火事になったら、
一枚のレンブラントより一ぴきのねこを救おう
そしてその後で、そのねこを放してやろう
――アルベルト・ジャコメッティ
(長田弘『ねこに未来はない』より)
真夜中、BOSEのポータブル・プレイヤーでナット・キング・コールの『ザ・ヴェリー・ソウト・オブ・ユー』を流しながら、この文章を書き始めている。1958年、唯一無二の甘く、ほろ苦い声を持つジャズ・シンガーが、煌めくようなオーケストラをバックに、ひたすら幸福なラヴ・ソングを吹き込んだ、この世で最も美しいレコードのひとつ。ハーブを吹かし、ラムでも舐めながら聴いたらさぞかし最高なことだろう。しかし、今は仕事中なのでそういう訳にもいかないというのと、ある時から、このCDを再生することは、ひとつの悲しい記憶を思い出すのとイコールになってしまった。今、目を閉じると、満点の星空が浮かび、小さな啜り泣きの声が聴こえてくる。音楽というものは、人生の前では無力だ。でも、それでいい。いずれにせよ、僕たちは人生と向き合わなければならない。音楽はそこから目を逸らすためのものではなく、そっと後押しをしてくれるものであるべきだ。まず、長く険しい人生がある。そして、その傍ら、小さな音で音楽が鳴っている。僕たちは時々、立ち止まってそれに耳を傾け、また決心して歩き出す。イメージするのはそういうことだ。
飛行機が徐々に高度を下げ、真っ青な世界から真っ白い世界へ突入し、ややあって、鼠色の世界に顔を出した瞬間、美しい夢から覚めたら醜い現実が待っていたような、悪い夢だと思っていたのが正真正銘の現実だったような、そんな気分になった。僕はヘッド・フォンを外し、眼下に広がる雨に濡れた成田を眺めながら、あぁ、何て汚い街なんだろうと思い、隣の席の妻にその感想を告げようと顔を覗きこむと、彼女は同じように外に目をやっているのか、それともただ虚空を見つめているのか、とにかくハッとするような憂鬱な表情をしていて、僕は慌てて手を握り締めた。膝に置いたヘッド・フォンからはストリングスがほとんどホワイト・ノイズになってささやかな音を立てていた。
猫のチーが死んだという連絡が入ったのはフレンチ・ポリネシア諸島のひとつ、ボラボラ島に滞在する最後の日の事だった。まだ、たった4歳で、死因は突然死としか言いようがないと、後日、かかりつけの獣医さんは言っていた。正確には、チーは僕たちが日本を経った10月某日、月曜日昼から丸一日経ったか経っていないかの、火曜日昼、留守の世話をお願いしていたペット・シッターの方に、床に倒れているところを発見された。彼はすぐにメールで報告をしてくれたのだが、僕たちはスケジュールを詰め込んでいたためなかなかメールを確認する暇がなく、僕がそれに気付いたのは日本時間の木曜日昼辺りだった。妻がホテルの備え付けのスパに行っている間、パソコンをいじろうと、レクリエーション・ルームでHotmailにアクセスし、「悲しいお知らせをしなければなりません」という書き出しが目に飛び込んで来た瞬間の気持ちを、僕は一生忘れる事がないだろう。それまで、自由の象徴のように思えた、ディープ・ブルーの空と、エメラルド・グリーンの海の間に浮かぶ美しい島が、まるで密室みたいに感じられた。僕はひとりで、5.4万坪という広大な敷地を持つセントレジス・リゾート・ボラボラを檻に閉じ込められた猿のようにウロウロと歩き回りながら、あと2時間もすれば妻は部屋に帰って来る、その時、一体何て説明したらいいんだろうと、その事ばっかり考えていた。
