「ピカ」と一致するもの

interview with Alex Barck (Jazzanova) - ele-king

 1990年代半ばにドイツのベルリンで結成されたジャザノヴァ。3人のDJと3人のプロデューサー/トラックメイカーから成るこのユニットが生まれた時期は、クラブ・ジャズ・シーンが躍進しており、ニュー・ジャズやフューチャー・ジャズと呼ばれる新しい音楽が生まれていた。当時はジャズを接点にさまざまな音楽ジャンルが融合し、カール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラやロニ・サイズのリプラゼントなどが活躍していた。そうした時代に一躍脚光を浴びたのがジャザノヴァだ。

 古い時代のジャズ、ソウル、ブラジル音楽、ラテン、アフロなどの音素材を、まるで実際に生演奏しているように錯覚させる緻密なサンプリングで再構築し、テクノ、ハウス、ヒップホップ、ドラムンベースなどを通過した新しい未来の音楽として提示する。彼らの手法は、それ以降のニュー・ジャズ~クロスオーヴァー・シーンの指針となり、多方面にも影響を及ぼした。『In Between』(2003年)、『Of All The Things』(2008年)とアルバムを発表していくなか、ジャザノヴァの音楽性は徐々に変化していく。エレクトロニクスとアコースティックな要素が融合していた『In Between』に比べ、『Of All The Things』では多くのシンガーを起用し、生演奏に比重を置いた作風となっていた。当時はメイヤー・ホーソンなどが台頭してきていたが、そうしたヴィンテージ・ソウル的な作品もあった。その方向性は最新作『Fankhaus Studio Sessions』(2012年)でさらに加速し、これは完全なバンド・スタイルでおこなったスタジオ・ライヴ集である。パーソネルもプロデューサー/トラックメイカーとセッション・ミュージシャンが主で、実際のところDJメンバーはほとんど関与していない。つまり、当初のジャザノヴァとは異なるものなのだ。


Alex Barck
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 一方、そのDJメンバーであるアレックス・バークは、現在はソロ活動をメインでおこなっている。DJとして多忙な日々を送っていたアレックスは、2011年にプロマー&バークというユニットで『Alex And The Grizzly』を発表する。フォウナ・フラッシュ、トゥルービー・トリオ、ドラムレッスンといったユニットで、ジャザノヴァとともにドイツの音楽シーンを牽引してきたクリスチャン・プロマーとのユニットだ。
 音楽的にはディープ・ハウス、テック・ハウス、テクノ、ミニマルといった要素を軸とし、アレックスの普段のDJプレイを反映したものと言えるが、中に自身でヴォーカルを取ったりしたものや、シンガー・ソングライター的な要素を感じさせるものもあり、またフォークからクラシックやオペラ、バレアリックにチルアウト、そしてエスニックなど多彩なテイストを盛り込み、彼らの豊富な音楽的知識や経験が生かされていた。
 そして、2013年の秋、アレックスのキャリア初となるソロ・アルバム『Reunion』が完成した。『Alex And The Grizzly』の延長線上にある作品と言えるが、プロマー&バークではどちらかと言えばクリスチャン・プロマーがプロダクションの実務を仕切っていたのに対し、『Reunion』ではアレックスは完全に独り立ちし、作曲やプログラミングをはじめとしたスタジオ・ワークは全て自身でおこなっている。
 今回は自分で歌ってはいないが、代わりに多くのゲスト・シンガーを招き、ヴォーカル曲が多くなっていることも特徴だろう。レッド・ブル・ミュージック・アカデミーのイベントのDJで来日中のアレックスに、この『Reunion』のことを中心に、DJやジャザノヴァのこと、最近の音楽シーンについてなど、いろいろ語ってもらった。

音楽があまりにも溢れすぎているからガイドが必要だと思う。僕たちの世代のジャズDJが一番良い選曲者になれると思う。僕たちはどんなジャンルも新旧も問わず何でもチェックしているからね。この20年間で僕たちは音楽を俯瞰的にみる術を培ってきたから。僕たちの選曲者としての存在価値は、今後どんどん重要になっていくはずだよ。

初のソロ・アルバムのリリースおめでとうございます。DJ、そしてジャザノヴァのメンバーとして20年近くやってきて、今、このタイミングでソロ作を出したのは、どんな理由からですか?

アレックス・バーク(以下AB):昨年の7月から1年間、家族と一緒にレユニオンという島で生活することになって、そこではベルリンにいたときのようにスケジュールに縛られることなく、何の計画も立てずに音楽に取り組んでみようと思ったんだ。最初からアルバムを作ろうとしたわけじゃない。でも、島の空間や時間にすごく刺激されて、この1年はアルバムを1枚作るのにちょうどいい期間だと感じるようになっていった。向こうにはスタジオがないから、仕方なく自分のラップトップとヘッドフォンだけで制作していたんだけどね。

レユニオンはフランスの海外県で、アフリカのインド洋上にあるマダガスカル東方の小島なのですが、ベルリンを離れてここに移ったきっかけは何ですか?

AB:僕の妻はヨーロピアン・スクールの教師なのだけれど、彼女が海外に1年間赴任して教えるという交換プログラムの話をもらい、それがレユニオンだったんだ。彼女が行きたいと言ったとき、初めは一緒に行くのを少し躊躇した。DJにとって1年というのは長い時間だからね。でも、突然これは何か違う世界に触れるいい機会なんじゃないかという直感があったんだ。それまでベルリンにしか住んだことがなかったからね。実際、ベルリンを外から見ることが出来たのはいい経験だったよ。ベルリンではみんな「ベルリン・サウンド」を作るんだ。それはハードなテクノやハウス・ミュージックなんだけど、僕の好きな音楽ではなかった。だから、あのうるさい街を離れられてよかったよ。

CDジャケットになっているビーチの写真も、レユニオンでの風景なのですか?

AB:これはレユニオンに着いたその日に撮った最初の写真なんだ。とても美しい島で、まさにパラダイスだよ。現地の人は親切で、ピースフルだし、いろんな人種が混ざっている。中国系、インド系、黒人系のクレオール、それからフランス系と、皆それぞれ違っているけど、そうしていろんな血が混ざりあうことにより、美しい人が生み出されるんだ。そして、暖かいし、食べ物も最高だし、とくに魚は新鮮だよ! 老後には移り住みたいねとも思ったよ(笑)。

イビサのように観光地化されたところとは違うのですか?

AB:イビザのようなところとは全く違うね。フランスから多少の観光客がいる程度で、ずっと少ないよ。手つかずの自然の楽園というイメージかな。ナイト・ライフはないし、ホテルも少しだけ。とてもピュアな島だよ。火山があったり、4,000m級の山があったりする。それに美しいビーチもあって、全部揃っているんだ。ぜひホリデイに行くべきだね。

ということは、レユニオンではDJの機会などはなかったわけですか?

AB:プティヨンというとても小さいクラブでレジデントDJをやっていた。ただ、それはクラブというより家族や友達を集めたバーのようなところだったよ。それ以外はやらなかった。代わりに「エレクトロピカル」というフェスティヴァルのオーガナイズをしていて、ドイツから、例えばAMEのフランク・ヴィーデマンやクリスチャン・プロマーを呼んだり、ほかにジェフ・ミルズとか、フランスから何人かのアーティストをブッキングする仕事をしていた。あと11月と4月に2回ほどミニ・ツアーをやって、ヨーロッパの国々を回ったり、日本にも行ったりしたよ。

アルバムではレユニオン島出身のクリスティーヌ・セーラムというシンガーが歌っていますが、彼女とはどのように出会ったのですか?

AB:向こうに着いたとき、たまたま誰かから彼女のCDをもらったんだ。島にはマロヤという奴隷制の時代から続く伝統的な音楽があって、彼女はその分野でとても有名な歌手なんだよ。で、そのCDを聴いて、僕は彼女の声に恋をしたんだ。知り合いを通して何とか彼女にコンタクトを取りたいと思ったところ、実は僕がプティヨンでプレイする時にいつも彼女が来てくれていたことがわかってね(笑)。それで、すぐ紹介してもらった。すごく才能があって、フレンドリーで素晴らしい人だよ。そうやって仲良くなって、一緒に音楽を作ったんだ。実はこれからふたりで新しいアルバムを作ろうと考えていて、来年にもう一度レユニオンに行って、レコーディングをしようと計画中なんだ。

レユニオンには独自の音楽文化があるのですか?

AB:レユニオンは奴隷制時代の典型的な植民地だった。そして、アメリカのブルースやアフリカやブラジルの伝統的な音楽のように、レユニオンにはマロヤという音楽があるんだ。でも、それは実は1980年代まで演奏するのを禁止されていたんだよ。当時のミッテラン大統領が解禁して、一般に聴くことができるようになった。音楽的には打楽器のみの編成で、ある種トランシーな要素がある。カヤンバという大きなシェイカーのような楽器やルーラーという打楽器を使っていて、それらと歌だけから成り立つ音楽なんだ。パフォーマンスを見に行くと、老人でさえもトランス状態で踊っている。少しブードゥーの音楽に似ているところもあって、とても興味深いね。それとミニマルな要素もあるから、DJとしてプレイできるかもね。心の奥深くに入り込んでくるような音楽だよ。

クリスティーンが歌う“Oh Africa”は、そのマロヤに影響を受けた部分もあるのですか?

AB:そうだね、この曲と“Reunion”が島の文化から最も影響を受けたものだと思う。アルバムのすべての曲が島に影響を受けたものとは言い難いけれど、あの島がこの音楽を作る時間と場所をくれたわけだから、そうした意味でレユニオンのあらゆるものから着想を得ているアルバムなんだ。そのなかでも「Oh Africa」は直接的な影響を大きく受けているよ。リズムもマロヤのスタイルだし、大きなシェイカーを使ったり、クリスティーヌの歌声だったり、明らかにこのアルバムのハイライトだと思う。

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今回のアルバムは初期のジャザノヴァに近い、DJ的なプロデュース・ワークを重視した曲作りなんだ。いろいろリミックスを手掛けたりとか、最初のアルバムの頃のね。ジャザノヴァはライヴ・サウンドへ変化していくにつれて、よりクラシックなソング・ライティングに基づく明確な骨組みの音楽へと曲調も変化していった。


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レユニオンから受けた着想という話でいうと、“Doubter”“Reset”“Spinning Around”といった曲からはバレアリックなムードが漂っているのですが、それはレユニオンでのレイドバックした生活から育まれたものと言えそうですか?

AB:バレアリックという言葉を出すなら、それはレユニオンでの生活以前から自分のなかに存在してきたと思う。言うなれば根源的なバレアリックの感触に、いつも大きなインスピレーションを得ているんだ。意図的にそれを嗜好しているわけではなく、純粋に内面から出てくるものなんだ。僕のDJを知っている人は、そういった音楽をかけるのが好きだと理解してくれるんじゃないかな。子供の頃の僕はポップ・ミュージックをよく聴いてたけど、改めて自分なりのバレアリックということを分析するなら、例えば当時好きだったシャーデーのような1980年代のポップ・ミュージックに繋がりがあるんじゃないだろうか。だから、それは直接的な影響というより潜在的なもので、ポップ・ミュージックに囲まれて育った僕の子供時代の環境から自然と湧き出し、音楽を作る時に表面に浮かんでくるんだ。バレアリックというものを僕は意識しているわけではなく、それは言うなればポップ・ミュージックなんだけど、ポップ・ミュージックもバレアリックに通じているんじゃないかな。曲作りにおいてもバレアリックなものを作ろうとしているわけじゃない。敢えて言うなら、コーラスがあって、ヴァースがあって、フックが魅力的という古典的な曲作りが好きなのかも知れないね。それはロック・ポップ的な音楽、例えば昔スミスなどを聴いていた時から僕の中に生まれたんじゃないだろうか。

バレアリックという言葉を出したのは、プロマー&バークでアル・ディ・メオラの「Pictures Of The Sea (Love Theme)」のカヴァーをしていて、そうした部分からも繋がるところを感じたので訊いたわけです。

AB:僕はドイツの海沿いの街で生まれたので、海がずっと心象風景になっているんだ。海を見ながら何時間も座っているのが好きだよ。いつもその風景に影響を受けているし、頭のなかにそのイメージがあるんだ。だから、アル・ディ・メオラの“Pictures Of The Sea”が僕の好きな曲というのは、わかりやすいだろ(笑)。
 でも、これはあまりにも美しい曲だけどクラブでかけられるタイプのナンバーじゃないから、いつかそのクラブ・ヴァージョンを作りたいと考えていたんだ。いいカヴァーができればとね。ジャザノヴァの最初のアルバムにも“Sub-Atlantic”という素晴らしいインタールードがあるけど、これも海の風景から来ている。そういった具合に海のサウンドとイメージが僕の頭のなかにいつもあるんだ。僕の家族はホリデイにフランスの海沿いの別荘に行くけど、できればそこにずっといたいくらいだよ(笑)。ベルリンには海がないからね、湖はたくさんあるけれど。

今回のアルバムで、ジャザノヴァやプロマー&バークの時と違いを意識した点はありますか?プロマー&バークとは繋がりはあるかもしれないが、最近のジャザノヴァのサウンドは違うと思うのですが。

AB:今回のアルバムは初期のジャザノヴァに近い、DJ的なプロデュース・ワークを重視した曲作りなんだ。いろいろリミックスを手掛けたりとか、最初のアルバムの頃のね。ジャザノヴァはライヴ・サウンドへ変化していくにつれて、よりクラシックなソング・ライティングに基づく明確な骨組みの音楽へと曲調も変化していった。ただ、僕はDJとしてキャリアをスタートしたから、DJ的な手法による音楽を求める部分もあり、それがプロマー&バークに繋がったのかもしれない。で、今回のアルバムにはそうしたDJ的な要素もあるし、一方で単体の曲として聴けるものでもある。楽曲ごとを重視しながらクラブでもかけられるという、ちょうど中間のものなんだ。

プロマー&バークのアルバム制作時に、クリスチャン・プロマーからエイブルトン・ライヴなどの機材などの使い方を教えてもらったそうですね。今回は独りで制作して、それらの使い方は上達しましたか?

AB:音楽的な面ではジャザノヴァのときにもチームからいろいろ学んできて、その次に実務作業や技術面でクリスチャンからより多くのことを学んできた。教えてもらうというより、いつも彼が作業する隣りに座って、それを見ながらいろいろ質問していたね。彼は本当に短時間で制作できるプロデューサーで、アイデアがあればパッと作ってしまう。プロマー&バークのアルバムは10日で作ってしまったんだ。彼からは多くのことを学んだよ。コンプレッションやシグナル・チェインニングといった複雑な技術についてもね。でも、まだ僕は完璧なプロデューサーではないので、このアルバムの制作中にも、ときどき彼に電話して質問しなければならなかったよ(笑)。

それでは、アルバムを作るごとにだんだんと上達していますね。

AB:そう、制作しながら学んでいるんだ。15年もの間エンジニアと一緒に働きながら、コンプレッサーがこんな調子なら、サウンドはこんな感じなる、という風に試行錯誤しながら学んできた。でも、そうした学習の成果に満足するかどうかは、結局のところはとても個人的な感覚によるんだ。今回のアルバムに関して、自分では80%の完成度だと思っている。僕にとってこのプロダクションはパーフェクトなものとならなくても、ある程度形が整っていればOKという感じなんだ。ヘッドフォンで作ったということを考えれば上出来かもしれない。もし、これと同じアイデアで同じアルバムを、誰かビッグなプロデューサーと組んで作れていたら、より良いものになったかもしれない。独りで全部を手掛けると、外からのインプットがないし、頭のなかがグチャグチャに混乱することもあるんだ。とくにミックス・ダウンのときが大変で、神経を消耗する作業だよ。今回も最終ミックス・ダウンでは1カ月の間寝られな日が続いて、ずっと気分が悪かったよ(笑)。1年でスパッと完成させたかったから、何とかやり遂げたけどね。

プロマー&バークでは自分でも歌っていましたが、今回はたくさんのヴォーカリストが参加しています。どうして自分で歌わなかったのですか?

