「W K」と一致するもの

Zoh Amba - ele-king

 ゾー・アンバを意識したのはずいぶん遅い。昨年の紙エレキングで書いたように、Beingsなるプロジェクトで出した『There Is a Garden』からで、ぼくなんかよりも若々しい感性をもったリスナーは、2022年、彼女がジョン・ゾーンのレーベルでデビューしたときからチェックしているのだろう。Beingsから聴いたのもアンバのリスナーとしては非正統的かもしれない。これはスティーヴ・ガン(説明は不要だろう)、シャハザード・イスマイリー(マーク・リボーのバンドで知られる)、ジム・ホワイト(ダーティ・スリー)らと組んだバンドなのだ。
 Beingsの『There Is a Garden』は、ギャラクシー500めいた陶酔のギター・サウンドにヴィブラートの効いたアンバの悲鳴にも近いサックスが叩きつけられる、端的に言えばポスト・パンク的にササクレだったジャズ・アルバムだった(彼女は歌ってもいるし、ギターを弾いてもいる)。いっぱつで引き込まれる音楽とはまさにこれで、ことにアンバの表情豊かなサックスには心揺さぶられ、それからである、このずば抜けて魅力的なアーティストを聴くようになったのは。

 だいたい、グラミーなどと騒がれているプレイヤーの多くがジュリアード音楽院卒だったりしている今日の「ジャズ」という括りのなか、テネシー州の山村の、決して平穏とは言えなかった家庭に生まれ、森のなか独学によってサックスの練習をしたアンバに物語が生まれ、それがひとり歩きしてしまうのも無理からぬことだろう。これは21世紀の話である。12歳だった彼女がサックスを手にしたのは、吹奏楽の授業でチャーリー・パーカーの映像を見たことがきっかだった。それから彼女はYouTubeで、ジョン・コルトレーン、コールマン・ホーキンス、レスター・ヤングの演奏を繰り返し聴き、そして偉大なる幽霊、アルバート・アイラーを心の師と決めた。音楽学校に進学もしたが馴染めず中退している。スピリチュアルなフリー・ジャズに突進するアンバにとってのジャズとは、制度のなかで学ぶモノではなかった。そもそも、10代にしてドイツのフリー・ジャズマン、ペーター・ブロッツマン(彼女にとってのもうひとりの師)に手紙を送るような若者を、教室の椅子に縛り付けることなど昔もいまも不可能なのだ。

 Discogsを見ると彼女には、わずかこの3年ですでに10枚以上のアルバムがある。そのなかにはキューバ出身の打楽器奏者、フランシスコ・メラとの共作も含まれている。主にエレクトロニック・ミュージックとフリー・ジャズで知られるオスロのレーベル〈スモールタウン・スーパーサウンド〉(ブロッツマンの2000年代の作品を同レーベルは出している)からリリースされた本作『Sun』は、ザ・サン・クァルテット——ドラマーのミゲル・マーセル・ラッセル、ピアニストのレックス・コルテン、ベーシストのキャロライン・モートン——としては初のアルバムで、冒頭から〝震え〟をもって賛歌を奏でると、そして現在25歳のサックス奏者の膨大なエネルギーが爆発する。
 アンバの感情の強度は並大抵のものではない。「女版アイラー」とは彼女に付いた安直なレッテルではあるが、この荒々しくも切なくもあるエネルギーの激流があふれ出ると、あながち間違いではないように思えてしまう。クァルテットは、後期コルトレーンのスピリチュアル・ジャズの心のもっとも奥深いところから吐き出すような、あのすさまじい〝説明しようのないうねり〟を招来している。“Champa Flower”という曲ではアメリカの民謡(フォーク)に根ざしたギターを弾き、“At Noon”ではセレナーデを奏でるが、アルバムはまたしても震えるような精神のざわめきへと流れるように向かう。
 アンバは自ら本作をこう解説している。「この音楽があなたの心の奥深くまで届き、そこからもっとも美しい喜びと愛、好奇心の庭を咲かせてくれることを願っている。(略)私の心はいまも、ピーター・ブロッツマンがこの宇宙に投げかけた深い光のなかに座している。私は毎朝、彼の霊を聴いている。この音楽は、絶えず変化しながら太陽の彼方を目指そうとする魂の反映にすぎない」

 たびたび言われていることだが、フリー・ジャズというジャンル用語は、ある時期から「フリー・ジャズという形式の音楽」という、「過去の音楽」なのに「現代音楽」などという矛盾と似たようなジャンル用語になっている。この音楽が、1960年代のように伝統や慣習を脅かすような強烈さを持ち得ているかと言えば、わからない。坂田明のような、なおもその〝炎〟を宿しながら比類なき境地に達しているサックス奏者もいる。そうだ、ぼくはこのアルバムのジャケットを見て、なんだかアリ・アップみたいだと思った。こんなにはつらつとした生命感を感じるアートワークが過去のフリー・ジャズ/スピリチュアル・ジャズにあったのかどうかも、ぼくにはわからない。わかっているのは、自分がこの先も彼女の音楽を聴き続けるということ。奔放にほとばしるゾー・アンバの物語は、まだはじまったばかりなのだ。


■表紙/ロング・インタヴュー:砂原良徳
──これまでの活動を振り返りつつ、現在の心境および今後の展望を語る
新作『ALL HAZE』が待たれるTESTSET、全メンバー(LEO今井、永井聖一、白根賢一)インタヴュー

■ダブ・ブームのなか、13年ぶりのアルバムを投下するエイドリアン・シャーウッド、特別インタヴュー掲載

■特集:テクノ・ポップの奇妙な世界
“TOKIO(トキオ)” はいったいどこにあるのか?/時代の先をいった〈Yen〉の軌跡/いま再評価される「スケッチ・ショウ」/“テクノ歌謡” の片隅から/後追い世代のテクノ・ポップ考(by 柴田碧)/テクノ・ポップ必聴盤40枚

■第2特集:ハウス・ミュージックの現在地
アンダーグラウンドにおける実験が、いま成熟のときを迎えている。ハウス・ミュージックがみせる新たな展開を追跡──いま聴くべき40枚紹介、ほか
インタヴュー:カオス・イン・ザ・CBD、DJパイソン、Stones Taro、Soshi Takeda

撮影協力:LIQUIDROOM

菊判/160ページ

目次

TESTSETはアンドロイドの夢を見るか──砂原良徳、インタヴュー(by 野田努)
TESTSETへのテレポーテーション──LEO今井+永井聖一+白根賢一、インタヴュー(by 野田努+小林拓音)

エイドリアン・シャーウッド──UKダブに革命を起こし、なおも冒険を好み、サウンドに磨きをかける(野田努)
インタヴュー(by 河村祐介)

特集:“テクノポップ” の奇妙な世界

“TOKIO(トキオ)”はいったいどこにあるのか?──テクノポップの生まれ故郷(イアン・F・マーティン/江口理恵訳)
時代の先をいった〈Yen〉の軌跡(デンシノオト)
いま再評価される「スケッチ・ショウ」について(デンシノオト)
“テクノ歌謡” の片隅から(松本章太郎)
後追い世代のテクノポップ考(柴田碧)
テクノポップは自由を手放したか?(三田格)

ディスク紹介──テクノポップへの道
(イアン・F・マーティン、デンシノオト、三田格)

第2特集:ハウス・ミュージックの現在地

ライトハウス・レコーズ店主、森広康晴に聞くここ5年の傾向と変遷

インタヴュー
カオス・イン・ザ・CBD──ハウス・ミュージックの良き伝統を継承する(by 野田努)
DJパイソン──“ディープ・レゲトン” の先を目指して(by 小林拓音)
Stones Taro──京都から世界へ(by 小林拓音)
Soshi Takeda──ラリー・ハードを愛するニューカマー(by 小林拓音+渡部政浩)

ディスク紹介──2020年代ハウスへの案内
(三田格、猪股恭哉、河村祐介、渡部政浩、DNG、小林拓音)

ハウス・ミュージックの近況報告(猪股恭哉)

VINYL GOES AROUND PRESENTS そこにレコードがあるから 番外編
日本中のアナログレコード・ファンのみなさまへ──VINYLVERSEをご存知ですか?

