原雅明的なジャズの聴き方、というものは間違いなく存在する。それは唯一無二としかいいようのないものだ。ジャズについて筆を執ることのある筆者にとって、そんな彼の文章は常に憧憬と羨望の対象だった。これはおべっかやお世辞ではない。特に、90年代末から00年代初頭には、文筆家/選曲家/プロデューサーである彼の文章に大量に触れ、おおいに刺激を受けた。当時、シカゴを中心としたジャズのアルバムに彼が膨大な数のライナーノーツを寄稿していたのだ。それらは、昨今シカゴ発のジャズについて書く機会の増えた筆者の活力源/栄養源になっている。
そんな原のジャズ観は例えば、K-BOMBが主宰するブラック・スモーカー・レコーズからリリースされた彼のミックスCDを聴くとよく分かる。電子音楽家ヤン・イェリネックのサンプルねたにジャズを見出し、マイルス・デイヴィスの未発表音源にJ・ディラとの相似性を見出し、ポスト・ロックをモーダルな側面から再評価した彼のジャズ観、ひいては音楽観が表出しているからだ。
そんな原の新著『アンビエント/ジャズ』が発売された。“マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜”という副題の通り、古今東西のジャズにアンビエント的な響きを見出すという離れ業を、原はやってのけている。ただ、アンビエントとジャズの距離は元々決して遠くはなかった。
例えば、1940~50年代にかけて活躍したクロード・ソーンヒル楽団が録音した“Snowfall”のエーテル状のサウンドは、のちのアンビエント作品に影響を及ぼした。細野晴臣もソーンヒルからの影響を公言している。また、ブライアン・イーノは、『Ambient 4:On Land』(82年)のセルフ・ライナーで、マイルス・デイヴィスの『Get Up With It』(74年)収録の“He Loved Him Madly”にアンビエント的な響きを感じたと記している。そうした流れに原は早くから着目していた。
マイルス・デイヴィスの名前が出たところで、本書の冒頭で原が執拗なまでにマイルスの60年代、及び80年代の作品に焦点を当てていることを記したい。『E.S.P.』(1965年)を出発点とし、『Miles Smiles』(67年)、『Miles in the Sky』(68年)、『Filles de Kilimanjaro』(68年)といった、あまり顧みられてこなかったアルバムの重要性を原は示す。これらの作品は69年の『In a Silent Way』でひとつの完成形を見るため、上記のアルバムはそのための助走であり模索の産物だと思われがちだ。ゆえに軽視されることになる。
ここまで書いて気付く方も多いだろう。助走であるからこそ、完成形に至る萌芽があちこちに見て取れるのであり、それを黙殺していたのは自分のほうなのだと。あるいは、旧来のジャズ評論全体もそうだったかもしれない。『In a Silent way』で開花する要素がそれらの作品に潜んでいたならば、既に語り尽くされている『In a Silent way』よりも、その前段階を語るのは批評として今こそ取り組むべき課題だろう。原の姿勢はまったくもって正しいのである。
「ジャズにおけるオーヴァーダビングの先駆者たち」にも目から鱗が落ちる。原はこの見出しのような括りでレニ・トリスターノとシドニー・ベシェとビル・エヴァンスとクリス・ポッターとキース・ジャレットを同一線上に並べ、キースのひとり多重録音作品である『Spirits』や『No End』にも触れる。一応断っておくと、キース・ジャレットを掘り下げてみようと思って、この2作から聴く人はまずいないだろう。これは自己批判を含めて言うが、キースの音楽を愛聴してきた筆者もこの2作は未聴だった。
だが、軽視されがちだが明らかな特異点である作品を論じるのは、よく考えれば評論のまっとうな在り方であり、必要なことでもある。やはりこれはジャズ評論の問題でもあるだろう。この2作を「オーヴァーダビングの先駆者たち」というカテゴリーで語った評論があっただろうか。少なくとも、筆者は読んだことがない。このように、リアルタイムで評価されなかった作品に原は積極的に価値を見出してゆく。
フリー・ジャズのイメージが強いサックス奏者のマリオン・ブラウンの関わった作品がある時期、〈ECM〉を先取りするような世界観を孕んでいたこと。ブライアン・イーノのアンビエントが、ダニエル・ラノワやジョー・ヘンリーを経由して、ブレイク・ミルズまでつながっていること。ビル・フリゼールやブラッド・メルドーなど、コンテンポラリー・ジャズの世界でもアンビエンスに深く留意するミュージシャンが増えていること。これらは水面下でつながっている。本書を読み終えると、無数にちりばめられた点が最後には線になるような感慨が押し寄せてくるはずだ。
原が自らを決して“ジャズ評論家”とは名乗らない理由は、本書を読むとよく分かる。ジャズ評論家とはまったく異なる角度でジャズに切り込んでいるからだ。彼が菊地雅章のエレクトロニックなアルバムについてインタヴューした際、原は初対面の菊地に〈記事が掲載されるのがジャズ雑誌ではないこと、自分がジャズ評論家ではないことを最初に確認された〉という。そして菊地は〈そうではないことを伝えると、オープンに話せることを確認したように、少し微笑んだ〉という。実際、そのインタヴューは原にしかできないものに仕上がっている。詳しくは著作を読んで確かめてみて欲しい。
「W Kã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
終電で渋谷へ。10月に入り湿気もいくらかマシになり、深夜のクラブ活動もずいぶん動きやすくなった。道玄坂周辺は相変わらず盛り場を愛する人々でごった返していたが、僕には早くこの雑踏をかき分けて〈O-EAST〉へ向かう理由がある。今夜はフランスのハウス・シーンにおける重要DJが東京へ帰還する日だ。
DJディープことシリル・エティエンヌ。ロラン・ガルニエとともに――彼らがやっていたパーティ名のごとく“目を覚ませ!”とばかりにパリにアンダーグラウンドなダンス・ミュージックを叩き込んだ張本人のひとり。こと90年代フランスは、フィルター・ハウスやフレンチ・タッチなる言葉が注目されていただろうし、カシアスやダフト・パンクが商業的成功をもって迎えられた時代と言えるかもしれない。
しかしその時代、〈F Communications〉のようなシーンの良心と関わり、サン・ジェルマンを模範としながら、パリの〈Rex Club〉にムーディーマンをいち早く招聘するなど、この地に根を張りハウス・ミュージックに並々ならぬ情熱を注ぎ続ける男がいたのだ。
ん? 到着したと思ったら入り口が閉まっているような……。戸惑っていると、どうやら3Fのロビーのみ使用するとのこと。なるほど、メイン・フロアは使わず一部のフロアとバー〈東問屋〉で構成された〈MIDNIGHT EAST〉の形態があるのか。日にちを間違えてないことに安堵しつつ入場。このバーではムードマンをはじめスロウモーションズの面々が今夜を演出するようで、気になりつつも足早に階段を上がる。フロアは例えるなら表参道〈VENT〉のメイン・フロアをさらに一回りこじんまりさせた感じか、さらに小さいかも? そこでは、ヴォヤージュ・ヴォヤージュのプレイが終盤を迎えつつあり、横にはすでにDJディープが構えていた。
やせ型で長身のこのフランス人は、Tシャツ一枚に眼鏡というシンプルな装いで――フランス人らしい上品さは垣間見えるものの、レコード屋でディグってきた音楽オタクがそのままフロアに現れたような出で立ちだった。自身のYouTubeでは、〈Nu Groove〉などレーベルTシャツを着用しつつ愛するレコードを素朴に紹介していたが、フロアでもまったく同じ雰囲気を放っていた。当たり前だが、DJの選んだ音楽を媒介にそこに居合わせた人々が夜を明かすのに、大仰な舞台やブランドの服はあってもよいが、必須ではないということだ。そのままの取り繕わない佇まいにプレイまえから信頼度が高まる。

(ここからはシャザムの力を借りつつ)全体的には彼の得意分野であるハウスを軸としながら、いろいろな音が鳴っていた。序盤はヴォーカルを中心に据えた選曲が目立ち、ルイ・ヴェガ率いるエレメンツ・オブ・ライフ “Children of the World” やテン・シティ “Love Music” など往年のヴェテランの近年作を回していたのが印象的だった。ピアノ、ホーン、ゴスペル調のヴォーカル……四つ打ちに乗せてさまざまなサウンドが繰り出されるなか、中盤以降になるとシャザムもお手上げになっていき、音の質感もいくらかテッキーに、フロア仕様のサウンドへと突き進んでゆく。
ふとあたりを見ると、友人と談笑しながら身体をかすかに揺らすひと、スピーカーの目のまえに陣取り音の響きを体感するひと、音に聴き入りながらひとりただ踊るひと、それぞれが音楽を共有しつつ、しかしみな違う感じ方をしていたように思えた。終盤に差し掛かるといってあっと驚くような山場を作るわけでもない。ミキシングの曲芸で魅せるスタイルでもない。プレイに派手さはなかったかもしれないが、DJディープは最後までこのささやかで自由な空気をキープするプレイに徹していたように思う。この2時間はあっという間に過ぎ去り、締めのゴンノへとバトンタッチされた。
このままフロアに残るかバーで余韻に浸るのも良いかと思ったが、少し早めにフロアを去る。夜明けまえのいちばん冷たい時間が好きだ。ぎゅうぎゅう詰めの汗だくなフロアも楽しいが、今夜のように多くはない人数が親密な空間で多様に踊っている夜もまた素敵だな、なんて思いふけりながら歩いていると、もう肌寒い秋の夜風を実感した。

東海地方を拠点に長きにわたる活動を続け、同世代のコレクティヴ〈1982S〉(MASS-HOLE、MR.PUG、仙人掌、 ISSUGIらが所属)にも名を連ねる三重県鈴鹿市在住のラッパー・YUKSTA-ILLが、およそ2年半ぶりとなる13曲入のニュー・アルバム『82PLACE』のリリースを発表し、ジャケット、トラック・リストを公開。リリース日は2025年11月5日(水)とのこと。
その長いキャリアのなかで築き上げた絆は固い信頼関係となり、プロデュースにはRAMZAやKojoeといったアーティストもかかわっている。以下、作品詳細。

Artist:YUKSTA-ILL
Title:82PLACE
Label:P-VINE, Inc. / WAVELENGTH PLANT
Format:Digital / CD / Cassette
Release: 2025.11.5
品番: CD / PCD-27094 TAPE / PCT-75
定価: CD / 2,970円(税抜2,700円)TAPE / 2,750円(税抜2,500円)
【購入はこちらから】
https://anywherestore.p-vine.jp/collections/yuksta-ill
Tracklist
※TAPEはSIDE AがM1-6、SIDE BがM7-13になります
1. FULL CIRCLE(produced by OWLBEATS)
2. LOOK BACK FOR THE...(produced by T-TRIPPIN' from DAZZLE 4 LIFE)
3. HUMBLE PEEPS(produced by UCbeats)
4. RIGHT ON CUE feat. GINMEN(produced by GRADIS NICE)
5. QUESTION feat. J.COLUMBUS(produced by Cedar Law$)
6. Y.O.L.O. feat. CJ from HOMEBOYZ(produced by P3T-BUSTARD / directed by DJ KIYOSHIRO)
7. IT IS WHAT IT IS(produced by MATSUIGODZILLA)
8. ROLLIN' RING 'RESE(produced by M.A from BONGBROS)
9. GRIT-N-GRIND(produced by RAMZA)
10. MINDFULNESS feat. MILES WORD(produced by MET as MTHA2 / scratched by DJ 2SHAN)
11. 82PLACE feat. 1982S(produced by MASS-HOLE)
*1982S are MASS-HOLE, MR.PUG, 仙人掌, ISSUGI & YUKSTA-ILL
12. SUBWAY feat. JASS & Äura(produced by Kojoe)
13. NEW DECADE(produced by DJ SCRATCH NICE)
東海エリアのクルー「RC SLUM」に所属し、同世代コレクティヴ「1982S」にも名を連ねる三重県鈴鹿市在住のラッパー、YUKSTA-ILL。地元をベースに長きに渡ってヒップホップ・シーンで活躍し、近年ではMCバトルのシーンにも復帰して絶妙なバランス感覚で界隈でも活動しており、2023年には自身のプロダクション「WAVELENGTH PLANT」を設立したことも大きな話題となったが、約2年半ぶりの通算5枚目となる待望のニューアルバム『82PLACE』のジャケット、トラックリストが公開!
