そして、内容のほうはというと、新録ではなく1980〜83年に録音されていたもので、本来ならアクサク・マブールの3枚めとしてリリースされる予定だったはずが、何がどうしたのやら完成を待たずにお蔵入りになってしまったブツで、30年越しに陽の目をみるというんだからもう……おもしろくないなんて言わないよぜったい!

 出身はベルギーなのに、母がポーランド人、父がドイツ人。生まれがスイスで幼少期をイスラエルで過ごす、というホランダーの特殊な生い立ちが影響しているとしか思えないキッチュでストレンジでプログレッシヴなコスモポリタン・ポップが炸裂するファースト『偏頭痛のための11のダンス療法』(1977)。フレッド・フリス、クリス・カトラー、カトリーヌ・ジョニオーらレコメン系の精鋭たちとの必然的出会いが産み落としたチェンバー・ロックの最高峰であるセカンド『無頼の徒』(1980)──NWWリストにも掲載されていて、いまや泣く子も黙るアヴァンギャルド古典2枚を残して消滅したアクサク・マブールのその後を知るにはうれしすぎる作品が世に出たわけだが、これがじつに肩ひじ張らないゆかいつ〜かいエレポップな仕上がりでびっくり!

 トレードマークともいえる、ぽんつくぽんつく拍子を刻むリズム・ボックスを土台に、光輝くエキゾチックなシンセ/キーボードのフレーズが次から次へと飛び出し、まるでテクノ歌謡のごときノスタルジアにかられるかと思いきや、東西ヨーロッパを横断するオリエンタル急行のようにパンクでロマンチックな疾走感をもったナンバーがピコピコ駆け抜ける。しかも、ホランダーによるヘンテコなアレンジが随所に仕掛けられているので、ドタバタ蛇行しながら全力疾走を強いられたりして異様にスリリングなのだ。ホランダーと同じくアクサク・マブールの創設メンバーであり、ハネムーン・キラーズにも在籍していたヴィンセント・ケニスやファミリー・フォッダーのアリグ・フォッダーらが参加しているのもうれしいけど、やっぱり結局のところ、そこにホランダーの妻でありモデルでもあるヴェロニク嬢のフレンチロリータ風イエイエ・コケティッシュ・ヴォーカルがのるんだからたまらない。エレガントなくせに舌ったらずで憎いぜこのヤロー! 聞き惚れるぜこんチキショー!!

 楽曲のどれもがダンサブルでキヤッチーなフックをあわせもち、さらにヴェロニク・ヴィンセントの存在感ありまくりのヴォーカルがフィーチャーされているがゆえに、ハネムーン・キラーズ寄りの作風に思われるこの作品。しかし、チャルメラ風のシンセリフ、トロピカルなギター、奇妙なダブ処理のほか、アコーディオン、クラリネット、シロフォン、サックスなどの音も聞こえてきたりして、一曲のなかにさまざまなアイデアを放りこんで巧みに楽しむワケのわからなさはアクサク・マブールの実験室内楽そのもの。ボーナス・トラックに収録された、一段上のレベルをいく異様にエネルギッシュなライヴ演奏を聴いてほしい。いまの耳で聴いても辺境最先端をいく、緻密にして野蛮でエスプリの効いたあざやかなグルーヴが魔法のように紡がれて──そこにはるか昔という感慨はない──まるで、ついさっきの出来事のようなけざやかさに度肝をぬかれてブチのめされるはずだ。

 それぞれ小説家と音楽評論家として活躍する同学年のふたりが、おもに70~80年代のロック、ポップス、歌謡曲までを語り明かす、紙『ele-king』の同名人気連載がついに単行本化! 音楽論にして文学論であるばかりか、時代論で人生論。他の記事とは圧倒的に流れる時間の異なるこのゆったり対談は、このスピードでしか拾えない宝物のような言葉と発見とにあふれています。毎度紙幅の都合で泣く泣くカットする部分もありますが、本書はそんな部分もばっちり収録のディレクターズカット版。保坂氏ゆかりの山梨での出張対談を含め、8時間におよぶ追加対談を含めた充実の内容。
このふたりにしか出せないグルーヴを堪能してください!

