「S」と一致するもの

まだまだGW圏内!
いま公開中、もしくはもうすぐ公開の注目映画をいくつかご紹介いたします。


© Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012
アクト・オブ・キリング
監督/ジョシュア・オッペンハイマー
配給/トランスフォーマー
シアター・イメージフォーラム 他にて、全国公開中。

 ドキュメンタリー映画としては……いや、ミニシアター系のなかでも、異例の動員となっているらしい。本作については水越真紀さんと紙エレキングで対談したのでそちらをご参照いただきたいが、そこに改めて付け加えるとすれば、やはりこれだけ世界的にも評価された上に多くの映画好きの心を掴んだのは、これが非常に含みのある、映画についての映画となっているからだろう。すなわち、映画はどういうところで生まれるのか、どうしてわたしたちは映画を観ることを欲望するのか? 幸運なことに僕は監督にインタヴューする機会に恵まれたのだが、そこで尋ねるとこんな風に答えてくれた。「映画というのは、現代でもっともストーリーテリングに長けたメディアです。この映画では、人間が自分を説得するためにどのように“物語るか”ということに関心がありました。インドネシア政権も、嘘の歴史を“物語って”いるわけですから」。『アクト・オブ・キリング』は、虐殺の加害者たちが自分たちの過去を自慢げに“物語る”様をわたしたちが「観たい、知りたい」と思う欲望を言い当てているのである。つまり、それが映画の罪深さであり、同時に可能性であるのだと。わたしたちはその欲望を入り口としながらも、思わぬ領域までこの「映画」で連れて行かれる。
 この映画で何かが具体的に解決するわけではないが、政治的であると同時に優れてアート的で示唆的だという点で、歴史に残る一本となるだろう。ヒットを受けて、都心部以外の上映も次々と決まっている。ぜひ目撃してほしい。

予告編


©2013 AKSON STUDIO SP. Z O.O., CANAL+CYFROWY SP. Z O.O., NARODOWE CENTRUM KULTURY, TELEKOMUNIKACJA POLSKA S.A., TELEWIZJA POLSKA S.A. ALL RIGHTS RESERVED
ワレサ 連帯の男
監督/アンジェイ・ワイダ
出演/ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ、アグニェシュカ・グロホフスカ 他
配給/アルバトロス・フィルム
岩波ホール 他にて、全国公開中。

 もし10代、20代に「いま上映している映画で何を観ればいいか」と問われれば、僕はこれを推薦したい。ポーランドの超大御所、アンジェイ・ワイダによる〈連帯〉のレフ・ワレサ(正しい発音はヴァウェンサ)の伝記映画……というと、堅苦しいものが想像されるかもしれないが、これが非常に熱い一本となっているのは嬉しい驚きだ。政治的にはワレサと袂を分かったらしいワイダ監督だが、ここでは彼の歴史的な功績を描くことに集中しており、彼の傲慢さも含めてエネルギッシュな人物像が魅力的に立ち上がっている。本作ではイタリア人女性ジャーナリストによるワレサへの有名なインタヴューが軸になっているのだが、そこでふたりがタバコをスパスパ吸いながら遠慮なくやり合う様など、どうにも痛快だ。高揚感のある政治映画はある意味では危険だが、そこはワイダ監督なので労働者……民衆を中心に置くことに迷いはない。そして80年代のポーランド語のロックとパンクがかかり、ワレサのダブルピースが掲げられる。かつての理想主義、そして政治参加という意味で、スピルバーグの『リンカーン』と併せて観たいところ。 



© 2013 UNIVERSAL STUDIOS
ワールズ・エンド
酔っぱらいが世界を救う!

監督/エドガー・ライト
出演/サイモン・ペッグ、ニック・フロスト 他 
配給/シンカ、パルコ
渋谷シネクイント 他にて、全国公開中。

 サブカル好きにもファンが多い、『ショーン・オブ・ザ・デッド』、『ホット・ファズ』チームによる新作。高校時代は輝いていたが中年になって落ちぶれた主人公が幼なじみを地元に集め、かつて達成できなかった12軒のパブのハシゴ酒に挑戦するが、町はエイリアンに支配されていて……というB級コメディ・アクション、そしてどこまでも野郎ノリなのはこれまで同様。そこに無条件に盛り上がるひとも多いみたいだけれど、僕はこの「(男は)いつまでもガキ」な感じに完全に乗ることはできないし、プライマル・スクリームの“ローデッド”ではじめるオープニングもちょっとベタすぎると思う。が、書けないけどラストである反転が用意されていて、それは本当に感心した。マイノリティというのはべつに、「人数が少ない」ことではないし、また「虐げられた同情すべきひとたち」でもない。それは選び取る立場なのだ……という決意。その1点において、僕はこの映画を支持する。イギリスの音楽もいろいろかかります。

予告編


© 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS
アデル、ブルーは熱い色
監督/アブデラティフ・ケシシュ
出演/アデル・エグザルコプロス、レア・セドゥ 他
配給/コムストック・グループ
ヒューマントラストシネマ有楽町 他にて、全国公開中。

 90年代のサブカル系少女マンガと近い感覚を指摘するひともいてたしかにそうなんだけど、フランス映画らしくバックグラウンドにはっきりと社会が描かれていることは見落としてはならないだろう。あるふたりの女同士のカップル(「レズビアン」であることを強調はしない)の蜜月と別れを3時間に渡って辛抱強く描くのだが、それぞれが属する異なる社会的階層がその土台にある。美学生のエマはアーティストである種のエリートだが、主人公のアデルは一種の社会奉仕的な立場としての教師という職業に身を捧げていく。ある苛烈な愛を描きながらも、そこからむしろ離れたところで使命を見出していくひとりの若い女性の感動的な歩みを映している。それぞれの立場を無効にするのが激しいラヴ・シーンなんだろうけど、それが過度にスキャンダラスなまでに絵画的に美しく描かれているかどうかは、正直判断しがたい。が、それ以上にラスト・カットのアデルの歩き去る姿、それこそがこの映画の芯だと僕は感じた。その瞬間のための3時間だと。

予告編


Photograph by Jessica Miglio © 2013 Gravier Productions, Inc.
ブルージャスミン
監督/ウディ・アレン
出演/ケイト・ブランシェット、サリー・ホーキンス、アレック・ボールドウィン 他
配給/ロングライド
5月10日(土)より、新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ 他にて全国公開。

 ここのところヨーロッパで軽妙なラヴコメを撮っていた印象のウディ・アレンだが、これもまた彼のシニカルさの純度を研ぎ澄ましたという意味で、あまりに「らしい」一本。いや、『それでも恋するバルセロナ』(08)辺りと比べても、あの最後のカットの虚しさを引き伸ばしたものだとも言えるだろう。セレブ暮らしだった女がその虚栄心ゆえに落ちぶれていく様を、ただただ「まあ人間こんなもんだよ」という認識であっさり描いているのだが、それでもケイト・ブランシェットのエレガントな壊れ方はパフォーマンスとして優れている(相変わらず発話が素晴らしい)。それを肯定も否定もせず、そこに「在るもの」として簡潔に見せてしまうために彼女の力が必要だったのだろう。80歳目前のアレンのこの冷めた見解にはある意味呆然とするが、しかしある種の救いを今後の彼の作品に期待するのも見当違いなのかもしれない。

予告編

Damon Albarn - ele-king

 このCDのジャケットを見て、「サッド・キアヌ」(邦訳:ぼっちキアヌ)を連想したのはわたしだけだろうか。ここでわたしが言及しているのは、元祖の、フィギュアにもなったあの有名なキアヌ・リーヴスのぼっち姿である。
 さらに、背景の色がまたふるっている。英国の空の色は、一般に「灰色」と表現されるし、わたしも頻繁にその表現を使うが、実際には違う。「濡れた脱脂綿の色」と表現したのは詩人でも作家でもなくダンプ運転手のうちの連れ合いだが、たしかに英国の空はいつも白々としている。
 しかし、なんでデーモンが英国の空の片隅でぼっちキアヌになってんだろう。
 ということが気になり、どうしても気になってつい買ってしまった。

                ******

 ブラー、ゴリラズ、The Good、the Bad & the Queen、Rocket Juice & the Moonなどでの活動の加え、2本の映画音楽と2作のオペラ音楽を手がけ、アフリカで現地のミュージシャンたちとセッションし、現代音楽の作曲家とも積極的にコラボして……という彼のキャリアを見ていると、プロリフィックという言葉はこの人のためにあるようだ。昔はオアシスVSブラーなんて構図がタブロイドを騒がせた時代もあったのだが、ショービズ界のご意見番になったノエル・ギャラガーとは対照的に、デーモンはひたすら音楽を探究して来た印象がある。様々な分野の音楽を交合させるデーモンはハイブリッド・フェチでもあるが、それもそのはず、ブリットポップと“パークライフ”のデーモンは、実はこのパンクばばあと同世代だ。ポストパンク期に思春期を送った人間がハイブリッドに拘泥するのはよくわかる。

 にわかには信じがたいが、本作は彼が本人名義で出す初めてのソロ・アルバムだという。いったいどんな斬新な音が聞けることやら。と思っていると、ジャケットのヴィジュアル同様、サウンドも余白が多かった。花火が見れるかと思ってたら、アロマキャンドルが窓辺に立っていた。という感じ。メランコリックでミニマルでスリーピーだが、この眠気は夜の闇の中で襲われる睡魔ではない。白い朝の空の下でまどろんでいるような音だ。The XXがブライアン・イーノの『ラヴリー・ボーンズ』のサウンドトラックをアレンジして演奏していたら、「いや、それ僕らのほうがうまくやれるかも」とAlt-J(https://www.ele-king.net/review/album/002624/)が出て来たような感じ。と言えばいいのか。コンテンポラリーといえばコンテンポラリーだが、意図的に力を抜いたムードで先鋭的ではない。

 デーモン本人はこのアルバムの音について、「空っぽのクラブで聞こえる音」と語っている。自伝的な作品だと発言していることを鑑みれば、それは開店前のクラブのことなんだろうか。「ソロというのは、あまりに孤独」と本人は言っているが、しかしこのクラブは完全に空っぽというわけではない。Bat For Lashesのナターシャ・カーンやブライアン・イーノも彼と一緒に踊っている。そこら辺も、ハイブリッド・フェチであると同時にコラボ・フェチでもあるデーモンらしいところだ。彼はいろんな意味でソロにはなり切れないアーティストなんだろう。

