「PAN」と一致するもの

DUBKASM - ele-king

 ダブカズムのストライダとディジステップは、ブリストルを拠点に90年代からダブ/レゲエのシーンで活動してきた。世代的にはスミス&マイティの後輩、ピンチやペヴァラリストの先輩である。ストライダはセレクターとしてクラブやラジオで活躍。相棒のディジステップは楽曲のプロダクションを行うだけではなく、音楽学校で教鞭も握っているという。
 グッド・バランスなコンビネーションは、ダブステップ世代のプロデューサーたちにも影響を与え、その交流からも数々の名曲が生まれた。ストライダの海賊ラジオを聴いてルーツについて学んだブリストルの若手チーム、ゴーゴン・サウンドのEPを、ダブカズムがまるまる再構築した『ザ・ヴァージョンズ』や、ふたりが生み出したアンセム“ヴィクトリー!”のマーラによるリミックスは、シーンにおける近年の名作だ。
 ブリストルが素晴らしい音楽が生み続けるのは、もちろんそのユニークな環境も理由のひとつだろうけど、彼らのような、世代やスタイルを超えていけるセンスと姿勢を持ったミュージシャンたちによるところも大きい。今回お届けするインタヴューは、ブリストルにおけるダブ/レゲエやダブステップ黎明期の貴重な証言であるだけではなく、音楽と人との関わり方を再考させる言葉で溢れている。
 2016年の2月、ダブカズムのふたりは初の日本ツアーを行い、“ヴィクトリー!”は合唱を巻き起こした。以下の取材は、ツアーも終盤に差し掛かった相模原公演でのリハーサルをぬって行われた。

Dubkasm /ダブカズム
DJ StrydaとDigistepによるイギリス、ブリストルを拠点に活動するレゲエ/ダブのユニット。15才の頃に地元ブリストルで体験したJah Shakaのセッションで人生を変えられ、サウンドシステム文化に没入していく。以降、20年以上に渡りトラック制作/ライヴ&DJ/ラジオ番組などでシーンに関わり続けている。そのトラックはJah Shaka、Aba Shanti-Iらのセッションでも常連で、昨年リリースの「Victory」はここ日本でもアンセムと化している。09年に発表したアルバム『Tranform I』は高い評価を受け、全編を地元の盟友ダブステッパーたちがリミックスしたアルバムも大きな話題となった。最近ではMalaやPinch、Gorgon Soundらとの交流も盛んで、ダブをキーとした幅広いシーンから厚い信頼を獲得している。2016年2月、待望の初来日を果たした。


Photo Credit: Naoki E-jima

1993年に事件が起こる。レコード屋へ行ったら、壁にジャー・シャカのイベント告知のポスターが貼ってあって、そりゃ行くしかないと思って会場に直行した。あれが人生初のサウンドシステム体験で、いま自分たちがやっていることの素地となっているのは間違いない。

■:初来日、おめでとうございます。まずは簡単に自己紹介をお願いします。

ディジステップ(Digistep以下、D):僕はディジステップで、隣のストラライダと一緒にダブカズムというユニットをやっている。人生のほとんどを音楽のプロデュースに捧げてきた。それが今回の来日に繋がったんだから、すごく誇りに思うよ。

ストライダ(Stryda以下、S):俺はストライダって名前で、ダブカズムのふたりのうちひとりを担当。もうひとりはベン(ディジステップ)。いままで訪れたことがない国の知らない街で、自分の音楽をやれて、とてもエキサイティングだ。

■:現在、ふたりともイングランドのブリストルを拠点に活動されています。どんなきっかけで音楽を作るようになったんですか? 以前のインタヴューで、ジャー・シャカのギグから大きな影響を受けたとおしゃっていました。

S:たしかにあの夜は自分たちのインスピレーションになったのは間違いない。OK、時系列をもっとさかのぼってみよう。俺とベンの出会いはお互いが生まれる前だ。妊婦のママさんクラブみたいなのがあったんだけど、そこで俺たちの母親が妊娠中に出会っているんだよ。それでお互いが生まれてから数日で顔を合わせていたらしい(笑)。だから文字通り、俺たちは生まれたときから友だちなんだよね。それで後ほど、偶然にも同じ音楽を好きになって、90年代には一緒に地元ブリストルのレコード屋巡りをしていた。ベンは特にダブのLPを集めるのに夢中になっていて、俺はどっちかっていうと、ダブの7インチと12インチにハマってた。で、1993年に事件が起こる。レコード屋へ行ったら、壁にジャー・シャカのイベント告知のポスターが貼ってあって、そりゃ行くしかないと思って会場に直行した。あれが人生初のサウンドシステム体験で、いま自分たちがやっていることの素地となっているのは間違いない。

■:93年というと、ジャングルやドラムンベースも当時のイングランドで大きなムーヴメントになっていたと思います。ダブやレゲエと並行して、それらのシーンにも興味はありましたか?

S:もちろん。あの時代をブリストルで過ごせたっていうのはラッキーだったね。街の規模が大きいわけじゃないから、周りには異なる音楽のスペシャリストたちがたくさんいて、いろいろ学べた。それに91年にマッシブ・アタックが『ブルー・ラインズ』を出して大きな存在になったときに、地元からあんな音楽が出てきてすごく興奮していたんだ。
 ジャングルに出会ったときもよく覚えてるよ。ブリストルにも海賊ラジオがあって、特定の時間、特定の場所で電波をチューニングすれば、スピーカーから聴いたこともないアンダーグラウンド・ミュージックが流れてきていた。俺のお気に入りはルーツ系の番組だったけど、ラガの番組やジャングル、レイヴ系のものまであったからチェックしていた。もちろん、全部の番組がブリストルのDJによるものだ。ベン、やっぱあの環境は良かったよな?

D:間違いない。僕の場合はジャングルも聴いていたけど、もっと折衷的な音楽の聴き方をしていたね。もちろんダブはいつも自分のパッションの源だけど、幼いころから親父の故郷のブラジルの音楽にも慣れ親しんできた。ボサノヴァ、サンバ、ショリーニョ、ムジカ・ポプラール・ブラジレイラとかね。それと同時に音楽の技術的な側面にも興味があった。8歳ときに両親がヤマハのシンセサイザーDX11を買ってくれて、独学でプログラミングを勉強したよ。マニュアルには日本語も書いてあったのが印象的だったね(笑)。

■:当時、シンセサイザーを弾くことは一般的だったんですか?

D:必ずしもそうじゃなくて、ハイテクなものだって見なされていた。だから、自分をクリエイティヴな方向に導いてくれた両親には感謝しきれないね。ダブカズムの初期の曲にはDX11で作られたものもある。シンセをやっていたせいもあって、実験的な電子音楽も当時から聴いていて、エイフェックス・ツインももちろん通ったし、ザ・フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンやオーブが大好きだった。そこで得た経験は、いまもプロダクションに欠かせないね。当時からテープレコーダーをタンスの上に乗せて録音してたよ(笑)。昔からダブも制作していて、作った曲をストライダに聴かせてフィードバックを貰うことも、そのときからの習慣だね。

■:お互いずっとご近所に住んでいたんですか?

S:いや、そんなわけでもないよ。学校もいつも同じだったわけじゃないし、お互い違った友人付き合いもあったけど、週末はほぼ一緒に音楽をやっていたって感じだ。

D:一緒に休日を過ごしたりね(笑)。

S:そうそう(笑)。ベンが言ったように、彼はかなり初期の頃からベーシックなダブ・トラックを作っていたんだけど、僕はそれを聴かせてもらっていた。まだ当時は曲を聴かせ合うフォーマットはカセットで、ウォークマンで歩きながらよく聴いていたな(笑)。もちろん会ったときに口頭で感想を伝えたりもしたけど、たまに手紙で意見を言ったりもした。「このベースがヤバい!」とかそんなことだったけどね(笑)。

D:スネイル・メール(注:ハガキなどの時間がかかる伝達手段)でそんなことを言っていた時代もあったね(笑)。

■:僕は若手のミュージシャンにインタヴューをすることが多いのですが、彼らの多くはスマホを使って、曲のやりとりは大体ネットを経由して行っています。少なくとも手紙を使って音楽のやり取りしたことがある人には会ったことがありません(笑)。当時はいまほどコンピュータも普及していたわけではなかったと思いますが、そのような環境を振り返ってみてどう思いますか?

S:まぁ、オールド・スタイルだったよね(笑)。90年代はコンピュータを取り入れたりはしていなかったから、プロダクションにそれなりの時間を要したけど、その分感じられる成果も大きかった。いまはテクノロジーが進歩して、プロダクションそのものだけではなくて、いま言ったように、それを取り巻く環境も大きく変わったのは事実だ。でも当時俺たちがやっていたことには、「効率の良さ」の一点には収まりきらないものがあると思うんだ。カセットに曲を焼いて、ラベルを貼って、誰かに送ること。それからサウンドシステムのイベントで、素晴らしいシンガーに実際に会って、デモテープを交換して、次のセッションに繋げること。時間はかかるけど、そうやって音楽だけじゃなくて、友だちのサークルもできていったわけだ。予想外の出会いも多かった気がするし、そうしてできた繋がりって長続きするもんなんだよ。

D: 90年代のエディット作業っていまとは比べものにならないくらい面倒なものだった。いまは音源がソフトになっているけど、前はひとつひとつのハード音源の使い方を覚えるところからはじめきゃいかなかったからね。一個一個の機材をつなげて、それに対応するMIDIのコントロール・ナンバーとパラメーターを割り振って……。それからいまみたいに、機材の動作を完璧にコントロールすることができなかったから、良い意味では偶然性が生まれたし、生のダブ・ミックスの醍醐味も大きかった。まぁ、逆に言えば機材の動作を記録するのが難しいってことなんだけどね。でもいまは、オートメーション機能を使えば、エフェクトのノブの細かい動きでさえも完璧に再現できて、操作がかなり簡略化されている。というか、昔の経験があったから簡単に見えるんだろうね。90年代にハードに慣れ親しんだことによって、いまみたいなデジタル機材が多い環境でも、機材の動きを把握できていることは間違いないし、コンピュータを併用しつつ、いかに偶発的なことをするかという姿勢も身に付いたのは間違いない。いまでもハードを使ってライヴ・ミックスができる環境は整えてあるからね。

■:さきほどおっしゃったブリストル・シーンの良い意味での狭さは、現在にも引き継がれていて、カーン&ニークといった若い世代のプロデューサーたちとも交流する機会が多いと思います。「デジタル・ネイティヴ」とも呼ばれる世代と話していてギャップを感じることはありませんか?

D:テクノロジーの面で言えば、ギャップを感じることは多々あるよ。僕はシーケンサーにアタリのSTeを使っているんだけど、これには文字通りシーケンサー機能しかついていないから、外部の音源と繋げる必要がある。でもいまって、シーケンサーとソフト・シンセが一緒になっているのが当たり前でしょ? だからそれについて説明すると驚かれたりするね(笑)。

S:でも次世代と繋がるのはかなり面白いよ。俺たちだって、ルーツのシーンでは若手だったけど、成長して先輩格のプレイヤーたちと交流や、彼らのリミックスの作業を通して、知識を増やしていったわけだ。そういう立場にいまの自分たちがいればいいんだけど(笑)。

D:真のミュージシャンやプロデューサーになるためには、常に新しいことに心を開いていなきゃいけない。それまでの経験の有無に限らずにね。じゃなきゃ、音楽的にも人間的にもフレッシュでいることなんてできないよね。だから若い世代にも謙虚に接するべきだと思う。

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大量のダブプレートを用いたマーラのプレイや、ポークスのMCを見ていて、完全にピンときたよ。「これは自分たちが携わってきたサウンドシステム・カルチャーの一部だ」ってね。

■:僕がダブカズムを知ったきっかけは、ダブステップのプロデューサーたちも参加していたリミックス・シリーズ、『Transform I – Remixed』でした。2000年代初期にダブステップが出てきたとき、あなたたちはどのように反応したのでしょうか?

S:たしか2004年から2009年の間、ベンはまだブラジルに住んでいたんだよな。俺はブリストルにいたから、ダブステップが現れた瞬間をしっかり目撃することができた。もともとプロデューサーのピンチとは友だちだったんだけど、彼に誘われてイベントによく行っていたよ。あれは彼のイベント、サブローデッドだったかな。とにかく小さいハコだったんだけど、マーラとサージェント・ポークスも出ていて、禁煙法が施工される前だったからクサを吸っているやつも多かった。そんなダークな空間で、大量のダブプレートを用いたマーラのプレイや、ポークスのMCを見ていて、完全にピンときたよ。「これは自分たちが携わってきたサウンドシステム・カルチャーの一部だ」ってね。ダブステップのサウンドは多様だから、レゲエと音楽的にまったく同じだとは言わないけど、文化的な意味ではレゲエ、そしてジャングルやドラムンベースの延長線上にあるのは間違いない。DJがいてMCがいて……、このスタイルはジャマイカに端を発するものだからね。それに、新しい音楽が生まれて、そこに若いやつらが踊りに来るのは、とても健全なことに思えた。
 2007年にはピンチといっしょにティーチングス・イン・ダブというイベントを同じハコでやるようにもなった。あれはブリストルのシーンにとってかなり重要なことだったと思う。あの当時はダブステップ目当てにクラブへ行く人が多かったんだけど、俺たちのイベントは2階構造になっていて、上の階はダブステップのフロアで、下ではレゲエのルーツサウンドが流れていた。多分あの試みは初めてだったんじゃないかな。サウンドシステム・カルチャーという括りのなかで、ダブステップのルーツを提示したわけだ。その現場に来ていたのが、カーンとニークだったりしたんだよね。


ティーチズ・イン・ダブのフライヤー。同クラブの別フロアではピンチ主催のイベント、サブローデッドが行われていた。

よく若い世代から、「ダブのBPMって何ですか?」って訊かれるんだけど、そんなものないよ(笑)。

D:音楽的には、低音を強調する点においてはレゲエやルーツに共通するよね。あえて違う部分を言えば、ダブステップのプロデューサーはテンポに縛られ過ぎているように思える。よく若い世代から、「ダブのBPMって何ですか?」って聞かれるんだけど、そんなものないよ(笑)。僕はブリストルにあるdBsミュージックという学校で音楽テクノロジーを教えていて、学生の多くはダブステップ的なアプローチをしてくるんだけど、彼らはジャンルのルーツであるダブに強い関心を示すんだ。僕はデジタル技術だけには収まらない方法、例えばミックスに外部の機材を使ったりするダブの手法を教えると、パソコンに慣れ親しんでいる学生たちでも、それを貪欲に吸収しようとする。ライヴだけではなくて、制作の現場でも次世代との繋がりできるのは嬉しいね。なかには「ダブプレートってどこでどうやったら切れるんですか?」って質問をしにくる学生もいて、デジタル時代のなかでもダブの手法は残ることは可能だって実感した。

S:90年代のブリストルにおけるジャングル・シーンについて補足すれば、ジャングルにダブやレゲエの影響を見ることはできたけど、その逆はほとんどなかったと思う。さっき言ったようなティーチングス・イン・ダブみたいなイベントもなかったからね。当時は各シーンがいまよりも分離していて、その状況を変えようという意味でも、俺たちはそれとは逆のベクトルへ進んで積極的に異なるものをミックスしようとしたわけだ。

■:いまよりもシーンに隔たりがあったのは驚きでした。では、ダブステップが現れる前は、おふたりはレゲエやダブのイベントにだけ出演していたんですか?

S:最初の頃はベンといっしょにプレイすることはあんまりなかったんだよね。ベンは勉強のためにロンドンに住んでいたし、そのあとにはブラジルにしばらく引っ越していたからさ。だからふたりで頻繁にツアーをするようになったのは、2009年以降なんだ。だから2000年代の最初の頃は、俺はストライダ名義でダブのセッションに出ることが多かったよ。それから当時はブレイクビーツのシーンもあったりして、そういうイベントでプレイしていた。

■:最初にふたりでやったライヴを覚えていますか?

D:初めてのショーは、僕の通っていた大学でのライヴだったよね? 98年頃のことだ。ストライダはその頃、僕に会いにロンドンによく来ていてね。会場は大学の学生バーだった。誰もダブのセッションがはじまるなんて予想していなかったな(笑)。シンセやサイレン装置をバーのテーブルの上に設置して、サムはテープを準備していた。

S:そうそう(笑)。それでロンドンから帰ってきてから、俺はそのライヴの録音をブリストルの海賊ラジオで流したんだ(笑)。それを聴いたヤツからは「お前はロンドンを完全に自分たちのモノにしてるな!」って言われたくらい、その録音はヴァイブスを捉えていた。たぶん、あれが学生バーでのライヴだったってことは気づかれなかったんじゃないかな(笑)。

■:そのときはいまと全く同じスタイルでライヴをやっていたんですか?

S:俺は曲を流してベンがサックスを吹いていたから、いまとあんまり変わらないよ。

D:その時もさっき話したヤマハのDXを使っていたね。


大学で行われたライヴのフライヤー。当時はダブチャズム名義で活動していた。本人たちのフェイスブック・ページより。

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(海賊ラジオは)イリーガルな行為だから、アンテナやレコードを常に隠していなきゃいけないし、おまけに放送場所も変えなきゃいけない。でもそこまでして、アンダーグラウンドな音楽が流れるプラットフォームを作る価値はあったね。

■:DJに合わせてサックスを吹くというアイディアはどう生まれたのでしょうか?

