MGMTは、この国のあるひとつの"ロック・シーン"という幻想がまだぎりぎり成立するのだという、その臨界点を示してくれるバンドだ。それは言い換えるなら、音楽専門誌を読み、大型CDショップで試聴し、月に幾枚かの新譜を求めるという、もしかするともう古くなってしまったかもしれないリスナー像の臨界点でもある。彼らはメジャーとインディ、ウェルメイドな音とクリエイティヴな音を差し貫く、ハイブリッドな存在感を備えている。そしてそのことによって分断(トライブ)化する"ロック・シーン"をかろうじて繋ぎ止めているかに見える。
デビュー作『オラキュラー・スペクタキュラー』の魅力とは、アニマル・コレクティヴをよりポップでよりファッショナブルに変換したという点に尽きる。2007年当時、アニマル・コレクティヴ『フィールズ』に代表される多幸的でトロピカルな極彩サイケデリアには、大きなエネルギーが噴出していた。影響力も新しさも気運もそこにあった。時代を動かすコテとして、それは他の様々なアーティストや表現のなかに潜りこむことになる。
MGMTのデビュー作はアニマル・コレクティヴが掘削したトンネルをより広い聴衆に向けて開通させるものであったとも言える。いや......と言うよりは、ポップ・マーケットの側から掘られた穴が、途中で彼らに当たっただけのことかもしれないのだが。ともあれ『オラキュラー・スペクタキュラー』は大きな支持を得て、彼らはグラミー賞の最優秀新人賞にまでノミネートされる存在となったというわけだ。
しかし、MGMTというのはポップということの両義性に非常に自覚的なバンドである。口を開けば、「人を不快にさせたい」「より劣悪でより非常識な音で人から非難されたい」といった露悪的な態度で自らの音楽性を相対化する。「不快」で「非常識」なはずが、世間的な成功を収めてしまったことに対する照れ。あるいはポップ・ミュージックと正面から向き合えない、幼い自意識......そんなものを抱えたバンドかと思っていたが、ブルックリンのデュオはセカンド・アルバム『コングラチュレーションズ』で、またしても抜け目なく見事なポップ・アルバムを作り上げたのである。
まずはレイドバック志向。ザ・ドラムスにも顕著なこのモードにフォーカスするのはセンスとしてコレクトだ。持ち味のウィアードなエレクトロ・サウンドを用いながら、ふたりはペイズリー模様を煌めかせるように、60'sサイケ~ガレージ的な傾向をずいぶんと深めている。
サイケデリックの伝説的バンドとして知られるラヴを思わせる雅やかな旋律を、シューゲイザーと呼ばれてしまいかねない独特の残響につつんで軽やかに疾駆する"イッツ・ワーキング"。オルガンが露悪的に跳ね回る"ソング・フォー・ダン・トレーシー"(テレヴィジョン・パーソナリティーズのリーダーに捧げられている)も印象的な曲だ。そして"サムワンズ・ミッシング"や"フラッシュ・デリリウム"からはグラム・ロックの肉感的なサウンドが溢れ出る。マーク・ボランもデヴィッド・ボウイも聴き取れてしまうブリティッシュ・マナーの70'sロックだ。
"サイベリアン・ブレイクス"のような曲にもハント・アンド・ターナーなどのUKフォーク・ロックの影響を感じるが、ときおり挿入されるアコースティック・ナンバーは今作の特徴のひとつでもある。アルバムは実にバランスが良く構成され、1曲1曲のアイデアもしっかりしている。そして"MGMT印"の柔らかいファルセット・ヴォイスはデイヴ・フリッドマン(本作ではミックスを手がけているようだ)のスペーシーな音と見事に一体となっている。
それにしてもこのスケールの大きなポップ感は特筆すべきである。プロデューサーがソニック・ブームということはその説明にならないだろう。とにかくこれはひとつのトライブに回収されない音で、いろんなタイプの人間に行き渡ってしまう可能性を持った音だ。そんな作品は今日珍しい。つまり年配のお客さんが店頭で聴いてふとジャケットを手に取り、シングル買い回りのインディっ子からサラリーマン、あるいは音楽雑誌と一緒にレジへ持ってくる高校生......、繰り返すようだが、なんだか久々に昔ながらの音楽の風景というものを目の当たりにしているようなのだ。
波を挑発し、波から逃げる、呑まれる前に全速力で逃げる、そしてそれを楽しんでいるかのようなデザインのジャケットも素晴らしい。それは彼らのあり方を象徴するかのようだ。腹を割らない感じとでも言ったらいいだろうか。そもそも頭の切れるふたりだ。今作ではブライアン・イーノやレディ・ガガ、ダン・トレーシーといったポップの固有名詞を弄びながら、どことなく世界に対してアイロニカルに振る舞っている。
直球勝負はしないのだ。さまざまな音楽的意匠を利用しながらサーフィ
ンしきる......驕慢で不遜にもみえるが、なかなかクールなファイティング・ポーズじゃないかと思う。
「そんな自分たちに」か「そんな世界に」か、それとも何に向けてだ
ろう、"コングラチュレーションズ"。晴れ晴れと美しい、これもデヴィッド・ボウイ風の終曲。四分音符で小粋に下降するベースラインには、終わりとはじまりが、諦念と期待が入り交じっている。彼らは器用だが、確として道が見えているわけではない。波は、不安定なものだ。これからどうしていくのかわからないけれど、とりあえずここまで渡りきって、おめでとう。ここにもアイロニカルなニュアンスがないわけでもないが、そのようなアイロニーの無限連鎖をいったん断ち切る"コングラチュレーションズ"であったらいいなと思う。













