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RIP

Paul Johnson

Paul Johnson

野田努、渡部政浩 Aug 05,2021 UP

野田努

 ケリー・ハンドに続いて悲しいニュースが届いた。8月4日、シカゴのハウスDJ/プロデューサーのポール・ジョンソンが新型コロナに感染し、集中治療室において死去した。1971年シカゴのサウスサイド生まれ、50歳だった。

 ポール・ジョンソンは、シカゴ・ハウス第二世代を代表するひとりで、たとえば90年代前半はオランダの〈Djax-Up-Beats〉から、ディケイドの後半はUKの〈Peacefrog〉、そして2000年代も欧州の複数のレーベルから作品を出しているように、国際的な評価の高いプロデューサーだったが、彼の主戦場はゲットー・ハウスで知られる〈Dance Mania〉であり、〈Cajual〉であり、〈Dust Traxx〉だったりと、地元のシカゴのレーベルからまるで生活必需品であるかのように大量にリリースされた12インチ・シングルだった。
 ぼくがもっとも思い入れのある作品はもちろん1996年の『Feel The Music』で、これはもう、この時期のロン・トレントやシェ・ダミエ、そしてグレン・アンダーグラウンドらの諸作と並ぶ、シカゴ・ディープ・ハウスの名盤中の名盤だろう(中古で見つけたら迷わないほうがいい)。こうした美しくソウルフルな作品を出すいっぽうで、ポール・ジョンソンはシカゴのダーティでファンキーなゲットー・ハウスの魅力も大量の12インチ・シングル(一説には300枚以上とも?)において追求した。フットワークのプロデューサーで知られるRPブーが尊敬するのもうなずける話で、当たり前だが、彼の音楽はすべてダンスのためにあったし、そのダンスには、1987年に銃で撃たれてのちに片足を失い、そして2010年の自動車事故によってもう片方の足を失ってしまう元ブレイクダンサーという経歴の、このDJすべての情熱が注がれていた。
 彼の作品のなかには、1999年のいちど聴いたら忘れられない“Get Get Down”のようなメインストリームでのヒット曲もある。ダフト・パンクのヒーローでもあったポール・ジョンソンは、両足を失ってからも精力的にDJを続け、作品を出し続け、そしてシカゴの素晴らしいグルーヴを世界中に撒き散らしていた。誰でも入っていける彼の音楽は、もちろんこの先も多くの人たちをダンスさせるだろうし、変わりなくシカゴの魅力を伝えていくのだろう。

野田努、渡部政浩

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