今回の旅行は、結婚して2年目、僕たち、決して豊かとは言えない共働きの夫婦がようやく手に入れた休暇と溜まったお金を継ぎ込んだ、言わば遅いハネムーンだった。せっかくだから思いっきり遊べるよう、仕事は出発前までに出来るだけ片しておいた。しかし、ひとつだけ心配だったのが、2匹の猫を1週間という、今迄にない長い間、残して行く事であった。病院やペット・ホテルに預ける事も考えたが、猫は犬よりも住み慣れた家から離れることをストレスに感じると聞いて、ペット・シッターにお願いする事にした。打ち合わせに自宅までやって来たSさんは、犬や猫の毛だらけのトレーナーを着た、如何にも人の良さそうな、そして動物の好きそうな中年男性で、この人に任せておけば大丈夫だろうと大して心配もしていなかった。「東京では暑い日が続いています。お父様とお母様は荼毘にふされた方がいいのではと仰っていますが、私はどうにかおふたりの帰りを待っていてもらおうと提案し、今、チーちゃんはドライ・アイスを抱いて、眠ってくれています」。Sさんからのメールにはそう書いてあった。残されたもう1匹のアーが如何にも怯えた表情で食器棚の上から様子を伺っている写真も添付されていた。僕は絶対に亡骸を保存しておいて欲しい事、残されたもう1匹のアーをくれぐれもよろしく頼むとの事をメールにしたため、送信した。たった数100文字のメールなのに、手が震えて、書き終えるまでにかなりの時間がかかった。
[[SplitPage]]子供のいない僕たちにとって、チーとアーは唯一の家族だった。二匹なのだから唯一という言い方は可笑しいのかもしれないけれど、全員でひとつという意味で、それはまさに唯一だった。僕ら夫婦が今まで上手くやってこれたのは、2人きりだと息が詰まってしまう時に風通しをよくしてくれ、2人の心が離れそうな時は間に入ってくれる彼女たちがいてくれたおかげだと思う。4年前の春、歳上の友人である石田義則さん――と言うよりは、ラッパーのECDと言った方が話が早いだろう――から、家で子猫が生まれたから貰い手を捜しているという連絡が来た。彼が07年に出した小説『失点イン・ザ・パーク』には、飼猫、プーちゃんの出産シーンがある。今度の子猫たちはその次、2度目の出産だった。2人とも猫が好きで、兼ねてから飼いたかったものの、ペット・ショップで買うのはどこか抵抗があった僕たちは喜んで下北の石田さんの自宅に向かった。招き入れられまま家の中に入れば、片付けることが苦手な僕もちょっと驚くぐらい荒れた果てた部屋の中で、猫たちはまるで森の中を駆け回るように遊んでいた。4、5匹いたのだろうか。「どの子にする?」。石田さんに訊かれ、決めあぐねていると、「この子とこの子は仲良しだから一緒にもらってあげて欲しいな」、そう言いながら、2匹でも片手で抱えられそうな小さなメス猫たちを手渡された。その当時、僕は豪徳寺のアパートに引っ越したばかりで、そのまますぐに連れて帰ったように思う。ついさっきまでの住処に比べると、まるで森から草原にやってきたようにガランとした部屋の中を2匹は恐る恐る嗅いで歩きながら、ゆっくりとテリトリーを広げ始めた。「名前は何にしようか?」「鼻が茶色い方がチーで、赤い方がアー」。どちらともなく適当に決めたのに、その後、彼女たちは、チーはチー、アーはアーとしか言いようがない、まるで生まれる前からそう決まっていたかのような猫に育っていった。
2匹は姉妹らしく仲が良くて、いつも合わせ鏡みたいにぴったりと顔を寄せ合って寝ていたし、ふと見ると全く同じポーズで佇んでいることもしばしばだったけれど、キャラクターは真逆で、チーはチーという名前の響き通り少し惚けた、アーはアーという名前の通り少し神経質な性格だった。チーは甘えん坊で、常に人の膝に座りたがったし、音楽に合わせて操り人形みたいに踊らせても、嫌な顔ひとつしなかった。一方、アーは誇りが高くて、ひとと触れ合うのは自分がそうしたいと思った時だけで、無理矢理抱き上げられたりするのが好きではなかった。身繕いに関してもチーは無頓着でアーは丁寧。アーがじっくり自分の身体を舐めていると、チーは自分のことそっちのけで手伝おうと、アーの顔を舐め始め、最初はアーも気持ち良さそうにしているのだが、それがあまりにもしつこいので、そのうちイライラしてきて、アーが飛び掛り、チーがこてんぱんにされるのがお決まりのパターンだった。