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30年前に大好きだったペイル・ファウンテインズのシングル集のようなCDを買った。ほとんど全部、持っているのになぜか衝動買いだった。そして、久しぶりにまとめて聴いたら......こんなにヘタだったのか......ガーン......
忌野清志郎のソロ・アルバム『レザー・シャープ』でエンジニアを務めたチャールズ・ハロウェルはペイル・ファウンテインズのサード・アルバムをプロデュースし、そして、失敗に終わったと話してくれたことがある。クラッシュからドロップ・アウトしたトッパー・ヒードンと失業状態のスティーヴ・ヒレッヂがその時、目の前にはいた。清志郎は「♪曲がり角のところで~」と歌い出す。RCサクセションとして次のアルバムをつくるはずだったのに、ひとりでロンドンにいる清志郎も含め、誰ひとりうまくいっている人はいなかった。ペイル・ファウンテインズの話をする時、ハロウェルは少しうな垂れていた。「スタジオ内は完全に煮詰まって、どうにもならなくなってしまった。半分までできたところで終わりだということがなんとなくわかったよ」
ハロウェルは夢を見ない若者だった。階級社会のイギリスが彼には一生、労働者だという自覚を与えていたのである。80年代といえばパワー・ステーションのドラムがすぐに引き合いに出される。あれはハロウェルがつくった音だ。自分のドラムの音をあれと同じにされたといってトッパー・ヒードンはカンカンに怒っていた。トッパー・ヒードンを黙らせたのは清志郎だった。清志郎は80年代を受け入れようとしていた。チャールズに向かって清志郎が「素晴らしい!」と英語でいった。「マーヴェラス!」。清志郎はハロウェルを日本に迎えてもう1枚のアルバムをつくった。「マーヴェラス」を縮めた『マーヴィー』だ。典型的なメンフィス・サウンドといえる「シェルター・オブ・ラヴ」をいかにもニューウェイヴ風のアレンヂで聴かせているのは清志郎とハロウェルの接点がそこにあったからである。仮ミックスが終わると、「チャールズ! マーヴィー!」と、清志郎は何度もマイクに向かって小さく叫んでいた。
ペイル・ファウンテインズの透き通るようなサウンドを、あの瑞々しい音楽を、「夢を見ない」ハロウェルはどのように受け止めていたのか。諦めの裏返しとして有効な響きがそこにはあったのだろうか。そして、あの瑞々しさが重々しく変化していった時に、彼の心には何か感じることはあったのだろうか。さらには重い音さえ出せなくなってしまった時には......。
ヴァンパイア・ウィークエンドは怖ろしいほど清々しい。これは何かの裏返しなのかと勘繰る気持ちさえ起こさせない。「どんな音楽?」と聞かれればファーストはトーケンズがカヴァーしたモノクローム・セットの「アポカリプソ」だったけど、セカンドはそれほどふざけてはいなくて「ファン・ボーイ・スリー+ハワード・ジョーンズ」と答える。ロスタム・バットマングリー(......って、コウモリだらけなんですけど)による別働隊、ディスカヴァリーからのフィードバックだったのか、セカンド・アルバムではエレクトロニクスが随所で取り入れられ、そのせいで、もはやアメリカのバンドが頭に思い浮かぶことはない。このセンスは完全にイギリスのものだし、とはいえ、ペイル・ファウンテインズの隣に彼らの音楽を置くのも抵抗がある。これがいまのアメリカだとしかいいようがない。アン・ライス以来、アメリカではゲイの比喩だとされてきた吸血鬼を名乗り、ソカやスカのリズムにのせて爽やかなメロディを歌う彼らが全米で1位をマークするという流れ。アメリカは何かに疲れてしまったのだろう。これが10年前には(イギリスから強引に取り寄せた)レイディオヘッドをアンセムとして称え、20年前にはニルヴァーナをトップに置いてきた国のその後の姿だとしかいいようがない。一方にアニマル・コレクティヴやTV・オン・ザ・レイディオがいることを思えば、サイケデリック・ムーヴメントに対するサイモン&ガーファンクルのようなものになろうとしているのかなとか(まだ、そこまでの強度はないけれど)。
ヴァンパイア・ウィークエンドはペイル・ファウンテインズのように煮詰まることはないだろう。彼らの清々しさは何かと引き換えにして出てきたものでは、たぶん、ないからである。変化することを楽しんでいるバンドのようだから、次で一気にエレクトロニカということもありうるのかもしれないけれど、あまりおおっぴらに記号化しない方がきっと長い支持は得られることでしょう。小手先の面白さでは、もしかすると、いま、一番なんだから。
