「AY」と一致するもの

 朝一番に知人から届いた携帯メールでボウイの死を知った。起き抜けの寝ぼけ頭ということもあって最初は「ネット発のデマでは?」との疑惑の方が大きかったし、たまたま最新作『★』を前日に聴いていたタイミングということもあって余計に信じ難い。しかしBBC他のニュース・サイトを複数確認していくうちに徐々にリアリティが浸透し始め、それに伴いショックも少しずつ心に広がっていった。

 諸メディアに関連報道が次々にアップデートされ、セレブのトウィートはもちろん英首相デイヴィッド・キャメロンが定例記者会見の場で追悼の意を表し、現在現カンタベリー大主教までボウイ・ファンだったことを告白(!)。国際宇宙ステーションに乗船した初の英国人宇宙飛行士ティム・ピークからも追悼メッセージが届いた(ティムではなく「トム」だったら最高だったな)。ベルリン、ロンドンのブリクストン、とボウイゆかりの地にファンが花束を捧げ始めた映像に続き、夜が明けて彼の終の住処となったニューヨークのアパート前にも人びとが集い出した。朝刊にこそ間に合わなかったものの、第一陣を切ったロンドンの夕刊紙『Evening Standard』追悼号が街頭に溢れ出し……といった具合だったが、1月11日は「まさか」「何かの間違いでは」と、どこかキツネにつままれたような思いで過ぎていった気がする。

 その思いは多くの人びとも共有していたようで、テレビ(定時ニュース番組でのトップ報道を筆頭に、BBCやChannel 4は番組編成を変更して追悼特番やアーカイヴ番組を放映)やラジオをチェックしていても「信じられない」の声はよく耳にした。2003年の発作以降ツアー活動は停止、イベントのサプライズ・ゲストや他アクト作品への客演他こそあったものの00年代半ばから10年代始めにかけて彼が公けの場に滅多に登場しなくなり、「ロック界のグレタ・ガルボ」〜半ば隠遁者のエニグマと化していったのはよく知られている。今にして思えばそれすらもこのフィナーレを視野に入れた「終わりへの準備」だったように映るし、創作面の最後のメイン・パートナー役だったトニー・ヴィスコンティも彼の死を「これまでの彼の人生同様、芸術作品だった」と評している。が、当時の自分はむしろボウイの尊敬するマルセル・デュシャンが絵筆とキャンバスを捨てて「網膜芸術ではなく、観念としての芸術」を生き方において実践したように、「これも彼流の『不在』パフォーマンスであり、自己神話作りのひとつなのだろうな」と認識していた。

 というのも:面白いことに、この時期の彼のメディア・プロファイルはレコーディング・アーティスト/パフォーマーとしてアクティヴだった90年代よりも逆に大きかったからだ。「もっとも影響力の強いアーティスト」「ロック名盤」他の各種リストはもちろん、イギリスのヘリテージ・ロック雑誌界隈では手を替え品を替え「The Dame」(=デイムはイギリスのパントマイム劇で伝統的に男性が女装で演じるキャンプな中年女性の役柄で、ジョークと愛情を込めてボウイをこう呼ぶ人間は英音楽メディアに多い)を表紙特集に引っ張り出していた。2012ロンドン・オリンピックの非公式アンセムとして“Heroes”が繰り返し使われ、感動の波で人心を包んだのも記憶に新しい。2000年に行われたBBCとの取材でボウイが「インターネットは人間の生活を変える!」と、いささかネットに懐疑的な面持ちのインタヴュアー(ボウイよりも年下の著名ジャーナリスト)にアツく断言してみせる場面があるのだが、こうしたアート・テクノロジー・メディア・社会に関する先見性は不在時ですら彼の存在を様々な場で感知させることになった、と言える。

 その沈黙〜潜伏状況は、2013年に突如発表され人びとの度肝を抜いた前作『The Next Day』で変化した。とはいえ、同作に寄せられた賞賛には「老醜をさらさないボウイ」への祝福・感嘆・憧れも多分に含まれていたように思う。同作の音楽的なクオリティや知的でコンテンポラリーなコンセプトはもちろんだが、彼とほぼ同期のシルヴァー世代ロッカーの多くのように禿げも肥りもせず/あるいは年輪が刻まれ過ぎてフリーキーになることもない彼の久々のイメージは「ボウイ健在!」を刻み付け、ファンの期待をみごとに裏切らなかった。『★』発表時の(おそらく最後とされる)公式プロモ写真にしても、特有のニカッとした笑顔の若々しさとバロウズやレナード・コーエンを思わせるフェドーラ+スーツ姿は実にスタイリッシュで「さすが」と思わされた。

 これはまあ、「あまりに浅い、年齢差別な発想」と笑われても仕方ない意見なのかもしれない。が、3年前にヴィクトリア&アルバート博物館が企画した『David Bowie Is』と題された展示(コスチューム、メモリアル・グッズ等の私蔵コレクションの回顧展)がV&Aのチケット販売歴代記録を破る大ヒットになったように、音楽だけではなくイメージとスタイルの変遷を繰り広げ、現中年〜熟年層世代のファッション観に多くの影響を与えたアイコンに①気楽なジャージ+Tシャツ姿、あるいは②(アーティであれブリングであれ)頑張り過ぎな高級ブランド服を着られたら──やっぱりがっかりするだろう。イメージの重要さを知り尽くしていた彼は、最期までセルフ・イメージを維持し切ったことになる。

 もちろん我々に「オフ」でのボウイを見るチャンスはなかったとはいえ(実は自宅ではユルくビーサンとか履いていたんじゃないか? とも思うけど)、アルバムや銀幕を通じボウイがクリエイトしてみせた(あるいはクリエイターたちが彼に投影した)「異星人」「アンドロジニー」「人獣ミュータント」「吸血鬼」「魔王」等々のペルソナはアザーズ/ミスフィッツ/アウトサイダーの言い換えであり、そこには常に人知を越えた一種の神秘性〜肉体という限界を超越し、(驕ることなく)あざ笑いうっちゃり、かぶいてみせる「スーパー・ヒューマン」の魅力が漂っていた。たとえば昨今人気の高いイギリス俳優にしても、ベネディクト・カンバーバッチ、エディ・レドメイン、トム・ヒドルストン等、表=よく見えるとフリーク気味なマスク、裏=お茶目な素顔のコンビネーションがメインストリームに台頭しているのは、彼らの登場をはるか昔に地ならししたボウイDNA効果のひとつの顕われじゃないか?と。

 そんな風にボウイが全キャリアを通じて体現してみせたと言える「不可能を可能にする在り方」は、ファンである一般人にとっての憧れ・夢でもあった。もちろん自分のような凡人にボウイのような不老の秘訣は持ち合わせがないし、逆立ちしたって真似るのは無理と重々承知している。しかし、彼のようなスーパーな人間──それはロック界に限らずスポーツでも映画界でも、突出して秀でた人物のすべてに当てはまるが──が存在することそのものが自分の潜在意識の中で生に対するポジな励み、あるいは目標として「支え」になっていたとは思う。テレビで某コメンテーターが「私たちは導いてくれる『灯り』を失ってしまった」と語ったのはなるほど納得で、彼がインスパイアしたと言っても過言ではないパンク/ポストパンク/ニューウェイヴ/ニュー・ロマンティクス/シンセ・ポップ/ゴス〜ひいては若いアート・ロック勢は言うまでもなく、60年代UKロック黄金時代に間に合わず、混沌とした世界に迷い、疎外感を抱えていた世代のイギリスの子供や若者たちにポップを通じて未来やポスト・モダンの感性を浸透させ、進化を続けたボウイは、やはりリーダーでありアイコンだった。