S:俺はもともとストライダとして、レゲエのセレクターをやっていたから、マイクを使うことには慣れていた。厳密なミックスをするわけではないから自分のことはDJとは呼べないかな(笑)。このスタイルでライヴをするのは、かなり自然な成り行きだった。
ベンはサックスだけじゃなくて、ギターを入れたり、エフェクトを使ったり、当時からいろいろやっていたよ。でもライヴでそのスタイルになったのは、かなり自然なものだった。それから俺たちの名前がダブカズムなように、ダブ、つまり7インチで言うならB面のヴォーカルが入っていない曲にフォーカスをしているから、ベンがメロディを作る余地があることも大きいかもしれないな。

■:ディジステップさんは自身のプレイにおいて、即興性をどのように表現していますか?

D:メインのメロディを別にすれば、すべて即興だね。僕は昔から耳コピを通して音楽を習得してきた。幼い頃はお母さんが弾くピアノを聴いて、メロディを作る練習をしていてね。だから流れている曲のキーに対して、自分で要素を付け足すのは早いうちから習慣化されているんだ。いまでもその延長線上でサムとセッションをしている。

S:90年代にロンドンの伝説的なダブ・セッション、ブリクストン・レックに出たことがあってね。そのオペレーターであるアバ・シャンティアイ(Aba Shanti-I)のセットにベンはサックスで参加していた。ものすごく凶暴なサウンドシステムであるにも関わらず、ベンはちゃんとキーを拾ってプレイできていたんだよ(笑)。ハードなダブに合わせてスウィートに吹けるのが、彼の素晴らしいところだと思う。

D:シャンティアイのバンドでもプレイすることがあったんだけど、ものすごい体験だったよ。正しいフィーリングで吹くにはどうするのか、どう即興するのか、プレイ中何を聴くべきなのか、とても勉強になった。レゲエのプレイではかなり具体的なイントネーションが求められるからね。

■:ストライダさんは地元のブリストルをベースにしたラジオ番組『サファラーズ・チョイス・ショー』でも活躍されています。

S:『サファラーズ・チョイス・ショー』は1996年に、ラガFMっていうところから放送を開始して、それからパッションFM、サブFMに移動して、いまはオンラインで聴ける。ブリストルという街でラジオを長く続けるにはどうすればいいのかって考えながら続けているよ。

■:海賊ラジオもやっていたということは、放送に必要なアンテナなども持っていたんですか?

S:もちろん! あれはエキサイティングな体験だったよ(笑)。イリーガルな行為だから、アンテナやレコードを常に隠していなきゃいけないからさ。おまけに放送場所も変えなきゃいけない。でもそこまでして、アンダーグラウンドな音楽が流れるプラットフォームを作る価値はあったね。そのリスナーがカーンだったりして、彼はダブやレゲエについて勉強になったと言っていた。次の世代に音楽を伝える役割も果たしていたわけだ。いまでは世界規模で配信ができるわけだけど、ローカルにおいても海賊ラジオの存在は重要だと思う。でも『サファラーズ・チョイス・ショー』がオンラインで聴けるようになって、俺のリスナーが増えたことは間違いないし、それはすごいことだ。ブリストルと世界が繋がったってことでもあるからね。

■:2013年にリリースされた“ヴィクトリー!”は、今回の来日公演でもオーディエンスの合唱が起きていたように、大きなヒットとなりました。2015年にはマーラによるリミックスも話題になりましたが、どのような経緯で彼のリミックスを出すことになったんですか?

S:ベルギーでショーをしたときに、マーラと偶然出くわしたことがあってね。同じユーロ・スターに乗っていた。俺たちダブカズムはベルギーへ向かっていて、彼は自宅のあるブリュッセルに帰る途中だった(笑)。その前にもクラブで話したことがあったんだけど、そのときは音が大きかったらちゃんと話すことができなかったから、初めて真剣にいろいろ話すことができたんだ。それですごく共感してね。俺もマーラも子供がいるから、音楽の話もしたけど、主に子育てについて語り合っていたよ(笑)。そういう友人関係からスタートして、いっしょにセッションをするようになった。“ヴィクトリー!”のリミックスを誰かに依頼しようと考えていたんだけど、マーラは理想的な人物だった。レゲエのバックグラウンドもあるし、俺は個人的に彼をダブステステップのジャー・シャカだと思っている。それでリミックスを依頼した。マーラがリミックスするのはすごくレアだから、上手くいかないかもって思ったりもしたんだけど、依頼していたら1年後に曲がフルで送られてきて、嬉しかったね。マーラに限らず、リミックスで再解釈されるっていうのは面白い体験なんだけどさ。彼のレーベル〈ディープ・メディ〉のファミリーたちともパーティで知り合えて、とてもエキサイティングな関係だよ。

Victory - Dubkasm (Mala Remix)

■:それでは最後に、日本のオーディエンスにコメントをお願いします。

D:日本の文化や出会ったものにすごく愛着を感じている。訪れた場所と、そこで活動するミュージシャンたちも素晴らしくて尊敬しているよ。これなでいろんな場所を回ってきたけれど、日本はそのなかでもかなりユニークだね。自分たちのツアーに関わってくれた人々、とくにBS0のクルーに感謝したい。こんなマジカル・キングダムに呼んでくれてありがとう(笑)。

S:好きな音楽を追っている人々の姿は、いつも俺にインスピレーションを与えてくれる。俺たちはブリストルで育ったから、あの街で起きていることはいたって自然なことなんだけど、日本に来てみたら、俺たちの活動やブリストルのシーンはすごく固有なんだって気づかされた。自分たちのやってきたことを、こういう形で共有することができて大変嬉しいね。『おでんくん』から日本の家族まで、体験した文化すべてが素晴らしかった(笑)。これから先、何年もこの体験を思い出すことになると思う。ありがとう!

取材協力:BS0

Skepta - ele-king

もうジャージを脱ぐ必要はない

 『コンニチワ』は、ロンドンから生まれたグライムというやり方で世界にチャレンジしたアルバムだ。
 メリディアン・クルー、ロール・ディープを経て、2006年に自身のクルー/レーベルである〈ボーイ・ベター・ノウ〉を創設し、これまでに同レーベルから『グレイテスト・ヒッツ』、『マイクロフォン・チャンピオン』そしてメジャー・レーベルから『ドゥーイン’イット・アゲイン』と、3枚のフル・アルバムをリリースしてきたスケプタ。しかし、近年彼の名前と「グライム」自体を世界的に知らしめたのは、2014年にリリースされたシングル「ザッツ・ノット・ミー」だ。 また、2015年にはモボ・アウォーズでカニエ・ウェストと共演、2016年の初めにはニューヨーク現代美術館モーマ PS1でのパフォーマンス、ドレイクが〈ボーイ・ベター・ノウ〉と契約するなど、海を超えアメリカ、そしてアートやファッション界からも注目を集めた。そんななか、2016年5月、1年の発売延期を経てようやくリリースされたのが、フル・アルバム『コンニチワ』だ。

 このアルバムには、ロンドンの不良らしく、反抗的で暴力的、そしてユーモアと力強いストリートのグライムがある。しかし、グライムをメインストリームでリリースするという一見に単純に見える行為は、それほど難しいことだったのだろうか?
 これまで、アンダーグラウンドのグライムをメインストリームに持ち込むことは、MCにとってひとつのチャレンジだった。ディジー・ラスカル やワイリーはメジャー・レーベルと契約しメインストリームに挑戦してきたが、キャリア的に成功したとは言い難い。その後、彼らは「パーティ・チューン」を出してヒットを狙い、ストリートの物語を捨てて「アメリカのセレブのように」気取らなければならなかった。ポップ・カルチャーにおける「グライムらしさ」はナイフ、ギャング、喧嘩のイメージを内包しており、それらは大衆向けには「脱臭」すべきものだったからだ。スケプタの『ドゥーイン’イット・アゲイン』も、いま聴き返せばダブステップの流行りに乗ったポップスのようである。

 しかし、今作ではスケプタはインディペンデントでの制作を貫き、いい意味で仲間とやりたいようにやっている。スポーツ量販店のJD スポーツで売られているような、ロンドン郊外の不良たちが着るジャージのセットアップ。それに身を包むスケプタは象徴的だ。

 Yeah, I used to wear Gucci
 I put it all in the bin cause that's not me
 確かに俺は昔はグッチ着てたけど
 それは俺らしくないからもうゴミ箱に捨てちゃったよ (Sekepta - That’s Not Me)

 リリックは粗さや怒りに満ちている。“クライム・リディム”では、警察やストリートのいざこざのストーリーをラップし、「It Ain’t Safe = 安全じゃない」というラインはスケプタの地元トッテナムのイメージと重なる。2011年に起こったイギリスの暴動がトッテナムからはじまったように、そこは「警察にとってすら安全じゃない」場所だ、と。

 リリックの外側にも注目すべきだ。リードトラックの“マン”のMVは、グライム黎明期から発売されているドキュメンタリーを手掛けてきた、リスキー・ローズ(Risky Roadz)が撮影。その荒削りな映像は2000年代のグライム・ビデオのスタイルを継承し、これまでのMCが「脱臭」してしまった要素を全て飲み込み、音は粗く、ギャングの「遊び」はヴィデオの隅々に浮かび上がっている。


Skepta - Man

 ミュージック・ヴィデオの内容も、彼の警察への反抗的な態度の表明である。“シャットダウン”のMVが撮影されたのは、スケプタの弟JMEの出演が警察によって中止されたイベントが開催される予定だったバービカン・センターであり、ショーディッチの駐車場では無許可でレイブを行った。このようなリリックの外側における、よりローカルな文脈でのアクションが、スケプタのアティチュードのリアルさを裏付けている。


Skepta - Shutdown

 『コンニチワ』が「ストリートらしさ」を失わなかったことには、彼ら自身のホーム〈ボーイ・ベター・ノウ〉からのリリースである点も関係しているだろう。メジャー・レーベルと契約せずともインディペンデントで莫大なセールスをあげる、それ自体が凄いことだ。それを支えるのは、同じくインディペンデントな海賊ラジオ、YouTubeチャンネル、グライムをプッシュしてきた無数の音楽メディアたちであり、そこでローカル・スターは日夜生まれていて、ノヴェリストやチップといった次世代のMCたちが今作の客演陣にはクレジットされている。

 サウンド面では、“ザッツ・ノット・ミー”ほど、クラシックなグライムのエッセンスを感じられなかった。USを意識した“ナンバー feat. ファレル・ウィリアムズ”にはリリックにもサウンドにもそれがない。また一貫したストーリーがアルバムになかったためか、どこかシングルの寄せ集めのような印象を抱いた。しかし、いくつかの曲にはシングル・カットにふさわしいパンチラインがある。
 彼はジャージを脱がずに、ジャージをクールに魅せた。初週全英チャート2位という功績によって、「自分たちのやり方でやればいい」と世界に証明したのだ。

interview with Shuntaro Okino - ele-king

   沖野俊太郎は、ヴィーナス・ペーターという、その真価を未だ十分に認められたとはいえないセカンド・サマー・オブ・ラヴ直系のインディ・ダンス・サイケデリック・バンドフロントマン/ヴォーカリストとして知られている。彼は90年代初頭に世に出た新しい世代のなかでも、その才能とポテンシャルに比べ過小すぎる評価を受けたアーティストの筆頭格といっても過言ではないヴィーナス・ペーターの初期からの支持者として、ぼくもまたそんな現状に歯がゆさと苛立ち、ぼく自身の力不足をも感じてきた。

   しかし、沖野昨年リリースした、ソロとしては15ぶりのアルバム『F-A-R』は、そんな不当な評価をくつがえすに足る素晴らしい内容の復帰作として、ヴィーナス・ペーター以来の根強いファンのみならず、2000年代に国境を越え反響を呼んだ『LAST EXILE』や『GUN×SWORD』などのTVアニメの主題歌・挿入歌で彼を知った新しいファン驚喜させ、ひいてはヴィーナス・ペーターのさらなる再評価を促す最高傑作となった。

 

「全てあきらめてしまったわけじゃない/すこし疲れただけなんだ/心配なんかいらないんだよ」(“声はパワー”)

「オレは光/オレは光/闇夜/引き裂く/Im the light,everlast」(“The Light”)

「この夜にさよなら/この夜にさよなら/その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」(“この夜にさよなら”)

 

   アルバムの冒頭の3曲を聴いただけで、漲るような生命力と充溢を感じるF-A-R』は、インストのインタールードを除くすべての楽曲に自作の日本語詞が付いている。メジャー、インディーを問わず当たり前のように英語詞のバンドが受け入れられている現在からは考えられないほど、英語詞というだけで賛否を呼んだ(日本語詞で歌わないというだけで否定的な反応が多かった)過去の葛藤が嘘のように、飾らない言葉とあまくとろけるメロディ、これまでの音楽遍歴を血肉化した変幻自在のサウンドにのって、聴き手の体を揺らし、心を躍らせてくれる。

   93年、ヴィーナス・ペーターの〈トラットリア〉からのラスト・アルバムとなった『Big Sad Table』のなかで、「ほしいものは何もなくて/待つ者も誰もいなくて/のろのろ歩くしかなくて/見えてるものも見えなくなる」(“The Tripmaster Monkey”)と酩酊していた若き日の姿は、そこにはない。彼自身の人生観の変化と人間的成熟を感じポジティヴなトリップマスター、それが最新型の沖野俊太郎だ。

(あくまで私見だが、“宅録マスター”としての沖野の資質には、ぼくここ数年来、密かに耽溺しているマック・デマルコ、マイルド・ハイ・クラブ(アレックス・ブレッティン)、アリエル・ピンクといった、2010年代のデイドリーミングなローファイ・サイケ・ポップの精鋭たちと共振する先駆的センスを感じる)

 

   そして、この度リリースされた『F-A-R』と対になるリミックス・アルバム『Too Far』には、十代の頃、velludo(ビロードというバンドを共に組んでいた盟友・小山田圭吾(コーネリアス)をはじめ、サロン・ミュージック、シュガー・プラント、元シークレット・ゴールドフィッシュの三浦イズルと山本アキヲ、元スーパーカーのナカコー、GREAT3の片寄明人ら、90年代に同じフィールドを共有していた同世代、もしくは近い世代のアーティストから、リン・モリのように沖野とはこれまで接点のない若い世代のアーティストまで多彩なリミキサーが参加し、「遠くへ!」という沖野の呼びかけに対して「遠すぎるよ!」と賛辞を贈る最高にフレッシュなトラックを提供している。

 すべての創造行為は、どんなものであれ、作者自身のリアル・ライフと夢想との間に横たわる気の遠くなるような距離を、イマジネーションの力で超越する冒険だ。サイケデリアは逃避のための夢想ではなく、どれだけ遠くまで行けるかという人間の限界への挑戦なのだ。ロックは、何時でも現実と対決し乗り越えるための天啓となりえる。

 

「物語は自分次第でそう/変わっていくんだ/We are stories(“We Are Stories”)


 2016513日、ヴィーナス・ペーターの再結成時を除けば、95年のソロデビュー・アルバム『HOLD STILL-KEEP GOING』のリリース以来、21年ぶりの再会となった沖野とのインタヴューには、やはり同世代の盟友であり、当時ヴィーナス・ペーター、シークレット・ゴールドフィッシュ、デボネア、ビヨンズらが所属していたインディ・レーベル〈Wonder Releaseの創設者、現在は元銀杏Boyzの我孫子真哉らと共に注目の新レーベル〈Kilikilivillaを運営するDJ/ライター/オーガナイザーの与田太郎も同席、対話に加わってくれた。


■沖野俊太郎 / SHUNTARO OKINO
  (ex. Venus Peter / aka. Indian Rope / Ocean)
1967年3月23日、東京生まれ。1988年、小山田圭吾とvelludoというバンドでインディーズ・デビューするも沖野本人のニューヨーク行きにより活動停止。1990年、ニューヨーク+ロンドンから帰国後、Venus Peterに加入。〈UKプロジェクト〉及び〈ポリスター(trattoria)〉よりアルバム3枚を発表。1994年のバンド解散後、ソロ・アルバムを2枚リリース。小泉今日子他、アーティストへの楽曲提供を行うかたわら、2000年にはソロ・ユニットであるIndian Rope名義にてEP3枚、アルバム2枚を発表。テレビアニメ『LAST EXILE』(2003年)や『GUN x SWORD』(2005年)のテーマ曲や挿入歌の作曲でも知られる。2005年には1年のみの期間限定でVenus Peterを再結成。2006年には13年振りのアルバム『Crystalized』をリリース、ツアーも行う。2008年、Venus Peterのギタリスト石田真人とのニュー・プロジェクトOCEANのミニ・アルバム発表後、ソロ活動を続けながら昨年2014年にはVenus Peterの8年振りとなる新作『Nowhere EP』をリリース。2015年、ソロとしては15年振りのフル・アルバム『〈F-A-R〉』が完成。同年秋、サブ・プロデューサーであるタカタタイスケ(PLECTRUM)を含むバンド、The F-A-Rsを率いてライブ活動を再開。ニュー・アルバム 『〈F-A-R〉』を11月11日にリリース。2016年、アルバム『〈F-A-R〉』を総勢12組のアーティストによって再解釈したリミックス・アルバム 〈Too Far [F-A-R Remixes〉を発表する。

