「!K7」と一致するもの

第三回:音楽と言葉 - ele-king

 海外から受けるインタヴューで、もっともよく聞かれることは「日本人であることと、あなたの音楽の関係には、どんなことがありますか?」ということだ。アンビエントに興味を持っている海外のリスナーは、日本のアンビエント・ミュージックの特異性というものに興味があるらしい。このことは、アンビエントに限らず、ノイズやミニマル、音響シーンにおいても共通していることだろう。日本の文化には何か独特のものがあることは間違いない。その理由として、日本語という言語と、高温多湿な環境が関係しているという有名な脳科学の話がある。脳科学だけでモノごとを済ませる論法は短絡さを感じる部分もあるけど、そこに倍音と日本文化を絡めた話は、なかなか面白い。

 日本人の脳は、音楽と言語ということに関して、世界でも特殊なシステムを持っていることが科学的にわかっている(角田忠信『右脳と左脳』)。

 倍音というのは、基音になる一番低い音以外の音で、音色の差異を生み出している。同じ音程でも音色が違うのは、その基音に重なる倍音によって決まっている。

 整数倍音というのは、基音の周波数を整数倍したもので、西洋の楽器によく見られる。これに対し、非整数倍音というのは、自然界の音やかすれ声のように、基音と倍音の関係が整数倍ではない複雑な音のことを指す。和楽器を始めとした民族楽器は非整数倍音の要素が高い。一般的に、整数倍音の声は、カリスマ性や荘厳性を高めると言われている。ジョン・レノン、ボブ・ディラン、美空ひばり、タモリの声なんかは整数倍音の比率が高い。一方の非整数倍音は、重要性や親近感を高める。森進一、ビート・たけし、さんまは非整数倍音が多い。(中村明一『倍音』)

 子音というのは自然界の音に近くて、非整数倍音の比率が高い。通常、左脳では言語を、右脳では音や感情を知覚する。日本語とポリネシアの一部の言語以外は単語の中に子音だけの音も多く、子音だけを左脳で、母音は右脳で処理される。つまり、言語の意味は左脳で処理され、母音やその他の「音そのもの」に関しては、右脳で単なる「音」として処理をされる。しかし、すべての音に母音を含む日本語で6歳から9歳を過ごすと、母音も左脳で処理されるようになり、日本語脳になる。そのため、本来右脳で感じる自然音や和楽器といった非整数倍音を多く含む音も、左脳で処理するようになるのだ。通常、音は音として右脳で感じ、その音の意味というものを感じとることができないが、日本語脳では、非正数倍音の音を言葉と同じく左脳で理解し、言葉を非整数倍音の情報も加えて理解する。

 わかりやすい例に、打検士という缶詰の中身の状態を、叩いた音で判断する職業がある。日本で発達したこの職業を海外で普及しようとしても、音の意味を考えるという能力が、日本語脳でないと難しいらしく、海外では普及できなかったそうだ。(この資格が、平成9年に公的な資格ではなくなってしまったのは悲しいことだ)

 また、日本語には擬態語や擬音語(オノマトペ)、あるいは同音異義語が多いという特徴がある。漫画を外国語に翻訳をするとき、このオノマトペの翻訳が一番難しいとされる。「ペシ」とか「メリ」とか「ボゴッ」「グシャッ」とか。そういう音の違いが意味するところの感覚は日本人特有のものらしい。

 あるいは、「し」という同音異義語であれば、日本人は「死」「師」「詩」の違いを、音の高低ではなく、非整数倍音の割合で判断している。重要な「し」ほど非整数倍音が多く含まれる。

 反響の少ない環境では、倍音が聴きやすい環境になる。こういった言語上の特性は、高温多湿で、木々や襖に囲まれた日本の生活だからこそ育まれたものと考えられている。

 アンビエント・ミュージックというのは、呼吸や自然音との関係が密接だと書いたが、これらの音は、非整数倍音という点で共通している。とくに呼気の音というのは、人間の身体で生じうる非整数倍音の最たるものだ。ブライアン・イーノが言ったアンビエント・ミュージックに特有の「アク」というのは、非整数倍音のことだと僕は思っている。

 自分自身のこれまでの感覚を顧みても、アンビエントに限らず僕が感銘を受けてきた音楽は、この非整数倍音との関係が深い。まずは、武満徹。今でももっとも尊敬する音楽家のひとりであり続ける彼の音楽は、尺八や琵琶などの非整数倍音を多く含む和楽器を多用している。あるいは、「PROPERTY OF BRIAN ENO」と銘記されたイーノ愛用の初代Mackie1202は結構なノイズが乗る。同じくMackieの専門家、中村としまるさんは非整数倍音の鬼だし、ケン・イケダさんの「Kosame」というアルバムも、楽器に触れる音である非整数倍音にフォーカスされた曲作りに衝撃を覚えた。ヴァイナルやFLACのリリースにこだわり続けるステファン・マシューは、現存する最高の倍音奏者の一人と言って差し支えないだろう。「自分の音楽がCDになる度に、この音楽は自分の音楽ではないと落胆するよ」と言っていた。テイラー・デュプリーをはじめとした12Kの面々も非整数倍音へのこだわりは強い。フェデリコ・デュランドのノイズも、彼のトレードマークに近い。最近はまっている風鈴なんかは、非整数倍音に風で揺れることによるドップラー効果というゆらぎが加わる。

 真空管の魅力も倍音そのものだが、倍音の話を知る以前から、僕の作品はいつも小松音響さんの真空管のラインアンプを通して録音をしてきた。マスタリングもほとんどの場合、真空管を通すようにしている。自身の最初のアルバムの1曲目は「弦と指の間の日常的な会話」という曲で、ウクレレと指の摩擦音によって生じる音がテーマになっている。とくに意識をして作った訳ではないが、20年近く前から、漠然と追い続けてきた「音の肌触り」というのは、この非整数倍音のことだったのかと最近納得している。僕の中で音楽はいつも言葉より先にある。

 もちろん、日本人だけでなく、海外の音楽家もこの非整数倍音への意識は高い。非整数倍音は、左脳で感じようが右脳で感じようが、美しさという点では変わらずに判定できるのだろう。ただ、その美しさに伴う「意味」を感じ取れるとしたら、それは日本語脳を持っている脳の方が向いているのかもしれない。そうなってくると、日本人の音楽は必然的に特殊なものになってくるだろう。

 良くも悪くも、日本人はハイブリッドな人種であることはたしかだ。現在の医学界の中でも、これほど西洋医学と東洋医学の中間に位置する国はない。日本人の選民思想などは持ち合わせていないが、現在の日本という国が世界の中で置かれている位置というのは特別なものがある。

 音環境が日本人の脳を左右するように、日本人の免疫を始めとした身体機構も、おそらくなんらかの特異性を保有している可能性が高い。なぜなら非整数倍音は脳だけでなく、身体にも作用していることがわかっているからだ。現に和服というのは、皮膚に非整数倍音が伝わりやすい構造の衣服でもあるとも言われている。

 この非整数倍音の意味は何か。産業という均一化のベクトルに対して、複雑さをもたらす音によって、近代以降の陰陽バランスを整える意味をアンビエント・ミュージックは担っているのではないだろうか。という僕の解釈を前回書いた。非整数倍音がもたらす心身への作用は大きい。からだとこころの環境に非整数倍音を。

Craig Leon, Jennifer Pike - ele-king

ようやく“ただの楽器”になったシンセサイザー 吉村栄一

 2015年はムーグ(本来はモーグという発音が正しいが、ここでは従来どおりにムーグと表記します)・シンセサイザーの生みの親であるロバート・ムーグ博士の没後10年にあたる年だ。

 ムーグ博士とムーグ・シンセサイザーが電子楽器と音楽の世界に与えた影響の大きさはここで語るまでもないが、それでも、ムーグ・シンセサイザーが世に出た1964年から今日まで、ムーグのシンセサイザー、とりわけその代名詞とも言えるモジュラー・シンセサイザーはつねに音楽の世界の第一線で活躍を続け、世紀を超えていまではすっかりあって当たり前の存在になっている。
 去年から『YMO楽器展』という、70年代末から80年代初めにかけてイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が使用したシンセサイザーその他の楽器を展示するイヴェントを企画している(これまで東京と大阪で開催。この夏には横浜でも開催します https://momm.jp/70/)。
 そこで並べた多くのヴィンテージのシンセサイザーの中で、もっとも注目を集めるのは、やはり“タンス”という通称で知られる巨大なムーグのモジュラー・シンセサイザー。そして、このイヴェントでやや意外だったことは、リアル・タイムのYMOファンだった年代よりもそうとうに若い10〜20代が多く来場し、“タンス”に熱い視線を送ることだった。これはとくに大阪会場で顕著で、話を聞いてみると、YMOそのものよりも、むしろモジュラー・シンセサイザーへの憧れや興味があるという。実際、いま日本のみならず世界中でモジュラー・シンセサイザーへの関心が高まっており、新作の発表やヴィンテージ機器の復刻が相次いでいる。
 先頃、東京や京都ではモジュラー・シンセサイザーのフェスティヴァルが開催されて大盛況にもなっていた。

 かつて1960年代、時代の最先端の楽器であったシンセサイザーでバッハの名曲を録音してシンセサイザーの存在を世に大きく知らしめたのがウェンディ(ウォルター)・カルロスの『スイッチト・オン・バッハ』だった。


Wendy Carlos /
Switched on Bach (1968)

 1968年に発表された同作は、シンセサイザーという新たな時代の新たな楽器に光を当て、世界中に大きな衝撃を与えた。
 それから半世紀近く経ったいま、クレイグ・レオンが突如発表したのが本作『バッハ・トゥ・モーグ』。『スイッチト・オン・バッハ』同様、ムーグのモジュラー・シンセサイザーでバッハの名曲を演奏という内容で、クレイグ・レオン自身も『スイッチト・オン・バッハ』の影響で本作を制作したと発言している。

 しかし、ウェンディ・カルロスが当時まだ使い道が未知の領域にあった新しい楽器、シンセサイザーでバッハを演奏したアルバムを作ることと、21世紀のいま、つまりシンセサイザーが未知の楽器から最先端〜先端の楽器という時代を通り抜けて普遍的な存在となっているいまとでは、その意味合いは大きく異なる。