 しかし何よりも素晴らしいのは、仮に「ボウイ」の名の下に人びとが集まれば、そこにはグラム・マニアからソウル好き、クラウト・ロック愛好家にプログレ人、ディスコ・ダンサーにインダストリアル・ロッカー、現代芸術家にファッショニスタ等々、種々雑多なサブカル・トライブと年代と性とが混じり合う図を容易に想像できる点だ。ミスフィッツによる「影の集団」と呼んでもいいだろうし、こうした「はみだしっ子の連携」はロバート・スミスやモリッシー、スウェードにジャーヴィス・コッカー、マドンナ〜レディ・ガガらのレゾンデートルにまで引き継がれている系譜とはいえ、ここまで長くアウトサイダーたちに心の拠り所を提供し続け、アクセス・ポイントを幅広く多く持つアーティストというのは──やはりボウイ以外にいないのではないだろうか。

 グラム好きなイギリス人の知人は、悲しみにくれて「まだ起きるべきじゃなかった、早過ぎる死。ひとつの時代が終わった」と話していた。それは、既にマーク・ボランを失っている彼にとっていよいよ本当に青春期が終焉したという意味なのだろうし、先に書いたように我々の心を見えないどこかで支えている(今風の「セレブ」ではなく真の意味での)「スター」の消失は、これからイギリスの深層心理にどんな影響を及ぼすだろう?と懸念すらしてしまう。彼のようなスーパー・ヒューマンですら、やはり死神がドアをノックするのを食い止めることはできなかったわけで。

 もっとも、ボウイの輝きに免疫がある人びとはいくらでもいる。1月12日早朝にスーパーに買い物に行き、大手新聞の朝刊一面をすべからく飾ったボウイのポートレートを眺めていたところ、たまにすれ違い会釈する間柄の近所のおっさん(たぶん50代)が新聞を掴みがてら「もう(ボウイ報道は)たくさんだよなぁ」と苦笑気味に話しかけてきた。なーる、イギリス人の誰もがボウイに感電したわけではなかったのね……と自らの近視ぶりを認識したのだが、この人と同じ世代の音楽好きの友だちも、意外や訃報に対するリアクションが冷たいのには驚いた。のだが、これは彼のアンチ・コマーシャリズムで硬派な元パンクスとしてのつっぱった姿勢ゆえだった模様(翌日、わざわざ「昨日は言い過ぎた、ごめん」と謝りの電話をかけてきた)。ジェンダー・ベンディングを始めとするボウイの危険分子としての存在感や厭世型のアポカリプス思想が苦手なもうちょい上の世代は、ディランやポール、ミックやニール・ヤングの伝統性や団結志向にアイデンティファイしている。若い子にいたっては、「ボウイ、Who?」な反応の方がむしろ普通だろう。

 ゆえに自分があれこれ心配する必要はないのだろうし、時間は刻々と過ぎ、新たなニュースも続々寄せている。この拙文のタイトルはアフォリズムを得意としたデュシャンの墓碑銘にちなんでいるのだが、ファンへの最後の贈り物として新作アルバムを発表し、「飛ぶ鳥後を濁さず」とばかりに実にさりげなくスマートに逝ってしまったボウイもまた、どこかデュシャンのように自らの死を客観視できる、一時的に地球を訪れた「Visitor」のひとりだったのかもしれない。というわけで、世界は前に進み続けている。が、うざったいのを承知で書かせてもらうと──イギリスのコンシャスな音楽好きにとって、ボウイの死はおそらくジョン・ピールの死(2004年)と同じレベルのショックと余波とを残していくだろう。かたやBBC=公共放送の場でラディカルな/他局ではオミットされる/アンダーグラウンドな音楽を情熱と共に紹介し続けた怪傑、かたやトレンドを嗅ぎながら独自のひねりを添えてマス・マーケットに提示できるスター・マイスター……とキャラクターは違うものの、英音楽カルチャーの織地における信頼できるナビゲーターがまたひとつ消えたのは間違いない。

 こうしたハブの遺失がすべてマイナスというわけではなく、ジョン・ピールの志しを継ぐ存在と言える音楽専門ラジオ局=BBC6は今も元気で意欲的なプログラムを組んでいるし、ボウイが早いうちから積極的に取り組んでいたネットはいまや最大の音楽発信源/リスニング・ポータル/発見ツールとしてアクティヴに進化している。優れたミュージシャンや音楽はこれからも生まれ続けるだろう。だが、今の自分の中にどこか、広い海と長く続く砂浜にひとり取り残された子供のような頼りない感覚があるのもまた、確かだ。

2014年に公開されたイギリス映画『パレードへようこそ』(日本での公開は2015年)。その主人公であるLesbians and Gays Support the Miners(LGSM)の活動を紹介する写真展が開催される。撮影はフォトグラファーの横山純によって行われた。横山氏は2014年8月から一年間イギリスに滞在し、現地の抗議運動やグライムアーティストを撮影。その写真はイギリスの音楽媒体『FACT』の年間ベストフォトにも選出された。写真展は2016年1月13日から25日にかけて、大阪のコミュニティースペースdistaで開催される。

以下、開催中の写真展の様子。

日程:
2016年1月13日〜25日
17:00〜22:30
火曜日休

会場:
コミュニティースペースdista
大阪市北区堂山町17-5 巽ビル4F
https://www.dista.be/access/

入場無料

1980年代のイギリスで生まれたLGSMは、2014年のイギリス映画『パレードへようこそ』公開後、にわかにLGBT(性的マイノリティ)コミュニティやアクティビストの世界を越えて「LGBTのヒーロー」の一つとして数えられるようになりました。

サッチャー政権はストライキを行う炭鉱労働者に対して弾圧を行い、労働者の生活は逼迫していきました。ロンドンで活動するLGBTの活動家たちは「かれらはおれたちと同じようにサッチャーにいじめられている。なにかできることはないか?」と、自分たちが置かれている状況に炭鉱労働者の姿を重ねあわせ、労働者や組合をサポートするために「Lesbians and Gays Support the Miners」というグループを作り、活動を始めました。地道なLGSMの活動は徐々に炭鉱の街の人たちの信頼を得て理解者を増やし、音楽やダンスで絆を深め、最終的にその運動はイギリス全土を巻き込んだ民衆の運動になりました。

それから30年が経った今もLGSMのメンバーたちは今年のロンドンプライドパレードで、警察や保守層から弾圧や妨害を受けていたソウルクイアパレードへの連帯を表明しただけではなく、イギリス中のプライドパレードや労働者たちのお祭りなどでバナーを持って行進しました。イスタンブールのプライドパレードにおける弾圧に対するトルコ大使館前の抗議でも、東ロンドンにおける公営団地からの住民立ち退きに抗議するデモでも、LGSMのバナーとメンバーたちを見つけることが出来ました。

LGSMは今でも「誰かのために立ち上がる」ことを忘れず、古びれることなく、変わりゆく社会環境の中で、闘争の最前線に立ち続けています。
虹のもとで、連帯こそ力であると信じて。
その、かれらの姿を見に来て下さい。


David Bowie - ele-king

 これはジャズではない。では何か? ただの痛みだ。

 たしかに先行曲ともいえる“スー”は、新世代ジャズ・ラージアンサンブルで知られるマリア・シュナイダーとのコラボレーションが話題になった。アルバム曲には、管楽器にダニー・マッキャスリン、鍵盤にジェイソン・リンドナー、ベースにティム・ルフェーベル、ドラムにマーク・ジュリアナら新世代のジャズ・ミュージシャンを起用している。彼らがアルバム全編にわたって活躍をしており、とくにジュリアナのドラミングの凄まじさは誰しもが驚愕するだろう。だが、それにも関わらず本作はジャズではない。彼らであればいとも簡単に演奏できてしまうであろうジャズ的な和声やリズムを半ば拘束的ともいえるほど禁じているからだ。

