「ele-king」と一致するもの


Trippple Nippples from Tokyo
12/20, 27, 31. 2011& 1/4. 2012

トリプル・ニプルス
w/ガーディアン・エイリアン、アナマナグチ etc...

 東京をベースに活躍するアヴァンギャルド・ロッカー、トリプル・二プルスがニューヨークで旋風おこした。大御所DEVOとのツアーサ・ポートをはじめ、初のアメリカでのショーを颯爽とこなす彼女たちは、総合的なエンターテインメント・グループである。あらためてエンターテイメントの役割を改めて考えさせられる。
 トリプル・ニプルスは日本人の女子3人(ヴォーカル)とアメリカ人男子3人(ギター、シンセ、ドラム)の6人編成。この編成になったのは最近らしく、バンドはすでに5年ぐらい活動をしている。
 今回のアメリカ・ツアー全体の流れは以下の通り。

12/10 Philadelphia@The Blockley, U city
12/13 NYC, N.Y.@ Irving Plaza/with DEVO
12/14 Brooklyn,N.Y@Glasslands
12/15 Falls Church, VA@ State Theatre/with DEVO
12/16 Atlantic City, NJ@ Showboat Casino/with DEVO
12/17  Long Island/Huntington,ニューヨーク@ Paramount Theatre/with DEVO
12/20 NYC, N.Y.@Pianos
12/21 Chicago.IL @Empty Bottle
12/27 NYC N.Y .@ Pianos
12/31 Brooklyn, N.Y @285 kent
1/4 Brooklyn, N.Y.@Shea Stadium

 DEVOとのショー以外は、〈グラスランズ〉、〈ピアノス〉、〈シェア・スタジアム〉などのインディに優しい会場。私は、20日(@ピアノスw/ハード・ニップス)、27日(@ピアノスw/スーザン)、1月4日(@シェア・スタジアムw/ガーディアン・エイリアン、アナマナグチ)の3公演を見ることができた。
 〈ピアノス〉でのショーは、マンハッタンらしく、共演のバンドも知っているバンドと知らないバンドが一緒にブッキングされていた。目当てのバンドを見たらそれで終わり、という感じで、私はあまり好きではない。ショー自体は良かったのだが......。それに比べて〈シェア・スタジアム〉では、共演のバンドもいまのブルックリンを代表するブッキングだった(DIYスタイル!)。やっぱりこちらの方がしっくり来るな。

 〈シェア・スタジアム〉で共演したバンドを紹介しよう。
 ガーディアン・エイリアンは、元リタジーの、グレッグ・フォックス率いる、クラリネット、シンセ、ギター、ドラム、独特なヴォーカルで編成された、アバンガルド・バンド。
グレッグ・フォックスのドラムは脅威的、ボーカルの女の子は完璧に違う世界にいる、すべての楽器が重なり、織りなす音楽は、スペクタクル感いっぱいである。
 アナマナグチは、ゲーム音楽に影響を受けた、ブルックリンではトップ・クラスの人気バンド。彼らはこの日のシークレット・ゲストで、当日に知らされた。ステージにグロースティック(蛍光塗料で光るスティック)をはべらせ、ドラムまわりにもベースの弦にも蛍光色を使う。暗闇なのに変な明るさ、さらに彼らのゲーム音楽が会場を盛り上げる。

 どちらもいまのブルックリンをリードするバンドだが、ガーディアン・エイリアンは、DIYにこだわり、アナマナは余裕を見せながら、コーポレートな大きな会場でもDIYでもどちらでも対応できる。音も正反対だ。このふたつのバンドのあいだにトリプル・二プルス、その前には(筆者の在籍する)ハード・ニップス、ノー・クレジット・バッド・クレジットという、寄せ鍋のような夜だった。

 それではトリプル・二プルスについて書こう。
 ショーは3日間ともセットは同じだが、何度見てもステージ衣装、パフォーマンスには目を引かれる。ミュージック・ショーというよりはミュージカル風キャバレーで、フロント3人の女の子はパンツ1枚、胸にはテープを貼っただけで、白と赤の点々が、顔と体をうめつくすというアーティな出で立ち。フワフワした白い羽のような、帽子のような被り物をかぶって登場。
 男の子は幽霊のような白い布を着て、頭にはハリネズミのようなトゲトゲしたものがのっている。ショーは流れるように進むし、バックのバンドもかなり良い腕前。頼もしい存在である。
 音楽はハイパーなエレクトロ・ダンス・ミュージック。叫んでいるので歌詞はキチンと聞き取れないが、鳥がキーキー鳴いているかと思えば、応援団長のようなドス声になったりと、意外と体育会系で、かなりの爽快感があった。一歩間違えると色物になりそうなところを、セクシーを強調するでもなく、クールに、アート作品として観客を盛り上げる。緊張感、圧迫感、そしてばつぐんの突撃感で、最初から最後まで体を張ってエンターテイメント道を突き通している。素晴らしいライヴ・パフォーマンスだった。


photos by Andrew St. Clair

https://www.trippplenippples.com/

#12:日本人て暗いね(1) - ele-king

 年末年始は静岡の実家で過ごした。31日の夜は親と一緒に紅白を見て、それから小学生の息子を連れて近所の寺に除夜の鐘を突きに外に出た。自分が静岡に住んでいた頃、大晦日の夜11時半過ぎになると、その鐘を突いたものだったので、いつか子供にも経験させたいと思っていた。鐘を前に合掌して、そして思い切り叩けと、僕は息子に教えた。
 除夜の鐘の響きには、時間的な区切りを告げている以上に、独特の無常観がある。家から歩いて1分ほどの場所で鳴っているこの音を、僕は生まれてから18年連続で聴いているのだから、影響を受けていないはずがない。鐘を突き終わると、それから僕はすぐ近くにある神社に場所を移した。時計の針が12時を過ぎ、新年を迎えたところで境内では"木遣りの歌"が歌われた。これを僕は聴きたかったのである。
 "木遣りの歌"は13世紀初頭(鎌倉時代)、火消しの歌として生まれている。それが人気となって全国に広がって、それぞれの地方のヴァージョンが存在している。静岡で歌われている"上総くずし"(くずしとはヴァージョンを意味する)は、十五代将軍の徳川慶喜が大政奉還後、静岡に隠居するさいに、武士に代わって200人の子分を引き連れ護衛をつとめた新門辰五郎の一味が歌った歌だとされている。新門辰五郎とは、当時もっとも有名な江戸の侠客(ないしは火消し、つまりヤクザ)で、天皇家よりも徳川家を慕っていたことでも知られ、慶喜とも仲が良く、清水の次郎長とも交友関係があったというから、その縁もあって駿河までの道中の護衛をしたのだろう。鐘を突いた寺の筋迎えには当時新門辰五郎をが宿泊したことで知られる常光寺があるが、そうしたエピソードを僕は自分の父から伝聞するほどこのヤクザはいまでも民衆から愛されている。

 新年のお参りの人で混み合ってきた神社で、僕は集中して、"木遣りの歌"を聴いた。新年の神社で演ずる一発目の曲がヤクザの歌というのも面白い伝統だが、僕がもっとも今回注意を払ったのはいまからおよそ90年前に生まれた歌のその歌メロだ。"木遣りの歌"自体は有名だが、地域によって歌詞が違う。僕が気になっているのは静岡で歌い継がれている上総くずしのサビのフレーズである。ロングトーンを多用した印象的な旋律だ。

 ヨーヲィサーエンヤラサーノセーエヤレコノセ~
 サーノセーイーエーハ
 アレワサエーエ、ヤーアラネ~

 「サーノセーイーエーハ」のところは、火消しであるから「イ」「ハ」などそれぞれ組の名前を言っているのだろうか。僕自身が歌詞の意味を解明したわけではないが、それでもこの曲は現代に、ひとつの事実を伝えている。それは祭りで歌われるこの曲が、祭りというにはダウナーで、暗すぎるのだ。音階をたどっても、マイナー・コード、つまり短調である。ブラジル人やアフリカ人に、これが祭りの音楽だといったら信じられないのではないだろうか。スピリチュアルに思うかもしれないが、しかしこれはれっきとした俗曲である。そして、実のところ僕はこの暗さを確認したかったのである。

 僕は静岡市内の歓楽街で生まれ育った。家の隣は「トニオ」という大きなクラブだった。ラリー・レヴァンのクラブではなく、演歌のかかるクラブである。僕が小学校の頃まで(1970年代のなかばまで)、薄い壁を伝わって、「トニオ」でかかる演歌が毎晩のように流れてくる。僕が小学校の頃は阿久悠の全盛期だったが、阿久悠の洒落た言葉よりもひと世代前の"悲しい酒"のような、陰々滅々としたいわゆる古賀メロディが、ほとんど同じ部屋にいるような音量で聴こえてくるのだ。僕は窓を開けて、聞こえようはずもないのに何度となく「トニオ」の壁に向かって怒鳴った覚えがある。小4からラジオ少年となって、やがて洋楽を聴いて、とにかく浴びるように聴いたのは、僕の音楽経験の古層にあるであろう、そうした日本的な暗さがもう二度と姿を見せないように、新しい層を堆積させるためでもあった。
 ところが、日本的な暗さを葬り去りたいと思っていたのは、あとから思えば僕だけではなかった。歌謡曲がピンク・レディやキャンディーズの時代を迎え、そしてアイドル歌手の時代へとシフトする頃には、酒と演歌に酔っていた「トニオ」は取り壊され、実家の隣には大きな空き地が生まれた。空き地は駐車場となり、かれこれ40年近くもそのままである。時代そのものが演歌に表象される酒にまみれた感傷、もの悲しさ、哀愁、自虐、そういったものを押し流そうとしていたのだろう。歌謡曲からJポップへと呼び名が変わってからもさらにまた、暗さのうえには分厚い何かが何重にも積もっている。僕がそうした葬られた暗さを温ねてみたくなったのは、結局のところ自分が好んで聴いている音楽からはついに暗さが消えたことがないと思ったからである。

 さて、神社の境内で"木遣りの歌"が歌い終えると、次は獅子舞(これもまた、面白い芸能である)、そしておかめとひょっとこのダンスだ。最前列で見ていた息子は彼らのパフォーマンスを充分に怖がっていたが、神社では毎年恒例の甘酒がもちろん無料でふるまわれ、大人たちは良い気分になっている。加太こうじ編集の『流行歌の秘密』(1979年)によれば、そもそも日本には日本で生まれた音楽などないそうだ。日本的と呼ばれるすべての音楽の源流は、半島、中国、そしてインドにある。そうはいえ、インド仏教と中国仏教と日本仏教が違うように、大陸からやって来たメロディはこの島国におけるヴァージョンとなって発展している(要するに、東アジア文化の混合)。多くの識者によれば、そのもっとも古い調べは、つまり日本の音楽の源流になるもののひとつは天台宗の声明だという。声明とは、西洋における賛美歌のようなもので、僕は昔、忌野清志郎の"500マイル"を聴いたとき(これはピーター・ポール&マリーによるアメリカのフォーク・ソングのカヴァーでありながら)、その節回しが声明的だと思ったことがある。もし邦楽という言葉を正確に使うのなら、声明的な音楽、そこを土台に広まったご詠歌をベースとする世俗音楽ということになる。浪花節にしろ江戸の三味線歌謡にしろ、ご詠歌とは、この国の大衆音楽のある種の通奏低音だ。そのペシミスティックな響き、無常観、ないしはもの悲しさや哀愁を僕はこだま和文やゴス・トラッドの音楽からも聴き取ることができる。蓋をされて、逃げ場を減らされた暗い情感は、いまではそうしたオルタナティヴな場面において継承されているとも言える。

 歌謡曲にとっての致命傷はニヒリズムというものがないことだと言ったのは寺山修司だが、ダブステップなんかを好んで聴いている僕には、暗い情感の表現が価値のないものだとは思えない。明るくふるまうことが対人関係において約束事になっているこの世界において、暗さが抑圧された感情を解放することはいまにはじまったことではない。西欧の若い世代においても、スクリューのような音をフラットさせる手法が幅をきかせているのが現代だ。あのドロッとした感覚は、滞留し、喉に詰まったような感情を、天突きを用いてところてんを押し出すように逃がしてあげているように僕には感じる。
 声明における鈴の音、獅子舞の笛の音色や太鼓の音は、バレアリックな観点でいえば寂しさいっぱいかもしれない。しかし、それで盛り上がっている文化がここにあるのも事実なのだ。おかめとひょっとこ、獅子が舞台からいなくなると、餅(あるいはお菓子)がふるまわれる。僕は自分の身長の高さを活かしたキャッチングで多くの餅(あるいはお菓子)を手に入れ、そして家に帰ると、母親の所有していたレコードを引っ張り出した。レコード・プレイヤーはもうないので、僕はかつて自分が憎悪した曲の歌詞を読む。「酒よこころがあるならば/胸の悩みを消してくれ/(中略)/好きで添えない人の世を/泣いて怨んで夜が更ける」
 ジュリアン・コープがたどり着けなかった生層がその向こう側にはある。ブラック・ミュージックにおけるヴードゥー、ジャマイカ音楽におけるメントのようなものだ。かのジョン・サヴェージでさえ、日本の音楽を語りながらこの歴史ある無常観にたどり着けていない。西欧のポップ・カルチャーからはまだ日本が見えていないのだろう。ただひとつ、ジュリアン・コープの勘が鋭いと思うのは、日本とイギリスが似ているという指摘だ。たしかにこのふたつの国の音楽には、陰々滅々としたものへの共振があるように思える。(つづく)

Francis Bebey - ele-king

 年末ギリギリのリリース......というやつです。そういえば2011年は誰も別れ際に「よいお年を」と言いませんねー。空々しい感じがするんでしょうかねー。

 こんな人がいたとは全然知りませんでしたが、マヌ・ディバンゴの次世代にあたり、カメルーンからヨーロッパに渡ったアフリカ系ギタリストのコンピレイション盤。75年から88年にかけて20枚のアルバムを残し(2000年にも1枚プラス)、前半期にあたる82年までの音源から14曲が選ばれている(ジャケットはセカンド・アルバム『ラ・コンディシオン・マスクリーヌ』と同じ)。タイトル通り、エレクトロニクスが強調されている曲は前半とエンディングに近い数曲で、中盤はいわゆるアフリカン・ポップスとして耳に馴染みのあるパターンも少なくない。そのアレンジに関しても、いわゆるニューウェイヴがワールド・ミュージックを取り入れたパターンを想起させ、タイミング的にはファン・ボーイ・スリーやトーキング・ヘッズよりも早い時期に録音されていたことがわかる。ライナーによるとフランス語圏ではかなりのヒット・メイカーだったらしく、ある日、彼が学校から帰ると居間にオルガンが置かれていたことから、一直線に音楽人生を歩み始めたという。初めて聴いたオルガンの音をベベイは「ビザーレ」に感じたと語り、多重録音をメインに、「サヴァンナ・ジョージア」などでは、なるほどアメリカにモーグ・シンセサイザーの音がもたらされた時とほとんど同じ気分が表現されている。

「時間を超えた」というチープなキャッチそのままのコンピレイションは、彼のアルバムのなかでももっとも高値をつけている『ニュー・トラック』(82)のタイトル・トラックにはじまり、カリンバやシンセサイザーの区別もつかないまま、ドラム・マシーンにストリングスを被せた"ラ・コンディシオン・マスクリーヌ"やセニョール・ココナツのデモ・テープに聴こえてしまう"ウーマ・テ"など4曲続けて76年の曲を配置する。"フルアー・トロピカーレ"ではリズム・ボックスとアフリカン・チャントの組み合わせが完全に時間の感覚を狂わせる。79年以降のエントリーは機材の扱いに慣れてきたようで、「ビザーレ」感もかなり薄まり、同時期のZEレコーズと同質のキッチュなムードが醸し出されていく(この時期のものが中古市場では最も安い)。アーサー・ベイカーやトッド・テリーを思わせる"キャッチング・アップ"からファースト・アルバムへと曲は回帰し、後半はなんとも言いがたいモンド風の曲構成へと変わっていく。どれもプリ-ハウス的というか、マルカム・マクラーレンが『ダック・ロック」で取り入れていたムバカンガにも通じるところがあり、シカゴじゃなくてもハウス・ミュージックは(フォーマット的には)生まれる可能性はあったんだなーと思う反面、アメリカという国には新しい音楽をカタチにするパワーがあるんだろうなーということにも思い当たる。

 この時期の音楽をジャンルレスに浴びるほど聴いている人でなければ面白さは半減かもしれない。そうとは言い切れないけれど、そのような条件が満たされているリスナーにはスルメのような体験になることは請け合いのアルバムです。リミックス・アルバムがつくられることも期待したい感じ。

 アフリカと西洋音楽の出会いといえば、この数年、〈クラムド・ディスク〉がコノノNo.1やスタッフ・ベンダ・ビリリといったところを発掘し続けるコンゴにデーモン・アルバーンがダブステップのプロデューサーを大挙して引きつれていったDRCミュージック(エレキングVol.4参照)が話題性でも音楽性の高さでも2011年の筆頭といえる。が、しかし、同じダブステップ周辺でも、それより2年も前からベルリンのプロデューサーたちが同じようにしてケニアを訪れ、ナイロビのクラブ系ミュージシャンたちとつくりあげたBLNRB(ベルリンナイロビ)のことは広く知られていないし、僕もライナーノーツに記された交流の記録以外は何もわかっていない。まずはタイヒマン兄弟がナイロビにDJとして呼ばれ、これにロボット・コッチの母体であるジャクージとモードセレクターが加わってナイロビでレコーディングが続けられ、ある程度、完成を見たところで、今度はナイロビのミュージシャンたちがベルリンに訪れてコンサートを行ったという経過があっさりと書かれているのみである。できあがったものを比較すると、ダブステップの本家であるDRCミュージックにはオリジナリティの点ではやはり突出しているものがあると思うものの、BLNRBは同じ現地のミュージシャンでもクラブ系のミュージシャンたちとコラボレイトしているために、ポイントがもっとはっきりしているともいえる。モードセレクターのレーベルからシングル・カットされた"モンキーフリップ"のキャッチーさや、ドイツならではの重いリズムにナイロビのフローが拮抗しようとする"ンソト・ミリオンズ"などクラブ・ミュージックとしてのオリジナリティには事欠かないし、ネセサリー・ノイズ(必要な雑音)という女性ふたりのラップ・ユニットがジャクージやモードセレクターなど組む相手を変える度に違う味を出している辺りもお見事といえる。ちなみにネセサリー・ノイズはしばらく解散状態にあったものが、このプロジェクトを通してデュオとして復活し、同じくモードセレクターも(国内盤のライナーノーツでは何も触れられていないけれど)長い停滞から脱出するきっかけを掴んだことは想像に難くない。個人的にはジャクージがプロデュースした7曲のほうが好みではあるけれど(/ele-king/review/album/002085/)。

 ケニアといえば、現在はフラッシュ・ロブとして定着を見ているロンドン型の暴動が早くも2008年に起きた国でもある。当時の報道ではルワンダと同じく部族対立で片付けられていたけれど、実際には急速な経済成長のなかで分配機能が無視され、格差社会に抗議する若者たちが年長者に襲い掛かり、かなりな死傷者を出したことがいまとなっては知られている。ベルリン勢がナイロビを訪れたのはその翌年にあたるというのは、驚くべきタイミングである。

Various Artists - ele-king

 ザ・レジデンツの1976年のアルバムに『サード・ライヒン・ロール』がある。A面が"パレードする鉤十字"、B面が"ヒトラーはヴェジタリアン"。ザ・レジデンツはザ・KLFよりも15年も早く、著名なサンプリング音源を冒涜的に使用することであらたな意味を持たせることを試みた先駆者だが、1972年のデビューからセカンド・アルバムにあたる『サード・ライヒン・ロール(第三帝国ロール)』までの、サンフランシスコを拠点とするこの匿名会社の主な目的は、商業的に大きな成功をおさめているポップ音楽を全体主義ないしは専制主義として見なし、抗議することだった。ポップ・ヒット曲("レッツ・ツイスト・アゲイン"から"ライト・マイ・ファイアー"や"ヘイ・ジュード"まで)をコラージュしながら暴力的な描写を加え、ねじくれたサイケデリックを展開する『サード・ライヒン・ロール』の裏ジャケットには「なぜ、ザ・レジデンツはザ・ビートルズを憎悪するのか?」という解説が掲載され、「この作品をポップ音楽業界の権力者に捧げる」と記している。
 キャプテン・ビーフハートの流れを引くこの奇妙なエレクトロニック・ミュージックと、そしてスロッビング・グッリスルとパンクがカンのミニマリズムと出会ったときにノイエ・ドイッチュ・ヴェレは誕生している。『サード・ライヒン・ロール』というアルバムはナチスのイメージを使っているだけに、"レッツ・ツイスト・アゲイン"のようなポップ・ソング、ジェームズ・ブラウンの"パパズ・ゴット・ア・ブラン・ニュー・バッグ"のような曲までドイツ語で歌っている。こうしたアティチュードをドイツのポスト・パンク世代が歓迎したことは想像に難くない。1979年、デュッセルドルフのアートギャラリーを拠点に誕生した〈アタ・タック〉は、ノイエ・ドイッチュ・ヴェレを代表するレーベルのひとつとして知られている。ここに紹介するのは昨年(2011年)に日本で限定リリースされたレーベルのボックスセットの『Box 2』のほうである。