ラッパーとして短くないキャリアを誇るYUKSTA-ILLだけに全国各地に同胞とも言える仲間たちが多数存在しており、本作は「82PLACE」のタイトルの示す、自身の現在地、これまでの軌跡、その過程で見つけた居場所をコンセプトに地域/クルー/世代の枠を超えた面々が集結。客演としてその1982Sの面々(MASS-HOLE、ISSUGI、仙人掌、Mr.PUG)を筆頭にMILES WORD(BLAHRMY)、JASS(Tha Jointz)、J.COLUMBUS、GINMEN、CJ(HOMEBOYZ)、Äura、プロデューサーとしてGRADIS NICE、DJ SCRATCH NICE、KOJOE、MASS-HOLE、RAMZA、T-TRIPPIN'(DAZZLE 4 LIFE)、Cedar Law$、MET as MTHA2、OWLBEATS、MATSUIGODZILLA、M.A(BONG BROS)、UCbeats、P3T-BUSTARDが参加!
また今アルバムのアートワークは、主宰するレーベルWAVELENGTH PLANTからリリースされたこれまでの作品や企画するイベントのフライヤ等を手掛けるデザイナーのSaäkåが担当しており、CDには全収録曲のデザインが収められたブックレットを含め、Saäkåプロデュースのアート作品として楽しむ事の出来るものとなっている。
<プロフィール>

YUKSTA-ILL
三重県を代表するRAPPER。東海屈指名古屋RC SLUMに所属しつつ、地元に根差すレーベルWAVELENGTH PLANTを主宰。ホーム鈴鹿や隣町四日市にて複数のパーティーを仲間達と企画。時としてILLADELPHの名の元にDJを嗜む。
これまでに最新作「82PLACE」を含めフルアルバム5枚、ミニアルバム2枚、MIXCD3枚、そしてシングル曲を無数にドロップ。様々なアーティストの作品に名を連ね、客演バースをキック。MCバトルには重きを置かず、距離を取りながらも意表を突いて参戦。UMB2007名古屋、UMB2009名古屋、12年のブランクから復帰後、KOK2023三重のタイトルを奪取。
また、HIPHOPとバスケを繋げる草の根活動を展開。好きが高じてハーフタイムショーを主とするユニットGNGを結成。すべての側面において自己新更新を心掛け、力を尽くす1982式のMC。
2025年、私たちは再び竹村延和の新作アルバムを聴くことができる。この出来事を「僥倖」と呼ぶべきか、それとも「喜ばしい権利」と言うべきか。長い時間の流れの中で訪れた「必然」として静かに受け入れるべきなのか。いずれにせよ言葉は不要かもしれない。ただ耳を澄ませ、この音楽を繰り返し聴けばいい。竹村延和の新しい音が、いままたここにあるのだから。とはいえここでは何か書かなければならない。さて、どうすれば。
今作『knot of meanings(意味のたま)』は、2014年のオリジナル・アルバム『Zeitraum』以来11年ぶり、さらに2015年の個展『アインハイト』のための作品『Music for the exhibition Einheit』からも10年ぶりとなるフル・アルバムである。断続的に更新される竹村のブログを追い、音の再始動を待ち続けてきたファンにとっては、まさに待望のリリースだ。オリジナルは米レーベル〈Thrill Jockey〉、日本盤は〈HEADZ〉から発売される。作曲・演奏・プログラミング・録音・編集のすべてを竹村自身が手がけ、ゲスト・ヴォーカルとして日本人シンガーdoroが参加している。
もっとも、この10年を「沈黙」と呼ぶのは正確ではない。竹村にとってそれは、音と世界のあいだに耳を澄ますための時間だった。音を発表しないことは、音を探究しないことを意味しない。むしろ微細な響きを拾い、構造を実験し、音を再び形にする──その試行錯誤の積み重ねこそが、いま結晶として現れた『knot of meanings(意味のたま)』なのだ。
タイトルの「意味のたま」とは、「音が意味を超えて存在する」という理念を象徴している。言葉にできない核のようなもの、複数の音や時間が結び合う結節点。それが「意味のたま」だ。竹村の音楽にはつねに「ひとつの音にいくつもの時間が宿る」という独特の時間感覚がある。それは旋律や進行に沿う線的な時間ではなく、音の粒子が干渉し合いながら生成する非線形の時間。まさに「意味のたま」という名にふさわしい。
2016年から2024年にかけて録音された全18曲(日本盤はボーナストラックを含む19曲)は、竹村が10年間かけて紡いだ「意味のたま」の集積である。聴く者は、ただ経過する時間ではなく、重なり合う多層的な「時」の流れを体験することになる。特定のスタイルに縛られない構成は、まるで竹村自身の「音響図鑑」と呼ぶにふさわしい。
竹村の音楽は、スティーヴ・ライヒやブライアン・イーノが探求した反復と生成の構造、ロバート・ワイアットが声の揺らぎで表現した時間感覚と共鳴している。同時に、カンタベリー系ジャズ・ロック、フランスのチェンバーロックZNR、〈クレプスキュール〉周辺のニューウェイヴなど、室内楽的な音楽の系譜にも連なっている。短音のアンサンブルが生む豊かさ、軽やかなピアノの響き、子どもの音楽のような無邪気さ、そして上品なユーモア。それらはZNRを思わせながらも、竹村の手によって「日本的な時間感覚」へと変換されている。間(ま)と余白の美学、聴き手の内面に生まれる時間の揺らぎ。牧歌性と静謐が交錯するその感覚こそ、竹村の音の本質だ。
アルバムは “明滅する火花” で静かに幕を開ける。マリンバのような音とピアノの絡みが光の粒のように広がり、続く “サヴォナローラのまなざし” ではエレピや管楽器、声のアンサンブルが純粋な存在感を放つ。“眼球生物” では無調のピアノと声が交錯し、複数の時間軸を内包する音空間を形成する。各楽器と声がそれぞれ異なる持続を保ちながら共存し、聴き手に「多重の時間」を体験させてくれる。以降も声と楽器、電子音が変奏を続け、アルバム全体がひとつの流れとして貫かれていく。
竹村の音楽には一貫して「構造の純化」という志向がある。複雑さを排除するのではなく、複数の音が衝突し共鳴しながらも、透明な構造を形成していく。その理念は1997年の名盤『子供と魔法』以来変わらない。『knot of meanings(意味のたま)』でも、電子音と生音、旋律とノイズ、響きと間が対立することなく繊細に結ばれている。その「結び目」が生むのは複雑さではなく、透徹した深さ、いわば「純化としての構造」だ。
この純化は、エクスペリメンタルな先鋭化ではなく、むしろ温もりを帯びた牧歌的な方向へと向かう。現代のデジタル環境にあふれる「音の過剰」への静かな抵抗として、竹村の音楽は存在する。無自覚な情報の氾濫に抗い、音そのものの本質を問う。その批評的な姿勢は、30年以上にわたり音の純粋化を実践してきた竹村だからこそ自然に息づいている。
彼の音楽は、情報と刺激に麻痺した聴覚をリセットし、耳の奥に眠る感性を呼び覚ます。都市のノイズやネットワークの喧騒から遠く離れ、それらを音として再構成する。ゆえに竹村の作品は、単なるエレクトロニカではなく、21世紀の「聴く文化」そのものを批評する音楽作品として機能しているのだ。
アルバム終盤に収録された “深海の虹” 三部作(パート1〜3)は、『knot of meanings(意味のたま)』の主題をもっとも端的に示す。アニメーション作品のために制作された楽曲でありながら、弦のレイヤーが静かに波打ち、電子音がその隙間に滲み込む。シンプルな構造の中で時間が幾重にも折り畳まれ、「いまここ」と「遠い過去」のあわいを漂う。その透明な音響こそ、竹村が追い求めてきた「音の純化」の結晶である。
音の純化は「こえ/うた」の扱いにも表れている。ゲスト・ヴォーカルのdoroの声は、子どものような無垢な響きを宿し、作為を感じさせない。「歌う」前の「うた」がそこにある。竹村は、2001年の『Songbook』やスピーチソフトによるロボット・ヴォイスを導入した2002年『10th』以来、この素朴で純粋な「こえ/うた」を追求してきた。『knot of meanings(意味のたま)』では、その理念がいっそう純化されている。
おそらく、この10年という時間は、音楽の構造をどこまで純化できるかという試行の期間でもあったのだろう。純化には「作る耳」だけでなく、「聴く耳」の浄化も必要だ。作曲者自身が最初のリスナーである以上、竹村にとって音楽は制作行為で完結しない。聴き手がその響きに耳を澄ませることで、初めて音楽は完成する。