復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。


SHUNTARO OKINO
Too Far [F-A-R Remixes]

Indian Summer

Rock

Tower Amazon


SHUNTARO OKINO
F-A-R

Indian Summer

Rock

Tower Amazon

ぼくは『Too Far』、すごく好きです。いいトラックがいっぱいあるし、なによりも沖野くんのパワーが、参加したリミキサーの人たちにしっかり届いてる。みんなが沖野くんのセンスに共鳴していて、「沖野くんのこういうところがカッコいいんだよ」って、いろんな角度からプレゼンテーションされてる気がしました。その結果、それぞれのトラックを通してリミキサー自身の資質も見えてくる。そういう意味で、愛のある理想的なリミックス・アルバムだなと。リミックスって、オリジナル曲のトラックの中から「俺はここが好き」という部分を拡張して、さらにカッコよくするというのがひとつの理想だと思うのですが、ぼくの個人的な好みで選ばせてもらうと、断トツに好きなのがシュガー・プラントのリミックス(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)。これは超クール! 7インチ・ヴァイナルで欲しいなと思いました。

沖野俊太郎(以下沖野):レーベルの社長もあれがいちばん好きなんですよ。

構造的にはシンプルだけど、トラックを構成してる要素の一個一個が素晴らしい。ダンサブルなベースライン、クールなエレピ、そしてドラム・ブレイク。その上で沖野くんのヴォーカルが際立つという。余計なものが一個もなくて、本当に理想的だなと。ダンス・トラックとしても、リスニング・トラックとしてもいけるし、これぞロックだという感じ。2016年にそういう新作を聴けることがどれほどうれしいことか。
いまや“ロック”という言葉や概念そのものが完全に形骸化して、とっくに終わっているようにみえるけど、ぼくは、ロックは死ぬ、しかし何度でも蘇ると思ってるんです。誰か一人でもロックに価値を見出せたら、ロックは生きてると。そういう意味では、沖野くんがロッカーとして、いまの日本に存在しているという事実が、すごくうれしい。この曲(“When Tomorrow Ends(speakeasy mix)”)聴いてると、気分が上がる。オープニングの三浦イズルくん(The Lakemusic)の“I’m Alright,Are You Okay?(lady elenoa mix) ”も最高にいい。この2つのトラックに挟まれた他のトラックも、みんなそれぞれの佳さがあって、とても楽しめました。
沖野くんは「感覚だけでいままで生きてきたし、音楽を言葉で説明するのが好きじゃない」と言う。その気持ちもわかる。だけどカルチャーって、作り手に対する受け手の「俺は、私はこう受け取った」という解釈があって、つまり双方向のコミュニケーションがあってこそ成り立つものじゃないかな。良質なジャーナリズムがロックのカルチャーに貢献することがぼくの理想で、そういう意味でライティングにも力を入れて世代間を繋ごうとしている、与田(太郎)さん(kilikilivilla)の最近の活動にもすごく共感しています。『Too Far』というこのリミックス・アルバムは、オリジナルの『FAR』が企画されたときから両方出そうと考えていたのですか?

沖野:いや、ぜんぜん考えてなくて。コーネリアスにリミックスを頼んだのも、正直、宣伝に使わせてもらおうというようなところもあった。

でも、単なる宣伝なわけないでしょう? 小山田くんとの対談を読んでグッときたしね。

沖野:(照笑)『F-A-R』のアウトテイクが数曲あるんですよ。それをEPで出そうか? みたいな話になったときに、誰かのリミックスも入れたいね、じゃあコーネリアスがいいね! ということになったんだけど、流れで他にもいろんな人に頼むことができて。だったらもうアルバムにしちゃえ! っていうふうに、なんとなく決まりました。

これは作ってくれて本当によかった。オリジナルとリミックスの両方があって初めて見えてくるものもあると思うし。リミキサーのセレクションは沖野くんが全部考えたの?

沖野:そうですね。この人がやったのを聴いてみたいという基準で頼みました。

それは曲ごとの指名?

沖野:いや、それぞれのアーティストに選んでもらいました。選ばれなかった曲はしょうがないから俺がやるという感じ(笑)。

I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix)

全体を通して聴いてみて、とてもおもしろかった。普段はリミックスとかあまりやっていない人もいて、自分の音楽ではなかなか出せない部分を出していたり、そういうところも興味深くて。それでは1曲目から順に訊いていきたいと思います。まずイズルくん(The Lakemusic)の“I'm Alright,Are You Okay? (lady elenoa mix) ”から。

沖野:イズルくんは「やらせて」と言われた(笑)。彼はそんなに自分の作品を作ってる感じでもなかったけど、映像制作の関係で付き合いはあって。仲はずっと良かったんだよね。

彼がこういうメンバーの中にいてくれないと寂しいというのもあるけど、一曲目だからね。いきなりヴォーカルとストリングスだけで始まって、そのまま最後まで引っ張る大胆なプロダクションに驚きました。

沖野彼は河口湖の地元でミュージカルのオーケストラの作曲とかもやってて、オーケストレーションを僕の作品に活かしてみたいから「自分にも参加させてくれない?」って。

アルバムのオープニングにふさわしいし、沖野くんの声を強調することで、マジックを生み出してると思った。あと、“I'm Alright, Are You Okay?”というタイトルの曲を選んだことにもメッセージを感じます。「ぼくは大丈夫、きみは大丈夫?」――それはイズルくんからのアンサーでもあると同時に、リスナーへのメッセージも含まれてる気がする。昨年リリースした『F-A-R』を聴いて、「沖野くん、久しぶりに復活したな」という印象を持った人も多かったと思いますが、そういう意気込みで新作を作ったのですか?

沖野:いやあ……復活、うーん。どちらかと言うと「整理した」というか。中途半端で終わっちゃったような曲がものすごくストックしてあって、とりあえず1枚出さないと次に進めないという状態が10年くらい続いちゃってて。そういうときの気分で選んだんですよね。

何かしらの基準はあったの?

沖野:うーん……どうだったけな(笑)。そのときアルバムにするなら、という感じで選んだかな。コンセプトはなかったんで。

「自分はこれをやるんだ!」という吹っ切れた感じがすごく伝わってきて、楽曲も粒が揃ってたし、沖野くんの最高傑作だと思いました。オリジナルの『F-A-R』の中で、ぼくがいちばん好きな曲は“Welcome To My World”なんです。これはまさに沖野くんの世界を構成している要素が、サウンドにもリリックにもいろいろ入っているなと。ウェルカム・トゥ・マイ・ワールド――それは、言ってみればアーティストの基本姿勢というか、それに尽きると思うんです。だから、もう一回自己紹介する、というニュアンスもあるのかな? 昔の友達やリスナーへの「久しぶり!」という挨拶、もちろん新しいファンに向けている部分もあったと思うし。

沖野:詞を書いたきっかけは、基本的にはもっと個人的なことなんですけどね。

たとえば何かエピソードはありますか?

沖野:いやあ……ぶっちゃけると、再婚して子どもができて。妊娠してお腹の大きい嫁を見て生命というか、そこからなにか感じたものを歌詞にしていった感じだったかと。時期的にはそうですね。

そうなんだ……これはぼくの勝手な解釈なんだけど、ある意味、引きこもりアンセムみたいだなって(笑)。それは肯定的な意味で言ってるんだけど。ぼく自身、引きこもり的な感覚をいまの自分の中に感じざるを得ないところもあるし(笑)、もはや引きこもりをポジティヴに捉えられないと、現代をサヴァイヴできないという認識もある。

沖野:2012年くらいから曲は書いてあったから、その頃は引きこもってるつもりはないですけど、潜ってましたからね。間違ってないです(笑)。

ぼくの解釈を押し付けるつもりはないので、念の為(笑)。この心地よい浮遊感を音楽に還元できるというのは、沖野くんの素敵な才能だと思っていて。自分の世界の中で自由に遊び、感覚を解き放つのは素晴らしいこと。

沖野:でもいろいろとやる気を出してきた頃ですよ。

「あぁ こころはもう雲の上まで/上昇したまま/宇宙まであと少し」って歌ってるしね。このリリックが好きなんです。「光を纏い/命の深い闇の中/泳ぐ幸せ/君に似合うよ/Welcome to my world」。こういう詞を書けるようになったんだな、と思って。この曲は大好き。トリッピーな曲が多いのは相変わらずだけど、本人はそんなにドラッギーな感じではないなと。

沖野:もう、だって……更生したというか。

(笑)。もうひとつ訊きたかったのは、『F-A-R』のラスト・ナンバーで最後に赤ちゃんとの会話が入ってる“Mood Two”というインストのリミックスが『Too Far』には入ってないけど、あれは誰にも渡さずにおこうという感じだったの?

沖野:べつに誰にも選ばれなかったという……。

これは手をつけちゃいけないとみんな思ったんじゃないかな。沖野くんがまたどういうふうに作るのかなあ、と思ってリミックスを聴いたら、あれだけは入ってなかったから、やっぱり手を付けなかったんだと思って、それはそれで感動しました。では、とくに意味はなかった?

沖野:意味はないですね。

「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。

了解(笑)。ではあらためて、イズルくんのリミックスをもらったとき、どういう感想を持ちましたか?

沖野:すごいグッと来ましたねえ。昔からちょっと“エリナ・リグビー”とかを意識してて。

なるほど! ふたりともビートルズ大好きだもんね。

沖野:「オーケストラのみ×歌」って、やりたいと思いつつ自分でやったことなかった。それをやってくれたのでうれしかったですね。メロディがこういうふうに響くんだなあって、自分でも思った。正直、期待してなかったんですよ(笑)。

(一同笑)

沖野:最近は彼、あんまり真面目に音楽やってる感じじゃなかったから。「良かったら使うよ」みたいな依頼で(笑)。そういうところは気さくに話せる。

イズルくんは映像制作の仕事が多いけど、〈fantasy records〉という自らのレーベルを立ち上げて、音楽活動もマイペースで続けてるよね。

沖野:そしたらすごい良かったなあ。嬉しかった。

これは1曲目に置きたいなと思った?

沖野:それは、その時には思わなかった。曲順は本当に悩んで。曲順を決めるために聴き飽きちゃったくらい。

誰かに相談して、という感じじゃなくて、やっぱり自分で決めたかった?

沖野:いや、相談もしました。リミキサーを決めるにあたって、一応自分の中で、90年代からいまもリミックスなりトラックなりを作ってる人、現役でやってる人がいいというこだわりがあったんで。初めは頼みたいと思っていても、最近やってない人には、結局頼まなかった。だから複雑な気持ちの人もいると思う。

The Love Sick(Akio Yamamoto mix)

2曲目の“The Love Sick(Akio Yamamoto mix)”は、オリジナル・ヴァージョンもヴィーナス・ペーターを想わせるファンキーなロックで大好きだけど、アキヲくんにはどういう頼み方をしたの?

沖野:アキヲくんは『FAR』のマスタリングもやってもらってるし、彼のトラック・メイキングの仕事をずっと知ってて。アキヲくんとイズルくんって元Secret Goldfishだし、いまだに仲良くて。で、ちょうど電話がかかってきて「あ、アキヲくんがいたよ!」と思って、本当にそんな感じで決まりました。いろいろ彼の作品を聴いたりして、音に対する鋭さというか、感性がすごいから、どういうトラック作るんだろうと思って。

沖野くんの志向性として、浮遊感だけじゃなくてエッジーな尖った部分というのもあって、そういう表現を別名義のOceanとかIndian Ropeでやってるし、きっとそういうものが欲しかったんだろうな、って。

沖野:とにかく徹底的に自分の音楽を追求している人だよね。

アキヲくんは本誌の古くからの読者にはお馴染みのHOODRUM(田中フミヤとのユニット)とか、『Too Far』に“The Light(I’m the 2016 light years home mix)”を提供してる高山純(Speedometer)さんと組んだAUTORAとか、他にもAkio Milan Paak、Tanzmuzikなど複数の名義を使い分けて多彩な活動を続けてるアーティスト。曽我部(恵一)くんのベスト・アルバム『spring collection』のマスタリングも彼が手がけてて驚きました。「The Love Sick」のリミックスはテクノ寄りのマッドチェスターという感じで、沖野くんにぴったりハマってる。3曲目の「The Light (bluewater mix)」のbluewater(Hideki Uchida)さんは、ぼくは不勉強で知らなかったけど、すごくカッコいいトラックを作る人だなと。

Shuntaro Okino&The F-A-R’sによるライヴの模様。曲は“The Light”

沖野:彼は与田さんが出たりしてる〈SUNSET〉っていうイヴェントでレギュラーDJをやっていて、立候補してくれたんです。リミックス・アルバムを出す話が出る前だね。彼はストーン・ローゼスの“エレファント・ストーン ”かなんかのマッシュアップをやってたんだよね。それがすごい良くて。

“The Light”のオリジナルって、マッドチェスターのフィーリングがあるサイケデリック・ロックでしょう? リミックスは4つ打ちなんだけど、「オレは光」っていう歌詞のキー・フレーズに着目して、言葉のパワーをさらに増幅するような解釈が新鮮で、こう来るか!と。

沖野:彼もマッドチェスターとか全部通ってて。

このリミックスを聴いた感想は?

沖野:この曲はアシッド・ハウスっぽくて、すごく気に入りましたね。あれなんだろう、アシッド・ハウスっぽいよねえ。

与田:しかもフロアで聴いたときにすごくダンサブルだった。実際にクラブで掛けたんですけど。踊るオーディエンスの気持ちがよくわかってる。

Summer Rain(Shunter Okino mix)

4曲目の“Summer Rain(Shunter Okino mix)”、これを自分でやったというのは何かあるの?

沖野:意味はないです(笑)。これは余ってたので、自分でやりましたね。

これもサイケデリックなヴィーナス・ペーター以来の王道というか、このラインは沖野くんの専売特許で、いつやってもいい十八番。それを自分でリミックスしようとなると、どういうふうにやろうと思ったの?

沖野:もう何も考えないでやりましたね。

同じ曲でもいろんなヴァージョンがあったりするのかな?

沖野:最近ハードディスクを整理して出てきたんだけど、この曲はあと2つくらいヴァージョンがありましたね。そっちを出してもおもしろかったなあ。

Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)

そして5曲目は与田さんの“Welcome To My World(YODA TARO welcome home remix)”、これは素敵です。愛を感じますね。

与田:『F-A-R』の中でいちばん好きな曲なので選びました。

沖野:与田さんは俺のことを本当にわかってるんで。与田さんが好きな世界もわかってるし、ああ与田さんだ、みたいな(笑)。

「ウェルカム・ホーム・リミックス」っていうネーミングもいいなあ。

沖野:ちょうど欲しかったタッチの曲になってくれた。

やっぱり2人とも音に対して繊細なところがあるので、とても丁寧に音を構築しているところが好きですね。ネオアコ的な清涼感もあって、すごくいいアクセントになってる。

与田:僕はミュージシャンじゃないんで、むしろ元ネタありきで、この沖野くんの声にこの曲のビートとこの世界観を合わせてみたらどうなるんだろう、というやり方なんです。サンプリングで作っているような感覚なんですけど。この曲はインディ・ダンスにしたかった。テンポ遅めのインディ・ダンスにしようと。

自分のパーティーで掛けたい曲?

与田:そうですね。

Swayed(Linn Mori Remix)

これとその次の“Swayed(Linn Mori Remix)”が隣り合わせているのは、必然性があるというか、よく馴染んでいていいなあと思いました。リン・モリさんはどういう方ですか?

沖野:リン・モリくんはサウンドクラウドで適当にたどっていたら、ぶち当たって。彼の作ってるトラックが全部良くて。まだ25才かな。自分でいろいろ調べましたね。ずっと印象に残ってたんですよ。それで今回リミックス・アルバムをつくろうということになったとき、直接お願いしました。

オリジナルは初期のデヴィッド・ボウイを想わせるアコースティックなバラードだけど、上がってきたリミックスは、ほぼピアノとシンセのインストゥルメンタル。

沖野:全部再構築してくれて。でも基本的にはこういう感じのアルバムを考えてたんですよね。アキヲくんとかもトラックメイカーだから、歌とか使わないでもっと切り刻んでものすごい尖ったものを作ってくるかと思ったんですけど、ちゃんと歌ものにしてきたので意外でしたね。俺のことを知ってると、どこかでやっぱり歌を使いたいと思うのかも。

そう思うし、尊重しようという気持ちがあるのかも。

沖野:たぶん尊重してくれる部分もあると思うんですよ。リンくんは原曲を活かすというよりは、俺のことを知らない分、自分でぜんぜん違う世界を作ってきたという感じだよね。リンくんとは世代も違うし、思い切りがいいし。それがすごいよかった。

原曲はデリケートなラヴ・ソングだし、いっそのこと詞はなしで、みたいな方向なのかな(笑)。これも好きですね。

The Light (Indian Rope Remix)

次の7曲目、“The Light”のIndian Rope名義でのリミックスは、ヘヴィかつドープなサイケでじわじわ上がっていく感じがよくて。煙っぽいサックス・ソロも効いてるし、最後は残像をのこしてドローンと消えていくところも洒落てますね。沖野くんの持ってるコアな部分が出てると思うんだけど。

沖野:これはIndian Ropeを意識しました。Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

Indian Rope名義では久しぶり?