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* 発売日以降にリンク先を追加予定。

Feronia Wennborg & Lucy Duncombe - ele-king

 「声」とは何か。人間的な響きの最たるものとされてきたそれは、はたして今の時代も「肉体」を保証しているのだろうか。フェロニア・ウェンボーグとルーシー・ダンコムによる『Joy, Oh I Missed You』は、その根源的な問いを真正面から突きつける。ここに鳴り響く声は喉から放たれたものか、それともソフトウェアが生成したものか。その判別不能性こそが作品の核心であり、同時に呪文のような反復となる。本作において「声」は、人間でも機械でもない第三の存在として、聴き手に挑発的な問いを放っている。

 フェロニア・ウェンボーグのルーシー・ダンコムのふたりは本作以前から旺盛な活動を展開していたサウンド・アーティストである。まず、フェロニア・ウェンボーグは、パフォーマンスやインスタレーションからサウンド、テキストまで活動領域を広げるサウンドアーティスト/ミュージシャンだ。彼女の作品の根底には、録音とデジタルの変容プロセスにある。そこにおいてウェンボーグは、「親密さ」や「友情」といった関係性の痕跡を丹念に採集し、音とイメージ込むこのだ。加えてコラボレーションを通じて実践を展開している点も重要だ。共同作業を軸に据えることで、ウェンボーグはリスニングやサウンド表現に潜在する社会的可能性、そしてその再想像の力を探り続けているのだ。
 一方、ルーシー・ダンコムはグラスゴーを拠点とするアーティスト/作曲家である。彼女は声に関連するテクノロジーが持つ社会的・技術的遺産の探究に関心を寄せている。彼女は、声のプロセッシング、複製・転写・編集を通じて、声をその自然なパラメータの外側へと拡張し理解する実践を行っている。ダンコムとフェロニア・ウェンボーグとのコラボレーションにはラジオフォニック作品『The 3rd Remove From The Real』などがある。

 本作『Joy, Oh I Missed You』は、そのふたりの新作コラボレーション作品であり、音楽作品だ。リリースしたレーベルは、シャンタル・ミッチェル(Chantal Michelle)、カルメ・ロペス(Carme López)、ミュー・テイト(mu tate)、ザウム(Zaumne)らの実験音楽を発表し、コアなリスナーから支持を集めてきたスロヴァキアの〈Warm Winters Ltd.〉。その驚嘆すべきカタログの中でも『Joy, Oh I Missed You』は際立った実験性を前面に押し出している。ほかの作品が固有の「手法」を探ってきたとすれば(それだけでも十分に凄いことなのだが)、このアルバムは「声の基盤」そのものを揺さぶる試みであり、聴覚の根底を突き崩すように響く。レーベルが国境を越えて国際的なネットワークを築き、インターネット時代のオルタナティブな実験精神を体現してきたことを思えば、ふたりの才能に満ちたサウンドアーティストの最新コラボレーション・アルバムををリリースしたのは自然な流れとも言える。

 『Joy, Oh I Missed You』を簡単に表現すれば「グリッチに彩られたヴァーチャル・オペラ」ということになる。そのうえ即興的に聞こえるその音響の背後には、四年にわたる綿密な探究が積み上げられている。音声合成、チャットボット、AI解析。人間の声を模倣するために設計された技術を、ふたりは「模倣の成功」ではなく「模倣の破綻」として見直す。アクセントの歪み、再現の失敗。その裂け目が声に未知の輝きを与えるのだ。ここで失敗は美学となり、声の本質を裏返す。キム・カスコーンが00年代初頭に唱えた「失敗の美学」を継承しつつ、ロバート・アシュリー『Automatic Writing』やアキラ・ラブレー『Spellewauerynsherde』などの音響詩/サウンドアートとの記憶とも共鳴する。欠陥によって声は光を帯び、亀裂によってのみ人間と機械の境界は震える。
 こうした断絶の肯定は、近代が信じた「純粋な声」を覆し、むしろ断片や誤作動のなかに新たな生命を見いだそうとする系譜に連なる。ここに見られるのは、デジタル以降の表現者が避けて通れない「故障の倫理」であり、完璧さよりもむしろ不完全さにこそ、時代のリアリティを刻もうとする態度である。
 この音響へと行き着いたのは偶然の結果ではない。そもそもダンコムは『Sunset, She Exclaims』(2021/〈Modern Love〉)で、自身の声を幽霊のように再構成し、身体の痕跡を影のように漂わせたし、ウェンボーグもまたサイモン・ウェインズ(Simon Weins)とのユニット=ソフト・ティッシュとして音響を粒子レベルまで解体し音を物質的な断片へと還元してきたのだ。確かに一見異なる方向性を歩んできた二人だが、「声」を不可視の次元へと拡張する衝動は共通していたのだ。両者が交差したことで、本作は単なる技術的実験にとどまらず、声という存在そのものをめぐる哲学的な試みへと変貌したのである。
 声の変容と音の粒子。その交錯によって、声はもはや身体の残響ではなく、生成と変容の「触媒」として立ち上がってくる。声は崩れ、漂い、再び立ち上がる。もはや「人間の声」という単一の定義は存在しない。そうではなく定義不能な多面体として現れる。聴き手は、これまでに触れたことのない声の質感に遭遇することになる。

 各楽曲はその哲学/詩学を鮮明に体現している。例えば3曲目 “Your Lips, Covering Your Teeth” では発音の断片が舌上で留まらず、転がる石のように機械的リズムと交わる。続く4曲目 “Residue” ではビットクラッシュの崩壊音と唇の音が絡み、機械の故障が人間の吐息と同じ親密さを帯びる。ここに生じるのは「機械の親密さ」という逆説的感覚である。5曲目 “Brushed My Hair” では摩擦された声が不意にフルートの音に変質し、楽器と身体の境界をかき乱す。8曲目 “Smell It” では吃音や呻き、ため息が重なり合い、天上の合唱のような非人間的コーラスを形成するだろう。
 アルバムには全14曲が収録されているが、聴き進めるにつれ、声がどの瞬間に人間で、どの瞬間に機械であるのか聴き手は見失うはず。だがその「見失い」こそが本作の核心である。声は主体の所有物ではなくなり、漂流物と化す。あるいは人間と機械が交わる中間地点に幻のように立ち現れる。その錯乱の只中に新たな声の美が宿り、聴くという行為の根拠が問い直される。こうした体験は、単なる音楽鑑賞を超えて、テクノロジーと身体の関係を再考させる社会的契機にもつながっている。カラ・リズ・カヴァーデール(Kara-Lis Coverdale)などの現代的なアンビエント・ワークスにも連なるサウンドといえる。

