ちょっとちょっと、これは格好いい! 2011年注目のひとつ、相模原のヒップホップ・クルー、シミラボ(SIMI LAB)からアース・ノー・マッドの"Don't Touch Me feat. QN From SIMI LAB"のPVが到着した。待望のアルバム『Mud Day』は、〈SUMMIT〉より3月25日にリリース予定。
「Lowã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
新譜を中心にレコードバッグによく入っていたレコードです。
早過ぎず遅すぎず、上げ過ぎず下げ過ぎず。
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AFMB - Back Up Days - Drumpoet Community |
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Alex Agore - Promised You Love - Kolour LTD |
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Francis Inferno Orchestra - Meet Me In Salt Lake City(Eddie C Remix) - Under The Shade |
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The Reboot Joy Confession - 1999(Untitled) - Philpot |
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TAZZ - Unrestrained - Underground Quality |
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Tigerskin - Tony's Riff - Ladies And Gentlemen. |
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Slow Supreme - Green Tea - Jazid Collective |
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The Future Soul Orchestra - Movin' On - House Of 909 |
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Unknown - Where Da Party At? - Unknown |
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Billy Palmier - Free - Citywurl |
MY SWEET 10 (2011.01)
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STEREOCiTI - tsukayga - Mojuba |
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Nutty featuring Daddy - mdali(Charles Webster dub) - Miso |
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Lerosa&Donato Dozzy - Neon Snake - Apnea |
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Ordell - Untitledmann - Minuendo |
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Oskar Offermann&Moomin - Hardmood/Joe Macdaddy - Aim |
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Ralph Sliwinski - Thorn Until Gate - Below |
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Trickski - The Warm Up - Delusions Of Grandeur |
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Tommaso Cappellato - The Knight - Elefante Rosso |
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Adultnapper featuring Big Bully - Low Point On High Ground(Rock Bottom Mix By DJ Sprinkles) - Simple Records |
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Leo Gunn - Untitled - Deep Explorer |
まるで聞き分けの悪い子供の我がままのようだ文:加藤綾一
![]() 神聖かまってちゃん / みんな死ね パーフェクト・ミュージック
