「PAN」と一致するもの

interview with Michael Rother - ele-king


Harmonia - Musik Von Harmonia
Brain/Grönland/Pヴァイン

Krautrock

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Harmonia - Deluxe
Brain/Grönland/Pヴァイン

Krautrock

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 クラウトロック、あるいはジャーマン・エレクトロニク・ミュージックの最重要人物の一人であるミヒャエル・ローターが、去る7月末に来日公演をおこなった。
ローターは70年代初頭、結成されて間もないクラフトワークにギタリストとして短期間参加した後、同じくクラフトワークでドラムを叩いていたクラウス・ディンガーと共にノイ!を結成。“ハンマー・ビート”と呼ばれる剛直な8ビートを軸にしたパンキーなサウンドはクラウトロックの一つの象徴的モードとして、後のパンク~ニュー・ウェイヴに絶大な影響を与え、更に90年代以降のクラウトロック再発見/再評価のきっかけにもなった。
 ローターはまた、ノイ!での活動と並行してクラスター(ディーター・メビウス&ハンス・ヨアヒム・レデリウス)と共に結成したハルモニアでも活動。ポップでパンクでストレンジでアンビエントなそのエレクトロニク・サウンドは、80年代から今日に至る様々なスタイルのエレクトロニク・ミュージックに影響を与え続けている。ローターの業績に対するリスペクトを公言するミュージシャンも、古くはブライアン・イーノから近年はステレオラブやエイフェックス・ツイン、オウテカに至るまで、枚挙にいとまがない。
 ローターは、ハルモニア解散後はソロ活動に専念し、たくさんのアルバムを発表してきたが、特にここ数年、ノイ!やハルモニア時代のレパートリーを中心にしたライヴ活動が増えているのは、クラウトロックに対する若いリスナーたちの関心と評価がますます高まっている証でもある。今回の日本公演を企画したのがクラウトロックのテイストを受け継ぐ前衛ロック集団オウガ・ユー・アスホールだったことも、実に納得がゆく。ドラムのハンス・ランペ(ex.ノイ!~ラ・デュッセルドルフ)、ギターのフランツ・ベルクマン(ex.カメラ)とのトリオ編成によるそのライヴでは、ノイ!やハルモニアの名曲がふんだんに演奏され、会場につめかけた新旧クラウトロック/エレクトロニク・ミュージック・ファンたちを熱狂させた。
 おりしも『フューチャー・デイズ~クラウトロックとモダン・ドイツの構築』日本版も出たばかりというジャスト・ミートなタイミングでの本インタヴューがおこなわれたのは、東京でのライヴ直前の楽屋。時間が短かったため、ハルモニア結成あたりで話が終わってしまったのは残念だが、ほぼノーカットで、“クラウトロック大使”ミヒャエル・ローターの貴重な肉声をお届けしよう。

当時は音楽だけではなく、芸術や映画、さらに政治や社会制度でも大きな変化が起こっていた。私の成長をそのような変化と切り離すことは不可能だ。私は“変化の暴力”とでも言うべきものに強く影響されたんだよ。

近年、ライヴでノイ!やハルモニアの曲を積極的にやっているようですが、どういう理由からですか?

ミヒャエル・ローター(Michael Rother、以下MR):まずは、それらの曲を演奏することが楽しいというのが第一の理由だ。あと、音楽に対する私の考え方が昔から変わっていないというのもあるね。いや、少しずつ変わってはいるんだげど、それが円を描くように元の場所に戻っていく様子を、違った場所から眺めているとでも言うか……。私の場合、時にはより抽象的な音楽を好むし、メロディやリズムにより強い関心が向かうこともある。近年は、実験を更に重ねる必要性を感じているんだけど、オーディエンスたちは、速くリズミカルなビートを求めているように思える。まあ私も最近はそういったものも好きなんだけどね。

昔の曲を演奏してほしいというリクエストが、プロモーターやファンから直接あるんですか?

MR:ない。それはあくまでも私が決めたことだ。だけど、ノイ!やハルモニアの曲をやると告知すれば、どんな感じのショウになるのかオーディエンスたちにとってイメージしやすいよね。だから昔の曲をやるとあらかじめ発表している部分もある。

ノイ!やハルモニアは90年代以降に再評価のムーヴメントが興ったわけですが、その背景にはソニック・ユースやステレオラブのリスペクト宣言の効果もあったと思いますか?

MR:うーん、それはわからないけど(笑)……確かに、私たちは80年代には一旦忘れ去られた存在であり、90年代にはノイ!について話しているドイツのミュージシャンなんて誰もいなかった。でも、我々の音楽がCDや海賊盤によって世界中を移動した結果、ソニック・ユースやステレオラブといったバンド、あるいは『クラウトロックサンプラー』(95年)を書いたジュリアン・コープなどのミュージシャンがその音楽を聴いてくれた。特にジュリアン・コープの本は、大きな衝撃をもたらしたと思う。理由はわからないんたけど、ずっと、ドイツのジャーナリストは私たちのようなミュージシャンに対する理解がなかったし、誇りにも思ってなかった(笑)。そういう状況の中、「あなたの音楽は素晴らしい」と外部からやってきた人間に言われたわけだ。ノイ!のアルバムが2001年に〈Gronland Records〉から再発されたのは、大きな一歩になった。それら再発アルバムはそれまで以上にたくさん売れたわけで。
当時は、Eメールやウェブ・サイトなど、コミュニケイションにおいても大きな変化が見られた時期で、世界中の人々と直接連絡をとれるようになった。今や私はフェイスブックだってやっているからね。もっとも、更新にはさほど時間をかけているわけじゃないけど。たとえば東京でライヴをすることになったら、その報告をする程度で。自分の朝食にコンプレックスがあるので、それをフェイスブックに載せるなんて、とてもじゃないができない(笑)。

90年代にはステレオラブが盛んにノイ!的なサウンドをやって人気を集めたわけですが、当時、クラウス・ディンガーはそれに対して怒っていましたよね。つまり、「おれたちのサウンドが盗まれた」と思っていた。あなた自身はどう思っていましたか?

MR:友人がステレオラブのライヴに連れて行ってくれたことがあった。私はそれまで彼らを聴いたことがなかったので、演奏が始まると「あれ? これは自分の曲かな?」と思ってしまったんだ(笑)。それはそれで面白いけどね。どんなミュージシャンも情報に晒されているので、そこから影響を受けることもあるし、むしろ影響に身を任せてしまった方がいろいろと楽なこともあるとは思う。
でも、私はそうじゃないんだ。ずっと、周囲とは違うことをやりたかったし、誰かのコピーではなくオリジナルになりたかった。だから私が満足することなんて、これからも決してないと思う。他人から「君のアイディアは20年前に別のミュージシャンがやっていたよ」なんて言われた日には動揺してしまうよね(笑)。もし音楽を作るのが好きなら、その創作活動のアイディアは、「なぜ音楽を作るのか?」というところからくるべきだ。そして心や空間に漂っているメロディやリズムを拾い上げる。そういうことをしないで、誰かのモノマネをするなんてけっしてやってはいけないことだと思っている。
私が音楽を始めたのは激動の時代だったので、新しいものを作ることによって自分自身の音楽的アイデンティティを獲得するのは自然なことだったんだ。当時は音楽だけではなく、芸術や映画、さらに政治や社会制度でも大きな変化が起こっていた。私の成長をそのような変化と切り離すことは不可能だ。私は“変化の暴力”とでも言うべきものに強く影響されたんだよ。
とはいっても、私が作った音楽に誰かが反応してくれるのは率直に嬉しいものだよ。オアシスやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのような人気バンドまで関心を持ってくれているわけだしね(笑)。その結果、ある日、ジョン・フルシアンテに会ってセッションをして、ステージにも一緒に立つことになったわけで。共演がどんな感じになるのか最初は見当もつかなかったけどね。私だって、他のミュージシャンからインスパイアされることは大歓迎だ。いつも、新しいものを作るべきだと思っているからね。


photo: 松山晋也

ジミ・ヘンドリクスやビートルズを繰り返すことはまっぴらごめんだったんだ。とにかく違うことがしたいと、いつも意識していた。

最近の若者たちが、ノイ!やハルモニアのようなプリミティヴなロック・サウンドに魅せられるのはなぜだと思いますか?

MR:それは、どうして音楽が好きなのかを尋ねるようなもので、とても難しい質問だな(笑)……でも、ちゃんと答えるなら……その楽曲がある特定の状況に結びついているものだからだと思う。私たちはゼロから物事を始めなければならなかった。音楽に対するラディカルなアプロウチをもってして、アメリカやイギリス的な構造を持つ音楽的過去から脱却する必要があった。つまり……「OK、いったん全部をぶっ壊そう。そして小さなかけらを拾い集めて、新しい方向に向かい、新しい音楽を始めよう」という具合に。ジミ・ヘンドリクスやビートルズを繰り返すことはまっぴらごめんだったんだ。とにかく違うことがしたいと、いつも意識していた。私は昔も今も、他の音楽に対しては敬意を抱いている。でもそれは私の音楽じゃない。私のラディカルさが若い人々に魅力的に映るかもしれないのは、こういった姿勢がいつの時代でも生じうるものではないからじゃないかな。
たまに「これはノイ!やハルモニアにそっくりじゃないか !?」と思う曲に出会うけど、それが先週録音されたものなのか、はたまた15年前の作品なのか知る由はない。なぜならそれは、音楽の発展の時間軸とは切り離されているものであり、私のしてきたこととは違うまったく新しい一歩だからだ。特定の時代の音楽のテイスト、さらにはファッションなどから切り離された独自性があり、新鮮に感じる……そういった曲を作る若者たちが、私の作品を聴いてくれているのは嬉しい限りだね。だいたい、自分と同世代の人間にしか音楽が届かないのは悲しいことだし。

70年代初頭にクラフトワークに加わる前、あなたはいくつかアマチュアのバンドをやっていましたよね。スピリッツ・オブ・サウンドその他。当時は主にどのような音楽をやっていたんですか?

MR:私は65年にバンド活動を始めたんだが、その頃はまだギターを始めて1年くらいしか経ってなかったし、みんながみんなイギリスの音楽に夢中になっていた。ヒーローは言うまでもなくビートルズやストーンズだったから、私たちも進んでコピーをしていた。それを2~3年続けていくうちに、自分たちが何をやっているかがわかるようになり、即興演奏をするようになったんだ。そこから自分たちのアイディアを自由に持ち込むようになり、70年代に入る頃にはかなりの変化を遂げていた。あと、サイケデリック文化の影響などもあったよね。ひとつはっきりしているのは、そこにはいつも壁があったということだ。他人の音楽やポップ・カルチャーから引用してきたアイディアをいくら使っても、その壁の向こう側へは到達できなかった。つまり、そのドアを開けるために、いったん自分たちのやっていることをやめなければならなかったというわけだ。

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私たちは、白紙を前にしてその場でいきなり描き出す画家のようなものだった。

60年代から70年代半ばにかけて、他の国と同じように西ドイツはとても政治的な時代でした。ドイツのロック・シーンにも政治に積極的にコミットしていた人々が多くいましたが、あなた自身の立場はどうでしたか?