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 「ぼっちキアヌ」は、ハリウッド俳優が浮浪者風の気の抜けたファッションで公園に座っていたことで話題になったが、「ぼっちデーモン」はいかにもミドルクラスの中年らしい恰好をして座っている。先日、ブライトンで毎年行われているチルドレンズ・パレードという催しを見ていると、子供たちと一緒に歩いていたお父さんたちはみんなデーモンみたいな恰好をしていた(こういう行事に参加するイクメンは、だいたいミドルクラスの人だ)。アルバム中、1曲だけ全然曲調が違う“Mr Tembo”という曲があり、それは娘のために書いた歌だそうで、こういうエコほのぼのとした象さんの歌を子供のために書くというのもいかにもミドルクラスの洒落たダディがやりそうなことだ。
 そういう私生活の部分も垣間見せるので、「これまででもっとも素のデーモンが出ている」とか「もっともパーソナルでしみじみとしたアルバム」とかいうことが、だいたいこのアルバムの定評のようだ。が、わたしは全然そうは思わない。
 
 これはれっきとしたコンセプト・アルバムだろう。
 そうとしか思えないのは、わたしがこのアルバムのジャケットを初めて見た時に、サッド・キアヌのパロディーだと思って大笑いしたせいだが、アルバムの冒頭が、コメディアンのロード・バックリーのギャグのサンプリングだと知ると、いよいよこのアルバムは「ソロ」という分野のパロディ・アルバムなんじゃないかと思えて来る。
 というのも、ポストパンクで育った世代は、物寂しくてメロウな自伝的アルバムを作って、うなだれている自分の写真をジャケットに使うなどということは絶対にできない体質だからだ。
 ぼっち。というジャンルとその一般的な在り様を、ぼっち。を演じてみながら考察したアルバム。とでも言えばいいだろうか。
 いずれにせよ、そういうことを感じさせる自分自身への距離の取り方がデーモン・アルバーンという人の持ち味であり、聡明さである。
 この人は次は全然違うことをやるに違いない。

第6回:女の子が好きな女の子 - ele-king


V.A.
アナと雪の女王 オリジナル・サウンドトラック

Tower HMV Amazon

 ここ1ヶ月半ほど、「ありの~ままの~すがた見せるのよぉ~」と我が家の6歳児がかしましい。もちろん彼女が歌うのは、大ヒット公開中のディズニー・プリンセス映画『アナと雪の女王』の主題歌“レット・イット・ゴー”日本語版です。アンタそれ以上ありのままになってどうするんだ……と突っ込んだところで、「何も怖くない。風よ吹け(I don't care. what they're going to say.Let the storm rage on.)」と、こちらがフローズンされそうな勢い。「友だちの話聞いてたらもう一度見に行きたくなった!」と、彼女の『アナ雪』愛は深まるばかりです。彼女の通う小学校ではサビのフレーズをどれだけ大声で歌うか、もしくはヘン声が歌うかを競うのが女の子の間で大流行。ブランコに乗りながら「アロハ~バイバ~イ」とオラフ(雪だるま)のモノマネをしたり(そんなセリフありましたっけ? 母はうろ覚え……)、オラフのギャグ「てかハンスって誰~?」を繰り返したりするのも流行っているそう。

 ジブリ、ディズニー、ピクサー……これまで数々の子ども向け映画を我が子といっしょに観てきましたが、「クラス中の女子が一つの映画の話題で持ちきり」というほどに子ども界を席巻した映画はなかったように思います。日経ビジネスONLINEによれば、すでにアニメ映画として『トイ・ストーリー3』を抜く全世界歴代1位の興行収入を記録し、実写映画を含むランキングでも歴代6位なのだとか。我が子たちのフィーバーぶりに、この記録的な大ヒットをしみじみ実感しています。
 大ヒットの理由については識者がすでにさまざまな論考を重ねていることでしょうが、少なくとも女児にウケた理由は識者ではない私にもわかります。まず、〈M-1グランプリ〉の決勝大会なみにギャグの手数が多いこと。オラフの体を張ったギャグの数々のおかげで、映画館では子どもたちの笑い声がひっきりなしに鳴り響いていました(女の子は小さい頃からお笑いが大好き!)。そして何より重要なのが、女の子同士の連帯を描いていることでしょう。

 4~7歳のプリンセス期にある女の子は、とにかく女の子が大好き。これは女児を持つ親の多くが実感することではないでしょうか。女の子同士で「○○ちゃんだいすきだよ」「LOVE」などとカラフルなシールやハートマークをちりばめた手紙を毎日のようにやりとりし、遊ぶのももっぱら女の子。テレビを観ていても、少年アイドルやイケメン俳優より少女アイドルやヒロイン女優に夢中です。彼女たちがピンクやドレス、ティアラ、妖精といったキラキラデコデコひらひらしたものを好むのは、それが「女の子」を象徴しているからなのです。
 女の子のプリンセス願望というと、王子様待ちの他力本願、受動的な生き方の象徴としてとかくやり玉に挙げられがちですが、幼い女の子は王子様など眼中にありません。21世紀以降着実に売り上げを伸ばし、現在では2万6千点以上のグッズを抱える「ディズニープリンセス」ブランドも、プリンセス映画から王子様を排除してプリンセスだけで世界観を固めたからこそ、女児のハートをつかんだのです。
 日本でも現代女児の心をとらえてはなさないTVアニメは、『プリキュア』シリーズに『アイカツ!』など、女の子同士の連帯の描写に重きを置いたものばかり。白雪姫とシンデレラはグッズの中で並んでいても、手に手を取って戦ったりはしませんでしたから、プリキュアのほうが進んでいるともいえます。見方を変えれば、『アナと雪の女王』の女児人気は、「ディズニープリンセス」がプリキュア要素を取り入れた結果とも言えるのではないでしょうか。


『アナと雪の女王』
監督:ジェニファー・リー、クリス・バック
製作年 / 国:2013年 / アメリカ合衆国
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『雪の女王』を原案とした長編アニメ映画。王家の姉妹が試練を乗り越え、凍った国を救い、自身らの愛を取り戻す顛末をスペクタクルに描くディズニー最新作。日本国内でも大ヒットを記録し、公開7週めにして累計動員970万人、興行収入121億円を突破して社会現象化しつつある。映画本体に加えてサントラ盤も好調にセールスを伸ばし、とくにMay J.が歌う主題歌“レット・イット・ゴー”は、国民的なヒット・ナンバーとして連日街頭やテレビなどを華やがせている。


 なぜ女児はこれほどまでに「女の子」の世界に執着するのか。一説によれば、アイデンティティを確立する上で必要なプロセスだからだと言われています。自分が何者かであるかを意識せずに生きていくことは難しい。たいていの大人にとって性別は自明ですし、職業や周囲に認知された人格、あるいは「ボン・ジョヴィのモノマネをさせたら三国一」などの特殊技能でアイデンティティを保つこともできます。しかし通常の子どもは、そこまで確立されたアイデンティティを持ち合わせていませんし、生物学的性差への理解もあやふやです。そこで「性別を象徴するすてきな何か」に自らを同化させ、同じ性別を有する者同士で愛情を育むことで、アイデンティティ確立への第一歩を踏み出すのでしょう。男児がスーパーヒーローに自己同一化するのも同じことです(もちろん男女が逆転する場合もあるでしょう)。

 ところで、女児が同性を好むのが自然な発達過程なのだとしたら、そこを当て込んだ女児向けの女の子連帯モノが昔からあってもよさそうなものです。しかし私の子ども時代の女児アニメといえば『キャンディ・キャンディ』『小公女セーラ』に代表されるように、けなげで無垢なヒロインが意地悪な同性にいじめられても耐え、お金持ちの男性に救われるというシンデレラ・ストーリーが王道でした(いじめ描写が苦手な私は女児アニメを避け、『機動戦士ガンダム』に入れ込んだものです)。富や権力が男性に握られている世界では、結婚で富を得るにしても仕事で成功するにしても、権力のある男性にすくい上げてもらうしかありません。つまりかつての女の子にとってのサクセスとは、自ら目標を立て努力し、他人と協力しながら何かを成し遂げることではなく、自分一人にスポットが当たること。そして男性に愛されるには、自意識や自我を隠し、無垢やけなげを装わなくてはいけない。女の自意識や自我は恥ずべきものであると教え込まれた女性たちは、他の同性の自意識や自我の攻撃に走ることもしばしばです。幼い頃に刷り込まれたこうした価値観は、女性たちの生きづらさの一因になっているようにも感じられます。

Be the good girl you always have to be  良い子でいなさい、いつもそうしてきたように
Conceal, don't feel,  隠しなさい、感情を抑えて
don't let them know  誰にも知られてはいけない

 “レット・イット・ゴー”の歌詞の原文を読んだとき、真っ先に思い出したのは、フェイスブックの女性COOによって書かれた全米ベストセラー『リーン・イン』(シェリル・サンドバーグ)でした。同書がクローズアップしたのは、上昇志向や能力、自己主張を隠し、控えめにふるまうのが愛される「良い子」であると刷り込まれているばかりに、女性たちがチャンスを逃がしてしまうという問題です。上記の歌詞は氷を操る能力を隠すように言い聞かされて育った姉・エルサの孤独を描写するものですが、女性全般が感じがちな抑圧にも通じるのではないでしょうか。同書で紹介されている「ハイディ・ハワード実験」は、こうした抑圧の源となるバイアスを明らかにしています。実験内容は、実在する野心的な女性起業家が成功した過程を、ある学生グループに対しては男性名「ハワード」で、もう一つの学生グループには女性名「ハイディ」で、それぞれ読み上げるというもの。すると性別以外の情報はそっくり同じだったにも関わらず、ハワードは好ましい同僚と見なされ、ハイディは自己主張が激しく自分勝手で一緒に働きたくない人物と見なされたのです。単純に言ってしまえば、男性の場合は成功と好感度が正比例し、女性の場合はその逆ということなのでしょう。