AB:歌いたくなかったんだ(笑)。プロマー&バークのときは特別で、そもそも他のシンガーに歌ってもらうためのガイドラインとして僕が歌ったんだ。でも、それを聴いて「いや、こっちの方がいいよ」、「君が歌うなんてクールだよ」と言う人がいた。一方、いい意見だけじゃなくて、ある人たちは「ダメだ」と言った。クリスチャンと僕は、むしろそうした意見の違いがあった方が、結果的にアルバムとして良いものになるんじゃないかなと思って、それで自分の声を残したんだ。でも、今回はインスト・トラックの方で手一杯だったし、他のシンガーが歌う方が良いと考えたんだ。もちろん、彼らに僕の考えはいろいろ伝え、イメージとかは実際に歌って聞かせたりしたりもし、最終的に彼らがそれを形にした。まあ、僕はレッスンを受けたプロのシンガーじゃないし、たまに歌うこともあるけれど、今回はそれを選択しなかった。家で子供たちに歌うことは大丈夫だけど、才能のあるシンガーではないからね(笑)。

いろいろなタイプのシンガーがいますが、フェットサムの歌う“Why & How”やジョナサン・ベッカリーの“Doubter”を聴くと、こうしたシンガーの起用によってシンガー・ソングライター的な要素を代弁しているように感じます。

AB:準備段階で電話越しに歌って聞かせ、いろいろアイデアを交換していったんだけど、参加した全てのシンガーが素晴らしい仕事をしてくれたと思う。僕にとって完璧なコンビネーションだったね。ジョナサンは全ての曲をやりたいと思っていたみたいで、僕が3曲頼んだのに、5曲もやってきたんだ。僕はNGを出したけどね(笑)。でも、彼の声は大好きだよ。彼の別のプロジェクトのアーネストはハウス寄りの音楽だけど、今回はそのイメージから少し変わっている。偶然にも彼の次のプロジェクトはジョナサン・ベッカリー名義のアルバムで、これもまた異なるものだけれど、よりディープで奇妙な感じがするね。僕のアルバムでは、それらにはない新しいイメージを取り入れてくれて、とてもいいものになった。
 フェットサムは昔からの友人で、ジャザノヴァが運営するソナー・コレクティヴからソロ・アルバムをリリースしている。今回もとても面白いレコーディング・セッションだったよ。バック・トラックが終わった後も、彼はアカペラでずっと歌い続けていたので、それを録音して使ったんだ。彼は才能のある力強いシンガーだよ。ほかに、スティー・ダウンズも僕の古くからの友だちで、彼も今度ソナー・コレクティヴからアルバムを出すけれど、ジャザノヴァでプロデュースをしている。ビア・アヌビスはまだ21才のとてもクレイジーな女の子だけど、ベニー・シングスのプロデュースした素晴らしいデビュー・アルバムがもうすぐ出るよ。彼女の声は天使みたいなんだ。彼女がデモを送ってきて、それを聴いた瞬間にファンになって、僕のアルバムに参加してもらおうと決めた。いつか大きなアーティストになると思う。

“Doubter”はライやザ・ウィーケンドなどオルタナティヴなR&Bのアーティストに通じるナンバーで、ジェイムス・ブレイクの世界観に結びつくような曲だと思います。

AB:最初この曲はインストの予定だった。ドイツの古いジャズ・レコードからのドラム・ブレイクを使ったもので、とても奇妙な感じに仕上がったんだ。でも、ジョナサンがそれを聴いてヴォーカルをやりたいといったので、僕はOKした。彼は聖歌隊のような重層的なヴォーカルを入れた。当初、僕にとってこれはアルバムの途中に入るインタールード的な位置づけだったから、君が言うようなジェイムス・ブレイク的なフィーリングは、僕よりジョナサンが持ち込んだものだと思う。歌詞やヴォーカルが入ることによって、オルタナティヴなR&Bになったんだろうね。ジョナサンにありがとうといわなくちゃ(笑)。初めて聴いたとき、この曲に乗ったヴォーカルに吹っ飛んだんだ。

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誰かが“ニュー・オーダーに触発されたみたいだと言ったんだ。それには全く気付かなかったのだけれど、もしかしたら人生のある時期に吸収したものが、知らず知らずのうちに出てきたのかもしれない。僕はニュー・オーダーのアルバムを全部持っているからね。


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“Oh Africa”のアフリカ・テイスト、“Move Slowly”でのレゲエやフォークのテイスト、“Why & How”でのゴスペルなど、ルーツ・ミュージックの要素とエレクトロを融合させたアルバムだと思います。このような融合はジャザノヴァのときからやっていましたが、それは自然と生みだされたのですか?

AB:人はそれぞれに音楽の歴史を持っているよね。初めに両親のコレクションを聴きながら育って、僕のようにコレクターになったら、たくさんの音楽をひたすら聴いていくんだ。いつも思うのは、幾つかのアイデアはそうしたレコード・コレクションに基づいているということ。そして、その幾つかは直接的な影響を及ぼす。例えば“Spinning Around”では、僕の好きなディスコ/ブギーのレコードのなかから、アフィニティの“Don’t Go Away”をサンプリングした。こうした直接的なものとは別に、もっとさりげないもので内面から出てくる影響がある。例えば誰かが“Atmosphere”を聴いて、ニュー・オーダーに触発されたみたいだと言ったんだ。それには全く気付かなかったのだけれど、もしかしたら人生のある時期に吸収したものが、知らず知らずのうちに出てきたのかもしれない。僕はニュー・オーダーのアルバムを全部持っているからね。
 だから、自分で意識できる直接的な影響と、どこから来たかわからない無意識下の影響がミックスされたのが、このアルバムだよ。実を言うと僕の場合、曲の作りはじめは最終的にどんな曲になるのかわかっているわけではないんだ。曲作りをどんどん進めていって、ある時はこっちへ、別の時には全く違う方向へ行ったりもすることもありうる。大袈裟かもしれないけど、ひとつの曲について200通りのアレンジを作ったんだ。音楽制作でどこへ行くかを自分で決められるというのは、とても素晴らしいことだと思う。それが今回のアルバム制作の中で楽しかったことだよ。ジャザノヴァのようにたくさん人がいると、意見を譲らないといけない時もある。だけど今回は自分で決断が出来るし、音楽自体が方向性を決めることもあるんだ。

曲の面白さという点では、「Reunion」は11分を超す大作で、フィールド・レコーディングを取り入れたり、プログレのような展開があったり、とても実験的で意欲的な作品です。この曲のアイデアはどこから生まれたのですか?

AB:この曲はとても特別なものだ。レユニオン滞在の最後の1週間に作ったもので、「さよなら」という意味のこもった曲なんだ。実際の島から最も影響を受けた曲でもある。初めに島の美しさ、パラダイス的な側面があって、次にサイクロンや火山といった生々しい自然の側面が現れる。そういった島全体を表現したかったんだ。日の出、昼の時間や風景、サイクロン、波、サメなどを一緒にしたんだ。幸運なことに、ドイツのプログレ・バンドのポポル・ヴーが1975年に作った『Aguirre』のなかから、ドラム・ソロを使う許可をもらった。前に彼らの曲のリミックスを手掛けたんだけれど、予算がなかったから、代わりに『Aguirre』のドラムのトラックをもらうように頼んでいて、それが今回に生きた。この曲のふたつ目のパートにそのドラムが使われているんだよ。僕の妻はいつもはハッピーでメロウな曲が好きなんだけれど、この曲を聴くと島のイメージが浮かび上がってくるということで、アルバムではこれが彼女の一番のお気に入りなんだ。

“Reset”はホット・チップや2ベアーズのジョー・ゴダード、“Don't Hold Back”はディスクロージャーなどを彷彿とさせる部分があります。最近はスピード・ガラージから、ポスト・ダブステップのようなベース・ミュージックを通過した新世代のハウス・サウンドが大きな影響力を持っています。あなたもこうした若い世代のアーティストに触発されることもありますか?

AB:実は最近のハウス・サウンドが大好きなんだ。ベースを重視する方向に向かっていて、とてもいいと思う。ディスクロージャーに関しては、本当に初期から追いかけていて、いつかビッグな存在になるだろうと思っていたけど、ここまでになるとは思わなかったよ。ディスクロージャーは僕たちのシーンにとってとても重要な存在だと思う。彼らは良いビートと良いプロダクションで良質のポップなハウス・サウンドを生み出して、アルバムはNo.1を取ったわけだからね。若い人たちを僕らの世界に招き入れて、よりディープでより面白い世界へと導く存在だと思う。ディスクロージャーやジョー・ゴダードはその扉を開いたんだ。

このアルバムはハウス的なスタイルの曲が多いですが、例えばジュークとかチルウェイヴになど他のスタイルにも興味を持ったりしますか?

AB:これはいつも変わらないことだけれど、良い音楽であれば何でも興味を持つよ。僕たちのシーンの良い面として、ボーダーレスに何でもチェックするというところがある。フェスティヴァルで誰かほかのシーンの人に会ったとして、彼らは僕たちの音楽を知らないけれど、僕らは彼らのことを知っていることがよくあるんだ。ただ、クラブ・ジャズだけじゃなくてね。
 例えばトロ・イ・モアの新しいアルバムはとても素晴らしいと思うよ。思うに最近の若い子たちはジャンルを必要としていないんじゃないかな。もしそれがい曲であれば、彼らはiPodにダウンロードするだけなんだ。でも、逆に言えば音楽があまりにも溢れすぎているから、彼らにはガイドが必要だと思う。そうした点でたぶん僕たちの世代のジャズDJが、彼らにとって一番良い選曲者になれると思う。僕たちはどんなジャンルも新旧も問わず何でもチェックしているからね。この20年間で僕たちは音楽を俯瞰的にみる術を培ってきたから。僕たちの選曲者としての存在価値は、今後どんどん重要になっていくはずだよ。

ボーダーレスという話について、今回のイベントに同じくブッキングされたフォルティDLやコアレスといったアーティストは、いろいろな音楽的要素や柔軟性を持っていて、まさにボーダーレスなアーティストの新世代だと思います。こうした若い世代の活躍についてどう思われますか?

AB:フォルティDLやコアレスは未来の音楽と言うより、次のシーンの予感をはらんだ現在の音楽なんだと思う。彼らのような存在はいつも興味深い。日夜音楽作りに関わっているなかで、一番大事なのはいつもそこに未来があることなんだ。もし、ただ過去を振り返っているままだったり、未来に興味を無くしてしまったら、終わりだと思うし、退屈だ。僕はドイツでふたつのラジオ番組を持っているけど、いつも新しいものが入ってくるという意味でとても大切なことなんだ。もし、毎日同じものをかけなければならなかったら、気分が悪くなるよ。もちろん僕にも好みや価値観があるから、新しければ何でも良いというわけではないけれど。
 いまはベース・ミュージックをはじめ、イギリスから起こるムーヴメントの影響が強いけど、僕にとってはずっとドイツのシーンよりも面白いものだった。いつもUKから来る2ステップやブレイクス、ダブステップ、レゲエに夢中になっていたんだ。ドイツに住んでいて、周りにはドイツの音楽があって、いくつかは良いものもあったけれど、過去も現在も総じてUKのシーンに惹かれることが多いね。

ベルリンやその周辺のシーンはいまどのような感じですか? スキューバやモードセレクターが活躍しているようですが。

AB:ベルリンのシーンは、実はベルリンの人によって作られているわけではないんだ。現在のシーンの90%はベルリンで生まれ育った人ではなく、外から来た人たちによってつくられているんだ。スキューバもイギリスから来たわけだしね。だから、モードセレクターは地元が生んだほとんど唯一のアーティストかもしれない。でも、世界中からあらゆる影響が持ち込まれているわけだから、それは決して悪いことではない。巨大なメルティング・ポット状態なんだ。以前はただベルリン生まれのサウンドだけだったのだけれど、いまは国際的になった。だから、例えば素晴らしいソウル・シンガーや面白い音楽を作っているキッズに街で会える機会がある。良い方向に変化していると思う。人は増え続けているし、音楽的には良いことだと思う。

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ディスクロージャーに関しては、本当に初期から追いかけていて、いつかビッグな存在になるだろうと思っていたけど、ここまでになるとは思わなかったよ。ディスクロージャーは僕たちのシーンにとってとても重要な存在だと思う。彼らは良いビートと良いプロダクションで良質のポップなハウス・サウンドを生み出して、アルバムはNo.1を取ったわけだからね。

今個人的に注目しているアーティストはいますか?DJで良くプレイするアーティストなどはいますか?

AB:さっきも言ったようにディスクロージャーはとても良いと思っている。ベルリンではコミックス(Commixxx)がいいと思う。彼はいつか成功するんじゃないかな。まだ出てきたばかりだけれど、トラックは素晴らしいし、ベルリンのシンガーとやったものなどは最高だよ。他にもたくさんあってひとつに絞ることはできないけれど、コミックスは外せないな。あと、また言うけどビア・アヌビスのアルバムは本当に美しい。彼女はとても若いけれど才能があるんだ。彼女をリトル・ドラゴンのマネージメント・チームと一緒に手掛けているんだけど、このプロジェクトが成功すれば、これまでで最大級の仕事になるはずだ。

ジャザノヴァ自体は今後どういった方向に進むのでしょうか? 現在は生バンド的な方向で、アレックス自身の方向性とは違うように感じますが。

AB:実は次回のアルバムの制作がはじまっているけど、ファーストとセカンドの中間のようなものになると思う。ポップなものというより、よりシリアスなダンス・アルバムになるよ。よりクラブ寄りでアップ・テンポの曲が増えるけれど、ライヴ・ミュージシャンと一緒にやった生演奏も録音していく。ライヴをはじめた初期は、どちらかと言うと静かで大人しい曲が多かった。でも、それから何千人もの観客の入るライヴでは、より力強い演奏が必要だと気づいたんだ。それで、次回のアルバムをよりダンサブルなものにしようと思っている。僕の好みだしね。すでにムラトゥ・アスタケとレコーディングをしたし、ポール・ランドルフに続く新しいシンガーも起用する予定だ。でも、最後の瞬間まで完成形がどうなるのか、それはわからないね。

プロマー&バークの方も継続していますか?

AB:たくさんのライヴをやっているよ。新しい曲もすでに10曲ほどラフ・スケッチがあるんだ。クリスチャンの仕事はものすごく速いから、30分もあれば1曲作ってしまうんだ(笑)。次の夏までにはアルバムに取り組むと思う。いまはツアーやスタジオ・ワーク、ソナー・コレクティヴでのオフィス・ワークが溜っているから、それが済んだらクリスチャンとスタジオで作業することになると思う。

最後にファンへのメッセージをお願いします。

AB:僕のメッセージはいつも変わらない。「何かを信じていれば、必ずそこに手が届く」ということだ。それは機材や何かではなく、頭のなかにあるアイデアのことなんだ。資源は頭のなかにある。あとは、ただそれを取りだす術を見つけるだけ。そして、その方法は信じることだと思う。たとえいま、君の作った音楽が売れなかったとしても、もしそれを信じていたら、いつか人に理解されるようになるんだ。過去に渡って素晴らしい仕事をしてきたアーティストを何人も知っているよ。彼らは自費でレコード制作していたけれど、当時は誰もそれを理解していなかった。でも、今では彼らはヴィジョンを持った素晴らしいアーティストと見なされている。それはそのときに評価されるものとは限らない。タイムカプセルに残され、20年後に評価されるかもしれない。そして、そういう考え方が何かを信じる手助けになるだろう。ごくまれに一晩で成功する者もいるかもしれないけど、大半は長い時間を経て花開くものなんだ。だから、あせらずに時間をかけてじっくりやるべきだと思う。

interview with Da Lata - ele-king


Da Lata
Fabiola

Agogo Records/Pヴァイン

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 来年はW杯ブラジル大会。正直、来実感はまだない。が、しかし、ダ・ラータの10年ぶりのアルバムを聴いていると気持ちがブラジルに傾く。
 ダ・ラータの登場はセレソンのように華麗だった。「Pra Manha」(1998年)は渋谷の人混みのなかをドリブルで走り抜け、90年代末のブラジル音楽ブームやブロークンビーツと合流しながら、ファースト・アルバムの『Songs From The Tin』(2000年)まで走り切った。メンバーのひとり、パトリック・フォージは、20年前にはジャイルス・ピーターソンと一緒にクラブ・ジャズの最初の盛り上がりに関わっていた名DJである。
 再始動したダ・ラータの最初のリリースは、ザ・ジャムの“ゴーイング・アンダーグラウンド”のカヴァー(2012年)。ポール・ウェラーの新自由主義批判がラテン・ハウスの雄と出会ったとき、何が起きるのか……。
 セレソンのような、素晴らしいラテン/アフロを詰め込んだ通算3枚目のアルバム『ファビオラ』を発表したばかりのパトリック・フォージに小川充さんが取材。クラブ・ジャズ黎明期からブロークンビーツ、そして新作にいたるまでの20年の歴史を話してくれた。

ダ・ラータの音楽は、言うなれば「グローバル・ミュージック」であり、それと同時に「ロンドンの音楽」でもある。これらすべてのフレーヴァーはロンドンで見つけられる。アフリカのコミュニティ、ブラジルのコミュニティ、すべてを見つけることができるんだ。異国の音楽は、僕らの世界の一部となっている。これはブラジルの音楽、あれはアフリカの音楽、これはロンドンのクラブ・ミュージック」として区別されて存在しているものではく、すべては同じものの一部なんだ。

ダ・ラータはどのように結成されたのでしょう? それ以前にパートナーのクリス・フランクが参加するバンドのバトゥがあり、そこであなたも一緒にDJをする中からダ・ラータが生まれたそうですが。

パトリック・フォージ(以下PF):バトゥがはじまったのは1992年か1993年。その頃から僕とクリスは知り合いで、ある日彼が参加するバンドのメンバーを紹介してくれたんだ。そのバンドがバトゥだった。そして、ジャイルス・ピーターソンとフリッジでDJをしていたとき、メンバーのひとりがデモ・テープを持って来たんだ。土曜日の夜の「Talking Loud (and Saying Something)」のときさ。彼らの音楽は粗削りだったけど、光るところも感じた。そうして僕はバトゥの曲をかけるようになり、彼らに興味を持ち、一緒に活動するようになっていった。
 でも、バトゥとして活動するのには難しい部分もあった。何人かのメンバーとそりが合わなかったんだ。クリスと僕は音楽の方向性とヴィジョンを共有していたけれど、他のメンバーの何人かはそれに乗り気ではなかった。それにバトゥは7人組のバンドで、グループとしてのまとまりを維持するのにも苦労した。それで、結局スタジオをベースにしたアプローチに切り替えようと思って、僕とクリスはバトゥから離れ、ダ・ラータを始めたんだ。ダ・ラータはバトゥの延長から始まったけど、ミュージシャンの演奏任せにするのではなく、僕とクリスがそれをコントロールしたプロダクション・ユニットと言える。正直なところ、バトゥのブラジル音楽に対するアプローチにはグチャグチャなところがあって、アレンジもいい加減だった。メンバーのまとまりにも欠けていた。そうした点にクリスも不満があり、僕と一緒にやっていきたいとなったんだ。僕らの考えに賛同できるミュージシャンは、その後ダ・ラータにも参加してもらっている。