アンドレス――この名義ではムーディーマンの〈KDJ〉からデビューして2003年には最初のアルバムを発表(あるいは3チェアーズやセオ・パリッシュ作品への参加、ムーズ&グルーヴスからのリリース)、そしてDJデズの名義ではUR傘下の〈ヒプノテック〉からのリリースやスラム・ヴィレッジへの参加などなど、地味ながらキーパーソンたちとしっかり仕事をしているのがアンドレスで――なにせジェイ・ディラからケニー・ディクソン・ジュニア、マイク・バンクスまでなのだから――彼のセカンド・アルバム『II』は、そうした彼の見事な活動領域が鮮やかな形で表出した、まったく素晴らしい作品となった。ハウス、テクノ、ヒップホップ、あるいはジャズやソウル、あるいはアフロやラテン、それらがミックスされたアンダーグラウンド・ブラック・ダンス・ミュージックにおける蜂蜜のようなアルバムである。
ブラック・ミュージック特有の、都会で暮らす人間の日々の感覚とエモーション――温かい午後の会話から孤独な夜の空しさ、街への愛憎、夢と生活、家族と恋人、人生の歓喜と絶望、それらのデリケートな起伏......そういったものから生まれる音を好む耳とハートを持っている人は、この音楽に逆らえないだろう。アメリカにおける過酷な格差社会と日本の殺伐としたそれとはまた趣が違っているように思うのだけれど、持たざる者による美学という言い方がもし許されるなら、僕はこの音楽にそれを見る。僕はいまでもこういう音楽を聴いているといろんなことを思い出すことができるのだ。貧困ではあるがなんとか互いに助け合おうとして成り立っている社会(コミュニティ)というもののことを。
喋るだけ、ないしは喋って踊るだけ(まったくラップとダンス)。夕暮れになると家の玄関先の階段にみんな出てきて、子供や母親や老人たちは喋っているだけなのだ。そこに男がいるとしたら職のない男で、冷やかされながら笑っているだけで、それはモダニズムの名残であるとかポスト・フォーディズムの犠牲者とかそんなものではなく、僕は彼らの精神構造のなかに何かそうした経済的な逆境のなかでも笑っていられる"逞しいゆとり"のようなものを感じ取ってきたのだ。日本で言うところの"ゆるい"という言葉とは違った、もっと深いところの"ゆるさ"。それを強いて意訳するなら、「私たちはたまたま仕方なく、諸事情があって、こうして資本主義とつき合ってやっているだけなのだ」という感覚のようにも思える。それがディアスポラってものだろう。
田中宗一郎によれば『SNOOZER』のコンセプトは「こんがらがった少年少女のため」だそうだが、ブラック・ミュージックは娘も父親も一緒に聴く音楽だ。スタイルがいくら変わっても"変わってゆく同じもの"がそこにはある。"同じもの"とは言うもまでもなく、マイケル・ジャクソンにもケニー・ディクソン・ジュニアにもフライング・ロータスにも偏在するものである。アフリカ・バンバータがパパとママのレコード棚から音楽を作ったことは、決して偶然ではない。だいたい......ラジオからスラム・ヴィレッジの"テインティッド"が流れると、オヤジも子供もみんな歌い出すあの瞬間に居合わせてしまうと......。話がどんどん大きくなりそうなので、このあたりで止めておこう。アンドレスの音楽には自分が経験してきたデトロイトの最良の部分が凝縮されている。
アルバムはアフリカン・パーカッションで幕を開ける。2曲目は素晴らしいベースラインを持つファンキーなハウス(キーボードはアンプ・フィドラーの)、そしてドープでソウフルなダウンテンポへと展開。4曲目のディープ・ハウスではケニー・ディクソン・ジュニアが煙を吸い込んだ声をナメクジのような絡みを加える。女性DJであるミンクスのターンテーブルさばきを挟んで6曲目以降は甘美なブラック・ソウルの時間がはじまる。スキットがあり、DJデズ(アンドレス)がその素晴らしいスクラッチのスキルを披露する曲もある。ラッパーも登場する。エレクトロもアフロもラテンも、ぜんぶある。なにせCDには30曲が収録されている。長くて4分、だいたい1分から2分、だから細切れに、歯切れ良くアルバムは展開する。
アンダーグラウンドな"大衆音楽"――まるでデトロイトのラジオ番組を聴いているようだ。気分が良い。