『リーン・イン 女性、仕事、リーダーへの意欲』(日本経済新聞出版)
シェリル・サンドバーグ著、村井章子訳
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 著者のシェリル・サンドバーグ自身も、フェイスブックに転職した際、ライフルを構えたコラージュ写真がネットに掲載されるなど激しいバッシングにさらされたといいます(3章「できる女は嫌われる」)。「そして結局、いちばんいいのは無視することだとわかった。無視する。そして自分の仕事をするしかないのだ、と」。まさに「I don't care what they're going to say.Let the storm rage on.(もう皆に何を言われようとも気にしない。嵐よ吹き荒れるがいい)」という“レット・イット・ゴー”の歌詞のとおりです。
 とはいえ、著者は「みんなに嫌われても全然オッケー!」とは言いません。「本音を言えば、チームの和を乱す女だとみなされるのではないか。文句ばかり言ういやな女だと思われるのではないか」とおびえ、意見を言うテーブルにつこうとしない女性たちに、本音でありながら怒りを招かない言い方はスキルとして習得できるとアドヴァイスしています(6章「本音のコミュニケーション」)。また、女性の能力を認めてくれる有力者が目をかけたくなるような実力を身につけ、信頼関係を築き、味方につけなさい、とも(5章「メンターになってくれませんか?」)。『アナと雪の女王』について、「エルサほどの能力があれば世界征服をすればよかったじゃないか。あの結末は日和ってる」「国民を楽しませるだけでは偉大な力の無駄遣いだ」という(主に男性の)感想をちらほら見かけます。たしかにエルサが男性であれば、「世界征服かっけー!」と力に憧れる男性たちが貢ぎ物を持ち寄り、その権力を目当てに女性たちが群がって、強者である自分に満足しながらつつがなく暮らしてゆくことができたかもしれません。しかし、エルサはあのままでは国民とともに飢え死にするほかなかったでしょう。強者ゆえの孤独は男性にもあるかもしれませんが、女性のそれは死に直結しかねません。エルサの物語は、能力を隠しきれなかったことで孤独に陥りながらも、わかってくれる者と信頼関係を築き、その能力を隠すのではなく他者の利になるようにコントロールすることで居場所を獲得したシェリルの人生に似ています。女性が健全なアイデンティティを育むには、まずは抑圧をはねのけて自我のありようを肯定し、その上で信頼できる他者に受け入れられる術を探るという2段階のプロセスをたどる必要があるのです。そう考えれば、プリンセス映画でありながら女児モノの枠を超えて大人の女性を虜にし、世界的に大ヒットした理由も想像できます。
 もちろん、一般女性はエルサやシェリルのような特別な能力を有していないかもしれません。しかし「権利を主張したり賢しらにふるまったりしたら“ブス”“フェミ”として社会から排除するぞ。そうすれば生きていけないぞ」という恐怖にコントロールされ、理不尽をニコニコやり過ごしてきた女性たちも、SNSの発達で自己表現したり、同性と連帯する楽しさを知りつつあります。劇場で声を揃えて「レリゴ~」と歌う女性たちは、ひととき小さな女の子になって「女の子大好き! 自分大好き!」という自己肯定感を育み直すことで、嵐吹き荒れる社会に立ち向かう活力を得ているのかもしれません。

ウィズネイルと僕 - ele-king

 英国映画の定番。というか、誰の家に行っても必ず本棚に並んでいるDVDがある。で、そういう映画ほどなぜか日本では観ることができないことが多い。
 例えば、シェーン・メドウズ監督の『メイド・オブ・ストーン』が日本公開された時。
 宣伝する側は(わたしも含めて)「『This Is England』の監督が撮ったストーン・ローゼズのドキュメンタリー」と書いた。しかし、実際にメドウズが初めてイアン・ブラウンに会った時、イアンは「僕は君の『Dead Man’s Shoes』が大好きだよ」とメドウズに言ったのであり、ジョン・スクワイアも「『Dead Man’s Shoes』の監督だからシェーンに(ドキュメンタリーを)任せようと思った」と『メイド・オブ・ストーン』のUKプレミアで語った。
 つまり、英国の音楽や映画が好きな人々の間では、シェーン・メドウズといえば『Dead Man’s Shoes』の監督なのだが、残念なことに日本では公開されていない。見れない映画について書いたところでしょうがないと思いつつ、拙著にこの映画のレヴューを入れたのは、UKの音楽やカルチャーが好きな人は押さえておくべき1本だと思ったからだ。

 そしてこの『ウィズネイルと僕』こそ、そういう映画の代表的作品である。
 わたしが10年前にHP活動をはじめた時、ジョン・ライドンの応援ページ(当時、世間はB級セレブ番組に出演したライドンへの非難と怒号に満ちていた)と共に作成したのが、この映画のページだった。
 その後、この映画の邦版DVD発売を求める運動を行っている方々の存在を知った。日本でも吉祥寺バウスシアターで単館上映されたことがあると知った。で、そのバウスシアターが閉館するという。そのクロージング・イヴェントが行われている5月を通じて、同館が上映しているのが『ウィズネイルと僕』らしい。バウスの閉館を飾るのに、これほど相応しい作品があるだろうか。別の言葉で言えば、『ウィズネイルと僕』を日本で唯一上映したような映画館が閉じるのである。日本の人々はそれでいいのか。わたしが日本にいたら暴れる。

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 いまデーモン・アルバーンのソロを聴いているのだが、デーモンも『ウィズネイルと僕』ラヴァーであることを公言している(そう思うと、彼のソロはパロディ・アルバムじゃないかというわたしの疑念はいよいよ強まる)。
 そういえば、ブリットポップ期は『さらば青春の光』と『ウィズネイルと僕』人気の再燃期でもあった。ブラーとオアシスがこの2作を「好きな映画」に挙げたからだ。オアシスがモッズの『さらば青春の光』派で、ブラーが『ウィズネイルと僕』派といえばいかにもの構図だが、実はその辺が微妙にクロスオーヴァーもしていて、デーモンは“パークライフ”で『さらば青春の光』のフィル・ダニエルズとデュエットし、リアムは『ウィズネイルと僕』でリチャード・E・グラントが着用したコートをTV司会者と取り合って話題になった(リアムはオークションで競り負けた)。

 モリッシーの『Vauxhall & I』のタイトルが『ウィズネイルと僕(“Withnail & I”)』にちなんだものであることは知られているし、米国のキングス・オブ・レオンの曲の歌詞にも「Withnail & I」は登場する。元ミュージシャンのジョニー・デップは「死ぬ前に見たい映画」に本作を挙げているし、UKでもっとも激辛な映画批評を書くガーディアン紙の名物ライター、ピーター・ブラッドショーがレヴューで5つ星を付けた奇跡のような映画でもある。

 この映画がそれほど人びとを魅了するのは何故だろう。
 それは、一言でいえば「UKらしさ」だとわたしは思っている。
 ここでわたしが言うUKとは、ガーデニングとかアフタヌーン・ティーとかのUKではない。それらの要素はどうでもいいんだけど、それでも「UK好き」を自認する人は、好きな要素がすべてここにあるだろう。
 悲喜劇。は英国人が得意とする分野だ。しかし『ウィズネイルと僕』は喜悲劇の域に達している。
 「後にも先にも、この映画のような作品は存在しない」
 と、あのピーター・ブラッドショーが書く所以である。
 これは「笑って泣かせる」映画じゃない。あるシーンでは笑わせ、次のシーンでは泣かせるような作品ではないのだ。全編を通じて「大笑いしながらも心の奥底で泣きたい」ような映画だ。
 ふたりの売れない俳優志望の青年が、だらだらといい加減に日常を生きているというだけのストーリーは、誰も死なないし、何らの衝撃的なツイストがあるわけでもない。ただ全編ふざけているだけのような映画でもある。だが、大笑いさせられながらも何故か奥底にくすぶっていたせつなさを一気に噴出させるようなラストシーン。雨の中でウィズネイルがロンドン動物園のオオカミたちを前に「ハムレット」のセリフを朗々と叫ぶ場面は英国映画史上に残る名シーンである。

 やることなすこと失敗し、アル中になったブランメルみたいなウィズネイルというキャラクターは、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンやグレアム・グリーンの「ブライトン・ロック」のピンキーに匹敵するアンチ・ヒーローでもある。
 UKほど魅力的なアンチ・ヒーローを生み出す国はない。
UKほど滑稽なルーザーをクールに見せる国はない。
 それは英国が負けるということの美学を、勇ましく竹槍を突き上げることのダサさを知り抜いている国だからだろう。この国のヒーローは「勝つ」なんて無粋なことをしてはいけないのだ。
 その証拠に、リアム・ギャラガーだけではない。人生のある時点で、猛烈にウィズネイルのコートを着てみたかったという英国人の男性をわたしは何人も知っている。

Sun Kil Moon - ele-king

 先日のフィリップ・シーモア・ホフマンの急逝で心が乱れたのは、その訃報を最初に知ったのがツイッターのタイムライン上だったことである。しばらくして流れていく、数々の「追悼」ツイート……おかしな話だが、自分もその「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」を利用していながら、しかし彼の死をそこで見たくはなかったのだ。それはこの20年間のアメリカ映画に夢中だった自分にとって、会ったこともないがしかし、たぶん遠くない人間のものだった。僕がたしかに好きだった彼の死の「情報」は、ほかの日常的なツイートに紛れて、しばらくすると消えていった。
 レッド・ハウス・ペインターのマーク・コズレックの現在のプロジェクト、サン・キル・ムーンの6枚めのアルバム『ベンジ』はおびただしい数の死が描かれたアルバムで、聴きながら歌詞を追っているとふと、自分の知っている人間の死に出くわすこととなった。ジェームズ・ギャンドルフィーニというアメリカの俳優で、僕は彼の愛嬌のある風貌が好きだった。昨年の彼の急死も、僕はたしかインターネットで知ったはずだ。彼の死について、アルバムではこんな風に歌われている。「ラーメンを食べて緑茶を飲んでいるときに、『ザ・ソプラノズ』のジェームズ・ギャンドルフィーニが51歳で死んだニュースを見た/ドラムを演奏しに来る男と同じ年だ」。このアルバムに参加しているドラマーのことらしいが、サン・キル・ムーンのソングライター、マーク・コズレックはそんなふうに徹底して自らの身の周りに起きたこととしての死をここで語っていく。この曲のタイトルは「リチャード・ラミレスは今日自然的原因で死んだ」だ(リチャード・ラミレスは実在の連続殺人犯の名前)。『ベンジ』はそして、簡単にひとの死をどこかに流し去ったりせず、それをアコースティック・ギターの穏やかな調べとコズレックの深い歌声に変換して、語り手の揺らぐ感情へと流し込んでいく。結局、ひとはどんな状況でそれを知ったとしても、次々にやってくる誰かの死と対峙するしかないのだと……ただそのことが、このアルバムを陶酔的なまでにメランコリックで美しいフォーク・ソング集、ある種の優れた文学作品の領域へと引きこんでいる。