 ひと言でノイエ・ドイッチュ・ヴェレと言っても、UKや日本のニューウェイヴにもいろいろあったように、いろいろある。そのなかにおいて〈アタ・タック〉を特徴づけるのは、エレクトロニクスを使った音だ。レーベルの第一弾としてリリースされたのはDAFのファースト・アルバム『Produkt Der DEUTSCH AMERIKANISCHE』だが、この作品の録音メンバーは、クルト・ガールケ(ピロレーターの名で知られる)、ヒャエル・ケムナー、ヴォルフガング・シュペルマンス、ロベルト・ゲイルの4人。ガビ・デルガドとクリスロ・ハース(DAF縲怎潟Gゾン・ダンジュルーズ)のふたりは、メンバーでありながら、たまたま参加していない。が、それでも曲名のない22曲が収録されたこのアルバムは、いまでもパワフルに聴こえる。DAFと言えば、〈ヴァージン〉と契約後のマシナリーな反復とエロティシズムによる陶酔が広く知られているが、ファースト・アルバムにあるのはシンセサイザーによるホワイト・ノイズ、そしてパンクを通過したドイツのミニマル・ロックの断片だ。
 『Ata Tak - Collection Box 2』にはそのDAFの『ファースト・アルバム』(1979)をはじめ、ピロレーター『インランド』(1979)、モニター『モニター』(1981)、ホルガー・ヒラー『腐敗のルツボ(Ein Bundel Faulnis in der Grube)』(1983)、ミーヌス・デルタT『バンコク・プロジェクト』(1984)の計5枚がパッケージされている。〈アタ・タック〉をもっとも代表するバンドと言えばデア・プランだが、彼らのデビュー・アルバム『ゲリ・ライク』(個人的にもっとも好きな作品)をはじめ、『ノーマレッテ・シュルプリーズ』と『最後の復讐(Die Letzte Rache)』の3枚は『Box 1』(2011年初頭に発売)のほうに収納されている。

 DAFの『ファースト・アルバム』には、ピロレーターの当時を回想するインタヴューが掲載されている。また、ホルガー・ヒラーの『腐敗のルツボ』にもしっかり訳詞があるのが、こうした再発盤の嬉しいところだ。1曲目の"親愛なる女性公務員さま、ならびに公務員さま"など既得権が議論されている真っ只なかのいま聴くと、あらためて当時の音楽の主題の着眼点に感心する。最後の曲"アイロンがけバンザイ"もそうだ。「アイロンがけバンザイ/世界にバンザイ/この調子でいけばやがて我々の呼吸は雪となって降るだろう/そうしたらソリ遊びができる」----素晴らしいラインである。
 『腐敗のルツボ』は、ヒラーがパレ・シャンブルグを脱退してから録音した最初のアルバムで、収録曲の"ジョニー"はシングル・カットされて日本でもヒットしたので僕と同世代の人はほとんど知っている曲である。僕がこのボックスの5枚のなかで2枚選ぶなら、迷わずDAFとヒラーのこれだ。ザ・レジデンツとヴェルヴェット・アンダーグラウンドに影響を受けたという『腐敗のルツボ』もサンプリングを使用したもっとも初期の作品の1枚である。
 DAFを経て、その後デア・プランのメンバーとなる前にピロレーターが発表した『インランド』は、コルグのMS-20とSQ-10(ともにハースがその後DAFサウンドにも取り入れた機材)を使用したアブストラクトなエレクトロニック・ミュージックだ。興味深いのは、ディストピックなこの作品の背景に1979年のスリーマイル島原発事故とドイツのゴルレーベンでの放射性廃棄物処理場の建設問題という核汚染への不安があったこと。この時代からドイツの若者文化には環境問題に関する意識の高さがあったと言える。そしてまあ、はからずとも『インランド』はいまの我々にとって重たい作品となった。
 モニターは、ロサンジェルスのフリー・ミュージック集団、LAFMSの一派として知られる。1981年のこのアルバムのみを残してモニターは歴史から消えている。ライナーには関係者の証言を交えた詳細な解説が書かれている。
 ミーヌス・デルタTは、1978年の初期にはロベルト・ゲイルやクリスロ・ハースも参加していた流動的なアート集団で、本作『バンコク・プロジェクト』はこのボックスにおいてもっとも希少価値の高い作品だと思われる。ライナーでも触れられているように、そもそもこのアート集団に関しては日本ではいまだほとんど紹介されていない。
 『バンコク・プロジェクト』は、5.5トンもの巨石をブリテイン島のウェールズからタイまでを陸路で運ぶという、地球規模のアートを記録したアルバムだ。石を運びながら欧州から中東、アジア(イラン、トルコ、バンコク・レバノンなどなど)を旅したなかでのフィールド・レコーディングの成果が編集されている。旅費は、彼らが会社を設立し、支援者にその株券を買ってもらうことでまかなったそうだ(株主はその石の所有者となる)。イスラム文化圏への好奇心という点でも、21世紀的なワールド・ミュージックを予見しているかのような内容で、〈アタ・タック〉というレーベルの底の深さをあらためて思い知る。つまり『Box 1』が初心者向けなら、『Box 2』はその深さに焦点をおいているというわけだ。

interview with Goth-Trad - ele-king


E王 Goth-Trad
New Epoch

Deep Medi Musik/Pヴァイン

Amazon

 ......ようやく、ゴス・トラッドとサシで話せました、ようやく、この国のダブステップのキーパーソンと(キーちゃん、ありがとう)。

 さて、以下に紹介する大量の文字は、世界を股にかけて活動するゴス・トラッドとのおよそ1時間半ほどの対話の一部始終である。
 彼は2012年1月11日、ゴス・トラッドとして4枚目となるアルバム『ニュー・エポック』をリリースする。20年前のケン・イシイやDJクラッシュのように、これは国境よりも音楽そのものが優先している作品で、日本人が作っているから......というものではない。国籍にはとくに意味を見出さない音楽だと言えよう。が、『ニュー・エポック』にはゴス・トラッドのこの5年間の国際的な活動、その成果と日本を結びつけるもの、そして3.11、それらがぜんぶ含まれているという点において、過去の3枚とは違った視点を持つアルバムである。
 あるいはまた、いまでは、たとえばDJノブがゴス・トラッドを絶賛するように、その存在はダブステップというカテゴリーを超えて支持者を増やしている。が、興味深いことに『ニュー・エポック』は、実はゴス・トラッドが初めて"ダブステップ"を強く意識して作ったアルバムでもある。
 
 12月の上旬、アジア・ツアー出発の当日、空港に行く数時間前の午後に取材を受けてくれた。作品を特徴づけるディストピック・ヴィジョンとは裏腹に、本人は実に前向きな人柄で、これまでの歴史について丁寧に語ってくれた。

「ゴッドフレッシュがカッコいい」とか〈ワードサウンド〉だとか、「メルツバウやべえじゃん!」とか、そういうところに向かってたんですよね。当時から自分はいろんなパーティ観に行ったりもしてたんですけど......、まあ、「みんな似たような音作るんだな」って思ったりしてたのもあるんですよね。

俺ね、実はゴス・トラッドのデビュー・アルバムの推薦文を書いてるんですよ。

GT:覚えてます(笑)

あれは2003年だよね。「GOTH-TRAD」って名前もそのとき初めて聞いたのかな。秋本武士くんとレベル・ファミリアでいっしょにやってるっていうのが最初は結びつかなくてね。音がレゲエやダブではないでしょう。当時レーベルの人から、「新人だから音聴いて気に入ったら書いてくれ」って言われたんですよ。それで聴いて、けっこう衝撃でしたよ。

GT:自分も覚えてます。

どういうこと書いていたか覚えてる?

GT:あの......「ハイプを信じるな」って書いてましたね。

それは『remix』で書いた小さいレヴューじゃないかな(笑)。

GT:その言葉はすごく覚えてますね(笑)

恥ずかしいんだけど、あの当時の自分の文章をここに載せると、「身の毛もよだつようなノイズとカオスを創造し、1枚のアルバムにまとめている。これはすごいアルバムだ。デトロイトのアーバン・トライブとアレック・エンパイアのファーストを足して割ったようなメランコリーがノイズの砂嵐からできたかのようなビートとともにある。ヒップホップとテクノを切り刻み撹乱させ、怒りを持って吐き出したような音楽だ」ってすごいことを書いているんですけど(笑)。アルバムの前半はちょっとクラウデッドみたいな感じもあったけど、あのアルバムの後半とかね、よく当時あんなの出したなっていうのもあったし、まだ9.11のショックが生々しかった時代だったしね、イラク戦争があって、反戦デモもあって、そういう時代にゴス・トラッドは登場したんだよね。で、その当時、9.11以降のイラク戦争に関するコメントもDJバクといっしょに書いてもらってもいるんだよね。だいたいゴス・トラッドという名前自体にトゲがあるというか、当時のクラブ・ミュージックのピースな流れとはちょっと異質な響きがあった。それでようやく今回、インタヴューすることができるわけだけど、とにかくまず訊きたいのは、そもそも「GOTH-TRAD」がどこから来たのか? ということなんです。

GT:音楽的なルーツってことでですか?

それをふくめてゴス・トラッドがどういう音楽体験をして、どういう思いでここまで来ているのかを知りたくて。

GT:えっと、まずいちば番初めに音楽を好きになったのは、うちの親とか兄が80年代にマドンナとかポーラ・アブドゥルとか、そういう洋楽を聴いていたんですね。まあカッコいいのかなっていう感じじゃないですか。

生まれは東京なんですか?

GT:生まれは岡山で、すぐ山口県に引っ越して。で、アニキはけっこうそういうのに敏感で、カセットテープ買ってきては車のなかで聴いてたから、そういうのをカッコいいなあと思って「僕もダビングして」みたいな。それからテクノトロニックを聴いてたんですよ。で、これはカッコいい、ヒップハウスで----当時はハウスって言葉も知らないんですけど----ラップ乗ってて。

わりとポップなものを聴いてたんだね。

GT:そうですね、それは10歳とか。

小学生の頃だ。

GT:はい。で、テクノトロニックの「テクノ」って何なんだろうな、って思いながら小学6年生ぐらいのときに雑誌を読んでいたら、テクノのルーツが書いてあるものがあって。『スタジオ・ボイス』だったかなー? で、クラフトワークとか書いてあったから「買いに行こう」と思って近くのCDショップに行ったら置いてなくて、取り寄せてもらって。「ショールーム・ダミー」のEPとか何枚か買って、「面白いな」と思ったのが小学生6年生ぐらいのときですね。それからテクノって音楽をもっと聴きたいと思っていろいろ探りはじめて。で、家で衛星放送が入ってたんですけど、そのときたまたまUKチャートが流れてて、ナイトメアズ・オン・ワックスの"アフターマス"が1位だったんですよね。「これはカッコいいな、何か異様な雰囲気だし」って思って、ナイトメアズ・オン・ワックスのファーストを91年に買って。

それは小6で?

GT:それは中1ですね。

それはすごいねー。

GT:その流れでLFOも出てるから、それも買って。そのときKLFとかもヴィデオ・クリップで観てたんですよね。

そうなんだ。

GT:そこからUKの音楽に入っていって。当時タワレコなんかに行くと、T-99とかプロディジーのファーストとかが流れていて。プロディジーのファーストなんかめちゃカッコいいと思ってね。その辺のレイヴ・ミュージックっていうのをいろいろ漁って聴いてましたね。

それはすごく意外な過去だね。

GT:そうですか(笑)? それから中2になったときに広島に引っ越したんですね。そしたらレコード屋がちょくちょくあったので、だんだん通うようになって。そのときの広島のレコード屋は、「テクノ」っていうセクションに全部入ってたんですよね。〈ワープ〉、〈R&S〉、〈ライジング・ハイ〉、〈キッキン・レコーズ〉、ジャングル初期とか、ガバも入ってたしハウスも入ってたし、とりあえず気になったものを聴かせてもらって、「あ、これカッコいいな」ってガバ買ったりとか。『イントゥ・ザ・ジャングル』っていうジャングルのコンピレーションがあって、BPMがまだ150とか160ぐらいのときの(笑)。そういうの聴いて「これジャングルって言うんだ、カッコいいな」と思ってて、そしたらゴールディーが出て。で、そのなかにマッシヴ・アタックも入ってたんで、それも聴いたりとか、ビョークも聴いたりとか......中2から中3にかけてすごく聴いてましたね。テクノっていうセクションにいろんなものが入ってたから、そういう意味ではラッキーだったというか、いろんな音楽を聴くことができたんですよね。

あれはもう、黄金時代だったからね。

GT:で、高校生にになるとブリストル系、それから〈モ・ワックス〉だったり、もちろんポーティスヘッド......、〈ワープ〉は全部押さえてましたね。〈R&S〉とか〈ライジング・ハイ〉とか、あんまり情報はないから、レーベル買いして。コンピレーションに入ってたら、そのアーティストが違うレーベルから出してるものを買ったりとか。そういうのはほんと趣味でやってましたね。レコードもたくさん買ってたんですけど、でもDJをやるつもりもなくて......って感じですね。

そんなたくさん聴いてたんだね(笑)。

GT:本当に単純にレコードが好きで聴いてましたね。レコード屋のおっちゃんも知らないし、まわりの友だちも知らないし。高校生ぐらいのときに大学でDJやってる人と知り合って、その人がちょっと音楽に詳しかったからボアダムスだったり、マーク・スチュワートだったりも聴かせてもらってですね。DJやるつもりも音楽やるつもりもまったくなかったです。ただ趣味で、レコード買って、CD買って、楽しい、カッコいいなーって思ってただけです。
 18になって大学に入って上京したんです。最初はまったく音楽やるつもりはなかったですけどね。で、DJぐらい趣味でやろうかなーと思ってて。ちょうど大学に入るか入らないかぐらいで広島にいたときに、その先輩が〈ワードサウンド〉のコンピレーションを持ってて、「これやべーなー」みたいな感じで聴いてて(笑)。俺はそのとき「ほんとやべーな、この曲!」って感じで。すっごくディープなダブだったりとか、ローテンポでダークなヒップホップだったりとか。

その辺からじょじょにゴス・トラッドに近づくんだね(笑)

GT:そうですね(笑)。で、「わ、これほんとやべーな。これどこで売ってたんですか?」って、「どこどこのレコード屋で売ってたよ」って教えてもらったり。その先輩と朝まで遊んだ帰りにそのままレコード屋開くのを待って買って帰りましたね(笑)。それを聴きこむうちに、「DJやるよりも曲作りたいな」と思うようになった。で、その先輩はサンプラーだけで趣味的な感じでループを作ったりとかしてて。それを3時間ぐらい聴いたりしてて、「やべーループができたのー」みたいな感じで言ったりしてましたね(笑)。毎月ぐらい遊びに行って、そういうのを聴いて、「面白いなー」って。

へー、そこでヒップホップとの出会いがあるんだ。

GT:その人はルーツはヒップホップだから、昔のヒップホップを聴かせてもらったりしてました。でも音楽をやりたいと思ったきっかけはそのコンピレーションでしたね。ダークで、だけど音楽的だなと思って。こういうものを自分で作りたいなと思いはじめて、で、その先輩に何から手を付けたといいか訊いたら、「DJからはじめるとテンポ感覚もつくしいいんじゃないの」って教えられて。で、「作るには何が必要か?」って訊いたら「まずサンプラー。あとはシーケンサーとミキサーがあれば何でもできるよ」と教えてもらって。で、アカイのサンプラーS3000を買って、シーケンサーを買って、ターンテーブルをサンプリング用に1台だけ買って、で、トラック作りをはじめたんですよ。

なるほどねー。すごいですね(笑) なんかね、最初聴いたときに、ほんと正体がわからない音だと思ったんですよね。どこから来たのか背景がわからなかった。レーベルのひとにも訊いたんだけれども、「じゃあとにかく思ったこと書いてくれればいいから」みたいなことを言われて。テクノからの影響も感じるけど、アルバムの後半はもうノイズだし、クラッシュさん系のアブストラクト・ヒップホップのような匂いも感じたんだけど、もっとささくれ立っているし。以前、神波京平さんに「ゴス・トラッドはDJやってるけど、どういうのかけるの?」って訊いたら、「彼はスーサイドをかけてたよ」って言われて(笑)。〈ドラムンベース・セッション〉でスーサイドというのはすごいよ。

GT:はははは! かけましたね(笑)

それが2001年だから、だからアルバム出す前なんだよね。

GT:そうですね。

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秋葉原まで行って、で、自分でネットで回路図を探して、全部書き出して----ぜんぜん知識はないんですけど(笑)----そういうエフェクター工作本みたいなものをオークションで5000円とか出して買ったりとか(笑)。ネットで海外のサイトでのリングモジュレイターのまったく同じ回路を見つけたり。

そもそもどうやってシーンとの接点っていうものができていったんですか?

GT:『士魂』っていう渋谷FMのコンピレーションに1曲だけ参加してたんですよ。ケンセイさんがちょうどアブストラクトのアプローチをはじめたときに、彼にデモテープを渡してたんですよね。一発目渡して、二発目渡すときにケンセイさんが「すごく前の良かったから楽しみにしてた」って言ってくれて、「じゃあ聴いてください!」って渡したら、連絡あって、「いま企画してるから参加してほしい」って言われて。もうその時に10数曲できてたんです。それが2000年ぐらいです。だからトラック作りはじめて1年半ぐらいで、家にずっと籠もってサンプルいじりまくって10数曲作ったんですよ。それをケンセイさんに渡したら、「1曲コンピレーションに参加してほしい」って誘われて、それが12インチで出たんです。それがきっかけで「GOTH-TRAD」という名前ではじめたんですよね。

なんで「GOTH-TRAD」ってつけたの?

GT:いや、「ゴスだね」ってよく言われてたんですよ、なぜか(笑)。作るトラックが。

それはでも、そう言ってるひとの感性が正しいよね(笑)

GT:(笑)それは、自分が好きでよく使うサンプルが----中古レコード屋とかでクラシックのレコードをすごくよく買ってて----。

へえー。クラシックをネタにしてたんだ?

GT:そうですね。だからストリングスの使えるネタをカットして、それをキーボードで弾き直すっていう作業が自分にすごくハマって。で、なんかこう、ストリングスの音というのが自分のなかでフィットするというか、メロディ浮かびやすかったりフレーズが作りやすかったりで。そういうのをやっていると、「ゴスな音だね」ってよく言われるようになりましたね。「あー、そうかゴシックか」と思って辞書なんかでいろいろ調べると、元々のゴシックのカルチャーっていうのはヨーロッパにセンセーショナルな風を吹かせたっていうのがあって、それはすごくいい意味だなっと。それでその言葉を選んだんですよね。

広い意味だからね。

GT:そうですね。

トラッドは?

GT:トラッドは、トラディショナルっていう部分は大事にしたいっていうか、それはどっちかって言うとルーツっていう部分なんですけど。

なるほどね(笑)。紙『エレキング』に年間チャートをくれたじゃないですか。で、あのなかにキャスパのリミックスとか、あとオプティモっていう名詞があるのがすごく意外だったんだけど、実を言うとね。なんかいまのゴス・トラッドのイメージからするとね、やっぱデジタル・ミスティックズとか、ああいうごりごりに硬派なものかなと思ってたんだけれども。いまの話を聞いて、僕が思っていたよりもずっと幅広いんだなと思いました。まあ、でもその、「トラディショナルを大切にしたい」っていうのはいまひとつわかってないですけどね(笑)。まあ、いつかわかるかもしれないけど。

GT:はははは。

10年前のケンセイくんなんかはクラッシュさんフォロワーの第一人者みたいな感じで当時やってたから、やっぱりその辺の流れとかも合流してるってことなんだね。

GT:そうですね。でその後、バクくんとのコラボっていうか。

バクくんにもクラッシュさんの流れがあったよね。

GT:バクのDJ用に"Kaikoo TracK"という曲を作ってあげて、で、そこでリリースもあって。※2001年にリリースされた「DJ Baku 対 Goth-Trad」に収録。

じゃあ、〈ドラムンベース・セッション〉にDJデビューしたり、秋本(武士)くんに出会うっていうのは?

GT:"Kaikoo TracK"のリリースとかがあって、神波さんから声がかかったのかと。だからバクくんと俺と、同じステージでDJやったんですよ。

新宿リキッドルームね、バーの横の。

GT:はい、そうです。まあ、DJ全然できなかったんですけどね(笑)。家にはまだターンテーブル1台しかなかったんで(笑)。

スーサイドはどこから来てたの?

GT:スーサイドは......。

当時はバクくんなんかも、ノイズとか、いわゆるヒップホップの文脈から逸脱したようなサウンドを積極的にアプローチしていた時期だったよね。

GT:そうですね。その当時は逆に俺はバンドを聴いてなかったんですよ。生楽器の音楽を。それが好きじゃなかったんですよね。でもそのことに対してすごく悔しかったんです、なぜか。バンドの音楽って打ち込みの音楽よりも大きいシーンがあるし。ハードコアだったり。19縲鰀20歳のときに「その辺も聴いてみよう」と思って音を聴きはじめたんですよ。そのきっかけはまずテクノ・アニマルの片割れ、ケヴィン・マーティンの片割れのジャスティン・ブロードリックがハードコア・バンドのゴッドフレッシュっていうのをやってたんですよね。打ち込みと、キター、ベース、ヴォーカルなので、そこから聴きはじめて。
 で、それをどんどん辿っていったところで〈イヤーエイク〉っていうレーベルから出してたんで、そこからナパーム・デスとか、ピッチシフターとか、そういうハードコアものを聴きはじめたんですよ。それプラス、打ち込みのドラムをやってるって部分で、生のドラムも研究するんですよね、バンドと対バンするときとか観に行ったときに。生のドラマーってどういう打ち方してるんだろうな、とか。ハットがどうあってシンバルはどういう風に使ってて、オープン・ハイハットはこういう風に使ってて、とか、キックの打ち方とか、そういうのを目で見て研究するようになって。で、バンドとかも聴くようになったんですよね。そういう感じでいろいろ聴いてて、スーサイドなんかに出会った。

......でもあれだね、ここまで話を聞いただけでも、ずーっと音楽なんだね。

GT:そうですね、ほんとに好きだったんです。でもまだ自己満足でしたね。
 上京した頃にちょうどインターネットも普及しはじめて、自分も大学入ってからインターネットはじめたんで、知りたいことをたくさん知れるっていうか、英語で難しいけど何とかわかるから「こういう音源あんだ!」とか、「このひとソロでやってんだ」とか「このドラムのひとこっちでもやってんだ」とか、「どうやって買えばいいんだろう」とか、そういう、「誰もこんなこと知らねーだろ」っていうようなことを調べるのにものめりこんでいって。面白いことを探して、そしてまた探してっていう。で、「自分もこういう音作りたいな」とか、「でもこれと同じものは作れないから、これ1枚に何かレイヤーさせたものを作ろうかな」とか、そういうアイディアを考えてましたね、当時は(笑)。

ホントに音楽ばっかというか......今日は本物の音楽キチガイに会ったって気がする(笑)。

GT:はははは! でもそれがほんとに楽しかったですね、当時は。

四六時中作ってたって感じなんですか?

