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1978年にムジーク(Musique)の『キープ・オン・ジャンピン』の大ヒットによってディスコの頂点へと登り詰めたのがエンジニアのボブ・ブランクで、その当時、スイティーヴ・ダクィストがアーサー・ラッセルとの"キス・ミー・アゲイン"の録音のためにブランクのスタジオ〈ブランク・テープス〉を手配すると、録音に神経質なアーサー・ラッセルが喜びを隠しきれなかったというエピソードが物語るように......、あるいは当時、ニューヨークのアートの中心であった〈キッチン〉に関わっていたラッセルがディスコを本気でやろうと決心したときにブランクの『キープ・オン・ジャンピン』を研究したように......、それからラッセルがアレン・ギンズバーグをブランクに紹介したように......、そう、ボブ・ブランクはディスコ全盛期のニューヨークの、喩えるならクラウトロックにおけるコニー・プランク、ルーツ・レゲエにおけるリー・ペリーのような存在と言えよう。彼はディスコの一流の職人のひとりで、実際に関わった作品の数はあまりにも多い。〈サルソウル〉や〈プレリュード〉や〈ウェスト・エンド〉といった名門から、〈ZE〉のようなポスト・パンク......なんてものではない、なにせ〈サルソウル〉前夜からそこにいたのだ。作品を挙げれば枚挙にいとまがないが、ひとつ言えるのはファンクからラテン、ディスコからミュータント・ディスコの時代にかけて、彼は間違いなくダンスのエキスパートだったということである。
『ザ・ブランク・ジェネレーション』は、そんなブランクの膨大なカタログから『Last Night DJ Saved My Liffe』の著者が13曲を選んだもので、マニアックな選曲によってブランクの多様な側面を楽しめる内容となっている。
サン・ラの"ホエア・パスウェイズ・ミート"やジェイムス・ブラッド・ウルマーの"ジャズ・イズ・ザ・ティーチャー、ファンク・イズ・ザ・プリーチャー"といったジャズとファンクとディスコの融合、ザ・ネセサリーズ(アーサー・ラッセルもメンバーだったニューウェイヴ・バンド)の"ステイト・オブ・アート"やリディア・ランチ(ノーウェイヴの女王)の"ア・クルーズ・トゥ・ザ・ムーン"といったポスト・パンクのミュータント・ディスコ、チャランガ76(ヒスパニック系のバンド)の"ミュージック・トランス"のようなセクシーなラテン・グルーヴ......他にも、ひと癖もふた癖もあるディスコ・ナンバーが揃っている。ジェイムズ・ブラウンのライヴでバック・コーラスを務めていたブランクの妻ローラ・ブランクの"ワックス・ザ・ヴァン"(アーサー・ラッセルによるバレアリック・クラシック!)、バンブレビー・アンリミティッドの"アイ・ガット・ア・ビッグ・ビー"(底抜けに明るいガラージ・クラシック)、フォンダ・レイ"オーヴァー・ライク・ア・ファット・ラット"(ヒップホップのDJからも愛される永遠のクラシック)、そして素晴らしいとしか言いようがないグラッディ・ナイトの"イッツ・ア・ベター・ザン・グッド・タイム"のウォルター・ギボンズのリミックス・ヴァージョン等々......。
このコンピがあなたの人生を救うことはないが、ディスコの奥深さを知ることはできる。ディスコとは刹那的な音楽だが、いまも鑑賞にたえうる音楽なのだ......という言い方はボブ・ブランクに失礼だろう。先述したように、彼はディスコのコニー・プランクなのだから。なお、リリース元はゼロ年代の初っぱなの『ディスコ・ノット・ディスコ』シリーズによってDFAなど新しい世代によるレフトフィールド・ディスコの登場を準備して、アーサー・ラッセル・リヴァイヴァルをうながした〈ストラット〉。ラッセル周辺をはじめ、小野洋子からカンやイエローまで収録した『ディスコ・ノット・ディスコ』も好企画だったけれど、これも負けじと劣らぬ気の利いたコンピレーションである。
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マッシヴ・アタックの新作に比べて、復活第二弾となるボム・ザ・ベースの新作はあまりにも話題になっていないな。湾岸戦争が勃発したころは、どちらも「戦争を想起させるから」というよくわからない理由で改名を強制されてたくらい影響力のあるアーティストだったんだけどな。まぁ自分も08年にやはり〈!K7〉からリリースした復活作のことはまるで知らなかったし、長年裏方に徹してしまった人が再度スポットライトを浴びようというのは容易ではないのだろう。
ボム・ザ・ベースことティム・シムノンは、87年のデビュー曲「Beat Dis」や、プロデュースしたネナ・チェリー「バッファロー・スタンス」の印象が強すぎて、洗練されたサンプリング魔術師、UKヒップホップ~アガれるDJミュージックの第一人者といまだに思われているところがある。しかし、実際には91年のセカンド・アルバムあたりからもうどよーんとした雰囲気やダブ趣味、それにとってつけたようなR&B歌唱が乗るというありきたりな路線になってしまい、まぁそういうのだったらブリストル勢とかほかにいくらでもいいアーティストがいるという時代に突入していくなかで急速に人気が陰っていく。一方で、プロデューサーとしてはビョーク、シンニード・オコナー、ギャヴィン・フライデー、カーヴ、デペッシュ・モードなどを手がけ、お、これはフラッドとかマイク・ステントとかみたいな職人の道を歩むのか......などと思っていたら、いつのまにかそっちの道も途絶えてしまっていたようだ。
なんの情報もインプットせずにCDをプレイヤーに入れて再生すると、いきなりきらびやかな歌ものエレポップが流れてきて、驚かされる。元はエレポップなデペッシュ・モードをプロデュースしてもかなりダークな『Ultra』になっちゃったティムなのに、なんなのこの変貌ぶりは。いや、たしかに日本だけじゃなく、世界中でエレポップ風の打ち込みトラックバックにして女性ヴォーカルが唄うスタイル、流行っているよ......しかしここまで開き直ってもいいのかね。――と半分くらいまで到達して、箸休めもなにもなく全曲その調子なので資料に手を取って再度びっくり、なんとプロデューサーがギ・ボラットではないか! その昔、まだ彼が注目される前に〈Kompakt Pop〉から出た歌ものエレクトロな「Like You」がものすごい好きでずっとDJバッグに入れていた者としては、ティムのようなポップ職人でありDJミュージックのパイオニアが現在のフロアの最前衛でさらに西洋的音楽観だけでない素養を持つギ・ボラットにアルバム全体を任せるなんて、と少し泣けてしまったよ。で、改めてCDを頭までリワインドして正座して聴き直してみる。