あなたはDJとして多くのブラジル音楽を紹介し、そしてダ・ラータは一貫してブラジル音楽をベースとした活動をおこなっていますが、当初はどのようなコンセプトを持ち、どういった音楽性を目指したのでしょう? その頃のロンドンはアシッド・ジャズ・ムーヴメントが沈静化し、DJを中心にブラジル音楽が盛り上がりを見せはじめていた時期にあたると思いますが。

PF:アシッド・ジャズはムーヴメントではなく、流行を作ろうとしたメディアが勝手に付けた名前であって、そもそもジョークとしてはじまったんだけどね……。アシッド・ジャズはファンキーなジャズを強調していて、最初は僕もそれが好きだったけれど、次第に僕のやりたい音楽ではなくなっていった。1990年代初頭だけど、当時はブラジル音楽が段々と広まってきていて、僕はむしろそれに興奮して、DJとしての興味はそちらに一気に向かった。それがバトゥと一緒に活動するきっかけにもなった。ファンク・バンドと組んでギグをやったりするよりも、何かもっと新しくて面白いことをやってみようと思っていたから、そうした方向に行ったんだ。
 でも、いま言ったみたいにバトゥはバンドとしてまとまりがなかった。実は今回のアルバムに入っているジョアン・ボスコのカヴァーの“Ronco Da Cuica”は、バトゥも演奏していたんだ。そのときの彼らのアレンジは全く散らかっていて、ある日リハーサルでこう提案したんだ。「OK、フェラ・クティのサウンドを少し取り入れてみよう。フェラの“Shakara”のグルーヴを混ぜて“Ronco Da Cuica”をやってみよう」と。それは面白い試みだったと思うよ。いまは幾つかのブラジル人のアーティスト、たとえばクリオーラとかもアフロビートとブラジリアン・ミュージックを融合させようとしている。でも、僕たちはそれを20年も前にやっていたんだ。
 ブラジリアンとアフロの結びつきはひとつの例だけど、そうした融合をバトゥやダ・ラータで試みてきたんだと思う。もちろんベースにはブラジリアン・ミュージックがあるけれど、ただ単純にブラジルの音楽をコピーしようというものではなかった。確かにバトゥにはブラジルで生まれ育ったメンバーもいたけれど、僕たちはイギリスのバンドだと自覚していて、ブラジル音楽のUKヴァージョン、UK流のひねりを加えた音楽を作ろうとしていたんだ。だから、僕たちがやるのは古典的なボサノヴァやMPBというわけではなかった。いつも違うアティチュードでやっていたんだ。

1997年にエドゥ・ロボをカヴァーした「Ponteio」、1998年には「Pra Manha」といったシングルがヒットし、一躍クラブ・ジャズやディープ・ハウスのシーンで知られる存在となります。また、その後はウェスト・ロンドン・シーンのブロークンビーツ系アーティストとも交流を深め、ベンベ・セグェがヴォーカリストとして加わり、バグズ・イン・ジ・アティック、フィル・アッシャーなどにリミックスを依頼することもありました。こうしてダ・ラータはクラブ・ミュージック・シーンへもコミットしていきましたね。

PF:“Ponteio”は当初フローラ・プリンをフィーチャーする予定だったんだ。でも、彼女のヴォーカルは実際に僕らのトラックにあまりマッチしなくて、結局それは流れてリリアナ・チャチアンの歌になった。この曲は、そもそもヘヴィーなクラブ・トラックにしようと思って作ったんだ。エレクトロニックなテイストを持ち、ブレイクビートやアフロビートとかをミックスした強烈なトラックさ。ブロークンビーツのムーヴメントが来る前で、ある意味でブロークンビーツの元だったと言えると思うよ。人びとはこのリズムに魅了され、これは何だと探求しはじめたんだけど、それはブラジル北東部に由来するバイヨンのリズムだった。それをファンク・ビートとミックスして、エレクトロニックな要素も入れて、ヘヴィーにプログラミングされたグルーヴにした。あの曲はクラブ用の12インチだったけど、オーソドックスなやり方でブラジル音楽をやるのではなく、何かいつもとは違うことをするという点でも面白い試みだった。
 あの曲がリリースされたとき、フィル・アッシャーと僕は面識がなかったんだけど、彼は“Ponteio”を本当にサポートしてくれたロンドンの数少ないDJのひとりで、それがきっかけで仲良くなり、一緒にDJもやるようになったんだ。それから彼をきっかけに、ウェスト・ロンドン・シーンとも交流がはじまった。ロンドンより、むしろアメリカからすごい反響があったね。フランソワ・ケヴォーキアンはじめ「ボディ&ソウル」のDJたち、そしてたくさんのニューヨークのDJが取り上げてくれた。彼らがこの曲をかけてくれてるんだと思うと、本当に満足だったし、ハッピーだったよ。
 “Pra Manha”のデモは既に1993年か1994年に出来上がっていて、僕はそれをラジオでかけて、何人かがそれを聴いて「この曲最高だよ」って言ってくれた。だけど、最終的な仕上げに取り掛かれるまで4年も待たなければいけなかった。クリスは彼のパートナーのニーナ・ミランダとスモーク・シティというユニットもやっていて、そちらのアルバム制作などで忙しかったんだ。“Pra Manha”もリリアナが歌ったけれど、そもそも彼女はピュアなブラジル音楽の出身で、クラブ・ミュージックに馴染んでいた訳ではなかった。だから、僕とクリスはクラブ向けに作ったトラックと、彼女のヴォーカルをいかに馴染ませるかを苦心したね。

いま話に出たスモーク・シティは2枚のアルバムを発表しましたが、ダ・ラータがMPBとサンバにハウスなどクラブ・ミュージックのエッセンスを加えたものだとすると、スモーク・シティはボサノヴァとダブやトリップホップをミックスしたような音楽性でした。ダ・ラータとスモーク・シティの違いについては、どのように捉えていますか?

PF:僕も当初はスモーク・シティには参加する予定だったんだ。実際、彼らのファースト・アルバムのなかの1曲に、作曲者としてクレジットされていると思う。ただ、僕とニーナの考えに食い違うところもあって、それでスモーク・シティには参加しなかったんだ。スモーク・シティはある意味で、ニーナがやりたかったことだった。そもそもニーナと、彼女の学校の同級生だったプロデューサーのマーク・ブラウンのふたりではじめたユニットで、そこにクリスが加わったんだ。彼らのデビュー曲“Underwater Love”が出たときは、ちょうどトリップホップのサウンドが流行っていて、そうした点であの曲はユニークなブラジリアン・トリップホップ・チューンだった。あの曲が、そのままスモーク・シティのアイデンティティとなった。一方で、当時ダ・ラータのアイデンティティは、ブラジリアンとクラブ・サウンド、そしてMPB。僕たちのなかではこのふたつのユニットをはっきり区別していて、ダ・ラータのファースト・アルバムがピュアなブラジル音楽に向かった理由のひとつに、クリスがスモーク・シティでできなかったことをやりたい、ということもあったんだ。

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ダ・ラータとしてのコンセプトは「ブラジル人のバンドになりたい」というものでは決してなかった。僕たちがやりたかったことは、それをもう少し超えたところにあったんだ。僕たちはブラジルの音楽を愛しているけれど、それは僕らの一部にすぎない。

そのファースト・アルバムが2000年に発表された『Songs From The Tin』です。そして、2003年にはセカンド・アルバム『Serious』を発表します。これらを振り返ってみて、どのようなアルバムだったと言えますか?

PF:ダ・ラータという言葉は“From The Tin”(缶の中から)という意味で、ブラジルで使われる表現なんだけど、英語で言うところの“Wicked”と同じ意味なんだ。何か特別であるという意味だよ。ただ、それは僕たちが傲慢に特別だと言いたいわけではなくて、これが僕らの信じていることだと言いたいんだ。缶のなかから何か特別なものが出てくると信じている。それが『Songs From The Tin』のアルバム・タイトルにもなったわけだけど、制作に入った当時は“Ponteio”を作ったときから、ダ・ラータのフォーカスするところもある意味変わっていた。そのときのダ・ラータなら、自分たちが影響を受けてきた音楽に対してオマージュを捧げることができるだろうと思ったんだ。僕たちの愛するブラジリアン・ミュージックを探索してみたかった。たとえばミルトン・ナシメントとかロー・ボルジェスとかのミナス・サウンドをね。その結果、『Songs From The Tin』はいままでにやったなかで、一番純粋なブラジル音楽と言えるもので、もはやブラジル人が作ったレコードではないかというくらいだった。ダ・ラータというシステムから生み出された、ピュアなブラジル音楽のレコード。
 でも、ダ・ラータとしてのコンセプトは「ブラジル人のバンドになりたい」というものでは決してなかった。僕たちがやりたかったことは、それをもう少し超えたところにあったんだ。僕たちはブラジルの音楽を愛しているけれど、それは僕らの一部にすぎない。『Songs From The Tin』を作り終えた後には、「よし、もう僕たちはこのアルバムを作り終えたから、今度はもう少し枠を広げてみよう。より大きな絵を描こう」ということになったんだ。そうして、『Serious』にはクラブ・ミュージックからの影響が色濃く反映され、よりプログラミング的で、よりエレクトロニックな要素が加わった。

この頃のロンドンには、ネグロカン、ミスター・ヘルマノ、バー・サンバ、ジャジーニョ、シリウスB、ヴィダ・ノヴァなど、ブラジル音楽やラテンを取り入れた多くのユニットがありました。ダ・ラータのメンバーも関わっていたユニットも多いです。当時の状況はいかがでしたか?

PF:それらのバンドはみなお互いに関係があって、リリアナはネグロカンで歌っていたし、アンディラ・フォンというネグロカンのベースはダ・ラータのライヴ・バンドに参加している。ジャジーニョに関しては、ポルトガル人のシンガー、グイダ・デ・パルマもダ・ラータのライヴ・バンドに参加した。だから、ロンドンでこのブラジリアン・サウンドに関わっていた人たちは、みんなお互いのことを知っていたし。ある意味、みんな同じファミリーに属していたんだ。

あなたはDJとして度々来日し、キョート・ジャズ・マッシヴ(KJM)はじめ、日本のアーティストともいろいろな交流があったと思います。スリープ・ウォーカーの吉澤はじめさんが“Golden”にキーボードで参加したりと。こうした交流のなかでとくに印象に残っている思い出はありますか?

PF:初めて日本に来たのは1993か1994年あたりのことだった。そのときに初めてKJMに出会って、クラブ・コラージュでヨシ(沖野好洋)とプレイしたのを覚えている。あの夜の僕たちは本当に楽しんで、お互いをビビらせまくった。彼がレコードをかけて、「まじかよ、何だよこの曲!」と僕は思って。それで、僕がレコードをかけると、今度は彼が「何これ!」って驚いていた。あれは本当にエキサイティングな時間だった。その頃、みんなたくさんのブラジル音楽を探して、いろんなレコードを発掘していたから。当時は日本でもブラジル音楽はほんとうに大きな影響力があったんだ。それは素晴らしいことだったよ。シーン自体が爆発的に盛り上がってきていて、古いブラジル音楽に対する新鮮で大きな興味が湧き上がってきていた。だから、明らかに自然とお互いに似ている所があったし、すごくいい友だちになったよ。ロンドンで僕たちがやっていたことと、日本の何人かがやっていたことには音楽的にも類似性があって、そのふたつが並行していたんだ。

2004年にKJMのコンピに“Ronco Da Cuica”を提供して以来、長らく活動休止状態となりましたが、どのような理由からでしょう?

PF:実は2008年にもパパ・レコーズから「This Is Not Your Job」というナンバーをリリースしているんだ。それはハウス調のものなんだけど、今回のニュー・アルバムでは生ドラムを入れたオーガニックなアレンジにして、改めて“N.Y.J.”というタイトルで収録し直している。“Ronco Da Cuica”も前と少しアレンジが変わっている。そんな感じで断続的にはやっていたけれど、活動がスローダウンしたのはたしかで、それはクリスがニーナとのプロジェクト、ジープで忙しかったからなんだ。ジープはスモーク・シティのあと、クリスがメインで作ったバンドで、2枚のアルバムをリリースした。

ジープもある意味でダ・ラータの別プロジェクトと言えるのかもしれませんが、それによってダ・ラータの音楽性は途切れることなく継承されてきたと言えますか?

PF:いや、そうは思わない。ダ・ラータのアイデンティティは基本的に僕とクリスで、それは彼がニーナとやっていることとは大きく違っている。たしかにミュージシャンやいくつかのアイデアについて交わる部分はあるけれど、基本的にクリスとニーナのプロジェクトは、どれもニーナのソング・ライティングが基となっている。もちろんふたりで作ることもあったけれど。一方、ダ・ラータはクリスのソング・ライティングとその他のメンバー、そして僕のプロダクションがそこに影響するということだから、両者はお互いに異質のものなんだ。

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当時は日本でもブラジル音楽はほんとうに大きな影響力があったんだ。それは素晴らしいことだったよ。シーン自体が爆発的に盛り上がってきていて、古いブラジル音楽に対する新鮮で大きな興味が湧き上がってきていた。


Da Lata
Fabiola

Agogo Records/Pヴァイン

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2011年にクリス・フランクと話し合い、ダ・ラータを再始動することになったそうですが、そこに至るいきさつ、心境について教えて下さい。

PF: 2010年か、あるいは2011年に、クリスとニーナとの関係が終わった。その頃、同じく僕も離婚した。それで、僕たちはただ、ふたりでこれから何をすべきなのか話していたんだ。ちょうど“N.Y.J.”と“Ronco Da Cuica”は、ライセンス自体は僕たちが所有しているもので、この2曲を出発点に新しいアルバムを制作してみようということにしたんだ。幸いにも、僕にはアルバム制作に取り掛かるだけの経済的余裕があった。こうしてダ・ラータはまた歩きはじめたんだけれど、それはある意味で破局してしまった僕たちにとって良いセラピーだったと思うよ。これから僕たちは何をしていくべきなのだろうか。このまま椅子に座って泣きながら、過去の間違ってしまったことについて後悔するのか。それとも、何かポジティヴなことをやってみるのか。ネガティヴな状況において、ポジティヴなものを生み出す努力をしてみるのか。もちろん、経済的余裕とチャンスがあるなら、選択肢はポジティヴなことをやってみるということしかなかった。

そうして、ニュー・アルバム『Fabiora』が完成するのですが、このタイトルにはどういった意味があるのでしょうか?

PF:これには面白い話があるんだ“Fabiola”はいくつかのラテン系の国で女の子につけられる名前なんだ。あるとき本を読んでいて、この名前に言及している部分を見つけて、興味深いなと思った。それで、家に帰って、グーグルで“Fabiola”を調べたら、カトリック教会では聖ファビオラといって、困難な関係や壊れた結婚についての聖人なんだ。このストーリーがカヴァー・アートのコンセプトになったんだ。ルイスというデザーナーが素晴らしい仕事をしてくれたんだけど、僕らふたりのことも表してくれて、それはある意味良かったと思うよ。

ところで、『Fabiora』をリリースする前に、まずシングルでザ・ジャムの“Going Underground”をカヴァーしましたね。どういった意図でこのカヴァーを行ったのでしょう?