沖野:15年ぶりくらいかな。

〈トラットリア〉以降はこの名義は使ってなかったの?

沖野:使ってないですね。

Indian Ropeだったらどういうふうにやるのか思い出しながら、最近やってなかったようなベタなIndian Ropeをやった感じですね。

インディアン・ロープを始めたときってどういう感じだった? ソロといっても、もっとトラック・メイキングに特化してやりたかったのかな。

沖野:そうですね。当時はいまと違ってまだパワーマックとかの時代だったんですけど、いちおう自分ひとりでできるという時代になってはきていて。昔からデモは作りこんでいたんですけど、他人に頼んでボツにしちゃったりしてたんで……やっぱ全部自分でやろうと思って。

そう、沖野くんの曲はデモの時点でほとんど完成しちゃう。

沖野:凝ってましたよね。

ヴィーナス・ペーターの初期の名曲“Painted Ocean”もデモの段階でほぼできていた?

沖野:そうですね。そんなに変わってないですね。

ぼくは本当にシンプルに、あの曲が好きなんですよ。あれ一発で惚れた。しかもいちばんいいと思えるような曲を惜しげもなく『BLOW-UP』(※〈Crue-L Records〉のファースト・リリースとなった91年発売のコンピレーション・アルバム。参加アーティストはブリッジ、カヒミ・カリィ&ザ・クルーエル・グランド・オーケストラ、マーブル・ハンモック、フェイヴァリット・マリン、ルーフ、ヴィーナス・ペーターの6組)に入れたところがカッコいいと思った。自分たちのファースト(『Love Marine』)に取っておかない気前の良さに(笑)。

Moon River(Salon Music Remix)

次の8曲目、Salon Musicの“Moon River(Salon Music Remix)”は絵画的というか、音で絵を描いてる感じが素敵だなと。沖野くんの中に意識せずしてあるものが形になって提示されていると思うんだけど。音でこういうことができるのが、音楽の素敵なところだと思います。

沖野:あと2人でやってくれてるというのがすごく大きいですね。仁見さん(竹中仁見)の声とかファズ・ギターが入っていたり、うれしさがありますよね。サロンを選んで、自分ながらこれはよく思いついたなあと(笑)。

サロン・ミュージックは〈トラットリア〉のレーベル・メイトだし、吉田仁さんはヴィナペの2014年作『Nowhere EP』もプロデュースしてるし、ずっと近くでやってたじゃないですか(笑)。

沖野:近くにいるんですけど、意外とあんまりリミックスは聴かないですよね。

たしかに、リミックスはそんなにやってないかもしれない。

沖野:ライヴにもしょっちゅう来てくれてるんですけど、あんまりつながらなかったですね。

あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

でも沖野くんって、雰囲気がちょっと仁(吉田仁)さんと似ているところもあるし、シンパシーみたいなものがあったんじゃない? あとサロン・ミュージックは英語詞だけでやる先駆者でしょう? 今回の『F-A-R』は日本語詞がメインのアルバムだから、直接そこは関係ないけど、ヴィーナス・ペーターが登場したときとか、その前にフリッパーズ・ギターがデビューしたときとか、仁さんとの出会いはとても大きかったと思うんだけど。

沖野:そうですね。唯一付き合いのある先輩なんで(笑)。あんまりねえ、ミュージシャンとの付き合いがダメなんですよ。苦手なんで。仁さんだけはライヴにも来てくれて、話が合うんですよねえ。

それは音楽性が共通しているというだけではなくて?

沖野:あの人のセンスを100パーセント信用できるというか。俺はYMOやはっぴいえんどをぜんぜん通ってないんで。

YMOを通ってないというのは、世代を考えると意外なところはあるよね。小山田くんだって、別にリアルタイムでは通ってないと言ってたけど。いまはほぼバンド・メンバーだけどね(笑)。

沖野:もちろんあの時代の人たちを尊敬はしてますけど、影響されてないというか。サロンは、昔からやってることが本当かっこよくて。そういう意味ではいちばんセンスを信用している先輩が、あのおふたりですね。

洋楽志向というより、最初から洋楽だった先輩という感じだよね。ぼくだって80年代初頭に“Hunting on Paris”の12インチを聴いて、「完璧に洋楽だよ!」ってびっくりした。YMOはそれぞれ一角のキャリアのある人たちが組んだスーパー・グループだけど、サロンは突然現れてロンドンから逆輸入という感じだったから。

この夜にさよなら(Cornelius Remix)

インディアン・ロープ~サロン・ミュージック~コーネリアスという並びは、個人的には「トラットリア・ストライクス・バック!」という感じで盛り上がりますね。“この夜にさよなら(Cornelius Remix)”は、意外といえば意外だった。沖野くんのオリジナルは『F-A-R』のリード・トラック的な曲だし、この爽やかな感じはこれまでなかったから、パッと聴いていいなと素直に思ったけど、小山田くんの解釈がいわゆるコーネリアス調じゃないのがおもしろかった。小山田くんのリミックスって、たいていの場合は原曲のタッチをほとんど残さずコーネリアス調に作り変える作業だけど、これはそうじゃないと思って。非常にレアなケースじゃないかな。

沖野:この曲は、聴いているうちにあー、やっぱコーネリアスだなあ、って思うようになりましたね。

うん、まさしくそういう感じ。だから、いつもの感じでやらなかった、ということ自体にスペシャル・トリビュート感があるなと。音数は少なくて、隙間を活かしたすごくシンプルなアプローチというところは小山田くんらしいけど。

沖野:コード感とかが小山田くんの中にあるものと合ってて、たぶんこれだという直観で選んだ部分があると思う。彼も忙しいし、これがいちばん料理しやすいと思った、って気がするけどね。

さらっと仕上げているようで、飽きずに長く聴ける感じ。沖野くんに対するリスペクトを感じますね。原曲の歌詞は、最初に聴いたとき、亡くなった人へのレクイエムのように聴こえたんだけど、そういうことってあったりしますか?

沖野:うーん、そこははっきりと明言するのは避けたいです。ただ実は自分史上、最高に悲しい曲ではありますね。

切ない曲だよね。友達なのか家族なのかわからないけど、いまはこの世にいない大切な人に捧げた特別な曲、という気がしました。

沖野:うーん、やっぱりそこもノーコメントで。ただこの一行は彼、とかこのくだりは彼女、とかそういうのはあります。基本的には大きい括りなんですけど。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

すごく秘められたドラマを感じる曲だったので……。

沖野:そこに気付いてもらえたのはすごくうれしいです。単に爽やかな曲というふうに言う人も多いんですよ。

でも、爽やかな曲調でこの詞だから、よけいにグッとくるところがあって。さっきいちばん好きな曲は“Welcome To My World”と言いましたが、リリックは“この夜にさよなら”がいちばん印象的でした。沖野くんの個人的な世界というよりは、誰かにこの思いを伝えたいという気持ちが溢れている感じがしました。

沖野:そういうことは思ってるんですよね。

「この夜にさよなら」というリフレインも、「その後はあてもない/だけどこの夜にさよなら」という最初のヴァースからしてハッとさせられるというか、この曲は違うぞ、とまず最初に思って。でもその後に「その胸の暗やみ/この胸の苦しみ/いつまでも一緒さ/だからこの夜にさよなら」と続いて、いろんな人と出会う中で傷ついたこととか、つらい思い出みたいなものを、捨て去るのではなくて、それを持ったままいっしょにさよならする、というところにものすごくグッと来る。

沖野:(いま世の中で聞こえてくるものが)みんな「悲しいことを乗り越えよう」っていう歌ばかりだったんで。そうではなくて、俺は本当の痛みや悲しみってのは大切に墓場までいっしょに持っていくもんなんだ、という考え方だから。そういう意味で書いたんだよね。

それは強い決意だなあ。実際、痛みも傷も闇も、なかなか消えないじゃない? 本音を言えば、そんな簡単に消えるわけないだろ、という。ちょっとの間は忘れていられても、不意にフラッシュバックしちゃう。ぼくもそこは一緒で、だけどそれをこういうふうにさらっと歌えるというのが、いまの沖野くんの大きな成長だと思う。

沖野:少ない言葉でそれを表現したかったというか。

この曲のリリックは最高。すごい名曲だと思う。最後のヴァースがまたグッと来るんだよな。「悪い夢で構わない/いつか/夜の彼方で彷徨う君を見つけよう/また会おう」。「さよなら」と言ってるんだけど、最後に「また会おう」と言って終わるというのが……ニクいね(笑)。日本語詞でこれだけのものを書けるんだから素晴らしい。それを小山田くんが選んでるというのがまた……。

沖野:その話はしてないですけど、そこはうれしかったですね。

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Dream Of You(Akito Bros. remix)

次の10曲目、Akito Bros(アキト・ブラザーズ)の“Dream Of You(Akito Bros. remix)”。メロディメーカーとしての沖野くん史上屈指の名曲にさらに磨きをかけた感じ。繊細な音作りが素晴らしくて、これもすごく好き。片寄(明人)くんに頼もうと思ったのは?

沖野:いま、沖野俊太郎 & The F-A-Rsでギターを弾いてくれてるタカタタイスケくんのバンド、プレクトラムがGREAT3と対バンしたのを観に行ったのがきっかけ。GREAT3ってじつはちゃんと観たことなくて、音源もほとんど聴いてなかった。たぶんGREAT3が活躍している頃(90年代後半)は、わりとテクノとかばっかり聴いてたから。でも、そのライヴがすごい良くて。

ぼくは、GREAT3がいまいちばんカッコいいロック・バンドだとマジで思ってるよ。片寄くんのことは昔から知ってるし、デビューのときからGREAT3は大好きだったんだけど、どの時代のGREAT3よりもいまがいちばんいいと思えるくらいカッコいい。

沖野:じゃあちょうどいいときに見たんだ(笑)。ずっと3人でやってるんですか?

オリジナル・ベーシストの(高桑)圭くんは脱退したけど、若い新メンバーのjanくんが加入して、オリジナル・ドラマーのケンちゃん(白根賢一)は変わらずに3人でやってる。ライヴはギターとキーボードにサポートが入るときと、サポートなしでトリオ編成でやるときがあって、いろいろだね。

GREAT3のライヴがすごい良くて。

沖野:片寄くんがリミックスやってるの聴いたことないな。あれだけすごい知識を持ってるし、プロデューサーもやってるのに。でも、わりとそういう発想があったんですよ。この人がリミックスやったらどうなるんだろうという。

それはヒットだね。じゃあ、これまで交流はそんなになかった?

沖野:ぜんぜんなかった。それからライヴとか呼んでくれて。

そうなんだ。片寄くんもめちゃめちゃサイケな人だし。いまは菜食主義者だけど(笑)。沖野くんとの相性は絶対いいはずだと思ったけど、案の定、片寄くんらしいメロディアスな風味のリミックスで、仕上がりもバッチリだった。

沖野:今回やってくれた人たちの中ではいちばん、元の素材をそのまま使って組み立てなおしたという感じですよ。他の人は歌だけ使うという感じなんだけど、片寄くんと5ive(COS/MES)くんは唯一、俺のトラックを全部使ってくれましたね。彼らはリミックスするというよりも……。

リ・コンストラクションした感じ?

沖野:そうそう。

元の曲のトリップ・ソングらしさを活かしつつ、メロディの良さをさらに際立たせようという意図は十分伝わってきたよ。

The Light(I'm the 2016 light years home mix)

次の11曲目、Speedometer(スピードメーター)の“The Light(I'm the 2016 light years home mix)”。リミックスのタイトルはモロにローリング・ストーンズ「2000光年のかなたに」(2000 Light Years From Home)から採ってるなと。高山純さん(Jun Takayama a.k.a Speedometer)はイルリメともSPDILLというユニットをやってるし、SLOMOSという名義でソロ音源を発表したり、多彩な人ですね。

沖野:俺、高山さんのことがいちばん知らなくて。アキヲくんが彼とバンド(AUTORA)をやってて、レーベルの社長がSpeedometerの大ファンというのもあって、アキヲくんに紹介していただけないか、という感じになったんだけど。Speedometerの音源も聴いたけどすごいカッコよくて。高山さんは絶対に歌を使わないだろうと思ってたら使ってて、アンドリュー・ウェザオールみたいな印象で、すごく良かったですね。どこかしらにあの頃の匂いを入れてくれてるというのがね。

これも原曲はマッドチェスターっぽいサイケデリック・ロックだし、たとえばストーンズでも、時代が移るごとに惹かれる部分が変わるじゃない? マッドチェスター華やかなりし90年代初頭は、やっぱり『サタニック・マジェスティーズ』とか『ベガーズ・バンケット』に目が行く時代だったと思うんだけど。トリッピーな世界観みたいなものを沖野くんと共有してるのかな?

沖野:ああ、そういうことはぜんぜんお話してないんですよ(笑)。高山さんは大阪在住なので。いろいろ聞きたいんですけどね。大阪に行ったときにはぜひお会いしたいですね。

We Are Stories(The F-A-Rs Remix)

次は12曲目、“We Are Stories(The F-A-Rs Remix)”のリミックスは、バンド・サウンドからそんなに大きく変えたりしてない?

沖野:この曲は、ライヴではバンドでアレンジしてやっていて、それをリミックス的に録ってみようかと言って録ったのが、あまりに普通だったので、思いきり編集したという感じですね。ぜんぜん違う感じに。バンドっぽく聴こえるんですけど。

元はわりとデジタル・ロックな感じだよね?

沖野:そうですね。

これは自分でも気に入っている?

沖野:そうですね。まあこういうのもおもしろいというか、自分らしいとは思ってますけど。

「自分たちの物語は自分次第で変わっていくんだ」という歌詞の一節にもあるように、“We Are Stories”というタイトルにもポジティヴなメッセージが込められてる。トリッピーだけど、全体的にポジティヴな感じもこのアルバムの特徴かな。引きこもりアンセムも入ってるけど(笑)、基本的には開けてるよね。

沖野:新しく歌詞を書いた曲に関しては、だんだん明るくなってる(笑)。

声はパワー(Koji Nakamura Remix)

そういうストーリーもあるんですね(笑)。そして13曲目、ナカコーくん(Koji Nakamura)が手がけた“声はパワー”のリミックスは、ほとんどピアノの残響音だけで歌声と歌詞を聴かせる思いきったアプローチで、意表をつかれたけど、すごくいいなと思いました。

沖野:そうですね。これはナカコーくんらしいというか。まさかピアノ・メインで来るとは思わなかったんですけど。もっとエレクトロな感じかと思ったら、現代音楽じゃないけど、かなりそういう要素があったので、衝撃でしたね。まずこの曲選ぶ人がいなかったんですよ。逆にいちばん難しいじゃないですか。ナカコーくんがこれを選んでくれたのがすごくうれしくて。それでこういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲は女性コーラスがフィーチュアされてて、ナカコーくんはそれも活かしてデュエット・ソングに変えてる。そこもおもしろいなと思ったけど、「声はパワー」と言ってるのに──ヴィーナス・ペーターの初期曲“Doo Be Free”では、プライマル・スクリームが“ドント・ファイト・イット、フィール・イット”でデニス・ジョンソンのソウルフルなヴォーカルをフィーチュアするような発想で、真城(めぐみ)さんをフィーチュアしたと思うんだけど――今回はいわゆるパワフルなヴォーカルじゃなくて、ガーリーな感じの女性ヴォーカリストを起用してるのが意外だった。

沖野:歌ってるのはadvantage Lucy(アドバンテージ・ルーシー)のヴォーカルのアイコちゃんなんだけど、彼女はすごく強いものを内に秘めていて。かわいらしい女性っていうイメージが強いんだけどね、ルーシーの曲とか聴いてると……。

ごめん、決して彼女のヴォーカルが弱いと言ってるわけじゃないんだ。ただちょっと意外な組み合わせだなと思って。

沖野:うん、意外なのはわかります。そういえば彼女を推薦してくれたのもタカタタイスケくんなんです。俺も直感でこの曲はアイコちゃんだなって思ったんですよね。なにか感じるものがあった。

こういうアプローチだったんで、びっくりしたけど素晴らしいと思いましたね。

原曲のイントロでヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「サンデー・モーニング」みたいなグロッケンが鳴ってるし、元々チャーミングな曲でしょう? サックス・ソロとかピアノ・リフが効果的に散りばめられてて、曲調もゆるやかに飛翔していく感覚があって、『F-A-R』の中でもいちばんカラフルな印象がある。そういうアレンジを全部取り払って、沖野くんとアイコさんの声とピアノだけで世界全体を作りかえた。このトラックも『Too Far』の白眉だと思います。

沖野:俺とアイコちゃんのヴォーカルの混ぜ方が上手いなと思って。SUPERCAR(スーパーカー)も男女ツイン・ヴォーカルだったから、そこもどこかで勉強してたんじゃないかと思うんですよね。ナカコーくんにそういうコントラストの感覚があったのかなとは思いましたね。

たしかに、沖野くんとアイコさんの組み合わせには、SUPERCARみたいなチャームを感じます。ナカコーくんに頼もうというのは、どういうところから来た発想?