昨年のリリースだが、興味深いコンピレーションなので挙げておく。ロサンジェルスのレーベル〈ノット・ノット・ファン〉からリリースされた最新の女性バンドだけ11組をコンパイルしたアルバムで(ヴァイナルのみの発売)、タイトルを意訳すれば"私の女性ホルモン世代"。たぶんライオット・ガールズ以降なのだろう、USインディにおける女性バンドの数は急速に増え続け、ゼロ年代はそれがフリー・フォークのシーンにまでおよび、前にも書いたことだけれど、渋谷のワルシャワの新譜コーナーを眺めていると21世紀のインディ・ロックは女性のものになるんじゃないなかといった勢いを感じる。
もっとも〈ノット・ノット・ファン〉が紹介する"女性ホルモン世代"は、ライオット・ガールズ時代の男女同権を主張するものではなく、ヒップホップ以降の(エイミー・ワインハウスやリリー・アレンなどに顕著な)ポスト・フェミニズム的なニュアンスとも違う。スリーター・キニーやミカ・ミコのようなガレージ・バンドの流れとも少し違う。ジョアンナ・ニューサムのようなポスト・ビョークでもない。誤解を恐れずに言えば、おおよそOOIOOフォロワーなのだ......とは、もちろん言い過ぎなのだけれど、しかしこのアルバムから聴こえるのは、少なくともロックのクリシェには一瞥もくれてやらないような、ローファイ、エレクトロニクス、アブストラクト、エクスペリメンタル、トライバル、アンビエント、ドローン、ダブ、さもなければノイズ......そういったものである。
A面の1曲目を飾るゾーラ・ジーザスが呪術的なトライバルを披露すると、2曲目のティックリー・フィーザーがメランコリックなノイズ・インダストリアルを演奏する。3曲目では、〈ノット・ノット・ファン〉レーベルの看板バンドであるポカハウンテッドが登場してフリークアウトしたコズミック・サウンドを展開すれば、4曲目のインカ・オレはドローンを響かせ、そして5曲目のトパズ・レグス(〈ノット・ノット・ファン〉所属)によるメランコリックなクラウトロックから6曲目のHNYによるジリー・アレン(ゴング)を彷彿させるサイケデリックなフリー・フォークへと続く。
トーク・ノーマルの挑発的なノイズ・ミニマルな曲で幕を開けるB面は、A面を大雑把に"静"と形容できるなら"動"だ。2曲目のアイレイジャがノーマルを彷彿させるインダストリアルなエレクトロニクスを展開すると、3曲目のL.A.ヴァンパイアはザ・スリッツの精神を引き継ぎ、4曲目のU.S.ガールズ(もっとも政治的なバンドのひとつ)はクラウトロックの電子宇宙を泳ぎ、アルバムの最後に収録されたヴェレット(〈クランキー〉からアルバムを出している)もまたクラウトロック~スーサイド~スペクトラムの後を追うかのように電子ノイズの海の果てに消えていく。
40を超えた人間の言葉で言えば、ポスト・パンクにおける頂点の年、"1979"の再来とも言えるような創造性への関心の高まりを強く印象づける内容。あるいは。エレクトロ・ガール・ポップ・リヴォリューションに対する反旗とも受け止められる。いずれにしても興味深い。USインディにおける女性バンドが、エルヴィス・プレスリーではなくホルガー・シューカイを選んだのだから!
それが劇的に変化した方法を教えましょう。
00年と09年の音楽を比較することです。
本書を開いて、このゲームに参加してください。
あなたは"いまの音楽"をもっと好きになるれはずです。
(ゼロ年代を象徴する150枚のアルバム・レヴュー)
目次
1 00年代の孤独(野田 努)
2 ノーティーズ・ミュージック(野田努/松村正人/三田格/水越真紀)
9.11とポップ・カルチャー/坂本龍一、忌野清志郎、そして槙原敬之/フィッシュマンズははたしセカイ系か?/ゆらゆら帝国が電気グルーヴに与えた影響/音楽雑誌はメジャー・レーベルのカタログなのか?/そしてメジャーはなくなった....../"ソフトに死んでゆく"はアンセムとなった/ポップ・ミュージックは平均率から逸脱する、と菊池成孔は言った/そしてみんな日本から出なくなった/で、つまりドローンというのは....../ジョイントを捲く女/相対性理論の反骨精神とは?/未来はない、という感覚/オーガニック系は勉強不足でしょう/ザゼンボーイズとECDは似ている/これから言葉は変わってくるかもしれない
3 Loop Finding Myspace(松村正人)
4 焼け野原からのやり直し(磯部涼/二木信/野田努)
サウンド・デモと銀杏ボーイズ/MSCからシーダへ/ヤンキーの思想とは?/日本の痛さから目を逸らすな
5 失われた場所を求めて(磯部 凉)
6 アルバム・レヴュー