 本作は先頃ムーグ社によって復刻された1970年代初期のモジュラー・シンセサイザーの名器システム55を使用して録音されている。最新の楽器どころか、およそ40年近く昔の楽器の音でのバッハ。多くの人は「なぜいまこんなアルバムを?」という疑問を抱くだろう。
 しかし、このアルバムを聴いていると、じつは人がそんな疑問を抱くことこそが不思議な気持ちにもなってくる。
 というのも、いまもなお世界中でバッハの曲はピアノで演奏され、それを録音したアルバムが多く作られている。
 誰も「なぜいまバッハの曲をピアノで?」と疑問に思ったりはしない。
 それはピアノという楽器は1700年代初めに開発されて以来、音楽の世界で浸透し、いまでは多くの人びとに愛される日常の楽器となっているからだ。
 おそらくピアノが開発された当初は、クラヴィコードやチェンバロといった楽器のために書かれたバッハの曲が、それらとは音色もオクターブもちがう新参の未知の楽器、ピアノで演奏されることに、多くの人が衝撃を受けたにちがいない。バッハがあずかり知らぬピアノなどという新楽器による演奏は、バッハの曲への冒涜だと感じた人もいただろう。
 シンセサイザー演奏による『スイッチト・オン・バッハ』も同様だった。

 しかし、半世紀近く経ったいま、シンセサイザーはすでにピアノ同様、音楽の世界に膾炙した日常の楽器だ。クレイグ・レオンはむしろこう考えたのだろう。「ピアノのバッハはたくさんあるのに、なんでシンセのバッハは最近ないんだ?」あくまで想像だが、クレイグ・レオンは、シンセサイザーはピアノと同様のすでに日常にある普遍的な楽器であり、クラシックでもジャズでも「ふつうに」演奏に使われるべきと考えたのだろう。

 それを前提に本作を聴くと、そうしようと思えばいくらでもできたはずなのに、どの曲でもいかにもそれらしい電子音は使用されていない。『スイット・オン・バッハ』ではシンセサイザーという新しい楽器の特色を強調するためにあえて使っていたいかにもな音色はここではほぼ使われていないのだ(ブランデンブルグ協奏曲など一部使っているが)。
 シンセサイザーという楽器を強調するためのアルバムではなく、バッハを演奏するのが主眼のアルバムだからだ。よくもわるくもここでのシンセサイザーはただの楽器。だから、同じくただの楽器であるヴァイオリンもシンセサイザーで音色をシミュレートするのではなくヴァオリニストを招聘して生音を躊躇なく使う。

 ムーグ博士がムーグ・シンセサイザーを世に送りだして60年。シンセサイザーはここに至って、ようやく新奇の異端楽器ではなく、ピアノやヴァイオリンやギターと同じようなただの楽器として日常に浸透したのである。本アルバムがそのなによりの証左だ。

 英語圏ではBachをバッハではなく、バックと発音することが多い。
 本作はすなわち「バック・トゥ・ムーグ」。バッハをムーグのもとに一度バックする(返す)ことによりくっきりと浮かびあがる「シンセサイザーがようやく楽器としての市民権を得たこの時代」を、寿いでいるように思えてならない。

文:吉村栄一

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モーグにとって“バッハ”とは? 前島秀国

 30年ほど前、某クラシック評論家がウェンディ・カーロスのモーグ・シンセサイザーを聴いて、「クラシックがオモチャにされているようだ」と宣った。カーロスをはじめ、多くのシンセシストたちが酔狂でクラシックを演奏していると思っていたのだろうか? おそらくその評論家は、たったひとつの音色を初期ムーグ・シンセサイザーから引き出す作業が、どれほど困難で時間のかかることなのか、まったく無知だったに違いない。

 カーロスの『スイッチト・オン・バッハ』の登場以降、シンセシストたちがベートーヴェンでもモーツァルトでもなく、バッハをこぞって演奏した理由もそこにある。つまり、彼ら彼女らが苦労して作り上げたモーグの音色をデモンストレートするのに、バッハの音楽が最適だったからだ。ハーモニーが音楽の重要な要素のひとつとなるモーツァルト以降のクラシック曲よりも、2本または3本のすっきりとしたメロディラインが対位法的に戯れていくバッハのほうが、モーグ独特の音色の特徴が伝わりやすい。せっかく作った音色も、分厚い和音の海に溺れてしまっては、元も子もないから。
 モーグの“オタマジャクシたち”にふさわしい泳ぎ場は、ドラマティックな転調やノイズすれすれの不協和音が渦巻く荒海より、むしろ音楽がなだらかに流れる“せせらぎ”のほうである。ドイツ語でバッハ(Bach)という言葉は「小川」を意味するけれど、水草のようにケーブルが生い茂ったモジュールから生まれた“オタマジャクシたち”にとって、これほど自由に泳ぎ回れる居心地のいい“小川”は、いまも昔も他に存在しないのだ。

 今回の『バック・トゥ・モーグ』では、その“オタマジャクシたち”がヴァイオリンや室内オーケストラの生楽器とともに“小川”に入り、なんら遜色のない泳ぎを披露している。胡弓のような雅をまとった、エレガンスあふれる“ヴァイオリン・ソナタ第4番”。こびとがリコーダーを吹いているような、微笑ましい“ブランデンブルク協奏曲第4番”。もう、オモチャなんて言わせない。

文:前島秀国

R.I.P B.B. King - ele-king

 ブルースの王者、と何の注釈も懐疑も付されることなく尊称を受けた人物、BBキングが89才でこの世を去った。2015年5月14日。王者の死とは何を意味するのだろう。あるいはブルースの死とほとんど変わらない意味を持つものなのか。
 BBが身近な存在だった人もいれば、ブルースなんてまったく別世界、という人もむろん多かっただろう。根源的な音楽、だけれど避けて通りたい音楽、できればその音楽ファンだと悟られたくない音楽……であったかもしれない。でもこの世に生きている以上、その網の目から逃れることのできないのは、ブルースという音楽の持つ根強さ、存在感、無意識のうちに人に宿る精神性あればこそである。BBキングはまさにそれを体現していた。
 
 1925年、和暦で言うなら大正14年、日本では初めてラヂオ放送が開始されたというこの年、蛇行するミシシッピ川と歩みを共にする死の川、ヤズーの流れを近くに見るデルタ地帯バークレアで貧しい刈り分け小作人一家に生まれたライリー・B・キングだったが、空腹をどうにも抑えきれないまま、州を東西に走るハイウェイ82を往きつ戻りつした少年時代から星霜いくつか、終のすみかとしたのは、糖尿病と闘ったラスヴェガスの自宅であった。死ぬまで現役、2度の結婚暦があるが66年以降独身であり、15人の女性の間に15人のこどもがいる、と本人は確認していた。
 功成り名を遂げた人生のように思えるが、そこへ至る道筋は容易なものではなく、何よりもBB本人の不屈の前へ進む力、底知れぬエネルギーがあって初めて実ったものだった。
 BBのブルースに対する姿勢は首尾一貫したものがあったが、その周囲の聴き手は揺れ動くものだった。メンフィスのラジオ局でDJとして活動していた頃の1952年「夜明け前3時のブルース」の大ヒットによって一躍黒人社会で名声を手にした。しかしそのあと、ロックンロールの時代の到来により人気下降の音楽となったブルース、それに歩調を合わせようとしたり、また白人ポピュラー歌手の分野に入ってなんとかメインストリームの聴衆をつかもうともした。最も心が痛んだのは、黒人聴衆がブルースに背を向けたときだったろう。ブルースは奴隷制時代を思い出させる、過去の忌まわしい音楽、というような見方が広がり、ステージでブーイングを受けたこともしばしばだった。その苦しみからの救出は、60年代後半にやってきた。ロック・ギタリストたちによる一種の神格化である。68年、初めて線路を渡り、今や伝説的なライヴ、フィルモアへの出演では、ステージに登場するなり観客が総立ちとなっており、BBは感激のあまり涙を流したと伝えられる。一部とはいえ黒人客からのリアクションとのこの違い。自分の音楽をなんとかしてメインストリームに届けたいと思い描いてきたBBにとって、突然の啓示ととらえられたのではないだろうか。60年代初めにはBBの打ち立てたモダン・ブルースは完成していた。ホーン・セクションを前面にしてドライヴし続けるバンド・サウンド、核心には愛ギターのルシールに歌わせながら、一体化してゆく自身の濃密な歌。ヴォーカル&ギターの合体があってこそのキングの称号であり、ブルースの一大革新である。
 71年初めて日本へやってきた。年に300日を超えるワン・ナイターを繰り返すBBだが(記録では1956年には年間342回のライヴを行ったことがある!)それと寸分違わないショーを日本人に披露、このライヴにはぼくも度肝を抜かれたものである。ロックでもない、ソウルとは違う、かといってジャズとは別もの。初めて日本にブルースが屹立した。このとき、公演を行った今や伝説的ショウ・クラブ、赤坂ムゲンの屋根裏楽屋で幸運なことにインタヴューする機会を得たが、その人当たりの良さにさらに驚愕したものだ。まだ40代の王者の顔をのぞき込む。いったいこの人はどういう人物なのか、お人好しか、あまりにもプロフェッショナルなのか……BBの好きそうなレコード、ドクター・クレイトンのブルースなどかけながらぼくは判断しかねていた。ちょうど彼の最大のヒット曲ともなる「スリル・イズ・ゴーン」の時期だ。「スリル・イズ・ゴーン、いやまったく」などとレコード評にしたり顔で書く男もいたが(筆者です)、一般世界ではとっつきにくいと思われたブルースがいくぶんポップ分野に降り立ってきたところだった。
 この時点でBBはスーパー・ギタリストとしての扱いを主にロック側から受けるようになっていた。だからといって黒人聴衆をないがしろにするような人物ではなく、いわゆるチタリン(臓物)・サーキット(黒人ミュージシャンが渡り歩くライヴのルート)回りは続けている。エリック・クラプトンやU2との共演が飛躍的にファン層を広げたのは確かだし、それはBBの意志と、60年代からバックについたマネージャー、シドニー・サイデンバークの力の結晶でもあった。そんな一方、時期的には晩年になるが同じミシシッピ出身のヒップホップ・ニューカマー、ビッグK.R.I.Tの人種主義をテーマにした曲に敢然と参加したりしたのも、BBにとって決して忘れることのない事柄が何なのかを端的に示していた。それは前を見据える25才の青年と酸いも甘いもかみわけた85才の老人が意気投合した一瞬であり、ブルースという名前を持った音楽が飄々と現れることに、アメリカにとって逃れることのできないくびきを感じる場面だった。「ヒップホップはブルースだ」とはBBの訃報に接したジェイZの一言である。
 王者はスウィート・チャリオットに乗って、たゆたう天空を昇っていった。だがブルースは誰の心にも生き続ける。それがBBの大書していった遺言である。

interview with Jim O'Rourke - ele-king


Jim O’Rourke
Simple Songs

Drag City / Pヴァイン

Rock

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別冊ele-king ジム・オルーク完全読本 ~all About Jim O'Rourke~
ele-king books

