「AY」と一致するもの

DJ Doppelgenger - ele-king

 先日マーラは、ペルーを訪れ、現地のミュージシャンとの出会いをまとめたアルバムを発表したが、埼玉を拠点に活動するDJドッペルゲンガー氏も旅するダブステッパーで、彼の音楽には彼が旅で経験したアジアが散見される。2012年にアルバム『paradigm shift』でデビューして以来、インドやタイをまわり、また日本の地方のいたるところをDJで訪ねている。ドッペルゲンガー氏は、この度、ドラマーの武田充貴とTHEUSなる新プロジェクトによるアルバム『 Just to of THEUS』を自身のレーベル〈GURUZ〉よりリリースする。これがなかなかの作品で、強力なドラミングとハイブリッドなセンスが、ベース・ミュージックを別次元のところに押し上げている。
 またリリースにともなって、全国20箇所のツアーをおこなう。近くの方は注目して欲しいっす。

THEUS [ Just to of THEUS ] Release tour 2016

7/9 clubasia 東京-Tokyo
7/10 戦国大統領 大阪-Osaka
7/30 triangle 大阪-Osaka
8/11 ヒソミネ 埼玉-Saitama
8/12 NALU 茨城-Ibaragi
8/13 FREAKY SHOW 静岡-Shizuoka
8/14 OCTBASS 筑波-Tsukuba
8/27 蔵王龍岩祭 山形-Yamagata
9/2 Venue 長野-Nagano
9/3 Django 金沢-Kanazawa
9/9 DOPE 岩見沢-Iwamizawa
9/10 DUCE 札幌-Sapporo
9/21 LOVEBALL 沖縄-Okinawa
9/24 ビッグハート 出雲-Izumo
9/25 印度洋 山口-Yamaguchi
9/30 FLAVA 町田-Machida
10/1 SPICE DOG 伊豆-Izu
10/14 graf 福岡-Fukuoka
10/21 Club No.9 岡山-Okayama
10/29 OPPA-LA 神奈川-Kanagawa

7.9 SAT
ASYLUM「THEUS 1ST ALBUM-Just to of THEUS-Release Party」
@clubasia
Door:3000yen W/F:3000yen/1D ADV:2500yen/1D(clubberia)

◎MAIN FLOOR
THEUS
NOGEJIRO(NOGERA&KOJIRO)feat ブラボー小松
O.N.O a.k.a MACHINE LIVE (struct,TBHR)
KILLER BONG DJ SET (Black Smoker Records)
刑⚡︎鉄(ロベルト吉野&高橋'JUDI' 渓太)
Dr.WAXMAN
RAW a.k.a ACID BROTHERS

DECO:〼(meL-hen)
VJ mitchel

◎SUB FLOOR
THE 天国畑JAPON
The↑↓←→
ソリドリズム(DJ 識+武田充貴)
AKI PALLADIUM
TERUBI
FASHION HEALTH

VJ GENOME
TV DECO:Okabe Yuki+TeT(FRASCO)
LIVE PAINT:HISA

◎B1F
Tamotsu Suwanai (Wax Alchemy)
Reina×massive
mig×HI≒RO
PRETTY PRINCE×SECRET-T
kilin
yuitty

THEUS ART EXHIBITION:JAMY VAN ZYL,RURICO TAKASHIMA
占い:霹靂火龍角
出店:神眼芸術
KARMA SUTRA

 


THEUS - Just to of THEUS
GURUZ
Amazon

Various Artists - ele-king

 わたしたちはどこから来たのだろう? アメリカの音楽家たちが繰り返し実践してきたその問いが、いまこそ切実な問題として立ちあがっている。オバマの8年間でアメリカはもっとも二分したとも言われているが、なにもオバマの政治のせいだけではないだろう。オーランドーで発生した最悪の銃乱射事件がすぐに政治的な議論にスライドしているように、非常事態はいま目の前にあって、だがそれすらも分断された立場からのステートメントとして利用される。わたしたちはどこから来たのだろう……理念はどこにあるのだろう。ケンドリック・ラマーとビヨンセはアフリカを向き、ボブ・ディランはフランク・シナトラの時代の「スタンダード」をさらに探究する。そしてインディ・ロックのコミュニティはここで、60年代の西海岸との繋がりを思い出そうとする。

 2009年に発表されたエイズ・チャリティを目的とする『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』は当時のUSインディ・ロック・シーンの充実を示したランドマーク的なコンピレーションだったが、本作はその続編であり、そしてザ・グレイトフル・デッドのトリビュート・アルバムである。キュレーターは引き続きザ・ナショナルのサウンド面を担当するアーロンとブライスのデスナー兄弟だ。完成までにおよそ4年の時間がかけられたという本作は、全59曲、CDにして5枚組、全部通して聴けば6時間近くかかるという正真正銘のエピックだ。ザ・ウォー・オン・ドラッグスからはじまるように基本的には現在のインディ・ロック・シーンを中心としており、ザ・フレーミング・リップスやボニー“プリンス”ビリー、ウィルコ、ビル・キャラハンといったベテランからジム・ジェイムス(マイ・モーニング・ジャケット)、ジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)、グリズリー・ベアといった中堅どころ、コートニー・バーネットやパフューム・ジーニアス、リアル・エステイト、アンノウン・モータル・オーケストラなどなどイキのいい新世代が参加している。だがそれだけでなく、現在のトレンドのひとつでもあるクラシック勢としてはyミュージックはアノーニとやっているし、タル・ナショナルのようにアフロ・ポップもあればラテンもジャズもパンクもあり、なんとティム・ヘッカーまでいる。いずれにせよ書き切れないのでラインアップはHPを参照していただきたいが、いまもUS(インディ・ロック・)シーンに音楽的な充実があるのだと証明するような気迫が感じられる。

 HPには、これは「隠された宝」なのだと説明されている。隠された……僕は『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』のアメリカーナ解釈のほかにもボブ・ディランのトリビュート・アルバムにしてトッド・ヘインズの映画『アイム・ノット・ゼア』のサウンドトラックでもあるコンピレーションを連想したが、しかしディランのような絶対的な存在と比べるとたしかにデッドはどこかで忘れられかけた存在だったのかもしれない。歴史的にカウンター・カルチャーはたしかに瓦解したし、そんななかでも熱心な信奉者が多く存在するがゆえにこそ、一時はアンクールなものとしてみなされることもあったろう。その意味では本作では批評性もありつつ、同時にデッドに対する――まず何よりもその音楽に対しての――素朴な愛と尊敬がある。僕などは聴いていて単純に「こんなに名曲揃いだったんだな」とあらためて感心したし、基調はレイドバックしたロック・サウンドなのでいまの気分ともフィットする。ブルーグラス・シンガーの大物、ブルース・ホーンビィとジャスティン・ヴァーノンのデュエットはほとんどボン・イヴェールを聴いている感覚に近いし、ティム・ヘッカーはほとんどオリジナル曲のようで笑えてくる。59曲というボリュームも逆に言えばどこから聴いてもいいし、自分でプレイリストとして編集できるということでもあり、まさに聴き手に能動的な発見を促すものとなっている。

 だから大前提として音楽的な批評と挑戦が本コンピレーションの目的だが、それでもなぜザ・グレイトフル・デッドなのかは一考の余地があるだろう。サイケデリック・カルチャーのアイコンとして手放しで礼賛しているようではないし、なにせ60アーティストも参加しているのだからそれぞれで思想や政治的立場は異なるはずだ。だが、それでも……聴いているとヒッピー・カルチャーの匂い、ないしはLSDの幻覚をどこかで錯覚するような気分になってくる。たとえばピッチフォークは、ミュージック・コンクレートの要素やカウンター・カルチャーの再考という面から21世紀初頭のフリー・フォークとの連続性を指摘している。社会からの逸脱、コミューン、ドラッグとジャム・セッション、スピリチュアリズム……その60年代の夢が、本当に過去のものになったのかを本作は問いかける。参加したアーティスト自身に、そして聴き手に。そして『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』がそうであったように、このコンピレーション自体がいまのアメリカにおけるひとつの緩やかなコミュニティとして存在しているのだ。立場も出自も異なる者たちが、それでも集える「夢」はまだ存在するのか、と。ゆえに非常にアメリカ的なイシューが内包されたものではあるが、日本の片隅で聴いていてもその「夢」を想像させる力が宿っている。

 デッドのメンバーであるボブ・ウィアーはウィルコとザ・ナショナルといった本作を代表する人気バンドとライヴ・テイクで共演しており、そこでは頬が思わず緩んでしまいそうな大らかな演奏が繰り広げられる。過酷な時代からただ逃避するためのサイケデリアではなく、いま一度同じ場所に集まるためのロック・ミュージック、その遺産がそこでは鳴らされている……そして愛が。現代のインディ・ロックの理想主義はなにもバーニー・サンダースの集会にのみあるわけではない……音楽のなかにこそあるのだと、この豊かな6時間からは伝わってくる。

HOBOBRAZIL(bonobo) - ele-king

最近の家聞き10選

 S.L.A.C.K.の音楽に出会ったのは、震災が起きた2011年。僕は受験に失敗して浪人していた。当時、僕は何かできることはないかと思い、いろいろ試してみたが、ボランティアとして福島に行っても、自分の無力を痛感するだけだったし、熱心にニュースをチェックしても、気分が落ちるだけで、変哲のない日常が溶け落ちていくのを目の当たりにしながら、鬱屈としていた。そんなとき、S.L.A.C.K.は僕を惹きつけ、救いあげてくれたように思う。それから僕は彼に心酔してしまい、今までその仕事を追いかけてきた。

 S.L.A.C.K.の音楽は第一に、音として素晴らしい。そして本人も、歌詞よりも音として聴いてほしいと複数のインタビューで答えている。だから、本当ならまず音について書くべきだろう。しかし、S.L.A.C.K.の魅力は単純な音の世界にはとどまらない。彼の歌詞やスタイルの中には、現代を生き抜くためのヒントや哲学が散りばめられているのだ。今回からの数回は、S.L.A.C.K.と5lack(現在はこちらの名義)を、僕がどうやって楽しんできたのかを様々な面から紹介していくが、第一回目はまず、S.L.A.C.K.の歌詞の世界を見て、どのような思想があり、僕が何に共感したのかをとりあげてみたい。(以下、歌詞は全て筆者の書きとりによるものなので、間違っていたらごめんなさい)


 出し抜けにこう言おう。S.L.A.C.K.の特異性は、徹底的な「緩さ」にある。S.L.A.C.K.はいままで聴いてきたどの日本語ラップとも異なり、ワルであることや、社会派であることを売りにはしておらず、なんでもない日々、言ってしまえば僕とあまり変わりのない普通の日常について、等身大でラップしていた。この音楽は文脈依存的になりがちな日本語ラップのコンテクストから、音の面でも、リリックの面でも、完全に切断されていたのだ。

