「AY」と一致するもの

寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー - ele-king

 寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー、さらに前野健太。なにが起こるんでしょうか。
先日、マヒトゥ・ザ・ピーポーがギターで参加した、寺尾紗穂の“たよりないもののために”がYoutubeで公開されましたが、みなさんもう聴きました? その言葉と音響に浸ることができたひとたちに、以下のイベントを紹介します。まだ聴いていないひとたちは、ヴィデオを観てみてください。

 寺尾紗穂は6/21に最新アルバム『たよりないもののために』を、そして6/28にはマヒトゥが2ndアルバム『w/ave』をリリースします。6月27日はなにが起こるんでしょうか。詳細は以下にまとめたので、お見逃しなく。

■にじのほし9『月の秘密Prime』

出演:寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー/前野健太
日程:2017年6月27日(火)
会場:渋谷WWW(東京都渋谷区宇田川町13-17ライズビル地下/TEL:03-5458-7685)
時間:19:00開場/19:30開演
料金:前売券¥3500+1d/当日券¥4000+1d
※ 一部座席有り/整理番号順入場


■寺尾紗穂
1981年11月7日東京生まれ。
2007年ピアノ弾き語りによるアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミリ」、中村真夕監督作品「ナオトひとりっきり」など主題歌の提供も多い。2015年アルバム「楕円の夢」を発表。路上生活経験者による舞踏グループ、ソケリッサとの全国13箇所をまわる「楕円の夢ツアー」を行う他、2010年より毎年青山梅窓院にてビッグイシューを応援する音楽イベント「りんりんふぇす」を主催。昨年リリースの最新アルバム「私の好きなわらべうた」では、日本各地で消えつつあるわらべうたの名曲を発掘、独自のアレンジを試みて、「ミュージックマガジン」誌の「ニッポンの新しいローカル・ミュージック」に選出されるなど注目された。
みちのおくの芸術祭「山形ビエンナーレ」での絵本作家荒井良二とのコラボ、金沢21世紀美術館企画「AIR21:カナザワ・フリンジ」でのソケリッサとの共演など、演奏の場もライブハウスを超えて広がりつつある。
活動はCM音楽制作(ドコモ、無印良品など多数)やナレーション、書評、エッセイやルポなど多岐にわたり、著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)、「原発労働者」(講談社現代新書)、戦前のサイパンに暮らした人々に取材した「南洋と私」(リトルモア)。8月に集英社より「あのころのパラオをさがして」を発売予定。平凡社ウェブにて「山姥のいるところ」、本の雑誌ウェブで「私の好きなわらべうた」を連載中。その他資生堂の広報誌「花椿」、高知新聞、北海道新聞でも連載を持つ。6月21日最新アルバム「たよりないもののために」と伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」の7インチを同時発売。
https://www.sahoterao.com/


■マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。
2011年沈黙の次に美しい日々をリリース。HEADSの佐々木敦の年間ベスト10のデイスクに選出され、全国流通前にして「ele-king」誌などをはじめ各所でソロアーティストとしてインタビューが掲載されるなど注目が集まる。
2014年、kitiより2ndアルバムPOPCOCOON発売。
2014年には青葉市子とのユニットNUUAMMを結成し、アルバムを発売する。
2015年にはpeepowという別名義でラップアルバム Delete CIPYをK-BOMBらと共に制
作、BLACK SMOKER recordsにてリリース。
2016年には今泉力弥監督の映画の劇伴やCMの音楽などを手がける。
また音楽以外の分野では中国の写真家REN HANGのモデルや国内外のアーティストを自
身の主催レーベル、十三月の甲虫でリリース、
野外フェスである全感覚祭を主催したり、近年は仲間とweb magazine PYOUTHを始
動。ボーダーをまたいだ自由なスタンスで活動している。
2017年 6/28にNUUAMMの2nd album「w/ave」を十三月の甲虫より発売。
https://mahitothepeople.com/


■前野健太
シンガーソングライター。俳優。
1979年埼玉県生まれ。
2007年、自ら立ち上げたレーベル"romance records"より『ロマンスカー』をリリースしデビュー。
2009年、全パートをひとりで演奏、多重録音したアルバム『さみしいだけ』をリリース。2009年元日に東京・吉祥寺の街中で74分1シーン1カットでゲリラ撮影された、ライブドキュメント映画『ライブテープ』(松江哲明監督)に主演。同作は、第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」で作品賞を受賞。
2010年、『新・人間万葉歌~阿久悠作詞』へ参加。桂銀淑(ケイ・ウンスク)「花のように鳥のように」のカバー音源を発表。
2011年、サードアルバム『ファックミー』をリリース。映画『トーキョードリフター』(松江哲明監督)に主演。同年、第14回みうらじゅん賞受賞。
2013年、ジム・オルークをプロデューサーに迎え『オレらは肉の歩く朝』、『ハッピーランチ』2枚のアルバムを発表。
2014年、ライブアルバム『LIVE with SOAPLANDERS 2013-2014』をリリース。文芸誌『すばる』にてエッセイの連載を開始。
2015年、雑誌『Number Do』に初の小説を発表。CDブック『今の時代がいちばんいいよ』をリリース。
2016年、『変態だ』(みうらじゅん原作/安齋肇監督)で初の劇映画主演。ラジオのレギュラー番組『前野健太のラジオ100年後』をスタート。
2017年、『コドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」』(共演:岩井秀人、森山未來)で初の舞台出演。初の単行本となる『百年後』を出版。
https://maenokenta.com/

即興音楽の新しい波 - ele-king

 『ジャパノイズ』の著者としても知られるアメリカの音楽学者デイヴィッド・ノヴァックはかつて、90年代後半からゼロ年代前半にかけて東京に出来したひとつの音楽シーンを、代々木Off Siteをその象徴として捉えながら日本発祥のまったく新しい即興音楽のジャンルとして「音響(ONKYO)」と呼んだ(1)――もちろんそこで挙げられた数名のミュージシャンたち、たとえば杉本拓、中村としまる、Sachiko M、吉田アミ、秋山徹次、伊東篤宏、宇波拓、そして大友良英らについて(ここに大蔵雅彦やユタカワサキをはじめとしてまだまだ加えるべきシーンの担い手がいたこととは思うが)、その多様な試みと実践を「音響」というただひとつのタームで括ってしまうことなどできないし、ノヴァック自身もおそらく批判を覚悟のうえで戦略的にそうした呼び方を採用しているようにみえる。それにそもそも「音響」と言い出したのはノヴァックが最初ではない。この呼称が日本語の読み方のまま世界的に流通していることからもわかるように、それが認知されるきっかけとなったのは日本語圏ですでにそうした呼び方がなされていたからだ。その起源は虹釜太郎が渋谷に90年代半ばに2年ほど構えていたレコード・ショップ、パリペキンレコーズのコーナーにあった「音響派」という仕切りにあると言われているが(2)、そこで扱われていた音楽は即興音楽シーンに限らずより広範かつ雑多なものだった(3)。だがいずれにしてもこの時期にそれまでの即興音楽とは質を異にしたニューウェーブとも言うべきいくつもの魅力的な試みがおこなわれていたことは事実であり、匿名的で、微弱な音量で、沈黙や間を多用するなどとしばしば言われる(4)ように、それらにゆるやかに共有されていた同時代性のようなものがあったということも指摘できるように思う。そしてそうした動向をリアルタイムで国内外へと発信し続けてきたウェブ媒体として「Improvised Music from Japan」があった。

 もともとは「Japanese Free Improvisers」という名称で1996年に英語オンリーで開設されたこのウェブサイトは、その後日英二ヶ国語になり、日本で活躍する外国籍のミュージシャンも紹介するために名称を変え、さらにCDショップ兼レコード・レーベルとしても機能しはじめることとなる。2012年からは水道橋にイベント・スペースとしても利用できる実店舗「Ftarri」を構えることになる、その前身となったサイトである。それを独力で立ち上げ運営してきた鈴木美幸は、それまでジャズ評論家/翻訳家として執筆活動をおこなっていたのだが、この時期に出現したまったくジャズとは接点のない即興演奏を前にして戸惑いと驚きを感じ、そして途方もない魅力を覚え、すぐさま世界に紹介する役割を買って出た(5)。ウェブサイトに記載されるミュージシャンの数は日増しに増えていき(いま現在も増えている)、シンプルなページ・レイアウトも手伝って、膨大なアーカイヴを簡潔に参照することのできる類稀なメディアとして機能していった。そしてこのウェブサイトが日本の同時代的な即興音楽シーンを、殊に海外へと向けて発信していく重要な役割を果たしていったということは改めて述べるまでもない。そこには「音響」として括ることはできないにしても、しかし何らかの新しさはあった。ならばそれはいったいどのような新しさだったのか。

 「Improvised Music from Japan」が紙媒体として発行している雑誌がある。2003年にその増刊号として、音楽家/批評家の大谷能生が責任編集を務めたものが出された。新しい世代の即興演奏家を紹介することがテーマになっていたその増刊号では、冒頭に、大谷による「Improv's New Waves ―論考―」(6)と題された文章が掲載されていた。そこでは多くの若手即興演奏家たちに「個人的な好みを排した、匿名的な音の世界」へと足を踏み入れていくことを厭わない傾向がみられるという指摘がなされ、さらにジョン・ケージもデレク・ベイリーも前提していなかっただろうものとして、しかし当時の(おそらくは現在も)先端的な即興音楽シーンの経験の基盤となっているものとして、録音メディアという装置を挙げながら、「これまでの音と音楽との区別がまったく役に立たないこうした世界を一旦受け入れ、そこからまた改めて『音楽』と呼べる体験を作り上げていくこと。即興演奏家とは、『音』と『音楽』とが現実に交錯する『演奏』の現場でそれを実践していくミュージシャンたちのことだ」と述べられ、そして次のように締め括られていた。

先ほど聞こえた音は、一体なんだったのか? 今聴こうとしている音は、一体どのような音なのか? 指先を緊張させながら鼓膜と思考を充分にゆるめる、または、思考を緊張させながら指先は脱力させるという相反する作業をおこなうことによって生まれるこうした問いを繰り返すことによって、即興音楽の演奏者は物質的持続の底の底へと降りていく。リ=プレゼンテーションに伴うすべての喜びと手を切ろうとする、こうした聴覚による世界の描写方法は、これまでのどのような芸術からも得ることのできない、まったく新しい現実との接点をぼくたちに提示してくれるだろう。(「Improv's New Waves ―論考―」)

 録音装置というメディアは人間的な価値判断や聴取の可能性を度外視して、あるいはそれらとは無関係に、あくまでも物質の次元で響きを捉え記録するものであり、たとえば自由に織り成されていく即興演奏が、メロディ・ハーモニー・リズムといった西洋音楽を構成する要素を持たずとも、あるいはその他の組織化された音の秩序をあらかじめ備えていなかろうとも、録音されるというそのことが音楽の成立条件となることによって、そうした側面をまるごと預け、繰り返し聴くことのできる音楽として手元に残してしまうことができる。演奏家はそこで出す音の種類や音の出し方に縛られることなく、思い思いにサウンドと関わりを持つことができるようになる。経験の基盤となっている物質的な次元が、意味づけられる前の音響を聴き手としての演奏家に開示してくれるのだ。そこに「聴覚による世界の描写方法」が見出されていく。「まったく新しい現実との接点」が見出されていく。

 大谷の論考にいち早く反応したのは音楽批評家の北里義之だった。彼は大谷の論考にいくつかの疑問を提起した(7)。するとそれに対する大谷の返答が「ジョン・ケージは関係ない」(8)という新たな論考としてまとめられ、さらに北里の再反論が「ケージではなく、何が」(9)という文章をも生むこととなり、とりわけ後者の論考は曖昧に乱用され続けてきた「音響」というタームについての再考を促し実相を炙り出そうとする極めて示唆に富んだものなのではあるが、ここではそれらのやり取りに関して深入りしない。一言添えるとしたら、大谷が個人主義を徹底させた先にある「匿名的な音の世界」を見出したことと、北里が「匿名的な音の世界」にモダンの原点そのものへの回帰を見出したことは、同じことがらを別の側面から考察しているに過ぎないということのように思う。だがここでは大谷が描いたシーンの情況について、北里がそれを「即興演奏が徹底して個の音楽であったことに対するアンチテーゼ」(10)だと読み取ったことに着目しておきたい。個人主義が徹底されようと、モダンの原点への回帰であろうと、そこにはそれまでの即興音楽が個と個の衝突やそれを過剰に濃縮することに価値を見出していたこととはまったく別の在り方があった。それはオフサイト周辺のシーンをつぶさに観察してきたイギリスの音楽家/批評家クライヴ・ベルの言を借りるならば、「肉体的なエネルギーや即効性のあるレスポンスよりも、リスニングとサイレンス、そして忍耐力を前面に押し出していた」(11)のである。そして「個の音楽」から離脱していくなかで見出されたのは、共演する際に単に個と個が対峙するだけではなく、「まわりの空間の、ほかのたくさんのものの一部」(12)として捉え返されるような共演者の在り方でもあった。ここに聴取と同様に新たな価値が見出されたことがらとして空間を付け加えることもできる。そこでは「アカデミックな場所にはいないバンドマンたちが、初めて空間を問題にしだした」(13)のである。

 あれから14年もの歳月が流れている。その間にも様々な試みがなされてきた。「音響」をジャンルとして忠実になぞる者もいれば、杉本拓のようにそれを「テクスチャーの墓場」(14)と呼んで明確に批判する者もいるし、それでもなお何らかの可能性を模索する者もいれば、そうした問題系とはまったく別の領域で活動をおこなう者もいる。「音響」の行く末として「即興」の原理的な不可能性が提起される(15)一方で、そうした原理論は即興音楽の実際に即していないという意見(16)もある。多様化と細分化を複雑に極めていく現代即興音楽シーンについて、それを一言であらわすのは容易ではない。だがこれだけは言えそうだ。そうした様々な試みが自然と集まってくるような、いわばホットスポットのような場所が各地に点在しているということは。とりわけ水道橋Ftarriに足を運んでみるならば、戸惑いと驚きを覚えるような、そして途方もない魅力に打ちのめされてしまうようなイベントに、なんども出会うことができるのである。それらは「音響」に限らず、たとえばジャパノイズ、サウンド・アート、現代音楽、フリージャズといった既成のジャンルに近接し人脈的な交流を持ちながらも、それらのどのタームでも捉えきれないような魅力を放っている。だから大谷能生の「Improv's New Waves」にまるで呼応するかのようにして、それを呼び覚ますかのようにして、今年のはじめにFtarriの店主・鈴木美幸が「即興音楽の新しい波」(17)というタイトルを冠したイベントをおこなったことを、もう少しよく考えてみたいのである。

 確かに2003年には見られなかった新しい試みが、2017年までにはいくつも出てきている。それらが果たしてシーンとしての波を形成するものなのかどうかはまだわからないが、まったくもって無関係な試みがただ単に乱立しているだけというよりも、やはり同時代的であるような響き合いを聴かせてくれるように思うのである。それを考えてみるためにも、ここでは水道橋Ftarriをひとつの窓としながら、そこからどのような光景が見えているのか、あくまでも極私的な体験から得られた見取り図を描いてみることにしたい。そのためにここでは、「ハードウェア・ハッキング」「ライヴ・インスタレーション」「シート・ミュージック」「即響」という4つのテーマを設け、それぞれについて言及していく。ただし、これらは情況を把捉する手段として便宜的に設定されたテーマに過ぎないので、当然のことながらジャンルのようにシーンを四分できるというものではなく、さらにミュージシャンによってはこれらのテーマに跨る試みをおこなっている者もいるだろう。それでもそうした具体的な実践に接近していくための契機になるのではないかとは思う。

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1 ハードウェア・ハッキング

 ハードウェア・ハッキングというのは字義通り既成の楽器や電子機器を物理的に改変するという意味で、とりわけ実験音楽/電子音楽の世界で著名な作曲家ニコラス・コリンズによって特有の意味合いが付与されて用いられるようになった。コリンズの言わんとするところを簡潔にまとめた金子智太郎による記事(18)から引用すると、ハードウェア・ハッキングとは「電子工学の専門知識を前提としないDIY電子工作」であり、「コリンズがハードウェア・ハッキングの文化的性格として強調するのは、電子音楽における作曲家と技術者の分離の解消や、デジタル化によって減退した直接性と接触性の回復などである」。要するに必ずしも専門的な技術者ではない演奏家が、自らの手を動かし試行錯誤と実験を繰り返しながら、既成の道具に直接的な改変を施していくことによって新たなサウンドを探し出すのである。コリンズ自身が述べるように、それを「その機器の設計者すら予想しなかった結果を、あらゆる可能性に挑戦する極端な実験主義によって生みだすこと」(19)と言い表すこともできるだろう。そこには既に完成された楽器を使うことでは得られない新奇な音色の探求と、さらにそうした楽器を用いた演奏に要請される新たな身体性の獲得、およびそこから導き出される、これまでになかったような時間的/空間的な構造化への可能性が秘められている。


