Shop Chart
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MOODYMANN
PRIVATE COLLECTION 3
UNKNOWN / US / 2011/6/2
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MOODYMANN
PRIVATE COLLECTION 3
UNKNOWN / US / 2011/6/2
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GERALD MITCHELL
Resurrection 2011 Remix
GMi
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THE MARTIAN
Techno Symphonic in G
Red Planet
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KOUJI NAGAHASHI
Monster Olympic
Iero
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SLEEPARCHIVE
Ronan Point
Tresor
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TRAXX
To The Beat Bizarre!
Lumberjacks In Hell
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SPECTER
Pipe Bomb
Sound Signature
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STEREOCITI
Kawasaki
Mojuba
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NED DOHENEY
Hard Candy
Columbia
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DIONNE
Back On The Planet
Smallville
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ギターとはあらためて叙情的な楽器である。そしてギタリストという人種もまたエモーショナルでロマンチックな存在なのだなと思う。マーク・マッガイアの音楽とそのプレイ・スタイルは、そんなことを感じさせる。『ダズ・イット・ルック・ライク・アイム・ヒア?』で大きな支持を集めたオハイオ州クリーヴランドのコズミック・サイケ・ロッキン、エメラルズのギタリスト、マーク・マッガイア。
エメラルズの圧迫感のあるアンビエント・トラックとは異なって、彼のソロ・ワークスには外へ外へと流れ出していくエモーションがある。どことなく腺病質で、わかりやすい起伏こそないが、切なく、情熱的な音の波が耳から心の裏側にまでひたひたと流れ込んでくる。「瞑想的」という比喩がよく用いられるのは、エメラルズのイメージに引っぱられているのだ。たとえば"ドレーン・トリーム"のギターに若々しい躍動を、あるいはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのフィードバック・ノイズに渦巻くような、うつむきがちな情動を聴きとるべきである。瞑想する静けさではなく、繊細だが音にしなければやまない熱情が、はっきりと感じられるはずだ。
ギリシャ神話では竪琴が星座になったが、もしそれがギターが生まれた後の世界であったなら、ギターとそれを弾くマッガイアが「ギター座」として天に召し上げられたかもしれない。テープなどでおびただしいリリースを重ねる彼は、あるインタヴューにおいて「無駄にする時間はない」と言っている。2010年だけでもCD-R含め5作発表しているのだ。ギターに向かい、練習し、曲を生む。彼にとってはそれがすべてだというほど熱心に、自らの持てる時間をすべてギターに捧げる。その画はまさに神話的な想像力を刺激するものだ。そして本作は、そんなマッガイアの数多あるリリースのなかから、とくにCD-Rやカセットなどマイナーな限定リリースの音源にしぼって選曲されたコンピレーションである。昨年の『リヴィング・ウィズ・ユアセルフ』で初めて彼を知った人(私もそのひとりだ)には、タイトル通りガイドとしての役割を果たす作品となるだろう。