ポール・コンボーイ、リチャード・デイヴィス、ケリー・ポーラーら哀愁を帯びた男性ヴォーカルを聞かせるゲストを起用し、アッパーになりすぎず繊細なアレンジワークを展開。昨今、巷に腐るほどあるただの手法としてなんとなくデケデケシンセ鳴らしてみましたという類とはちがい、ヴィンス・クラークやジョン・マーシュ(The Beloved)あたりのかつての仕事のように、エレクトロニクスへの偏愛が生みだしたプラスチックの宝石みたいに安っぽさはあっても愛おしい輝きに満ちている。正直、これがボム・ザ・ベースの作品である必然性はまったくない気もするが、例えばミス・キティンあたりが当初のチープさを脱しよう脱しようとして、プロダクションに力を入れれば入れるほど魅力を失っていったのとは真逆で、ハイ・プロダクションの世界からストリート的猥雑さ、シンプルさにおりてきて、なおかつ本来のポップとしての質を失っていないというのは、なかなか思い切った挑戦だ。しかし、売れるフックが欲しかったとはいえ、10年前のボツ曲に違いない、マーティン・ゴアの参加した陰鬱なインスト曲で最後を締めるのはどうなのかと。別に悪い曲だとは思わないけど、どう考えてもここだけ違和感があるんだよね。
終わりなき日常のフルクサス〈二〉
1984ヨーゼフ・ボイス〈一〉
私は気づけば更新が大幅に遅れてしまったが、前回書いた通り、明日には終わってしまうヨーゼフ・ボイスの展覧会の会場に会期ぎりぎりに飛びこみ、妻と子ども(と、このときは妻の両親もいた)を引きまわすように慌ただしくまわったものだから、展示の細かな内容はもちろん、会場の水戸芸術館の一角でうずくまるようにして考えこんだことはすでに薄れつつあるが、ここに記そうと思う。
ボイスは、これも前回書いたが、フルクサスと結びつけるのはむずかしい作家であるのは、彼は60年代初頭にフルクサスに接近しながら、活動をともにするうちに、おもに思想の齟齬から離れはじめたと思われるからだ。1978年5月9日に死去したマチューナスを追悼し、ボイスはナム・ジュン・パイクとともにデュッセルドルフの州立美術館の一角で、「In Memoriam George Maciunas」と題した〈アクション〉(フルクサスにならえば〈ハプニング〉)をおこなったが、これはボイスとフルクサスを出会わせた触媒であり友人でもあったパイクを、フルクサスの中心人物であったマチューナスとの関係にとりこんだボイス流の社会関係を基底にした追悼の様式であり、同時にフルクサスという流動体の、別の意味ではきわめて「音楽的」な運動への彼なりの批評でもあった。パイクは元は19世紀末のウィーン楽派の研究にはじまり、50年代末から60年代にかけてシュットクハウゼンの門下生でもあった音楽家であり、彼のドイツや日本への親和性がボイスのフルクサスへのコミットをうながしたのはまず間違いないだろう。
今回『ボイスがいた8日間』と題した水戸芸術館の順路通りにたどればほとんど最後にあたる第9室で上映された、1984年6月2日の夜の草月会館でのアクション「2台のピアノのためのパフォーマンス」(のちに「コヨーテ・」に改題)でもパイクはアクションに参加し、リーディングとコヨーテの咆哮を模したボイスの(文字通りの)ヴォイス・パフォーマンスに、即興的で訥々としたピアノをかぶせていた。私はヴィデオ上映で、けっして音響が完璧とはいえない環境でこの演奏を初めて見たが、端的にはこのアクションは「音楽」ではなかった。フルクサスの運動の精神的な支柱だったジョン・ケージ(彼のことも私はこの連載でいつか書きたいと思っているが)の「実験」音楽が音楽を内から外へ領域を拡大させるように進んだのにたいして、ボイスは音楽を外からさわろうとする。パイクは音楽の不可能性こそをめざし音楽自体を止めてしまったが、ボイスにとっての音楽は彼が平行して手がけたドローイングやオブジェクトやインスタレーションやマルチプルや、もっといえば思想や哲学や教育といった諸要素のなかでも下部に位置するものだったのだろう。私はいいとか悪いとかでなくて、音楽は不意にやってくる。音楽は様式をつねに待望しているのだけど、演奏の再現性は身体性と環境にたやすく左右され、様式は決定稿をつねに先送りされることになる。この遅延を使ってクラシック音楽はロマン派から今日まで命脈を保ってきたが、ポピュラー音楽にしてみれば、決定稿は発表当初からパッケージの形で存在していて、私たちは街頭からコンビニの店内にいたるまで不意打ちのように決定稿を聴かされるはめになった。 先月あたりか、朝日新聞のコラムで天野祐吉が「正月に福袋しか売れないのは、私たちは本当は買いたいものがないから買うのだ」と書いていて(うろおぼえの引用なので正確ではないです)思うところがあったが、これは音楽にも起きている。消費から音楽を考えれば、たぶん聴きたいものはそうはない。私たちは音楽という不意の受動的な体験に、能動的に向かうことでかろうじて、音楽を成立させなければならないということは、数年前ににわかにとりざたされた「聴取」という言葉にもあわれている。『ゼロ年代の音楽』のレヴューの一部でも書いたのでよろしければご覧いただきたいですが、「聴取」をめぐるここ数年の問題意識は音楽の「聴く方」だけでなく「やる方」の自意識に重きが置かれたもので、ミュージシャンは音楽を演奏するとともに聴かなければならないのである。このまえ、山本達久と千住宗臣という若手を代表するドラマーふたりにインタヴューしたときに気づいたが、ある曲の楽想を尋ねた質問に彼らは「ドラムセットに座って叩いているときに聞こえる音を再現しようと思った」と答えた。もうリスニング・ポイントはオーディオ・マニアックな愉悦を超えて、音楽を演奏する主体の耳に届く音をさえ再生する方向へ(無意識に)動いていて、音楽の需要/受容がライヴの現場へ回帰した現象とそれは同期するといえなくもない、との前提がある現在からボイスとパイクのパフォーマンスをふりかえると、やはり音楽未然なのだった。私は繰り返すが、これをいいとも悪いとも思わない。