中田粥 - A circuit not turning
きょうRecords (2017)
Amazon

 こうした方向性をもっとも過激に推し進めているひとりとして中田粥の名前を挙げることができる。東京都出身で現在は大阪に拠点を移して活動する中田は、既成のキーボードを解体し、内部の基盤を剥き出しにするとともにその回路に手を加え、独自の音響を紡ぎ出す実践をおこなっている。そうして生み出された楽器を彼は「バグシンセサイザー」と名付け、彼自身はハードウェア・ハッキングではなくリード・ガザラが提唱した「サーキット・ベンディング」の手法の応用であると言い、さらにそれをかつてジョン・ケージがピアノの内部の弦に直接ゴムや金属を挟むことでコンパクトな打楽器アンサンブルとしての音響を生み出した「プリペアド・ピアノ」における内部奏法の延長線上にある実践として捉えている。初期のバグシンセサイザーによる演奏では、自主制作したミニ・アルバムに残されているようにプリセットされた音源が断片的にあらわれていく奇妙な具象性を聴かせていたが、現在はより回路の接触から生まれる電子音響ノイズが強調されたサウンドとなっており、それは『A circuit not turning』で全面的に聴くことができる。一方でライヴでは音響を聴かせるだけではなく、小さな基盤のタワーを構築したりするなど、単なるサウンドの愉しみとしてだけでは終わらない、造形的な視覚要素と空間を生かしたインスタレーション的側面を体験することができる。


竹下勇馬 - Mechanization
Mignight Circles (2017)
Bandcamp

 中田粥とも共演歴が多く、ハッキングという方法論を別の視点から極端に推し進めているもうひとりのミュージシャンとして、竹下勇馬の名前も外せない。中田とふたりで「ZZZT」というデュオ・ユニットを組んでもいる竹下は、エレクトリック・ベースに様々な自作の電子機器を取り付け、自ら「エレクトロベース」と名付けた、これまた奇っ怪な楽器を扱っている。アメリカのトランペット奏者ベン・ニールが「ミュータントランペット」と名付けた改造トランペットを使用していたことを彷彿させるが、ミュータントランペットが既存の音楽を前提とした複数の楽器パートを兼ねる異なる要素の統合を目指すものであったのに対して、エレクトロベースは統合というよりも増殖であり、異なる要素が異物のままに同居することで前提とされる音楽それ自体を問い直しにかけていく。さらにニールがSTEIMという研究所の後ろ盾のもとに楽器を発展させていったことに比すると、あくまでもDIYの精神で改変を施していく竹下の楽器はより自由な音楽へと開かれてもいる。竹下によるベースの改造はいま現在も続いており、一旦でき上がった状態に慣れるとさらにコントロールし難いものへと改変していくというのだからその実験精神は尽きることがない。演奏では通常のベースの弦の響きを織り交ぜ、それを変調するとともに複数の電子音響ノイズを併用するサウンドを生み出しており、『Mechanization』の後半においてその模様を聴くことができる。


《《》》 - 《《》》
Flood (2015)
Amazon

 中田粥と竹下勇馬が、ドラマーの石原雄治、ギタリストの大島輝之とともに結成した《《》》(metsu)によるアルバム『《《》》』では、ハッキングによって生み出されたふたりの楽器が、アコースティックな打楽器とエッジの効いたカッティング・ギターとともに丁々発止のやりとりをする様が収録されている――とはいえハッキングされた楽器から発されるのは肉体的というよりもテクノロジカルなエネルギーであり、レスポンスも即効性があるというよりは不確定的な要素が多く、そこが従来の即興音楽にはない面白さとも言える。このアルバムの3曲めおよび4曲めに参加しているサックス奏者の山田光は、改変こそ施していないものの、マイクロフォンやスピーカーを組み合わせることによって独自の音響をサックスから紡ぎだす演奏を試みてもいる。山田のそうした側面にフォーカスを当てたアルバムはまだ発売されていないものの、ロック・バンド「毛玉」のフロント・マンとしても知られる黒澤勇人とのデュオによる作品が近くリリースされる予定だという。すでにゼロ年代の後半から即興音楽シーンに関わってきた黒澤もまた、集音と増幅を駆使することによって、卓上に寝かせたギターから独自のエレクトロ・アコースティックなサウンドを聴かせる演奏をおこなっている。

 このようにハッキングされた楽器からスピーカーを通して発される電子音は、楽器奏者との共演をおこなうことによって、電子音と楽器音が交錯するいわゆるエレクトロ・アコースティック音楽としての様相を呈していく。「エレクトロ・アコースティック」という言葉自体は、狭義には50年代の電子音と具体音を併用したレコード音楽のことを指すが、「音響」のムーヴメントと相俟って90年代以降により広く知られるところとなり、生演奏にエレクトロニクスを取り入れただけの音楽にも適用されるなど、現在では語感の良さも手伝って乱用されているきらいがある。しかし「エレクトロ・アコースティック」という考え方がもたらしたのは単に電子音と生音を併用するということだけではなく、技術の進歩などにより一方にまるで本物の楽器のような音を出す電子音があらわれ、他方には拡張され尽くした特殊奏法――これもひとつの技術革新だ――によってあたかも電子音のようなサウンドを奏でる楽器奏者があらわれ、そうした境界線の曖昧になった電子音/生音が、サウンドの平面上に同等の資格をもって立ちあらわれることによって、電子音や楽器音に歴史的に担わされてきた役割というものを、あらためて問い直す契機になったという点にこそある。そこでは音の発生源がラップトップPCなのかアコースティック楽器なのかといったことよりも、そこに一体どのような音が発生していて、それがどのように聴こえてくるのかということの方に焦点が当てられる。とりわけ「ハードウェア・ハッキング」の流れのなかから導き出されてくるエレクトロ・アコースティック音楽では、電子的なノイズと楽器の非器楽的使用による無形のサウンドが交差する傾向が強く、それを必ずしもハッキングすることのないエレクトロ・アコースティックの実践と関連づけてみることもできるだろう。


高島正志 / 影山朋子 / 長沢哲 / 古池寿浩
Astrocyte meenna (2016)
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 山田光のアイデアを取り入れることによって、独自の組み合わせからエレクトロニクス装置を生み出したドラマーの高島正志もまた、サウンドの地平をゆく固有の道を突き進んでいる。「G.I.T.M.」と名付けたその自作装置を取り入れた高島の演奏は、リズムというよりは痙攣するパルスの積み重なりを聴かせ、合奏では往年のスピリチュアル・ジャズのような陶酔感を伴っていく。他方で高島は作曲も手掛けており、そのモチベーションは自由であるはずの即興演奏が陥りがちな定型を脱することという、ギャヴィン・ブライアーズのデレク・ベイリーに対する批判を彷彿させるものがあるが、それでも彼自身はプレイヤーとして即興演奏をおこなう活動を手放してはいない。いわば彼にとっての作曲行為は即興演奏と相互に影響を与え合うような地続きのものとしてあるのだろう。現在は福島県に居住し、アジアン・ミーティング・フェスティバルにも出演したギタリストの荒川淳が郡山市で運営するスペース「studio tissue★box」で主に活動しているものの、都内でライヴをおこなうこともある。先日(5月5日)も高島の作曲作品が、竹下勇馬と石原雄治によるデュオ・ユニット「Tumo」によってリアライズされるライヴがおこなわれるなど、シーンとの交流がみられた。


Straytone / 中村ゆい / 増渕顕史 / 徳永将豪
A Crescent and Moonflowers
meenna (2016)
Amazon

 エレクトロニクス奏者と楽器奏者の共演から生まれるエレクトロ・アコースティック作品も紹介しておきたい。ミニマル・ドローンな音源の反復から電子音響を変化させていくStraytone、太く豊かな倍音を含んだサウンドを求道的に発し続けるサックス奏者・徳永将豪、12小節という定型を取り外したブルースの音響そのものに焦点を当てるかのようなギターを奏する増渕顕史によるトリオ・セッションと、声というよりも呼吸する気息の物質性をあらわにするヴォイス・パフォーマー中村ゆいが加わったカルテットによるセッションのツー・トラックを収めた『A Crescent and Moonflowers』である。管楽器のようなうねりとプリペアド・ギターのような打楽器的なサウンドを聴かせるStraytoneの演奏は、徳永と増渕による特殊奏法を取り入れた響きと混ざり合い、さらには吉田アミの「ハウリング・ヴォイス」を彷彿させる電子音響的なヴォイスを発する中村ゆいの演奏がそこに重なり合うことで、サウンドそれ自体の地平が開かれていく。そうした音像のなかから、ときおりその楽器の、あるいはその奏者にしか出せない固有の響きが前面に出てくる瞬間に立ち会うとき、サウンドの地平に照準を合わせていた耳に異化作用が施されていくというのも、こうしたセッションならではの愉しみだと言えるだろう。


康勝栄 / 弘中聡
state, state, state
ftarri (2012)
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 エレクトロ・アコースティック音楽の可能性を、あくまでも演奏を基礎としながらも、録音芸術として作品化した特筆すべきアルバムとして『state, state, state』も挙げておきたい。MultipleTapを主宰しウェブ雑誌『20hz』を発行するなど、日本のインディペンデントな音楽シーンを精力的に紹介し続け、クライヴ・ベルにも「これらの音楽を取り巻く環境を、特に日本において変えていくという使命を負っている」(20)と評された康勝栄と、変則的で巧妙にデザインされたリズムがラップのフロウを新鮮に聴かせるバンドskillkillsなどで活躍するドラマーの弘中聡によるデュオ作品である。僅かにポスト・プロダクションが施されたデュオ演奏とそれぞれのソロ、そして録音されたままのデュオ演奏が収録された本盤は、エレクトロ・アコースティックという考え方によって演奏をサウンドの地平で捉えられるようになったはずのわたしたちの耳が、それでも音盤上で施される改変によって本来の演奏を想起してしまうということ、しかし手を加えないことが本来の演奏と呼べるものなのかどうかということなどを、スタイリッシュなビートとともに提示している。すでに5年前の作品であり、とりわけ康の現在の活動はギターよりも自作エレクトロニクス装置を用いた演奏をする機会が多くなっているものの、そうした問題提起する射程の深さを伴うこの作品の特異性はまったく古びていない。

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2 ライヴ・インスタレーション

 かつてデュオ・ライヴをおこなった川口貴大と大城真は、それを観た米国のとあるレーベル・プロデューサーから「これはインスタレーション系だ」と評されたことがあるという。要するに「こんなものは音楽ではない」という否定的なニュアンスが含まれた評価を受けたのだが、むしろそうした評価を、従来の音楽概念では評価しきれないような、しかしあくまでも音を介した新しいパフォーマンスとの出会いから発された言葉として、ポジティヴに受け止めることもできるだろう。今年の春に出版された大友良英による好著『音楽と美術のあいだ』でも提示されていた、音楽とも美術ともつかないそうした新たな表現領域――あるいは領域から逸脱する表現のありよう――を、しかし美術に基軸を置いた音の展示ではなく、あくまでも音楽の現場で「演奏」としてなされている、いわば「ライヴ・インスタレーション」とも言える実践を眺めることから、その実態を探っていきたい。ここで紹介するミュージシャンたちの多くはアート・スペースに設置されるような音の展示作品も制作しており、いわゆるライヴハウスのような音楽のために設けられた場においても、空間と大きく関わるようなリアルタイムの反応と操作をおこないながら、投げ出された音の行方を見守るという非常に独特な「演奏」をおこなっている。こうした動向については、音楽家/評論家のデイヴィッド・トゥープによって「フェノメノロジスト」という呼称が用いられてもいる(21)


川口貴大 / ユタカワサキ
Amorphous Spores
Erstwhile Records (2015)
Erstwhile Records

 川口貴大はもともとフィールド・レコーディング作品の制作からそのキャリアを出発させながらも、ゼロ年代の半ばにはすでに会場内を歩き回りながら自作の音具を設置していくという特異なパフォーマンスをおこなっていた。『n』に結実するそうした方向性は、その後、大城真、矢代諭史とともに結成したグループ「夏の大△」へと受け継がれるとともに、より演奏に比重を置いた新たな表現を開発していった。複数のヤンキーホーンと音叉、さらには臓器のように伸縮する巨大なビニール袋とスマートフォンの光を用いたパフォーマンスでは、演奏の進行と展開を共演者に対する反応ではなくビニール袋の動きに合わせるという、非常に独特な即興演奏の取り組み方をしている。共演者との相互触発から反応の応酬を聴かせるのではなく、もっと人間の世界から離れた物と物の相互作用を提示するかのような川口のパフォーマンスは、その見た目の異様さもさることながら、どこにでもある日用品の匿名性とは裏腹に、彼にしか生み出せない個性的なサウンドを奏でることにも成功している。ユタカワサキとのデュオ・セッションにポスト・プロダクションを施すことで完成した『Amorphous Spores』で聴くことができるのは、人間の身体的な動作からは切り離されたところにある音響に刻まれた、しかし紛れもない彼の個性である。


大城真
Phenomenal World
hitorri (2014)
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 匿名的かつ個性的なサウンドは大城真が自作した通称「カチカチ」からも聴くことができる。かつてはヴィデオ・フィードバック現象を音楽として提示し、その後も「ウネリオン」と名付けた独自のフィードバックを発生させる楽器を自作するなどしてきた大城は、よりコンパクトに持ち運びの出来る形態として手のひらに収まるサイズの「カチカチ」を生み出した。会場内を歩き回るパフォーマンスは、ともに「夏の大△」で活動する川口貴大の初期の試みを彷彿させるところがあるが、至る所に設置された「カチカチ」が生み出す即物的な音響のアンサンブルがサウンドのモアレを形成するところなどは、独自に取り組んできたフィードバック現象の実践からの形跡を感じさせる。ヴィデオ・フィードバック、ウネリオン、「カチカチ」などを全て収録した、大城の活動の集大成ともいうべき作品が『Phenomenal World』である。彼自身の「現象としての音や、その発生の仕組みへの興味」(22)があらわされている本盤のタイトルからは、現象学を出発点に非人間的なオブジェクトに立脚する哲学を構想するという、グレアム・ハーマンの「オブジェクト指向存在論」を連想させるところがある。ただしそうした現代の思想動向の実体化や反映を彼の音楽に見出すことよりも、まずは様々にあらわれるサウンドに対する興味と驚きが根底にあるのだということには注意しなければならないだろう。


秋山徹次 / 大城真 / すずえり / Roger Turner
Live at Ftarri
meenna (2016)
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 今年の初めにイングランド北西の都市マンチェスターで大城真とともに展示およびライヴをおこなったすずえりの近年の活動にも非常に興味深いものがある。アコースティック・ピアノ、大小のトイピアノ、それにさらに小さな模型のピアノを連結し、「ピアノでピアノを弾く」という実にユニークな展示作品を手掛けるすずえりは、ライヴにおいても複数の「ピアノ」を用いながらそのユニークネスを発揮したパフォーマンスを繰り広げている。会場で何かを制作しようとしているものの、それにしてはあまりにも非合理的で非効率的なプロセスを踏んでいくことが、むしろ自作した音具たちの連関を生み出していくそのパフォーマンスは、従来の演奏概念とはまったく別のところから「即興」の醍醐味を聴かせてくれる。肩肘張らない脱力した佇まいもまた、しかつめらしく状況を見守る即興演奏とは別の緊迫感を生み出していく。残念ながら彼女のこうした側面を捉えた音盤はまだリリースされていないものの――とはいえ、彼女の面白さは音盤にはならないライヴのプロセスにこそあるともいえる。なので反対に、それをどのようにサウンドとして定着するのかは非常に気になるところだ――大城真、秋山徹次、それにロジャー・ターナーとのカルテットによるセッションを収めたアルバム『Live at Ftarri』でその特異な実践を垣間見ることができるだろう。

