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Home >  Interviews > interview with Terry Farley - ロンドン少年“サマー・オブ・ラヴ”専科

interview with Terry Farley

interview with Terry Farley

ロンドン少年“サマー・オブ・ラヴ”専科

――テリー・ファーレイが半生を語る

与田太郎    通訳:Kimura Moscow Kyoko    Jun 29,2011 UP

 テリーに初めてあったのは、彼がDJとして来日した4年ぐらい前のことだ。ベン・シャーマンのシャツを着た50も近いおじさんだったけど、彼の笑顔はまるで5~6歳の子供のように眩しかった。彼のキャリアや〈ボーイズ・オウン〉についての話は知っていたけど、直接聴きたいと思ったのは、メインのパーティの翌日に小さな箱でやったプライヴェート・パーティについてだった。彼はほぼレゲエとソウルだけでプレイした。それがあまりにも良かったこともあって、翌日彼にレゲエやソウルとの出会いや、ザ・スペシャルズやザ・クラッシュについての話を聞いた。それがとても大事な話のように思えた。と同時に、忘れかけていた10代の頃の憧れのようなものに触れた気がした。そのとき、いつかじっくり彼に話を聞いてみたいと思った。
 1994年の新宿リキッドルームのこけらおとしの〈メガドッグ〉でのアンダーワールドとドラム・クラブが僕にとって初めてのダンス・カルチャーとの邂逅だった。〈ボーイズ・オウン〉の音楽に触れた初めての体験だった。
 1988~90年のUKインディ・シーンでブレイクするストーン・ローゼスやプライマル・スクリームには思いっきり熱狂してはいたのだけれど、そのときには理解できなかった意味やパーティがあの日から現実になった。それから15年以上、パーティが自分の生活の中心にあった。

 本インタヴューは、去年の11月にロンドンでおこなった。その週末にはプライマル・スクリームのスクリーマデリカ・ライヴがあった。テリーに話を聞くことで、あの時代に起きていたことがはっきりしたと同時に自分のなかですべてが繋がった。
 この8月には当時の関係者やミュージシャンのインタヴューを中心とした〈クリエイション〉レコードのドキュメンタリー映画『アップサイドダウン』が日本でも公開される。1988年、アシッド・ハウス、センカンド・サマー・オブ・ラヴ、エクスタシー、さまざまなキーワードで語られたもうひとつの伝説だ。〈ボーイズ・オウン〉も〈クリエイション〉も実にイギリス的な物語で、まるでプレミア・リーグに無名のチームが昇格し、並みいるビッグ・クラブを相手に互角に勝負をして、ギリギリまで優勝争いをしてしまった......というようなレーベルだ。
 もちろん彼らは優勝することはできなかった。決してビッグ・クラブになることはできないのだけれど、しかし、そのシーズンを見たすべて人たちの心にのこるチームとなった。負けることもまだ大事なことなのだ。
 『スラムダンク』を読んだことのある人ならわかるだろう、湘北高校は彼らにとっても最高の試合である山王戦を戦ったあと、あっけなく負けてしまいインターハイで優勝することはできない、しかしなによりも人びとの心にのこるのである。
 インタヴューでも語られていることだが、イギリスでは12~14歳の少年が男として自分の生きてゆく上での方針を決める大事な時期だ。どんなものを着るのか、どんな音楽を聴くのかは、どのフットボールチームのサポーターになるかということぐらい彼らには大事な選択だ。
 テリー・ファーレイもそのときに感じたことを楽しみながら、ただ追っかけてきただけなのかもしれない。が、彼はいくつかの奇跡のような夜に出会った。〈ボーイズ・オウン〉......彼らのピュアネスが残した音楽やアティチュードは、さまざまな世代が繰り返し作る、すばらしい物語のひとつだ、きっとまた〈ボーイズ・オウン〉や〈クリエイション〉のような話が新しい世代によって生みだされるに違いない。

僕はレゲエ、いや当時はスカやロックステディだね、を聴いて育った。当時の移民はみんな窓を開けっ放して、大きな音で音楽を聴いていたんだよ。ベースがブンブン響いていたっけ。父は移民の若者たちをパンクと呼んで、ほんとに嫌がっていたけどね。母はとても音楽が好きで、そう彼女はテディー・ガールだったんだ。

まずはあなたが子供だったころのことを教えてもらえますか?

