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OUTLOOK FESTIVAL JAPAN LAUNCH PARTY - ele-king

ベース・カルチャー!
――OUTLOOK FESTIVAL JAPAN LAUNCH PARTY イン東京

 世界を席巻するベース・ミュージックの祭典「OUTLOKK FESTIVAL」のジャパン・ローンチ・パーティ、大阪のZETTAI-MU主催の同イベントの同日に、なんと東京でもPART2STYLE主催のもと開催決定!!

 今年で4度目にして既にヨーロッパ中のベース・ミュージック・ファンの話題の的となっているフェス、〈OUTLOOK FESTIVAL(アウトルック・フェスティヴァル)〉。その最大の売りはロケーションと出演者、そしてサウンドシステム。会場は近年新たなフェスティヴァル・シーズンの注目スポットとして盛り上がりを見せるクロアチア・イストラ郡の中心都市プーラにあるプンタ・クリスト要塞跡地(Fort Punta Christo)。18世紀に建造された当時を匂わせる赴きあるステージに加え、地中海を一望できるビーチ、そしてボートステージといった全部で6つあるエリア最高のロケーション、最高のサウンドシステムがさらにそれらを演出する。
 ラインナップもダブステップ、レゲエやダブ、ジャングル、ドラムンベース、グライム、ガラージ、ブロークンビーツ、エレクトロニカなど各シーンのレジェンドからアップカミングまで、300組を越すアーティストたちが出演。ベース・ミュージック・ファンにとっては、まさに夢のような4日間である。すでにチケットはSOLD OUTとなっており、現地ではプレミアチケットとなっている。

 その〈OUTLOOK FESTIVAL〉に今年は日本からGOTH-TRAD、RUB-A-DUB MARKETとPART2STYLE SOUNDの出演が決定した。そして、何とヨーロッパ各国でおこなわれているローンチ・パーティが日本に上陸! 
 西麻布elevenにて7/10(日)のイヴニング・タイムに開催されることが決定した。日本からのクロアチア出演組は勿論、UKからは昨年のO〈OUTLOOK FESTIVAL〉にも出演したオリジナル・ルーツ・ラガMACKA B、世界No.1のレゲエクルーMighty CrownからCOJIE、TCY RADIOなどBASSミュージックの啓蒙を積極的に行う☆Taku Takahashi、ex.Sugar SoulのアイコSUN、朝本浩文、MC CARDZのドラムンベース・バンド、KAM、クボタタケシ、RUMI、約1年ぶりにプレイするG.RINAも出演する。ベース・ミュージックのスペシャリストが揃いぶみ!!
 6時間のパーティーはOPENからCLOSEまで見逃せない内容だ!!

OUTLOOK FESTIVAL
JAPAN LAUNCH PARTY


7/10(sun) 17:00-23:00
Adm ¥2,500 With flyer ¥2,000
At 西麻布eleven
Info : 03-5775-6206

MACKA B (From UK)
GOTH-TRAD
PART2STYLE SOUND
RUB-A-DUB MARKET
COJIE from MIGHTY CROWN
☆Taku Takahashi(m-flo/TCY Radio)
KAM
クボタタケシ
G.RINA
RUMI
CHUCK MORIS
SKYFISH
Eccy
KEN-2DJ
ENDLESS(NEO TOKYO BASS)
MIDNIGHT ROCK

VJ : フジモトカイ
FOOD : 虎子食堂
SHOP : DISC SHOP ZERO

私どものレーベルPART2STYLE自体は日本でしか生まれ得ないようなレゲエ/ダブ/ダンスホール、はたまたどこでもない面白い音楽、カルチャーを軸に展開していて、まだまだ微力ながら今回に関しても東京のクラブにBASS MUSICを定着させたいと思い、開催をすることを決めました。

ATARI TEENAGE RIOT - ele-king

12年振りの新作『Is This Hyperreal?』を引っさげ元祖デジタル・ハードコア!ATARI TEENAGE RIOTが完全復活!フジロックでの来日を目前に控え、過去~現在~未来のアタリを最近新たに発見された秘蔵ライヴ映像と爆裂トークで完全徹底解剖!!!!!!!!!!
さらにアレック本人からのメッセージも上映!!!!!!!
モッシュ&ダイブの熱気を激震体感セヨ!!!!!!!!!!!!!

日時:2011年7月12日(火)OPEN 20:00 / START 20:30
会場:UPLINK FACTORY www.uplink.co.jp/factory/log/004039.php
料金:1000円(1ドリンク付)
内容:ATARI TEENAGE RIOT 秘蔵映像上映 & トークショー
上映映像:過去の秘蔵ライブ映像&PV、最新ライブ映像

トークショー出演者
2DD (Audio Active )
唐沢真佐子(ex.snoozer)
AKIRADEATH

アップリンク・ファクトリー
〒150-0042 東京都東京都渋谷区 宇田川町37-18トツネビル1F 03-6825-5502 uplink.co.jp
more info : https://goo.gl/3JtGL

 重たい一撃がお好きな方に、ZETTAI-MUからのダビーなお知らせです。
 UK最大のダブの祭典『UNIVERSITY OF DUB』をはじめ『SUBDUB』『Exodus』などのレジテンツを務めるヨーロッパ・トップのルーツ&カルチャー&ダブ・サウンドシステム、アイレイション・ステッパーズ(IRATION STEPPAS)が今年も来日!
 9月にクロアチアで開催されるヨーロッパ最大のベース・ミュージック&サウンドシステム・カルチャーの祭典〈OUTLOOK FESTIVAL〉のジャパン・ローンチ・パーティとして、首謀者エクソダス(EXODUS)も来日決定!

::Cast::
IRATION STEPPAS (SUB DUB from Leeds.UK)
KURANAKA 1945 (Zettai-Mu.JP)
EXODUS(OUTLOOK FESTIVAL / EXODUS from Leeds.UK)

@ sunsui
Info tel: 06-6243-3641(sunsui)
ADDRESS: 大阪市中央区東心斎橋1-12-20
心斎橋シキシマビル B1F
WEB SITE : https://www.sunsui.net/

OPEN/START. 20:00 - CLOSE 24:00

● ADV. ¥1,800YEN (1ドリンクチャージ別途500円)
● W/Fryer. ¥2,100YEN (1ドリンクチャージ別途500円)
● DOOR. ¥2,300YEN (1ドリンクチャージ別途500円)

★ 前売りチケットは"ZETTAI-MUWEBSITE"および "sunsuimart"でのみ購入頂けます。

https://www.zettai-mu.net/news/1107/0710_sunsui/0710_sunsui.html


★アイレイション・ステッパーズ(IRATION STEPPAS)

 IRATION STEPPASは UK最大のDubの祭典『UNIVERSITY OF DUB』のレジテンツをABA SHANTI-Iなどとともに務めるイギリスおよびヨーロッパでトップのNew Roots Reggae、Dubのサウンドシステムである。Mark IrationとDennis Rooticalの運命的な出会い以来「Scud Missile」「Killamanjaro」のキラー・チューンをはじめさまざまなレーベルから数多くのビッグ・チューンをリリース、世界中のサウンドシステムにおいてヘヴィ-・プレイされている。
 また「Kitachi」の変名でIRATION=DUBを護るかのようにアブストラクトな作品を『REACT』よりリリースし、UKインディーズ・チャートにおいてスマッシュ・ヒットを出している。彼等の分厚いヒストリーの中でも近 年 彼等が主催する『SubDub』と『Exodus』のふたつのダンスは、Horace Andy、Johnny Clark、Zion Train、Vibronics、Adrian Sherwood、Dread Zone、Twincle Brothers、Scientist、Mad Professor、Lee Scratch Perryなどの数多くの素晴らしいアーティストを迎える New Roots Reggaのダンスの頂きとなっており、かたや Digital Mystikz(DMZのホーム・ダンス)をはじめ、Rusko、Caspa、SkreamなどなどからUK最強のサウンドシステムと最大のリスペクト を受ける、Roots&Cultue,Dubのサウンドシステムから派生したと言われるDubstepミュージックの世界最高峰 として 2011年現在 っとも盛り上がっているダンスである。
 2ndフロアーには Shy FXやRagga Twinsといった往年のJungle、D'N'Bのアーティストも多数出演することや、例年ソールドアウトのクロアチアで開催される世界最大・最高峰の ベース・ミュージック&サウンドシステム・カルチャーの祭典〈OUTLOOK FESTIVAL〉をはじめ、Nightmares On Wax とのツアーも成功させるなど、ヨーロッパでもっとも注目を集めているサウンドシステム!

9月1日(木)~4日(日)に、クロアチア"Fort Punta Christo(プンタ・クリスト要塞跡地)"にて開催されるベース・ミュージックの祭典「OUTLOOK FESTIVAL 2011」の開催に先駆け、ヨーロッパ各地で開催されているローンチパーティが日本にも上陸!!!
https://www.outlookfestival.com/

interview with Terry Farley - ele-king

 テリーに初めてあったのは、彼がDJとして来日した4年ぐらい前のことだ。ベン・シャーマンのシャツを着た50も近いおじさんだったけど、彼の笑顔はまるで5~6歳の子供のように眩しかった。彼のキャリアや〈ボーイズ・オウン〉についての話は知っていたけど、直接聴きたいと思ったのは、メインのパーティの翌日に小さな箱でやったプライヴェート・パーティについてだった。彼はほぼレゲエとソウルだけでプレイした。それがあまりにも良かったこともあって、翌日彼にレゲエやソウルとの出会いや、ザ・スペシャルズやザ・クラッシュについての話を聞いた。それがとても大事な話のように思えた。と同時に、忘れかけていた10代の頃の憧れのようなものに触れた気がした。そのとき、いつかじっくり彼に話を聞いてみたいと思った。
 1994年の新宿リキッドルームのこけらおとしの〈メガドッグ〉でのアンダーワールドとドラム・クラブが僕にとって初めてのダンス・カルチャーとの邂逅だった。〈ボーイズ・オウン〉の音楽に触れた初めての体験だった。
 1988~90年のUKインディ・シーンでブレイクするストーン・ローゼスやプライマル・スクリームには思いっきり熱狂してはいたのだけれど、そのときには理解できなかった意味やパーティがあの日から現実になった。それから15年以上、パーティが自分の生活の中心にあった。

 本インタヴューは、去年の11月にロンドンでおこなった。その週末にはプライマル・スクリームのスクリーマデリカ・ライヴがあった。テリーに話を聞くことで、あの時代に起きていたことがはっきりしたと同時に自分のなかですべてが繋がった。
 この8月には当時の関係者やミュージシャンのインタヴューを中心とした〈クリエイション〉レコードのドキュメンタリー映画『アップサイドダウン』が日本でも公開される。1988年、アシッド・ハウス、センカンド・サマー・オブ・ラヴ、エクスタシー、さまざまなキーワードで語られたもうひとつの伝説だ。〈ボーイズ・オウン〉も〈クリエイション〉も実にイギリス的な物語で、まるでプレミア・リーグに無名のチームが昇格し、並みいるビッグ・クラブを相手に互角に勝負をして、ギリギリまで優勝争いをしてしまった......というようなレーベルだ。
 もちろん彼らは優勝することはできなかった。決してビッグ・クラブになることはできないのだけれど、しかし、そのシーズンを見たすべて人たちの心にのこるチームとなった。負けることもまだ大事なことなのだ。
 『スラムダンク』を読んだことのある人ならわかるだろう、湘北高校は彼らにとっても最高の試合である山王戦を戦ったあと、あっけなく負けてしまいインターハイで優勝することはできない、しかしなによりも人びとの心にのこるのである。
 インタヴューでも語られていることだが、イギリスでは12~14歳の少年が男として自分の生きてゆく上での方針を決める大事な時期だ。どんなものを着るのか、どんな音楽を聴くのかは、どのフットボールチームのサポーターになるかということぐらい彼らには大事な選択だ。
 テリー・ファーレイもそのときに感じたことを楽しみながら、ただ追っかけてきただけなのかもしれない。が、彼はいくつかの奇跡のような夜に出会った。〈ボーイズ・オウン〉......彼らのピュアネスが残した音楽やアティチュードは、さまざまな世代が繰り返し作る、すばらしい物語のひとつだ、きっとまた〈ボーイズ・オウン〉や〈クリエイション〉のような話が新しい世代によって生みだされるに違いない。

僕はレゲエ、いや当時はスカやロックステディだね、を聴いて育った。当時の移民はみんな窓を開けっ放して、大きな音で音楽を聴いていたんだよ。ベースがブンブン響いていたっけ。父は移民の若者たちをパンクと呼んで、ほんとに嫌がっていたけどね。母はとても音楽が好きで、そう彼女はテディー・ガールだったんだ。

まずはあなたが子供だったころのことを教えてもらえますか?