 オープニングの“カリッサ”でのギターの丹念な演奏と不思議に震える音程、そしてストーリーテリングが見事な導入となっている。カリッサはコズレックのいとこで、不慮の事故によって35歳で命を落としたのだという。長らく会っていなかったという親戚の死にコズレックは、ひどく打ちひしがれている様子をここで隠さない。だが、ウィル・オールダムが加わるコーラスは気が遠くなるほど優美だ。そうしてアルバムは、老いた母への愛、叔父の死、自らのセックス体験、子ども時代の父の記憶……と、きわめて私小説的に場面を変えていきながら、ディープなブルーズ(“トラック・ドライヴァー”)やときにヒップホップ的なフロウ感覚(“リチャード・ラミレス~”)をも通過していく。歌っている内容のせいだろうか、コズレックのヴォーカルはときにこちらがぎくりとするような危うさを隠さない。

 僕はウィル・オールダムの名前を見て思い出し、本当に何度となく聴いたボニー・プリンス・ビリーの『アイ・シー・ア・ダークネス』に久しぶりに耳を傾けてみた。近いものがあるのではないかと思ったのだ。たしかに時間感覚が消えていくような静けさは共通するものがあった、が、そのアルバムに収録されているたとえば“デス・トゥ・エヴリワン”のようなぞっとするような暗さは『ベンジ』にはない。ジャケットの色合いのちがいにも表れているように、もっと茫漠とした悲しみが広がっていて、それはどこまでも沈んでいくようなものではない。ふと音を外すギターのように、心地よい揺らぎが漂っている。ラスト・トラックの“ベンズ・マイ・フレンド”に至っては、ジャジーで涼しげなサックス・ソロすら聴けるナンバーで、ポスタル・サーヴィスのライヴを観に行った体験とそこで自覚する自らの老いを描いており、これも私小説的だが語り口はユーモラスだ。そしてこの曲でアルバムが終わることで、不思議と聴いたあとの感触は軽やかだ。

 「きみの知っているひとはみんな死ぬ」と歌ったバンドのことが僕は大好きだが、しかしその現実をたやすく受け止められるほど僕たちは強くなくて、だから『ベンジ』はその弱さにゆっくりと混ざり溶けていくレコードである。震えるギターの弦の音に意識を委ねているうちに、不条理に暴力的に訪れる数々の死、その悲しみに浸るある種の心地よさを思い出させるフォーク・ミュージックだ。そしてそれは僕たちがまた日常、老いて死に向かっていく日々に帰っていくこと……生きることを歌っている。

DJ WADA (Sublime, Dirreta) - ele-king

今年セルフレーベルDirretaを始動させました!
1枚目のEPからCloudy Spaceです。
よろしくお願いします!
https://www.youtube.com/watch?v=gbta_1GYz5g
https://www.facebook.com/beetbeat

DJ WADA chart


1
Jah Wobble, PJ Higgins - Watch How You Walk (Red Rack'em Remix) - Sonar Kollektiv

2
DJ Koze- Nices Wolkchen (Robag's Bronky Frumu Rehand) - Pampa Records

3
Pharaohs - If It Ever Feels Right (Tornado Wallace Remix) - ESP Institute

4
Santos - Garlic (Original Mix) - Dissonant

5
Jacob Husley, August Jakobsen - Blue (Minilogue Remix) - WetYourSelf Recordings

6
Kenny Larkin - You Are (C2 Remix) - Planet E Communications

7
Petar Dundov - Rise (Original Mix) - Music Man Records

8
DJ Kaos - Swoop (Club Edit) - Jolly Jams

9
DJ WADA - Cloudy Space - Dirreta

10
Richter - Natura Contro (Dj Wada Remix) - The Zone Records

The Tenses - ele-king

 ラフムス。羅府夢衆。嗚呼、なんて素敵な響きなのだろう。ロサンゼルスの夢追い人たちよ、僕らはみんなあなたの子どもだ。

 僕がロサンザルス・フリー・ミュージック・ソサエティー(LAFMS)をディグるきっかけとなったのは1971年創業の老舗中の老舗ともいえるLAのレコ屋、プーバー(Poo-Bah)だ。永久に売れることのないセールワゴンに積もる魔法の埃には、この店に踏み入る者に幸運をもたらす不思議な力が宿っているのだ。思い返せば僕も、まだ出会ってまもないマシューデイヴィッドのアンビエント・セットと慣れないメディカル・ウィードに完全にノックアウトされ、インストア・ライヴ中に店の床で爆睡してしまったのもココであるし(起きたらレコ屋ってすげーびっくりするよ)、後に同じ屋根の下で暮らすことになるショーン・マッカンやマシュー・サリヴァン、アレックス・グレイらと親交を深めたのもココであるし、先日も金欠を理由にはるか昔に頼まれた仕事をいまさら仕上げて持っていっても笑顔でメシと給与を施してくれたのもココである。プーバーの懐は果てしなく深く、広く、そしてゆるい。
 だから、入手困難であったLAFMSの音源の販売や再発など、彼らの徹底したDIY主義に共鳴し、プーバーが長年サポートしてきたことは必然に思えるのだ。

 LAFMSコレクティヴの中核を成すスメグマ(Smegma)のジュ・サック・リート・ミートとジャッキー・スチュワートによるベテラン奇才デュオ、テンシズ(Tences)のサウンドはスメグマのそれよりミニマルなセットアップのコンパクトなプロジェクトだ。ターンテーブル、テープ・マニュピュレーション、歪みまくるサーフ・ギターとコルネット等で丹念に築き上げられたこのレコード。映画や短波レディオ・ドラマからのサンプリングとループやサイレン等のノン・インストゥルメントのコラージュの上を縦横無尽に駆け巡るリンク・レイ的なギター・リフ、聴者がエコーマシンに乗ってカリフォルニアの空へどこまでも飛ばされてゆくサウンドはひたすらに享楽的だ。エクスペリメンタル=難解というイメージを抱くリスナーにこそこのレコードでトリップしていただきたい。誰かの敷いたレールの上でなく、誰かの模倣でもなく、自分たちのやり方で、独自の作品を創造するLAFMSのヴィジョンをあなたも夢見ることができるかもしれない。

 僕にとってのLAは羅府夢衆そのものとも言える。ローカル・アーティスト、インディペンデント・ギャラリー、レコ屋、DIYスタジオetc、町中の至るところにその夢は生きている。ジュ・サック・リート・ミートに週2、3で近所のカフェで遭遇したりもする。
 プーバーももちろん然り。LAFMSコレクティヴやレコード・コレクター、自宅のゴミ・レコードを店先に放置する地元のオッサンやオバハン、ルンペンにネコ、シャモジ等々……ありとあらゆる人種が交錯するこのレコ屋は、先日のジャパン・ツアーでも最高のアクトを披露してくれたラスGがバイヤーを務めるということもあり、〈ローエンド〉や〈ストーンズ・スロー〉周辺のLAビート・キッズも多く集う。野田編集長がよく呟く、LAのヒップホップは何故ビートが溶けるほどにサイケデリックなのか? という問いかけの答えのヒントはここにもあるかもしれない。

interview with Lee Bannon - ele-king

 リー・バノンは1987年、カリフォルニア州のサクラメントに生まれた。本名はフレッド・ウィーズリー。リー・バノン名義では、これまでに2枚のアルバムと4枚のシングルやEPを発表している。チルウェイヴを追っていた人たちは彼がファースト・パーソン・シューター名義で発表した『モービリティ・フォー・ゴッズ』を耳にしていたかもしれない。前作の〈プラグ・リサーチ〉から発表された『ファンタスティック・プラスティック』は自由度が高いヒップホップ作品だった。そして、今作『オルタネイト・エンディングス』で彼が挑戦したのは、なんとジャングルである。

 ヒップホップを軸にしつつ、チルウェイヴからジャングルまでを往復する──彼のようにさまざまなスタイルを持ったプロデューサーには共通する部分が多い気がする。たとえば、彼らとダンス・ミュージックとの邂逅は多くの場合、ベッドルームで起こった。しかも大きなスピーカーとウーファーがあるわけではなく、ヘッドホンを通して一対一で音と向き合う場合が多い。「クラブでこの曲がかかると盛り上がる」とか、「あのジャンルが流れるあのパーティへ行こう」という前提なしに彼らは「音」を楽しんでいる。そこにジャンルなどは関係ない。素晴らしい作品を聴いていると、音楽を聴くだけでは足りなくなり、自分で作った曲を手にクラブへ行くようになる。リー・バノンの作品を聴いていて、そんな人物像を彼に被せていた(今回話を聴いてみて、実際にそうだった)。


Lee Bannon
Alternate/Endings

Ninja Tune/ビート

Tower HMV iTunes

 さて、今回の作品でジャングルがひとつのテーマになっているものの、前作で実験的なヒップホップをやった男が、直球のジャングルを作るわけがない。さまざまな声や音がサンプリングされ、細切れにされ、それがジャングルの高速リズムと絡み合ったかと思えば、いきなりスローダウンして幻想的で荒廃したイメージが広がるトラックもある。映画好きなバノンにとって、サウンドトラックは音ネタの宝庫のはずだ。だが、今回彼はスタジオでマーズ・ヴォルタのベーシストのホアン・アルデッテという強い味方を発見し、自分で楽器を演奏することによってサンプリングに縛られない音の構築にも足を踏み入れた。本作のタイトルは『オルタネイト/エンディングス』(選択可能な結末という意味)である。現在、映画やゲーム(彼の別名儀でもある「ファースト・パーソン・シューター」はまさしくゲームの一ジャンルを意味するものでもある。)の結末を観客が選べたりするように、バノンはそのカラフルな引出しの数々によって自分でアルバムの結末を選べるようにまでなった。