GT:そうですね。家から出なかったですね(笑)。いまとつい10数年前ってほんと大違いじゃないですか。音の作り方が。アカイの3200XLっていうのを中古で買ったんですけど。それ30万ぐらいしたんですよ。バイトして。

わかりますわかります。

GT:32メガなんですよね。で----。

俺なんてエンソニックですよ(笑)。

GT:エンソニックもありましたね。音がちょっとね(笑)。

フロッピーが2DDですよ、しかも。

GT:フロッピー・ディスクをこうね、1.4メガの。だから〈レベル・ファミリア〉の初期のライヴで、フロッピー・ディスク20枚全部ロードしたんです(笑)。

はははは! じゃあロードしながら?

GT:いや、はじまる30分前ぐらいにロードして「絶対電源落とさないでください!」って言って(笑)

なるほど(笑)。

GT:それでいいキックを探すために八王子のレコ屋で100円とか50円とかのをとりあえず買ってみて、聴いて、「これ使えるな」とか。そこでみんなが「あのソウルのブレイクいいよ」って言うようなやつは絶対使いたくなくて(笑)。

なるほどね。それであの特殊な音色なんだね。

GT:そういうのを繰り返して。当時の曲の作り方っていうか、展開のつけ方っていう感覚はあんまり変わってないですね。

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いちばん衝撃だったのはワイリーのトラックで"モーグ"っていうのがあるんですけど。いま聴くとまさにダブステップだ。ハーフで打ってるトラックで、俺からするとアブストラクト・ヒップホップに近い音色で、ベースラインも「ドドド、ド、ド、ドドド、ド、ド、」みたいな感じでずーっとミニマルで。

秋本くんとはどうやって出会うんですか? 彼は僕と会うたびにゴス・トラッドのことを心底評価していたよ。

GT:その当時、バクくんとコラボしたときにライヴやってたんですよ。そのときにドライ&へビーのセッションでバクくんがスクラッチ入れて......っていう企画もあって。そのイヴェントに出て、ひとりでライヴやってたんですけど、サンプラーとミキサーでね。ほぼいまと同じスタイルです。ダブ・ミックス。フードかぶってお面とかしてライヴやってたんですよね。
 で、秋本くんもたぶんそのときにいたんですよね。「超ダブ・ミックスやってるやつがいる」みたいになって(笑)。それで観に来たみたいで。それからイベントやってたひとづてに話が来て、「1回会って話したい」みたいな感じで。「ちょっとセッションしようよ」みたいな話になったんです。

そのときもまだ大学生だったんでしょ?

GT:そうですね。

いきなりじゃあ、東京でもっとも熱い男と会ってしまったっていう。

GT:はははは、そうですね(笑)。でも俺もその頃はすごく生意気だったんで......別にどうでもいいってわけではないけど、「俺は俺の音でやるから」みたいな感じだった。ぶっちゃけて言うと、ドライ&ヘビーに関しても特別興味があったわけじゃなかったんですよ。クオリティはとても高いのは理解できるんですけどね。でも、「自分のやりたい音ではないな」っていうのは正直あったんです。

〈ワードサウンド〉だもんね。

GT:初め会ったときに俺は秋本くんにひたすら「〈ワードサウンド〉ってやばいレーベルがあって」みたいなそういう話をしてました、全然わかんないのに(笑)。で、「ビル・ラズウェルも参加してるんですよね」っていうところで、「えっそうなんだ!?」って感じでちょっと盛り上がりつつ(笑)、で、「やろうよ」みたいな感じでスタジオ入って。

それで〈レベル・ファミリア〉のファースト・アルバムが生まれてくるんですねー。そういう風に自分で打ち込みはじめて、2003年に『Goth-Trad 1』を出すじゃないですか。で、さっきも言ったように、サウンド・プロダクションもさることながら作品全体から出ている雰囲気みたいなものっていうのに関して言うと、けっこう強いものを感じたんですよね。反抗心みたいなものっていうか、だからああいうことを書いたんだけれども。で、もし僕がそのとき感じた反抗心みたいなものが当たってるんだとしたならば、どういうところからあの感情は来てたの?

GT:自分のダイレクションが、たとえば「ゴッドフレッシュがカッコいい」とか〈ワードサウンド〉だとか、「メルツバウやべえじゃん!」とか、そういうところに向かってたんですよね。当時から自分はいろんなパーティ観に行ったりもしてたんですけど......、まあ、「みんな似たような音作るんだな」って思ったりしてたのもあるんですよね。もっと自由になれんじゃないかな、みたいな反抗心というか。
 あの、〈リバース〉って盛り上がってたじゃないですか。いま思うと、すごくカッコいい日本を代表するレーベルだと思うんですけど、俺当時はたぶんそうじゃなかったんですよ。「似てんな、みんな音!」みたいな、そういう感覚だったんですよね。いま思うとすごくカッコいいシーンだし、すごくカッコいいレーベルだし、アーティストもそれぞれいいアーティストだと思うし。いまもまだまだ活動しているアーティストもいるし。だけどその当時はひねくれてたので、「もっと俺は違うものを作ってやろう」とか「もっと面白い打ち出しをしたいな」と思ってました。

じゃあ最初から他と違うものを目指すんだっていうのがあったんだね。でも、ただたんに違う音を作るんだっていう以上の気持ちみたいなものを感じたけどね。「なにくそ」というようなものというか。まさに「GOTH-TRAD」っていう名前にふさわしい、パンク的なものを。

GT:それはもしかしたら育ち方なのかもしれないですけど。あの、全然音楽に関係ないのかもしれないですけど、うちは......親はすごく教育熱心だったんです。少し居心地悪かった部分もあったし。高校卒業のギリギリまでずっとサッカーやってたんですけど、親は「勉強しなさい」とか「公務員になりなさい」とかそういうのを望んでいましたね。アニキは高校卒業してイギリスのアートの大学に行って、自分はひとり残ってそういうなかでいて。でもそれが日本の社会だし、そうじゃないと生活できないっていうのはわかってるし、親からも聞かされてるし。当時だけかも知れないですけど、そういう世界じゃないですか。そういうのはすごく感じてたし。東京行くんだったら条件としてこの大学、国公立行きなさいって言われて、俺は「わかったよ、じゃあここ受かったらあとの人生俺の好きなようにさせてくれ」って言って(笑)。でもこれって実はすごく恵まれている環境なんですけどね。
 だから俺は親はすごく尊敬してるんです。ただ、親っていうのは世間に対する見栄があったりとか、とくに日本はそういう世のなかじゃないですか。で、そういうのがすごく居心地が悪かったのがあって。そのときはすごく勉強して受かって(笑)。で、それから大学がはじまってからはほんと好きなことをやらせてもらって。大学の卒業研究は、音と脳波との関連を題材にして、ちゃんと卒業しましたし。そのおかげで、サッカーにしても、受験にしても、大学の卒業研究にしても、自分の立てた目標や、いちどはじめたことを達成するまでの根性は身に付いたと思います。これは自分がたとえ音楽をやっていなかったとしても、大切なピリオドだったと思いますよ。

偉いなー。

GT:その反動でやっぱり音楽へののめりこみ方っていうのは強かったんですよね。そこまでして入った大学で、普通にいけば就職できてたかもしれないっていうのを、そうじゃない方向に行くっていうぐらいだからそれぐらいのエネルギーがたぶん自分にはあって。でも食おうっていうイメージはなかったです(笑)。

それはじゃあ、もっとがむしゃらにやってる感じだったんだろうね。

GT:実はファースト以前にもっとアブストラクト・ヒップホップとかブレイクビーツ的なトラックが10曲以上あったんですよ。ファーストには入れなかったんですけど。それを出すっていう話もあったんです。2001年とかに出したいって話だったんですよね。でも俺は頭のなかでは妄想がデカくなって、海外のここから出したいとか、頭ばっかでかくなっちゃってて。

でも......何でそこまで〈ワードサウンド〉に惹かれたの?

GT:いや、〈ワードサウンド〉もそうだし、あとUKの〈アバランチ〉だったかな、テクノ・アニマル周辺にも、ケヴィン・マーティンにもガンガンメール送ってたんです。カセット・テープのデモですね。

ああ、テクノ・アニマルっていうのはわかるなー。なるほど、いまようやくあのアルバムの秘密がちょっとわかった。

GT:だからそういうレーベルから出したいっていうのはすごくあったんです。自分のなかではそこがすごく浅はかっていうか。まあそこが良かったのかもしれないし。それだけ思いが強くて。ただいま思うと、近道をしようとしてすごく遠回りしているっていう。海外に行きたい、海外でDJしたらカッコいいなってそういうイメージばっか大きくなっちゃって、足下見えてないというか、日本を見れてないなということに後ですごく気づいたんですよね。
 いま思えば、最初にアブストラクト時代の作品を出していたら、早い段階で違う積み重ね方ができてたのかもしれないし。だけどそんな意識が強すぎて2年も3年も出さないで結局お蔵入りになっちゃって。で、〈イーストワークス〉で出すっていう、まあその道のりがあったからこそ、あのファーストが完成した訳だし、いまがあるのは間違いないんですけどね。

〈イーストワーク〉も当時よく出したと思うよ、決してわかりやすい音じゃないでしょう。前半は〈ワードサウンド〉っぽい感じがあるけど、後半とか「なんだこりゃ」みたいな挑発的な展開だったし。それに当然まだ「ダブステップのゴストラッド」という評価もないし、本人が意識的に作ったように他にないものだったからね。じゃあ、今度はゴス・トラッドがどうしてUKのダブステップのシーンと結びついていったのかっていうのを教えてください。

GT:さっき話したみたいに90年代初期からUKの音楽っていうのにすごくハマってたんです。ただ好きだったんですよね。ブリストルの〈Vレコーズ〉、ジャングル、ドラムンベース。で、それ以降飽き飽きしてたんです、ドラムンベースに関して。当時はUKのアンダーグラウンド・ミュージックっていうとドラムンベースのことだったし、自分もチェックしてたんですけど、ちょうど90年代末はつまんなくなってて。

みんな大人びてきたし、4ヒーローなんかも洗練の方向に進んでいたしね。

GT:2ステップなんかも聴いてはいたんですけど、「ただのポップ・ミュージックじゃん」って思ってて、とくに日本の取り上げられ方は。だからつまんないな、と思ってたんですよね。自分の音楽性はアブストラクトからインダストリアルの方向にどんどん行って。

じゃあ三田(格)さんが言ってたように、ほんとにノイズに行ってたんだね。※2005年、渋谷〈マイクロオフィス〉で、三田格、バク、筆者の3人でトークショーをやったときに出た話。

GT:そうですね。で、そこから「他に作れない音イコール、自分で音作ればいいじゃないか」っていくところまで行ったんです。てことは、自分で楽器作って自分でエフェクター作ってそれを鳴らしてループさせたら、超オリジナルじゃんとか思って、秋葉原まで行って、で、自分でネットで回路図を探して、全部書き出して----全然知識はないんですけど(笑)----そういうエフェクター工作本みたいなものをオークションで5000円とか出して買ったりとか(笑)。

はははは。

GT:そういうの何冊も持ってて。そういうの見たり、ネットで海外のサイトでのリングモジュレイターのまったく同じ回路を見つけたり、それをコピーしてパーツを秋葉原で買って、ドリルも買って。

すごいねー(笑)

GT:鉄ギリのニッパーとかも買って、それで自分で作って。で、ハンズとか行って金属を合わせて楽器を作って。テルミンの回路をどっかから探して見つけて、それをオブジェっぽくもっとカッコよく作ろうって思って組み立ててみて、「それを使ってライヴやったら超オリジナルじゃん」とか思って(笑)。でもそのときはやっぱり、ビート、ベース、上ものっていうのを残したかったんですよね。
 たとえば、ファーストの後半のノイズっぽい展開、あれってやっぱノイズだけどループになってて、キック、スネアっぽい音になってると思うんですよね、まあ自分のなかではそういう構成で作ってるんです。で、上ものはこのシンセを通して作ってっていうのは頭のなかで回路を組み立ててライヴ・セットを組んでたんですよね。で、現場でダンス・ミュージックというかオリジナルの音を作りたいっていうのがあって、だんだん進化して「もうループじゃなくていいじゃないか」ってなって。表現できれば。そこでセカンド・アルバムまでいったんですよ。

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アルバムの音源を----当時はグライムとかダブステップで知り合いもいないから----アンダーグラウンドのヒップホップとかのいままでで知ってるやつに渡したら、そこから「グライムとかいま来てる音楽だから」みたいな感じのDJにさらに渡してくれて。そしたらけっこう広まったみたいで。

セカンドって、『ジ・インヴァーティッド・パースペクティヴ』(2005年初頭)のことだよね。

GT:そのときもちろん〈レベル・ファミリア〉もやってたじゃないですか。ごくたまにBBCのラジオとか聴いてたんですよ。2003縲鰀4年にネット・ラジオで聴けたんですよね。そのときにたまたまUKガラージのショウか何かで。またすごく面白いんですけど、MCが「pump up the jam」ってテクノトロニックのリリックをガラージに乗せて歌ってた んですよね。

へえー(笑)。

GT:「これすげーカッコいいー!」と思って(笑)。「何だ、ここ繋がんのか!」って。で、ガラージを聴くようになったんですよね。それでちょうど2004年ぐらいからグライムがかかって。まあディジー・ラスカルとかも出たじゃないですか。「おもしれえなー」と思ってよく聴くようになった。2003年には〈リフレックス〉が『グライム』ってコンピ出すじゃないですか。それも持ってたし。「あ、これグライムなんだ。でもBBCで聴くのとちょっと違うしなー」と思いながら、でもたまにそういうのを聴いて、ビートも作ってたんですよね。ノイズも作ってたんですけど。

あの頃のグライム・サウンドは図らずともゴス・トラッドの世界と似てるところがあるんですよね。荒々しい質感とかね。それこそグライムって、ワイリーにしてもそうだけど、パンクなところがあるでしょ。〈リフレックス〉のグライムのコンピレーションも2枚ともまったく愛想がないし(笑)。ただ、『2』のほうのメンツをいま考えるとすごいけどね。コード9、デジタル・ミズティックズにローファでしょ。

GT:やっぱいままでにないビートの打ち方だったし、「変なビートだな、前つんのめってるし」っていう。まあベース・ミュージックという感覚はあんまなかったんですけどね、そのときは。やっぱりいちばん衝撃だったのはワイリーのトラックで"モーグ(The Morgue)"っていうのがあるんですけど。いま聴くと「まさにダブステップだな」って思うんですよ。ハーフで打ってるトラックで、俺からするとアブストラクト・ヒップホップに近い音色で、ベースラインも「ドドド、ド、ド、ドドド、ド、ド、」みたいな感じでずーっとミニマルで。

へー、それって、ワイリーのいつぐらいの作品? アルバムに入ってる?

GT:2003年とかですね。アルバムに入ってないですね。12インチでリミテッドで出てたとか。

それをよく聴いてたねー。

GT:どっかのネット・ラジオか何かをダウンロードしたらそれが入ってたんですよね。「これ超やっべー」って。

ワイリーの影響受けてる人って多いよね。ゾンビーやラスティーみたいな人も最初はワイリーだったみたいだし。向こうの人はワイリーのビートを「エスキー・ビート」って言うけど。

GT:そうですね。それがほんと初期のグライムで、そのドープな部分プラス、もうちょっとがちゃがちゃした変なリズム感、(BPM)70で打ってるんだけど140で乗れる感覚って自分のなかに近いものがあるなと思ったんですよね。ファーストにもそういう曲を入れてます。ハーフで打ってるけど倍で乗る感じとか。「自分が表現したかったことをやってんな、こいつら」とか思って。

リズム的に、ビート的にシンパシーを抱いたんだね。それでは、あのダークさっていうのは?

GT:ダークさはもちろんですね。それありきで、あの空気感。あとあのMCのテンパった感じ、切迫感。で、「レイヴ」と言ってる部分とか。あの音で「レイヴ」って言うのが超カッコいい、新しいと思ったんですよ。そうあるべきだと思ったんですよね。自分が初期で聴いてたレイヴ・ミュージックっていうのは全部バラバラだったし、全部新鮮だったし。ジャングルにしても、プロディジーが出たときも、KLFも、ナイトメアズ・オン・ワックスも。あの辺の音ってスゴクバラバラだけど、全部カッコよかった。そういうものが自分のなかで「レイヴ」だと思っていたんですね。「これがほんとのレイヴ・ミュージックだ」って思ったんです。

そういう考えだったんだね。

GT:でも、日本だとレイヴ・パーティっていうとトランスっていうのが基本ですよね。

そうなんだよね。

GT:「レイヴ・パーティあるから行こうよ」って誘われて行っても、だいたい4つ打ちで、人も似たような格好してて、みたいな。「カッコわりーなー」と俺は思ってた(笑)。そういうのが強くあって、『マッド・レイヴァーズ・ダンス・フロア』(2005年末)を作ろうと思ったんですよね。あとは自分の楽器とエフェクターを使いつつ、ノイズっていうダイレクションで表現する音楽はセカンド・アルバムである程度やり切ったっていうのはありましたね。

なるほど。それでどうやって現地に行くことになるの?

GT:サードはアイディアがたくさん詰まってたんで、半年ぐらいで終わったんです。ストックしてた曲もあるし。で、それを持ってイギリスに行って、友だちのアンダーグラウンドでヒップホップやってるやつとかに渡したんですよ。

それは初の海外?

GT:その前に、ノイズ・ミュージックとしては年に1回まわってたんですよ。

パリかなんかで?

GT:そうですね。バトファーは2002年に行って、そのときたまたま日本の女の子がノイズのミュージシャンをプロモートする仕事してて、そこで知り合って、で、その翌年から毎年無理して行ってたんですよね。そういうノイズの世界ってちょっと閉鎖的じゃないですか。

だからまさに三田さんが言っていたように俺はそんなにノイズ聴いてないからさ(笑)。

GT:ちょっと閉鎖的なんですよね。でも俺はすごく面白い音楽だと思ったから、ヒップホップのパーティでもノイズやったりしたし。俺は音楽をフラットに見たいので。だけどやっぱりすごく閉鎖的な部分もあるし、すごくDIYだから。そういうところに新参者で入るのはすごく難しかったりするんですよね。
 でまあ、ちょっとはライヴとかやらせてもらってすごくいい経験にはなったし、すごく面白いシーンも見れたし。で、2003年から4年まで毎年チャレンジして、けっこうギグはやってて。
 とくにフランスはそういうエクスペリメンタルとかインプロヴィゼーションにすごく寛容だから、市がすごく投資したりだとか、市主催の大きいパーティとかがあるとそういうところにうまく組んでくれたりとか。で、そういうのでやったのと同じテンションで、全然違うアプローチでやったら、ショウをちょっと何個かやりたいっていうのでフランスとかで何本かやらせてもらって。で、「この音楽はやっぱりイギリスでしょ」と思ってイギリスにも行って、そこで自分のアルバムの音源を----当時はグライムとかダブステップで知り合いもいないから----アンダーグラウンドのヒップホップとかのいままでで知ってるやつに渡したら、そこから「グライムとかいま来てる音楽だから」みたいな感じのDJにさらに渡してくれて。そしたらけっこう広まったみたいで。

2005年だっけ?