テリー:僕は1958年にノースケンジントンで生まれたんだ。すごく貧しい地区でね、よく覚えているのがトイレが家のなかではなく庭にあったんだよ。ブリキのバケツを庭の隅においてさ、冬は寒いし、夏になると蜘蛛の巣だらけで虫がいたるところにいたよ。僕が6~7歳まではそうだった。
 いまでも時々思い出すのが、ノースケンジントンは第二次大戦でドイツの空爆が激しい場所だったんだ、だから僕のおばあちゃんの家には大きなコンクリートの防空壕があってね、その家はいまでもあるよ! 彼女はいまそこで鶏を飼ってるよ、新鮮な卵が食べれるからね(笑)。ちょうどキューバ危機のときはみんなそこに集まったり、近所の人たちがあたらしく防空壕を掘ったりしていたそうだよ。まだ大戦の時の記憶がはっきりしていた頃だったんだろうね、僕は子供ながらに、おかしなことするなと思っていたよ。
 あの頃のロンドンの印象はすべてが灰色なんだよ。ロンドンではみんな家で火を燃やすから、すべての家の煙突からもうもうと黒い煙がでていて、晴れていても空が灰色で、1950年代はそれがほんとにひどかったから当時のアメリカの映画に映るロンドンは煙っているだろう。だから大人になってから思い出す子供時代のロンドンは、ほんとに寒くて灰色でまったく太陽の印象がない。BBCで放送していた『Steptoe And Son』というコメディ知ってる? 廃品回収業者の親子の話なんだけど、当時のノースケンジントンにはこのコメディに出てくるような人びとがいっぱいいたんだよ。
 食べ物もレバーや羊の心臓や腎臓なんかが多くて、もちろん安かったからなんだけど、良くパイやシチューにしてくれた、母が料理の上手い人でほんとによかったよ。多くの人があの貧しい地区の話をつらいこととしてするけど、僕はあの典型的なワーキングクラスの暮らしに誇りをもっている。だって自分自身を作り上げてきたものだからね、でもトイレだけは家のなかにあるほうがいいけどね(笑)。

ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズが力を持ってくる60年代のなかば以降はどう過ごしてましたか?

テリー:ノースケンジントンはノッティングヒルのすぐ近くで、そこは西インド諸島からの最初の移民がたくさん住んでいた。だから正直に言えば、僕はレゲエ、いや当時はスカやロックステディだね、を聴いて育った。当時の移民はみんな窓を開けっ放して、大きな音で音楽を聴いていたんだよ。ベースがブンブン響いていたっけ。父は移民の若者たちをパンクと呼んで、ほんとに嫌がっていたけどね。母はとても音楽が好きで、そう彼女はテディー・ガールだったんだ。テッズってわかる? 彼女は小さなレコードプレイヤーを持っていて、よくモータウンの曲を聴きながら僕にダンスを教えてくれた。ビートルズはいたるところにあふれていた、床屋に行っても「リンゴ? それともジョージかポール?」って言われるしね。子供から大人までみんなビートルズだったね。だけど毎日毎日聴こえてくるし、親が大好きな音楽を聴くのはいやだったから、僕はジャマイカの音楽やアメリカのソウル・ミュージックにはまっていったんだ。
 はじめに好きになったのはジョージィ・フェイムだった「The Ballad of Bonnie and Clyde」というシングルが大好きだったよ、それと初期のリー・ペリー、『Return Of Django』とデズモンド・デッカーの007の曲はよく聴いたな。
 その頃、1968年ぐらいにロンドンではじめのスキンヘッズ・ムーヴメントが起きていて、ちょうど僕も10歳で、そろそろファッションも気になりはじめていた。で、まわりのティーンネイジャーを良く観察してたんだ、どんな靴をはいてどんな服を着てるかをね。ある日、通りでリーバイスのジーンズをはいてる男の子を見たんだ、まわりにいた僕とおない年の子供が集まって「見ろよ! あれがジーンズだよ! ジーンズはいてるよ!」って騒いでね。その彼は「あっちいけ!」って言ってたけど、みんなまわりにあつまって騒ぎになったね。どうしたらそんな感じにタイトになるんだろう? って思って訊いてみたら、ジーンズは「はいたまま風呂で濡らすんだ」って教えてくれた。「値段は?」って訊くと「5ギニー」だった、5ギニーっていうと当時で6ポンド弱ぐらいかな? 10歳ぐらいの僕には買うことができないけど、母はテディー・ガールだっただけあって、どうしてもリーバイスのジーンズが欲しい僕の気持ちをわかってくれてね。それで似たようなジーンズを買ってくれたよ。
 次はブーツだった、年上のみんなはドクターマーチン、いや当時だとホーキンスだね。僕らキッズはタフスウェイファインダー*(1) という靴底にコンパスがついている登山靴のような安いブーツを手に入れて、気分だけでも年上のファンションを身につけたかったんだ。でも彼らは僕たちのファッションをテスコボマーズといってバカにしてたよ、テスコって安売りで有名なスーパーなんだけどね。

脚注
(1)タフス・ウェイ・ファインダー(Tuff's way finder)ウェイファインダーブーツ
子供用の安全靴。ボーイスカウト公認・学校推薦とあります。
https://www.flickr.com/photos/22326055@N06/3611965790/

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まわり中のソウル・ボーイがセックス・ピストルズの出現とともにあっという間にパンクになった、それからみんな自分の音楽を作りはじめたよ。うまいとかへたとかをまったく気にしないでね。みんなレコードを作りはじめた、スティーヴィー・ワンダーのようにうまくなくてもいいんだ。

1968年のスキンヘッズってどんなものだったんですか?

テリー:彼らがたぶんオリジナルのスキンヘッズなんだと思うけど、黒人のコミュニティとも仲がよくて、スカやソウルを聴いて、黒人と同じようなもの、アメリカ風の服やイギリスのワークウエアを着てる若者だね。80年代のスキンヘッズのような右翼的な政治性はまったくなかったんだ。髪型もほんとのスキンでなくベリーショートって感じでね。それが1971年までのロンドンの若者だね。
 それ以前、62年ぐらいからは、モッズ・ファッション、ロンドン中のすべてのキッズがモッズだった。67年、ビートルズが『サージェント・ペッパーズ~』を出したあたりからは、サイケデリックなファッションが流行りだしたけど、当時のスキンズはそのサイケデリックに行きたくないエクストリーム・モッズだったね。だからみんなソウルやスカを聴いていた。でも面白いことに1972年以降そのスキンヘッズも髪を少しのばしてフレアパンツをはくんだ。そのヘアースタイルをスウェードヘッドっていうんだけど。デヴィッド・ボウイの『ジギースターダスト』の頃の髪型わかる? あれ。もちろんロキシー・ミュージックとかも聴いていたけど、ロンドンではノーザンソウルの流れがやってくるんだ。

その後、あなたがティーンネイジャーの頃はどうでしたか?

テリー:僕は16歳で高校を中退して、ガスの配管の仕事をはじめた。その仕事をはじめて1~2年したあたりで、すっかりアメリカのソウルにはまってしまって、完全なソウル・ボーイだったよ。毎日踊りに行くようになって、だんだん仕事にもいかなくなってね、結局もっと休めるバイトに切り替えて、あまりかしこい方法ではないけど(笑)。
 1975年、まわりの同年代はほんとにアメリカのソウルに夢中で、まさにパンクの1年前だよ。髪の毛をブロンドや赤に染めて、短くしてアメリカ製のファッションをしてた。その頃から僕も自分で音楽をやりたいと思いはじめた、ディジー・ガレスピーやラロ・シフリンなんかの当時よく聴いていたアメリカのジャズ・ミュージシャンに憧れてね。でも彼らは本物のミュージシャンだった。とてもあんな風には音楽を作ることはできなかったよ。僕らにはまだコンピュータもなかったしね。
 そして1976年、突然パンクがはじまるんだ。まわり中のソウル・ボーイがセックス・ピストルズの出現とともにあっという間にパンクになった、それからみんな自分の音楽を作りはじめたよ。うまいとかへたとかをまったく気にしないでね。みんなレコードを作りはじめた、スティーヴィー・ワンダーのようにうまくなくてもいいんだ。

とはいえあなたはパンクには行かなかったですよね、なぜですか?

テリー:ちょうど70年代の後半にロンドンでもナショナルフロントが大きな勢力をもちはじめてね、パンクスやスキンズはときにそういう行動するやつも多かったからね、それとマッチョなスタイルが好きじゃないんだ。僕はやっぱりソウルが流れるクラブが好きだったし、そこには黒人のキッズやたくさんのジャマイカ移民の友だちもいた。僕は彼らととても仲がよかったから、パンクに行くことはなかった。僕らがいたコミュニティもいろんな人種がいることでとても面白い状況だったよ。

じゃあ、ザ・クラッシュがレゲエを取り入れたり、ザ・スペシャルズに黒人メンバーがいることなんかはどう思ってました?

テリー:スペシャルズやクラッシュを聴くには、僕はもう年をとりすぎていたよ。もう20歳を超えていたからね。あれはティーンネイジャーのための音楽だったからね。ほんとに熱心に聴いていたのは12~13歳のキッズだよ。僕はその頃レゲエが大好きだったから、〈2トーン〉は聴かなかった、1979年のロンドンはラヴァーズロックが大流行したから、デニス・ブラウンやグレゴリー・アイザックなんかだね。ラヴァーズ・ロックってソウルのカヴァーが多いだろ、それもよかった。
 それに僕たちはもっとピュアなソウル・ボーイだったから、お金は洋服につかっていた。ちょうどデザイナーズ・ブランドが出て来たころだしね。キングスロードにザパータっていうマロノ・ブラニックの初めてのデザイナーシューズの店やブラウンズっていうゴルチエやヨージヤマモト、ギャルソンの服を初めてロンドンに置いた店なんかがお気に入りでね。ザパータでは当時マロノ・ブラニックがお店にいて、僕らが行くと「ファンタスティック! 若い人がきてくれるなんてうれしい」って言ってくれたよ、もちろん値段は高かったけど。ブラウンズはいまでもあるはずだよ。そいうお店が大きな影響力を持っていたね。

当時のあなたのいたロンドンのカルチャーを描いた、例えば『さらば青春の光』みたいな映画や本はなにかありますか?

テリー:そのものを描いたわけではないけれど、僕らの世代にもっとも大きな影響を与えたのは『アメリカン・グラフィティー』だよ、でも音楽じゃなくてファッションだけどね。音楽はどうでもよくて(笑)、映画が上映されるとキッズはみんなボーリングシャツにリーバイスになってしまった。それにアメリカのヴィンテージ・カー。この映画のおかげでアメリカの古着がマーケットに溢れたのを覚えているよ。そう、毎週土曜日なるとキングロード・クルーズといって、自慢の50年代や60年代のヴィンテージ・カーに乗ってテッズがパレードするんだ。数千人の見物客がいてね、まだ15歳ぐらいだった僕もよく見に行ったよ。いまでもバタシーパークを中心にやってるんじゃないかな。それだけフィフティーズ・ファッションは人気があった、音楽は別だけどね。
 スキンヘッズやソウルボーイについて言えばリチャード・アレンの『Skinhead』*(2) だね、すべての12~13歳ぐらいの子供はスキンヘッズだったよ! この物語は『Suedehead』、『Smoothies』と続いていくんだけどすごく影響力があった。まさに60年代~70年代のロンドンのストリートの話で、主人公はチェルシーのファンなんだよ! おもしろいことに60年代のロンドンの下町は話言葉もちょっと違っていて、アクセントや言葉の意味なんかも独特だったんだ、いわゆるコックニーだね。これはマーケットでよそものを騙すというか、そこでしか通用しない隠語で会話するんだけど、ちょっとでも多くのお金をまきあげる方法なんだよね。例えば階段のことを「アップル・アンド・ペアーズ」っていうけど、眼の前にいるよそ者にわからないように会話する方法なんだ。それがコミュニティをつなぐ重要な役割をしてたよ。これは多分ヒッップホップのコミュニティーとかでもそうだろう? ロンドンではコックニーとジャマイカンが混じったブラックニーという言葉があるよ。もう年をとった僕にもまったくわからない、いまのキッズの言葉もね(笑)。
 その言葉でラップするアーティストもいるよ、レディー・ソヴァリンっていうんだけど。彼女はキッズのクィーンだよ。トラックはダブステップやUKファンキーなんだ。現代のソウル・ボーイはUKファンキーやダブステップを聴いてるね、いまのシリアスなゲイ・シーンもそう、黒人の若いゲイが集まるパーティがアンダーグランドで盛り上がっているけど、そこでもUKファンキーやダブステップだよ、ファッションはまったくギャングスタ・ラッパーみたいだけど、話すととてもフェミニンなんだ、そんなことがはじまってるよ。

80年代になるとクラブにはまりますよね、どんなクラブに行きました?