大学生になったらジャズ聴かなきゃみたいなのがあって(笑)、偶然75年だか76年だかにギル・エヴァンスが来日して── (保坂)

俺、ずっと大瀧(詠一)さんのラジオ番組にハガキを出していたんだよね。 (湯浅)

■『音楽談義 Music Conversations』

保坂和志、湯浅学 著

ISBN 978-4-907276-19-5

発売日:2014年11月28日(金)

価格:本体1,800円+税(予定)

仕様:四六判、ソフトカバー、全256頁

レコードへの偏愛を語り、風景が立ち上がる。
小説家、保坂和志。音楽評論家、湯浅学。同学年のふたりが語るフォーク、ロック、ジャズ。音楽メディアでも文芸誌でも絶対に読めない、自由奔放な音楽談義!

保坂和志82年最初期原稿(雑誌「サーフィンライフ」誌掲載)もお蔵出し!
村上春樹『羊をめぐる冒険』の書評も!?

 保坂和志──小説家。1956年10月15日山梨県生まれ。
 湯浅学──音楽評論家。1957年1月4日神奈川県生まれ。
 同学年のふたりは、のちに保坂氏が鎌倉に移ることで同じ時代にそう遠くない場所で育つことになります。

「音楽がいどろる人の世を考える」

 小説と音楽批評、それぞれのフィールドで独自の歩みを進めてきたふたりの対話は、するどい音楽論であるとともに書くことを考える文学論であるばかりか、音楽の背後に覗くものを語る、時代論、人生論の様相を帯びてきます。

 本書は雑誌『ele-king』に好評連載中の同名タイトル対談をベースにして、掲載時に紙幅の都合で割愛せざるをえなかった部分を大幅に増補し、さらに本書のための特別対談を収録したディレクターズ・カット版にして決定版。

 中学生だった70年代のフォーク・ブーム、そしてロックと出会いジャズに耳を傾けた十代後半から現在まで、大瀧詠一もいればギル・エヴァンスもいる、ボブ・ディランに頭をひねるのみならず、ラジオやレコードのへ偏愛を述べ、語りのなかで当時の風景をたちあげる、音楽誌や文芸誌では絶対読めない対話の数々。
 枠のない音楽のように自由な、それでいながら底流にはしっかりした共有の視座をもつ自由奔放な音楽談義をたっぷりお送りします。

 その他、保坂さんゆかりの山梨での出張対談や、オクラ出し記事なども加え、このふたりにしか出せないグルーヴを堪能できる一冊になりました!
 師走の慌ただしさをしばし忘れ、または新年をゆっくりと過ごすかたわらに、本書『音楽談義 Music Conversations』を。

▼著者略歴

保坂和志(ほさか・かずし)
1956年山梨県生まれ。90年『プレーンソング』でデビュー。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年『この人の閾(いき)』で芥川賞、97年『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、平林たい子文学賞を受賞。著書に『カンバセーション・ピース』『小説修業』(小島信夫との共著)『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』『小説、世界の奏でる音楽』『カフカ式練習帳』『考える練習』など。2013年『未明の闘争』で野間文芸賞受賞。近刊に『朝露通信』。

湯浅学(ゆあさ・まなぶ)
1957年神奈川県生まれ。著書に『音海』『音山』『人情山脈の逆襲』『嗚呼、名盤』『あなのかなたに』『音楽が降りてくる』『音楽を迎えにゆく』『アナログ・ミステリー・ツアー 世界のビートルズ1962-1966』『~1967-1970』『ボブ・ディラン ロックの精霊』(岩波新書)など。「幻の名盤解放同盟」常務。バンド「湯浅湾」リーダーとして『港』『砂潮』など。近刊に『ミュージック・マガジン』誌の連載をまとめた『てなもんやSUN RA伝 音盤でたどる土星から来たジャズ偉人の歩み』(ele-king books)がある。