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 1999年の『ユリイカ』は、80年代末から90年代初頭、ハードコアな作風で頭角をあらわした彼のポップな側面を示したもので、実験性とポップさとの混淆は当時音響とも呼ばれ、往時を偲ぶよすがにいまはなっている。そこから16年、『ユリイカ』を継いだ『インシグニフィカンス』(2001年)から数えても干支がひとまわりしてあまりあるあいだ、ジム・オルークは自身の名義のポップ・アルバムを江湖に問うことはなかった。ブランクを感じさせないのは、彼はプロデュースやコラボレーション、あるいは企画ものの作品に精を出してきたからだろうし、おそらくそこには心境と環境の変化もあった。ひとついえるのは、『シンプル・ソングズ』ほど、「待望の」という冠を戴くアルバムは年内はもう望めないだろうということだ。そしてその形容は過大でも誇大でもないことはこのアルバムを手にとったみなさんはよくわかってらっしゃる。まだの方は、わるいことはいわない、PCのフタを閉じてレコ屋に走るがよろしい。ついでに本屋に立ち寄って『別冊ele-king ジム・オルーク完全読本』をレジにお持ちいただくのがよいのではないでしょうか。『シンプル・ソングズ』のあれやこれやはそこに書いてある。

 余談になるが、今回の別エレでつきあいの古い方々に多く発注したのは、彼らが信頼のおける書き手であるのはもちろん、かつて勤めていた媒体が復活すると耳にはさんだせいかもしれない、とさっき思った。対抗するつもりは毛の先ほどもなかったけれども、意識下では気分はもうぼくたちの好きな隣町の七日間戦争ほどのものがなかったとはいいきれない。つーか内ゲバか。と書いてまた思いだした、『完全読本』の巻頭インタヴューでジムさんは「Defeatism」つまり「敗北主義」なる単語を日本語でも英語でも思い出せなかった。話はそのまま流れたので、そのことばはどの文脈に乗せたものか、もはやわからないが、メジャーとマイナーという二項対立では断じてなかった。

 本稿は『完全読本』掲載のインタヴューより紙幅の都合で割愛した部分と、別日に収録したものをミックスしたものであり、『シンプル・ソングズ』のサブテキストのサブテキストの位置づけだが、ジム・オルークにはこのような夥しい聴取の来歴があることをみなさんにお伝えしたかった。まったくシンプルにはみえないが、すべては音楽の話であるという意味ではシンプルこのうえない。

当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

ジムさんがヨーロッパによくいたのは何年から何年ですか?

ジム・オルーク(以下JO):88年からですね。そのときはまだ大学生だったので、学校が休みになったときにヨーロッパにいっていました。

アイルランドに行ったついでに大陸に足を伸ばしたということですか?

JO:アイルランドは高校生のときですね。大学のときはまっすぐアッヘンに行っていました。アッヘンを拠点にしていました。

アッヘンに行ったのは――

JO:クリストフ(・ヒーマン)さんがそこに住んでいたからです。彼のご両親はビルをもっていて、その1階は狭かったのでドイツの法律ではたぶん賃貸に適さなかった。それで倉庫というか、実際はクリストフさんのスタジオになっていたんですが、彼はあまりそこを使っていなくて、それで欧州滞在時の私の部屋になったんですね。あのときはライヴをするといっても、一ヶ月の間に2回、せいぜい3回くらいで、アムステルダムでライヴがある場合は当時アムステルダムに住んでいたジョン・ダンカンさんのところに2、3週間やっかいになる、そんな生活でした。アンドリュー・マッケンジーさんも近くに住んでいました。当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

クリストフ・ヒーマンと出会ったきっかけはなんだったんですか?

JO:88年だったと思いますが、クリストフがオルガナムとスプリットの12インチを出すことになっていたんですね。オルナガムのデイヴ・ジャックマンはそのとき私の出したカセットを聴いていたらしく、ジャックマンがクリストフに「ジム・オルークといっしょにやったほうがいい」と手紙を書いたんですね。それでクリストフさんに誘われて、船に乗ってアッヘンに行ったんです。

デイヴィッド・ジャックマンがつなげたことになりますね。

JO:その大元はエディ・プレヴォーさんです。私は13歳のときにデレク・ベイリーと知り合って、15歳のときにエディさんとも面識ができました。私はエディ・プレヴォーとデイヴィッド・ジャックマンとスプリットLP(『Crux / Flayed』1987年)が大好きでしたから、エディさんにそういったら「じゃあデイヴィッドと会ったほうがいいよ」と。デイヴィッドさんに会ったら、オルガナムを手伝ってくさい、となり、デイヴィッドさんがクリストフさんに紹介して――といった感じですね。オルガナムには6、7年間参加していました。クレジットはあったりなかったりですが。

なぜクレジットがあったりなかったりするんですか?

JO:それがデイヴィッドさんのスタイルなんです。彼の音楽なのでクレジットは私は気にしない。でもときどき書いてありました。だから私もどのレコードに自分が参加したのが100%はわからないんですね。

憶えていない?

JO:録音したのは憶えていますが、音楽を聴いてもわからない(笑)。

オルガナムではジムさんはなにをやったんですか?

JO:ギターとベース。ですが演奏というよりミックスでした。最初にやったときは演奏だけだったんですが、そのとき録っていたスタジオのエンジニアのミックスをデイヴィッドさんは気に入らなかったらしく、私に試してみてくれといったんですね。それで私のほうを気に入ったから、それからお願いされるようになりました。94、95年くらいまではやっていたと思います。でもそれは仕事ではありません。チャンスがあればいつでも参加しました。

デイヴィッド・ジャックマンはどういうひとですか?

JO:いわゆる「英国人」です(笑)。60年代の共産主義ラディカルを体現したようなひとでした。キース・ロウと同じ世代ですから。

コーネリアス・カーデューもそうですね。

JO:そうです。キース・ロウさんはスクラッチ・オーケストラですから。でもじつはキースさんよりデイヴィッド・ジャックマンのほうがキンタマがあったね(笑)。これは簡単にはいえませんが、彼らの政治的なスタンスにかんしては、そういうひとたちは反対意見にたいして、自分たちが正しいと意固地になる傾向があると思うんです。ところがデイヴィッドさんは相手が共産主義者であるかそうでないか気にしない。かたいひとですが、かたいだけじゃない。

いまでも連絡することがありますか?

JO:ときどきありますが、彼は頻繁に連絡をとりあうタイプの方ではないです。私はあのとき、イギリスにいましたから連絡は簡単でしたが、いまは日本ですからほとんど連絡しません。彼はインターネット世代ではない。インターネットを使ったこともほとんどないでしょう。連絡はもっぱら手紙。電話もなかったかもしれない。私もいまはすこしそういった感じですが(笑)。

メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。

ジムさんはそういう世代から考え方の面で影響は受けましたか?

JO:もちろん受けました。意識してはいませんでしたが。というか、私はまだ10代でしたから、なにもわかりませんよ。私はアメリカ生まれでしたが、両親はアイルランド人でアメリカは関係なかったですから、あのひとたちのほうがかえってわかりやすかったんです。

ヒーマンさんなんかはエディさんやデイヴィッドさんより、近い世代ですよね?

JO:ヒーマンさんは私より年上ですが、私と会ったとき、私は18、19で彼は23、24。ちかい感じはありました。あのとき彼はまだH.N.A.S.をやっていましたね。

H.N.A.S.についてはどう思いました?

JO:『Im Schatten Der Möhre』は好きでした。クリストフさんの先生はスティーヴン・ステイプルトンなんですね。でも私はそのとき彼は好きではなかった。

でもジムさんはナース・ウィズ・ウーンドといっしょにやっていますよね?

JO:うぅ。でも会ったことはありません。一度だけ電話で話しました。いいひとだと思うけど、NWWは私は好きじゃない。

どういうところが?

JO:スティーヴン・ステイプルトンはすごくレコードを蒐集しているんですが、彼がつくるほとんどの音楽は現代音楽のコピーだと思う。たとえば、この曲はロバート・アシュリーの“シー・ワズ・ア・ヴィジター”とかね。クリストフさんはスティーヴン・ステイプルトンのお陰で現代音楽にめざめたところがある。私は逆でした。コピーするのは問題ないんですよ。でもなにかが足りないだね。現代音楽のカヴァー・バンドに聞こえる。当時私は大学でそういった音楽を勉強していましたから、なおさらコピー、チープなコピーに思えたんです。それでよくクリストフとケンカなった(笑)。それでNWWは好きじゃなかったんですが、ときどきほんとうに音楽が彼のものになることがあって、それはおもしろかった。

ジムさんは10代の頃から現代音楽には深く親しんでいたんですね。

JO:そうですが、現代音楽はけっしてアングラなものではありませんよ。ジョン・ケージは生きていましたし――

だからといってだれもが聴くわけではないですよね。

JO:それは関係ない。メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。新聞で雑誌でそういうものを読むこともできました。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。彼は有名人。普通のレコード屋にも彼のポスターが貼っていたんですよ。これは30年前の話ですが、いまから30年後には「どうしてあの時代、灰野敬二を聴いていたんですか?」ともしかしたら訊かれるかもしれませんが、灰野さんは現役でライヴもやっています。レコード屋にはいればレコードがある。ふつうのレコード屋にもジョン・ケージもフィリップ・グラスもヘンリー・カウの仕切りもあったんです。まったくヘンなものではなかった、だれもが見つけることができる音楽。
 そう訊かれるのが私のいちばんのフラストレーションでもあります。私とだれかが同じタイミングでレコード屋にはいれば、そのひとがヒット曲のレコードを買うように、私はオーネット・コールマンのレコードを買うことができた。私がえらいわけではありません。もしそのひとが左に曲がれば、同じようにオーネット・コールマンのレコードを買ったかもしれない。フィリップ・グラスもスティーヴ・ライヒもCBS、メジャー・レーベル・アーティストですよ。インディペンデント・レーベルの文化がまだない時代のことですね。独立レーベル、プライベート・プレスはありましたが。

私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。

ジムさんはそういったインディペンデント・レーベルができたことで音楽が区別されるようになったと思いますか?