MR:当時のミュージシャンたちに比べたら、私は若手だった。特に60年代後半なんか、どこに顔を出してもみんな年上だった。でも、その時点で私は明確な政治的意見を持っており、具体的にはヴィリー・ブラント(註:ドイツ社会民主党党首で、69~74年には西独首相)を支持していた。過去にナチス・ドイツはポーランドに侵攻したりしたわけだが、そういった歴史を乗り越えて、彼は東側の国々との和解を主張していた。ヴィリー・ブラントの前は保守政権だったが、彼らはワシントンしか見ておらず、西側の一部になろうとしていて、当然、東側は敵と見なされていた。そんな政治状況の中、ブラントは東側との協調をはかり、それが1970年の“ワルシャワでの跪き”(註:ワルシャワのユダヤ人ゲットー跡地でブラントが跪いて献花し、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺を公式に謝罪した)につながったわけだ。
私は学校を卒業した67年、当時義務だった兵役を拒否したんだが、その際、精神的な理由で銃を握れないことを証明するために、かなり厳しいテストを受けさせられた。それは、私の発言に矛盾がないかを検査する試験官を前にして、文章を書いていくというものだった。その時、試験官と激しい口論をしたのを憶えているよ。「君の意見にはまったく説得力がないが、もう行ってよろしい」と最後に試験官は言い放った。それで兵役を逃れる代わりに、精神病院で働くことになったんだ。あの体験は、私の人生でとても重要な意味を
持っている。
また、冷戦からの影響も避けては通れない。あの当時は、戦争の悪夢をよく見たものだ。ベルリンは、文字通り分断されていたし、80年代にソ連のゴルバチョフがグラスノスチやペレストロイカを唱えるまで、本当に何が起こるかわからない状況だったから。私はハルモニア時代(70年代半ば)にドイツの片田舎のフォーストに引っ越したんだが、とても綺麗な風景が広がっていたにもかかわらず、上空では戦闘機が飛び交っていた。彼らはレーダーに映るのを避けるために、家の屋根すれすれのところを低空飛行していて、その騒音は想像を絶するものだった。ほぼ毎日だよ。それを耳にした子供たちは泣き叫び、動物たちは暴れまわり……。街には戦車が列をなしていたし。いつでも臨戦態勢なんだ。そんな時代が終わった時、本当に嬉しかった。とにかくいつも、保守政党やその政策とは対極的
なところに私の考えは位置していたんだ。

その精神病院での雑務時代に、カンやアモン・デュールが登場してきました。当時、彼らの音楽をどのように感じていましたか?

MR:当時、私のガールフレンドはカンを知っていたんだが、私は知らなかった(笑)。その後、クラフトワーク時代にカンとは何回か一緒にコンサートをやったけどね。ヤキ・リーベツァイトは素晴らしいドラマーだと思う。彼のリズムの流れが本当に大好きなんだ。他には……(笑)いずれにせよ、バンドそのものもポジティヴに捉えていたよ。ただ当時は斜に構えがちで、自分たちはカンとは違うと思っていたけどね。

クラフトワークのラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダーに初めて会った時の印象はどうでしたか?

MR:クラフトワークについても、それまでは全く知らなかったんだ。知り合いのギタリストが、クラフトワークで演奏してくれと彼らに頼まれ、私も一緒に付いて行くことになった。「どんなバンドか知らないし、変な曲だなぁ。おまけに名前は“発電所”か(笑)。まぁ、行ってみよう」くらいの軽い気持ちだった。それがきっかけで、ラルフ・ヒュッターとジャムをしながら曲を作るようになったんだ。それまで私は、あまり他のミュージシャンには共感を覚えなかったんだが、彼らは違った。自分は一人じゃないんだな、と思えた。クラウス・ディンガーはフローリアン・シュナイダーの音楽を聴いていて理解があったので、バンドに誘われたという流れだった。

ノイ!時代、そのクラウス・ディンガーとあなたの間には常に衝突があったとファンの間では言われてきました。ですが、最近日本版も出た『フューチャー・デイズ』の中で、あなたは、クラウスとは音楽的ヴィジョンが完全に一致していて、いつも同じ方向を向いていたと語っています。その共通していたものを言葉で説明することはできますか?

MR:それはとても直感的なものだ。私たちは音楽について議論することも計画を立てることもなかった。やりたいことがあったら、すぐに試していた。結果的に、お互いのやり方が好きだったし、周りにもそれが認められるようになった。そして完成したのがノイ!のファースト・アルバムだ。たとえるならば、私たちは、白紙を前にしてその場でいきなり描き出す画家のようなものだった。現代のミュージシャンたちはテクノロジーの発達もあり、簡単に準備ができまるけど、私たちは準備なんてしたことがなかった。事前に決めることといえば、「今からEメジャー・スケールの長い道を走るぞ」くらいだった(笑)。それで経過を見ながら色を足していくわけさ。作業を進めながら、今何が起こっているのか、これからどうすればいいのかがわかってくる。つまり、常に作業中の状態だった。だからこそ、コニー・プランクがノイ!のチームに加わったのは大きかった。彼には、作品に適した瞬間を捕まえる能力が備わっていたし、説明せずとも私たちがやろうとしていることを感じて理解してくれたからね。彼はどんな実験にも前向きで、私たちと同じくらいクレイジーで、クラスターやクラフトワークとの仕事も喜んでやっていた。彼がいなかったら、ノイ!の作品はありえなかったと思う。

今振り返ってみて、とりわけ際立っていたクラウス・ディンガーの才能は何だったと思いますか?

MR:私は、彼のパワフルなドラミングには強く感化された。クラウスはヤキ・リーベツァイトのように神がかった技術の持ち主ではなかったけど、彼の力強さには誰もが圧倒されていたよ。彼はマシーンのような存在で、ひとたび彼が音楽の中に投入されると、他のすべてが動き出すんだ。けれど、クラウスの先導力と決断力は、後に問題になることもあった。彼はけっして自分の見解や意図を説明しようとはしなかったからね。「なんで俺のやっていることをそのまま理解しようとしないんだ?」という具合だ。それに、私はクラウスの間違いを指摘することもできなかった。クラウスが亡くなった今、私は、彼の気難しさや意地悪なところではなく、その創造性に改めて注目するようになった。性格的には、私と彼は対極だ。クラウスは要求が強いし、あまり人を信用しなかった。そういったものが先天性なのか、両親との関係によるものなのかはわからないが、最終的には彼自身の才能の開花や私とのコンビネイションにも繋がっていった。かくして彼は、多くの人々にインスピレイションを与えるミュージシャンになったわけだ。


photo: 松山晋也

お互い影響されないことは不可能だよね。私たち3人はハルモニアの音楽を発展させることを大いに楽しんでいた。

あなたは73年の後半からクラスターの二人と一緒に本格的に演奏し始め、それはやがてハルモニアになったわけですが、彼らに初めて出会ったのはいつですか?

MR:あれは、私がクラフトワークと演奏していた71年だったね。二人がコニー・プランクと作業をしている時に知り合ったんだ。彼らの音楽を初めて聴いた時、私は希望を感じた。彼らと一緒だったら、(当時準備していた)ノイ!の曲をライヴでも演奏できるかもしれないなと思ったんだ。私とクラウスはデュオだったので、スタジオ・ワークの再現がうまくできず、サポート・メンバーを探していたんだ。それで私はギターを持って彼らの元へ行った。結果、ハルモニアは素晴らしいものになった(笑)。

あなたにとって彼らのサウンド、表現は、どういう点が特に魅力的だったんですか?

MR:まず耳を奪われたのは、『Cluster II』(72年)に入っている「Im Suden」という曲のメロディだった。(ハンス=ヨアヒム・)レデリウスによる、ギターの弦4本が奏でるリピート・フレーズの音程が素晴らしかったんだよ(笑)。それで彼らとはうまく作業ができると確信した。当時はまだギターでブルーズを弾くのが大多数であり、そういう類の音階を耳にする度に私は曲への関心を失っていた。今だってそうさ。1音でもそういうフレーズが鳴れば、「わかった、もうけっこうです」となってしまう(笑)。

レデリウスとディーター・メビウスも、かなり個性の異なるコンビですが、当時のあなたが受けた二人のキャラクターの印象はどのようなものでしたか?

MR:メビウスは前に出てくることはなく、後ろから状況を見極めるタイプだ。彼はまた、奇妙な音を追求していて、驚かせることのスペシャリストだった。レデリウスはもっとオープンで、一緒にメロディを書けるミュージシャンを探していた。レデリウスがキーボー
ドなどでメロディを反復させて、私がギターを重ね、メビウスが変な音を加える、といった形が多かったかな。
ただ、彼らのキャラクターを一言で説明するのは、とても危険だね。メビウスに関して言えば、彼と私はとても似ていると思う。亡くなる数週間前、彼は私の住むフォーストにやってきたこともあった。当時、私はハルモニアのボックス・セットの作業を進めており、メンバーの意向を確かめるためにメビウスの奥さんとレデリウスにアイディアをいろいろ送っていた。メビウスは(病気のため)ガリガリだったが、心は元気で、ユーモアも健在だった。だから彼の人柄を一言で言い表すなら、「ユーモア」を選ぶ。もちろん、私たちには違いもたくさんある。私は働くけど、彼は働きたかったことなんて一度もないはずだ(笑)。98年に、20年ぶりにメビウスからライヴに誘われた。スタジオに入り、最初の5分で機材をチェックし終えると、「じゃあ料理を始めるぞ」と彼は言った。つまり、彼は音楽で働くなんてことをしたがらなかったということだ。メビウスの才能は自発的な即興に特化していた。これははっきりしていることだが、私たちの音楽の作り方は兄弟関係のようなものだったんだ。

クラスターの二人とあなたが、互いに与えあった影響はどんなものだと思いますか?

MR:お互い影響されないことは不可能だよね。私たち3人はハルモニアの音楽を発展させることを大いに楽しんでいた。調子が良い時は、コンサートやスタジオで自発的に様々なアイディアが生まれた。あの一瞬一瞬は、3人揃って初めて生まれるものだった。ノイ!のようにスタジオのテクノロジーに依拠したものではない。3人の具体的な相互影響について語るのは、単純化してしまうかもしれないので避けたいが……ただ、私がリズムを彼らに与え、彼らはもっと抽象的な音楽へのアプロウチ方法を私に示してくれたとは言えるだろうね。

あなたは幼少期に数年間パキスタンで暮らしていましたよね。その体験は、あなたの音楽性にも深く影響しているように僕は感じているんですが、どうですか?