7 失われた中年、00年代ノー・リターン(三田格)
去年の暮れに店頭にならんだ『ザ・ラフ・ダンサー・アンド・ザ・シクリカル・ナイト[タンゴ・アパシオナード]』は、86年から88年の間、晩年期のピアソラが〈アメリカン・クラーヴェ〉にのこした3作の2作目にあたり、ボルヘスの短編に着想を得たグラシエラ・ダニエレが制作したミュージカル「タンゴ・アパシオナード」の伴奏音楽が契機になった(じっさいは音楽劇で使用した楽曲を再構成した)ヴァラエティに富んだ作品だったが、「クラーヴェのピアソラ」の残り2作に比べると小品の感がしなくもないと書くと異論がありそうだが、当時の五重奏団と若干異同のある布陣で吹き込んだ『ザ・ラフ・ダンサー~』は、内側に圧縮する志向をもつピアソラの楽曲をどこか外へ開くようでもあり、私は今回リマスタリングでSACD仕様になったこのアルバムを、10年とはいわないまでもそれくらい久しぶりに聴いて、当時抱いていたクールでモダンな響きを、アンディ・ゴンサーレスやパキート・デリヴェーラといったジャズ/フュージョン奏者たちが異化していたことに気づいたのだった。スタッカートとスウィングのちがいというか、『ザ・ラフ・ダンサー~』ではジャズの身体性がタンゴのリズムを揺らし、楽曲の厳格さへの緩衝材になっていて、"ピアソラのタンゴ"へ迂回する(せざるを得なかった)回路がこのアルバムに小品といわないまでも実験作の風情を与えている。ブロンクス生まれながらラテン音楽に親しんだハンラハンの二重のアイデンティティが、4歳から16歳までをおなじくニューヨークで過ごしたピアソラの履歴と重なり、当人たちも意識しなかったモザイク状の暗喩をふたたび浮かび上がらせた『ザ・ラフ・ダンサー~』は『タンゴ:ゼロ・アワー』と『ラ・カモーラ』のほかの2作とともに、都市と形式の間を往復しながら聴き直されるべきだとおもう。
ブロンクスで誕生したヒップホップと同じく、元はダンスと音楽とローカリティの複合物だったタンゴはピアソラの登場を俟つまでにすでに数十年の歴史(ヒストリー)と流儀(スタイル)を蓄えてきたが、多感な時期をニューヨークですごしたピアソラにはタンゴはエキゾチシズム抜きには接せられない音楽で、彼はタンゴ好きの父にバンドネオンを贈られてもさしてうれしくなかった。1921年生まれのピアソラは作曲家になるため留学したパリで師事したナディア・ブーランジェにタンゴをつづけるよう進言され帰国した60年代まで何度か挫折を味わったが、ピアソラにとってタンゴは、いまではほとんどのひとがヒップホップをブレイクダンスやグラフィティと切り離した音楽と認識するように、流儀でなく音楽の形式だった。「タンゴはどこまでタンゴなのか?」という自問自答。ピアソラのディスコグラフィにはそれが繰り返しあらわれてくる。『タンゴ:ゼロ・アワー』ではそれが先鋭化し、彼は藤沢周のやたらとハードボイルドな小説のタイトルにも引用された「ブエノスアイレス零時」のゼロのコンセプトを拡張し、タンゴの境界線を形式の力で探りあてようとする。私には「ブエノスアイレス零時」は昨日と今日を分かつ都市を徘徊するさまを描写した傑作なのだけど、それから20年以上経ってピアソラの音楽は完全に音楽に純化されたように聴こえる。『~ゼロ・アワー』の曲はかつてあったものの再演ではあるが、ピアソラの神経が隅々まで行き渡った後期五重奏団の再現性は、タンゴだけでなくクラシックやジャズの要素をアナロジーとしての多声部に変換し、1曲にアルバム1枚分の濃度をもたらし、私は多楽章形式の"コントラバヒシモ"なんか聴き終えるとどこかに旅行してきたような気持ちになるのだけど、このトリップ感(?)はあくまでもフォーマットの運動がベースにある。その意味でピアソラはタンゴの革新者だったが自身の音楽言語を手放さなかった古典的な作曲家でもあった。
形式はやがて複雑化する。それはあらゆるジャンル音楽のあたりまえの展開なのだけど、「さらに複雑で美しい曲を」というハンラハンの求めに応え、87年と88年の夏に避暑地、プンタ・デル・エステ(ギリアムの『12モンキーズ』で使われた"プンタ・デル・エステ組曲"はここに由来する)で書き上げた組曲がメーンの『ラ・カモーラ』はトリップというよりショート・ステイほどの大作志向になり、和声は緊張感を高め、リズムは入り組み、場面はめくるめく、演奏は奔放になり、彼の音楽に叙情性を託すリスナーを煙にまきさえする。ここがたぶん境界線の手前だった。タンゴの体系の内側に充満したピアソラの体系。