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![]() 神聖かまってちゃん / つまんね ワーナーミュージック・ジャパン
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『つまんね』『みんな死ね』だって、わはは、最高じゃん! AKB48と嵐が年間チャートを独占するこの国の予定調和に対するオルタナティヴとして、2010年にもっとも待ち焦がれられたであろう、彼らのアルバムのタイトルを目にしたときに僕は思った。もちろん、よく言われるような現代社会に対する虚無感ややり切れなさもあったが、それ以上に、僕はこの上なく痛快な気分になった。
彼らがそのおどけた言葉遣いと態度で、フラストレーションを不器用にも解放しながら突き進んでいくさまには、僕は特別な同時代性を感じる。"天使じゃ地上じゃちっそく死"や"芋虫さん"での「死にたいな/苦しい嫌だ」「生きたいなあ」という叫びは、いつからか頻繁に耳にするようになったが、〈にちゃんねる〉のような掲示板では、日々、やり場のない苛つきや卑屈なまでの劣等感が、ジョークを織り交ぜながら生々しく吐露されている。それは現代のルサンチマンの縮図とも言えなくもないが、神聖かまってちゃんの鋭い批評眼の出自はここにあることは間違いないだろう。僕は〈マルチネ〉周辺の自分よりも若いトラックメイカーやDJたちをtwitterで数人フォローしているが、彼らも〈にちゃんねる〉的な人を食ったような言葉遣いをしている。僕は、それはこの時代の空気をリアルにパッケージングするために生まれた、優れた言語感覚じゃないかと思っている
"いかれたNeet"では、「朝から晩まで僕は楽しい歌を歌う/それが日記だから」という自虐的な叫びがある。いったい何の甘えだと思うかもしれないが、ほとんどワーキング・プアのような状態でここ数年を過ごし、今年初めてしばしのあいだニートを体験した僕のような人間にとっては、決して冗談として笑い飛ばすことが出来ない。そういった言葉たちを、耳をつんざくノイズに塗れながら、それとは裏腹の耳馴染みのいい歌謡曲風のポップ・パンクに乗せて吐き出すさまは、まるで聞き分けの悪い子供の我がままのようだ。度の過ぎた被害者意識だと一蹴することも出来るかもしれないが、こうしなければやっていられないのもまた事実。クソみたいな世のなかと同化して堪るかという彼らの悲痛な叫びを無視するほうが、もはや難しい状況になりつつある。
"美ちなる方へ"とはよく言ったもので、その危ういピュアネスが行き着く先は僕にもわからない。だが、"男はロマンだぜ! たけだ君っ"のように、彼らの鳴らす音楽が、「ポンコツな心のギアをあげて」生きる僕らが抱えた歪んだ鬱憤を晴らすものとして機能するのであれば、これほど美しいことはないと思う。
文:加藤綾一
[[SplitPage]]120%の真実であり、しかし120%の真実ではない文:野田 努
![]() 神聖かまってちゃん / みんな死ね パーフェクト・ミュージック
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![]() 神聖かまってちゃん / つまんね ワーナーミュージック・ジャパン
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「生きる日々、ずる休み/それはただ、燃えないゴミ」"口ずさめる様に"
神聖かまってちゃんは虚無を生きているかもしれないが、虚無的ではない。千葉ニュータウンから登場したいかれたオアシスに聴こえるときもあるけれど、メロドラマティックな感情移入を拒絶するという意味でアンチ青春的とも言えるこの青春の音楽は、聞き捨てならない巧妙な言葉とメリハリのあるメロディ、際どい風刺精神とポップ志向、そしての子の変幻自在の声によって面白いように混乱を巻き起こす。おまえらの言ってることは何か違うんだよ、頭をかきむしりながら鋭い目で苛立ちを露わにするステージのの子を思い浮かべる。
「知っているからたまに狂っちまうんだ 」......"美ちなる方へ"
ライヴで初めて"天使じゃ地上じゃちっそく死"を聴いたときには本当に身震いした。重たいベースラインに導かれて発せられる「いやだ!」という声は、華やかな渋谷の街を一瞬にして黙らせるようだった。露わになったとめどない感情......そして「死にたいな」という叫びが会場内のいたるところに突き刺さる。それは120%の真実であり、しかし120%の真実ではない。矛盾が爆発する。その瞬間、新しい「生きたい」が鼓動するのを僕は感じる。
「ノー」と言うことで開ける未来がある、というパンクのクリシェにならって言えば、神聖かまってちゃんはこの国の支配的な力――「強い者しか生き残れない」という価値観に強烈な「ノー」を叫んでいる、と言えるだろう。弱さ、け落とされる感情、抑えつけられた思い、ヘドの塊や心療内科で処方される向精神薬......そんなものを寄せ集めながら、しかしそうした負を逆転していくような衝動を、あるいはその仕掛けを彼らの音楽から感じることができる。笑えるようで、しかし笑うに笑えない言葉が、ものすごい本気とものすごい冗談のあいだを素早く往復しているようだ。あるいはまた、男らさしや女らしさといったジェンダーを越えたところから聴こえるの子の中性的な声によるシャウトが、その「ノー」にさらに複数の意味を持たせているようにも思う。それから......ものの喩えとして、"ツイスト&シャウト"→"アナーキー・イン・ザ・UK"→"天使じゃ地上じゃちっそく死"と並べることもできるかもしれないけれど、当たり前の話、生きている時代も社会も違う。セックス・ピストルズの時代はもうちょっとシンプルだった。ステージの上でネットの書き込みを晒す必要などなかったのだから......。