音楽とは「作る人」と「聴く人」とを結ぶ行為である。この理念こそ、竹村がDJ/クラブ・ミュージックの土壌から登場した理由でもあり、彼のテーマである「Child’s View(子どもの視点)」にも通じる。無垢な耳で世界を聴くことは、情報の洪水の中で感性を守るための方法論なのだ。
『knot of meanings(意味のたま)』は、「聴くこと」そのものを再生するアルバムである。やはり能書を書くより、まずは聴く。とにかく聴く。それだけだ。そして聴き込んだ先にある「言葉」こそ魔法のように大切なものになるはず。それはアルバムを聴いた「時間」そのものの大切さだ。
じっさい本作には、10年の制作時間、70分の再生時間、そして聴き手が費やす時間が折り重なっている。この三つの「時間」が重なり合うとき、『knot of meanings(意味のたま)』は「時」を超えて「いま」に開かれるのではないか。
竹村延和は、なおも音の希望を信じている。音を作り、音を聴くことの豊穣さを信じている。彼が結んだ「意味のたま」の小さな結び目は、未来の音楽へ向けた微かな光として、私たちの耳の奥に長く残り続けるだろう。
あなたに出会うまで。
この「あなた」という言葉から、誰の顔が思い浮かぶだろうか。
デンマーク出身のギタリスト、ヤコブ・ブロは、〈沈黙の次に美しい音〉を掲げるジャズ/現代音楽レーベル〈ECM〉から数多くの作品を発表してきた。彼は、コペンハーゲンで見た高田みどりのパフォーマンスに感銘を受け、共演の願いを託して彼女に一通の手紙を送った。
クラシックを出発点に、環境音楽やアフリカ・アジアの音楽、即興や演劇まで、ジャンルを超えて探求を重ねてきた日本のパーカッショニスト、高田はその手紙に戸惑い、返事を出すまでに約2年の歳月を要した。
やがて、ベルリンで初共演を果たしたふたりは、いくつかのライヴを経て、東京で初の共作アルバムを録音する。それが本作『あなたに出会うまで』である。
オープニングのタイトル曲 “Until I Met You(あなたに出会うまで)” では、まだ出会えていない誰かを探し求めるかのような、揺らぎと余白に満ちた音像が姿を現す。ブロのギターのフレーズを、高田のマリンバがそっと追いかけ、ときにぴたりと重なり合う──一音ごとの対話が、この作品の核心を象徴している。
“Landscape 2, Simplicity” では、高田の奏でる多彩な音色が、中心部のメロディの周縁に薄くきめ細やかな膜を幾重にも重ね、そこに生命の気配を宿していく。その響きは、まばたき──目を閉じ、開き、また閉じる一瞬の動き──を引き伸ばし、7分45秒間にわたる聴覚の風景を映し出す。
ギターとピアノがユニゾンで旋律を紡ぐ “Infinity” は、螺旋を描きながら絶えず形を変えていくミニマルな構造だ。風に運ばれてゆっくりと表情を変える雲のごとく、音は決して同じ輪郭をとどめない。
“Sparkles” では、ブロのギターが艶やかに弾け飛ぶ。チクタクと刻む時計を思わせるリズムが、アルバム全体の景色に眩い輝きと力強さを与えている。
ラストを飾る “Floating Forest” は、開始直後から即興的な呼応が生まれ、ゴング(銅鑼)の音色が水面に波紋を描くように広がり、作品全体へ溶け込んでいく。そしていつしか、その佇まいは聴き手の耳の奥からも姿を消す。
このアルバムは、どこか子守唄のような、まどろみの境界に漂う淡い気配をまとっている。だがそれは、決して眠りへと誘うだけのものではなく、私たちの内側へと深く降りてゆき、感情や記憶の層を少しずつ解きほぐしていく。
高田はかつて、2017年にリイシューされた『鏡の向こう側』のライナーノーツ掲載のインタヴューで、(クラシック音楽とアフリカやアジアの音楽の対比を踏まえながら)音楽は本来、外の世界に向けて力を誇示するものではなく、自分の体の変化や他者との関係を確かめながら、自らの内面に向かってできていくものである──といった趣旨の考えを示している。その音楽観は今作にも受け継がれ、音の隅々にまでその思想が刻み込まれている。
子守唄の例えは、単なる比喩ではない。かつて歌い手自身をも慰め、支えるものであったように、この作品もまた、私たちが自分自身の深部へと入り込み、忘れかけていた感覚や意志を呼び覚ますための契機となっている。
ふたりの音楽へのまなざしには、根底に共通するものがある。
高田は、2024年の『ele-king vol.33』のロング・インタヴューで「私がミニマリストであるとか、アンビエント・ミュージシャンであるとか、自分でそういうふうに限定したことは一度もない」と語っているが、その姿勢はブロにも重なる。
2025年4月の対談*で、ブロは自身について、ギターを弾くという行為そのものに執着はなく、ジャズ・ミュージシャンとすら考えていない、と語り、こう続ける。「私とみどりさんに共通しているのは、スタート地点にオープンさと自由さがあること」
ふたりを貫く創作の精神には、既存の枠組みを超えてなお、表現の地平を押し広げ、まだ見ぬ可能性を掘り起こそうとする意志が息づいている。
同じ対談のなかで、高田はその背景にある考えを次のように語る。「まずは自分を否定すること。それは辛いし、とても恐怖ですが、そこを乗り越えて初めて手に入ることってあると思うんです。(中略)そこで初めて、孤独に耐えてまでやりたいことがある、という強い意志を持っている人が得られる自由がある」
『あなたに出会うまで』というタイトルは、ブロと高田の出会いの時間を指し示すにとどまらない。
それは、自身の奥底へと分け入り、恐れや孤独を引き受けながらもなお、何かを求めて歩み続ける過程の先にしか触れ得ない、到達点の一端をも暗示している。そして音楽とは、そうした、まだ名もなきものへと手を伸ばし続ける営みなのかもしれない。
この作品に耳を澄ませるとき、私たちはその “あなた”──すなわち、制約から解き放たれた自己と、静かに向き合うことになるのだ。
* Always Listening by Audio-Technica(オーディオテクニカ)|高田みどりとヤコブ・ブロが語る、境界線の向こう側 ——音楽の本質をめぐる対話
https://www.audio-technica.co.jp/always-listening/articles/midoritakada-jakobbro/
エレクトロニカからジャズまで横断し、精力的に活動を続ける音楽家、みずからを「火星人」と名乗るCoppé。彼女がアリゾナ州で自身のレーベル〈Mango + Sweetrice〉を立ち上げ、「Coppé」名義で活動を開始してから今年でちょうど30周年を迎える。それを記念し、最新作『30rpm - i wish i had a brain -』の発売が決定、同日リリース・パーティの開催もアナウンスされた。
会場は青山BAROOM。共演にモジュラーシンセ界の重鎮HATAKENらを招き、ゲストDJとしてミックスマスター・モリスや徳井直生らが顔をそろえる。特別な一夜をぜひ。
『Coppé 30rpm. Release Party at BAROOM』
日時:2025年11月28日(金)
OPEN 19:00 CLOSE 23:30
LIVE 20:00-21:00 ※自由席
ENTRANCE:¥5,000(1ドリンク別)
会場:BAROOM|バルーム
https://baroom.tokyo/
東京都港区南青山6-10-12 1F
Live:
Coppé (voice + OP-1)
HATAKEN( modular synthesizer )
STEEEZO (OP-1 + TP-7 / Manipulator)
Kevin M ( piano + accordion)
Mark Tourian (double bass)
Hiro (guitar)
Fabulous Dancing Lights
Brightone by Quasar
DJ:
Mixmaster Morris
Nao Tokui (Neutone)
Nick Luscombe (Mscty)
KNS (Phaseworks)
【LIVE情報】
<Mango + Sweetrice>設立30周年記念
Coppé 最新作『30rpm - i wish i had a brain -』
リリース・パーティー開催決定!