 『Joy, Oh I Missed You』はマシニックな音の連鎖だが、冷たい実験音楽ではない。断片化された声の残滓からはむしろ感情の痕跡が立ち上がる。人工音声の「不気味の谷」に美は宿り、グリッチ・ノイズは親密さへと反転する。人が機械に語り、機械が人を懐かしむ。その幻聴はアルバム全体を余韻として漂い続けるだろう。「声」とは誰のものか、それは未解決のままだ。だがその未解決性こそが、この作品のもっとも人間的な側面なのかもしれない。

前半から続く


『日本のジャズ・ソング~戦前篇・服部良一和製ジャズ・コーラス傑作集/戦時下の和製ポピュラー南海音楽』(BRIDGE INC.)

 服部の曲の特徴である和洋折衷については興味深い話がある。食通としても有名だった映画監督の山本嘉次郎は、著作『日本三大洋食考』の中で、ライスカレー、コロッケ、トンカツを“日本三大洋食”と定義したという。いわば日本が世界に誇る洋食である。
 これは音楽評論家の渡辺亨が細野晴臣『泰安洋行』のレビュー(『レコード・コレクターズ00年5月号』)で引き合いにだした逸話だが、戦前の音楽に精通している細野も、どこかで服部を意識していたのではないだろうか。米国のジャズから調達した食材を、日本人なりの調理法でさばいていったという意味で、両者は一脈通じている。そして、先述のピチカート・ファイヴが細野のレーベル“ノン・スタンダード”からデビューしたのも機縁を感じさせるではないか。なお、上田賢一『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』にも音楽を洋食に喩えた記述がある。

「音楽の洋食」——「東京行進曲」「君恋し」を聴くとそんな言葉が思い浮かぶ。ハヤシライスやオムライスといった洋食屋の味。今でも日本料理の多くは、食材、調味料から見ても、完全な西洋料理とはいえない。完全な西洋料理を求めようと思えば、よほどの所に行かなければ不可能で、多くは西洋料理という名の和食だ。

