Home > Interviews > interview with Tourist (William Phillips) - 音楽はぼくにとって現実逃避の手段
朝目が覚めたとき、妙なフィーリングにとらわれることがある。つい数秒前まで大冒険を繰り広げていたはずだった。アラームが鳴り響いた瞬間はまだ半分くらいそっちの世界にいる。どうやら刻限らしい。かならず戻ってくる。おまえらとの友情は永遠だ。この体験は生涯忘れない──そう固く決意しログアウトした瞬間、さっきまでなにをしていたのか、あっという間に記憶が薄れていく。見知った天井。絶対に忘れてはならないたいせつな出来事が起こったはずだけれど、電車に遅延はつきものだ。一刻も早く歯を磨かなければならない。ようこそリアル。ここがきみの居場所だ。
その感覚がこのアルバムそのものなんだ──そうウィリアム・フィリップスは述べる。旅行者=ツーリストを名乗り、2010年代後半から4枚のアルバムを発表、2015年にはグラミー賞まで手にしているエレクトロニック・プロデューサーの5枚目のアルバムは『記憶の朝』と題されている。MJコールにフックアップされたという彼は、ハウス~UKガラージ、ブレイクビーツ~ジャングルといった、けして生やさしいとはいえない現実のなかで発明されてきたリズムを駆使し、やさしげな旋律と蠱惑的なヴォーカル・サンプル、きらきら輝く電子の断片をもってどこまでも夢幻的な空間を演出する。この桃源郷はタイコやパンサ・デュ・プリンスらのエレクトロニカと通じるものだ。あるいはその淡くはかなげなポップネスに着目するなら、ナッシュヴィルのシンガー・ソングライター、コナー・ヤングブラッドあたりと並べて聴いてみるのも一興かもしれない(スタイルはまったく異なるけれど)。どこまでも広がる、ただただ美しい世界──わかってる。これは現実じゃない。だからこそ、いい。「ぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ」。フィリップスは音楽がもつ最高の効用のひとつ、エスケイピズムを称揚する。
個人的なオススメは最後に配置された表題曲 “Memory Morning” だ。30周年を迎えたエイフェックス・ツインの名作『SAW2』(の数曲)を想起させるメロディに導かれ、ヒップホップのビートと、鳥のさえずりのごとくチョップされた音声が一日のはじまりを告げる──夢とうつつの転換、あのえもいわれぬ短い時間を表現しているのだろう、なんともさわやかなダウンテンポである。
というわけで、このうるわしいアルバムを完成させた当人に、まだ日本ではあまり知られていない自身の背景について語ってもらった。
MJコールに大きな影響を受けたよ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。
■最初のシングルのリリースが2012年かと思いますが、音楽制作をはじめたのはいつ頃からですか?
Tourist(以下T):音楽制作? うわぁ……ぼくは1987年生まれ、つまりいま37歳ということになるんだけど、曲を作りはじめたのはたぶん10歳か11歳の頃じゃないかな。
通訳:早かったんですね。
T:そう、大昔だよ。3歳か4歳くらいの頃にピアノを弾くようになったんだ。レッスンを受けたわけじゃないけど、家にピアノがあったからね。なにせ3歳だし、押すと音が出るからすごく興味を持ったんだ。ワクワクしたよ。37歳のいまになっても、どこか押して音が出るとやっぱりワクワクする(笑)。
ぼくにとって音楽というのはエンドレスで興味を惹かれるものなんだ。どんなタイプのものでもね。自分で書く曲のタイプも成長するにつれて変わっていった。10代のころ書いていたのと、20代のころ書いていたのと、30代になってから書いていた曲はちがうんだ。
EP「Tourist」はそんななかで、これから長い間やっていくだろうと思ったタイプの音楽に、初めてコミットした作品だった。自分にとって初めてのちゃんとしたアーティスティックなペルソナだったんだ。それが……いまから12年前か。25歳だから、ひとによっては遅いとみる向きもあるかもしれないね。20代前半もけっこう曲を書いていたけど、あまり成功したわけじゃなかった。20代半ばくらいになってやっと手応えを感じてきたという感じだね。
曲をコンピュータでつくりはじめたのはたぶん10歳くらいのころだと思う。
通訳:ツーリストを名乗りはじめたころに手応えを感じはじめたんですね。
T:そう、「Tourist」という名前だったらやりたいことがなんでもできると思ったんだ。あまり束縛感がなかったし、ダウンテンポでもハウス・ミュージックでも、UKガラージだっていい。この名前なら好きにやれると思ったんだ。そういう認識だけでもすごく助けになる。自由に音楽を感じて、自分に「好きにやっていいよ」と言えるからね。「Tourist」はぼくにとってそういうものなんだ。
通訳:ツーリストのように、どんなタイプの音楽を旅してもよいということですね。
T:(コップからなにか飲みながらにっこりうなずく)
音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。
■幼いころはどういった音楽を聴いて育ってきたのでしょう? あなたにもっとも大きな影響を与えたアーティストはだれですか?