PF:バトゥの頃にも、僕はよくジョークでブラジリアン・ヴァージョンの“Going Underground”をやろうって言ってたんだ。僕はこの曲が若い頃からずっと好きだったからね。で、『Fabiora』を作りはじめたとき、「OKやってみよう」ということになった。あっという間にできて、この制作で最初にできた曲だった。だけど、すでに”Ronco Da Cuica”を入れる予定だったから、1枚のアルバムに2曲もカヴァーを入れたくないという理由で、別にシングルとして発表することにした。これは、ある意味でダ・ラータが「また戻ってきたよ」という挨拶だったし、同時に政治的な意味合いも含んでいる。僕たちがこの曲に取り掛かっていた頃、ちょうどロンドン・オリンピックのセレモニーが開催され、そこでブリティッシュ・ポップ・カルチャーを代表する曲のコラージュのひとつとして、“Going Underground”がかかったんだ。でも、“Going Underground”の歌詞は実はかなり反体制的で、反抗的なものなんだ。なんたってジャムだからね。だから僕にとって、オリンピックでこの曲がかかっている光景は何か皮肉的なものとして見えた。英国文化として誇りに思う曲だけれど、そのスタンスとしてはこういう企業的なイベントに対してアンチな姿勢を取っているんだ。だから、この曲のリリースには、そうした意味合いも込められている。
 このアルバムを作りはじめたときに、僕らが感じていたことは、このアルバムにはアティチュードがあるということ。ある意味では、これは僕たちが個人的にいる場所について音楽にしているものなんだ。そして、それと同時に、僕たちが世界の情勢の中で政治的にどのようなスタンスをとっているかということでもある。このアルバムは、戦うといことについて、色々な難しい問題がある状況でも諦めずにやっていくんだ、ということについて歌っているんだ。

リリアナ・チャチアン、オリ・サヴィリなど、過去のメンバーは主にロンドン在住のブラジル系ミュージシャンが多かったと思いますが、今回はメンバーがいろいろ入れ替わっていますね。昔からダ・ラータでやっているトリスタン・バンクスやトニ・エコノミデスほか、ダビデ・ジョヴァニーニ、フィン・ピータース、ジェイソン・ヤード、マイク・パトゥーなど、以前から交流のあるミュージシャンが含まれていますが、同時にいままでとは異なるフィールドの人たちも集められているように思います。また、マイラ・アンドラージはじめ、より国際色豊かなメンバーとなっていますね。

PF:ダ・ラータはバンドではなく、ひとつの家族のようなものだ。核には僕とクリスがいて、ヴィジョンを持ち、方向性をデザインするんだけど、このファミリーはほんとうに大きくて、そしてどんどんと増えていくんだ。いろいろ活動していくなかで、僕たちは同じ音楽観を共有できる仲間を得て、一緒にやってみたい人たちが増えていった。そして、テクノロジーの進化により、たとえ離れた場所にいようとも、共演することが可能になってきた。ダ・ラータの中心は僕とクリス、それから3人目のメンバーとも言えるトニ・エコノミデス。彼はエンジニアで、最終的には僕ら3人がスタジオで曲を完成させた。でも、何人かのアーティスト、たとば“Places We Go”でベースを弾いているマロウ・バーマンはリオに住んでいる。マロウに音源を送って、それに彼のベースを加えて送り返してくる、といった形で制作をおこなった。そうした具合に、イギリス、フランス、アメリカ、カナダ、ブラジルと、いろんな場所のミュージシャンが参加していて、それぞれデータをやり取りして制作していったんだ。
 マイラ・アンドラージはいま、パリをベースに活動しているけど、クリスが知り合いだった。彼女は本当に特別なシンガーだけど、アルバムに参加することに同意してくれて、一緒に出来たことは僕たちにとってとても喜ばしいことだった。で、世界的に一流のシンガーと言える彼女が、僕たちの音楽を気に入ってくれて、実際のところ対価なしで参加してくれている。それは本当に素晴らしいことだよ。彼女に限らず、そうして参加してくれたミュージシャンは多い。
 それから、ジャンディラ・シルヴァもアルバムで重要な核となるシンガーだ。一般的にロンドンでブラジルのシンガーを探すとなると、たいてい心地よいボサノヴァのようなアーティストを探すことが多い。静かでジャジーなボサノヴァ、イージーリスニング的に座って聴くタイプの音楽だよね。でも、ダ・ラータはそれとは大きく違うバンドだから、もっとパワフルなシンガーのジャンディラに参加してもらった。アルバム制作前にジャンディラを交えてライヴをやったことがあって、それで彼女が最高だとわかって、彼女にとってもこのバンドのフロントがうまくはまったと思う。彼女自身も「すごくいい、私はここでいきいきと、好きに自由にできる」という感じだったよ。実は“Deixa”という曲は、デモ段階ではあからさまにブラジル音楽的すぎるということで、アルバムに入れるつもりは無かった。だけど、ジャンディラがやってきて、彼女が歌うのにピッタリだったからアルバムに収録したんだ。それから“Ronco Da Cuica”のヴォーカルも彼女で録り直したね。

ミゲル・アットウッド・ファーガソン、リッチ・メディーナなどの参加も面白いです。ミゲルはアルトゥール・ヴェロカイと共演していますが、ブラジル音楽とはそれほど大きな関わりがあるというわけではありません。彼らとはどのような接点から参加してもらうことになったのですか?

PF:このふたりはどちらもクリスの古い友だちの紹介で出会った。クリスがLAにいたことがあって、それでミゲルに会った。僕自身はミゲルに会ったことはないんだけれど、フェイスブックなんかでしばらくやり取りをしていたね。もちろん彼は信じられないほど素晴らしいストリング・アレンジャーで、彼に関わってもらえたことはとても特別なことだった。リッチ・メディーナはロンドンにしばらくいたから、僕はよく知っていて、何度かDJも一緒にやったこともある。でも、逆にクリスは彼に一度も会ったことがないんだ。“Monkeys And Anvils”という曲はもともとインスト・ナンバーとして作ったものだけど、何かほかの要素を加えても面白いと思って、そこでリッチ・メディーナが何か詩の朗読をしてみたらというアイデアを思いついたんだ。リッチがやってくれたことをとても気に入っているよ。彼は本当に美しいディープなバリトン・ヴォイスを持っていて、まるでギル・スコット・ヘロンのようだからね。彼のやることは素晴らしいし、本当にいいやつだよ。

フォークロアなMPBやアフロ・サンバを軸に、土着的なブラジル音楽の世界を披露したファースト、アフロ・テイストがより顕著となり、そこにウェスト・ロンドン・シーンのクラブ・ミュージック的な要素を融合させたセカンドでしたが、今回のアルバムのテーマやカラーはいかがですか?

PF:ダ・ラータの音楽は、言うなれば「グローバル・ミュージック」であり、それと同時に「ロンドンの音楽」でもある。なぜなら、これらすべてのフレーヴァーやものをロンドンで見つけられる。アフリカのコミュニティ、ブラジルのコミュニティ、すべてを見つけることができるんだ。もはや、そうした異国の音楽は、僕らの世界の一部となっている。これはブラジルの音楽、あれはアフリカの音楽、これはロンドンのクラブ・ミュージック」として区別されて存在しているものではく、すべては同じものの一部なんだ。ある人たちには理解しにくいかかもしれないけれど、僕たちにとってこれらの文化をミックスすることは自然なことなんだよ。
 そして、『Serious』(2003年)でのエレクトロニックでプログラミングを多用したクラブ・ミュージック的アプローチに対し、今回のアルバムはナチュラルでオーガニックなサウンドにしようと思った。出来ることなら、みんなを一斉に集めて、じっくりとリハーサルして、大きなスタジオですべてライヴ・レコーディングして、そこにオーヴァーダブを加えたりしかった。でもそれは予算的に不可能だった。だから、すべてはデジタルのデモからはじめている。そこからプログラミングされたドラム・ビートを、次第に生のドラムに入れ替えてといった形で作っていくんだ。僕たちは古典的なレコーディング・スタイルはとっていないけれど、このアルバムを100%オーガニックなものにしたかったから、最終的なすべての録音素材は生演奏で、一切のプログラミングを使っていない。そのために、こういった録音データの交換という方法をとったんだ。

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“Underground”の歌詞は実はかなり反体制的で、反抗的なものなんだ。なんたってジャムだからね。だから僕にとって、オリンピックでこの曲がかかっている光景は何か皮肉的なものとして見えた。英国文化として誇りに思う曲だけれど、そのスタンスとしてはこういう企業的なイベントに対してアンチな姿勢を取っているんだ。

“Um Amor A Mais”、“N.Y.J”、“Ronco Da Cuica”はアフロ色が強く、それは『Serious』の世界にも通じるものだと思います。一方、“Don’t Give It Up”や“The Shore”ではロックの影響が感じられ、それは“Ronco Da Cuica”をカヴァーしたあたりから顕著になってきた要素だと思います。他では“Places We Go”にはレゲエやダブの要素が感じられ、オーケストレーションが印象的なフォーキー・サンバ“Unknown”、アストル・ピアソラのモダンなタンゴを思わせる“Cambara 41”、ポエトリー・ファンクの“Monkeys And Anvils”など、多彩な要素がミックスされています。こうした音楽的要素は、あなたたちが聴いたりプレイしてきたさまざまな音楽から、自然と導かれたものだと思いますか?

PF:最初、こうした多様な曲をアルバムとしてまとめて、意味のあるものにするのは不可能だと感じた。文字通りかなり幅の広いものだったからね。でも、オーガニックであることを追求し、プロダクションも極めてダイレクトでシンプルにしていけば、これらの違うスタイルの曲をお互いにうまく結び付けられると思った。いくつかの曲には妙な展開を持つものがあって、たとえば“The Shore”には当初、少しプログラムされた音が混じっていた。そのパートが曲自体を複雑なものにしていると僕は感じたから、その部分を丸ごと捨ててしまうように提案したんだ。その代わりに、もっとアコースティック・ギターも入れてみたらどうかと。エレン・マキルウェインのサウンドを思い浮かべてみたんだ。
 “Don’t Give It Up”に関しては、確かにロックの要素がある。でも、僕にとって大事だったのはあの曲の歌詞が持つメッセージなんだ。“Don’t Give It Up”というタイトルも意図的につけた。人生においてのメッセージであるし、それは音楽についてもだ。音楽をあきらめないということなんだ。曲調もそのメッセージを体現している。ただ、アメリカかイギリス人の歌手に歌わせたら、よりロックな曲になっただろうし、そうしたらアルバムの他の曲から浮いてしまったと思う。でも、実際にこの曲を歌ったのはブラジル人のルイス・ガブリエル・ロペスなんだ。彼は素晴らしい人で、英語で歌っている。それにブラジルのMCも入ってる。ルイスはグラヴィオラというブラジルのバンドのシンガーで、もうひとつティア・デュアでも歌っている。といって、もうひとつがグラヴィオラだよ。彼らのアルバムは最高なんだ。彼らはミナス・ジェライスの出身で、新しい世代のミュージシャンなんだ。言うなれば、ルイスは新世代のミルトン・ナシメントやロー・ボルジェスという感じだよ。実際に彼らは“Don’t Give It Up”を本当に気に入ってくれている。ブラジル人もロックが好きだし、あの曲も彼らにとって通じるところがあったのだと思う。あの曲はたしかにロックの要素が強いけど、ボンゴやマラッカなどを使って、ラテンやブラジルのフィーリングも入っているからね。アントニオ・カルロス&ジョカフィのようなブラジルのファンキー・ロック・サウンドに似ているんだ。でも、それらの内どの要素も突出したものではない点がダ・ラータのサウンドだよ。
 “Cambara 41”におけるタンゴの要素、それもたしかだ。ただ、これはアルバム制作の後半に作ったもので、その時点では流れるようで、メロウで、アコースティックなテイストの曲が入ってなかったから、それが欲しいと思って作ったものなんだ。メロウで、アコースティックな曲が欲しいと思ってね。まずクリスがギターで弾いて作った曲なんだけど、そのギターを録音して、リズムを下げてみた。そうしたらクリスがマルセロを呼ぼうと言いだしたんだ。彼はブラジルのとんでもないアコーディオン・プレーヤーで、『Serious』にも参加している。僕もアコーディオンを加えたら美しい曲になると思って、マルセロに曲を送ったんだ。それでびっくりしたんだけど、彼から戻ってきた曲には口笛も入ってたんだ。彼は口笛も入れて、すごくスイートで良かった。彼はブラジル国外ではアコーディオン奏者として有名だけど、ブラジルでもレコーディング・アーティストとして有名なんだ。

『Fabiora』はオーソドックスなボサノヴァ、サンバのアルバムではなく、ブラジル音楽を核にさまざまな音楽が融合したものと言えます。その核となるブラジル音楽で、今回特に意識したものは何かありますか? 例えばトロピカリズモ、特にトン・ゼーなどからの影響を感じたりするのですが。

PF:うん、君がトロピカリズモに言及したのはとても興味深いね。あのムーヴメントも、とても政治的に触発されたものだった。その点はこのアルバムにも通じているし、アートワークもそうしたフィーリングを持っていると思う。ブラジルの精神性やトロピカリズモのスタイルは、その後とてもポピュラーになっただろ? でも、僕らはそれと同じことをしようとしているわけではないんだ。他の曲には全く違うテイストのものもある。だから、『Fabiola』は具体的にトロピカリズモの音楽をなぞっているわけではないけれど、ある意味でそのアティチュードやフィーリングが存在しているのかもしれないね。トン・ゼーは好きなアーティストだし、彼の音楽性を評価するけれど、このアルバムにとくに影響を与えたわけではない。彼以外のアーティストについても同じさ。僕たちはどの曲も、最終的にはダ・ラータの音楽として聴こえるように作っているんだ。

現在のブラジル音楽にも、例えばルーカス・サンタナ、M. タカラ3など新しいアーティストが登場しています。そうした状況について、どう思いますか?

PF:最近ブラジリアン・ミュージックの新しい波がきていて、僕にとってはまるでルネッサンスなんだ。なぜならブラジルのアーティストがいまやろうとしていることは、ある意味僕たちがいままでずっとやってきたことに似ているからね。彼らは自分たちの伝統に目を向けて、その上に音楽を築いているんだけど、それがただのコピーではなくて、新しくてオリジナルな要素を加えようとしている。アフロビートとかの違うフレーヴァーを入れているんだ。
 たとえばグラヴィオラのようなバンドは、その最たる例だね。振り返ってみると、少し前までのブラジルの若いアーティストには、ブラジルの伝統的な要素に対して真っ向から反対していた者もいた。サンバやボサノヴァ、あるいはMPB的になるのを極力避けているようだった。もっとモダンでエレクトロニックでというようにね。目新しさばかりを負い、自分たちのルーツにあるものを顧みようとはしなかった。しかし、いまの若い世代は過去を受け入れて、同時にいま起こっていることも取り入れているんだ。ブラジルは国としても上昇傾向にあるし、いろんなことが起こっている。だから、ブラジル音楽にとっては良い時期なんじゃないかな。ルーカス・サンタナは、ブラジル音楽という過去に存在したカテゴリーに収まるものではなく、新しくて何か違うものへと進化しているんだと思う。彼以外にも、そうした若いアーティストがいろいろ出ていることがとても喜ばしいことだよ。

ライヴ活動や今後の展開について教えて下さい。

PF:ライヴ・バンドとしては、昨年の夏にディングウォールズでギグをやったし、テムズ川沿いのサマセット・ハウスでもやった。僕自身はバンドではプレイしないしけど、いまのバンド・メンバーは驚異的なんだ。みんなこのアルバムでもフィーチャーされている人たちだけど、彼らは幾つものバンドで経験を積んできている。ジャンディラの存在、あるいはリズム・セクションの存在が大きいね。僕たちはふたりのドラマーがいるんだけど、とくにダビデ・ジョヴァニーニと、それからベースのアーニー・マッコーン。ダビデとアーニーが演奏し始めた途端に、パッと、何かが起こる。ケミストリーというべきマジックがあるんだよ。自発的でとても美しいものだよ。バンドというのは、最初の頃はみんなアレンジなどを正確に演奏しようとしてナーバスなんだけど、僕たちはもうその緊張を解いてできる段階にあるんだ。だから、もうレコードにある通りにやらなくていいし、ステージ上で自発的に音楽が生まれてくる。それに人びとが応えれば、曲をやるたびに新しいことが起こる。
 今後はいろいろ外に出て、たくさんライヴをやりたいと思ってるけど、来年はブラジルでできたらいいな。ちょうどサッカーのワールド・カップもあるしね。実際にそういう話をしているところなんだ。まだ何も決まってないけど、可能性はある。グラヴィオラは僕たちのいい友人だし、彼らとやれたらいいなと思うよ。日本にだって行ってやりたいと思っていて、取り組んでいるところさ。今回のダ・ラータは、いままでより数段レベルが上なんだ。ミュージシャンの能力とか、いろいろな点でね。

日本のファンに向けてメッセージをお願いします。

PF:最後のアルバムを作ってから10年が経ったけれど、日本にも過去の2作で僕たちのことを覚えていてくれる人がいることを願うよ。『Fabiora』も日本で人気になった『Songs From The Tin』のように受け入れてもらえるといいな。それに新しいファンにも出会いたいね。そうした新しいファンは、『Fabiora』を聴いて僕らの前のアルバムにも興味を持ってくれるかもしれない。僕たちは日本が好きだし、この国の音楽文化に対しても深い愛情と尊敬の念を抱いているんだ。なぜなら、日本の人たちは音楽を深く理解して愛しているからね。だから、日本で僕たちのレコードをリリースできることは特別なことだし、みんなに気に入ってもらえたらいいよ。

住所不定無職 - ele-king

 原色の古着でコテコテ、いかにもサブカル、みたいに思っていた女の子と結婚式の二次会で遭遇し、その大人びた姿にビックリ……、というのでは我ながらあまりに陳腐な喩えだが、実際のところ、住所不定無職のセカンド・フルレンス『GOLD FUTURE BASIC,』は、彼女らのことを知ったつもりでいた人にこそ、大きな意外性で迎えられるだろう。
 再生ボタンを押すと、ギターよりも先にピアノの音が聞こえる。アルバムに折り目を付けるインタールードは、ムードたっぷりのジャジー/クラシカル仕様。本編では、アダルト・オリエンテッドな、それでいてどこか(いい意味で)素人臭さを感じさせるファンク/ディスコ・ロックが展開される。ふと、Pizzicato Fiveや小沢健二を思い出した人がいたとしても不思議ではない。〈Shimokitazawa Indie Fanclub 2013〉でライブを少しばかり観たのだが、こんな方向性になるとはまったく想像できなかった。
 住所不定、無職、おまけに定収入……、そのどん詰まりとも言える何もない場所から、騒々しくも愛すべき無産者の歌──世間でロックンロールと呼ばれるもの──を生みだしてきた彼女らにも、もちろん「ハレ」の時間はあるわけで。いわば、僕たちは昼の街中を歩く住所不定無職しか知らなかったのだ。愛用の原色古着はすべて処分され、よりフォーマルかつコンサバティブな装いに。レッツ・パーティ、イエス・パーティ!!