 和洋折衷という意味ではこんなエピソードもある。日本では昭和2年、現在のコロムビアやビクターにあたる日本最古の蓄音器商会が、英・米コロムビアと合併の形で設立された。各社は、本国から持ち込んだ洋盤をプレスして発売したが、一方で、民謡、童謡、浪曲、長唄などの邦盤も大量生産している。そのうち、外国の曲に日本語の詞をつけ、日本人の歌手に歌わせることを発案し、このアイディアが成功。一連の舶来流行歌をいつしか“ジャズ・ソング”と称するようになった。これは和製英語で、“ナイト・ゲーム”を“ナイター”と言ったり、“カリー・アンド・ライス”と言うべきところを“ライスカレー”と代用していたのと同じである。命名者は不明だが、音楽レコード会社の文芸部ではないかとの推測が有力らしい。
 ハヤシライスやオムライスが庶民の味だったように、服部良一にとって、歌は庶民のものという意識が根柢にあったのではないだろうか。海外からの新鮮な輸入品を日本人なりに加工/変形したものが服部のジャズ・ソングだった。新しい音楽を求めてアメリカのジャズを参照し、庶民が歌える歌を作ることを服部は考えていたように思う。つまり、ジャズのセンスを流行歌の面にも援用しようとしたのだ。
 ここであらためて服部の来歴を振り返りたい。ただ、数々の逸話を知らずとも、最近になって服部良一の名前を耳にした人は多いに違いない。ブギの女王と呼ばれた笠置シヅ子の波乱の歌手人生を追ったNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』に服部が登場するからだ。笠置を演じる主役は趣里。服部は羽鳥善一という名前に変えられて草彅剛が演じている。
 服部良一は、1907年、浪花節を得意とする父と河内音頭の本場・富田林で育った母の間に生まれた。下町育ちで、小唄などが子供の頃から身にまわりにある環境で育ったという。〈当時の日本の庶民の歌に親しんでいて、江戸からつながる日本の娯楽音楽に対する教養があった〉と評論家/音楽家の大谷能生は述べている(瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』)。服部良一が子どものころに聴いていた曲として「書生節」があり、その影響が彼の作曲にも及んだことが大谷と瀬川の対話からわかる。また、服部がニットー・レコードにいた頃に、小唄芸者だった美ち奴が歌った「〇〇節」「〇〇小唄」といった曲はすべて服部のアレンジによるものだ。
 西洋音楽に触れたのは近所の教会での讃美歌、小学校での唱歌やハーモニカだったという。当時の唱歌という言葉には子供の合唱といった意味合いはなく、“シンギング”“ヴォーカル・ミュージック”を意味していたそうだ。やがて学校では、イギリスの民謡を文語体の訳語で歌うようになる。「蛍の光」や「埴生の宿」などがその代表例である。15歳の時出雲屋少年音楽隊に入隊。出雲屋というのは実は鰻屋のことで、今となっては不思議な感じがするが、当時は三越や高島屋や松屋など百貨店が宣伝用に音楽隊をつくって、それが日本のポップスの基礎となったのである。
 その第一期の入隊式が行われたのは1923年9月1日だが、この日、おそろしいことに関東大震災が関東圏を襲った。結果、多くのバンドマンが関東から大阪に移動してきて、道頓堀はジャズのメッカとなる。この頃、道頓堀、千日前にダンスホールが初めて竣工。3年後には、20のダンスホールができ、道頓堀川には芸者のジャズ・バンドが乗った屋形船まで出現したという。そんな環境下で、大正15年、服部が19歳の時に大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団。これは大阪放送局(JOBK)の専属オーケストラとして発足したもので、服部はオーボエを担当した。
 翌年、服部は彼の才能を見抜いたロシア人指揮者のエマヌエル・メッテルに師事し、作曲家リムスキー・コルサコフの和声を学ぶ。メッテルの指導が厳しかったのは服部の自叙伝『ぼくの音楽人生』を読むとよく分かるが、それでも服部は必死で食らいつき、和声学やコルサコフの代名詞である管弦楽法などの音楽理論を習得。メッテルはクラシックが専門だったが、服部が“実はジャズをやりたいんだ”とおそるおそる言いだすと、音楽にジャンルの垣根はないとメッテルに激励されたというエピソードが象徴的だ。
 バンドでサックスを吹く一方、服部は同時並行で編曲も手掛けるようになっていた。なお、彼が編曲という名称を覚えたのは井田一郎の仕事を通じてのこと。井田は、1923年に日本初のプロのジャズ・バンドとして名高いラフィング・スターズを結成したキーパーソンだ。当時、編曲という作業を行っていたのが井田くらいしかおらず、二村定一など初期のジャズ・ソングのレコーディングはほとんどが井田の編曲/指揮であった。
 なお、編曲に秀でていた才人として、コロムビア所属だった仁木多喜雄の名前も挙げなければならないだろう。夭逝したため服部よりも知名度は低いが、リキー宮川の「マーチャン」は端正で瀟洒、モダンそのものである。アメリカのビッグ・バンド・ジャズ人気を担ったグレン・ミラーやジーン・クルーパのサウンドをうまく翻案/消化した印象もある。その仁木と比較すると、服部の曲は日本的な響きが強い。例えば、コロムビアで制作した和声ジャズ・コーラスもの。昭和14年の「お江戸日本橋」では、ベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」を独自に解釈して採り入れ、管楽器のアレンジも完璧だった。
 服部は1933年に上京。作曲や編曲の仕事を手掛けるようになり、36年にはコロムビアの専属作曲家となる。コロムビア入社第一回の作品が淡谷のり子の歌う「おしゃれ娘」で、米国で勃興していたスウィング・ジャズの意匠を施した同曲は多くの日本人を驚かせた。同じく、淡谷のり子「別れのブルース」は、黒人のブルースをベースにした作品。服部の意向を汲み、本来得意ではなかったアルトの音域で歌ったという。もちろん、李香蘭(山口淑子)の歌唱による「蘇州夜曲」もヒット。以降、レコード、ステージ、放送、映画音楽など多彩な活動を展開してゆく。戦中は陸軍報道班として中国へ渡り、文化工作に従事。中国の作曲家とも密な関係を築いた。戦後は、ブギウギのリズムを採り入れた「夜来香ラプソディ」の他、「青い山脈」「銀座カンカン娘」とヒットを連発し、人気音楽家として一躍その名を轟かせることになる。
 指導者としての服部についても触れないわけにはいかない。戦前、多少なりともジャズの編曲を手掛けた音楽家は、ほとんど全ての人が一度は“響友会”なる服部塾の生徒だったといっても過言ではないからだ。ここで連想されるのが、渡辺貞夫のことである。バークリー音楽大学(筆者註、当時はバークリー音楽院)で学んだ渡辺は帰国したのち、自宅に後輩や同輩を呼び集めて、アメリカで学んだことを若いジャズメンに伝授した。このふたつの私塾は、それぞれ、戦前戦後の一大業績と言えるのではないだろうか。瀬川昌久が監修を手掛けた『日本のジャズ・ソング~戦前篇~シリーズ』の解説などでその重要性を説いている。
 また、先述のダンスホールがさかんになってくると、外国だけではなくて日本の流行歌もアレンジして混ぜてゆくことになる。日本で流行っている歌をジャズやタンゴにすると、聴衆が思いのほか喜んだというのだ。ダンス・バンドにはそうした需要が徐々に増え、服部に依頼して「雨のブルース」を(社交ダンスの一種である)フォックス・トロット風にアレンジし、演奏したこともあったとか。
 ダンスホールに来場する客では、学生には瀟洒でモダンなアレンジのものがウケる。一方、その他の人はアンサンブルやダンス・リズムには凝っていない歌謡曲を好む。服部はその両方をつなぐような仕事をされている、と瀬川は述べている(『日本のジャズの誕生』)。コロムビアの専属作曲家として業績をあげるには、そういった仕事も必要だったのだろう。服部は意識して古賀政男風のメロディもずいぶん作ったそうだ。
 そんな服部が人生最後の音楽会でメインに選んだのはシンフォニック・ジャズだった。コンサートは昭和42年の還暦記念にあわせて開催。クラシックの上海交響楽団と共演し、41分にわたる交響詩を披露した。これは服部の積年の夢であり願望だった。というのも服部は、アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンに強い憧れを抱いていたのだ。ガーシュウィンは1898年NYのブルックリン生まれ。少年時代にピアノを勉強し、1919年、21歳の時に作曲した歌曲「スワニー」で世に出る。
 “キング・オブ・ジャズ”を名乗るポール・ホワイトマンがガーシュウィンの才能に目をつけ、ジャズの交響楽的作品を書くことをすすめ、ピアノ独奏と管弦楽のための作品「ラプソディー・イン・ブルー」が完成。初演は1924年(日本では大正13年)で、服部が17才の時だ。服部はかねがね、ガーシュウィンのようにジャズの大交響楽団で演奏することを夢見ていた。大阪にいた頃、服部は「ラプソディ・イン・ブルー」をアメリカ帰りの作編曲家、紙恭輔が東京で舞台にかけたと聞いて、いてもたってもいられなかったという。
 服部は、クラシックとポピュラー音楽の間に明確な区別がなく、西洋音楽が一括りにされていた1920年代に音楽家としての訓練を受けた。10代からカフェやダンスホールでジャズを演奏しながら、大阪フィルハーモニック・オーケストラでクラシックを演奏している。そんな風にクラシックもジャズも等価なものとして享受してきた彼が、いま一度自分の音楽人生を総ざらいし、複数のジャンルを統合することを望むのは自然だったはず。服部のスタンスはこの発言に端的に表れている。

音楽にはクラシックとポピュラーといった区別は本質的にないというのがぼくの考え方で、とにかくいい音楽を大衆に親しんでもらいたいという気持ちからだった。この考え方はぼくの一生を通じて変わっていない。音楽に大衆音楽も高級音楽もないと考えるぼくは、当面、学びつつある音楽理論や技法を、ジャズや歌謡曲の世界で生かしたいと苦心していた。(服部良一『ぼくの音楽人生』)

 なお、1992年10月20日には大阪で“服部良一音楽祭‘92”が催された。会場は大阪城ホール。歌謡界以外のポップス系の音楽家や歌手が、服部良一作品を積極的にレパートリーに入れているのを受けてのコンサートだった。出演した面々は実に豪華。括弧内に演奏/歌唱した曲を入れると、サンディー(「蘇州夜曲」)、東京スカパラダイスオーケストラ(「ラッパと娘」)、山崎ハコ(「東京ブギウギ」)、アメリカのブレイヴ・コンボ(「青い山脈」)、シンガポールのディック・リー(「ジャジャムボ」)など。上記のコンサートのように『ブギウギ』の放映によって一気に押し寄せたように見える服部良一再評価の波だが、それ以前からその功績は着々と引き継がれている。服部良一と笠置シヅ子と雪村いづみと小西康陽を繫ぐ一本の太い幹は現代の日本の音楽にも確実に影を落としているのである。

ピチカート・ファイヴ
『さ・え・ら・ジャポン』
(日本コロムビア)

荒井由実
『ひこうき雲』
(EXPRESS)

雪村いづみ
『フジヤマ・ママ 雪村いづみ スーパーアンソロジー1953-1962』
(ビクターエンタテインメント)

雪村いづみ
『スーパー・ジェネレイション』
(日本コロムビア)

George Gershwin
『エッセンシャル・ジョージ・ガーシュウィン』
(ソニー)