 今回のインタヴューは4月19日の土曜日、ドラムンベース・セッションの会場で行われた。カラフルなスニーカーに白いティー・シャツを着たリー・バノンはニコニコと質問に答えてくれた。「次はデンバーとトロントへ行くんだ。DJラシャドも一緒だよ!」と楽しそうに彼は言った。フェイスブックなどで近況をチェックしたところ、DJラシャドと一緒に写真に写るバノンを確認することができた。インタヴューでテックライフやラシャドとは友だちだと答えており、「今度はフットワークやってよ!」とお願いしてその日、僕はバノンと別れた。

正直なところ、最初は自分がやろうとしているドラムンベースが受け入れられるのかどうかもわからなかったから、始めは俺のヘッドホンの中だけで流れている音楽って感じだった。だけど、ライブをやるようになってから、自分の音楽がみんなに自然と受け入れらていったんだ。

前作『Fantastic Plastic』はヒップホップを軸とした作品でしたが、今作ではジャングルやドラムンベースが主体となっています。どのような経緯があったのでしょうか?

リー・バノン(以下、LB):前作はアルバムっていうよりは、俺の音を集めた作品集的な意味合いが強いものだった。でも今回の作品は、なんていうか、もっと本当の意味で自分の翼を広げて、自分がいまできることを全部投入したっていう感じかな。

なぜいまジャングルなのでしょうか?

LB:とくにジャングルに変えようとしたというよりは、単純にいろんなジャンルをやってみたいという感じだったんだ。いまの自分の音がどういう感じで聴こえるのか、まだ純粋な感じに聞こえるのか、とかね。

今作ではマーズ・ヴォルタのベーシスト、ホアン・アルデッテが参加しています。彼とはどのように出会ったのですか?

LB:このアルバムを作っているときに偶然スタジオで会ったんだ。だから、それまで彼がマーズ・ヴォルタで発表した作品もまったく聴いたことがなかったんだよね(笑)。なんとなくそこで意気投合して、彼がベースを弾き始めたから、俺はペダルを持ってきて一緒にちょっとやってみて、そういう流れで出来上がった感じかな。

今作であなたはピアノを披露していますが、プロダクションをはじめるにあたって、生楽器を使用することが多いのでしょうか?

LB:もちろんドラムマシンやシーケンサーも使っているんだけど、今回はピアノを入れてみたんだ。これからはもっとギターなんかも入れていきたいね。

デジタルが発展し、ソフトウェアのみを使用するプロデューサーの数も多くなっています。その風潮のなか、なぜあなたは生楽器を入れようと思ったのですか?

LB:理由は簡単で、生楽器を入れることでもっと音に深みを持たせたり出来るし、よりピュアな音が表現できると思うんだよね。

プロダクションのデジタル化についてどう思いますか?

LB:まぁ、人が求めているひとつの選択肢としては別にいいんじゃないかな。俺にとってはひとつのツールという認識でしかないけどね。

あなたは今作をゲーム『メタル・ギア・ソリッド』のサウンドトラックのようだと答えています。メタルギア・シリーズはブリアルのようなミュージシャンにも影響を与えていますが、あなたは『メタル・ギア・ソリッド』のどこに魅かれますか?

LB:そうだね、『メタル・ギア・ソリッド』とかからの影響はあると思う。このゲームをしながら育ったしね。とくにどの部分に細かく惹かれたとかはないけれど、そのバイブは自分のなかに影響された部分としてあると思うよ。

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『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はとてもシリアスな映画じゃない?だから近作も俺の中でかなりシリアスな作品にしたかったからこの映画のシリアスさを参考にしてこんな感じの作品に仕上げたかったというところで影響されたのはあるかもね。

あなたはカリフォルニア州サクラメントでキャリアをスタートさせました。サクラメントとはどのような街なのでしょうか?

LB:とてもユニークな街だと思う。とくに“この街”っていう特徴的な音はなかったと思うんだけど、俺やデスグリップスとかの登場で、こういう音を鳴らすアーティストがいる街っていう認識ができたんじゃないかな。

どのようにクラブ・カルチャーと関わっていくようになったのですか?

LB:自然に入っていった感じかな。正直なところ、最初は自分がやろうとしているドラムンベースが受け入れられるのかどうかもわからなかったから、始めは俺のヘッドホンの中だけで流れている音楽って感じだった。だけど、ライブをやるようになってから、自分の音楽がみんなに自然と受け入れらていったんだ。

レコードからサンプリングをしているようですが、普段はどのようなスタイルで音楽を聴いているのでしょうか?

LB:実は、最近はもっぱらデータばっかりなんだ。もちろんCDやレコードも買うけどほとんどデータだね。

今回はライヴ・セットを披露しますが、DJもするのでしょうか?

LB:普段はあまりDJはしないんだよね。基本的に自分の曲だけでセットを作っているよ!

ヒップホップのアーティストが最初に使う機材はアカイのサンプラーであるMPCの場合が多いですが、あなたはローランドのドラムマシーンで作曲をはじめました。この最初の機材との出会いは、いまのあなたにどう影響していますか?

LB:最近はまたMPCを使いはじめているんだ。俺にはロジック(アップルの音楽制作ソフト)よりもこっちの方が、音的にしっくりくるんだよね…….他にローランドのSP555(サンプラー)を使っていて、これはエフェクトには最適なマシーンなんだ。このローランドのマシンは俺に新しい音の使い方を示唆してくれたりする。最初の入り口が生楽器ではなかったから、いまでもサンプラーやドラムマシンから影響を受けていると思うよ!

あなたに影響を与えたヒップホップのアーティストを教えてください。

LB:実は最近はあんまりいないんだけど……。ラキムとかは好きだったよ。Jean-Luc King Brownもいいよね。

フライング・ロータスが主催する〈ブレインフィーダー〉周辺では、現在も実験的なヒップホップを作るプロデューサーが多くいますが、彼らのことをどう思いますか?

LB:いいんじゃないかな。いろんなジャンルの垣根を越えて、例えばフットワークとか新しいものを作っているわけだし。

あなたはファースト・パーソン・シューター名義で『モービリティ・フォー・ゴッズ』というチルウェイヴ的な作品を発表しています。なぜこの作品は生まれたのでしょうか?

LB:このプロジェクトは友だちとやってる超レフトフィールドなものなんだけど、チルウェイヴよりもっとアンビエント寄りのことをやりたかったんだ。例えばここに来る間に15時間飛行機の中で作った音が結構良かったから、もっと完全なアンビエントな作品としてまとめてもいいかなって思ってる。環境音楽的なものを入り口として広げていくのも悪くないね。

ファースト・パーソン・シューターとして曲を発表したとき、あなたは自分の素性を明かすことはありませんでした。リー・バノンも本名ではありません。どのように名義を分けているのですか? またあなたにとって匿名性とは何でしょうか?

LB:匿名性ってのは、もっと自分を大きく見せるツールのひとつでもあると思うんだよね。なんていうかもっと自分とは切り離された別物というか……。例えば、もし会社に行って自分が経理担当だとしたら、自分の名前が“経理”ってわけじゃないけど、“経理の仕事をした人”っていうことになるじゃない?でも家に帰れば自分自身に戻る。俺もそれと似た感じなんだ。それに違う音をやりたい時もあるから、そういう意味でも都合がいいというか。その音がその名前に帰属するというか、その名前によってその音だと認識して貰いんだよね。

カリフォルニアからニューヨークへなぜ引っ越したのでしょうか?

LB:ジョーイ・バッドアスのため、っていうのがいちばん大きい理由かな。俺は、彼の作品のプロデュース以外にツアーのDJもやってたりするから彼の近くにいる必要があるしね。

ニューヨークおける音楽のシーンはどのような感じなのでしょうか?ドラムンベースやヒップホップに限らず教えてください。

LB:ニューヨークのシーンは大好きさ。バイブや雰囲気がいまの俺の感じにとても合っているのもあるしね。ドラムンベースやヒップホップ以外にもボサノヴァとかのシーンもあるだろうけど、そこまでいろんなシーンはないんじゃないかな(笑)。

ジュークはBPMがドラムンベースに近いため、両方をプレイするDJが増えてきました。あなたにとってジュークはどのような存在なのでしょうか?

LB:俺にとってのジュークは、DJ アールや友だちのテックライフ、DJラシャドとかのことなんだ。次はカナダでラシャドと一緒のイヴェントに出る予定だよ!

今回の作品を制作するうえで、影響を受けた音楽作品はありますか?

LB:今夜出演する予定のソース・ダイレクトなんかよく聴いていたよ! だから今回のブッキングはすごく嬉しかった。さっきみんなで夕食に行ってきたんだけど、ナイス・ガイだった。それと『エクササイズ・アンド・ディーモン』は影響された作品だね。

今作のインスピレーションの源として、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を挙げています。この作品のどのような部分にインスパイアされたのでしょうか?

LB:インスパイアされたというより、対比したものの参考にしたと言う方が正しいかな。この映画はとてもシリアスな映画じゃない?だから近作も俺の中でかなりシリアスな作品にしたかったからこの映画のシリアスさを参考にしてこんな感じの作品に仕上げたかったというところで影響されたのはあるかもね。

お気に入りの映画とサウンドトラックを教えてください。

LB:オリジナル版の『コスモ』のサントラは凄くいいね。最近だったら『ネッフルマニア』のサントラが良かった。

既存の映画のサウンドトラックを作り変えられるとしたら、どの映画を選びますか?

LB:うーーーん、良い質問だね(笑)。そうだな、もし出来るとしたらフランス映画なんだけど『ブルー・イズ・ザ・ウォーメスト・カラー』っていう映画のサントラをやりたいかな。

「同じことを2回しない」ことを信条としていますが、今後はどのような作品を発表する予定ですか?