MR:その結びつきを明確にすることは難しいが……当時聴いた音楽はとても印象的だったね。単調だが魔術的で、どこで始まってどこで終わるのかがわからないエンドレスな音楽だった。路上で演奏していたバンドのことを今でもよく憶えている。けっしてヘビ使いの笛のようなものではなく(笑)、とても反復の多い音楽だったから、ノイ!の「Hallogallo」のような曲と直接的ではないけど、つながりがなくはないだろうね。私は今でもインドやパキスタンの音楽は好きだ。

あなたは猫も好きですよね。『Katzenmusik』(79年)というソロ・アルバムもあるし。猫のどういうところが好きですか?

MR:猫はミステリアスでインディペンデント、そして美しい。あと、猫は自分が友達になると決めた相手としか友達にならない。無理やり友達にならせることは不可能なんだよね。飼い主を尊敬してくれる犬とはまったく違う。そういう点に惹かれるんだ。

自分の音楽と猫に共通点があると思いますか?

MR:見当もつかないな(笑)。ただ、さっき君が言った『Katzenmusik』、あれはもちろん猫への愛から生まれた作品だ。少なくとも、猫はたくさんのインスピレイションを私に与えてくれる存在ではある。隣にいるとリラックスもできるしね。

BAD HOP - ele-king

 だいぶ騒がしいことになっている2016年の日本のラップ・シーンだけれど、上半期のミックステープのベストは3月に発表されたBAD HOPの『BAD HOP 1 DAY』に決まりで異論はないだろう。BAD HOPは9月15日に無料のフィジカルCDを配布開始することも発表していて、このぶんだと下半期も彼らがかっさらっていくこともありえる。そんな予断の根拠は、まずはaudiomacでフリー・ダウンロードできるこの『BAD HOP 1 DAY』の内容を聴いてみれば明らかなのだけれど、実は別に理由がある。それはある楽曲の不在だ。ある1曲がこのミックステープに収録されてない事実こそ、なによりもBAD HOPの寡黙な野心を物語っている。その曲とは、去年1年間かけて公開されたヴィデオ・シリーズ「BAD HOP EPISODE」のファイナルを飾った、“CHAIN GANG”だ。

 もしまだ観てないんだったらいますぐYouTubeにアクセスすることだ。たったの4分間。この数分間はひとまず、日本のハードコア・ラップが辿りついた最新の到達点であると言っていい。サウンドの由来はすぐにわかる。シカゴ南部のドリルだ。オーヴァードライヴぎみのシンセ・ブラス、無愛想に突きあげるベース、ひっきりなしに鳴り続けるスネアとハット。その音の洪水を泳ぐようにフロウする20歳そこそこの若者たち。最も歌声的なラップの身体化に成功したVINGO、硬軟あわせたラップのスキルという点では随一のTIJI JOJO、殺人的なファスト・ラップに緩急をつけてヘヴィなグルーヴを生み出すBENJAZZY。炎を吹きあげる川崎南部の工場地帯の夜景をバックにそれぞれのヴァースでぶちまけられるデッド・エンド感を、ウィードの煙にまかれたT-PABLOWの異常なほど楽天的なフックが不思議にアップリフトさせていく。

 サウンドもラップも映像も飛び抜けている。だがそれだけではない。「チェイン・ギャング(Chain Gang)」とは、かつて奴隷制の遺制が根強かったアメリカ南部、ひとつの鎖に足をつながれて強制労働に従事させられた囚人たちに由来する。それをかつてサム・クックが歌い、オーティス・レディングがそのソウルを引き継ぎ、ブルーハーツの真島昌利が「だから親愛なる人よ」と黒人詩人ラングストン・ヒューズの詩を引用しつつ、この極東の島国に持ち込んだ。ここで「鎖(Chain)」とは、アンビヴァレントなふたつの象徴を背負う。すなわち、社会的な抑圧と、それゆえの絆。

 自分たちを縛りつけ、自由を奪う鎖がそのまま、自分たちを固く結びつける絆である、ということ。この曲が奇跡的なのは、彼らがそのアンビヴァレンスを本能的につかみとっているからだ。「つながれているチェインを切るために」と生まれた街のしがらみからの力ずくの脱出を歌うBAD HOPは、だがまさにそこで育まれた絆を「この鎖は錆びない」と誇らしげにかかげる。その矛盾はそのまま、日本のハスリング・ラップの画期となったSCARSを生み出した地元、川崎南部への彼らの愛憎にシンクロする。自己嫌悪に似た激しい憎悪と、裏腹の強烈な縄張り意識。ナズにとってのクイーンズしかり、N.W.Aにとってのコンプトンしかり、ハードコア・ラップにおける地元(hood)とは、必ず抜けださなくていけない地獄であるとともに、けして他者に侵犯されてはならない聖域なのだ。ここで、フッドとは現代のユースの新たなアイデンティティの拠り所である、とのポール・ギルロイの言説を一瞬だけ想起してもいいだろう。だがすぐに忘れることだ。この音楽はブラック・ディアスポラの理論やアフロ・アメリカンの歴史を熱心に学んだ人間によるものではない。

 川崎南部に対してBADHOPの口にする「サウスサイド」という言葉は、近年イラクへ派遣された米兵よりも年間死者数が多いことから「シャイラク Chiraq」と一部で呼ばれるシカゴの南部エリアからのインスパイアだ。しかし彼らに本場ドリルの無軌道なアグレッションを期待すれば肩すかしを食らうだろう。感じるのはむしろタフな状況への鬱屈、そしてそこからなんとしてでも脱出しようとする決意だ。崩壊家庭に生まれ育ち、ローティーンの頃から社会の闇にまみれ、すでに複数回の逮捕を経験してきたサヴァイヴァーたち……いや、そう言葉にしても何も伝わらない。

 貧困とはなにか。それはカメラを片手に土足であがりこんだ数人のヤクザが、母親に土下座させるのを幼い目で目撃することだ。同じ街で生まれた13歳の同級生が、金のために売春婦や犯罪者になるのを横目にみて育つことだ。痣だらけの体や穴の空いた服に耐えきれず、やがて自分も暴力をふるい、奪いとった汚い金で着飾るのをおぼえることだ。

 差別とはなにか。それは生まれた場所の名を口にするだけで、周囲の視線が冷たく色を変えるのを知ることだ。何気なく投げかけられた「カエルの子はカエル」という言葉を、まるで呪いかなにかのように感じることだ。自分や仲間のからだに流れる血のルーツに、街角で理不尽な殺意をむけられることだ。

 しがらみから抜け出すとはなにか。それは詐欺師や売人になった昔の友達からの着信に耳を塞ぎ、真夜中にひとり涙を流すことだ。周囲の誰かが懲役に行った噂を聞いて、次は我が身だと感じながらマイクの前に立つことだ。生まれた街のルールに疑問を抱いても口には出せず、ただ無言で仲間と目と目を合わせ、その理不尽なルールをいつか覆す、と固く誓うことだ。

 例によって嗅覚するどいVICEのドキュメンタリーであぶりだされた川崎南部ローカルの闇もあいまって、BAD HOPはヒップホップ・シーンの内外からの注目を一身に集めてみせた。雑誌『サイゾー』で連載中の磯部涼『ルポ 川崎』も毎回貴重な証言ばかりで目を離せない。そして繰り返すが、このミックステープ『BAD HOP 1DAY』の素晴らしさは、彼らのハードコアなバックグラウンドと濃密な叙情を凝縮した“CHAIN GANG”を、あえて収録しなかったことにある。

 鳴り止まないiPhone6の9度目の着信で目覚める午後3時、寝起きのダウナーな倦怠感をTIJI JOJOとYELLOW PATOのふたりがマイク・リレーする“3PM”。次いでメランコリックなMONBEEのビートによるTIJI JOJOのソロ“White T-shirt”。おろしたてのTシャツに袖を通した爽快感を歌いあげるこの曲のメッセージは明快だ。自分にプライドを持つ根拠など、真っ白なTシャツ1枚でじゅうぶんだ、というタフな自己肯定。その前向きな決意は、しかしあくまでマテリアルなトピックを通じて表現される。

 ウィードの植物的な刺激臭とコーラで割ったヘネシーの甘い陶酔感を完全に音楽的に再現してみせる“JAM SQUAD”。これまでどちらかと言えばマスキュリンなフロウを得意としていたYZERRの鼻にかかる中性的な歌声と、ヤング・サグをすばしっこく品種改良したようなVINGOのフリーキーなフロウの完璧なコンビネーション。アグレッションを煽りまくるKMのビート上でBENJAZZYがサイファーで鍛えぬかれた怒声まじりのファスト・ラップの真髄を叩きつける“BLACK HAIR YELLOW GOLD SKIN”。最初はビートに同期していたラップのグルーヴが徐々にビートを凌駕していくスリルは、TIJI JOJOとBENJAZZYのふたりが2年前、ビッグ・ショーンとケンドリック・ラマーの“コントロール”のビート・ジャックでめちゃくちゃに破壊的なラップを披露して中指を立てていたことを否応なく思い出させる。

 いちばん可能性を感じるのは中盤、T-PABLOWとYZERRの2WINがポップとハードコアのギリギリのバランスを狙い、そのトライアルを華麗に成功させる“LIFESTYLE”と“INK BOYZ”。“LIFESTYLE”は、ステューイ・ロックの某曲のフロウを日本語に移植しつつ完全に勢いで追い越してしまっているわけだけれど、その曲がしかし不思議とEXILEのLDHに代表される日本のメイン・ストリームのポップ・ミュージック的な雰囲気を強烈に漂わせているところが、まずもって素晴らしい。“INK BOYZ”ではフックの直前にビートが消え、逆回転するスネアの効果音によって焦らされた力が、キックの投下を合図に爆発するエコーをかけられまくったフックの歌声で躍動する。ほとんどセクシーと形容してもいいそのキャッチーな歌声は、「次は入れたいのはなに?/考えずに彫りにいこう」とカジュアルに身体改造を重ねる非日常的な感性をフレックスしているわけで、もうこのバランス感覚だけで見事だ。

 それ以外の曲もトピックはあくまでマテリアルだ。BARK、G-K.I.D.がスタジオでの錬金術を開陳する“DOUJOU”、BARK、YELLOW PATO、TIJI JOJOが日々の晩餐についてマイク・リレーするリラクシンな“CHILL DINNER”、もっともハードコアなイメージのAKDOWが珍しく色事を歌う“HOT ICE”など、どれも日々の生活と刹那の感情にフォーカスする。終盤は、意識がブラック・アウトし記憶を失う寸前の沸騰をOGマコ的な咆哮フロウで表現する凶悪なパーティ・チューン“BLACK OUT”、かろうじて立っていられるほどの酩酊状態で迎える狂騒の夜明けを描く“6AM”を経て、いまはまだ夢のはざま、と歌うTIJI JOJOのソロ“DEEP END“で、このアルバムは終わる。