Scott Walker + Sunn O))) - ele-king

SCOTTO))) なる筋書き
Side:Sunn O)))倉本諒

 今年の春頃に「SCOTTO)))」とロゴのみのヴァイラル効果を狙ったウェブ・ページが〈4AD〉から表れ、音楽メディアを騒がせた。サンによる毎度スキャンダラスなコラボレーションは今回も大きな波紋を呼ぶのだろうか?
 その時どきの時代性を射抜く先駆的なコラボレーションを企ててきたサンは、もちろんドローン・メタル/パワー・アンビエントのバンドであるわけだが、僕はそれ以上に彼らをある種のカルチャー・ムーヴメントの立役者として捉えてきた。

 ヘヴィ、またはラウドと呼ばれるような音作りにおいて、その筋から絶大な信頼がおかれているアンプ──サン(sunn)だ──によって壁を築き、そのいまはなきメーカー・ロゴをそのままバンド名に冠し、カルトな垂れ流しドローン・ロック・バンド、アースへのトリビュートを謳うパロディ・バンドであったサン。彼らをはじめてコンテンポラリーな存在に仕立てたのは、2003年に発表したアルバム『White 1』でのジュリアン・コープとのコラボレーションだ。
 バーニング・ウィッチ(Burning Witch)、ソーズ・ハンマー(Thorr's Hammer)等で、ひったすらに重い、遅いメタルやハードコアを追求してきたスティーヴン・オマリーとグレッグ・アンダーソンがたどりついた、「スピードは死に、それでも地を這うメタル・リフとフィードバッグが延々とアンプから垂れ流される」という境地をカンテラの明かりで照らすようなジュリアンの朗読が冴える“マイ・ウォール”はいまも秀逸な響きを放っている。

 今回のスコット・ウォーカーとのコラボレーション『サウスト』を聴きながら、これまでのサンのコラボレーションに思いをめぐらせ、10年以上も前のジュリアンとの曲を振り返り見えてくるバンドの原点、それは舞台装置としてのサンだ。

 圧倒的な数のヴィンテージ真空管アンプとスピーカーの壁から放射される、まさに振動としての音波、やりすぎなスモーク、全身に纏うローブ、ギター・ミュージックの究極形にあるアンビエント化したロック・サウンド。舞台装置としてのサンのコンセプトは完成されている。それは文字通りショウとしての、エンターテイメント/見世物としてのロック史の、黒いパロディのようでもある。
 今回その舞台で披露された演目は、スコットとの、さながら『ファントム・オブ・パラダイス』のような悪夢のロック・オペラだ。フランスの舞台演出/美術家、『こうしておまえは消え去る』のジゼル・ヴィエンヌによるビデオ・クリップも発表され、ゴシックな舞台を彩っている。そもそもスティーヴンとピタによるKTLは当初ジゼルの演劇作品『キンダートーテンライダー(Kindertotenlieder)』の舞台音楽としてキャリアをスタートさせているわけだし、どうにも彼らはこういう方向性に強いようだ。
 10年以上前の“マイ・ウォール”でジュリアンがスティーヴンとグレッグの紹介を読み上げるセリフから、今回のスコットとのコラボレーションまでが、サンによる壮大なバンド活動計画の脚本のうち、とすら思われてしまうほど説得力を感じてしまう。

 過去のさまざまなアーティストたちとのコラボレーション同様、この作品が音楽のみならず、映画やファッション、現代美術など異なるフィールドを振動させてくれるのが楽しみである。

倉本諒

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ホラーと笑いのロック・オペラ
Side:Scott Walkerブレイディみかこ