■参考文献一覧
丸山眞男著『現代政治の思想と行動』(未来社)
梅棹忠雄著『文明の生態史観』(中公文庫)
内田樹著『日本辺境論』(新潮新書)
相倉久人著・松村洋編著『相倉久人にきく昭和歌謡史』(アルテスパブリッシング)
マイケル・ボーダッシュ著・奥田佑士訳『さよならアメリカ、さよならニッポン』(白夜書房)
瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』(青土社)
服部良一著『ぼくの音楽人生』(日本文芸社)
上田賢一著『上海ブギウギ1945 服部良一の冒険』(アルテスパブリッシング)
『レコード・コレクターズ』00年5月号「特集・細野晴臣」(ミュージック・マガジン)
小沼純一監修『あたらしい教科書 音楽』(プチグラパブリッシング)
末越芳晴著『ラプソディ―・イン・ブルー ガーシュインとジャズ精神の行方』(平凡社)
『ミュージック・マガジン』01年2月号(ミュージック・マガジン)
『ミュージック・マガジン』2024年2月号「特集・『ブギウギ』と笠置シヅ子の時代」(ミュージック・マガジン)
山本嘉次郎著『日本三大洋食考』(昭文社)
内田晃一郎著『日本のジャズ史』(スイングジャーナル)
大谷能生著『20世紀ジャズ名盤100』(イースト・プレス)
井上寿一著『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書)

 近年の映画音楽は実に多様化しているが、それでも商業的な作品では伝統的なクラシック音楽を基盤としたオーケストラ作品が多いように思われる。しかしいまから50〜60年前、ミッドセンチュリー・モダンの感性が息づいていた時代には、“ジャズ”の要素を取り入れた楽曲がメジャー映画で数多く使用され、先駆的な音楽表現のひとつとして定着していた。
 ジャズをバックグラウンドに持ち、そのセンスを映画に活かしたこの時期の作曲家といえば、『ピンク・パンサー』で知られるヘンリー・マンシーニ、『スパイ大作戦(のちの『ミッション:インポッシブル』)』や『ダーティーハリー』のラロ・シフリン、そして『キャンディ』や『コンドル』を手がけたデイヴ・グルーシンなどが思い浮かぶ。また、クインシー・ジョーンズもキャリア初期に多くの映画音楽を手がけ、この分野においても大きな足跡を残している。
 ヘンリー・マンシーニは1950年代初頭から活動していたため、やや早い時期の登場といえるが、彼らはおおむね1950年代後半から1980年代にかけて、同時代にハリウッドで活躍した作曲家たちと言って差し支えないだろう。出身国に目を向ければ、アルゼンチン出身のラロ・シフリンを除き(とはいえ、彼の活動拠点もアメリカにあったが)、いずれもアメリカ人である。
 ジャズはアメリカがその中心地であり、次々と新しいスタイルや演奏技法が生まれていた。そうしたアメリカのジャズ文化に対し、ヨーロッパの音楽家たちは強い影響を受け、憧れを抱いていた。その代表的な存在の一人がフランス出身の作曲家ミシェル・ルグランである。彼もまた、ジャズの語法を巧みに取り入れながら、映画音楽の分野で国際的な成功を収めた人物だ。

 ルグランはパリ国立高等音楽院でクラシック音楽と作曲を学び、恩師ナディア・ブーランジェのもとで修練を積んだ。ブーランジェは20世紀を代表するクラシック音楽の作曲家、指揮者、そして教育者であり、彼女の門下には実に多彩な作曲家たちの名前が連なっている。
 例えば……レアグルーヴ好きには、ムーグ・ファンクの金字塔“Psyche Rock”や“Jericho Jerk”で知られるフランスの実験音楽家のピエール・アンリ、クラシックの素養が作品に深みを与えるブラジルの奇才エグベルト・ジスモンチ、ミニマル・ミュージックの旗手フィリップ・グラス、タンゴを革新したアストル・ピアソラ、さらにはクインシー・ジョーンズ、キース・ジャレット、ドナルド・バードまでもが彼女の門下生として名を連ねる。近年の音楽シーンに計り知れない影響を与えた(個人的にも大好きな)音楽家たちを指導したナディア・ブーランジェは、ある意味、相当な“やばい”教育者だったのかもしれない。
 ルグランもまたその一人であり、クラシックの厳格な教育に裏打ちされた音楽性と、それとは対照的に、自由な精神性の象徴でもあったジャズへの深い興味を併せ持っていた。1950年代にはマイルスやコルトレーンといったトップクラスのジャズ・ミュージシャンたちとも積極的に交流を持ち、その後映画音楽の世界へと進出する。1961年にはジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』の音楽を皮切りに、ヌーヴェルヴァーグ初期において実験的かつ自由な音楽表現を展開し、従来の映画音楽の枠を超えた新たな可能性を切り拓いた。1964年の『はなればなれに(Bande à part)』における、アンナ・カリーナとクロード・ブラッスール、サミ・フレーの3人の有名なダンス・シーンは、ルグランの軽やかで洒脱でファンキーな音楽があってこそ成り立った名場面だろう。
 同じく1964年には、フランス映画界の黄金コンビとなるジャック・ドゥミ監督と出会い、『シェルブールの雨傘』の音楽を担当する。ここでは、セリフがすべて音楽で歌われるという革新的なスタイルを採用し大きな注目を集めた。以降もこのコンビで『ロシュフォールの恋人たち』や『ロバと王女(Peau d'Âne)』など数々のスタイリッシュな作品を手がけた。なお、この『ロシュフォールの恋人たち』は1990年代の渋谷系ムーヴメント、とくにピチカート・ファイヴに代表されるアーティストやそのファンたちに多大な影響を与えた、デザイン/ファッション的バイブルとも言える作品である。色彩感覚、リズム感、そして軽やかさをもった世界観は、当時の日本のポップ・カルチャーに深く影響を及ぼしている。
 こうした一連の作品は、フランス国内にとどまらず、やがてハリウッドにも波及していく。ルグランのハリウッドでの成功は周知のとおりだが、個人的に印象に残っているのは、映画『The Happy Ending』のテーマ曲“What Are You Doing the Rest of Your Life?”である。近年では、ビル・エヴァンスによるローズ(エレクトリック・ピアノの一種)での演奏ヴァージョンが、アンビエント系や静謐で内省的な音楽を好むリスナー層からも高く評価されている。この曲は、ルグランにとっては長いキャリアのなかの小さな一コマにすぎないかもしれないが、作曲に込められた繊細な情感は、いまなお多くの人の心をとらえ続けている。