 BAD HOPはこのミックステープで、ヴァースを堅実な韻で固めてシンガロングなフックを付け足す、というこれまでの日本語ラップのヒット・チューンの黄金律を、トラップ以降のフロウの多様化によって粉砕している。現行USヒップホップのサウンドとフロウのインスピレーションは、その起源を忘れさせるほどの自然さで、川崎南部の土着のリアリティに接続させられる。2WINのふたりに顕著なメロウ・チューンは地上波のCMソングとして流されてもまったく違和感はないし、メンバーが入り乱れるハードなラップは郊外型のコンビニのやけに広い駐車場で、派手な改造車から大音量で流れてくるのにぴったりだ。

 元々はGRAND MASTERでキャリアをスタートさせた2WINやBADHOPのこれまでの一部の楽曲では、ハードな生い立ちからくる濃厚な叙情が若々しい初期衝動とともに投げ出されていたが、ここでは切実なバックグラウンドへの語りは最低限にとどめられている。ハードコアなバックグラウンドというのは、アーティストにとってはときに諸刃の刃だ。壮絶な過去は創作行為に切実な衝動とモティーフを与えるとともに、一歩間違えればありきたりな叙情の物語にもたれかかる危険をもたらす。このミックステープの彼らは、USラップのトレンドを下敷きにした目覚ましいフロウの洗練によって、自分たちの成り上がりのストーリーに著しい説得力をみなぎらせている。

 BAD HOPのその意志は最近のサイド・ワークでも明確だ。まずは地上波での露出によって爆発的なポピュラリティを獲得しつつあるT-PABLOWの2曲。GRAND MASTERのEGOとの“WORK”では、つんのめるビートで自由自在に歌声を揺らしながら矢継ぎ早のライミングを披露し、逆にBCDMG傘下の新レーベル〈AIR WAVES MUSIC〉が放つ新鋭、RENE MARSとの“300 MY RIDE (LAMBORGHINI)”では、空間的でスロウなトラップ・ビートにのせてポスト・マローン解釈ともいえるヒプノティックな陶酔フロウを聴かせる。先のことなんて読めないから酒とウィードに酔って直感に従う、という“WORK”の突破者のメンタリティも、「もう戻れない」というポイント・オブ・ノー・リターンの常套句を世代交代の宣戦布告としてダブル・ミーニング的に響かせる“300 MY RIDE (LAMBORGHINI)”も、いまのT-PABLOWにしか歌えないヒリヒリとした切迫感がある。

 より象徴的なのは、この夏に立て続けにリリースされたサマー・チューンの数々だ。BCDMGのコンピレーション『FACT OF LIFE』収録の“EIVISSA”はVINGOとT-PABLOWに加え、BENJAZZYまでがメロウなスタイルのラップを披露し、イビザ島のカタルーニャ語表記だというタイトル通り、ウィードの煙と酒の匂いにむせぶ真夏の夜の喧噪を描く。DJ CHARI & DJ TATSUKIの『NEW WAVES THE MIXTAPE -SUMMER EDITION-』収録の“OVOLELU”は、DJマスタード以降の享楽的なウエスト・コースト・サウンドの直球な解釈で、今度はYZERRがハイトーンの絶唱的なヴォーカルを聴かせる。

 そしてなによりも、同じくDJ CHARI & DJ TATSUKIプロデュースの“TSUNAMI”。知っての通り、同じタイトルのサザン・オールスターズの国民的なヒット曲は2011年3月の東日本大震災以降ラジオでオンエアされなくなり、いまでもUSENではリクエスト不可能なままだ。スタジオ・ジブリの『崖の上のポニョ』も一時は地上波での放送が見合わせられ、いまだ津波の映像が登場する新作映画には厳かなウォーニングが注記される。この状況の中、真夏のビーチでの酒と女とウィードについて歌ったパーティ・チューンに、彼らはこのタイトルを付けたのだ。BAD HOPは、意識的にか無意識的にか、震災後の日本社会のタブーや感傷をものともしない、タフな快楽主義を獲得しつつあるようだ。

 こうしたBAD HOPの進化はそのまま、この5年あまりの日本のハードコア・ラップの転換と軌を一にするものだ。震災後のトラップの本格流入以前、USヒップホップの日本的解釈という意味でのひとつの極北は、ANARCHYがインディ時代の総決算として遺した“PLAYINING IN THE GHETTO”だった。かつてスヌープやウータンもサンプルしたダニー・ハザウェイの“リル・ゲットー・ボーイ”を下敷きに、古都京都の南部の闇を散文的なリリックで刻んだあの曲は、日本のヒップホップがアメリカ由来のゲットー・ナラティヴを美しく土着化させた瞬間だった。あの曲が1990年代以来の東京のヒップホップの重鎮であるMUROの手でプロデュースされ、少年院上がりの暴走族の元リーダー、ANARCHYによって歌われたとき、日本語ラップのソウルは土着的なヤンキー・カルチャーという肉体を獲得したのだ。ほかでもないそのANARCHYがメジャー移籍を機にその濃密な叙情といったん決別してトラップ・サウンドに舵をきり、〈AVEX〉からのデビュー・アルバムに『NEW YANKEE』というタイトルをつけたことは象徴的だ。

 しかし日本のハードコア・ラップはそれ以前からすでにメジャー・シーンへの侵略の意図をたぎらせていた。日本版ギャングスタ・ラップの創始者たるMSCの漢は、新宿の路地裏の廃材を寄せ集めたようなドープな音像のファースト『MATADOR』よりも、よりポップな完成度を誇るセカンド『新宿 STREET LIFE』を高く自己評価していたし、独自の文学性と私小説的なナラティヴによってハスリング・ラップの原型を用意したSEEDAは、早々にその叙情のクリシェを捨て、むしろ現行USラップのビートとフロウの貪欲な消化に腐心していた。

 とくに震災後に現れたトラップ・アーティストの多くは、率直な言語感覚と奇抜なフロウであけすけなリアリティを歌うことで、旧態依然とした日本的な感動の物語を拒絶している。「女と洋服と金」とのフレーズで鮮烈に登場したKOHHがその出自をドラマティックに歌ったのはあくまでANARCHYや般若とのサイド・ワークであり、これまでのスタジオ・アルバムにおいては、彼はそのモティーフを注意深く扱っている。RYUGO ISHIDAはデビュー前にすでにその生い立ちからくる叙情とひとまず別れを告げたし、kiLLaにいたっては、そもそもエモーショナルな内面の吐露など一顧だにせず、ひたすら空虚な感覚を先鋭化させている。彼らはそれぞれ独自なやり方で、これまでの日本のラップ・シーンの外側のオーディエンスへとリーチしつつある。

 ヒップホップが巨大産業であるアメリカならば、ミックステープ1本でフェイムを勝ち取り、デビューと同時に大金を手にしてもおかしくない若い世代は、ここ日本ではヒップホップ・シーンの玉座を獲得するミッションだけでなく、その狭い王国の領土を拡大するという難題を宿命づけられる。けれど、すくなくともBAD HOPにとってはそんなものはまったく重荷ではないようだ。日本のトラップのインフルエンサーであるKOHHがフランク・オーシャンとコラボレーションし、USやUKのiTunesでチャート・インするなどグローバルなマーケットへとアクロバティックに進撃しているのに対し、BAD HOPには明確に、この国の玉座を狙おうとする野心がある。

 今年はあのさんピンCAMPから20年で、ちょうどBAD HOPのメンバーたちも1月に成人式をむかえた。彼らが生まれてからの日本はずっと、中流神話がガラガラと音を立てて瓦解していく過程にあった。この20年の日本の自殺者数は60万人を超える。ちょっとした内戦規模の死者数だ。それでも、「ゲットー」なんて言葉を使えば、「貧困」なんて口にすれば、アメリカやアフリカの最貧国との比較でも持ち出して、そんなものは甘えだという批判が四方八方から飛んでくる。弱い者たちがさらに弱い者たちを叩く、その音はすでに時代のサウンド・トラックだ。いまや子どもの6人に1人、ひとり親の家庭に限れば2人に1人が貧困だとされる中、BAD HOPら90年代以降生まれの新世代は確実に、この社会の崩壊の最前線で言葉をつむいでいる。それは痛みの作文(Composition of Pain)だ。

 古くは作家なんかに対して使われた喩えで、社会の変化を誰よりも早く感知する「炭坑のカナリア」というのがあった。けれど日本のヒップホップはそれに代わる、素晴らしいメタファーをすでに獲得している。漢がDJ KRUSHのビートで10年前に放った、「実刑食らって元々どうもこうもいかねえ/実験用のモルモット同然の生活」ってやつだ。「炭坑のカナリア」じゃなく「実験用のモルモット」。実はこの比喩はべつにとっぴなものじゃない。考えてみれば、ザクザクとこの国の福祉と教育を切り捨ててきた「痛みをともなう改革」=新自由主義は、もともとはシカゴ学派の経済理論の南米での壮大な社会実験として始まったんだった。ケンドリック・ラマーが『SECTION. 80』でロナルド・レーガンを重要なモティーフのひとつとしていたように、現在の日本のラップはまぎれもなく、コロコロと首をすげ替えられるこの国の政治家が生み出した、荒廃の土壌の産物だ。そこには、ケンドリックが2パックの亡霊を経由して語った「大地とは貧民のシンボルである(the Ground is the Symbol for the Poor People)」との言葉がこだましているはずだ。

 BAD HOPのメンバーのひとりは、“BRAKU”という曲を発表している。タイトルの由来は定かではないが、それは日本の貧困と差別の歴史的なコンテクストを知るうえで象徴的な言葉のひとつだ。戦後生まれで初の芥川賞作家で、暴力と性にまみれた南紀の被差別部落の若者たちの短い生を描き続けた中上健次は、かつて「路地」と名づけた自身の生地の部落を「ゲットー」と読み替えていた。ジャック・デリダやボブ・マーリーと対談し、アレックス・ヘイリーの『ルーツ』に影響されて紀伊半島の被差別部落をルポタージュしていた中上の晩年の口癖は、「路地はどこにでもある」だ。彼は南米やアジアといった第三世界出身の作家たちと交流し、アメリカの南部作家ウィリアム・フォークナーを読み解く中で、やがてその磁場を「南」=サウスと呼んで普遍化し、日本の部落(Japanese Ghetto)の歴史をグローバルなコンテクストに接続させようとしていた。中上はヒップホップの本格的な台頭を知らずに1992年に46歳で死んだ。もし彼が生きていれば、BAD HOPが日本のラップ・カルチャーの先端であるとともに、日本の貧民(Poor People)の歴史の末裔であることを、ひと目で見抜いていただろう。