テリー:コヴェント・ガーデンに〈シャガラマ〉というゲイ・クラブがあって、毎週土曜日にはかならずそこに行ってた。ベニーってDJが最高だった。コヴェント・ガーデンもまだ観光地じゃなくて、ほんとにマーケット(青果市場)だった。その奥のほうの倉庫が小さなクラブになっていて、年を取ったゲイが集まるクラブだった。いまのゲイ・クラブみたいに裸の男がいるようなクラブじゃなくて、とてもジェントルな雰囲気だった。そこに僕らのような20歳前後の若者がヴィヴィアンの服を着て、くるくる踊ってるんだよ。そこに集まるゲイはスーツを着て、たぶんビジネスマンなんだろうな、静かに僕らを見ながら酒を飲んでるんだ。ときどきおごってこれたりしながら、でもその安全な感じがよかったんだ。いまのゲイ・クラブとはほど遠いけどね。なぜならロンドンの他のクラブは酔っぱらいのケンカも多いし、まだ町にはたくさんのテッズがいた、彼らは、僕らがピンクのズボンとかはいてるとからんでくるし、黒人に対してもそうだった。そのクラブはそういうやつらに会わないし、もちろん音楽もアメリカのファンクやソウルだったしね。


1983年、若き日のテリー・ファーレイ。

脚注
(2)リチャードアレン『Skinheads』
スキンヘッズのライフスタイルやファッションの移り変わりを、暴力とセックスを交えて赤裸々に描いたティーン向けの冒険小説。
https://www.users.globalnet.co.uk/~jimthing/allen.htm

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スペシャルズやクラッシュを聴くには、僕はもう年をとりすぎていた。20歳を超えていたからね。あれはティーンネイジャーのための音楽だったから。ほんとに熱心に聴いていたのは12~13歳のキッズだよ。1979年のロンドンはラヴァーズロックが大流行したから、デニス・ブラウンやグレゴリー・アイザックなんかだね。

それから1986年に〈ボーイズ・オウン〉のファンジンをスタートさせるんですね、その頃の話を聞かせてください。

テリー:僕たちはみんな同じクラブに行ってたんだ、〈ホワイト・クラブ〉や〈マッド〉みたいなね。スティーヴン(・ホール)は僕のすぐ近くに住んでいて、よくいっしょにチェルシーの試合を見に行ってたよ。アンドリュー(・ウェザオール)は僕らの地元から2マイル離れたウインザーに住んでいて、すごいポッシュ(豪華な)な住宅地なんだけど(笑)、彼はサイモン(・エケル)と友だちだった。彼らはいつもクラブで会うメンバーだったから、ある日クラブが終わってサイモンのフラットに集まって、アンドリューがレコードをプレイしていたとか、僕が「ファンジンをやらないか?」って言ったんだ。みんなとてもインテリジェントな仲間だし、このチームでなにかできそうだと思ってね。僕は『ジ・エンド』っていうリバプールのファンジンが好きだったんだ、この『ジ・エンド』のロンドン・ヴァージョンをやろうと思ったんだ。
 『ジ・エンド』はフットボールとファッションと音楽がテーマで、このすぐ後にファームというバンドを結成するピーター・フートンがやってたんだ。知ってるよね? "Groovy Train"や"All Together Now"の大ヒットを出した彼らだよ。はじめの2冊は500部作って、ほんとんどの記事は僕とアンドリューが書いたんだけど、それがまあまあ売れて、他のみんなも記事を書いてくれるようになった。当時はまだ手書きだったんだ。僕の母が秘書をやっていたからタイプしてもらって、それをコピーして切り貼りだよ、ほんとに手作りさ。それからだんだん人気が出てきて、簡単な印刷機を手に入れて、最高に売れたやつは2000部も作った。そうさ、1988年のアシッド・ハウスがはじまったときだよ。

どんなテーマでファンジンをつくったんですか?

テリー:はじめはほんとに『ジ・エンド』のコピーだったよ、どんなジャージがかっこいいとかね。自分たちがクールだと思うことは何か? っていうのが大事だった。当時の若者は雑誌の情報をありがたがってたからね、だから典型的なファッション・ピープルでもないし、典型的フーリガンでもない自分らのためのもので、まさにアンチ『The Face』、アンチ『ID MAGAZINE』、アンチ・ソーホー・ピープルだね。

ボーイズ・オウンというタイトルはどこから?

テリー:イギリスにとても古い子供向けの子供雑誌があって、それが『ボーイズ・オウン』*(3) っていうんだよ、これはコミックで、冒険や、そうだなー、海賊やインディアン、それにカーボーイなんかが出てくる男の子向けのものなんだ。それとフットボール・カジュアルズってわかるかな? デザイナーズ・ブランドを着たフーリガンのことなんだけど、彼らはチームのユニフォームやチームカラーの服を着ない熱狂的なフーリンガンで、彼らのことを「ボーイズ」って呼ぶんだよ、たとえばマンチェスター・ユナイテッド・ボーイズとかね。そのふたつの意味をこめて〈ボーイズ・オウン〉なんだ、ダブル・ミーニングだよ。いい名前だろ(笑)。
 オリジナルの『ボーイズ・オウン』のイメージも大きなヒントになっている。カヴァーで使っているむかしの子供たちの写真とか、オールド・ファッションなコックニーの子供たちの表情なんかでね。イラストはデイブ・リトル、彼は僕がピート・トンと1986年にやっていたパーティ〈ライド〉のフライヤーをデザインしてたんだ。

その頃のピート・トンはなにをしてたんですか?

テリー:ピート・トンはもうロンドン・レコーズで働いていて、初期のシカゴ・ハウスなんかを出していたよ。彼は70年代や80年代にソウル・マフィアというソウル、ファンクの大きなパーティで若手DJとしてやっていた。彼はソウルやファンクにヒップホップを混ぜてプレイしていたよ、ポール・オークンフォルドもヒップホップをプレイしていた。〈ライド〉では僕がウォームアップで、ピートが出てきて、最後がオークンフォルドだった。
 オークンフォルドはこの時期にレーベルをスタートして、初期の〈デフ・ジャム〉のスタッフをリリースしていた。彼がロンドンではじめての〈デフ・ジャム〉のパーティを、ランDMCとビースティ・ボーイズを招いてやったんだ。その時のアフター・パーティで僕がDJしたとき、レゲエやソウルしか持ってなかったから、彼にどうしたらいいか訊いたら、「ドラムブレイクをえんえん続ければいいんだ」っていわれて、で、それをやってたら客からブーイングがきたよ(笑)。

初期の『ボーイズ・オウン』ファンジンではヒップホップが大きなトピックになってますよね?

テリー:ロンドン中のクラブがヒップホップで盛り上がっていたよ、それにレアグルーヴ、ブレイクビーツ、それとゴーゴー、とくにトラブル・ファンクとチャック・ブラウンがすごい人気だった。もちろんハウスもあったけど、まだアメリカからの輸入盤ばかりで、情報がそんなにないからDJもあまりプレイしなかったね。フランキー・ナックルズは人気あったよ。
 とにかく、アシッド・ハウスが出てきてすべてが変わったんだよ。それまではみんな古いソウルやファンク、レアグルーヴを探し回っていたのに、一夜にして新しいトラックばかりになったよ。

1986年あたりといえば、ザ・スミスに代表されるインディ・ロックがまだ人気がありましたよね、それについてはどう思ってました?

テリー:僕はまったく好きじゃなかった、僕はブラック・ミュージックが好きだからね。でもイギリス中で大流行りだったし、ロンドン中にモリッシーみたいなやつが大勢いて、下を向いてたよ(笑)。
 アシッド・ハウスがはじまって、それからアンドリューもダニー・ランプリングもよくポップ・ソングをプレイするようになったんだ、ABCとかクリス・アンド・コージーの"October Love Song"とかね。これは完全にエクスタシーの影響なんだよ。それまでくだらないポップ・ソングだと思っていた曲がパーティで突然別の意味を持ってしまうんだ。エクスタシーがものすごくクリエイティヴに働いて、音楽が別の聴こえ方をする、1988年のシーンにはなにかスピリチュアルな雰囲気があってね。

その時期の状況をもっとくわしく教えてください。

テリー:僕はよくジ・オーブのアレックス・パターソンといっしょにオークンフォルドの〈スペクトラム〉というパーティのサブフロアでDJをやっていた、そこで昔からの歌ものの曲を良くプレイしていた、たとえばジャッキー・ウィルソンの"Sweetest Feeling"とか、60年代の曲なんだけど、その曲を全員がエクスタシーをやっているアシッド・ハウスのパーティでプレイするとみんながブースにやってきて「ワ~ォ! この曲ってこんな曲なの! これだよ!」って口々に言うんだよ(笑)。もちろん有名な曲だから、聴いたことはあるはずなんだけど、まったく別の意味で聴こえてたんだ。
 同じような意味で、僕もプライマル・スクリームやハッピー・マンデーズが理解できたんだ。それまでソウルやファンクばっかりだった人がインディやハウスを聴きはじめ、インディしか聴かないキッズがハウスやソウルを聴きはじた。エクスタシーがそれまで閉じていた僕の心の扉を開いたんだね。そしてパーティに来ているすべての人がオープンマインドになっていった。ほんとに奇跡のようにマジカルな時期だった。クリエイティヴでね!
 クラブにいるみんながもし同じヴァイブでポジティヴだったら、DJはどんな曲をプレイしてもオーディエンスは受け止めてくれるし、それぞれに意味を見つけるんだ。そしていちどその意味を知ってしまったら、もう戻らないんだよ。あの時期そうやってどんどんシーンが大きくなっていったんだ。

誰が1988年のロンドンのシーンにアシッドやエクスタシーを持ち込んだんですか?

テリー:1985年からエクスタシーはあったんだよ、当時はアメリカではまだ合法だったし、夫婦のカウンセリングで使われていたらしいよ。すごいよね(笑)。1988年以前にパーティには持ち込まれていなくて、一部のファッション・デザイナーやカメラマンとかモデルがVIPルームでやってたよ。
 〈タブー〉*(4) ってクラブ知ってる? そことかね。そのあとハウスが出てきて、ハウスとエクスタシーの相性がすごいってことがわかってきて、だんだんお互いが近づいていって、それでブレイクした。
 それともうひとつハウスとエクスタシーが結びついたのがイビサだよ、ダニー・ランプリングやポール・オークンフォルド、ニッキー・ホロウェイだ。でも、音楽はもうロンドンにあったから、彼らがドラッグとハウスが最高だっていう情報を持って帰ってきたんだよ(笑)。ものすごいぞ! って言いながらね(笑)。それまでは別々にハウスもエクスタシーも存在してたんだ。そしてなによりも大事なのはクラブにいる全員がやってると、ものすごいエネルギーになるってことなんだ、そこにいる全員がエンジンとなってパーティを動かすのさ。

はじめてのエクスタシー体験はどうでした?

テリー:はじめては1986年のブライトンだった、クラブから帰る途中で効いてきたけど、まだよくわからなかったよ。これ効いてるのか? っていう感じで。実際に実感したのは〈ソウル・ウィークエンダー〉というニッキー・ホロウェイのパーティだった。ジョニー・ウォーカーがDJで、ジョージ・クランツの"Din Da Da"がかかっていて、ダニー・ランプリングがイビサから帰ってきてすぐだったと思うけど、彼が突然イビサ・ダンスをはじめたんだよ。それを見ていきなりはじけたんだ(笑)。いっしょに行っていたエクスプレス2のマネージャーのクリスがスピーカーに頭を突っ込んでね! あの頃のパーティにはかならずそういうやつがいたよ。みんながアシッド・ハウス・ダンスをしていた(笑)。
 これはサーフィンといっしょで、立つまでが難しいけど、いちど立ってしまえばあとは自然にわかるものなんだ。それとエクスタシーのすごいところはみんなと共有したくなるだろう、コークだとひとりでトイレに籠ってしまうし、みんなに分けるってこともないけど、エクスタシーはその状態を知らない人に教えたくなるんだよ。

脚注
(3)ボーイズオウン(Boy's Own Paper)
日本でいうところの『少年クラブ』や『冒険王』などのコミック誌
https://en.wikipedia.org/wiki/Boy's_Own_Paper

(4)タブー(Taboo)
リー・バウリー(https://en.wikipedia.org/wiki/Leigh_Bowery)のクラブ、ゲイやデザイナー、ドラァグ・クイーンなどの集まってた店、戯曲風の映画にもなってる。

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よくいっしょにチェルシーの試合を見に行ってたよ。アンドリューは僕らの地元から2マイル離れたウインザーに住んでいて、すごいポッシュな住宅地なんだけど、彼はサイモンと友だちだった。ある日クラブが終わってサイモンのフラットに集まって、アンドリューがレコードをプレイしていたとか、僕が「ファンジンをやらないか?」って言ったんだ。

1989年にはシーンが大きくなりますね、ロンドンにはどんなパーティがありましたか?