 クラシックの構成美とジャズの即興性が融合したミシェル・ルグランの音楽は、1960〜70年代の映画音楽のスタイルをある意味で決定づけた存在の一人といえるが、こうした楽曲一つひとつを支えていたものは何だったのか……。ルグランの音楽に向き合ってみると、彼の音楽性の本質が少しずつ見えてくる。特筆すべきは、彼の卓越したオーケストレーションの技術だ。あくまで個人的な感想にすぎないが、前述のジャズ出身の作曲家たちや同時代のヨーロッパの映画音楽家と比べても、その楽曲自体の安定感はかなり高いと思う。ルグランのオーケストラ作品には、重厚さと繊細さ、旋律の美しさが非常にバランスよく共存している。
 なぜ彼が非常に安定した完成度を生み出せたのか、その謎を解くヒントが多く描かれているのが、『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』だ。映像を通して彼の本質が見て取れた。とくに印象に残ったのは、ルグランは極めて高いピアノ演奏力を有していたという事実だ。作品の完成度との明確な因果関係はわからないが、こうしたたしかな演奏力に裏打ちされていたからこそ、ミシェル・ルグランはオーケストラをコントロールし、映画の血や肉となるような、情熱的でクオリティの高い音楽を生み出すことができたのだろう。
 そんなルグランの軌跡を証言する関係者のなかに、1980年代にフランス映画音楽を革新した作曲家ガブリエル・ヤレドの姿があったのには驚かされた。ガブリエル・ヤレドといえば、まだ若手の時代に、ジャン=リュック・ゴダールの注文を跳ね除けて「だったら他の人に頼むがいい」と言い放ち、ゴダールが折れて好きにやらせたという破天荒なエピソードの持ち主だ。彼がルグランへの敬意を熱く語る様子を目の当たりにし、「ヤレドはこんなにもルグランをリスペクトしていたのか」と、これにはかなり意外に感じた。
 そういえば、ヤレドもルグランも映画音楽家として飛躍するきっかけとなったのはジャン=リュック・ゴダールであり、それぞれの時代に新たな地平を切り拓いてきたという点で、その軌跡はどこか響き合っているのかもしれない。さらに考えてみると、ヤレドとジャン=ジャック・ベネックス監督のコンビにも、どこかルグランとジャック・ドゥミの関係に通じるものを感じる。作曲家と映画監督が深く共鳴し合い、作品全体の世界観を形づくっていく。その関係性の在り方には共通する空気があるように思えた。

 さて、本作『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』を観終えたあと、あらためてルグランの音楽に耳を傾けてみると、映画という総合芸術の奥深さとともに、音楽が“時間”という、目に見えず手で触れることのできないキャンバスに描かれる芸術であることの凄みを、あらためて実感させられる。そして、表現とは、卓越した技術や形式だけでなく、創り手の内側にある情熱や愛情が注がれてこそ、人の心に深く響くのだということを、しみじみと感じる。
 ゆえに、一人のアーティストの人生を描いた本作から感じ取るべきは、現代で希薄になりがちな“熱い何か”を私たちがいまこそ見つめ直すべきだというメッセージではないだろうか。

(ミシェル・ルグランの名盤の数々。筆者のコレクションより)

Adrian Sherwood - ele-king

 このアルバムを通しで聴きながら見えてきたヴィジョンはなぜか、鉄道の車窓から眺める、後部へと流れていく風景だった。夏が終わる少し前の午後5時くらいの風景だろうか。ディレイやリヴァーブの尾を引きながら遠ざかって行くスネアやサンプリングされたサウンドと、ライヴ・バンドによる多層的なメロディが私に見せた風景だった。アルバム収録曲の中で特に好きだった曲は “The Well Is Poisoned Dub” “Spirits (Further Education)” “Hiroshima Dub Match” の3曲で、どの曲もアルバム収録曲の中では比較的にミニマルな方の楽曲な気がする。
 “The Well Is Poisoned Dub” はアルバムの3曲目で、前の2曲からの流れで聴くと、その重心の低さが際立ち、豊かなディレイとリヴァーブに包まれ、ソファのクッションの隙間に頭が落ちていくような完璧なストーナーサウンドだった。“Spirits (Further Education)” は収録曲の中では最も都会的なサウンド、冷たく汚れたテラコッタとモルタルで作られた都市のグリッドの残響を思わせるサウンドで、なんともいえない居心地の良さを感じさせてくれる。そこから次曲の “Hiroshima Dub Match” への繋がりも素晴らしく、いつの間にか、このふたつの曲を連続したひとつの作品として聴いていた。曲中で漂っては消えていくサイレンの音が、自宅の窓の外からひっきりなしに聞こえてくる警察のサイレンと同期し、ロンドンと東京という9600km離れた都市を権力構造の元で結びつけた。

 『The Collapse Of Everything』というこのアルバムのタイトルから、私はまず、パレスチナとイスラエルをめぐる国際的なモラルや人道主義など、普遍的であるべきと信じていた価値観の崩壊。国内でも勢いづいている差別主義、排外主義勢力により撒き散らされるヘイトスピーチと陰謀論による、パニック的なモラルハザード。そして陰謀論者以外の誰の目にも明白ながら、都合の良い言い訳を探して見て見ぬふりされている壊滅的な気候危機などを連想し、紙幣を前に不恰好に歪んだ操り人形がデザインされたジャケットのアートワークを見て、その連想はあながち間違いではないかもしれないなと、ひとりごちた。

 シャーウッド曰く「The Collapse Of Everything」という言葉はマーク・スチュワートの残した未発表曲の歌詞の中に隠されていたそうだ。隠されていたというのが、どういう意味で、彼がどうその言葉を発見したのかが気になるが、2年前にこの世を去った偉大なミュージシャンの残したメッセージの断片が、しばしの時を経て蘇ったということだろうか。いまのこの世界の惨状を予言的に言い当てているような気もするが、人類が抱えている問題はずっと変わっていないということなのだろう。

 全体を通してブルース的な要素が感じとれるアルバムではあるが、決して懐古主義的な作品ではなく、未来へ向かうサウンドだということは最後に付け加えておきたい。全てが崩壊してゆく長いアポカリプスの中にあってもシャーウッドは未来へと向かっているように感じた。

アメリカとはいったいどんな国?

トランプ大統領と彼のチームは時代を読んでいた
カウンター・カルチャーに対するカウンター、そしてアメリカ右派における革命とは……?

インタヴュー:渡辺靖、大澤真幸、酒井隆史、三牧聖子、岡本裕一朗、石田健
コラム:イアン・F・マーティン、水越真紀、緊那羅:Desi La、三田格、ジリアン・マーシャル、二木信、土田修、木津毅

*アメリカを知るためのブックガイド付き

▶刊行のお知らせ──ニュースからは見えない、いまアメリカで起きている文化戦争について知ろう

インタヴュー:
・基本をおさらい、アメリカのはじまりから現在トランプがしていることの意味まで ▶渡辺靖
・アメリカを知るために、まずは二つの大きな矛盾に気づこう ▶大澤真幸
・ブラック・カルチャーが超重要な理由 ▶酒井隆史
・直近、ここ半年ほどのアメリカの状況を押さえておこう ▶三牧聖子
・話題の「新反動主義」ってなに? ▶岡本裕一朗
・いま「カウンターエリート」と呼ばれる人たちが出てきている ▶石田健

コラム:
・試しにアメリカから生まれた音楽がいっさいなかった世界を想像してみると…… ▶イアン・F・マーティン
・歴代大統領が掲げたキャッチフレーズからヴォネガットを連想してみる ▶水越真紀
・ケンドリック・ラマーを単純に支持できない理由 ▶緊那羅:Desi La
・数々の映画からアメリカの深層心理を探ってみる ▶三田格
・アメリカでは自分たちが世界の中心だと教えられる ▶ジリアン・マーシャル
・ヒップホップとトランプの親和性はつねにあった、でもそれだけじゃなくて…… ▶二木信
・トランプ的なもののルーツは、じつはヨーロッパにあり? ▶土田修
・アメリカへの複雑な思い、ウィルコの音楽を聴きながら ▶木津毅