 グッチ・メインの片腕であるマイク・ウィル・メイド・イットがビヨンセやリアーナの楽曲のプロデュースを手がけ、トラップ・ミュージックがEDMに匹敵する巨大勢力となった現在、世界中のヴェニューでトラップに熱狂するオーディエンスは、そのサウンドがサウスの麻薬小屋(トラップ・ハウス)で生まれたことを必ずしも知らない。ヤング・サグのアンドロギュノスな和装が人々を魅了するときにも、モティーフとなった日本文化の女の身体や芸者への抑圧は、その美しさの影に隠されている。先進的なウェブ・メディアのティーザー映像に起用され、気鋭のドメスティック・ブランドのモデルとしてフレックスするBAD HOPの姿はこれから、川崎という地名どころか、ヒップホップすら聴いたことないオーディエンスの目にまで届くことになるだろう。現在の彼らの輝きは、バックグラウンドがうんぬんなどといった説明をまったく必要としていない。だがその音楽はやはり、東京と横浜に挟まれた、排気ガスに煙る工業地帯の闇で生まれたのだ。

 BAD HOPの新作『BAD HOP ALL DAY』は9月15日から配布開始とだけ予告されている。そこにあの“CHAIN GANG”が収録されるのか、もしくはさらに吹っ切れたポップ・チューンで埋め尽くされることになるのか、それはわからない。だが遅かれ早かれ、彼らはこの『BAD HOP 1 DAY』にあえて収録しなかった“CHAIN GANG”の闇さえも飲み込んだ作品を完成させるはずだ。社会の暗部の若きサヴァイヴァーたちが、ガードがガラ空きのこの国のポップ・フィールドのど真ん中を撃ち抜く。それは日本のラップが、USラップに遜色ないポピュラリティと社会的なインパクトを獲得する狼煙を意味するだろう。

 ポップの変革とは、社会のリアリティの変革だ。いまだ公共の場での刺青の露出がタブーとされる保守的な島国で、子どもの頃の包丁の傷をタトゥーで消したユースが爆発的な成功を手にするとき。レイシストのヘイト・デモを中止に追いやった川崎南部で生まれた、「コリアン、チャイニーズ、南米/繋がれてる川崎のWe are Chain Gang」というリリックが日本中に響き渡るとき。この社会のリアリティは必ず、あと戻りできない変化を経験するはずだ。

 ハナから眼中にない金も女もすでに目の前にあって、それでもまだ足りない。足につながれた鎖が切れるのはまだ先で、育ちの悪さを隠そうともせずに鉄の心臓に札束の羽を生やす。当たり前のものをなにも持たずに生まれ育ったのに、彼らは強いのではない。当たり前のものをなにも持たずに生まれ育ったがゆえに、彼らは強い。被差別や抑圧の体験をみずからのエネルギーの源泉とするその逆説こそは、「どん底から這い上がった(Started from the Bottom)」人間の、最大の武器だ。屈指のハードな環境を生き抜いたユースがいま、弾けるように強靭なポップ・ミュージックを鳴らそうとしている。どんだけ控えめにいっても、最高な時代だと思う。

*原稿の執筆にあたり、磯部涼氏から貴重な示唆を得た。感謝したい。

Christ. - ele-king

 きみは『Twoism』を覚えているだろうか?
 1995年に〈Music70〉から100枚限定でリリースされ、一時期は15万円もの値で取引されていたというボーズ・オヴ・カナダの初期作品である(同作は2002年に〈Warp〉よりリイシューされている)。後の『Music Has The Right To Children』にも通じる、スウィートかつサイケデリックな電子音によって構築されたこの名盤が制作されたとき、実はボーズ・オヴ・カナダには3人目のメンバーがいた。Christ. こと Chris Horne である。
 彼はボーズ・オヴ・カナダを離れて以降も着実にリリースを重ねてきたのだが、今回の来日は2002年のメタモルフォーゼ以来、実に14年ぶりとなる。そんな彼を迎えるのは、世界中で活躍する「アンドロイドの歌姫」こと Coppe'(コッペ)の主宰するイベント《21rpm : japan》。Ametsub や KENSEI など、他の出演者も非常に豪華である。
 きみはこの機会を逃すことができるだろうか?

~mango + sweet rice : happy 21st. birthday !~
《21rpm : japan》
開催のお知らせ

アンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージック界ではもはやゴッドマザーのニックネームで活躍し、世界各地で数多き謎のクリエイションを仕掛けている“アンドロイドの歌姫コッペ”と彼女が率いる超非現実的な幻のレコード・レーベル〈mango + sweet rice〉の20周年を記念するパーティーが2015年、イギリスのロンドンにある由緒ある教会 st. giles church にて Plaid など錚々たる顔ぶれを迎え開催された。またその日本公演としてなんと Bola(〈skam records〉)が待望の来日を果たし、西麻布スーパーデラックスにて10年ぶりのスペシャル・ライヴを披露したのが記憶に新しい。
あれから1年、9月10日、同レーベルはさらに進化した《21rpm : japan》として壮大な世界ツアーの初日を日本からスタートする。そしてコッペ姫のために素晴らしい仲間が来日することが決定した。st. giles church での20周年パーティにも参加していた Christ.(ex. Boards Of Canada)が国内1ヶ所のみのエクスクルーシヴ・ライヴを披露する。彼は Boards Of Canada としてあまりにも有名な名盤『Twoism』にも参加していた人物だ。コアなファンにとっては涙ものの来日公演となるだろう。
《21rpm》と銘打った本ツアーはスコットランドのエディンバラやドイツのベルリンを含む世界ツアーの1発目の公演となる。いまのところ正式に発表されているもののみでも Plaid / Massonix(808 State's own Graham Massey, 〈Skam Records〉) / Funkstörung / Luke Vibert / Seefeel / Leila ……とすでにロンドンのコアなミュージック・ファンたちの間でバズり始めている。まさに“進化した”出演者たちにより st. giles church のフェスティヴァルは多くのファンに囲まれ開催される予定だ。
~happy 21st. anniversary sweetrice !~ として国内から華を添えるのは、コッペとも交流が深く先月リリースしたての自身初のビート集『IS PAAR』も好評の DJ KENSEI、日本を代表する音楽評論家として有名な Masaaki Hara(dublab)、そしてニューヨーク・シーン随一の才能と評されるトップ・プロデューサー、FaltyDL 主宰のレーベル〈Blueberry Records〉から新作EPをリリースするなど、 世界から注目を集める Ametsub のDJセットといった個性豊かな出演者たち。《21rpm : japan》の開催場所は前回と同じく西麻布のアート・スポットでもあるスーパーデラックスにて限定人数制でのショウケースでおこなわれることになっている。
2002年のメタモルフォーゼでトリを飾り、神がかったライヴを披露して以来の Christ. の来日に乞うご期待。

Congo Natty × Mala - ele-king

 1996年、ジャングル/ドラム&ベースがUKのダンス・ミュージック・シーンで旋風を巻き起こしているさなか、日本でもそのリアルな熱気を伝えるべく、いまはなき新宿LIQUIDROOMでスタートしたパーティ「Drum & Bass Sessions(DBS)」。今年で20周年を迎える同DBSだが、そのアニヴァーサリー・パーティが10月15日(土)にUNIT(東京・代官山)にて開催される。

 記念すべきイベントだけあって、出演者がとんでもないことになっている。ひとりは、90年代当時からオリジネイターしてジャングルを更新し続けてきたレベルMCことコンゴ・ナッティ。もうひとりは、ディジタル・ミスティックズとしてダブステップ・シーンの中核を担い、近年はベース・ミュージックとラテン・ミュージックの融合で圧倒的な評価を得ているマーラ。このふたりがヘッドライナーを務めるというだけでも十分アツいのだけれど、さらに日本からゴストラッドも参加するとなれば、これはもう行くしかないでしょう!

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【DBS20TH】
★1996年、熱波のようにUKアンダーグラウンド・シーンを席巻していったジャングル/ドラム&ベースのリアル・サウンズ&リアル・ヴァイブスを伝えるべく、今や伝説の新宿リキッドルームでスタートしたDrum & Bass Sessions(DBS)。2004年以降、代官山UNITを本拠にイベントを重ね、ドラム&ベースに限らず、JAH SHAKAに代表されるダブ/ルーツ・レゲエ、ブロークンビーツ~ニュージャズ、グライム、ダブステップ、UKファンキーの真髄、最前線を紹介し続けてきた。そこには英国の移民文化の歴史と密接な関係のもとに進化を遂げ、様々なエレメンツへと発展している広義のUKベース・ミュージック/サウンドシステム・カルチャーへの敬意と愛情しかない。
2016年、DBSは20周年を迎え、ジャングルの創始者CONGO NATTYとダブステップのパイオニアMALAという奇跡のダブル・ヘッドライナー! そして日本が誇るサウンド・オリジネイターGOTH-TRAD、PART2STYLE SOUND、DJ DON、HELKTRAM、TAKUTOら豪華なラインナップでDBS20THを開催する!
PEACE AND DUB! MORE BASS MORE VIBES MORE LOVE!!!

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BAUHAUS VOL.13 - ele-king

 様々なスタイルを吸収した独自のサウンドで注目を浴びているロック・バンド、THE DEAD PAN SPEAKERS。そのメンバーの HIGE が下北沢THREE で主宰するイベント「BAUHAUS」が、このたび5周年を迎える。それにともない、同イベント3回目となるスペシャル・ヴァージョンの開催が10月1日に決定した。この機会にダンサブルなグルーヴに酔いしれながら、思い切り身体を揺らしまくろう!

BAUHAUS VOL.13 ~2016 NEUROCK HARVEST FESTIVAL OF AUTUMN~

日時:2016/10/1 : OPEN 15:00 / START 15:30
会場:下北沢 THREE & BASEMENT BAR
チケット(2会場共通): 前売り2,500円 / 当日3,000円
e+:https://eplus.jp/sys/T1U14P002201903P0050001
more info:https://www.toos.co.jp/3/

出演:
LIVE:BOMBORI / COMPACT CLUB / 濁朗 / THE DEAD PAN SPEAKERS / DEEPCOUNT / THE EARTH TEMPLE / ele-phant / gokarts / GROUNDCOVER. / HALBACH / じゃじゅうか / KIRIHITO / SiNE
DJ:COGEE (BLACK SHEEP) / DJ EVIL PENGUIN / HOL-ON / terry / UG KAWANAMI

OG from Militant B - ele-king

愛すべき日本のレゲエミュージック 2016.8.19

完全に久しぶりぶり~な感じのOGですがバイブス変わらず俺なりのチャートをお届け!
今回のテーマは"愛すべき日本のレゲエミュージック"と題し、終わりたくない夏!
初のオール日本人の楽曲を挙げました。やっぱ言葉の意味も分かるし、それがレゲエのリズムに乗ったら最高なの間違いなし!
You Tubeはほぼ無かったのでCD、レコードをゲットしたり俺のプレイで楽しんでくれ。
そして日本が今とんでもない方向に進もうとしてることは誰もが分かるから、音楽で俺らは繋がろう。
そして広げよう!踊るのは楽しいぞ!と

最後に私事なんですが7月にBrand New Mix TAPE "Hawkeye Dub"をMASTERED HISSNOISEよりリリースしました。

テープという媒体ながら多くの方に手にとってもらって嬉しいです。
俺はいつでも絶好調!だからパーティーにも遊びきてね。
そんなノリをキープしてリリースパーティーのお知らせ!