LB:今俺は新しいステージにいると思ってるんだけど、しばらくはいまのサウンドを追求していきたいかな。そしてまたそこから新しい可能性を見つけて発展させたい。もちろんジャングルやジュークも先にはありえると思うけどね。

昨夜大阪公演でエイフェックス・ツインの“ウインドウ・リッカー”を演奏されていましね。

LB:(笑)! そうなんだよ。俺、彼の大ファンなんだよね。彼の音って不思議の国のアリスの兎のように追いかけても追いかけても捕まらないっていう不思議な音速感があるんだよ。

 この取材から1週間後の27日の朝、DJラシャドの訃報が舞い込んできた。新作の『ダブル・カップ』は最高の1枚で、このマスターピースを携えて、彼はほんの少し前に〈ハイパー・ダブ〉のイヴェントで来日したばかりだった。フットワークという言葉を彼は世界に広め、ジャンルを超えて多くのミュージシャンからリスペクトされてきた。フェイスブックページで、ワンマンやカーンなどの若手から、アンダーグラウンド・レジスタンスのような重鎮までが追悼の意を寄せるなか、そこにはリー・バノンのコメントもあった。彼はDJラシャドの死をどのように受け止めていくのだろう。ただ悲しみに暮れるだけでは故人は救われない。
 新しいステージに足を踏み入れたバノンの次の作品には、ラシャドへのリスペクトが込められているはずだ。

ピクシーズ、この6枚。 - ele-king

■ピクシーズ、まさかの新譜『インディ・シンディ』をクロス・レヴュー

Pixies - Indie Cindy
Review

Pixies - Indie Cindy
Pixies Music / ホステス

結成から29年、再結成から10年。「オルタナ」あるいは「グランジ」といった音楽的潮流の下、90年代以降のインディ・ロックに多大なる影響を及ぼしたバンド、ピクシーズの新譜がリリースされた。「本当に新譜が出るとは……!」という往年のファンから、「オルタナ」がオルタナティヴではなくなってしまった時代に聴きはじめた若いリスナーまで、もちろんその反応は一様ではない。しかし、どの聴き方にも真実がある。合評スタイルで多角的にアプローチしてみよう。 黒田隆憲、久保正樹、天野龍太郎による渾身のクロス・レヴュー!

■ピクシーズ、名盤Pick Up

文章:天野龍太郎、加藤直宏、久保正樹、黒田隆憲

『カム・オン・ピルグリム』
Come On Pilgrim
4AD / 1987年

Amazon

 映画『キャリー』でもっとも怖く印象に残るのは、クライマックスのキャリーの暴走ではなく、キリスト教原理主義のあの母親だ。アメリカの病理というべきか、歪んだ正義に息苦しさ、いや狂気を感じた子どもたちによる逆襲。ピクシーズというバンドもそうしたアメリカのダークサイドに唾を吐きかけたバンドのひとつだ。ジャケットを見てほしい。女装をした男の背中に、獣のような体毛が生えている。キリスト教右派たちからすれば、すぐさまに火をつけて、燃やしたくなるだろういかがわしいヴィジュアルだ。歌詞においても高く評価されるフランシス・ブラックがキリスト教社会や学歴社会に対してアンチを投げかけてきたことはよく知られているところだが、バンドの結成から間もない1887年に名門〈4AD〉との契約を勝ち取り、デビュー・アルバムに先駆けてのリリースとなったこのEP『カモン・ピルグリム(ピルグリムとは巡礼者のこと)』のジャケットは、ピクシーズというバンドの存在を見事に説明しているように感じられる。そして本作に収められたサウンドはこのジャケット以上に、聴く者に何か切実なものを訴えかけてくる。
 ピクシーズ史上もっとも美しいメロディを持つ曲のひとつ“カリブー”、パール・ジャムの“スピン・ザ・ブラック・サークル”を思わせる“イスラ・デ・エンカンタ”(彼らはこの曲ヒントにしたのかもしれない)、“エド・イズ・デッド”、乾いたスパニッシュ系のギター・リフに痺れる“ニムロッズ・サン”、ラップのようなフランシスのヴォーカルが特徴的な“アイヴ・ビーン・タイヤード”など、結成から1、2年のバンドとは思えないほど、アイディアに溢れ、完成度の高い楽曲が並んでいる。ピクシーズを聴くなら、本作も必ず押さえておくべき。(加藤直宏)

『サーファー・ローザ』
Surfer Rosa
4AD / 1988年

Amazon

 いま聴いてもゾクゾクする。ブラック・フランシスのささくれだった金切り声、頭を掻きむしっているかのように鳴らされるギターのノイズ、混沌のサウンドの中にふいのカウンターパンチのように散りばめられたポップなメロディやコーラス……、若き4人の匂い立つような初期衝動がスティーヴ・アルビニのプロデュースによって、生々しく記録されている。1988年に〈4AD〉からリリースされたこのファースト・アルバムは、グランジはもとより、その後のギター・ロックに大きな影響を与えたオルタナティヴ・ロックの金字塔として知られている。カート・コバーンが『ネヴァーマインド』を制作する際に本作から多くのヒントを得たというのは有名な話だし、2002年にチャンネル4で放送されたドキュメンタリー『Gouge』ではデヴィッド・ボウイ、ボノ、トム・ヨーク、ブラー、PJハーヴェイ、トラヴィスといった面々がピクシーズへの想いを語っていたが、本国を超えてそのサウンドは多くのミュージシャンたちに影響を与えている。アルビニのプロデュースも手伝ってか、本作ではとりわけ彼らのアルバムの中でもパンキッシュで攻撃的なサウンドが展開されている。どの曲も短くソリッドで、しかし強烈なフックを持っている。ピクシーズでもっとも有名な曲のひとつであり、後にブリーダーズを結成するキム・ディールが歌う“ギガンティック”(アップルの最新CMでも使われていているのはこの曲)、映画『ファイトクラブ』のエンディングで流れる“ホエア・イズ・マイ・マインド?”など名曲揃い。サイモン・ラーバレスティア(Simon Larbalestier)による退廃的なジャケットの写真も素晴らしい。(加藤直宏)

『ドリトル』
Doolittle
Rough Trade / 1989年

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スティーヴ・アルビニを迎えた前作『サーファー・ローザ』でUKインディー・チャートのトップに躍り出た彼らは、通算2枚めとなる本作でさらなる飛躍を遂げる。ルイス・ブニュエルの短編映画『アンダルシアの犬』からインスパイアされたという冒頭曲 “ディベイサー(Debaser)”は、まるでグランジ〜オルタナの「幕開け」を告げるかのようなインパクト。キム・ディールのベースライン/コード進行は、その後のインディ・ギター・バンドにとって、一種の「ひな形」になったといっても過言ではないだろう。不気味なうめき声と制御不能な咆哮を、1曲の中で目まぐるしく使い分ける“テイム”や“アイ・ブリード”など、ブラック・フランシスのヴォーカル・スタイルはもはや唯我独尊の域に達し、我関せずとばかりにレスポンスするキムのクールな声とのコントラストも、楽曲を立体的に際立たせている。変態的で、どこかオリエンタルな響きを持つジョーイ・サンチャゴのギターももちろん絶好調だ。ガールズポップのようなポップ・ソング“ヒア・カムズ・ユア・マン”や、屈指の名曲“モンキー・ゴーン・トゥ・ヘヴン”も収録された本作を、彼らの「最高傑作」と呼ぶファンは多い。(黒田隆憲)

『ボサノヴァ』
Bossanova
4AD / 1990年

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1990年リリースの通算3作め。『ドリトル』の延長上にある作品だが、楽曲はよりシンプルに、ストレンジながらもクリアな音作りも優れたバランス感覚で鳴っている。冒頭、オルタナティヴ版ベンチャーズのようなサーフ・ロック調のインストゥルメンタル“セシリア・アン”が意表を突く。全編にわたってブラックが叫び散らす「ロック・ミュージック」の行き詰まった焦燥は、ピクシーズとブラックの真骨頂ともいえる美しい瞬間を捉えている。黄金のリフを奏でる“ヴェロリア”、ロックンロールに駆け抜ける“アリソン”、ポエトリー・リーディングとギターのファンキーなカッティングからじつに美しいメロディへと流れこむ“ディグ・フォー・ファイア”には色褪せない輝きが。スペーシーなジャケットにも表れているとおり、宇宙やUFOが登場するリリックも興味深い。メインストリーム寄りのアルバムとして批判する向きもあるが、僕にとっては重要なアルバム。(天野龍太郎)

『トゥロンプ・ル・モンド』
Trompe Le Monde
4AD / 1991年

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前作『ボサノヴァ』でアレンジ/サウンド・プロダクションの幅を一気に広げ、全英でヒットを記録した彼らが、リハーサル・スタジオから漏れ聴こえるヘヴィ・メタル(オジー・オズボーンやラット)に触発され、ヘヴィメタ要素を大々的にフィーチャーした通算4枚め(ちなみに邦題は『世界を騙せ』)。16ビートのギター・バッキングやライト・ハンドの早弾きなどヘヴィメタ奏法で聴き手の血をたぎらせつつも、いきなりワルツをぶち込んで意表を突くアルバム表題曲をはじめ、随所で顔を見せる天の邪鬼っぷりは健在。キャプテン・ビーフハートやスネイクフィンガーとの共演経験を持つキーボード奏者、エリック・ドリュー・フェルドマンを迎え、これまで以上にシンセ・サウンドを取り入れたのも印象的だ。畳み掛けるような前半のテンションはとにかく異様で、アルバム全体のメタリックな感触にリリース当時は少々戸惑ったものだが、人を食ったようなジザメリのカヴァー“ヘッド・オン”をはじめ、いま聴くと親しみやすい曲もけっこう多い。何より、ナンバーガールやART-SCHOOLなど90年代以降に登場した日本のギター・バンドに多大なる影響を与えたアルバム、という意味でも重要な一枚だ。(黒田隆憲)