永らく音信普通だった旧友とばったり再会したような......。面陳されたレコードのなかにこのシングルを発見したときには、そういう少し浮き足立った気分になってしまった。ステーシー・プレンの本作は、前作「ジ・エレクトリック・インスティトゥート・サンプラー(The Electric Institute Sampler)」から数えること5年、そして自身のレーベル〈ブラック・フラッグ〉からの作品としては実に8年ぶりとなるリリースである。その名も「アライヴ」ときたものだ。〈ブラック・フラッグ〉を復活させてのこのタイトル、否が応にも期待が高まる。

梅雨時が近づいてくると暗いレコードを聴きたくなる。落ち着いた音楽、というよりも"暗い"音楽だ。自分の話でなんなのだが、どうも僕は人よりちょっとばかり季節ごとのテンションのアップダウンが激しいようで......。しかも、これまた恥ずかしながら結構ステレオタイプな方向に。大体毎年春先に浮かれていろいろとやらかしてしまい、梅雨が近づいてくる頃にはどっぷりと反省の海に肩まで浸かることになるのだ。そんなときにしっくり来るのは、やっぱり底抜けに明るいラテン・ハウスではないと思う。
浮かれすぎたときに聴きたい1枚を紹介したのだから、今度は落ち込みすぎたときに聴きたい1枚を紹介するのが筋と言うもの。そこで紹介するのがバブル・クラブという聴きなれない名前のこのアーティストだ。実はこのバブル・クラブというのは、ロンドン在住のDJ/プロデューサーであるダン・キーリング(Dan Keeling)とエンジニアのロビン・トゥエルブトゥリー(Robin Twelftree)によるバレアリック・プロジェクトだ。ダン・キーリングといえば、カーク・ディジョージオとのユニット、クリティカル・フェーズの片割れと言うとピンと来る人もいるのではないだろうか?
ジュラシック5のチャリ・ツナ(Chali 2na)やビタミンD(Vitamin D)とのコラボレートにより、ヒップホップやR&Bリスナーのあいだで話題となったシンガー・ソングライター、チョコレート。シアトルを中心に活動する彼女がウェスト・ロンドンのクラブ・ジャズ・ユニット、リール・ピープルと手を組み、彼らのレーベル〈リール・ピープル・ミュージック〉からシングルをリリースした。表題の"ザ・ティー"は、彼女が昨年発表したアルバム『トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン(To Whom It May Concern)』のなかの1曲だ。このアルバムは前述のビタミンDや、メアリー・J・ブライジも手がけるジェイク・ワン(Jake
One)の手によるR&Bを昇華した生音のダウンビートが中心となっている。そのなかでもひときわディスコ・フィーリングに溢れ異彩を放っていたこの曲を、リール・ピープル人脈のアーティストたちがリプロダクトした本作は、――そう、言うなれば"ニュー・ソウル以降のブラック・ミュージックとしてのハウス"を好む人びとのハートを打ち抜くことうけあいだ。

小野島 大 / Dai Onojima





