沖野:やっぱり独自の作品を追及してるからですかね。そんなに近くはないんですけど、スーパーカーも好きだったし。

スーパーカー以降の、自分の世界をストイックに追求する感じも共通している気がします。

沖野:彼は昔からIndian Ropeを好きだと言ってくれてて、それも覚えてたので、やってくれるかなあと思ってお願いしました(笑)。ツイッターでヴィーナス・ペーターのこと書いたりしてくれてたんで、頼みやすかったです。

世代的にはちょっと下くらいだけど、やっぱり通ってたんだね、フリッパーズ・ギターやヴィーナス・ペーターを中高生のときに聴いて……。

沖野:(日本のバンドでは)唯一、聴いてたみたいで。

ジャンルを超えて、いろんな名義を使い分けながら活動してるところも沖野くんと似てるよね。

When Tomorrow Ends (speakeasy mix)

そして最後にSugar Plantの“When Tomorrow Ends (speakeasy mix)”。これは選曲もハマってるよね。

沖野:これはね、この曲でお願いしたんですよ。

これをSugar Plantで聴いてみたかったの?

沖野:じつはこれしかなかったというのがきっかけなんだけど。この曲は、はじめぜんぜん合わないと思っていて。あんまり想像できないじゃない? それをあえて頼んでみたんですよね。

このアレンジはショウヤマさん(ショウヤマチナツ)とオガワさん(オガワシンイチ)がふたりで……?

沖野:いや、これはオガワくんひとりでやったみたいです。

壮太くん(高木壮太)とかは参加してない?

与田:壮太くんは参加してない。

めちゃくちゃカッコよくてびっくりした。オルガンは入ってないけど、ドアーズみたいにヒップな、ヒリヒリくる感じがすごくあって、これは本当にすごいよ。

沖野:彼らの話を聞くと、元のヴォーカルだけ抜いて、ヴォーカルに導かれて……ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

ドアーズとか共通して好きなんだよ。はじめはスピリチュアライズドの線を狙ってたらしいんだけど、でも結局ドアーズになったらしいですね。

やっぱりそうなんだ。このトラックは最近の新譜と比べても飛び抜けてカッコいいと思った。こういうマジックが起きるからリミックス・アルバムって作っておくもんだね、というくらいカッコいい。

沖野:本当に何回鳥肌が立ったか……『Too Far』は、自分がいちばん元の曲のことを知ってるんで、「ええっ! こうなるんだ!?」という変わりようがおもしろかったですね。

自分がいちばん楽しい?

沖野:気楽だしね(笑)。

今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。

オリジナル・アルバムとリミックス・アルバムの両方が揃ってみて、何かあらためて自分で発見したことはありますか? もしくは再確認したこととか。

沖野:何かあったかなあ(笑)。今回はリスナーとして純粋に楽しんじゃいましたね。いまは次のことやりたくてしょうがない。

「次はこういうことをやりたい」という具体的なアイデアはある?

沖野:それもまだ見つかってないんですよね。

モヤモヤと自分の中で渦巻いてる感じ?

沖野:渦巻いてはいるんですけど、いまはよくわからないですね……。

それを手探りしていく作業なのかな? でも、みんな次の仕事にとりかかる前はそんな感じかもしれないね。与田さんは今回の2枚のアルバム聴いてどんな感想を持ちました?

与田:今回はまず『FAR』の方で、いままでの沖野くんと明らかに違うということに驚きましたね。『F-A-R』の宣伝を手伝いつつ、僕も沖野くんにインタヴューしながら、その理由がわかってきた。The F-A-Rsと一緒にやったバンド編成のライヴを3、4回観て、僕はヴィーナス・ペーター以外のバンド形態をあまり見たことがなかったのですが、それがすごくよかったんです。で、バンドと沖野くんにだんだん焦点が合ってきて、定期的な活動ができるようになったのがいいなあと思って。あとは、『Too Far』に参加したリミキサーのラインナップは、僕もほとんどが知り合いみたいな感じなので、同世代感はありますね。みんな90年代を通して活動してた人が多いじゃないですか。しかも90年代って、ダンス・カルチャーがロックにものすごく侵食していった時代でもあるので、それをリアルタイムで体験してる人たちの作品が集まってくると、不思議なもので共通の感覚があるなあと思いましたね。

なるほど、まさにそういう人たちが集まった感がありますね。

与田:そうですね。ダンスフロアとロックがクロスしたのをリアルタイムで体験して、実際に踊っちゃってた方なんで。いまは逆にそういうリアリティを伝えづらいのかなあ。だからこういうタイミングでこういうアルバムが出てくると、自分としては、世代感覚的にもすごくうれしいですよね。とにかく楽しかったので。

あらためて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。

沖野:でもね、2枚続けてアルバムを出して、改めて(いまの日本の音楽シーンにおける)自分の立ち位置の違和感みたいなものに気づいて、今後どうしようかな……とも思う。いまの日本の若者の中で流行っているものとかぜんぜん好きじゃないし。アルバムを出したことで状況がよくなったわけでもないし、でもべつに悔しがったりしているわけでもなくて。いろいろ考えてる。結局、やるしかないんだけど(笑)。いまはSNSとかあるから、何が流行っているかわかっちゃうじゃないですか。本当の現場はどうかわかんないけど、でも俺はそういうところとはズレてる、というのを認めざるを得ないかなあ。もちろん後ろ向きではなくて。もっとどうやって(自分の音楽や状況を)良くしていくかということを考えつつ、でも生活に追われてることもあるし、難しいというのはひしひしと感じてますね。

日本のメジャー・シーンだろうとインディ・シーンだろうと、そこに対する違和感のみが、沖野くんにはあったと思うんですよ。ヴィーナス・ペーターだって、いまでも早すぎる解散だったと思うけど、沖野くんが自棄になった理由というのは、「これで変わらなかったら、何をやったらいいの」という歯がゆさだったんじゃない?

沖野:ありましたね。どうしたらいいんだろう、というのがいまだに続いているけど。

最近の若いバンドとか聴く機会もあるでしょう?

沖野:一応聴かなきゃという感じで聴いてますけど。

〈kilikilivilla〉のサイトで沖野くんとCAR10(カーテン)の川田晋也くんの対談を読んで、すごくおもしろかった。川田くんは91年生まれで、〈kilikilivilla〉の先輩たちを通じてヴィーナス・ペーターの存在を知って、まさにその年にリリースされた『LOVE MARINE』をブックオフで発見するんですよね。

与田:僕から見ると、CAR10とか、いま地方で活動してる若い子たちが洋楽ロックが好きでやってる感じが、90年代前半に僕らがやってた感じと似通ってるなと思ったんですよ。だからヴィーナス・ペーターとか聴かせると、みんなものすごく反応してくれて。

それは現行のJポップへの違和感から?

与田:完全にそうだと思いますね。

沖野:普通だったら違和感を抱かないわけないよね。「なんでこんなに分かれてるの? なんかおかしくない?」という感じ。

与田:中間がないですよね。

沖野:ここまで離れちゃうと埋めようがないくらい(笑)。

やっぱりバンドが好きですねえ。

与田:でも、90年代もそうだったんじゃないですかね。もちろんRC(・サクセション)とかブルーハーツとかいましたけど、イカ天とかホコ天あたりのイヤーな感じのバンドがわんさか出てきて。だからフリッパーズのファーストは、音楽好きにとって衝撃だったんじゃないかなあ。その感じと、いまの20代前半のバンドの、自分の好きな音を見つけてきてそれをやってる感じは、よく似てると思いましたね。ただ、いまの子たちはみんなしっかりしてるんですよ。僕らは自分たちの思いだけで突っ込んじゃって、後先考えずに突っ走った部分はあるんですけど、いまの若者はみんなきっちり仕事持ちながらやってますよね。いいことだと思いますけどね。

いまはロック・ドリームを抱きようがないというか、それはロックに限らないと思うけど、自分たちの将来に巨きな夢を持ちにくいんじゃないかな。

与田:夢、見ないですよねえ。まだ〈kilikilivilla〉の若者たちは自分の世界を作ろうとしますけど。一般的には夢とか見れない、って言われるとしょうがないですけどね……。

もちろん地に足がついてるのはいいことだけど、バンドに巨きな夢を持ちにくいというのは世知辛いよね。いつの時代の若者にとってもドリーミーなカルチャーのはずなのに。でも、理想と現実の相克というテーマは永遠のものだから、きっとまたすごいバンドが現れると信じてるけど。
そういえば、沖野くんって曲作りは自己完結してるのに、つねにバンドがあったほうがいいというジレンマがある気がして。バンドのフロントに立って歌ってる姿がいちばんサマになるし、仮に曲作りは自分ひとりで完結できるとしても、パフォーマーとしてソロでやるという感じではないよね。弾き語りの人じゃない。

沖野:ダメということはないけど、やっぱりバンドが好きですねえ。

つまりポップス・シンガーじゃないということ。沖野くんはあくまでロッカーなんだよね。そういう意味では、ボビー・ギレスピーみたいな人って日本にいない。たとえばスカイ・フェレイラとデュエットしたら、日本だとどうしても芸能界っぽい世界になりがちじゃない。ボビーは、あくまでロック・アイコンとしてポップ・アイコンと絡んでる感じがカッコいいよね。沖野くんはそういう冒険もできる人だと思うから、ロック道を突き進んでもらいたいですね。

沖野:そうですね、がんばります。

interview with Gold Panda - ele-king

 ゴールド・パンダの音楽は“ゴリゴリ”じゃないからこそ共感され、愛されてきた。クラブとも、エレクトロニカやIDMとも、ましてワールドともいえない……彼の中で東洋のイメージが大らかに混ざり合っているように、彼の音楽的キャラクターもゆるやかだ。

 しかしそこにゆたかに感情が流れ込んでくる。過去2作のジャケットが抽象的なペインティングによってその音を象徴していたように、具体的な名のつくテーマではなく、さっと翳ったり日が差したりするようなアンビエンスによって、ゴールド・パンダの音楽はたしかにそれを伝えてくれる。ちょうど仏像の表情のように、おだやかさのなかに多彩な変化のニュアンスが秘められている。


Gold Panda
Good Luck And Do Your Best

City Slang / Tugboat

ElectronicTechnoAbstruct

Tower HMV Amazon

 “イン・マイ・カー”が強烈に“ユー”(デビューを印象づけた代表トラック)を思い出させるように、新作『グッド・ラック・アンド・ドゥ・ユア・ベスト』でも基本的に印象は変わらない。しかしくすむこともなく、いまもってその音は柔和な微笑みを浮かべている。変化といえばジャケットに使われている写真の具象性だろうか。後に自身のガール・フレンドとなる写真家とともに取材した「なにげないもの」が、この作品にインスピレーションを与えているということだが、もちろんそれはそこに映されている日本の風土風景ばかりでなく、ふたり分の視線やダイアローグを通して見えてきた世界からの影響を暗示しているだろう。ビートや音の色彩もどことなく具象性を帯びているように感じられる。

 彼の音楽には、そんなふうに、音楽リスナーとしてよりも、互いにライフを持った個人として共感するところが大きい。言葉はなくとも。しかし以下の発言からもうかがわれるように、ゴールド・パンダ自身はその魅力を「幼稚な音楽」と称して、知識や文脈、シリアスなテーマを前提とした諸音楽に比較し、韜晦をにじませる。もしそうした言葉でゴールド・パンダを否定する人がいるのなら残念なことだ。そのように狭量な感性をリテラシーと呼ぶとするならば、いっそ私たちは何の知識も学ぶ必要はない。アルカイックな彼の音の前で、同じように微笑むだけだ。

 グッド・ラックそしてドゥ・ユア・ベスト、この言葉は彼自身のその守るべき「幼稚さ」に向けて、聴くものが念じ返す言葉でもある。


■Gold Panda / ゴールド・パンダ
ロンドンを拠点に活動するプロデューサー。ブロック・パーティやリトル・ブーツのリミックスを手掛け、2009年には〈ゴーストリー・インターナショナル〉などから「ユー」をはじめとして数枚のシングルを、つづけて2010年にファースト・フルとなる『ラッキー・シャイナー』をリリース。「BBCサウンド・オブ2010」や「ピッチフォーク」のリーダーズ・ポールなど、各国で同年期待の新人に選出。また、英「ガーディアン」ではその年デビューのアーティストへ送られる新人賞『ガーディアン・ファースト・アルバム・アワード』を獲得。2013年にセカンドとなる『ハーフ・オブ・ホエア・ユー・リヴ』を、本年は3年ぶりとなるサード・アルバム『グッド・ラック・アンド・ドゥ・ユア・ベスト』を発表した。日本でも「朝霧JAM'10」や「街でタイコクラブ(2014)」にも出演するなど活躍の場を広げている。

マダ、ジシンガナイ。

ゴールド・パンダ:(『ele-king vol.17』表紙のOPNを眺めながら)彼とは飛行機で隣になったんだよ。

ええ! 偶然ですか? 最近?

GP:2年くらい前。僕はよく乗るから、ブリティッシュ・エアウェイズのゴールド・カードを持っていて、機内でシャンパンをもらえたんだ。でもそんなに飲みたくなかったから彼にあげようとしたんだけど、スタッフの人から「あげちゃダメ」って怒られちゃった(笑)。

ははは。音楽の話はしなかったんですか?

GP:ぜんぜん。音楽のことはわからないから、話したくない(笑)。

ええー。

GP:ブライアン・イーノが言ってたよ。ミュージシャンは音楽を聴く時間がないって……グラフィックデザイナーだけがそれをもっているんだって。

あはは。でも、以前からおっしゃってますよね、「クラブ・ミュージックに自信がない」っていうようなことを。

GP:マダ、ジシンガナイ。

いやいや(笑)。とはいえ、今作だっていくつかハウスに寄った曲もあったり、全体の傾向ではないかもしれないですけど、クラブ・トラックというものをすごく意識しておられるような気がしました。これはやっぱり、あなたがずっと“自信のない”クラブ・ミュージックに向い合いつづけているってことですよね。

GP:でも、いまだにつくれないんです。前作(『ハーフ・オブ・ホエア・ユー・リヴ』)でもやろうと思った。でも、失敗して。だから今回はむしろ、「つくろう」としなかったんだ。それがよかったのかもしれない。でも、「クラブ・ミュージック」っていうのは、いまは存在していないともいえるんじゃないかな。ただの「ミュージック」になっているというか……いろんな人が、とても幅広いものをつくっているよね。

Gold Panda - Time Eater (Official Video)


あなたもまさにその一人ですね。

GP:はは。ベン・UFOとか、とても知識があって、いつもいい音楽を探し求めているDJたちがたくさんいる。インターネットのおかげで選択肢も増えて、より自由に活動できるようになっているし、それはすごくいいことだよね。

そうですね。そしてあなたは、そのインターネット環境を前提にしていろんな音楽性が溶けあっている時代を象徴しつつも、自分だけの音のキャラクターを持っていると思います。『ラッキー・シャイナー』(2010年)から現在までの5、6年の間だけでも、その環境にはめまぐるしい変化がありましたけれども、むしろあなたにとってやりづらくなったというような部分はありますか?

GP:今回のアルバムに関しては、「ゴールド・パンダっぽいもの」をつくるのをやめていて。もっと曲っぽい構成になっていて、この作品ができたことで、ゴールド・パンダの3部作が完結すると思う(※)。1枚め、2枚めでやりたかったけどできなかったことが、今回の3枚めではできていると思うんだ。1枚ずつというよりは、今回3枚めが出てやっとひとつの作品を送り出せたという気がする。だから、ゴールド・パンダとしてはじめた音を何も変えずに、ここまでくることができているかもしれないです。いまはそのサウンドに自信が持てているから、それを変える自信もついている。次はちがうものをつくっていきたいなって感じていて。

※ゴールド・パンダのフル・アルバムは今回の作品をふくめてこれまでに3作リリースされている(『ラッキー・シャイナー』2010、『ハーフ・オブ・ホエア・ユー・リヴ』2013、本年作)

自分はポップ・ソングをつくっているつもりでやっていて。

前の2作は、たとえばインドっていうテーマがあったりだとか、メディアが説明しやすい性格があったと思うんですけど、今回はそういうくっきりした特徴はなさそうですよね。そのかわり本当にヴァリエーションがあって、いろんな曲が入っています。

GP:うん。

ぐっときたのは、“ソング・フォー・ア・デッド・フレンド”とか、曲名に「ソング」という言葉がついてたりするところです。これは歌はないけど「歌」なんだっていうことですよね。

GP:ああ、そうそう、どっちだと思いました? 自分はポップ・ソングをつくっているつもりでやっていて。ポップ・シーンがあるとしたら、自分はその端っこでつくっているという感覚があるし、自分の音楽にはソングとか曲としての構成があると思っているんだ。どうですか?

