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interview with Terry Farley

interview with Terry Farley

ロンドン少年“サマー・オブ・ラヴ”専科

――テリー・ファーレイが半生を語る

与田太郎    通訳:Kimura Moscow Kyoko    Jun 29,2011 UP

集まるのは25歳から40歳以上の人たちだろ、ティーンネイジャーはハウスなんて大嫌いだよ。僕がロンドンでDJやるときに、それが〈ミニストリー〉でもいっさいキッズはいないしね。みんなダブステップを聴いてるよ、

アンダーワールドとの出会いを教えてください。

テリー:スティーヴンが昔からダレンと友だちだったんだ、彼らは同じエセックスの出身で、ダレンはかなり早い時期からDJをやってたよ。ある日ダレンがプレイしているクラブに、まだニューウェイヴ・バンドだったアンダーワールドのふたりがやってきて、ちょうど彼らもなにか新しいスタイルを模索していたときで、ダレンを発見した。彼らの方向性はダレンの存在が大きな鍵となったんだ。これはアンドリューとプライマル・スクリームと同じような化学反応だね。

ケミカル・ブラザーズについてもお願いします。

テリー:彼らはアンドリューがマンチェスターでDJをしたときにやってきたんだ。ふたりはマンチェスター大学の学生だったからね、そのときにデモ・カセットをアンドリューに渡したんだ。それを聴いたアンドリューがほんとに気に入ってね、スティーヴンに「こいつら最高だからリリースすべきだよ!」ってプッシュしたことではじまったんだ。はじめ彼らはダスト・ブラザーズって名乗っていたけど、アメリカに同じ名前のヒップホップ・チームがいたからケミカル・ブラザーズに変えたんだ。

アンダーワールドやケミカル・ブラザーズがデビューした時期、イギリスではレイヴが大ブームでした。パーティも〈メガドッグ〉みたいなスタイルのサイバーな感じになって、サウンドもテクノ中心になりました。その時期あなたはどんなDJをしていたんですか?

テリー:そう、その時期僕はまたソウル・ボーイに戻っていたね。だからニューヨーク・ハウスが中心だった。この頃はじめてビリー・ナスティーといっしょに日本にいったよ。リキッドルームと京都のマッシュルームだった。ガラージ・ハウスをよくプレイしてたね。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉でもそういうハウス・トラックを何枚かリリースしたけど、あんまり売れなかったね。それでサブ・レーベルの〈ジャス・トラック〉を作ったんだ。
 でも〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉もとくにサウンドにポリシーがあったわけではないよ、自分たちが面白いと思うものならなんでもリリースした。これはファンジンのときから変わらないアティチュードだ。不変的なコンセプトさ。
 だって、アンダーワールドとケミカル・ブラザーズでも全然違うだろ。これはパーティといっしょで、僕とアンドリューのスタイルは違うけど、それぞれに影響しあえるだろう、ほとんどのアシッド・ハウスのパーティはレイヴァー中心だったけど〈ボーイズ・オウン〉のパーティはアンドリュー目当てのインディ・キッズもいれば、ソウル・ボーイもいる、もちろんレイヴァーもね。それにサイモンはファッションシーンに友だちが多かったしね、いろんな人たちがそれぞれに集まるんだ、それがパーティなんだよ。

〈ボーイズ・オウン〉でも野外レイヴをやったことはありますか?