JO:たとえば大学では、音楽を勉強して修士になり博士になる。大学に残りつづけて先生になり、生徒が自分の作品を演奏する。死ぬまでの目的が決まっている感じがしました。同時にハフラー・トリオやP16.D4のような音楽、RRRレコーズのような音楽とピエール・アンリやリュック・フェラーリのどこがちがうのか。そこから私は、自分をコンポーザーと定義するのが好きじゃなくなったんです。現代音楽の世界――それは音楽そのものではなくて、そのやり方です――にアレルギーを覚えはじめた。これは正しい言い方ではないと思いますが、ブルジョワジーの歴史をつづけることに荷担するのがイヤになったんです。彼らがそれに気づいているかどうかは関係ありません。ただそこには参加したくなった。それで、私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。私が電子音楽をやる場合でも、私が自分の曲をコンポジションと定義し、そういうひとに評価され、その世界で仕事するようになればその世界の住人になる。そこには参加したくないから意識的に「Composed by」のクレジットはいれないことにしました。これはほんとうに私の人生ですごく大事なことです。

心情的にイヤ?

JO:その世界の10%はいいものですが、のこりの90%はゴミです。そんな世界、ゴメンです。大事なのは作品です。私が人間として大事なのではない。あのゲームはやりたくない。

ジムさんが好きだった作曲家といえば当時どういったひとでした? フィリップ・グラスとか――

JO:グラスは75年までですね。だって私はそれまでずっとそんな音楽ばっかり聴いていたんですよ。チャールズ・アイヴズはもちろん好き。電子音楽はもっといっぱいいます。リュク・フェラーリだってそうですし、ローランド・ケインは電子音楽のなかでもいちばん好きで、オブセッションさえあります。彼の音楽だけは、どうしてそうなっているのか、まだわからない、秘密の音楽なんですね。ほとんど毎日勉強する、ちゃんと聴いていますよ。彼は電子音楽についてはもっとも影響力のあるひとだと思います。影響という言葉とはちがうかもしれない。彼の音楽はそうなっている理由がわかりませんから、具体的な影響とはいえないかもしれない。大学のころに聴いていた現代音楽の作曲家の作品はほとんど聴かなくなりました。

いま、たとえばトータル・セリエル、ミュジーク・コンクレート、偶然性の音楽、そういった現代音楽の分野でいまだ有効性があるものはどれだと思いますか?

JO:大学のころ、私はピエール・ブーレーズにすごいアレルギーがありました。ぜんぜん好きではなかった。それが過去5年の間に、偶然入口を見つけました。もちろん全部の作品が突然好きになったのではなくて、とくに“レポン”という作品はよく聴いていて、すこしわかるようになりました。
 トータル・セリエルの問題は音楽がスコアにはいっているということです。100%そうだとはいいませんよ。でもそれはすごい問題です。

ミュジーク・コンクレートのようなスコアで表せない音楽を、ジムさんは評価するということですか?

JO:そういう意味じゃない。セリエルのスコア、コンポジションの考え方は、八分音符から三連符になり、その逆行形になって――という考えを捨てない。とくにアカデミックなコンポーザーは。考え方が全部スコアにはいっている。そう考えると彼らの言語はほんとうに「細い」と思う。だから彼らは彼らの音楽を聴いたひとが「わからない」というと、それを聴いたひとのせいにするのです。でもわからない理由の半分は彼らの側にもあると思う。スコアにC(ド)の音を書く、しかしそれはただのCではない。そこには音色がありニュアンスがあります。彼らのスコアを音楽にするにも次の翻訳の段階が必要なんだと思う。どうしてそれをやらないか、私はわかりません。そういう音楽をやることがまちがっていると私はいいたいのではありません。ただそれをわからないのを聴いたひとのせいにするのは失礼です。

99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在を消し去るということなんです。

ケージの偶然の音楽はどうです?

JO:ケージの音楽は偶然ではありません。それを語りはじめるとそれだけで本になります(笑)。ケージの音楽をやったことがないひとはたぶんわからないと思う。ケージの音楽はかなり難しい。問題は彼のスコアは表面的に理解するには苦労しません。でも簡単じゃないんです。

簡単じゃないというのは自由がないということですか?

JO:99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在をどうやって消し去るかということなんです。それはチャンスではない。正しくとりくめばそれがわかるはずです。私は音楽家としてケージの作品を何度か演奏しましたが、いっしょに演奏したひとたちがまったくわかっていなくて、ムカついたこともありますし、逆に勉強しすぎて音楽がかたくなったこともあります(笑)。その意味でもケージの音楽は難しい。

勉強しすぎてもダメだし勉強しすぎてもダメ?

JO:しないのはいちばんダメで(笑)、でも勉強やりすぎてもね。両方地獄だね(笑)。でも私のこの考えが100%正しいといいたいのではない。

フルクサスとジョン・ケージは同じくくりに入れられることがありますが、同じだと思いますか?

JO:まったくちがいます。

フルクサスはどう思います?

JO:あんまり興味がない。ボンボンの遊び。若いときにそういった考えになるのはわからなくもないですよ、でも50代でも同じことをやっているのはちょっとどうかと思う。

ハプニングはどうですか?

JO:歴史的に、次の段階に向かうためにそういったことが必要だったのはよくわかりますよ。歴史に敬意を払うことは、いま現在、作品をどう聴くかということと無関係です。ハプニングのような作品は尊敬はしても、(私には)ほんとうに関係がないんです。それにフルクサスはアートの世界のものです。

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若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。いまは時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。

フィールド・レコーディングはどうです? 私は『別冊ele-king』の作業中、『USE』をよく聴いていましたよ。デザイナーの佐々木暁さんに音源をもらったんですね。

JO:ホントに! あれは聴くものじゃないよ。「どうぞ、使ってください」という意味で、だから「Use」なんです(笑)。

(笑)流しているといいですけどね。

JO:私、聴いたことない(笑)。

Pヴァイン安藤氏:『Use』ってDATで出した作品ですよね?

そうそう。DATの長時間録音機能を使った4時間ちかい作品。

JO:私はもってない(笑)。『Use』はあれを出した〈Soleilmoon Recordings〉のひとがそういった作品をやりたかったんですね。それで「どうぞ、どうぞ」って。音源自体は『Scend』(1992年)で使ったものの残りですね。それをどんどんくっつけて、「はい、終わり」といって渡した。

『Scend』のマテリアルということですか?

JO:はい。

エディットしたのはジムさんですよね?

JO:編集というほどのものじゃない。

適当?

JO:はい(と声高らかに)。編集しなかった。あのときはポータブルのDATプレイヤーでいろんなところで録音していましたから、音源はいくらでもあったんです。

当時フィールド・レコーディングにハマッていたんですか?

JO:いまもやっていますよ。

どういうときにやるんですか?

JO:若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。若い頃は、そういった作品をつくりたくて、たとえば工場などですね、そういったところにわざわざ出かけていきました。いまは聴いたことのないような音を偶然見つけたときにレコーダーをまわします。

DATはまだおもちですか?

JO:もっていますけど、でもDATはほんとうにダメだね。音が悪い。とくにA-DAT。あれはヒドい。音よくないよ。レッド・クレイオラのレコーディングは全部A-DATだったんですよ。メイヨ(・トンプソン)さんはA-DATで作業するから。まだS-VHSのテープを使っているかはわからないけど。私が最初に参加したレッド・クレイオラの『ザ・レッド・クレイオラ』(1994年)はアルビニさんのスタジオで録りましたけど、『ヘイゼル』(96年)も『フィンガーペインティング』(99年)もA-DATだったね。

メイヨさんは音にこだわりがない?

JO:わけではないですけど、普通の意味でのいい音にこだわりがないということでしょう。彼にはほしい音色がわかっているんですけど、それはかならずしも正しい録音ではないということですね。

ジムさんはいっしょにやったとき、メイヨさんに「こういう音がほしい」といわれました?

JO:私はアルバムの何曲かをミックスしているんですが、私のミックスはあまり好きじゃなかったので、別の音源を使ったんですね。それで私がミックスした『フィンガーペインティング』を10年後に偶然聴いて気に入ったので『フィンガーポインティング』(2008年)として出し直した。でも逆に私があのミックスはメイヨさんの好きそうなミックスを試してみたものなので、ちょっと気に入らないところがあるんですね。

ジムさんがいま聴いて気に入らないものはほかにもありますか?

JO:いっぱいあるよ(笑)。

たとえばウイルコなんかは出世作だといわれていますよね。

JO:ウイルコは大丈夫。でも私は『ヤンキー・ホテル・ホックストロット』(2002年)より次の『ア・ゴースト・イズ・ボーン』(2004年)のほうが好き。『ヤンキー~』は途中から参加した作品ですが、『ゴースト』は最初から最後までかかわったレコードでしたから。

NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックにはジムさんは多大な影響を受けていますよね?

JO:大学のころ、そういった音楽は勉強しましたが……いちばん影響を受けたのは高校生のころですね。グラス、ライヒ、ウィム・メルテン、マイケル・ナイマンも好きだった。当時はフィリップ・グラスの“Strung Out”のような、作者の考えが見える、聞こえる作品が好きでした。2+3+1+2+……のような構造ですね。私もじっさいそういった作品をつくって、カセットもありますけど、ちょっと恥ずかしいだね(笑)。

出したらいいじゃないですか?

JO:なんで(笑)!?

デジタル・リリースすればいいじゃないですか(笑)?

JO:イヤですよ。

演奏はジムさんがやっているんですか?