マッガイアはフェイヴァリットとして中期ポポル・ヴーやマニュエル・ゲッチング、クラウス・シュルツェ、またクラフトワークを挙げている。とくにマニュエル・ゲッチングの影響は音に明らかだが、いざそう思って聴いていると、若い我々にはクラウトロックではなくシューゲイザーとして響いてくるかもしれない(シューゲイザー自体がクラウトロック的であるが)。
とくに顕著なのが冒頭の17分におよぶ長尺ナンバー"ドレーン・トリーム"である。これは2008年発表作。下降音形のテーマがおおらかにループされ、耳にやさしめのディストーション、フェイザーの効いたメディテーティヴな音のさざ波に意識がつつまれていく。暖色系の音だが、マイブラやジーザス・アンド・メリー・チェインのような甘やかな厭世観が感じられる。マッガイアにはワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとのコラボ・プロジェクトもあり、チルウェイヴの隆盛を背景として、彼の音がいまなぜクローズ・アップされるのか、深く納得できるトラックである。これを1曲目に持ってきたことで本作が時代の1枚になり得ている、とさえ言い切りたい。
"ザ・マルファ・ライツ"や"カルグ・ウッズ"はフェネスを思わせるきらきらとした光源を持つギター・アンビエント。はっとするほど叙情的なナンバーだ。頭でいろいろと思い描いていても、結局90パーセントくらいはインプロヴァイズドされてしまうという彼の作曲スタイルは、こうした感情のストレートな表出にうまく馴染むのではないだろうか。オペラがサンプリングされた"ゴースツ・アラウンド・ザ・ツリー"などの構築性の高いものはあまりなさそうである。
ディスク1の後半はクリーン・トーンのトラックがつづき、前半のユーフォリックでゆったりとしたムードに比して内省的で沈潜するような色合いを見せる。ディスク2はよりギター・テクニックに特化したようなインスト・ナンバーが多く収められている。だが、やはりとてもドリーミーだ。詞こそないが吟遊詩人の佇まい。そしていずれの曲も統一された色調があって、バラバラのリリース作品から編集したものとはほとんど思えない。ギターを手にすることがマッガイアにとっては生の条件なのだ、ということが2枚20曲を通して迫力を持って顕ちあがってくる、自叙伝のようなアルバムである。
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OMAR S
Here's Your Trance Now Dance! (Shadow Ray Remix)
FXHE RECORDS / US
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Alexis Blair Penney/Lonely Sea/Ecstasy |
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Hatchback/Zeus&Apollo/Lo Recordings |
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Linda Mirada/Fantastico San Jose/Discoteca Oceano |
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Christian Aids/Stay/Double Denim |
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V.A./Cuz Me Pain 4Way Split/Cuz Me Pain |
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Mater Suspiria Vision/Inverted Triangle I/Clan Destine |
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Saint Etienne/Spring (Air France Remix)/Heavenly |
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Gunnar Bjerk/Back Then/DFA |