テリー:初期はよく行ってたよ、シーンがまだスピリチュアルな雰囲気を持っていた頃だね。でもすぐにレイヴがビッグになって、金儲けの手段となってしまった頃には距離をおいていたね。〈ボーイズ・オウン〉のパーティは5000枚のチケットを売ることができたけど、つねに500人のパーティをやっていたんだ。
 僕たちはセルアウトしないと決めていた。いいレイヴもほんとにいっぱいあったけど、僕らにとっては何かが違った。〈ボーイズ・オウン〉でやったこともあるよ、1988年に、これはほんとに仲間だけで200人ぐらいかな、郊外の個人の大きな庭園を借りたんだ。そこにはボーイ・ジョージやフランキーゴーズトゥーハリウッドのポール・ラザフォードも遊びに来た。朝にはボーイ・ジョージが弾き語りで歌ってくれたりしてね。その家の子供たちがボーイ・ジョージの歌う姿みて驚いていたよ(笑)!
 それとその後にいちど大きな野外パーティをやったけど、1989年以降はだんだん運営が大変になってね。セキュリティーを雇ったり、ドラッグ・ディーラーがやってきたり、いろんな人が集まるから問題も多くてね。そうしているうちに、レイヴやパーティが大きな社会問題になってしまったんだよ。僕らもいちどロンドンで〈ボーイズ・オウン〉のウェアハウス・パーティをやったとき、夜明けに警官がドアを蹴飛ばして入ってきて、サイモンは逮捕されて、さらに売上金を全部没収されてしまった。しかもサイモンは1年間パーティ・オーガナイズを禁止されて、なにもできなくなってしまった。

90年以降のレイヴはテクノが中心ですよね、ハウスは完全にアンダーグラウンドになってしまっていたんですか?

テリー:そうだね、つねに新しいサウンドは変化してゆくからね。10年前にメイン・ストリームだったビートは10年後にまたアンダーグラウンドになるんだよ。僕も2000年以降の10年間はハウス中心のDJをしている、でも集まるのは25歳から40歳以上の人たちだろ、ティーンネイジャーはハウスなんて大嫌いだよ。僕がロンドンでDJやるときに、それが〈ミニストリー〉でもいっさいキッズはいないしね。みんなダブステップを聴いてるよ、
 でも面白いことに最近ダブスッテプのDJが昔のハウス、例えば初期の〈ディープ・ディッシュ〉なんかのトライバル・レコーズのトラックを使ったりしているんだよ。面白いよね、彼らには新鮮に聴こえるんだろうね。

1992年にはエクスプレス2のデビュー・シングルをリリースしますね、彼らとはどういう出会いだったんですか?

テリー:彼らは〈ボーイズ・オウン〉パーティに来てたんだよ、ロッキーはまだ19ぐらいだったんじゃないかな。彼らはまだキッズだったよ、それからフィル・ペリーのやっていた日曜日のアフターアワーズでよく会うようになって、ロッキーとディーゼルに〈ボーイズ・オウン〉パーティのウォームアップDJをやってもらうようになったんだ。ある日彼らがデモを持って事務所にやってきてね、それが"Muzik Xpress"だった。
 びっくりしたのが当時あの曲のようなサウンドは、ほとんどアメリカのレーベルやDJがやっていたスタイルだった。だから彼らのような典型的なロンドンのキッズがこんな曲を作るとは思わなかったよ。僕やアンドリューは思いっきりイギリス的だから、驚いたんだよ。次の日彼らにこれをリリースするよって言ったら「ほんと! イェー!」って大喜びだった。それでプロモーション盤をハシエンダでDJをやっていたマイク・ピッカリングに送ったら、あっという間にマンチェスターで最高のフロアヒットになって、2週間後には国中のクラブでプレイされてたんだ!
 それで今度はニューヨークの〈サウンド・ファクトリー〉でDJをやっていたジュニア・ヴァスケスに送ったら、彼は2枚使って30分もこの曲をプレイした、30分だよ! それからニューヨークやシカゴから大量の注文が入って、最終的に50000枚以上売れた。彼等らの初めてのレコードなのにね、すごいことだよ。

1990年代半ばからシーンやあなたのDJとしてのキャリアはどうなっていったんですか?