菊判/192ページ

目次

序文──もしくは21世紀の文化戦争から(野田努)

■インタヴュー
渡辺靖 アメリカは再び求心力を取り戻すことができるのか──破壊者にして救世主、トランプがもたらした「分断」のゆくえ
石田健 リベラルを敵視する「カウンターエリート」たちが夢見る未来──トランプ政権に影響を与えたピーター・ティールとカーティス・ヤーヴィンの思想
大澤真幸 アメリカという国の特殊性──過剰な宗教性、根強い黒人差別、そして異様なまでの冷戦への情熱
三牧聖子 いまこそ本当のポピュリストが求められている──2025年、アメリカ合衆国の現在地
岡本裕一朗 新反動主義が共感を集めることができた理由──ピーター・ティールやカーティス・ヤーヴィンが登場してきた背景
酒井隆史 カウンター・カルチャーを再構築すること──ブラック・カルチャーからネオリベラリズムをとらえるとアメリカが見えてくる

■コラム
さよならアメリカ、さよなら日本(イアン・F・マーティン/江口理恵訳)
多様性の夢と包摂のパラドックス(水越真紀)
我が魂を引き裂くもの(緊那羅:デジ・ラ/野田努訳)
アメリカは「世界の終わり」を夢見ている(三田格)
国のない女──アメリカでアメリカ人として生まれ育つということは?(ジリアン・マーシャル/江口理恵訳)
ヒップホップの「抵抗」について考える──彼らはただ韻を踏んでいるだけではないのだ(二木信)
「米国第一主義」の源流はヨーロッパにあった?──欧州「極右」勢力の台頭とトランピズム(土田修)
アメリカを巡る曖昧な愛情(木津毅)

アメリカを知るためのブック・ガイド
(野田努、水越真紀、三田格、土田修、木津毅、二木信、小林拓音)

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
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* 発売日以降にリンク先を追加予定。

MC Yallah & Debmaster - ele-king

 日本や世界各地のクラブ・シーンを席巻しているエモ寄りのメロディック・ラップの氾濫からひととき解放されるかのように、ヤラ・ガウデンシア・ムビデ( Yallah Gaudencia Mbidde)、すなわちMCヤラー(MC Yallah)のセルフタイトル新作『Gaudencia』は、Nyege Nyege のサブレーベル〈Hakuna Kulala〉からフランス人プロデューサーのデブマスター(Debmaster)との共作として登場した。これはすでに熱気を帯びた夏にさらにスパイスを振りまく、革新の清新な空気であり、意識を覚醒させるバンガーの数々だ。2023年のブレイク作『Yallah Beibe』が放った生々しいエネルギーと昂揚を継承しつつ、今回のヤラーとデブマスターはさらにいっおう音響的一貫性を獲得している。まるで宿命に導かれた音響的な結婚のごとく、互いが互いを突き動かし、より高みへと刺し合うようにして。
 ケニアに生まれ、ウガンダで育った背景は、言語の仕組みを自在に連結するためのコードをヤラに授けた。彼女はルガンダ語、ルオ語、スワヒリ語、そして時折の英語を切り替えながら、それぞれの言語がもつ力を最大限に引き出し、すべてを猛烈な韻律のなかで機能させている。
 これはマムブル・ラップでも、2分間に40語しか吐き出さないエモ的な歌唱でもない。これはバトルラップ・スタイルだ。週末のニューヨークのバスケットコートに持ち込まれるような、あるいはあらゆるコンテストに投じられるようなものだ。英語を母語とする私にとって、ラッパーの言葉を理解できないことに多少の寂しさはある。だが“Omulinji”のようなトラックでは、そのもどかしさはメロディとフロウに慰められ、魅了される。優れたラッパーは、外部の聴衆が渡れる旋律の橋を築くのだと、そこには単純に示されている。

 アルバムのテンポは冒頭から狂騒的で、ハイプを積み上げていく。冒頭曲“Higher”のシンセサイザーの響きからして、その昂ぶる予感が全身に伝わってくる。トラックメイカーとしてのデブマスター(Debmaster )の手腕は、必要な余白と緊張感を残し、MCヤラにマシンガンのようなケイデンスを浴びせるだけの空間を与えている。そして続く“Kujagana”では夏らしいバウンス感を解放し、どこの都市でも通じるメロディを響かせる。地下鉄のなかで自然と口ずさめるような、記憶に残る旋律だ。
 1曲目以降、このアルバムの大部分はディープでスローなリズムに身を委ねている。現代アフリカのスロービートやアフロビーツと、西洋で人気のグルーヴィなエレクトロニクスとのあいだに心地よく収まり、クラブで多用されるガバの硬質な音を相殺するかのようだ。

 ヤラーにとりわけ惹かれるのは、そのラップのフロウ、歌唱、パフォーマンス・スタイルはもちろんだが、全体的な美学において、セクシュアリティを最優先にしていない点にもある。だいたいこのご時世、裸同然の格好をせず、言葉を発する前から腰をくねらせたりしない女性ラッパーがバズったりすることは困難だろう。実力派のDoechii(https://www.ele-<https://www.ele-/>http://king.net/review/album/011615/)でさえも、注目を集めるため、真っ裸になってヴィデオを制作したほどである。しかし、『Gaudencia』におけるヤラーは、ゲストなしでアルバム全体を牽引する女王の風格を見せつける。13曲すべてにおいてゲストも客演プロデューサーも存在しない。サウンドは一貫しており、メッセージは純粋無垢で、そのゆえに圧倒的な磁力を放っている。そして率直に言えば、リリックを完全に理解できなくとも、ヤラの才能はジェイ・Z級だ。
 願わくは、ヤラーがアメリカのしばしば言語的排外主義に陥りがちなラップ・カルチャーを突破してほしい。現実にはそれが起こるとは思えないが、それでもなお願わずにはいられない。


In a welcome break from the plethora of emo-driven melodic rap taking over the club scenes here in Japan and in many parts of the world, Yallah Gaudencia Mbidde aka MC Yallah`s new self titled work “Gaudencia” with Debmaster on the the Nyege Nyege`s sub-label HAKUNA KULALA, is the fresh air of innovation and mind-awakening bangers necessary to bring spice to an already hot summer.
In a continuation of the raw energy and excitement around her breakthrough 2023 “Yallah Beibe,” Yallah and Debmaster go even further into sonic coherence showing that they were meant to each other, an ordained sonic marriage by fate, each half needling each other toward greater excellence.
Being Kenyan, raised in Uganda showered Yallah with the codes necessary to interconnect with the inner-workings of number languages. Yallah toggles between Luganda, Luo, Kiswahili, and brief moments of English accessing the greatest parts of each language and making them all work in rapid fire cadences.
This isn`t mumble rap or 40 words in a 2 minute emo-sing song, this is battle rap style. The type one would take to the basketball court in New York City on the weekend or any contest. For myself as a native English speaker, there is a little sadness in not being able to understand anything a rapper is saying. But in a track like “Omulinji," my mental frustrations are put to rest with melodies and flows that mesmerize, showing simply the best rappers build melodic bridges outsiders can cross.
The pace of the album from the beginning is manic, hype building. You can feel the anticipation from the opening synths in opening “Higher.” Debmaster`s craft as a track maker leaves space and just enough tension giving MC Yallah tons of air to fire machine gun style cadences. And then allows summer bounce vibes in the following “Kujagana,” easily translatable in any city with melodies, memorable and hummable on any subway.
Beyond the first track, the majority of the album grooves in deep slow rhythms fitting comfortably between modern African slow beat or afrobeats and groove heavy electronics popular in the Western world to offset much of the gabber music played in clubs.
What particulary attracts me to Yallah is her rap flow, singing, performance style or overall aesthetic, not prioritizing sexuality first. It`s difficult now to find viral female rappers that aren`t near naked or gyrating before they even say a word. Even equally as talented Doechii has made video(s) completely butt naked to attract attention. In “Gaudencia” Yallah shows queen status carrying the whole album without any guests. 13 tracks without any guests or even guest producers. The sound is consistent and the message is pure, and by being so, incredibly magnetic. And truth be told, Yallah is Jay Z level talented, even without understanding fully her lyrical content.
It would be my hope that Yallah could break through the often linguistically xenophobic rap culture of America. I don`t see that happening but it is still a hope.