 〈ハヤシライス・レコード〉からリリースされたデビュー作『ベイビー! キミのビートルズはボク!!!』、当時のコピーには「10年代のみんなのうた」とある。何がポップで、何がオルタナティヴたり得るか。あるいは、何がオリジナルで、何がフェイクか。それらの問題設定が入れ子状にこんがらがってしまったようなこのディケイドに、みんなのうたをそれでも標榜すること。グッド・メロディ/グッド・ミュージックの美学をふたつと持たないこと。思いっきり恣意的な歴史観、そのポップスに対する自覚的な態度は歌詞の中にコラージュとして散りばめられている。そう、つまりはすべて、確信犯だ。
 以来、彼女らが積み上げてきたのは、初期のザ・フー、00年代前半の「ハロー!プロジェクト」関連曲、あるいはザ・モンキーズあたりの60年代ビートルズ風ポップス、ギター・ウルフ、小沢健二、それに松田聖子からジュディ・アンド・マリーまでもが狭苦しいカラオケ・ボックスで瞬間強力接着された、引用にまみれつつも煌めくバブルガム・パワー・ポップだった。本作『GOLD FUTURE BASIC,』ではそれがそのまま、ディスコ・ロック調のアーバン・サウンドに溶け込んでいる。

 堂島孝平がプロデュースするシングル曲“宇宙のYeah!!!”は、トゥインクルなギター・リフにイントロから持っていかれる堂々のキラー。同じく堂島プロデュースの“月曜21時に恋してる”は、トレンディドラマというノスタルジックな題材を用いたJ-POPのパロディ風ポップ。パンの音色がトロピカルなキャンディ・ポップ“南でUhh!!!”は、インタールード前の絶好の変化球となる。
 そして、注目は何と言ってもこれ、スカートの澤部渡がプロデュースとデュエットを務める“ムーンライト・シティ・トーク”が面白い。ヴォーカリストとしての澤部にとって重要なリファレンスであろう直枝政広や岡村靖幸のエッセンスに加えて、佐々木“ACKY”あきひ郎の汗までもがしたたり落ちてきそうな官能のメロウ・ファンクに仕上がった。これは双方にとっての新境地だろう。
 他にも、往年のソウル・シンガーを真似して真似しきれない歌い回しにキュンとくるファンク・ロック“CRIMINAL B.P.M”、フィル・スペクター・ライクな“ジュリア!ジュリア!ジュリア!”、どことなくヴァン・ヘイレンの“Jump”風コーラスが決まるオールドスクールなロックンロール・ナンバー“SHANE”など、聴きどころは多い。小沢健二の名前が持ち出されるのが信じがたい人は、初期の代表曲“1.2.3!”のニュー・ヴァージョンをまず真っ先に聴けばよい。

 このアルバムが素晴らしいからこそ思うのだが、しかし、それにしても……、因果なバンド名だ。このバンドがユリナ、ヨーコ、ザ・ゾンビーズ子が職安で出会うことではじまった、というエピソードをひとまずは額面通りに受け取っておくとしても、いまだにそのバンド名の響きだけで何かをジャッジされそうになっているのを見ると、自身らに課した「トラッシーであるからこそポップ」とでも言うべきイメージ――「君のコトを考えるコトでお金をもらえたら/ボクは今頃もう大金持ちだね」“住所不定無職のテーマ”──に呪われているようにさえ見える。
 それはたしかに、バンドの登場時においては絶好のフックとして機能した。だが、本作のずしりとした手応えを感じれば、このバンド名が、そもそもは細野晴臣へのオマージュなのではないか、という推測に確信を持てるハズ。で、あればこそ、ポップ・ミュージックの「文脈聴き」というか、マニアなリスナーとネタを確認し合うような関係など、ぶっ壊してしまえばいい。本作は、そんな契機としてのブースターたり得る気がする。もはやただ端的に、ただシンプルに「グッド・ポップ・ミュージック」と呼んでおくほかない美しい何かまで、このまま突き抜けていって欲しいと思う。

interview with Strange Reitaro - ele-king

 前回取材したときは、お酒の席だったからでしょうか、バンドのみんながいたからでしょうか、なんかともてもご機嫌なヴァイブが全開だったのですが、今回初めて言葉を交わす素顔の奇妙礼太郎は、あのときの彼、あるいはステージでの彼、あのメロウでパワフルで感情の起伏豊かな音楽からはちょっと想像できないほど、物静かなお方だった。

 奇妙礼太郎は、2012年の『桜富士山』以降、精力的な活動を続けている。作品も出している。リミックス盤『GOLDEN TIME REMIX』、曽我部恵一の〈ローズ〉からはアニメーションズの『ANIMATIONS LIVE!』、限定的なリリースとなったが奇妙礼太郎のソロ・アルバムも発表した。9月にはトラベルスイング楽団のライヴ盤『Live! 』をリリース。そして先日、トラベルスイング楽団としての新作『仁義なき恋愛』が出たばかり。

 さあさあ 寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
 大根 人参 ロックンロール
 さてさてここに現れし ビックバンド
 シナトラ気取りの フリークスと
 ガラスのハートに わさびを塗りすぎた
 キンキーミュージシャンズ
 微熱なフォーエバーヤングス達に贈る
 ソフト問題児 アンド ハード迷子なオープンチャック
 集団ダンスミュージックなのであります
“DEBAYASHI ALL NIGHT”

 『仁義なき恋愛』は、何故、いまでも僕たちが古いソウルやブルースやロックンロールやスウィング・ジャズやなんかを好きなのかをわからせてくれる……そう、古くて新しい、時代のトレンドを度外視した、ピカピカに光っているヴィンテージ仕様のソウル・アルバムだ。
 前作から変化があるわけではないが、完成度は高い。冒頭の曲の自己紹介の喋りにおける自己嘲笑はソウルのショーのレトリックのようだが、これが実に面白い。トラベルスイング楽団は伝統と形式を受け継ぎながら、自分たちの言葉のセンス、自分たちのグルーヴでまとめることができる。引用した言葉は、どんな説明よりも彼らの音楽を代弁しているんじゃないかと思う。
 そして、2曲目のロックンロール、3曲目のオーティス・レディングばりのソウルを聴いたら、もうあなたは最後の曲の“恋がこんなにつらいとは”までいっきに聴いてしまうでショー。まるでヒット・メドレーのようだ。次から次へ、曲は夜空の流れ星のように展開する。アルバムの尺が42分というのも良い。
 トラベルスイング楽団の演奏/アレンジも『仁義なき恋愛』を名作にしている大きな理由だ。このアルバムにブラスセクションとピアノがなかったら、心の底から笑うことはできなかったかもしれない。トラベルスイング楽団の敷居の低さとクオリティの高さ、ビッグバンドならではの洒落気と歓喜は本当に魅力的だと思う。アルバムを聴いていると、そしてこうして彼らに関する原稿を書いていても、ビールを飲みたくなるのである。

BluesSoulRock'n RollSwing JazzPunk

奇妙礼太郎トラベルスイング楽団
Live!

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E王

BluesSoulRock'n RollSwing Jazz Pop

奇妙礼太郎トラベルスイング楽団
仁義なき恋愛

Pヴァイン

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一番最初に、異様な感じを受けたのは……本屋で売ってる1000円CDみたいなやつでリトル・リチャードのベストみたいなやつがたまたま家にあって。それはなんかビックリしましたね。

まず先に出たライヴ・アルバムが素晴らしいと思いました。こんなにもパンクだったのかと思ってびっくりです。「あれ、こんなだっけ?」って、後半になればなるほど、“サントワマミー”とか(笑)。なんでご自身でまだ聴いてないんですか? こんな素晴らしいものを。

奇妙:興味ないんで……。

興味ない? なんでですか?

奇妙:自分なんで(笑)。

(笑)そうですか。ライヴ盤出されたのは、なにゆえでしょうか?

奇妙:いや、僕知らないです(笑)。

(笑)勝手に出されてしまったと。僕は、いい意味で、職業意識を強く──この間も芸人意識みたいな話をしたんですけれども──やられてるのだと思っていたので、あらためてこのライヴ盤をいて、その壊れ方にビックリしました。

奇妙:……はい。

はははは。いま目の前にいる奇妙さんはこんなに落ち着かれているのに、ライヴをやっていると、自分ではコントロールできなくなってしまうことがあるんですね。

奇妙:そうですね。どうなんですかね。どんなライヴやったか全然覚えてない(笑)。

(笑)そういうのは一回も聴き直すことはないんですか?

奇妙:そうですね。ないですね、全然。最近とくにないですね。

しかもライヴ盤で出ているというのに。

奇妙:そうですね。ジャケットとかは考えましたけど、中身は(笑)。

(笑)気にならないってのもすごいね。

奇妙:そうなんですかね。

でも、もうあとはみんながご自由に楽しんでくれればいいやっていう。

奇妙:そうですね。もう1年弱ぐらい前なんで。ああ、そんなことあったな、っていう、自分としてはそういう感じですね。

なるほどね。『桜富士山』以降、ものすごく作品を出されてますよね。このライヴ盤もそうですけど、その前に『GOLDEN TIME REMIX』があって、アニメーションズのライヴ盤があって。あとは会場限定のソロ・アルバムを出したりとか、あるいはライヴももちろんたくさんこなしてますし。僕が知る限りではたとえばDJフミヤさんのアルバムに参加したりとかね、そういう客演みたいなこともあって。ものすごく多忙にされていると思うんですけれども、『桜富士山』以降のこの1年ちょっとの間、奇妙さんはどんな風に過ごされたんでしょうか?

奇妙:3月4月にソロのツアーをしてたんですけど、その間はバンドのライヴはほとんどなく。それ以外はいつも通りという感じですね。リミックスもアニメーションズもトラベル(スイング楽団)のライヴも、全部自分自身が作業することはとくになかったんで。すでに録音してるもので。だからソロのと今回のは、録音したって感じですね。仕事したなって感じの。

新しいアルバム聴かせていただいたんですけれども、前作以上に完成度が高いといいますか、トラベルスイング楽団として成熟したアルバムだという風に思ったんですけれども。情熱的で、胸のすくような良いアルバムですね。

奇妙:ありがとうございます。

出だしの「大根人参ロックンロール」という言葉で僕はやられました(笑)。

奇妙:ありがとうございます(笑)。とくに意味がない(笑)。

その言葉を思いついたとき「やった」と思ったでしょう?

奇妙:あ、この言葉自体は3年前ぐらいにプロフィールの文章書いてって言われたときの文章で、とくに意味はないっていう。

はははは! 今日は改めて奇妙さんのご自身の歴史についてお伺いしたいなと思ってまして。ご実家がうどん屋さんだったって話なんかを読んだことがあるんですけれども。生まれも育ちも東大阪で。

奇妙:はい。

どんな少年時代をお送りされたんですか?

奇妙:少年時代っていうのは10歳ぐらいまでですか?

そうですね、まあ小学校ぐらいで。

奇妙:小学校のときはあんまり外で遊ばなかったですけど。ほとんどレゴしてましたね。で、小学校4年生ぐらいのときにダウンタウンの『4時ですよーだ』っていう番組がはじまって、それを観るためにダッシュで家に帰ってましたね。それはでも、みんなそうしてましたね。

何か夢中になってたことってありますか? スポーツであるとか、趣味というか。

奇妙:ないですね。テレビ見ることですね。テレビ見て、次の日みんなでテレビの話して、それの真似してっていう、小学生あるあるですね。

(笑)なるほどね。クラスではどんな存在だったと思います?

奇妙:いや、目立つことまったく何もないですよね。なんかのうちのひとりって感じですね。

本格的に音楽と出会うのは?

奇妙:一番最初に、異様な感じを受けたのは……本屋で売ってる1000円CDみたいなやつでリトル・リチャードのベストみたいなやつがたまたま家にあって。それはなんかビックリしましたね。

どんなところに?

奇妙:テレビなんかで聴いてる感じと全然違う……なんですかね、わかんないですけど。

それって何歳のときですか?

奇妙:それはでも、もう中学生ですね。

それは偶然出会ったんですか? お父さんかお母さんの趣味じゃなくて?

奇妙:あ、でもそうですね。家にあったっていうことは。まあまあ、そういう世代のひとたちなんで。

へえー。じゃあしばらくリトル・リチャードばかりを聴いたんですか?

奇妙:いろいろありましたけど、そうですね。それとサム・クックの黄色いベスト(『The Best Of Sam Cook』)を延々聴くっていう。

サム・クックのその黄色いベスト盤もご実家にあって?

奇妙:ありましたね。

それはご実家のうどん屋さんで流されてたんですか?

奇妙:いや、違います。うどん工場なんで。お店ではなかったんで。

あ、そうなんだ。ご自身で音楽を探求しはじめたのはどんな感じでしょう?

奇妙:なんかまあ、よくある感じですね。CDのライナーノーツにルーツが書いてて、それを買って聴くみたいな。ブルースのアルバムとか聴いたり。あんまよくわかんなかったですけど。

でもリトル・リチャードとサム・クックだったら、基本的にまったく変わってないですよね。いままさに、そのことをやられてるわけですから。それは現在に至るまで、ひとりのリスナーとして、ある意味ではまったく寄り道せずにきたんでしょうか?

奇妙:そうですね。そう言われたらそんな気しますね。

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僕はバンドマンですね。恐ろしいですね、アーティストって。ゾッとします(笑)。いや、そんなものになってないですっていう(笑)。ただバンドしてるだけなんで。

最初に自分のこづかいで買ったのって何なんですか?

奇妙:あー、何やろうなあ……。

サム・クックがあるからオーティス・レディングも近いとは思うんですけど、上田正樹さんなんかは僕たちよりもちょっと前の世代の方じゃないですか。意外とそんなに簡単に手が届くような感じでもないとは思うんですけれども。

奇妙:そうですね……自分で一番最初に買ったのは覚えてないですね……。(上田正樹と)サウス・トゥ・サウスのカセットも家にあって、それもめっちゃ聴いてましたね。それはやっぱりすごく好きですね。

じゃあリアルタイムの音楽、たとえば全米トップ10に入ってる音楽なんかに興味を持ったことはなかった?

奇妙:全米トップ10みたいなのはちょっと上のひとたちがハード・ロックとかヘヴィ・メタルとかの世代で、そのときは聴いてなかったですね。でも中学・高校のとき、同級生が浜省とかチャゲアスとか長渕とかを聴いてて、その辺はやっぱり好きですね。それもいっしょに聴いてましたね。浜省めっちゃ好きですね。

それは意外ですね(笑)。レコード屋さんに学校の放課後の帰り道に寄って、レコードを探すようなリスナーだったんですか? それとももうちょっと、ゆるい感じ?

奇妙:家にけっこうCDがあって……なんていうんですか、「ロック黄金時代」みたいな60年代とか70年代とかの。それを聴いてる感じでしたね。あとレンタルビデオ屋さんは僕が小学校ぐらいのときから流行りだして、すげー借りてた記憶はあります。CD借りてきて、カセットテープに落として、それをウォークマンで電車で聴くみたいな感じでしたね。

やっぱり昔の音楽のほうが自分は好きだっていう感覚はありました?

奇妙:そうですね。そっちを聴いてるほうが、なんか賢いしカッコいいと思ってたんですよね(笑)。

はははは。ヒップホップとか聴かなかったんですか?

奇妙:まわりのひとはレゲエとかを聴いてて。

大阪はだって、レゲエ盛んじゃないですか。ダンスホールとか。

奇妙:そうですね。そこまで行くとカッコいいんですけど、そのときに流行ってたのはUB40とか、白人のひとがやってるモテそうなやつで。なんかバカにしてましたね(笑)。そういうのを聴いてるひとを。

(笑)それはハイプだって?

奇妙:そうですね。やっぱ友だちいなかったですね。

(笑)へえー。自分のなかで、はっきりと自分の好みといいますか、自分の求めているものがクリアになったきっかけはあったんですか?

奇妙:わかりやすいものがやっぱり好きですけどね。はっきり真ん中にすごいひとがおって、とか。

ソウル・ミュージックであったりとかブルースであったりとか、昔のロックンロールであったりとか、そういったものが自分のスタイルであるという認識というかね、そういうものはとくに意識せず?

奇妙:歌があって歌うっていう。自分が何かをするときに、普通にそれがあるって感じですね。インストの何かをしようと思ったことはないですね。

なぜ60年代とか70年代の音楽に憧れるんだと思いますか?

奇妙:どうなんですかね……なんでなんですかね。

たぶん、リアルタイムで生まれている音楽にはないものが、いまの耳で聴いたときにそこにあるからだと思うんですが。

奇妙:常識とかなさそうですよね、昔のひとのほうが。

はははは。

奇妙:めちゃくちゃなひとが多そうな感じもしますし……。

自由な感じですか?

奇妙:なんかその、犯罪者ちゃうか、みたいな(笑)。

まあサム・クックとかね、ひとをブン殴ったりとかしてたりね(笑)。あんな甘いソウルを歌っていながら。

奇妙:そうですね。なんかそういうところも好きですね。まあ知らないだけかもしれないですけど、なんかダイナミックな感じはしますね。

たとえば今回のアルバムの冒頭の語りの下世話さがすごく好きなんですけど。「ハードな迷子なオープンチャック/集団ダンス・ミュージックなのであります」とかね、あるいは2曲目の“どばどばどかん”みたいな歌詞は、草食系と言われるような文化への反論のようなものとも受け取れると思うんですけど。

奇妙:いや、そんなに大層なことではないですね(笑)。なんかテキトーな感じで。

最初からヴォーカルだったんですか?