 では本作はロックなのだろうか。たしかにときにシンプルな3コードに収まりもするボウイのソングライティングはロック的即物性を兼ね備えてはいる。だが、 ボウイは(少なくともメロディ・和声面での構造では)ビートルズの影響をまったく受けていないように思える。これは60年代以降のロック・ミュージシャンとしては、ルー・リードと並び極めて異例である。

 それでは、そもそもボウイの音楽は何なのだろうか。もともとはアマチュアのジャズのサックスプレイヤーであり、60年代にロック・ミュージシャンとしてデビューをした彼は何者なのだろうか。簡単にいえば、彼は「デヴィッド・ボウイの音楽」を「演じてきた」特異点のような存在なのだろう。むろん、彼の「演技性」と「肉体性」と「ペルソナ」の問題など、ロックの本を紐解けばどこにでも書いているし、そもそもボウイのファンならば当たり前すぎることだ。いまさら語っていいとも思えない。

 私がここでもっとも重要視したいのは2点だ。より正確には後者のひとつだ。まずひとつ。ボウイのソングライティングは、黒人音楽と白人のポピュラー・ミュージックのキマイラのようであり、それは20世紀という時代のモダニズムの象徴である点。そして、もう1点。彼の音楽はロックにテクスチャーの感覚を導入したという点である。もっともそれは彼一代限りのものでない。スコット・ウォーカーからボウイが受け継ぎ、デヴィッド・シルヴィアンに受け継がれていった感覚でもある。
 
 わかりやすい例として有名な『ロウ』を上げよう。ブライアン・イーノも参加したというこの傑作は、イーノ特有のアンビエンス/アンビエント感覚を大胆に導入し、アルバム後半(B面)のインスト曲によって、ボウイはそのテクスチャー感覚を前面化させる。淡い音色によるシンセサイザーの持続音が一定のムードを生成し、そこにリズムやサウンドが絡み合う。このB面のアトモスフィアこそ、後の電子音響からエレクトロニカなどに、たとえば、カールステン・ニコライやクリスチャン・フェネス、インダストリアル/テクノのザ・ストレンジャーまで受け継がれていく感覚でもある。

 そして本作『★』は、そんなボウイのテクスチャー感覚が久しぶりに、それこそ『ロウ』以来、前面化した傑作とはいえないか。コード進行など楽曲の変化は曖昧で、聴き手は掴みきれない曲のテクスチャーを撫でるように聴くことになる。名うてのジャズ・ミュージシャンたちは、ボウイのテクスチャー感覚を生成するために召還されたといっても過言ではないだろう。なぜか。ボウイが欲したのは、彼らジャズ・ミュージシャンの演奏情報量の豊富さであり、それをある一定のトーンに制御することで生まれるムードではなかったか。
 事実、本作において、彼らは意識的にロックの即物性に「拘束」されている。あの複雑なリズムを分割できるマーク・ジュリアナですら、8ビートのリズムを叩いているのだ。しかしそれでも彼らの持っている演奏情報量の複雑さが「漏れでてしまう」。正確に、拘束的にバッキングに徹するなかで、ときにドラムのリズムが、サックスのフレーズが、ベースラインが、ジャズ的な複雑さをもらしてしまう。そこに拘束とから生まれる官能によって、この『★』の音楽に生まれているように聴こえる。本作は非常にマゾヒティックな官能に満ちたアルバムなのだ。
 10分に渡る“★”にせよ、先行曲のリミックス曲“スー”にせよ、まるでジョイ・ディヴィジョンのようなイントロの“ラザルス”にせよ、ジャズ・ミュージシャンに「ロックを演奏させる」拘束を見事に成功している。そこから生まれる拘束の官能性は、本作の色気を象徴しているといっていい。マーク・ジュリアナのビートは複雑なリズムと単純なニュー・ウェイヴ的な8ビートを往復しながら、彼のソロ・アルバムや他の参加作品とは異質の「色気」を放っている。

 では、なぜこのようなコンポジションが可能になったのか。私見だが「拘束の響き」の基調として、本作のどの楽曲にも、(たとえ聴こえていなくとも)ひとつのの持続音が流れているように思えならないのだ。聴いてみればわかるが、管楽器もシンセサイザーもロングトーンを奏でており、ギターのコードのカッティングよりも、そのロングトーンが楽曲の中心であり、ムードを形作っていることがわかるだろう。
 この感覚こそがあの『ロウ』に近いものであり、本作がときに『ロウ』以来の傑作と呼ばれるゆえんに思える。そして、ボウイのヴォーカル・ラインは、そのロングトーンのひとつの変奏として象徴的に響いているのだ。拘束。解放。生(本作は音楽家の受難と解放そのものように聴こえるし、その意味では非常に「西洋音楽」的だ)。
 このロングトーンの感覚は、果たして彼がサックス・プレイヤーであったことに由来するのだろうか。この傑作『★』を繰り返し聴くにつけ、肉体が奏でるロングトーンの揺らぎと拘束こそが、彼の音楽の官能性の根源だったのではないかと思えてならないのだ。
 だからこそ、その拘束が外されたかのように(偽装する?)、最終2曲、“ドラー・デイズ”と“アイ・キャント・ギブ・エブリシング”のメロディは、単なるポップというだけではない死の不穏さを称えているようにすら聴こえてくる。そう、「生」の拘束以降の世界に響く、死後のポップ・ミュージックのように……。

   ***

 ここまで書いたところで、公式サイト、フェイスブック、ツイッターの公式アカウントがこのようなアナウンスをリリースした。本文は、彼の「死」を知る直前に書きあげた記録として「あえて」修正せずに提出させて頂いた。「死」のフィルターを通していないレヴューであるが、確実に「死」の影を感じていたことも事実である……。そこが芸術の力でもあると思う。

January 10 2016 - David Bowie died peacefully today surrounded by his family after a courageous 18 month battle with cancer. While many of you will share in this loss, we ask that you respect the family’s privacy during their time of grief.

https://www.davidbowie.com/news/january-10-2016-55521

RIP David Bowie - ele-king

英国に止まない雨が降った朝文:ブレイディみかこ

 ある雑誌の企画で「いま一番聴いている5曲」という調査に参加することになり、アンケート用紙に記入してメールした後、酒を飲みながらボウイの新譜を聴いていた。
 「いま一番聴いている5曲」の中にも、『Blackstar』収録の” 'Tis a Pity She Was a Whore”を入れた。過去と現在の音をカクテルにしてぐいぐいかき混ぜながら、確かに前進していると思える力強さがある。みたいなことをアンケートには書いておいた。
 そして新譜を聴きながらわたしは眠った。
 が、朝5時に目が覚めてしまった。
 まるで天上から誰かが巨大なバケツで水をぶちまけているかのような雨が降っていたからだ。雨の音で目が覚めるというのはそうある話ではない。こんな怒涛のような雨が降り続いたら、うちのような安普請の家は破れるんじゃないかと本気で思った。妙に真っ暗で、異様なほどけたたましい雨の降る早朝だった。

 しばらく経つと電話が鳴った。時計を見ると6時を少し回っている。受話器を取るとダンプを運転中の連合いだった。
「ボウイが死んだ」
「は? ボウイって誰?」
そんな変な名前の友人が連合いにいたっけ?と思った。最近やけに死ぬ人が多いので、また誰か逝ったのかと思ったのだ。
「ボウイだよ、デヴィッド・ボウイ」
と言って、連合いは電話口で”Space Oddity”を歌いだした。
「えっ」
と驚いて「いつ?」と訊くと
「いまラジオで言っている。公式発表だって」
と連合いが言った。
 頭がぼんやりしていた。意味もなく、いまUKで連合いのように“Space Oddity”を歌っている人が何人いるのだろうと思った。