GT:2005年の終わりですね、アルバム出た頃だから。そしたら2006年の頭に、誰かが「ダブステップ・フォーラムにGOTH-TRADのスレッドが立ってるよ」って言ってきて、「何それ?」っていう(笑)。それをリンク貼ってあって見たら、誰かが「GOTH-TRADってやつが日本でダブステップを作ってるんだよね」って書いてて。そのときちょうどマイスペースを立ち上げたときぐらいだったんですよね。そしたらけっこうメールが来るようになって。『マッド・レイヴァーズ縲怐xに入ってた"バック・トゥ・チル"って曲なんですけど。『マッド・レイヴァーズ縲怐xはどっちかって言うとインストでグライムを作ろうっていうアプローチだったので、ダブステップって言葉もよくわかってなかったし。

じゃあ、『マッド・レイヴァーズ・ダンス・フロア』がほんとグライムの影響を受けてるんだよね。

GT:そうですね。で、イギリスのラジオのDJとかレーベルとかから、ちょうどダブステップが活性化し始めたときだったんで「新しくレーベルはじめるからリリースしたい」って話がどんどん来て。ラジオのDJには渡したり。ダブ・プレート切ったよとか。ラジオでかけたよ、とかそういうのもらって。「これダブステップっていうんだな、ダブステップのシーンがいますごいんだな」って思って。すでにBBCでは「ダブステップ・ウォーズ」もあって、シーンもどんどん大きくなってきてて。

まさかこんなに大きいシーンになるとは夢にも思わなかったなー。

GT:そうですね、だからそのときはまた新しくトラックを作りつつあって、「今年も行くしかねえな」と思ってて。まあそのときはイギリスでも何本かギグがあって。で、イギリス行く前にマーラともマイスペースで話をしてたんですよ。「曲を聴いたけど、あれカッコいいね」みたいな。で、「じゃあ会おうよ、ロンドン行ったら」って、そして〈フォワード〉で会って喋って。「いつか日本にも呼びたいんだよね」って話をすると翌日マーラが「俺がプレイするから遊びに来なよ」って。それで遊びに行ったら〈DMZ〉のカタログとかホワイトとか持ってきてくれて。「これあげるから、かけてね」って言って、全部くれたんですよ。で、「ありがとう」って俺は言って帰るんですけど。
 そのときはリリースするとかいう話も別になかった。別のレーベルとはリリースの話もあったんですよ。それは〈スカッド〉っていうレーベルですよ、"バック・トゥ・チル"をリリースしたレーベルなんですけど。その後もマイスペースに曲をアップしてたら、あるときマーラからコンタクトがあって、「何曲かサインしたい」って言ってくれて。「他の曲もすごく好きだからアルバムいつか出したいな」ってそのときから話してくれて。

それは良い出会いだったね。

GT:そうですね。

いまではダブステップの最高のキーパーソンのひとりだからね、マーラは。

GT:すごく嬉しかったのは、はじめに〈ディープ・メディ〉からリリースしたのが"カット・エンド"って曲なんですけど、マーラが「この曲は絶対に誰にも渡さないで!」って(笑)。「世界で俺とゴス・トラッドだけが持ちたいから、リリースするまで他に絶対渡さないでほしい」って言ってくれた(笑)。で、俺も「わかった」ってね。するとマーラが各地でDJやるときの1曲目にプレイして、みんなが知るようになったんです。そうしたらスクリームとかまわりのやつがみんなコンタクト取ってきて、「あの曲くれ」って言われて、そのたびに「ダメ」って返してましたね(笑)。

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2006年の頭に、誰かが「ダブステップ・フォーラムにGOTH-TRADのスレッドが立ってるよ」って言ってきて、「何それ?」っていう(笑)。それをリンク貼ってあって見たら、誰かが「GOTH-TRADってやつが日本でダブステップを作ってるんだよね」って書いてて。

マーラとの出会いもありつつも、2005年縲鰀2006年っていうのはダブステップのシーンの発展期というか、オリジネイターたちが下地を作っていた時代だったと思うんだけれども、そのときのイギリスのシーンっていうのはゴス・トラッドから見てどうでしたか?

GT:当時自分がイギリス行ったときは、〈フォワード〉ぐらいしか行ってないんですよ。それはすごく盛り上がってましたね。ただ地方はわかんなかったですね、まだ。
 2005年の暮れに行ったときには『マッド・レイヴァーズ縲怐xの音でライヴもやったんです。それはヒップホップのパーティで、そのときはグライムのMCがどんどん入ってきて、「やっぱグライムなんだ」みたいなノリだった。2006年行ったときに〈フォワード〉行くと、グライムのMCがマイクを握りながら、DJはダブステップをかけるって形だったんですよね。で、当時の現場は自分はあまりよくわかってなかったです、ぶっちゃけて言うと。
 2006年から自分も東京でパーティはじめて、どういうノリでやってたのか......ひたすら「こういう感じかな」っていう(手探りな)感じだったと思いますよ、その頃は。初めはMCもつけてたし。ただ......でも、俺、最初にDJやったときはパソコンでやったんですよね(笑)。1回か2回か。CDJも使えないし、トラクターかなんかでやったんですよね。だからわかってなかったんですよね、何て言うかこう......。
 まずどうして自分がパーティはじめてDJはじめたかと言うと、ダブステップのカルチャーで面白いところはダブプレートだったり、未発表の曲をDJがかけるところ。日本だとDJイコールDJで終わることがたくさんあるじゃないですか。でも向こうだとDJイコールプロデューサーっていうのが、まあ基本じゃないけど----。

とくにダブステップの世代はほとんどみんな作ってるからね。

GT:そうじゃないですか。それがないと成り上がれないというか、名前も広げられない。で、「日本もそうあるべきだ」と思って。でも自分はもともとDJやってなくて、自分の音を使ってライヴで勝負するのが当たり前だと思っていたから、そのときまで若干DJっていうのを軽視してたんですよね。

ははは。

GT:ぶっちゃけて言うと。当時から多くのDJが「新譜か何か珍しいレコード買って、エフェクトをごちゃごちゃ駆使して、すごく上手い」みたいな。バトルのスクラッチとか、そういうひとはテクニックだからまた違うと思うんですけど。まあこれはクリエーター視点なんですけど、大元の音源の部分にオリジナルを追求してないですよね。そういう意味でつまんねえな、っていうのはあって。でもデジタル・ミスティックズを見ると、レコード・バッグ半分以上がダブプレートで、ダブプレート1枚切るのに1万円かかって、半分くらい自分のトラックで半分は自分のレーベルとか仲間のやつで、っていう。「ほぼライヴじゃねえか」と思って、その1曲1曲にかける熱意っていうか。そういう部分って絶対オーディエンスにも伝わると信じてますから。

しかもダブプレート重たいしね、運ぶの。

GT:そうですよね。ただね、3万円で30枚集めてるDJと、30枚30万かけて自分のオリジナルで1曲入魂で作ってやってるアーティストって重みが全然違うな、っていうかすげーなっていうのはあって。俺もライヴぐらいの価値があるDJでありプロデューサーでありたいと思って。やっぱそういうことを日本でも当たり前にしたいなと思いましたね。それまで俺は自分でプロデュースしてライヴやってっていうのが当たり前だったから、それをDJにしてもっとわかりやすくやったらまわりのやつもそういう風にしやすいかなと。〈バック・トゥ・チル〉はこうやって、それを外に打ち出していこうよ、っていうコンセプトもあってパーティをはじめたんですよね。そうすればリスナー側ももっと現場にフォーカスするんじゃないかって。

ダブステップのシーンになって、それがますます顕著だよね。ハウス世代だと、まだエディットですよね。テクノ世代はけっこう作っているけど、でもダブステップになるとほんとにみんな作ってるよね。

GT:1曲入魂なんですよね。1曲にすごく愛情があるからダブプレートで切って、自分で絶対プレイするってことじゃないですか。だって自分のためにしか切らないわけだから。その思いっていうのがすごく音楽的だと思ったし、あの、「ネタを買いに行く」って言葉がすごくイヤだなって俺思ってて。

ははははは。

GT:「ネタじゃねえだろ!」みたいな。そこの感覚を俺はやっぱり打ち出したいなと思ったんですよ。もうちょっと日本でも浸透できたらいいなと。でももちろん、日本でもライヴ・カルチャーってあるじゃないですか、打ち込みでも。そこはいい部分だと思うんですけど。もうちょっとDJの単位からやると、面白くなるんじゃないか、もうちょっと触りやすいんじゃないかと。
 あとはやっぱり、自分の曲をリワインドして、とかいう面白さも感じたし、バック・トゥ・バックで面白い結果が生まれるっていうか。そういう部分もダブステップを紹介する上ではやっぱり必要だなと思って。

ただ日本の場合はイギリスみたいにプレス工場がないし、ダブプレートを作ること自体が身近じゃないし。

GT:そうなんですね、うん。

あれは羨ましいと思うけどね。

GT:だからダブプレートじゃなくてもいいと思うんですよ。CD-Rでもいいと思うし。俺が〈バック・トゥ・チル〉はじめた1年ぐらいは喋ってましたからね。「リワインドしたこの曲は、このあいだ作ってできた曲で」とか。誰かの曲をかけたときに「この曲はあいつが最近できた曲で」とか。「これは来年どこどこから出る」とか、そういうのを紹介してすごくわかりやすくやってたときもありましたね。

それがゴス・トラッドが見たダブステップ・シーンの......。

GT:面白い部分でしたね。

じゃあ自分がひとりのダンサーとして、その場でダブステップ・シーンの強烈な何かを感じたっていうことはあった?

GT:やっぱ音圧ですよね。〈プラスティック・ピープル〉ってそんな大きくないんですけど、それに対するシステムの大きさは全部デカかったですね、すごく。そこの音圧の感じはやっぱいままで体感したことがないものでしたね。あとお客さんのノリ。ハーフで打ってるんだけどみんな倍で乗っちゃって、ベースで乗っちゃうっていう。「あ、このノリだ!」っていう。いままで日本では見たことないっていうか。

2005年末から2010年にかけてっていうのはダブステップ・シーンもいっきに多様化して国際化して、で、ポピュラーなものになっていくんだけど、「自分がダブステップのシーンの一員である」という意識がついたのはいつぐらい?

GT:えっと、2007年に12インチ2枚出したあとの9月にがっちりとツアーはじめてもらったんですよね。1ヶ月で10数本。

それはイギリスだけ?

GT:ヨーロッパ全体でですね。そのときにはもう、パリでも人いっぱいだったし。で、グレッグ・Gって、いま日本に住んでる彼がやってくれたんですよ。彼とはそこで俺を呼んでくれて知り合ったんですよ。

あ、そうなんだ。

GT:で、彼が言うには、5月の時点でスクリーム呼んだら80人だったと。その次に誰かが呼んだら150人だった。俺を呼んだときに、9月の時点で250人入ったんです。だから、急に2007年入ってからばーんとパリとかは来たって言ってて。

2007年ってじゃあやっぱ大きかったんだ。

GT:たぶんそうだと思いますね。2006年の終わりから2007年にかけて、こう。

ブリアルとかが出してるし、あとスクリームとかも当時ちょうどヒットして。シーンがデカくなりはじめた実感ってそのときから感じはじめたってこと?

GT:そうですね、やっぱこう(右肩上がりに)来てんな......っていうのは2007年からですね。自分はタイミングがすごく良かった。ロンドンでも〈DMZ〉っていうすごく良いパーティでライヴ・セットをやらせてもらえてたし。しかも、当時はまだライヴ・セットっていうのをやってる人がいなかったから。自分は逆にすごくDJに興味を持ってたんだけど、UK側では「ダブステップのライヴやるんだ?」っていうので、逆に面白がられた(笑)。

〈DMZ〉のパーティっていうのもいまやなかば伝説になってるんだけど、ブリクストンでやってたんでしょ。どういう感じだったんですか?

GT:何かこう......教会があるんですよ。えー......暴動みたいですね、何かもう(笑)

暴動(笑)。

GT:客が「わー! わー!」みたいな。2007年の9月以降もう何回もやってるんですけど、DJでやったときもあるんですよ。そのときなんか、いまはブースの位置も変わったんですけど、当時は客が頭この辺ぐらいのところで。DJやってると手触ってきて、「リワインド、リワインド」っつって(笑)。

はははははは!

GT:で、「イヤだ、イヤだ、いましない、いましない」と言って、そうすると「おい、ゴス・トラッド! リワインド、リワインド!」ってこの辺のやつらがうるさい(笑)。で「しょうがねーなー」ってやったら、「ありがとう、ありがとう」みたいな感じで(笑)。そういうノリですよ、もう。

それはもう、最高だね。

GT:ガキどもが群がって、みたいな。

ああ、なんかその話聞いてると、光景が浮かんでくるんだよね。

GT:1曲にフォーカスするエネルギーがすごいですね、客がね。で、DJ側も「どのダブ・プレートかけてんの?」とか、かけたときに「誰の曲これ?」とか。「俺の曲」って言ったら「くれ! くれ! 次くれ!」って(笑)。やってる側も1曲1曲にフォーカスしてるし。ていうか、お互い一体感がすごいというか、みんなエキサイトしてるっていうか。

イギリスってダンス・ミュージックの文化のあり方っていうのがやっぱすごいんですよね。いまの話聞いてて、1993年にブリクストンで、ジェフ・ミルズとロバート・フッドとスティーヴ・ビックネルが出た〈ロスト〉っていうパーティに行ったときのことを思い出した。汗が天井から落ちるどころか、ホントに天井や壁によじ登ってるやつとかいたんで。

GT:そういうノリですよね。いい意味でちょっと危険を感じるっていうか、圧倒されるっていうか。プレイしてる本人もイッちゃってるというか、みんなそうだと思いますよ。5回とかリワインドしますからね。しかも俺がやってるときに誰かがリワインドしますからね、こっちで(笑)。「まだミックスしてんだけど」みたいな。またはじめてこっちミックスしようとしたら、後ろのDJがまたリワインドしてるとか(笑)。さらにいいMCもいるから。

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俺はもっとエクスペリメンタルな、プログレッシヴな音楽としてダブステップを捉えてたので、そういうものはむしろぜんぜん気に しなかったですね。つまんねーなっていう(笑)。まあ俺がやる音楽じゃねーなと。それもダブステップなんだろうけど、俺は俺のダブステップをやるっていう。


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そういうシーンのなかで体験したことがゴス・トラッドにどのように影響を与えていったの? たぶん今回のアルバムにもそれがすごく繋がっていくと思うんだけども。

GT:自分のなかではやっぱり〈ワードサウンド〉とか、そういう面白い音楽、新しい音楽を作るっていう意味では同じスタンスだと思うんですよ。さらにダブステップ・シーンが----たとえばディスタンスがメタルやってたとか、マーラはテクノも聴いてたしレゲエも聴いてるしヒップホップもやってたとか、ローファはヒップホップをやってたとか、みんないろんなところから集まってる。BPM140周辺、ベースがすごいあって......っていう共通点でひとつのステージに集まってるっていうところが、お互いが新鮮っていうか。お互いがかける曲も新鮮だし。テンションは同じなんですよ。そういうやつらが集結してるから、興奮するしかないっていうね。で、共通する部分はみんな持ってるから。「こんなん作ってんだ、お前!」みたいな。それのやり合いみたいな、それが止まんないみたいな。その当時はほんとに。

なるほどね。

GT:で、それに対して、すげーディープな音でも客からそういう(熱い)レスポンスが来るから、こっちもそういうレスポンスでいっちゃって、みたいな。どんどんテンションがいい具合で上がり合うっていうか。そういうのはつねにパーティでは感じましたね。

たぶん、最初のピークだったんだろうね。2007年以降っていうのはさらにどんどん大きくなっていくって感じだったかな?

GT:その部分もあるし、やっぱりシーンの流れはちょっと変わりましたよね。2008年後半か、まあ2009年ぐらいから、ちょっとつまんなくなりましたね。リリースされるものが、すごく。まあダブステップってキーワードも大きくなったし、ダブステップっていうルールができちゃったし。新しいアーティストでダブステップを聴いてダブステップを作ってるのがたくさん出てきたし。ドラムの音色も似ててベースの音色も似てて、そういうものが2008年、09年......まあ09年10年特にいっぱい出て、ほんとつまんないリリースが続いて。

じゃあ、初めて「つまんない」っていうのを感じはじめたのがその頃なんだ。

GT:うーん、まあでも、リリースはつまんないと思ってたんですけど、結局自分が聴いたりかけたりするものっていうのはダブプレートで、自分の信頼してるアーティストだったり、そういうとこはそういうとこで回ってるんで、関係ないですよね。ダブステップ・ファンが、まあメディアもそうだけど、「ダブステップ」って言ってるものが「これダブステップじゃねーよ」って思っちゃったりするぐらいの、まさにハイプになってるっていうか(笑)。そういう意味で。それはひとつのダブステップだから、そのなかの何個かは俺も好きだけど、形式ができちゃったっていうのは絶対あると思うんですよ。

音楽の約束事みたいな?

GT:そう、約束事が。とくにアメリカのシーンでは顕著に現れてると思うし。ほんと全部同じだし。

アメリカはまあすごいって言うよね、レイヴ・ミュージックとして。

GT:俺はもっとエクスペリメンタルな、プログレッシヴな音楽としてダブステップを捉えてたので、そういうものはむしろぜんぜん気にしなかったですね。つまんねーなっていう(笑)。まあ俺がやる音楽じゃねーなと。それもダブステップなんだろうけど、俺は俺のダブステップをやるっていう。だから一時期「ダブステップって言うのも何かなー」と思ったりしてたときもあったけど、だけどいまは敢えてこれが俺の打ち出すダブステップっていうことを言いたいとは思ってるんですけど。

ゴス・トラッドがいまそれを言うのは大事だよね。

GT:ダブステップという言葉であるとかそのイメージが、この2縲怩R年ですごく大きくなったと思うんですよ。で、4年縲怩T年経つといち巡してきて、ファンも少しずつ入れ替わってるじゃないですか。この2年でダブステップ好きになったひともたくさんいると思うし。

日本は2011年がいちばん売れたっていうけどね。

GT:あ、そうですか。俺は日本の流れはすごくいいと思うんですよね。

ほんとにー!?(笑) 

GT:いや、ハイプになりきらないじゃないですか。

ああ、そういう意味でね。

GT:たとえばアメリカ的になって、アメリカのああいうダブステップって呼ばれるものが、ガーンと来てたらガーンと下がって終わっちゃうと思うんですよ。

いやいや、でも、ああいうのがどんどん入ってきて、どんどんハイプになったほうがいいとも思うけどね。軟派なものもふくめて、どんどんこっちに入って来て欲しい。

GT:あー。

たしかにさ、現場で当事者として作ってる側だから、あんなのといっしょにされちゃたまらないよ、って気持ちはわかるんだけど。でもそれだけダブステップって音楽にポテンシャルがあったってことだよ。

GT:まあそうですね、そう思います。

オリジネイターたちに話を訊くと最初は20人ぐらいからはじまったわけでしょ。20人でやってた実験が、何百万とかいう人たちの耳を楽しませるぐらいのポテンシャルがあったってことは、すごいことだからさ。

GT:そうですね。まあダブステップっていうすごく大きな括りのひとつのダイレクションだと思うんですよね。

もちろん作品性とは別の問題だけどね。

GT:そうですね。だから自分的には別に全部ヘイトしてるわけではないし。好きなものもあるし。ただ、アーティストとしてそういうのを見たときに、つまんないものが多いなっていうのがあって(笑)。まあ......でもそういう意味で自分の方向性もすごく見えやすくなるっていうか。俺はこういうアプローチで音を出していきたいっていう。

なるほどなるほど。

GT:だから〈ディープ・メディ〉っていうレーベルはそこに関して自分に合ってるレーベルだと思うし。〈ディープ・メディ〉自体は俺のノイズの音源とかも気に入ってるっていう、そのぐらいプログレッシヴな感じだから。

何て言うか、拡張されてるんだね。

GT:そこを理解してもらわないと、俺はちょっと納得いかないんで。

ゴス・トラッドの音源がノイズのレーベルから出るよりは、〈ディープ・メディ〉から出るほうが面白いのはたしかだよね。マーラとも音楽性が違うからね。

GT:そうですね。

今回の『ニュー・エポック』が出るまでは4年ぐらいのブランクがあるじゃないですか。これはどういう理由なんですか?

GT:それはたぶん、自分のなかにアルバムっていうひとつのものにまとめるっていうイメージが沸いてなかったんですよね。トラックの量はあったんですけどね、それをひとつにまとめたからといってアルバムとして出したいかっていうとそうじゃなかったので。やっぱりアルバムに必要な曲っていうのが集まったから出したいっていうことですね。

ダブステップがどんどん盛り上がっていったから、もうちょっと早く出したいって気持ちはなかった?

GT:焦りは全然なかったですね。

シングルを出してるっていうのもあったから?

GT:シングルも出してるし、焦って出すつもりもなかったので。もちろんヨーロッパを回っててもブッキングに影響する部分もあったりとかもあるんですけど、自分にはそこまで影響はなかったんですよ。4年間で1枚しか出してないですけど、それは引き続き現場でプレイをしてプロモーションをしてやってこれた部分はあるので。

年々DJの本数は増えてったって感じ?

GT:DJの本数は増えましたね、はい。

しょっちゅう海外ばっかり行ってるっていうのは聞いてたんだけれども、それこそドミューンで頼もうと俺がいろいろ連絡してた頃も「いまいないんで」とかって言われたりしたからね。相当海外に行ってるんだろうなとは思ってたんだけれども。1年のうちほとんど海外?

GT:いやいやそんなことないですよ。今年とかは4ヶ月ぐらいだと思います。でもヨーロッパ4回行ってるんですよね。フェスが夏、6月と9月に入ったので、それ2週間ずつとか。春と秋は1ヶ月ずつ行って、今日から2週間ぐらいアジア・ツアー行って。でもその前の年は3ヶ月ぐらいだったから。そういう感じですね。ツアーやりながらも制作するんですけど、やっぱり家やスタジオでやんなきゃっていうのもあるんで。

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初期のダブステップの面白かった部分や新しさ、「何でも自由がきくんだよ」っていうような音----まあだからこそファンキーとかポスト・ダブステップが生まれたものかもしれないけど、でも俺からすると、それは違うんですよね。いわゆるダブステップ、でもそのなかから進化させたいっていう気持ちはずっと持ってやってるので。


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なるほどね。じゃあ今回のアルバムっていうのはDJツアーしながら曲を作り溜めていって、それで揃ったから出たって感じ? それとも、もうちょっと全体のコンセプトっていうか、----僕はすごく今回のアルバムを聴いて、いままでのゴス・トラッドとは別の、グルーヴィーというか、ある種の開放感みたいなものを感じたんだけど----自分の新しいステップというか方向性というものがはっきりしたから出そうっていうことになったの?

GT:それもあると思います。実は俺はこの2年ぐらいですね、さっき言ったダブプレート文化っていうのがダブステップ・シーンの良い部分ではあるには違いないですけども、それをやりすぎちゃうと怖いなっていう風に思いはじめたんですよ。2年ちょい前ぐらいから。だから、そういう(いかにもダブステップ流の)ことから距離を置きはじめたんですよね。

え、なんでですか?