奇妙:そうですね。

楽器はギター?

奇妙:そうですね。ギター弾きながらとか。

ギターはいつ弾きはじめたんですか?

奇妙:それは高校生ぐらいのときですね。

ちなみに最初に覚えた曲は?

奇妙:最初に覚えた曲は、浜田省吾さんの“ミッドナイト・ブルートレイン”ですよね(笑)。たぶん。家に歌本があったんですよね。

あ、なんかバンドスコアみたいなやつ。

奇妙:はい。カセットと。

へえー、なるほどね。いわゆるソウル・ミュージック的な、いまのトラベルスイング楽団に通じるような楽曲で最初に歌ったものは?

奇妙:そうですねえ……。ソウル・ミュージックで言ったら、“スタンド・バイ・ミー”やと思います(笑)。たぶん、最初に歌ったのは。

その当時ってバンドだったんですか? それとも自分ひとりでやってたんですか?

奇妙:バンドですね。

じゃあ安田さんなんかもいっしょにいて?

奇妙:じゃ、ないですね。

全然違うバンド?

奇妙:はい。

バンドはいつ組んだんですか?

奇妙:一番最初はアニメーションズってバンドをしてて――。

アニメーションズが一番最初だったんですね。

奇妙:そうですね。なんか平行してやってるって感じですよね。

人前でやりはじめたっていうのは?

奇妙:人前でやりはじめたのもアニメーションズですね。

それは何年ぐらいのときですか?

奇妙:それは2001年とかですね。

まだ高校生とかですか?

奇妙:いや、全然。24ぐらいですね、たぶん。

もともとご実家を継ぐつもりでいたけど、結局うまくいかなくて継ぐことができなくなったと聞きましたけれども、それがおいくつぐらいのときですか?

奇妙:それが27、8ですね。たぶん。

ほう。ご自身の将来についてはその当時どういう風に考えてましたか?

奇妙:いや、まずいなーと思ってました(笑)。

(笑)20歳ぐらいのときはどういう風に思ってたんですか? 自分は将来どういう風に生きていくだろうと。

奇妙:いや、実家で働くからブラブラしとこーと思ってましたね(笑)。

あ、そっか(笑)。実際ご実家の手伝いなんかはしてたんですか?

奇妙:してました、してました。したり、しなかったりですけど。

それでバンド活動を楽しんでた、みたいな。

奇妙:はい。ダラダラしてました。

じゃあ音楽でメシを食おうっていう意識なんかは?

奇妙:仕事なくなってからちょっとバイトしてたんですけど、それも辞めて。辞めてから、お金出るやつじゃないととりあえず出るのやめようと思って。いろいろ誘われるけど、お金出るかわからんっていうやつが、そうですね、8割ぐらいあって。それは全部断るか、「いくらです」みたいなことを自分で言うようにしてからですかね。なんとなく。

ライヴ活動はアマチュア時代からかなりたくさんやられてて。

奇妙:はい。

そのバンド自体は、ある意味では趣味というか。

奇妙:そうですね。飲みに行くついでにライヴするみたいな気持ちでやってましたね。

じゃあ、カヴァー曲をよくやられますけど、それもその頃の賜物なんですか?

奇妙:その頃は意外とやってないんですよ。

あ、オリジナル?

奇妙:そうですね。自分のバンドの曲をやったり、バンドしたりって感じですね。

でもバンドのフロントマンとしてやられてますけど、最初にバンドを組んだときから自分はフロントマンをやりたいっていう風に考えてたんですか?

奇妙:そうですね、したいっていうひとが意外といなくて。「あ、じゃあやります」って感じです。

参考にしたひとっていますか?

奇妙:そうですねえ……でもたくさんいますね。

何人か、とくに挙げるとすれば。

奇妙:見て研究するとかはないんですけど、好きなひといっぱいいますよ。

今回のアルバム最初聴いたときは、清志郎っぽいなと思ったし――。

奇妙:そうですか。……めっそうもないって感じですね。

影響を受けているところの影響元が共通しているじゃないですか。オーティス・レディングとか。ミーターズみたいなものとか。

奇妙:(小声で)そうっすね。

いやあ、普段の姿はこんなにシャイな方なんですね。

奇妙:(笑)普通です。

ステージに上がると、もう人格が変わるタイプなんですね?

奇妙:そうですね、役割が決まってるって感じですよね。バンドで人前に出るときは。ヴォーカルのひとっていう役割をやるって感じでやってますね。ただただ。

すごくロマンティックな曲であったりとか、あるいは敢えてバカをやるというか、そういうことをすごく意識してらっしゃると思うんですけれども、そのゆえんというか、なぜ敢えてバカをやるんでしょうか?

奇妙:そういうのがただ好きっていうか、まあそれだけですよね。

はははは。でもそれは、言い方を変えれば、何かのメッセージなものでしょうか。

奇妙:ああー。

バカをやるひとが少なすぎる、とか。そういうのはないですか?

奇妙:ああー。(バカをやるひとの)比率としては少ない気はしますけど……メッセージ……そうですね……じゃあメッセージで。

ははははは! さっき音楽で食うって話のときに、お金取るようにしたって言ってましたけど、なかなか音楽で食べるのって難しいじゃないですか。

奇妙:そうですね。

当然そこにはいろんな想いがあったと思うんですけど、トラベルスイング楽団になってからは迷いみたいなものはなくやってこられた感じですか?

奇妙:そうですね、そんなに迷いみたいなものはないですね。

自分が温めてきたアイデアみたいなものがあるじゃないですか。こうしてアルバムとしてものになっていうような。そういうアイデアというものに対して、ある程度確信みたいなものがあったんでしょうか? もう絶対これは間違っていないというような、根拠のない自信みたいなものがおありだったのかな、と。

奇妙:アニメーションズを最初にしたときから、自分としては同じなんですけどね。とくに何かが変わったってことはないんですけど。

でも職業音楽家みたいな意識っていうのは、やっぱりすごく強く持ってらっしゃるでしょう?

奇妙:そうですね。ありますね。

たまたま最近、山下達郎さんのアルバムを聴いていて。あのひとは自分のことを職業音楽家と意識してやってらっしゃるんですよね。いまアーティストっていうひとはいるけど、職業音楽家と自分から言えるひとはあまりいないのかなって。そこが奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の、いまの日本のシーンのなかでは不思議なポジションにいるところなのかなって気がしますけど。

奇妙:まあアーティストって思ったことないですね(笑)。

(笑)なんだと思います? 自分のことは。

奇妙:僕はバンドマンですね。恐ろしいですね、アーティストって。

はははは。じゃあ、アーティストっていうのは嫌いですか?

奇妙:いや、ゾッとします(笑)。

ははははは! なんでアーティストだとゾッとします?

奇妙:いや、そんなものになってないですっていう(笑)。ただバンドしてるだけなんで。

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自分のなかでは、思いっきり真ん中のことをやってるっていうか。音楽の王道をやっているつもりですけどね。それが傍からみたらすごく端っこに見えるっていう(笑)、ことなんかもしれないですけどね。

なるほどね。でもその、「ただバンドしてるだけ」っていうのをたぶん、すごく出してらっしゃると思うんですけれども。そういうときに音楽的なスタイル、音的なアレンジっていうのは、さっきも話した60年代、70年代のソウルやロックンロール、あるいはスイング・ジャズみたいなものから引用してきますけれども、こういう味つけみたいなものは奇妙さんがプロデュースしてるんでしょうか?

奇妙:そうですね、結果的にみんな合わせてくれてる感じですね。

奇妙さんのなかで、理想的な音楽っていうのは何なんですかね?

奇妙:理想ですか。理想……やっぱりすごいなと思うのは、サッチモとかですね。子どもが聴いても素晴らしいと思うし、ジャズ・マニアのひとが聴いても素晴らしいじゃないですか。それが同時に完全に両立してることって、すごいし、理想っちゃ理想ですね。

なるほど、サッチモ(ルイ・アームストロング)ですか。ああいう誰もが知ってるような大きな曲を作れるというか?

奇妙:そう……ですね。

吾妻光良さんがすごくお好きでしょう?

奇妙:はい、好きですね。

それが僕のなかでは、すごく奇妙礼太郎のイメージなんですよね。

奇妙:超絶素晴らしいですよ。

ははは。吾妻光良さんのどこがすごく尊敬できます?

奇妙:(笑)もう全部ですね。

(笑)たとえばあのひとの態度っていうか、音楽に臨むアティチュードっていうのも、ある意味では日本のシーンのなかでは浮いてるっていうかね。いわゆるJポップっとは音も違うじゃないですか。

奇妙:なんか、そういう感じで考えたことはないですね。Jポップとか、いまのシーンが、とか。まあ知らないですし、どういうひとがいてとか、誰が流行っててとか。ああ、そういうのがあるねんな、みたいな感じで。自分のなかでは、思いっきり真ん中のことをやってるっていうか。音楽の王道をやっているつもりですけどね。それが傍からみたらすごく端っこに見えるっていう(笑)、ことなんかもしれないですけどね。

(笑)

奇妙:まあ、それはわかんないですけど。自分の範囲じゃないっていうか。

吾妻さんのどんなところがとくに素晴らしい?

奇妙:吾妻さんはまず、素晴らしい音楽家で演奏家っていう。バンドマンっていうより全然音楽家やなーっていう。あと、歌詞もとんでもなく素晴らしいですし。ユーモアがあって。そういうのがこれ以上ないくらい、最高のものやなと思いますけどね(笑)。

はははは。じゃあ、上田正樹さんのすごいところっていうのは?

奇妙:僕が好きなのはサウス・トゥ・サウスの感じなんですけど。それも同じことですけど、詞の内容と、演奏と、素晴らしいですよね。

じゃあ、なぜ名前は奇妙礼太郎になったんですか?

奇妙:バンドはじめるときに、とりあえず覚えてもらいたいっていうのがあるんで、なんか変な名前にしようと思って、で、なんとなく思いついたんですよね。とくに理由とかないんですけど。

奇妙礼太郎にとって、いい歌詞っていうのはどういう歌詞なんですか?

奇妙:僕が好きなのは短い映画を観たような気持ちになれるようなものとか、ちょっと本を読んだ後みたいなとか、そういう感じですかね。イメージがどんどん浮かんでくるのが好きですね。

なるほど。そのイメージはどんなイメージ? やっぱり男と女がいる?

奇妙:いや、全然。僕ブランキー・ジェット・シティ大好きなんで。浅井健一さんすげーなと思いますね。

前も訊いたんですけど、ラヴ・ソングがすごく多いと思うんですけど。今回も『仁義なき恋愛』っていうタイトルで。なぜ自分がそこまでラヴ・ソングにこだわるのだと思いますか?

奇妙:いや、なんか10曲できたらそうなってたんですよ(笑)。

(笑)『仁義なき恋愛』は最初からタイトルとして決まってたんですか?

奇妙:いや、全然決まってないですね。ほぼほぼ曲が決まってから歌詞考えてて、なんとなくですね。

なるほどね。奇妙礼太郎のこれまでの人生において、女性っていうのはいかなる存在でした?

奇妙:えー! いやお世話になってます、とか(笑)。そうですね、女性……すごく好きですし、すごく苦手やな、とも思いますね。ちょっとよくわかんないですけれども(笑)。

(笑)前回インタヴューしたときに、なんで『桜富士山』ってタイトルにしたんですかって訊いたら、やっぱおめでたいものにしたかったとおっしゃってて。で、ちょうどいまの日本の時代の空気っていうのが決して明るいものではないし、風営法とか、暗い風があるじゃないですか。そういうなかで、時代の暗さみたいなものを音楽でもって、言うならば打ち負かそうとしてるのかなっていう風に思ってるんですけど、いかがでしょうか!

奇妙:いやいや、そんなつもりまったくないですよ(笑)。

いや、ほんとはそう思ってるでしょ(笑)。やったるぞって。

奇妙:そうなんですかね(笑)。じゃあそれで(笑)。昔からやってることは変わってないんですけどね、なんか。

これから変わるかもしれないってこともない? まあ先のことはわからないですけれども。

奇妙:そうですね、まあそれはわかんないですね。次のアルバムでは、地獄へ落ちるような――。

ははははは! ドアーズみたいになるかもしれないって?(笑)

奇妙:AC/DCみたいなジャケットにしようと思います(笑)。それええな。

『仁義なき恋愛』をタイトルにした理由は何ですか?

奇妙:なんとなく興味持ってもらえそうかなと思って。なんかええなと思って。とくに理由とかはないんですけど。

音楽以外で好きなことって何かあります?

奇妙:音楽以外ですか? 僕、車好きですね。

でもあんまり出てこないですよね。

奇妙:車、そうですね。出します、次のときに。

“どばどばどかん”みたいな歌詞はどうして歌ったんですか?

奇妙:いや、なんとなく録ってるときにぱっと思いついちゃうんですよね。べつにこれも意味ないですよね。よくあるっちゃよくある――

セックス・ソング?

奇妙:そうですね。みたいな。

作ってみたかったとか?

奇妙:いや、これはたまたまですね、全然。オケ聴きながら考えるっていう感じのやつですね。

一番最初に言ったことに戻っちゃうんですけどね、ライヴ盤聴いてて、このひとのなかには喜怒哀楽を歌うだけじゃなくて、アンガーみたいなものがあるのかなと思ったんですけどね。

奇妙:そうですね、いや(笑)、べつに怒ってることないですけどね。毎日快適に生活できてるんで。腹立つこととかないですけどね。

ほんとですか。

奇妙:そうですね。ないですね。すげー快適ですね(笑)。

はははははは。なるほど。ありがとうございました、ところで、1曲目の最初のナレーションのバックに笑い声が入ってるでしょう? ループで。あの笑い声ってなんで入れたんですか?

奇妙:なんかないと寂しいな、ぐらいですけどね(笑)。オープニングなんで、歌ってわけでもないけど、何かみんなの声入れとこか、ぐらいの感じですね。

みんなの声っていうのはバンドのみんなの声なんですか?

奇妙:そうですね、バンドのみんなの声です。

どうもありがとうございました。ツアーがんばって下さい。

◆奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 ワンマンライブツアー2013◆
2013 年11 月4 日(月・祝)愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
2013 年11 月8 日(金)大阪府 大阪BIG CAT
2013 年11 月10 日(日)福岡県 Early Believers
2013 年11 月15 日(金)東京都 LIQUIDROOM ebisu
2013 年11 月16 日(土)宮城県 仙台MACANA


CHICANO BATMAN JAPAN TOUR - ele-king

 "ラ・サモアーナ"という曲がたまらない。「この間、アパートで彼女を見かけた。この間、見かけた彼女にボーッとなっちまった。熱いハートでアイロンかけて、熱いハートでスープを作っていた。褐色の肌が愛しくてたまらない......(省略)......きれいなサモアの彼女にハートが熱くなってるから、きれいなサモアの彼女がソンを歌っていたから」(アルバム『チカーノ・バットマン』から。歌詞対訳:霜村由美子)
 チカーノ・バットマンは4人の移民の2世らが中心になってロサンゼルスで結成されたロック・バンドだ。バリオと呼ばれるラティーノたちのコミュニティのなかで活動を開始。コンボ・オルガンを多用した昔のガレージ・ロック風サウンドと、スペイン語で歌われる耽美的な歌詞の組み合わせは、民族・文化に対して高い意識をもつイースト・ロサンゼルスの住人たちのハートにじわじわと浸透していった。ここ数カ月は、そんな噂がバリオの外にも溢れだして、有名なカルチャー系メディアにもしばしば登場するようになってきた。あの『WAX POETICS』電子版でのロング・インタヴュー掲載、またロサンゼルス最大の独立TV局、KCETでも映像が流れた。ロサンゼルス中のヴェニューやイベントからも引っ張りだこで、去る10月5日には、あのパンク・ロック界の伝説、マイク・ワッツのバンドとの共演イベントまで実現させてしまった。いまやロサンゼルスでバットマンと言えば、彼らのことなのだ。
 しかし、そんなことに驚いていては、ロサンゼルスで現実に起きていることへの無知を曝け出すようなことになる。なぜなら、彼の地の人口の半分は、いまやメキシコ系を多数とするラティーノたち。中南米系というエスニシティは、もはやマジョリティを意味しているのである。英語世代のラティーノ系バンドのプレゼンスは、いまや爆発寸前なのだ。しかし、その出自は余りに複雑で、エスニシティのなかに、さらに多様なエスニシティが創成されている。メキシコ系なのか、他の中米出身なのか。アメリカ生まれなのか、移住してきたのか。バイリンガルなのか、英語だけなのか......などなど。80年代までは、ロサンゼルスの郊外に小さく散らばっていたバリオは一気に増殖、いつの間にか街全体がラティーノたちの住宅地になったような地域も沢山出現している。21年前にLA暴動で破壊されたサウス・セントラルも、いまやスペイン語が溢れるラテン・ゲットーだ。