 音盤として残された彼ら/彼女らの実践は、あくまでも変化するサウンドの妙味にその魅力があらわれているわけだが、ライヴや展示においては「装置の実用性や象徴性ではなく、装置同士のネットワークや、物質が人間にもたらす影響」(23)とも言われるような、人間中心主義的な世界を離れた音たちが織り成していく、オブジェクトの相互作用のようなものを形成することの面白味がある。多くの場合ハッキングした自作音具を用いながらも、それをスピーカーから電子音として鳴らすのではなく、あくまでもアコースティックな響きとして空間に配置していくということも、現象する音の環境世界を提示しようとすることと無関係ではないだろう。それは「演奏」というよりも、人間に従属することのない音の発生を、制御不能なままに見届けようとするある種の「聴取」行為とも言える。こうした点から、まったく別の試みであるように思えながらもフィールド・レコーディングという実践との近似性が浮かび上がってくる。フィールド・レコーディングもまた、人間の世界を離れた音の環境を相手取っていく試みだからである。言うまでもなくそれをどのように切り取るのか、すなわち聴取する耳をどこに設定するのかということがフィールド・レコーディングの要であり、それは必ずしも聴くことによって視点を切り取ることが要点ではないインスタレーションの在り方とは異なっている。しかし耳の先で起こる出来事を人間が従属させることはできないのであって、とりわけそうした聴取の実践をライヴ空間でおこなうミュージシャンにあっては、そこでわたしたちが立ち会うこととなるのは出演者たちに同化した耳の視点ではなく、むしろ彼ら/彼女らが聴き、聴こうとし、それでも聴くことの外部へと溢れてしまうような音の生態系であるだろう。


stilllife
archipelago
ftarri (2015)
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 笹島裕樹と津田貴司のふたりによって結成されたstillifeは、フィールド・レコーディングをライヴにおける「演奏」としておこなう非常にユニークなデュオ・ユニットである。彼らのライヴでは、オートハープや木製の笛、音叉、小石、ガラス瓶その他無数の音具と、集音し変調するエレクトロニクス装置などを用いながらも、それらは一般的な音楽の演奏においてホワイト・キャンバスに描かれる絵のようにあるのではなく、むしろその場の環境やライヴをおこなう会場にすでにある様々に彩られたキャンバスを前にして、その背景が決してまっさらな沈黙ではないことを明かすかのように挿入されていく響きとしてある。言うまでもなく、彼らがそこで聴き取ろうとするサウンドは、観客であるわたしたちと同一のものではない。むしろ聴き取ろうとする彼らの「演奏」によって浮かび上がる音の世界が、わたしたちひとりひとりに固有の聴取の位置を与える契機となっていく。しかしだからこそ、彼らの音盤はライヴであらわされる音楽とはまったく別の価値を帯びもする。傑作ファースト・アルバム『夜のカタログ』の翌年にリリースされた『archipelago』では、あたかも電子音楽のような即物性を伴って響く鳥の鳴き声が、最終的にはそれが他ならぬ「鳥の声」という意味にまみれたサウンドでしかなかったということに、思わず気づかせるような工夫が凝らされていて、それは録音作品ならではのstillifeの「耳」の刻みかたとも言えるだろう。


松本一哉
水のかたち
SPEKK (2015)
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 stillifeのメンバーでもある津田貴司と、ベースを用いた特異なドローン/倍音を奏でてきたTAMARUとともに、昨年からは「Les Trois Poires」というグループでも活動をおこないながら、独自のフィールド・レコーディング作品を残しているアーティストとして、打楽器奏者の松本一哉の名前を挙げることもできる。「自分が指揮者になったように音を選んで聴けば、身の回りには常に偶然に作曲された音楽が溢れている」(24)と語る彼が、「偶然のオーケストラに奏者として自分が音を足すことで、全く別の聴き方ができたり、もっと違う楽しみができたり、今まで体感したことのない新しい価値を見出せる」(25)ということを念頭に置いておこなった環境音とのセッションが、『水のかたち』には収められている。全編が「ありのまま」に収録された本盤からは、「波紋音」をはじめとした複数の音具を用いた、水琴窟での数回にわたる演奏から、長野県根羽村に固有の独特な鳴き声を持つ蛙との演奏、梅雨明けに突然訪れるひぐらしとの演奏、あるいは浜辺に打ち寄せる波音との演奏など、水をテーマに様々な場所でおこなわれた「セッション」の記録を聴くことができる。打楽器奏者ならではのリズミカルな演奏もおこなう松本の音楽が、しかしときおり環境音なのか彼の打音なのかわからなくなる瞬間に立ち会うとき、「偶然のオーケストラ」が詩的な方便やケージ主義的な認識論ではなく、極めて具体的なサウンドのありようを指しているのだということがわかる。

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3 シート・ミュージック

 シート・ミュージックとは元来音楽の流通形態のひとつの在り方を指し、とりわけ録音/再生技術が音楽の消費形態として一般化する以前の18世紀末から20世紀初頭にかけて、音楽家が生み出した作品をいつでも再現できるような状態で所有するために売買された楽譜を指すのだが、ここでは大谷能生が『貧しい音楽』のなかで設けた章のタイトルから借用し、即興音楽シーンにおいて新たな表現を求めるために取り交わされているいわゆる「作曲もの」の総称として用いることにしたい。同書のなかで大谷がおこなったインタヴューにおいて、そのころ即興よりも作曲へと活動の比重が増していた杉本拓は、「即興で演奏すると落ち着き先が似てしまう、結局ある磁場の中に収まってしまう。そういった重力から離脱する手段としての作曲」(26)の魅力を語っていた。意味づけられる前の物質的な次元における音響を経験の基盤として分有しているならば、シート・ミュージックの役割もまた、同一の音楽を記号化して保存/伝達することよりも、記号化することから生まれる流動的で一回的な実践のほうに焦点を当ててみることができるようになる。すなわち、紙に書き記したスコアを介して演奏をおこなうことが、単なる伝達の手段やイデアルな領域に作品を保存するのではなく、即興演奏に新たな側面から光を浴びせ、より活動を活発化させるための方途となっていくのである。

(ところで、かつて批評家の佐々木敦は、体験を前提とし聴かれることを目指しているという点においてコンセプチュアル・アートとは異なるものとしながら、「一回性の中に、他の可能性を排除するに足る理由づけ」のないような、「聴かなくても聴いてることと無限に同じになる」ようなものこそが、「即興的な、偶然的な要素を取り入れたヴァンデルヴァイザー以後の作曲の方法論」だと述べていたことがある(27)。いわば充足理由律を否定する思弁的な作曲に可能性を見ていたのであって、それは音をあるがままにするはずのケージ主義的な実験音楽の多くの試みが、しかし音の物的状態ではなく、あくまでも聴くこととの関わりにおいてのみ可能な実践でしかなかったのに対して、聴取および演奏とは区別された作曲それ自体を提起していたジョン・ケージ自身の試みにおいては、「聴取と音の相関」(28)を抜け出す手掛かりをみることができるのであり、その方向性を相関主義の隘路に陥ることなく推し進めたものとして「ヴァンデルヴァイザー以後の作曲の方法論」を捉えることもできる。だが本稿では、あくまでも演奏やパフォーマンスに重心を置いた実践を事例として紹介しているため、こうした「思弁的作曲」を中心的に取り上げることはしない)。


Suidobashi Chamber Ensemble
Suidobashi Chamber Ensemble
meenna (0016)
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 2016年に結成されたSuidobashi Chamber Ensembleは、そのメンバーの多くが即興演奏家としても活躍していながらも、ヨーロッパの現代作曲作品からメンバー自身による豊富なアイデアを取り入れた楽曲、あるいは交流のあるグループ外の音楽家による作曲作品もリアライズしてみるなど、「作曲もの」を活発に実践しているグループである。メンバーを率いるのは吉田ヨウヘイgroupで活動していたフルート奏者の池田若菜で、ほかに即興演奏に果敢に取り組んできたヴィオラの池田陽子、シーンには珍しいファゴットを奏する内藤彩、さらに杉本拓と大蔵雅彦が参加している。前三者はクラシック音楽を素養に持つというところもユニークで、とりわけ内藤彩はこのグループに参加するまでこうしたシーンとはまったく関わりを持っていなかったというところも興味深い。ライヴでは毎回趣向を変え新たな楽曲に取り組んで見せる一方で、決め事なしの集団即興も試みるなど、尽きないアイデアと怖いもの知らずの実験精神にはつねに驚きが満ち溢れている。そうした彼ら/彼女らの魅力をたった1枚のアルバムに集約することなど到底できないが、それでも『Suidobashi Chamber Ensemble』におけるヴァンデルヴァイザー楽派の楽曲を演奏するという試みからは類稀な音楽が生み出されており、ライナーに池田若菜が書き記しているように「構造の理解だけでははかれない何か別の視点から作品を体験すること」(29)の面白さを感じ取ることができるだろう。


Various Artists
実験音楽演奏会
slubmusic / kenjitzu records / l-e (2015)
実験音楽演奏会

 Suidobashi Chamber Ensembleとも交流を持ちながら、主に大崎/戸越銀座のイベント・スペース「l-e」を拠点に活動する実験音楽演奏会(30)も、こうした「作曲もの」で魅力的な活動をおこなっている集団のひとつである。杉本拓が2013年にl-eでおこなっていた「実験音楽スクール」の参加者からなるこの集団には種々様々なメンバーがおり、「なるべく失敗しそうなのを作る」(中条護)という意見から「誰でも参加できる、なるべく簡単なことをやりたい」(高野真幸)という意見まで飛び交う(31)など、一様に括ることのできないバラエティの豊かさがある。だがそれでも、こうした集団として活動をおこなうことが互いに影響を与え合うことによって、また、基本的にはどのような実践も許されるl-eという拠点を持つことによって、様々に新しい試みへと踏み込んでいくことのできる理想的な環境があるとは言えるだろう。『実験音楽演奏会』に収められているのは、五線譜に書き記された作品からテキスト・スコアによるものまで様々であり、たとえば室内の温度を演奏を指示する楽譜に見立てた作品の実演などが収録されている。杉本はかつてこう述べたことがあった――「実験音楽とは、何が音楽であるのか、どのようにある音についてそれが音楽であるかないのかを認識するのか、そういう問題に対して思弁を活性化させ、さらにその思弁に対して実践で答える、そういった精神を持続させていく装置のひとつである」(32)


浦裕幸 / 金沢健一 / 井上郷子
Scores
meenna (2017)
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 こうした固定メンバーあるいは集団による実践とは異なりながらも、ユニークな作曲作品を生み出している存在として浦裕幸の名前も挙げることができる。2月17日のライヴで初演された「Etude for Composition #1」において、リアライズする即興演奏家の固有のサウンドを扱いながらも、カードを捲る無意識的な動作とそこから生まれる意図されざる響きを露わにしていた浦は、『Scores』においても奏者固有の音響をたゆたわせながらも、二重の無意識的なるものを顕在化させることに成功している。ひとつめはまったく音楽化されることを想定せず、もっぱら造形的な美しさだけを追い求めて制作されていた彫刻作品から、その形象を楽譜に見立てることで生まれる和音とその連なりであり、もうひとつはそれを演奏した10月1日の群馬県立近代美術館に偶然居合わせた子供のはしゃぎ声と基層となる環境の響きである。ポスト・ケージの地平にいるわたしたちにとって、もはや単にステージ上で演奏者がなにもしないというだけでは、意図されざる響きとしての「サイレンス」が立ちあらわれてくることはない。浦自身がどこまでそれに意識的に取り組もうとしているのかは定かではないものの、彼の実践からは、現代の耳に「サイレンス」をいかにして出会わせることができるのか、という挑戦を読み取ることもできるだろう。

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4 「即響」

 「即響」という耳慣れない造語は、フランス文学者/音楽評論家の昼間賢による論考「音響音楽論」(33)から借用した言葉である。同論考では、組織化された音楽、あるいはそうした音の連なりにすでにして組み込まれた楽音ではなく、「音響」――とりわけ音の(複製技術というよりも)保存手段としての録音を介したものとしての――を起点に据えて音楽の再構築を図る試みについて、それを喉歌、ブルガリアン・ヴォイス、クロード・ドビュッシー、ジミ・ヘンドリクス、フィールド・レコーディングといった多岐にわたる事例を辿りながら論述していくという内容になっている。その最終章「究極のローカル(二)――楽器に徹した即興演奏=即響の現在」において、昼間は現代即興音楽シーンについて触れながら、その特徴を「音の過剰や極端な欠如によって音楽の根幹を揺るがすのではなく、特異な響きを最大限にいかしつつ、通常の音楽とは別の音響を、あくまでも楽器によって、すなわち人間の身体を介したかたちで演出する音楽」として「即響」と呼ぶことにしている。それは「物質そのものではなく物的状態、すなわち、社会的に決められた用途から自由になった物と同様にありたいと願う人との出会い」であり、「意味づけられていない自由な音のために黙々と続けられる」実践なのである。大谷能生が14年前に提起した「新しさ」をも彷彿させるこうした定義は、当時見出された可能性を自らの身体と楽器を前にした音楽の現場において、さらに一層洗練させていく一傾向として捉えることもできるだろう。


歌女
盲声
blowbass (2014)
daysuke

 こうした傾向を語るにあたって、昼間賢がそれを体現するアーティストとして挙げていたチューバ奏者の高岡大祐について触れないわけにはいかない。ステージでパフォーマンスをおこなうだけでなく、生きることそれ自体が即興演奏と地続きにあるような発言を残してきた「旅するチューバ吹き」の彼が、石原雄治と藤巻鉄郎というふたりの打楽器奏者とともに結成した「歌女」は、ブラスバンドからそのキャリアを出発させたという高岡の音楽的な原点に立ち返るかのように、ニューオリンズ・スタイルのリズム隊を彷彿させる編成となっている。だがその音楽はまったく異なるものであり、重音奏法を循環呼吸によって延々と続けるチューバの響きにふたつの打楽器が交差するリズムが絡み合う演奏や、細かいパルスの連続が大きなうねりを生み出していく演奏など、音楽的なサウンドを聴かせる一方で、何かを転がしたりファスナーを開け閉めする物音が連ねられていく「非音楽的」な音響も聴かせている。そうした音楽が収められた『盲声』は、アルバムの冒頭に野外からライヴ会場へと赴く足音が、末尾にはライヴ会場から去っていく様子が録音されていることを思うと、この作品全体が「歌女」というグループの音響を生け捕りにした、いわばフィールド・レコーディング作品とも言えるものとなっている。


徳永将豪
Alto Saxophone 2
hitorri (2015)
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 楽器の求道者として自らに固有の音響を生み出してきたアルト・サックス奏者の徳永将豪もまた、「即響」とも言えよう特筆すべき試みをおこなっている。14年前の大谷能生の論考においてもっとも若い世代のひとりとして紹介され、当時多くの即興演奏家がエレクトロニクスを取り入れた演奏をおこなっていたのに対して、あくまでも「サックスというアコースティックな楽器の響きに取り組んでいる貴重な存在」(34)として挙げられていた徳永は、その後も自らの音楽を錬成していくことで誰にも到達できないような響きを獲得するに至った。運指をほぼ固定したまま息を吹き込むサックスからは、その呼吸の運動によって様々に反響し共鳴する驚くべきサウンドの豊かさを聴かせてくれる。それだけでなくときおり荒れ狂うように軋るノイジーな演奏もおこないながらも、気息によって形づくられる身体的なリズムが、特殊奏法を駆使したサックス演奏を、単なるノイズ生成ではなくより音楽的な流れとなっていくような構成的な展開をももたらしている。ファースト・ソロ・アルバムでは抑制された静謐さの揺らめきを探索していたその音楽は、5年半後の『Alto Saxophone 2』においてよりダイナミクス溢れる強靭な演奏に至り、そしていま現在も変化を続けている。彼の3枚めとなる新たなソロ・アルバムは近くリリースされる予定のようである。


大上流一
Dead Pan Smiles
DPS Recordings (2015)
Tower

さらにもうひとり、ギタリストの大上流一の実践をこうした特徴から捉えることもできるだろう。すでにゼロ年代の前半には活動を始めていた大上を「新しい波」などと呼ぶわけにはいかないものの、80年代から続く中野のライヴ・スペース「Plan-B」において、彼が2004年から10年間にわたって毎月おこなってきたライヴにおけるソロ・インプロヴィゼーションが、5枚組のアルバムとして陽の目をみることによって、ようやくわたしたちは彼の試みに録音を介して出会うことができるようになった。10年間の記録から厳選された録音が収録されている『Dead Pan Smiles』には、デレク・ベイリーを思わせる点描的なハーモニクスとフレーズから逸脱する演奏や、後期高柳昌行のごときフィードバックを取り入れた轟音ノイズなどがありながらも、ベイリーとも高柳とも遠く離れたミニマルに反復していく独自の即興演奏までもが収められている。それはどこかジム・オルークのギター・ソロを彷彿させるところがあるかと思いきや、そこにとどまることもなく、豊富なアイデアと卓越した技術を駆使して新たな即興に挑んでいく様に立ち会うとき、こうした連想ゲームがことごとく無意味になるような気にさえなってくる。ひとつとして同じ演奏がなく、つねに変化を続けるその音楽は、当然のことながらジャンル化した「フリー・インプロヴィゼーション」の再生産などではなく、まさしく「意味づけられていない自由な音のために黙々と続けられる」実践の軌跡と言うことができるだろう。


Various Artists
Ftarri Third Anniversary Vol. 1 ~ Vol. 6
meenna (2015)
Ftarri / Meenna