T:子どものころはドラムンベースやUKガラージをたくさん聴いていたんだ。LTJブケムが大好きだったね。それからロニ・サイズ、エイフェックス・ツイン、ケミカル・ブラザーズも大好きだった。少年時代はアヴァランチーズも大好きだった。ロイクソップも大好きだったし……メロディックで夢見心地な感じの音楽にインスピレイションを得ていたんだ。UKガラージではMJコールに大きな影響を受けたよ。人生にもほんとうにたいせつな影響をくれたひとなんだ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。
通訳:そうだったんですね!憧れの人があなたを「発見」してくれたんですね。
T:そうなんだよ。彼にはたくさんの恩がある。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。彼には大いにリスペクトを感じているよ。ぼくの人生のなかでものすごく重要な人物なんだ。ケミカル・ブラザーズ、MJコール、LTJブケム……それから子どものころはジャズも大好きだったよ。あと80年代のシンセ・ポップ。トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー。あの辺がぜんぶ大好きだった。20代のころにはフォーク・ミュージックを「ちゃんと」聴くようになった。10代のころはあまりクールに感じなかったんだけどさ(笑)。でも成長するにつれていろいろ学んで、耳を傾けるようになったんだ。……そんな感じで、ほんとうにたくさんの音楽を聴いてきたよ。
■あなたはロンドン生まれのコーンウォール育ちだそうですが、コーンウォールの土地柄や風土は、あなたの音楽性に影響を与えていると思いますか?
T:ぼくは引っ越した当時の感覚をずっと憶えているんだ。ロンドンは魔法、ロンドンはカルチャー、ロンドンはあらゆるひとの場所だと思っていた。ところがぼくがまだ幼いころに両親が離婚して、コーンウォールに引っ越したんだ。まあ、よくある話だよ。
コーンウォールのカルチャーはぜんぜんちがった。いい悪いじゃなくて「ちがった」。ぼくには馴染みがないものだった。思うに、コーンウォールで暮らしていたからこそ、ロンドンを思い出させる音楽をつくっていたんじゃないかな。ぼくのアイデンティティの大きな部分を占めていたからね。
17歳くらいになって初めて、エイフェックス・ツインもコーンウォール出身だって知ったんだ。じっさいコーンウォールからはすばらしいアーティストがいろいろ出ているんだけど、ぼくにとって音楽をつくるのは、ある意味「コーンウォールにいない気分になる」ための手段だったのかもしれない(笑)。というのも、正直言ってコーンウォールに暮らしていたころはあまりいい思い出がないんだよね。だから音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。コーンウォール自体はすばらしいところで好きだけど、ロンドンは生まれたところだし、「どこ出身?」と訊かれたらロンドン出身と答えるよ(笑)。
でもコーンウォールは海に近くていいところで、子ども時代はそこが好きだった。サーフィンもスケートボードもしたし、当時からの親友たちもいる。ただ、コーンウォールでぼくくらいの歳の子が音楽をつくるのはヘンというか珍しいことだった。
通訳:コーンウォールはあなたに逆説的な影響を与えた感じなのでしょうか。
T:そのとおり! 100%そうだね。自分がロンドンで恋しかったものを思い出させてくれたんだ。
質問・序文:小林拓音(2024年5月31日)
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