 そんなカオスのような状況のなかで、敢えてチカーノという言葉を持ち出してきた彼らは相当の確信犯でもある。チカーノとは、メキシコ系アメリカ人を自己肯定的に捉えた言葉であるが、もとともと60~70年代の公民権運動の体験のなかで、民族の誇りとともに使われはじめた政治的な意味合いを強くもつ。しかし、時代の経過のなかで、チカーノという言葉に対するコミュニティ全体の感覚も随分と薄弱になってしまった。そんな言葉を持ち出さなくても、いまのロサンゼルスでは普通に暮らしていけるようになったのだ。
 彼らのアイコンも見て欲しい。逆三角形のマークは、チカーノ公民権運動の旗手でもあるセッサル・チャベス率いた農業労働者組合であるUFWのマークを模倣したもの。バリオで長年暮らしてきた年配者には熱き時代を喚起させる政治的なアイコンでもある。バットマンのイメージとシリアスな政治アイコンを融合させた毒とユーモアは、彼らのレイドバックしたレトロ風のサウンドにも当然通底している。
 長尺のスロー・テンポで展開される前述の"ラ・サモアーナ"は、メンバーの父親が経験した実話を題材にしているという。メキシコから移民して来た男が、同じアパートで暮らすサモア人の女の子に惚れるというストーリーだ。舞台は、ロサンゼルス郊外にある安アパート。遂にデートへと出掛けたふたりはバーでダンスに興じようとする。歌詞がそこまでを綴ると、歌は引っ込んで、古いワルツのようなリズムとファジーなエレキ・ギターの哀愁を帯びたメロディが流れ出す。ふたりが踊るシーンをファンタジーに描く美しい間奏。聴く度にグッとくる。
 彼らの音に夢中になる新世代の若者たちは、そんな世界をどこかおぼろげに憶えているに違いない。移民が急増し始めた70~80年代のロサンゼルスの郊外に広がるバリオの日常風景。ガレージ・ロック風と書いたコンボ・オルガンが鳴るサウンドも、実は当時の移民者たちを夢中にさせていたグルペーラと呼ばれるメキシコ~南米のグループ・サウンズを忠実に現代に甦らせたものだ。ロス・ブッキス、ロス・アンヘロス・ネグロス、ロス・ヨニックス......こうしたバンドは、決してメインストリームには出てこなかったが、バリオで必死にアメリカン・ドリームを追う移民者たちのバックグラウンド・ミュージックだった。しかし、英語世代の若いチカーノたちからは殊更に評判が悪かった。それは国境の南側から移民者たちが持ち込んできたメキシコそのものだったのだ。
 あれから30年近くの時が過ぎ、ロサンゼルスに現れたチカーノ・バットマンは、オールド・スクールのタキシード・シャツと古のサウンドを持ち出して、もう一度チカーノたちの体験を音楽で語りはじめた。メンバーは全員80年代生まれ。インターネットと南米への旅の経験のなかで、ブラジルのカエターノ・ベローゾなどトロピカリーア運動の音や、自らのルーツのひとつであるコロンビアの土臭いクンビアなどと衝撃的な出会いを続けながら、バリオの中と外でのロサンゼルスの経験をエディットした上で、グルペーラという音楽の世界観に、ひとつの魅力を見出したのだ。実は、そんな体験そのものが、今のチカーノということなのだ。
 パンク、ファンク、ブラジル、グルペーラ、クンビア......複雑怪奇な音楽体験とバリオの日常を重ねるギミック溢れる音像の向こうに、未来のロサンゼルスが見えてくる。チカーノ・バットマンの来日(https://www.m-camp.net/chicanobatman.html )は間もなくだ。(宮田 信)

「ラ・サモアーナ」


「ホベン・ナビガンテ」


CHICANO BATMAN JAPAN TOUR 2013 SCHEDULE

Nov.8 (Fri) モーション・ブルー・ヨコハマ(横浜)
open 6:00pm / showtime 8:00pm
CHICANO BATMAN
DJ PaCo[TEARDROP ENT.]、DJ 七福[サケフェスプロジェクト、NEKIRIKI PRODUCTION]
TALK BOX:MK THE CiGAR[TEARDROP ENT.]DJ Shin Miyata[Barrio Gold Records]
自由席:4,000 BOX席:16,000+シートチャージ ¥6,000(4名様までご利用可能)
予約受付中
TEL: 045-226-1919
https://www.motionblue.co.jp/artists/chicano_batman/

Nov.9 (Sat) LIVE SALOON WANNABE'S(千葉)
start 7:30pm
LIVE : CHICANO BATMAN, YAWATA TRECE, SOLDIER
DJ : DADDY, HAMMER, SHIN MIYATA[Barrio Gold Records]
前売:3,500 当日:4,000 (1drink付)
予約受付中
TEL:043-248-7770 e-mail:info@wbsswapmeet.com
https://livesaloon.com/

Nov.11 (Mon) 月見ル君想フ(青山)
open 6:00pm / showtime 8:00pm
CHICANO BATMAN
Dance: Nourah, HAYATI / DJ: ヤマベケイジ[LOS APSON?]、ケペル木村
前売:3500 当日:4000 (1drink付)
予約受付中
TEL: 03-5474-8115
https://www.moonromantic.com/?p=16557
※こちらの公演のチケットは下記でも販売しております。
LOS APSON? TEL:03-6276-2508 https://www.losapson.net/
nifunifa TEL:03-6407-9920 https://nifunifa.jp/
大麻堂 TEL:03-5454-5880 https://www.taimado.com/
TRASMUNDO TEL:03-3324-1216

Nov.12 (Tue) LIVE SPACE CONPASS(大阪)
open 7:00pm / start 8:00pm
LIVE : CHICANO BATMAN、デグルチーニ
DJ: N.O.B.[Q-VO! RECORDS]、NAMBAMAN[TOMBOLA]
FOOD : CANTINA RIMA
前売:3000 当日:3500  (drink別) 
予約受付中
TEL: 06-6243-1666
https://conpass.jp/4658.html

Nov.13 (Wed) Boogie Man's Cafe POLEPOLE(福山)
open 6:30pm / start 7:30pm
前売:4500 当日:5000 (drink別)
予約受付中
チケット予約: TEL: 084-925-5004  e-mail: cafe_polepole@ybb.ne.jp
https://www.cafe-polepole.com/

チケット予約は各会場へお問い合わせください。
TOUR INFORMATION: https://www.m-camp.net/chicanobatman.html
ツアーに関するお問い合わせ:MUSIC CAMP, Inc.
TEL: 042-498-7531  e-mail: info@m-camp.net (担当:宮田)


CHICANO BATMAN DISCOGRAPHY

1st Album
"CHICANO BATMAN"(2009)
BG-5115
詳細→https://www.m-camp.net/

EP
"JOVEN NAVEGANTE" (2012)
BG-5129
詳細→https://www.m-camp.net/

Distributed by MUSIC CAMP, Inc. www.m-camp



SEIHOU
Abstraktsex

DAY TRIPPER

Interview Amazon

 勢いが止まらない! そして夏休みは終らない! 先月インタヴューにてele-kingにも登場してもらったSeihoのセカンド・アルバム、『ABSTRAKTSEX』リリース・パーティーがすごいぞ。ゲストにはUltrademonが参加! Seapunkがモニターを飛び出す! 迎えうつゲスト勢も、tomadからAvec Avecら盟友がズラリと一同に会した豪華な布陣。いま彼らのまわりに何が起こっているのか、目撃するチャンスは今日&明日。今年最高の「陸の海」へと、さあ、繰り出そう!


いよいよ今週! トロピカルなモチーフでファッションのトレンドにもなった10年代のネット/ユース・カルチャーを象徴する #Seapunk のオリジネーター Ultrademonが遂に日本へ初上陸!東京公演では新世代ビートメーカーの旗手Seihoのセカンド・アルバム『ABSTRAKTSEX』のリリパにゲスト出演!!

【Ultrademon Japan Tour 2013】

■8.16 (FRI) @ Circus Osaka with idlemoments
OPEN/START 18:00
ADV 1,500 yen / Door 2,000 yen (+1drink)

LINE UP:
Ultrademon
gigandect
Avec Avec
Terror Fingers (okadada+keita kawakami)
SEKITOVA
eadonmm
doopiio
kibayasi
Alice
?
VJ:
Tatsuya Fujimoto

FOOD:
カレー屋台村山ねこ

more info: https://idlemoments-jp.com

■8.17 (SAT) @ UNIT with Seiho ABSTRAKTSEX Release Party
OPEN/START 23:00 | ADV 3,000yen / DOOR 3,500yen

LINE UP:
[UNIT]
Seiho
Ultrademon
LUVRAW & BTB + Mr.MELODY
RLP
Taquwami
terror fingers (okadada & Keita Kawakami)
tomad
eadonmm

VJ:
ネオカンサイ
Kazuya Ito as toi whakairo

[SALOON]
Licaxxx
Redcompass
Mismi
Hercelot
FRUITY
andrew/Eiji Ando

more info: https://www.unit-tokyo.com


Co Laの新章 - ele-king


Co La
Moody Coup

Software / melting bot

Amazon

 〈ソフトウェア〉からのリリースとなったセカンド・アルバム『ムーディ・クープ』で格段に磨かれた感のあるボルチモアのプロデューサー、コ・ラ。〈NNAテープス〉、〈ソフトウェア〉といったアンダーグラウンドのポジティヴな熱量がこもったレーベルを拠点に、ジャム・シティやキングダムを擁する〈フェイド・トゥ・マインド〉などへも音楽的な橋をかけ、大きな飛躍を見せようとしている。今回の初来日では、「元ポニーテイル」という紹介がもはや不要となりつつあるギタリスト、ダスティン・ウォンとのコラボレーションが予定されていたりと、東京・大阪のそれぞれの夜を、次のシーンを築く個性的なアーティストたちがサポートする様も楽しみである。


昨年の〈100% SILK〉のジャパン・ツアーにつづく10年代のサマー・オブ・ダブ! 近未来のエキゾチカを描くUSアンダーグランドの鬼才Co Laが初来日!!

ニュー・エキゾチカ、 アヴァン・ラグジュアリー、 ファーニチャー・ミュージックと称された〈NNA Tapes〉からの怪作『Daydream Repeater』、最新作『Moody Coup』は近代エレクトロニック・ミュージックの旗手 Oneohtrix Point Never主宰、NYCブルックリンの新鋭レーベル〈Software〉よりリリース、トロピカルに土着的であり、モダンに都会的であり、シンセティックに未来的である、10年代エキゾチカの奥地へと突き進み、前人未到のダブの領域へと踏み込んだボルチモアの鬼才、Co La。未だかつてない温かくも冷たい至高のサイケデリア、インディ・ダンス、ディスコ、ダブ、アンビエント、ドローン、テクノ、インダストリアル、ハウス、ジューク、ベース、ビートなど、様々なジャンル、モード、文脈が入り乱れるネット/10年代以降の感性を結実させた新しい辺境の夏が始まる。

https://bondaid.jp

■C o L a J a p a n T o u r 2 0 1 3

■東京公演

BONDAID #1 8.2 (FRI) @ SECO Bar Shibuya Tokyo

Live: Co La, Dustin Wong, Co La x Dustin Wong - Ecstatic Sunshine -,
Sapphire Slows, Dream Pusher,

Dj: Cold Name, Mayu, sali, asyl cahier, SlyAngle

日程:2013年8月2日(金)
会場:SECO Bar Shibuya Tokyo
時間:OPEN 21:00 / START 21:00
料金:ADV & W/F 2500 yen | DOOR 3000 yen

詳細: https://bondaid.jp/post/52069137191/bondaid-1

主催:BONDAID
お問合わせ bbondaidd (at) gmail (dot) com

■大阪公演

OZ 8.4 (SUN) @ Club Circus Osaka

Live: Co La, metome, Eadonmm,
Dj: Keita Kawakami, Seiho, OZ crew

日程:2013年8月4日(日)
会場:Club Circus
時間:TBA
料金:ADV 2000 yen | DOOR 2500 yen

主催:OZ
お問合わせ https://oz-party.tumblr.com

詳細: https://bondaid.jp/post/52068939200/oz


vol.52:NYサマータイム・ブルース - ele-king

 夏、NYの野外活動は拡大する。サマーコンサート、サマーフィルムが毎日何処かで開催される。夏のショーは、ビッグネームでもインディ・バンドでも、フリーで野外ということも多いが、先週までのNYは天候が不安定で、コニーアイランドのチープトリックも(最高!)、リバーロックスのジェネレーショナルも、サマースクリーンも雨模様だったが、今週に入ると、マーサ&ザ・ヴァンデラスさながらヒート・ウェイヴが押し寄せ日中は98°F(=37℃)超え! 週末はみんなビーチに出かけ、夜からようやく外に出はじめる。普段ビーチに行かない著者も、先週はロングアイランドに行って、水に浸ってきた。そのままボードゲームにはまり、帰りの電車のなかまで続ける有様......


野外映画を観ている人たち。

 NYの夏の、野外映画も素晴らしい。ブライアント・パーク、イースト・リバー・パーク、ハドソン・リバーパークなどの公園で上映、日没になると人が集まりだす。知らない人たちが一同に同じ映画を見るのは可笑しいが、大体は、映画は関係なく飲んだり食べたりのんびり状態。なかには折り畳みいす持参で徹底的に楽しむ上級者もいる。子供向け、ファミリー向け、公園によって映画は違うが、『L・マガジン』が、毎夏ブルックリン、グリーンポイントのマカレンパークで開催するサマースクリーンが、インディ音楽ファンの心をついている。映画の前には、いまNYでホットなニュー・バンドがプレイするし、キュレーションはNYのアンダーグラウンド・ブッキングを代表するトッド・P。彼には去年、ブルックリンのインディ・シーンについてのインタビューしているので、未読の方はどうぞ

 参考までにサマースクリーン、今年2013年のラインナップ:

Wednesday, July 10
映画:キャント・ハードリー・ウェイト
音楽:SILENT BARN presents: Jeffrey Lewis and the Sunny Skies、Weed Hounds、Ganjatronics

Wednesday, July 17
映画:ピーウィーの大冒険
音楽:JMC AGGREGATE presents: Oberhofer, Lodro and Bueno

Wednesday, July 24
映画:ザ・クラフト
音楽:285 KENT AVE + AD HOC present: La Misma, Potty Mouth, Divorce Money (Dustin of Beach Fossils, Ren of Herzog Rising, Alex of Dream Diary)

Wednesday, July 31
映画:グーニーズ
音楽:DEATH BY AUDIO + ENTERTAINMENT 4 EVERY 1 present: Hector's Pets, The Numerators, Juniper Rising

Wednesday, August 7
映画:スピード
音楽:SHEA STADIUM presents: Hubble (member of The Men, Zs and Pygmy Shrews), GDFX (member of Liturgy, Man Forever and Guardian Alien)

Wednesday, August 14
映画:オーディエンス・ピック(オーディエンスの投票で映画が決まる)
音楽:MARKET HOTEL presents: Aa (aka Big A Little A), Amen Dunes

 トッド・Pのウェブ・サイトにもリンクが張られている、DIYブッカーたちがバンドをピックする。バンドはまだ若く日本ではほとんど知られていないが、このなかでは、Aa(ビッグエー・リトルエー)が大御所。彼らはライトニング・ボルトやライアーズあたりと良くプレイしている。映画もバンドも偏ってはいるが、このラインナップには少しチージー(良い意味で)な、現在のブルックリンが表されていると思う。ただ、最近のブルックリンは選択肢が多すぎて、結局どれにも行かないという人が増えている(著者の周辺情報)。
 たしかに、インターネットで音楽も聴け映像も見れると、バンドを知った気になってしまう。著者の場合、音楽業界周辺からの口コミや、普段の何気ない会話から生まれるサプライズに託しているが、ライヴに行きたいと思わせるバンド、それをオーガナイズするブッカーがやはり大事だ。そこで、DIYブッカーとしては少し規模が大きくなるが、NYとサンフランシスコにオフィスを持つパナシェがある。パナシェは、その名があるというだけで「見に行こう」と思える数少ないブッカーで、何十年も同じスタンスでいる。彼らがスペシャルでいれる理由は、所属バンドの質と、パナシェだったらという信頼、パナシェ・チームが考える人とのつながり。
 そこで、代表のミシェルに、パナシェ、NY、ブッキング他、彼女が興味のあることまで、ランダムに語ってもらった。彼女のパーソナリティにも注目してほしい。

ミシェル (パナシェ・ブッキング)インタヴュー

取材に応えてくれたパナシェ・ブッキングのミシェルさん。
取材に応えてくれたパナシェ・ブッキングのミシェルさん。

自己紹介をお願いします。NYの音楽業界で働いてどれくらいになるのでしょうか。

ミシェル(M):私はミシェル・ケーブルです。北アメリカのおよそ120バンドのブッキングを扱うタレント・エージェンシーのパナシェ・ブッキングを経営しています。オフィスはブルックリンとサンフランシスコにあり、音楽業界で働いて15年になります。パナシェはファンジンとしてはじまり、私は地元のカリフォルニア、ユリイカのプロモーターになり、1年で約100本のショーをブックしました。最終的に私が尊敬するアーティストのツアーをブッキングすることになり、パナシェ・ブッキングを設立しました。

NYには何年、どこに住んでいますか? NYに住むこと、近所を紹介してください。

M:ブルックリンのグリーンポイントに6年住んでいます。マンハッタンに行くL線とクイーンズとサウスブルックリンに行くG線が走るふた駅へは数ブロックです。近辺はポーランドとイタリア人が住んでいて、家族的な雰囲気で、バーやレコード屋、ライヴハウスがたくさんある、ウィリアムスバーグにも面しています。このエリアは数年で、大きく変わりました。私はNYが好きで、6年経ったいまでも、毎日が映画のようにインスパイアされる瞬間でいっぱいです。その角に何があるか、普通の人びとに驚かされたりと予想がつきません。人は都市の脈で、24時間エネルギーを感じます。ここで強く支持のあるコミュニティを発見し、素晴らしいコラボレーションに繋がって行きました。

いまパナシェでブックしているメインのバンドは?