それは保守と革新という単純な二項対立ではなくて、"複数の形式"の相克だとおもう。ワーグナーでもストラヴィンスキーでもシェーベルグでもいい、形式の境界線ぎりぎりまでいくと音楽は形式の反作用を内側に抱えることになる。これは西洋音楽の話だけど、ピアソラは「タンゴはどこまでタンゴなのか?」との問いに答えると同時に「このフォーマットにはどれくらいの容量があるのか?」計ろうとした。クラーヴェのピアソラは私たちが現時点で聴けるその二重方程式の解であり、私は3作をあらためて聴き通して、森敦の文章をおもいだした。かなりな飛躍ですけどね。森敦は数学的にただしくないかもしれないと前置きしながら、トポロジーを文学的に読み解いてみせる。
「近傍は境界にそれが属せざる領域なるが故に密蔽されているという。且つ、近傍は境界がそれに属せざる領域なるが故に開かれているという。つまりは、密蔽され且つ開かれてさえいれば近傍といえるのだから、近傍にあっては、任意の点を原点とすることができる。境界も円である必要もないばかりか、場合によっては域外における任意の点をも原点とすることができる。」(『意味の変容』筑摩書房)
繰り返すが、ピアソラは破壊者でも越境者でもなかった。タンゴの近傍でタンゴの意味を反転させようと企図したモダニストだった。そう考えるとハンラハンとの出会いは当然のことに思えてくる。ふたりはともに都市にいて伝統に向き合った。ピアソラは3枚のアルバムを出したあと体調を崩し、五重奏団は解散した。彼はのちに六重奏団を再編したが、残された時間はわずかだった。そうやって、ピアソラ以後に枝分かれしたタンゴの新しい系は彼の死によって閉じられたとよくいわれる。しかし本当だろうか? 私はもう何年も前に、ファン・ホセ・モサリーニの東京公演を観たとき、彼のコンテンポラリーな感覚と、ついに観ることが叶わなかったピアソラの血の濃さのようなものを重ねて、プリンス・ジャミーとキング・タビーみたいなものかなーとおもったと書くと乱暴だが、外部の任意の点にたやすく接続できるなら、数多の継承者だけでなく菊地成孔のぺぺ・トルメント・アスカラールまでピアソラの血は逆流してくる。
ピアソラこそゼロだった
河出書房新社から刊行される『ゼロ年代の音楽』における150枚のディスク・レヴューで、最初入れておいて、あとから「やっぱいいか」と削除してしまったのがボルチモアの男女デュオによるビーチ・ハウスのデビュー・アルバムだった(男はアメリカ人、女はフランス人)。そしてこの3枚目のアルバムを聴いて、「あー、入れておけば良かったな~」と後悔した。結論から言えば『ティーン・ドリーム』はここ数年のエレクトロニカ系ポップスにおいてはダントツに洗練されている。10年代に入って最初に心底気に入ったのがこのアルバムだ。この魅力にはとても逆らえない......そんな感じだ。
正直言って、ビーチ・ハウスのような「無垢」で「潔癖性」の高いエレクトロニカ・サウンドに関しては(彼らは前作までは、日本ではお馴染みの時代遅れのエレクトロニカ・レーベル〈カーパーク〉から作品を出している)、二木信ではないが抵抗感のあるほうである。猥雑さを排除することで輝きを引き出そうとするそのやり方が、どうにも嘘くさく思ってしまう。早い話、お上品なだけじゃないかと思ってしまうのだ。だいたい若い頃はダッフルコートを着たガキがボサノバを聴いているだけで腹が立ったものだった......というのは嘘だが、とにかくこれは自分の育ちの悪さが関わっているのだろう。リアリズムの観点から言えば、僕にはなかなか遠くに感じられる音楽が多々あるのだ(さすがに年齢を重ねながら、そうした偏見はだいぶなくなったけれどね~)。
そんな偏屈な人間が聴いても、ビーチ・ハウスには魅力があった。それは彼らの音楽が、物憂げさ、陰鬱さ、および失意......のような「負性」を心地よく響かせるという力を持っているからである。ダウナーだがラヴリーなのだ。彼らが表現するのは晴れ渡った青空ではなく霧のかかった曇り空であり、輝く太陽でも深夜でもなく黄昏の美しさなのだ。カラフルな田園ではなく、憂鬱な田園なのだ。
ビーチ・ハウスは、90年代のテクノ~エレクトロニカの持つユーフォリアを我がモノにしたゼロ年代USインディのひとつであるという説明もできる。デビュー・アルバムも前作の『デヴォーション』も、そうしたモダン・ポップの文脈においては秀逸な作品に違いないが、しかし何か決定的なものが欠けている。僕のような門外漢が居ても立ってもいられなくなって、そこに強引に立ち入ってしまうのほどの魔力はまだない。そこへいくと『ティーン・ドリーム』は1年でここまで成長するものなのかと驚くほど、すべてにおいて研磨され、非の打ち所のないアルバムとなっている。極端に喩えるなら、グリズリー・ベアが"サンデー・モーニング"をカヴァーしたようなアルバムだ。僕はすっかり虜になっている。