JO:私と、私ができない楽器は別のひとに頼みました。大学のときに、私はフィル・ニブロックはじめ、ヨーロッパのミニマル・ミュージックに傾倒していきました。なかでもマイケル・ナイマンは大好きだった。

マイケル・ナイマンは後に映画音楽で有名になりましたよね。

JO:あとのことはわかりません。私は『ピアノ・レッスン』(1992年)も知らない。『プロスペローの本』(1991年)までですね。さいきんまた追いかけるようになって、聴いていなかったCDを買いました。ギャヴィン・ブライアーズも同じ。84、85年まではリアルタイムでレコードを買っていましたが、次第に買わなくなったので聴き直したいと思ってナイマンのレコードを探したんですけど、びっくりしました。彼はこの25年でいっぱいレコードを出したんだね。でも私はむかしのほうが好きです。彼も後年“コンポーザー”になってしまった。グラス、ライヒ、ブライヤーズ、アダムズは過去25年間の作品は私はほとんど知りません。そのなかではグラスやライヒは25年前の時点ですでに私の興味を引くようなものではなくなってしまっていた。(ライヒが)『The Desert Music』を出したとき(1985年)、私はそれを買って、そういった音楽が好きな友だちと喜び勇んでいっしょに聴いたんですが、レコードが終わるころには無言になった(笑)。そのあとは『Different Trains』(1989年)ですから。もういい、と(と両手を振る仕草をする)。もちろん尊敬はしていますよ、ただ興味がないだけで。グラスは83年の『The Photographer』までですね。『Songs From Liquid Days』(86年)でやめました。

リアルタイムで聴いてそう思ったんですね。

JO:そうです。『Music In Twelve Parts』(74年)や『Einstein On The Beach』のもともとのヴァージョンは好きですよ。新録はよくないけどね。むかしのファーフィサオルガンには重さがあるんだね。

ヴィンテージとシミュレーションだとちがうでしょうね。

JO:彼らの音楽から重さが消えたらプラスチックみたいになってしまう。たぶん年をとると気になるポイントが変わるんですね。重要なのは、彼らは若いころ、演奏まで自分たちで行っていたんですね。それが“コンポーザー”になると役割は紙の上で終わり、演奏は知らないひとがやるわけです。ワーグナーの時代では作曲家はもともとそういった性格のものだった。彼らは自分たちのグループのために作曲することのできた時代のコンポーザーなんですね。その典型がグレン・ブランカで、彼の委嘱作品は自作自演には劣りますよ。音楽が手段に戻っている感じがあるんですね。これは非難ではありませんよ、作品が変わってしまうんです。

ジムさんはそこに参加したくなかった、と。

JO:そうそう。

ミニマル・ミュージックと厳密に定義できないかもしれませんが、シャルルマーニュ・パレスタインはどう思われますか?

JO:彼は音を使ってはいますが、作曲家というよりアーティストですね。人生そのものが彼の作品だと思います。

アーティストで音楽をやるひと、たとえばマイク・ケリーさんのようなひとたちはどう思いますか?

JO:ジェネレーションの問題があるんですね。尊敬していますが、ほんとうの意味で心底つながった感覚を得ることはなかなかむつかしい。彼らの前の世代に私は強く惹かれて、そのあとの世代も理解できるんですが、マイク・ケリーさんの世代、トニー・アウスラーさんもそうですね、すごく尊敬しますが、入口をいまにいたるまで見つけられないんです。ふたりともトニー・コンラッドの生徒なんですけどね。

ジムさんもそうですよね。

JO:そう(笑)。(いうなれば)兄弟子なんですよ。その葛藤がたぶん……ある。つまり尊敬の対象であっても興味のそれではないということなすね。たとえばリチャード・プリンスはわかるけど、興味を惹かないのと同じで。

『Sonic Nurse』のときはジムさんはソニック・ユースにまだいましたよね?

JO:いちばんがんばったアルバムです(笑)。

あのカヴァー・アートはリチャード・プリンスでしたね。

JO:あれを決めたのはキム(・ゴードン)さんですね。彼らはむかしからの友だちで、私も会いましたけどいいひとでしたよ。

ジムさんは、NYだとジョン・ゾーンについては言及するけど、ほかのミュージシャンについてあまり話しませんね。

JO:関係ないんですね。

そこには興味がない?

JO:いやいや、ジョンさんがなにをやっているかはいつも興味をもっていて、つねに聴きたいですよ。ただルーツではないという意味です。

アラン・リクトやマザケイン・コナーズは似たようなルーツをもっているということですか?

JO:アランさんはむかしからの友だちですね。NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。でもあの時代は、前のインタヴューでもいいましたけど、私はNYの部屋にほとんど住んでいなかった。ツアーに出ているか、そうでないときはプロデュースの仕事で別の街にいました。

『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックの影響はジムさんのなかにまだ残っていますか?

JO:あるでしょう。表面的なものではなくて、作曲における構造上の影響ですね。音を垂直的に考えない。それはミニマルやチャールズ・アイヴズのような作曲家からの影響ですね。

ポップ・ソングを書くときもそうですか?

JO:ええ。『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。それが目立たないようにも工夫しますけど。目立っちゃうとフュージョンになっちゃうから(笑)。

それはあからさまなポリリズムということですか?

JO:ポリリズムはすごく大事です。だけどいかにもなポリリズムな感じはほしくない。むしろ「なにかが正しくない」といった感じになってほしいんです。不安な、どこに坐ったらいいのかわからない感じですね。それが目立つとテーマになってしまいますから。あえて目立たせることもありますけど、それは冗談みたいなものというか、プログレやフュージョンが好きなことにたいする罪の意識かもしれない(笑)。

たとえばキング・クリムゾンの“Fracture”にも途中ポリリズムのパートがありますよね。ああいったわかりやすい感じはあまり好きじゃない?

JO:“Fracture”は難しくないよ。それよりUKですよ。UKは仕方ない、私、UK大好きですから。聴くのは楽しいけど、でもちょっと恥ずかしいかもね(笑)。

ジェネシスとキング・クリムゾンの大きなちがいはなんですか?

JO:キング・クリムゾンにはナゾがあまりないですね。聴くとわかってしまって、聴き直す気があまりおこらない。ライヴ音源には失敗があるから味があっていいんですが。

ロバート・フリップは失敗がいいとは思っていないはずですよ。

JO:ちょっと潔癖症なんだね。これも非難ではありませんよ。興味の問題であってね。

音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

シカゴ時代まわりにいたひと、たとえばトータスのメンバーにキング・クリムゾンが好きなひとはいなかったですか?

JO:バンディ(・K・ブラウン)さんは好きだったかもしれません。私はそうじゃないけど、インディ・ロックのひとたちにとってプログレはクールじゃないんだね。「ウェザー・リポートっぽい」と褒めたつもりでいったらすごくイヤな顔をされた憶えがありますよ。

『別冊ele-king』のインタヴューではシカゴに住んでいた当時、プログレ・フレイバーの音楽が流行っていたとおしゃっていましたね。当時ジムさんのまわりでもラッシュみたいなバンドは人気だったんですか?

JO:ものすごい人気でしたよ。いつでもラジオから流れていましたから。

ジムさんはラッシュをコピーしたことはないの?

JO:高校生のとき、バスケの試合でハイスクール・ジャズバンドがハーフタイムで演奏するんですね。私はそのバンドでギターを担当していて、そのとき“Yyz”をジャズバンド用にアレンジしたことがあります(笑)。

うけました?

JO:めちゃくちゃもりあがりました(笑)。日本ではラッシュはちょっとアングラですけど、アメリカでラッシュはすごく有名でしたよ。音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

ウソー(笑)。

JO:ウソじゃないよ! ラッシュはいまでもライヴするとなるとスタジアムですよ。彼らのファンは死ぬまでファンですよ。テレビには映らない、新聞にも載らない、でもブラジルにもスタジアムを埋めるほどのファンがいる。じつはまだ観たことがないんですよ。それはすごく残念。もし彼らが韓国でライヴするなら、私は福岡から船で行きますよ。彼らは日本ではあまり人気がないから、ギャラと釣り合わなくてコンサートができないんですよ。

安藤:84年に一度来日していますね。

大きい会場ではムリですよね。

安藤:武道館でやったと思うけどね。

JO:海外の規模を考えると武道館が彼らにはちいさすぎるんですよ。AC/DCも同じですよね。AC/DCはさいたまスーパー・アリーナで観ましたけど。彼らのすべてのレコードを聴く気はありませんが、あの手の音楽では一番でしょうね。

モーターヘッドも同じようなものではないですか? フジロックに来ますけど。

JO:モーターヘッドはAC/DCにはおよびません。『Back In Black』(80年)はものすごい傑作ですよ。当時のツアーを私はシカゴで観ましたけど最高でした(と嘆息気味に)。

『スクール・オブ・ロック』もAC/DCですものね。

JO:そうだね。ほかのそういった音楽はあまり興味ないんですけどね。残念なことに彼らも日本ではあまり人気がないんだね。

さいきんは人気出てきましたけどね。おそらくワンパターンに聞こえるんでしょうね。

JO:ヴォーカルが?

曲調じゃないですか。

JO:同じじゃないよ。だったらスマップの曲のほうが全部同じですよ(笑)。


Downtown boys ダウンタウン・ボーイズ


photo by Y.Sawai

 ダウンタウン・ボーイズは、プロヴィデンス出身のバイリンガル、ポリティカル・サックス・パンク・パーティ・バンドだ。ここ2、3年の間、プロヴィデンスのバンドに関わらず、ブルックリンのローカル・バンドのように、ブルックリンで絶えずライブをやっている。サックス2人、ギター、ベース、ドラム編成で、英語、スペイン語を織り交ぜ、音楽的にはパンク、ロック、ジャズなどをミックス、最高のエネルギーを、純粋な楽しさを、ダンスフロアにぶちまける。
 DIY会場から、ラテン・レストラン、ハウス・パーティからSXSWなどのフェスにも出演。真のDIYの彼らが、スクリーミング・フィメールズと同レーベル〈Don giovanni Records〉から、デビュー・アルバム『フル・コミュニズム(完全共産主義)』をリリースした。アメリカや世界での現在の批判的瞬間、産獄複合体、人種差別、同性愛偏見、国家資本主義、ファシズムなど、自分の精神、目、心を閉ざそうとする全ての物を破壊するためのレコードである。

 5月15日、レコードリリースを記念し、ダウンタウン・ボーイズのレコ発に行った。ブシュウィックのパリセーズ(https://palisadesbk.com)というDIY会場で、数ヶ前にはダスティン・オングと嶺川貴子やパーケット・コーツなどの新鋭のインディ・バンドがプレイしている会場である。
 かれこれ10回ほど見ているダウンタウンボーイズだが、今回のショーは今まで見た中で一番人が多かった。一緒にプレイしたバンドにもよるが、パンク・キッズが多いクラウドで、目の周りを黒く塗っている女の子や、顔中にピアスをしている男の子(タンクトップ率高し)、キスしまくっている女の子たちなど、むせ返った会場の雰囲気に圧倒された。以前、ダウンタウン・ボーイズの別バンド、マルポータド・キッズを見た時と同じ雰囲気、それがさらに倍である。