GT:もっと自分の音楽にフォーカスしようと思ったんですよ。たとえばさっき言ったような「DJのネタがない」って思うのがイヤだったので。「じゃあ自分で作ろうよ」って感覚になったんですよね。DJにしてもライヴ・セットにしても、自分に足りないものは自分で作っていこうっていう。もっとそっちにフォーカスしようと思って。ひとの音楽とちょっと距離を置こうかなっていうのがあって。そういう感覚でこの2年間ぐらいやってたと思うんですよね。もちろんひとの音楽も聴くんですけどね。何曲かはダブプレートであげたりもしてるんですけど。流行りとか、そういうところからちょっと距離を置くというか。

なるほど。

GT:とくにこの3縲怩S年、スタイルというかテクニカルな部分がすごくフォーカスされたと思うんですよ。ブリアル的な音だったりとか、フライング・ロータス的な音だったりとか、そこが逆にトゥー・マッチで。俺、デモとかもらっても、「真似ばっかじゃん」みたいな。そういうのをすごく感じたときもあったし。若い子たちにもそういうの感じるし。逆にそういうのを完全無視でやってもいいんじゃねえかって思うし、それでいい曲作ったほうが10年経っても良い曲なんじゃないかなって思ったり(笑)

ゴス・トラッドも最初はどこのシーンにも属してなかったと思うからね。

GT:テクニカルな部分って、たしかに知らなきゃいけないと思うんですよね。上手く使いたいし。そういうのも勉強するんですけど、でもトゥー・マッチになるのはイヤだと思ったりしたし。

ジェームズ・ブレイクは2011年に日本でヒットしたけど、どう思った?

GT:俺は曲によってはすごくカッコいいと思いますよ。俺は何回かいっしょにプレイしたこともあって、向こうで。で、DJプレイもすごくいいんですよ。去年ドイツのベルリンでいっしょになって、DJプレイを観たらノリいいんですよ、すごく。トラックを聴くとディープなイメージで----まあアルバムの前の〈R&S〉から出てるのはもうちょっとグルーヴィーな感じで、DJはけっこうあの路線ですよね。

へー、DJもやるんだね。

GT:だから俺は今回日本来たとき、どうしてDJやんないのかなと思ったりしましたけどね。

彼はそれこそアンコールの1曲目にマーラの曲を歌って。

GT:あー、"アンチ・ウォー・ダブ"ですよね。あれ微妙ですよねー......(笑) はははは!

もちろんオリジナルのほうがいいからね(笑)。

GT:俺はあれは何かなー。「カヴァーばっかやってんなー」と思いますけどね。

それはでもリスペクトなんじゃない? 彼自身に全然罪はないんだけど、彼個人だけが悪い感じでハイプになっちゃったから。一般紙に書いてるジャーナリストが「クラブ・ミュージックもやってるらしい」って書いたり、文化人から「ダブの影響を受けているらしい」とか書かれたり、おいおい少しぐらいは調べてくれよって、そんなレヴェルのものだからさ。だから日本ではゴス・トラッドにかかる期待は大きなものになっていくと思うんだけどね(笑)。

GT:そうですか(笑)?

ジェームズ・ブレイクがきっかけでダブステップを聴きはじめた若い世代も少なくないわけだから。ただ、ゴス・トラッドのインターナショナルな活動歴を考えれば、2009年ぐらいに出しといたほうが良かったんじゃないかぐらいの感じもするんだけどね。

GT:そうかもしれないですね。でも、2009年縲鰀10年ってポップなダブステップがフィーチャーされてた時期だったと思うんですよね。

ポップってブリトニー・スピアーズみたいな......あ、ディプロみたいなの?

GT:そうですね。そういうのもそうだし、マグネティック・マンだったり、スクリレックスだったりとか、ああいう。

ああ、ブローステップっていうやつね。※紙『エレキングvol.4』参照。

GT:はい。そういうのがゴーンと来た時期で。俺はシーン見てきて、まあ場所によるんですけど、ああいうのに飽き飽きしてたひとって多いんですよね。

そりゃそうだよ。

GT:で、戻ってきてるんですよ。

だって空しくなるもん、ああいうのでいくら踊っても(笑)。

GT:何も残らないっていう(笑)。

その瞬間は楽しいけど、そう、残らないからね(笑)。

GT:でも、「バビロン・フォールEP」をこのあいだ10月に出して、それでアルバムが来年に出てっていうタイミングはすごく良かったと思いますね。

"バビロン・フォール"は昔出してる曲じゃないの?

GT:〈レベル・ファミリア〉で出してる曲のダブステップ・リミックスで、それは2008年ぐらいにもう作ってるんです。それはリリースするとか考えずに、自分のプレイのためにダブプレート切ってたんですよ。そしたらファンも「いつ出るの?」とか、レーベル側も「出そう」って話になって。2年前ぐらいからコンタクト取ってて、マックス・ロメオに(笑)。まだ彼が曲の権利持ってたんですよね。そしたらやっと取れたんです。

あの曲は間違いなくアルバムのなかでもクライマックスになっているよね。

GT:あと、EPには"フォーリング・リーフ"って曲があるんですけど、あれも評判も良いですよね。UKの20歳の若くていいプロデューサーがいるんですけど、そいつと喋ったら「僕はあのEPのなかで"フォーリング・リーフ"って曲が大好きなんだよね! あれはやばいよ! あれいつ作ったの?」って言われて、「2006年だ」って言ったら「ええー!?」みたいな。それってやっぱ、ああいうものがいま、逆に新鮮だったりすんのかなって。他の曲のほうが新しいんですけど、2006年のもっとも古いあの曲を、そういう意味で入れたんですよ。

ああ、なるほどね。バック・トゥ・ベーシックな感じなんだろうね。

GT:だからシーンの流れ的には----まあいち部の国とかシーンだけかもしれないですけど----そういうのに飽き飽きして、昔のいわゆるダブステップっていうか、オールドスクールが新鮮なんじゃないかなっていうのを最近ちょっと感じますね。

そういうぶり返しというかね。アメリカに関して言うと、ブローステップみたいに肥大化したレイヴ・シーンみたいなものがあるんでね、そういう話がリアリティあると思うんだけど、日本はまあたぶん、これからだなという気がするんです。それとは別の話で、『ニュー・エポック』は以前の作品に比べるとずいぶんダンス・ミュージックということに意識的なアルバムかなという気がしたんだけど。寄ってくる者を拒まないっていうかね。2曲目の"ディパーチャー"縲怩R曲目の"コスモス"の流れなんかはとても滑らかだし、暗闇のなかの艶っていうかね、録音はすごく繊細だけど音は太いし。"エアブレイカー"みたいなそれまでのゴス・トラッド色を引き継いでいる曲もあるし。"ウォーキング・トゥゲザー"や"アンチ・グリッド"もビート・ミュージックなんだけどグッと来るようなメロディがあるでしょ。"ストレンジャー"なんかはアンビエント・テイストだし、ある意味いままででいちばん聴きやすいんじゃないかなとも思うんですけど、自分自身のなかではどういう方向性があったんですか?

GT:やっぱりこの4年縲怩T年はダブステップ・シーンでやってきたんで、ヨーロッパ行ったときもやっぱりダブステップDJ/プロデューサーのゴス・トラッドっていう認識なんですよね。
 日本、オーストラリア、中国、アジアでもやって。で、たくさんのパイオニアもファンキーに行ったり、ポスト・ダブステップって言われるようなテクノっぽいものになったり。たぶん、現在はパイオニアがパイオニアのやるべきことをやってないっていう状況ではあると思うんですよね。それは進化ではあると思うし。でも何て言うかな、俺は初期のダブステップの面白かった部分や新しさ、「何でも自由がきくんだよ」っていうような音----まあだからこそファンキーとかポスト・ダブステップが生まれたものかもしれないけど、でも俺からすると、それは違うんですよね。いわゆるダブステップ、でもそのなかから進化させたいっていう気持ちはずっと持ってやってるので。

ダークじゃなくなったしね(笑)。

GT:そうですか(笑)?

そういうポスト・ダブステップになってくるとね。

GT:あ、そうですね。そうだから、敢えてここに留まってるから、5年縲怩U年経って、「日本から来たダブステップのパイオニア」ってやっと言ってもらえる部分もあるし。そういう意味で、ダブステップとしての新しいアプローチを見せたいなというか。

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ぶっちゃけ言うと「俺はこんなとこ住めねえな」と思うぐらい、ほんとやばいんじゃないかと疑うんですよ。だけど、同時に、そういう日本人の姿を見るとすごく勇気づけられる部分もあるんですよね。原発のことに関してもそうだけど、新しい世界を創り上げていけるんじゃないか、っていう


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じゃあ変な話、初めてダブステップを意識したアルバムを作ったという言い方もできるんだね。

GT:そうですね。

それは面白い話だね。

GT:もしかしたらこれ、アメリカ人100人集めて「これジャンル何?」って言ったらダブステップっていうやつは10パーセントかもしれないですけど(笑)。

まあそうかもね(笑)

GT:でもこれは、俺なりにダブステップを進化させた形ですっていうことで、敢えて違うテンポのものも入れなかったというか。

ダブステップのオリジネイターのいち部の、それこそコード9とかローファみたいなひとなんかは、逆にブローステップ的なものから距離を置きたくて、新しい刺激としてジュークとかさ、ああいうのを取り入れてるじゃない? ああいうのはどう?

GT:面白いと思いますね。

ああいうアグレッシヴな点っていう意味では、まさに初期のダブステップが持っていたものとちょっとやっぱり近いかなと。

GT:うーん、そうですね。あの感じは、自分が『マッド・レイヴァーズ縲怐xの後半で作ってたようなハーフステップのドラムンベースの感じにすっげー近いなと思う部分があって、面白いと思いますね。YouTubeに"アシッド・ステップス"って曲が上がってるんですけど、それのヒット数がめちゃくちゃ上がってるんですよね。それってやっぱりジュークだったりフットワークだったり、ああいう流れもあんのかなーと思ったり。
 俺は好きですけどね。だけどテンポ感っていうのが俺のなかではダブステップにすごくマッチしてて。ベースで作れるっていうか遊べるっていうか。ジュークはリズムの感じですごく遊べるんですけど。俺はダブステップのBPM140のあの感じっていうのに可能性はまだあると思ってて。もっと何か面白いことできるっていうか。もっと崩していけるんじゃないかっていうのがあって。

それで『ニュー・エポック』っていうデカい言葉をアルバムのタイトルにしたんだ?

GT:まあそうですね。『ニュー・エポック』っていうのは、そういう音的な部分も含めつつ、日本の今年いろいろあったことっていうのも含めて。

3.11のね。そのときは日本にいたの?

GT:いなかったんですよね。

じゃあもう......。

GT:びっくりして。そのときはロンドンにいて。東京には家族がいたんで、すごくショックでした。パソコンで日本のテレビ見てたんですけど、もう動けなかったですね、テレビの前から、ずーっと。ほんとショックで。

その後またさ、自然災害だけならまだしも、原発事故っていうのが重くのしかかってくるから。

GT:そうですね。それでやっぱり、デカい権力の恐ろしさっていうか。何パーセントかわからないですけど、そこの怖さを日本人は知れたんじゃないかっていうか、人のよい日本人が、そういうものを疑う知識を持ったんじゃないかっていうのはありますね。

そうなってくれるとすごくいいなと思うんですけどね。でもなかなか......。自分はサッカーがすごく好きだからね、スカパーに入ってるんで、BBCにも入ってるんですよ。震災直後にBBCのニュースをよく見ててさ、海外メディアがどういう風に日本を扱ってるのかすごく気になってたから。で、早い話、「日本人はお人好しすぎる」ってことをイギリスのメディアのほうが言っていたでしょ。「なんでもっと怒らないんだ」っていう。

GT:いや、ほんとその通りだと思います。もしかして俺ひとりで生きてたら別に気にしてなかったのかもしんないですけど、子どもが1歳でとか、そういうことを考えるともっとそういうところに神経質になるから。食べ物とか。「がんばろう東北」じゃねえだろっていうね(笑)。もちろん国は東北の農家だったり漁師とかを保障しなきゃいけないし。そこ誤魔化して、金使わずにやるっていうのは。テレビもそうだし。どうすんだ? っていう。「テレビが大丈夫って言ってるから」ってなりますよね。だって20歳の若者ですら、俺の〈バック・トゥ・チル〉でやってる子たちに「食べ物とか気にしてんの?」って聞いたら「何が?」みたいな、そんなノリだし。これはまずいなとほんと思ったんですよね。

ほんとに欧米との認識の温度差がすごいよね。

GT:ひとを見たら疑え、じゃないですか、けっこう海外って。でも日本のひとはほんとお人好しだから(笑)

ほんとよくも悪くもっていうか、でも今回は悪いほうのお人好しだかもね(笑)。

GT:だから、けっこうたくさんの日本人がそういう部分に気づいたんじゃないかなと思うんですよね。

それは今回のアルバムのなかでどういうような関係があるんですか?

GT:でも、日本人の良い部分なのかもしれないけど、勤勉で、「ここからスタートしていこう」っていう部分はあるじゃないですか。俺はぶっちゃけ言うと「俺はこんなとこ住めねえな」と思うぐらい、ほんとやばいんじゃないかと疑うんですよ。だけど、同時に、そういう日本人の姿を見ると勇気づけられる部分もあるんですよね。原発のことに関してもそうだけど、新しい世界を創り上げていけるんじゃないか、っていう希望をこめたタイトルというか。新しい世代というか。だからトラックの名前もそういうものがつけてあって。
 1曲目はとくに途方に暮れてる、自分もそうだし。うわべはみんなすごく頑張ってるけど、ほんとはそういう人間がいまの日本にたくさんいるはずなんだっていう思いもあって。それはほんとに震災後にできた曲で。断片のメロディとかだけは作ってたんですけど。そこから完成できてなかったんですけど、あれ以降にタイトルとアイディアができて完成した曲なんですね。

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「俺たち日本だから。ヨーロッパとかUKだったらもっと盛り上がるんだろうな」とかじゃなくて。そう思う時点で負けてると思うから。だってイギリスなんていまなんか6万縲怩V万で行けるじゃないですか。誰でも行けるわけじゃないですか。DJだってプロモーションでちょっと行くってこともできると思うし。

なるほどね。なるほど。ちなみに〈バック・トゥ・チル〉に集まる子たちっていうのは何歳ぐらい? やっぱ若い?

GT:あ、お客さんですか? お客さんはけっこう幅広くて、まあ22縲鰀3歳ぐらいから30ぐらいまでですね。

イギリスはみんな若いんでしょ?

GT:若いですねー。ヨーロッパは若いです。

ここ数年、ロンドンに住んでいるイギリス人の同世代の友だちと話してると「テクノやハウスはoyaji musicだ」って言われるからね(笑)

GT:ははははは。えー。

イギリス人らしい口の悪さというか、イギリスでは、それだけダブステップっていうのは若者の音楽なんだぞって言いたいんだよ。

GT:自分は比較的ディープでダビーで......っていうライヴもプレイするんですけど、ハンガリーとか行くと女の子がすごい前で踊ってて。「いくつなの?」って訊いたら18歳とか。「ダブステップすごく好き」って言ってて。

いいですねえー。日本からも18歳でゴス・トラッドのライヴを最前列で観るような子がどんどん出てきてほしい(笑)。

GT:そうですね(笑)。ブリュッセルでやったときは、自分の前のDJダブステップから流れた4/4っぽいライヴをやってたら前の若い男の子と女の子が「ちょっと来てちょっと来て!」って俺が誰かもたぶんわかってなくて呼ばれて、「あなたダブステップやるの?」って(笑)

ははははは。

GT:「やるやる」って言ったら「よし!」みたいな(笑)。

はははは! 「おまえはわかってる」って(笑)。

GT:そういうこともあるし(笑)。

わかりました。時間もなくなってきたので、もっとたくさん訊きたいことがあるんですけど、続きは2012年に取材させてください。

GT:はい、ぜひ。

あと俺は、日本人アーティストが海外に、ゴス・トラッドみたいにどんどん出てったほうがいいと思ってる人間だから、その辺ももうちょっと訊きたかったんだけどね。

GT:俺はほんとそれやれる思うし、はっきり言って、いまならネットもあるし音楽なんかデジタルで買えるわけだし。どんな田舎だろうが同じじゃないですか、メディアの量なんて。ほとんどの人がいまインターネットで情報を取り入れてるわけじゃないですか。雑誌だってどこでも買えるわけだし。そこを初めから負けてる気持ちの子って多くないですか、地方の子とかって。「僕は地方だから」とかって。
 「俺たち日本だから。ヨーロッパとかUKだったらもっと盛り上がるんだろうな」とかじゃなくて。そう思う時点で負けてると思うから。だってイギリスなんていまなんか6万縲怩V万で行けるじゃないですか。誰でも行けるわけじゃないですか。DJだってプロモーションでちょっと行くってこともできると思うし。だって俺実家広島で、往復すんのに4万かかるんですよ。そんな変わんないじゃないかみたいな(笑)

あとダンス・ミュージックのアンダーグラウンドのカルチャーに関して言うと、マイスペースとかソーシャル・ネットワークがすごく良い形で働いてるとは思うよね。

GT:ほんとそうですよね。サウンド・クラウドだったりフェイスブックだったり。で、たぶんレーベルとかは日本から面白いアーティストが出てきたら「やった!」と思うと思うんですよね。だからチャンスはほんとあるし。俺は最初は自分のことプロモーションするために、ブッキングさえあって、条件さえ合えば、いつでも行きますってノリだったんです。広島行くのと九州行くのと沖縄行くのと、ロンドン行くのと同じ感覚で行くよ、ぐらいの気持ちでやりたかったんですよ。「日本人、日本人だすごい!」っていうのも思ってほしくなかったんですよ。

あー、国境で判断されたくないよね。

GT:DJとも普通に交流したくて。英語は初め全然ダメだったんですけど、1年縲怩Q年やり取りして、喋ってできるようになったし。それは努力なのかもしれないですけど、ほんと誰でもできるし。俺なんか27縲鰀8ぐらいからそれができるようになったわけだから。それは誰でもできるし、誰でも可能性持ってて。負ける気持ちを持たなければ勝てるというか(笑)。

ははははは。やっぱこんな熱い人だったんだ(笑)。

GT:どれを勝ち負けっていうのかわかんないですけど、でも「向こうのほうが自分のやってる音楽はうけるな」とか、それも違うと思うし。日本も同じだし。俺は日本でやることもすごくいいと思うんですよ。逆に敢えて向こうに距離置けるっていうのも。

ダブステップがテクノやハウスのときとちょっと違うのが、まさに21世紀のダンス・ミュージックだからこそこれだけ短時間のあいだにすごく世界的に広がったのかなって思うんだよね。

GT:あの当時のマイスペースだったりとか、横の繋がりはすごかったですね。

あれは、ある種の連帯感のような感じでしょ。

GT:「みんなで盛り上げようぜ!」みたいな。サーポーターもすごく集まったし。パーティやって、それをお手伝いするやつらもすごく集まってたし。そういう意味では絶対誰にでもチャンスはあると思うんですよね。いまはむしろダブステップだけじゃなくて、さっき言ってたみたいなジュークだったりフットワークだったりヒップホップだったりとか、もはやインターナショナルなものだから。

ジュークやフットワークがインターナショナルなものになるかはわからないけどね(笑)。ロンドンはすごいだろうけど、きっとね。イギリス人はそういうの好きだから。エレクトロも、シカゴ・ハウスも大好きだったし。

GT:いや、でも俺はあり得ると思いますよ......って信じたいですよね。

リスニング・ミュージックとして楽しむっていうのはあるよね。僕はそうだから。ただ、あそこまで俊敏に足を動かすのは、自分には絶対に無理だと思った(笑)。あれはもう、ストリート・ミュージックだからねー。

GT:そうなんですよね。オタクっぽくなっちゃうのはちょっとね。もうちょっとストリートな感じで。

フットワークは昔デトロイトで現場を見たことがあって、コンクリートの路上でみんな輪になって、ダンスを順番にしていくわけだけど。

GT:ちょっとクランプとかに似た感じですよね。

ほんとにダンス・バトル。男の子も女の子もいるし白人もいるし黒人もいるし東欧系やラテン系 もっていう......ていうか、話が終わらないね。このままだとゴス・トラッドがアジア・ツアーの飛行機乗り遅れちゃうから今回はここまでにしましょう(笑)。 『ニュー・エポック』が1月11日にリリースされるわけだけど、その反応も楽しみだし、2012年、また会えるのを楽しみにしていますので。今日は出発日 だというのに、こうして時間を作ってくれて、とても貴重な話をありがとうございました。


 ゴス・トラッドは、自分のこれまでの経験を、いま日本で音を作っている多くの若者に伝えたくてうずうずしているようでもあった。それは自力でここまでできるんだという、今日的なDIYミュージックとしてのダブステップとその文化についての話だが、それまた別の機会に。

Timeline - ele-king

 クリスマス前夜の23日ともなると、僕と同世代のいい年した連中なら家で家族と過ごしているのだろうし、それはもちろん......良いことだ。あるいは、いわゆるハコ客が若い......ということもあるのかもしれない。まあとにかく思っていたよりも、客層は若い。男祭りでもなく(それを期待していた人もいたが......)、ラヴ&ピースな、心地よいヴァイブレーションだった。何人かのお客さんと話したら、フライング・ロータスのファンだった。
 タイムラインのライヴは熱かった。熱狂があった。前の晩の〈ヘッスル・オーディオ〉は音楽的には新鮮だったが、フロアの熱量と運動量という点では少々おとなしかったから、なおさらそう感じてしまったのかもしれない。また、メッセージのある音楽の強さが、こういう時代ではとくに際だつのだろう。が、それにしても1時間半を超える彼らの演奏、予定調和を後にした自由な演奏、つまりほとんど即興、タイムラインの新しい姿を迎えるオーディエンスの騒ぎ方は、最高の"宴"を創出した。僕はつくづく思った。ブラック・ミュージックには"情の厚さ"というものがある。それが英語で言うところのemotionやsoul、music from their heartsってもんだ。