青山 BAROOM の円形ホールにて、Coppé スペシャル・ライブセット!
ゲストDJとして、Mixmaster Morris の出演も決定!
1995年、米アリゾナにて自身のレーベル〈Mango + Sweetrice〉を立ち上げ、Coppé として音楽活動をスタートしてから今年で30周年を迎える。
それを記念してリリースされる最新作『30rpm - i wish i had a brain -』の発売に合わせ、スペシャル・リリースパーティーの開催が決定した。
これまでに Orbital、Luke Vibert、Nikakoi、Plaid、Kettel、Atom™、DJ Q-bert など、世界各地のさまざまなジャンルのアーティストとコラボレーションを重ね、独自の宇宙的ヴィジョンで活動を続けてきた Coppé。
30周年を記念し、豪華バンド編成によるスペシャルライブが青山 BAROOM の円形ホールで披露される。
今年のフジロックのステージでも Coppé とデュオで共演したモジュラーシンセ界の重鎮 HATAKEN をはじめ、無数の OP-1 を自在に操る Steeezo、ピアニストの Kevin、ダブルベースの Mark、ギターの Hiro といった豪華メンバーが集結。
さらに、光を操る集団 Brightone by Quasar によるライティングも加わり、視覚と音響が融合した唯一無二のライブ体験を創出する。
またライブ前後のバーエリアでは、豪華DJ陣がアニバーサリーを彩る。
アンビエントとチルアウトの伝道師 Mixmaster Morris、AI × 音楽のフロントランナー Nao Tokui(Qosmo / Neutone)、英国 BBC でも活動した選曲家 Nick Luscombe、偏愛ディガー KNS(Phaseworks)といった Coppé の盟友たちが、ヴァイナル・オンリーの DJ セットで30 周年を祝う!
『30rpm - i wish i had a brain -』
祝!レーベル〈Mango + Sweetrice〉設立30周年
ジャパニーズ・エレクトロニカ・ゴッドマザー、Coppé 最新作!
Orbital のアルバム参加でも注目を集めた “ジャパニーズ・エレクトロニカ・ゴッドマザー” こと Coppé。主宰レーベル〈Mango + Sweetrice〉の設立30周年を記念するアルバム『30rpm - i wish i had a brain -』がついに完成!
Aphex Twin の盟友としても知られるレジェンド Luke Vibert、ジョージアが誇る至宝 Nikakoi とその息子 Luna9、WARPの重鎮 Plaid、モジュラーシンセ界を牽引する HATAKEN、天才ピアニスト Jacob Koller といったおなじみのアーティストたちに加え、多数の新たなコラボレーターたちも参加。ダブ、トリップホップ、エレクトロニカはもちろん、アンビエントからドドイツまで――その振り幅の広さに驚かされる、唯一無二のサウンド宇宙が広がる。さらに、2024年にイギリスで開催された「Cassette Week UK」で初披露され、話題を呼んだ楽曲「It’s you!」も収録。まさに Coppé にしか創り出せない、異次元の音楽世界が詰め込まれている。
アートワークは前作と同様に、イギリスの伝説的デザイン集団 The Designers Republic が担当。マスタリングは、John Zorn のレーベル作品をはじめ、Laurie Anderson や Roy Hargrove なども手がけ、グラミー賞も受賞している名エンジニア Marc Urselli が前作に続いて参加している。CD、レコード、カセット、デジタルの4形態でリリース。なお、各フォーマットごとに一部収録曲が異なり、カセットのみ「Cassette Week」商品として先行発売される。
1970年代から活躍する詩人にして実験音楽家、A-MUSIKやコクシネルなどへの参加から自身のNOISE、マヘル・シャラル・ハシュ・バズまで、さまざまな音楽活動を繰り広げてきた工藤冬里。静岡でのワンマン・ライヴ「過去過去の幸福」の開催がアナウンスされている。11月3日、会場は静岡県男女共同参画センター「あざれあ」。詩のサイト「浜風文庫」にこれまで発表してきた作品に音楽をのせるライヴとなる。予約はこちらから。
工藤冬里ワンマン 過去過去の幸福
11月3日(月・祝) 開場14:30 開演15時
会場:あざれあ音楽室
静岡県男女共同参画センター「あざれあ」
〒422-8063 静岡市駿河区馬渕1丁目17-1
会費:2500円(要ご予約・受付は「浜風文庫」 https://beachwind-lib.stores.jp/ まで)
この一年間、ネット上の詩の場所「浜風文庫」に詩を書き続けてきた工藤冬里が、その詩を音楽にのせリーディングをするライブ。ぜひ詩をお読みになってご参加ください。
いま、私たちはあるロック・バンドのクリエイティヴな変化と進化を目撃している。ギースのことだ。
ロック・バンドは作品を完成させるごとに進化するもの、というリニアな発展の物語は、あきらかにザ・ビートルズがもたらした呪いである。彼らのアルバム・デビューから最終作に至るまでの7年間――そう、たったの7年間である――の激しく深い変化の過程は、その後、半世紀以上にわたってある種のロック・バンドに課せられる宿題のようなものになった。ピンク・フロイドでもU2でもレディオヘッドでもいいし、あるいは、日本で言うならフィッシュマンズやスーパーカーやくるりなどが挙げられるだろうが、そういった物語をなぞったバンドのなかには、とんでもないマスターピースを生んできた者たちがいる。一方で、その呪いの枷に苦しめられてきたバンドだって数多く存在してきた。
ギース(もちろん、お笑いコンビのことではない)の4人が、そのロック・バンドの神話にどれほど自覚的だったかはわからない。しかし、とにかく、彼らは、セカンド・アルバムでファースト・アルバムとはまったく異なる音楽をやってやろうと意気ごみ、サード・アルバムではより大きな変化を求めて奇妙な実験の沼にずぶずぶと沈みこんでいった。それが自己満足にも閉塞的な自己目的化にも終わらずに大きな実りを生んだことは、この『Getting Killed』を聴けばわかることである。
ファースト・アルバムの『Projector』*1が2021年にリリースされたとき、おもしろいバンドが出てきたなと思った。なぜなら、そのサウンドは、2010年代後半、英国のロンドンやアイルランドのダブリンを中心に突如現れた多数のポスト・パンク・バンド群、彼らの音楽からあからさまに影響を受けたものだったからだ。その率直なインスピレーションの表出は、素朴すぎるようにも思えた。「結局あれってフォールの焼き直しみたいなもんだしね。悪いわけじゃないけど――俺たちがやったのは、盗作のコピーのファクシミリ版みたいなもんだよ」*2と、ヴォーカリスト/ギタリストのキャメロン・ウィンターは認めている。
当然、それだけで終わっていたら無個性なだけではあるのだが、重要なことに、彼らはニューヨーク、ブルックリンのバンドだった。ブリテン諸島のシーンに影響を受けたバンドが、アメリカから現れたこと。しかも、ブルックリンでは、住宅価格が釣り上がりまくり、ロック・バンドもヴェニューも大打撃を受けた。おまけに、パンデミックの煽りも食らっている。2000年代までロックのメッカだったあの街から新しいロックの音が聞こえてくることは、いまやほとんどなくなっていた。
そのうえでキャメロンは、「NYで生きて行くなんてほぼ不可能だ。何かしらの経済的な援助がない限りはね。だからNYでアートロックとかパンクロックを作りたいなんて思ったら、終わりだよ。ホームレスになる。/僕らが出来ているのは、みんなNYの中産階級以上の出身だからであって、僕らがバンドをしている時に援助してくれる家族がいるからだ。それってもう、ものすごい特権だよ。だから僕らはトム・ヴァーレインみたいに、家を出て、ストリートに住んで、詩人で、バンドを始めたみたいにカッコ良くはない。僕らは彼らのアイディアを借りてるだけで、実際は両親の家に住んで、レコーディングしているんだ。それは自覚しているよ」*3と吐露している。
『Projector』については、私はライナーノーツの執筆を頼まれ、メンバーにインタヴュー(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/30340)もした。上に書いたような音楽的な志向から、失礼ながらも少々かわいらしいバンドだと思ったし、数年後にどんなふうになっているのかはまったく予想ができなかった。
あれから4年、「予想ができない」という予想は的中した。ギースがこんなバンドになっているだなんて、そもそも、2021年には誰も予想していなかっただろう。
そもそもの始まりは前作、2023年の『3D Country』である。なんでこんなことになっているの? それが、アルバムを聴いたときに口を衝いて出た感想だった。
『3D Country』は、全体的にはザ・ローリング・ストーンズの『Let It Bleed』をテレヴィジョンが演奏している感じというか、それでいて1970年代のブギーやハード・ロックのような曲もあって、アメリカの外にいる者がアメリカン・ロックに対する幻想を重ねて演奏したかのような不可思議な音楽が詰めこまれたアルバムだった。カヴァー・アートにはテンガロン・ハットとひっくり返った男の姿、アメリカらしい砂漠の風景ときのこ雲が描かれており、含みのあるタイトルとともに、ますますその印象は強化された。
アルバムはそこそこの評価を得たものの、絶賛されたわけではなく、バンドが停滞しているあいだにキャメロンはソロ・アルバムをつくった。2024年の『Heavy Metal』である。
