「あふりらんぽ」と一致するもの

HB - ele-king

 本能や直観を理想化して、とかくイノセンスを賞揚し......と同時に自然のサイクルを祈願しながら、モダン・ライフを病んでいると思うとき、音楽はときにアフリカないしは非西欧的なリズムへと向かう。ミルフォード・グレイヴス、マニ・ノイマイヤー、ザ・スリッツやポップ・グループ、あるいはじゃがたらやボアダムスやあふりらんぽ、あるいはレッド・プラネット・シリーズにおけるマイク・バンクス、あるいはUKファンキー......まで入れて良いのかどうかわからないけれど、まあ、とにかくそうしたプリミティヴィズムというのは、われわれにとって確実にひとつの武器であることは間違いない。プリミティヴィズムにおける反知識的な態度、要するに「考える前に踊りなよ」という姿勢はつねに商業主義のワナに晒されているものの(たとえば、インディアンや東南アジアなどの民芸品を扱う雑貨屋を見ればよい)、しかし、ひとつだけはっきりしているのは、それはそれまで教えられてきた知識への素朴な抵抗である、ということだ。

 とくに僕の世代ではその感覚がよくわかる。パンク・ロックにおいてレゲエのリズムが重要視されたのもそれで、世界史を作ってきた文化が支配してきた文化のリズムをわれわれは積極的に選んだのだった......と、まあ、そこまで気合いを入れなくても、50年代のエキゾチカにおけるそれ(アフロ、ラテン、ヴードゥーのようなドラミング)でさえ上流階級の気持ちを解放したのだから彼らのリズムには特別な力があるのだ。ボアダムスやあふりらんぽのように神秘的な宇宙をのぞき込まなくても、リズムはわれわれに不思議な活力を与えるのである。

 HBは、ドラマーのmaki999を中心に2004年12月に東京で結成された女性3人によるバンドで、すでに2007年に〈残響レコード〉からデビュー・アルバム『Hard Black』をリリースしている。他のふたりはmuupy(パーカッション)とtucchie(ベース)。今回の『ブラック・ホール・イン・ラヴ』はセカンド・アルバムとなる。収録された8曲すべてがインストゥルメンタル曲で、1曲ヒゴヒロシさんが参加している。メロディといったものはほとんどなく、たまに演奏されるメロディ楽器もリズムを強調する。大雑把に言えば、ただひたすらリズムが刻まれている。笑い声からはじまり、ドラムとパーカッションは素晴らしい律動を生み、ベースは唸っている。その迷いのない演奏は誰もが言うように「心地よく」、聴く者を清々しい気分にする。この手のアイデアは決して目新しいものでないが、スネアとハイハットの音は耳にこびり付いて、パーカッションは頭のなかでこだまする。ベースは身体を震わせ、気がつくと繰り返し聴いているという有様だ。

 近いうちiPodに入れてみようかと思う。歩きながら聴くのが楽しみだ。もちろん、評判のライヴ演奏もいつか聴いてみたい。ワールドカップ期間中の僕にとっての"サプライズ"はこの『ブラック・ホール・イン・ラヴ』だった!

あふりらんぽ - ele-king

 あふりらんぽの新作は本気で凄い! これまでとは比較にならないほどの傑作だと思う。アルバム・タイトルも"WE ARE UCHU NO KO"だけど、これまで多くのミュージシャンたちがコンタクトしてきた宇宙に簡単に繋がっているというか、彼女たち自身が宇宙だったというか。自分たちの言葉とリズムで天真爛漫に音楽を奏でているだけのようなんだけど、すごく神々しくて、どデカイ。このふたりはきっと、八百万の神のどれかにちがいない! ......なんて結構本気で思った(笑)。

 本人たちの話によると3~4年前には作ろうとしていたものが、オニの出産などもあり、いまにずれ込んだものらしい。曲自体はかなり以前からあったものばかりで、ライヴでもやっていた。録音は、これまでのような一発録りに近いものではなく、楽器ごとにレコーディングされ、しっかり作り込まれたものだ。2枚組のアルバムで、オリジナルの7曲がディスク1に。そしてオニとピカ、それぞれのソロ作品の曲をふたりで演奏してZAKがミックスしたものがディスク2に収められている。