アーは機嫌が悪い事も多く、壁中に引っ掻き傷を付けたが、チーは手がかからない猫で、喉を鳴らしている時間の方が長いんじゃないかと思うぐらいだった。1歳になったぐらいだろうか、アーは血尿を出し、慌てて動物病院に連れて行くと結石だと診断され、以降、治療用の餌を食べていた。だから、チーが死んだと知った時、一瞬、アーの間違いじゃないかと疑ったものだ。でも、ひょっとしたら、アーは定期的に病院に連れて行っていたけれど、チーは放ったらかしだったので、病気が発見出来なかったのではと思うと、悔やんでも悔やみきれない。僕たちの中でチーは元気でひょうきんなイメージしかなかった。出発前日の夜、チーは部屋に広げられた見慣れないアタッシュ・ケースに興味津々で、ふと目を離した隙に中に潜り込み、「連れていけって言ってるよ」と僕らは笑い合った。
チーとアーは家から出したことがなかった。猫を外に出さないのは、今や都会の愛猫家の間では常識である。家に閉じ込められていたら窮屈ではないかと思う人もいるだろうが、猫のテリトリーというのは実はとても狭く、外に出しても家の周辺をウロウロしているだけで、あまり変わらないのだそうだ。何より、車の事故や、感染病といったリスクを回避する事が出来る。しかし、外の世界を知らない事は確実に猫自身の性格に影響を及ぼすとは思う。チーもアーも、既に生後4年を越えた立派な成猫だったが、顔はまるで子猫ように幼く、可愛らしいままだった。臆病で、わがままで、いつもニューニャー鳴きながら僕たちの後ろを付いて回った。野良猫のふてぶてしく、逞しい表情や態度と比べれば違いは明らかだ。そして、また、そのことは猫と人間の関係性にも多大な影響を及ぼす。例えば、詩人の長田弘が71年に出したエッセイ集『猫に未来はない』を読むと、約40年前の日本では、猫と人間は今よりももっと緩やかに、大らかに付き合っていたことが分かる。この本にはそれまで猫嫌いだった長田が、大の猫好きの女性との結婚を機に猫を飼い始め、段々と猫好きになっていく過程が書かれている。今年に入って知ったこの本に出てくる、彼等が飼う最初の猫も、偶然にもチイという名前なのだけれど、その一代目チイも、二代目チイも、三番目に飼われるジジも、皆、家出してしまったり、他の猫との喧嘩に負けて死んだりしてしまう。夫婦は一代目チイがいなくなり、落ち込んでいる時、チイをくれた猫好きの知人に「そのくらいのことでグシャグシャになっちまうようじゃ、ほんとうのねこ好きにはなれないな。ねこ好きのひとはみんな、一度ならずじぶんのねこがいなくなったり死んだりすることに耐えることで、まえよりもっとねこ好きになってきたんだからね」と励まされ、次の猫を飼う決心をする。そこにある想いは現代と何ら変わるところはないし、この言葉にはとても励まされる。
しかし、驚くのは2代目チイと、ジジをくれる、近所の猫好きおばさんが生まれたばかりのジジを手渡す時に言うこんな台詞だ。「待ってたかい? やっと昨日生まれたんだよ。混血の器量よしだよ。(中略)四ひき生まれたんだけどさ、ほら、ここんとこあまり次つぎにみんないなくなっちゃうだろ? また他人ちにやると、それだけあとでがっかりする気もちを分けてやるみたいになっちゃうのが、どうにもわたしにゃ気が重いのさ。まあ、あんたたちにだけは約束してたからね、そんなかでいちばん好いのを選ってさ、あとはこう(と、手をひねるそぶりをみせて)しちゃったんだ」。この、要するに子猫を間引いたという描写は、何てことのない、とてもさり気ない調子で出てきて、それについて特に言及されることもない。勿論、現代だって行なわれていることなのだろうけれど、数年前に日経新聞で作家の坂東真砂子が子猫を間引くエッセイを書いて激しくバッシングされた事からも分かるように、今では大っぴらに書くことは許されないエピソードだろう。