ギターの簡潔なアルペジオからキックの音に導かれて蜃気楼の世界に突入する1曲目の"ジブラ"、メロウなダウンテンポの傑作"シルヴァー・ソウル"、そしてまるでビートルズがハウスを取り入れたような"ウォーク・イン・ザ・パーク"(アルバムのベスト・トラックのひとつ)......簡素なピアノとヴェルヴェッツ流ポップスの"ユースト・トゥ・ビー"も良いし、キャッチーな"ラヴァー・オブ・マイン"や"ベター・タイムス"のような曲にさえも黄昏の感覚が横溢している。
すでに何十回とこのアルバムを聴いているけれど、聴く度に夢の世界に飛ぶ。現実をすっかり忘れ、ひとりで夢に浸る。90年代で言えばエールのようなものか。とにかく、これはモダン・ドリーム・ポップの傑作である。
プログラム:
●第1部・・・・15:00-17:00 『音楽の為の場』
-講師:岸野雄一、磯辺涼、原雅明、松村正人、三田格
●第2部・・・・17:30-19:30 『音楽講座主任講師・公開会議』
-講師:岸野雄一、菊地成孔、高山博、横川理彦、大谷能生
講義テーマ:
本年度1月いっぱいをもって、映画美学校のある歴史的な建造物、片倉ビルが取り壊されることとなった(学校自体は移転して継続)。そこで、最後にその場所を使って緊急座談会を開催することとなった。議題は、"場"という言葉を、単なるハコ物ではなく、『人や音楽が交通するためのシステム/インフラ』として広義にとらえ、ゼロ年代から次の10年にむけてどのようなモデルがあり得るかを模索する。
第1部では、紙媒体、ライブの現場、海外シーン等々、さまざまな"場"に対し深い造詣を持つゲスト講師とともに、これからの場の在り方を考えていく。
第2部では、音楽講座という場を多いに支えて頂いている主任講師陣が一同に会し、岸野雄一(a.k.a校長) 仕切りのもと、公開サミットを実施する。
参加方法:
メールでの事前予約を行って下さい。
先着20名様、23日(土)17:00まで受付いたします。
件名を『24日聴講希望』とし、氏名・性別を明記の上、下記までご連絡下さい。
music@eigabigakkou.com
※受講料は無料です。
※映画美学校音楽美学講座卒業生および在校生は予約の必要はありません。
【聴講時の注意】
座席は先着順となります。
満席となった場合、ロビーに設置されたモニターを通しての聴講となります。
あらかじめご了承下さい。
映画美学校・音楽美学講座・情報サイト
https://egbk.sakura.ne.jp/xoops/html/
昨年のハイライトとも言うべきファースト・アルバム『Sub Focus』によってエクストリーム・レイヴ・ドラムンベースの確固たる地位を確立、それを不動のものにしたのがサブ・フォーカスである。そのもっとも待望されていたリリースによってドラムンベース界に新たな核が生まれたというわけだ。もっとも、プロデューサー・デビューから6年もの年月を費やして発表となったファースト・アルバムは、彼の類まれなる才能から考えると少々遅かった感は否めないのだが。
彼の起源は2003年〈Ram〉のサブ・レーベル〈Frequency〉から発表された「Down The Drain/Hotline」である。当時のトラック・メイキングはまだ未成熟かつ方向性が定まっていない、ごく平凡なサイバー・ドラムンベースだった。もちろんその当時は、現在のようなスター・プロデューサーとしての確約はないに等しい存在として扱われている。彼に転機が訪れたのは、そう、2005年。その年のアンセム・ザ・イヤーとなったばかりではなく、2000年代を代表するトラック"X-Ray"の発表である。
ドラムンベース界のみならず、その恍惚感溢れるトランシーレイブな作風で世界中のダンスフロアを掌握、稀に見るビッグ・アンセムとなった。その後、水を得た魚の如く立て続けに"Airplane"、"Frozen Solid"などの"ロック"チューンを発表。そして彼の地位を不動のものにした決定的なリリースがプロディジー"Smack My Bitch Up"のSub Focus RMXだった。そのリミックスはまるで新旧レイブ・サウンド伝道師の世代交代のようで、ドラムンベースをより多方面に押し上げてもいる。そしてその後の活躍は言わずと知れている。いまや名実ともにドラムンベース界のトップ・プロデューサーに君臨するのだ。