テリー:ダニー・ランプリングの〈シューム〉は、最初は100人ぐらいの小さいところでスタートしたけど、すぐに2フロアある会場に移って、僕とアンドリューがサブフロアのレジデントになった。バレアリックなパーティだった。それからオークンフォルドの〈フューチャー〉、彼とナンシーっていうDJがレジデントをしていた。こっちはもっとインディよりでハッピー・マンデーズやプライマル・スクリームが盛り上がっていた。僕はそこでもたまにDJをやっていたんだけど、ある日、アンドリューが出来上がったばかりのアセテート盤を持って来て「これをプレイしてくれ」っていうんだ。それがプライマル・スクリームの「Loaded」だったよ! 「ほんとにこれおまえが作ったの?ってきくと「そうだよ!」っていうから驚いたよ、僕の友だちがこんなにすごい曲をつくたんだ! 信じられない! ってね。
 〈シューム〉はよりハッピーなパーティだったけど〈フューチャー〉と〈スペクトラム〉はよりシリアスな雰囲気だった。とくに〈スペクトラム〉はポール・オークンフォルドがメインルームでベルギーのニュービートをよくプレイしていたね。それからニッツァー・エブ、フィニ・トライブやウッデントップス、僕は10シティやマーシャル・ジェファーソンなんかの、よりソウルフルなハウスをプレイしていた。

はじめてイビザに行ったのはいつですか?

テリー:1981年だよ、友だちといっしょにね。クラブは〈クー〉が流行っていたけど、まだ若い僕たちはどうもなじめなくてね、あれはたぶん〈スタジオ54〉とかの影響なんだろうけどお、金持ちがいっぱい来てるって感じだった。もう行かないと思ったよ、でも1989年には〈アムネシア〉がオープンしたときに、また行ったんだ。

あなたもプライマル・スクリームの"ローデット"をリッミクスしてますね、当時のスタジオワークはどんなやり方だったんですか?

テリー:あの頃僕にはレコーディングに詳しいスタッフとかもいなかったから、スタジオでどうしていいかわからず、ほんとに大変だったよ。僕は15歳からDJをやっているから、どんなサウンドが必要かはわかっていたんだ。でもそれをうまくエンジニアに説明できなくてね。素材は24チャンネルのマルチテープでコントロール卓はSSLだった。それをテープで切り貼りしながらエディットするんだ。そこでテープを聴きながら、「この部分!」とかフレーズを歌ったりしながら編集して、ドラムサンプルを入れたりするんだけど、エンジニアが全然わかってくれないんだ。彼らはロックのエンジニアで、僕らDJのことがあまり好きじゃなかった。もっとベースをヘヴィにとか、リズムを大きくとか言ってもなかなか素直にやってくれなくて、ようやくいい感じになって、ちょっと食事に行って帰ってくると元通りになってたりしてね。キックを上げるとこんなサウンドは良くないとかね、みんな自分たちのスタイルから外に出ようとしなくて困ったよ。当時エンジニアはロックやポップスしか知らなかったからね。アンドリューと僕がやった""ローデット"のときのエンジニアは、辛抱強くやってくれて、とても助かったのを覚えてる。

あの時期にあなたがリミックスしたハッピー・マンデーズ、ファーム、スープ・ドラゴンズなんかのリミックスも同じような方法でやってましたか?

テリー:そう、いつもベースをあげてリズムのエッジを立てて、リズム・サンプルを加えて。それとよくエディットしていて失敗すると以外に面白いフレーズになったりするんだけど、そういうのをよく使っていた、それがうまいライヴ感を出すんだ。ドラムマシンはE-MU SP 1200を使ってたよ、トッド・テリーとおなじやつで、アメリカン・サウンドだね。

"ローデット"のリミックスはアラン・マッギーからの依頼だったんですか?

テリー:う~ん、よく覚えてないんだけど、たぶんボビーから直接たのまれたよ。アンドリューといっしょに〈ボーイズ・オウン〉のパーティをやっているときに、ボビーはいつも来ていて、ほんとにエクスタシーでフラフラになっててね。それで僕のDJを聴いて、頼んできたんだと思う、でもアランもいつもいっしょに来てたな。

ハッピー・マンデーズのはトニー・ウィルソンからの依頼ですか?

テリー:いや、マンデーズはショーンからだよ、彼もいつもパーティに来てたからね。でも僕とアンドリューがマンチェスターに行ったときは、トニー・ウィルソンがインタヴューしてくれたよ。彼は地元のテレビでインタヴュー番組をやっていたからね! いまでもユーチューブで見れるよ。そうだ、マンデーズのリミックスは彼らのアメリカのレーベルだったワーナーからの依頼だったよ。

ストーン・ローゼスについてはどう思ってました?

テリー:"フールズ・ゴールド"は最高だったよ。僕も〈フューチャー〉でDJをしているときは毎週プレイしてた。でもバンドがスパイク・アイランドのコンサートをやる頃、僕はもうイタロ・ハウスやピアノ・ハウスに夢中だったから、あんまり興味がなかったんだ。

1992年に〈ボーイズ・オウン〉のファンジンが終わってしまうのはなぜですか?

テリー:アンドリューがこう言ったんだよ、「俺もう30歳こえてるから、もうキッズみたいなことやめたいんだ(笑)。まあこれは冗談だけど。実際のところはある記事で「キッカーズのブーツがクールだ」って書いたんだ、しかも冗談でね。それでその号が出たあとの〈スペクトラム〉で、もうその頃はオープン前に長い列がクラブの前にできてたんだけど。そこでみんながキッカーズをはいてるんだよ! 400人以上のオーディエンスがバギー・ジーンズにキッカーズだよ。みんな本気に取り過ぎだと思ったね、僕らは『ザ・フェイス』や『ID』じゃないものを作ろうとしたのに、ロンドンでは僕らがまさに『ザ・フェイス』や『ID』と同じような存在になってしまったんだよ。それでもう止めようってことにしたんだ。

その頃からレーベルとしての〈ボーイズ・オウン〉がスタートするんですか?

テリー:そうだね、ちょうど1990年から1991年のファンジンの終わる前ぐらいに、ボカ・ジュニアズのリリースをするんだ。それが〈ボーイズ・オウン〉レコードだよね。でもその時期は、ロンドン・レコードと契約してリリースしたから、正確にはどれぐらい売れたから覚えてない。7枚ぐらいリリースしたけど、そんなに大きく成功することはできなかった。僕らはある意味オリジネイターだったから、いろんなことを自分たちで切り開いていかないといけなかったんだ。
 金銭的に成功したのはそのオリジネイターが道をつけたその後にくる人達だったね。彼らは楽に成功できたよ。それで僕と後にアンダーワールドのマネージャーをやることになるスティーヴンでもういちどいちからレーベルをスタートさせることにした、それが〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉だよ。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉はソニーと配給の契約をすることができた、それでアンダーワールドと契約するんだ。オリジナルの〈ボーイズ・オウン〉レーベルは僕とスティーヴン、アンドリューとサイモン、みんなでやっていたけど〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉は僕とスティーヴンのふたりなんだ。

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集まるのは25歳から40歳以上の人たちだろ、ティーンネイジャーはハウスなんて大嫌いだよ。僕がロンドンでDJやるときに、それが〈ミニストリー〉でもいっさいキッズはいないしね。みんなダブステップを聴いてるよ、

アンダーワールドとの出会いを教えてください。

テリー:スティーヴンが昔からダレンと友だちだったんだ、彼らは同じエセックスの出身で、ダレンはかなり早い時期からDJをやってたよ。ある日ダレンがプレイしているクラブに、まだニューウェイヴ・バンドだったアンダーワールドのふたりがやってきて、ちょうど彼らもなにか新しいスタイルを模索していたときで、ダレンを発見した。彼らの方向性はダレンの存在が大きな鍵となったんだ。これはアンドリューとプライマル・スクリームと同じような化学反応だね。

ケミカル・ブラザーズについてもお願いします。

テリー:彼らはアンドリューがマンチェスターでDJをしたときにやってきたんだ。ふたりはマンチェスター大学の学生だったからね、そのときにデモ・カセットをアンドリューに渡したんだ。それを聴いたアンドリューがほんとに気に入ってね、スティーヴンに「こいつら最高だからリリースすべきだよ!」ってプッシュしたことではじまったんだ。はじめ彼らはダスト・ブラザーズって名乗っていたけど、アメリカに同じ名前のヒップホップ・チームがいたからケミカル・ブラザーズに変えたんだ。

アンダーワールドやケミカル・ブラザーズがデビューした時期、イギリスではレイヴが大ブームでした。パーティも〈メガドッグ〉みたいなスタイルのサイバーな感じになって、サウンドもテクノ中心になりました。その時期あなたはどんなDJをしていたんですか?

テリー:そう、その時期僕はまたソウル・ボーイに戻っていたね。だからニューヨーク・ハウスが中心だった。この頃はじめてビリー・ナスティーといっしょに日本にいったよ。リキッドルームと京都のマッシュルームだった。ガラージ・ハウスをよくプレイしてたね。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉でもそういうハウス・トラックを何枚かリリースしたけど、あんまり売れなかったね。それでサブ・レーベルの〈ジャス・トラック〉を作ったんだ。
 でも〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉もとくにサウンドにポリシーがあったわけではないよ、自分たちが面白いと思うものならなんでもリリースした。これはファンジンのときから変わらないアティチュードだ。不変的なコンセプトさ。
 だって、アンダーワールドとケミカル・ブラザーズでも全然違うだろ。これはパーティといっしょで、僕とアンドリューのスタイルは違うけど、それぞれに影響しあえるだろう、ほとんどのアシッド・ハウスのパーティはレイヴァー中心だったけど〈ボーイズ・オウン〉のパーティはアンドリュー目当てのインディ・キッズもいれば、ソウル・ボーイもいる、もちろんレイヴァーもね。それにサイモンはファッションシーンに友だちが多かったしね、いろんな人たちがそれぞれに集まるんだ、それがパーティなんだよ。

〈ボーイズ・オウン〉でも野外レイヴをやったことはありますか?

テリー:初期はよく行ってたよ、シーンがまだスピリチュアルな雰囲気を持っていた頃だね。でもすぐにレイヴがビッグになって、金儲けの手段となってしまった頃には距離をおいていたね。〈ボーイズ・オウン〉のパーティは5000枚のチケットを売ることができたけど、つねに500人のパーティをやっていたんだ。
 僕たちはセルアウトしないと決めていた。いいレイヴもほんとにいっぱいあったけど、僕らにとっては何かが違った。〈ボーイズ・オウン〉でやったこともあるよ、1988年に、これはほんとに仲間だけで200人ぐらいかな、郊外の個人の大きな庭園を借りたんだ。そこにはボーイ・ジョージやフランキーゴーズトゥーハリウッドのポール・ラザフォードも遊びに来た。朝にはボーイ・ジョージが弾き語りで歌ってくれたりしてね。その家の子供たちがボーイ・ジョージの歌う姿みて驚いていたよ(笑)!
 それとその後にいちど大きな野外パーティをやったけど、1989年以降はだんだん運営が大変になってね。セキュリティーを雇ったり、ドラッグ・ディーラーがやってきたり、いろんな人が集まるから問題も多くてね。そうしているうちに、レイヴやパーティが大きな社会問題になってしまったんだよ。僕らもいちどロンドンで〈ボーイズ・オウン〉のウェアハウス・パーティをやったとき、夜明けに警官がドアを蹴飛ばして入ってきて、サイモンは逮捕されて、さらに売上金を全部没収されてしまった。しかもサイモンは1年間パーティ・オーガナイズを禁止されて、なにもできなくなってしまった。

90年以降のレイヴはテクノが中心ですよね、ハウスは完全にアンダーグラウンドになってしまっていたんですか?

テリー:そうだね、つねに新しいサウンドは変化してゆくからね。10年前にメイン・ストリームだったビートは10年後にまたアンダーグラウンドになるんだよ。僕も2000年以降の10年間はハウス中心のDJをしている、でも集まるのは25歳から40歳以上の人たちだろ、ティーンネイジャーはハウスなんて大嫌いだよ。僕がロンドンでDJやるときに、それが〈ミニストリー〉でもいっさいキッズはいないしね。みんなダブステップを聴いてるよ、
 でも面白いことに最近ダブスッテプのDJが昔のハウス、例えば初期の〈ディープ・ディッシュ〉なんかのトライバル・レコーズのトラックを使ったりしているんだよ。面白いよね、彼らには新鮮に聴こえるんだろうね。

1992年にはエクスプレス2のデビュー・シングルをリリースしますね、彼らとはどういう出会いだったんですか?