移り気なヴォーカリストであるキャメロンはそこで、スコット・ウォーカーやニック・ケイヴのようにバリトン・ヴォイスで朗々と歌うスタイルをものにした。そういった変化もあり、『Heavy Metal』は、スモッグ/ビル・キャラハンの作品の抽象的なポスト・パンク・ヴァージョンのような変わったバランスのシンガーソングライター・アルバムに仕上がっている。このアルバムが『Getting Killed』に多大な影響を及ぼしていることは、メンバーが認めているとおりだ。
『Getting Killed』は、そんなふうに曲がりくねった旅路を経てギースが辿りついたまったく新しい場所である。
2023年、米国の音楽のメインストリームにおいてカントリーが明確にブームになった。とはいえ、「アメリカーナ」なるものの捉えなおしや再定義は、ジャンルとしてのアメリカーナだけでなく、ジャズやインディ・ロックなどの領域において、それ以前からひとつの大きなテーマだった。その傾向がいっそう加速したのが、2023年からのここ2年である。『3D Country』、そして『Getting Killed』に至るギースの音楽的な変化は、これまた本人たちが自覚的かどうかは措くとしても、その潮流のなかで捉えることができる。
ワウ・ギターがへろへろと鳴り響き、ドラム・セットやリズムボックスの打音がダブの音響によって左右に放たれる。かつてのコーネリアスのような過剰なパンニングと編集によって、バンドの演奏はぶつ切れのパーツにチョップされ、再配置されている。キャメロンは、トム・ヨークのようなファルセットで歌いはじめ、次第に発声が喚くようなものに変わり、マーク・E・スミスを思いださせる声で混乱を吐きだしていく。アルバムは、そんな “Trinidad” で始まる(この曲には、JPEGMAFIAがさりげなく参加している)。
アフリカン・ドラムをだらしなく弛緩させたかのようなビートの “Husbands” や “Texas” は、トーキング・ヘッズのタイトなアンサンブルを悪ふざけで真似て、ぐずぐずにスロー・ダウンさせたものに聞こえる。ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドをわかりやすく参照した “Half Real” も、やはり、ひりついているというよりもだらだらと弛緩している。“Getting Killed” におけるウクライナの聖歌隊による合唱は、ゴスペルふうのコーラスに聞こえるもののずたずたに切り刻まれており、アフリカン・チャントのごとく響く。“Au Pays du Cocaine” では、スティール・ギターの音が切ない情けなさに沈みながら空間を満たす。“Long Island City Here I Come” は、水膨れしたLCDサウンドシステムの曲のようだ。
「多くのバンドを思い起こさせる存在でありながら、ノスタルジーに陥らないよう、彼らは本気で戦っていた」、「彼らはサンプルを既存の音を補強するために使おうとはしていなかった。むしろ、それに対抗するために使っていたんだ」*4と、このアルバムの共同プロデューサーであるケネス・ブルーム fka ケニー・ビーツは言っている。「自分がどこに行くのかわからない(I have no idea where I’m going)」(“Long Island City Here I Come”)というリリックをバンドの態度表明と受けとるとすれば、『Getting Killed』で彼らが飛びこんだ情けない弛緩と諧謔と飽くなき実験のサウンドは、過去という甘美な誘惑に対する果敢な挑戦なのだ。それは、MAGAの2つめの “A” の部分、つまり、“Again” に対してにやにやと笑いながら唾を吐きかけることにほかならない。イエスタデイ・ワンス・モアだって? やなこった! と嘲笑って言うかのように。
2025年1月以降のアメリカの混乱や分裂を目にしてきた者は、アメリカという国の理念やイメージ――アメリカン・ドリーム、アメリカ的な自由、アメリカ的な豊かさ、夢と希望の国――が修復不可能なほどにゆがみきっていることに気づいただろう。『アメリカン・サイコ』や『ウィンターズ・ボーン』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『ゲット・アウト』や『ノマドランド』などが映してきたかの国の醜い面は、以前よりもあからさまなかたちで表面化している。『Getting Killed』における煮くずれ焼けただれたアメリカン・ロックは、まさにそういった現実の状況の反映に聞こえる。サザン・ロックが、スライド・ギターが、カウボーイやハイウェイやトラック運転手や砂漠のイメージが、へなへなとした脱力感の湖上に浮かべられ、弄ばれている。
「戦時下ではサーカスに行けないといけない(In times of war / Must go now to the circus)」、「戦時中にはダンス・ミュージックしかない(There is only dance music in times of war)」とキャメロンは “100 Horses” で歌う。アメリカン・ロックをびりびりと引き裂いて無様に貼りなおした『Getting Killed』は、これ以上ないほどに、皮肉なまでに見事な2025年のサウンドトラックになった。4人はノスタルジーを拒否して、底意地の悪い笑顔で前を向きながら音で遊びほうけている。それが、それこそが、彼らなりの抵抗の技法なのだ。
*1 実際は、ファースト・アルバムは彼らが高校時代に完成させた『A Beautiful Memory』という自主制作の作品だが、現在はDSPなどで聴くことができなくなっており、バンドのキャリアにおいてほとんどなかったことにされている。そのため、ここでは『Projector』を実質的なファースト・アルバムとしている。
*2 Geeseインタビュー NYの革新的ロックバンドが辿り着いた「新たな到達点」https://rollingstonejapan.com/articles/detail/43636/
*3 2年前のデビュー作で脚光を浴びたブルックリン発Z世代バンド、ギース。ボーカルのキャメロンがいきなり日本語で答え出してびっくり。インタビュー番外編。 https://rockinon.com/blog/nakamura/207350
*4 前掲のRolling Stone Japanの記事。

満90才になった現在も日本で暮らしながら精力的に作曲活動を続けているテリー・ライリー(1935年6月24日、米カリフォルニア州コルファックス生まれ)。その卒寿を一緒に祝いたいと、去る6月には盟友デイヴィッド・ハリントンがクロノス・クァルテットを率いて自腹で来日し、共演コンサートもおこなわれたが、この豪華ボックス・セットもソニーからの卒寿祝いということだろうか。箱に収められたのは、米CBSの「コロンビア・マスターワークス」レーベルからリリースされたライリーの初期4作品——『In C』(68年)、『A Rainbow in Curved Air』(69年)、ジョン・ケイルとのコラボ作『Church of Anthrax』(71年)、『Shri Camel』(80年)で、日本盤にはデイヴィッド・バーマンなど当時の制作プロデューサーたちによる詳細な回想録の完全和訳及び独自の解説文を収めたブックレットも追加されている。テリー・ライリーという音楽家が何者で、どういうことをやってきたのかが入門者にもよくわかるはず。
作曲家/演奏家としての60年以上にわたるキャリアにおいて、ライリーの表現スタイルや手法は時代と共に変化してきたわけだが、根幹となる部分、具体的に言えばミニマリズム、サイケデリア、ニュー・テクノロジーの活用、一種のガイア思想、即興、インド音楽、純正律といった特質はこの「コロンビア・マスターワークス」の作品群においてほとんど確立されていた。その後今日に至るまでの膨大な作品も、これらを土台として展開、深化してきたと言っていい。そういう意味でもこのボックスは、マニアにとってもライリー初心者にとってもありがたい。
ハ長調で書かれた53の短いパターン(フレーズ)の譜面を演奏者たち(人数も使用楽器も自由)が任意に繰り返す“In C”こそは、20世紀現代音楽の新しい扉を開いたアメリカン・ミニマリズムの金字塔である。64年に作られたこの曲はジャケット裏面に楽譜が印刷されたオリジナルLPではAB面に分断して収録されていたが、CDではもちろん途切れなしの全1曲。お披露目ライヴ時にエレキ・ピアノで参加したスティーヴ・ライヒはこの作品の革命的構造にインスパイアされ、以後、彼なりのミニマリズム道を開拓していくことになる。
アルバム『In C』の68年の録音に参加したニューヨーク州立大学バッファロー校演奏芸術センターのメンバーには、デイヴィッド・ローゼンブーム(ヴィオラ)やジョン・ハッセル(トランペット)、スチュアート・デンプスター(トロンボーン)など、その後前衛音楽シーンで活躍する作曲家/演奏家たちが名を連ねた。オープニングでピアノの高音パルスを叩き、最後までアンサンブル全体をリードしたマーガレット・ハッセル(当時のジョン・ハッセルの妻)とは、86年にカンのスプーン・レーベルからもソロ・アルバムを出すカトリーナ・クリムスキーその人である。
ちなみに、本作が録音された68年4月末といえば、カンもいよいよバンドとして始動した頃だが、そもそもイルミン・シュミットが欧州最先端の現代音楽を捨ててポップ・ミュージックに転向するきっかけも、66年の渡米時にテリー・ライリーやラ・モンテ・ヤング等による新潮流に触れたことだった。ライリーの自宅セッションにもしばしば参加したシュミットは、特別な演奏技術を持たない者でも参加できる新しい音楽に激しいショックを受けたという。リーダーを決めず、参加者ひとりひとりの自由意志でアメーバのように形が変わってゆくスポンテイニアスな本曲について、ライリーは後年こう語っている。「この曲では、良いアイデアを持っている音楽家どうしが演奏しながらお互いのアイデアをひとつにして音楽を作りあげていくことを学ぶ。それは今の世の中ではとても必要なことだと思う」。その表現の根底を貫く自律性とデモクラシー、あるいは一種のアナキズムこそは、カンの基本信条でもあった。