さて、彼のファースト・アルバムからシングル・カットが待望されていた2曲がついにリリースされた。アルバムに収録された"Could This Be Real"のオリジナルは、現在のクラブ・シーンを席巻しているトレンド、エレクトロ・タッチから触発されたフロア直系のアーバン・ブレイクスだったが、シングル・カットのためにドラムンベース・リミックスへと自身でリワーク。ハーフ・ステップさながらのビート・プロダクションに流麗なレイヴ感漂うエレピを注入し、ハイブリッドでソフィスティケートされたシンフォニック・レイヴ・サウンドへと昇華させている。
"Triple X"に話を移そう。これはまさに"X-Ray"の続編、誰もが待ち望んだ真のレイヴ・ミュージック、即ちこれがエクストリーム・レイヴをもっとも体現したトランシー・フロア・サイバーの最高傑作と呼ぶに相応しい。今後この作品はダンスフロアで皆を待ち続けることとなるであろう。
オーストリア、ウィーン発の新鋭レーべル〈Mainflame〉からレーベルのフロントマン、ディザスト(Disaszt)と若手ナンバ-1の呼び声が高いケーモ&クルックト(Damo & krooked)のサイバー・スプリット! "Together"では〈Viper〉、〈Frequency〉などシーンのトップ・レーベルのリリースからMINISTORY OF SOUND主宰DATAなどメジャーのリミックス・ワークなども手掛けるDJサムライ & DJクリプティックのエレクトロ・サイバー・ユニット、DC・ブレイクス(DC Breaks)が担当。レーベル・カラーであるカッティング・エッジでエレクトリックなサイバー感を継承しつつ、よりシンプルに交感し合う各々のサンプル群と、そして女性ヴォーカルが絶え間なくフォローするエレクトロ・ニューロ・ファンクとなっている。昨年からドラムンベースの新しいトレンドとして定着しつつあるエレクトロ・ドラムンベースだが、今作はまさにそれを体現している。まったく"いまこの瞬間の"ダンスフロア・シンフォニーで、レーベルのシンボル的トラックである。
ケーモ&クルックト"Synthetic"は、〈Mainflame〉からもうすぐ発売されるファースト・アルバム、『Above The Beyond』の前編的トラックとなった。エレクトロ・ドラムンベースの若手急先鋒ケーモ&クルックトだが、今年はさらなる飛躍を期待されるだろう。彼らはすでにDJフレッシュ(DJ Fresh))、アダムF(Adam F)の〈Breakbeat Kaos〉から「Can't Get Enough/Without You」、ロンドン・エレクトリシティ率いる〈Hospital〉から「Climax/Reincarnation」、フューチャー・バウンドの〈Viper〉から「Cliffhanger/Feel Your Pulse」など、多数リリースが控えており、今後最注目のアーティストである。筆者が現在提唱しているエレクトロ・ドラムンベースが、ケーモ&クルックトやショックワン、フェスタなどによって閃光の如く輝き続けるムーヴメントになることを望んでいる。
ザリーフ&ダニーバード(Zarif & Danny Byrd)、"California"で昨年、最高のプロデュース・センスをまた見せつけたダニーバード! ハイコントラストとともに〈Hospital〉の制作理念をもっとも体現しているひとりであり、彼の高揚感溢れるキャッチーな作風はいまや誰にも真似できない、まさにダニーバード・サウンドとして定着している、キャリア10年以上の〈Hospital〉所属のベテラン・プロデューサーだ。
筆者もDJのとき、必ずと言っていいほどお世話になっている。とくに昨年のザリーフとの共作やファースト・アルバムでのFT.ブルックスブラザーズ"Gold Rush"など......彼の作品をプレイするとき、いつも決まって、自身が中盤の窮地に陥っているケースが大半だ。なぜかと言えば......それだけ個の作品のみであらゆる場面を乗り切る力を持っている唯一のトラック、それがダニーバードの音楽だからである。彼には作品を出すたび毎回脱帽し、尊敬の念を抱き続けている。レコードを置き、針を落とすだけの偉大なキラー・トラックを量産し続けているのだから!