 以前までのプリミティヴなガレージ・ロック風に加えて、2年半前にリリースされた『ズートブレイコー』でみせたフリー・フォームな世界もそれぞれ発展しながら、しっかり各曲に落とし込まれている。ジャーマンなヘヴィ・メタル風のM-1"ミラクルラッキーガールズ"、サイケデリック・ガレージなM-2"それがあふりらんぽ"、MC5風のヘヴィなロック・ナンバーM-3"東西南北"、トライバルmeetsサーフなエキゾチック・チューンM-4"海"、南国の民謡風なM-5"エゴロ島"......と、カテゴリーに当てはめて語ることも可能だが、いずれもそのキーワードはあくまでキーワードでしかなく、"ザ・あふらんぽ"としか言いようのない、ふたりの天真爛漫な個性によって別モノと言えるようなものになっているところがすごい。

 とくにその究極だと思えるのが、11分を超えるスケールでいち大ストーリーを綴ったM-6"ワイトゥ"。田んぼのある日本の原風景で"雨よ降れ"と歌い踊る子供たちの姿が冒頭で浮かんでくるようなこの曲は、彼女たちにズッパマリ。ふたりがよく喩えられるような"巫女"を超えて"座敷童子"とか何かの精霊のようなものを連想してしまう。

 そしてディスク1のラスト、M-7"ヤーヤーエー"は大団円としてエンディングとなる曲だ。ソロ作品を経た後のふたりによるピースフルな楽曲といったところだろうか。

 そして、実はこっちのがほうがすごい、ディスク2。前述の通り、それぞれのソロ・アルバムの曲をふたりで演奏したものなのだけど、これが泣ける泣ける。2枚のソロ作も本当に素晴らしかったが、その感動がさらにスケール・アップして表現されている。もう、母性というか、宇宙なのか、愛が溢れまくっていて、聴いていると浄化されていくよう......。さらにさらに、そこにロックの衝動もしっかり注がれているのがあふりらんぽ。いろんなものがこみ上げてきて、「うお~~~~~!」と大声を挙げたくなるのは筆者だけではないと思う。

"In a Strangeland"はカーボンコピーではない。アンドレア・エンブロのドラミングは、深く突進する足音とパキっとしたエナジーとの特徴的な組み合わせである。ヴォーカルは死にものぐるいの声とカレン・Oとキム・ゴードンの溝を手玉に取る。"In a Strangeland"はイミテーションではなく、インスピレーションの結実である。 『Pitchfork』

ノーウェイヴがもしいまも生きているのなら、ブルックリンのデュオ、トーク・ノーマルがその目安となる。ドラマー、アンドレア・エンブロの驚くべきほど正確なパーカッション。ギタリストのサラ・レジスターは彼女のオノから不協和音ノイズとおぞましさを引き出す。 『Lost At E Minor』

トーク・ノーマルはライト級ではない。ダークでムーディで、リズミカルだ。しかしそれは我々が好んで耳にするようなフレンドリーな音ではない。 『Time Out New York』

芸術気取りの音楽が野蛮さへと奇妙に変換される進化の歴史がある。ニューヨークのふたり組、トーク・ノーマルはこのヘドロ状の葬送歌というブランドの耳を維持し続けている。それはもっとも素朴なやり方で完璧に実現しているのだ。 『The Fader』

 彼女たちの音楽の背後にはNYのノイズ・ロックの系譜が広がる。烈しいギターと声があり、他方ではまるでミュータント・ディスコを思わせるようなドライヴするビートもある。が、もっとも重要なことは、女性ふたりによるこのバンドの音楽が素晴らしくパワフルであるということだ。『ピッチ・フォーク』は彼女たちの音楽を「いまはヴェルヴェットの次元にまでは到達していないかもしれないが、将来そのぐらいの魔法を引き起こすことも可能であることを保証しよう」と評価する。

 今回のジャパン・ツアーは彼女たちだけではない。各公演における共演者たち――待望のアルバムのリリースを控えている七尾旅人、コラボレーション・アルバムを完成したばかりのiLL、同じくアルバムを発表したばかりのあふりらんぽのPIKA、空間現代とオオルタイチ等々にも注目して欲しい。