 ファースト・アルバム『My Space』を聴いてみよう。ラップの中でS.L.A.C.K.は「普通の生活して楽しくできればいいと思うんだよ」と繰り返し、「スタバのスタッフの娘に恋をしたり」、「車でドンキまで散歩したり」、音楽を作ったり、SK8したり、夜中に友達とクラブに出かけたりといった、都会の普通の日常を全て肯定的に歌い上げている。世の中のしくみに「くそみてえだ」と唾を吐きかけつつも、「ネガティブは確かにstupidだろ?」と問いかけ、くだらないもの全てを嘲るようにして、口癖である「適当」を言い放つ。何もかも新しく感じ、こんな人がでてきたのかと思った。何よりも、この「緩さ」が自分の生活や気持ちにぴったりフィットしたのだ。

 この「緩さ」はなんだろう。ただのだらしない意味での緩さでないことは確かだ。S.L.A.C.K.は押し付けらがちなこの島の「現実」を、自分のものとしてブリコラージュし、生を肯定的に楽しもうとしている。少し長くなるが、今度はPSG「いいんじゃない」のS.L.A.C.K.のヴァースとフックを引用しよう。

 How many people? 少しはいるのかな? 今のその現状に満足してる奴 / Repeatする昔話はもう嫌 / 「なんでもいいけど、それでいいんじゃね?」なんて / きっとプラスに思ってたら未来は / 荒んだ闇 でたようなlineが / あいつのネガティヴに巻き込まれるな お前はお前さほらもっと上もっと上(元へ元へ) / 冴えない不安は慣れないだけさmy men / ぼーっとすればまたあったかくなるなんて / すました顔して自然でいればまた 時は知らぬ間 流れて離れ / AプランBプランいろいろあるけど思いついたなら行動 怖がらず行けよ / 明日の命はあるようで無いよ いつ死んでも後悔は無いと言えたなら


  クソみてえだけどそれでいいんじゃね それで それで
よくわかんないけど別にいんじゃね なんて 流して話
/うざったい都合忘れな なんとかなるってTo the top クソみてえだなんてすましていれば 先へ 先へ

 そう。ここにあるのは徹底的な緩さからくるタフネスだ。確かに現実を見渡せばクソなことはたくさんある。しかし、そんな周りのネガティヴなものに巻き込まれている暇はない。「うざったい都合」は忘れて、自分なりのトップを目指して、「先へ先へ」と進んでいく。

 なるほど確かに、この「緩さ」は日常を肯定的に生きていくタフネスをもたらすことがわかった。しかし、まだこれだけでは、S.L.A.C.K.の「緩さ」が「どこから来ているのか?」はわからない。だからもう一度、「そのタフな「緩さ」は何に由来するのか?」と、問わねばならない。

 その際にヒントになるのは、S.L.A.C.K.のラップ・スタイルだろう。脱力感とダウナーな調子に満ちた、「緩い」、彼のラップから受けとれるのは、表面的にはポジティヴな歌詞の内容とは対極的なネガティヴィティだ。S.L.A.C.K.はポジティヴではない。少なくとも、能天気なバカが不安を抱かないという意味でのポジティヴでは。むしろ、よれたビートに乗るS.L.A.C.K.のラップは、オフビートでリズムを刻み、不安定によれたまま転がり続けていく。

 このネガティヴな調子に乗って聴いていくと、S.L.A.C.K.の歌詞に通底するテーマが見えてくる。その一つが「死」だ。矢継ぎ早にいくつか引用する。

 いつも想う / 死ぬ前にきっと、もっと行けたなんて想うんじゃないか / 毎晩泣くようなネガティヴ 辛いLove / 笑ってるのも悪くないはず (S.L.A.C.K.『我時想う愛』「いつも想う」)

 「本番」ってただのかっこつけじゃなく死が訪れることを理解してるか?(5lack 『情』「気がつけばステージの上」)

 Move your body それすらもできなくなるのかな? / こんなとこで迷ってる暇はもうとうにない(BudaMunk『The Corner』「But I know」)

 また、先に引用した「いいんじゃない」でも、「明日の命はあるようでないよ / いつ死んでも後悔はないと言えたなら」とラップしている。そう、S.L.A.C.K.の「緩さ」はこの「死」のネガティヴィティの「ネガ」としてある。限りないように見える普通の日常もいつかは必ず溶け落ち、終わりがきて、ひとは死ぬ。この変哲のない日々には限界があるのだ。だったらその現実の中で、やれることをやっていくしかないし、ネガディヴでいても時間の無駄だ。もし今の現状に満足がいかず、「くそみてえだ」と、気持ちが落ちても、「すました顔して自然でいればまた」、時間が解決してくれるだろう。どうせ死ぬのなら、いま絶望していても仕方がないし、「こんなとこで迷ってる暇はもうとうにない」。僕らは「いつ死んでも後悔はないと言え」るように生きていくべきなのだ。

 これこそ、ネガティヴィティの先にある本物のポジティヴィティであり、諦めの諦めであり、絶望そのものの絶望であり、どんなに曲げられても決して折れることはない「緩いタフネス」なのだ。ここからさらに、S.L.A.C.K.の「適当」にある二面性、「緩さ」と混在する「真面目さ」が見えてくるが、その話は次回に譲ろう。

 “S.L.A.C.K.”、「緩さ」を意味する名を持つこのラッパーは、コインの裏表のように、彼が肯定的に歌い上げる普通の日常の裏側に、その日常の終わりを告げる死が待っていることを理解している。その上で、それでもなお、そしてだからこそ、この「くそみてえ」な現実の中で、緩く、タフに生き延びようと、自分に似た誰かにメッセージを飛ばしている。そこに愛以外の何があるだろうか。

 2011年3月13日、あの震災の2日後という驚異的な早さで配信されたこの曲のリリックで締めくくりとしたい。

We need love / But this is way / これがreal マジありえねえ / Yo 明日はMonday 命あるだけありがてぇ

  What's good 眠るハニーの隣 / 夢でみたよな現実 サイレンがなり / 押し寄せる津波 押し寄せる現実 / 夜が来るたびまた振り返る経験 / なあマジ、くらうな、もう無理か / よく考えな、こんな毎日のはずさ / 鎖が外れたら不安がおとずれた / 目の前かすれ、またLoveが溢れだす / I want wxxd beer もうどうにもならないような日 / 死ぬ前の感覚に、つかの間の涙 / Yellow Power気づきな、魂うずきだす / なあまだまだイケるぜMen / ネガティヴに奪われるなよ、お前のlife / お前のプランの続きを見してみ、何はともあれお前は生きている / 今一人なら、時間あるから / 普段しないこと考えてみな /あ、笑えてきた 先があるから / 人間としての本能割る腹 / 赤の他人も気付きな / 忘れてるなら彼女にキスしな / 終わりじゃない、これからが始まり / 愛すべき家族、仲間、日本の血 (「But This is Way」)

interview with Shuntaro Okino - ele-king

   沖野俊太郎は、ヴィーナス・ペーターという、その真価を未だ十分に認められたとはいえないセカンド・サマー・オブ・ラヴ直系のインディ・ダンス・サイケデリック・バンドフロントマン/ヴォーカリストとして知られている。彼は90年代初頭に世に出た新しい世代のなかでも、その才能とポテンシャルに比べ過小すぎる評価を受けたアーティストの筆頭格といっても過言ではないヴィーナス・ペーターの初期からの支持者として、ぼくもまたそんな現状に歯がゆさと苛立ち、ぼく自身の力不足をも感じてきた。

   しかし、沖野昨年リリースした、ソロとしては15ぶりのアルバム『F-A-R』は、そんな不当な評価をくつがえすに足る素晴らしい内容の復帰作として、ヴィーナス・ペーター以来の根強いファンのみならず、2000年代に国境を越え反響を呼んだ『LAST EXILE』や『GUN×SWORD』などのTVアニメの主題歌・挿入歌で彼を知った新しいファン驚喜させ、ひいてはヴィーナス・ペーターのさらなる再評価を促す最高傑作となった。

 

「全てあきらめてしまったわけじゃない/すこし疲れただけなんだ/心配なんかいらないんだよ」(“声はパワー”)

「オレは光/オレは光/闇夜/引き裂く/Im the light,everlast」(“The Light”)

「この夜にさよなら/この夜にさよなら/その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」(“この夜にさよなら”)

 

   アルバムの冒頭の3曲を聴いただけで、漲るような生命力と充溢を感じるF-A-R』は、インストのインタールードを除くすべての楽曲に自作の日本語詞が付いている。メジャー、インディーを問わず当たり前のように英語詞のバンドが受け入れられている現在からは考えられないほど、英語詞というだけで賛否を呼んだ(日本語詞で歌わないというだけで否定的な反応が多かった)過去の葛藤が嘘のように、飾らない言葉とあまくとろけるメロディ、これまでの音楽遍歴を血肉化した変幻自在のサウンドにのって、聴き手の体を揺らし、心を躍らせてくれる。

   93年、ヴィーナス・ペーターの〈トラットリア〉からのラスト・アルバムとなった『Big Sad Table』のなかで、「ほしいものは何もなくて/待つ者も誰もいなくて/のろのろ歩くしかなくて/見えてるものも見えなくなる」(“The Tripmaster Monkey”)と酩酊していた若き日の姿は、そこにはない。彼自身の人生観の変化と人間的成熟を感じポジティヴなトリップマスター、それが最新型の沖野俊太郎だ。

(あくまで私見だが、“宅録マスター”としての沖野の資質には、ぼくここ数年来、密かに耽溺しているマック・デマルコ、マイルド・ハイ・クラブ(アレックス・ブレッティン)、アリエル・ピンクといった、2010年代のデイドリーミングなローファイ・サイケ・ポップの精鋭たちと共振する先駆的センスを感じる)

 

   そして、この度リリースされた『F-A-R』と対になるリミックス・アルバム『Too Far』には、十代の頃、velludo(ビロードというバンドを共に組んでいた盟友・小山田圭吾(コーネリアス)をはじめ、サロン・ミュージック、シュガー・プラント、元シークレット・ゴールドフィッシュの三浦イズルと山本アキヲ、元スーパーカーのナカコー、GREAT3の片寄明人ら、90年代に同じフィールドを共有していた同世代、もしくは近い世代のアーティストから、リン・モリのように沖野とはこれまで接点のない若い世代のアーティストまで多彩なリミキサーが参加し、「遠くへ!」という沖野の呼びかけに対して「遠すぎるよ!」と賛辞を贈る最高にフレッシュなトラックを提供している。

 すべての創造行為は、どんなものであれ、作者自身のリアル・ライフと夢想との間に横たわる気の遠くなるような距離を、イマジネーションの力で超越する冒険だ。サイケデリアは逃避のための夢想ではなく、どれだけ遠くまで行けるかという人間の限界への挑戦なのだ。ロックは、何時でも現実と対決し乗り越えるための天啓となりえる。

 

「物語は自分次第でそう/変わっていくんだ/We are stories(“We Are Stories”)


 2016513日、ヴィーナス・ペーターの再結成時を除けば、95年のソロデビュー・アルバム『HOLD STILL-KEEP GOING』のリリース以来、21年ぶりの再会となった沖野とのインタヴューには、やはり同世代の盟友であり、当時ヴィーナス・ペーター、シークレット・ゴールドフィッシュ、デボネア、ビヨンズらが所属していたインディ・レーベル〈Wonder Releaseの創設者、現在は元銀杏Boyzの我孫子真哉らと共に注目の新レーベル〈Kilikilivillaを運営するDJ/ライター/オーガナイザーの与田太郎も同席、対話に加わってくれた。