私は、これを「歌」だって言われてすごく納得できました。ただメロディアスだっていうことじゃなくて、何か思いみたいなものがあるというか……。では、音が「歌」になるのに必要な条件って何だと思います?

GP:そうだな……、人それぞれの感じ方があるから、それを歌だって感じれば歌だと思うんだけど……。

音楽的なことじゃなくてもいいんです。きっと、この曲に「ソング」ってつけたかった気持ちがあると思うんですね。それについてきいてみたくて。

GP:野田(努)さんに言ったことがあるんだけど、僕にはもう亡くなってしまったフィルという友人がいて。この曲はそのフィルに向けたものでもあるんだ。彼は、僕にずっと音楽をつくれって言ってくれてた人なんだけど、僕はそれをずっと無視してたんだよね。そして、彼が亡くなったときに、初めて音楽をやってみることにした。そしたらうまくいって……。音楽をつくるってことに対して、彼がいかにポジティヴだったのかってことをいまにして思うんだ。
僕が思うに、曲にタイトルをつけると、人はその曲につながりを持ちやすくなると思う。そういうことが、ある音楽を「ソング」にしていくんじゃないかな。タイトルを操作すると、人の気持ちを操ることができる。

なるほど。音楽の感じ方を広げてもくれると思いますよ。

GP:だから、次のアルバムはタイトルなしにしようかな! もっと長かったりとか。

ははは。あなたの曲は、タイトルの言葉もおもしろかったりするから、それは大事にしていただきたくもありますけどね。

GP:いや、実際タイトルをつけるのは楽しいんです。制作の中でいちばん好きなことかも。

音楽は楽しいしハッピーになれるはずのものなのに、どこかマジメにとらえられがちで、ダークでシリアスなものが凝ったものだ、頭のいい音楽だ、って考えている人もけっこういると思うんだよね。

へえ! じゃあこのタイトルはどうです? “アイ・アム・リアル・パンク”。実際はまあ、ぜんぜんエレクトロ・アコースティックじゃないですか(笑)。「パンク」というのは?

GP:これは〈ボーダー・コミュニティ〉の人がミックスしているんだけど──彼はノーリッジの実家にスタジオを持っているんだ!──で、彼が僕の音楽のことをパンク・ミュージックだっていうんだよね。彼が自分の楽曲をつくれないからかもしれないけど。何かをつねに気にしながら凝った音楽をつくるっていうんじゃなくて、楽しく作っているから、そういうことを指して言っているのかもしれない。これは2004年につくった曲なんだけど、ルークに「アイ・アム・リアル・パンクって曲があるんだよ」って言って聴かせたんだ。そしたら彼がその上に即興でシンセサイザーをのせて、それをリバースして……。初めはジョークのつもりでつくってたんだけど、このアルバムに馴染むなって思って、入れたんだ。
音楽は楽しいしハッピーになれるはずのものなのに、どこかマジメにとらえられがちで、ダークでシリアスなものが凝ったものだ、頭のいい音楽だ、って考えている人もけっこういると思うんだよね。エクスペリメンタルな音楽にもおかしなものはあると思うんだけど、ついつい評価しなければならない、そういう強迫観念があるように思う。好きじゃない、嫌いって言うこと、それから理解してないって思われることを恐れている人が多いんじゃないかな……。だけど、僕のこの作品は、ハッピーでポジティヴなポップ・レコードなんだ。だからもし気に入ってもらえなかったら、僕はみんなにハッピーになってもらうことに失敗しているということになる。
逆に言えば、これは嫌いになってもらえるレコードかもしれない。……もし“エクスペリメンタルな”音楽を嫌いだと言ったら、きっと「きみは理解してないんだよ」って言われちゃうよね。でも、このポップなアルバムを嫌いだと言う人がいても、僕は「理解していない」とは言わない。

ふふふ、では、これはきっと頭の悪い人を試すレコードになりますね。

GP:いや、これはバカなレコードなんだ。

(笑)

GP:メロディを持っているとからかわれるかもしれないけど、メロディを持っていたっていいじゃないか、って思ってる。パンクっていうものを「怒れるもの」だって思っている人をからかっているレコードなんだ。

パンクっていうものを「怒れるもの」だって思っている人をからかっているレコードなんだ。

いや、でも日本のリスナーはそんなにバカじゃないので、これがいい音楽なんだってことはみんなわかると思いますよ。

GP:そうだね! ゴメン、そういう意味じゃなかったんだ。

ええ(笑)そして、ポップ・ミュージックの素晴らしさもよくわかります。では、これはあなたにとってのひとつの反抗の精神ではあるわけですよね。

GP:うん。そして、やりたいからやっているんだ。べつに大きなコンセプトがあるわけじゃないし、ただ音楽をつくっているだけなのに、それを人が喜んでくれるっていうのは本当にラッキーなことだとは思うよ。アートってそもそもそういうものだと思うんだ。90%くらいは、とにかくつくってみたというだけのもので、あとの10%くらいに手を加えただけなんだよ。よく自分も音楽をつくってみたいって言う人がいるけど、つくればいいのにって思う。ピアノを習うんじゃなくて、いま弾いてみればいいじゃない?

なるほど。いまの時代、自由さとか楽観性みたいなものは、表現をする人間にとって難しいものなのかもしれないと思います。あなたがそれを貫いているのは素晴らしいですよ。

GP:そうだね。自分はついているんじゃないかな。よく、忙しくて時間がないって言っている人がいるよね、でもじつは料理をしていたりとか、それが好きだったりとかして、趣味といえるものをやれているのに、それに気づいていないっていうことがある。何かを修理したりとか子どもに服をつくったりとか。……僕は、そういうこともクリエイティヴだしアートなんだって思う。それを突き詰めてみたっていいよね。自由なものはまわりにいっぱいあるはずなんだよ。

僕が日本語を学んだ学校があるんだけど、そこで近く北京語を勉強したいと思ってるんだ。

ところで、これまでは〈ゴーストリー・インターナショナル〉からのリリースだったわけですが、今回は〈シティ・スラング〉からですね。私はそれがおもしろいなって思って……だって、キャレキシコとかヨ・ラ・テンゴとか、ビルト・トゥ・スピルとか、本当にロックだったりエモだったりをフォローする、USインディなレーベルじゃないですか。これはどんなふうに?

GP:〈ゴーストリー〉とは揉めたりしたわけじゃなくて、契約が終わったから出たというだけなんだけど──その、「レーベルのアーティスト」みたいになりたくなかったから。「ゴーストリーを代表するアーティスト」みたいにね。僕は自由が欲しいんだ。僕のマネジメントをしてくれている〈ウィチタ〉と仲のいいひとが〈シティ・スラング〉にいて、それでつながったんだ。ヘルスといっしょに仕事をしていた人なんだけど。それで、僕はいろんな種類の音楽をリリースしているレーベルと契約したかったから、ちょうどいいと思ったし、自分が好きな人といっしょに仕事をするのがいいことだと思う。

なるほど、音楽もそうですけど、人の縁でもあったわけですね。でも、ゴールド・パンダのスタンスや自由さっていうのが伝わってくる気がしますよ。
そういえば、前作では「インド」がひとつのモチーフにもなっていましたよね。あなたは日本も好いてくださっていますけれども、東洋という括りの中で、「インド」「中国」「日本」っていうのは、それぞれどんな違いを持ったものとして感じられていますか?

GP:そうだね、まず日本は何度も来ているから、自分の一部というか、自分のサウンドそのもののインスピレーションのひとつになっているんだ。インドは、僕の母方のルーツで……まだ行ったことはないんだけどね。おばあちゃんが聴いていた音楽ってことで、インスピレーションがわくんだ。中国は行ったことがあるけど、まだぜんぜんわかってなくて、もっと理解したいと思ってるんだ。ぜんぜんちがう場所だけど、香港とか台湾とかも含めてね。中国は国としての存在感をどんどん大きくしていると思う。でもイギリスではそれを感じているひとがあまりいないんだよね。中国の人はしばらく前からどんどんイギリスにも入ってきていて、いろんなところにいるし、すごい田舎にまで中華のレストランが建ってたりする。でも、なかなか混ざらないんだ。だから、世界中いろんなところを旅行していてもいろんなところに中国の人がいるけど、そのアイデンティティって何なんだろうっていうのがわからなくて。僕はちょっと漢字は読めるんだけどね。(メニュー表などで)ニクがハイッテイルカドウカトカ(笑)。ロンドンには、僕が日本語を学んだ学校があるんだけど、そこで近く北京語を勉強したいと思ってるんだ。それが何か僕の音楽にいいフィードバックをもたらしてくれるかもしれないしね。音楽のセオリーも学ぼうかなって思ってたんだけど……でも僕はそんなに音楽が好きじゃないから(笑)。

つまらないもの、とるにたらない普通の場所。日常を撮りたかったんだ。でもロンドンではそれができなくて……。

ええー(笑)。でも、ちょっとリズムコンシャスな音楽をやる人って、たとえばアフリカとかに関心が行きやすいと思うんですよね。東洋に関心が行ってしまうのはなぜだと思います?

GP:なぜだろう、僕もよくわからないんだよね。でもアフリカの音楽って幅が広くて怖いっていうか。僕は14歳で『AKIRA』を観て日本に興味を持つようになったんだけど、その経験が僕をつねに日本へ呼び戻すんだ。でも、けっして僕は「オタク」じゃない。マンガやアニメだけが好きというのじゃないんだ。僕の場合、インスピレーションはアフリカのドラムとかリズムからじゃなくて、もっと雰囲気みたいなものから来るんだ。目で見たものとか、イメージとか。

もしそういう視覚的な、映像的なものから影響されることが大きいのだとすると、今回のアルバムは日本の風景との関わりが深いとうかがっているので、そのあたりのお話をうかがいたいですね。

GP:これまでも、わりとずっとそうだったんだ。ただ、それをヴィジュアルとして表現する機会があんまりなかったんだ。だからフォトグラファーのローラ(・ルイス)といっしょに日本に来て、それをやれたのはうれしいよ。彼女はそういうことを表現するのがすごくうまいし、僕らはものの感じ方がすごく似てるんだ。……僕の彼女なんですけど。

わあ、そうなんですね!

GP:カノジョニナッタ。その過程で……(照れ笑い)。

ははは、それはよかったですね。でも、日本でもとくにここを題材にしたいって思う場所はあったんですか?

GP:つまらないもの、とるにたらない普通の場所。日常を撮りたかったんだ。でもロンドンではそれができなくて……。イギリスだと自分が慣れすぎてしまっていて、何がそれで何がそれでないかということが見えにくいんだ。でも日本だと考えられる気がした。日本だからできたことだと思うんだ。

なるほど。東洋の話がつづいてしまいましたけど、一方で“アンサンク”なんかは教会音楽的なモチーフが使われていて、これはこれであなたの音楽の中では珍しいなと思いました。この曲はどんなふうに発想されたんですか?

GP:これは間違いなんだ。

ええー(笑)!

自信があるからバカって言えるんだって、いま気づいたよ(笑)。

GP:ローラはキーボードもやるから、それを借りてレコーダーにプラグインしてワンテイクで録って……それだけなんだ。本当はそれをサンプリングの素材として使おうと思ってたんだけど、聴きなおしたらこれはこれでいいじゃないかって思って。僕はあまりピアノができないから、自分でも何をやっているのかよくわかってなかったんだよね。さっきも、ピアノを弾きたければ弾けばいいっていう話をしてたけど、そういう感じでちょっと弾いてみたものなんだよ。

じゃあ、意識してつくったんじゃない、偶然的なものだったのかもしれないですけど、でもだからこそ自分の無意識の中にあった西洋的なモチーフが出てきていたのかもしれないですね。

GP:自分にとっていい音楽っていうのは、ただ楽しんで、さっさとできてしまう音楽。あんまり考えすぎたりしないけど、後から聴いていいなって思えるもの……。まあ、よくなくてもリリースはできるけどね(笑)。

考え過ぎる音楽が多い中で、そうじゃなくていいんだっていう勇気にもなりますね。

GP:ローラも写真を撮りたいなら撮ればいいじゃない? って言ってる。それと同じかもしれないよね。フォトブックをつくろうとしてたときに、どうやったらいい写真が撮れるの? って質問したんだよね。そしたら、どんなものでも、いちど出版してしまえば、それがいいかどうかは見る人がそれぞれ決めてくれることだ、って。だから、いい写真を撮ろうとするんじゃなくて、ただ撮って、それを出版してしまえばいい。それでいいと思うんだ。

なるほど、とにかくやりたいならやって、出して、あとは「グッド・ラック・アンド・ドゥ―・ユア・ベスト」ってことなのかな。

GP:そう、自分がやりたくて、しかもできるんじゃないかって思うんだったら、きっとできると思うんだ。だからやってみたらいいと思う。中流階級の白人男性ならきっとできちゃうよ(笑)。自分の小さな世界で、かもしれないけど。

ははは。じゃあ、つまらないことを難しく言う人にこの音楽を届けましょうね。グッド・ラック! って。

GP:うん、シンプルでバカなこの音楽をね。

それは自信の表れだと解釈してもいいですか?

GP:そうかもしれない。自信があるからバカって言えるんだって、いま気づいたよ(笑)。


Tugboat Records presents Gold Panda Live in JAPAN 2016

待望の新作を携えたGold Panda、
10月に東阪京ツアーを開催!

『BBCサウンド・オブ2010』や『Pitchfork』のリーダーズ・ポールなど、世界各国で2010年期待の新人に選出。
また、英『Guardian』からは新人賞『Guardian First Album Award』を獲得。
「朝霧JAM’10」や「街でタイコクラブ(2014)」にも出演するなど、日本でも確固たる人気を確立している
英のエレクトロニック/プロデューサーGold Pandaによる3年振りのサード・アルバムが遂に完成! !
既にGuardianのthe best of this weekにも選ばれている1stシングル“タイム・イーター”ほか、
全11曲を収録し、日本は世界に先駆け先行リリース! !
そして最新作を引っさげて10月に東京・大阪・京都での来日ツアーが決定!!


2016/10/15(土) CIRCUS OSAKA

OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥4,000(ドリンク代別)
レーベル割価格(限定50枚)¥3,500(ドリンク代別)
[Buy] : Pコード:294-444/Lコード:55101/e+(4/11~)
peatix https://peatix.com/event/156835


2016/10/16(日) 京都METRO

OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥4,000 (ドリンク代別)
レーベル割価格(限定50枚)¥3,500(ドリンク代別)
[Buy] : Pコード:294-836/Lコード:55977/e+(4/11~)


2016/10/18(火) 渋谷WWW

OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥4,500 (ドリンク代別)
レーベル割価格(限定100枚)¥4,000(ドリンク代別)
[Buy] : Pコード:294-783/Lコード72961/e+(4/11~)


主催・企画制作 Tugboat Records Inc.

ふたたびの熱狂を - ele-king

 ふたたびの来日、ふたたびの熱狂。2014年もっとも重要なアルバムの一枚『タイー・ベッバ』で記憶されるイタリア人プロデューサー、クラップ・クラップことクリスティアーノ・クリッシの再来日公演が目前に迫った。アフロにジュークにベース、ダンス・ミュージックのトレンドが見せてくれるエキゾの夢はまだまだ醒めない。今週末の公演について、最終ラインナップが発表されている。先月リリースされた日本独自企画盤『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』もあわせてチェックだ!


CLAP! CLAP!
Tales From The Rainstick -EP & Singles Collection-

Pヴァイン

Tower HMV

5/4に日本独自リリース・アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』をリリースしたイタリアの奇才トラックメイカー/DJ、CLAP! CLAP! が、同作を引っ提げて待望の再来日を果たす! 先日リリースされたポール・サイモンの新作『Stranger to Stranger』への参加でも世界に話題を巻き起こしているこの男、今回もヤバい一夜になることは間違いない!

■UNIT / root and branch presents
CLAP! CLAP! - Tales from the Rainstick Release Party

ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境・民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまでを巻き込んで大ヒットとなったファースト・アルバム『TAYI BEBBA』を経て、昨年11月に熱狂の初来日公演を果たしたCLAP! CLAP!。そのライヴは密林ジャングル・グルーヴを掛け値なしに体現する熱量マックス/アグレッシヴでオーディエンスを昇天させる圧倒的なモノだった。話題沸騰中の最新アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』(日本独自企画盤)を携えての再来日となる今回の公演は、前回以上にヒートアップすること間違いなし!お見逃しないように!

そして、出演者の最終ラインナップもついに発表!
UNIT公演には<VIDEOTAPEMUSIC × cero>名義でフジロック出演が決定しているVIDEOTAPEMUSIC、ヨーロッパの重要フェスティバルの一つUNSOUNDへの出演がアナウンスされた食品まつり a.k.a Foodman、前回のCLAP! CLAP! 初来日公演に引き続きの登場となるやけのはら、そして、テクノからビート~ベース・ミュージックまでボーダーレスな現場最前線でのパーティー・メイキングに絶対的信頼の1-DRINKの参戦が決定!