6/9 SHIBUYA O-NEST w/オオルタイチ、空間現代 他
open/18:30 start/19:00 ¥3500(tax in) ドリンク別
O-nest 03-3462-4420
6/13 京都METRO w/iLL、OUTATBERO 他
open/18:00 start/18:30 ¥3500(tax in) ドリンク別
METRO 075-752-2787
6/14 心斎橋FANDANGO w/iLL、太愛鼓(PIKA drum solo)
open/18:30 start/19:00 ¥3500(tax in) ドリンク別
FANDANGO 06-6308-1621 
6/15 新代田FEVER w/iLL, 七尾旅人
open/18:30 start/19:00 ¥3500(tax in) ドリンク別
FEVER 03-6304-7899
チケット e+ / ローソンチケット / チケットぴあ

オニ - ele-king

 「元始、女性は実に太陽であつた。」他にすがり、生かされている青白い月となってしまった女性なる存在よ、「私共は隠されて仕舞つた我が太陽を今や取戻さねばならぬ。」
―平塚らいてう『青鞜発刊に際して』

『青鞜』発刊より99年が過ぎて、いまや女性は青白い月ではない。大きな街頭モニターで、綾瀬はるかがジャイアント・コーンにおいしそうにかぶりついている。何度みても見惚れてしまう。画面にあふれる、なんという充実だろう。こんなにきれいに全けく、世界や生活とチューニングできるなんて......。自分で稼ぎ、自分で余暇を充実させる、こんなことは明治の女性にとっては空想の域であっただろう。しかし、では現在女性は太陽かと問われればそれも肯定しかねる。太陽と言えるほどプリミティヴなエネルギーを現代の人間が持てるものだろうか。オニのソロ初となるアルバム『サンウエーブ・ハート』のジャケットには、アップで撮られた本人の顔に重ねて大きく太陽が描かれている。

 ライトニング・ボルトのような熱量とノー・ウェイヴな感性を持った、大阪の女性エクスペリメンタル・ジャンク・デュオ、あふりらんぽ。その片割れ、オニ。あふりらんぽのエネルギーは天に逆らうかのような無軌道性があるが、本作はオニがパーソナルな命題として太陽を志向し、その力を称えるものではないかと思う。

 「種を、種を種をいっぱいまいた、おなかの中に、いっぱいの種をまいたよ! (中略)それが...伸びて伸びて伸びての~びて、天にむかってのーびーてゆくよー」
――"オニという花"

 オニとは何か、オニとは誰か、オニとは命だ。いまを精一杯に咲き、新しい命を増やす花だ。という自己表明からアルバムははじまる。音楽としては「フリー・フォーク」の日本におけるひとつの展開、といえるだろう。ギター弾きとしての本領が注がれた非常にシンプルな作品だが、「フリー・フォーク」らしい、一種の疎外論的な文明批判がある。あるいは、素朴とも思われるアニミズム。シックス・オルガンズ・オブ・アドミッタンスらに色濃いだろうか。トルミスの「鉄への呪い」という表現に倣えば、「鉄の支配する世界」つまり、原始的な生命の世界を抑圧するものへの呪詛ないしは批評である。むろん直接的な呪いの言葉などどこにもうかがわれない。それは、むしろ描写しないことのなかに表れる。太陽、鳥、山、風、汗、唄、雨......歌われる素材をみれば、生命と世界を言祝ぐ言葉で埋め尽くされている。芽は伸び、鴇色の雲が空を飛び、遠き山は静かな愛をくれる。オニの、張りがあってよく透る声がその一語一語を明瞭に紡いでいく。佐藤正訓氏の帯文の引用だが、「本当の人間の『すっぽんぽん』の歌」というのが順接的な解釈になるだろう。

 しかし、普通に聴いていけば、人や一般的な生活を思わせる言葉がまったく登場しないことに違和感を覚えると思う。駅でもいい、ビルや公園でもいい。またテレビや携帯、恋や倦怠、ビール、ネット、なんでもいい。全編にわたって、およそ現代日本の生活という生活についてまわるディテールがすっぱりと切り落とされ、人間すら出てこない。原始的なものへの志向性はわかるが、少し異様な印象がある。「鉄」(いまの言葉なら「ファスト風土」に相当するだろうか)は意図的に描写を省かれているのだ。なぜ山やら風やら「雨雲さん」ばかりを歌うのか。そこに「すっぽんぽん」の人間性がある、などという素朴なフィクションに、素直に乗るわけにはいかない。

 人が出てこないと述べてしまったが、子どもが出てくる。一般名詞としてではなく、彼女自身の子どもと思われる描写で登場するのが、唯一の人間である。それは非常に大切なものとして歌われる。というか、このアルバム全体がひとつの子守唄として捧げられているという印象さえ受ける。