テリー:90年代中旬以降、僕とピート・ヘラーはそれこそ世界中でDJをした。ロンドンでは〈ミニストリー〉、リバプールでは〈クリーム〉が多かったね。でも90年代後半は僕もピートも〈サウンド・ファクトリー〉的なヴァイヴが好きだったんだ、ダビーでファットなベースラインのサウンドだよ、ほんとにディープなクラブの音って感じのやつ。でもDJでいろんなところへ行くと、みんなに「もっと自分の曲をプレイしてくれ!」って言われるんだ。
 僕らはほんとにいろんなところでDJしたけど、テクノ・ファンにはハウシー過ぎるし、ハウス・ファンにはテクノ過ぎるって言われてたよ。いまでもそうだね。でもファンジンもレーベルもそうだったけど、自分がいいと思うことをやりたいんだ、DJも同じだよ。これは僕らのアティチュードなんだ。そして「次になにが来るのか?」ってことを探しまわりたくはないしね、時代をサーフするつもりもないからね。
 でも時々大変なこともあったよ、イタリアなんかでは「ウルトラ・フレヴァプレイしろ!」、「ゼア・バット・フォー・ザグレイス・オブ・ゴッドはどうした!」ってお客さんが怒りだして驚いたよ。

レーベルとしての活動が終わってしまったのはいつですか?

テリー:2005年ぐらいから赤いジャケットのジュニアのリリースはしていない。止めてしまったわけではないよ。過去のカタログは〈ディフェクテッド〉からデジタル・リリースしてるしね。でもやっぱりそれまで10000枚売れていたヴァイナルが突然1000枚とかになったのは大変だった。
 いまはレーベルにとっても厳しい時代だね、ヨーロッパでもっとも成功しているハウス・レーベルである〈ディフェクテッド〉でも音楽のセールスよりDJブッキングのほうがお金になってるんだ。そういう意味ではもうエージェントだね。〈ジュニア・ボーイズ・オウン〉は時代の役目を果たしたんだろう。あのとき僕らは必要とされていたんだ。すべてとは言わないけどうまくやれたんじゃないかな、いまはもう新しい才能が出てきても、レーベルもディストリビューターも必要ないからね、自分でビートポートへ曲を出せばいいんだよ。それにDJがそれぞれみんな自分のレーベルをやっているしね。僕ら〈ボーイズ・オウン〉はあのときほんとに必要とされていたんだ。キッズにとってパンクが必要だったようにね。

では最後に、あなたは『フェイス(Faith)』というファンジンをやっていますね、なぜいまファンジンなんですか?

テリー:基本的には〈ボーイズ・オウン〉とまったく同じ理由ではじめたんだ。つまり『ミックスマグ』や『DJマガジン』が面白くないからね。それと『フェイス』のグラフィックデザインをやっているデザイナーが最高に才能があるんだ。彼となにかやりたかったしね。中身は相変わらずハウスやノーザンソウル、それと僕らの好きなDJをチェックしてる。僕らはダウンロードもやらないで印刷してるんだ。手に入れるのも大変だけど、これはレアなレコードや服を見つける喜びといっしょだよ。

★最新情報です。実は、テリー・ファーレイは9月にイギリスで公開される映画『Weekender』の音楽の監修を担当。これは90年代初頭イギリスを飲み込んだアシッド・ハウスとレイヴそしてパーティ・ライフ、あの輝ける時代を駆け抜ける主人公ふたりの物語。テリーがコンパイルしたサントラも3枚組で9月にリリース予定。そして、まもなくBoy's Own公認のロゴTシャツも発売予定!

取材:与田太郎(2011年6月29日)

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shitaraba与田太郎/Taro Yoda
1989年、セカンド・サマー・オブ・ラヴに大きな衝撃を受けインディ・ダンスのDJをスタート、90年代中旬のレイヴ・ムーブメントから数多くのレイヴでDJ、オーガナイズ。1999年に自身のパーティである〈Mothership〉、〈the ocean〉をスタート、ヨーロッパのトランス、プログレッシヴ・ハウスのDJを数多く招聘し現在につながるシーンを東京に作った。自身のレーベルでありパーティでもある〈HORIZON〉主宰。 www.yodataro.com

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