6.18 sat UBIK VERSION @ 東京 UNIT
Live: CLAP! CLAP (Black Acre), VIDEOTAPEMUSIC, 食品まつり a.k.a Foodman,
DJs: 1-DRINK, やけのはら
Open/ Start 23:30
\3,500 (Advance), \4,000 (Door), \3,500 (Under 25, Door Only)
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com
You must be 20 and over with photo ID.
Tickets: LAWSON, e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, clubberia, RA Japan and UNIT
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com

6.17 fri GOODWEATHER @ 名古屋 Club JB’S
Live: CLAP! CLAP (Black Acre)
DJ UJI, Misonikov Quitavitch, NOUSLESS, Chouman
Open/ Start 22:00
\3,000 (Advance), \3,500 (Door)
Information: 052-241-2234 (JB’S) www.club-jbs.jp

■CLAP! CLAP! (Black Acre, IT)
https://soundcloud.com/clakclakboomclak

CLAP! CLAP! は、ディジ・ガレッシオやL/S/Dなど多数の名義で活躍するイタリア人プロデューサー、クリスティアーノ・クリッシがアフリカ大陸の民族音楽への探究とサンプリングに主眼を置いてスタートさせたプロジェクトである。様々な古いサンプリング・ソースを自在に融合して、それらを極めてパーカッシヴに鳴らすことによって実に個性的なサウンドを確立している。彼は伝統的なアフリカのリズムをドラムマシーンやシンセといった現代の手法を通じて再生することにおいて類稀なる才能を持っており、その音楽体験におけるキーワードは「フューチャー・ルーツ/フューチャー・リズム」。CLAP! CLAP! の使命は、トライバルな熱気と躍動感に満ちていながらも、伝統的サウンドの優美さと本質を決して失わないダンス・ミュージックを提示することである。2014年にリリースされ昨年CD化されたファースト・アルバム『TAYI BEBBA』は、ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境~民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまで巻き込んで大ヒットを記録中、その勢いを更に加速させる日本独自企画アルバム『TALES FROM THE RAINSTICK』を本年5月にリリースしたばかりである。



MOODYMANN - ele-king

 年々評価が高まっているのでは……? デトロイトのハウス・マスター、ムーディーマンが来日する。今年の頭に出たミックスCDも好評で、思えば、先日亡くなったプリンス・ネタ(デトロイトでのラジオ出演時の喋りを使ったものもあった)も有名。彼ならやってくれるでしょう。


interview with Michael Gira(Swans) - ele-king


Swans
The Glowing Man [2CD+DVD]

Mute/トラフィック

RockNoisePost Rock

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 なんとやめるのだという。なにをって、スワンズを、だ。2010年に復活し、メンバーを固定し数多くの公演でアンサンブルの強度を高めに高め長大な作品におとしこむ、新生スワンズがとってきたサイクルは、私はちょっと考えれば、凡夫にかなわぬ道行きであったればこそ、彼らの新作を耳にし、ここ日本で演奏を観られることを望外のよろこびとしてきた。長い沈黙を破り発表した2010年の『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』でスワンズは、マイケル・ジラはゼロ年代的潮流の一部だったドローンを断片的なフレーズの反復に置き換え、彼のレーベル〈ヤング・ゴッズ〉が先鞭をつけたウィアードなフォーク感覚やダルシマーなどもまじえたワールド・ミュージック的な意匠と折衷することで特異な音響空間を現出させた。それがじっさいどのものであるかは、のちにライヴを観てはじめて腑に落ち、肌で理解することになるが、22年ぶりの来日の前年にリリースした『We Rose From Your Bed With The Sun In Our』も、前作とおなじくタイトルがおぼえにくいのをのぞけば、彼ら以外のロック・バンドではなかなかお目にかかれない熱、宗教的といいたくなる熱を帯びていた。
そもそも『My Father〜』は「No Words / No Thought」ではじまるのである。タワレコのキャッチフレーズを思わせるこの題名はしかし、あのようなふんわりした気分というよりも、あきらかに神の言であり、神としての父に導かれ天に昇ると題したタイトルに宗教的な意図を見出さないほうがおかしいではないか。それもあって、東日本大震災で中止となった来日公演のふりかえでもあった2013年の来日公演の直前、はじめてジラに書面でインタヴューしたとき、私はそのことをおりまぜ質問状をつくった、「私たち、宗教的に曖昧な日本人にはその意図は伝わりづらいかもしれない」との留保をつけて。ジラの回答は「私は音楽のスピリチュアルな面については特定の宗教に属してはいない」というものだった。くわえて、音楽の言葉を言葉で語ることへうっすら嫌悪をにじませてもいた。私はわかったようなわからなかったような、日本人らしい曖昧な気分だったが、ジラの忠告に背き、その後も彼らの言葉の意味を考えつづけるなかで、あのときのジラの言葉の重点は宗教よりスピリチュアルにかかっていたとおそまきながら気づいたのである。西欧人たるジラにはユダヤ/キリスト教、つまり一神教の価値観が支配的かと思いきや、仏教であり禅でありマニ教的である彼もいた。ジラ自身、おなじ質問への回答のなかですでにタントラといっていたではないか。宗教的な話をつづけるとヒクひともすくなくないだろうから、そろそろやめますが、つまるところジラの思考は神秘体験をもとにした汎神秘主義(パンミスティシズム)というべきものではないか。
『The Glowing Man』は新生スワンズの最後のアルバムになるのだという。『The Seer』『To Be Kind』と、私たちの望むが通じたかのようにタイトルを簡潔に中身をテンコモリに、ジラいわく音楽が不幸な時代に伽藍をうちたてるがごとき活動をつづけた新生スワンズがなぜそのサイクルを閉じなければならないのか、その理由は以下のインタヴューをお読みいただきたいが、20分を超える楽曲を3曲収めたこのアルバムは現在のスワンズのまさに集大成と呼ぶべきものだ。“Cloud Of Forgetting”“Cloud Of Unknowing”──人間の目から神を隠す遠大なベールとしての雲をあらわす冒頭の2曲、“The World Looks Red / The World Looks Black”はジラの詞にサーストン・ムーアが曲をつけ、ソニック・ユースがデビュー作『Confusion Is Sex』に収録した楽曲をジラみずから歌い直した同名異曲。アルバムにはコンパクトにアイデアを展開した楽曲もあるが、白眉は表題となった“The Glowing Man”であり、ジラとスワンズは30分になんなんとするこの曲で、メンバー個々が呼応し音楽があたかも巨大な生物になるかのような境地に達している。そのあとに訪れる終曲“Finally, Peace.”には動きが停まり収束するというより、ゆっくり歩み去るような力感がみちている。おそらく道行きにはまだ先があるのだ。

いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。

現ラインナップでのラスト・アルバムとの報、おどろきました。無数の方からこのことは訊かれるかと存じますが、やはりこの質問からはじめさせてください。なぜ、2010年に再結成した新スワンズをリセットする必要があったのでしょう? 

ジラ:これ以上バンドを続けるのはもうムリだと思った。私のほかの5人のミュージシャンたちと仕事をするのは好きだし、彼らとともに私はスワンズのキャリアにおける最高の作品をつくることができたと思っている。ただ、このライナップで挑むべき冒険はどれもすで探求し尽くした。だからいまは、友人である彼らとともに最後のツアーに出るのを楽しみしているが、その後は、やり方に変化を加えなければならない。おそらくスワンズの名前で私は今後も作品をつくるだろう、ツアーもすると思う。ただ、ライナップはそのつど必要に応じて変えていくつもりだ。これまで一緒にやってきたミュージシャンにも参加してもらうこともあるだろう。固定メンバーで活動するバンドではなくなる、ということだ。

『The Glowing Man』の制作には、いつごろでどのようなきっかけで入りましたか。

ジラ:アルバムの音楽自体は、前作のライヴ・ツアーの中で発展していったものだ。ライヴ中の即興から生まれた曲がほとんどだ。“Cloud Of Forgetting”や“Cloud Of Unknowing”、“Frankie M.”“The Glowing Man”はすべてそのようにして生まれ、ライヴをつづける過程で、発展し、繰り返し変化していった。レコーディングがはじまったのは2015年の7月か8月くらいだった。ツアーを終えてから、すぐにとりかかったんだ。レコーディングでは、私が曲のアレンジなど、ひとりでおこなう作業が先行したのでバンドはひと月ほどオフをとった。

アルバムの制作に入る前に、すでにこのアルバムを現布陣の最終作だと見なしていましたか。

ジラ:ああ。私の中では前回のツアーの終盤くらいから念頭にあった。アルバムの制作に入るころには、全員これが「この固定メンバーでのスワンズとしては最後の作品」だという認識だった。

『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』『We Rose From Your Bed With The Sun In Our Head』『The Seer』『To Be Kind』と『The Glowing Man』──新生スワンズは前3作で音楽性を提示し、『To Be Kind』を境にどんどん反復的かつシンプルになった観があります、2010年代のスワンズを俯瞰して、その変化をご説明ください。

ジラ:私の口から説明するのはむずかしい。なぜならわれわれは、本質的にはサーフィンをしているようなものだから。そのときどきの波に乗っているんだ。自分の前にあるものだけを見ている。そしてサウンドの推進力で前に進んでいる。私なりに微妙なニュアンスをところどころで見つけながら。これまでの楽曲がどうしてそういうものになったのか、私にもわからない。当時、直感的に「正しい」と思ったからそうなったんだろうというほかない。過去にはあまり興味がないんだ。ただし、そこから学べることもある。「自分が追求し尽くしものを捨て、次に求めるものの片鱗を見つける」というということだ。個々のアルバムそのものは私にさほど大きな意味をもたない。むしろ、そこに行き着くまでの音楽をつくる一連の過程に私は興味がある。作品にとりくみ、そこから学び、あるものを排除し、別のものを追及する、という経験。その過程がすべてだ。

あなたはスワンズをひとつの有機体とみなしますか、それとも個別の音楽の集合だと思いますか。

ジラ:私にとっては、35年続いているひとつのプロセスだ。学びと発見のプロセスであり歩みだ。

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できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。

2年前のインタヴューであなたは当時のスワンズの音楽の状態を「雲のようなものだ」とおっしゃいました。『The Glowing Man』の冒頭の2曲のタイトルは“Cloud of Forgetting”“Cloud of Unknowing”です。「雲」はスワンズの音楽にみられる変化しつづける不動性が当時すでにあなたの念頭にあったことを物語ると同時に、その言葉に「忘却」「無知」という単語を重ねたのはとても示唆的です。表題に必要以上の意味を読むこむのは危険かもしれませんが、なぜそのようなタイトルにしたのか、教えてください。

ジラ:『The Cloud Of Unknowing』という中世のカトリック系キリスト教の僧侶が執筆した本がある(著者註:『不可知の雲』14世紀後半に成立したとされる瞑想の方法に言及した、キリスト教神秘主義ではよく知られた書物。作者不肖)。神とひとつになれる正しい方法を信徒達に教えるための教育的な指導書だ。その中で、“Cloud of Unknowing” とはつまり、現実に即した考えを捨てたときにたどり着く境地なのだと説いている。「自分が正しか、正しくないか」あるいは「自分はこういう人間だ」といった固定概念や、言葉さえからも自分を切り離し、神のいる「未知」の境地を信じて飛び込むこと。“Cloud of Forgetting”の方は、それと似ているが、自分が知っているすべてを忘れること。“Cloud Of Unknowing(不可知の雲)”に入るためには、まず“Cloud of Forgetting(忘却の雲)”に入り、われわれが日々の現実だとみなしている具体の根からみずからを断ち切らなければならない。その思考過程は非常に禅仏教に近いものがある。私としては、その心理状態が、自分自身の音楽と重なる部分があると感じた。曲の一節や、パフォーマンスの中で、音楽が絶対的な「いま」のなかで完全なる切迫感を帯び、我々の存在とそれ自身を消し去りながら我々を覚醒させてくれる。

その“Cloud of Unknowing”には韓国人ミュージシャン、オッキョン・リーが参加しています。彼女が本作に参加した理由を教えてください。また彼女はジョン・ゾーンのTzadikやスティーヴン・オマリーのIdeologic Organにリリースのある卓越した即興演奏家ですが、彼女の音楽をどう思いますか。

ジラ:彼女は過去に二度のツアーでわれわれの前座をつとめてくれたことがある。そこで私は彼女の演奏のアプローチに感銘を受けた。まるで楽器と精神的レスリングの試合をやっているみたいだった。彼女の演奏はものすごくはりつめたものがある。すばらしいパフォーマンスだから公演を見る機会があったら是非見るといい。君のいうように、彼女は即興演奏家だから、今回彼女には曲の内容、目指すところ、もちろん楽曲キーも伝え、彼女は私の説明をもとに演奏してくれた。

ほぼ1発録りだったのですか。

ジラ:そうだ。

あなたの書かれた“The World Looks Red”の歌詞はソニック・ユースのデビュー作『Confusion Is Sex』にとりあげられています。今回この歌詞を「The World Looks Red / The World Looks Black」として楽曲にまとめた理由をあらためてお聞かせください。

ジラ:曲はできているのに歌詞がない楽曲が手元にあって、ふと思いついたんだ。気づいたらあの歌詞を歌っていた。35年前に書いた歌詞なのに。曲に合っているように思えたから、そのまま進めた。君がイうように、あの歌詞はサーストンがソニック・ユースの曲で取り上げた。彼らとは1982年当時NYのイースト・ヴィレッジにある同じリハーサル・スペースを使っていた。彼は私のタイプライターにあったあの歌詞を見つけて、私に使ってもかまわないかと聞いてきたんで、「もちろん」と答えた。それから何十年も経ったいまになって、どういうわけだからあれがまた頭に思い浮かんだのだ。せっかくだから使おうと思った。

資料にある「もしかしたらある意味、一周回って同じところに来てるのかもしれません」との言葉は具体的にどのような意味なのでしょう。

ジラ:35年前に書いたあの歌詞を今回使ってみて、当時といまでは音楽性がまったくちがうと思ったんだ。でも、どういうわけだか、あの歌詞がいましっくりくると感覚、それをいいたかった。(あの歌詞は)おもしろい心の絵を描いているように思う(they paint a nice psychic picture)。あれを書いた若者が何を伝えようとしたのかはわからない(笑)。おそらく、ひどいパラノア状態に陥っていたのだろうね。思い返せばあの頃の私はよくそういう状態を経験していたからね。

“The World Looks Red”を書かれてからすでに30年以上の時間が経っています。ソニック・ユースも実質的に存在していません。80、90、2000、そして2010年とあなたの見つめつづけてきたオルターナティヴな音楽シーンはどのような変化したと思われますか。

ジラ:そういうことについて考えることはあまりないのだが、あえて答えるなら……じつは当時といまとでは状況はさほどちがわないのかもしれない、と思う。いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。どちらかというと、いまの方が、音楽をつくって、それで生計を立てることがこれまで以上に厳しくなったと感じる。どれくらい変化したかはわからないが、少なくとも、インターネット環境の到来で、聴き手側の音楽の入手方法は変わった。でも、音楽をつくる、それを経済的に支える、そして世に出て行ってそれをライヴで演奏する、ノウハウが必要な点では、ちがいはないように思える。

あなたの、とくに新生スワンズにスピリチュアルな側面を見出せるということについては以前のインタヴューでも話題になりました。私はそれは明確に上昇するベクトルをもつと思いますが(抽象的な話でもうしわけありません)、そのような志向ないし思考はあなたの人生観に根ざすものでしょうか。

ジラ:それは「探求すること」に根ざしている。私の人生観はつねに改訂を繰り返している。自分がいかなる価値観もほとんど理解していないことはわかっている。それでも私は、ただ存在しているという何も手を加えていない事実だけに根ざした本物の何かを探している。スピリチュアルな側面にかんしていえば、「われわれの音楽はスピリチュアルだ」といってしまうことは思いあがりにしか聞こえないかもしれないが、「何かを探求している」ものであるとはいえる。それはたしかだ。

あなたのいう「愛」とはイエスのいうそれでしょうか。もっとほかの意味がこめられているのでしょうか。

ジラ:「愛」を説いているのはキリスト教に限ったことではない。東洋の宗教においても「慈悲心」がもっとも尊いものとされている。それこそが私のいう「愛」なのかもしれないし、それはまたイエスのいう「愛」も同じなのかもしれない。つまり、そこには「捧げること」や「受け入れる心」、そして「解放」がなければいけない。ライヴ・パフォーマンスにおいて、スワンズが最高潮に達したとき、当然これはいつもあるわけではないが、それが起きたときは、愛の行為に似たところがある。完全に自己喪失しつつ、「捧げること」も同時に起きている。

偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。

“The Glowing Man”にとりいれた禅の公案とはどのようなものでしょうか?