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Diva/The Glitter End/Big Love |
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ARP/Pastoral Symphony Remixed/Smalltown Supersound |
「彼女は雷雨/八方塞がりになって/うつ伏せに横たわって/彼女は雷を伴った嵐そのもの」――アークティック・モンキーズの4枚目のアルバムである『サック・イット・アンド・シー』は、そんな風に思わせぶりな「彼女」の描写からはじまる。あるいは、こんな「彼女」も現れる。「彼女が歩くと 足音が歌う/やけっぱちのセレナーデ」......そう、これは愛とロマンスについてのアルバムである。
そしてまた、『サック・イット・アンド・シー』はアークティック・モンキーズによるサンシャイン・ポップ集である。それはたぶん、ヒップホップからの影響である言葉の多さをいかにしてドライヴィンなロックンロールに落とし込むか、というイギリスのギター・バンドの課題を完璧に応える形で登場したバンドに熱狂した連中が拍子抜けするほど、明るく開放的なポップ・ソングだ。指摘されているように、もっとも近いのはこのあいだ出たアレックス・ターナーのソロである『サブマリン』のサウンドトラック。歌と言葉のアルバムだ。明らかに、いま彼のモードはそこにある。
甘いメロディを持ったポップ・ソングというのはこれまでのアークティック・モンキーズのアルバムには必ず何曲かあって、それらはアクセントになっていたが、作品全体のムードを支配するほどではなかった。が、本作の場合それがちょうどひっくり返っていて、ヘヴィだったりアグレッシヴだったりするロック・チューンは数曲にとどまり、あとは柔らかい歌と演奏によるミドルテンポのなんてことのない「いい歌」がほとんど。しかもラヴ・ソングだ。陽光を思わせるその眩しさは近年のUSインディのムード――ビーチ・ポップと緩やかに共振し、曲によってはノスタルジックにすら響く。それはオープニングの"シーズ・サンダーストーム"からはっきりと打ち出され、続く"ブラック・トリークル"も甘いメロディとコーラスで溢れている。4曲目では西海岸サウンドのようなギターに導かれて「シャラララー」と繰り返し、そしてタイトル・トラック"サック・イット・アンド・シー"に辿り着く頃にはすっかりこの瑞々しいギター・ポップに聴き手は浸っていることだろう。
これまでのアークティック・モンキーズのアルバムにあったような、「気合入ってるなー」と感じるリズムのタメやキメはほとんど目立たず、言ってしまえば音楽的な驚きや興奮はここにはない。あるのは、ソングライティングに対してのアレックスの自負が感じられる迷いのないメロディと、それをきちんと聞かせるバンドの確実なアンサンブルだ。
となると、優れた作詞家として知られるアレックス・ターナーの言葉に注意して耳を傾けたくなってくる。先に書いたようにこのアルバムはラヴ・ソング集だが、彼らしい悪戯っぽいアイロニーがところどころに加えられながら、印象的なフレーズがいたるところに挿しこんである。例えば「歯と歯がぶつかり合うようなキス/彼女が笑うと 天空がスタンガンの子守唄を歌う」、「総天然色のジェラシー」......なんてのも、妙な言葉選びだがそれ故鮮烈かつ魅力的だ。
だが何と言っても特筆すべきは、色男風ですらある甘ったるい愛の言葉をアレックスが歌っていることだろう。"ラヴ・イズ・ア・レイザークエスト"の歌い出しが気に入っているのでそのまま引用すると、こうだ――「相変わらず自分がその年齢にしては 思っていたより若いって気がしているのかい?/それともダーリン もう老けちゃった気がしてきた?/大丈夫だよ/君はいまだに若さだけが持ちうる手際よさで/人の心を傷つけてるに決まってるんだから」
"サック・イット・アンド・シー"では「他の女の子なんてだたのポストミックス・レモネードさ」と、口説き文句としてはややベタな比喩表現にも手を出している。それがどんな飲み物かピンと来なくても、それが歯の浮くような台詞であることは十分わかる。それをアレックスがあの声で歌えば、素直にいい男だなと思ってしまう。