 以前も書いたことがあるが、わたしはボウイのファンではない。そもそもロックスタアの逆張りとして登場したジョニー・ロットンを生涯の師と定めた女である。だから彼の音楽も「まあ一通り」的な聴き方をした程度だし、同世代の女性たちのように麗しのボウイ様に憧れた思い出もない。
 寧ろ、彼の音楽に本格的に何かを感じ始めたのは前作の『The Next Day』からである。
アンチエイジングにしゃかりきになっているロックスタアたちへの逆張りを、誰よりもロックスタアだったボウイが始めたように感じたからだ。
 彼は老いることそのものをロックにしようとしていると思った。
 絶対にロックにはなり得ないものをロックにしようとする果敢さと、その方法論の聡明さにわたしは打たれた。だからこそ、2013年以降は
「いま一番ロックなのはボウイだ」
と酒の席で言い続けてきたのだ。

 権力を倒せだの俺は反逆者だの戦争反対だのセックスしてえだの、そういう言葉がロックという様式芸能の中の、まるで歌舞伎の「絶景かな、絶景かな」みたいな文句になり、スーパーのロック売り場に行儀よく並べられて販売されているときに、ボウイは「老齢化」という先進国の誰もがまだしっかり目を見開いて直視することができないホラーな真実を、ひとり目を逸らさずに見据えている。そんな気がしたのである。

 しかもまたボウイときたら、それをクールに行うことができた。
 新譜収録の〝Lazarus”のPVの死相漂うボウイの格好良さはどうだろう。
 プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは「彼の死は、彼の人生と何ら変わりなかった。それはアートワークだった」と語っているが、ボウイは自らの死期を知っていて、別れの挨拶として新譜を作ったという。リリースのタイミングも何もかも、すべてが綿密に計画されたものだった。
 思えば2年前。クール。というある世代まではどんなものより大事だったコンセプトを復権させるためにボウイは戻って来たのではなかったか。
 そのコンセプトというか美意識がずぶずぶといい加減に溶け出してから、世の中はずいぶんと醜悪で愚かしい場所になってしまったから。
 ボウイのクールとは、邦訳すれば矜持のことだった。

 ざあざあ止まない雨の中を、子供を学校に送って行った。
 息子のクラスメートの母親が、高校生の長男がショックを受けていると言っていた。
「彼にとって、なんてひどい朝なんでしょう。起きて一番最初に耳にしたのが、自分が知ったばかりの、大好きになったばかりのヒーローが亡くなったというニュースだなんて」
そう彼女は言った。
 ああそう言えば、日本に送ったアンケート用紙のボウイに関する記述を過去形に訂正しなくては。と思った。
 ざあざあ止まない雨が降る空は、明るいわけでも暗いわけでもなく、幽玄なまでに真っ白だった。

文:ブレイディみかこ

RIP Paul Bley - ele-king

 弁護士にしてエスペランティスト、バーナード・ストルツマンが1964年にたちあげたESP-Disk――ESPはエスペラント語の頭文字に由来――はオーネットとセシル・テイラーが拓いたフリージャズの耕地からの最初のまとまった収穫といえるもので、ビル・ディクソンがしかけたジャズの十月革命とともに、60年代なかばのニューヨークはフリージャズの夢に浮かされることになるが、ESPの66年あたりに俗に「顔ジャケ」と呼ばれるアルバムがかたまっているのを読者のみなさんはおそらくご存じあるまい。というのも、俗もなにも、そう呼んでいるのは私だけだからであるが、目くじらを立てずにもうしばらくおつきあいいただくとして、カタログ番号1021を皮切りに1026のヘンリー・グライムス・トリオ『The Call』(1026)までをひとかたまりに、番号とんで、チャールズ・テイラー『Ensemble』(1029)、ノア・ハワード・カルテット(1031)とサニー・マレーの『s/t』(1032)もこの括りにはいる。パティ・ウォーターズの『Sings』(1025)は王道顔ジャケだが、1055番の『Collage Tour』のカヴァー写真の影になった眼窩によく見るとうっすら目玉がすけているに気づいたときは、夜中だったもんでさすがにギョッとしました。ジャケの呆けた笑みと、低温で燃焼するようなヴォーカリゼーションをジュゼッピ・ローガンのフルートが煽るこのアルバムを私は顔ジャケの横綱に推挙したい。それに対抗できるのは、洞穴のような狂気を思わせるフランク・ライト・トリオ(1023)のジャケットしかないと思うのだが、こっちはいくらか「顔負け」した典型的なフリージャズ――なに? 典型的なフリージャズ? ジャズの枠組みを外すことを目するフリージャズに様式を認めるこの形容は、ジャズの即興を問うなかで何度も蒸しかえされた命題でもあり、いまもって正解はない。しかも時代がくだるごとにアーカイヴが膨らめば、あらたな即興の可能性はそれと反比例して縮減する。もちろんこれは単純化した数字の話にすぎないし、当時を現在の観点で論ずる誤謬もあるにしても、ジャズの前衛から欧州の即興者を中継し音響の文脈のウラに貼りつき、隙あらば前景化したがるこのテーマに私たちは何度もたちかえってきた。ベイリーであれ間章であれ、実践であれ批評であれ、原理に降りるには意思の力は欠かせない。私はその厳しさが内在させる美しさを否定する気は毛頭ないが、形式に内容を充填することで、さらに上位の形式を、普遍の域までとはいわないまでも、高めたがるものもいなくはない。

 ポール・ブレイはジャズで、ジャズという様式そのものを問いつづけることでそれをおこなった数少ないミュージシャンだった、と私は思うのである。

 ESPの「顔ジャケ」シリーズはカタログ番号1021、彼の精悍な顔つきを大写しにした『Closer』(66年)を嚆矢とする。もっともブレイはその前に『Barrage』(1008 / 65年)をESPにのこした。リリース前年に吹きこんだこのアルバムはミルフォード・グレイヴスとエディ・ゴメスのリズムにデューイ・ジョンソン(tp)と、ちょうどニューヨークに出張っていたサン・ラーのアーケストラからマーシャル・アレン(as)の二管を加えた布陣で、カーラ・ブレイのオリジナルを演奏しているのだが、曲も音もオーソドックスなフリージャズの域を出ていない。それが翌年録音の『Closer』では曲の尺はこの手のものにしては極端に短く、作曲者の意図に沿い、ときにそれを超えるところまで音楽をいかに飛躍させるか、アドリブはそのためのスプリングボードとなっている。と書くと、あたかも即興を軽視したようだが、1932年、カナダのモントリオールに生まれたブレイがビバップを知悉したピアニストとして――チャーリー・パーカーとの共演歴もある――当地のシーンを牽引し、ミンガス、マックス・ローチとデビュー作でわたりあったように、ブレイのプレイは巨人たちにひけをとるものではなかった。おしむらくは、生来の耳と手と頭のよさが身体性の突出をさまたげたところはなくはなかった。とくにフリージャズという情動の発露の側面のある方法ではポール・ブレイは異質だった。怒りもなければ抒情に流れすぎない、アイラーのような楽天もなければ、セシル・テイラーの鋭さともちがう、ビル・エヴァンスの系譜に連なるかもしれないが、彼のピアノは彼よりも、ただ音楽をあらわす。それはひとえに音楽への、ひいては他者を感受する力がもたらすものであり、ポール・ブレイは生涯をかけてそれを貫いた。