 もっとも懸念すべき事態は、こうした見取り図を描くことによって、その図式に収まりきらない魅力的な実践の数々が、わたしたちの前から見えなくなってしまうことにある。それを避けなければならないということは強調してもし足りない。そこで最後に、水道橋Ftarriが実店舗を構えて3周年を記念してリリースしたアルバムを紹介しておくことにしたい。Vol.1からVol.6まで計6枚出されたこれらのコンピレーション・アルバムには、これまで言及してきたミュージシャンたちのほとんどを含みながら、それだけでなく、総勢28名にも及ぶ多様な音楽が収録されている。そこには当然のことながらこれまで書き記してきた4つのテーマではまったく掬い取れないような特異な実践もあれば、そうしたテーマに当て嵌まるものの紹介し切れなかった試みもあるだろう。だがさらに言うならば、水道橋Ftarriを窓口として眺めることそれ自体が妥当なことなのかどうかということも、問われなければならないように思われる。そこに出演しているミュージシャンたちは言うまでもなく他のスペースでも活躍しており、たとえば六本木Super Deluxe、大崎l-e、桜台pool、東北沢OTOOTO、八丁堀七針、千駄木Bar Isshee、神保町試聴室など、他にも十分に窓口となり得るような音楽の現場が無数にあるのだ。さらにそれらの情報が掲載されたウェブサイトは、現在では「Improvised Music from Japan」だけでなく、それぞれのミュージシャンたちが容易にインターネット上に個人の拠点を作ることができるようになっているし、あるいはト調のように、都内のライヴ日程を価値判断を下す以前にひたすら収集し続ける驚異的なウェブサイトもあらわれてきている。本来であれば、そうした個別の現場とそこで活躍する単独者たちについて、ひとつひとつに丁寧に言説を付していくという作業が正しいことのようにも思う。しかしその個別の実践があまりにも膨大に広がっていることが、一般的なリスナーにとってどこから近づけばいいのかわからない難解さを生み出しており、さらにそうした多様性がむしろ興味を分散し触れてみる機会をも数少なくしてしまっているようにも思うのである。そうしたことを打ち破るきっかけとして、本稿のような踏み台の役割を果たす言説も必要なのではないか。無論、ここから先は、個別の読者が実際に現場へと足を運んでいくことが期待されている。ここで紹介した数々の実践は、それを目前にしてみるならば、音盤とはまったく異なる風景として立ちあらわれてくることだろう。そしてそれを未だなお「即興音楽」と呼び続けることが適切であるのかどうかは、今後あらためて議論されるべきことでもあるように思われる(35)

ECD - ele-king

 2004年に聴いた“東京を戦場に”のリアリティは凄まじかった。2003年の『失点 in the Park』のジャケットも忘れがたい。杉並区の公衆トイレに描かれた「反戦」「スペクタクル社会」というメッセージ――最高裁まで争った例の事件を思い出す人もいるだろう。『さんピンCAMP』を後追いでしか知ることのできなかった世代には、そこからECDに入っていったという層も少なくないのではないだろうか。
 そんな00年代以降のECDの歩みを辿るベスト盤が7月19日に発売される。CD 2枚組の仕様で、各ディスクには00年代の楽曲と10年代の楽曲が振り分けられている。監修はもちろんECD本人。客演作品も収録されているのが嬉しい。トラックリストは下記よりチェック。

ECD完全監修による2000年代以降の作品をまとめた2枚組ベスト盤『21世紀のECD』、7/19にリリース決定! ジャケット、トラックリストも公開!

 日本のヒップホップ黎明期よりコンスタントに活動を続けながら、いまなお現役第一線としてのリアリティを失わないアーティスト、ECD。1996年、日比谷野外音楽堂にて歴史的ヒップホップ・イベント〈さんピンCAMP〉のプロデュースを務めて数々のクラシックスを世に送り出し、2003年作『失点 in the Park』から今日に至るまで、自主制作で精力的なリリースを続けている。2015年には16枚目となる現時点での最新作『Three wise monkeys』をリリース。日本のヒップホップ・シーンという括りのみならず、シーンをクロスオーバーした活動で音楽ファンを魅了し続け、ここまで作品をリリースし続けるアーティストは他にいるだろうか。
 そんなECDのリリース作品・客演作品より、2000年代、2010年代を区切りにふたつのディスクにコンパイルし豪華2枚組としてパッケージングしたベスト盤『21世紀のECD』のリリース日がついに7/19に確定! そして最終的なトラックリストとジャケットも公開!

「今聴いても古さを感じさせない」それは最高の褒め言葉だ。
しかし僕は前作を古いものにするために新作を作り続けてきた。
つまり、この「21世紀のECD」と題されたベスト盤のようなものはいわばECDの地層である。
収録されている曲のひとつひとつは化石だ。ECDの化石を聴いてくれ。
――ECD

[DISC1 - 2000年代ベスト]
1. DIAL Q-EST - TSUTCHIE feat. ECD (From 『THANKS FOR LISTENING』)
2. Freeze Dry (From 『失点 in the park』)
3. DJ は期待を裏切らない (From 『失点 in the park』)
4. MIZO (From 『FINAL JUNKY』)
5. 東京を戦場に (From 『FINAL JUNKY』)
6. CD (From 『FINAL JUNKY』)
7. A.C.I.D (From 『Crystal Voyager』)
8. E.C.D (From 『Crystal Voyager』)
9. セシオン - U.G.MAN with ECD (From 『SOME SECRET』)
10. FINAL JUNKY のテーマ (From 『FUN CLUB』)
11. In The Place To Be (From 『FUN CLUB』)
12. BORN TO スルー (From 『天国よりマシなパンの耳』)
13. 天国ROCK (From 『天国よりマシなパンの耳』)
14. Keep On and GO - マイクアキラ feat. ECD (From 『THE RAP IDOL』)
15. 火星呆景 – O2 feat. ECD (From 『STAY TRUE』)

[DISC2 - 2010年代ベスト]
1. How's My Rapping? (From 『TEN YEARS AFTER』)
2. Time Slip (From 『TEN YEARS AFTER』)
3. Sight Seeing (From 『Don't worry be daddy』)
4. 想定外 - MINT&ECD (From 『BLACK SWAN』)
5. ラップごっこはこれでおしまい - soakubeats feat. ECD (From 『Never Pay 4 Music』)
6. 憧れのニューエラ (Extended 12' Version) (From 『憧れのニューエラ / ラップごっこはこれでおしまい』)
7. トニー・モンタナ (KM Remix) (EXCLUSIVE)
8. Trouble Makker - RIKKI feat. ECD (From 『BLACKGATE』)
9. Lucky Man (for Fans & Relativities REMIX) (EXCLUSIVE)
10. ただの直感 - GEBO feat. ECD (From 『IT'S A NEW DAY』)
11. 2030 - S/ & ECD (From 『T.R.E.A.M. presents ~田中面舞踏会サウンドトラック~ 「LIFE LOVES THE DISTANCE」』) ※正式表記は「S」の上にスラッシュ
12. ECDECADE (From 『TEN YEARS AFTER』)

行松陽介 - ele-king

ZONE UNKNOWN List

interview with shotahirama - ele-king

「テクノ? 興味ない」って拒絶反応を起こすような人たちにもちゃんと聴いてほしくて。僕の作品で突破口を開くというか、「すごい難しそうだけど、めっちゃ“音楽”じゃん」と思ってほしい


shotahirama
Maybe Baby

SIGNAL DADA

GlitchNoiseDub

Amazon Tower HMV

 グリッチの栄華は永続しない。最初に耳に飛び込んでくるノイズと電子音は、数分を経た後に銃弾のような打撃音に取って代わられる。時を同じくして極小のダブの断片が侵入を開始し、間歇的かつ着実にその勢力を拡大していく。だがその奇襲は看破され、やがてキャッチーな和音がその場を支配するだろう。ベースが勇ましく前方へと躍り出し露骨なレゲエの調べを奏ではじめると、とぅわん、とぅわん、とぅわん、と謎めいた音声が上方からその進撃を支援する。背後には微細なノイズの粒子たち。気がつけば場面はダンスフロアへと転換しており、力強いビートが衆客の踵を弾ませている。たまりかねたスネアが乱入を図った直後、まるで警官が立ち入りでもしたかのように唐突に沈黙が訪れる。
 以上が、あなたの体験する物語である。時間にして15分。さまざまな音の断片が重ねられては引き剥がされ、シークエンスは次々と切り換えられていく。この15分を時間としてではなく空間として捉えるならば、それはほどよいサイズの無垢なキャンバスだと言えるだろう。その上にはじつに多様な「異物」――新聞や書類、イラスト、写真、布切れ、などなど――が貼り付けられている。コラージュである。
 コラージュそれ自体はいまや驚くべき技法でもなんでもない。なにせ100年の歴史を持っているのだから、もはや伝統的な、由緒正しい術式であるとさえ言える。とはいえコラージュの際に用いられる素材が、それがもともと所属していた文脈から引き離され、本来の意味を剥奪されるということの効果に関しては、いまでもじゅうぶん見るべき点がある。一ヶ所に集められた断片たちは、配置されたり重ねられたりすることによってそれぞれ新たな意味を獲得し、それら断片によって埋め尽くされたキャンバスは無数の意味を増殖させていく。
 shotahiramaの新作『Maybe Baby』では、その素材のひとつにダブが採用されている。このアルバムではダブがジャマイカやUKの文脈から切り離され、グリッチ/ノイズの前後左右に貼り付けられている。混沌としているようにも見えるが、『Maybe Baby』がおもしろいのは、その一見無秩序な空間をひとつの物語として成り立たせているところだ。コラージュやカットアップといった技法、あるいはグリッチやノイズといったジャンルはふつう、そういう物語性からもっとも遠いところにあるものであるはずだが、shotahiramaは巧みにそれらを両立させてみせる。そんなアクロバティックなことができてしまうのはきっと、彼の音楽的なルーツがロックにあり、そしていまでもそこに対する興味を失っていないからなんだと思う。
 以下のインタヴューにおいて彼は、じつにさまざまなロック・バンドの名を挙げている。彼は、グリッチ/ノイズの頼もしき担い手となったいまでも、自らのロック趣味を隠そうとはしない。「昔は好きだったけど、いまはもう興味ないっすね」などと虚勢を張ることもない。素直にストロークスが好きだと言えるグリッチ/ノイズの作り手がいったいどれだけいるだろうか。「硬派な人たちと比べたら、ぜんぜんミュージック・ラヴァーだから」と彼は笑う。shotahiramaの心は、きれいだ。
 歳を重ねたり、業界のなかで揉まれたり、レーベルを運営したりしながらも、彼がきれいなままであり続けられているのは、たぶん、彼が「ぼっち」だからなのだと思う。人はひとりであるとき、もっとも素直でいることができる。音楽のなかでもとりわけ尖鋭的な分野で活動を続けながら、その鋭さを失わずに精巧な物語まで紡いでみせることができるのは、きっとそういうきれいな「ぼっち」だけなのだ。

いいところだけギュッと集めたものを作りたいというか。普通だったらAメロ、Bメロみたいな展開になるところを、ぜんぶサビだけで作っちゃう。

ヒラマさんのこのサウンドが生み出されるに至った背景を探るべく、音楽遍歴から伺っていきたいと思っているんですが、ダーティ・プロジェクターズがお好きとのことで、まずはその話から始めようかなと(笑)。

shotahirama(以下、SH):僕は以前、ディスク・ユニオンで働いていたんです。個人的にオルタナばかり聴いていた時期で、もう「ギターしか聴きたくない」みたいな状況のときにユニオンに入ったんですね。で、そのあたりのロックはユニオンでは「新ロック」って呼ばれていて。「古ロック」と「新ロック」というくくりがあったんです(笑)。80's以降のロックが「新ロック」。僕は2000年以降のロックがリアルタイムだったんで、当然そこが得意分野だったんですけど、ユニオンみたいなところで働いていたら、まわりには旧譜ばっかり並んでいて。90、80年代とどんどん掘り下げていくと、いま聴いているものもその時代あってのものだよな、という発見がたくさんあって。そういうサイクルだったんですよね。その頃にダーティ・プロジェクターズが出てきて。00年代半ばくらい? 今回の新作は新鮮ですよね。あの感じは、別に僕がノイズを聴いているからどうとか関係なしに、単純に音楽としてワクワクする。いまは純粋にああいうものも、年代とかジャンルとか関係なく聴いていますね。ノイズをやっているからノイズしか聴いてない、みたいなことはまったくなくて。硬派な人たちと比べたら、ぜんぜんミュージック・ラヴァーだから(笑)。

なるほど(笑)。ディスク・ユニオンで働かれていたということは、そこに入る前からかなりの音楽好きだった、ということですよね?

SH:そうそう、音楽ファンで。学校行かずにレコ屋に行って買ってみたいな。

いまおいくつなんですか? 僕は今年で33歳になるんですが。

SH:84年生まれですか? 僕は84年の1月生まれなんで、学年で言うと今年34歳の世代ですけど、まだ33歳ですね。

同世代ですね。いつ頃から音楽に目覚めていったんでしょう? 小学生の頃からですか?

SH:いや、ぜんぜんそんなことはなくて。遅咲きで、高校生くらいからですね。最初はオシャレというかファッションというか、そんなノリでしたね。モテたかったというか。

音楽を聴いていたらカッコいいんじゃないか、と(笑)。

SH:そうそう。最初から洋楽で、「日本語とかちょっと無理!」みたいなスタンスで入っていきました(笑)。たぶんすごくチャラい入り方なんだけれども、ハマり込むとそれがすべてになっちゃうタイプなんですよね。

高校生の頃はどういった音楽を聴いていたのですか?

SH:もうがっつりストロークス。それまではレッチリとかレイジとか、うるさくてラップが入ったミクスチャーがすごくはやっていて。「それがモテるんだったら、それ聴いてるわ」みたいなときに、突然美容師さんみたいな格好した人たちが、スッカスカの音で登場してきて、「え、ちょっと待って」ってなって。

たしかに、スッカスカでしたよね。

(しばらく同世代トークで盛り上がる)

そこからどのようにいまの音楽スタイルに至ったのかお聞きしたいですね。

SH:『snoozer』をめっちゃ読んでいたんです。タナソーさんの文章がぜんぶ正しいと思って読んでいて(笑)。あれを読んでいればその手のものはひととおり学べるし。YouTubeはまだなかったし、当時はネットにも疎かったんで、雑誌を読むしかなくて。あるいはCDショップに行って、ポップを見て買うっていう。あと、友だち。だから、いまの子たちに比べたらだいぶゆっくりだったんだろうな。一気に幅広く聴くなんてことはできなかったから。それで、こんなにCDとかレコードを買っちゃってるし、そういう店で働いちゃえってことで、20歳のときにディスク・ユニオンに入って。そしたら、いきなり初日から「音楽圧力」みたいなものを受けた(笑)。

「おまえ、これも知らないのか」みたいな(笑)?

SH:そう。「なに聴いてんの?」って質問にちゃんと答えられない、あのはがゆい感じ(笑)。辛いんだって(笑)。それで「すげえ、俺の知らないことばっかじゃん」となって。で、たまたま仲良くしていた人がノイズ担当者だったんです。

いきなりいちばん大変なところに(笑)。

SH:いちばん面倒くさいところに引っかかって(笑)。それで頑なにノイズとか電子音楽とか、悪趣味な感じのものをガンガン聴くようになってしまった。でも、隠れてリバティーンズの新譜を聴いたり(笑)。

なるほど(笑)。そういう「隠れながら聴く」みたいなことは、グリッチ/ノイズをやっているいまでも継続しているんですね。

SH:そう。でも、いまは隠さず言えちゃう感じ。「多様化」みたいなことをわりかしポジティヴに受け入れられている状況なんで、そこはいいと思いますよ。ソランジュも、最近ビヨンセの妹だって知って興味を持って。小林さんのダーティのレヴューにも書いてあったから、なんなんだろうと思ったんですけど、あれは結局なんだったんですか?