フルクサスは音楽的だったと前回書いた私の意図は、彼らは音楽的受動性をもっていて、ある局面において表現が音楽のダダイスティックなパロディとして現れるときもそこには音楽の反語として音楽に抜けるバイパスがあるのだけど、ボイスの音(声)は意味――自然、環境といったものから受けたインスピレーションのようなもの――は伝えるが、その音には意味以上のものは感じられなかった。むしろこれが無意味なノイズならボイスの声は聴く人たちのなかにある様式との軋轢をもたらしたのだと思うが、ノイズではなくそれは彼のいうように「アクション」であり、反復された「行為」よりも「意味」が前にでてくる(彼がパフォーマンスに黒板をもちいたいたのもそれに拍車をかけた)からそれは「ミニマル」でもない。私はリハーサル風景や公演後の質疑応答をふくめた2時間のヴィデオをすべてみたわけではないので、ボイスの意図はべつのところにあったかもしれないが、本番の演奏でいちばん面白かったのは、それまでピアノで断片的なモチーフを淡々と弾いていたパイクが脇に設置されたマイクをピアノの鍵盤に叩きつけたとき、その集音部がポロッとはずれた瞬間だった。背中越しにパイクを写していたヴィデオ・カメラはパイクが狼狽した姿をのがさず、水戸芸術館の巨大の立方体にちかい上映空間のスクリーンの前にいた私は笑いだした。私以外の誰も笑っていなかった。しかし私はそのときアクションにハプニングが裂け目をつくった気がして、血が沸き立ったようにうれしくなり、うろたえたパイクの肩を叩きたくさえなった。
[[SplitPage]]終わりなき日常のフルクサス〈二〉
1984ヨーゼフ・ボイス〈一〉
水戸の妻の実家に帰ったあとに、私はその場面を何度もかみしめながら、数年前に表参道のライヴハウスでみたチャールズ・ヘイワードの単独公演を思い出した。「ディス・ヒートの伝説的ドラマー」の煽り文句で身動きとれないほど盛況だった初来日時とはちがい、このとき表参道でおこなった単独ライヴはほどよい集客だった。演奏はドラムとヴォイスをメインに小物(サンプラーやラジカセ)を絡めたパンキッシュかつポップなヘイワードらしい即興でたのしかったが既視感はいなめず、私はどこか確認するような気持ちにもなっていた。終盤にさしかかりヘイワードはドラムセットから舞台の中央にでてきて、小物のひとつのラジカセの取っ手をつかみゆっくりと回しはじめた。ラジカセが旋回するごとにそこから流れる音がヘイワードを中心にした円周の上で奇妙なドップラー効果を生み、速度があがると音程も変わっていく。見た目にも音響的にもこのパフォーマンスは私たちを惹きつけ、場はしだいに盛り上がり、ヘイワードもラジカセをまわしにまわし、最高速度になったとき......ラジカセの取っ手が外れ、本体は横に舞台横にすっ飛び、壊れた。私と私の隣に座っていたカメラマンの塩田正幸は叫び声をあげた。ヘイワードは運動の慣性でなおも数回腕をまわしたが、顔には唖然とした表情が張りついていて、それは1984年6月2日の草月会館でみせたパイクと重なるものがあった。このようなことがあると場の空気は一変する。あのあと、ヘイワードは猛然とドラムを叩きだし、パイクの演奏の色彩は変わった。だが、ボイスはそれに触発されない。ボイスの位置からはパイクが死角になっているのか? 彼は鼻孔から吸いこみ喉の奥をとおし絞り出した空気をマイクで増幅し、黒板にその場で書き記したスコア--それは音価を示したリズム譜のようなものと思われる--をチョークでなぞりながら咆哮をコントロールしている。
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BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命 フィルムアート社 Amazon |
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今回の展覧会の副読本『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』(フィルムアート社)で高橋瑞木氏は「例えば、美術家の赤瀬川源平は、東野芳明と写真家の安齊重男との鼎談で「見てはいけなかったものを見てしまった」と語り、草月ホールのパフォーマンスを中座したと告白している」(文中の脚注指示は省略した)と書いたが、赤瀬川源平とおなじ気持ちになった観客はすくなからずいたはずで、仮に中座してもアクションの「価値」(とはつまり「意味」だが)は損なわれなかったに違いない。パイクはときに童謡のメロディを弾き出し、パフォーマンスに起伏をつくろうと試みるが、舞台上手のボイスは巌のような意味の塊に見え、アクションは千代に八千代につづくかのようにさえ思われたが、あるとき唐突な終わり方をした。私は切断にも似たその休止がアクションの意味を増幅させて驚いた。「コヨーテ・」は制止し、ボイスが執拗に指し示した意味の塊が舞台から消え去ったあとにかえってその重みをました気がしたのだった。アクションがイナクション(INACTION)になったとき初めて私はその上に悠久の時間が流れだしたとでもいえばいいのか、時間を超えた普遍さえほのめかされた気分になった。彼はあの1984年6月2日の草月会館にいた観客だけが相手だったのではなく、草月会館の外の木々のざわめきと通じ、ポストモダンが喧しくいわれだした1984年から歴史を遡り、無人の時間に達しようと吠えつづけたようでもあった。もう彼の行為は音楽の様式との相克が問われるようなものでなく、「音楽ではなく」、だが「音楽になり得る」なにかだったのではないか。
それはまたボイスとフルクサスとの差異をに思わせるものでもあった。彼の重要なモチーフのひとつである脂肪が温度によって液体にも固体にもなるように、つねに流動体を意図したフルクサスとボイスは共有できる領域をもちながら、他方で溶け合わないものがあり、それはボイスの創作上の哲学からきていると思われるが、詳しくは次回書きます。
明け方に雪そっくりな虫が降り誰にも区別がつかないのです
穂村 弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