 余談になるが、いや余談ではないのだが、60年代なかごろ、ポールの盟友にして伴侶だったカーラ・ブレイは『Closer』をリリースしてほどなく、彼のもとを去り、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラのマイケル・マントラーと暮らしはじめる。ロバート・ワイアットの『Cuckooland』(2003年)でも名前を見かけたカレン・マントラーはふたりの娘で、かわりにポール・ブレイは60年代初頭よりしばしば共演したゲイリー・ピーコックの妻であり、ジャズ・コンポーザーであるアネット・ピーコックと親密になり、アネットはゲイリーのものからポールにはしった。ポールとゲイリーはこのこともあって一時疎遠になったが、60年代後半にふたたび合流し、ブレイのたちあげたImprovising Artists Inc.から発表した『Virtuosi』(67年)ではアネット作の「Butterfly」と「Gary」の2曲をレコードの両面たっぷりに吹きこんでいる。後者は(元)夫の名前をとったのだろう。その抑制と解放はECMの作風をさきがけているが、私は逸話にことかかないジャズ史のなかでもこのエピソードに長年興味をそそられてきた。ゲスの極みといわれても仕方ないが、対話に比せられるジャズという演奏形態において、演奏者同士、あるいは作者とプレイヤーは音で対話するとき、そこに一瞬でも私情の過ぎることはなかったのか。イアン・マキューアンが長篇に仕立て、フランソワ・オゾンあたりがやおらメガホンをとりそうな、音楽家たちのこみいったロマンを、しかし音楽以上に一意に直截にあらわす方法は地球上にありえない、とポールは確信していた。そのためにもまず音という抽象物の背後にある作曲者と共演者のすべてに、その厚みにこそ耳を澄まさなければならない。推論というよりほとんど妄想だが、そうでなければ、100を超える多彩な作品とジャズ史を通観するような共演者にめぐまれるわけがない。ところが十日ばかり前、彼はたえることのなかったリリースをいったんきりあげることにした。ECMがリリースした『Open, To Love』の続々編ともいえる一昨年の『Play Blue (Oslo Concert)』をもって、その感受する力をそそぎつづけた音楽活動に終止符を打った。私はねぎらいのことばをかけられるほど熱心なリスナーではなかったかもしれないが、それでも、針を落とせば、ポール・ブレイのすべてに耳を傾けることができる。(了)

《《》》 - ele-king

 一度すでに体験したという感覚を、錯覚と称するのは不当であると私は思う。むしろこのような折りには、実際にかつて一度体験したことのあるものが触れられているのだが、これ自体は、一度として意識されたためしがないゆえに、意識される形では想い出されないのである。簡単に言うなら、「既視」の感覚とは、ある無意識の空想の想起に向けられたものなのだ。
               ジークムント・フロイト『日常生活の精神病理学にむけて』

類例など

 ある演奏の録音と、それを参照せずに行われた別の演奏の録音を、そのまま重ね合わせることでひとつの音楽を生み出そうとする試みは、その系譜をたどるならばジョン・ケージの偶然性の音楽へと遡ることができるものの、近年のいわゆる即興音楽シーンにおいてもいくつか類例をみることができる。たとえば2009年にリリースされた吉田アミと中村としまるによる『蕎麦と薔薇』というアルバム。同じ年にリー・ノイズとバリー・チャバラによってリリースされた『ザ・シェイド・アンド・ザ・スクイント(The Shade and the Squint)』にもこうした方法論を見て取ることができる。2011年にマッティンがリリースした『エクスクイジット・コープス(Exquisite Corpse)』は、彼が書いた詩篇を譜面に見立ててバンド・メンバーがそれぞれ3分間の演奏を個別に録音し、それを重ねてカオティックなパンク・ロック調の音楽を仕上げるという手の込んだ試みである。なかでもとりわけ極端かつ過激ともいえるのは、キース・ロウ、クリスチャン・フェネス、ピーター・レーバーグらが参加する即興音楽集団M.I.M.E.O.による2007年のアルバム『サイト(Sight)』だろう。11人の演奏者がそれぞれ60分のCD-Rに5分間の即興演奏を収め、それらを機械的に合成することで擬似的な「集団即興」を行う。それは即興演奏において同じ場所と時間を共有することの意味、あるいは共演者に対して反応をするとはどのようなことなのかといったことを、なかば露悪的に遡上にのせる企てだった。

 このたび〈ダウトミュージック〉からリリースされた《《》》(メツ)のセカンド・アルバム『Relay』の制作手法から連想され得るのは、たとえばこのような作品群である。たしかに、これらの作品群が独奏の累乗から「合奏」を作り上げているのに対して、《《》》のアルバムでは、合奏に合奏が重ね合わされているという微妙な異なりはある。すなわち聴いていない(聴くことのできない)相手の音だけではなく、そこに場所と時間を共有しながら聴いている(はずの)相手の音も混在しているのである。これは彼らの演奏スタイルを鑑みるならば、重ね合わされるふたつの録音=演奏に、より一層異なる傾向をもたせようとしたのではないかと思われる。だがいずれにせよ、「相手の音を聴くことができない状態で行った演奏をそのまま重ね合わせる」という手法の眼目は、即興演奏における音楽的時間/空間に切れ目を入れることによって、相手の音に対する反応のクリシェ化を回避し、意想外の展開をもたらすような偶然性を導入することにあるのだと、ひとまずはいうことができるだろう。

《《》》とその『Relay』について

 《《》》は2014年から活動を開始した即興音楽グループで、大島輝之、中田粥、竹下勇馬、石原雄治の4人からなっている。それぞれギター、キーボード、ベース、ドラムスを担当すると書くと、ありふれたカルテットにみえるかもしれないが、ここから想像できるような音楽は聴こえてこないだろう。とりわけ説明を要すると思われるのは、中田粥が扱うバグシンセサイザーと竹下勇馬による自作エレキ・ベースである。バグシンセサイザーはサーキットベンディング的発想によって剥き出しにされたキーボードの基盤を誤作動(つまりバグ)させることで音を出す楽器であり、本人の言によれば「内部奏法の延長線上」にあって、アナログシンセ的なノイズ、内蔵された音色パターンの誤作動から生じる音、そしてプリセットされた音楽の自動演奏というおもに3種類の用い方があるという(1)。一方で竹下の自作エレキ・ベースは、本人のホームページなり何なりに載っている写真を参照していただければ早いのだが、エレクトリック・ベースにいくつもの電子回路やエフェクト装置などを取り付け、通常のベースでは出せないような電子音響を鳴らすことができるようになっている。ライヴの際に明滅するLEDランプは視覚的にも強烈だ。楽器の解体から新たな響きを見出そうとする中田と、むしろ器材を付け加えて新たな響きを獲得していく竹下では、自作楽器を用いている点では同じでも、そのやり方は対照的だといえる。

 《《》》の4人による演奏は、今年発売されたファースト・アルバム『《《》》』において、「なにも手が加えられていない状態」で聴くことができる。括弧書きしているのは録音という加工が施されているからに他ならないが、ともあれこの一発録りのライヴ・レコーディングからは、突如演奏がはじまったかと思えば唐突に立ち止まる痙攣的/発作的な彼らの演奏スタイルを聴き取ることができるだろう。それはそれだけ互いの音に対して敏感に耳をそばだてながら瞬時に対応していくという即興演奏のありかたを示しているということでもある。
 シンガーソングライターの柴田聡子とテニスコーツのさやを迎えたセカンド・アルバム『Relay』は、先にも少し書いたように特殊な録音手法によって制作されている。ライナーノーツによれば、まずデュオによる即興演奏を5分間録音し、つぎにそれを聴いていないふたりが同じ時間だけ演奏し録音をする。そしてそれらをそのまま重ね合わせることでひとつのトラックが完成されているのである。アルバムでは、以上のようにしてなされた録音の、片方が次のトラックにも組み込まれるというふうにして、演奏が連鎖的に続いていくこととなる。わたしたちは5分前の演奏とまったく同じ音源が、別の相手との「合奏」によって鳴らされるのを聴くというわけだ。それは5トラックめでさやが「デジャヴ、デジャヴ……」と囁くように、初めて聴くはずのものにどこか既聴感が含まれているかのような不思議な体験だ。そしてボーナス・トラックとされた最後の「合奏」の片方が一トラックめに回帰することによって、アルバムは円環構造をなしていく。