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja

 シンガー、ヴィクトリア・ルイズが、語り(叫び)はじめながらショーはスタート。パンクを注入したギター・ラインとコーラス、伝染性の強いサックス・ライン、ファンキーで不吉なホーン・ラインなど。ダウンタウン・ボーイズの曲は、エネルギーの塊だ。この世代が、時代に風穴を開ける力があることを証明する。彼らこそ、現在の声明である。
 ヴォーカルのヴィクトリアは、種差別やその他の差別、政治的なトピックを持ち出し、歌っているのと同じくらい喋ってる(叫んでいる)し、オーディエンスはそれに答え、前の方ではモッシュも起こり、会場全体が彼らのサポーターであるかのようだ。
 私自身は政治的な解説を加えるほどの知識を持たないが、この辺りは、アメリカのバンドを色濃く表しているように思える。レコードでこの熱気が伝わるかわからない。彼らが命を懸けているのは、そのパフォーマンスに、そして声を大にして叫びたいメッセージなのは間違いない。
 現在の音楽に対して、政治に対して、そして世の中に対する革命を主張する。いちどライヴ体験をすると、頭の中をスカッと風が吹く。彼らは何処でも100%だ。

 ダウンタウン・ボーイズのダニエルとノーランは、ホワット・チアー・ブリゲイドという19人バンドでもプレイしている。(https://www.whatcheerbrigade.com)
 彼らはビルディング16という会場を運営していたのだが、場所が取り壊されることになった。ラストショーに招待されたのだが、いつ見ても、彼らのストリート・バンドたる精神にど肝を抜かれる。
 人数が多いので(19人!)、ステージには入りきらない。フロアはもちろん、天井に通っているパイプによじ登ったり、手狭なステージから降り、マーチングをはじめ、会場の外で演奏を始めたり、お祭り騒ぎがオーディエンスを自然に巻き込むパフォーマンスになっている。

●ビルディング16でのホワット・チアー・ブリゲイドのラストショー:

●ビルディング16でのダウンタウン・ボーイズのショーが含まれたプロモ・ヴィデオ:

オフィサーが引張叩かれる度に、裸にされ、最後はバンドで歌ってる。

●Wave of History:

アメリカの小学校の社会の教科書に使われるべきだと思う。

 さらに、ヴィクトリアとジョーイは、マルポータド・キッズというラテン、エレクトロな別バンドもやっていて、6月全般はイースト・コーストからミッド・ウエストをツアーする。
https://www.facebook.com/MalportadoKids

 ダウンタウン・ボーイズと同郷プロヴィデンス出身の、ライトニング・ボルトは偶然にも、ダウンタウン・ボーイズのレコ発パーティの日に、ブルックリンの別会場のウィックでショーをやっていた。悩んで、ダウンタウン・ボーイズのショーに来たのだが、考えてみればダウンタウン・ボーイズとライトニング・ボルトには、たくさんの共通点がある。お互い自分たちの場所を持っていたし(ダウンタウン・ボーイズはビルディング16、ライトニング・ボルトはフォート・サンダー)、レコードよりライヴが一番、現場主義だし、とてつもないエネルギーを発散させるし、ビルディング16のラスト・ライブの時は、ライトニング・ボルトのメンバーも遊びにきていて、彼ら同士も交流がある。プロヴィデンスーブルックリンの関係も踏まえて、ダウンタウン・ボーイズが、彼らの直継承者であることは間違いない。

Punk

Downtown Boys
Full Communism Import

Don Giovanni Records

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Don Giovanni Records

CARRE x SAKURA KONDO 〈GREY SCALE〉 - ele-king

 はじめて僕がロサンゼルスはエコーパークに部屋を間借りした頃、夜な夜なジョイントの煙にくすぶられてはネオン管の光に魅せられ自転車で近所を徘徊していたわけだが、気づけば毎度近所のギャラリーから聴こえる爆音に引き寄せられて、頭のおかしな連中と夜が更けるまで騒ぐハメになったし、当時の自分にとってその馬鹿馬鹿しい体験は強烈なものであった。

〈GREY SCALE〉──都内を勢力的に活動するインダストリアル・デュオ、CARREとヴィジュアル・アーティストであるSAKURA KONDOによる〈KATA〉でのエキシビジョンに足を運び、そんな過去の体験が更新されてゆくのを強く感じた。本展はSAKURA氏による平面作品へのCARREのサウンド・トラックである同名タイトルの音源発売を記念したイヴェントであり、彼女のグラファイトとアクリルを主とした大小さまざまなモノクロームのグラフィック作品に囲まれ、CARREのMTR氏による巨大構造体が中心に据えられた〈KATA〉の空間で期間中限定的に彼らがパフォーマンスを行なうというものであった。

 CARREの二人から本展で彼らが6時間ブッつづけでパフォーマンスを行うと聞いたときは耳を疑った。僕も彼らも親交が深い、オルタナティヴ・メディアであるヴィンセント・レディオの協力もあり、その姿はブロード・キャストでも配信されていたのでお茶の間からも彼らの底無しの集中力を体感できたわけだが、いやはや常軌を逸していた。僕はゆるりと自宅にて作業をしながらその様子をチラチラとうかがいながら会場に向かったのである。

 クライマックスを向かえる終盤に会場に到着してなるほど、今回の彼らのロングセットが単なる無茶な試みではないことを実感した。CARREのサウンドもSAKURA氏の平面作品も抽象的ではあれど、観覧者がそこから得るイメージの輪郭はいっさいぼやけることはない。それはサウンドトラック/サウンドスケープといった凡百の雰囲気系表現とは確実に異なる力強い存在感だ。そこには彼らの確固たる美意識や思想が見事に自然な形で具現化されていた。ゴリゴリと机上でドローイングを増幅させつづけるSAKURA氏の横で、NAG氏がベース/ドラムマシンで丁寧に紡ぐBPM70に満たない低速かつ金属的な音像、MTR氏が奏でる特異なシンセジスによって形成されるCARREのサウンドは重くはあれど不思議と楽観的である。聴者は表面的な感情の先にある混沌の海原を心地よく漂流するハメになるのだ。この日の彼らのセットは普段よりも流れるように展開していったと僕には感じられたが、後でCARREの二人と話したところ、6時間という尺が精神・肉体にもたらす変化が如実に表れたに過ぎないとのこと。どうやらCARREもSAKURA氏も3人とも休憩無しで完走したようなので、あの場を訪れた人々と彼らの心身が渾然一体となった表出を僕は幸運にも目撃できたのだと確信している。

 今回の〈GREY SCALE〉展での彼らの試みは、単なるエキシビジョン+パーティーといった形式的な企画とは異なる揺るぎない完成度を誇るマルチな現場提供に成功した。すべての人間に対して開かれた現場でありながら、日常に埋もれがちな大切な“気づき”やクロスオーバーするシーンに溢れるインスピレーションの泉だ。まーたやられたよ畜生。そう思いながらクロージング・パーティーに彼らの演奏を邪魔しに行ったのは省略。

 MTR氏主催によるレーベル、〈マインド・ゲイン・マインド・デプス(MGMD)〉より間もなくリリースされる『GREY SCALE』、毎度期待を裏切ることのない最高のパッケージングと国内最高峰のライヴ・エレクトロニクス・サウンドにぜひとも触れてほしい。

 数年前にも同じ話題で記事を書いたが、5月上旬は、文芸界のCMJと呼んでいる、ペン・ワールド・ヴォイス・フェスティヴァルがNYで開催される。5月は文芸月なのだ(https://worldvoices.pen.org/)。

 https://worldvoices.pen.org/event/2015/02/19/monkey-business-japanamerica-writers-dialogue-words-pictures

 その時期に合わせ「日本で有名なのは村上春樹だけではない」と、古典と新作の枠を越えつつ、新しい声を拾い広めていく文芸誌『モンキービジネス』も日本からNYにやって来た。
 ポール・オースター、リチャード・パワーズなどの翻訳者としても知られる柴田元幸氏が責任編集する『モンキービジネス』(英語版と日本語版あり)は、今年英語版の第5版目を刊行した。それにともない4月末〜5月上旬にかけ、ミッドウエストからNYで講演ツアーを行ったのだ。1年に1回、今回で5回目である。

 NYは、ブック・コート、アジア・ソサエティー、マクナリー・ジョンソン、ジャパン・ソサエティーの計4回の講演が行われたが、どの日も少しずつ参加する作家が違い、本格的な講演会だったり、カジュアルな本屋だったりで、『モンキービジネス』や作家をいろんな角度から知ることができる。毎回緊張感がありながら、先生たちのユーモアも交わう知的な講演会だった。

 ペン・フェスティバルのプログラムの一環としての、5/4のアジアン・ソサエティーでの公演。
https://asiasociety.org/new-york/events/monkey-business-japanamerica-writers-dialogue-words-and-pictures

 ノリータの本屋さん、マクナリー・ジョンソンでのカジュアル公演。
https://mcnallyjackson.com/event/evening-monkey-business-kelly-link-ben-katchor-and-others-8pm

 上2講演に関してのレポートである。編集長の柴田元幸氏とテッド・グーセン、編集のローランド・ケルツに加え、漫画家のベン・カッチャー、作家のケリー・リンク、絵本作家、イラストレーターのきたむらさとし氏、小説家、翻訳家の松田青子氏が参加。日本、アメリカ、ロンドン(きたむら氏は30年間ロンドン在住、現東京在)を背景とする文化的、文学的な会話を通し、それぞれの作品をリーディング(日本語、英語)、漫画、紙芝居などで紹介した。


柴田元幸氏とテッド・グーセン


テッド・グーセンと松田青子氏

ベン・カッチャー

 ベン・カッチャーの漫画は、今はなき『ニューヨーク・プレス』という新聞で、きたむらさとし氏の作品は子供の時読んだ絵本で、よく見かけていたので、今回作家本人に会えるのはかなりの特別感があった。

 リーディングだけでなく、グラフィックを重視した、漫画、紙芝居は、耳からだけでなく、目でも訴えかけることができる。講演をよりバラエティーに富んだ物にしていた。アメリカ人にも日本人にも、手作りの紙芝居は珍しく(カーテンが手動で開くようになっている!)、3作品の発表が終わった後の温かい拍手から、今は亡き物を讃えるのは、文学も音楽も同じと納得した。
 紙芝居の内容は、氏のロンドン背景もあり、イギリスの絵本を紙芝居に仕立てた感じ。主人公が暇なライオンの床屋で、人気のライオン・ロックンローラーが散髪に来て、友だちの象のイラストレーターと、ああでもないこうでもないとロックンローラーの髪型のネタを練る。コンサートでその髪型を見たファンたちが、暇だった床屋に殺到する、という内容だ。
 きたむら氏の淡々とした声と、そして癖あるキャラクターがリズミカルに動き、社会を程好く風刺している所が大人のための紙芝居と言っても良さそうだった。