ゴミを見てゴミを美しいと思う、それがシットゲイズ(shitgaze)という感性だ。さらに言うなら、そこには逆説的なニュアンスがあってはならず、ふつうに美しいと思うのでなければならない。なぜゴミがふつうに美しいのか。それは、ゴミが世界に対する自らのアナロジーとして感じられるからだ。自らばかりではない。我々の、人びとの、みんなの生がゴミのよう。ゴミのように輝いている。そういう認識である。
シットゲイズという言葉は、レイト・ゼロ年代を、あるいは10年代のグレーな幕明けを思うとき、影送りのように眼裏をかすめる。見ての通り「シューゲイズ(shoegaze)」に「シット(shit)」を掛けた言葉で、一群のバンドや音を指す。なるほど深いリヴァーブやフィードバック・ノイズといったシューゲイズ・サウンドの輪郭を持ってはいるが、本家シューゲイザーに色濃くうかがわれるセカイ系的な甘美さはない。あるのはミクロな日常性を加工なしに垂れ流す不敵さ。オハイオのローファイ・デュオ、サイケデリック・ホースシットのマット・ホワイトハーストの発言がこの言葉の起源となるようだが(2009年に『シットゲイズ・アンセムズ』というミニ・アルバムも出している)、我々が思い浮かべる具体名としては、タイムズ・ニュー・ヴァイキングやイート・スカル、シック・アルプス。またノー・エイジやウェイヴス、ヴィヴィアン・ガールズまで含めてもよいだろうし、ウッズ率いる〈ウッドシスト〉、ブランク・ドッグス率いる〈キャプチャード・トラックス〉、〈イン・ザ・レッド〉といったレーベル名をぼんやりと思い浮かべれば間違いはない。ローファイでガレージー、リヴァービーでダウナーな音は映画『ガンモ』の描き出したような郊外的な閉塞や絶望をはらみながらも、それをとくに苦にしない一種の知性でもってゼロ年代的な風景を照らし出す。ヴォーカル・スタイルにも共通性があって、なんだかみんなそのもやもやした音の向こうでいっせいに、わーっと、つぶやいている。遠方でペイヴメントが結像するようなローファイ2.0、そうした一群だ。
さて、そんなローファイ2.0の中心地、USシーン最大のサイケ/シューゲイズ・コロニー〈ウッドシスト〉より、人気2バンドのメンバーによるコラボ・ユニットのデビューEPがようやくCDでリリースされた。ブランク・ドッグスことマイク・スナイパーと、ダム・ダム・ガールズのディー・ディーという小憎い男女デュオだ。ブランク・ドッグスが自身の〈キャプチャード・トラックス〉よりリリースしたダム・ダム・ガールズのデビューEP『ダム・ダム・ガールズ』は昨年大いに話題になり、自らも〈イン・ザ・レッド〉からのセカンド・アルバム『アンダー・アンド・アンダー』で日本でもいっきに存在感を増した。メイフェア・セットとしてのデビュー・シングル『オーレディー・ウォーム』は〈キャプチャード・トラックス〉からリリースしている。じつにUSらしい、バンド同士の有機的な横のつながりがシーンを生み出す好例と言える。
トラック3の"ジャンクト!"(12インチの方ではトラック1)。何遍聴いてもそのたびに「こんなに速い曲だっただろうか?」と感じるシットゲイズの名曲だ。この逸るようなリズム感は上記のローファイ勢のなかにぜひとも聴き取ってもらいたい要素である。ノリはスカしたようにゆるいのだが、リズムは意外に切迫しているのが彼らだ。そしてゆらゆらした温泉のようなリヴァーブを取り去っても、かなりしっかりメロディが残る。達観しているようで青い。そうした切ない要素が特にストレートに出ているのがメイフェア・セットである。それゆえに例えば『ピッチフォーク』等では辛めの点数を付けられるのだろうが、おそらくはディー・ディーによるところのこのやや甘口なドリーム・ポップ・テイスト、c86的なメロディ志向は、間違いなく2009年を牽引したエレメントのひとつである。彼女の少年のような声もいい。そしてブランク・ドッグスのローファイ/シューゲなプロダクションは彼一人のときよりも彼女の声が添うときに雄弁だ。ローファイな録音の、粗い粒子の一粒一粒がこの世界を取り巻くゴミのよう、自らもそのひとつだ......。それはなんとなく雪のようでもあり、美しい。誰にも区別はつかない。虫か、ゴミか、雪か。
冒頭の歌にはわずかに世界への呪いを感じるが、シットゲイザーはその後の世界を生きている。この世はクソかも知れないが、それは生まれてきたときからそうだったし、自分もクソみたいなものなのだろう。それはまあそれでいい。それはべつに、世界が美しくないことを意味しないのだから。シットゲイズな感性にはどちらかといえば肯定的な知性がある。そしてメイフェア・セットのサウンドは、少なくともゴミのように美しい。
ごく常識的に考えて、人生には何の目的もないから、せめて生きているかぎりの自我実現の目標を立て、それがどんなに儚いものであるにせよ、また可能であれ不可能であれ、歴史のなかにおのれの生の痕跡を残しておきたい、という考え方がある。またその一方、人生には何の目的もないから、自我なんかどうでもよく、何か一つの目的をそこに設定して、信じるにせよ信じないにせよ、それに向かってしゃにむに突っ走り、おのれを滅ぼすと同時に世界をほろぼしてしまいたい、という考え方がある。
澁澤龍彦「輪廻と転生のロマン」
永遠を信じないならどっちみち同じだよ
あるぱちかぶと"或蜂"
あるぱちかぶとの『◎≠(マルカイキ)』は突然変異体だ。ラッパーらしからぬラッパーによる、ヒップホップらしくないヒップホップのアルバムは、最初から孤立することを覚悟しているようにも思える。自称デラシネ(根無し草)が創造したこの作品は、新しい楽曲に関して言えば、韻を踏むことさえまるで気にしていない。彼が執着するのはラップの約束事よりも、まるで戯作や短編小説を書き上げるようにひとつのリリックを完成させることなのだ。
あるぱちかぶと ◎≠(マルカイキ) Slye |
そして『◎≠(マルカイキ)』は葛藤の物語だ。自己分裂をテーマに展開する"或蜂"。そして、「体はひとつ/感情はななつ/気分は無数(略)いくら数えても数えても数えても数えても数のほうが足りない」という"頭"、「お前はいまでもあそこに座ってぼくを待っている」――フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』のように分裂症をトリックとする"日没サスペンデッド"。