■沖野俊太郎 / SHUNTARO OKINO
  (ex. Venus Peter / aka. Indian Rope / Ocean)
1967年3月23日、東京生まれ。1988年、小山田圭吾とvelludoというバンドでインディーズ・デビューするも沖野本人のニューヨーク行きにより活動停止。1990年、ニューヨーク+ロンドンから帰国後、Venus Peterに加入。〈UKプロジェクト〉及び〈ポリスター(trattoria)〉よりアルバム3枚を発表。1994年のバンド解散後、ソロ・アルバムを2枚リリース。小泉今日子他、アーティストへの楽曲提供を行うかたわら、2000年にはソロ・ユニットであるIndian Rope名義にてEP3枚、アルバム2枚を発表。テレビアニメ『LAST EXILE』(2003年)や『GUN x SWORD』(2005年)のテーマ曲や挿入歌の作曲でも知られる。2005年には1年のみの期間限定でVenus Peterを再結成。2006年には13年振りのアルバム『Crystalized』をリリース、ツアーも行う。2008年、Venus Peterのギタリスト石田真人とのニュー・プロジェクトOCEANのミニ・アルバム発表後、ソロ活動を続けながら昨年2014年にはVenus Peterの8年振りとなる新作『Nowhere EP』をリリース。2015年、ソロとしては15年振りのフル・アルバム『〈F-A-R〉』が完成。同年秋、サブ・プロデューサーであるタカタタイスケ(PLECTRUM)を含むバンド、The F-A-Rsを率いてライブ活動を再開。ニュー・アルバム 『〈F-A-R〉』を11月11日にリリース。2016年、アルバム『〈F-A-R〉』を総勢12組のアーティストによって再解釈したリミックス・アルバム 〈Too Far [F-A-R Remixes〉を発表する。

復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。


SHUNTARO OKINO
Too Far [F-A-R Remixes]

Indian Summer

Rock

Tower Amazon


SHUNTARO OKINO
F-A-R

Indian Summer

Rock

Tower Amazon

ぼくは『Too Far』、すごく好きです。いいトラックがいっぱいあるし、なによりも沖野くんのパワーが、参加したリミキサーの人たちにしっかり届いてる。みんなが沖野くんのセンスに共鳴していて、「沖野くんのこういうところがカッコいいんだよ」って、いろんな角度からプレゼンテーションされてる気がしました。その結果、それぞれのトラックを通してリミキサー自身の資質も見えてくる。そういう意味で、愛のある理想的なリミックス・アルバムだなと。リミックスって、オリジナル曲のトラックの中から「俺はここが好き」という部分を拡張して、さらにカッコよくするというのがひとつの理想だと思うのですが、ぼくの個人的な好みで選ばせてもらうと、断トツに好きなのがシュガー・プラントのリミックス(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)。これは超クール! 7インチ・ヴァイナルで欲しいなと思いました。

沖野俊太郎(以下沖野):レーベルの社長もあれがいちばん好きなんですよ。

構造的にはシンプルだけど、トラックを構成してる要素の一個一個が素晴らしい。ダンサブルなベースライン、クールなエレピ、そしてドラム・ブレイク。その上で沖野くんのヴォーカルが際立つという。余計なものが一個もなくて、本当に理想的だなと。ダンス・トラックとしても、リスニング・トラックとしてもいけるし、これぞロックだという感じ。2016年にそういう新作を聴けることがどれほどうれしいことか。
いまや“ロック”という言葉や概念そのものが完全に形骸化して、とっくに終わっているようにみえるけど、ぼくは、ロックは死ぬ、しかし何度でも蘇ると思ってるんです。誰か一人でもロックに価値を見出せたら、ロックは生きてると。そういう意味では、沖野くんがロッカーとして、いまの日本に存在しているという事実が、すごくうれしい。この曲(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)聴いてると、気分が上がる。オープニングの三浦イズルくん(The Lakemusic)の“I’m Alright,Are You Okay?(lady elenoa mix) ”も最高にいい。この2つのトラックに挟まれた他のトラックも、みんなそれぞれの佳さがあって、とても楽しめました。
沖野くんは「感覚だけでいままで生きてきたし、音楽を言葉で説明するのが好きじゃない」と言う。その気持ちもわかる。だけどカルチャーって、作り手に対する受け手の「俺は、私はこう受け取った」という解釈があって、つまり双方向のコミュニケーションがあってこそ成り立つものじゃないかな。良質なジャーナリズムがロックのカルチャーに貢献することがぼくの理想で、そういう意味でライティングにも力を入れて世代間を繋ごうとしている、与田(太郎)さん(kilikilivilla)の最近の活動にもすごく共感しています。『Too Far』というこのリミックス・アルバムは、オリジナルの『FAR』が企画されたときから両方出そうと考えていたのですか?

沖野:いや、ぜんぜん考えてなくて。コーネリアスにリミックスを頼んだのも、正直、宣伝に使わせてもらおうというようなところもあった。

でも、単なる宣伝なわけないでしょう? 小山田くんとの対談を読んでグッときたしね。

沖野:(照笑)『F-A-R』のアウトテイクが数曲あるんですよ。それをEPで出そうか? みたいな話になったときに、誰かのリミックスも入れたいね、じゃあコーネリアスがいいね! ということになったんだけど、流れで他にもいろんな人に頼むことができて。だったらもうアルバムにしちゃえ! っていうふうに、なんとなく決まりました。

これは作ってくれて本当によかった。オリジナルとリミックスの両方があって初めて見えてくるものもあると思うし。リミキサーのセレクションは沖野くんが全部考えたの?

沖野:そうですね。この人がやったのを聴いてみたいという基準で頼みました。

それは曲ごとの指名?

沖野:いや、それぞれのアーティストに選んでもらいました。選ばれなかった曲はしょうがないから俺がやるという感じ(笑)。

I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix)

全体を通して聴いてみて、とてもおもしろかった。普段はリミックスとかあまりやっていない人もいて、自分の音楽ではなかなか出せない部分を出していたり、そういうところも興味深くて。それでは1曲目から順に訊いていきたいと思います。まずイズルくん(The Lakemusic)の“I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix) ”から。

沖野:イズルくんは「やらせて」と言われた(笑)。彼はそんなに自分の作品を作ってる感じでもなかったけど、映像制作の関係で付き合いはあって。仲はずっと良かったんだよね。

彼がこういうメンバーの中にいてくれないと寂しいというのもあるけど、一曲目だからね。いきなりヴォーカルとストリングスだけで始まって、そのまま最後まで引っ張る大胆なプロダクションに驚きました。

沖野彼は河口湖の地元でミュージカルのオーケストラの作曲とかもやってて、オーケストレーションを僕の作品に活かしてみたいから「自分にも参加させてくれない?」って。

アルバムのオープニングにふさわしいし、沖野くんの声を強調することで、マジックを生み出してると思った。あと、“I'm Alright, Are You Okay?”というタイトルの曲を選んだことにもメッセージを感じます。「ぼくは大丈夫、きみは大丈夫?」――それはイズルくんからのアンサーでもあると同時に、リスナーへのメッセージも含まれてる気がする。昨年リリースした『F-A-R』を聴いて、「沖野くん、久しぶりに復活したな」という印象を持った人も多かったと思いますが、そういう意気込みで新作を作ったのですか?

沖野:いやあ……復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。中途半端で終わっちゃったような曲がものすごくストックしてあって、とりあえず1枚出さないと次に進めないという状態が10年くらい続いちゃってて。そういうときの気分で選んだんですよね。

何かしらの基準はあったの?

沖野:うーん……どうだったけな(笑)。そのときアルバムにするなら、という感じで選んだかな。コンセプトはなかったんで。

「自分はこれをやるんだ!」という吹っ切れた感じがすごく伝わってきて、楽曲も粒が揃ってたし、沖野くんの最高傑作だと思いました。オリジナルの『F-A-R』の中で、ぼくがいちばん好きな曲は“Welcome To My World”なんです。これはまさに沖野くんの世界を構成している要素が、サウンドにもリリックにもいろいろ入っているなと。ウェルカム・トゥ・マイ・ワールド――それは、言ってみればアーティストの基本姿勢というか、それに尽きると思うんです。だから、もう一回自己紹介する、というニュアンスもあるのかな? 昔の友達やリスナーへの「久しぶり!」という挨拶、もちろん新しいファンに向けている部分もあったと思うし。

沖野:詞を書いたきっかけは、基本的にはもっと個人的なことなんですけどね。

たとえば何かエピソードはありますか?

沖野:いやあ……ぶっちゃけると、再婚して子どもができて。妊娠してお腹の大きい嫁を見て生命というか、そこからなにか感じたものを歌詞にしていった感じだったかと。時期的にはそうですね。

そうなんだ……これはぼくの勝手な解釈なんだけど、ある意味、引きこもりアンセムみたいだなって(笑)。それは肯定的な意味で言ってるんだけど。ぼく自身、引きこもり的な感覚をいまの自分の中に感じざるを得ないところもあるし(笑)、もはや引きこもりをポジティヴに捉えられないと、現代をサヴァイヴできないという認識もある。

沖野:2012年くらいから曲は書いてあったから、その頃は引きこもってるつもりはないですけど、潜ってましたからね。間違ってないです(笑)。

ぼくの解釈を押し付けるつもりはないので、念の為(笑)。この心地よい浮遊感を音楽に還元できるというのは、沖野くんの素敵な才能だと思っていて。自分の世界の中で自由に遊び、感覚を解き放つのは素晴らしいこと。

沖野:でもいろいろとやる気を出してきた頃ですよ。

「あぁ こころはもう雲の上まで/上昇したまま/宇宙まであと少し」って歌ってるしね。このリリックが好きなんです。「光を纏い/命の深い闇の中/泳ぐ幸せ/君に似合うよ/Welcome to my world」。こういう詞を書けるようになったんだな、と思って。この曲は大好き。トリッピーな曲が多いのは相変わらずだけど、本人はそんなにドラッギーな感じではないなと。

沖野:もう、だって……更生したというか。

(笑)。もうひとつ訊きたかったのは、『F-A-R』のラスト・ナンバーで最後に赤ちゃんとの会話が入ってる“Mood Two”というインストのリミックスが『Too Far』には入ってないけど、あれは誰にも渡さずにおこうという感じだったの?

沖野:べつに誰にも選ばれなかったという……。

これは手をつけちゃいけないとみんな思ったんじゃないかな。沖野くんがまたどういうふうに作るのかなあ、と思ってリミックスを聴いたら、あれだけは入ってなかったから、やっぱり手を付けなかったんだと思って、それはそれで感動しました。では、とくに意味はなかった?

沖野:意味はないですね。

「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。

了解(笑)。ではあらためて、イズルくんのリミックスをもらったとき、どういう感想を持ちましたか?

沖野:すごいグッと来ましたねえ。昔からちょっと“エリナ・リグビー”とかを意識してて。

なるほど! ふたりともビートルズ大好きだもんね。

沖野:「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。メロディがこういうふうに響くんだなあって、自分でも思った。正直、期待してなかったんですよ(笑)。

(一同笑)

沖野:最近は彼、あんまり真面目に音楽やってる感じじゃなかったから。「良かったら使うよ」みたいな依頼で(笑)。そういうところは気さくに話せる。

イズルくんは映像制作の仕事が多いけど、〈fantasy records〉という自らのレーベルを立ち上げて、音楽活動もマイペースで続けてるよね。

沖野:そしたらすごい良かったなあ。嬉しかった。

これは1曲目に置きたいなと思った?