「グシャッ」とか「チャキチャキ」っていう音を聴いて「あ、shotahiramaだ」というのをわかってもらえたら嬉しいですけどね。音色は共通項としてあります。たとえばギターが鳴って、「ああ、ジョニー・マーが弾いてるわ」とか、そういう感じ。

去年の秋に出たソランジュのアルバムにデイヴ・ロングストレスが何曲かプロデュースで参加していたんです。たぶんそのときの作業でインスピレイションを得て、ダープロの新作はああいう感じになったんじゃないのかなと。

SH:なるほど。たしかにR&Bが土壌になっている。ロックじゃダメなんだよ、みたいなところですよね。もうテクノでもなくて、エレクトロニカでもありきたりになっちゃう。それでR&Bというのはすごくしっくりきましたね。ダーティ・プロジェクターズの音源を聴いて、たしかにそうだなと。

そうなんですよね。逆にいまR&Bの側も、それこそソランジュがデイヴを招いたように、白人の音を入れて進化していこうとしていて。去年のビヨンセのアルバムもそうで、いい相互作用が起こっているのかなという感じはするんですよね。

SH:だから俺らの中学~高校の時代みたいに、本当はあれが好きなんだけど言えない、みたいな感じが、いまはたぶんなくて。「もっとあれもこれも聴きなよ」みたいな状況はすごくいいですよね。だから電子音楽/ノイズのようなジャンルも、もちろんある程度はお店やメディアが枠組みを作んなきゃいけないんでしょうけど、実際にはそのジャンル専門で追っかけてる人にだけ聴いてほしいわけじゃないし、ふだんはそういうものを聴いていない人でも「これはハマるかも」という人がいるかもしれない。

ヒラマさんは自分の作品をどういう人たちに届けたいですか? たとえばOPNやアルカのファンだとか、あるいは〈Kompakt〉あたりのミニマルをずっと追っている人に聴いてほしいとか。

SH:音楽好きに聴いてほしいですね。たしかに使っている機材はコンピュータだし、最近はあまりハードを使わなくてソフトばっかりで仕上げているので、生楽器感というのは皆無なんですが、「テクノ? 興味ない」って拒絶反応を起こすような人たちにもちゃんと聴いてほしくて。僕の作品で突破口を開くというか、「すごい難しそうだけど、めっちゃ“音楽”じゃん」と思ってほしいというか。今回はダブとかレゲエっぽいパートも入れているんですが、それも「あれ、なにこれ?」みたいなワクワクを感じてほしくて。僕自身のイメージでは、今作は、ストイックでキレッキレでノイズが鳴っているだけの感じじゃない仕上がりになっていると思う。すごいポップなものを意識したつもりなんですよね。

今回の“You Dub Me Crazy”は、最初はいわゆるノイズとIDMっぽい感じで始まって、2分50秒あたりから、「ダダダダダッ」という打撃音とともに、ダブの断片が入り込んできますよね。それも「はい、ここからダブです」みたいな感じではなくて、ちょっとずつ入ってくる。その後、その「ちょっと」の長さが少しずつ長くなっていって。

SH:「ダブといえばこうでしょ」っていうのを馬鹿正直にやってしまったら、それを本職にやっている人たちの作品と比べたときに、かなりクオリティの低いものになってしまうので。「あれもやりたいな。これもやりたいな」という自由な感じのなかで僕ができることをやるというか、このリズムのなかにダブやレゲエが混ざるのがおもしろい感じに聴こえたらいいなと思って。

あのダブの断片はサンプリングですか?

SH:そうですね。あの作品でサンプリングしているのはそのダブのパートと、後半の声っぽい音とかギターっぽい音が入っている部分ですね。僕は昔サンプラーだけで作っていたんで、あのコラージュ感がめっちゃ好きで、得意なんですよ。ネタは腐るほどあるし。それこそレコードが大好きだったから、いくらでも探し出せるんです。それが嫌だった時期もあったけど、今回は心境の変化というか、なんでもやっちゃえという。

6分10秒あたりからまたちょっと変わっていきますよね。ダブがちょっと潜んで、メロディアスになっていって、「ダダダダダッ」と鳴っていたドラムも変わって、リズミックな感じへと変化していく。

SH:ダウンテンポな感じになりますよね。

で、10分20秒あたりでその声のサンプリングが入って、レゲエのベースも入ってくる。

SH:あれもサンプリングですね。

そして終盤はダンサブルになりますよね。

SH:そうですね。めっちゃ速いやつ。

最後はスネアまで入ってきて、突然プツッという感じで曲が終わります。

SH:僕の作品はだいたいいつも、唐突に「もう無理!」って状況で終わりますね(笑)。15分くらいが僕のリスニング能力の限界というか、もうそれ以上は聴けないという。

これまでの作品もそうなんですけど、10分を超えるサイズの曲が多いですよね。この曲も途中でいろいろと変化していくので、それぞれを切り取って1トラックにする、みたいなこともできるのかなと思ったんですけど。

SH:いいところだけギュッと集めたものを作りたいというか。普通だったらAメロ、Bメロみたいな展開になるところを、ぜんぶサビだけで作っちゃう。でも(サビが)1パターンだと飽きてしまうので、ダブやダウンテンポやテクノという違う形で、それぞれのサビだけを抜き取って合成していったら結局15分になったという。ミックス(CD)っぽいですよね。

たしかにそういう印象は受けました。他方で、そういう風に移り変わっていく感じがサウンド・アートというか、コラージュっぽくもあり。レーベル名が〈SIGNAL DADA〉ですよね。「ダダイスムが好きだ」という発言を見たことがあります。

SH:僕の音楽はカットアップこそが命なんですよね。エディット、カットアップありきでぜんぶできている。ビートも繋がっているようにできていますが、あれはひとつひとつ配置していっているだけですからね。二度と同じ音は鳴らせないですよ。

なるほど、そうなんですね。そういう「配置感」というのは……

SH:「配置感」って言葉、いいですね。じつはあれ、0.1秒ずつ音を作っているんですけど、15分作るのに1年半かかるんですよ。それくらいかけないと、好きな音を「これ!」っていう満足度まで持っていけない。

マジですか!?

SH:だから60分作るとなったら何年もかかってしまうんです。あれを1テイクで実際に演奏していたら、たぶん何億回録ってもできないです。だったら最初から、時間はかかるけど0.1秒ずつ、ひとつずつ作ったほうがいいと思って。僕は「単音」って呼んでいるんですが、ひとつひとつすべてをちゃんと編集していますっていう。

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ダブ自体が使い回しの音楽ですからね。僕はその「使い回し」という概念がすごく好きなんです。断片的に採ってくるという手法は、コラージュにも、(ミュジーク・)コンクレートにも、カットアップにも使えるテクニックだなと。


shotahirama
Maybe Baby

SIGNAL DADA

GlitchNoiseDub

Amazon Tower HMV

今回のアルバムとは違って、『Conceptual Crap』シリーズの方はもう少しビート寄りのサウンドになっていますよね。もしあるリスナーが、その両方に通じる「shotahirama性」みたいなものを感じているとしたら、それはどういうものだと思いますか?

SH:『post punk』というアルバム以降はすべて同じプログラムを使って作っているので、「グシャッ」とか「チャキチャキ」っていう音を聴いて「あ、shotahiramaだ」というのをわかってもらえたら嬉しいですけどね。音色は共通項としてあります。たとえばギターが鳴って、「ああ、ジョニー・マーが弾いてるわ」とか、そういう感じ。「あ、あの人が弾いてるギターだ」、みたいなことになったらいいかな。

『post punk』というアルバム・タイトルからパウウェルを連想したんですが、彼が昨年出したアルバムは、いまのテクノの音色のなかでポストパンクをやったような感じなんですよね。

SH:へえー、おもしろい。ストロークスの時代に、ポストパンクのリヴァイヴァルがありましたよね。ザ・ラプチャーとか。

ありました。〈DFA〉ですよね。

SH:あれをお店で流していると、上の世代の人が「こんなのポストパンクじゃないよ。もっと遡りなさい」って言ってきて。で、いわゆるホンモノを出してくれたという思い出があります。でも、なんでもいいんだと思います。僕がポストパンクだと思って作っても、聴いた人がどう思うかまではコントロールできないし。作ってる本人がそう思って楽しんでいるのであれば、あとちゃんと本気でやっているのであれば、解釈は自由なんですよね。どう思うかは自由だけど、僕は『post punk』をポストパンクだと思ってやっていました。

今回の『Maybe Baby』というアルバム・タイトルは、どういう経緯で思いついたんでしょう? 60年代あたりのポップスにありそうな感じのタイトルですが。

SH:銀杏BOYZの“BABY BABY”から採りました(笑)。今回のタイトルに関しては、そんなに深い意味はないですね(笑)。響き、で。

銀杏だったんですね(笑)。アルバム・タイトルは『Maybe Baby』ですが、収録曲のタイトルは“You Dub Me Crazy”ですよね。こういう1トラックのアルバムの場合って、たいていトラック名がそのままアルバム・タイトルになることが多いと思うんですが……

SH:先にアルバム・タイトルは『Maybe Baby』で行こうと決めていたんですが、曲を作っている過程で「ダブ」という言葉を入れたくなって。それで曲名が“You Dub Me Crazy”になりました。

“You Dub Me Crazy”というタイトルから、マッド・プロフェッサーを思い浮かべました。

SH:そうですね。UKっぽいですよね。

ダブはけっこう聴かれていたんですか?

SH:ユニオン時代によく俺の隣で一緒に働いていた人がレゲエ担当だったんですよね。そのとき勉強させてもらったし、いまだにずっと聴いてます。でもあんなのを掘り始めたらキリがないですよ。そもそも、ダブ自体が使い回しの音楽ですからね。僕はその「使い回し」という概念がすごく好きなんです。断片的に採ってくるという手法は、コラージュにも、(ミュジーク・)コンクレートにも、カットアップにも使えるテクニックだなと。ふだんからそこまで深く考えて聴いているわけではないですが、音質的な面ではすごく通ずるところがあるので、自分の曲を作るときに「ダブっぽいな」とは昔から思っていました。今回はそれがもっとわかりやすく出たというか、あからさまにレゲエの音が入ります。

ちなみにダブだとどのあたりがお好きなんですか? ダブでも、ジャマイカのたとえばキング・タビーが好きだとか、いろいろあると思うのですが。

SH:もうまさにそこですよ。タビーとか、その弟子である(キング・)ジャミーとか。あとはグレゴリー・アイザックスも大好きだし、デニス・ボーヴェルみたいなUKの音も好きだし。ジャミー以降、ちょっとエレクトロニックな音が入ったダブが主流になっていきますよね。やっすい機材でピョンピョン音が飛んでいるみたいな、ああいう感覚ってもしかしたら僕の音楽のなかにもあるんじゃないかな。

たしかに、言われてみるとそういう感じはしますね。

SH:オーガニックな土臭いダブも好きなんですけど、聴いている割合としてはジャミー以降のものが多い感じ。あとUKだと、〈On-U〉ってあんまり言いたくないんですけど、好きですね。ガッチガチに土臭いレゲエを知っている人からしたら異端な感じで、ハイプかもしれないんですが、でもカッコいいものはカッコいいし、「ダブかけてめっちゃ爆音で踊りたい」ってなったら〈On-U〉は無敵ですもんね。それと、〈ワッキーズ〉も好きですね。あれ、ニューヨークですよね。僕は生まれがニューヨークなんですよ。『African Roots Act』っていうシリーズはすごい好き。

最高ですよね。じつは僕も小学生の頃、ニュージャージーのわりとマンハッタン寄りのところに住んでいたことがあるんですよ(笑)。

SH:え! ウソでしょ!?  ヤオハンってわかります?

ヤオハンわかります(笑)。

SH:僕は生まれて6才までは向こうにいて。小学校に上がるタイミングで日本に引っ越して、小学6年くらいにまたニューヨークに引っ越しているんですよ。だからリアルタイムでは同じ地にはいなかったかもしれない。

(しばらくニューヨーク話で盛り上がる)

さきほど仰っていたように、そもそもダブが使い回しとか組み替えの音楽なんですが、この“You Dub Me Crazy”は、さらにそのダブ自体も組み替えているような感じがしました。

SH:既存のものから逸脱していく、というのが僕のテーマなんです。だから「ダブってこういうものだよね」ということじゃなくて、こういう(自分が作ったような)ものもあっていいんじゃないかなと。「オルタナティヴ」って「逸脱」という感じだと思うんです。だからオルタナとか、もしかしたらノイズだってそういう既存のものからはみ出ていく音楽かもしれない。「アウトサイダー」というふうに考えれば、メインストリートからズレていくルー・リード的な感じもする。でもそれも、突き詰めていったら自然とそうなっているというだけで、自分からすすんで裏道に入っていくタイプではないんです。そんな怖いところ、行きたくないし(笑)。だから突き詰めていくとそうなっているというだけ。気づいたらひとりぼっち(笑)。

己の信じるものを追求していったら、いつのまにかひとりぼっちに。

SH:誰も賛同してくれない(笑)。

既存のものから逸脱していく、というのが僕のテーマなんです。

「ぼっち」とのことですが、僕もヒラマさんの音を聴いていて、大枠としてはグリッチ/ノイズのジャンルに収まると思うのですが、なにかのシーンに位置づけるのがすごく難しい音楽だなと思いました。いい意味で一匹狼というか、「孤高の存在」のような印象を抱いたんですけれど、どこかのシーンとリンクしているというような意識はあるんですか?

SH:ないです。「孤高」って言ったら超カッコいいですけど(笑)。たぶん相手にされていないだけだと思います。

ライナーノーツを空間現代の野口順哉さんが書かれていますよね。どういう経緯で彼にお願いすることになったのですか?

SH:空間現代の音楽は、簡単に言うとバンバンと音が飛んでいって、まともに聴けない感じなんです。ビートが始まったと思ったら「これ絶対CD飛んでるでしょ」みたいな(笑)。僕の音楽にもそういった側面がありますよね。グリッチしたり、スキップしたり。昔ロックが好きだったりヒップホップが好きだったりしたのと同じように、そういうスキップな感じがすごく好きなんですね。で、それを彼らは人力でやってしまっている。これまで何度かイベントで共演してきましたが、ヤバいです。カッコいいんですよね。中原昌也さんの誕生日会でライヴをやったとき、空間現代とも一緒になって、その後も打ち上げで、今回ライナーを書いてくれた野口さんと一緒になったりしていて。そういう感じでけっこう近い場所でライヴもやっているのに、ちゃんと喋ったことがなかったんです。でも当然僕のことは知っているだろうし、じゃあ僕のことをどう思っているんだろうと。僕だけ片想いな感じだったので、いい加減告白してみようと。ちょっとライナーを書いてください、というのをダメもとで言ったら、「全然いいっすよ」と言ってくれて。けっこう現実的な内容で、すごくおもしろいライナーができあがりました。僕がこのインタヴューで喋っているふわふわな感じとは違う(笑)。かなりシリアスです。愛を受け取りました。

両想いになったということですね(笑)。

SH:「好きです」って言って、「ありがとう」って言われた感じ(笑)。今度ライヴでデートします(笑)。

なるほど(笑)。中原さんの名前が出ましが、Ametsub(アメツブ)さんもコメントを寄せていますよね。

SH:Ametsubさんもよくしていただいていて。いわゆるエレクトロニカの世界ではスーパースターですよね。

そうですよね。ヒラマさんは一見「孤高」なんですが、いくつかそういう他の方たちとの接点はありますよね。イクエ・モリさんとも一緒にツアーをされて。

SH:好きなアーティストと一緒にライヴをしたい、というのはありますよね。その気持ちが実ってそういうお話になっているというだけで、「繋がっていたい」なんて畏れ多いです。そもそも中原さんにしろ、イクエさんにしろ、Ametsubさんにしろ、空間現代にしろ、基本はそれぞれ個であって。でも、彼らも「どこかに属している」という感じはあまりないですよね。

そうなんですよね。ピンポイントで繋がる人はいるんだけども、みんなそれぞれが「孤高の存在」のような感じがしますね。オヴァルとも一緒にツアーを回っていましたよね?

SH:DOMMUNEもやって、京都でツアーもやって、寿司居酒屋みたいなところで一緒に飯食いましたね。彼もそんなにコミュニケーションがうまくないというか(笑)、人とワイワイやっている感じじゃないですよね。

ですね。マーク・フェルとも一緒にやっているんでしたっけ?

SH:大阪でツアーに参加させてもらったというだけで、直接的にはぜんぜん。その日僕は酔っぱらってたし、ちゃんとライヴも観られていないくらいだったと思います。

(NHK)コーヘイさんも出ていたイベントですよね?

SH:そうですね。あれはたぶんコーヘイさんとマーク・フェルのユニットなのかな? ぜんぜん覚えていないですけど。僕はそれに付随しただけです。

なるほど(笑)。でもこうしていろいろ名前を並べていくと、ますます「shotahiramaって誰?」という感じになっていくようなところがおもしろくもあり……やはり「孤高の存在」ですよ。

SH:それ絶対叩かれそう(笑)。ぼっち。「ひとりぼっちのなんとか」的なことを書いたら、銀杏っぽいんじゃないですか?(笑)

見事にタイトル回収ですね(笑)。

Aphex Twin - ele-king

 先日、謎めいたティーザー動画を公開して話題となったエイフェックス・ツインですが、その詳細が判明しました。6月3日にロンドンの「Field Day Festival」に出演するエイフェックスが、なんとその模様をライヴでストリーミング配信するそうです。エイフェックス史上初となるこの試みは、NTS Radioとのコラボによるもの。放送開始時刻は、日本時間で6月4日(日)午前4時55分(現地時間6月3日20時55分)となっています。ワールドカップを観戦するときのように、重いまぶたをこすりながらPCディスプレイにかじりつきましょう。
 また、7月7日(金)に過去のエイフェックスの名作が日本盤としてリイシューされることも決定しています。今回再発されるのは、『Selected Ambient Works Volume II』『...I Care Because You Do』『Richard D. James Album』『Drukqs』の4作品。オリジナルUK盤はもちろん〈Warp〉からのリリースですが、当時この4作のUS盤は〈Sire〉からリリースされていて、おそらくその関係で日本盤も〈ワーナー〉から出ていたんですよね。エイフェックス、じつはメジャー・アーティストだったんです。まあそれはともかく、4タイトルともすべてクラシックですので(いやマジで)、未聴の方はこの機会にぜひ。

世界初! 日本時間6月4日(日)早朝にAPHEX TWINのライヴが生配信決定!
さらに、フジロックでの来日を記念し、廃盤となっていた名盤4タイトルの国内盤が7月7日に一挙再リリース!