 本盤において《《》》の4人のメンバーだけで行われた演奏が収録されているのは4トラックめのみである。とはいえこれも、実際には竹下・石原のデュオと大島・中田のデュオが別々に行われ、それらの録音を重ね合わせることで生み出された擬似的な「合奏」だ。前二者による緊迫感溢れる静謐な演奏と、後二者による高速度でノイズが散りばめられていく演奏という、ふたつのサウンドの流れが並び立つ「合奏」は、相手の音に敏感に反応するという彼らの演奏スタイルであればこそ、ときにグルーヴするリズミカルな展開さえみられた前作とはまるで異なった、音楽的時間の多層化がもたらす新鮮さを聴かせてくれる。しかしそれはまったくちぐはぐなふたつの演奏が終始噛み合わないままでいるのかというと、そうでもないのであって、まるで示し合わせたかのように聴いていないはずの相手の音に反応したり、ともにアンサンブルを編み上げていく場面も聴かれるのである。収録された他のトラックにも同じことがいえるが、とりわけ6トラックめで柴田の歌唱にコーラスするさやの絶妙さは、あらかじめ決めておくことからは到達し得ないような、録音手法がもたらした偶然性の奏功を示しているといえるだろう。

音に反応するということ

 だがそもそも、フリー・インプロヴィゼーションにおいて相手の音に反応するということは、聴き手であるわたしたちに対してどのようなこととしてもたらされているのか。言うまでもなくそこには「反応しない」という反応さえ含まれているのである。音盤で「合奏」する彼ら/彼女らの相互触発は、反応できないにも関わらず見事な「反応」を引き起こしたから凄い、ということに過ぎないのか。定められた構造を目的とすることのない即興演奏にあって、予定調和を打破しようとする《《》》が、たとえば特定の相手の音に反応してはならないという禁則を暗々裏に個々人が設けたうえでライヴをするとき、『Relay』で聴かれる「合奏」と何か本質的に異なる響きをもたらすことがあるのだろうか。反応することと、反応するように聴こえることとに、わたしたちが見出すことのできる差異とは何か。
 かつて大友良英が手がけた作曲作品「Anode」のシリーズにはまさに「無反応」や「他の楽器の音に反応しないこと」といったルールが定められていた。それはしかしあくまで演奏の論理(あるいは演奏家の倫理)にフォーカスした作品であって、厳密にルールを適用することよりも、そうした制限が課されたなかで演奏家の聴取行為にいかなる変化が起こるのかということが探究されていた。それゆえに即興演奏における反応がもたらす響きの組織化の問題は、ここではあくまで実験的な段階にとどまることとなる。ならば「無反応」を徹底するならばどのような響きが生まれるのか――それは別の企てによって実践されることとなる。Sachiko Mとの共同ユニットであるフィラメントによって2004年にリリースされたBOXセットに収められている“Tokyo 20012004”という楽曲である。これは大友とSachiko Mのふたりがそれぞれ空間を隔てて同じ時間帯にソロ・インプロヴィゼーションを行い、それらの録音をそのまま重ね合わせることで出来上がった作品だ。「Anode」における禁則のひとつは、ここでは「相手の音に反応できない」ことによって厳密に適用されることとなる。

 冒頭で挙げたいくつかの作品群と同様の手法によるものの、それは意想外の展開をもたらすためというよりも、M.I.M.E.O.が『Sight』において露骨に掲げていたような、むしろ音を聴くことの不可能性からでさえ、つまりは演奏家が反応できない状態にあっても、発された音どうしに否が応でも生まれてしまう関係性をこそ示していた。そしてこの路線を極限まで突き詰めたのが、2008年に初演され、昨年末から今年の初めにかけてNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で開催された「音楽と美術のあいだ」展において再演された作品『quartets』だった。あらかじめ8人のミュージシャンの演奏を録音・録画し、独自のアルゴリズムに従って選択された4人の演奏家の影を会場に設置された巨大な直方体の四側面にそれぞれひとりずつ映し出すとともに、彼/彼女が発している音を再生することでカルテットによる「合奏」を仮構する。登場するミュージシャンが入れ替わり立ち替わりするために、異なる「合奏」が半永久的に生成されていくという仕組みである。ここに至って大友の企ては、空間だけではなく、時間さえバラバラに分割したとしても、それらを組み合わせることで「集団即興」が、つまりは「反応」がどこまでも続いていくことを提示したのだった。それは「既に為されて/起こってしまった演奏=出来事を組み合わせていくだけでも『即興』(もしくは限りなくそれに近似した状態)は成立してしまう」という事態を示していた(2)。

 当然のことながらもしもこれが通常の作曲作品の再現前化や、即興演奏であっても特定の正統性に則ることを目指す試みであったならば、このことは成り立たない。そうした場合にはほとんどの演奏が「弾き間違い」や「ミストーン」として否定されることになるだろう。つまりはここで行われている演奏がフリー・インプロヴィゼーションであるということが重要な条件となってくる。そこでは相手の音にどのような反応をすることも、あるいはしないことをも許されている。すなわち演奏における「失錯行為」が容認されているということだ。もちろん、演奏者が「間違えた」と考えることは大いにあり得るだろう。あるいは相手の音に対して「相応しくない」と思うこともあるだろう。だが彼ら/彼女らの意志とは離れたところで、発された音は独自の関係性を生み出していく。それが正しいかどうかを決定する客観的な視座がここには用意されていないのだ。演奏者の音に対する反応が偶発的なものであれ意志的なものであれ、どのようなものであっても、発された音そのものにみられる「反応」は、それ自体が組織化された響きとして肯定されているのである。

 言い換えるならば、演奏者が相手に反応して音を発するということと、発された音がなにがしかの「反応」を聴かせるということのあいだは、決定的に断絶しているのである。そこでは相手の音に反応しないことが、結果的に「反応」し合う響きを生み出すことさえある。そしてだからこそ、『Relay』における「相手の音を聴くことができない状態で行った演奏をそのまま重ね合わせる」ということがもたらす「新鮮さ」と、程度の差こそあれども、ライヴする《《》》が到達する地点とのあいだに、わたしたちは本質的な差異を見出すことができないのである。だがそれは、どんな「出鱈目」でもかまわないということを意味するわけではない。演奏者の手から離れた音は、こんどは聴き手とのあいだで新たな関係を結ぶ。そしてこの領域においてこそ『Relay』は録音芸術たるゆえんの不気味さを響かせているように思われる。

「音楽の無意識」から

 周知のごとくジークムント・フロイトは「失錯行為」を「無意識」の表徴と捉えることによって精神分析を行った。演奏における「失錯行為」は演奏家の「無意識」を繙く手掛かりになる(本当は演奏したくない、など)かもしれないが、それは「音楽の無意識」とは別のものである。ならば音楽には「無意識」がないのだろうか。そう断定するのは性急だ。フロイトが「失錯行為」による「無意識」の分析を明快に記した『日常生活の精神病理学にむけて』が可能にした知見を援用しながら、映画がもたらす知覚の変容について、ヴァルター・ベンヤミンが次のように語っていたことを思い出そう。

 いままで澱みなくつづけられているとみえた会話のながれのなかで、そのいいまちがいのためにとつぜん深層のパースペクティヴがひらける。こういったことは、むかしならば、むしろ例外に数えられたと考えていいだろう。しかし『日常生活の精神病理学』以来、事情は一変した。それは、事物を分離し、同時にこれまで知覚の幅ひろいながれとともにおしながされていた無意識的なものを分析可能にした。映画もまた、視覚的記号世界そして現在ではさらに聴覚的記号世界の全域にわたって、同様の知覚の深化をもたらしている(3)。