M:タイ・シーガル、ジ・オーシーズ、マック・デマルコ、ザ・メン、ブリーチド、クール・キース、DJジョナサン・トゥビン、ミカル・クロニンなどです。

どれぐらいの割合でショーに行きますか? 最近で面白かったショーは? 人びとは昔に比べて音楽を見に出かけていると思いますか?

M:時期やツアー時もよりますが、週に2、3回。最近の良かったショーは、NYのリンカンセンターでの、$100を賞金としたダンス・コンテスト、DJジョナサン・トゥビン・ソウル・クラップ&ダンス・オフです。R&Bシンガーのヤング・ジェシーがオープニングで、観客が、7インチのソウル・レコードをヘッドフォンで聴く、初の無音ディスコ・ソウル・クラップでした。歴史的な会場のリンカン・センターなので、老若男女が音楽に合わせてお尻を振っていました。ヘッドフォンをとったら、人が音のないリズムで踊っているのでかなり面白かったです。ライヴ音楽はもちろん、私はダンスとふたつの世界を繋げるのが好きなので、人びとのつながりを強くするこういうイヴェントをもっとやりたいです。人は、まだよく出かけていると思いますが、大多数の人は、小さなインディショーに行くより、フェスティヴァルなどの大きなショーに行くのを好むと思います。

NYで好きな会場はありますか?

M:ブルックリンのディス・バィ・オーディオはまだホームを感じます。200人ぐらい収容できるウィリアムスバーグの真んなかにあるDIYクラブで、壁がカラフルなアートワークで覆われていて、スタッフも家族みたいです。この地上げ地域で、生き残っている数少ないアンダーグラウンド会場で、いつでも良いショーがあると信頼出来るし、音設備も上々で、毎回ショーのレコーディングをしています。他の会場では、ブルックリン・ボウル、マーキュリー・ラウンジ、ユニオン・プールなどです。

どのようにパナシェでブックするバンドを見つけるのですか?

M:大体は、他のバンドを通してか、一緒に働いている人からの推薦です。たまにCMJ、SXSWなどの国際フェスティバルで発見することもあります。

前と比べて、今年のNYの音楽シーンはどう変わっていますか? 注目の会場があれば教えてください。

M:NYのDIYやアンダーグラウンドの会場は閉まったり、立ち退きを強要され、リーズナブルな場所に引っ越しています。いろんな新しい場所ができていますが、NYは大きいので、まだ自分が楽しんで仕事ができる会場があると感じます。

情報を交換したりなど、音楽業界の人と遊んだりしますか?

M:NYの良いところは、アートや音楽において、刺激を受ける人たちに囲まれていることです。回転ドアのように、入れ替わり人がやってきて、Eメールで話していた人に簡単に会え、関係を発展させたり、コラボレートするには良いところです。たくさんのことがはじまっては終わり、いつでも素晴らしいアイディアが生まれています。私は、レーベル、ブッカー、PRの友だちがたくさんいるし、NYに住んでいるバンド、ザ・メン、ティーンガール・ファンタジー、マーニー・ステーン、マック・デマルコ、ジュリアナ・バーウィック、ジョナサン・トゥビンなどと仕事をしているので、NYに住むことはエージェンシーの軌道を早めてくれます。

過去にDMBQ、あふりらんぽなどをブックしていましたが、日本の音楽シーンはどう見ていますか? 新しい日本のバンドでブックしたいバンドはいますか?

M:エージェンシーをはじめたとき、半分が日本のバンドでした。サンフランシスコに住んでいたときに、DMBQ、 あふりらんぽ、ワツシ・ゾンビ、キング・ブラザーズ、ハイドロ・グル、ルインズなどの日本のバンドに会いました。DMBQは、9~10年前のSXSWで、関係を発展させ、自分でニッチェなブッキングの世界を作り、日本のサイケやノイズ・バンドを北アメリカに連れてきました。日本にはDMBQのツアーで2回行き、ある日本のバンドの北アメリカでのツアー・マネージャーもしました。いまはDMBQ、キング・ブラザーズ、そして少年ナイフやバッファロー・ドーターと仕事をしています。

最近、著者が発見する面白いバンド(ソフト・ムーン、ソニー・アンド・ザ・サンセッツ、リトル・ウィング)は、西海岸のバンドが多く、NYは少ないのですが、どう思いますか?

M:ザ・メン、ジュリアンナ・バーウィック、マーニー・ステーンなど、NYにもまだまだ良いアーティストやバンドがいますよ。私は、そのなかの最高のバンドと仕事できることを幸運に思っています。いま、パナシェに所属するバンドは、タイ・シーガル、オーシーズ、ホワイト・フェンスなど、西海岸のバンドが多いです。そこは、明らかにエキサイティングなことが起こっていると思えますが、NYは面白いバンドが来るまでの、凪状態にあると思います。しばらくのあいだは、オーディエンスをインスパイアできる面白く楽しいイベントをキュレートしようと思ってます。

パナシェのこれからの予定を教えてください。音楽以外の事柄や付け加える事があれば是非お願いします。

M:パナシェはあっという間に大きくなりましたが、これからも、オーガニックに行きたいと思います。選ぶバンドは特別で、量より質に集中しています。LAにオフィスを構えたり、オーストラリア、中国、日本、南アメリカなど、海外でのブッキングも考えています。パナシェがはじめた、ブルーズ・クルーズ・フェスティヴァルなどのフェスティヴァルも、もっとキュレートしていきたいです。その他、何人かのミュージシャンの管理もはじめました。アートショーをキュレートしたり、音楽業界代表として、海外のスピーキング・ツアーに参加したり、NYUなどの大学で講義をホストしたりもしています。
 音楽以外では、1年に1回トロピカルなビーチを見つけるようにしています。旅は、私にとって別の情熱なので、音楽に関係なく、最低でも1年に1回は休暇を取るようにしています。次は、この冬にジョシュア・ツリーに行く予定です。
 もうひとつ付け加えたいのは、何年か前にNYで、悲劇の車の事故で亡くなってしまった、DMBQと少年ナイフのドラマーで、私の最愛の友だち、チャイナへ。彼女は、私が見たなかで、最高の素晴らしいドラマーで、最高に美しく、親切で、ゴージャスで、知り合いになれたことを光栄に思っています。チャイナ、あなたがいなくて寂しいです。

 パナシェ・ブッキング:www.panacherock.com

 東京の幡ヶ谷にある異空間「LOS APSON?」が恵比寿リキッドルームの〈KATA〉で、大々的にTシャツ販売大会を実施する。これがとんでもないメンツだ。日本のストリート・カルチャー/アンダーグラウンド・シーンの総決起とも言えるような内容になっている。本格的な夏に向けて、Tシャツを買うならいましかない。そして、少数しか作られない格好いいTシャツを探すなら、ココに行くしかないでしょう。坂本慎太郎のzeloneのTシャツから五木田智央、ヒップホップのWDsoundsやBLACK SMOKER RECORDS、COMPUMA等々、「LOS APSON?」から送られてきた以下の資料をじっくり読んで、その参加者の膨大なリストに驚いて欲しい。

(以下、資料のコピペです)

 白い~マットのジャングルにぃ~、今日もぉ~嵐が吹き荒れ~るぅ~♪ということで、おまんた?アゲイン!!! 今年2013年も"T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!!"の季節が、遂にやってまいります! 回を重ねるごとに出品参戦者も続々と増え、闘魂バトル・デザイン壮絶!あの手この手のアイデア空中殺法!Tシャツのみならずの場外乱闘!十六文キックに卍固め、サソリ固め、ラリアットに、バックブリーカーに、スピニング・トーホールド、そしてマイナーな?決め技、人間風車まで飛び出す始末!!!(なんのこっちゃ...暴走しすぎ。。。) そんな、ストロング・スタイルから金網デスマッチまでをも網羅したような総合格闘Tシャツフェアが、この"T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2013"なんですっ!!! そして今年は、なんと!なんと!あの革新邁進画家!大竹伸朗氏(宇和島現代美術)が、バ・バ・バーーーンと遂に参戦決定!!! Tシャツ虎の穴から大本命現れる!みたいな感じで、オジッコちびりぞぉーーー!!! Tシャツフェア参戦者達をゾクゾク・ビンビンに震撼させています! 我がロスアプソン・チームは今回、開店当初からお付き合いさせて頂いているSAMPLESSさんにデザインを入魂オーダー!めちゃんこカッコイイ(自我自賛!)3パターンのTシャツを取り揃えました!!! こりゃ、Tシャツフェア史上における記念メモリアルイヤーになりそうです!!! さあ~それでは、そんな特濃3日間に無くてはならないDJミュージック・プレイヤー達を紹介してまいりましょう! 初日は「GRASSROOTSな夜ぅ~」と題して、"ミュージック・ラバー・オンリー"を掲げるGRASSROOTSのオーナーINSIDEMAN a.k.a. Qと、MIX CD「Crustal Movement Volume 02 - EL FOLCLORE PARADOX」も好評のワールド・パラドックス・ハイブリッド・ミキサーShhhhh、そして女性アーティスト集団WAG.からオヤG達をも唸らせる選曲ムードを醸すLIL' MOFOが参戦! 中日は、酔いどれトロピカル・ハウス・パーティー「細道の夜ぅ~」で、Tシャツフェアでも毎年大人気!お馴染みの373&DJ DISCHARGEと、ALTZのレーベルALTZMUSICAからリリースしたMIX CDが早々に完売したマジカル・オーガニック奥様bimidoriの細道トリオが集結! そして、最終日は異種格闘バトルよろしく、トリップ・ストレッチングMIX「UNWOUND MIX」が大ロングセラー中のBING、ぶっトバしにかけては現在最高峰のDJ!アシッド夢芝居テクニシャンのKEIHIN、キュートなサイケデリックHIP HOPにファン急増中のDJ Highschool、そして私ロスアプソン店主ヤマベの4人にて、一時間ごとにムードがガラリと変貌するミル・マスカラス的?異空間を楽しみながら、Tシャツ争奪に参戦して頂ければ幸いです!!! 3日間の会期中はTime Out Cafe & Dinerスペースにて、お食事&喫茶&お酒を飲んだり出来るのですが、最終日には、ロスアプソン西新宿店時代に毎日モニターで流していたPOP実験映像、'80sブレイクダンス、レア・ベルベッツ、あるバンドの解散コンサートetc.を収録した伝説の?7時間ビデオの特別上映もありますので、お買い物参戦に疲れたらダラリとそちらの方も鑑賞してみて下さい。さあ!さあ!さあ!ゴングが打ち鳴らされる時が迫っています! 今からしっかりと準備万端、走り込み&うさぎ跳びなどをして体力をつけて、ご来場下さいませっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(山辺圭司/LOS APSON?)

2013.6.28 (fri) ~ 30 (sun)
at KATA
(東京都渋谷区東3-16-6 LIQUIDROOM 2F)
https://www.kata-gallery.net/
open 15:00 close 22:00
Entrance Free!!!

〈参加アーティスト/ブランド〉
LOS APSON?, 宇和島現代美術(大竹伸朗), 五木田智央, SAMPLESS, zelone records, SEMINISHUKEI, Vicinity, DJ Discharge, 373, KIZM, GRASSROOTS, KLEPTOMANIAC, JOJI NAKAMURA, 86ed, BLACK SMOKER RECORDS, HE?XION! TAPES, THE GODS ARE CRAZY, SONIC PLATE, COLORgung, DMB PRODUCTION, DREADEYE, PARANOID, COSMICLAB, COMPUMA, hentai 25 works, MANKIND, Ackky, 威力, TACOMA FUJI RECORDS, TARZANKICK!!!, TOGA, TRASMUNDO, BOMBAY JUICE, BREAKfAST, BATH-TUB OffENDERS, MGMD KRU, 2MUCH CREW, chidaramakka by syunoven, 大井戸猩猩, 植本一子, VINCENT RADIO, WACKWACK, WDsounds, WENOD RECORDS, WOODBRAIN/水面花木工, word of mouth, Akashic, BLACK SHEEP, 4L, chill mountain, DEATH BY METAL / galeria de muerte, ESSU, ExT Recordings, FEEVER BUG, 2YANG, 37A, FORESTLIMIT, GEE, KEN2-DSPECIAL, MAGNETIC LUV, MidNightMealRecords, MOWHOK ART SHOP, nightingale, noise, SLIMY MOLD HEAVENS, SpinCollectif TOKYO, STRANGER, SUMMIT, TUCKER, LIQUIDROOM and more!!!

〈追加アーティスト/ブランド〉※6月22日現在
コトノハ, dublab.jp, STRUGGLE FOR PRIDE, INDYVISUAL, ヨロッコビール, DogBite, amala, 前田晃伸, RWCHE, SWOW Backshelter Lab.

〈DJ Time/17:00~〉
6.28 fri
「GRASSROOTSな夜ぅ~」
DJ: INSIDEMAN a.k.a. Q, Shhhhh, LIL' MOFO

6.29 sat
「細道の夜ぅ~」
DJ: 373, DJ DISCHARGE, bimidori

6.30 sun
「異種格闘でバトルな夜ぅ~」
DJ: BING, KEIHIN, DJ Highschool, ヤマベケイジ

more information
https://www.losapson.net/tshirtfair/
https://twitter.com/losapson



Takako Minekawa & Dustin Wong - ele-king

 ポニーテイルは静かではないやり方でドリーム・ポップを追求したバンドのひとつだ。こう書いても違和感はないのではないかと思う。
 スタイルとしてはとてもノイジーでエクスペリメンタル。ライトニング・ボルトに比較され、ダン・ディーコン、ジャパンサー、デス・セットなどボルチモアのローファイ勢たちとともにシーンを刺激した存在だった。彼らと同軸で評価され愛されたノー・エイジ、メイ・シ、エイヴ・ヴィゴダら〈スメル〉周辺のアーティなパンク・バンドたちとも近い感覚がある。かつ、ギターのダスティン・ウォングが参加する別プロジェクト、エクスタティック・サンシャインは、アニマル・コレクティヴとも縁の深い〈カー・パーク〉からリリースがあったりもする。つまりはうるさくて、カラフルで、テクニカルで、実験的で、しかしめいっぱいドリーミーなサイケデリアを恃むバンドである。後期2000年代のインディ・ロックのひとつのモードを象徴する、忘れがたい面影がある。

 そのギタリスト、ダスティン・ウォング初のソロ・アルバム『インフィニット・ラヴ』がリリースされたのは2010年。〈スリル・ジョッキー〉からのリリースだったが、国内盤の帯が秀逸だった。「エフェクターの魔術師」......けっして「音色オタク」に矮小化されるべきでない才能を持ったウォングだが、「魔術師」の語感には彼の提示する色彩豊かな音の世界と、それを自在に操ることのできるテクニック、そして何より「魔術」――ここにあるものをここにないものへと塗り替えてくれる彼の音楽がきれいに集約されている。手に取った方はそのアーティスト・イメージに納得したのではないだろうか。マーク・マグワイアの『リヴィング・ウィズ・ユアセルフ』が同年だが、彼らの作品は久々にシーンをソロ・ギタリストという存在へ振り向かせた(マーク・マグワイヤには「ここにないもの」ではなく、ひたすらここにあるものしか見つめないという美しい対照があるけれども)。

 そして嶺川貴子との共作となる本作『トロピカル・サークル』がリリースされた。嶺川自身は13年ぶりの作品となるそうだが、彼女のファンでもあったというウォングから柔らかく詩情を引き出している。『インフィニット・ラヴ』はひとり遊びのフィーリングがあった。ひとりぶつぶつと、子どもらしい偏執をもってひとり遊びつづけるその手元口元から、すばらしい彩りが漏れでてくる......「咳の子のなぞなぞあそびきりもなや」(中村汀女)の「咳の子(風邪をひいた子)」のように、ひとりできりもなくギターと戯れているようなあの作品を、嶺川はもしかしたらこの句に出てくる母親のような気持ちで耳にしていたかもしれない。姉でも祖母でもかまわないが、咳の子につきあい、その問いに答え、また問いを投げるように、ひとり遊びにそっと介入し、寄り添うように感じられた。この共作には、そのように繊細な力関係が働いている。お互いがお互いのゲスト・ミュージシャンになるわけでなく、それぞれの役割があり、それぞれが合目的的にふるまいながら、互いを資するような関係。本作においてギターと声とはそのように溶け合い離反しながら存在している。散漫な集中力ともいうべきだろうか、くるくると方向や対象を変えながら伸びつづけるウォングのギター・ワークは、今作で対話的な空間へと引き出され、前作では天へと向かっていった旋律は、水平方向に広がることになった。
 日本語の音節感覚もとても合っているのかもしれない。「からだを電気のように唄わせる」("エレクトリック・ウィーヴ")が「か・ら・だ・を・で・ん・き・の......」と一語を一音に対応させるように歌われ、そのあとを輪唱のようにギターが追いかける展開は、まさにひとり遊びがふたり遊びになる瞬間の優しい喩であるように響く。さまざまに挿入されるサンプリング等についても、どのようなプロセスで加えられていったのかわからないが、不整合なものは感じられない。ドリーミーであることはときに他人の介入を拒んで閉塞を選ぶけれども、ダイアローグによって入口が確保された夢というものもあるんだなと思った。

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