沖野:それは、その時には思わなかった。曲順は本当に悩んで。曲順を決めるために聴き飽きちゃったくらい。

誰かに相談して、という感じじゃなくて、やっぱり自分で決めたかった?

沖野:いや、相談もしました。リミキサーを決めるにあたって、一応自分の中で、90年代からいまもリミックスなりトラックなりを作ってる人、現役でやってる人がいいというこだわりがあったんで。初めは頼みたいと思っていても、最近やってない人には、結局頼まなかった。だから複雑な気持ちの人もいると思う。

The Love Sick(Akio Yamamoto mix)

2曲目の“The Love Sick(Akio Yamamoto mix)”は、オリジナル・ヴァージョンもヴィーナス・ペーターを想わせるファンキーなロックで大好きだけど、アキヲくんにはどういう頼み方をしたの?

沖野:アキヲくんは『FAR』のマスタリングもやってもらってるし、彼のトラック・メイキングの仕事をずっと知ってて。アキヲくんとイズルくんって元Secret Goldfishだし、いまだに仲良くて。で、ちょうど電話がかかってきて「あ、アキヲくんがいたよ!」と思って、本当にそんな感じで決まりました。いろいろ彼の作品を聴いたりして、音に対する鋭さというか、感性がすごいから、どういうトラック作るんだろうと思って。

沖野くんの志向性として、浮遊感だけじゃなくてエッジーな尖った部分というのもあって、そういう表現を別名義のOceanとかIndian Ropeでやってるし、きっとそういうものが欲しかったんだろうな、って。

沖野:とにかく徹底的に自分の音楽を追求している人だよね。

アキヲくんは本誌の古くからの読者にはお馴染みのHOODRUM(田中フミヤとのユニット)とか、『Too Far』に“The Light(I’m the 2016 light years home mix)”を提供してる高山純(Speedometer)さんと組んだAUTORAとか、他にもAkio Milan Paak、Tanzmuzikなど複数の名義を使い分けて多彩な活動を続けてるアーティスト。曽我部(恵一)くんのベスト・アルバム『spring collection』のマスタリングも彼が手がけてて驚きました。「The Love Sick」のリミックスはテクノ寄りのマッドチェスターという感じで、沖野くんにぴったりハマってる。3曲目の「The Light (bluewater mix)」のbluewater(Hideki Uchida)さんは、ぼくは不勉強で知らなかったけど、すごくカッコいいトラックを作る人だなと。

Shuntaro Okino&The F-A-R’sによるライヴの模様。曲は“The Light”

沖野:彼は与田さんが出たりしてる〈SUNSET〉っていうイヴェントでレギュラーDJをやっていて、立候補してくれたんです。リミックス・アルバムを出す話が出る前だね。彼はストーン・ローゼスの“エレファント・ストーン ”かなんかのマッシュアップをやってたんだよね。それがすごい良くて。

“The Light”のオリジナルって、マッドチェスターのフィーリングがあるサイケデリック・ロックでしょう? リミックスは4つ打ちなんだけど、「オレは光」っていう歌詞のキー・フレーズに着目して、言葉のパワーをさらに増幅するような解釈が新鮮で、こう来るか!と。

沖野:彼もマッドチェスターとか全部通ってて。

このリミックスを聴いた感想は?

沖野:この曲はアシッド・ハウスっぽくて、すごく気に入りましたね。あれなんだろう、アシッド・ハウスっぽいよねえ。

与田:しかもフロアで聴いたときにすごくダンサブルだった。実際にクラブで掛けたんですけど。踊るオーディエンスの気持ちがよくわかってる。

Summer Rain(Shunter Okino mix)

4曲目の“Summer Rain(Shunter Okino mix)”、これを自分でやったというのは何かあるの?

沖野:意味はないです(笑)。これは余ってたので、自分でやりましたね。

これもサイケデリックなヴィーナス・ペーター以来の王道というか、このラインは沖野くんの専売特許で、いつやってもいい十八番。それを自分でリミックスしようとなると、どういうふうにやろうと思ったの?

沖野:もう何も考えないでやりましたね。

同じ曲でもいろんなヴァージョンがあったりするのかな?

沖野:最近ハードディスクを整理して出てきたんだけど、この曲はあと2つくらいヴァージョンがありましたね。そっちを出してもおもしろかったなあ。

Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)

そして5曲目は与田さんの“Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)”、これは素敵です。愛を感じますね。

与田:『F-A-R』の中でいちばん好きな曲なので選びました。

沖野:与田さんは俺のことを本当にわかってるんで。与田さんが好きな世界もわかってるし、ああ与田さんだ、みたいな(笑)。

「ウェルカム・ホーム・リミックス」っていうネーミングもいいなあ。

沖野:ちょうど欲しかったタッチの曲になってくれた。

やっぱり2人とも音に対して繊細なところがあるので、とても丁寧に音を構築しているところが好きですね。ネオアコ的な清涼感もあって、すごくいいアクセントになってる。

与田:僕はミュージシャンじゃないんで、むしろ元ネタありきで、この沖野くんの声にこの曲のビートとこの世界観を合わせてみたらどうなるんだろう、というやり方なんです。サンプリングで作っているような感覚なんですけど。この曲はインディ・ダンスにしたかった。テンポ遅めのインディ・ダンスにしようと。

自分のパーティーで掛けたい曲?

与田:そうですね。

Swayed(Linn Mori Remix)

これとその次の“Swayed(Linn Mori Remix)”が隣り合わせているのは、必然性があるというか、よく馴染んでいていいなあと思いました。リン・モリさんはどういう方ですか?

沖野:リン・モリくんはサウンドクラウドで適当にたどっていたら、ぶち当たって。彼の作ってるトラックが全部良くて。まだ25才かな。自分でいろいろ調べましたね。ずっと印象に残ってたんですよ。それで今回リミックス・アルバムをつくろうということになったとき、直接お願いしました。

オリジナルは初期のデヴィッド・ボウイを想わせるアコースティックなバラードだけど、上がってきたリミックスは、ほぼピアノとシンセのインストゥルメンタル。

沖野:全部再構築してくれて。でも基本的にはこういう感じのアルバムを考えてたんですよね。アキヲくんとかもトラックメイカーだから、歌とか使わないでもっと切り刻んでものすごい尖ったものを作ってくるかと思ったんですけど、ちゃんと歌ものにしてきたので意外でしたね。俺のことを知ってると、どこかでやっぱり歌を使いたいと思うのかも。

そう思うし、尊重しようという気持ちがあるのかも。

沖野:たぶん尊重してくれる部分もあると思うんですよ。リンくんは原曲を活かすというよりは、俺のことを知らない分、自分でぜんぜん違う世界を作ってきたという感じだよね。リンくんとは世代も違うし、思い切りがいいし。それがすごいよかった。

原曲はデリケートなラヴ・ソングだし、いっそのこと詞はなしで、みたいな方向なのかな(笑)。これも好きですね。

The Light (Indian Rope Remix)

次の7曲目、“The Light”のIndian Rope名義でのリミックスは、ヘヴィかつドープなサイケでじわじわ上がっていく感じがよくて。煙っぽいサックス・ソロも効いてるし、最後は残像をのこしてドローンと消えていくところも洒落てますね。沖野くんの持ってるコアな部分が出てると思うんだけど。

沖野:これはIndian Ropeを意識しました。Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

Indian Rope名義では久しぶり?

沖野:15年ぶりくらいかな。

〈トラットリア〉以降はこの名義は使ってなかったの?

沖野:使ってないですね。

Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

インディアン・ロープを始めたときってどういう感じだった? ソロといっても、もっとトラック・メイキングに特化してやりたかったのかな。

沖野:そうですね。当時はいまと違ってまだパワーマックとかの時代だったんですけど、いちおう自分ひとりでできるという時代になってはきていて。昔からデモは作りこんでいたんですけど、他人に頼んでボツにしちゃったりしてたんで……やっぱ全部自分でやろうと思って。

そう、沖野くんの曲はデモの時点でほとんど完成しちゃう。

沖野:凝ってましたよね。

ヴィーナス・ペーターの初期の名曲“Painted Ocean”もデモの段階でほぼできていた?

沖野:そうですね。そんなに変わってないですね。

ぼくは本当にシンプルに、あの曲が好きなんですよ。あれ一発で惚れた。しかもいちばんいいと思えるような曲を惜しげもなく『BLOW-UP』(※〈Crue-L Records〉のファースト・リリースとなった91年発売のコンピレーション・アルバム。参加アーティストはブリッジ、カヒミ・カリィ&ザ・クルーエル・グランド・オーケストラ、マーブル・ハンモック、フェイヴァリット・マリン、ルーフ、ヴィーナス・ペーターの6組)に入れたところがカッコいいと思った。自分たちのファースト(『Love Marine』)に取っておかない気前の良さに(笑)。

Moon River(Salon Music Remix)

次の8曲目、Salon Musicの“Moon River(Salon Music Remix)”は絵画的というか、音で絵を描いてる感じが素敵だなと。沖野くんの中に意識せずしてあるものが形になって提示されていると思うんだけど。音でこういうことができるのが、音楽の素敵なところだと思います。

沖野:あと2人でやってくれてるというのがすごく大きいですね。仁見さん(竹中仁見)の声とかファズ・ギターが入っていたり、うれしさがありますよね。サロンを選んで、自分ながらこれはよく思いついたなあと(笑)。

サロン・ミュージックは〈トラットリア〉のレーベル・メイトだし、吉田仁さんはヴィナペの2014年作『Nowhere EP』もプロデュースしてるし、ずっと近くでやってたじゃないですか(笑)。

沖野:近くにいるんですけど、意外とあんまりリミックスは聴かないですよね。

たしかに、リミックスはそんなにやってないかもしれない。

沖野:ライヴにもしょっちゅう来てくれてるんですけど、あんまりつながらなかったですね。

あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

でも沖野くんって、雰囲気がちょっと仁(吉田仁)さんと似ているところもあるし、シンパシーみたいなものがあったんじゃない? あとサロン・ミュージックは英語詞だけでやる先駆者でしょう? 今回の『F-A-R』は日本語詞がメインのアルバムだから、直接そこは関係ないけど、ヴィーナス・ペーターが登場したときとか、その前にフリッパーズ・ギターがデビューしたときとか、仁さんとの出会いはとても大きかったと思うんだけど。

沖野:そうですね。唯一付き合いのある先輩なんで(笑)。あんまりねえ、ミュージシャンとの付き合いがダメなんですよ。苦手なんで。仁さんだけはライヴにも来てくれて、話が合うんですよねえ。

それは音楽性が共通しているというだけではなくて?