トピックは他にもある。"トーキョー難民"では聴き手がそれを理解するよりも早く地名が連射される。そして聴き手の脳裏に街の姿を想像させる。レトリカルな"コケシの笑み"や"葉脈は性懲りもなく"も面白い。こうした過剰な言葉遊びは彼の独壇場でもあろう。アルバムのベストのひとつであろう"完璧な一日"は、1日のなかで人が生まれ成長し、大人になり、そして死んでいく様が描かれる。なんとも奇妙な叙情詩である。
あるいは、"元少年ライカ"を聴いていると僕はとても切ない気持ちになる。あるぱちかぶとは、宇宙の霊魂に過去の記憶を語らせながら、ひとりの無名の人生に慈しみを注いでいるようだ。そして聴き終わってからあらためて驚くのは、この詩人がまだ23歳であるという事実なのだ。
よって僕は、このラッパーがいったいどんな青年なのか知りたくなって、2月某日の昼下がりに下北沢で待ち合わせることにした次第である。約束の時間よりも5分ほど遅れて着くと、彼はそこに立っていた。
■どんな青年だろう? ってずっと気になっていたんですよ(笑)。しかし......間違ってもラッパーだとは思われないだろうね。
はははは。
■何故ラップ表現をやることになったんですか?
2005年にやりはじめたときはもっとヒップホップしてたと思うんですけどね。
■ヒップホップらしくないヒップホップのアルバムだよね。
最初はヒップホップであることを意識してました。ラップすることは昔からの憧れだったんです。中学のときに聴きはじめていて......。
■そんなに早くから! 中学生のときから好きだったんだ。
はい。やりはじめたのが高校生のときでした。友たちの誕生日を祝うお金がなくて曲をプレゼントしたのが最初でしたね。やっぱり、自分のなかに表現したいという欲求がたぶん他人よりはあると思うんです。
■それはヒシヒシと伝わるよ。
それがなんでラップなのか? ってことですよね。それがいちばん、自分が伝えたいことを表現するうえで有効に思えたからです。
■小説には向かわなかったんだ。
小説は好きですけど、自分の言葉を音楽にのっけて抑揚つけながら発話する、そのやり方が自分にはしっくりくるんだと思います。
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あるぱちかぶと ◎≠(マルカイキ) Slye |
■ちなみに中学のときに好きだったラッパーは?
中学のときはアメリカに住んでいたんです。そこでラジオでいつも流れていたんです。
■当時は?
エミネムのセカンドが出たぐらいですね。
■『マーシャル・マザース』だよね。
ジェイ・Zも聴きました。
■『ブルー・プリント』?
その前後です。あとアウトキャストですね。
■『スタンコニア』だね。
そうです。
■長く住んでいたんですか?
中学の3年間です。
■インターナショナル・スクールみたいなところ?
普通の現地の中学でした。
■英語には馴染んでいたんだ。
ただラップは、耳障りの良さで聴いていましたね。
■なるほど。先日、アルバムの発売記念のライヴを観たんですけど、とてもラッパーとは思えないというか、不思議な違和感を発していたんだけど(笑)。
そうですね。
■自分のなかではヒップホップ文化に対して親密な感情を抱いているんですか?
ないですね......いまとなってはない。ヒップホップ愛はなくなったけど、表現するというところで残っている感じです。
■方法論としてだけ残っている?
中学のときに好きになって、それでラップをはじめたくらいだからヒップホップへの愛情は強いほうだと思っていたんです。けど、いざ活動をはじめてみて、まわりを見渡してみたら自分のそれはそこまで強いものではないと、そう思うところが大きかったんですね。それに、好きでいればいるほど飽きてくるというのもあって、だったらもう固執しなくてもいいかと、そうなっていきましたね。
■アルバムを聴くとそこはすごくよくわかる。聴いているだけでどの曲が古いか新しいかがわかる。ヒップホップのクリシェがある曲と、それをまったく度外視している曲とがあるよね。"元少年ライカ"のような曲になると韻を踏むことにもう囚われていないでしょ。
そうですね。
■"大震災"みたいなヒップホップらしい曲も僕は格好いいと思うんだけど。
"大震災"は、自分のなかではもう3年ぐらい時間が空いているんですよね。声の出し方がもう違ってきているし。
■ヒップホップ以外の音楽は好きになったことはない?
とくに他に深くのめり込んだってことはないですね。高校時代はヒップホップ一辺倒でしたから。高校のときに日本に帰ってきて、日本語のヒップホップも聴きはじめました。シンゴ02、餓鬼レンジャー......、あとは降神も聴きました。
■知り合いから「あるぱちは降神と似てる」という話を聞いたことがあって、でも違うよね(笑)。
影響は受けていると思うんですけどね。
■でも、降神にはカウンター・カルチャーってものがあるじゃないですか。『マルカイキ』にはそれがないでしょ。
そうですね。政治性もないし、プライヴェートなことを言ってるだけとも言える。
■"元少年ライカ"は不思議な曲で、人の一生を綴っているんだけど、そこには批評性というのがない。シンゴ02や降神には、多かれ少なかれ、"戦い"というものがあるでしょ。
そういう"戦い"のようなものが僕にはないから、平々凡々とした日常を描写するしかないんです。
■ただ、"元少年ライカ"や"完璧な一日"で描かれる凡庸さがとてもユニークに思えたんですよ。その凡庸さを茶化すのでもなく嘆くのでもなく、バカにするんでもなく、どこか優しい眼差しを注いでいるでしょう。というか、あの曲には音楽表現にありがちな感情の起伏のようなものがない。しかし、それでも大量の言葉がある。で、いったいどこからこの大量な言葉が出てくるんだろうというのが謎で......。
そして、あるぱちかぶとが『マルカイキ』のコンセプトを明かしてくれた。以下、彼の説明をまとめてみた。
アルバムにはふたつの自分がいる。ひとりは、この先社会で生きていくにはパッションや感受性がないほうが楽であると考えている。彼は自らを去勢し、そして生きていくことを望む。もうひとりはまったくその逆で、パッションや情念に生きる人=それが或蜂(あるぱち)という人格になって表象される。アルバムの最後の曲"日没サスペンデッド"では、結局、すべてを葬り去った(去勢した)自分がそれでどうなったのか? ということを空想して描いている――という。
あるぱちかぶと ◎≠(マルカイキ) Slye |
■パッションが重荷になるとはどういうことなんだろう?