テリー:彼らは〈ボーイズ・オウン〉パーティに来てたんだよ、ロッキーはまだ19ぐらいだったんじゃないかな。彼らはまだキッズだったよ、それからフィル・ペリーのやっていた日曜日のアフターアワーズでよく会うようになって、ロッキーとディーゼルに〈ボーイズ・オウン〉パーティのウォームアップDJをやってもらうようになったんだ。ある日彼らがデモを持って事務所にやってきてね、それが"Muzik Xpress"だった。
 びっくりしたのが当時あの曲のようなサウンドは、ほとんどアメリカのレーベルやDJがやっていたスタイルだった。だから彼らのような典型的なロンドンのキッズがこんな曲を作るとは思わなかったよ。僕やアンドリューは思いっきりイギリス的だから、驚いたんだよ。次の日彼らにこれをリリースするよって言ったら「ほんと! イェー!」って大喜びだった。それでプロモーション盤をハシエンダでDJをやっていたマイク・ピッカリングに送ったら、あっという間にマンチェスターで最高のフロアヒットになって、2週間後には国中のクラブでプレイされてたんだ!
 それで今度はニューヨークの〈サウンド・ファクトリー〉でDJをやっていたジュニア・ヴァスケスに送ったら、彼は2枚使って30分もこの曲をプレイした、30分だよ! それからニューヨークやシカゴから大量の注文が入って、最終的に50000枚以上売れた。彼等らの初めてのレコードなのにね、すごいことだよ。

1990年代半ばからシーンやあなたのDJとしてのキャリアはどうなっていったんですか?

テリー:90年代中旬以降、僕とピート・ヘラーはそれこそ世界中でDJをした。ロンドンでは〈ミニストリー〉、リバプールでは〈クリーム〉が多かったね。でも90年代後半は僕もピートも〈サウンド・ファクトリー〉的なヴァイヴが好きだったんだ、ダビーでファットなベースラインのサウンドだよ、ほんとにディープなクラブの音って感じのやつ。でもDJでいろんなところへ行くと、みんなに「もっと自分の曲をプレイしてくれ!」って言われるんだ。
 僕らはほんとにいろんなところでDJしたけど、テクノ・ファンにはハウシー過ぎるし、ハウス・ファンにはテクノ過ぎるって言われてたよ。いまでもそうだね。でもファンジンもレーベルもそうだったけど、自分がいいと思うことをやりたいんだ、DJも同じだよ。これは僕らのアティチュードなんだ。そして「次になにが来るのか?」ってことを探しまわりたくはないしね、時代をサーフするつもりもないからね。
 でも時々大変なこともあったよ、イタリアなんかでは「ウルトラ・フレヴァプレイしろ!」、「ゼア・バット・フォー・ザグレイス・オブ・ゴッドはどうした!」ってお客さんが怒りだして驚いたよ。

レーベルとしての活動が終わってしまったのはいつですか?

テリー:2005年ぐらいから赤いジャケットのジュニアのリリースはしていない。止めてしまったわけではないよ。過去のカタログは〈ディフェクテッド〉からデジタル・リリースしてるしね。でもやっぱりそれまで10000枚売れていたヴァイナルが突然1000枚とかになったのは大変だった。
 いまはレーベルにとっても厳しい時代だね、ヨーロッパでもっとも成功しているハウス・レーベルである〈ディフェクテッド〉でも音楽のセールスよりDJブッキングのほうがお金になってるんだ。そういう意味ではもうエージェントだね。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉は時代の役目を果たしたんだろう。あのとき僕らは必要とされていたんだ。すべてとは言わないけどうまくやれたんじゃないかな、いまはもう新しい才能が出てきても、レーベルもディストリビューターも必要ないからね、自分でビートポートへ曲を出せばいいんだよ。それにDJがそれぞれみんな自分のレーベルをやっているしね。僕ら〈ボーイズ・オウン〉はあのときほんとに必要とされていたんだ。キッズにとってパンクが必要だったようにね。

では最後に、あなたは『フェイス(Faith)』というファンジンをやっていますね、なぜいまファンジンなんですか?

テリー:基本的には〈ボーイズ・オウン〉とまったく同じ理由ではじめたんだ。つまり『ミックスマグ』や『DJマガジン』が面白くないからね。それと『フェイス』のグラフィックデザインをやっているデザイナーが最高に才能があるんだ。彼となにかやりたかったしね。中身は相変わらずハウスやノーザンソウル、それと僕らの好きなDJをチェックしてる。僕らはダウンロードもやらないで印刷してるんだ。手に入れるのも大変だけど、これはレアなレコードや服を見つける喜びといっしょだよ。

★最新情報です。実は、テリー・ファーレイは9月にイギリスで公開される映画『Weekender』の音楽の監修を担当。これは90年代初頭イギリスを飲み込んだアシッド・ハウスとレイヴそしてパーティ・ライフ、あの輝ける時代を駆け抜ける主人公ふたりの物語。テリーがコンパイルしたサントラも3枚組で9月にリリース予定。そして、まもなくBoy's Own公認のロゴTシャツも発売予定!

ele-king vol.2  - ele-king

〈特別企画〉ルポルタージュ31
〈コラム〉浜岡、80年のアトミック・カフェ、そして現在へ
〈インタビュー〉ハドソン・モホーク1     他

 元あふりらんぽのピカチュウが、6/11~6/19までニューヨークで4本ライヴを敢行した。5月に光宙★魔呼斗(ピカチュウ&マコト)でアメリカをツアー、その後にニューヨークにやってきた。
 今回は共演バンドにあわせて、ドラム・ソロやフォーク・ソロを披露。Gals Forever、Man Forever、Soft Circle、Pika ☆Yuka と、全部で4バンドと共演した。一緒にプレイしたバンドは、みんなピカに共通するヴァイブを持っているバンド。

6/11 @Gutter
 初日は、ボーリング場でもあるGutterでドラム・ナイト。女の子のドラマーが集まったギャルズ・フォーエヴァー、オネイダのキッド・ミリオンがやっているマン・フォーエヴァーがピカとコラボレートした。
 ギャルズ・フォーエヴァーはピカと3人の女の子ドラマー(トム・トム・マガジンのミンディ、ハード・ニップスのエミ、シンダーズのケリー)からなる。基本、他の3人がビートを刻み、ピカが所々で、びっくりするようなおかずを入れる構成だ。ピカと女子ドラマーのコラボレートは、華やかで動きがあって面白かった。
 マン・フォーエヴァーは対照的に、かなりインテンス。ピカとマン・フォーエヴァー(オネイダのキッド、ヤーヤーヤーズのブライアン、トール・ファーのライアン)の4人が、静かにスネア・ドラムに向かい合って座り、ただただ延々とスティックで音を刻み続ける。途中ベースが入り、少し変化をつける。ギャルズ・フォーエヴァーとは対照的なマス的ドラム演奏で、違う面でのドラムの可能性を見せた。




6/11(sat) @ Gutter: Drum Night
オープニングのドラムナイトは、ピカがNYのガールズ・ドラマーとコラボレートした今回の特別企画、ギャルズ・フォーエヴァー。NYのサイケ・バンドの重臣、オネイダのキッドのドラム・アンサンブル、マン・フォーエヴァーは、今回はカルテットとして,ヤーヤーヤーズのブライアン、トールファーのライアンなど,凄腕ドラマーを起用。そして、NYのガールズ・メタル・ロック・バンド、ハード・ニップスが出演。

● Man Forever Quartet (With Brian Chase, Ryan Sawyer)
www.myspace.com/manforeverusa
● PIKA☆ & GALS Forever
www.myspace.com/moonmama2013
● Hard Nips
www.hardnipsbrooklyn

■Gutter: 200 N 14th street, Brooklyn, NY 11211 9pm $7
www.facebook.com/event.php?eid=132388193503159
www.thegutterbrooklyn.com/

6/16 @ pianos
 聖なる少女の夜、と命名された夜。ピカはフォーク・ソロのムーン・ママ(Moon♀mama)名義。共演は湯川潮音と元ライツで〈ドラッグ・シティ〉のアーティストでもあるソフィア・カナップ。大阪、東京、ニューヨークを代表するフォーク・ソング、しかも女の子という共通点の彼女たち。この夜は、『ピッチフォーク』の兄弟サイト「Altered zone」からエミリー・フライドランダーがDJとして出演した。
 湯川潮音は、ニューヨーク初ライヴで、天使のような透き通る歌声で観客を魅了した。小さい体から、驚くべきパワーを放ち、いちど歌に入ると最後まで止まらない。ソフィアはお似合いのサンドレスで、エフェクターを多用し愛らしいヴォイスを披露。とてもスウィートだった。
 Moon♀mamaは、ギター・フォーク・ソロで、ピカの歌声には心に強く感じるものを残した。日本語もあったがどの曲も観客をつかんで話さないパフォーマンスはさすが。

● Moon♀mama(Osaka...PIKA guitar folk solo)
● Sophia Knapp (NY) 
www.dragcity.com/artists/sophia-knapp
● Shione Yukawa (Tokyo)
www.yukawashione.com
www.myspace.com/yukawashione
● DJ:Emilie Friedlander (La Big Vic, Altered Zones)
www.myspace.com/labigvic
alteredzones.com

■Pianos: 158 Ludlow Street, New york, NY 10 pm $8
www.facebook.com/event.php?eid=147681128637541
www.pianosnyc.com/

6/17@ union pool
 ノースサイド・フェスティヴァル(ハイライトはガイデッド・バイ・ヴォイス)の一部のショーで、共演は、スター・スクリーム、ハード・ニップス、ソフト・サークル。
 スター・スクリームは、19歳(!?)のゲーム音楽にインスパイアされた、男の子たち。音的にオーディオ・ドレッグスのE*rockを彷彿させる。ハード・ニップスは、ブルックリン発の日本人女子へヴィー・メタル(!?)・ロック・バンド。このふたつで会場を盛り上げ、元ブラック・ダイスのヒシャムのソロ、ソフト・サークルへ続く。最近はふたり体制らしいが、今回はまったくのソロで、ヒシャムはキーボードをプレイ。その後、ピカのドラム・ソロ、続いて、ふたりのコラボレート。ヒシャムがギターで、ピカがドラム。お互い長く知っているふたりだが、今回初のコラボレートで、ふたりとも、何か新しい面がみえた。





6/17(fri) @ Union pool: NORTHSIDE FESTIVAL #1
ノースサイド・フェスティバルの一部。バッジホルダーを優先。
共演は、元ブラック・ダイスのヒシャム率いるソフト・サークル(1)、ゲーム音楽に深い影響を受けたスター・スクリーム(2)、NYのガールズ・メタル・ロックバンド、ハード・ニップス(3)で,ノースサイド・フェスティヴァルを盛り上げる。

● PIKA ☆( ex. afrirampo)
● Soft circle
www.myspace.com/softcircle
● Hard Nips
● Starscream
starscreamband.com

■Union pool : 484 Union Avenue. Brooklyn, NY 11211 8 pm $8
www.facebook.com/event.php?eid=166462670081394
unionpool.blogspot.com

6/19@ coco 66
 最後の日もノースサイド・フェスティヴァルの一部。ブラウン・ウィング・オーヴァー・ドライブ、フェアリーヴィジョン、SLZRD WZRD(ライトニング・ボルトのブライアンのベース・ソロ)とチボ・マットの本田ゆかさんとのコラボレートのPIKA☆YUKA(ピカ☆ユカ)。ブラウン・ウィング・オーヴァー・ドライヴは〈Tzadik〉などから作品もリリースしている、アヴァンギャルドでエクスペリメンタルなトリオ。
 フェアリー・ビジョンは、窓ごしに化粧する女子、望遠鏡でのぞく男の子がステージにずっといて、後で聞いたら歌詞の内容だった。SLZRD WZRDはライトニング・ボルトのベースのブライアンのソロ・プロジェクトで、女の子がヴォイス担当。ディヴィッド・ボウイを彷彿する衣装、蛍光電波を目と口から発し、シルヴァーの大きな紙を広げ、その上に乗って回り続けたり、クレイジーなパフォーマンスを繰り広げる。光のバランスが恐美しい。
 ピカ☆ユカは去年もやっているコラボレート。チボ・マットの再結成もあって、忙しい中参加してくれたゆかさんはキーボードとエフェクター、ピカはドラムとエフェクターを操る。このふたりがコラボレートすると音の遊びもしっくり収まるから面白い。






6/19 (sun) @ Coco 66: NORTHSIDE FESTIVAL #2
ノースサイド・フェスティヴァルの一部。バッジホルダーを優先。ピカは,チボ・マットの本田ゆかとのコラボレート、PIKA☆YUKA(1)として登場。共演は、ライトニング・ボルトのブライアン・ギブソンのベース・ソロ、SLZRD WZRD(2)と、エクスペリメンタル・ユニット、ブラウン・ウィング・オーヴァードライヴ(3)、そして、カート・ヴァイル、アメージング・ベイビーなどのメンバーが結成した、フェアリー・ヴィジョン(4)。

● PIKA ☆ Yuka ( ex. afrirampo, Cibo Matto)
www.wbr.com/cibomatto/
chimeramusic.com/ifbyyes.html
● SLZRD WZRD (member of Lightning bolt)
laserbeast.com
● Brown Wing Overdrive
www.myspace.com/brownwingoverdrive
● Fairy vision

■Coco 66: 66 Greenpoint Ave Brooklyn, NY 11222 8 pm $8
www.facebook.com/event.php?eid=213054528716003
www.coco66.com/
www.thelmagazine.com/newyork/NFSchedule2011/Page#sunday