沖野:あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

YMOを通ってないというのは、世代を考えると意外なところはあるよね。小山田くんだって、別にリアルタイムでは通ってないと言ってたけど。いまはほぼバンド・メンバーだけどね(笑)。

沖野:もちろんあの時代の人たちを尊敬はしてますけど、影響されてないというか。サロンは、昔からやってることが本当かっこよくて。そういう意味ではいちばんセンスを信用している先輩が、あのおふたりですね。

洋楽志向というより、最初から洋楽だった先輩という感じだよね。ぼくだって80年代初頭に“Hunting on Paris”の12インチを聴いて、「完璧に洋楽だよ!」ってびっくりした。YMOはそれぞれ一角のキャリアのある人たちが組んだスーパー・グループだけど、サロンは突然現れてロンドンから逆輸入という感じだったから。

この夜にさよなら(Cornelius Remix)

インディアン・ロープ~サロン・ミュージック~コーネリアスという並びは、個人的には「トラットリア・ストライクス・バック!」という感じで盛り上がりますね。“この夜にさよなら(Cornelius Remix)”は、意外といえば意外だった。沖野くんのオリジナルは『F-A-R』のリード・トラック的な曲だし、この爽やかな感じはこれまでなかったから、パッと聴いていいなと素直に思ったけど、小山田くんの解釈がいわゆるコーネリアス調じゃないのがおもしろかった。小山田くんのリミックスって、たいていの場合は原曲のタッチをほとんど残さずコーネリアス調に作り変える作業だけど、これはそうじゃないと思って。非常にレアなケースじゃないかな。

沖野:この曲は、聴いているうちにあー、やっぱコーネリアスだなあ、って思うようになりましたね。

うん、まさしくそういう感じ。だから、いつもの感じでやらなかった、ということ自体にスペシャル・トリビュート感があるなと。音数は少なくて、隙間を活かしたすごくシンプルなアプローチというところは小山田くんらしいけど。

沖野:コード感とかが小山田くんの中にあるものと合ってて、たぶんこれだという直観で選んだ部分があると思う。彼も忙しいし、これがいちばん料理しやすいと思った、って気がするけどね。

さらっと仕上げているようで、飽きずに長く聴ける感じ。沖野くんに対するリスペクトを感じますね。原曲の歌詞は、最初に聴いたとき、亡くなった人へのレクイエムのように聴こえたんだけど、そういうことってあったりしますか?

沖野:うーん、そこははっきりと明言するのは避けたいです。ただ実は自分史上、最高に悲しい曲ではありますね。

切ない曲だよね。友達なのか家族なのかわからないけど、いまはこの世にいない大切な人に捧げた特別な曲、という気がしました。

沖野:うーん、やっぱりそこもノーコメントで。ただこの一行は彼、とかこのくだりは彼女、とかそういうのはあります。基本的には大きい括りなんですけど。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

すごく秘められたドラマを感じる曲だったので……。

沖野:そこに気付いてもらえたのはすごくうれしいです。単に爽やかな曲というふうに言う人も多いんですよ。

でも、爽やかな曲調でこの詞だから、よけいにグッとくるところがあって。さっきいちばん好きな曲は“Welcome To My World”と言いましたが、リリックは“この夜にさよなら”がいちばん印象的でした。沖野くんの個人的な世界というよりは、誰かにこの思いを伝えたいという気持ちが溢れている感じがしました。

沖野:そういうことは思ってるんですよね。

「この夜にさよなら」というリフレインも、「その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」という最初のヴァースからしてハッとさせられるというか、この曲は違うぞ、とまず最初に思って。でもその後に「その胸の暗やみ/この胸の苦しみ/いつまでも一緒さ/だからこの夜にさよなら」と続いて、いろんな人と出会う中で傷ついたこととか、つらい思い出みたいなものを、捨て去るのではなくて、それを持ったままいっしょにさよならする、というところにものすごくグッと来る。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

それは強い決意だなあ。実際、痛みも傷も闇も、なかなか消えないじゃない? 本音を言えば、そんな簡単に消えるわけないだろ、という。ちょっとの間は忘れていられても、不意にフラッシュバックしちゃう。ぼくもそこは一緒で、だけどそれをこういうふうにさらっと歌えるというのが、いまの沖野くんの大きな成長だと思う。

沖野:少ない言葉でそれを表現したかったというか。

この曲のリリックは最高。すごい名曲だと思う。最後のヴァースがまたグッと来るんだよな。「悪い夢で構わない/いつか/夜の彼方で彷徨う君を見つけよう/また会おう」。「さよなら」と言ってるんだけど、最後に「また会おう」と言って終わるというのが……ニクいね(笑)。日本語詞でこれだけのものを書けるんだから素晴らしい。それを小山田くんが選んでるというのがまた……。

沖野:その話はしてないですけど、そこはうれしかったですね。

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Dream Of You(Akito Bros. remix)

次の10曲目、Akito Bros(アキト・ブラザーズ)の“Dream Of You(Akito Bros. remix)”。メロディメーカーとしての沖野くん史上屈指の名曲にさらに磨きをかけた感じ。繊細な音作りが素晴らしくて、これもすごく好き。片寄(明人)くんに頼もうと思ったのは?

沖野:いま、沖野俊太郎 & The F-A-Rsでギターを弾いてくれてるタカタタイスケくんのバンド、プレクトラムがGREAT3と対バンしたのを観に行ったのがきっかけ。GREAT3ってじつはちゃんと観たことなくて、音源もほとんど聴いてなかった。たぶんGREAT3が活躍している頃(90年代後半)は、わりとテクノとかばっかり聴いてたから。でも、そのライヴがすごい良くて。

ぼくは、GREAT3がいまいちばんカッコいいロック・バンドだとマジで思ってるよ。片寄くんのことは昔から知ってるし、デビューのときからGREAT3は大好きだったんだけど、どの時代のGREAT3よりもいまがいちばんいいと思えるくらいカッコいい。

沖野:じゃあちょうどいいときに見たんだ(笑)。ずっと3人でやってるんですか?

オリジナル・ベーシストの(高桑)圭くんは脱退したけど、若い新メンバーのjanくんが加入して、オリジナル・ドラマーのケンちゃん(白根賢一)は変わらずに3人でやってる。ライヴはギターとキーボードにサポートが入るときと、サポートなしでトリオ編成でやるときがあって、いろいろだね。

GREAT3のライヴがすごい良くて。

沖野:片寄くんがリミックスやってるの聴いたことないな。あれだけすごい知識を持ってるし、プロデューサーもやってるのに。でも、わりとそういう発想があったんですよ。この人がリミックスやったらどうなるんだろうという。

それはヒットだね。じゃあ、これまで交流はそんなになかった?

沖野:ぜんぜんなかった。それからライヴとか呼んでくれて。

そうなんだ。片寄くんもめちゃめちゃサイケな人だし。いまは菜食主義者だけど(笑)。沖野くんとの相性は絶対いいはずだと思ったけど、案の定、片寄くんらしいメロディアスな風味のリミックスで、仕上がりもバッチリだった。

沖野:今回やってくれた人たちの中ではいちばん、元の素材をそのまま使って組み立てなおしたという感じですよ。他の人は歌だけ使うという感じなんだけど、片寄くんと5ive(COS/MES)くんは唯一、俺のトラックを全部使ってくれましたね。彼らはリミックスするというよりも……。

リ・コンストラクションした感じ?

沖野:そうそう。

元の曲のトリップ・ソングらしさを活かしつつ、メロディの良さをさらに際立たせようという意図は十分伝わってきたよ。

The Light(I'm the 2016 light years home mix)

次の11曲目、Speedometer(スピードメーター)の“The Light(I'm the 2016 light years home mix)”。リミックスのタイトルはモロにローリング・ストーンズ「2000光年のかなたに」(2000 Light Years From Home)から採ってるなと。高山純さん(Jun Takayama a.k.a Speedometer)はイルリメともSPDILLというユニットをやってるし、SLOMOSという名義でソロ音源を発表したり、多彩な人ですね。

沖野:俺、高山さんのことがいちばん知らなくて。アキヲくんが彼とバンド(AUTORA)をやってて、レーベルの社長がSpeedometerの大ファンというのもあって、アキヲくんに紹介していただけないか、という感じになったんだけど。Speedometerの音源も聴いたけどすごいカッコよくて。高山さんは絶対に歌を使わないだろうと思ってたら使ってて、アンドリュー・ウェザオールみたいな印象で、すごく良かったですね。どこかしらにあの頃の匂いを入れてくれてるというのがね。

これも原曲はマッドチェスターっぽいサイケデリック・ロックだし、たとえばストーンズでも、時代が移るごとに惹かれる部分が変わるじゃない? マッドチェスター華やかなりし90年代初頭は、やっぱり『サタニック・マジェスティーズ』とか『ベガーズ・バンケット』に目が行く時代だったと思うんだけど。トリッピーな世界観みたいなものを沖野くんと共有してるのかな?

沖野:ああ、そういうことはぜんぜんお話してないんですよ(笑)。高山さんは大阪在住なので。いろいろ聞きたいんですけどね。大阪に行ったときにはぜひお会いしたいですね。

We Are Stories(The F-A-Rs Remix)

次は12曲目、“We Are Stories(The F-A-Rs Remix)”のリミックスは、バンド・サウンドからそんなに大きく変えたりしてない?

沖野:この曲は、ライヴではバンドでアレンジしてやっていて、それをリミックス的に録ってみようかと言って録ったのが、あまりに普通だったので、思いきり編集したという感じですね。ぜんぜん違う感じに。バンドっぽく聴こえるんですけど。

元はわりとデジタル・ロックな感じだよね?

沖野:そうですね。

これは自分でも気に入っている?

沖野:そうですね。まあこういうのもおもしろいというか、自分らしいとは思ってますけど。

「自分たちの物語は自分次第で変わっていくんだ」という歌詞の一節にもあるように、“We Are Stories”というタイトルにもポジティヴなメッセージが込められてる。トリッピーだけど、全体的にポジティヴな感じもこのアルバムの特徴かな。引きこもりアンセムも入ってるけど(笑)、基本的には開けてるよね。

沖野:新しく歌詞を書いた曲に関しては、だんだん明るくなってる(笑)。

声はパワー(Koji Nakamura Remix)

そういうストーリーもあるんですね(笑)。そして13曲目、ナカコーくん(Koji Nakamura)が手がけた“声はパワー”のリミックスは、ほとんどピアノの残響音だけで歌声と歌詞を聴かせる思いきったアプローチで、意表をつかれたけど、すごくいいなと思いました。

沖野:そうですね。これはナカコーくんらしいというか。まさかピアノ・メインで来るとは思わなかったんですけど。もっとエレクトロな感じかと思ったら、現代音楽じゃないけど、かなりそういう要素があったので、衝撃でしたね。まずこの曲選ぶ人がいなかったんですよ。逆にいちばん難しいじゃないですか。ナカコーくんがこれを選んでくれたのがすごくうれしくて。それでこういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲は女性コーラスがフィーチュアされてて、ナカコーくんはそれも活かしてデュエット・ソングに変えてる。そこもおもしろいなと思ったけど、「声はパワー」と言ってるのに──ヴィーナス・ペーターの初期曲“Doo Be Free”では、プライマル・スクリームが“ドント・ファイト・イット、フィール・イット”でデニス・ジョンソンのソウルフルなヴォーカルをフィーチュアするような発想で、真城(めぐみ)さんをフィーチュアしたと思うんだけど――今回はいわゆるパワフルなヴォーカルじゃなくて、ガーリーな感じの女性ヴォーカリストを起用してるのが意外だった。