今週末にロンドンで開催される都市型フェス「Field Day Festival」に出演するエイフェックス・ツインが、当日のパフォーマンスをロンドンのネットラジオ局「NTS Radio」にて生配信することを発表! 公開された特設サイトでは、カウントダウンがスタートし、エイフェックス・ツインの代名詞ともいえる強烈なヴィジュアルとともに、未発表音源の一部が公開されている。公式ツイッターなどでは、ハウスの名曲、リズム・コントロールの“My House”のヴォーカル・サンプルにフィルターをかけた音源なども数日にわたって公開され話題となっていた。放送時間は、日本時間6月4日(日)午前4時55分(現地時間6月3日20時55分)より。

https://www.nts.live/projects/aphex-twin

当日の生配信では、NTSとエイフェックス・ツインのヴィジュアル・コラボレーターであるウィアードコアがタッグを組んだ今回限りのスペシャルな映像となる予定。

またエイフェックス・ツインのフジロック再降臨を記念し、長らく廃盤となっていた『Selected Ambient Works Volume II』(1994)、『…I Care Because You Do』(1995)、『Richard D. James Album』(1996)、『Drukqs』(2001)の国内盤が、新たな解説付で7月7日(金)にリイシューされることも決定した。


label: Warp Records / Beat Records
artist: Aphex Twin
title: Selected Ambient Works Volume II
release date: 2017/07/07 FRI ON SALE
BRC-554 国内盤2CD: ¥2,400+tax

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amazon: https://amzn.asia/aIMpiOt
beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002165


label: Warp Records / Beat Records
artist: Aphex Twin
title: ...I Care Because You Do
release date: 2017/07/07 FRI ON SALE
BRC-555 国内盤CD: ¥2,000+tax
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label: Warp Records / Beat Records
artist: Aphex Twin
title: Richard D. James Album
release date: 2017/07/07 FRI ON SALE
BRC-556 国内盤CD: ¥2,000+tax
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label: Warp Records / Beat Records
artist: Aphex Twin
title: Drukqs
release date: 2017/07/07 FRI ON SALE
BRC-557 国内盤2CD: ¥2,000+tax
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beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002168

「いややこややEP」リリース記念 - ele-king

 DJヨーグルト&Mojaが踊ってばかりの国の「いややこやや」のダブ・ミックスを12インチで発表する。トラックは再構築され、下津の歌は録り直され、新しい曲に生まれ変わったと言っていい。以下、ことの成り行きについてDJヨーグルトと下津が対談してくれた。

text : DJ Yogurt(Upset Recordings)

「踊ってばかりの国との出会いは2012年の夏に"!!!"のPVをたまたまYouTubeで見て、最初イイ曲と思ったのでもう一度聴いて、それでもまだ聴きたかったので珍しく3回連続聴いて、今度は歌詞の内容も気になってきたので歌詞を聴きとりながら聴いたところ、輪廻転生をこれだけポップに表現した日本語の歌は初めて聴いた気がして4回目にして深く感動。歌声とメロディーと歌詞の鮮やかな組み合わせにハマってその日は結局"!!!"を5回聴いた。
 翌日にDisc Unionで"!!!"収録の2011年11月リリースのセカンド・アルバム『世界が見たい』を買って聴いてみたら、タイトル曲の"世界が見たい"等名曲揃いだったのであらためてこのバンドの凄さを実感して、ボーカルとギター、作詞作曲を担当している下津光史の名前を脳に刻んだ。
 2012年10月に尚美学園大の学祭で初めて踊ってばかりの国のliveを見た時は出演時間が短かったこともあってなかなか良いバンドと思った程度だったけど、12月に前任のベースのラストliveだった新代田feverで披露したスローハードコア・サイケデリックな"何処にいるの?"のライヴ・アレンジに激しい衝撃を受けて、2013年以後は踊ってばかりの国のライヴに年に数回以上通うようになり、通っている間にliveヴァージョンの"いややこやや"がとんでもない浮遊感を醸し出していることに気が付いて、下津に"いややこやや"を再録してみない? と踊ってばかりの国の楽屋で提案したところ、下津も快諾してくれたので、2015年から自分と共同で音楽を制作していて、踊ってばかりの国が現在使用している練習スタジオから徒歩3分の場所に住んでいるMojaの自宅兼スタジオで下津のギターと歌を録音。

 それらをYogurt and Mojaの制作したトラックに載せて、Lorde"Royals"やASAP Rocky"LSD"、Massive Attack Meets Mad Professor等の感覚から影響を受けつつ、Mojaと2人でいろいろとアレンジしていって、2017年1月にキムケンスタジオでキムケンさんにマスタリングしてもらって完成。
 マスタリングの終わった"いややこややDub"をEle-King野田編集長に送ったところ、「いいじゃんこれ。マッシヴ・アタック直系ダブだね。このリリースに合わせてヨーグルトと下津が対談したらEle-King Webに掲載してあげるよ」と応援のメッセージをもらったので、今回DJ Yogurtと下津光史の初対談企画が実現!

 野田さんの著作『ジャンク・ファンク・パンク』持参で現れた下津。8時からの踊ってばかりの国のスタジオリハ前に、下北沢のカフェで対談。昨夜から下津と一緒にいるという踊ってばかりの国と同じレーベルに所属のバンドGateballers/GodのKayaくんも同席。

Yog「これまでも下津が対談しているのをネットで読んだことがあって、おとぎ話の有馬くんとか」

下津「Novembersの小林裕介とか……年に一回くらいのペースでやってる感じで、ちょいちょい。みんなバンドマンばかりで、DJと対談するのは初めてです」

Yog「本日はよろしくです! 今回リリースするいややこややは元々はいつ頃出来た曲なの?」

下津「踊ってばかりの国がいつも練習に使っていた代々木Step Wayで作り上げた曲ですね。3年くらい前でまだStep Wayがあった頃で、谷山が当時受付をしていて……。最初はボサノヴァっぽいデモを自分が弾き語りで作って、Step Wayで当時のギターの林くんとアレンジを打ち合わせしたら、Dubというか浮遊感のあるリズムにしようということになって、ドラムはブラシでやろうと最初のうちはJazzっぽいアレンジも試したりしたけど、結局アルバム収録の感じに仕上がりました」

Yog「自分は"いややこやや"はliveで聴いてこの曲の魅力に目覚めた感じで、スタジオ録音の感じとも違うし、liveでめっちゃ映える曲というか……liveのアレンジはこれまで変わってきてる?」

下津「曲が自然に一人歩きしていくのにまかせてます、最近踊ってばかりの国のギターが1人増えてそのことでまた変わっていったり……」

Yog「なるほど……この曲が生まれて以後、ずっとliveでやってるの?」

下津「そうですね。liveで楽しい曲。現実逃避の側面もある曲でもあったり、ドラッギーな雰囲気を漂わせたり」

Yog「最近聴いたんだけど坂本慎太郎さんが歌詞を書いたCorneliusの新曲のBPMが遅くて、たまたまだけどリリースのタイミングが近い今回のいややこややDubのテンポ感と似ていることが面白いと思ったりしてね~」

下津「自分は今回のいややこややDubにはFlying Lotusを感じましたよ。
ひずみを使わないでDopeな感覚を追及しているところに、アンビエントに通じているDJの感覚を感じることもありました。Remixの進行中にまだ完成していないVersionを色々と送ってくれて、できていく過程を聴くことができたのも面白かったです」

Yog「"いややこやや"のRemixは1年以上かけて制作したから、初期からは結構変わっていって、3~4つくらい違うVersionを下津に送ったかも? 遅い曲で盛り上げたり、ハマる雰囲気を作るのは、早い曲で盛り上げるよりも難しいと思っているからこそ、"いややこやや"みたいな曲がこの世に増えたら嬉しいな。今回は"いややこやや"をDub Mixするのがとても楽しかったのでまた何かやれたら」

下津「またやりましよう!」

Yog「踊ってばかりの国の曲じゃないけど、下津がはじめた新しいバンドのGodが去年録音して、下津に頼まれて今年1月にDJ Yogurt and mojaが制作した"De Javu"のRemixはいつ出る予定なの?」

下津「未定ですけどそのうち必ずリリースする予定で、現在はGodや踊ってばかりの国のニューアルバムに向けていろいろ準備中です。まだ詳細は発表できないんですけど」

Yog「"De Javu"は本当にイイ曲だと思っていて、新たに生まれた下津クラシックというか。ジャーマン・ロック的なサイケデリックなアレンジと感じるところもあって、Neu!とかCanとか。下津がソロliveでアコギで披露しているバンドとは違うアレンジも凄く良いし」

下津「ソロの時はデヴェンドラ・バンハートみたいなアレンジでやったりしてますね」

Yog「ソロ・ライヴのヴァージョンも好き。Godで録音したKayaくんのトリップ感溢れるギター、Janくんのうなるベース、光星のタイトなドラム、Rikiの感性が爆発している自由奔放な40分の完全Versionも勿論出してほしいし、自分とMojaで再構築して濃縮した17分Versionも気に入っているのでぜひ」

下津「Godの2ndアルバムのBonusとか配信限定として出すか……どんな形になるかわからないけどリリースするつもりなので!」

Yog「諸々準備中という踊ってばかりの国の新作のマスタリングは中村宗一郎さんにお願いするのも面白いんじゃないかと思ってるんだけど……」

Kaya「ジャッパーズの新作を中村さんがマスタリングしている凄く音が良かった。今年出たアルバムで一番びっくりした」

Yog「いいね~、聴いてみるわ」

下津「ジャッパーズはYogee New Wavesのベースの人がいるバンドで、今度5月30日のHappyと踊ってばかりの国と渋谷でliveしますよ」

Yog「行こうかな……、クアトロで見て以来、踊ってのliveに行ってないわ」

下津「まじで? 乾いてんじゃん?」

Yog「そろそろ行かないと……3月の踊ってのクアトロでは、90年代~00年代にPartyで見かけていた自分の古い知り合いが子供を連れて来ていてびっくりしたよ。その5歳の男の子がめちゃ踊ってばかりの国のファンで楽屋に来て下津に握手を求めにくる姿に感動したわ。小さい子供だけじゃなくて60歳前後の感じの人達も来ている感じもあって、もちろん若い世代もいて、
自分が行くliveやPartyの中で特に色々な世代が来ていた印象を受けたよ」

下津「そういう風になれと思ってるんで……がんばります」

Yog「前からあんなに幅広い世代が踊ってばかりの国のliveに来てたの?」

下津「踊っての音楽性には時代性とは関係無いところもあるから、世代や時代の差を越えて幅広い世代に届くようなところがあるのかもしれないですね。自分がニュージーランドに滞在していた頃に広場におばあさんたちが数人集まっているのを偶然見かけた時に、その中心に置いているラジカセからレッチリの曲が流れていて、車いすのおばあさんとかも普通に聴いててそういうのっていいなって思って」


HIP HOP definitive 1974-2017 - ele-king

 2015年のSpotifyの統計によれば世界でもっとも聴かれているジャンルはヒップホップだそうで、CNNのあるレポーターによれば、「ヒップホップはこの半世紀でもっとも影響力のあるジャンル」で、それは「意見ではなく事実」だと。清水エスパルスのFWチョンテセ選手もヒップホップ・リスナーだし、数ヶ月前に会った古いイギリス人の友人(音楽関係者)は、「というか、若い世代はいまヒップホップやR&Bしか聴かない」となかば嘆き節で答えた。ヒップホップは大衆音楽のメインストリームである。ディフィニティヴ・シリーズも満を持しての「ヒップホップ」版を刊行します。
 『bmr』の元編集長、小渕晃・著『HIP HOP definitive 1974-2017』は、ヒップホップがどのようにはじまり、どのような変節点を経てどのように細分化され、混交され、どのように展開しているのかという全史を一望する試みです。ヒップホップは好きだけど全体を見渡しながら聴いているリスナーは少ないだろうし、コンシャスであるとかG-FUNKであるとかウェッサイであるとかトラップであるとか、そのサブジャンル名がいつどこから出て来ているのか曖昧に思っている人もいるでしょう。基本でありながら意外と共有されていない全史、『HIP HOP definitive 1974-2017』は5月31日刊行です。

Chapter 1
1974~ヒップホップの誕生
D.J. Afrika Bambaataa/Grandmaster Flash And The Furious Five
レコード化以前~ライヴ
レコード化のはじまり~バンド・サウンド
ドラム・マシン~打ち込みサウンドの始まり
コラム ヒップホップ・ミュージックを生んだブレイクビート

Chapter 2
1982~エレクトロ・ブーム
Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force
エレクトロ・ビート
エレクトロ・ビート+スクラッチ
エレクトロ~ヒップホップ・ブーム
コラム ヒップホップのごく初期の姿を映す貴重な映画

Chapter 3
1984~ストリート回帰~第2世代の登場
Run DMC
リック・ルービン~デフ・ジャム
ヒップホップの第2世代
ギャンスタ、プレイヤー・ラップの誕生
コラム デフ・ジャムと、ギャングスタ・ラップの背景を知る映画

Chapter 4
1986~ヒップホップ・ネイションの誕生
Eric B. & Rakim
Juice Crew~クイーンズ
Paul C~Studio1212, クイーンズ
”ブギ・ダウン” ブロンクス
First Priority Family~ブルックリン
ブルックリン
Hit Squad~ロングアイランド
Flavor Unit~ニュージャージー
Hilltop Hustlers~フィラデルフィア
ポップ/ダンス・ラップ
西海岸 ファンキー・スタイル
The Dust Brothers~Delicious Vinyl
チカーノ/多人種によるラップのはじまり
マイアミ
UK

Chapter 5
1988~コンシャス~メッセージ・ラップ
Public Enemy
The Stop The Violence Movement
東海岸 知性派/ムスリム/アフリカ回帰
西海岸 ポリティカル/コンシャス
ネイティヴ・タンズ
コンシャス + オルタナティヴ
コラム コンシャス~メッセージ・ラップを理解するための映画

Chapter 6
1988~ギャングスタ~プレイヤー・ラップの隆盛
N.W.A
NWA~Ruthless Records
Lench Mob
DJ Quik Family
LA OG
ベイエリア
サウス&ミッドウェスト
コラム ギャングスタ・ラップを理解するための映画

Chapter 7
1990~ニュースクールからハードコアへ
Pete Rock & C.L. Smooth
Soul Brother No.1
Gang Starr Foundation
Diggin’ In The Crates
ネイティブ・タンズの第2章
NY~東海岸のニュースクール作品
かけ合いラップ・ブーム
Wu-Tang Clan
ヴェテランの逆襲
ネクスト・ウェイヴ
ミッドウェスト、サウス、カナダのニュースクール作品
西海岸のニュースクール作品

Chapter 8
1992~Gファンクの猛威
Dr. Dre
Original G-Funk~Death Row, ロングビーチ
Ruthless, Cold 187um
CMW~MC Eiht
DJ Quik Family
Westside Connection
Gファンク・ブーム in LA
チカーノ
Dangerous Crew~ベイエリア
Sick Wid It
Young Black Brotha
ベイエリア 90s
Tupac Amaru Shakur
コラム 2パックとビギーの生涯を映画で観る

Chapter 9
1992~サウス~ミッドウェスト・シーンの台頭
Outkast
Dungeon Family, アトランタ
Jermaine Dupri, So So Def
クリーヴランド、シカゴ、フリント
No Limit , ニューオーリンズ
Cash Money
マイアミ
ヴァージニア
ヒューストン~テキサス
Screwed Up Click
ヒューストン、カンザスシティ、ナッシュヴィル
メンフィス
コラム サウスのヒップホップをより深く知るための映画

Chapter 10
1994~リリシスト~サグ/マフィオソ・ラップ
Nas
Biggie Smalls
クイーンズ・サグ
Boot Camp Clik, ブルックリン
ブルックリン、ニュージャージー
Jay-Z
Nas
Eminem
0 Cent, G-Unit
リリシスト 00s - 10s
コラム ヒップホップのリリシストをより深く知るための映画

Chapter 11
1994~ポップなスタイルの復活~全米のポップスに
Puff Daddy & The Family
Trackmasters
ポップ・サウンド in ミッド90s
Refugee Camp
オルタナティヴ・サウンド 90s - 00s
ラティーノ
Swizz Beatz, Ruff Ryders
Flipmode Squad
Roc-A-Fella
Murder Inc
The Diplomats aka Dipset
ポップ・サウンド in 00s

Chapter 12
1996~コンシャス派~インディ・シーンの盛り上がり
Slum Village/J Dilla
ネイティヴ・タンズの第3章
ロウカス
フィリー、Soulquarians
東海岸、北中西部、その他
Quannum Projects, 西海岸
Stones Throw
西海岸のインディ・シーン
Kanye West、シカゴ、GOOD