 非常にクリアな録音で、かすかな残響には小さなコンサート・ホールを思わせる奥行きがある。アルペジオが際立つ。1曲目のような、テンポのある王道フォーク・ソングもいいが、大方はもっとぐっと沈み込むような曲調で、この空間的な奥行きがとても効いている。"緑の天使"、"鴇色の空"、"アクエリアス"など多くの曲では、シンプルなフィンガー・ピッキングがむしろ静寂を強調する。うっかりと彼岸へ誘われるかのような感覚がある。"緑の天使"においては、風鈴と蝉の声が微弱に挟まれることで、生というよりは死のイメージに接近する。

 こうしたなかに子どもへの視線が織り込まれていく。ただ、個としての独 立したキャラクターは描かれない。子どもからの発信はなく、母からのくるみこむような一方的な視線だ。しかもところどころで、まるで恋人を思わせるかのような「あなた」という呼称が使われる。まだへその緒でつながっているかのように渾然一体となった、母と子と自然、という三角形の宇宙。これが本作の基調を成す世界観となる。三者の強固な結び付きに微かに戦慄する。本当に、他に何も出てこない。他者的な視線も挟まれない。生み、育てるということはこんなに排外的なものなのだろうか。アクのない、クリアで柔らかいヴォーカルでつづられる中盤。しかしここで母性とは、ほとんど自然の猛威である。そしてこの子どもという項をおいて、初めて「太陽」のモチーフが立体化する。

  激しいストロークで感情的に歌われる終曲"サンウェーブ・ダンス"。朝露のようなトラッドな感触のブリティッシュ・フォークから曲調が一転するドラマチックなトラックだ。命を生み、命を育むものとしての渾身の演奏だ。唄も跳ね、踊る。ギターもテクニカルだが、ヴォイス・パフォーマンスも見事で、詞に添えられた本人直筆のイラスト―お日様と生命の曼荼羅図だ―とともに非常な迫力を持ってアルバムはしめくくられる。

 しかし、母親としてではない、オニという一人の女性は太陽だろうか。それを描くには、この作品で省かれた様々な雑音と風景が喚び戻されねばならないだろう。次は、原始にではなく現在にエネルギーの源泉を掘り当てるような音が聴きたいと思った。

 去る3月、ブルックリンと大阪をつなげる企画がニューヨークで開催された。12日にブルックリン(オール・ガールズ)V.S.大阪、16日にニューヨーク(ノット・オール・ガールズ)V.S.大阪、ブルックリン代表がすべて女の子、ニューヨークは男の子も参加したため、こういうサブタイトルが付いている。

moon mama
moon mama
Hard nips
Hard nips
waterfai
waterfai
talk normal
talk normal

 ことのはじまりは、あふりらんぽのぴかのソロ・プロジェクト、ムーン・ママ(Moon♀mama)、そしてウォーター・ファイという大阪のふたつのバンドのニューヨーク・ツアーの企画からだった。それが我が〈ハートファスト〉の推薦するニューヨークのバンドとブッキングして、イヴェントに発展したというわけだ。ブルックリンと大阪という独特の文化を発信するふたつの都市、さまざまなバックグラウンドを持った人たちが一同に集まるのはとても興味深い話で、実際、両方のイヴェントで見かける人も多かった。お客さんとバンドともに交流を深め、バンド同士でも刺激を受けあっていたように思う。

 ブルックリン勢として出演したのは、トーク・ノーマルハード・ニップス、ニューヨークからはピカ★ユカ(あふりらんぽのぴか、元チボマットの本田ゆか)、プリチャー・アンド・ザ・ナイフが参加。ソーダー・ファインのエリン、DFAのジョナサンのお兄ちゃんでもあるアンディがDJとして盛り上げてくれた。

 "オール・ガールズ"ブルックリンのときは、会場はブルックリンのブルアー・フォールズ。ここはローワー・イーストサイドにあるアンダーグラウンド・ライブハウス件カフェの、ケーキ・ショップの2号店だ。"ノット・オール・ガールズ"ニューヨークのときはケーキ・ショップの隣にあるピアノスで開催された。