こうした自分の言葉の巧みさを利用しながら肯定的に愛の言葉を歌うというのは、ファーストの頃の彼にはほとんどなかったもので、自分の手の届かないところにいる女の子への葛藤を歌った"ホェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン"の思春期性とはずいぶん違う。まだはじまってもいない恋愛に苛立っている少年はここにはおらず、確かに目の前にいる恋人に向けて気の利いたフレーズを言えるぐらいには成長した青年がいる。かつてのアークティック・モンキーズが「若さ」、あるいは思春期性そのものに対する言及だったとするならば――そしてそれがロックンロールであったことにこそ若者は熱狂したのだが――、それがやがて終わっていくことにも彼らはここで向き合っているのではないか。だが、少なくともこのアルバムではそれは嘆くべきことではなくて、眩しい歌と共にロマンティックに描かれている。
アレックスはこんな風にも歌っている。「この痛む胸の思いをポップ・ソングにこめたけれど/作詞のコツがのみ込めなかった」......それは反語的に、彼の言葉に対する自信の表れである。
1991年に、リッチー・ホウティンによるF.U.S.E.名義の"サブスタンス・アビューズ"を聴いたときは心底格好いいと思った。あの時代の自分はいまよりも数段オメデたかったし、ものすごーくバカだった。アシッド・トランスに身を委ねながら「オーヴァードーズ」という声が反復されても、ま、いいかと、いま思えばそういうところがあった。ゆえに2011年の春にリリースされたドラムンベースの知性派として名高いインストラ:メンタルの最初のアルバムにおいて、"サブスタンス・アビューズ"とほとんど同じような音楽性で、そしてまったく同じように「オーヴァードーズ」と繰り返されるとけっこう困惑する。意味的にも、そして20年前のスタイルの復興としても。
"サブスタンス・アビューズ"のあまりにも心地よいバッド・トリップは、その両義性、というか分裂性において忘れられない曲だった。が、しかし......その両義性、というか分裂性がいま最高潮に達しているUKのクラブ・カルチャーにもあると『レゾリューション653』に収録された"ユーザー"という曲が報告するのであるならば......自分がチルウェイヴのようなわりとこじんまりとした佇まいの音楽にじょじょに惹かれていったのも無理もないなーと、あらためて思ってしまうのである。
当たり前の話だが、震災後、おもに東北から関東に住んでいる人間がもっとも身に染みていることは、たわいもない日々の暮らしがどれほど大切かということだ。チルウェイヴの日本におけるリアリティとは、そうした日常のなかのささやかな夢の欲望にある。とても小さな......そして日々の生活のなかで感じるべき重要な夢。ところがいまのUKときたら、おそらく規模的に言って、20年前のダンスの時代の再来を経験している。それはある意味では羨ましい話だけれど、ここ東京で暮らしながらいまこの瞬間においてバキバキになって踊るっていうのもある程度ハードなダンサーだって躊躇する......いやいや、そんなことはないのかもしれないけれど、そんなに多くはないような気がする。
もっとも驚いているのはコアなドラムンベースのリスナーだろう。『レゾリューション653』に収録された音楽はジャングルでもダブステップでもグライムでもない。それは驚くべきことに......100%テクノなのだ。それも1991年あたりのリッチー・ホウティン周辺、UR周辺、ジョイ・ベルトラム周辺の......とにかくまあ、昔懐かしきトランシーなテクノないしはエレクトロである。
日本とはずいぶん温度差のある、イケイケ状態のUKのクラブ・シーンからは、魅力的な音楽が生まれているのは事実だ。それはアンダーグラウンドのみならず、ケイティ・B、あるいはトドラ・Tの作品ようにポップ・フィールドにおいても充分に通用するものもある。それで先日、素晴らしいセカンド・アルバムを完成させたトドラ・Tに取材したところ、彼は「セカンド・サマー・オブ・ラヴ時代の"ラヴ"の要素をもう少し注入したい気分だ」と話していたけれど、人によってはそういうことみたいである。みんな気をつけよう。
本人は「ポスト・ドゥワップ」と言っているようだし、『ガーディアン』は「ピアノ・ポップ・ウェイヴ」と苦しい名状を与えていて、しかし音を聴くかぎりでは両者が「チルウェイヴ」という言葉を避けているのがありありとうかがわれる。実際のところは『パーソン・ピッチ』から大いに影響を受けたベッドルーム・ポップ。ドゥワップなど50年代のブラック・ミュージックやモータウンといったレトロな音楽スタイルを参照しているが、とろとろとしたリヴァーブをきかせるプロダクションといい、寄せては返すコーラス・ループといい、パンダ・ベア的な方法論と現実逃避的な企図を含んでいて、これをチルウェイヴと呼ばないわけにはいかない。