Chapter 13
1999~ウェッサイ・ファンク 2000
Dr. Dre/Xzibit
Dr. Dre + Dogg Pound Gangsta Crips Reunion
DJ Quik Family
Westside Connection
ヴェテランたちのウェッサイ・ファンク好盤
チカーノ 2000
ウェッサイの新世代
ハイフィー・ブーム、ベイエリア

Chapter 14
2000年~サウス&ミッドウェストの時代
Lil Wayne/UTP
ニューオーリンズ
セントルイス
ヴォージニア
アトランタ~ジョージア、ケンタッキー、ミシシッピ
クランク~スナップ
トラップ・ミュージック
マイアミ~フロリダ
ヒューストン~テキサス
メンフィス

Chapter 15
2006~「クール」の再定義
Drake/Currency
カレンシーはストーナーの代表となりシーンを引っ張る

Chapter 16
2011~ヒップホップの新時代
Kendrick Lamar
Black Hippy 
OFWGKTA (Odd Future Wolf Gang Kill Them All)
ASAP Mob
Pro Era
ドリル
トラップ
ラップ新世代
Black Lives Matteの時代におけるヴェテランの力作


小渕晃
HIP HOP definitive 1974 - 2017

(P-Vine / ele-king books)
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JJJ - ele-king

 まずは“Exp”の衝撃。ソウルのパッチワーク。冒頭にJBのシャウトが一発。ギター・サウンドの連続に「ヘンドリクス」の名が挿入されるライム。ハットはもはや時空間を刻むのを止めている。その分スネアが捩れたグルーヴを刻む。そうだ、これは「ザ・ワン」の証明だ。2017年のJPから生まれた痙攣するファンクだ。それを宣言するためにJBはシャウトした。ギターの5弦3フレットから5フレット、C音からD音へのハンマリング。それが1拍目にドロップされる。あとは3連で寛いだスネアたちが連れ添って、ファンクの余白を埋める。

 続く“Cowhouse”でもハットは時間を刻まない。たまにごく気まぐれに、痙攣するその姿を現すのみだ。時間を刻むのはあくまでも JJJ のライムだ。全てがスタッカートで記述される言葉。つまりスラップ奏法でプロットされる言葉たちが、ハット以上にビートを牽引する。かつてザ・ルーツの一員だったラーゼルが自身のビートボックスとライムを同じ唇と喉から生まれる音源として扱った手つきで、J はライムをリズム楽器として見ていることは明白だ。あるいは Native Instruments社製の Maschine のパッドを叩くのと同じ手つきで、ライムを打ち込む。波形としての言葉が見える。言葉に触知可能な実体を持たせるように、こんなにも見事にビートの上、あるいは隙間に「置く」ことができるラッパーは稀だ。そしてそれらはひとつの流れ=フロウを形作る。

 そんな風にビートを駆動するフロウワーたる J の立ち位置を代弁するのは“Exp”で客演する KID FRESINO のラインだ。「リズムの真ん中/生まれ落ちた俺は/君たちとは論を交わすまでもない」。確かに旧態依然のリズムのアーキテクチャーに拘泥するプレイヤーやリスナーにとっては、彼らの機動力は理解不能だ。対話は閉ざされる。できるのは、一方的に理解しようともがくことだけだ。

 この言葉のスラップ奏法は、むしろハットが打つレギュラーなビート“Place To Go”やブレイクビーツが牽引する“Django!”でより明確にその輪郭を現す。規則正しいハイハットのグリッドが時間軸を分割しているために、彼のライムの音符としての位置を測ることができるからだ。ライムにおいて、子音はドラムだ。その破裂音や摩擦音は、スネアとなり、ハットとなる。J の子音のアクセントを全面に出したスタッカートが、このグリッドに正確に刻まれた小節内を闊歩してゆく。スタッカート・フロウが可能なのは、母音/子音の発声の強弱だけでなく長短のコントロールに長けているからだ。このコントロールの上手さが際立っていることで、彼のライムは言葉である以前に、リズムを刻む短いフレーズの集積である。「グルーヴの支配者」(“Django!”)は言葉をも演奏する。かつてラキムがサックスのフレーズをライムに変換したように。あるいはドラムのハットやタム回しの変奏のように(たとえば“Place To Go”の1分34秒「落ちていく夕日/謎はとける今夜中に」という3連のラインを参照)。

 このようなライムの扱い方が可能であるのは、もちろん彼がビートメイカーであることに由来する。逆に言えばライムを編む手つきがそのままビート制作にも透けている。J のパッチワークを編む手つき。「音が息する瞬間」(“Django!”)を捉えるその手つき。“Exp”や“Cowhouse”ではオーバードライブの効いたギター・サウンドが、とにかくこのアルバムを祝福するように、つまり天から差し込むチョーキング・サウンド=光として燦然と輝く。前作『Yacht Club』の“Yacht”や“Vaquero!”に代表されるノイジーなサウンドがボム・スクワッドと比較されたように、このようなギター・サウンドが駆動するビートはそう多くない。それが単にワンフレーズのサンプリング・ループだけに留まらないとすればなおさらだ。メトロ・ブーミンがヴァン・ヘイレンの“Ain't Talkin' 'Bout Love”を大胆にサンプリングしたヤング・サグの“Alphabetical Order”はその物珍しさにおいて新しい可能性を提示するものだった。しかし J のギター・サウンドの扱い方は、これに留まらない。このパッチワークはヒップホップのビートの自由度を根本的に見直すものだからだ。

 J のビートメイキングが立っている場所は、直接的にせよ、あるいは Down North Camp を媒介とするにせよ、90年代のゴールデンエイジのゲームの延長線上だろうか。ゴールデンエイジが標榜するサンプリング・アートは、極めて高度に洗練された「引用の織物」としてのアウトプットをもたらす。しかしその分競技規定は固定化されている。この競技の共通のルールとは、あくまでもサンプラーを中心に据え、サンプリング・ベースでビートを制作するということだけだ。その他のやり方については自由である。しかし、シーンをリードするビートメイカーたちとそのフォロワーたちにより、徐々に方法論は固定化され、幾つかの様式美の類型が生まれる。とはいえ縛りがキツくなるほどに、美学の探求心に拍車がかかるのもまた事実だろう。
 一方、NYのゴールデンエイジが胚胎しているオーセンティシティの対極に、アトランタのトラップを象徴するビート群を配置するのは有効かもしれない。文字通り北の極と南の極として。サンプリング・アートに対して、ソフトシンセなどによる打ち込みをベースにしたそれは、たとえば Zaytoven によるビートメイキング動画を見れば、各々の方法論に開放された、自由度の高いものに映るかもしれない。しかし幾つかのビートたちを並置し比較してみれば、そこに通底する様式を認めるのは難しいことではないだろう。各ビートメイカーの意匠は、極小な「差異」に表れる。それは、多くのダンス・ミュージックのジャンルと同じように、「差異」を楽しむ音楽だ。70のBPM、FL Studio と Nexus のコンビネーションを中心に、圧倒的なベース・サウンドが基底をなし、TR-808 のハットとスネアが乱打される。そこでもまた明示化されない数々の競技規定が存在し、同時にそれらのルールを前提に研鑽を積むビート職人たちにより、日々独自の美学が築き上げられているのだ。

 J は、これらの二極を基準点とするビートメイキングの航海図において、どこに位置しているだろうか。一見してミニマムなフレーズのパッチワーク。そのスタイルは、オーセンティックなサンプリング・アートに準拠しているようでもあるが、もっと自由なマインドに駆動されている。J はヘンドリクスだけでなく、ジャンゴ・ラインハルトへのリスペクトとともに「feel like Django/grooveの支配者/スネアは前/put your mathafuckin lighter's up/boombap この音 better than you」とライムする。ジャンゴは、火傷により不自由となった薬指と小指という制約を逆手に取り、指板を自由に広く使うコードのフィンガリングを編み出す。そしてこの試みの延長線上で、ギターは伴奏楽器でありソロには向かないという当時の制約すら破壊することになる。

 J が既成概念から逃れ自由を志向していることは、曲ごとにビートメイキングの方法論が異なっていることや、使用する音色がローファイ至上主義に陥っていないことからも明らかだ。レコードなどの音源からのサンプル素材とソフトシンセの音源、ブレイクビーツと単音の打ち込み用ドラム素材を同等に扱うのは、現行のビートメイキングにおいて特に珍しいことではない。しかし J の「パッチワーク」は自由を実現するツールだ。チョップされた数多くの短いサンプル/手弾きのフレーズを数珠つなぎにして楽曲を形成する。たとえば前述の“Place To Go”に耳を傾ければ、メインの逆回転ループの周辺に、ワウギター、声ネタ、ブレイクビーツのシンコペーションなど、数多くの所謂オカズが挿入=パッチワークされていることに気付くだろう。
 さらに言えば、たとえば1曲のうち、複数の異なるスネア・サウンドが現れることすらある。“Midnight Blu”で彼が使い分ける3つのサウンド。左右に広がるステレオ定位のハイが強調されたスネア、モノラル定位のミドルが強調されたスネア、そしてクラップ(ここではいわゆる指パッチンのサウンド)。それは同曲に登場する3つの「ヴォイス」、すなわち JJJ、仙人掌、エミ・メイヤーを象徴しているようでもある。そして言うまでもないことだが、J の出自が febb と KID FRESINO との3ピースのパッチワークであった。この3種のスネアの、度々重なり合うことで互いを補完し合い、かつ単体で鳴ってもそれぞれに存在感を持つというカラーの違いは、そのまま Fla$hBackS の3人の関係性と響き合っているかのようだ。

 いずれにせよ、J によるビートメイキングは自由を志向している。そしてそれを実現するのは、短いサンプルフレーズを数珠つなぎにする方法だった。考えてみれば、ヒップホップ黎明期にはサンプラーのサンプリング・タイムの短さというハードウェア的な制約から、必然的にサンプルフレーズは短いものだった。たとえば BDP の“South Bronx”のように。その制約がなくなった後も、ビートメイキングのサイエンスを活性化させたのはミニマムなフレーズの利活用だった。DJプレミアなどによるフリップしかり、プレフューズ73ことスコット・ヘレンがもたらしたカットアップ的方法論しかり。彼らの意志を継ぐ J は、短いサンプル群を、小節単位のサンプリングのアートと手弾きのシンセの中間に位置するもの、すなわち自由にパッチワーク可能で、ピッチを弄ることで演奏可能なものとして捉える。J は「狂い咲くアイデアを形に/生きた証を残す目の前」(“Django!”)とライムする創作のため、いかなるルールからも逃れようとするのだ。

 “Cowhouse”の冒頭には、そのステートメントであるかのようなラインが現れる。映画化もされたケン・キージーの『カッコーの巣の上で』(1962年)はまさに自由を獲得するための闘争の物語だった。ロボトミー手術に象徴されるように、画一化され、コントロールされようとする人間の有り様。その圧力が凝縮された場が「カッコーの巣の上」だった。J は規格通りのビートメイクを無自覚に踏襲するだけ、あるいは批判的な視線なく受容するだけの「ビッチズ」をその「カッコーの巣の上」に「蹴落とす」と言っているかのようだ。しかし同時に J は理解している。自由とは、自分がいる場所とは違うどこか外側の世界にあるのではなく、いま自分がいる場所にあるのだと。それを獲得する意識の変革こそが必要なのだと。マクマーフィーが病棟に監禁された仲間たちにそのことを示したように、J もビートメイキングの様式美という鉄格子に囲まれながら、自由であることをリスナーに示す。だから彼はライムする。「貧しい心に垂らしたいインク/muthafuckin my beat/脳にぶち当てるkick/rawshit/その自由/鉄格子の中」(“Django!”)と。

 J は闘争の只中にある。ビートの自由を獲得するための闘争の只中に。

interview with tofubeats - ele-king

 他人のことを気にしないように
 後ろ髪を引く人ばかりに
 これ以上もう気づかないでいい
1曲目“CHANT #1”

 もう良し悪しとかわからないな
 君らが数百万回再生した
 バンドの曲が流れてきた
2曲目“SHOPPINGMALL”


tofubeats
FANTASY CLUB

ワーナー

J-POPDeep HouseBassTechno

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 高校時代にシカゴ・ハウスやニンジャ・チューンなどを聴いた彼は、しかし自分の出自を曖昧にぼやかし、エレクトロニカや細分化されたインディ・ミュージックしか聴かない類のリスナー〈誰だ?)へ反論するかのように、TSUTAYAや郊外ショッピングモール、安居酒屋チェーン店、地方都市の衰退を日本の現代的土着性として再定義しようとした。文化的焼け野原を故郷とすることによる大衆へのアプローチ。そして、Jポップ的(マーケティングの入った)オリエンタリズムを逆利用すること、これが彼の戦略でありクリティックでもあったように思う。もちろん賛否両論あった。良きことのひとつを言えば、単純な話、若者たちに広く聴かれたことだ(おかげで彼の曲は彼の政治嫌いに相反して、デモにも使われた)。悪きことをひとつ言えば、それは単なるホントの、消費されるだけの商品としてのJポップにしかなりかねないことである(何が大切に聴かれ続けて、何が商品として忘れられるかは、10年後の中古盤屋──残っていればだが──を訪ねれば明らかになる)。
 トーフビーツの根は、インターネットを若者が活用できる時代に培われたという意味でも、セイホーやトヨムやグライム・プロデューサーの米澤慎太朗らとほぼ同じだが、その打ち出し方は極端に反動的で、彼はワーナーと契約したさいも大胆にも「就職」という言葉を使った。音楽を商売に限定することになると反感を覚える者も少なくなかったが、それは音楽業界への皮肉にも見えた。
 こうしてバブルガム・ミュージックを生産しようとした彼は、しかし、いまここにはいない。いまここにいるのは、時代に翻弄されている自分を隠さない彼だ。日本経済の格差問題は、大手メジャーと契約している若いミュージシャンもお金の心配を隠さずにはいられないというところにも滲み出ているわけだが(苦笑)、新作『FANTASY CLUB』で彼が告白しているのは、インターネット社会が信用ならないということで、それは「インターネット世代」という肩書きを甘受してきた彼にとって、言わずにはいられない状況にいま直面しているということなのだ。彼は本作において「見解」を述べている。
 また、喪失感はトーフビーツが最初から表現してきた感覚で、ジャム・シティの『クラシカル・カーヴス』や初期ヴェイパーウェイヴにも見いだせる感覚ではあるが、彼のそれは先述したように、極めて日本的な問題意識に立脚している。『FANTASY CLUB』の最初の2曲では、とくにそれがむき出しになっていると言えるだろう。
 このアルバムの魅力は、アルバム中盤に収められたインストゥルメンタルにもある。ベース・ミュージックを吸収した“OPEN YOUR HEART”とタイトル曲のディープ・ハウス“FANTASY CLUB”は、もうひとつのクライマックスであるということを忘れずに。アルバムの出だしが強烈なので見過ごされがちだが、地味に良い曲である。(まあ、彼らしいメランコリックな曲調でもある)

“ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。

新作を聴いて、驚いたので、担当の岩田さんに電話したんですよ。

TB:その話聞きました(笑)。超笑ったすね(笑)。即レスで電話してきた人なんて初めてじゃないですかね。

「どうしちゃったの?」って(笑)。まさかの展開に驚きましたよ。

TB:はははは!

音楽において自分の感情を露わにすることは無粋だという立場だったじゃない? 音楽はあくまでもポップス、エンターテイメントに徹するべきというスタンスで作ってきたわけで。それが新作ではさ……

TB:今回は奇跡的といえるほど制作に時間をかけられたんですよ。

なんていうんだろう……疑問であったり、居心地の悪さを真摯に伝えようとしている。で、岩田さんに言われて今回の作品のコンセプトにはポスト・トゥルースがあると、『ワイアード』の記事“SHOPPINGMALL”についてのインタビューを読んで欲しいと言われて、「なるほど」とは思いましたけど。

TB:はい。

『POSITIVE』から『FANTASY CLUB』へ、この変化についてまずは訊きたいんですけど。

TB:『POSITIVE』の頃よりも、まずは好きなことをやれる比率が上がったんですね。独立したんで。

なるほど。

TB:『POSITIVE』のときは、制作期間も1~2か月で、しかも敢えてJポップを作りたくて作ったんですけど、今回はその逆というか……、聴き手の好きなものなんてわかんないのに、「こんなん好きでしょ?」と出すのをいまやるのは失礼かなと。そんな風にやるのはやっぱり無理、というか……、あのときは「ポジティヴ」という言葉があったからなんとか明るい方向でまとまったんですけど、「みんなの総意」みたいな部分でいうと、もうそんなものはなかったと。

昔から言われている「細分化」ということ?