 トーク・ノーマルはブルックリンのガールズ・デュオ。ドラムとギターが絡むゴースト・パンクのような音を出す。SXSWを含む全米ツアー(with xiu xiu)、ヨーロッパ・ツアーに出るちょうど前日だった。この何日か前にも、マーケット・ホテルで、オーサム・カラー、タイヴェック、CSCファンクバンドとのショーがあったばかりだった。ついに日本ツアーも6月に敢行する。

 ウォーター・ファイは大阪の女の子5人組のポスト・ロック・バンドで、今回が初のアメリカ・ツアーとなった。ニューヨーク、プロヴィデンス、そしてSXSW(オースティン)でプレイをした。あふりらんぽのぴかは、ムーン・ママ名義のフォーク・ソロと、元チボマットの本田ゆかさんとピカ★ユカ名義で出演した。ぴかの全身からのエネルギーが爆発するようなドラミングと、ゆかさんの宇宙に彷彿させるようなシンセ音の絶妙なコンビネーション。どちらも内容の濃いショーだった。

 さて、続いて報告するのは、3月17日(水)~3月21日(日)のオースティン、テキサス州でおこなわれた音楽コンヴェンション、サウス・バイ・サウスvウエスト。世界中からたくさんのバンド、音楽関係者が集まる。SXSWショーケースのバンドは、MNDR、アベ・ヴィゴダ、ノーエイジ、ディデラス、ザ・オーシーズ、J・マスシス、ファックド・アップ、クリスタル・アントラーズ、マイナス・ザ・ベア、ザ・ドラムス、シザー・シスターズ他。私は、先出のウォータ・ファイ、ハード・ニップスとともにオースティンにやって来た。

 19日は気候もよく、夜もたくさん人が外に出て、歩行者天国のようになっていたが、翌20日は自分がいままで経験したなかでもっとも寒いオースティンだった。この日は、NYナイト・トレイン/パナシェ・ブッキングのオールディ・パーティ。ステージはインドア、コートーヤード(野外)、ハウス(野外)の3つで、合計47のバンドがプレイした。ダムダム・ガールズ、トーク・ノーマル、キッド・コンゴ・アンド・ザ・ピンク・モンキー・バーズ、チキン・スネーク、オーサム・カラー、ゴールデン・トライアングル、スクリーンズなどのアメリカ勢をはじめ、ブラジル、サンパウロからGarotas Suecas、アイルランドからSo Cow、日本からはニュー・ハウスなども参加した。ニューヨークでもっとも忙しいDJであるNYナイト・トレインのジョナサン・トウビンがDJを担当した。これだけでもすごいラインナップだ。SXSWといえば、どこでもパーティで、バンドもこの期間だけは、1日に2~3個ショーを掛け持ちする。ウオーターファイ、ハードニップスも3回ショーを敢行した。

 ここまで来たらジャパン・ナイトものぞいてみようということで、会場前まで行ったが、たくさんの人で入ることができなかった。今年のラインナップはアシッド・マザーズ・テンプル、オカモトズ、チャット・モンチーなど。日本のバンドというだけでかなり人が入る。

 今回はさらに、ニューヨークのインディ・バンドのブッキングを仕切っているTodd Pが、初めてメキシコのモンタレイでショーを開催した。オースティンとモンタレイをバスでつないで、SXSWに出演したバンド(しないバンド)を現地に送って、SXSWが終了する土曜日夜にあわせてスタートするものだ。今回はその第一回目なのだが、これが早速大混乱だった。ボーダーを超えようとしても越えられないバンドが多数発生したのだ。バスを待っても待ってもこない(待ち時間8時間、乗ってる時間11時間、さらに1日に2本など)、出演するはずだった半数以上がキャンセルになった。

 プレイできたのは、ダン・ディーコン、ライアーズ、ヘルス、ネオン・インディアン、アンドリュー・WKなどなど。結局、ノーエイジ、ザ・オーシーズ、ジャヴェリン、DD/MM/YYYY、ビッグ・トラブルズ、トーク・ノーマル、ジョナサン・トウビンなどはキャンセル。アメリカからメキシコを越えるというのは、それほど簡単ではないのだ。

 ニューヨークに帰って来たいまもまだ忙しい感じが続いているけれど、4月になってから、マーケット・ホテルというライヴハウスに警察が入ってクローズダウンになったり、この街はスローダウン気味だ。暖かくなって来たので、これからは野外ライヴなどにも注目していきたい。

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