サーフ・ポップがねじれをこじらし、波乗りしていたらうっかり宇宙の哲学にまでたどり着いてしまった問題作『ボサノヴァ』の後にリリースされた5枚め。当時、最新ファッションとまで化していたグランジ・ブームのど真ん中で、もろに直球な“プラネット・オブ・サウンド”、幻想的にひた走る“ちびのエイフェル”あたりにシーンとのリンクを聴くことができるものの(というかシーンが追いついたのだが)、UKの〈4AD〉(←当時はデカダンな意匠をまとっていた)からのリリースというところにほかのUS産とはちがうワイアードな恍惚を感じたものだ。ミクスチャー風なグルーヴを採り入れた“スペース” “サバカルチャー”など、これまでにない骨太感も聴こえるが、やっぱり、インパクトのあるギターリフ、そして、妙ちきなくせに鮮やかなメロディをなぞるてろてろしたヴォーカルからの脂肪分たっぷりの絶叫に骨抜きにされてしまう。“モーター・ウェイ・トゥ・ロズウェル”の美しさもさることながら、シーンをともに築いた盟友ジーザス&メリー・チェイン“ヘッド・オン”のカヴァーを、悪意も皮肉もなくストレートに披露する懐の広さにもじんときたものだ。(久保正樹)


「世界を騙せ」と題された本作は、彼らの4枚めのフル・アルバムであり、今回の『インディ・シンディ』がリリースされるまでは、彼らのラスト・アルバムとして記憶されていた。本作を最後にして、1993年にバンドは解散。フランシス・ブラックはソロでの活動をスタートさせ、ベースのキム・ディールはすでに人気のあったブリーダーズでの活動に本格シフトしていくようになる。しかしながら、だからといって本作が輝きを失うわけではない。これほどの作品が作れるというのに、これで解散してしまうのはあまりにもったいないと思った人も多かったことだろう。それぐらい本作にはいい曲がたくさんある。“アレック・エッフェル”“プラネット・オブ・サウンド”“レター・トゥ・メンフィス”といった名曲に加え、ジーザス&メリーチェインの“ヘッド・オン”のカヴァーも収録。サード・アルバム『ボサノヴァ』でのサーフ・ロック的な路線から一転、本作では『サーファー・ローザ』時代に戻ったような、パンキッシュでささくれだったギター・サウンドが展開されている。フロントマンのブラック・フランシスはバンドを結成する際に「ハスカー・ドゥとピーター・ポール&マリー(1960年代にUSで大成功を収めたフォーク・バンド)が好きなメンバーを求む」と募集をかけたそうだが、ピクシーズというバンドは本当にそんな感じのサウンドだ。歪んだギターの轟音の中に、とてつもなくポップなメロディが潜んでいる。『トゥロンプ・ル・モンド』もそんなピクシーズの魅力を存分に味わえるアルバムだ。(加藤直宏)

『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』
Pixies at the BBC
4AD / 1998年

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当時からライヴの良し悪しがその日の状態によって大違いなバンドとして定評(?)のあるピクシーズ。妙々たる奇跡のようなパフォーマンスの傍に──いつがっかりさせられてもおかしくない──垢抜けない要素がべっとり貼りついているところが、彼らを信頼できる所以であったりする。88年から91年までのBBCライヴを収めた本作は、テンション高く、キレも抜群で、アルバム以上にムキ出しズルむけとなったピクシーズのセンスとユーモアを存分に味わうことができる。フランシスの乾いたギターと、サンティアゴの艶っぽいギターの絡みもいつになくスリリングで、キムのコーラスもぱっと華やか。『サーファー・ローザ』以外の各作品から、ライヴ映えよろしい楽曲が選りすぐられていて、ピクシーズ初心者にも心の底からオススメできる内容だ。そして、玄人のあなたにはこちら。締めを飾るピーター・アイヴァースのカヴァー“イン・ヘヴン”(デヴィッド・リンチ監督『イレイザーヘッド』のなかで、おたふく娘が歌い上げる悪夢の幻想バラード)のフランシスの咆哮にまみれ、世にも美しい後味の悪さに浸ることをオススメする。(久保正樹)

Pixies - ele-king

結成から29年、再結成から10年。90年代以降のインディ・ロックに多大なる影響を及ぼしたバンド、ピクシーズの新譜がリリースされた。「本当に新譜が出るとは……!」という往年のファンから、「オルタナ」がオルタナティヴではなくなってしまった時代に聴きはじめた若いリスナーまで、もちろんその反応は一様ではない。しかし、どの聴き方にも真実がある。合評スタイルで多角的にアプローチしてみよう。

マイブラもブラーもローゼズも未踏、“正真正銘の最新アルバム” 黒田隆憲

 マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやブラー、それからストーン・ローゼズと、いわゆる“90年代レジェンド・バンド”の再結成(再始動)がここ数年は大きな話題となったが、その先駆けとなったのがピクシーズであったことは周知の事実である。2004年に彼らがオリジナル・メンバーで再び集まり、精力的にライヴをおこない、たとえばセックス・ピストルズのような従来の再結成バンドとはまったくちがう“現役っぷり”を見せつけたのは、ロック・シーンにおいてエポックメイキングな出来事だったと思う。ただ、再結成した彼らが新曲(およびニュー・アルバム)を作り上げてくれるかどうか? というのはまた別の話で、正直なところずっと懐疑的だった。ドキュメンタリー映画『ラウド・クァイエット・ラウド』を観るかぎり、ブラック・フランシスとキム・ディールの間の溝はもはや埋めようのない状態だったし、「この調子じゃスタジオに入って新作のレコーディングなんて夢のまた夢だな」と個人的には思っていた。おそれていたとおり2013年にキムはバンドを脱退。「もはや、バンド存続すら絶望的かも」と半ば覚悟していただけに、まるで吹っ切れたかのようにニューEPを次々と発表、ついには最新アルバムをリリースという、昨今の怒濤の展開には呆気に取られるばかりだ。「狐につままれたような気分」というのはまさにこのこと。マイブラもブラーもローゼズも、未だ成し遂げていない“正真正銘の最新アルバム”を、そこからもっとも遠いと思っていたピクシーズが最初に作り上げてしまったのだから(先だってのマイブラ最新作は、過去のマテリアルをケヴィン・シールズがひとりでまとめ上げたようなものなので、彼らは次が勝負だろう)。

 キムを除くオリジナル・メンバー、フランシス(ギター&ヴォーカル)、ジョーイ・サンチャゴ(ギター)、デヴィッド・ラヴァリング(ドラム)の3人と、サポート・ベーシストにはザ・フォールの元メンバーで、PJハーヴェイとの仕事でも知られるサイモン“ディンゴ”アーチャーがスタジオ入り。バッキング・ヴォーカルは今回ジェレミー・ダブスで、新ベーシストとして最近加入した美女パズ・レンチャンティンの出番はまだのようだ(レコード・ストア・デイの限定アナログ盤には、彼女が参加した“ウイメン・オブ・ウォー”がボーナス・トラックとして収録されている)。

 セカンド・アルバム『ドリトル』以来の朋友ギル・ノートンをプロデューサーに迎えたこともあり、サウンド・プロダクションはまったく申し分なし。感触としては『ボサノヴァ』の延長線上と言えるだろうか。楽曲も、“アイ・ブリード(I Bleed)”を彷彿とさせるような“グリーンズ・アンド・ブルーズ”、“ボーン・マシーン”のトーキング・ヴォーカルを引き継ぐ“インディ・シンディ”、“セシリア・アン”のスリリングな疾走感を連想する“スネイクス”など、過去曲に引けを取らぬクオリティのものが並ぶ(とにかく“メロディ指向”で、フランシスも丸くなったなーと感慨深いことしきりだ)。ジョーイ・サンチャゴの変態ギター、デイヴィッド・ラヴァリングのソリッドでタイトなドラムも健在だし、「ファンが聴きたかったピクシーズ」としての要件は十二分に満たしており、これを引っさげての〈サマソニ'14〉はいまから楽しみである。
ただ、新たな驚きというか、新機軸と呼べる要素はあまり感じられなかったのも事実。あくまでも本作はウォーミングアップなのだろう。GREAT3の『愛の関係』のように、ピクシーズも復帰第2弾で完全復活を高らかに宣言してくれるであろうと心から期待している。

黒田隆憲

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・『カム・オン・ピルグリム』(1987年)
・『ドリトル』(1989年)
・『トゥロンプ・ル・モンド』(1991年)
・『サーファー・ローザ』(1988年)
・『ボサノヴァ』(1990年)
・『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』(1998年)

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僕らがピクシーズに求めるもの 天野龍太郎

 ピクシーズが23年ぶりにアルバムをリリースする、との報を聞いたときには、正直なところ不安しか感じなかった。むしろ作品をリリースする、ということ自体に失望感すらあった。『ドリトル』がリリースされた年に生まれた僕なんかがいまさら書くまでもないことだが、1980年代のオルタナティヴ・ロックの黎明――既存のロック的表現から踏み外し、その異なる可能性をいびつでノイジーな音でもって探索していたそのさなか――において大きなインパクトを残し、カート・コバーンやトム・ヨーク、向井秀徳や峯田和伸らにトラウマティックな音楽的影響を与えてしまった4枚の作品を生み、そしていちどは完結した存在だ。ピクシーズにはオルタナティヴ・ロック/インディ・ロックの歴史のなかでたしかな存在感を放ったまま眠っていてほしい。そのように思っていた。

 それでもなお、ピクシーズの新譜に期待していなかったと言えば嘘になる。「俺はアンダルシアの犬だ!」(“ディベイサー”)と繰り返すブラック・フランシスの痛々しい叫びに、凍てつくような乾いたサウンドに、刺々しい音の隙間からのぞかせるいびつで美しいメロディに、崩壊寸前のシュールレアリスティックな詩世界に宿っていたあのジリジリとした焦燥感を再び聴くことができるのかもしれない。彼/彼女らがかつて表現していたあの混乱と狂気のさなかにある焦燥を。そんな期待が微かにあったこともまたたしかだ。しかし『インディ・シンディ』はその期待を裏切る。これはけっしていい意味ではない。