ヒップホップに入れば入るほど、それに突き返される感覚があって。
■それはなにかトラウマめいたものが......。
いや、僕はごくごく普通の大学生だと思いますよ。
■人前に出てラップしたり、作品を出したりすることはものすごいエネルギーを使うことだし、"トーキョー難民"や"完璧な一日"のファスト・ラップにしてもパッションなしではあり得ない表現だよね。だからものすごい自己矛盾を抱えたままやっているということなんだね。まさか死の誘惑みたいなのが......?
それはないです。ただ、社会でうまくやっていくにはフラットになるしかないというのがあって。そこではパッションは余計である、という考えですね。
■『時計仕掛けのオレンジ』は権力によってフラットにさせられてしまうけど、あるぱち君は自らあの手術台に載ったほうがいいんじゃないかと。
そうです。
■それは世代感覚と言える?
ある意味では世代とも言えると思うんですけど、ただこの発想自体が僕のなかで生まれたものです。僕はそれをどんどん膨らませていった。
■リリックのなかに村上春樹や芥川龍之介が出てくるけど、文学からの影響が強いんでしょうね。
ものすごく強いです。
■"元少年ライカ"は『スプートニックの恋人』でしょ?
いや、あれは実は、カウリスマキの『過去のない男』なんです。
■そうだったんだ。"元少年ライカ"のなかの「けれどもきっと私は、愛しておりました」という繰り返しがあるけど、あの言葉は何で出てきたの?
なんでしょうね。たとえどんなに辛い記憶であっても、まったく記憶がないよりはいいというような意味でしょうね。

大学でポーランド語を専攻する彼は、彼の文学趣味について話しくれた。村上春樹、島田雅彦、夏目漱石、太宰治......。彼は彼の村上作品の解釈(とくに『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』について)、村上春樹と三島由起夫の共通点、あるいは近代文学への関心、あるいは『豊饒の海』について話してくれた(それはなかなか面白い話だったけれど、話が脱線しすぎるので省略します)。
確固たるメッセージがあるときは、無理してまでも韻を踏もうとは思わない。落語は韻を踏まずに最後まで聞かせる。そこにはラップとの共通点があると思うんです。
■英語ができるんだから、英語でラップしようとは思わなかった?
それまったくなかった。ただ、エクシーと知り合った当初、彼は「英語でラップしてくれ」と言ってきましたけど(笑)。
■はははは(笑)。
最初はだから英語でやろうとしたけど、それも止めました。自分から「日本語だけでやる」って言ったんです。英語ができるといってもネイティヴ・レヴェルなわけじゃないし、たんに格好良さだけだから。
■韻にはついては?
韻を踏むことで、思いも寄らない言葉が出てくることもあるんです。それは楽しいんですけど、確固たるメッセージがあるときは、無理してまでも韻を踏もうとは思わないです。僕にとって韻を踏むことはある種の照れ隠しなんです。
■韻を踏まずにラップするのって、挑戦だよね。
落語が好きで。落語は韻を踏まずに最後まで聞かせる。そこにはラップとの共通点があると思うんです。
■ちなみに誰が好きですか?
立川流が好きですね。とくに立川談志が好きです。他は古今亭志ん朝も好きですね。で、一時期、自分のまわりの友だちのラップのライヴを観ていて、すごくマンネリを感じたことがあったんです。同じ繰り返しに思えて。だけど、落語の場合は、同じリフレインでも言葉の(意味が)どんどん膨らんでいくようなところがあって。その落語の面白さをラップに導入することがいま僕の考えていることです。
あるぱちかぶと ◎≠(マルカイキ) Slye |
■なるほど。それはまさに勝負どころですね。ところでバックトラックについてどう考えているの?
自分から声をかけました。まず僕のなかに曲のイメージがあって、それを(トラックメイカーに)説明して、トラックができたら言葉を詰めていくって感じです。
■けっこういろんな人たちが作っているよね。結局、何人のトラックメイカーが参加しているんですか?
7人ですね。実際に会ったことがない人がひとりいます。my space上でやりとりしたっていう人が。でも、アルバム全体はそれなりにまとまりのある音になったと思います。
■たしかにそうだね。エクシーとはどういう出会いだったんですか?
大学に入ったときにラップしたいと思っても、まわりにラップがわかる友だちがいなかったんです。そうしたら僕の従兄弟が同じ年に大学に入って、彼が友だちにひとりいるよと。それがエクシーだったんです。当時彼は成城大学だったんですけど、そこの学際で初めてのライヴをやりました。曲ができたのが本番の前日で(笑)。いま考えるととんでもない。
■彼とは気があったんだね。
そうですね。彼が学生の......例えば早稲田のギャラクシーというサークルを紹介してくれたり、そこで知り合った人たちと一緒にイヴェントをやったりしてたのもエクシーで、そこに出してもらったり......、だから最初の頃は、彼におんぶにだっこでついていった感じでしたね。
■たとえばゼロ年代のラップ......MSCやシーダは聴かなかった?
聴きませんでした。
■まわりの友だちは聴いていたでしょう?