2024年暮れには、京都・清水寺の大舞台で日本人音楽家たちとライリーによるライヴ(ライリー自身が参加する実演はこれが人生最後と本人が明言)がおこなわれて大きな話題になったが、この曲ほどジャンルを問わず世界中の様々な音楽家たちから演奏/録音されてきたライリー作品は他にない。
厳格な理論に支えられた無調音楽が幅を利かせていた現代音楽シーンに向けてひとつの明澄なトーン(しかもハ長調)だけで切り込んだこのレコードは、ライリーが12音技法などを学んだカリフォルニア大学バークリー校の教授たちにショックを与え、音楽学部からは追放されたというが、批評家たちからは「20世紀の決定的な傑作のひとつ。新たな美学を定義する最重要作品だ」などと絶賛された。当時学生だった作曲家ジョン・アダムズは「驚くほど挑発的で、学術至上主義モダニズムの狭量で形式ばった世界に対してロバート・クラム(60年代アンダーグラウンド・コミックス運動の創始者)の中指を突き立てているようなアルバムだった」と回想している。
ライリーの音楽哲学あるいは生き方の基本理念が打ち出された『In C』に続き、翌69年に出たのが東洋/インドの香り濃厚な完全ソロ・ワーク『A Rainbow in Curved Air』だ。ロック/ジャズ・シーンにも強い影響を与えたこの名作は、私が初めて聴いた(高2の1975年)ライリー作品ということもあり、個人的にもとりわけ思い入れの強いアルバムだ。過去何度も書いてきた紹介文の中から2本だけ再掲しよう。
「これぞ聖典。新しい手法とスタイルで現代音楽のニュー・フェイズを提示し、更に70年代以降のロック/ジャズから今現在のエレクトロニク・ミュージックまで絶大な影響を及ぼし続けているという意味で、20世紀音楽史上最重要作品のひとつである。電子オルガン&パーカッションによる即興ソロ演奏を多重録音したアルバム・タイトル曲(LPのA面)では、左手がシーケンサーのように規則的に刻む奇数拍子の低音パターン上で、右手が東洋風のモーダル・パッセージを高速で展開してゆく。もう1曲(LPのB面)の〈Poppy Nogood and the Phantom Band〉は、タイムラグ・アキュムレイター(時間差集積機)なる独自開発のテープ・ディレイ・システム(言うまでもなく元祖フリッパートロニクス)を駆使した電子オルガン&ソプラノ・サックスの複雑な多重録音。ジョン・コルトレインのモード・ジャズやビル・エヴァンスの多重録音作品『Conversations With Myself』等とも絡めて語られるべきか」
「60年代、ひたすらドローンの強度と反西洋的/反近代的音響を追求し続けた頑固者のラ・モンテ・ヤングに対し、同じくミニマリストながら、テリー・ライリーはテープ・ループ・システムなどの新技術を用いての巧みな即興とか、モーダルでミステリアスなメロディ展開といった点でロックやジャズのリスナーに対する訴求力が強く、いわば“ポップな幻覚性”をもってロック・シーン(サイケ~プログレ)にも絶大な影響を及ぼした。その代表的アルバムが68年の『In C』と69年の本作だろう。電子オルガンが奏でる類型化した細かい音のモデュールが、テープ・ループ・システムによって次々と再生されてゆき、その微妙なズレの堆積の中、天空から光のシャワーが降り注いでくるようなマジカルな感覚が生み出されるアルバム・タイトル曲は、まさにサイケデリックそのもの」
あるいは、レッド・ツェッペリン『フィジカル・グラフィティ』の解析論考文中で「イン・ザ・ライト」に触れた箇所には「インド風味たっぷりのイントロ部分、キーボードのモーダルなうねりと弓弾きギターのドローン音が醸し出すヒプノティックなムードは、『A Rainbow in Curved Air』や『Persian Surgery Dervishes』といったテリー・ライリーの初期作品そのままである」なんてくだりもあったり。
ライリーがテープ・ループ・システムという新技法に取り組みだしたのはまだカリフォルニア大学バークリー校で学んでいた60年代初頭のことで、その技法を62~63年のパリ遊学時代に究めた彼は60年代後半にはソロ・ライヴで実践するようになった。また、パンディット・プラン・ナートの下で70年から本格的に学びだすインド音楽も、既に60年代から熱心に聴いていた。あるインタヴューで彼は、60年代前半にサンフランシスコでラヴィ・シャンカール&アラ・ラカのコンサートを聴いた時の感動と覚醒についてをこう語っている。
「アメリカでは彼らはまだ無名で、観客はその音楽に戸惑っていたけど、私にとってはまったく奇妙に聞こえなかった。ステージ上の2人は楽しそうで、素晴らしいジャズのやり取りを思い出させた。私は本当にそんなものに出会ったことがなかった。そして、それが自分の音楽が進むべき方向だと気づいたんだ」
当時の若者たちに対して本作が強い訴求力を持ったのは、これが反戦とラヴ&ピースの時代の空気にぴったり合致していたからでもあった。LPのジャケット裏に書かれた「そしてすべての戦争は終わった。あらゆる種類の武器は禁じられ、人々は嬉々としてそれらを巨大な鋳造所に持ち込み、武器は溶かされ……(略)すべての境界が消滅した……」という詩的文言が表明する一種のユートピア思想は、60年代から現在まで一貫してライリーの背骨になってきたものであり、それはたとえば宇宙探索をモティーフにしたクロノス・クァルテットとの共作『Sun Rings』(2019年)でもはっきりと謳われている。
『A Rainbow in Curved Air』の発売(69年10月28日)からわずか3ヵ月後に録音されたのが、ジョン・ケイルとのコラボ作『Church of Anthrax』だ。これは「前衛音楽とロックは接近してひとつになりつつある」と考えたジョン・マクルーアの提案で実現したもので、『A Rainbow in Curved Air』とほぼ同時期に録音されたケイルの初ソロ・アルバム『Vintage Violence』(70年3月発売)の翌71年にリリースされた。マクルーアはライリー、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドを抜けたケイルと同時期にアーティスト契約を結んだCBSコロンビアの統括ディレクターだ。ラ・モンテ・ヤング率いるドローン・コレクティヴ「シアター・オブ・エターナル・ミュージック」のメンバーとして60年代半ばからの友人だったライリーとケイルはマクルーアの提案を喜んで受け入れたが、具体的に案を練ったり意見をすり合わせる時間がなかったため、ほとんどスタジオ即興セッション風の録音になった。
準備不足だったことは、完成した作品からも伝わってくる。ケイルの生ピアノによるミニマルなコード・プレイにライリーのソプラノ・サックス多重録音が蔦のように絡みつく「ヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊(The Hall of Mirrors in the Palace of Versailles)」はまさにこの2人ならではの世界だが、残りの4曲ではケイルの腕力の強引さ(英ウェールズの炭鉱町育ち!)がしばしばライリーの魅力をかき消してしまっており、全体的に中途半端な印象は否めない。ライリーは、録音セッション自体は楽しんだものの、完成した作品にはかなり不満があったようで、後年こんな発言をしている。
「最終的なミックス作業の際、既に録音済みのトラックにジョンが大量のエレキ・ギターを重ねだしたため、私が大切にしていたキーボードの演奏が聴こえにくくなってしまった。このことで意見が衝突し、私はミックス作業の途中で退席した。結局アルバムは、私抜きでジョンとマクルーアによって完成させられた。そのことで精神的に疲弊した私は、ニューヨークの部屋を引き払い、カリフォルニアに戻ることにしたんだ」
と言いつつも、ライリーはケイルの音楽家としての才能は十分認めていたし、時の流れと共に、ロック的な彼らのやり方にも一理あったと思うようになり、90年頃には『Church of Anthrax II』を作ろうとケイルに提案したという。しかしケイルはコラボ作ではなく、自分がライリーのソロ・アルバムをプロデュースしたいと主張したため、結局企画はご破算になった。ケイルがプロデュースしたライリーのソロ・アルバムってのも聴いてみたかったが。
ちなみに、ケイルが書いたヴェルヴェッツ風のヴォーカル入り曲“The Soul of Patrick Lee”で歌っているアダム・ミラーは、当時ケイルと親しかったシンガー・ソングライターで、ケイルがプロデュースしたニコの『Desertshore』(70年12月発売)にもコーラスとハルモニウムでゲスト参加している。また、2人のドラマー、ボビー・コロンビーとボビー・グレッグは、前者がブラッド・スウェット&ティアーズのリーダーで、後者はボブ・ディランやサイモン&ガーファンクル他の作品でも活躍した敏腕セッションマンだ。
『Church of Anthrax』からなんと9年。「マスターワークス」からの最終作として80年にリリースされたのが『Shri Camel』だ。70年1月に『Church of Anthrax』を録音して間もなくライリーは、北インド古典音楽キラナ派の声楽家パンディット・プラン・ナートの正式な弟子となり、インド音楽に没入していった。60年代後半、ライリーと親友ラ・モンテ・ヤングは一緒に、プラン・ナートのラーガ歌唱を収めたテープを熱心に聴き、心酔していたという。当初、多少のためらいもあったライリーの弟子入りは、先に入門していたヤング&マリアン・ザズィーラ夫妻から背中を押されてのことでもあったようだ。プラン・ナート自身はヒンドゥー教徒だが、生まれ育ちはパキスタンのラホールで、音楽の師もイスラム教徒だったせいか、両方の教義を守り、その歌唱にもスーフィズム(イスラム神秘主義)の色が濃い。プラン・ナートはまた、ラーガ(インド音楽の旋法)の伝統を重視しつつも、ラーガを通して自由に表現することを心掛けており、その開かれた姿勢にライリーは強く惹かれたという。弟子入り後のライリーは毎年のようにインドに赴いてラーガの習得に励んだ。「特に70年代の前半は、だいたい1年の半分はインドで修業し、半分はヨーロッパやアメリカで演奏したりプラン・ナートのライヴを企画・運営したりしていた」という。