猫好きにも関わらず、この話を普通に聞き流す長田夫婦の感性は、外で飼うことが原因で愛猫を何回も失っているにも関わらず、何の対策も講じないし、去勢すらしようとしない事にも繋がっているし、その背景にはこのような思想があると思う。同書に収められたもうひとつのエッセイ『ねこ踏んじゃった』で長田は書いている。「おそらくねこぐらい、あるひとたちにとってはひどく好かれながら同じぐらいあるひとたちには評判のわるい愛玩動物も、ほかにはまずいないといっていいんじゃないでしょうか? そのことは、ぼくたちにとってねこと同様に親密な動物である犬とくらべてみるとき、いっそうはっきりします。犬が、数千年におよぶ人間とのつきあいの歴史のなかで、じぶんの生きかたを、犬は人間にとっての犬なんだというしかたに変えてきたことにくらべれば、ある動物学者のいうように"数千年にわたる人間とのつきあいで、ねこほどかわらなかった動物はない"のですから」。「人間は猫を飼うことである種の禊をしているのだ」というような事を言ったのは、中島らもだった。つまり、長田の、猫を愛しているにも関わらず、現代からすると妙にそっけない態度とは、人間にとっていちばん身近な野生である猫の本能に対する敬意とは解釈出来ないだろうか。それに対して、我々の猫との付き合い方は良く言えばより親密になって来ているし、悪く言えば、その親密さとは猫の野生性を殺すことで得たものであり、また、親密さは依存と置き換えることも出来るだろう。社会のポスト・モダン化によって人間たちに引き起こされた絶対的な孤独を癒すために、猫たちは本能を奪われてしまったのだろうか。果たして、それは彼らにとって幸せなことなのだろうか。
[[SplitPage]]多摩川のホームレスと野良猫の写真を撮り続けているカメラマン、小西修を追ったドキュメンタリー番組「ひとりと一匹たち~多摩川河川敷の物語」で、彼と一緒に野良猫の世話をする彼の妻が、ずっと気にかけていたのに、しばらく姿を見せなかった野良猫が草むらの中で死んでいるのを発見し、泣きながら、その硬くなった亡骸を抱きしめ、呟いた言葉が忘れられない。「生きてても、良い事なんかなかったね。でも、もう苦しい思いをしなくていいんだよ」。その猫に比べたら、チーはずっと幸せだっただろう。死ぬその瞬間まで、嫌な思いをほとんどせずに生涯を終えたはずだ。でも、幸せってなんなんだろうか。去勢され、家に閉じ込められたまま死んで行く飼い猫は幸せなんだろうか。それとも、繁殖出来るだけ繁殖し、寒くてひもじい思いをしながら死んでいく野良猫の方が幸せなんだろうか。そもそも、猫に幸せなんていう価値観があるのだろうか。飼い猫が欲しがるままに、肉や魚のみならず、ケーキまで与え、ブクブクと太らせた姿を嬉々として写真に収める中川翔子の行いは虐待にあたらないのだろうか。それとも、カロリー・コントロールされた簡素な味のドライ・キャット・フードしか与えない方が虐待という考え方も出来るのだろうか。猫は何も言わないから分からない。猫を飼うなんてことは、所詮は人間のエゴだし、無駄なことである。ただ、人間はエゴを押し殺せないし、無駄なことをせずには生きていけない。猫は黙ってそれを受け止めてくれる。僕が思い出すのは、僕と妻がベッドに寝ている間に潜り込んできて、目を細め、喉を鳴らすチーの表情である。あれを、幸せそうと言わなかったら、何を幸せそうと言うのだろうか。そして、僕たちがそのチーを撫でた時に手に伝わってきた温もり、そして胸に沸いて来た感情を幸せと言わなかったら、何を幸せと言うのだろうか。――僕は白い砂浜に置かれたベッドに独り座って、裸ではしゃぎ回るよく日焼けした白人の子供と、それを微笑みながら見守る若い夫婦をぼんやりと見つめ、そんなことを延々と考え続けていた。気付けば、2時間が経っていた。そろそろコテージに戻らなければならない。











