聴いていました。
■みんな「すげー」って言ってたでしょ? 興味は持たなかったの?
僕は持たなかったんですよ。
■自分の表現の目指すモノとは違うって感じだったんですか?
そうなんです。違うと思ってました。
■では、共感できる人はいた?
うーん......。
■レディオヘッドは?
好きですけど......、あれもまた僕とは違うし。
■あれは社会派でもあるからね。
そうなんです。ラップでポエトリー・リーディングみたいなことをしている人たちもいると思うんですけど、そういうのも熱心に聴かなかったし......、うーん、なかなか名前が出てこないですね。
■海外にもいない?
中学のときはナズが好きで自分で訳したりしてたけど、彼のパンチラインに惹かれたり......、でも、うーん......、日本語ラップって、僕は独自の文化になっていると思うんです。音楽というよりも、もっと幅が広いものになっていると思うんです。
■ちなみにアルバムに対するまわりの反応はどうだったんですか?
やっぱ「ラップが早いね」とか、「言葉が多いね」って言われますね。ただ、それは僕にとって意外なんです。ラップはそもそも言葉が詰まっているものだと思っているから。こないだiTunesで"完璧な一日"を無料配信したんですけど、「息苦しい」という感想が多くて、「ラップってそもそも息苦しいでしょう」と思ったんですよね(笑)。
■そんなことはないよ(笑)。でも、「息苦しい」という気持ちもわかる。ていうか、考えるスキを与えない早さでラップするじゃない? なんでそんな早口なの?
それは落語の影響ですね。ブレイクなしでたたみかけるような感じを出したいと思ったんです。隙間がもどかしいと思って。
最後に、不思議な響きのアルバム・タイトルについて。「回」がまるくなって「まるかい(◎)」、もうひとつが「キ」、それで「マルカイキ」となる。ふたつの記号が自己矛盾や対立を表しているとのこと。
最後の最後にもうひとつ、"トーキョー難民"には松尾芭蕉の頃の「偲ぶ都」の感覚をいまの時代に照射したとのことで、曲において早口で連射される地名は「移動」を表しているとのこと、「移動」が自分の「ホーム」であると、あの曲はそういう、本人の言葉で言えば「前向きな」コンセプトであると――。
2007年といえばブリアルが『アントゥルー』を発表した年だが、同年のリリースで他に重要なものを何枚か挙げるとしたら......ペヴァーリストの「ロール・ウィズ・ザ・パンチーズ」とアップルブリムの「ヴァンサン」、ピンチの「ワン・ブラッド」......、いやいや、それらも素晴らしいが、やはり何よりもずば抜けていたのはマーラの「チャンジズ/フォーギヴ」だ。この12インチ・ヴァイナルは、もしもブリアルがその年に『アントゥルー』を出さなければ、2007年のベスト・ワンに選ばれていただろう。とくにB面に収録された"フォーギヴ"は、何年経とうが輝きは失われることのない名曲だ。ダブステップであれテクノであれハウスであれ、すべてのダンス・ミュージックに共通する、クラシックになりえる条件がすべて揃っている。素晴らしいドラム・サウンドと聴いたら忘れられないフレーズがある。"フォーギヴ"のユーフォリアは、スクリームの若いエネルギーともブリアルのディストピアとも違って、それはハウスでいうところのディープ・ハウス、テクノで言うところのデトロイティシュ・テクノに喩えられるだろう。
〈ディープ・メディ・ミュージック〉は長いドレッドヘアの男=マーク・ローレンス、通称マーラがコーキーとのデジタル・ミスティックズ(DMZ)とはまた別に2006年からはじめたレーベルだ。欧米の批評家スジからの評価も高く、「チャンジズ/フォーギヴ」はレーベルとしての4枚目、マーラにとっては〈ディープ・メディ・ミュージック〉からの最初のリリースとなっている。レーベルはハイジャック(先日DBSで来日したスクリームの実兄)やゴス・トラッド(日本人の先駆的プロデューサー)、カリバー(ベルファストの知性派)、あるいはアンチ・ソーシャル・エンタテインメント(反社会娯楽)のメンバーたち――ザ・シルキーやミズ・ビーツ、クエストらの作品も出している。昨年は、ジャジー・フィーリングとデトロイト・テイストの光沢を持ち、このジャンルの多様性の高まりを印象づけたザ・シルキーの『シティ・リミッツ・ヴォリューム・ワン』がずいぶんと話題となった(今年に入ってからはマーク・プリチャードの作品もリリースしている......)。そして本作は『シティ・リミッツ』の勢いに乗るかのごとくリリースされる、レーベルにとって初のコンピレーションとなる。
この"第一弾"には、2006年にリリースされたレーベルにとっての最初のシングル、クロームスターの「カラワンジ/シュアグレイ」から2007年のレーベルとしては5番目となるゴス・トラッドの「カット・エンド/フラッグス」までの5枚がヴァイナルのA面/B面ともに順番に収録されている。2006年のハイジャック「バビロン・タイムワープ/ダリー」、2007年のコーキー&ローファ「オール・オブ・ア・サドン(コーキー)/デスコ・レカ)(ローファ)」、そして件のマーラの2曲にゴス・トラッドの2曲といった具合だ。要するに『ディープ・メディ・リリーシーズ』は、レーベルの記録(ドキュメント)である。
もともとデジタル・ミスティックズやマーラ自身がルーツ・レゲエ色を特徴としていたが、ハイジャックの2曲はレーベルの背景にサウンドシステム文化が控えていることをあらためて告る。ゴス・トラッドの2曲も重要級のスペース・ダブで、"フラッグス"はその暗黒ヴァージョンだ。クロームスターもまた暗いベースで情け容赦ない攻撃を仕掛ける。そしてコーキーとローファはスクリーム的なナンセンスを打ち鳴らす......。
ダブステップに乗り遅れた人もこれを聴いて、どうか早く追いついて欲しい。ロンドンのアンダーグラウンド・ダンス・ミュージックはいま十数年ぶりの最高の季節の真っ直中にいる。