ケンタッキー育ちの青年ジェイムス・フライリーのプロジェクト、イディオット・グリーのデビュー・フル・アルバム。ジェイムスにはクラシック・ピアノの素養があり、ソロ・ピアノのカセット・テープもリリースしているようだが、彼のメロディ・センスとリズムへの独特の感度が、ピアノ演奏においていかなる効果を生んでいるのか非常に興味がある。メロディとリズム。このシンプルな要素を洗練させることで、彼の音楽は一種の中毒性を生み出しているとさえ思う。
一聴したところモーニング・ベンダースと近い部分を抉っているようにも思われるが、こちらのほうが機能性の高い音である。音として気持ちよく、身体的な効果が期待できる。足し算でも引き算でもない、もともとピースが限られた積み木を、組んだりこわしたりするような、ミニマルな音使い。神経にやさしく、しかしそれだけで頭の働きを麻痺させそうな力を持っている。たとえば"ドント・ゴー・アウト・トゥナイト"のスネアとコーラスが響きあう空白の多い音作り。ベースとキックは渾然一体としていて、スローだがパーカッシヴな心地よさを生み出している。
にぶく、ゆるく、西日のような色彩を感じさせるリヴァービーな音像は、つづく"オール・パックト・アップ"に引き継がれ、発展する。これこそは『パーソン・ピッチ』である。歌ものとしてはフリート・フォクシーズや、フォスターの歌曲などを思わせるアメリカン・フォークロアのスタイルだが、バック・トラックやコーラスのループ、奇妙な残響感、トロピカルでも土俗的でもエキゾチックでもありかつ世界のどこでもないという、あのパンダ・ベアの手つきをすみずみに感じる。
ほどよくまどろんでいると"トラブル・アット・ザ・ダンスホール"のダビーなサイケ・ナンバーがおもむろにはじまる。グロッケンやピアノはオルガンに取って代わられ、ヴォーカル・スタイルもややワイルド、コントラストのついたトラックである。この曲の挿入で作品に奥行きがつく。またサイケデリックなムードがこれを境に色濃くなってもいて、構成も巧みなようだ。しばらく後に出てくる"エフ・オー・イー"のジョナサン・リッチマンを彷彿させるドゥワップもとてもよくて、あのヴィンテージ感に比してリズム・トラックがまったくオートマチックな打ち込み音をはじき出しているのがたまらない。
"ウェルカム・バック"の、安っぽいリズム・パターンもとてもきいている。リズムの有り無し、抜き差し。あってなさそうに思われるリズム感覚が、じつは替えのきかないほど楽曲の中に大きな比重を占めていることを、このいくつかの楽曲が証している。
ラストはベースと4声のコーラスがシンプルに締める。牧歌的なラインと"イン・ザ・サディスト・ガーデン"というタイトルのミスマッチ、そしてアップライトのようなややちゃちな響きのピアノの後奏が奇妙な後味を残す。旧きよきアメリカ......を擬した、いや、鏡映しにした、存在しない世界。イディオット・グリーのレトロ・ポップは、懐古趣味というよりは、このようにリアルを描かないことによって別世界をひらく、そしてそこに浸って帰ってこれなくするためのまじないのようなものだ。
フリート・フォクシーズも、あるいはモーニング・ベンダースやザ・ドラムスなど、活気づくビーチ・ポップ・シーンが触れられない、音楽の闇のようなものに、彼は触れている。そしてそここそがジェイムスの逃避先。やわらかい光を持った、闇のビーチ・ポップ。5回聴けば骨抜きになってしまうはずだ。最後に多くのメディアに倣って、彼ジェイムスがモルモン教徒として育ったことを注記しておくが、筆者にはそれと音との関係についてとくに指摘できる知識はない。
マーク・プリチャード......といえばUKテクノのベテラン中のベテランで、デビューはマイケル・パラディナスよりも早く......とはいえ、彼の名が知られたのはエイフェックス・ツインが20歳で脚光を浴びた直後の、1991年あたりの、ロンドンの〈ファットキャット〉が推していたデトロイト・テクノ・フォロワーの一群――ブラック・ドッグ・プロダクションズ、B12、アズ・ワン、あるいはニューロ・ポリティークらが注目されてから数年後の話で、リロードとしてのデビュー・アルバムを発表した1993年のことだった(いまとなっては元グローバル・コミュニケーションと説明されているが、最初はみんなリロードとして覚えたのである)。