 タイムラインは、去る11月にリリースした新作「Graystone Ballroom EP」の楽曲をガイドラインにしながら、1時間15分、がっつりとインプロヴィゼーションを展開した。それは時間の経つのも忘れるぐらいに耳と目と、そして気持ちをロックした。途中で演奏された"ジングル・ベル"も美しかった。ぜんぶ良かった。
 サックス奏者は23歳の大学院で博士課程を学ぶDe'Sean Jones(スティーヴィー・ワンダーのバックもつとめている)、キーボード奏者はふたり、ひとりはウェイン州立大学で音楽講師を務めているJon Dixon(ジャズとテクノの研究者)、そしてもうひとりはマイク・バンクス、DJは地元のヒップホップのキッズの面倒を見ているというDJシカリ(バンクスが彼の甥っ子の野球のコーチだった。お互いに音楽をやっていることを知ったのは数年後のことだったらしい)......MCはお馴染みのコーネリアスといった、選ばれし5人といったところで、とくにフロントをつとめる若いサックスと鍵盤のふたりは、演奏技術の高さもさることながら、そのステージング、情熱、気迫、実に見事だった。そういえば三田格はハーバートやモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオの2011年の新譜にテクノの成熟のあり方を感じたというけれど、今回のタイムラインもそのひとつだったと言える。お馴染みのヒットメドレーでもやるのかと、一瞬でも思ってしまった自分の浅はかさを恥じるしかない。

 ライヴがはじまる数時間前、マイク・バンクスと久しぶりに会話した。いろいろ喋りながら、思わず「3.11 changed everything」などと口走ると、彼は押し黙り、泣いた。フットワークが好きだとマイクに言った。俺も大好きだと彼は言った。あの文化は、70年代後半、いや、おそらくそれ以前からあるものだと言った。「ちなみにデトロイトのヒップホップでいまいちばん面白いのは......」と言って、バンクスは「14KT」という名前をメモってくれた。ヤツをチェックしろよ、実験的で、そして良い言葉を持っている......。
 ほかに報告することは......ベース・ミュージック世代がURをプレイしていることををめちゃ喜んでいたこと。アメリカのシリアスな不況、イチローの猫みたいな動きの凄さ、あるいは彼がアジのタタキの骨までしっかり食べて醤油まで飲み干したこと(さすがに止めました)。相変わらず重りを背負って坂道を走っていることとか......。

 ブラック・ミュージックは情に厚い音楽である。ときにそれは尋常ではない情の深さを露わにする。まわりにいる人が「バカじゃないの」と呆れるくらいの、ラジカルな"情"だ。平岡正明の有名な言葉を思い出す。「どんな感情も正しい」
 タイムラインのライヴはそれを我々にあらためて伝える。最後の"ハイテック・ジャズ"、アンコールの"ジャガー"は正しい方向を向いた即興によってオリジナル録音の演奏を自由に崩す。アリス・コルトレーンやファラオ・サンダースらが参加してヴィレッジ・バンガードで演奏した"マイ・フェイヴァリット・シングス"......、いやいや違う、スピリチュアルというよりも、つねにファンクをキープしているという点では、『オン・ザ・コーナー』に近い。つまりこれはもう、jazzだった。モーリッツ・フォン・オズワルド・トリオがベルリン・ミニマルの新たな展開として見せた即興をデトロイト・テクノの文脈で試みたプロジェクトというたとえもできるかもしれない。いずれにしても、フライング・ロータスを契機にやって来た子らは満足したことだろう。僕もあらためて、彼らのファンになった。新しいムーヴメントはつねに魅力的だが、キャリアを積んだアーティストのかつて自分も新しいムーヴメントのいち部であったことに頼らない真のチャレンジ、さまざまな人生経験を経てのさらなる実験を今回はたたえたい。
 ライヴが終わってDJダクトのプレイを少し聴きながら、「いやね、じつは風邪ひいていたし(←本当)、リハだけ見て帰ろうとしていたんだよね」と、メンバーに土下座しようかとも考えたが、結局、誰にも挨拶せずに僕は会場をあとにした。午前4時を回っていた。こんどはこっちが泣く番だった。クラブのあとの空しさだって? そんなものあるわけないっしょ!

 (thanks to 石崎くん@Underground Gallery, 浅井くん@Es.U.Es)

vol.25:リー・ラナルドは青春ロック! - ele-king

リー・ラナルド(ソニック・ユース)、レ・ボン・オム(ディアフーフ、元レイナーマリア)、コ・ラ(エクスタティック・サンシャイン)@グラスランズ 12/16(金)
Lee ranaldo(sonic youth), les bonhommes(mem of deer hoof, Rainer Maria), co la (ex. Ecstatic sunshine) @ Glasslands dec.16 (fri)

 〈グラスランズ〉はアートスペースかつ音楽会場。ポップ・ガン(ブッキング・エージェント)のホリディ・パーティが前日にあり、次の日、ジョナサン・トウビィンのベネフィット・ショー(ポートランドのホテルで信じられない事故が起こった=詳しくは→https://www.brooklynvegan.com/)。
 とにかくこの時期の〈グラスランズ〉はイヴェントが目白押しだ。この2日に挟まれた金曜日12月16日にはソニック・ユースのギタリストとして知られるリー・ラナルドのショーがあった()。同日、やや北の広い敷地内で開催される〈ブルックリン・バザー〉にてLCDサウンドシステムやクリスタル・アークのショーがあったり、隣の〈285 kent〉でダンス・パーティがあったり、人は分かれたようだが、〈グラスランズ〉は人でいっぱいだった。
 Co -aを見逃してしまい(残念!)、次は、グレッグ(ディア・フーフ)とビル(元レイナー・マリア、プロサイクス)の新しいバンド、Les Bonhommes(=人間という意味。以前はOut Fighting。www.outfighting.com)だった。グレッグがギター/ヴォーカル、ビルがドラム、そしてベースのトリオ。ローファイでパンクで、ちょいスカスカ系。グレッグがやると全部スカスカなんだけど。
 曲の半分ぐらいには歌詞がない。「アー」とか、「I will meet you」とか。メンバーのノリもまだぎこちないけど、それぞれの個性が合わさって、パンチあるケミストリーが生まれている。個人個人がしっかりしていると,何をやっても形になる。グレッグは緑のTシャツ、緑のスニーカー、スカイブルーのパンツ、ストライプの靴下とカラフルな出で立ち。対するビルは全身真っ黒。前のバンドでもそうだったので、これが彼の普段着なんだろうけど、髪型も以前とまったく一緒。ベース・プレイヤーは、何処かのバンドで見たことがある、デロン・プーレィ。何だか運動会を応援している気分になった。
 それからしばらくして、リー・ラナルドが登場。サーストンのソロ・ライヴは良く見ているが、リーははじめて。サーストンのソロもそうだが、エクスペリメンタル、ノイズなイメージがあったのだが、この日はチープ・トリックやソニック・ユースなど、少年的なギターリフが特徴的な、少し青春、甘くノイジーなロックンロールな演奏を披露した。メンバーはソニック・ユースのドラマーのスティーヴ・シェリー、ギターにトニックなどでプレイしていたアラン・リーチ、ベースは名前は知らないが、ベーシストな感じの男性、そしてリーがギター/ヴォーカル。みんなおじさんだが、プレイするのは甘い青春ロックンロールで、なんだか微笑ましかった。ハング・アップスをもっとロックにした感じ。演奏は凄腕。
 歌っているリーを見ていて誰かに似ているな......と思っていたら、ナダ・サーフのボーカル! 歌の雰囲気といい、格好といい(チェックのシャツ)、髪型といい、彼(マシュー)が少し年をとったらこうなるのだろう。曲ごとに、6本のエレキ・ギターを持ち替えていた。プラス、ギターと同じ色のペダルなど意外にこだわり屋なのかしら。
 観客はドレッドのお兄さんやハイヒールにドレスのお姉さん、アランがプレイしているからか、ノイズ・エクスペリメンタル系の人たちなど、普段のインディ・ショーにいなさげな人たち(年齢層高め)が目立った。バンドに共感できる幅広い年齢層が多く集まり、バンドが期待していることを与えてくれる。だから、これだけ人が集まったのだろう。
 
※サーストン・ムーアとキム・ゴードンの離婚で解散が言われているソニック・ユースだが、まだ公式の解散宣言はしていない。が、解散を思ってきているオーディエンスも少なくなかった。ただ、リー自身は今後のソニック・ユースを楽観的に見ていると言っている。

ele-king vol.4  - ele-king

〈特集〉2011パート1
2011エレキング-ランキング100
オウガ・ユー・アスホール インタヴュー
〈コラム〉頭でわかる2011
コード9 インタヴュー  他

interview with Ben Klock - ele-king

「うわぁ...... 完全に"テクノ・マシン"だね、これは。」〈Berghain〉でベン・クロックがプレイするさまをダンスフロアから見上げながら、DJ NOBUが打ちのめされたようにこう言ったのをよく覚えている。かのクラブのレジデントのなかでも一、二を争う人気を誇るベンのプレイは、本物のテクノ体験と言えるだろう。ハードなイメージが強い彼だが、その正確なミックスをずっと辿っていけば、そのなかにさまざまな彩りやテクスチャーがあり、柔らかさや奥深さが感じられるはずだ。そんなベンのDJ姿は実に優美で、ハードゲイからギャルまで、ダンスフロアを虜にして放さない。三度目の来日を前に、本邦初となる本インタヴューでは、あまり知られていない〈Berghain〉以前のキャリアと、DJの醍醐味について聞いた。〈Berghain〉7周年パーティでプレイした翌日、「聞き苦しい声でごめんね、そんなに長居はしなかったんだけどね」と苦笑いしながら、いつもより少しかすれた声で取材に応じてくれた。

「テクノがいったい何なのか知りたければ、〈Berghain〉のダンスフロアの真ん中にしばらく立ってみればいい。たぶん、少し理解できるだろう」ということ。音も雰囲気もイマイチなクラブで同じ音楽がかかっても、何も伝わらないだろうと思うよ。テクノは、とくに「体験」してみないと理解できない類いの音楽。

私自身もそうでしたが、日本のほとんどのファンはあなたが〈Berghain〉のレジデントになって以降のことしか知らないので、それ以前のことを教えてもらえますか? DJ歴自体はかなり長いと聞きましたが?

ベン:実際、〈Berghain〉をきっかけにすべてが変わったんだよね。それ以前は、最初は〈Cookies〉のレジデントをやっていた。毎週火曜日回していたんだ(※Cookiesは火曜日と木曜日に営業しているクラブ)。〈Cookies〉というクラブと僕は、一緒にに成長したようなものなんだ。火曜日は「Cookies Night」で僕が一晩中プレイしていた。それを、かなり長いあいだ続けていたよ。

それはいつ頃のことですか?

ベン:はじめたのは94年だったと思う。その後、〈Tresor〉や〈WMF〉といったクラブでもプレイするようになった。でも......僕はずっと自分の居場所を探し続けていたというか、自分にピッタリくる場所はあるんだろうか? と常に違和感を持っていたんだ。実は2000年代に入った頃、DJを辞めることすら考えていた。エレクトロ・クラッシュなどが流行っていて......僕にとってはセルアウトした音楽にしか聴こえなかった。何も面白味を感じられなかったんだ。それに伴って、DJをする回数もどんどん減っていった。そんななかで唯一、僕が音楽的スリルを感じられる場所が〈Ostgut〉(〈Berghain〉の前身となったゲイ・クラブ)だった。「僕がプレイしたい場所はここだけだ」と思っていた。だから〈Berghain〉がオープンしたときは、「ここだ!」って思ったね。つまり、僕にとってすべてのはじまりとなったのは、まさに僕がDJを辞めようかと思っていた時期だったんだ。でもその時点から、それまでよりもずっと面白い体験がはじまったというわけ。

へぇ、それは驚きですね!〈Ostgut〉でDJをしたことはあったんですか?

ベン:いや、なかった。〈Berghain〉になってからだよ。〈Panorama Bar〉の方を先にオープンして、数ヶ月してから〈Berghain〉のフロアがオープンしたんだけど、それから2ヶ月後くらいじゃなかったかな。初めてプレイしたのは。

では〈Ostgut〉にはお客さんとして行った経験があっただけだったんですね?

ベン:その通り。その頃、自分がかけたいものをかけられるクラブは〈Tresor〉くらいだったな。他のクラブはエレクトロ・クラッシュみたいなものが主流になってしまって、僕のかけたい音楽とはかけ離れていた。だから〈Ostgut〉に遊びにいくようになったんだよ。あそこでは「リアル・シット」がかかっていたからね(笑)。

〈Berghain〉のレジデントになった経緯は? 〈Ostgut〉に通っているうちに関係者と知り合ったんですか?

ベン:きっかけはエレン・エイリアンが与えてくれたんだよね、実は。その頃僕は彼女のレーベル(〈BPitch Control〉)からリリースしたりしていたから、ある日DJの話をしていて、その流れで新しいレジデンシーをはじめたいという話題になって。「じゃあ、彼らに連絡してみましょう」といって彼女が紹介してくれた。そしたら、いちどプレイする機会をもらえて。この最初の出演で、僕は「これだ」と確信した。人生が変わる瞬間を実感したよ(笑)。あのサウンドシステムでプレイしたことで、僕自身もトバされたし、その場にいたお客さんもトバされたようだった。プレイした直後に、クラブ側に「毎月やって欲しい」と言われたんだ。

最初にプレイしたときは緊張したんじゃないですか?

ベン:そうだね、緊張もしたけど、楽しみという気持ちも強かった。

それまでとは違うクラブということで、違うスタイルでプレイしたんですか?それとも自分が他のクラブでやってきたことを見せたという感じだったんでしょうか?

ベン:先に触れた通り、僕がかけたいようなものを自由にかけられるクラブは他に〈Tresor〉くらいしかなかった。それ以外のクラブのお客さんは、それほどテクノに反応しなかったんだよ、当時。だから、店の雰囲気やお客さんに合わせて自分にブレーキをかける必要があった。思いっきりやれなかった。あまり激しいトラックをかけると、みんな逃げちゃって(笑)。

ははは。お客さんを怖がらせちゃったんですね(笑)。

ベン:そう(笑)。でも、〈Berghain〉では思いっきりやっても大丈夫だとわかっていた。どんなに力強く、ハードに、あるいはディープにプレイしてもいいと分かっていたんだ。だから、そうした。プレイし始めたらすぐに心地よくなったというか、とても自然にやれた。

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テクノの歴史を知らない若い子たちが僕らを通してこの音楽を知ってくれるのは嬉しいね。(パリの)〈Rex Club〉でプレイ中に、18歳か19歳くらいの若い男の子が携帯電話のスクリーンにメッセージを打って僕に見せて来た。「僕の世代にテクノを呼び戻してくれてありがとう」と書かれていた。僕がかけていた曲なんて、彼らが生まれる前のものだったりするわけだよ(笑)。

あなたはつねに、いまプレイしているようなハードめなテクノが好きだったんですか? 〈Cookies〉などでやっている頃から?

ベン:もちろん僕もいろいろなフェーズを経験してきているよ。〈Cookies〉でやりはじめた頃はいまよりずっとハウシーだった。DJを最初にはじめた頃はドラムンベースやジャングルをかけていたしね。その後ハウスやテクノもかけるようになったけど、いまよりも、そうだな、メロウだったと言えばいいかな。その後、もう少し激しい音楽に発展していった。

ほう。それはなかなか興味深いですね。ベルリンのクラブ・ミュージックの変移を考えると、ほとんど逆行しているように聞こえます。大多数の人は、90年代にハード・テクノにはまり、その後他のスタイルに移行していったんじゃないでしょうか? ハードなテクノは2000年代に入ってむしろ廃れていったものだと思っていました。

ベン:そうだね。なぜそうだったのかは自分でもわからない。おそらく、周りの友人や環境の影響じゃないかな。僕はドラムンベースやジャングルと、入り口からして違ったわけで。90年代前半に僕自身はそれほど(テクノ・)レイヴ体験をしたわけじゃなかなった。

つまり、あなたは他の大多数の人よりもテクノと出会ったのが遅かったということになりますか?

ベン:ああ、そうなんだ。僕はテクノと出会ったのが他の人より遅かったと思う。だからよく、当時僕が知らなかった90年代のレコードをいまかけると、その頃からDJをやっている人は「うわ、そんな曲もう恥ずかしくてかけられないよ!」なんて言う。僕には僕がいまかけている曲ととてもよく合うように思えても、その頃に聴いていた人には古くさく聴こえるんだろうね。

それはとても意外ですけど、よく分かります! 私も同じようなケースだからです。〈Berghain〉で体験するまでハード・テクノの良さが全然わからなかったんですが、あそこで意味がわかったんです。

ベン:うん、よくわかるよ。そのシーンにいる人には、それが世界そのもののように感じるけれど、実はその世界はごく小さなもので、ほとんどの人はその外の世界に生きている。世界中がテクノを聴いているように思えても、実際聴いている人はものすごく少なくて、それ以外の人たちはまったくそれが何かわかっていないし、何がいいのかさっぱり理解できない。それを考えたときによく思うのが、「テクノがいったい何なのか知りたければ、〈Berghain〉のダンスフロアの真ん中にしばらく立ってみればいい。たぶん、少し理解できるだろう」ということ(笑)。音も雰囲気もイマイチなクラブで同じ音楽がかかっても、何も伝わらないだろうと思うよ。テクノは、とくに「体験」してみないと理解できない類いの音楽。きちんと体験できれば、すべての意味がわかるようになるはずだよ。僕もそうだった。僕も「こういうブンブンいってるハードな音楽はちょっとよくわからないな」と思っていたから(笑)。

私はてっきり、あなたはずっとテクノ一辺倒でやってきた人かと思っていたので、すごく意外です!

ベン:僕は常に幅広い音楽に興味があったから、ハードなものにも関心はあったよ。例えば、僕はつねにグリーン・ヴェルヴェットの大ファンだった。もっとメロウな音楽をかけていた時期でも、グリーン・ヴェルヴェットやシカゴものはいつも混ぜてかけていた。でもテクノのより深い部分、ディープな音にも惹かれるようになったのはだいぶ後になってからだったね。

いま現在は、自分のことをテクノDJだと思いますか? それともそういう定義づけはせずオープンにしておきたいですか?

ベン:もちろん他のさまざまな音楽に対してオープンではあり続けるけど、間違いなく自分はテクノDJだと思っているよ。いまは「ハウスからテクノ、ダブステップまでかけます」というDJも多いけど、僕はテクノDJだと自分で思う(笑)。

そこまでテクノが好きな理由はなんだと思いますか?

ベン:当初ドラムンベースなどをプレイしていた経験から、テクノのほうが音楽体験としてより強烈(intense)だということを実感したんだ。言葉で説明するのは難しいけれど、ダンスフロアの真んなかに立って、温かくもパンチのあるベース・ドラムが腹に響くあの感覚... あれが全てだと思うんだよね。その感覚が好きでしょうがない、としか言えないな。

いまも大好きなんですね。

ベン:もちろん。

これだけ毎週、長時間プレイし続けていても大好きだと言えるのは凄いですね......私だったら絶対飽きると思うんですが(笑)。

ベン:でも、それは単純に音楽だけではないんだ。DJとしての音楽体験全体だから、お客さんからのフィードバック、その会場にいる人を全て引き込むような雰囲気を作ることが僕にとってはとても重要なことなんだ。日常生活から解き放たれて、音楽のヴァイブに身を任せる、その体験全体をクリエイトすることが好きなんだ。もしかしたら、僕にとってはそれが音楽そのもの以上に重要なことかもしれない。

〈Berghain〉以外でもそういった体験を頻繁に作り出すことが出来ますか?

ベン:場所によって異なるね。〈Berghain〉は間違いなくとても特別な場所だけれど。前回、僕のなかでも最長記録になった13時間セットなどは...... 〈Berghain〉でしか実現しないことだと思う。少なくともいまのところはね、他にそれができそうな場所は知らない。なぜかそれができてしまう特別なヴァイブがあるんだ、あそこには。他のクラブでは、2~3時間やったところで飽きてしまって続けられないところもある。だけど、長ければいいというものではないから、短くてもとても内容の濃い、濃縮されたセットをプレイできることもあるし。時間が限られているからこそ〈Berghain〉よりもよりもずっとお客さんがクレイジーになるところもあるし。それはそれで特別な体験だよ。

そんななかで3回訪れた日本に対してはどんな印象を持っていますか?

ベン:とてもいい体験をさせてもらっているよ。とくに昨年〈WAREHOUSE702〉でクリスマスにやったパーティ(『MARIANA LIMITED 001』)はとても素晴らしかったな。雰囲気もとても良かったし、山のなかでやった〈Taico Club〉フェスティヴァルも良かった。あの年にやったフェスティヴァルのなかではベストのひとつだったよ。多くのフェスティヴァルでは盛り上げなきゃいけないというプレッシャーを感じるものだけど、〈Taico Club〉はそんなことなくてリラックスした気持ちのいい雰囲気だった。よりクラブっぽいというのかな。とても良かったよ。日本のお客さんはよく音楽を知っているなという印象を受けるね。まだリリースしていないトラックまで知っているような気がすることがあるよ(笑)。でも、これは多くのDJが言うことだろう? 日本はDJにとってプレイしたい場所だって。

そうですね、多くの人がそう言いますね。ところで、先日発表されたばかりの〈Resident Advisor〉の人気DJ投票で、10位に選ばれましたね。そのご感想は?