TB:そういうこともあると思います。細分化されていったけど、メジャーにいるとJポップを期待されてしまうんですね。プロだから商業として成り立つものを作らなきゃいけないという気持ちはあります。頑張ろうという気持ちもあるんですけど……、『POSITIVE』を作って、やっぱりそんなものはわかんないとあらためて思ったんです。みんながなにを好きなのかなんてわからないと、だったら、その「わからない」と真剣に向き合ってみようと。ノリや理屈で突破するっていうんじゃなくて、とにかく「わからない」と向き合ってみようと。そうして出来たのが“SHOPPINGMALL”という曲です。アルバムは、その曲が出来て転がっていったみたいな感じなんですよ。

『POSITIVE』への反動もあると。ぼくが思ったのはね、『First Album』と『POSITIVE』はプロデューサーとして作品に接していたと、しかし今回は作家として接していると。この違いは大きいですよ。アルバムの1、2、3曲目の流れが前半のクライマックスになっているんですけど、最初の2曲が強烈ですよね。そして6曲目以降はインストが続いている。トーフビーツのビートメイカーの部分をおもてに出しているとも言えるし、7曲目なんて聴くと、あれ、トーフビーツにこんなアンビエント・タッチのメロディ・センスがあるのかとも思ったし。

TB:“OPEN YOUR HEART”や“FANTASY CLUB”は『POSITIVE』のときにはもうあったんですけど、あのとき削った曲なんです(笑)。

それはなに、プロデューサーとしての意識が強かったから?

TB:たしかに『POSITIVE』のときは完全にプロデューサー目線で考えていましたね。『First Album』のときは自分の作家性を自分で解体しようとして、しっちゃかめっちゃかになった、というのが当時は反省としてあったんです。だから、よりはっきりプロデューサーを意識したのが『POSITIVE』です。そして、インディーズ時代の気持ちに戻って作ったのが今回のアルバムとも言える。自分が好きなものを出そうと、そう思って作りましたね。

ソランジュがひとつのきっかけになった、と?

TB:ビヨンセのアルバムの超パワフルさよりも、ぼくはソランジュに感動しました。ソランジュは、新しいことをやろうとしているし、向き合っているものが共同体というよりも自分……というか、範囲が狭いものだと思ったんですよ。この感覚は、ぼくが宇多田ヒカルさんの初期のほうが好きということとも共通するんですけど。『ア・シート・アット・ザ・テーブル』は4年くらいかけて作られて、ヴィデオもちゃんとしているし、丁寧なんですよね。どこかの誰かではなく、自分が見えているものごとを題材にしているからこその丁寧さだと思いますし、ソランジュを聴きながら、あらためて自分が好きなものを出すことにビビっちゃいけないと思ったんですよね。いまだからこそ言えますが、『POSITIVE』のときは、ビビっていたということが大いにあった。最大公約数的に、みんなが好きなものを作らないといけないというか。

そのプレッシャーを払いのけたと? 

TB:独立したし、ソランジュのそういう作品を聴いて、ということですね。

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だいたい、日本の音楽を見ていてこの先絶対に良くなっていくぞ、という予感がしなくなってきているんです。


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FANTASY CLUB

ワーナー

J-POPDeep HouseBassTechno

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で、トーフビーツの新作のタイトルが『FANTASY CLUB』なんですけど……

TB:そうですね(笑)。

で、“SHOPPINGMALL”では「なにがリアル/リアルじゃないのか/そんなことだけでおもしろいか」と歌っているわけだけど、前作が“ポジティヴ”だったら今回は“ネガティヴ”と言えるでしょ?

TB:いや、それは違うっすね(笑)。今回のほうが絶対に明るい。でもこれはさっきも言った通り『POSITIVE』はネガティヴな気分も内包しているんです。やっぱりポジティヴにやらないと売れない、みたいな(笑)。

逆説的なネガティヴさね(笑)。

TB:極端な言い方ですけど、そこからスタートしている。だから“FANTASY CLUB”や“OPEN YOUR HEART”のような曲はハズしたんです。で、今回はそれらの曲を入れたいがために作ったとも言えるんです。なんとか愛着のあるものをまとめてみると、そういう部分が大いにあったんです。

“SHOPPINGMALL”みたいな曲も?

TB:“SHOPPINGMALL”はポッと出の曲みたいな感じなんで、ラッキー・パンチみたいなところもある(笑)。ずっと思っていることがバンと出たんで良かったんですけどね。今回は『POSITIVE』のときみたいに大きなゲストに声をかけるということをやらなくてもよかった。自分的には『POSITIVE』よりも腑に落ちているんです。聴き味はそんなに明るくないかもしれないですけど。

“SHOPPINGMALL”を風刺的と呼べるなら、ぞっとするような空虚な消費社会が見えるじゃない? 

TB:そんなにですかね。

メランコリックでいい曲だと思うし、いまの「これを出したいがために~」という話には納得したんだけど、トーフビーツがまさか否定からはいるとは思わないからさ、「なんでこうなっちゃたの?」という驚きはあった。いい意味でね。

TB:マジすか。でもこれは前作の“別の人間”という曲を聴いたときにも「こういう部分があるのか」って野田さんが言っていたと思うんですけど……その先にある感覚なんですけどね。

今回はその感覚をいちばん最初に持ってきているでしょ。トーフビーツがこんなにも違和感を露わにするなんて思ってもいなかったから。

TB:今回は攻撃的とも言われているんですけど。

はははは。その感想も理解できるな。

TB:他意はないんですよ。1曲目からさっき言った「わからない」ということがずっと続いているみたいな、「俺はわからないぞ」みたいな感じなんです。

1曲目の“CHANT #1”は、明らかにツイッター社会の嫌なところを題材にしているんだろうけど、“ポスト・トゥルース”というかね……ぼくは“ポスト・トゥルース”という言葉はBBCの年末特番で「今年のイギリスの流行語です」といって紹介されて知ったんですよ。トランプを例に挙げながら、なにが真実なのかということはもはや問題ではない、人はネットのなかに自分好みの真実だけを見るようになった、という説明をしていたのね。トーフビーツは自嘲気味に「インターネット世代といまだに言われるんですよね」ってよく言っているけど、インターネットの暗い部分がよりはっきり見えたというか、“ポスト・トゥルース”みたいな現象はその象徴なわけでしょう?

TB:うん、そうですね……というか“ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。もうそれは「インターネットの次の時代」の話というか、ぼくたちみたいに比較的最初のほうにパソコンでインターネットに触れていた人たちが陥っている状況というよりも、あとからスマートフォンで入って来た受ける側にしかいない人たちの話ですよね。

ウェブ・メディアをやっているとわかるのは、PV数の虚しさなんだよ。まとめサイトなんか、あれをニュースだと思ったらまずいよね。あれはトランプも芸能人スキャンダルもすべてが並列されるスーパーフラッター・ワールドで、重要性ではなく人気がすべてを決めるわけだからね。

TB:そうですよね。広告とか、バズみたいなことですよね。

インターネットのおかげで距離が離れた人たちと繋がった、コミュニケーションの可能性が広がった、あるいは自分の作品を聴いてもらえる可能性が広がったという素朴な感動とはもう別物になっているんですよね。

TB:そうなんですよ。もう真逆。ぼくらがインターネットをはじめたときは、地方にいても良いものを作ったらみんなに見つけてもらえる時代が来るぞと思っていた。でも、いまはむしろ逆で、言い方は悪いですけど下世話なものに流れていくようになった。それはもう自分が思っていたインターネットと違うんですよ。別物だけど自分はインターネット世代と言われるみたいな悲しさもあるし……とはいっても自分はツイッターもインスタグラムも使っているし。そんなことは言いながらも、使っているんですよね。こういうときにそういうこと(ネット文化)を揶揄するのは自分も使っているから難しいじゃないですか。ということを曲にできたらいいなと思って作ったのが“SHOPPINGMALL”なんです。

そうなのか。自分が使っているからといって批評性を放棄することはないわけなんですけど、1曲目がドゥーワップでしょう? ドゥーワップというのは肉声の文化じゃないですか。それだって深読みできるよ。

TB:あれはめちゃくちゃ編集してあって(笑)。それがめっちゃ面白い。オートチューンというものに対する接し方面白さを見せたかったんですけどね。

インターネットにはイエス、だけどノー。オートチューンについてもイエスだけどノーという(笑)。そのイエス、だけどノーというのが重要なんじゃないかなという気がするんですよね。どっちか片方に偏ってもろくなことはない。

TB:そうなんですよ。どっちもあるんです。たとえばいまは自分の正しさを証明することが難しくなってきているじゃないですか、というのもソースがインターネットだし。インターネットがどんどん信用できなくなっていくということはそういうことで、かといってリアルに戻ることはもう無理なんですよね。

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UKガラージやシカゴ・ハウスが好きなのは、なんだかんだ言いながらあの気合い……気合いって言い方だと陳腐になるんで嫌なんですけど(笑)。でもぼくが好きな曲は気合いが入っていると思うんですよね。


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FANTASY CLUB

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すごい時代だよね……では次の質問、『FANTASY CLUB』という言葉を選んだのはなんででしょうか?

TB:昔からこの言葉が好きなんです。ライナーでも書いたことなんですけど、最初に好きになったシカゴ・ハウスがPierre's Fantasy Clubの“Dream Girl”なんですよ。

いいね(笑)! 曲の出だしのリズムなんか、たしかにシカゴ・ハウスっぽい。ベースラインも良いし。

TB:“Dream Girl”を聴いてシカゴ・ハウスを知ったくらい。高校時代かな、知り合いの家に泊めてもらったことがあったんですけど、そこでTRAXのコンピを初めて聴いたんです。すごくいいなと思って、とくにDJピエールが。昔やった連載のタイトルに「Fantasy Club」って付けたほどです(笑)。たしかにアルバムのコンセプトに“ポスト・トゥルース”という言葉はあったんですが、“トゥルース”って言葉を使いたくなかったんです。

楽曲的には、今回のアルバムのなかではいちばんだよね、“FANTASY CLUB”が。ありていに言えば、ディープ・ハウスだよね。Jポップ的なオリエンタリズムに依拠する必要もない、すごく良い曲……で、またそのタイトルも……実はリアリズムについて歌いながらも『FANTASY CLUB』なわけで、そこにも含みがあるというか。面白いタイトルだよ。

TB:そう、イエス、だけどノー(笑)。

だから今回は、トーフビーツのシカゴ・ハウス愛を思い切り出しているんだけど、ただそれだけでもなく、聴き手に考えさせるアルバムだよね。

TB:“FANTASY”という言葉はにもそれがあるんですよね。あとは誤解を招く言い方ですが、リスナーを楽させちゃいけないというか。

なるほど。まあ……いくら音楽に政治を持ちこむことが嫌いなトーフビーツであっても、これだけ世のなかでいろんなことがあったらね。いよいよ(政治性を)出してきたかと(笑)。

TB:いやいや(笑)。……でも今回アルバムを作っていて、政治に関してはマジでうっかりしそうになりましたね。“SHOPPINGMALL”で止めておかないと、みたいな。

そうなの(笑)!

TB:本当にちょっと政治に入りかけて、でもそれは絶対に入れたらアカンと思って、まあ止めておきましたけど。

これはいつか決壊するときが来るぞ!

(一同笑)

TB:だからこれ以上治安が悪くならないで欲しい!

それか!

TB:頑張りきれなかったんですよね。気づかないでいいという言い方とかもそうなんですよね。

いいじゃないですか、ぜんぶ自分でコントロールできちゃうような、悩んでいない表現者なんか面白くないですよ。とにかく、内面ではせめぎ合いがあったんだね。

TB:あったんです。だいたい、日本の音楽を見ていてこの先絶対に良くなっていくぞ、という予感がしなくなってきているんです。

未来が見えないと?

TB:自分の回りの人たちはすごく頑張っているんです。セイホーさんとかすごいし……、セイホーさんからは「詳しく聴いてからもう一回言うけど、極端なアルバムを作ったね」みたいな話をされましたね。本当は極端である必要はないのに、そういうのは身を滅ぼす気もする、みたいな話にもなったりして(笑)。

落ちた?

TB:それはないですけど(笑)。

バランスは失ってないじゃないですか……アルバムは、1~2曲目こそ不安定さ見せるけど、3曲目“LONLEY NIGHTS”のポップスで持ち直すじゃない?

TB:あれはね……ヤング・JUJUがすごくポップに立ち回ってくれましたね。あれはマジで役割をまっとうしてくれたなと思います。

8曲目“WHAT YOU GOT”も面白いよ。日本人が一周回って外側からJポップをやる感じ、歌メロとかさ(笑)。

TB:そう言ってもらえると良いんですけど……でもなんとこう、作っている側も前向きになれないっていうか、そういう現実もあると思うし。

いまはいろんなことが同時に起こりはじめているよね? たとえば7インチ・シングルとカセットテープって、ぼくは一時のファッションで消えると思ったんだよね。しかし、海外はとくにそうなんだけど、新しいレーベルや若い世代であればあるほどカセットテープや7インチ・シングルを作っていっている。彼らはそれを目的とはしていないけど、そういうこと自体がスポティファイやYoutubeだけでいいのかということに対する批評性を持っているよね……まあ、自分もスポティファイは加入しているしさ(笑)。

TB:ぼくはアップル・ミュージックもスポティファイも両方入っていますもん(笑)。ただ、音楽をやっている人がいまの世相を映してないのはなんかおかしくないか、とはめっちゃ思っていて。10年前と同じようなものがあるのって日本だけじゃないですか。まあ世界でもあるけど……。

トーフビーツやセイホー君の世代がいるじゃないか。

TB:いるんですけど、まだ台頭していないというか。これからなのかもしれないですけど。

〈PC Music〉とか、あの辺りはどうなの?

TB:一緒にスタジオに入ったことがあるんですよ。彼らは確信犯で、インテリ、って感じの人たちで。ぼくは……ほら、シカゴ・ハウスの気持ちの入った曲が好きなんで。とりあえずドラム・マシンを鳴らして「ああー、テンション上がってきた!」みたいな。

音楽はやっぱりパッションだと?

TB:ぼくは基本そう思うんで。UKガラージやシカゴ・ハウスが好きなのは、なんだかんだ言いながらあの気合い……気合いって言い方だと陳腐になるんで嫌なんですけど(笑)。でもぼくが好きな曲は気合いが入っていると思うんですよね。

米澤慎太朗みたいなヤツとかね?

TB:シンタ君? そうです。ガリガリやのに気合いとかいうね。いいですね。

トーフビーツは若くしにデビューしたけど、いま名前が出たシンタ君とか、ほかにも京都のトヨム君とか、同じ世代が頭角を出してきているじゃないですか。

TB:シンタ君もトヨム君も同い年じゃないかな。トヨム君はずっとやっていたのを知っていたんで嬉しかったですね。

トーフビーツはデビューが早いからベテランみたいに見えるけど、実はまだ20代半ばちょっとで、若いんですね(笑)。

TB:なんだかんだで10年目くらいなんでね(笑)。だからモヤっとするのかもしれないですけど……、とはいえ、新しいものが出てきたぞって本当に思いたい、みたいなのがあって。セイホーさんはめっちゃそこを意識している。あの人がすごいのは、曲を聴いていて5秒後にどうなるのかわかんないんですよ。そういう感じはすごいと思うし、あんなふざけた感じのキャラしてますけど、ちゃんとやんないとできないんですよね。

よく聴いているってこと? 

TB:いや、「お前らこれ知らないだろ」系はいまはネットがあるんで通用しないですよ。

いや、レコード店でしかわからない情報はまだあるし。

TB:でもそれをカッコいいねと言ってくれる人はもういないから。

それはネットを過信している子たちでしょ。たとえば、〈OS XXX〉とか、レコード店に行かないと目に入らないでしょ。しかもレーベルのネーミングは面白いし。それでアシッド・ハウスとか言っているんだけど。DJプレイステーションとかさ(笑)。

TB:レイヴっぽいハウスみたいな。

そうそう、レイヴっぽい(笑)。若いんですよ。だから確実に新しい世代は出て来ているんだよね。日本でも『レトリカ』みたいなメディアも出てきているじゃない?

TB:野田さんから見ると「ようやく形になってきたぞ」みたいな(笑)。

そういうこと。スケプタとトマド君が並列されているあの感じは、ネットのフラットな世界とは違うよね。いまはネットでだいたいの情報は入手できるし部屋にいるだけでもある程度の文章は書けてしまうんだけど、『レトリカ』は直に取材して、話を聞いて書いている。彼らからはなにかを再定義しようとするパッションは感じた。インターネット世代でありながら紙メディアを作り、しかもバーコードは偽物……あのフェイクさも新しいよね。

TB:『レトリカ』の登場はぼくも久々にテンション上がったっすね。

そういうときに『FANTASY CLUB』という素晴らしいアルバムを作って、ある意味タイムリーじゃないですか。

TB:うん、自分でもけっこう区切りになりそうな気がしていますけどね。さっきも話に出たけど、FANTASYと言いながらリアリティある音楽だと思っているんで。

うん、そうそう。トーフビーツがようやく出てきたという感じ。

TB:残り少ない社会性を発揮したいな、というのもあるんで(笑)。

(一同笑)

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