沖野:歌ってるのはadvantage Lucy(アドバンテージ・ルーシー)のヴォーカルのアイコちゃんなんだけど、彼女はすごく強いものを内に秘めていて。かわいらしい女性っていうイメージが強いんだけどね、ルーシーの曲とか聴いてると……。

ごめん、決して彼女のヴォーカルが弱いと言ってるわけじゃないんだ。ただちょっと意外な組み合わせだなと思って。

沖野:うん、意外なのはわかります。そういえば彼女を推薦してくれたのもタカタタイスケくんなんです。俺も直感でこの曲はアイコちゃんだなって思ったんですよね。なにか感じるものがあった。

こういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲のイントロでヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「サンデー・モーニング」みたいなグロッケンが鳴ってるし、元々チャーミングな曲でしょう? サックス・ソロとかピアノ・リフが効果的に散りばめられてて、曲調もゆるやかに飛翔していく感覚があって、『F-A-R』の中でもいちばんカラフルな印象がある。そういうアレンジを全部取り払って、沖野くんとアイコさんの声とピアノだけで世界全体を作りかえた。このトラックも『Too Far』の白眉だと思います。

沖野:俺とアイコちゃんのヴォーカルの混ぜ方が上手いなと思って。SUPERCAR(スーパーカー)も男女ツイン・ヴォーカルだったから、そこもどこかで勉強してたんじゃないかと思うんですよね。ナカコーくんにそういうコントラストの感覚があったのかなとは思いましたね。

たしかに、沖野くんとアイコさんの組み合わせには、SUPERCARみたいなチャームを感じます。ナカコーくんに頼もうというのは、どういうところから来た発想?

沖野:やっぱり独自の作品を追及してるからですかね。そんなに近くはないんですけど、スーパーカーも好きだったし。

スーパーカー以降の、自分の世界をストイックに追求する感じも共通している気がします。

沖野:彼は昔からIndian Ropeを好きだと言ってくれてて、それも覚えてたので、やってくれるかなあと思ってお願いしました(笑)。ツイッターでヴィーナス・ペーターのこと書いたりしてくれてたんで、頼みやすかったです。

世代的にはちょっと下くらいだけど、やっぱり通ってたんだね、フリッパーズ・ギターやヴィーナス・ペーターを中高生のときに聴いて……。

沖野:(日本のバンドでは)唯一、聴いてたみたいで。

ジャンルを超えて、いろんな名義を使い分けながら活動してるところも沖野くんと似てるよね。

When Tomorrow Ends (speakeasy mix)

そして最後にSugar Plantの“When Tomorrow Ends (speakeasy mix)”。これは選曲もハマってるよね。

沖野:これはね、この曲でお願いしたんですよ。

これをSugar Plantで聴いてみたかったの?

沖野:じつはこれしかなかったというのがきっかけなんだけど。この曲は、はじめぜんぜん合わないと思っていて。あんまり想像できないじゃない? それをあえて頼んでみたんですよね。

このアレンジはショウヤマさん(ショウヤマチナツ)とオガワさん(オガワシンイチ)がふたりで……?

沖野:いや、これはオガワくんひとりでやったみたいです。

壮太くん(高木壮太)とかは参加してない?

与田:壮太くんは参加してない。

めちゃくちゃカッコよくてびっくりした。オルガンは入ってないけど、ドアーズみたいにヒップな、ヒリヒリくる感じがすごくあって、これは本当にすごいよ。

沖野:彼らの話を聞くと、元のヴォーカルだけ抜いて、ヴォーカルに導かれて……ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

やっぱりそうなんだ。このトラックは最近の新譜と比べても飛び抜けてカッコいいと思った。こういうマジックが起きるからリミックス・アルバムって作っておくもんだね、というくらいカッコいい。

沖野:本当に何回鳥肌が立ったか……『Too Far』は、自分がいちばん元の曲のことを知ってるんで、「ええっ! こうなるんだ!?」という変わりようがおもしろかったですね。

自分がいちばん楽しい?

沖野:気楽だしね(笑)。

今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。

オリジナル・アルバムとリミックス・アルバムの両方が揃ってみて、何かあらためて自分で発見したことはありますか? もしくは再確認したこととか。

沖野:何かあったかなあ(笑)。今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。いまは次のことやりたくてしょうがない。

「次はこういうことをやりたい」という具体的なアイデアはある?

沖野:それもまだ見つかってないんですよね。

モヤモヤと自分の中で渦巻いてる感じ?

沖野:渦巻いてはいるんですけど、いまはよくわからないですね……。

それを手探りしていく作業なのかな? でも、みんな次の仕事にとりかかる前はそんな感じかもしれないね。与田さんは今回の2枚のアルバム聴いてどんな感想を持ちました?

与田:今回はまず『FAR』の方で、いままでの沖野くんと明らかに違うということに驚きましたね。『F-A-R』の宣伝を手伝いつつ、僕も沖野くんにインタヴューしながら、その理由がわかってきた。The F-A-Rsと一緒にやったバンド編成のライヴを3、4回観て、僕はヴィーナス・ペーター以外のバンド形態をあまり見たことがなかったのですが、それがすごくよかったんです。で、バンドと沖野くんにだんだん焦点が合ってきて、定期的な活動ができるようになったのがいいなあと思って。あとは、『Too Far』に参加したリミキサーのラインナップは、僕もほとんどが知り合いみたいな感じなので、同世代感はありますね。みんな90年代を通して活動してた人が多いじゃないですか。しかも90年代って、ダンス・カルチャーがロックにものすごく侵食していった時代でもあるので、それをリアルタイムで体験してる人たちの作品が集まってくると、不思議なもので共通の感覚があるなあと思いましたね。

なるほど、まさにそういう人たちが集まった感がありますね。

与田:そうですね。ダンスフロアとロックがクロスしたのをリアルタイムで体験して、実際に踊っちゃってた方なんで。いまは逆にそういうリアリティを伝えづらいのかなあ。だからこういうタイミングでこういうアルバムが出てくると、自分としては、世代感覚的にもすごくうれしいですよね。とにかく楽しかったので。

あらためて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。

沖野:でもね、2枚続けてアルバムを出して、改めて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。いまの日本の若者の中で流行っているものとかぜんぜん好きじゃないし。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。結局、やるしかないんだけど(笑)。いまはSNSとかあるから、何が流行っているかわかっちゃうじゃないですか。本当の現場はどうかわかんないけど、でも俺はそういうところとはズレてる、というのを認めざるを得ないかなあ。もちろん後ろ向きではなくて。もっとどうやって(自分の音楽や状況を)良くしていくかということを考えつつ、でも生活に追われてることもあるし、難しいというのはひしひしと感じてますね。

日本のメジャー・シーンだろうとインディ・シーンだろうと、そこに対する違和感のみが、沖野くんにはあったと思うんですよ。ヴィーナス・ペーターだって、いまでも早すぎる解散だったと思うけど、沖野くんが自棄になった理由というのは、「これで変わらなかったら、何をやったらいいの」という歯がゆさだったんじゃない?

沖野:ありましたね。どうしたらいいんだろう、というのがいまだに続いているけど。

最近の若いバンドとか聴く機会もあるでしょう?

沖野:一応聴かなきゃという感じで聴いてますけど。

〈kilikilivilla〉のサイトで沖野くんとCAR10(カーテン)の川田晋也くんの対談を読んで、すごくおもしろかった。川田くんは91年生まれで、〈kilikilivilla〉の先輩たちを通じてヴィーナス・ペーターの存在を知って、まさにその年にリリースされた『LOVE MARINE』をブックオフで発見するんですよね。

与田:僕から見ると、CAR10とか、いま地方で活動してる若い子たちが洋楽ロックが好きでやってる感じが、90年代前半に僕らがやってた感じと似通ってるなと思ったんですよ。だからヴィーナス・ペーターとか聴かせると、みんなものすごく反応してくれて。

それは現行のJポップへの違和感から?

与田:完全にそうだと思いますね。

沖野:普通だったら違和感を抱かないわけないよね。「なんでこんなに分かれてるの? なんかおかしくない?」という感じ。

与田:中間がないですよね。

沖野:ここまで離れちゃうと埋めようがないくらい(笑)。

やっぱりバンドが好きですねえ。

与田:でも、90年代もそうだったんじゃないですかね。もちろんRC(・サクセション)とかブルーハーツとかいましたけど、イカ天とかホコ天あたりのイヤーな感じのバンドがわんさか出てきて。だからフリッパーズのファーストは、音楽好きにとって衝撃だったんじゃないかなあ。その感じと、いまの20代前半のバンドの、自分の好きな音を見つけてきてそれをやってる感じは、よく似てると思いましたね。ただ、いまの子たちはみんなしっかりしてるんですよ。僕らは自分たちの思いだけで突っ込んじゃって、後先考えずに突っ走った部分はあるんですけど、いまの若者はみんなきっちり仕事持ちながらやってますよね。いいことだと思いますけどね。

いまはロック・ドリームを抱きようがないというか、それはロックに限らないと思うけど、自分たちの将来に巨きな夢を持ちにくいんじゃないかな。

与田:夢、見ないですよねえ。まだ〈kilikilivilla〉の若者たちは自分の世界を作ろうとしますけど。一般的には夢とか見れない、って言われるとしょうがないですけどね……。

もちろん地に足がついてるのはいいことだけど、バンドに巨きな夢を持ちにくいというのは世知辛いよね。いつの時代の若者にとってもドリーミーなカルチャーのはずなのに。でも、理想と現実の相克というテーマは永遠のものだから、きっとまたすごいバンドが現れると信じてるけど。
そういえば、沖野くんって曲作りは自己完結してるのに、つねにバンドがあったほうがいいというジレンマがある気がして。バンドのフロントに立って歌ってる姿がいちばんサマになるし、仮に曲作りは自分ひとりで完結できるとしても、パフォーマーとしてソロでやるという感じではないよね。弾き語りの人じゃない。

沖野:ダメということはないけど、やっぱりバンドが好きですねえ。

つまりポップス・シンガーじゃないということ。沖野くんはあくまでロッカーなんだよね。そういう意味では、ボビー・ギレスピーみたいな人って日本にいない。たとえばスカイ・フェレイラとデュエットしたら、日本だとどうしても芸能界っぽい世界になりがちじゃない。ボビーは、あくまでロック・アイコンとしてポップ・アイコンと絡んでる感じがカッコいいよね。沖野くんはそういう冒険もできる人だと思うから、ロック道を突き進んでもらいたいですね。

沖野:そうですね、がんばります。

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いろいろあるけど楽しくやろうぜ!