きたむらさとし氏

 ちなみに『モンキー・ビジネス』の霊感の源は、チャック・ベリー不朽の名作「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」。
 「誰もが知る日々生きることのかったるさをあれほどストレートに歌って、それであれほどユーモラスかつ解放的になっている芸術作品を僕は他に知らない。あの名作の解放性を我々もめざすのである、なんて大きなことはとうてい言えないが、いちおうあのスピリットをはるか向こうに見えてきている導きの星だということにしておこう」
 という柴田先生の姿勢は、この最新号にも十分に表れている。

 この英語版も翻訳者のおかげか、英語が苦手な人にも読みやすいし、アメリカ人の友だちにも「いまいちばん面白い文芸誌」だと薦めやすい。私はすでに、自分が死んだ後幽霊になり、自分の夫の行方を観察する、川上未映子の「the thirteenth month」(十三月怪談)に夢中だ。読み進めていけば、もっとお気に入りが増えるだろう。
 音楽が聴こえる文芸誌から、新しい出会いがあった。

 全ての講演の情報は以下の通りです。
https://monkeybusinessmag.tumblr.com/post/116878099492/monkey-business-issue-5-midwest-and-new-york

https://mobile.twitter.com/monkeybizjapan

The Automatics Group - ele-king

 数々の有名EDMのトラックから低周波のみをサンプリングし抽出することで、まるでグルーヴの残滓を再生成するかのように快楽的なミニマル・ダブを生みだすこと。これが本作の目論見である。いわば「極限のサンプリング」によるサウンド生成。

 ジ・オートマティックス・グループはヨーク大学の音楽研究所の一員、テオ・バートのプロジェクト。本作は〈アントラクト〉から200部限定で2011年にリリースされた『サマー・ミックス』(E130)の国内盤である。
 〈アントラクト〉はエクスペリメンタルなサウンド・アート的な作品を送り出しているレーベルだが、音楽の形式性に束縛されない自由なリリースを継続しており、本作もレーベルにしては異質の(それゆえこのレーベルらしい)ミニマル・ダブ・アルバムとなっている。乾いた砂塵のような持続音と、偶然と構築のエラーから生まれたマイクロスコピックな電子音、再蘇生したようなキックなどからなるトラックは、とても快楽的だ。まさに2015年の夏に相応しいテクノといえる。ベーシック・チャンネルをオリジンとし、Gas(ウォルフガング・ヴォイト)、ヤン・イェリネック、ディープコードなどに連なる洗練されたミニマル・ダブの系譜にあるアルバムだ。

 だがよく聴いてみると、いわゆるミニマル・ダブとは低域の作り方が異なっているようにも思える。端的にいって音が軽いのだ。その「軽さ」ゆえ、聴覚に直接的にアディクトする感覚もある(音量の増大によってトラックのコンポジションを起こっているように聴こえる)。となると、やはりEDMのサウンドを抽出し、そのサウンドによってトラックを組み上げていったことが、とても重要なことに思える。
 つまり、「EDMのトラックから抽出したコンセプチュアルな音響生成によって生まれたこと」を考慮すると、〈アントラクト〉のレーベル・カラーどおりのサウンド・アート作品にも聴こえてくる/思えてくるわけだ。これは2010年代ならではの「音響彫刻」作品なのではないか。
 すると砂丘の砂塵のように乾いた快楽的な音が、デジタルサウンドの残骸のようにも感じてくるから不思議だ。仮想の人工楽園で展開される開放的な死後の世界のような無常観が、ディスプレイのむこうに再現される、そんな同時代的なアイロニー感覚を感じるのだ。また、EDMのアーティストの名を羅列した「だけ」の曲名にも強いアイロニーを感じる。まさに「デス・オブ・レイヴ」!

 このような独創的なアルバムを2011年にCD作品としてリリースした〈アントラクト〉の先駆性も驚きだが、それを2015年にアナログ再発した〈デス・オブ・レイヴ〉、さらに国内CD盤リリースに踏み切った〈メルティング・ボット〉の同時代的な嗅覚も素晴らしい(国内盤「JP」はボーナス・トラックが1曲追加され、計5曲収録の決定盤となっているのでお勧め)。アルバムのアートワークもこの国内盤に合わせ、〈アントラクト〉の近年のリリース作品のフォーマットにリメイクされている。

 それにしてもベーシック・チャンネルといいGasといい、ミニマル・ダブのサウンドが、まったく古くならないのは何故なのか。テクノロジーの進化と直結している電子音楽が、数年でそのサウンドが古くなってしまうことが多いなか、ミニマル・ダブの耐久度の高さは異常なほどだ。単なるサンプリングではなく、原型をとどめないほどにサウンドを加工することから生まれる音の快楽性、低音重視という聴覚の普遍性を接近しているからか。
 本作は、高度に完成されたサンプリング/エディットの美学であるミニマル・ダブに、EDM(の残骸)を利用するというアイロニーによって介入している点が重要なのだ。まさに2010年代敵な「デジタルの残骸」の活用。ここにヴェイパー以降、2010年代的な「新しいアイロニー/ニヒリズム」があるといえば、いい過ぎか……。

 むろん、普通に聴いても最高のミニマル・ダブ/テクノであることは繰り返すまでもない。この夏、そんな「世界の終わりのダンス・ミュージック」を聴きまくりたいものだ。

 昨年『ザ・レフト―UK左翼セレブ列伝』という本を書いた。
 で、5月7日に行われた英国総選挙の前後、そこで取り上げた著名人たちにも動きがあったので拙著の続編としてまとめてみたい。

 まず、マンチェスターのサルフォードから国会議員に立候補した元ハッピー・マンデーズのベズ。彼はリアリティー党という政党を立ち上げ、今年1月に選挙委員会に登録しようとしたが、以前リアリスト党という政党が存在したことが判明し、有権者の混乱を招くかもしれないので改名せよと選挙委員会から命じられ、ウィー・アー・ザ・リアリティー・パーティー(俺らがリアリティー党だ)という党名に変更している。
 のっけからトラブルに見舞われた船出となったが、立候補者3名のミニ政党にしてはさすがに注目を集め、BBCニュースの小政党特集にも招かれ、ベズが党首インタヴューを受けた。吉本新喜劇のヤクザ役が着るような派手なストライプのスーツを着て登場したベズは、緊張していたのかラリってたのか判然としない目のとび方で、「フラッキングに反対ならマラカスを振れ」、「全ての人に変革を、それも今すぐに」という党の選挙スローガンについて語った。目つきはヤバいしスーツは池乃めだかみたいだし、ってんで完全にイロモノ扱いされていたが、ベズはインタヴューの中で、自分が政党を作って立候補したのはみどりの党がマンチェスターでは弱いからだということを明かした。
 みどりの党のお膝元といえば我が街ブライトンだが、各選挙区で勝利した政党のカラーで色分けされた英国マップを見ていると、ロンドンは赤(=労働党)だが、それより南の地域は見事にブルー(=保守党)一色であり、最南端のブライトン&ホーヴ市だけが赤とグリーン(=みどりの党)になっている。よって「ブライトン&ホーヴは南部のスコットランド。独立すべき」などと言う人もいるが、みどりの党の国会議員キャロライン・ルーカスは、拙著『アナキズム・イン・ザ・UK』に登場する底辺生活者サポート施設のアドバイザーを務めていた人だ。みどりの党は、「エコお洒落なミドルクラスのための政党」と呼ばれた頃とは違い、近年は反緊縮や貧困廃絶のカラーを強く打ち出している。
 北部の労働組合が強い地域は今でも労働党が幅を利かせているので、ベズが立候補したサルフォードでも約2万1000票を獲得して労働党議員が当選した(ベズは約700票で落選。8候補者中6位)。が、ブレア以降、著しく保守党寄りの政策をとるようになった労働党にベズは不満を感じており、SNP(スコットランド国民党)やウェールズ党と組んで反緊縮、反核の左翼連合を組んだみどりの党への強い共感を表明している。
 投票日の夜、ベズは地元紙にこう語っている。
 「これは単なる始まりだ。今年は勝てなくとも、俺たちが重要だと思っている問題への人びとの認識を高められたと思う。同時に、俺は人びとにもっとみどりの党に投票してほしい。彼らのマニフェストは俺たちと非常に似ている」
 他党への投票を訴える党首というのもなかなか新鮮だが、みどりの党さえベズを受け入れる勇気があれば、次はグリーンのマラカスを振っている可能性もあるのではないか。

 べスの政党同様、ケン・ローチのレフト・ユニティーも今回は全滅した。10人の候補者を立てたが、最も多くの票数を獲得したべスナルグリーン&ボウ選挙区でも949票となかなか厳しい。レフト・ユニティーは著名人候補者を1人も立てなかったし、ケン・ローチを前面に出してメディアを使う戦略も取らず、地味な草の根の選挙運動を行ったので、一般的にはまだその存在を知られていない。若いスクワッターやフディーズと、ゴリゴリの社会主義タイプの中高年の両方を党員に抱える政党なので、意見の衝突もあるようだが、あくまでもストリートで支持者を獲得して行こうとする方針では一致しているようだ。
 ベズとは対照的に、ケン・ローチはSNP、みどりの党、ウェールズ党の国内左派ブロックは屁温いと感じているようで、ギリシャのシリザ、スペインのポデモスへの共感を示し、「国境を超えた反緊縮連合VS大企業に支配されたヨーロッパ」のイメージを構想している。
 「緊縮の終焉は新経済の誕生を意味する。それがシリザやポデモスが求めていることだ。これはヨーロッパ規模で行わねばならない。大企業支配への対抗勢力を作らねば」
 「産業を計画し、生産を計画すれば、国民全員の雇用を実現できる。すべての子供たちに社会に貢献する権利を与えなければいけない。安定した生活を得て、家庭を作ることを計画でき、人生を計画する権利を一人一人の子供たちに与えなければ」
とマニフェスト発表記者会見で語ったローチは、SNPやみどりの党、ウェールズ党の国内左派連合については
 「反緊縮での連携は良いことだ。しかし、これらの党は社会民主主義政党だ。彼らは庶民に有利に働くように市場を操作することは可能だと思っている。僕はそうは思わない」
と発言している。
 EU離脱、スコットランド独立問題などのナショナリズムの気運が高まる英国で、ケン・ローチの欧州主義は時代に逆行する古めかしさを感じさせるが、逆に「今」ではないからこそ「未来」を見ているのかもしれない。