彼は既に60年代後半から譜面を書かずオルガン+テープ・ディレイ・システムで自由に即興演奏するようになっていたが、70年代の厳しい修業に伴いその表現はインド音楽とスーフィズムのニュアンスをどんどん強めていった。そうしたスタイルの総決算とも言うべき1枚が、このアルバムである。西ドイツのラジオ・ブレーメンからの委嘱で75年からプロジェクトがスタートし、76年に最初のヴァージョンを上演。改良を重ねて77年にサンフランシスコで録音され、80年にリリースされた。
リボンコントローラーやタッチヴィブラートなどシンセサイザー的機能も備えたライリーの愛機「ヤマハ YC-45D コンボオルガン」(マイルズ・デイヴィスも使っていた)を純正律にチューニングしているのはいつもどおりだが、ここでは2台のテレコによるタイムラグ・アキュムレイターの代わりにデジタル・ディレイ・システムを使い、16チャンネル・テレコで録音している。結果、サウンドの質感は以前とはちょっと変わっている(クリア化)が、格段に細分化された純正律音が揺らめきながら複雑に絡み合い、多層化し、全体の構造が迷宮性を深めている。旋律のつらなり方からは、ライリーがいかにラーガを習得してきたか、そしてジャズをどれほど深く愛しているかがはっきりと窺えよう。また、最後に収められたスペイシーな大曲「氷の砂漠(Desert of Ice)」などは、本作が作られていた頃に出たアシュラ/マニュエル・ゲッチング『New Age of Earth』(76年)との共振も感じさせる。
ライリーは本作の録音後まもなく、クロノス・クァルテットとの出会いをきっかけに譜面での作曲を再開し、クラシック(現代音楽)の世界にも純正律を取り込んでゆくわけだが、純正律の魅力については、ラ・モンテ・ヤングの金字塔的作品「The Well-Tuned Piano」(64年から作曲し始め、87年に5枚組LPとしてリリース)を引き合いにだしながら、こう語っている。
「『The Well-Tuned Piano』は、純正律のピアノ音楽における真の偉業であり、私自身もこの方法で音楽制作に取り組みたいという気持ちにさせてくれた。純正律にチューニングし直すと、ヨーロッパのピアノとは全く異なる、より純粋で豊かな音色になり、様々な表情が生まれてくる。倍音成分が互いに共鳴し合い、独特の響きになるんだ。ピッチ自体がひとつの作品と言えるだろう」
この作品によって60~70年代のライリーの表現は集大成された感があるが、そこに至る流れを詳細に把握し、ライリーの本質により深く触れたい人には、70年代に様々なレーベルからリリースされたヒプノティックな作品群を聴くことをお勧めする。たとえば、71年ロサンジェルス&72年パリのライヴ音源集『Persian Surgery Dervishes』(72年)、75年ベルリンでのライヴの記録『Descending Moonshine Dervishes』(82年)、『Happy Ending』(72年)や『Le Secret De La Vie』(75年)といったサントラ盤、あるいは82年にミュンヘンで録音された『Songs for the Ten Voices of the Two Prophets』(83年)等々。「ミニマル・ミュージックの作曲家というよりはサイケデリック・ミュージシャン」を自認するヒップな修行僧の姿をはっきりと確認できるはずだ。
イギリスの即興集団AMMの活動でも知られるドラマー/パーカッショニスト、エディ・プレヴォが9月末から10月頭にかけて15年ぶりの来日公演を行った。これが最後の来日公演になる可能性が高いという。プレヴォといえば半世紀以上前にフリー・インプロヴィゼーションの新しい領域を切り拓いた、まさに歴史上の人物であり、「生ける伝説」である──半ばそうした思いも抱きつつライヴへと足を運んだところ、伝説と呼んでしまうのはとんでもない、ただただ現役のミュージシャンとして非常に素晴らしかった。終演後には短い時間だったが取材ができ、ライヴの所感や音との向き合い方など、エディ・プレヴォ本人から貴重かつ示唆に富む証言──彼は自らを「旧石器時代の洞窟人」に喩える──を得ることもできたので、ここにライヴ・レポートを兼ねて記すことにした。なぜ彼があのように独創的な表現へ至ったのか、その核心が垣間見える証言になったのではないかと思う。

まずは駆け足で来歴を紹介する。エディ・プレヴォは1942年生まれ、御年83歳。1965年にキース・ロウ、ルー・ゲアとともにAMMを設立し、1967年には名盤『AMMMusic』(1966年録音)を世に送り出す。当時プレヴォはまだ20代半ばだった。AMMの歩みについては拙稿*を参照いただきたいが、プレヴォによれば、もともとモダン・ジャズのドラマーとして活動していたものの、「(……)流れが重なってルーとキースと私が集まり、当時の正統派から離れていくようになった。アルバート・アイラーやオーネット・コールマンといった人たちに触発されて、彼らが『不従順でいていい』と許可を与えてくれたようなものだった。そこから発展していった」という**。しかし他方、アメリカにおいて公民権運動と連動して発生していたフリー・ジャズのムーヴメントという文脈はイギリスにはない。つまりアイラーやオーネットの「不従順さ」をそのまま踏襲することはできないとも考えていたようで、「私たちは、1965年のロンドンに暮らす若い三人の男として、シカゴやニューヨークに暮らす黒人の若者たちと同じ人生経験や文化的背景を持っていないことを、早い段階で理解したと思う。彼らの音楽をそのまま演奏するのは馬鹿げているように思えた。だから私たちは、自分たち自身の音楽を発明しなければならないと決めた」ともプレヴォは話す。「自分たち自身の音楽(our music)」を追求することから、アメリカのフリー・ジャズとは異なる、イギリスならではのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックを開拓したのである。
ドラマー/パーカッショニストとして活動するかたわら、エディ・プレヴォは1979年にレーベル〈Matchless Recordings〉を設立。さらに執筆活動も行なっており、1995年に最初の著書『No Sound is Innocent』を刊行している。プレヴォは1960年代のイギリスにおけるフリー・ミュージックの開拓者の一人であるが、同時に、とりわけ1990年代以降、即物的な響きにフォーカスしたいわゆる音響的即興の領域において新たなサウンドを開拓した人物でもある。ドラムセットを四肢を駆使して巧みに演奏するだけでなく、シンバルや金属類を弓で擦り、物と物を接触させ、振動現象を引き起こし、その響きの生成と変化を見つめる──そうしたアプローチはAMM(メンバー変遷を経てエディ・プレヴォ、キース・ロウ、ジョン・ティルバリーのトリオに落ち着いた)でも聴かせていたが、ソロ・アルバムとしては、フリーフォームのドラミングと音響的アプローチの両面を捉えた1996年リリースの『Loci Of Change (Sound And Sensibility)』に最初の成果が結実している。とはいえ、フリー・ジャズにせよ音響的即興にせよ、プレヴォからしてみればそれぞれの異なる領域を開拓したわけではなく、1960年代から一貫して音の探求を続けてきた足跡が、振り返るとそれぞれの領域の開拓者に見えるというに過ぎないのだろう。その意味でドラムセットの演奏も打楽器から振動現象を引き起こす試みも地続きであるのではないだろうか。

この度の来日公演は、もともとプライベートで日本を訪れる予定だったものの、AMMがSachiko Mと共演した2004年録音の発掘盤『Testing』が今年リリースされたことがきっかけとなり、ライヴの企画へと発展していったという。エディ・プレヴォは2000年にAMMで来日ツアーを行なっており、その10年後の2010年にはサックス奏者のジョン・ブッチャーとのデュオでやはり来日ツアーを敢行。それから15年が経った2025年、単独での来日が実現することとなり、9月26日から28日にかけて渋谷公園通りクラシックスで3Days公演が開催された。このうちわたしは27日と28日の公演に立ち会うことができた。なお10月1日には神保町試聴室で、10月3日には両国門天ホールで、それぞれ異なるゲストを迎えてライヴが行われた***。

渋谷公園通りクラシックスにおける3Days公演の二日目は、Sachiko M(サイン波)と大友良英(ギター)とのデュオをそれぞれ1セットずつ行った。ステージには向かって左側にドラムセットが設置され、右側には大太鼓や打楽器類が置かれていた。1stセットのSachiko Mとのデュオでは、エディ・プレヴォは右側の打楽器類がセッティングされた場所に座り、シンバルの弓奏や大太鼓を擦ったり叩いたりすることで音響現象を発生させていくアプローチの演奏を行った。静謐な空間に微かなサイン波の持続音とシンバルを擦る響きが広がっていく。かつて弱音系即興とも呼ばれた、静けさ、沈黙、間、音のテクスチュア、空間性、余韻などが辺りを満たしていくような緊迫した空気。途中、客席から椅子の軋みや足音、ドアの開閉音も闖入したが、そうした音が気にかかるほどには繊細な演奏だ。面白かったのは、エディ・プレヴォの演奏はまるで電子音響のようにアンフォルメルで抽象的だったのだが、他方にSachiko Mのサイン波が鳴り続けているために、むしろプレヴォが演奏する音の身体的な揺らぎ、楽器的なノイズなどの微細な差異が際立っていた点だった。約40分ほどの演奏を終えると、休憩を挟んで2ndセット、大友良英とのデュオへ。こんどはプレヴォはステージ左側のドラムセットに着席する。互いに様子を窺いながら、探り合うようにセッションが始まった。大友がヴォリュームペダルを駆使したノンイディオマティックなギターで仕掛けると、プレヴォはブラシワークを皮切りにジャズ・ミュージシャン時代を彷彿させるような流麗かつ激しい演奏を展開していった。シンバルを弓奏することで繊細な音響を紡ぎ出すイメージが強かっただけにこうした目紛しいスティック捌きには驚いてしまった。手数の多いフリーフォームなドラミングに、大友もギアが入ったのか、徐々に大友良英らしいノイジーなギター・サウンドも織り交ぜていく。静謐な緊迫感に満ちた1stセットとは一転、火花を散らすような濃密なやり取りを約30分にわたって繰り広げた。