 「意識」が決して到達することのない「無意識」の領域の分析を、「失錯行為」を突端にフロイトが進めていったように、ベンヤミンは視覚における「無意識的なもの」の分析を複製技術が可能にしたのだと述べる。

 カメラに向かって語りかける自然は、肉眼に向かって語りかける自然とは、別のものだ(……)意識に浸透された空間のかわりに無意識に浸透された空間があらわれることによって、自然の相が異なってくるのである(4)。

 カメラは「視覚的無意識」の世界を明らかにする。ベンヤミンが仄めかすように、このことはマイクがもたらす「聴覚的無意識」についても同様に考えることができる。わたしたちが聴くことのできる自然と、マイクが捉える自然とは別のものだ。音響再生産技術は「無意識」に浸透された時間/空間を差し出す。大谷能生が言うように、「そこには音楽と音の区別も、それが人間に聴こえるかどうかすらの区別もない。カメラが世界の中から光学的な側面だけを取り出してくるように、マイクロフォンは世界を空気の振動として記述する」(5)。わたしたちがふだん聴いているものは、耳に聞こえてくるもののなかから、つねにすでに意識的に選別されたものでしかない。だがマイクにそのような選別はなく、あらゆる響きを等価に記録していく。そこにはわたしたちが聞いていたはずなのに、聴いてはいなかった響きがある。「音楽の無意識」とはすなわち、「聴くこと」と「聞くこと」の差異にあって、音響再生産技術の助けを借りることではじめて分析可能になったのである。

 だから録音物を繰り返し聴くということは、決して同じ体験の反復にはならない。「レコードの反復性は回帰する時間の中での差異に基づき(……)レコードは回帰そのものによって肯定され、回帰のたびに差異を生むものであることによってその存在が構成されている。(……)回帰する時間はふりだしを持たず、差異の差異化として常に多方向にずれてゆく運動として生成される」(6)。だがそれは、同じ録音物を以前聴いて覚えているから二度め以降の体験が異なるのではない。「反復は記憶の力を借りない。それはむしろ忘却に根ざした直接的な能動性であり、可能態ではなく現実態である」(7)。録音物を繰り返し聴くとき、そこには聞いてはいたものの聴くことのなかった響きが介入してくる。それが「聴覚的無意識」であるかぎり、「意識」が思い出すことはできないのだ。忘却の底にあった響きが、音響再生産技術によって、わたしたちの耳元へと連れ出されてくるのである。

 録音物を繰り返し聴くということは、つねになんらかの差異を伴った特異な体験である。たとえばわたしたちは、ある録音された音楽を聴くとき、一度めはメロディに注目し、そのときまったく気にしていなかったリズムに注目しながら二度めを聴くということがある。このような異質な経験は、ふつう、聴き手の能動的な参与によって獲得されるだろう。わたしたちはまるで同じものをなんども聴くようにして録音物に接しているからだ。だがそれが録音物のほうからあからさまに語りかけてくるとしたら、どうか。録音芸術としての『Relay』が優れているのは、「合奏」によって聴きどころのバイアスをかけられた響きが、こんどは別の「合奏」として異なるバイアスがかけられながら反復されることにある。そこでは、一度めに聞いたものの、聴き逃していた響きが不意に立ち現れる。たとえ気にも留めなかったとしても、同じ響きが異なる関係性のもとに続けて置かれることによって、「忘却に根ざした直接的な能動性」に直面させられる。「聴覚的無意識」が「聴くこと」のなかに回帰する。フロイトに倣って、「デジャ・ビュ」が以前「無意識」のうちに出会ったものが不意に「意識」へと浮上する体験だとするならば、まさしくこの意味で『Relay』は「デジャ・ビュ」である。それは「音楽の無意識」を利用して聴き手の聴覚を蠱惑する。
 だから本盤は、即興演奏の一回性を代理=表象する「かりそめ」の記録ではなく、それらの記録を偶然性のもとに縫合した単なるあり得べからざる「共演」の実現でさえもなく、むしろ同一性を逃れプロセスを生きる即興演奏の差異化の運動を、その作用方式において録音した作品だといえるだろう。わたしたちはアルバム・トラックが進む度に、録音物の非同一性あるいは差異の差異化する運動と、なかば強制的に立ち会うこととなるのである。そしてさらに『Relay』の円環構造が、こんどはアルバムそれそのものを回帰する差異化の運動のなかへと据え置く。より大きな時間の流れのなかで「聴覚的無意識」がやってくる。そのように二重化された音楽的時間は、その度ごとに異なる現実性を生きながら、二種類の「聴くこと」の変容をもたらしていくことになるだろう。

引用注
(1) 「バグシンセPV中田粥」https://www.youtube.com/watch?v=9sKWhXAoytI
(2) 佐々木敦『即興の解体/懐胎』、132頁
(3) ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」(高木久雄・高原宏平訳、『複製技術時代の芸術』所収)、38頁
(4) 同前、40頁
(5) 大谷能生『貧しい音楽』、209頁
(6) 細川周平『レコードの美学』、192頁
(7) 同前、193頁

参考文献
細川周平『レコードの美学』(勁草書房、1990年)
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』(佐々木基一編、晶文社、1999年)
ジークムント・フロイト『フロイト全集〈7〉』(高田珠樹訳、岩波書店、2007年)
『ユリイカ2007年7月臨時増刊号 総特集=大友良英』(青土社、2007年)
大谷能生『貧しい音楽』(月曜社、2007年)
佐々木敦『即興の解体/懐胎』(青土社、2011年)

The Soft Pink Truth - ele-king

 YouTube動画をはじめて見たときのことを覚えているだろうか。自分の場合、まったく覚えていないどころかそもそもいつ頃からYouTubeを使っていたかすら定かではない……が、たいていの人間にとってもそんなものだろう。それはいとも簡単に、恐ろしくスムーズにわたしたちのモダン・ライフスタイルに浸入した。が、マトモスの片割れのドリュー・ダニエルは「はじめてのYouTube動画」をはっきりと覚えていて、それはイラクの砂嵐だったという。YouTubeがはじまったのは2005年のイラク戦時中であり、のちに続く紛争とテロの10年において、つねに傍らにあったのはインターネット動画サービスだった……企業も政治家も大衆もテロリストも活用できる「サービス」だったというわけである。
 コンセプチュアル・アート作家としてダニエルはここで、政治的というよりは社会学的なアプローチでこの10年を支配したインターネット・サービスを調理する。まず、検索ボックスに「Step」「Looking」「Acapella」「Awesome」そして「Party」の語句を入力し、そこから導き出される動画の音声をサンプリング、そうして8年前にジョークとして1曲完成させる。それから動画カルチャーに嫌気がさしたこともあって放置していたそうだが、2015年の暮れに作業を進め楽曲を増やし、たんなるジョークの域をずるずるとはみ出した結果完成したのが本作である。