ベン:もちろん嬉しいよ。去年(5位)よりは落ちたけどさ......(笑)。20位以内に選ばれた人たちを見ると、他にあまりテクノDJがいないから、そこに選ばれるのはとても喜ぶべきことだと思う。僕に投票してくれた人にはお礼を言いたいよ。

それは気づきませんでしたね、たしかにテクノDJが少なめです。でも全体的に、個人的には何だかよくわからない投票結果だったんですけど、自分が歳とっただけですかね(笑)?

ベン:ははは(笑)。でも僕のまわりでもそう言ってる人が多いよ。今年の結果を見て、「もう無理、ついていけない」ってさ。次の世代に交代したというのか、何かががらっと変わったよね。

世代交代はいいことだと思うんですけどね、実力が伴っているのかどうかは疑問です。スキルよりもハイプ、って感じがします。

ベン:さっきの話に戻るんだけど、2000年の初頭に僕がDJを辞めようとしたって言っただろう?あの頃のことを少し思い出すんだよね、アンダーグラウンドやクラブというよりも、ポップ・アピールのある、「僕を見て!」って感じの音楽。

まったく違うシーンという感じがします。

ベン:そうだね。僕がまったく知らないシーンのことだからコメントもできない。誰かがかけてている曲のことを「この曲は本当にヒットしているよね、みんながかけてる」と言われても、僕はいち度も聴いたことがない、なんてことがよくある(笑)。

私もよくあります、それ(笑)。しかもそういうことが増えてる気がします。もしかしたら、思っている以上にクラブ・シーンが細分化されているということかもしれないですね。

ベン:でもRAの投票結果などを見ると、例えばジェイミー・ジョーンズと僕が一緒に上位に入っていることとか、これだけ違うスタイルの人たちが混ぜ混ぜに投票されているのは面白いことでもあるよね。

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「〈Berghain〉は前ほどクールじゃなくなった」とか、「最近コマーシャルになった」といったことが言われた時期もあったけど、いまはまたそういうことを言う人は減ったように思う。ここ数ヶ月を振り返っても、僕自身素晴らしいパーティやマジカルな瞬間をあそこで体験しているし、文句を言っていたお客さんもまたクラブに戻って来たような印象を受けているよ。

あなたの話に戻します。あなたはベルリンにテクノを復権させた、あるいは2000年代のベルリン・テクノを再定義した立役者のひとりだと思うんです。あなた自身はそう自覚していますか?

ベン:そうだね、客観的に状況を見ると、そう言えると思う。僕やマルセル(・デットマン)のようなテクノをかけていた人はそれほどまわりにいなかった。でも、意識的にそうしていたわけではなくて、僕らは単に僕らが好きなもの信じていたものをかけていただけだったんだ。まわりで起こっていることや、流行などをまったく気にしていなかった。エレクトロクラッシュだなんだって騒がれていたときも、僕らは僕らのテクノをかけていた。だから〈Berghain〉ができたときは、孤立したひとつの島ができ上がったような感じだった。そしてこの島はどんどん大きく成長するだろうという予感がしたし、きっとより多くの人がそのクオリティを認識することになるだろうと思った。当初思った以上に大きなものとなったけれどね。とにかくユニークなところで、僕らもユニークな音楽をかけていたら、その影響が広がっていった。でも僕ら自身はそれまでのテクノの歴史、90年代のベルリンやデトロイトに影響を受けて来たわけで、決して僕らが作り出したものではない。何か新しいものを発明したとは思っていない。サウンドシステムや、僕らが使っていたベースのサウンドなど、部分的に新しいものを導入しただけだ。
 でも、そういうテクノの歴史を知らない若い子たちが僕らを通してこの音楽を知ってくれるのは嬉しいね。この前面白い体験をしたんだ。(パリの)〈Rex Club〉でプレイ中に、18歳か19歳くらいのすごく若い男の子が携帯電話のスクリーンにメッセージを打って僕に見せて来た。「Thank you for bringing back Techno to my generation.(僕の世代にテクノを呼び戻してくれてありがとう)」と書かれていた。僕がかけていた曲なんて、彼らが生まれる前のものだったりするわけだよ(笑)。そういうことがあると、やっぱり嬉しいし光栄だと思うね。

私も90年代はそれほどテクノを聴いていませんでしたが、それでも初期のデトロイト・テクノは少し興味があって知っていました。いまあなたたちの活躍によって、その頃の人たちが再び脚光を浴びているようにも見えます。例えばロバート・フッドやクロード・ヤングのようなアーティストたちがまた前線に戻って来た、そして新しいオーディエンスを獲得しているのは〈Berghain〉やあなたたちの功績だと思うんですが。

ベン:そういう部分はあると思うし、僕もとても光栄に感じていることだよ。僕たちが影響を受けた人たちがまた活発にプレイしはじめているのは嬉しいし、例えばルーク・スレーターがいまやっていることは本当にカッコいいと思える。そういうシーンがまたできたこと、そういう人たちが評価される場所が出来てテクノが勢いを取り戻していることはとても嬉しいし、自分がそこに少しでも貢献出来ているんだったらものすごく光栄だよ。

なんかその状況を見ていると、もとは同じ部族だったのに世界中に散らばってしまった仲間たちが、やっと再会する機会が出来たようにも映ります(笑)。

ベン:そうだね、それがいちばんいいかたちで体験できるようになったんじゃないかな。これぞテクノ、テクノとはこうあるべき、という環境が整っている。

逆に、テクノがここまで大きくなったことについてはどう感じていますか? 私はコマーシャルになったとは全然思いませんけど、トレンディーなクラブ音楽にはなったように思うんです。〈Berghain〉はとくにアンダーグラウンドであることも重要な要素です。昨年イビサのどこか大箱で「Ostgut-Tonナイト」が開催されたときも批判の声が多く聞こえましたし。

ベン:そうだな、いまは「Berghain night」みたいなイヴァントは数を減らしているよ。僕らもセルアウトしたくないからね。クラブとしてもレーベルとしても、そういう方向性をまったく求めていないし、今後どのようにレーベルを運営していくかといったことにはつねに協議していて、今後は数を出すことよりも、少しペースを落としてやっていこうと考えている。〈Berghain〉はつねに自分たちの物差しで物事を決めてやって来たし、業界の常識だとかスタンダードに合わせたり振り回されるようなことはしていないと思う。それでも、「〈Berghain〉は前ほどクールじゃなくなった」とか、「最近コマーシャルになった」といったことが言われた時期もあったけど、いまはまたそういうことを言う人は減ったように思う。ここ数ヶ月を振り返っても、僕自身素晴らしいパーティやマジカルな瞬間をあそこで体験しているし、文句を言っていたお客さんもまたクラブに戻って来たような印象を受けているよ。もちろん何だって変化はするものだし、変わっていくのは自然なことだからまったく同じではないけど、悪い方向にいっているとは思わない。僕はああいう場所がまだあることに、むしろ感謝すべきだと思うけどね。

そうですね、私もそう思います。

ベン:いまでも魔法のような瞬間を何度も体験しているよ。つまらなくなったなんてまったく思わない。

それにしても、あなたはあそこでプレイする際に平均7~8時間といった長いセットをやりますよね? どうしてそんなことが可能なんでしょう? 私の友人はみんな、実はあなたが機械なんじゃないかって思ってますよ(笑)。それだけ長いあいだ、集中力を切らさずに正確なプレイが出来る秘訣は何ですか?

ベン:ははは。何も特別なトリックはないよ。その場からエネルギーをもらっているんだと思う。僕がプレイする際は、自分のフィーリングを伝えようと努めているし、魔法の瞬間を作り出すのはやはり機械ではなくて人間的な資質が必要だ。でも、言わんとしていることはわかる。技術的に正確であること、曲から曲への完璧な移行も魔法の瞬間を作る上では重要なことだ。僕がDJの醍醐味だと思っているのはそういう部分で、ただトラックを流すだけではなく、曲を使って新しい何かを造り上げること。その曲のパーツを足しただけではなく、さらにそれを増幅させること。それが僕の大好きなDJというものの面白さだ。だから自分が「ゾーン」に入ったときは、それがほぼ自動的に起こり、何時間でもやり続けることが出来るんだ。
 唯一秘訣があるとすれば......お酒は少しだけにして、飲み過ぎないことかな(笑)。

Ben Klock 来日情報
12/22(木)OTONOKO @ Club Mago
12/24(土)Liquidroom & Metamorphose presents Ben Klock @ Liquidroom

DJ YOGURT - ele-king

 自分のお気に入りのDJを紹介できるというのは光栄なものだ。もうかれこれ3~4年前の話だが、その晩僕はひどく落ち込み、うちひしがれ、死にそうだった。ナイトライフを過ごせるような精神状態ではなかったが、約束があったので、僕は重たいドアを開けた。
 ブースのなかにはヨーグルトがいた。彼は......すでにアッパーだった。「おいおい、何時だと思っているんだ」と僕は思った。「まだ11時だぜ」、フロアには10人いるかいないか。こちとら死にそうなほど落ち込んでいるというのに、この寂しいフロアにアッパーなテクノかよ......やれやれ参ったな。
 しかもその飛ばし屋のプレイはそこにいる10人を完璧にロックしていた。落ち込んでいる人間がこういう光景に出くわしたとき、通常ならますます落ち込んでくるものだが、DJヨーグルトのプレイにはどこか無邪気なものがあった。ドラッギーだが、リー・ペリー的というか、ドロドロした感覚がないのがDJヨーグルトの個性だ。トランシーだが、アーシーなセンスがあるからなのだろうか、デーモニッシュな方向にはいかない。DJ saved my lifeという有名な言葉があるけれど、DJヨーグルトのグルーヴは、その晩の僕を助けてくれたかもしれない。

YOGURT&KOYAS
SOUNDS FROM DANCEFLOOR

UPSET RECORDINGS

Amazon

 2001年にDJ Uとのアップセッツとしてデビューして、3枚のアルバムと数枚のシングルを発表すると、2008年には〈ラストラム〉からDJヨーグルトとしての過去の作品集『Singles&Remixes 2005 To 2008』、そして2010年にはDJヨーグルト&コヤスとして『CHILL OUT』と『SOUND OF SLEEP & MEDITATION』の2枚をリリースしている。
 DJヨーグルト&コヤスとしての3枚目となる最新作『SOUNDS FROM DANCEFLOOR』 は、それまでの2枚のアンビエント・アルバムとは打って変わって、いまどきこんなに無邪気な、ケレンミのない、ピースでトランシーなダンス・ミュージックがあるのかといった趣だ。この10年は、90年代とは違って愛情を欠いたダメなクラブも目に付くようになったが、それとは別の場所ではピースなパーティが続いていることを『SOUNDS FROM DANCEFLOOR』は我々に教えてくれる。取材には相方であるコヤスも同席してくれた。

バンド仲間でアジアを旅するのが流行りはじめて、「3万あれば1ヶ月滞在できるよ」って言われて、カネは無かったけど時間は余っていたし刺激を求めていたので、じゃあ俺も行こうと思って。で、何度か日本と海外を往復しているあいだに91年にゴアでたまたま野外パーティに出会ったんですよね。

最初に知ったのは、ヨーグルトが渋谷のシスコ店で働いているときだったね。店長の星川慶子さんから「三田さんのファンです」って紹介されたんで、すごくよく覚えているんだよね(笑)。

ヨーグルト:そうですね、三田さんが来店するとずーっとしゃべってるという。

で、「どれどれ、どんな服を着てるんだ?」と思って(笑)。

ヨーグルト:それはもう、三田カジェアルですよ(笑)。冗談はともかく物書きの人のなかで三田さんはほんとに昔から気になる存在だったんですよ。

レコード店で働くまではインドを放浪しているようなトラヴェラーだったんだよね。んで、いつまでも漂泊できないっていうことで、飯食うためにレコード店に入ったんだっけ?

ヨーグルト:ですね。インド~ヨーロッパの旅から帰ってきて、よくクラブで一緒に遊んでいる仲間のなかに初期の〈イエロー〉の店員のジュリアって人がいたんですよ。その彼が星川さんと仲が良かったんですよね。もともと僕はディスクユニオンで働きはじめて、ロックやジャズとテクノの新譜と中古を担当してて、このままユニオンで働いていくか悩んでいた頃にシスコのテクノ店がオープンして、「こういうテクノの新譜だけで成り立つ店ならいいな」と思って星川さんに自分のことをその友だちに紹介してもらったんですよ。ちょうど佐久間さんとシャッフルマスターがテクノ店を抜けるタイミングでテクノ店に入りました。

しかしね......その頃の若さでなんでゴアに行くようなヒッピーになったんですか? 

ヨーグルト:ヒッピーって自覚はなかったですけどね(笑)。もともとクラブ好きでしたよ。ゴアに行く前も東京のクラブにもよく行ってたし、地元にいるときはたまに地元で遊んでました。

どこの出身?

ヨーグルト:愛媛の松山です。地元が盛り上がっていたわけではないですけど、東京に来たのが88年ですね。当時はクラブに人は入ってて盛り上がっていたんですけど。もっとむちゃくちゃでもいいんじゃないか、もっと盛り上がってもいいと思ってましたね。いまひとつ物足りなさを感じていました。

92年ぐらいから東京もむちゃくちゃになってましたけどね。

ヨーグルト:たしかにすごいパーティが東京でもあったと思うんですが、自分は出会わなかったんですね。その後のゴアとかロンドンで見たときに「俺が求めた解放感や自由な雰囲気を含んだパーティってこれだ!」と思いましたよ。

目覚めてしまったんですね。

ヨーグルト:89年ぐらいは俺、バンドやってたんですよ。でもバンドの練習で同じ曲を何度も演奏するのに飽きてしまって、歌や演奏が飛び抜けて上手いわけでもなかったのでバンド活動は2年ほどで終息して。ちょうどそのバンド仲間でアジアを旅するのが流行りはじめて、「3万あれば1ヶ月滞在できるよ」って言われて、カネは無かったけど時間は余っていたし刺激を求めていたので、じゃあ俺も行こうと思って90年に初めてインドに行きました。で、何度か日本と海外を往復しているあいだに91年にゴアでたまたま野外パーティに出会ったんですよね。まだトランスが根付く直前だったので、UKレイヴものからイタロ・ハウス、アシッド・ハウス、打ち込みのニューウェイヴ、ボディ系の音までいろいろかかっていました。でも音楽を聴きはじめた頃は打ち込みの曲はそんなに好きじゃなかったんですよ。

ヨーグルトのルーツって何になるの?

ヨーグルト:10代前半は60年代から80年代のUKのロックやパンク、ニューウェイヴ、10代後半の頃はレゲエとかブルースですね。

レゲエが好きなのは、アップセッツっていう名義にしてるぐらいだからね。

ヨーグルト:レゲエは好きでしたね、レゲエを好きになったきっかけは、ストーンズやクラッシュがカヴァーしていたレゲエだったりするので、10代後半の頃好きだったのはロック流れのレゲエやロックステディですね。ラスタとかは正直わからないこともいろいろあります。で、ゴアでは打ち込みが苦手な自分がパーティの熱気に巻き込まれて、そしてメチャクチャ踊れるじゃないですか、それで「これすごいな」と思って、もっと探求したいと思ったんです。テクノとか全部エレクトリックな音で構成されてる音楽って、独特のフィーリングがあるじゃないですか。

ある種の麻薬性みたいなところに惹かれたんだね。

ヨーグルト:う~ん、そうですね、苦手だったぶん、より惹かれたってことですかね。

多くのレゲエが好きな人って、けっこうテクノを苦手とする人が多いんだよ。

ヨーグルト:けど、もうバッチリで。テクノで踊った後は歌ものレゲエよりもダブを聴くことが格段に増えて、90年代半ばだとマッドプロフェッサーがマッシヴ・アタックをリミックスしたやつとかを愛聴してました。

コヤス:僕、はじめ『ノー・プロテクション』ぜんぜんわかりませんでした。

一同:ええーー(驚)!!

コヤス:そのうちわかるようになりましたけど。

コヤスくんはヨーグルトと何歳はなれてるの?

コヤス:5歳です。

けっこう離れてるね。

コヤス:95年に交通事故で足をケガして、そこから3年ぐらいまったく遊んでないです。

ヨーグルト:コヤスくんはけっこう卓球さんファンで。

コヤス:最初は卓球さんでしたね。

日本で打ち込みの音楽やっている人で、もともとは卓球ファンっていう人は本当に多いよね。

コヤス:最初の入りはデジタル・ロックだったんですよ。

なんだっけ、デジタル・ロックって?

コヤス:ケミカル・ブラザーズとかプロディジーとか。

ああ、そうだったね。

コヤス:もともとバンドやってたんですよ。僕の場合交通事故にあって足をケガして立って楽器を弾けなくなっちゃって、そのときにケミカル・ブラザーズを聴いて、これならひとりでもできると思ってサンプラーを買って、曲を作りはじめました。

そのとき何歳だったの?

コヤス:22~23です。

そうなんだ。コヤスくんも......運命というか、よりによってヨーグルトといっしょにやるとはね......。当時からヨーグルトは謎だったよ。「彼はいったい何者なんだろう?」っていつもレコードを選びつつ横目でちらっと見つめては思ってたもん。

ヨーグルト:シスコ・テクノ・ショップのいち店員ですけどね(笑)

あの頃はCDを担当してたよね?

ヨーグルト:そうですね、CDの担当だとテクノという概念に含まれる音楽なら何でも全ジャンルやれるのが良かったです。ドローンや民族音楽系の作品も扱っていました。

あの頃CDで発売されるものって〈ファックス〉とかのアンビエントが多かったじゃない。それでアンビエントが好きなのかなって思ってたんだよ。

ヨーグルト:そうですね、90年代にちょっとテクノに疲れちゃった時期があって。90~93年ぐらいまでは無邪気に遊んでましたけど、94年ぐらいにガックリ疲れて、4つ打ちをもう聴きたくないってときにアンビエントにのめりこんでいきました。

あの頃はヨーグルトや星ちゃんの口車に乗ってずいぶん散財したよ(笑)。

ヨーグルト:はははは。お世話になりました!

もし自分もレコード店で働いていたら、同じことしたと思うけど。

ヨーグルト:お客さんが買おうとしている作品にはダメだししにくいですね(笑)。でも、俺はわりと無理には勧めないほうでしたけどね。

コヤス:僕はアルタのシスコでアベさんの当時の楽曲制作の相方だったDJユーに勧められていろいろ買わされて、家帰ってから「なんでこんなの買ったんだろう?」ってことよくありましたね(笑)。

ほら!

ヨーグルト:まあ、そのあたりが難しいとこですよね。自分の好きなものだけ売って成り立つんならいいですけど、塩梅がね。当時だとアンダワールドはとにかく売らないといけないみたいなのあるじゃないですか。でもそこでレコード店でバイヤーの経験を積むことで幅広い視点を持つ勉強にはなった気がしますね。

それは重要だよね。ところでヨーグルトを名乗った理由はなんなんですか?

ヨーグルト:本名でも良かったんですけど「DJアベとかDJシュウジとか名乗って覚えられるかな?」と思って、「俺は覚えられない」と思って(笑)。いっぱいいそうだし。あとムードマンとかコーネリアスとか、名前以外を名乗る人がいたんで。

なんでヨーグルトなの?

ヨーグルト:う~ん、それが覚えやすいのと意味合いですかね。

精子のメタファーなんだよね。やっぱそこでエロティシズムをほのめかしている。

ヨーグルト:アメリカではそうみたいですけど、英語圏以外では違うらしいですよ。トルコ語では撹拌するとかゆっくり混ぜるという意味があると聞いたことがあります。柔らかいイメージと、身体のなかに取り込んで変化するみたいな意味合いもあるんですね。音楽もそうだし。

便通も良くなるしね。DJをやるようになったのはいつなんですか?

ヨーグルト:たぶん〈マニアック・ラヴ〉で「スローモーション」の一番手をやるようになったのがきっかけですね。レギュラーでやるのはそれが最初です、それまでは友だちのパーティでやるぐらいでしたから。「スローモーション」はディープ・ハウスのパーティで、野田さんもたまに来てましたよね?

あれは楽しかったよね、客はいなかったけど。ムードマン、3E(蓑田+三田)、ヨーグルト、あとたまにゲンイチだっけか。96年か97年ぐらいだよね。フレンチ・ディープ・ハウスが流行りはじめた頃だったね。

ヨーグルト:モーターベースがすごい人気でて、そのあとダフト・パンクがブレイクして。

「スローモーション」が火付け役だったからね。

ヨーグルト:えー、そりゃわかんないですけど(笑)。いち部の人たちのあいだでじゃないですか?

エチエンヌ・ド・クレイシーとイアン・オブライエンに関しては確実に「スローモーション」でしょ? 俺が来るとどや顔でベーシック・ソウルをかけていたもんな。「マッド・マイクみたいだろー」って感じで(笑)。

ヨーグルト:そうですかね。三田さんが『エレキング』で頻繁に書いていた印象は強いですね。しかしまさかここまでダフト・パンクがブレイクするとは、当時まったく思ってなかったです。

それでムードマンがムーディーマンとセオ・パリッシュだったね。

ヨーグルト:「スローモーション」って、ちょうど自分の耳がジェフ・ミルズなんかのミニマル・テクノに疲れちゃったときにはじまったパーティなんです。ウェザオールもちょうどディープ・ハウスをやってるときで、「これはもうやるしかない」って思いましたね。俺も最初は客として行ってたんですけど、いいコンセプトだなと思ってDJやらせてくださいってオーガナイザーの蓑田くんにお願いしました。三田さんに「疲れました」って言ったら、「だろ!」って言われて(笑)。ちょうど三田さんもジェフ・ミルズからフィッシュマンズにシフトした時期でしたね。そんな原稿を三田さんが『エレキング』に書いてました。

あー、覚えている。ジェフ・ミルズのDJ聴いて、家に帰ってフィッシュマンズを聴いたっていう原稿あったよね!