3Days公演の三日目は、ゲストにサックス奏者の松丸契、パーカッショニストの松本一哉を迎え、エディ・プレヴォがそれぞれとのデュオ・セッションを行った。プレヴォの希望もあってこの日は比較的若い世代のミュージシャンとの共演となったそうだが、結果として、まさにグッド・チョイスと言いたくなる組み合わせだった。1stセットは松丸とのデュオ。前日と同じくドラムセットと打楽器類、それぞれ二箇所の演奏場所が設けられ、松丸とのデュオではプレヴォはドラムセットを使用した。乱れ打つパルス・ビートに加え、時にシャッフル・ビートさえ取り入れたジャズ要素のあるプレヴォのドラミングに対し、松丸はサックスとは思えぬ音響の万華鏡的な広がり、高速フレーズ、さらには軋るような咆哮も放ちながら応じていく。触れたら切れてしまいそうなほどの緊張感だ。冒頭はリラックスしているように見えたプレヴォも、松丸の演奏に接して並々ならぬものを感じたからか、途中、二回ほどスティックを落下させてしまっていた。いや、現実には単に手が滑っただけなのだろうけれど、それほど興が乗ってきたと思えるほどの真剣さと愉しさに溢れたやり取りに聴こえた。同時にプレヴォはさすがは百戦錬磨のインプロヴァイザーでもあり、松丸の演奏を上手く引き立たせる術を心得ていたようにも感じた。中盤ではプレヴォがフレーズをリズミカルに反復させ、松丸のサックスの叫びと合わさって祝祭的な空気さえ醸し出していた。演奏時間は約30分。続いて休憩後、2ndセットで松本一哉とのデュオが始まった。松本はステージ中央に巨大な銅鑼を置き、その前に波紋音などの打楽器類を設置。プレヴォはドラムセットではなく打楽器類がセッティングされた場所に座った。パフォーマンスが始まると、松本は何かを探索するようにステージ周囲を歩き回る。無音状態が続き、プレヴォが先にシンバルの弓奏を始めた。だがその後、松本がタイミングを見計らって銅鑼に近づき、ゴム製のマレットで擦ると、まるで人の声のような、あるいは電子音のような、摩訶不思議なサウンドが鳴り響いた。巨大な銅鑼を見て力強い打撃音を想像していた向きには驚きが走ったことだろう。実際、銅鑼の響きを聴いた瞬間、プレヴォは「Wow!」といったふうに目を見開き、自らも銅鑼のような打楽器を用いた演奏へとシフトしていった。楽器から物質へと還元された素材が生み出す、音楽と名前がつく手前にあるような音響現象の交感。後半では松本は波紋音などを叩き音階を出していき、プレヴォもシンバルや金属類、弓などを組み合わせて応じていった。セッションは最後、両ミュージシャンが演奏を止めた後もしばし無音が続き、プレヴォがタオルを手に取ると、万雷の拍手によって約30分のパフォーマンスが締め括られた。

83歳という年齢を全く感じさせないパフォーマンスだった、というのが、エディ・プレヴォの演奏を観た率直な感想である。むろん若い頃に比べて肉体的な変化は否応なくあることだろう。とりわけドラムセットや打楽器は身体の動きが演奏に直結する楽器でもある。しかしそれらのことを踏まえた上で、プレヴォは彼自身が積み重ねてきた音に対する向き合い方を、むしろ今現在でなければ表現できないような、探究と経験に裏打ちされた最良の形でパフォーマンスとして披露していたように思う。それと共に思ったのは、現役のミュージシャンとはいえ、やはり、エディ・プレヴォはフリー・インプロヴィゼーションの領域を切り拓いたパイオニアの一人なのであって、彼が開拓した世界のその先に、Sachiko Mや大友良英がおり、そして松丸契や松本一哉がいる、ということだった。それは必ずしも直接的な影響関係を意味するわけではない。だが、日本勢のゲスト・ミュージシャンたちの表現の節々に、プレヴォの音楽的実践の残響のようなものが谺しているとも感じたのである。もしもプレヴォがいなければ、即興を主体とする自由な音楽の現在のありようは、少なからず異なるものとなっていたのではないだろうか。パイオニアの一人と、彼が切り拓いた地平のさらに彼方で新たな試みに挑む最先端のミュージシャンが、邂逅する——もしも歴史上に刻まれる「伝説」なるものがあるとしたら、まさにこの来日公演がそうだったと言えるのかもしれない。****

3Days公演最終日の終演後、エディ・プレヴォに少しだけ取材をすることができた。親子どころか孫ほども世代が離れたミュージシャンとの共演について、彼がどう感じたのか、素朴に気になったことを投げかけてみた。すると彼は優しげな微笑みを浮かべながらこう話してくれた。
「若い音楽家たちがこの音楽を演奏していることを、私は喜ばしく思う。世界中にコミュニティが広がり、成長しているようだ。彼らは自分たちが何をしているのか完全には意識していないかもしれないが、安易な商用音楽や、息苦しいアカデミックな音楽とは違う何かを作ろうとしている。彼らは自分たちのアイデンティティを築きつつあり、志を同じくする人々と共に活動している。私はそのことをとても嬉しく思う。彼らは本当に刺激的だった。競争的ではなく、しかし同時にサウンドやその源を自在に操る力を持っていた。私は彼らがそれをさらに発展させるだろうと思うし、それこそがまさに正しい心構えだ。私たちはその姿勢を育み、励まし、応援していく必要があると思う」(エディ・プレヴォ)
さらに共演について掘り下げて話を訊いていくと、エディ・プレヴォは自らを「旧石器時代の洞窟人」に喩えて、音とどのように向き合っているのかを語ってくれた。彼は「突飛に聞こえるだろうか?」と冗談めかした笑いを浮かべたが、その話を聞いたわたしの頭に過ぎったのは、誰あろうデレク・ベイリーのことだった。年齢的にはプレヴォよりも一回り年上(1930年生)であるものの、そしてプレヴォとは当初別のシーンに属しながらも、しかし同じように1960年代のイギリスでフリー・インプロヴィゼーションの新しい領域を切り拓いたベイリーもまた、人類最初の音楽演奏は自由な即興以外あり得なかったはずだと、かつて主張したことがあったのだった。その意味でプレヴォの比喩は突飛に聞こえるどころか、むしろ、音楽の普遍的かつ根源的な思想および実践に触れている話だと思ったのである。
「(今回の共演は)どちらもチャレンジングだったが、それぞれ違った形での難しさがあった。私はまだ、自分がAMMで演奏するときに使っているのと同じアプローチを適用していた。音を探す、素材が何をできるのかを見極める。私はそれを見ている。その物質の織り目を、そして『これをやったら何が起きるのか?』ということを。私がそうやったときに何が起こるのかを観察し、どうすればそこから一番いい音を引き出せるかを考えている。私は自分を──これは複雑だが──旧石器時代の洞窟人のように見ている。5万年前に生きていた人間のことだ。彼らは全く違う文化を持っていたが、同じような願望を抱いていた。同じ身体的な機能を持ち、同じように考えていた。進化生物学者たちは、5万年前のホモ・サピエンスは今の私たちとほとんど変わらなかった、と言っている。だから私たちの反応もそれほど違わないはずだ。文化は違うがね。私は彼らが音楽をつくっていたときのことにインスパイアされる。彼らはどのようにして、何を考えながらそれをしていたのか? 彼らは現代のような理論を扱っていたわけではない。トニック・ソルファやメトロノームのことを考えていたわけではない。そんなものは持っていなかった。だから彼らは素材を探り、音を探求していた。そしてしばしば、私が『創造の洞窟』と呼ぶ場所──つまり壁画が残っている洞窟の中でそれを行っていたのだ。私はある程度の確信をもってそう言える。というのも、考古学者たちはそうした場所の発掘で骨笛を見つけているからだ。つまり絵が描かれた場所は、同時に音を生み出す場所でもあった可能性が高い。では彼らはどうやっていたのか? なぜそうしていたのか? それこそが私を魅了するところであり、私は自分をその洞窟の中に想像しようとするのだ。『ここが洞窟だ』と思い、音を探している。自分の持っている素材から、面白い音を引き出そうとしている。それは狂気じみているだろうか? 馬鹿げすぎているだろうか? とんでもなく突飛に聞こえるだろうか?——まあ、老人の戯言はこのくらいにしておこう」(エディ・プレヴォ)
* 細田成嗣「大胆不敵な音楽の熟達者たち――AMM論」(ele-king ウェブ版、2018年8月22日公開)https://www.ele-king.net/columns/006473/
** エディ・プレヴォの発言は全て当日の取材で本人から聞いた内容を引用している。
*** 10月1日の神保町試聴室では佐藤允彦、八木美知依と共演。10月3日の両国門天ホールは池田謙との「間に在るもの」と題したコンサートで、ゲストで遠藤ふみが出演した。
**** なお、渋谷公園通りクラシックスでの3Days公演に関しては、ライヴ録音が行われていることもアナウンスされており、いずれ録音作品としてリリースされる予定があるようだ。さらに公演当日は撮影も行われていた。撮影を担当した映像作家でドキュメンタリー映画『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』の監督でもある青山真也によれば、映像もいずれなんらかの形で世に出すことを予定しているとのことである。