Gobby - ele-king

 粗悪なエイフェックス・ツイン・フォロワーといったところだろうか、いや、そんなことを言ったらエイフェックス・ツイン・フォロワーに怒られるかもな。2年前、わりとインターネット・アンダーグラウンド界隈で騒がれた『Wakng Thrst For Seeping Banhee』を聴いたときにそう思った。アルカやミッキ・ブランコなど実に強力なリリースで知られる配信レーベル、UNOからの音源である。
 ジャングル? ローファイ? えー、まじかよ、こりゃひでーや、聴けたもんじゃねーな……しかし、こうしたある種のバッド・テイストがここ数年のUSアンダーグラウンドの支流として確実にある。私見では、OPNの昨年の展開もこの流れに共鳴しているもので、つまり、これはその少し前のチルウェイヴがひっくり返った感性の表出だと言えるだろう。例を挙げればキリがないが、卑近なところを言えば、これとかさ、直感的に言えば、悪戯心満載のTOYOMUがいきなりUSで受けたり、あるいは食品まつりがUSで高評価なのもこの機運に準じているのだろう。
 つまり、ドリーミーからバッド・ドリーミーへの反転である。そして音楽ライターのひとりであるぼくもこの悪い夢に付き合っていると、そういうわけだ。
 そして、これは、最初に(なかば敬意を込めて)粗悪なエイフェックス・ツイン・フォロワーと喩えたように、ゴシック/インダストリアルのディストピックな重々しさ、かったるさとは別物である。驚くほど、シメっぽくない。容赦なく悪い詩。なかばヒステリックだがギャグが混ぜられ、下らない。そういう意味では、AFXの『ORPHANED DEEJAY SELEK』もこの時流に乗っているわけだが……。

J9tZiBwtoxE

 ヴェイパーウェイヴを経て、そして終わって終わってどうしようもなく終わってゴミクズしか残っていない現在へのあらたなる門出なのかどうかはわからないが、もうひとつぼくがここにかぎ取るのは、アンチ・ダンスの意志だ。これはEDMの母国たるUSならではの反応なんだろうけれど、とにかくグルーヴというものがここまで無いのもすごいというか、まあわからなくもないな、ユーロ2016開幕式のデヴィッド・ゲッタの動きなんかを子供心に見ていたら、DJなんかになるものかと誓っただろうし。
 ゴッビーが〈DFA〉からリリースというのは、おや、ここまで来たのか、という感じである。そして、この〈DFA〉レーベルの根底にパンク的なものがもしまだあるのなら(40周年だしね)、これまた理解できる。時代は動き、音楽も動いている、間違いない。ベッドルームは汚れ、そしてポスト・エレクトロニックポップの時代はすでにはじまっている。

ふたたびの熱狂を - ele-king

 ふたたびの来日、ふたたびの熱狂。2014年もっとも重要なアルバムの一枚『タイー・ベッバ』で記憶されるイタリア人プロデューサー、クラップ・クラップことクリスティアーノ・クリッシの再来日公演が目前に迫った。アフロにジュークにベース、ダンス・ミュージックのトレンドが見せてくれるエキゾの夢はまだまだ醒めない。今週末の公演について、最終ラインナップが発表されている。先月リリースされた日本独自企画盤『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』もあわせてチェックだ!


CLAP! CLAP!
Tales From The Rainstick -EP & Singles Collection-

Pヴァイン

Tower HMV

5/4に日本独自リリース・アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』をリリースしたイタリアの奇才トラックメイカー/DJ、CLAP! CLAP! が、同作を引っ提げて待望の再来日を果たす! 先日リリースされたポール・サイモンの新作『Stranger to Stranger』への参加でも世界に話題を巻き起こしているこの男、今回もヤバい一夜になることは間違いない!

■UNIT / root and branch presents
CLAP! CLAP! - Tales from the Rainstick Release Party

ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境・民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまでを巻き込んで大ヒットとなったファースト・アルバム『TAYI BEBBA』を経て、昨年11月に熱狂の初来日公演を果たしたCLAP! CLAP!。そのライヴは密林ジャングル・グルーヴを掛け値なしに体現する熱量マックス/アグレッシヴでオーディエンスを昇天させる圧倒的なモノだった。話題沸騰中の最新アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』(日本独自企画盤)を携えての再来日となる今回の公演は、前回以上にヒートアップすること間違いなし!お見逃しないように!

そして、出演者の最終ラインナップもついに発表!
UNIT公演には<VIDEOTAPEMUSIC × cero>名義でフジロック出演が決定しているVIDEOTAPEMUSIC、ヨーロッパの重要フェスティバルの一つUNSOUNDへの出演がアナウンスされた食品まつり a.k.a Foodman、前回のCLAP! CLAP! 初来日公演に引き続きの登場となるやけのはら、そして、テクノからビート~ベース・ミュージックまでボーダーレスな現場最前線でのパーティー・メイキングに絶対的信頼の1-DRINKの参戦が決定!

6.18 sat UBIK VERSION @ 東京 UNIT
Live: CLAP! CLAP (Black Acre), VIDEOTAPEMUSIC, 食品まつり a.k.a Foodman,
DJs: 1-DRINK, やけのはら
Open/ Start 23:30
\3,500 (Advance), \4,000 (Door), \3,500 (Under 25, Door Only)
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com
You must be 20 and over with photo ID.
Tickets: LAWSON, e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, clubberia, RA Japan and UNIT
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com

6.17 fri GOODWEATHER @ 名古屋 Club JB’S
Live: CLAP! CLAP (Black Acre)
DJ UJI, Misonikov Quitavitch, NOUSLESS, Chouman
Open/ Start 22:00
\3,000 (Advance), \3,500 (Door)
Information: 052-241-2234 (JB’S) www.club-jbs.jp

■CLAP! CLAP! (Black Acre, IT)
https://soundcloud.com/clakclakboomclak

CLAP! CLAP! は、ディジ・ガレッシオやL/S/Dなど多数の名義で活躍するイタリア人プロデューサー、クリスティアーノ・クリッシがアフリカ大陸の民族音楽への探究とサンプリングに主眼を置いてスタートさせたプロジェクトである。様々な古いサンプリング・ソースを自在に融合して、それらを極めてパーカッシヴに鳴らすことによって実に個性的なサウンドを確立している。彼は伝統的なアフリカのリズムをドラムマシーンやシンセといった現代の手法を通じて再生することにおいて類稀なる才能を持っており、その音楽体験におけるキーワードは「フューチャー・ルーツ/フューチャー・リズム」。CLAP! CLAP! の使命は、トライバルな熱気と躍動感に満ちていながらも、伝統的サウンドの優美さと本質を決して失わないダンス・ミュージックを提示することである。2014年にリリースされ昨年CD化されたファースト・アルバム『TAYI BEBBA』は、ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境~民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまで巻き込んで大ヒットを記録中、その勢いを更に加速させる日本独自企画アルバム『TALES FROM THE RAINSTICK』を本年5月にリリースしたばかりである。



DUB. Steppers for Techno & House - ele-king

 レゲエのステッパーズにはテクノやハウスと共通する魅力があるように思う。BPMや使われる音素材、サウンドデザインに違いはあれど、低域を強調したベースラインと4つ打ちのキックによってトラックの土台となるリズムが組み上げられ、反復するグルーヴの中へとグイグイと引きずり込まれるようにハマっていく快楽性は、どちらにも共通している。
 しっかりと組まれたサウンドシステムでステッパーズを鳴らすと、そのサウンドは突き抜けるように身体を振動させる音圧となる。そうして聴覚以外の器官も刺激されることで得られる高揚は、一般的なスピーカーでは味わえないものだ。リヴァーブ/エコー・エフェクトのかかったウワモノは、ダブテクノ/ハウスと同様、意識を遥か彼方まで心地よく飛ばし、堅牢なリズムによる重低音は身体を丸ごと飲み込んでいく。
 ここに選んだのは、テクノ/ハウスと親和性の高いステッパーズ5曲だ。そそられるものを感じたならば、サウンドシステムの現場に出かけていって、自宅では味わうことのできない衝撃をぜひとも全身で体感してみてほしい。


Alpha and Omega - Rastafari

イギリスの二人組が90年代に発表したクラシック。2013年にパーシャル・レコーズから再発され注目を集めた。力強くうなりをあげるベースラインとキック上に、エコーのかかったハーモニカのメロディとボイスサンプルが浮遊するアツい1曲。

Henry & Louis f. Johnny Clarke "Love & Understanding" b/w dub version ZamZam 40 7"

アメリカのポートランドから現在進行形のダブミュージックを7インチで発信し続けているザムザム・サウンズ。最新作では、ベン・クロックやマルセル・デットマンらの作品を思わせる、残響に漬け込んだキックが特徴的なヴァージョンを収録。このモノトーンな雰囲気にはテクノ心がくすぐられるはず(試聴では2:00からヴァージョンになっています)。

Bim One Production ft. Pablo Gad - Hard Times VIP

東京の1TAとe-muraが結成したプロダクションユニットによる貫禄のステッパーズ。硬質なキックの下でベースラインが這うように攻め立てる中、次々と素材が放り込まれていく。リズムを崩した中盤の展開は盛り上がり必至。

Tapes & DJ Sotofett - Dub Happy

多才にして奇才、DJソトフェットのレゲエサイド。アレンジはオールドスクールなダブマナーに沿っているものの、ミックス処理はスッキリとしておりモダンな仕上がり。デジタル過ぎないデジタルダブ。

Burro Banton - Praise Up Jah Jah

これまでに何度か再発されている80年代ステッパーズ。エフェクトのかけ具合と素材の抜き差しによる微細ながら絶妙なアレンジで延々とグルーヴが持続するヴァージョンが秀逸。野太いベースがたまらない。

Brian Eno - ele-king

 かつて決して沈まないと謳われた豪華客船があった。当時の科学技術の粋を集めて造られたその船は、皮肉なことに初めての航海で氷山に接触し、多くの人びとを乗せたまま海底へと沈んでいった。その甲板では、乗客たちの不安を和らげるために、バンドが音楽を奏でていた。かれらの演奏は船が沈むその最後の瞬間まで続けられたという。
 この半ば伝説と化した楽団が奏でていた音楽はラグタイムだったとも賛美歌だったとも伝えられているが、いずれにせよその音楽は非常にアンビヴァレントなものだったはずである。その音楽は、乗客たちが落ち着いて避難できるよう、かれらの耳元にまでしっかりと届けられなければならない。だが他方でその音楽は、乗客たちが能動的に聴き入ってしまうようなものであってはならない。無論、緊急事態に熱心に音楽に耳を傾ける者などいないのだろう(実際、生還した細野晴臣の祖父の耳に強く刻まれていたのは、バンドの演奏などではなく信号花火の轟音である)が、それでも、乗客たちが避難することを諦めその運命を受け入れてしまうような耽美な音楽を演奏するわけにはいかなかっただろう。
 必ず聞こえなければならないが、決して聴かれてはならない音楽。それが、自らの意志で船上に残ったバンドメンバーたちが奏でなければならない音楽だった。そしてそれはエリック・サティが「家具の音楽」を作曲する8年前のことだった。