 お。ポップになったじゃん。
 という表現が適切かどうかは不明だが、サンO )))と組んで聴きやすくなるアーティストというのもスコット・ウォーカー以外にそうはいないだろう。
 異色のコラボと言われるが、UKでは「すごくわかる組み合わせ」「もう音が想像できる」みたいなことが何カ月も前から言われてきた。思えば、スコットの前作『ビッシュ・ボッシュ』にもへヴィでオカルトなメタルっぽい音色はあったし、でも肉切り包丁を擦り合わせてきーきー言わせてた音がギターの音に変わったのだから、それはやはりポップになったのだ。が、だからと言ってスコット・ウォーカーとサンO )))のコラボに、ルー・リードとメタリカの『Lulu』のようなものを期待してはいけない。本作に比べれば『Lulu』はワン・ダイレクションのベスト盤のようなものである。
 わたしはだいたい音楽と名のつくものは何でも好きだが、一つだけどうしても駄目なのがメタルであり、のべつ幕無しギャーギャーわめくものが嫌い。という性格的なものだろうが、サンO)))の場合はわめくというより、唸ったり轟いたり歯ぎしりしたりという幅広い表現を追求しているのでスコットの声とは絶妙に合う。60年代には低音の魅力で売ったスコットも、前衛音楽に移行してからは妙な緊迫感のあるテノールを前面に出しており、本作は冒頭からまさにロック・オペラのようだ。
 スコットの音楽は映画的とも言われるが、たとえば、彼の『ティルト』以降のアルバムがタルコフスキー的だとすれば、本作はケン・ラッセルのロック・オペラ『トミー』だ。あれももともとはザ・フーのアルバムだったのに、ケン・ラッセルが映画化した途端にイロモノになったというか変なことになったが、スコット・ウォーカーもサンO)))と組んだ途端に変なことになった。ここでの彼は難解で崇高な芸術家ではなく、いい感じに力が抜けてイロモノ化している。

 歌詞にもそれは表れている。ああ見えて彼は以前からこっそり歌詞で笑わせることで知られていたが、『サウスト』ではそれが炸裂している。‟ブル”のソニック・ホラー風の緊迫した曲調でいきなり「leapin’ like a river dancer’s nuts(リバー・ダンスの踊り手の睾丸のように跳ね回っている)」などと歌われると、ぴょんぴょん跳ねながらアイリッシュ・ダンスを踊っている白タイツの男性を想像して吹きそうになったのはわたしだけではないだろうし、マーロン・ブランドが題材という‟バンド”でバシッ、バシッと鞭のパーカッションを使いながら「A beating will do me a world of good(ぶってくれたらとても僕のためになるのだけれど)」と劇的に歌い上げるのもナイスである。スコットは2008年にサンO)))からコラボの申し入れがあったときには断ったが、しっかりそれを覚えていてコラボ用の曲を書き溜めていたというのだから、きっとやりたくてウズウズしていたんだろう。

 2012年の『ビッシュ・ボッシュ』のレヴューを読み返していて、「スコット・ウォーカーはコードとディスコードの間にあるもやもやとした部分を追求している。この未知の領域は人間を不安にさせる。この不安に比べると、恐怖はまだいい。ポップだからだ」と自分で書いていたことに気づいたが、まさに『サウスト』の彼は、さらなる「不安」の探究を休み、よりポップな「恐怖」をやっているように思える。きっと彼はサンO)))という、それを形にする最高のパートナーを見つけたのだ。

 こうなってくると、気になることがある。それは、デヴィッド・ボウイやブライアン・イーノを羨望させたレジェンドが、このノリでつるっとステージに立ったりするのではないかということだ。そういうことを期待させるぐらい、本作のスコットは弾けている。そしてタルコフスキーよりケン・ラッセルのほうが100倍ぐらい好きなわたしにとり、本作は今年もっともチャーミングなアルバムだったと言ってもいいほど怖くておかしい。

ブレイディみかこ

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