NHK yx Koyxen - ele-king

 もうそろそろ20年になろうかというコーヘイ・マツナガの歩みを眺めていると、「浪費」や「放蕩」といった単語が思い浮かんでくる。1998年に〈Mille Plateaux〉からデビューを果たした彼は、これまでに Koyxeи や NHK bs、NHKyx や NHK'Koyxeи といった名義を使い分け、メルツバウやセンセーショナル(元ジャングル・ブラザーズ)、ショーン・ブース(オウテカ)やハイ・プリースト(アンチポップ・コンソーティアム)、あるいは SND といった多様な個性たちとコラボレイションをおこない、〈Tigerbeat6〉や〈Raster-Noton〉、〈Skam〉や〈Pan〉といったエレクトロニック・ミュージックの名門レーベルからリリースを重ねてきた。ややこしい名義を使い分け、様々なレーベルを未練なく渡り歩いていくその姿は、リリースを重ねるごとに意識的に何かを捨て去っていこうとしているかのようにも見える。その「使い捨て」感は曲名にも表れていて、彼のアルバムには "587" や "367"、"629" といったよくわからない数字が並んでいる。

 多作な彼による膨大な作品群は、大きくエクスペリメンタルなものとフロア・オリエンテッドなものに分別することができる。昨年の12インチ「Hallucinogenic Doom Steppy Verbs」に続いて〈Diagonal〉からリリースされた本作『Doom Steppy Reverb』は、後者に属するものだ。
このアルバムの内容は、一言で言ってしまえば「ダンサブルなテクノ」ということになるのだけれど、本作にはどこか徹底して覚めた態度、あるいは極端に冷え切った何かがある。極めて身体的・機能的でありながらも、EDMのような下品さとは決して相容れない享楽性。インテリジェントな香りもそこはかとなく漂ってはいるが、それもとっつきにくい類の高尚さとは無縁である。ここにはただ淡々とした、だが強靭なテクノ・トラックが並んでいる。

 かつてブリアルが登場してきたとき、なんて冷たいダンス・チューンを鳴らすのだろうと思ったものだが、本作を聴き終えた後に襲ってくる戦慄にも似た不思議な余韻は、初めてブリアルの音楽に触れたときの感覚に近い。実際、"1073+Snare" や "1038 Lo Oct Short"、"Y" や "1048" といったトラックには、ダブステップ以降のリズム感覚・音響感覚が具わっている。
 だが、ブリアルの音楽には荒廃したロンドンの情景が強く刻み込まれていた。NHK yx Koyxen 名義のこのアルバムには、そういった情景を連想させる要素が一切ない。あるいは仮にそういった要素が含まれているのだとしても、それは決して具体的な都市や人間の断片などではなく、世界のどこかの、もしかしたら存在するかどうかさえわからない、ある閉じられたフロアの抽象的な情景だ。
 ただ踊り、ただ飲み、ただ吸い、ただ遊び尽くす。これは「いま」という時間を意図的に使い捨てていくための音楽である。たとえば "1082 S" の残響音が鳴らしているのは、そのような空虚な「いま」の痕跡なのではないだろうか。このアルバムを聴いていると「蕩尽」という言葉すら使いたくなってくる。

 フロアで床を見つめながら、あるいは天井を見上げながら、何も考えずに踊り続ける。そこに大きな意味などはなく、ただ過ぎ去っていく現在だけがある。その享楽を彼はベルリンのシーンのなかで見つけてきたのだろうか? 一体、この音楽の先には何があるのだろう?
たぶん、何もない。低俗でもなければ高尚でもない、どこまでもストレートなこの踊るためのテクノ・アルバムは、ただ「いま」という時間を消費し、虚無を見つめる。

Arto Lindsay - ele-king

 ノー・ウェイヴから実験音楽、ブラジル音楽まで――DNAやラウンジ・リザーズ、アンビシャス・ラヴァーズの一員として、あるいはカエターノ・ヴェローゾやマリーザ・モンチのプロデューサーとして、そしてもちろんソロ・ミュージシャンとして、これまでさまざまな音楽的試みをおこなってきたアート・リンゼイ。このたび彼の来日公演が東京・代官山の晴れたら空に豆まいてにて開催される。同公演は、晴れたら空に豆まいての10周年記念企画の一環として、8月29日から5日間にわたって開催される。
 8月29日と30日には青葉市子、31日には山木秀夫、9月1日にはBuffalo Daughter、9月2日にはジム・オルークをゲストに迎える。ミキシングはzAkが担当(2日を除く)。
お土産付きの3日間通し券および5日間通し券もあり。
 また9月5日には大阪公演(@CONPASS)、6日には広島公演(@CLUB QUATTRO)、8日には京都公演(@METRO)も開催される。5日と6日には青葉市子、8日にはクリスチャン・フェネスをゲストに迎える。

『代官山 晴れたら空に豆まいて 10周年記念』
ARTO LINDSAY/アート・リンゼイ JAPAN 2016

presented by 晴れ豆インターナショナル
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2016年8月29日(月)〜9月2日(金)
於:代官山 晴れたら空に豆まいて
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8/29 mon.
ARTO LINDSAY x 青葉市子 – 第壱夜
live mix by zAk
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8/30 tue
ARTO LINDSAY x 青葉市子 – 第弐夜
live mix by zAk
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8/31 wed.
ARTO LINDSAY x 山木秀夫
live mix by zAk
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9/1 thu.
ARTO LINDSAY x Buffalo Daughter
live mix by zAk
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9/2 fri.
ARTO LINDSAY x Jim O’rourke THANK YOU SOLD OUT
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すべて open 19:00 start 20:00
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フロアは畳敷きです
整理番号順のご入場です
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イープラスのみにて取り扱い ←こちらをクリック!
晴れ豆での一般予約は行いません
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前売 ¥6,000-/¥6,500- (お土産なし/お土産つき)
当日 ¥6,500- (お土産なし)
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お土産は、アーティストによるオリジナル・デザイン
完全限定生産・非売品です
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優先入場・お土産つきの通し券のみ、晴れ豆にて承ります
*5日通し券 ¥25,000-(お土産つき)
*3日通し券 ¥16,000-(お土産つき)~日付を必ずご指定ください
*ご来店初日にまとめてお支払いください
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企画・主催・問い合わせ
代官山 晴れたら空に豆まいて/晴れ豆インターナショナル
03-5456-8880
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協力:commmons、前田圭蔵
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アート・リンゼイ Arto Lindsay
1953年5月28日アメリカ・バージニア州生まれのアーティスト/ミュージシャン/プロデューサー。
1977年にニューヨークでDNAを結成し、翌年ブライアン・イーノによるプロデュースのもとで制作されたコンピレーション・アルバム「No New York」に参加。
1978年にはジョン・ルーリー率いるグループLounge Lizardsに参加し、80年代にはピーター・シェラーとAmbitious Loversを結成し、アルバムを3枚リリース。
その後プロデューサーとしてCaetano Veloso、Gal Costa、Marisa Monteなどの作品に関わり、また坂本龍一、David Byrne、Laurie Anderson、Animal Collective、Cornelius、UA、大友良英など数多くのアーティストと共演。
またMathew Barney、Vito Acconci、Rirkrit Tiravanijaなど数多くの現代アーティストとのコラボレーションも行う。
現在12年振りとなるソロ名義の新作を制作中。

interview with Gonjasufi - ele-king


Gonjasufi
Callus

Warp / ビート

PsychedelicBluesRapRock

Amazon

いまの日本でこの音楽を聴くと、“汚さ”に違和感を覚えるだろう。すっかりお馴染みのシティポップ・マナー、これをやっておけば誰からも嫌われないだろうというネット時代の倦怠、保守的で、品性が良いだけのkawaii国では、ドレッドヘアーの汚らしいラッパーの歪んだサウンドは、まず似合わない。
 逆に言えば、小綺麗な日本のシーンに居場所がない人にとっては、ゴンジャスフィの『カルス』から広がる荒野は心地良いだろう。汚さ……というものがなくなりつつある世界において、西海岸の(異端児)ラッパーは、4年ぶりの新作で、照りつける太陽と砂漠のような怒りをぶつけている。トム・ウェイツが幻覚剤を通して西海岸のビートを摂取したような、錆びたサンプルで歌うブルース歌手、悪夢と人生を賛歌するような、いろいろな感情が入り混じったなんとも魅惑的なアルバムである。ぜひ、聴いて欲しい。こんなサウンドもありなんだと、ひとりでも多くの人に知ってもらえたら幸いだ。

俺はオバマに投票するね(笑)。トランプになっても、ヒラリーになってもダメだ。いまのアメリカは、解決すべきものがたくさんあると思う。TVやインターネットがなければ、もっと良い世界になるはずなんだよ。

2010年にあなたに取材したとき、あなたは「政治は大嫌いだし、政治にはいっさい関わりたくないと思っている」と話してくれました。11月に大統領選を控えていますが、今回は支持したい候補者がいなくて困っている人が多いと聞きました。

ゴンジャスフィ:たしかに選択肢はないな。俺はオバマに投票するね(笑)。トランプになっても、ヒラリーになってもダメだ。いまのアメリカは、解決すべきものがたくさんあると思う。戦争もそうだし、人種間の緊張感もそうだし、メディアに大きく左右されている部分もあると思うね。TVやインターネットがなければ、もっと良い世界になるはずなんだよ。皆、自分の判断ができる。政治には、いまだに関わりたくないね。ファック・ノーだ(笑)。

この4年、いったい何をされていたのですか?

ゴンジャスフィ:体調をくずしていたから、そのリカバリーに1年くらいかかったんだ。その治療で強い薬を摂ったしていたから、死にそうにもなってさ。で、そこからまた回復しなければならなかったし、手術やいろいろ大変だったんだ。

ヨガのほうはいかがですか?