なぜリロードが注目されたかと言えば、相棒のトム・ミドルトンがコーンウォール時代にエイフェックス・ツインのオリジナル・メンバーだったという『NME』に記された宣伝文句によるもので、それほど当時のシーンにとって"エイフェックス・ツイン"と"コーンウォール"というキーワードには強いマジックがあった。
そして......彼らのレーベル〈イヴォリューション〉(途中から〈ユニヴァーサル・ランゲージ〉に改名)の12インチ・シングルは、三田格ほか1~2名に先に買われてしまうと再入荷はないので、結局はロンドンにまで行って探すほかなかった......というほどいち部のリスナーにとってはヨダレが出るようなレーベルだったのだ。〈イヴォリューション〉の黄色と黒の「E」のロゴのTシャツも人気だったし......。もちろんそれも『76:14』があまりにも素晴らしかったからである。
マーク・プリチャードはマイケル・パラディナスやルーク・ヴァイバート、あるいはエイフェックス・ツインのように、名義によって、そして時代によってスタイルをころころ変えてきているが、そうした一貫性の無さに関して言えばプリチャードはずばぬけて破壊的だと言えよう。見事なほど自分がない......というか、ある意味ではそれがDJカルチャーというものでもある。
プリチャードは、ここ数年はダブステップへの積極的なアプローチが目立っているし、ハーモニック313ではデトロイト・ヒップホップにも手を伸ばしている。彼は、何か参照するネタを見つけなければ作れないタイプの典型で、アフリカ・ハイテック名義による本作は、ここ数年ネタには尽きないUKのシーン(ダブステップ、グライム、ファンキー等々)、もしくはジュークやグリッチからヒントを拾いながら、アフロビートを参照して、パートナーであるスティーヴ・ホワイトとともに、新世代のベース・ミュージックとは別の、より大きなところに向かっている。
ちなみにスティーヴ・ホワイトは、およそ10年前に登場したスペイセックというプロジェクトによって、主にクラブ・ジャズ系のリスナーから多大な期待と評価を受けていたプロデューサーで、ジェイディラやワジードといったデトロイト・ヒップホップとの仕事も経験している。まあ、往年のリスナーにとってはふたりの組み合わせ自体が興味深かったと言えるだろう。それは、〈ワープ〉がこのプロジェクトと契約するには充分な理由だ。
そして『9300万マイル』において、ふたりの雑食性は美しい団結を見せている。それは、歴史好きの探検家が広範囲に渡って採集した音の博覧会のようなアルバムだと言える。デトロイト・テクノのリスナーはそれを見つけ、ベース・ミュージックのリスナーはそれを見つけ、下手したらサン・ラのリスナーもそれを見つけるかもしれない。
アルバムにおいてもっとも興奮するのは、プリチャードのこの20年の調査の結実がクラブ・ジャズの温かいソウルやアフリカと交錯する瞬間である。"アワー・ラヴ"におけるホアン・アトキンスのファンクと『アンビエント・ワークス』めいた叙情性、"スピリット"や"ライト・ザ・ウェイ"における催眠的なアフリカン・パーカッションと『アーティフィシャル・インテリジェンス』のアンビエンス......。"アウト・イン・ザ・ストリーツ"ではジュークの速いループに重ねたソウル・ヴォーカルによる斬新なグルーヴが身体を揺らし、"フットステップ"では回転数を速めたドレクシアのビートが頭を直撃するようだ。"サイクリック・サン"はアルバムを象徴するダイナミックな構造の曲で、70年代初頭のドン・チェリーが〈ハイパーダブ〉で録音したかのような美しい雑食性が展開されている。"ドント・ファイト・イット"は魅惑的なパーカッションと麗らかな歌による素晴らしいクローザー・トラックだが、日本盤にはもう1曲、70年代ファンクのフレイヴァーを持ったグルーヴィーなボーナス・トラック"ターン・イット・オン"が収録されている。
プロジェクト名はベタだが、『9300万マイル』は賞賛に値するアルバムである。この10年でアフリカ音楽がUKにおいてよりポピュラーになった背景には、交通網の発展によってその距離が縮まったという単純な事実があって、いま"アフリカ"を引用するのもベタと言えばベタだが、アフリカの大地のうえでドラムマシンに電流を流しながら、クラブ・ジャズのムードのなかでロンドンのグライムとデトロイトのファンクを打ち鳴らすことは、そう簡単なことではない。
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