#11:耳と言葉 - ele-king

深夜、ジャマイカから
6人の男が初めてやって来た
ディリンジャー
リロイ・スマート
デルロイ・ウィルソン
それからサウンド・オペレイター
ケン・ブースとUKポップ・レゲエ
バック・バンドにサウンドシステム
連中が何か言おうものなら
ここにはそれを聴くたくさんの黒い耳があるザ・クラッシュ"ハマースミス宮殿の白人"

 家のなかが狭いので、いろんな音が錯綜する。ほとんど家で仕事をしているので、当たり前の話、家では長い時間、音楽がかかっている。小学校から帰ってきた子供は、僕がそのときアンビエント・ミュージックを再生していようが、ポスト・ダブステップを再生していようが、あるいはリトル・テンポを再生していようが、「うるさい」と言う。いつもではないが、たびたびそれは言われる。どんな名盤も、どんな名演奏も、それを「聴こうとする耳」がなければ騒音に過ぎない。それが音楽というものを成立させている重要な要素だ。
 いつからか日本の音楽誌はインタヴュー記事の占める割合が増えていった。いまではインタヴュー記事だらけの雑誌が主流じゃないだろうか(僕が数年前まで関わっていた『remix』という雑誌などひどいものだった)。ミュージシャンの連載も目に付くようになった。インタヴュー記事やミュージシャンの言語活動は、面白いものもあれば面白くないものもある。人気ミュージシャンであればその言葉を有り難がるファンもいるし、新人ミュージシャンであれば自己紹介となる。それはそれで意味がある。メディアであまり取り上げられない才能あるミュージシャンの声を拾うことも媒介者として大切な働きのひとつだし、「いま、この人の言葉を聞きたい」といういこともある。問題は誌面なりメディアにおける比重が、作り手の言葉に大きく傾いていったことだ。

 言うまでもなくミュージシャンとは音で表現している人たちのことを言う。ミュージシャンの言語活動とは、たいていの場合は新作が出たときのプロモーション活動の一環としてある。なかには言語表現の才能にも恵まれているミュージシャンもいて、そういう人は本を出したりもする。音楽活動よりも自分の言語活動のほうが売れる人もいる。その逆のパターン、つまり言語活動をしていた人が音楽家として売れてしまうということは、日本ではまだないし(イギリスにはけっこういる)、どうも日本の音楽シーンにおける言語活動は軽んじられているようなきらいがある。音楽メディアは、文筆家の言語活動の成果よりもインタヴュー記事すなわち音楽家の言葉のほうが多くなってしまっている。しかし、それは音楽文化にとって本当に良いことなのだろうか。

 冒頭に引用した歌詞は、ザ・クラッシュの有名な曲の歌い出しで、僕はこの曲を先日惜しまれつつ終刊した『SNOOZER』の「のだな対談」の最終回の「譲れない10曲」のひとつに挙げた。高校生の頃からずっと好きな曲で、パンキー・レゲエの曲調もたまらないし、何よりも最初のヴァースの最後にある「And if they've got anything to say/There's many black ears here to listen」というフレーズが良い。「連中が何か言おうものなら/ここにはそれを聴くたくさんの黒い耳がある」、この簡潔な言葉は音楽のありかたを見事に表している。
 「それを聴くたくさんの黒い耳がある」ことは音楽において極めて重要なことだ。「黒い耳」とは、リスナー=音楽に感応する者を指す。その存在があってそれは初めて音楽となる。音楽文化における言語活動とは、言葉表現とは「黒い耳」のことに他ならない。
 DJカルチャーは、音楽におけるそうした聴き手の感応力の問題を浮き彫りにする。DJを見ればわかるように、彼らは耳にヘッドフォンを当てている。彼らはみんな聴いているのだ。聴いて、それを自己流に解釈して、再生産している。芸のないDJはそれを繋げるだけに終始する。良いDJはそれを表現の素材とする。デトロイト・テクノは1991年にUKのエイフェックス・ツインやその周辺の連中によって再生産されている。デリック・メイはそうした事態を産業構造の観点から面白くないとぶーたれていたが、文化全体を考えれば重要な出来事で、それがなければ広がりは生まれなかった。
 音楽について書くこととは、言葉表現による再生産である。「黒い耳」になることであり、それは音楽を音楽として存在させている重要な行為だ。ゆにえ言語活動における再生産が縮小され、貧困になったときに、どんな名盤も、どんな名演奏も、どんな名録音も、「うるさい」ものとなる。そして、そのような耳による再生産こそが、ある意味ではポップ・カルチャーの核にあると言える。
 たとえばジャズの話をしよう。ときとしてジャズ専門のライターよりも菊地成孔のような演奏家が語るジャズのほうが説得力があるように見えるのは、ジャズが基本的には演奏の文化だからだ(ジャズはレコード店では演奏家の名前で分類される)。ゆえに演奏行為をよく知る者は、言葉表現においてもアドヴァンテージがある。そのセンで考えれば、クラシックの語り部は譜面を読む能力を持ち、音楽の構造を分析できる能力が求められることになる(クラシックは譜面によって伝達されている)。そして、クラシックのコンサート会場で、興奮のあまり座席に立って「イエー」と叫ぶ人がまずいないように、「耳」はその場において制御されている。ジョー・ストラマーは「クラシックが大嫌いだった」と言っているが、それは音楽そのものというよりも、そうしたある意味高慢な西欧文明の制御(コントロール)の仕方が気にくわなかったのだろう。レゲエのサウンドシステムにおける「耳」は総じてもっと自由だからだ。
 演奏行為を知らなくても、ジャズにおける優れた言語活動すなわち言葉表現はある。その先駆的な例が、リロイ・ジョーンズもしくはビートニクで、彼らはジャズにおいて「耳」としての言語活動を切り開いていったと言えよう。日本にも平岡正明や平井玄、あるいは間章などなど、彼らはまさに言葉を用いてそれを再生産しているわけだが、我々はジャズを聴いてなくても、リロイ・ジョーンズの言葉表現を通してジャズを知ることができる。いや、リロイ・ジョーンズの文章があまりに良かったから、それを独立した言葉表現だと見なして、実際にジャズを聴かなくてもいいやという人がいたとしても悪いことではない。いずれにしても、その言葉表現は読者と音楽との距離を確実に縮めている。それが仮に悪口であっても、優れた悪口なら知らない人にそれを近くに引き寄せることができる。こうした「耳」がもたらす言葉の再生産がさらにもっと頻繁に起きたのがポップスやロック以降の音楽文化だ。

 ポップスやロックの特徴のひとつに、素人(子供)がプロ(大人)とタッグを組んでそれが生まれた......ということがある。素人は、平均的にみれば、ジャズの演奏家に比べて劣るかもしれないが、まあまあ演奏できる。あるいは、クラシックの作曲家のように譜面を理解できずとも、簡単なコードの曲なら書ける。そうした素人が業界のプロと組むことで発展したのがポップスやロック以降の音楽文化だと言える。ザ・ビートルズは4人の素人(子供)とジョージ・マーティンやブライアン・エプスタインというプロ(大人)とのチームによってザ・ビートルズとなった。セックス・ピストルズは4人のメンバーとマルコム・マクラレン(もしくはジェイミー・リードやクリス・トーマス)によるチームだった。
 素人とはより「耳」に近い存在だ。エルヴィス・プレスリーへの感応者であり、クラウトロックやレゲエへの共振者だ。より再生産的な傾向を強めている表現者と言える。もちろん子供はやがて大人となり、最初に組んでいた大人は追い出されたり、死んだり、とにかくいなくなる。立派なプロ(大人)としてやっていくことになる。だとしても、彼らは子供が成長した大人として存在する。いきなり大人としてどーんとデビューしているわけではない。
 このように素人が制作の現場に介入したことが、ポップ・カルチャーにおける言語活動すなわち言葉表現を活発化させたひとつの要因であることは間違いない。音楽学や演奏力とその知識に気後れすることなく、言語活動を展開できるからだ。要するにまあ、素人が偉そうなことを言えるようになったわけだが、しかし......ゆえにそれはポップ・カルチャーとして広く伝染することができたとも言えるのだ。
 そもそも、作り手自身に喋らせたりすることよりも、ぜんぜん関係のない他者が豊かな言語活動をするほうが、スター信仰というスターの言うことならなんでも正しいと思えるような教徒たちを従えたものでもない限りは、いろんな点において有益である。ブロガー連中が勝手に騒いだお陰でチルウェイヴが脚光を浴びたように、ポップ・カルチャー(とくにインディ・シーン)は言語活動が活発なところほどそこは盛りあがる。言語活動の質の問題もないことはないが、しかし極論を言えば、たとえ知識量的に乏しく、思慮深さを欠いたものであったとしても言語活動が活発なほうが盛りあがるし、資本主義的に言えば売れる可能性が高まる。みなさんも、キャプションがうまいレコード店だとついつい買ってしまうでしょ。
 よって、たまに作り手で(といっても彼も再生産者のひとりなのだが)、せっかく言葉を発する「耳」が多数いるというのに、そうした他人の勝手な解釈にもとづいた言語活動を制御したいがゆえに、ブログをもうけて自分で言語活動までがんばってしまう人もいるが、あんまり幸福とは言えない。「耳」を制限することはその作品の広がりの可能性をもみ消すことになる。制限のあるアカデミックのような場所の外側にいるというのに、もったいない話だ(とはえイギリスのアート系の大学の授業は、総じて言語活動の比重が大きいらしい)。
 もったいない話は他にもたくさんころがっている。例に挙げて申し訳ないが、人から聞いたところでは「たかがロンドンに1回行ったぐらいでダブステップをわかった気になって」などとネットのような公の場で言ってしまう淋しい人もいるらしい。こうした経験値や知識量によるカースト制度を主張したいのなら、いっそうのこと「ヴェーベルンの弦楽三重奏の第二楽章」の各部の形式を言えるように学べばいいだろう。ダブステップが本稿の主旨ではないので、これはあくまでもひとつの喩えとして言うけれど、ロンドンに1回行ったぐらいでダブステップをわかった気になってしまうほどダブステップはすごい(あるいはそいつの感受性がすごい)、ロンドンの現場を知らなくてもそれはすごいと思わせてしまうほどすごい......という程度の想像すらできない想像力のなさを破壊しながら広がるのが音楽における言語活動である......。

 さて、この話はさらに続くのだが、今回はもう疲れたのでひとまず終わろう。紙ele-kingの作業も終わったようだ(さすが松村正人!)。
 さて、次は......ドミューン公式ガイドのほうのサポートにまわらなければ......。

 追記:UKの偉大なるベテランDJ、Kenny Hawkesが6月10日になくなられた。彼は90年代後半のディープ・ハウス・ムーヴメントにおけるキーパーソンのひとりで、〈ペーパー・レコーディングス〉や〈20:20ヴィジョンズ〉などから作品を発表しながら、伝説的なパーティ〈スペース〉を主宰し、デリック・カーターなどのシカゴ・ハウス、ブレイズのようなニュージャージーのハウス、デトロイト・テクノ、そしてスカ、レゲエ、ソウルなどをイギリス人的なセンスで、実に幅広くミックスする最高の再生産者であった彼のご冥福を祈る。

[Electronic, House, Dubstep] #7 - ele-king

1.Holy Other - With U | Tri Angle


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E王  ハウ・トゥ・ドレス・ウェルでリスナーの度肝を抜いた〈トライ・アングル〉レーベルが送り出す、今年の注目株のひとり。マンチェスターのホリー・アザーによる5曲入りのセカンド・シングルで、ダブステップとチルウェイヴを通過したセイバース・オブ・パラダイスのゴシック・ロマンといった感じに聴こえる。女性ヴォーカルをフィーチャーした"タッチ"に関しては、さしずめジェームス・ブレイク+ジョイ・ディヴィジョンといったところだろうか。
 B面の"ウィズ・ユー"はポーティスヘッドによるダーク・アンビエントのようで、"フィーリング・サムシング"にはブリアルをフェミニンに展開したような甘美がある。12インチ1枚でアルバム並みに大きく騒がれるのはジェームス・ブレイク以来のことだが、たしかに騒がれるに値する内容だ。

2.Ford & Lopatin - Emergency Room | Software


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 そろそろファースト・アルバム『Channel Pressure』が店頭に並ぶ頃だろう。OPNのダニエル・ロパティンとジョエル・フォードによるチルウェイヴ・ユニット、ゲームスあたらめフォード&ロパティンに改名してからの最初のシングルで、笑ってしまうほどキャッチーな80年代シンセ・ディスコ。な、なんなんだよ~、これは~。ゲームス名義の最初の7インチにあったドロッとした感触は見事に払拭されて、さわやかに聴こえるほどだ。B面では〈DFA〉のギャヴィン・ルッソムによるリミックス、ザ・バグによるダブ・ヴァージョンが収録されている。アルバムは店頭に並んだら買う予定。