騒々しい『みんな死ね』、ポップに毒づく『つまんね』、どちらもマスターピースだ。"神様それではひどいなり"を聴く。「神様貴様はどこにいる /神様てめぇぶっ殺してやる /殺してやる」、ハハハハ、暗い気持ちも明るくなる。他にも良い曲がたくさんある。マッチョな時代へのアイロニー"男はロマンだぜ!たけだ君っ"、鬱病時代をシニカルに描く"僕のブルース"や"最悪な少女の将来"、そしてパワフルな"いかれたNeet"や"口ずさめる様に"......。2010年の12月、神聖かまってちゃんは世界の見方を変えてしまった。
文:野田 努
[[SplitPage]]調子に乗ってすみません。べつにいいじゃねえかよぉ、調子に乗ってもよぉ文:橋元優歩
![]() 神聖かまってちゃん / みんな死ね パーフェクト・ミュージック
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![]() 神聖かまってちゃん / つまんね ワーナーミュージック・ジャパン
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神聖かまってちゃんの音楽は、村上隆氏の言葉を借りれば「様々なコンテキストが串刺しに」されており、そのために音楽の枠を超えて大きな存在感を持ち、狂おしいバズを巻き起こすのだが、またそのために正当な評価を損なっている部分があると感じる。ユーチューブやストリーミング配信の重用、またそのためにファンがライヴ会場ではなくネット空間に多く存在するといった、インターネットにおける新しいコミュニケーションの問題。共同体、とりわけ学校共同体への違和や怨恨、トラウマという主題。自傷的なパフォーマンス。平成不況や旧来型の社会モデルの解体状況のなかで育った「奇怪な自意識を持つ」ゆとり世代のイメージ。NHK『ミュージック・ジャパン』出演時などの有名な暴走エピソードなども、こうしたイメージを補強する材料になってしまうだろう。「ネオテニー・ジャパン」的な成熟の問題ともリンクするかもしれない。また出身地である千葉、集合住宅といったキーワードが喚起する郊外的(ゼロ年代的)風景。さらには、ニート/非リア充問題として語られることさえあり、ゼロ年代と若者論をめぐって本当におびただしい文脈を串刺しにしている。
だが実際に音に耳を傾けると、それらが部分であり全体ではないということがよくわかる。どれかひとつのトピックから眺めていては彼らを取り逃すばかりだろう。私のように後聴きの人間にはとくにそうだ。の子はじつに瑞々しく正統的なロック・ヒーローである。忌野清志郎や甲本ヒロトにも比肩できるだろう。音や資質は異なり、の子にはむしろ彼らのような頼もしい男性性に対する批評を感じるが、自らの内に渦巻く負の記憶やエネルギーを強度のある表現に転化できる点では共通する。歌っていることが、「ああ、ほんとうのことなんだな」と感じられる。
さて、同時リリースとなった『つまんね』と『みんな死ね』。前者はグローファイ的なムードまでとらえたエレクトロ・サイドのアルバム、後者はわりとストレートなパンク・アルバムである。さらに、前者は「運命は変わらない」というアルバム、後者は「僕は素直に生きる」というアルバムだ。あわせると「運命は変わらないが僕は素直に生きる」になる。色の異なるふたつのキャラクターが、『仮面ライダーW』のようにきっちり半々に合体する。緑っぽい黒、とかではなく緑と黒半々の身体が、の子の身体ではないだろうか。意図されたものではないかもしれないが、2作がかなりくっきりとした対照性を持っていることはたしかだ。
まず驚くのは『つまんね』。とても風変わりなプロダクションで、ピクシーズとアリエル・ピンクをドラム式乾燥機で一緒に回したかのようにいびつなローファイぶりである。ベースは重め。雄弁なキーボードは、今作でも忘れがたくメランコリックなリフを繰り返す。アニメソングさながらのくっきりとした対旋律を描き出すのも彼だ。"天使じゃ地上じゃちっそく死"や"笛吹き花ちゃん"などでは、ベースとドラムによってライド的な疾走感が生み出されている。の子が歌うのはおもに「君はどうしようもないだろうね/どうにもならないだろうね」("黒いたまご")という運命を静観する態度だ。「黒いたまご」は、イコール「花ちゃん」であり、「芋虫さん」であり、「僕」、そしてノット・イコール「白いたまご」だ。醜くて不気味で、死んだほうがいい。だが「白いたまご」とてくだらない、しょぼい命である。生まれてきても「黒いたまご」をいじめたりして終了。いますぐ壊したほうがいい。こうした希望の薄い世界認識や、そこからとくに踏み出すことのない非積極性のモチーフは、チルウェイヴ的な音となじみがよい。"夜空の虫とどこまでも"は、絶妙のタイミングで挟まれるドリーミー・シンセ・ナンバー。悲観的で逃避的、しかし切ない。ケトルばりの感傷を持った、ミドル・テンポのインスト曲である。他の曲より秀でているとは言わないが、この曲が全体の腰の部分にあることで、アルバムの表情と方向性がバシッと決まっているように思う。つづく"通学LOW"もエレクトロで、クリスタル・キャッスルズのようないかれたバイオレンスを思いきり内向させる。いっぽうで、"いかれたNeet"もとても好きだ。ぎこちないファンク・ビートがどことなくデヴィッド・ボウイを思わせる。不気味で醜い「僕」が日課として歌をうたいつづけるという詞。の子が発音する「ニート」はすさまじい情報量に満ちている。心のすみずみから掻き出した声と言えばいいだろうか。苦しい、怖い、いやだ、死にたい、そうでもない、どうでもいい、生きたい、それらがすべて含まれている。この曲は、この「ニート」を聴く曲だ。何度も何度も繰り返されるし、一個一個身にしみる。ただの名詞なのに、無限に動詞や形容詞を感じるだろう。声変わりが終わりきらないような危ういバランスは、昔の七尾旅人にも重なる。七尾も「不気味で醜い」黒いたまごのような声を出した。運命は変わらない。だがこの声が歌う「死にたい」は、かぎりなく「生きたい」に近い。