 今回の選挙で大きな注目を集めたのが革命の扇動者ラッセル・ブランドだ。彼は投票日直前に労働党のミリバンド党首を自宅に招いて公開インタヴューを決行し、現在の労働党に足りないものを率直に助言した。それを知った保守党のキャメロン首相が「ラッセル・ブランドは単なるジョークだ」と発言し、右派の新聞が「コメディアンにまで頼らねばならないピエロを首相にはできない」とミリバンドをこき下ろしたものだからラッセルは激昂、「現代の政治への最大の抵抗は投票しないこと」というスタンスから劇的なUターンを見せ、投票日の3日前に「緊急事態発生:革命のために投票を」と題した映像を900万人のツイッター・フォロワーたちに送った。彼は映像中でこう呼びかけた。
「もし君がスコットランドに住んでいるなら、すべきことはもうわかっているだろうし、もし君がブライトンに住んでいるならみどりの党に投票してくれ。だが、それ以外の人びとは労働党に投票して欲しい。なぜなら、ミリバンドはまだ我々の言うことを聞こうとするからだ。一番危険なのは他者に耳を傾けない首相だ」。
 しかし、保守党が過半数の議席を獲得して勝利した直後、衝撃を受けたラッセルはもう政治からは手を引くと宣言し、右派メディアが自分とミリバンドのインタヴューを利用して大騒ぎしたことが労働党のマイナスイメージに繋がったとして、「選挙をクソみたいな結果にした責任の一端は自分にもある」と反省した。が、すぐに気を取り直し、キャメロン首相の勝利演説を鋭く批判する映像を発表し、「これはポスト・ポリティクスの時代の始まりだ。人びとが政治から離れ、自分たちでオルタナティヴなシステムを創造する時代が来る」と発言している。

 最後に、スコットランドとSNPの躍進が大きくクローズアップされた今回の選挙で、そのとばっちりを受けた人物としてJ・K・ローリングに触れておきたい。スコットランドは左翼的思想と燃えるようなナショナリズムを両立させている地域だが、後者のほうは結構えげつない部分もある。スコットランド在住のローリングは昨年の独立投票で反対派に回ったので、一部のSNP支持者たちから「裏切り者」「スコットランドで生活保護を受けながらハリポタを書いたくせに、その恩を忘れたか」と迫害された、という話は『ザ・レフト』に書いたところだ。
 で、SNPが労働党の議席を奪って選挙に大勝すると、勝利の美酒に酔う一部のSNP支持者たちが再びローリングいじめを始めた。
 「親愛なるJ・K・ローリング様。わが国は95%がSNP支持者になりましたが、まだご無事でおられますか」「労働党支持の糞ビッチは出て行け」「労働党のクソどもはくたばれ。スコットランドでは貴様ら左翼の時代は終わった。特にお前だ、J・K・ビッチ顔」など、数多くの口汚いツイートが寄せられたが、中でも面白いのは最後のつぶやきで、これなどはSNP支持者には自分たちを右翼だと思っている人もいるということを端的に示している。はっきり言って彼の地ではもう誰が右なのか左なのかわからない状況なのではないか。というか、SNPは右にも左にも足をかけているから支持が飛躍的に伸びるのだ。両方カバーできるのだから無敵である。
 で、彼女をビッチと呼んだり、容姿をからかったりする愛国者たちのツイートをJ・K・ローリングはこう制した。
 「インターネットは女性憎悪的な虐待を行う機会を提供しているだけではありません。ペニス増大器具もこっそり買えたりしますよ」
 彼女の反撃はイングランドでは痛快だと評価され、メディアに大きく取り上げられた。一方、スコットランドの新聞のサイトでは、ローリングを批判した人びとが彼女のファンからネットで集中攻撃を受けているという話が大きく報道されていた。
 昨年から、この国では「ソリダリティー」という言葉がよく聞かれるようになってる。が、どうも今のところ民衆のソリダリティーはナショナリズムの枠組みの中にしか存在しないように感じられる。愛国主義がソリダリティーの位置にすっぽりスライドしているというか。
 だとすれば、それは同性愛者たちが炭鉱労働者たちと団結した『パレードへようこそ』のあのソリダリティーとは異質のものであろうし、新しい夜明けが来るように感じられた選挙前のムードが実はまったくの勘違いだったのも、それと無関係だとは思えない。

interview with Prefuse 73 - ele-king


Prefuse 73
Rivington Não Rio + Forsyth Gardens and Every Color of Darkness

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プレフューズ73の帰還。これは2015年のエレクトロニック・ミュージックにおける「事件」といってもいい出来事だ。

 プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレン。彼は90年代のDJシャドウ、モ・ワックスなどのアブストラクト・ヒップホップと2000年代以降のフライング・ロータスを繋ぐ重要なミッシングリンクである。時代はプレフューズのファースト・アルバム『ボーカル・スタディーズ・アンド・アップロック・ナレーティヴス』(2000)以前/以降と明確に分けられる。彼は偉大な革命者だ。エレクトロニカとビート・ミュージックを繋げることに成功したのだから。その革命者が帰還した。これを「事件」と呼ばずして何と呼ぼうか。

安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、嫌になってしまった。

 事実、プレフューズ73名義の作品は2011年にリリースされた巨大な万華鏡のような『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』以降、リリースはされていなかった。なぜ、プレフューズは沈黙したのか。それは私たちリスナーにとって大きな謎だった。しかしどうやら、彼の沈黙は「怒り」でもあったようだ。彼はこう語る。「同じような音楽を作っている連中が増えたのも事実だ。スクリレックスが悪いとは言わない。けど皆が彼の真似をはじめて、それまでのエレクトロニック・ミュージックが否定されたような気がしてしまった」と。こうも述べている。「安易なクラブ・ミュージックみたいな音楽が氾濫するようになって、ツアーしたときにも共演するアーティストがそういう連中ばかりになって嫌になってしまった」。そして「エレクトロニック・ミュージックがしばらくつまらなくなった」とも。

2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった。

 むろん、ギレルモ・スコット・ヘレンは活動を止めていたわけではない。彼は「活動休止をしていたわけではなくて過渡期だった」と語っている。そのかわりティーブスやマシーンドラムなどのアーティストと活発なコラボレーションを行い、自身のレーベル〈イエロー・イヤー・レコード〉を主宰した。また、昨年にはプレフューズ73として来日もしている。「今回のリリースに関しては、作品を急に出そうと決めたわけではないんだ」と語る彼は、プレフューズとして機が熟するのを待っていたのだろう。そして新しいスタートの準備を着実に進めていた。
 彼は大長い時間かけて録音・制作を行っていたのだ。制作期間は「2013年10月にロサンゼルスでレコーディングをスタートさせて、結局2014年9月まで時間がかかってしまった」と語っている。その成果が1枚のアルバム『リビングトン・ナオ・リオ』にまとめられたというわけだ。
 むろんアルバムを聴けばその時間も納得できるはず。精密で聴きやすく、ビートも深く、なおかつポップだ。今回は音質にもこだわったようで非常にクリアなサウンドが実現している。アルバムに時間がかかったぶん、EP『フォーサイス・ガーデンズ』と『エヴリカラー・オブ・ダークネス』(日本盤はアルバムとEPをまとめて2枚組にしている)は、スムーズに制作できたようだ。驚くべきことに数多くのアウトテイクも存在するという!

テクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

 そして、古巣〈ワープ〉から離れ、ハウシュカやウィリアム・バシンスキーなどを擁する〈テンポラリー・レジデンズ LTD〉からアルバムとEPを発表する。その新レーベル移籍の理由をこう説明する。「(テンポラリー・レジデンズ運営の)のジェレミーは近所に住んでいて、すごくいい奴なんだ。〈ワープ〉は大きなレーベルで、長年〈ワープ〉からリリースしてきたから、今回はもう少しこぢんまりしたレーベルからリリースしてみたくなった。所属しているアーティスト数も多くないのでやりやすいね」。巨大レーベルに委ねるのではなく、自らの手の届く中で着実に作品をリスナーに送り届けること。そこには彼なりに「自由」への希求があるのだろう、
 その「自由」も追い風を受けるかのように、新作においては、〈ワープ〉後期においては抑圧していたビートと、封印していたヴォーカル・チョップが復活している。これぞまさに初期プレフューズを彷彿させるマイクロ・エディット・ビート/サウンドだ。彼自身は、それら「復活」については、「意図的でない」とさらりと受け流している。「今回のビートを作っている最中に自然にまたそれが出てきたんだ」。つまりテクニックでありきではなく、作るべき音楽が先にあり、ごく自然に出てきたというわけだ。

ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。

 この新作には『サラウンデッド・バイ・サイレンス』(2005〉以降のアルバムにあった重苦しさはない。ギレルモ・スコット・ヘレンも「『サラウンデッド・バイ・サイレンス』以前の作品のように満足のいく仕上がりだ。俺は自分の音楽に対して批判的になりやすいけどこの3つの作品は自分でも聴き返すし出来に満足している」と語っているほどだ。
 本作には、新しいスタート/新しい人生をはじめるかのようなフレッシュさに満ち溢れている。現在、彼はニューヨークを生活の拠点にしているというが、不思議なアルバムタイトルもこの街に関係しているようだ。「ニューヨークに住むようになった最初の頃を連想させるタイトルなんだ。ニューヨークのロウアー・イースト・サイドのリヴィングトン・ストリートに“ABC No Rio”というコミュニティ・センターがあるんだけど、プレフューズ73として音楽を作りはじめたときにこのセンターの近くに住んでいた。いまもその近くに住んでいる」。

自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ

 続けて彼はこうも述べている。「このアルバムにはとくにコンセプトはない。コンセプトを先に決めると束縛されたような気持ちになるから」。そう、あくまで自由。あの重厚な『ジ・オンリー・シー・チャプターズ』の迷路を抜けた先に、このような陽光に満ち溢れた音楽世界がまっていたとは誰が予想できたか。間違いなく、プレフューズ73=ギレルモ・スコット・ヘレンは帰ってきた。
 「宇宙をしばらく旅して、地球に戻ってきて、自分にとってのいい音楽と悪い音楽をもっとクリアに判断できるようになったわけさ」。そう語る彼の「いま」のサウンドに迷いはない。清冽でメランコリックで、ポップで緻密でクリアだ。この2枚組のアルバムは、偉大なるビート/エレクトロニック・アーティストの新しいスタートなのだ。

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