ゴンジャスフィ:ヨガはもう2年くらい教えていない。引っ越したのもあるけど、いまのヨガ業界にもウンザリしていたんだ。ヨガ講師がインスタグラムをやったり、そこで人気になるのも良いケツをしたヨガ・インストラクターだったり、ヨガは「人からどう思われるか」ではないのに、外見を気にしたり、ステータスでヨガをやっている奴が多いんだよ。ヨガとは何なのかを本当にわかっていない。ヨガを教えてはいなくても、ヨガを好きなことは変ってないけどね。

どこか、他の文化圏への旅行をされた経験などの影響はありますか?

ゴンジャスフィ:ギリシャに行っていくつかショーをやったけど、それ以外はアメリカを出ていない。あまりこれといった影響はないな。これからの予定は、12月にヨーロッパに行くんだ。そのあと、来年もツアーがある。もう1枚、春に出したいと思っているレコードがあるから、その準備もしないといけなくてね。〈ワープ〉からリリースされるんだけど、それもGonjasufiのレコードなんだ。

では、どのようなきっかけがあって本作は制作されていったのでしょうか?

ゴンジャスフィ:制作をはじめたのは2013年、いや、2011年だな。ヴェガスで制作をスタートしたんだ。曲のなかには、2004年にサンディエゴで作りはじめたものもある。ギター・パートが出来ていて、あとから1年くらいかけてセッションで発展させていったんだ。

通訳:音楽制作は2011年からずっと続けていたのですか?

ゴンジャスフィ:前作が出た後から、ずっとレコード制作はしていたんだ。でも、2012年に病気になって、そこから制作のスピードが遅くなっていった。で、2014年にまた作業を再開して、トラックを仕上げはじめて、2015年にアルバムを完成させた。あと、音楽活動は常にやっていたんだけど、音楽業界からは離れていたね。業界がイヤになってね。でも、音楽そのものへの愛が変わったことはない。あのジェイ・Zの一件があってから(2013年、ジェイ・Zがゴンジャスフィの曲をサンプリングした)、早くレコードを出せとまわりりがうるさかったんだ。でも俺自身はその準備が出来ていなかった。金のために音楽はリリースしたくなかったし、そんなことしたら、音の出来の悪さにがっかりするリスナーも出てくるだろうしね。

元キュアーのパール・トンプソンが参加していますが、1980年ぐらいのUKのポストパンク、しかもゴス的な感覚というか、ノイジーでダークな衝動を感じましたが、いかがでしょうか? 

ゴンジャスフィ:そういった音楽からも影響は受けているよ。最近もよく聴いているんだ。最初は、自分でギターとドラムを演奏して作っていたんだけど、ギターの部分が自分ではうまく表現できなくてフラストレーションがたまっていた。指が思うように動かなかったんだ。そこで、彼に依頼することにしたのさ。

通訳:あなたはこのアルバムの方向性をどのように考えていますか?

ゴンジャスフィ:ただただ、俺は正直なアルバムが作りたかった。俺の中身がそのまま表れている作品をね。あと、音的にはダークでディストーションの効いた作品を作りたかったというのはあったな。それと、痛みが表現された作品。俺は、フェイクな内容なものを作ることは避けたかったんだ。ララララ~なんて、エレヴェーターで流れているような音楽は作りたくなかった(笑)。まあ、作ろうと思えば作れるぜ(笑)。めちゃくちゃ良いR&Bレコードを作れる自信はある(笑)。絶対に金になるだろうな(笑)。

いま、痛みを表現したかったとおっしゃいましたが、強いて言うなら、今回は怒りのアルバム? 苦しみのアルバム? 

ゴンジャスフィ:選べないな。どっちもだよ。いまだに怒りはあるし、苦しんでるし(苦笑)。

通訳:どんな怒りや苦しみを未だに抱えているのですか?

ゴンジャスフィ:子供を育てる環境もそうだし、金銭問題もそうだし、自分のまわりのことすべてさ。俺はミリオネア(金持ち)じゃないからな。でも、レコードには愛もつまっている。ネガティヴなエナジーを音楽を作ることによってポジティヴに変えているんだ。

“Afrikan Spaceship”や“Shakin Parasites”のようなインダストリアルなビートからはマーク・スチュワートを思い出したんですが、お好きですか?

ゴンジャスフィ:誰? わからないから答えられない(笑)。ははは。

通訳:ポップ・グループの人ですよ。

ゴンジャスフィ:ホント知らないんだ。

たとえば“Carolyn Shadows”や“The Kill”など、今回のアルバムの重苦しさ、こうしたエモーションの背後に何があったのかを教えてくれますか?

ゴンジャスフィ:難しい質問だな。どの曲にも同じアプローチで望んだし、同じ感情が込められていると思う。俺のソウルが込められているんだ。それがブルースってもんだろ? そのソウルは、“ファック・ユー”でもあるし、“アイ・ラヴ・ユー”でもある。そのふたつは紙一重だからな。
 で、何があったんだっけ……"The Kill"の歌詞を振り返ってみるから、ちょっと待っててくれよ。あれは……正直わかんねえな。歌詞を書いているときって何も考えないんだ。俺って説明出来ないんだよ。そのとき感じている痛みだし、それを振り返ること自体も痛みなんだ。母親と話しているときも説明を求められて、俺、ぶちぎれるんだよ(笑)。ゴッホにだって、何でその絵を描いたのかなんて訊かないだろ(笑)? そこから何を自分が感じるかが大切なんだ。いちいち説明を求められると、気が滅入るんだよ。俺の母ちゃんは、俺の大ファンだけどな。両親とも仲は良いけど、母ちゃんの方が近い。「この曲が好き」とか、毎日メールしてくるしな(笑)。でも、はいはいって感じで流すんだ(笑)。
 母親はサンディエゴに住んでいるから、俺は年に2、3回くらい帰るようにしてる。子供が俺の子供しかないから、彼女を孫に会わせるのは大切だと思って。母親って好きなんだけど、ずっとはいれない。わかるだろ(笑)? 俺の人生初のコンサートは8歳で、衣装も全部母ちゃんががデザインしてくれたんだ。頑張れと楽屋の前で励ましてくれた。観客席からも応援してくれている姿が見えたし、彼女は俺のすべてだな。この話をしていたら、泣きそうになってきたよ(笑)。

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どの曲にも同じアプローチで望んだし、同じ感情が込められていると思う。俺のソウルが込められているんだ。それがブルースってもんだろ? そのソウルは、“ファック・ユー”でもあるし、“アイ・ラヴ・ユー”でもある。そのふたつは紙一重だからな。


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あなたは、スーフィーやトルコなど、中東文化を取り入れるのも早かったと思うのですが、今日の音楽の世界では、わりとそれはひとつのトレンドにもなっています。苛立ちはありますか?

ゴンジャスフィ:いいことだと思うぜ。知られることで音楽も広がるし、受け入れられるのはいいことだと思う。

通訳:トレンドを追うこともありますか?

ゴンジャスフィ:いや、きらいだな。君はどう?

通訳:私はたまにのってしまいますね。

ゴンジャスフィ:いまは何の流行にのってるんだい?

通訳:グリーンスムージーとか(笑)?

ゴンジャスフィ:ははは! 出た! 俺はパープルじゃないと飲まないね(笑)。ベリーが入ってるから美味しいんだ。グリーンは激マズ。ファック・ノーだな。マジで無理(笑)。芝生なんて入れやがってさ。とくに胃が空っぽの時は無理だな(笑)。

政治的に言えば、今日ではイスラムへの偏見はさらに増しています。そうした偏見への怒りは、今回の作品の主題にはありますか?

ゴンジャスフィ:そうだな……もちろんそれがテーマになっているものもあるし、すべての曲に入っている。“Maniac Depressant”は、宗教や人種に関しての怒りが歌っているし、“Krishna Punk”も、人びとの関係について歌っている。アメリカ全体の問題がこのアルバムではテーマになっているんだ。

“Krishna Punk”は曲調も一風変わっててユニークですが、歌詞には、たとえばなにが綴られているのでしょうか?

ゴンジャスフィ:この曲では、“組織”についてが歌われているんだ。歌詞を思い出してみるから待ってくれよ。「共同体を崩し……世界を救え。組織を消して、テレビをなくせ。そうすれば自由になれる」そんな感じだな。俺たちが組み立ててきてしまったものを崩せ、みたいな内容。フリースタイルさ。俺にとっては、フリースタイルで歌う方が簡単なんだ。昔からやってきたからな。サンディエゴやLAのアンダーグラウンドは皆そうなんだよ。

『カルス』というタイトルは、どこから来たのでしょうか? そこにはどんなメッセージが込められていますか?

ゴンジャスフィ:自分の心臓の周りにスペースを作っているんだ。世界からの攻撃から自分を守っているのさ。俺というより、世界が俺の心に“たこ”を作った。でもそれは美しいことでもある。純粋なものをを守ることが出来るからね。俺は、敵を近くに置いたりはしない。近くに置くのは家族だけ。同時に、俺は悪から逃げることもしないんだ。それよりも、向こうが目を背けるまでじっと見ていたい。あと、悪というのは男のエナジーだと最近気づいたんだ。神は女性のエナジー。男は命令して何かをさせようとするけど、女は全体を見てバランスをとろうとする。男にはマッチョなエゴがあるんだ。神は男という考え方は、捨てるべきだね。

“Your Maker”や“Prints Of Sin”のようにヒップホップ・トラックを発展させたような曲もありますが、今回の作品のなかにフライロー周辺からの影響はありますか?

ゴンジャスフィ:ないね。彼と俺の音楽に近いものは何もない。でも、彼自身のことは大好きだけどな。彼は俺の人生を変えたし、借りがたくさんあるんだ。まわりの奴らが俺にビビっていたときも、スティーヴ(フライロー)は温かく接してくれた。サウンドの影響はないけれど、やりたいことをやるという彼の姿勢には確実に影響を受けているね。彼も繊細だし、俺も繊細。人生短いんだから、大胆にいかないと。人間皆繊細だし、自信もない。でも、その氷を崩していかないといけないんだよ。

前回の取材で、「ジミは世界いち最高にクレイジーなマザー・ファッカー野郎さ」とあなたは話してくれましたが、とくに今回はその影響が強いと思いますか?

ゴンジャスフィ:ジミは前ほどは聴いていない。でも、俺は彼の演奏を見てから、演奏と歌をすぐにはじめたんだ。彼はいまだに大きく影響を受けているし、彼のあの特有のリズムとあのリズムと同時に歌うことが出来る才能は、本当に素晴らしいと思う。あれは、やろうと思うとすごく大変なんだ。あの時代にそれをやったのもすごいし、しかも左利きでもある。あれは神だな。彼とマイルズ・デイヴィスとプリンスの3人はそう。デイヴィッド・ボウイもそうだな。

あなたがジミ・ヘンドリックスのアルバムでいちばん好きなのは、『Axis: Bold As Love』ですか?

ゴンジャスフィ:そうだな……『Axis: Bold As Love』だと思う。

通訳:それは何故?