3.Fatima - Follow You | Eglo Records


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E王 ロンドンの〈エグロ〉レーベルは、ポスト・ダブステップにおいてもっとも大人びでいるレーベルだ。ミズ・ビートの「Are We The Dictators?」がそうだったように、このレーベルにはジャズ/ソウルといった明確な音楽的なヴィジョンがある。ドラムンベースで言えば4ヒーローのような役割を果たすのだろう。
 レーベルの運営に関わるフローティング・ポイントがトラックを作っている女性シンガー、ファティマ・ブラム・セイのセカンド・シングルは、このレーベルの底力を見せつける。ファティマの素晴らしいヴォーカリゼーションだけでも充分に魅力だが、フローティング・ポイントによる瑞々しいトラックがこの12インチを特別なものにしている。B面に彫られた"レッド・ライト"はいかにもUKらしいジャズの香気をもったキラー・チューンである。ネオ・ソウルのシーンにおけるエースの登場といったところだろうか。

4.Floating Points - Faruxz / Marilyn | Eglo Records


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 いま出たものすべて買ってもハズレがないのが〈エグロ〉レーベルとフローティング・ポイントで、片面プレスの10インチ「Sais Dub」の前にリリースされたこの12インチは彼らしい、優雅なアンビエント・テイストとポスト・ダブステップのビートとの美しいブレンドとなっている。A面の"Faruxz"は、いわばデトロイティッシュな濃いめの叙情性が広がっている。動くベースライン、メランコリックなストリングス、瑞々しいフルート......アズ・ワンとラマダンマンの溝を埋めるのはこの男だ。

5.Gang Colours - In Your Gut Like A Knife | Brownswood Recordings


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 これはジャイルス・ピーターソンのレーベルから期待の新星、そのデビュー・シングル。なかなか侮れないというか、素晴らしいほどトロっトロっのネオ・ソウルで、日が暮れてからでなければ聴きたくないような、美しい真夜中の音楽なのだ。確実にポスト・ダブステップを通過した音数の少ないビートが心地よく、そしてジャズ・ピアノはアシッディな電子音とダブの空間的な録音のなかで絡みつく。ギャング・カラーズは、ファティマとともにネオ・ソウルの主役となるのだろう。はっきり言って、期待を抱かせるには充分な出来である。

6.Vessel - Nylon Sunset EP | Left_Blank


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 ブリストルからダンスフロア直撃の1枚。ユニークなビート・プログラミングとカオスを秘めた、得体の知れないポスト・ダブステップ系だ。いわばハマり系の音だが、インストラ:メンタルのようにノスタルジックではなく、アディソン・グルーヴをディープ・ハウスと掻き混ぜたような感じというか。タイトル曲の"ナイロン・サンセット"などはいわゆるどんキまり系のドラッギーな音で、ちょっと恐いなーという気もするけれど、ビートの細かいアクセントは面白く、ベルリンというよりもシカゴやデトロイトに近いかもしれない。ペヴァリストもリミックスで参加している。

7.Greg Gow - Twilight Soul EP | Transmat


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 カナダのトロント在住のDJ/プロデューサーによる2年前の「The Pilgrimage EP」に続いて〈トランスマット〉からは2枚目となる12インチ。もう一貫してデリック・メイ好みというか、思わず走り出したくなるような真っ直ぐなデトロイト・テクノで、「勇気を持て~持つんだ~」と言われているような気持ちになる。

8.Joker - The Vision | 4AD


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 大手〈4AD〉と契約を交わしたジョーカーのアルバムに先駆けて発表されたホワイト盤で、SBTRKTでもお馴染みの女性シンガー、ジェシー・ウェアのR&Bヴォーカルををフィーチャーしている。グラスゴーの〈ラッキー・ミー〉やロンドンの〈ナイト・スラッグス〉、日本ではエクシーあたりともリンクするような、派手目のシーケンスが鳴り響くダウンテンポのUKベース・ミュージックで、当たり前だがやっぱ若い。若者の音楽です。

interview with Koji Nakamura - ele-king


スーパーカー
RE:SUPERCAR 1

キューン

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スーパーカー
RE:SUPERCAR 2

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 中村弘二はポップ・サウンドの作り手であることと、その管轄外のところで音を鳴らすことの両立をはかる数少ないひとりである。1997年にデビューして2005年に解散したスーパーカーは、その活動中は幅広く愛されたバンドだったが、とくにある世代――おそらく現在20代後半から30代前半にかけて――にとっては、自分たちの思春期においてもっとも影響力のあるバンドのひとつとして記憶されている。そういえば最近、今年に入ってわが国のチルウェイヴ系の作り手として密かに売れ続けているフォトディスコなる青年に会ったとき、彼のバッグにiLLのバッヂがあったことを僕は見逃さなかったが、いま思えば中村弘二のニャントラ名義の最初のアルバム『99-00』(2001年)は早すぎたチルウェイヴ(もしくはアンビエント・ポップ)とも言える。
 まあとにかく、若いながらもすでに長いキャリアを持つ中村弘二自らがスーパーカーの音を改編したアルバムが、『RE:SUPERCAR 1』と『RE:SUPERCAR 2』である。この新しい2枚においてはトラックのみがアップデートされている。歌を残したまま、まるで腕の良い職人の仕事のように、彼はちょちょいのちょいと古い楽曲の埃を払って新しい光沢を与えている。それは驚くほどにスーパーカーそのもので、不自然な感じがしない。クラフトワークの『ザ・ミックス』のように、それは本当に純粋にアップデートされたものとしてある。
 以下のインタヴューでは、中村弘二のもうひとつの重要な個性であろう音の追求者的なところ、いま現在の彼の興味のある"音"の話題に時間を割いている。それを読めば、むしろ彼の次のiLL、さもなければニャントラが楽しみになってくるだろう。

すでに自分のものではないというか、客観的に聴けるから。自分のものではあるんだけど、自分のものではないというね。だから、ホントに客観的になれているかという不安もあったんだけど、どっかで「いや、もう客観的になれている」という思いがあった。だからできたっていうのもあるんですけどね。

これは震災前に作ってものなの?

ナカコー:「1」はそうかな。でも「2」は被っちゃったところがあるから。中断があったからね。

震災によって「2」の内容は変わった?

ナカコー:いや、それはなかったけどね。影響はあるけど、作っているときはそれはなかったから。やることはもう決まってたし、とりあえず、「戻そう」って。とりあえずやってたときの気分に戻さないと作れないから。

リリースが延びたんだよね?

ナカコー:延びましたね。

僕は震災後に聴いたんだけど、けっこう感じるものがあったんですよ。たとえば「1」の1曲目の"ウォーク・スローリー"なんかけっこう感動したんだけど、あのイントロも見事なものだったけど、「あせたってひとりじゃどこにも逃げられないから」ととか、いま聴くと違った意味に聴こえるっていうかね。オリジナル・ヴァージョンではもっと皮肉で歌っているわけでしょ?

ナカコー:いや、そうでもないですよ。デビューしたばかりだし、そんな皮肉って感じでもなかった。まあ、自然にやること自体が皮肉めいてるから。

地震があって、原発のことがあって、いろいろ大変な状況になったわけだけど。

ナカコー:震災後、いろんあことがあるけど、なるべくできることだけをやっていくっていうスタンスを取りたかったし、取りたいですけどね。いまもできることだけやっていくっていう。

今回のプロジェクトはどういう経緯ではじまったんですか?

ナカコー:最初はレコード会社からそのアイデアが出て、「できるかどうかわからない」っていう状態がけっこうあって。「ほんとに、やるの? やらないの?」みたいな。

最初は抵抗があったの?

ナカコー:「別にやらなくてもいいんじゃない?」っていうのもあったし、気持ちの半分では「興味アリ」っていうか。

なるほど。

ナカコー:やったことないからね。やったことがないものには興味があるから「ちょっと面白そうだな」とは思っていた。でも、実際にやったときにどれだけ大変かはわからないから、正式にやるまでに時間がかかった。

作者としては過去の自分に、それもまあ、10代の自分に向き合うわけだから、複雑なものもあったでしょ?

ナカコー:それはもうなかった。すでに自分のものではないというか、すごく客観的に聴けるから。自分のものではあるんだけど、自分のものではないというね。だから、ホントに客観的になれているかという不安もあったんだけど、どっかで「いや、もう客観的になれている」という思いがあった。だからできたっていうのもあるんですけどね。

DJカルチャーでいうリミックスという解体をせずに、歌をしっかり残したでしょ。

ナカコー:10代の頃の作品なんかは、当時は何もわからないで作っていたし、いまわかることが当時はわからなかったし、それをいまの感じに直したいというのがあった。いま聴く人のために作ろうっていうことだったから。

曲を完全に違うものにするっていう考えはなかった?

ナカコー:それはまったくない。あんまり解体はせずに、新曲と向き合うような感じで、もっと良い曲にするために作業するって感じでしたね。

「1」と「2」を分けたのは?

ナカコー:いや、そこは前期と後期っていう、ただそれだけ。あと量的なこともありましたね。

『フューチュラマ』以前、以降という分け方になっているけど、その分岐点というのはあるんでしょ?

ナカコー:「1」はまだデビューする前に作った曲が多いんですよね。

そうなんだね。

ナカコー:「2」のほうはデビューしてから書いた曲だから。デビューしてから2年ぐらいは曲を書いてないんですよ。それで久しぶりに書いたら視点が違うものになっていた。自分ではそんな大きく変わったとは思っていないんだけど、ちょっと見方を変えたぐらいでしかないんだけど。

「1」に収録された曲を作ったのって何歳ぐらい?

ナカコー:17~18歳ぐらいですね。

"サンデー・ピープル"を入れなかったのは?

ナカコー:単純に作業的なことですね。かなりキチキチのなかでやってて、間に合わないっていうのがあって、ぱっと思いついて、「この曲ならこうできるかも」っていうのだけを選んでいるから。だから、やったらやれるけど、時間がかかる。

ハハハハ。そういうことなんだ。敢えて外しているのかと思った。

ナカコー:そういうのはない。とはいえ、どういうアルバムにするのかちょっと迷っていた。1曲目と最後だけは決まっていて、で、作業しいてくなかで、「1」のほうは鳥の声とか波の音とか、ライブラリー音源を入れはじめてからすーっと曲順が決まっていって。1曲終わってからはコツがつかめてきて。

音は当時の音も使っているでしょ?

ナカコー:ほとんど当時の音。当時の音を使ってミックスを変えた。弾き直したのもあるけど。

いろいろ思い出したことあるでしょ?

ナカコー:思い出したことはあるけど、それが何かまでは覚えていない(笑)。

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ミニマリズムという考え方が好きだというのもあるかもしれないけど。ミニマリズムって、蓋を開けてみたら音が少ないわけだから、興味の矛先が音にいってしまってる。で、やっぱり音なんだってなってしまうと、結局ミニマルの概念に興味はないなと。やっぱひとつひとつの音の面白さ、そこだけでいい気がしてきて。

僕が初めて取材させてもらったのは、『フューチュラマ』(2000年)のときだったよね。「ストロボライツ」(2001年)の前ぐらいかな。そのときナカコーがものすごく熱くクラブ・ミュージックについて語っていたのをよく覚えているんだよね。

ナカコー:大多数の人から見たら、テクノやクラブ・ミュージックを聴く人なんて少なかったから、「面白いのになー」と思っていたし、「こんなに面白いのにどうやって伝えたらいいんだろう」とも思っていたんですよね。だから自分の音楽のなかに少しずつそれを入れてみたっていうのもあるんですけど。

プライマル・スクリームや『キッド・A』の話もしていたよね。

ナカコー:音楽の中身というよりも、ひとつの記号としてわかりやすかったからね。ロックなんだけどロックじゃないみたいな、そういうことを肯定してやっちゃうというか。

今回は大量のデモ音源まで入れて2枚組にしているでしょ。それはどういう意図があって?

ナカコー:いろんな意図があるんだけど、いちばん大きいのは値段の問題。

いくら?

ナカコー:3300円。3300円で十何曲って、(リスナーに)ちょっと悪いなって思うから、なんかおまけを付けたいと思ったし。デモテープは膨大にあるし、そのなかから編集して付ければ少しはお得かなというか。

あんま夢がある話じゃないんだね(笑)。ただ、デモ音源面白かったけどね。

ナカコー:もちろん、楽曲がこういう風にして生まれるっていう記録としても面白いかなって思ったし、あと、ヴォリュームがあるものを作りたかったから。

ナカコーって、つくづく音の人......音か言葉かって言ったら、間違いなく音の人だと思うんだけど、いろんな音が好きじゃない?

ナカコー:好きですね。

自分の好きな音の傾向についてはどう思ってる?

ナカコー:音楽じゃなくてもいいっていうか、音だけでもいい。なんか音楽的なものほどいま聴けなくなってきちゃって。

ホント?

ナカコー:音だけのCDのほうが全然聴けるし。

例えば?

ナカコー:ピアノが一定のコード進行でただボーンボーンって20分ぐらい流れているCDとか。

現代音楽?