私が世界いち好きなトランぺッターは田村夏樹である。といっても、私は世界中のトランぺッターを聴いたわけではないから、これは相対的判断ではない。けれども、田村夏樹がいれば、他の世界中のトランぺッターの音を聴かなくても、私は満たされてしまうのだ。そんなことではいけないのはわかっている。もっといろんな人の音を聴いてから自分のなかの世界いちを決めないと。けれど、申し訳ないけど決めてしまった。マイルス・デイヴィスも、トーマス・ヘベラーも、近藤等則も好きだけど、やっぱり田村夏樹である。田村夏樹の奏でるトランペットは、ある時はコラールのように神聖で、ある時は加藤茶の「ちょっとだけよ」のようなギャグみたいで、時には技巧的で、時にはトロンボーンのように低音で、時にはすれすれのかすれた音で、でもオケのなかでは調和を乱さない。どこまでもストイックなのに、どこまでも脱力している。そんなふたつの極北を持った田村夏樹の音に、同じ時代の東京の空の下で出会えたのが奇跡なのだ。ほんと。
最初の出会いは、田村夏樹のソロアルバム『コココケ』(MTCJ3012/2004年)である。私はここで完全に恋をしてしまった。なにせ、トランペットの旋律のあいだに、本人自ら「メキナカー」とか「パスリジャー」とか「ホナメサー」とか意味不明のことを唱えている。私は小さいときに、架空の人の名前を唱えるのが好きだった。ふと、「カジミシさん」とか「カダバタさん」とか口から出まかせに架空の人の名字が次々と出てくる神がかった瞬間が訪れる。これを人に言っても馬鹿にされるのがせいぜいなのだけど、それはほんとにうっとりするような至福の時間なのだ。あとになって、アンドレ・ブルトンとか、アントナン・アルトーとか、吉増剛造といった詩人の存在を知るわけだけど、こうやって、極私的な魔術的/祝詞的言葉と音楽がこんなにも美しく結びついたものを初めて聴いたのが田村夏樹の『コココケ』だった。これは私にとって大事件である。
その田村夏樹が率いるユニット「Gato Libre」が「淡々と盛り上がることもなく、切ないかもしれないメロディーを紡ぎます」をキャッチコピーに、藤井郷子(アコーディオン)、津村和彦(アコースティックギター)、是安則克(アコースティックベース)というメンバーで活動開始したのは、その『コココケ』が発売された頃だったと思う。知らない人のために書いておくと、田村夏樹と藤井郷子は、ジャズを音楽的に根っこに持つインプロヴァイザー、コンポーザーで、80年代にアメリカに渡って、90年代に活動の拠点を東京にし、ソロ、デュオ、カルテット、オーケストラなど変幻自在の形態で、国内外で活動している。ヨーロッパやアメリカでのツアーやフェスティバルへの参加が多くて、日本では例えばこのあいだ新宿〈Someday〉へ藤井郷子オーケストラのライヴを見に行ったら、お客よりメンバーの人数が多いという状況もあった。けれども、今度はそれを逆手に取って、新宿ディスクユニオンジャズ館というあんな小さな場所で、オケのメンバー16人全員を入れてレコ発無料ライヴをやってしまうという前代未聞なことをやっている。
私が自戒を含めて言いたいのは、「いつでも聴けると思うなよ、藤井郷子と田村夏樹」ということである。彼らは年にアルバムを何枚出しているかわからないほど、何回ライヴをやっているかわからないほどのワーカホリックである。でも、ほんとに同じ時代を共有して、東京でこんなに簡単に彼らの演奏を聴けてしまうことは幸運中の幸運だということを思っておいたほうがいい。
で、「Gato Libre」の話に戻ると、ユニット名の「Gato Libre」は、すなわち「自由な猫」という意味である。こんな時代に「自由」という言葉を簡単に使えるわけない。彼らは決して「本当の自由」(があるとすれば)、なんて手にしていないはずだ。海外でのライヴが多いにしても、いつだって、私たちと同じように制約や条件や不便な社会で音楽をやっているはずなんじゃないか。それでもその不自由を逆手にとって、淡々と、一喜一憂することもなく、猫のようにするりと生きるのが、「Gato Libre」の音楽である。藤井郷子はいつもはピアノを弾きまくっているのに、ここではこのユニットのために初めて買ったというアコーディオンを弾いていて、練習なくていいと言われているらしい。ここではみんなで盛り上がらなくていいらしい。ここでは「泣きのメロディ」は「切ないかもしれない」くらいがいいらしい。そんな不自由さから静かに生まれてくる旋律とアンサンブルのなんと切実なこと。一見、懐かしいような癒されるようなサウンドを持っているが、おとなしい顔してこのバンドは、翻って私には世の中に対して最も強烈に批評的な音楽のひとつに聞こえてくるのである。
田村夏樹は、2008年11月に横浜国立大学で行われたレクチャーコンサートでこんなふうに言っていた。「僕、ラテンもロックもビートルズもモータウンも大好きだし。なんちゅうかな。僕、フリー、そんなに好きじゃないんです。変な言い方ですけど、フリーしかやっていない人と一緒にやると、ドミソって吹くと白い眼で見られるときがあるんです。あれがすっごい嫌で、それで『オレはフリーなんか嫌いだ』って思うんです......」
「Gato Libre」の4枚めのアルバムが、今回発売された『Shiro』である。(田村夏樹、藤井郷子の別名義グループ「First Meeting」「藤井郷子オーケストラ」「mado」のアルバムと同時発売)これまでのアルバムと聴き比べて、進化したとか、変化したとか、そういうことを楽しんでも楽しまなくてもきっとどっちでもいい。屋根の上で昼寝をし、柵のあいだをすり抜け、壁をつたい、車の下で箱座りをしている猫みたいに、不自由な社会をすり抜けて彼らの音楽は当たり前のようにいま、ここにある。しかし、その猫に出会えるのは奇跡でもあるということを忘れてはいけない。
Gato Libre次回ライブ情報はこちら。
5/30(日) 吉祥寺『サウンド・カフェ・ズミ』
0422-72-7822
GATO LIBRE 田村夏樹Tp、藤井郷子Acc、津村和彦G、是安則克B、
https://www.dzumi.jp/