『みんな死ね』は曲にヴァリエーションもあり、『つまんね』の内省に比べてより攻撃的だ。前述のように音としてもかなり素直なパンク・アルバムで、前に向かうような気持ちが感じられる。
「上へ上へ駈けのぼってく/....../僕はゆきます/....../そんな感じです」("ねこラジ")
「男にも女にもなれやしない僕だから/みんなの目が厳しいとちょっとつらい/男にも女にも嫌われてる僕だから/自分らしく生きたい/....../嫌われても人間らしく/素直に今歌いたいのです」("自分らしく")
「さんざんな目にあっても/忘れ方を知らなくても/僕は行くのだ/僕を笑わせんなと」("怒鳴るゆめ")
"自分らしく"は、「男の子」にも「女の子」にもなれない「の子」の由来に言及しているようで、かつそのことを承認してほしい、してくれなくてもの子として生きる、という力強い表明がある。"スピード"や"男はロマンだぜ!たけだ君っ"では提案すらある。
「独りぼっちが好きだったら/走れ走れスピードで走れ走れスピードで/誰にも見えないスピードで」
いずれも、歪んだギターとかまってちゃんらしいシークエンスを持った疾走ナンバーである。ヴォイス・チェンジャーも目立っては使用されない。そしてストレートなメッセージや決意がある。もちろん「そんな感じです」のような照れ隠しというか、メタな自己言及も忘れない。神様に世界の残酷な不平等を訴える"神さまそれではひどいなり"では、神様に意義申し立てをおこない、「ぶっ殺してやる」とまで叫んでおきながら、「調子に乗ってすみません。べつにいいじゃねえかよぉ、調子に乗ってもよぉ。すみません」というつぶやきで締めるのだ。コロ助の真似とおぼしき口調のしょぼい存在が、まっとうな望みを抱いてすみません。シニカルで切ないこの感覚はつねにある。もしかすると自虐を偽装することで誇りを守っているのかもしれない。必死でバランスを保ちつつ......。
しかし最終的に耳に残るのは「最悪、みんな死んでしまえ」("最悪な少女の将来")ではないだろうか。よく動くベースと、デイヴ・フリッドマン的な、ガスが充満して爆発しているような音像、そして旋律がぴったりと言葉に合っている。思いの強さと真実さが、この旋律を導いたのだと思える。私は前向きなメッセージを100パーセント支持するものであるが、現時点では「最悪、みんな死んでしまえ」のほうがかまってちゃんの最大出力を引き出せるのかもしれない。ただし、かまってちゃんの「死んでしまえ」はナイーヴな自己完結には終わらない。定型に則ったメンヘラー的ポーズではなく、全霊で外にぶつける「死んでしまえ」であり、そのはね返りを受けてみずからも大きなダメージを受けるように見える。「死ね」と言うとき、そこに生々しい相手を想定できるだろうか。固有名でなくてもかまわない。肉体と心とをたしかに持った存在を感じながら「死ね」と言えるだろうか。それができるのなら、倫理的な問題にはパスしているのではないかと思う。「素直に生きる」ことはかくも難しい。両作はまぎれもなく傑作で、私はとても考え、一生懸命聴いた。終曲も美しいが、次はほんとに、しょぼい我々にも"口ずさめる様"に、「死んでしまえ」を逆転してほしい。
文:橋元優歩
[[SplitPage]]毟り取られ、攻撃され続けてきた思春期のなかから文:水越真紀
![]() 神聖かまってちゃん / みんな死ね パーフェクト・ミュージック
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![]() 神聖かまってちゃん / つまんね ワーナーミュージック・ジャパン
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神聖かまってちゃんについては『ele-king』復刊号に掲載予定の戸川純×の子の対談記事で純ちゃんがすべてを言っている。簡潔に、切実に、的確に。まったくそれ以上なにを言うことがあるのかというほどに......。
それは本当に感動的な対談だった。司会などほとんど必要もないままにふたりの話は続いた。「親子ほど違う」なんて言い方をする人もいるかも知れないが、出会った瞬間から最後まで、そんなことを感じることは一度もなかった。同じ時代を生きて同じように歌を作りバンドで歌う、共感と憧れが交錯する幸福な時間だった。
というわけで、まったくいったい、ほかになにを言えばいいのか、あとはすべて蛇足ではないかと思いあぐねているというわけだ。
えー、なので好きな歌を上げます。『つまんね』は傑作だと思いながら、気がつくと口ずさんでいるのは『みんな死ね』の曲が多い気がする。
まずは"神様それはひどいなり"(『みんな死ね』)。傑作だと思う。すいません、語彙が貧困で。バンド名の「神聖」は、の子が「宗教っぽいものが好きだし......」ということで冠されたという話だけれど、それでいてこの歌。アンチクライスト、ではない。まさしく神の子の歌だ。どんな神? それは知らない。神様に甘えて甘えてねだってねだって異議を申し立て、最後には「ぶっころしてやる!」とがなり声を上げる。ああ、ほんとに久しぶりの爽快感。一緒になってがなりたくなる。がなっている。