ゴンジャスフィ:わからないけど、俺が聴いてきた経験でそう思うんだ。この質問はいままで聴かれたことがなかったから、すぐにはわからない。ジミ・ソングだったら、“Voodoo Child”だな。

前作のときと違って、現在カリフォルニアでは大麻は合法です。こうした状況の変化は新作にどのように関係していますでしょうか?

ゴンジャスフィ:もちろん制作中は吸ってたさ。体調も崩していたから、薬としても使っていた。でも、いまは吸ってないんだ。半年は吸ってないね。1、2年やめようと思ってる。実は、『A Sufi and a Killer』のときはほぼ吸ってなかったんだ。今回は、スロー・ソングのときはだいたい吸ってた。でも、いまは酒も飲まないし、飲むとしてもビール6缶を3ヶ月で飲み終わる程度。酒を飲むとリカバリーに時間がかかるし、身体が拒否するんだ。サンディエゴに帰ったときに一杯飲んだりはするけど、それも5ヶ月に1回とかだしな。ワインも好きだけど、カミさんが妊娠してるし、いまは飲んでない。俺、長生きしたいんだよ(笑)。いまは子供がいるしな。子供が産まれるまでは、40歳くらいまで生きれればいいと思ってたけど、いまは80歳まで生きないと(笑)。60歳になって腹が出て、シワだらけになったとしても、俺はシャツを脱いで上半身を見せるぜ(笑)。女がどう思うかなんてどうでもいい。じゃなきゃ、いまだってヒゲをはやしてはいないしな。ないほうがハンサムって言われてるんだ(笑)。でも、カミさんはありのままの俺を愛してくれているからそれでいいのさ。

あなたはヨガのインストラクターですが、多くの人はヨガをやるべきだと思いますか?

ゴンジャスフィ:全員やるべきだ。それに、子供や身体障害者、病人たちにはタダで教えるべきだと思うね。学校のカリキュラムやリハビリ、刑務所のプログラムに取り入れるべきだと思う。俺の娘もやってるし、平和な気持ちを得るには必要なものだと思うから。週3~5回はやりたいね。このレコードの売上金で、ジョシュア・ツリーにヨガ・スタジオを作ろうと思って。ただし俺は、ヨガで金もうけしようとは思わない。ただ、ヨガを広げたいだけなんだ。

いま世界は転換期を迎えていますが、このような時代に、「ぼくたちに何ができる」と思いますか?

ゴンジャスフィ:ヨガさ(笑)。インターネットとテレビを消して、自然に注目すること。人に合わせるんじゃなくて、自分自身を持ち、自分が受けた恩恵をまた別の人に送り、親切の輪を広げていくことだね。世界や周りを変えるより、まず自分を変えればいい。皆がそれに集中すれば、世界なんてすぐに変わるさ。

通訳:ありがとうございました!

ゴンジャスフィ:ありがとう。またな。

宇宙は場所であると同時にコンセプトであり、ジミ・ヘンドリックスのように常識を遙かに突き抜けていることを意味する隠喩だ。 ──本書より

 ついに読めるのか。正直な話、ぼくにとって、これほど待ち望んだ自伝もないと言える。ぼくが『ブラック・マシン・ミュージック』を書くうえで資料集めにもっとも苦労したのが、サン・ラーとPファンクだった。大きな影響力があり、哲学的で、未来的で、そして最高にぶっ飛んだ音楽はそうそうあるわけではないし、また当時は(日本ではあまり紹介されていないアンダーグラウンド・ミュージックを追いかけていたため)英語のメディアばかり読んでいたぼくは、なかば呪いのようにサン・ラーとPファンクという名詞を目にしていたのだが、いざまとまった資料を探そうとすると、サン・ラーに関してはデヴィッド・トゥープによるわりとまとまったインタヴュー記事があったものの、Pファンクに関してはデイヴ・マーシュが編集した1998年刊行の『Geroge Clinton & P- Funk』という未訳の発言集(デイヴ・マーシュって、やっぱすごい人だな。ちなみにその発言のいくつかは本書にも引用されている)、それからリッキー ヴィンセントの名著『ファンク』、日本で目に入ってきたものは湯浅学氏らが寄稿している『レコード・コレクター』の特集ぐらいで、とにかく名前は有名でも、実際の扱いはこんなものなのかと思ったほどだった。(ネットもいまほど発達しておらず、サン・ラーの自伝や河地依子さんの『P-FUNK』が出版される数年前の話です)
 Pファンクとは、60年代の哲学を継承し、ジミ・ヘンドリックスの精神を発展させ、ブラック・パワーでありながら人種を超越し、アメリカに抗いながら、ブラック・ロックからヒップホップ、トーキング・ヘッズからプライマル・スクリーム、ザ・ポップ・グループから!!!、そしてデトロイト・テクノにいたるまで、すさまじく広範囲にわたって影響を与えて続けている音楽集団であり、その中心人物がジョージ・クリントンだ。本書は、1941年に生まれ、ニュージャージーで床屋を営みながらDIYドゥワップ・グループとして音楽活動をはじめる初期の話から、デトロイトへと拠点を移し、ファンカデリック/パーラメントとしての全盛時代を送った日々、そしてケンドリック・ラマーと共演する最近の話までと、70年以上もの歴史が綴られている。もちろんその多くは、床屋時代からデトロイト時代という、駆け出しの音楽家からコンサート会場に宇宙船を飛ばすぐらい大成功をおさめるまでの、いまもさんざんと輝く多くの金字塔を発表した70年代に割かれている。そこにはスライ・ストーンやエディ・ヘイゼル、ブーツィー・コリンズやプリンス、天才画家のペドロ・ベル、あるいはデトロイト・テクノ・ファンには記憶されているエレクトリファン・モジョなど、多くの著名な登場人物が描かれている。重要作品の背景が解説され、エピソードが語られ、そしてドラッグとセックス、自分たちの曲がヒップホップにサンプリングされたことへの複雑な感情にも多くの言葉を要している。(巻末にはそのサンプリング・リストさえ載っている)

 もっともジョージ・クリントンが自分の影響力の大きさをいまだにはっきりと認識しているとは言えない。たとえばザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』に収録されている“ジミー・ジャズ”がファンカデリックの『コズミック・スロップ』に収録されている“ノー・コンピュート”のパクりではないのか……という説もあるのだが、何はともあれ1977年にエレクトリファン・モジョがラジオでかけた“フラッシュライト”が当時15歳だったデトロイトの黒人少年の心を打ちのめした話は加えておかなければならない。ホアン・アトキンスのことである。今日、人が“テクノ”というタームを使うときの、言い出しっぺだ。それはモジョが(ジョージ・クリントンが黒人でありながらビートルズやクリームへの愛を隠さなかったように)、クラフトワークやリエゾン・ダンジュルーズを黒人音楽と並列してかけたこととも大いに関係している。そしてUR、アンプ・フィドラー、ムーディーマンにいたるまで、モジョで育った世代は、どんなにPファンクが盛り下がっている時期においてもリスペクトを忘れることはなかった。デリック・メイはゼロ年代になっても“ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ”をスピンしているよね。
 もう二点、余談をお許しいただこう。まず、ファンカデリックの『フリー・ユア・マインド~』『マゴット・ブレイン』時代、つまり1970年代初頭、同じくデトロイトにはブラック・メルダ(Black Merda)やデス(Death)といった、ジミ・ヘンドリックスやクリームの影響を受けたブラック・ロック・バンドが活動していたということ。デスに関しては、数年前にシカゴの〈ドラッグ・シティ〉がリイシューしているので、そのスジのマニアの記憶には新しい。それはプロト・パンクであり、MC5とファンカデリックの溝を埋める存在でもある。本書においてジョージ・クリントンは「ユーモアを使っているからといって、俺たちが革命を起こすつもりがなかったわけではない。ただし、俺たちが起こそうとしていた革命は、平和かつ快楽主義的で、鏡に映る自分の姿に向かってウィンクをしているような、茶目っ気のあるものだった」と書いているが、逆に言えばそのユーモアと茶目っ気こそ当時の他のデトロイト・ブラック・ロックにはなかったものである。
 もう一点、どうしても書かずにいられないのは、ディスコに関する下りだ。基本的にジョージ・クリントンのディスコに関する認識は、たとえばファンクは貧乏人で、ディスコはなかば金持ちの物質主義者の音楽と決めつけているのだが、それはシカゴの野球場でディスコのレコードが焼かれた時代のロック・ファンの認識とあまり変わらないと言わざる得ない。ジョージ・クリントンと同じように60年代の精神に触発された孤児院育ちの貧しい青年が、やがて自宅でパーティをはじめたことがNYのディスコ・アンダーグラウンドの発端にある。その、デヴィッド・マンキューソからラリー・レヴァンへと連なるコンテキストにおいて、パーラメントの“バップ・ガン”もミックスされている。で、DJカルチャーにおけるミックス・テクニックが誕生したストーンウォールは、いまではシヴィル・ライト・ムーヴメントの象徴のひとつともなった(多少、ハイプが入っていたとしても素晴らしいと思う)。
 まあ、上記のほかにも、詳しい人ならいろいろ出てくるだろう。繰り返すが、Pファンクの物語は、ジョージ・クリントン本人が思っている以上にでかいのだ。だからこそ、その核となるクリントの思考には、いまでも参照されるべきことがある。大バカをやりながらじつは鋭く立ち回ること、これはかなり高度なワザだが、本書を読んでいていちばん嬉しいのは、そのヒントを確認できることである。たとえば次のようなフレーズ──

 俺はプロテスト・ソングとは別の方向に進んだ。俺には、社会的・心理的な事柄、特にその中でも生、死、社会統制といった最もシリアスな考えには、可笑しさがあるように思えた。そして、そこに留まり、喜劇と悲劇、現実と非現実の間のスペースに漂うと、一種の知恵のようなものが生まれてきたのだ。

 これはジョージ・クリントンがビートルズとボブ・ディランから学んだことでもあった。Pファンクの宇宙船が(楽園ではなく)ゲットーに着陸することは、よく知られている。「そこに留まり、喜劇と悲劇、現実と非現実の間のスペースに漂うと、一種の知恵のようなものが生まれてきた」──もっともシリアスな状況に置かれていたデトロイトの黒人少年たちは、この発想を我がモノとしたわけだが、それを彼らだけのものにすることはない。河地依子さんにお会いしたときに、「Pファンクの歌詞では何が好きですか?」というベタな質問をした。そのとき彼女はしばし考えながら「“Think! It Ain't Illegal Yet!(考えろ! それはまだイリーガルじゃない!)”かな」と言った。なるほど。素晴らしい言葉だ。
 いずれにせよ、これは最高の音楽であると同時に床屋の社会学であり、精神解放であり、ファンク哲学である。ファンク、全ファンク、無ファンク、されどファンク、それをステージに上げよう。

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