 ブライアン・イーノがタイタニック号の沈没というテーマに関心を寄せるのは今回が初めてではない。イーノがプロデューサーを務め、イーノが立ち上げたレーベル〈オブスキュア〉からリリースされたギャヴィン・ブライアーズの『The Sinking Of The Titanic』(1975年)は、まさしくタイタニック号のバンドメンバーたちが演奏していたであろう音楽を、生存者の証言に基づいて再現しようとする試みだった。それは、積極的に聴かれることを目指さないという点において、後のアンビエントの先駆となる作品だった。
 とはいえ、この度リリースされたイーノの新作『The Ship』は、ブライアーズのように真正面からタイタニック号の沈没と向き合うものではない。本作においてタイタニック号の沈没という出来事(1912年)は、第一次世界大戦というもうひとつの出来事(1914〜18年)とセットで扱われているのである。
 日本では便宜的に第二次世界大戦までがいわゆる「近代」とされてきたけれど、ヨーロッパでは長らく第一次世界大戦までが「近代」と見做されてきた。つまり第一次世界大戦は、欧州に生きるイーノにとって、いまからひとつ前の時代の終焉を意味するものなのである。
 なぜいまイーノがそのようなテーマに惹かれたのかということについては、昨年の彼の政治的な活動を振り返ると、ある程度は察しがつく。人類はすでに100年も前に科学技術や軍事力を過信することの危険性を知っているはずなのに、今日でも戦争や紛争といった問題は何も解決していないではないか、むしろ世界の状況は当時よりも悪化しているのではないか──おそらくイーノの胸中にはそういう思いが横たわっているのだろう。彼の瞳には、9•11やイラク戦争、世界金融危機を経た現在の世界の惨状が、100年前のムードと非常に似通ったものとして映っているのである。

 ソロ名義としては『Lux』(2012年)以来およそ3年半ぶりとなる新作『The Ship』だが、いわゆる「歌もの」として本作を捉えた場合、『Another Day On Earth』(2005年)以来11年ぶりのアルバムということになる。とはいえこの11年の間、イーノが全く歌っていなかったというわけではない。カール・ハイドとの共作である『Someday World』(2014年)では何曲かでイーノがメイン・ヴォーカルを務めていたし、同じ時期にリリースされたデーモン・アルバーンのソロ・アルバム『Everyday Robots』でもイーノはゲストとして哀愁漂うヴォーカルを披露していた。
 しかしながら、そもそも本作をいわゆる「歌もの」に分類するのにはいささか困難が伴う。たしかに、イーノは歌っている。けれど本作では最後の "I'm Set Free" を除いて、「ヴォーカル+バックトラック」という典型的な「歌もの」の構図は採用されていない。本作で聴くことのできるイーノの低い──そう、とてつもなく低い──ヴォーカルは、あくまでそれ以外のサウンドと溶け合うように、全体を構成する部分のひとつとして鳴り響いているのである。かつてイーノはU2のボノに対しヴォーカルの不毛性について説き語ったことがあるそうだが、いざ自らが歌うにあたっても、ヴォーカルを特権的に扱う趨勢に対する反抗心を忘れることはできないのだろう(そうであるがゆえにこそ、最後の "I'm Set Free" が効果的に響く)。

 本作は大きく "The Ship" と "Fickle Sun" の二部から構成されている。
 タイトル・トラックであ "The Ship" は、希望に満ちた新たな船出を告げるかのような、イーノらしい静謐なアンビエントで幕を開ける。6分手前からイーノの低いヴォーカルが入場し、その最も低い部分は次第に周囲の電子音と混ざり合っていく。背後ではサンプリングされた音声が小さな小さな雑音として鳴っている。それらが混ざり合う様は徐々に変化していき、13〜14分あたりで一段落すると、トラックは少しずつきな臭い様相を呈していく。15分手前からは静かなノイズと女性のものと思しきヴォイスが乱入し、不穏な空気が漂い始める。17分手前からは謎めいた声が亡霊のように語り出し、また新たなノイズが侵入してくると、それらは次第に重なり合っていく。繰り返される「Wave, after wave, after wave」という呟きが聴き手を不安へと誘い、アルバムは前半を終える。

 後半の "Fickle Sun" はさらに三つのパートに分かれている。
 最初のパートは "The Ship" と同じようにアンビエントで始まるものの、そこにもはや明るい未来の兆しなどはなく、出だしからベースが不吉な雰囲気を紡ぎ出していく。3分手前からイーノのヴォーカルが入り込み、5分を過ぎたあたりからシンバルが鳴り始め、6分頃にはノイジーなギターが乱入してくる。7分を過ぎた頃には全ての音が大音量で轟き始め、おそらくはここが最大の戦場なのだろう、けたたましさは頂点に達する。その後いったん静寂が訪れるものの、徐々に様々な音声が入り乱れていき、トラックの後半は声の一大実験場と化す。その様はまるで、戦場=船上で命を落とした者たちを一堂に召喚する魔術的な儀式のようである。繰り返される「When I was a young soldier」というフレーズが亡霊たちの呻き声を呼び寄せながら、"Fickle Sun" は最初のパートを終える。
 二つ目のパートである "The Hour Is Thin" では、もの悲しげなピアノをバックに、タイタニック号の沈没や第一次世界大戦に関連する文書を元にマルコフ連鎖ジェネレーターによって生成されたテクストを、俳優のピーター・セラフィノウィッツが淡々と読み上げていく。その亡霊たちを鎮魂するかのような朗読に導かれ、"Fickle Sun" は三つ目のパートである "I'm Set Free" へと流れ込み、これまでの闇を一気に振り払う。長大な映画のエンディングのような余韻を与えるこのヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァーは、聴き手に新たな希望の片鱗を垣間見せるものの、それは「幻想」であると歌われ、『The Ship』は静かに幕を下ろす。

 このように本作は、これまでのイーノのどのアルバムにも似ていない、極めて野心的な作品となっている。 "Fickle Sun" 中盤のノイジーな展開は、00年代以降ドローンがノイズとアンビエントとの境界を攪乱していったことに対するゴッドファーザーなりの応答である、と考えることも可能だろう。そういう意味で本作は昨今の音楽シーンへの目配りもおこなっているわけだが、それ以上に本作で重要なのは、その物語性である。
始めから通して聴けばわかるように、本作はオープニングとクライマックスとエンディングをしっかりと具えた壮大な小説のように進行していく。静穏なアンビエントやイーノ自身による歌、けたたましい騒音や様々な声の実験を経由して、最終的に本作は「私は自由になる」と歌われるポップ・ソングへと辿り着くのである。"Fickle Sun" の最初の方でイーノは「The line is long / The line is gray」と歌っているが、この「line」は「航路」であると同時に文字通り「線」でもあるのだろう。『The Ship』は一本の線のように進行していく物語なのである。

 そもそも70年代にイーノが開始したアンビエントというプロジェクトには、リニアな物語として展開する音楽に異議を唱えるという側面があった。そのようなイーノ自身によって始められた試みが、この『The Ship』では、イーノ自身によって問いに付されているのである。アンビエントに歌を組み合わせるという点においてだけでなく、アルバム全体に物語性を導入するという点においても、イーノは本作で、これまでの自身のディスコグラフィから遠ざかろうと奮闘している。要するに本作は、イーノ自身によるイーノ自身への反抗なのである。
 振り返れば、イーノの歩みは抵抗の連続だった。スクラッチ・オーケストラやロキシー・ミュージックへの参加は音楽のプロフェッショナルであることへの抵抗であり、〈オブスキュア〉の始動やアンビエント・ミュージックの発明はロックの昂揚感や音楽における物語性、あるいはメディテイション・ミュージックに対する抵抗であり(紙版『ele-king vol.8』および『AMBIENT definitive 1958-2013』に掲載された三田格さんによる論考およびイーノへのインタヴューはとんでもなく素晴らしい内容なので、未読の方にはご一読をお勧めする)、インスタレーションや映像作品への着手は音のみに没入するような聴取のあり方に対する抵抗であり、『Neroli』(1993年)以降の道程はレイヴ・カルチャーによって再定義されたアンビエントに対する抵抗であり(全篇アンビエントのアルバムとしては次の『Lux』まで19年ものときが空く)、U2やコールドプレイといったロック・バンドのプロデュースはアンダーグラウンドなあるいはエクスペリメンタルな音楽にしか価値を見出さない向きに対する抵抗であった。
 このようにロックと現代音楽との間を、ポップとエクスペリメンタリズムとの間を行き来する彼の立ち居振る舞いは、いわゆる「ポストモダン」を体現したものであったと言うことができるだろう。『The Ship』でイーノが試みようとしているのは、そのような自身の履歴からの逃走であり、そのような自身の履歴に対する闘争なのである。
 本作はひとつの大きな物語として展開していくが、そこで扱われるテーマがタイタニック号の沈没および第一次世界大戦であるのは単なる偶然ではない。先に述べたように、それら二つの出来事はイーノにとってひとつ前の時代の終焉を意味するものであった。すなわちイーノは本作において、自らの「ポストモダン」性に反抗するために、「モダン=近代」の終焉を参照するのである。

 そのアイデアは、このアルバムの制作過程にも影響を与えている。
 本作の制作は、イーノがストックホルムの映画館でのインスタレーションを依頼されたところから始まっている。彼はその会場内で、様々な場所に設置された様々な種類のスピーカーがそれぞれ異なる音を発していることに気がつく。それはつまり、ひとつひとつのスピーカーがそれぞれ「個性」を有しているということである。そのことにインスパイアされたイーノは、一度レコーディングされた音源を様々なスピーカーで鳴らし直すことで改めて音源に調整を加えていき、本作を練り上げていった。
 ここで、第一次世界大戦の戦闘を特徴付けていたのが、機関銃と毒ガスという「新兵器」であったことを思い出そう。機関銃や毒ガスがそれ以前の武器と異なっていたのは、それらが敵の「個性」を無効化してしまうという点においてである。どのような「個性」の持ち主であれ、一度機関銃や毒ガスの前に身をさらされた者は、ただ自らの死を受け入れるほかに為す術を持たない。要するに、かつてロマン主義によって解放された「個性」は、第一次世界大戦によって粉々に打ち砕かれてしまったのである。本作でイーノが拾おうとするのは、そのようなかけがえのない「個性」の亡骸なのだ。

 物語性の導入にせよ「個性」の尊重にせよ、それらが反動的な側面を有していることは否めない。つまるところ、本作は賭けなのである。それも極めて分の悪い賭けだ。イーノ自身、そのリスクは承知しているのだろう。だからこそ彼は「幻想」という言葉に導かれ、いま、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの "I'm Set Free" を歌うことを決意したのだ。「I'm set free / To find a new illusion(私は自由になる/新しい幻想を見つけるために)」。 この一節の強勢は「自由」の方にではなく「幻想」の方にある。


 それはかつて科学技術や軍事力であった。それはかつて物語や「個性」であった。あるいはそれはかつて、民主主義や資本主義やキリスト教でもあっただろう。人びとがその手で生み出し、互いに合意し、信じ抜こうとするもの──それが「幻想」でなくて何だろう。音楽だってひとつの「幻想」だ。本作がデヴィッド・ボウイに捧げられていることの意味もそこにこそある。ボウイというかけがえのない「個性」が紡いだ物語も、またひとつの「幻想」であったのだから。
 過去の歴史を踏まえた上で現在の世界の惨状と向き合うために、そして自身の履歴を踏まえた上で新しい音楽を生み出すために、イーノはここに『The Ship』という新たな「幻想」を作り上げた。その新たな「幻想」は、タイタニック号のバンドメンバーたちが奏でていたようなアンビヴァレントなものではない。このアルバムは、かけがえのない「個性」を持った、たったひとりのあなたに、能動的に聴かれることを欲している。かつてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽が、ブライアン・イーノというたったひとりの「個性」のもとへ届いたように。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377