「甘える」ことは難しい。子どもが大人に甘えた時代なんて人間にはきっとそんなになかったろうと思いつつ、それでもなお、この歌は歌われて正しい。断固支持する。甘えているのだ。どこにもいない神に、いないくせにえらそーに間違えてばかりいる神に、徹頭徹尾役立たずの神に。甘えられないから、それを知ってるから。
聴くたびに最初から気持ちをたどり直してしまえる。これを私はパンクと呼びたい。
それから"ねこラジ"(『みんな死ね』)。RCサクセションの"トランジスタ・ラジオ"を思い出す。あるいはこないだ見たジョン・レノンの青春映画"ノーウェアボーイ"とか。
孤独な若者は、半生記前もいまも変わらずに、遠いところで鳴ってる音楽をとらえようとしている。たとえ"電波"の意味が変わっても。それさえも彼はとらえようとする。けれども過去の若者たちも言葉を知らずにとらえていたのではないか。誰かが勧めてくれたからでもお父さんが聴いていたからでもなく、体中から溢れて止まらない「新しい音楽」を求める心が、シーンにおける「新しい音楽」の役割が退化しても退化しても、新しい人には湧き上がる。
私はそれがなによりもなによりも好きな光景だ。
ほかにもある。まだまだある。あー、これもいいのよ、あっちもすごいのよと。けれどもこの調子で「好き」だと打ち明け続けるのには少しためらいがある。
そしてこのためらい、私をためらわせるナニモノかこそが、たぶん神聖かまってちゃんが寅年生まれの私に発している力だ。たぶん。
神聖かまってちゃんの歌は「なつかしい」。このバンドのほとんどなにもかもが、"いま"生まれてきたことの必然性を感じさせながら、同時に私は「なつかしさ」を感じるところがある。80年代初頭に私を刺激してくれたサブカルチャーのなかに、たしかに同じナニモノかがあったのではないかと感じ、だから「好き」って言うのが照れくさくなってるんじゃないかと......。
思い出せば90年代後半以降、思春期には不遇時代が続いていた。80年代中盤には「最近の子どもには思春期がないらしい」説が出はじめていたが、90年代後半以降に比べたらまだ思春期のゆりかごだったと言っても良かった。いま思えば。なにしろそれが見えなくなったことに疑問が呈されていたのだから。校内暴力や特殊な事件が少しずつ社会のムードを変えていって、"思春期"は肩身の狭いものになってきた。
実際には、思春期は子供たちから自然に蒸発してしまったのではなくて、毟り取られていたのだ。子供のままで服従しながら、頭のなかはクールに大人のように割り切ることを命じることで。オウム事件や神戸の殺人事件を機に、思春期はさらなる攻撃を浴びていた。そんなモノはいまでは不要だ、ダサくて情けなくて時代遅れでカッコ悪い、そんなモノを抱えているからいじめられるのだ人を殺すのだ中二病だメンヘルだと言わんばかりの攻撃だった。
いまも基本的にはそれは変わっていない。
さらにいえば、80年代初頭のサブカルチャーさえ、この思春期虐殺への最後の抵抗が大量に含まれていたのだ。相対化されながら、あるいは自らそうしながら、クールとポップをまとって......。
この10年、「親が聴いていた」音楽を好む若者というものを見てきた。このことがことさらサブカルチャーから対抗文化性を奪ったとは必ずしも思わないけれど、思春期特有の感情の表現は奪ってきたと感じる。それだけが僅かな時間に生み出せるリリカルで無力なその表現は、40代までみんな青春サブカルチャー世代のなかでさえ、ユースカルチャーとして"サブカル"に埋め尽くされる地上から飛び立てるものだというのに。
戸川との対談で「不安定になる自分を緩和するために歌を作る」との子は言ってた。の子も25歳ですから、思春期と言うにはトウが立ちすぎているわけですが、個々の思春期は実はどんどん延長されてきたのではないか。封じられれば封じられるほど、ある人びとの心にその根は蔓延り続けていたのかもしれない。
の子の戦略と技巧に満ちた"カミングアウト"は、この四半世紀を全身で受け止めながらくぐり抜けてきた綱渡りのような思春期が混ざっている。だから私は"なつかしさ"を感じるのではないかと思った。「親子ほど違う」彼のなかに、同じ時間を生きてきたナニモノかを感じるのではないかと。
文:水越真紀
[[SplitPage]]飽きた。つまんね。そういうことだろう。飽きたんだよ、ホントに文:三田 格
![]() 神聖かまってちゃん / みんな死ね パーフェクト・ミュージック
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「それだったらオレもいろいろありますよ」と、の子は言った。すごんだようにも見えた。テープはとっくに止まっている。同じ曲でも戸川純が歌うと違うんだよねといって、僕は"電車でGO!"のタイトルを挙げたのである。の子がこだわっていたのは歌唱方法で、最も軽薄に言い換えれば、それはどれだけ感情が表現されているかということだろう。いろいろあるんだろう。そうなんだろう。"いかれたNeet"を聴いて、それは僕にものりうつる。僕は「いかれて」もいないし、「NEET」でもないのに、"いかれたNeet"という叫びに同調し、意味もなくマネをしたくなる。深夜アニメ『けいおん!』でも第1回で「部活していないだけでニート!」といって平沢唯が涙目になるシーンがある。三毛猫ホームレスにもそんな曲はあった。NEETという言葉は明らかに小泉・竹中政権が国民をひとり残らず労働に駆り立てようとして編み出された汚いコンセプトでしかない。働かないでゴロゴロしている人なんて、昔はいくらでもいた。誰かが誰とどんな人間を築こうが国家にいちいち口を出されるようなものではなかった。それを犯罪者でもあるかのように扱うための言葉にどれだけ思春期を汚されたか。新自由主義は多少は鳴りを潜めたのかもしれないけれど、傷を付けられた方はそれでおしまいとは行かない。神聖かまってちゃんの"いかれたNeet"はそんな悲しいアイデンティティを振り切ろうとする叫びであり、なぜか世代を超えて僕の心にも響く。
「いかれたNEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEET」と、可能な限り、語尾を引っ張りたくなる。「ツイスト・アンド・シャーーーーーーーーーウト」とジョン・レノンが語尾を引っ張り、「デーーーストローーーーーーーーーーーーーイ」とジョニー・ロットンが語尾を延ばしたように。疲れた体を引っ張り挙げるように。
![]() 神聖かまってちゃん / つまんね ワーナーミュージック・ジャパン
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SFなどではよく感情に左右されない冷徹な人間が進化した人間として描かれる。大脳皮質の発達からいえば、動物と人間を隔てる最も特徴的な差は前頭葉が発達しているかどうかで、人間にはその結果、感情の豊かさというものがもたらされたはずなのに、それを捨て去った状態を進化した人間としてイメージする根拠は謎でしかない。動物にはない複雑な感情を手に入れたはいいけれど、むしろ、そのことによって振り回されてしまう状態をよしとできないということならば、それはせっかく手に入れたコンピュータがうまく使えないからといって放り出してしまうのと同じだろう。豊かな感情を楽しみ、複雑な感情と格闘しないのならば、そういう人は動物に戻ってしまえばいい。AKB48やイグザイルの音楽はもちろん、そういう人たちのためにある。8つぐらいの感情でしかあの辺りの音楽はつくられていない(8つというのは小さな子どもがTVを観たときに認識できる感情の数だそうです)。僕はもっと自分の感情に振り回され、絶望し、死ぬほどの思いから這い上がってみたい。そうでない世界は「つまんね」ー。プライドのない人生は「つまんね」-。アッセンブリー・ラインから一度もはみ出さない人生はどう考えたってやっぱり「つまんね」ー。
90年代後半、J・ポップにもけっこう複雑な感情が渦巻いていた。アンダーグラウンドがやりにくくなるほど、それは音楽として真っ当な事態に思えた。そして、そこから逸早く離脱を告げたのがモーニング娘。"抱いてホールド・オン・ミー"だった。感情に振り回されたくない人たちはこれに飛びつき、これを機にゼロ年代の基調は様式性へと移っていった。何度も書いたことなので、省略するけれど、これ以上行くとマズいという感じがあったことは否めない。だけど、パフュームから相対性理論へと、スタイリッシュな音楽の飽和が神聖かまってちゃんを呼び寄せたことは間違いない。飽きた。つまんね。そういうことだろう。飽きたんだよ、ホントに。前頭葉がヒマなんだよー。
『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク篇』(1月発売)のために戸川純にインタヴューをオファーし、後日、少し訂正があるからといって彼女から電話がかかってきた。そのときに「明日、ガーデンで神聖かまってちゃんと対バンをやる」と聞き、僕は近所だったので、せっかくだと思ってリハを覗きに行った。「万全の体勢ではないから観ないでね」と戸川さんがいっていたので、僕はステージの袖に隠れて見ていた。しばらくして駅前でゲリラ・ライヴをやっていたはずのの子がやはりリハを覗きに来た。ステージ衣装に着替えていたの子はまるで81/2の久保田慎吾を髣髴とさせた。ステージの上には本物の久保田慎吾もいた。なんか、ハレーションを起こしたような感じだった。もしかしたら、戸川純と神聖かまってちゃんはスゴく似合うのもかもしれない。そこからはすべてが"電車でGO!"だった。一体、何が起きたのか。『ele-king』復刊第1号(1月発売)をお楽しみに。
文:三田 格
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半年くらい前のリリースをいまさら......ですが、インディ・キッズのためのベスト・コーストとウェイヴスによるクリスマス・ソング"ガット・サムシング・フォー・ユー"がいま話題ということで......。
また、先日の三田格のLAヴァンパイアズのレヴューを呼んで、ベスト・コースで歌っている女性がポカホーンティッドのもうひとりのメンバー、ベサニ・コセンティーノだったということを知って本当に驚いた。それって、喩えるならボアダムスがサーフ・ロックをやるようなもの? ベスト・コーストも最近流行のザ・ドラムスやモーニング・ベンダーみたいなレトロ趣味のバンドかと思っていた自分の浅はかさを反省して、ちゃんと聴いてみようかと思ったのだ。アマンダ・ブラウンがリーダーシップを取っていたのだろうけれど、それまでドロドロのサイケデリック/ダブ/ドローンをやっていた女性が"あなたに夢中"というタイトルの爽やかな50年代サーフ・ロックをやるのだから興味深い話ではある。
だいたいこういうケースは、サーフ・ロックを演じているのだ。深いリヴァーブの効き方が怪しい。これはダビーなポカホーンティッドを思わせるものだし、不自然なほどキャッチーな曲調はこの音楽が単純明快な青春モノではないことを暗に匂わせている。ちなみに1曲目の"ボーイフレンド"はこんな歌詞だ。「彼が私のボーイフレンドだったら良かった/私は他の女の子と違っている/彼女は可愛いし、やせている/彼女は女子大生/なのに私ときたら17才でドロップアウト......」