Urban Echoes - ele-king

 長野の音楽フェス、「EACH STORY〜THE CAMP〜を」主催する実行委員会が新たな公演をローンチさせた。
 東京で3夜にわたって開催される「Urban Echoes」がそれだ。
 第一夜となる10月6日(月)には、〈ECM〉のギタリスト、ヤコブ・ブロと高田みどりの共演が実現。会場は表参道の銕仙会能楽堂。
 第二夜の10月8日(水)は、シカゴのシンガー・ソングライター、ジア・マーガレットによる初めての来日公演。会場は池袋の自由学園明日館 講堂。
 第三夜の10月9日(木)は、ちょうど本日最新作『winterspring/summerfall』の日本限定CD盤がリリースされたオランダ出身のマルチ楽器勝者、フェルボム(Felbm)が登場する。会場は多くのの淀橋教会の小原記念チャペル。
 自然に囲まれながら体験する音楽もいいけれど、繁華街でちょっと特別な音楽に耳を傾けるのもまた味わい深いものです。詳しくは下記より。

Urban Echoes
一 都市にひそむ余自と共鳴ー

Resonating with the Hidden Spaces of the City
都市には、さわめきの奥に静けさが潜み、時間の際間に醤きが宿る。
Urban Echoes は、そうした見えない余白を音と空間で呼び覚まし、
会場ごとに異なる物語を立ち上げていく試みです。
能楽堂や歴史的建築、チャベルなど、息づく記憶をまとった場所で、
国内外のアーティストがその夜だけの音を奏でる
都市に眠る気能が共鳴し、音楽とともに新たな記憶となる
ーーEACH STORYが届ける、特別な音のシリーズ。

DAY1

2025年10月6日(月)
Jakob Bro × 高田みどり
銕仙会能楽堂(表参道)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
料金 : 前売り ¥10.000_ / 当日 ¥11.000_
出演 : Jakob Bro × 高田みどり
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協力:rings
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動
後援:デンマーク王国大使館

DAY2

2025年10月8日(水)
Gia Margaret
自由学園明日館 講堂(池袋)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
料金 : 前売り ¥8.000_ / 当日 ¥9.000_
出演 : Gia Margaret
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協力:plancha
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動

DAY3

2025年10月9日(木)
Felbm
小原記念チャペル(大久保)

時間 : OPEN 18:00 / START 19:00
   LIVE時間 : 60min
会場 :ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会 小原記念チャペル
料金 : 前売り ¥7.000_ / 当日 ¥8.000_
出演 : Felbm / H.Takahashi(DJ) / Yudai Osawa (VJ)
HP / チケット販売サイト: https://www.urbanechoes.live
主催 : 合同会社EACH STORY実行委員会
協賛: Adam Audio
協力;Knkyo Records
助成:東京芸術文化創造発信助成 カテゴリーⅠ 単年助成 芸術創造活動
後援:オランダ王国大使館

Chip Wickham - ele-king

 ブライトン出身のサックス奏者、チップ・ウィッカムは、モダン・ジャズを基盤としつつ、クラブ・ミュージックとも接点をもちながらスピリチュアルなサウンドを探求してきた音楽家だ(昨年はフジロックで来日)。そんな彼が、ロンドンとはまた異なる角度からジャズを盛り上げてきたマンチェスターのレーベル〈ゴンドワナ〉に合流したのが前作『Cloud 10』。これにつづく通算5枚目のニュー・アルバム、『The Eternal Now』が9月5日にリリースされる。
 また、これにあわせ、単独来日公演も決定していて、11月15日(土)@大阪 Umeda Shangri-la、11月16日(日)@東京 Shibuya Club Quattroの2都市を巡回。新作リリース直後という絶好のタイミングでのライヴ、見逃す手はありません。


【リリース詳細】
アーティスト:CHIP WICKHAM / チップ・ウィッカム
タイトル:The Eternal Now / ジ・エターナル・ナウ
フォーマット:CD/DIGITAL
発売日:2025.9.5
価格:¥2,750(税抜¥2,500)
品番:PCD-25494
レーベル:P-VINE

【Pre-order/Download/Streaming】
https://p-vine.lnk.to/00FYw3

【Track List】
1.Drifting
2.Nara Black
3.The Eternal Now
4.Lost Souls
5.No Turning Back
6.The Road Less Travelled
7.Falling Deep
8.Ikigai
9.Outside
10.Solar Opposites*
*Bonus track for Japanese edition

【来日公演】
2025/11/15(土) 大阪 Umeda Shangri-la
2025/11/16(日) 東京 Shibuya Club Quattro
企画/制作:SMASH

https://smash-jpn.com/live/?id=4500

【Chip Wickham(チップ・ウィッカム)】
UK/ブライトン出身のサックス、フルート奏者。マンチェスターでジャズを学びそのキャリアをスタートさせると、2000年代UKのジャズ、ソウル、トリップホップ、ファンクシーンに関わり、The Pharcyde、THE NEW MASTERSOUNDS、Nightmares On Waxといったアーティストの活動に参加、さらにMatthew Halsall率いるGondwana Orchestraに加わるなどUKを中心にスペインや中東など活動の幅を拡げていく。2017年に初のリーダーアルバム『La Sombra』をスペインのジャズ・クロスオーヴァー系レーベルとして名高い“Lovemonk”からリリース、さらに同じく“Lovemonk”から2nd『Shamal Wind』(2018)、3rd『Blue To Red』(2020)と立て続けに発表しヨーロッパのジャズシーンで存在感を高めていくようになる。2022年にはGoGo Penguinなど先鋭的なジャズ・ミュージシャンを多数輩出したUKの新世代ジャズシーンを担う“Gondwana Records”から4枚目のアルバムとなる『Cloud 10』、翌2023年にはEP『LOVE & LIFE』を発表し、そのモダンでソウルフルなスピリチュアル・ジャズサウンドでUK/ヨーロッパではもちろんのこ、2024年にはFUJI ROCK FESTIVAL '24で円熟のパフォーマンスを披露し日本国内でも高い評価を得ている。2025年9月に最新アルバム『The Eternal Now』(Gondwana Records)をリリース予定。

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