テリー:僕は1958年にノースケンジントンで生まれたんだ。すごく貧しい地区でね、よく覚えているのがトイレが家のなかではなく庭にあったんだよ。ブリキのバケツを庭の隅においてさ、冬は寒いし、夏になると蜘蛛の巣だらけで虫がいたるところにいたよ。僕が6~7歳まではそうだった。
 いまでも時々思い出すのが、ノースケンジントンは第二次大戦でドイツの空爆が激しい場所だったんだ、だから僕のおばあちゃんの家には大きなコンクリートの防空壕があってね、その家はいまでもあるよ! 彼女はいまそこで鶏を飼ってるよ、新鮮な卵が食べれるからね(笑)。ちょうどキューバ危機のときはみんなそこに集まったり、近所の人たちがあたらしく防空壕を掘ったりしていたそうだよ。まだ大戦の時の記憶がはっきりしていた頃だったんだろうね、僕は子供ながらに、おかしなことするなと思っていたよ。
 あの頃のロンドンの印象はすべてが灰色なんだよ。ロンドンではみんな家で火を燃やすから、すべての家の煙突からもうもうと黒い煙がでていて、晴れていても空が灰色で、1950年代はそれがほんとにひどかったから当時のアメリカの映画に映るロンドンは煙っているだろう。だから大人になってから思い出す子供時代のロンドンは、ほんとに寒くて灰色でまったく太陽の印象がない。BBCで放送していた『Steptoe And Son』というコメディ知ってる? 廃品回収業者の親子の話なんだけど、当時のノースケンジントンにはこのコメディに出てくるような人びとがいっぱいいたんだよ。
 食べ物もレバーや羊の心臓や腎臓なんかが多くて、もちろん安かったからなんだけど、良くパイやシチューにしてくれた、母が料理の上手い人でほんとによかったよ。多くの人があの貧しい地区の話をつらいこととしてするけど、僕はあの典型的なワーキングクラスの暮らしに誇りをもっている。だって自分自身を作り上げてきたものだからね、でもトイレだけは家のなかにあるほうがいいけどね(笑)。

ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズが力を持ってくる60年代のなかば以降はどう過ごしてましたか?

テリー:ノースケンジントンはノッティングヒルのすぐ近くで、そこは西インド諸島からの最初の移民がたくさん住んでいた。だから正直に言えば、僕はレゲエ、いや当時はスカやロックステディだね、を聴いて育った。当時の移民はみんな窓を開けっ放して、大きな音で音楽を聴いていたんだよ。ベースがブンブン響いていたっけ。父は移民の若者たちをパンクと呼んで、ほんとに嫌がっていたけどね。母はとても音楽が好きで、そう彼女はテディー・ガールだったんだ。テッズってわかる? 彼女は小さなレコードプレイヤーを持っていて、よくモータウンの曲を聴きながら僕にダンスを教えてくれた。ビートルズはいたるところにあふれていた、床屋に行っても「リンゴ? それともジョージかポール?」って言われるしね。子供から大人までみんなビートルズだったね。だけど毎日毎日聴こえてくるし、親が大好きな音楽を聴くのはいやだったから、僕はジャマイカの音楽やアメリカのソウル・ミュージックにはまっていったんだ。
 はじめに好きになったのはジョージィ・フェイムだった「The Ballad of Bonnie and Clyde」というシングルが大好きだったよ、それと初期のリー・ペリー、『Return Of Django』とデズモンド・デッカーの007の曲はよく聴いたな。
 その頃、1968年ぐらいにロンドンではじめのスキンヘッズ・ムーヴメントが起きていて、ちょうど僕も10歳で、そろそろファッションも気になりはじめていた。で、まわりのティーンネイジャーを良く観察してたんだ、どんな靴をはいてどんな服を着てるかをね。ある日、通りでリーバイスのジーンズをはいてる男の子を見たんだ、まわりにいた僕とおない年の子供が集まって「見ろよ! あれがジーンズだよ! ジーンズはいてるよ!」って騒いでね。その彼は「あっちいけ!」って言ってたけど、みんなまわりにあつまって騒ぎになったね。どうしたらそんな感じにタイトになるんだろう? って思って訊いてみたら、ジーンズは「はいたまま風呂で濡らすんだ」って教えてくれた。「値段は?」って訊くと「5ギニー」だった、5ギニーっていうと当時で6ポンド弱ぐらいかな? 10歳ぐらいの僕には買うことができないけど、母はテディー・ガールだっただけあって、どうしてもリーバイスのジーンズが欲しい僕の気持ちをわかってくれてね。それで似たようなジーンズを買ってくれたよ。
 次はブーツだった、年上のみんなはドクターマーチン、いや当時だとホーキンスだね。僕らキッズはタフスウェイファインダー*(1) という靴底にコンパスがついている登山靴のような安いブーツを手に入れて、気分だけでも年上のファンションを身につけたかったんだ。でも彼らは僕たちのファッションをテスコボマーズといってバカにしてたよ、テスコって安売りで有名なスーパーなんだけどね。

脚注
(1)タフス・ウェイ・ファインダー(Tuff's way finder)ウェイファインダーブーツ
子供用の安全靴。ボーイスカウト公認・学校推薦とあります。
http://www.flickr.com/photos/22326055@N06/3611965790/

取材:与田太郎(2011年6月29日)

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shitaraba与田太郎/Taro Yoda
1989年、セカンド・サマー・オブ・ラヴに大きな衝撃を受けインディ・ダンスのDJをスタート、90年代中旬のレイヴ・ムーブメントから数多くのレイヴでDJ、オーガナイズ。1999年に自身のパーティである〈Mothership〉、〈the ocean〉をスタート、ヨーロッパのトランス、プログレッシヴ・ハウスのDJを数多く招聘し現在につながるシーンを東京に作った。自身のレーベルでありパーティでもある〈HORIZON〉主宰。 www.yodataro.com

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