『ガーディアン』の記者はアメリカのインディ・ロックにおけるバンド名(ベスト・コース、ウェイヴス、ビーチ・ハウスなどなど)を「いつから地球は美しくなったのか」と皮肉っていたけれど、ここでベスト・コーストに関して言えば、それは表層的な解釈だった。彼女らのメロウな歌には複雑な虚無がある。一時的な性愛に振り回される"ジ・エンド"はこんな歌詞だ。「昨晩彼と出かけた/彼は素敵でキュート/だけど彼はあなたじゃない/私たちはただの友だちだと言うけれど、私はこれが欲しい/終わるまで」
つまりベスト・コースの音楽は誰からも好かれるものだけれど、毒があるのだ。2010年の7月にリリースされたこれは、夏の虚無を実によく表しているとも言える。ちなみにこのレコードのアートワークをアメリカ人が見ると、水の上を歩いたというキリストの奇跡をパロディった"猫の奇跡"になるという。
それでは最後に、ベスト・コーストとはまったく関係のない、僕の好きなクリスマス・ソングをみなさんにお送りするとしよう。
Disco Hits (順不同)
1 |
Fern Kinney - Baby Let Me Kiss You - Wonkmusic |
|---|---|
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Tullio De Piscopo - Stop Bajon - ZYX Records |
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Bob James - Sing Of The Time - Columbia |
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Jason Lev & Dr.J - Give It To Me - Truth Is Light |
![]() 5 |
Atlantic Conveyor - African Disco Power - Sofrito Specials |
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Rosebud - Money - White |
![]() 7 |
Denpun - The Message Is - Dplab |
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Holger Czukay - Let's Get Cool - Claremont 56 |
![]() 9 |
Kolm K + Freestylemellowship - Dancing Skulls - Bastard Boots |
![]() 10 |
Dr.Dunks A.K.A Eric D - Tight - Keep It Cheap |
2010年に『ニュー・スレイヴ』を発表した、いまどき希有な、怒りのこもったハードコアなジャズとミニマルを爆発させるニューヨークのアンダーグラウンドの脅威、ジーズがやって来る! それも年末に......。
これでもう、年末は帰省している場合ではないことがわかった。以下、詳細です。
| UNIT 2010 to 2011 (2010.12.31 FRI) | |
|---|---|
| LIVE PERFORMANCE |
Zs (from NY, The Social Registry) KIRIHITO (P-Vine Records) and more |
| DJ | KENJI TAKIMI (LUGER E-GO / CRUE-L) TEN (STERNE / ERR) KENTARO IWAKI (DUB ARCHANOID TRIM / BLOWMAN) |
| VJ | SAKOTA HARUKA |
| SALOON(B3F) "who is rodriguez ? Lr - NYE Special Edition -" | |
|---|---|
| DJ | Steve Bicknell
(from London, LOST / Spacebase / Cosmic) Miyabi (PLUS) |
| UNICE (B1F CAFE) "delight emotion floor" | |
|---|---|
| LIVE PERFORMANCE |
FilFla (WEATHER / HEADZ / PLOP) |
| DJ | L?K?O タカラダミチノブ (HONCHO SOUND) Ametsub Hiyoshi (Global Chillage) |
| presented byUNIT in association with root & branch | |
|---|---|
| OPEN/START | 21:00 |
| CHARGE | ADV.4,000yen/W.FLYER 4,500yen/DOOR 5,000yen ※未成年者の入場不可・要顔写真付きID |
| TICKET | チケットぴあ 0570-02-9999 [P]126-123 STORE |
| HP | https://www.unit-tokyo.com/ |
Zs (ジーズ)
サックス奏者/作曲家のSam Hilmer(サム・ヒルマー)によって2000年に結成されたZsは、その10年に渡る活動の中で、デュオからセクステットまで自在に形態を変化させつつ、Ben Greenberg(ベン・グリーンバーグ)、Tony Lowe(トニー・ロウ)、Ian Antonio(イアン・アントニオ)らの核メンバーと共に、ラディカルな地下活動を続けてきた。