 ギターはノイジーに分厚くうねり、ドラムスのサウンドは荒々しく暴力的で、フックのメロディはポップである。ブラック・フランシスのハイトーン・ヴォイスは若干の衰えを見せながらもいまだ繊細な響きをたたえている。『インディ・シンディ』はじつによくできたオルタナティヴ・ロック・アルバム、というふうに感じる。教科書的、と換言してもいい。ロックのいちジャンルとして確立し固定化してしまったオルタナティヴという表現を焼き直しているだけのように聞こえる。
 周知の通りキム・ディールは去ってしまった。彼女の声とベースを失ったグループからはユニークな均衡がなくなり、匿名的なバンド・サウンドになっている(『ボサノヴァ』から『トゥロンプ・ル・モンド』へと至る時点でキムのバンドにおける役割はそれほど大きなものではなくなってしまっていたのではあるが、それでも)。ブラック・フランシスはトレード・マークとも言える叫び散らすヴォーカル・スタイルをほぼ排し、ずいぶんと落ち着き払って堂々と歌っている。ゆえに狂気も、焼けつくような痛々しい焦燥感も、ここにはない。むしろ余裕さえ感じられる。メロディには以前のような輝きもストレンジな感覚もなく、どこかチープな響きを持っている。

 1曲めに置かれた“ワット・ゴーズ・ブーム”はピクシーズの復活の幕開けを飾る曲としては完璧かもしれない――もしブラック・フランシスが叫び散らしていれば、より完璧だっただろう(この曲はバンドを去ったキム・ディールについての歌なのだろうか。そうだとしても、“Are we going to get rocking?”というフレーズはあまりクールじゃない)。『ボサノヴァ』のマナーを使い回すタイトル・ソングや、ブラック・フランシスお得意のポエトリー・リーディング的なヴォーカルがフィーチャーされた“バッグボーイ”はたしかに過去のピクシーズを思い起こさせてくれる。が、それらは過去の自身の表現の使い回し、というふうにしか感じられないのもまたたしかである。

 アウトサイディドな焦燥と狂気の表現のその先で、ピクシーズは堂々たる、しかしほとんど空虚なオルタナティヴ・ロックを演奏している。“グリーン・アンド・ブルーズ”はR.E.M.から芯を引き抜いたようなフォーキーなスタジアム・ロックであるし、“スネイクス”では野外ステージで合唱が起こりそうなメロディを付してヴェルヴェット・アンダーグラウンドを骨抜きにしている。“アナザー・トー・イン・ジ・オーシャン”の大仰なメロディ、“アンドロ・クイーン”の腑抜けたフォーク・ロックを取り繕う喋喋しいサウンド、単調なリリックで歌われるまるでTVドラマのテーマ・ソングのように清々しい“ジェイム・ブラヴォ”、“シルヴァー・スネイル”の間延びしたマッチョな歌……。こういったものはかつてのピクシーズからは想像できなかったものだ。ギターのリフやブラックの歌唱はまるで焼きが回ったハード・ロック・バンドのそれだし、ニッケルバックをインディー・ロックふうに仕上げたかのようなクリーンな音作りには居心地の悪さを感じる。

 奇妙に歪んだオルタナティヴ・ロックで複雑な詩情を奏でていたピクシーズがその先で到達した場所が「よくできたオルタナティヴ・ロック」であるとしたら、それは僕の求めるものではない。世界を騙せ、と引き攣った声で薄暗がりから呼びかけていたピクシーズの音楽は、もはや騙されるほうの明るく正しい「世界」の側から響いてきているかのようだ。かつてピクシーズの音楽が持っていた特別な意味、いまにも壊れそうな均衡のもとにある刺々しくも美しいサウンドが表現するところの苛立たしい焦燥や倦怠感や絶望や混乱はもはや彼らの手元にはなく、それらは遺産を引き継いだ若き先鋭的な音楽家たちが表現している――『インディ・シンディ』が教えてくれるのはただその一点である。

天野龍太郎

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・『カム・オン・ピルグリム』(1987年)
・『ドリトル』(1989年)
・『トゥロンプ・ル・モンド』(1991年)
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・『ボサノヴァ』(1990年)
・『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』(1998年)

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“絶叫”が後退、滲出する官能性 久保正樹

 1993年。沸点を迎えた(そして、間もなく終息する)グランジ/オルタナティヴ・ロック・ムーヴメントを横目に—──まるでお役目ごめんと言わんばかりに──そそくさと解散したピクシーズ。とくにここ日本では向井秀徳がナンバーガール時代からその影響を公言していることもあり、彼らのことをリアルタイムで知るものも、知らないものも、オルタナティヴを志すものにとってはひとつの大きな憧れとなり、みんなの意識のとんでもなく高いところに鎮座していたわけだが、2004年に突然オリジナル・メンバーで再結成。その後もコンスタントに活動を継続し、いまや仰々しい伝説から僕たちのピクシーズとしてすっかり身近な存在となっている。というか、みんなピクシーズが存在しているというだけで満足してはいないかい?

 昔の名前で出ているピクシーズもいいけれど、あんなにもふてぶてしい面格好をした連中に華やかなお祭り騒ぎはもういらない。そう、僕たちは新しいピクシーズがほしいのだ! 誰もがそんなことを感じはじめていたであろう2013年。彼らから不意に4曲入りEPが届けられた。5000枚限定の10インチ・アナログ盤&ダウンロードという形で発表されたこのEPは、第3弾まで連続的にリリースされ、ピクシーズ完全復活の狼煙を上げる。残念ながらその間にバンドの看板女将、ベースのキム・ディールは脱退してしまったが、そのEPすべての楽曲をコンパイルしたピクシーズ23年ぶりのアルバムが、本作『インディー・シンディー』というわけだ。長かった。再結成からじつに10年めのことである。

 のっけからかき鳴らされるディストーション・ギターにじりじりと立ち現れる絶叫。1曲めの“ホワット・ゴーズ・ブーム”を再生してからほんの5秒。もうこれだけでピクシーズ。センスの塊としか言いようがない、ジョーイ・サンティアゴのフィードバックを活かしたギター・リフ。じつはマジシャンだったりするデイヴィッド・ラヴォリングのタイトなドラム。ブラック・フランシスのふらふら漂い遊ぶハイトーン・ヴォイス。どこまでもストレンジで孤高なのに、すんなり耳に入ってくるメロディ。かゆいところをくすぐる絶妙なコーラス・ワーク。思いっきり切ないのに思いっきり力強い。そんなピクシーズ節がこれでもかと畳み掛けてくる。ああ……あと足りないのは、キムの可愛らしく伸びのあるコーラスだけではないか。キムのいないピクシーズなんてクリープの入っていないコーヒーみたいな……いや、待て、みなまで言うな。そんな野暮はここではまったく無用だ。巧妙に組み立てられた曲の構成、いつ爆発するのかわからない破壊力を隠しもった緊張の持続は、キムの不在を忘れさせるには十分すぎるものだ。そして、YouTubeなどでチェックしてもらいたいのだが、キム・ディール脱退後に加入したキム・シャタック(元ザ・マフス)の解雇(!)を経て、現在ツアーにも同行中の新ベーシスト、パズ・レンチャンティンにも注目だ。ア・パーフェクト・サークル〜ズワンにも在籍していた彼女の凛とした存在感。すらり容姿端麗にしてひらりガーリーな魅力も放ち(ベースのヘッドにはお花が!)、低く構えた大きなベースをクールに弾き倒す姿は、世に多い女性ベーシスト・フェチの心をがっちり掴んで離さないであろう。もちろんコーラスもばっちりだから最高ではないか。

 閑話休題。内容に戻ろう。『ドリトル』から『トゥロンプ・ル・モンド』まで、往年のピクシーズ・サウンドを支えたギル・ノートンをプロデューサーに迎えた『インディー・シンディー』。ギターとヴォーカルが、自由に漂泊して哲学するための空間を残したドラムとベースの8ビート。サビに向かいながら、ぐしゃっと潰れた音が密集するバンド・アンサンブル。そのサウンドの緩急と分離のよさは、まさにギル・ノートンの仕事だ。アコースティックな響きとエレクトリックな艶が絶妙にブレンドされた名曲“グリーン・アンド・ブルース”。リズムマシンのビートを採り入れた“バグボーイ”。フランシスの咆哮がマックスに達するヘヴィ・ロック・チューン“ブルー・アイド・ヘクセ”。見た目からは想像もつかない(失礼!)異様に美しくグラマラスな“インディー・シンディー” “スネイクス”。優しく柔らかに浮遊する“シルヴァー・スネイル” “アンドロ・クイーン”。シュガーコーティングされたとびきり甘いギターポップ・チューン“リング・ザ・ベル”、そして、切なさがいつまでも尾をひく本編ラストの“ジャイメ・ブラヴォ”などなど、楽曲のヴァリエーションの豊かさはこれまでの作品のなかでもピカいちで、最新型のピクシーズを堪能するにはこの上ない内容となっている。

 しかし、どこから聴いてもピクシーズなのに、これまでのどの作品とも違う肌触りはなんだろう。エキセントリックな展開や地の底から湧いたような絶叫が後退し、ひねてねじれたメロディとアレンジの妙が、楽曲の大部分に侵食してきたからだろうか。シンプルにして中毒性のある構成に焦点をしぼり、これまで巨体のインパクトが邪魔をして(フランシス少しやせた?)表に現れにくかった色気、一度ハマったら二度と抜け出せないねっとりとした官能が誘惑して、こちらの悦楽中枢をじんわりと濡らしてくれる。また、度重なる昂揚の裏に、これまでピクシーズに感じることは少なかった涙腺をくすぐる瞬間もたくさんあったりして。何度聴いても、何度も新しい。

 鈍い光を放ち、攻撃の手はゆるめず、しかし、随所にロマンチシズムをちらつかせるパイオニアの大きすぎる一歩がいま踏み出された。「らしさ」を残しつつ、過去の焼き増しとはまったく別のところに技巧をこらしたピクシーズが帰ってきたのだ。結成から29年。どこまでもストレンジなのに、どこまでもイノセント。まるで世界の奇観を眺めているような風変わりな透明感は、ますます度を増して、ある意味暴力的。これをファンタジーと呼ばずして、何と呼ぼうか?

久保正樹

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