そして今作"Sweet Harmony"は、初期のレイヴ感溢れるエレピ、FT.リキッドのソウルフルなヴォーカルを効果的に配した遊び心満載のキャッチーなフロアトラックとなった。原点回帰したかのような初期作風感漂うサンプル使いにダニーバードの懐の深さを再認識させられた。もちろんこれもフロアで爆発的人気を得るだろう。
B面"Jungle Mix"は、ここ最近のダニーバードお気に入り(?)"Shock Out"でも垣間みれたおなじみのオルタナティヴ・プロダクションである。彼特有の変則アーメン・ビートにキャッチーなギミック・サンプルで否応無しにフロアをロックする、正真正銘のパーティ・チューンだ。90年代中期頃、一世を風靡した"Smokers Inc"や"Joker"のエッセンスが多分に感じられ、古き良きジャングル文化が彼によって現代に甦ったと言えよう。
さらに本年度はダニーバード・フォースカミング・リリースで、みんなが待ち望んでいるあの曲"Paperphase"が〈Breakbeat Kaos〉からついにリリース。あのエレクトロ・ドラムンベース最強兄弟、FT.ブルックス・ブラザーズがまたタックを組み、懐かしのフレンチ・ディスコを思い起こさせるフィルター・ハウス・ドラムンベースに仕上がっている。
まだリリース前だが、2010年のアンセム・ザ・イヤーをこれで決まりだ。
これはちと古い。2009年の11月にリリースされた、「秋は優しく」なる題名の5曲入りのシングルで、その年のアルバム『メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン』がUKではナショナル・チャートの26位にまでランクされた動物集団の勢いを感じる作品となった。1曲目の"グレイズ"は......陽気なフォークダンスである。どう考えてもストロボライトを浴びながら踊るというものではない。男女がスキップしながら手を取り合って踊っている姿が目に浮かぶ。
ちょうどのこの原稿を書いている少し前には、彼らの2003年の『キャンプファイヤー・ソング』が再発されている。僕はこのCDは、『サング・トングス』を聴いたときに素早く探し回り、『ヒア・カム・ジ・インディアン』とともに買っている。60年代半ばのビーチ・ボーイズのアルバムに『パーティ!』というビートルズの曲のアコギによるカヴァー集があって、それはまるで学校の教室でクラスメートを集めながらワイワイがやがや、ビートルズの歌を歌って盛りあがっているような作品なのだけれど、『キャンプファイヤー・ソングス』はいわばそのアシッド・ヴァージョン。僕は......勝手ながらD・リゼルギン酸ジエチルアミドに浸りながらギターをかき鳴らす青年たちを夢想した。そうでなければ、あの1曲目の狂おしい不明瞭さに関して、他にいったいどんな説明が可能なのだろう。そして僕は、ストレートにそれを"キャンプファイヤー・ソングス"と言い切ってしまった動物集団のセンスに興味を抱いた。
ちょうどこの頃は、文化のたこつぼ現象なる言葉が流行っていて、とにかく小宇宙ばかりが連なってばかりで面白くないと、そんなことが巷で言われていた。たしかに音楽のシーンでも90年代的なレイヴ・カルチャーはすっかり細分化され、互いに交わる兆しもなかった。そんな時期に、アニマル・コレクティヴはまさに小宇宙の司祭になろうとしていた。『キャンプファイヤー・ソングス』は、どう考えてもわずか数10人の音楽だ。しかし、コミュニティは小規模になったかもしれないけれど、親密性は高まっているのではないかとも思うのだ。ただ無闇に人の数だけ多ければ良いってものではない。そう考えれば、僕は日本のSFP周辺の連中の大きくなることへの警戒心と自律した小宇宙への欲望と、この時期のアニマル・コレクティヴの心地よい閉塞性は似ているようにも思えるのだ。
アニマル・コレクティヴの"フォール・ビー・カインド"は、『メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン』がそうであったように、『キャンプファイヤー・ソングス』の頃の閉塞感はない。良くも悪くも彼らはポップ・バンドとして商業的にも成功しつつあるし、その世界も広がりを見せている。シングルの2曲目の"ホワット・ウドゥ・アイ・ウォント? スカイ"がそれを如実に物語っている。グレイトフル・デッドの曲をサンプリングしているこの曲は、動物集団にとっておそらく最初の、わかりやすいポップ・ソングだ。
"オン・ア・ハイウェイ"は、ダビーなエレクトロニクスと彼らのコーラスによるメランコリア。最後の"アイ・シンク・アイ・キャン"はクラウトロックのダークな引用で、陰鬱なエレクトロニクスと動物たちのコーラスとの協奏曲だ。
「フォール・ビー・カインド」は『メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン』の延長線上にある。パンダ・ベアの最初のソロ作品が好きな人は『キャンプファイヤー・ソングス』の再発を買ったほうがいいだろう。しかし、彼らの陽気なサイケデリアを楽しみにたいなら、このシングルも悪くはない。