ノー・ウェイヴ、フリージャズ、ノイズ、ポスト・ミニマリズム、電子音楽、即興演奏等の広大な領域を大胆に横断しながら、肉体的な意味でも精神的な意味でも過激に限界へと挑戦するサウンドが非常に高く評価されている。既存の楽器マニピュレートの域を拡張するユニークな演奏テクニックと、ほとんどテレパシーのようなバンドの呼吸によるコミュニケーションに裏付けられたライヴの強烈さによって叩き出されるその音は、たとえばかつてBattlesの音楽を形容する際に用いられた、「数学と暴力の融合」の発展型にして緻密にリズムを微分するフレーズと限界まで緊張感を高める暴虐性の混交であり、また例えばそれは、ライヒの執拗な反復とフリージャズの覚醒をハードコアへと織り交ぜた激烈なアップデートである。
バンドはこれまで、The Social Registry、Torubleman UnlimitedやPlanaria、Three One Gといったレーベルから作品を発表してきており、まずは2007年にPlanariaから発表されたセカンド・アルバム『Arms』によって、ここ日本でも大きく注目された(アルバムは日本ではPlanchaによって日本盤仕様で発売されている)。ジャズとマスロックの融合を完成させたこのアルバムに続き、さらに今年2010年にはGang Gang DanceやGrowingを擁する最新型NYアヴァンの牙城、The Social Registryから、フル・アルバムとしては3枚目となる『New Slaves』(日本ではPower Shovel Audioより12/15に、リミックス盤を加えたスペシャル・パッケージにて発売)をリリース。より肉体的なハードコア性とほとんど怒りにも似た感情の爆発、そして新たに独創的なエレクトロニクスの導入を果たし、"エクスペリメンタル・ミュージックの新たなディケイドの幕開け""ニューヨークでもっとも強力なアヴァン・バンドのひとつ -New York Times-"と絶賛された。スリリングで複雑で精緻で、なおかつ理屈抜きに叩きのめされるサウンドをこの初来日で是非体験してください!
Shop Chart
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THEO PARRISH
JUST1LOVEBUG
DOPE JAMS / US / 2010/12/7
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HOLGER CZUKAY
DREAM AGAIN
CLAREMONT 56 / UK / 2010/12/8
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NABOWA
フォーキー FEAT. NAOITO / 凪と宴
MOGIE / JPN / 2010/12/7
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THEO PARRISH / ISOUL8 & MARK DE CLIVE-LOWE
STOP BAJON
ARCHIVE / ITA / 2010/12/7
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EDDIE C
MIGRATION EP
SOUND OF SPEED / JPN / 2010/11/30
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MAXXI & ZEUS
AMERICAN DREAMER / MZ MEDLEY
INTERNATIONAL FEEL / URY / 2010/11/28
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EASY STAR ALL STARS
DUBBER SIDE OF THE MOON
EASY STAR / US / 2010/12/9
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DJ ROLAND CLARK
RUN RUN RUN
PURPLE TRACKS / CHE / 2010/12/4
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OPEN FORAINA WITH JACK QUINONEZ
FALA TANTO
LOVE MONK / SPA / 2010/12/4
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2010年の2月にアルバム『アイム・ニュー・ヒア(I'm New Here)』で素晴らしい復活を果たした詩人、ギル・スコット・ヘロンだが、来年早々そのリミックス・アルバムのリリースが予定されている。しかも......アルバムをすべてをザ・XXのジェイミー・XXがリミックスするという企画だ。
たしかに『アイム・ニュー・ヒア』は、ブリアルをはじめとするダブステップからの影響を取り入れていた作品だったけれど、それを丸ごとジェイミーが手を加えるとなると話はまた別だ。彼が2010年の来日時にDOMMUNEでプレイしたDJは、現在のUKのダンス・サウンド(ダブステップ、ファンキー、グライム、ウォンキー)を親切に手際よくパッケージしたもので、僕にとっては忘れがたいものだった。
まずは手はじめに"NY・イズ・キリング・ミー"のリミックスが届いている。さあ、聴いてくれ。UKファンキー以降のビートを取り入れたこの音を聴いてしまったら......君はジェイミーのビートとスコット・ヘロンの声から逃れられなくなるだろう。


