ナカコー:現代音楽も好きだけど、そんなに現代音楽してないような60年代とか70年代のレコードとか。

ドローンとか。

ナカコー:そう、ドローンとか、あとノイズも好きだし。ノイズもそうだけど、音として面白いのがやっぱ好きかな。それが複雑なコード進行や複雑なリズムではなくても、プログレ的な何かじゃなくても別にいい。

最近そうなったって感じ?

ナカコー:うん、気づいてきましたね。

きっかけがあったの?

ナカコー:だんだん聴けなくなってきた。感情移入できなくなってきた。

曲になってると?

ナカコー:うん、曲になってるともうわかんねーな。

なんで(笑)? 聴きすぎなんじゃない?

ナカコー:ハハハハ。ていうか、難しいっていうか、何も思わないっていうか、音が面白いアルバムのほうがいい。

でもちゃんと今回も"ソング"になってるじゃん。

ナカコー:うん、そういう頭のときはできるんだけど。今回は既存曲だったし、もう"ソング"になってるから、自分の興味のある要素をちょっと入れたりした程度なんだけど、もしいま新曲を作るとなると、ポップスというか、歌のある曲はいまは作りづらいっすね。

それは逆に、すごく楽しみな話だよ。iLLではミニマリズムを追求して、取り入れていたと思うんだけど、その先にあったものがドローンやノイズだったっていう感じ?

ナカコー:んー(しばらく考え込む)......ミニマリズムという考え方が好きだというのもあるかもしれないけど。ミニマリズムって、蓋を開けてみたら音が少ないわけだから、興味の矛先が音にいってしまってる。で、やっぱり音なんだってなってしまうと、結局ミニマルの概念に興味はないなと。やっぱひとつひとつの音の面白さ、そこだけでいい気がしてきて。まあ、(ミニマルとそれは)関係性はありますけどね。

まあ、アグラフくんとそこで気が合うんだろうね。

ナカコー:牛尾くんも変な音楽聴いてますからね(笑)。

彼はミニマルだけど、しかしナカコーはなんかジョン・ケージみたいになっていくのかね(笑)。

ナカコー:ジョン・ケージ、好きですけどね。

お湯を沸かすときに出る水蒸気の音が面白いとかって言う人だもんね。

ナカコー:その気持ちのほうがいまはわかりますね(笑)。

リアリティを感じる?

ナカコー:聴いてて楽しいし。自分の気持ちの邪魔もしないし、考えずに聴けるし。

そうした自然の音も面白いけど、でも音楽家は、そこで創造しているわけだしね。

ナカコー:だからいま思い浮かんでいるのは録音技術ってことかな。自然の音だけで50分終わってしまうようなCDは好きじゃなくて、やっぱそれを加工しているもの、それを使って物語を作っていけるようなものだったり、まあ、でも、ポップ・ミュージックでも録音してそれを配置してってことだから。ただ、いまないモノを探していったとき、テクノはテクノで普通にあるし、「あの人はこういうことをやってる。この人はこういうことをやってる」って、「じゃ、自分は違うことをやろう」ってなると、なんとなくそっちに行くのかな。

「そっちに行く」ってというと?

ナカコー:聴いてて、時間感覚を感じさせる音楽というか、作品というか。それはやってみたいんですよね。1曲目は無音で、2曲目は無音のなかにひとつ音が入るぐらいの。それで60分を20曲ぐらいで構成されているようなもの。

そういうことはニャントラ名義でやってる、やろうとしていることなんじゃないの?

ナカコー:うん、ニャントラでやってることも近くなってきましたね。たぶんいつか統合されるのかもしれないけど(笑)。

すごいよねー、ナカコーって(笑)。

ナカコー:もちろんバランスも考えますよ。それに歌が入ってるようなものってできないかなと思っているし。実験的だけど、聴きやすいものっていうのができたらいいんですけどね。

生活のなかでほとんどの時間、音楽のことばっか考えているでしょ?

ナカコー:うん、ほとんどのことがすでにやられているでしょ。せっかく自分で音楽やってるんだし、「何か(新しいこと)ないかなー」とは思っているけど。

ずっと作っているっていうイメージがあるんだけど。

ナカコー:いまは(ラマを)制作中だからそうだけど、制作していていないときは考えているときが多いですね。楽器は触らないでずっと考えている。

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ドローンを聴いてても、6分ぐらいやればいいのに、それを2分で終わらせているヤツとかみると、共感持てますね。「だってドローンをやりたいわけじゃないもんね」って。たぶん、その瞬間をやりたかっただけで、ドローンを追求したいわけじゃないんですよ。

数年前、まだディアハンターがいまほど有名じゃない頃、マネージャーさんに「アメリカのディアハンターっていうのがiLLに似てるんだよね」って言ったら、数日後に「ナカコーはあんま好きじゃないみたいですいよ」って言われてさ(笑)。あとになって「そういうことか」って思ったけどね(笑)。

ナカコー:いや、好きじゃないとは言ってない(笑)。

でもまあ、近いっていうのもね。

ナカコー:そう、自分からは夢中にはなれない。想像が付く選択肢のなかでこういう道を選んだってことだと思うからね。そういう意味ではカセットテープで出している連中の音は面白いよね。ジェームス・ジェラーロとか。あの人なんか、もう音楽ですらない(笑)。

そうだよね。そのギリギリのところをいってる感じはあるよね。

ナカコー:ああいうのは、いまちょっと良いですよね。「あ、このアイデアはないかも」って思える。それと同時に「あー、やられた」って思うんだけど。毎日、そんなことの繰り返しですけど。

でもあれだよ、それ言ったらニャントラみたいなベッドルーム音楽はいまUSのインディですごいよ。

ナカコー:あ、それはちょっとそう思ったかもしれない(笑)。

ひと昔前ならグランジやっていたような子が、いまはアンビエントやドローンを作ってるでしょ。

ナカコー:ドローンを聴いてても、6分ぐらいやればいいのに、それを2分で終わらせているヤツとかみると、共感持てますね。

えー、それはどんなところに?

ナカコー:やっぱ2分で終わらせるところに。「だってドローンをやりたいわけじゃないもんね」って。たぶん、その瞬間をやりたかっただけで、ドローンを追求したいわけじゃないんですよ。

じゃあ、静寂に共感しいたのは?

ナカコー:あれはもう、灰野(敬二)さんのアイデアが最先端だなって。灰野さんはいまもって聴いたことのない音楽にチャレンジしてるっていうか、そこが伝わるものだったから。

なるほど。紙ele-kingのほうに書いてもらったナカコーの年間チャートがけっこう興味深いものだったよね。ところで今後はラマ(アグラフ、フルカワ・ミキらとの新バンド)をやりつつ、iLLのほうもやっていくんだよね?

ナカコー:ラマに関してはもっとわかりやすいポップスをやっていくと思うし、iLLのほうはいま面白いアイデアが浮かんだから、それを完成させたいなって感じ。

iLLにはまた新しい方向に進んでいく感じっていうのがあるんだね。

ナカコー:ありますね。ただ、その前にラマのほうがいま進行中なんで、時間的にちょっと後回しになってしまうんだけど。

ニャントラは?

ナカコー:あれはもっと気軽に出したいと思ってます。パッケージじゃなくてもいいし、あってももっと簡素でいいし、もっと直に、ツイッターで「1枚欲しいんだけど」って言われて「はい」って渡せるようなものにゆるくできたらいいんですけどね。

なるほど。じゃ、最後にスーパーカーに話を戻しますが、アルバムでいちばん好きなのは?

ナカコー:『アンサー』(2004年)かな?

それはどうして?

ナカコー:ようやく面白い盤が出せたかなと思ったからですね。

当時は解散するつもりもなかったみたいだしね。

ナカコー:でも「これが最後かなー」と思って作ってましたよ。バンドでできることってけっこうやったかなって思っていたし、バンドって4人の共同物だからそれを保てるところにいま来てないなと思っていた。

僕もスーパーカーは好きだったけど、ある世代にとってのスーパーカーってものすごいものがあるじゃない。

ナカコー:うーん、でもまあ、もう時間が経ってるしね。17~18歳ぐらいの若い子で「聴いてます」って言われるとびっくりしますけどね。

「1」のほうを聴いたら、どこかかまってちゃんに似てるなって思ったっていうか、かまってちゃんがスーパーカーに影響受けてるっていう話を聞いたことがあるんで。

ナカコー:会ったことあるけど、面白い変なバンドだよね(笑)。

アートワークに関して最後に訊きたいんだけど、こうした日常のなかの非日常はスーパーカー時代からの中村弘二のテイストだと思うんだけど、それと音楽との関連性について。

ナカコー:自然のなかに組み込みたいというか、作為的なことはほとんど嫌いだっていうのがあって、作為的なアレンジとか。わかりやすくするためにわかりやすい音を入れるとか、そういう自由を制限するみたいな。テレビが見れないのも、字がいっぱい出てきたりするのがイヤなんですよ。

テレビは見ないんだ?

ナカコー:見れなくなっちゃいましたね。情報が多すぎて。ないほうがすっきりして見れるのに、なんでごちゃごちゃ入れるのかって。そういうのが気になるんですよ。白い服を着ている人がいるのになんで赤い文字を出しているのか、気持ち悪くなったりするんですよね。時計の時報がピンク色だったり。そういうのがどんどん、強く苦手になってきて。

それでアンビエントやドローンのほうにいくのかな(笑)。

ナカコー:強制的に流されているっていうのがイヤですよね。ネットはこっちから選択するから気にならないんですよ。でも、テレビは付けたら強制的にはじまるから、それがイヤって言うか。だからたしかにアンビエントの考え方は好きですけどね。

なるほど。

ナカコー:あと70年代のドキュメンタリー番組の音楽も面白いですけどね。最近は60年代~70年代のライブラリー・ミュージックばっか聴いてるから。『KPMミュージック・ライブラリー』とか、あんなの。ああいうのって、いま聴くとエレクトロニカと同じだからね。

ele-king vol.2 完成のお知らせ - ele-king

 いやー、できました、
 現実逃避したくてもいよいよできなくなってきた震災後の言葉が詰まった『現実逃避』号。
 6/24発売予定です!
 以下、目次です。買ってください、
 お願いします!

 なお、掲載されるアイテムの一部を対象にしたキャンペーンをタワーレコードの一部店舗で実施します。6月24日(金) ~ 8月14日(日)のあいだにキャンペーン開催店舗で対象商品お買い上げのお客様に先着でele-kingバッジかステッカーのどちらかをプレゼントいたします。開催店舗、対象商品などキャンペーンの詳細はタワーレコードや本サイトにて後日発表いたします!


ele-king Vol.2

■contents

1 巻頭フォトストーリー 鈴木親

〈EKジャーナル〉
10 タイラー・ザ・クリエイター 
12 ブルックリン●松村正人 
15 バンクシー●水越真紀 
18 シック・チーム二木信

〈特別企画〉
20 ルポルタージュ311●磯部涼/久保憲司/小原泰広

〈Eコラム1〉
32 浜岡、80年のアトミック・カフェ、そして現在へ●河原崎禎/大久保青志

〈TAL-KING1〉
36 ハドソン・モホーク●木津毅

〈巻頭特集〉
42 現実逃避
46 feel good societyにおける憂鬱●野田努
48 ウォッシュトアウト インタヴュー●野田努/小原泰広
59 往復書簡:震災後のアンビエント●松村正人×三田格 
64 エスケープ・ミュージック100 part1
●加藤綾一/木津毅/野田努/橋元優歩/松村正人/三田格
78 〈コズ・ミー・ペイン〉●野田努/小原泰広
82 USヒップホップの変貌●高橋圭太 
86 エスケープ・ミュージック100 part2

〈no ele-king〉
100 テニスコーツ●磯部涼/小原泰広

〈論考・〉
106 Kポップの共振圏●南波一海

〈小特集〉
UKベース・ミュージック
110 ベースを越えて●ウィル・ソウル
114 ダブステップが消えるとき+レヴュー10●飯島直樹 
116 トドラ・T インタヴュー●野田努 

〈特別企画〉
123 灰野敬二伝●松村正人 

〈連載コラム〉
132 キャッチ&リリース●tomad 
134 私の好きな●牛尾憲輔(agraph) 
136 編年体ノイズ正史●T・美川 
140 新連載・水玉対談●こだま和史×水越真紀 

〈カルチャーコラム〉
146 EKかっとあっぷあっぷ
●樋口泰人/五所純子/小濱亮介/プルサーマル・フジコ/東谷隆司

〈TAL-KING2〉
156 大野松雄●松村正人/菊池良助 

〈Eコラム2〉
162 リーマン・ショック以後のUSインディ●木津毅 

〈特別企画〉
エレキン・アニメ
166 さやわか×三田格×mochiron(三毛猫ホームレス)/春日正信 

〈Eコラム3〉
174 激自然農法●湯浅学 

〈巻末特集〉
「いま聴きたくない音楽」 
176 ピチカート・ワン/田中宗一郎/対談:大川卓也×橋元優歩/菊地成孔 

表1~4●宇川直宏
表2●鈴木親 表3●菊池良助

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