 ためしに僕は、最近は「ヤバい」ともよく訳される「Awesome」を入力してみた。素人なのか「ユーチューバー」なのかわからないが、多くは投稿された「驚き動画」の類のものが並べられている。スゴ技を披露する人びとの姿を見続けていると、感心しつつもすぐに気分が悪くなってしまった。なんというか、「自分」を世界に向けて無邪気に放流する人びとの姿の気の濃度にやられてしまったのだが、もちろん自分もその世界のなかにいるわけだ。そしてザ・ソフト・ピンク・トゥルースの“オーサム”を聴いてみる。誰とも知らない人間たちのはしゃぎ声がメタリックなベース音とともに野放図に広がっていく……。
 ドリュー・ダニエルの、ひいてはマトモスのタチの悪さはここからだ。ふたつめのトラック“アカペラ”の、おそらく多くは素人のものであるだろう声や歌がぶつ切りにされ、緊迫感のあるビートによってそれらが奇妙なカットアップ・ハウスへとなっていく様は不気味であると同時に快楽的だと思えてしまう。前作にあたる『ホワイ・ドゥ・ザ・ヒーザン・レイジ?』はブラック・メタルにおけるホモフォビアを異化することで逆照射的にお行儀のいいゲイ・カルチャーの現在をからかっており、そのためやや込み入った音になっていたが、ここではもっと素直にマトモスが得意とする愉快でユーモラスなエレクトロニカ、おかしなハウスが聴ける。この10年のインターネット・カルチャーの歪みをモチーフとしながら、しかしどうしようもなく愉しいアルバムである……先ほどと逆のことをあっさり言ってしまうが、ケース・スタディでありつつ、これはやはり音楽作品なのだ。これで踊れるひとだってたくさんいるだろう。
 「Pay」の検索から生まれたであろうタイトル・トラックはマトモスの『シュープリーム・バルーン』(08)を連想するようなシンセ・ポップが混ざったキッチュなエレクトロニカだが、この音の元になった動画では消費が謳われていたことだろう。が、ダニエルは「なんでもっと支払うの?」と意味を反転させる。続くトラックでアブストラクトなビートと電子音のなか「コンピュータって何だよ?」と叫ばれるのにもつい笑いがこみあげてしまう。ゲイ・カルチャーへの直接の言及は今回あまりないが、“アイ・ラヴ・ユア・アス”、すなわち「お前のケツが大好きだ」がエレクトロ調のセクシーなトラックとなっているのはまあ、彼らしい意地の悪い冗談だろう。そうしてアルバムは、パーカッションがファンキーに転がる、ソウルフルですらあるハウス・ナンバーで終わっていく。トレンディな音とは言えないが、むしろそのことがダニエルの余裕を感じさせる。

 ダニエルはこのアルバムを「YouTubeにおける才能そして/あるいは狂気」だと説明している。この10年のライフスタイルの風刺画でありながら、それを嗤うのではなく朗らかに笑っている……自分もその一部なのだから。SNSをどれだけ嫌おうとも、インターネットの弊害をどれだけ語ろうとも、わたしたちはもうそれがなかった世界には戻れない……なんて真面目な顔で言うより先に、このアルバムはグロテスクな時代を舞台にわたしたちを踊らせる。

Loe(SPECTRUM) - ele-king

SPECTRUMらしい10曲:2015

RILLA - ele-king

この時期なので2015年を振り返って

Swindle & Flava D来日公演 - ele-king

 2015年にリリースされた『PEACE,LOVE & MUSIC』で、堂々と新たな一歩を踏み出したスウィンドル。同作は自身のルーツのひとつであるグライムを軸に、ジャズ、ファンク、ワールド系の音までも取り込んだ秀逸な1枚だ。あの壮大な音絵巻をDJでどうやって披露するのか、期待して待ちたい。ともに来日するフレイヴァDのストリート感覚が全面に出た、UKの現在を体現するかのようなセットにも要注目。さらに、東京公演にはふたりが所属するレーベル〈Butterz〉の創設者、イライジャ&スキリアムの出演が急遽決定。UKアンダーグラウンド・シーンを先導するクルーを体感できる貴重な一夜となるだろう。
 スウィンドルとフレイヴァDは東京、名古屋、大阪の3都市をツアーする予定。パーツ―・スタイル、沖野修也、クラナカなど、各公演には強力なゲストDJたちが集う。

SWINDLE (Butterz / Deep Medi Musik / Brownswood, UK)
グライム/ダブステップ・シーンの若きマエストロ、スウィンドルは幼少からピアノ等の楽器を習得、レゲエ、ジャズ、ソウルから影響を受ける。16才の頃からスタジオワークに着手し、インストゥルメンタルのMIX CDを制作。07年にグライムMCをフィーチャーした『THE 140 MIXTAPE』はトップ・ラジオDJから支持され、注目を集める。09年には自己のSwindle Productionsからインストアルバム『CURRICULUM VITAE』を発表。その後もPlanet Mu、Rwina、Butterz等からUKG、グライム、ダブステップ、エレクトロニカ等を自在に行き交う個性的なトラックを連発、12年にはMALAのDeep Mediから"Do The Jazz"、"Forest Funk"を発表、ジャジーかつディープ&ファンキーなサウンドで評価を決定づける。そして13年のアルバム『LONG LIVE THE JAZZ』(Deep Medi)は話題を独占し、フュージョン界の巨匠、LONNIE LISTON SMITHとの共演、自身のライヴ・パフォーマンスも大反響を呼ぶ。14年のシングル"Walter's Call"(Deep Medi/Brownswood)ではジャズ/ファンク/ダブ・ベースの真骨頂を発揮。そして15年9月、過去2年間にツアーした世界各地にインスパイアされた最新アルバム『PEACE,LOVE & MUSIC』(Butterz)を発表、新世代のブラック・ミュージックを提示する。

Flava D (Butterz, UK)
名だたるフェス出演や多忙なDJブッキングでUKベースミュージック・シーンの女王とも言える活躍を見せるFlava Dは2016年、最も注目すべきアーティストの一人だ。
幼少からカシオのキーボードに戯れ、14才からレコード店で働き、16才から独学でプロデュースを開始。当時住んでいたボーンマスでは地元の海賊放送Fire FMやUKガラージの大御所、DJ EZの"Pure Garage CD"を愛聴、NasやPete Rockにも傾倒したという。2009年以降、彼女のトラックはWileyを始め、多くのグライムMCに使用され、数々のコンピに名を残す。12年にはグライムDJ、Sir SpyroのPitch Controllerから自身の名義で初の"Strawberry EP"を発表、13年からは自身のBandcampから精力的なリリースを開始する。やがてDJ EZがプレイした彼女の"Hold On"を聴いたElijahからコンタクトを受け、彼が主宰するButterzと契約。"Hold On/Home"のリリースを皮切りにRoyal Tとのコラボ"On My Mind"、またRoyal T、DJ Qとのユニット、tqdによる"Day & Night"等のリリースで評価を高め、UKハウス、ガラージ、グライム、ベースライン等を自在に行き交うプロダクションと独創的なDJプレイで一気にブレイクし、その波は世界各地へ及んでいる。

ELIJAH & SKILLIAM (Butterz, UK)
UK発祥グライムの新時代を牽引するレーベル/アーティスト・コレクティブ、Butterzを主宰するELIJAH & SKILLIAM。イーストロンドン出身のふたりは05年、郊外のハートフォードシャーの大学で出会い、グライム好きから意気投合し、学内でのラジオやブログを始め、08年にGRIMEFORUMを立ち上げる。同年にグライムのDJを探していたRinse FMに認められ、レギュラー番組を始め、知名度を確立。10年に自分達のレーベル、Butterzを設立し、TERROR DANJAHの"Bipolar"でリリースを開始した。11年にはRinse RecordingsからELIJAH & SKILLIAM名義のmix CD『Rinse:17』を発表、グライムの新時代を提示する。その後もButterzはROYAL T、SWINDLE、CHAMPION等の新鋭を手掛け、インストゥルメンタルによるグライムのニューウェイヴを全面に打ち出し、シーンに台頭。その後、ロンドンのトップ・ヴェニュー、Fabricでのレギュラーを務め、同ヴェニューが主宰するCD『FABRICLIVE 75』に初めてのグライム・アクトとしてMIXがリリースされる。今やButterzが提示する新世代のベースミュージックは世界を席巻している!


  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377