ヨーグルト:そうそう、それで俺、三田さんに誘われて野音にフィッシュマンズ見に行ったら、三田さんがいちばんガン踊りしてました(笑)。

あー、それ俺も行った。バッファロー・ドーターが出たやつじゃない?

ヨーグルト:たしかそのときはバッファッロー・ドーターはいなくて、ワンマンでしたよ。ザックさんがPAやってました。ザックさんのPAがものすごくて、歌が聴こえないぐらいベースが出てて、「こんなアヴァンギャルドなミックスやるんだ」って驚きました。ON-Uを見ているような感覚でしたね。ほんと声がわかないぐらいディレイとEQがかかるのが良かったんです。佐藤さんのヴォーカリストとしてのエゴが感じられないライヴでしたね。そこが音楽的にはとても良くて、その日からフィッシュマンズの大ファンになりました。

とにかく、それで「スローモーション」でヨーグルトはデビューしたわけだけど、「スローモーション」が終わってから、さらに音楽活動が活発になっていくじゃない。90年代末にいっかいクラブが落ち目になったときがあって、その頃からヨーグルトは制作のほうもやるんだよね。すごいなーと思ってたんだけど、アップセッツ名義でプロダクションをやるあたりの経緯はどうだったんですか?

ヨーグルト:98年頃からMPCで楽曲制作をはじめて、エレクトロニカ的なビートものを制作しつつ、アンビエントにハマっていた時期に考えたアイデアをどこかで音にしないとすっきりしないって思ってたんですよね。90年代だと作りたいと思っても、まだパソコンの性能がそこまで良くなかったから、ある程度のミュージシャンじゃないと頭のなかで作り上げた構想はなかなか実現できなかったんです。で、2000年半ばにMPC叩いて作ってたスタイルからパソコンに全部移行したんですよ。そこでやるようになったら当時自分が考えていたことが具現化できることがわかって、2001年に『サウンド・オブ・スリープ』の1枚目としてリリースしました。実際は2000年にはもう出来てましたね。そのファーストCDはアンビエントだったんですけど、ファースト・12インチ・シングルはサイケデリックなハーバートみたいな曲でそれは700枚ぐらい売れました、いまより売れてる(笑)

知ってますよ。「アンコンヴェンショナルEP」(2001年)だっけ? 真んなかにアップセッツって書いてあるやつでしょ。レヴュー書いた覚えがある。

ヨーグルト:あれはハーバートと60年代のサイケデリック・バンドのレッド・クレイヨラとリー・ペリーをミックスさせたらどうなるか? っていうアイデアから生まれた楽曲なんです。

つねにサイケデリックだよね、つねに。

ヨーグルト:つねに(笑)、ってわけじゃあ......。

ヨーグルトのDJも本当にアシッディだしね(笑)。

ヨーグルト:あんまりあからさまじゃなくて出汁のように利いてる感じじゃないかと自分は思っているんですけど(笑)。コンブの出汁みたいな。

それでゼロ年代途中でジェット・セットに職場を変わって。でもバッサリやめて音楽活動に専念するんだよね。

ヨーグルト:ジェット・セットでは3年ぐらい働いてました。でもDJの活動が忙しくなってきたので思い切って仕事やめて音楽に専念したかったんです。

やっぱ売れてたんだね。

ヨーグルト:スタートが低いから売れてきているように感じているっていうのもありましたけどね。自分のスタートはフロアには誰もいない「スローモーション」のオープニングでしたから。

はははは。まあそれで、サイケデリックというコンセプトをヨーグルト&コヤスでもさらに展開していると?

ヨーグルト:その前にもいろいろあって、アンビエントも追求しつつ、快楽主義も忘れず、でもわりと生真面目に試行錯誤してたんですよ(笑)。ヒカルくんと2002年に出会ったのも大きかったんです。彼も出演した「FORESTED OVA」って野外パーティで自分のDJを聴いて気に入ってもらえて、自分もヒカルくんのDJを聴いてこれは!というモノを感じたので、「いっしょにやろうよ」ってことになって、2003年からヒカルくんのレギュラー・パーティにときどき参加するようになりました。当時からヒカルくんには熱心なファンがいましたね。20~30人ぐらいは来ることも多くて、それで平日でもパーティがガンガン盛り上がる時間帯があるんです。自分はそれまではラウンジやメインフロアの早い時間とかでいろんなタイプの音楽をかけることが多かったんですけど、ヒカルくんとやるとひと晩にふたりで2~3回交替しながら回すことが多くて、そうするとヒカルくんのDJでダンスフロアが大盛り上がりした後にDJするわけですよ、それが自分にはすごくいい経験になりました。面白かったし、そのドンチャン騒ぎを維持しつつフロアを作る技術というか、メインフロアのピークタイムのフィーリングを多少なりとも学んだのは彼のおかげですね。それまでは前座しかやれませんでしたからね。

やっぱDJも縦社会だからね。でもそれは仕方がないよ。だってジェフ・ミルズが客入れやるわけにはいかないし。

ヨーグルト:そうなんですよね、だからちょうどDJとしての活動が煮詰まってたときにヒカルくんに会ったんですよ。90年代に国内外の先輩DJたちから良いところを吸収して、ゼロ年代に入ってヒカルくんや自分らがワイルドに爆発させたってところがあるかも、ですかね、熟成させたっていうか。

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単純にサマー・オブ・ラヴだってわけではないです。その良質な部分をアピールしたいっていうか、レイヴ・トラックにもひどいのもあるじゃないですか。セカンド・サマー・オブ・ラヴのスピリットが埋もれてしまっているんじゃないかなって残念に思うことがあるので。

そうだね。アップセッツからはじまってどんどん自分を音楽生活にシフトさせていくじゃない、その上での大きかったことってなにかある?

ヨーグルト:いろいろな要因があるんですが、ヒカルくんとやってて、「ドッカンドッカン盛り上がっている局面でDJがプレイしてそこで通用する曲をつくらないと」って思ったことは大きなキッカケになったかもしれないです。当時はまだDJユーと曲作ってて、たまたまヒカルくんまわりにゼロっていうジャム・バンドがいたんですけど、彼らとスタジオでセッションして、それを再構築して、ダンス・トラックを作って、〈トライエイト〉からリリースしたのが2004年ですね(『グルーヴ・オン』)。そこからのシングル曲「エスノ」をDJケンセイくんがリミックスしてくれて、2005年に12インチでリリースされてそれが2500枚売れたんですよ。それが大きかったですね。

ヨーグルトがアンビエント寄りのものからアッパーな方向に行った背後にはホントにヒカルくんがいたんだね。

ヨーグルト:あとはそのときのケンセイくんのリミックスですね。ケンセイくんとはそれ以前から仲よかったんですよね。で、そのシングルが日本中で売れたんで地方に呼んでもらえるようになりました。

そこからまたドラッギーな旅がはじまるわけですね。

ヨーグルト:そうですね、90年代のいちばんてんやわんやな時代のノリに戻ったというか。

はははは。

ヨーグルト:で、2007~8年あたりに、それまでの00年代前半の自分のDJプレイは生音と電子音を融合させた音が多かったんですけど、どんどんテクノ化が進みましたね。現場で受ける音がどんどんテクノっぽくなったんです。「フューチャー・テラー」とかも、00年代前半はわりとダンス・クラッシックとかもかかってたと当時遊びに行っていた人たちから聞いたんですけど、どんどんテクノが流れる時間が長くなっていって。

僕が初めて行った頃も、まだソウルフルなディープ・ハウスが多かったね。

ヨーグルト:で、自分も自分なりにそっちの方向へ向って、ジェブスキっていうムーチーとネクサスってバンドをやってた彼といっしょにテクノ・トラックを作って、12インチ・シングルを〈トライエイト〉や〈ジェット・セット〉、〈ローズ〉から出したりしたんです。で、テクノへ本格的にシフトするあたりでコヤスくんと出会うんですよ。彼と話してみると卓球さんが好きだったりして。ジェブスキはソロ活動を開始するタイミングでもあったので、2007年頃からコヤスくんと共作する機会が増えていきました。

ヨーグルトも卓球好きなの?

ヨーグルト:めちゃ好きですよ(笑)。元旦に東京にいる時はリキッドに挨拶にいってます。卓球さん、俺たちの曲聴いてくれていて「『チル・アウト』いいよ」って伝えてくれたときは嬉しかったですね。あの卓球さんの快楽主義を貫く姿勢は尊敬しますよ、簡単にできることじゃあないじゃないですか。

快楽主義も良いけど、レイヴのあとの空しさったらないよ。二日酔いの翌朝の空しさもたまらないけどね。「なにやってんだろう、俺?」ってね。

ヨーグルト:俺もそんな気分を味わったことがあるのでわかりますよ。だけどそこで帰っていままで聴いてなかった音楽とか聴いて、それまで聴いても良さがわからなかった音楽がわかるようになってんじゃん、みたいなこともときにありますよね。「あれ? この曲やけにいい聴こえかたする」とか。そういう微妙だけど確実に何か変わっていることに気がつくと空しさも薄れるんじゃないですかね? レイヴを体験して感覚が変容することで、音楽だけじゃなく映画などアート全般に対する理解力が上がってそれまで以上に人生が楽しくなった人もいると思うんですよね。

ですかね。でもさ、たとえばトランスってドラッギーで入りやすいけど、空虚な音楽でもあるよね。ぶっ飛ぶためだけにあるから。心は満たされないっていうか、それがトランスの格好良さなんだけどね。

ヨーグルト:トランスの受け止め方も人それぞれで何とも言えないんですけどね。自分はトランスのパーティに漂う解放感は好きです。90年代のパーティ・カルチャーは自由を目指して、より自由にって爆走していたと思うんですけど、良いことだけでなくいろいろ問題も発生して、熟成期に差し掛かってきたのがいまなんじゃないですかね。

レイヴの自由って幻覚じゃない?

ヨーグルト:いやいや、すごいパーティで感じた体験はそう簡単には風化しないですよ。毎週のようにまあまあのパーティに行ってると空しさが爆発するかもしれないですが。どうしても空しさを感じたくないなら、DJやパーティを絞り込んで狙って、3~4ヶ月に1回行けばいいんですよ。一度や二度空しさを感じて、そのあとまったくパーティに行かなくなるのももったいない気がします。

はははは、たまには幻覚ぐらい見ないとね(笑)。俺も3~4ヶ月に1回は行きたいですよ。そういえば、ゼロ年代以降は、小バコの時代だったとも言えるよね。

ヨーグルト:〈グラス・ルーツ〉が盛り上がったり。

〈グラス・ルーツ〉って行ったことないんだけど、たとえば静岡だったら〈ラディシャン〉が居心地が良かったりするよね。小さいながらもスピリットを感じるっていうか。人と人との距離も近いから、話しやすいし。

ヨーグルト:でかい場所で何千人って人と同じ曲聴いて盛り上がるっていうのもありだと思いますけど。小バコだともっと音楽好きが集まって音楽性が高まる気がしますね。

まあ、敷居が低い分、音楽性は高くはないかもね。

ヨーグルト:いろいろな小箱があるから何とも言えないですけどね。俺は〈グラス・ルーツ〉でダメ出しされたこともありますよ(笑)。「キミはいろんな曲かけてるけど、ほんとに全部すきなの?」って言われて。好きな曲しかかけてないですけどね。そういう感じのコミュニケーションがあるのは小バコならでは気がしますね。ダンスフロアとDJブースが近いからこそ生まれる雰囲気はあると思います。

でも大人数のときの興奮はまた別のすごさがあるよね。

ヨーグルト:大人数で盛り上がるすごさにあらためて目覚めたのは去年のフジロックですかね。あのメインステージの音がムチャクチャよくて、あそこで考えが変わりましたね。なんですかね、あそこで1万人以上で盛り上がるのは......衝撃でした。ただ音が良いだけではない部分があると思いましたね。あの音に感動してPA業界に入る若者とかいるんじゃないかと思いますよ。

DJとしてのポリシーは?

ヨーグルト:新譜と旧譜をバランス良くプレイすることや、なるべく他のDJと選曲が被らないことは意識しています。「こんな選曲のDJは初めて聴いた」と言われたいです。その夜来てくれた人が「また来たい」って思いながら帰ってもらえたら嬉しいです。

先日ゴス・トラッドに取材したときに彼が言ってたんだけど、日本と欧米との違いは日本では曲を作るDJがまだまだ少ないってことだと。たしかにダブステップ世代のDJって、みんな曲作っているんだよね。むしろ曲作りが先で、それをプレイするためにDJしているんだよ。とはいえ、テクノが盛り上がった90年代なかば以後は日本でも曲を作る人がいっきに増えたよね。田中フミヤや瀧見憲司以降っていうか、ヨーグルトもそうだし、アルツとかノブくんとか、みんな作ってる。

ヨーグルト:作曲とDJがどんどん同じになってきてるのかもしれないですね。そんな流れのなかでオリジナリティを出すのはほんとに大事だと思います。自作の曲やエディットを作ってかけたり、スクラッチなんかをしたり、やり方はなんでもいいと思いますけど、DJプレイにおいてその人にしかできないことをやるのはこれからいままで以上に求められてくるでしょうね。自分はウェザオールが"ローデッド"をリミックスしたときからそれは感じてました。「DJってこんなに自由にやっていいんだ」ってね。

目標としているDJっている?

ヨーグルト:ミックスマスター・モリスは昔から好きです。

あー、昔からずっと好きだよね。

ヨーグルト:いま〈R&S〉傘下の〈アポロ〉のA&Rやったりしてて、視野がほんと広いんですよね。そこでジェームス・ブレイクとかをきっちりチェックしつつ......。歳とっていくと視野が狭くなる人が多いじゃないですか。でも、ミックスマスター・モリスはいまでも現役というか、しっかり新譜の動きをおさえているんですよね。すごくアナーキーなところもあるし......。コヤス・スタジオにデモ曲を制作するために泊まりにきたこともありました。
 他には、ニック・ザ・レコードも好きですね、あの人はお約束以外のディスコをうまくかけるじゃないですか。ズブズブのディスコを素人にはわからない感じでかけるのがすごい。何時間でも聴いていられる面白さがあります。

僕は今回のアルバムも『チル・アウト』も、聴いてつくづく思ったんだけど、基本的にはサマー・オブ・ラブの人だよね、ヨーグルトは。

ヨーグルト:根底にあるのは間違いなくそうですね、でもいろいろありつつですね。

それはいまは素直に受けとれないと?

ヨーグルト:けっこう世のなかの流れってかわるんですよね。まあ、基本的にはそこが大事なところですけど。どちらにしても『チル・アウト』と『サウンズ・フロム・ダンスフロア』は素直にやったというよりは微妙に批評性はあると思いますよ。

自分がここ数年ダブステップ系ばかり聴いていたからかな。なんて無邪気だろうって思ったんだけど。

ヨーグルト:セカンド・サマー・オブ・ラヴの頃に生まれた楽曲って勢いでやっちゃてるものが多い気がするんですが、自分でやっているものは、もっと落ち着いて見直して、セカンド・サマー・オブ・ラヴの頃に生まれた楽曲のどこが良かったかって考えてやってます。余計なものをそぎ落としたというか、むやみに意気込んでるわけではないですね。単純にサマー・オブ・ラヴだ、フリーダムだってわけではないです。その良質な部分をアピールしたいっていうか、セカンド・サマー・オブ・ラヴといってもレイヴにもひどいのもあるじゃないですか。そういうよくわからないレイヴにセカンド・サマー・オブ・ラヴのスピリットが埋もれてしまっているんじゃないかなって残念に思うことがあるので。

ヨーグルトの場合は、ゼロ年代に曽我部恵一を聴いているような若いリスナーのあいだで広まっていったよね。実際、ヨーグルトが好きっていう20代のロック・リスナーに何人か会ったことあるよ。

ヨーグルト:嬉しいですね! 最近では、大阪の奇妙礼太郎トラベルスウィング楽団のヨーグルト&コヤスリミックス(「機嫌なおしてくれよ」)が評判になって、10代から20代の人も聴いてくれてるみたいです。自分もロックを聴いててダンスに入っていったんで、ロックのリスナーにはシンパシーがあるんです。インディ・ロックを聴いているような子たちにダンス・ミュージックの魅力を伝えたいっていうのはあります。曽我部さんも「そういうことやりたいよねっ」て言ってくれているんですよね。

いま、どのくらいの割合でDJやってるの?

ヨーグルト:平均すると月に6~7本ぐらいですかね。

さすがですね。

ヨーグルト:でもヒカルくんとかノブくんとかケンセイくんはもっとやってますからね。

みんなすごいよね。

ヨーグルト:俺もこれからの『エレキング』に期待したいですね。

もう『エレキング』にはクラブ・ミュージックについて書きたいって人がいなくなってるからね。

ヨーグルト:萎縮してるんじゃないですか? それかブログやツイッターなんかで自分の思いを文字にして満足している人が多いのかもしれないです。

五十嵐とか暇を見ては手伝ってくれてるけど、大人でコンスタントに書いているのは僕と三田さんぐらいで、松村や二木なんかもたまに、1年に1~2回ぐらいは磯部も書いてくれているけど、他は20代なんですけどね。2012年はライターを増やしたいっていう目標があるんだ。

ヨーグルト:俺も書きますよ!

それは嬉しいな。ヨーグルトも昔の『エレキング』でもよくレヴュー書いてくれたよね。でも、やっぱもう言葉を必要としていないってところもあるのかな? テクノやハウスに関していえばもう充分過ぎるほど語られているから。

ヨーグルト:もしかしたら語るよりも体験しようって人が多いんじゃないですか。娯楽文化でもあるし、ヨーロッパではドラッグ文化のいち部でもあることが日本では書く人が少ない原因かもですよね。

関西なんてそれどころじゃないだろうしね。そういう意味ではね、今回のアルバムのアートワークが思いっきりダンスフロアを主張しているでしょ。このわかりやすいヴィジュアルをいまやるところにヨーグルト&コヤスの強い気持ちを感じたんですけど。

ヨーグルト:『チル・アウト』、『サウンド・オブ・スリープ&メディテーション』と2枚のアンビエント・アルバムを続けてリリースしたあとなので、今回は方向性が変わったことを明確にアピールしたかったんです。もちろんダンスフロアへの愛情をストレートに表現したタイトルでもあるんですが。ま、これは昔の『リミックス』も関係あるというか、それが原因みたいなものですよ(笑)。

というと?

ヨーグルト:2004年にさっき言った〈トライエイト〉から『グルーヴ・オン』っていうアルバムを出したら、それがどういうわけか『リミックス』誌の2004年の「アンビエント・アルバムNo.1」に選ばれて(笑)。「自分にはアンビエントってイメージが強くあるからなのか?」と軽く悩みました(笑)。これはマジで、もっとわかりやすくしないと音楽系のライターにすら通じないのに、一般の人たちにはまず通じないなと心の底から思って(笑)。それ以来、ダンスものはダンスものらしく、曲名もヴィジュアル的にもわかりやすくしています。

ひぇー、それはごめん。すいません!

ヨーグルト:河村さんがそうしたということをあとから知りましたけどね(笑)。それがトラウマでこうなってるんですよ。

え、じゃあ、まさか河村の影響で?

ヨーグルト:このタイトルなら誰もアンビエントだと間違えないでしょう。

重たい話になっちゃうかもだけど、ゼロ年代以降は店員の態度が悪いクラブも出てきたでしょ。疲れて階段で座っているだけで注意するような。入口で財布の中身まで見るとか。あれがクラブ初体験だったらリピーターにはならないと思ったことあるんだよね。〈イエロー〉や〈マニアック・ラヴ〉の時代は、お店のスタッフもみんな「こちら側」っていう感じだったけど、やっぱこの10年で好きでやっていた人たちが作っていったものと、商売ありきではじめた人たちとの差が出てしまったかなと思って。

ヨーグルト:〈イエロー〉や〈マニアック・ラヴ〉の店員の人たちの雰囲気はほんとによかったですもんね。クラバーがそのまま店員になった感じで。でも全国いろいろまわってるとナイスな店員さんに出会うこともあるし「こんなところにこんなクラブが!」ってこともありますよ。

気持ちのこもったクラブっていまでもあるんだろうけど、客の側から見てちょっとギブかなっていうのも混じってるからややこしいんだよね。たぶんヨーグルトやノブくんみたいな人たちはそういう場所を巡業しているんだろうし、だからこういうアルバムが生まれるんだろうし。ちなみにこのアルバムに込められたメッセージは?

ヨーグルト:ダンスフロアにはマジックがあるんだってとこですかね。


■all time to 10 albums by Yogurt
1. RED CRAYOLA / Parable Of Arable Land (International Artist)
2. MILES DAVIS / Bitches Brew (Columbia)
3. BOB MARLEY&WAILERS / Catch a Fire (Island)
4. ROLLING STONES / Black&Blue (Atlantic)
5. KING SUNNY ADE / Juju Music (Island)
6. SPACEMEN 3 / Dream Weapon (Fierce)
7. PRIMAL SCREAM / Screamadelica (Creation)
8. BASIC CHANNEL / Basic Channel (Basic Channel)
9. IRRESISTIBLE FORCE / It's Tommorrow Already (Ninja Tune)
10. BLAST HEAD / Head Music (Free Hand)

1/7(土) @八王子Shelter
1/12(木) @西麻布Eleven
1/14(土) @江ノ島Oppa-La
1/20(金) @中野Heavy Sick Zero
1/27(金)@渋谷Vision
1/27(金)@代官山UNIT/SALOON
1/28(土) DJ YOGURT Open To Last 6Hours@代官山Saloon
(The FieldがUnitに出演する日です)

他の出演予定の確認はこちらで
https://www.myspace.com/djyogurtfromupsets/shows

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