ジラ:ナゾナゾとまではいわないが、論理的思考を泡立て器で攪拌するようなものだ。もっとも有名なのは「隻手の声」というものだ。答えのない問いだ。そうやって考える視点を捻じ曲げることで、その慣れない視点から新しい発見を見出すのが目的だ。この曲の中で私が引用している禅の公案は、「what is is what」で、私からするとこれにすべてが集約されている。なぜなら、何の意味ももたないからだ(笑)。答えのない不可能な質問みたいなものだ。そういう思考方法に魅了を感じる。

今年は米国の大統領選の年です。ダニエル・トランプと、おそらく民主党候補になるであろうヒラリー・クリントについて、彼らの政策をどのように考え、どちらを支持しますか。またその結果、ジラさんを含む国民の生活はどう変化すると思いますか。

ジラ:その質問に答える前にはっきりさせておきたいのは、これはあくまで私個人の意見に過ぎず、私がミュージシャンだからといって、その意見がほかの誰かの意見よりも価値をもつものではないということだ。当然ドナルド・トランプには愕然としているし、おそろしいし、恥ずかしいし、不快に感じている。ヒラリー・クリントンはまあまあではあるけど、彼よりはいいのはたしかだ。私が政治の領域で一番関心があるのは地球の温暖化、気候変動の問題だ。それに対して、彼女なら何らかの改善策に向かって動いてくれるだろう。ドナルド・トランプになったら、完全に後退するのは明らかだ。

新生スワンズにおけるジラさんのヴォーカルはときに仏教の声明を思わせるほど朗々としたものになっていきましたが、ヴォーカリストとしてご自分を客観的に評価するとどうなりますか。

ジラ:自分は欠点だらけのヴォーカリストだと思っている。ただ、たまに、自分の声にある動力源を見つけて、自分なりのかたちで鳴り響かせられることがある。できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。

3年前のインタヴューでは『The Seer』「Song For A Warrior」はあなたの6歳(というこはいまは9歳ですね)の娘さんへのラヴレターだとおっしゃっていました。またあなたはその曲はご自分の声でないほうがよいと判断したとおっしゃっていました。今回の“When Will I Return?”もそのような位置づけの楽曲といえるでしょうか。

ジラ:あの曲はジェニファーに歌ってもらうために書きおろした曲だ。はじめから自分で歌うつもりはなかった。人に歌ってもらう曲を書くのも好きなんだ。

アルバムに女性が歌った曲を入れたいという音楽的な判断もあったのですか。

ジラ:もちろん。でも、あの曲は個人的にどうしても書かなければいけない曲でもあった。彼女への贈り物として。彼女の人生に深い傷跡を残した経験を歌にして、彼女に歌ってもらいたいと思った。そうすることが、彼女が少しでも救われればと思ったし、ほかの人にも彼女の立派な生き方に共感してもらえたらと思ったんだ。アルバムにはほかにも女性ヴォーカルが入っている。女性ヴォーカルをとりいれるのが好きなんだ。特に女性の歌声がエレキ・ギターとくみあわさった感じが好きなんだ。

『The Glowing Man』では楽曲の多くは組曲形式ないし多楽章形式とでも呼ぶべきものになっています(またあるアルバムのある楽曲が別のアルバムの反復を担っていることさえあります)。音楽の内的必然性にしたがった結果、こうなったのだと想像しますが、現在のあなたにとってポピュラー音楽の楽曲やアルバムといった標準的な形式をどうお考えでしょうか。プロデューサーの観点からお答えください。

ジラ:偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。

アルバムという形式はどうでしょう。

ジラ:世の中の動向は自分とはまったく関係ないものだから、関心はない。すくなくともいまのところアルバムはまだ自分にとって意味のあるもので、またわれわれの音楽を支持してくれるひともいる。ということはまだアルバムを聴きたいと思っている人たちがどこかに存在しているということなのだろう。ただ、音楽をつくるうえで重要かどうかといわれれば、そうではない、すくなくとも私にとっては。私は聴き手がその瞬間だけでもどっぷり浸れる音の世界を創造することに興味がある。それをやっているまでだ。

同じく音楽制作者の視点から、今度音楽シーンはどのように変化するとお考えですか。あるいはシステムの変化はスワンズとは無縁のことでしょうか。

ジラ:こういういい方をしよう。システムの中での自分の活動が終わりに近づいてきてうれしい、とね。

音楽活動は今後もつづけるんですよね。

ジラ:もちろん。でも私にはさいわい自分のレーベルがあって、自分なりの支援体制もできている。仮に自分がまだ若くて、現状の中で音楽活動をはじめたばかりだったら、どうすればいいのか途方に暮れただろう。そのようなことが毎日ニュースにもとりあげられている。日に日に状況は厳しくなっている。音楽で生計を立てるのが不可能になってきた。大工であれば仕事をした分の代金が当然支払われる権利をもっている。ミュージシャンだって同じはずだ。

インターネットによるシーンへの影響はどう見ていますか。

ジラ:自分たちの場合、旧譜のカタログがあって、その権利を私が自分でもっているから、収入の流れがどうであれ、私の手元にお金が支払われる。まだ駆け出しでこれからレーベルと契約をしたり、自分なりのシステムを築かなければいけないのに較べれば、そこまで先行きは暗くない。テクノロジーによって、この問題は改善、解決されると思っている。ただ、だれもそれをやろうとしないだけで。アルバムをつくるさい、あるいは曲をレコーディングするさい、すくなくと私の場合は、スタジオに入るから何万ドルとお金がかかるわけだ。さらに、これまでの人生経験すべてが注がれて、つくるのに何百時間をも費やす。そうやってできたものを、「そこにあったから奪う」権利はだれにもない。それは、たとえば大工が六つの非常に美しいテーブルを精魂込めて16ヶ月かけてつくったのを、だれかが彼の倉庫にある日やってきて、「これもらっていくよ」といって掠めるのとおなじことだ。

今後について。資料ではより小さな規模での活動をほのめかしていますが、それはある種の反動なのでしょうか。

ジラ:たえまないツアーとレコーディング、それに加えておこなう資金調達用のプロジェクトにしても、それに何百時間と時間をとられるのだよ。そうやってほとんど休むことなく、7年間働きつづけた。そろそろスタミナの限界だ。同じペースでつづけるのはもうムリだ。だから、このアルバムのツアーが終わったら、まずしばらく睡眠をとってから、次に何をするか考えたい。

以前お話をうかがったさい、本を書きたいとおっしゃっていましたが、その時間はとれそうですか?

ジラ:どうだろう。いまとなっては、自分が(本を書いて)何を伝えたいのかもわからなくなってしまったよ。それよりもまず本を読みむことが大事だ。じっくり本を読む時間をとることだ。脳のその部分をまず活性化させなければいけない。その結果何か出てくるかもしれない。

たとえばあなたひとりでアコースティック・ギター一本の弾き語りをするときでもスワンズの名義を使いますか。

ジラ:じつはソロのヨーロッパ・ツアーを終えたばかりだ。アルバムを完成させた後、1ヶ月のソロ・アコースティック・ツアーをおこなった。ソロの弾き語りはマイケル・ジラ名義でやっていくつもりだ。

ツアーを予定されているとのことですが、来日公演の予定はありますか?

ジラ:まだ具体的なツアー日程は決まっていないが、確実に行くとは思う。7月初旬からすくなくとも16ヶ月はツアーをやる予定だ。いずれはお目にかかることもあると思う。

私は2013年と2015年の東京公演を拝見しましたが、とくに後者は圧倒的な音響空間で、スワンズがライヴをひとつの音響作品として考えていることがよくわかりました。新生スワンズで6人のメンバーの固定したのも音楽の連続性を目したものだったのかもしれないと思いました。あなたが2010年以降のライヴ活動で得たものがあれば教えてください。

ジラ:ライヴ活動はいつだって私により高い場所を目指したと思わせてくれる。ライヴで曲を演奏し、その中からなにを省いて、なにをのこすかを感じとり、さらに追求して、新しいものを見出していく。曲をアルバムの通りに演奏するなんてことは絶対にやらない。それは極めて安易で愚かでなんの刺激もない。観客の前で演奏しながら曲を構築していくというやり方は今度のツアーでも変わらないよ。

talk with Takkyu Ishino × Stephen Morris - ele-king

余計な説明はいらないだろう。5月24日、都内某所、石野卓球とニュー・オーダーのドラマー、スティーヴン・モリスは40分ほど対話した。以下はその記録である。
前日の25日には、バンドは来日ライヴを成功させているが、石野はフロントアクトとしてDJを務めた。彼は、今回のアルバム『ミュージック・コンプリート』からのシングルの1枚、「Tutti Frutti」のリミックスを手掛けている。そして石野は……以下、どうぞ対談をお楽しみください!

失礼ですが、僕がそれまでに観た海外のバンドなかで1番ヘタクソだなって思ったんですよ(笑)。でもね、それがすっごくカッコよくてね。
──石野卓球

石野卓球:僕のニュー・オーダーのライヴの思い出なんですけど、会場は新宿厚生年金会館で、失礼ですが、僕がそれまでに観た海外のバンドなかで1番ヘタクソだなって思ったんですよ(笑)。でもね、それがすっごくカッコよくてね。他のバンドがみんな完成され過ぎていたから、身近に感じたんです。

スティーヴン・モリス:当時の私たちの演奏は「乱雑」って言葉がぴったりだったと思いますよ(笑)。セミ・プロ集団でしたからね。

石野:いやいや(笑)。

スティーヴン:あの日は40分くらいのライヴでしたよね? 1時間やらなきゃいけなかったから、しょうがないからアンコールをやったんですよ(笑)。

石野:僕が行った日の1曲目は“コンフュージョン”だったのをはっきり覚えてます。

スティーヴン:若かったのによく覚えていますね。

石野:『ロウ・ライフ』に関して質問があります。ジャケットにはスティーヴンさんの顔が使われていますけど、当時のロックのアルバムではヴォーカリストやギタリストがジャケットにくるのが普通だったと思います。どうしてスティーヴさんの写真が選ばれたんですか?

スティーヴン:デザイナーのピーター・サヴィルに大金を積んだんですよ(笑)。日本に来たとき、あのジャケットのおかげで、みんなが私のことをシンガーだと思ってくれて最高でしたね(笑)。CDヴァージョンは、カード式にして好きなメンバーをジャケットにすることもできるので、もっと民主的なんです。でも、当時のHMVでは、バーナードの写真を表に出して並べているところが多かったので、私はお店に出向いて自分の面を表にし直す必要がありましたね(笑)。

石野:ははは(笑)。たしか、そのとき、日本のスタジオに入ってレコーディングしたとか?

スティーヴン:そうなんですよ。コロンビアのデノン・スタジオでした。ヴィデオを撮影したので、録音した音を映像用にミックスする作業も行いました。曲は“ステイト・オブ・ザ・ネイション”。あれはとても興味深い体験でしたね。私たちは夜にスタジオに入ったんですが、エンジニアの方は昼間っからずっと働きっぱなしだった(笑)。通訳の女性も同じくすごく疲れていたみたいで、終盤はメンバーが「もっと低音がほしい(More Bass)」と言っても、彼女はエンジニアに向かって「More Bass!」と英語で話しかけてましたね(笑)。

石野:当時のレコーディング・アシスタントは交代がいなかったんですよね(笑)。

スティーヴン:あの日は、まだ出回りはじめたばかりのデジタル・テープで録音したので、技術的な面でも面白かったですね。でも新しい技術だったこともあって、意図を伝えるのがすごく難しかったです。それまではアナログ・テープでの録音が一般的でしたから。そのおかげで通訳の女性をかなり混乱させることに……(笑)。デジタル・テープなので、音声を組み合わせられることができました。だから、全部で3テイク録って、バースはテイク1のものを使用したりして組み合わせていきましたね。ひと通りレコーディングが終わったので何か食べにいこうと思って、エンジニアの人に編集にどのくらいかかるのか訊いてみたんです。そうしたら1日かかるって言われてビビりましたよ(笑)。デジタルだからテープの切り貼りができなかったんですね。私たちは「勘弁してよー」って感じでした。インタヴューをやる予定だった時間をレコーディングにまわしたりしたんですが、確保できた睡眠時間は2時間(笑)。それでも貴重な素晴らしい体験でした。初めての日本だったこともあって、別の惑星に来た気分でしたから。

石野:うんうん。その状況は想像できるな。僕が初めて行った海外って、実はマンチェスターなんですよ。

スティーヴン:なんだって(笑)!? 日本からしたらマンチェスターも違う星に見えるのかもしれないですね。

石野:プロダクションについても教えて下さい。ニュー・オーダーの楽曲にはプログラミングの要素がとても多く含まれていると思うんですけど、その点に関しては、バーナード(・サムナー)さんや他のメンバーと、どのように役割分担をしているんですか?

スティーヴン:私がプログラムしたものに彼が手を入れ直したり、その逆をやったり、その作業を繰り返しますね。とくにふたりの作業の割合とかは意識していないです。バーニーにはスタジオがあるし、私はバンドの演奏ができる大きな納屋を持っているので、そこで作業をしますね。アイディアが浮かんだら、すぐにそれを試すことができる環境は整えてあります。私がじっと座りながら考えたアイディアをバーニーに送って、いざ返信が返ってきたら、全く違うものになっていたなんてことはよくありましたよね(笑)。どちらかと言えば、私は大まかな部分を作るのに対して、バーニーは細かい作業を主にやっています。

石野:スティーヴンさんはセクション25のリミックスもされていましたよね。昨日、僕、あの曲かけたんですよ。

スティーヴン:何週間か前、別の人にもあのリミックスを褒められたんですが、あれそんなに良いですか(笑)? まだまだやりこめたかなぁと思うんです。というのも、あれは作業が途中だったので(笑)。

石野:そうなんですか(笑)。あんまりご自分の名前でリミックスはやっていらっしゃらないですよね?

スティーヴン:数はそんなに多くないですね。でもリミックス作業自体はけっこう好きですよ。ブライトンのフジヤ&ミヤギのリミックス、それからティム・バージェスやファクトリーフロアもやらせてもらいましたね。もし嫌いな曲だったらリミックスってできないんです。そういう曲を頼まれたら、「ごめんなさい、いまはめちゃくちゃ忙しいんです」って返答しちゃいます。ところが気に入った曲の場合でもうまくいかないことがある。もうそれ以上に付け加えることがないから、いくら私が作業を進めても、オリジナルとあんまり変わらなかったり、元に戻っていたりすることもありますから(笑)。

終始穏やかなスティーヴン。この日着ていたのはヨーダのTシャツだった。

ドラムマシンが出てきたとき、すごく興味深く思いました。つまんないことはマシンに任せて、人間は面白いことに集中できると思ったんですよ。
──スティーヴン・モリス

石野:スティーヴンさんがドラムをはじめたきっかけは? もともと好きなドラマーがいたんですか?

スティーヴン:ドラムをはじめた理由は、周りにギタリストが多すぎたからです。15歳くらいのときですね。私の父親は楽器は何も弾けないんですが、音楽はすごく好きだったので、私に楽器をやらせようとしていました。最初はクラリネットを習わせようとしていたんですが、私がドラムをやりたいと言ったら、「じゃあレッスンに通え」と(笑)。私が好きなドラマーは、カンのヤキ・リーベツァイトやノイ!のクラウス・ディンガーでした。それからキース・ムーン。彼は壊れたように叩くので、これには絶対になれないなと思っていましたけどね(笑)。人物的な面を魅力的に感じてたんです。

石野:なるほど。スティーヴンさんがジャーマン・ロックの人たちをお好きなのはすごくよくわかります。だから以前「私はドラムマシンになりたい」っておっしゃっていたんですか(笑)。

スティーヴン:アイロニックなことを言ったもんですね(笑)。ドラムマシンが出てきたとき、すごく興味深く思いました。つまんないことはマシンに任せて、人間は面白いことに集中できると思ったんですよ。ドラムマシンの音って、モノによっては全然ドラマーの音に聴こえないやつがありますよね。ワタシはとくにそういう機材が好きでした。

石野:カシオの音なんかまさに。

スティーヴン:そうそう! 少しおもちゃっぽいところがあってマジカルな感じがするんです。プログラミングしやすい機材だといいんですが、何時間やってもうまくいかなくて、自分でドラムを叩いた方が早いことも多々ありました(笑)。

石野:僕にとって、“ブルー・マンデー”の冒頭の、人間じゃ叩けない16分音符のドラムキックが本当に衝撃的でした。ラジオで聴いたとき本当に鳥肌が立ったんですね。当時、ドラムマシンが出てきてロックの人たちがそれを敵対視していたなかで、ニュー・オーダーはいち早く取り入れていましたね。

スティーヴン:テレビでスティーヴィー・ワンダーがリン・ドラムを使ってリズムを組みながら歌っていたのを見たんですが、それが信じられないくらいファンキーだったんです。それを見て、「アレを手に入れれば僕も彼みたいになれる!」って思ったんですよ(笑)。そんな流れで、リン・ドラムンを手に入れました。でもその後、私たちはベース音を調整できるオーバーハイムのDMXを使いはじめたんです。当時、DMXはリンよりも安かったんですよ。
いまは簡単にビート・パターンを保存できましたが、昔は保存するのも難しかった(笑)。ちゃんと保存しても消えたりしましたからね! みんな全部私のせいにしたりするんですから、たまったもんじゃない(笑)。だからカセットにデータを保存することにしたんですが、それも途中で巻き戻せなくなったりして。だから“ブルー・マンデー”のときは、最終的には大量の紙にドラムパターンを書き出していましたね。
ドラムマシンを使うのに、本物のドラマーみたいなパターンにしても意味がないですよね。当時はドラムを叩かないで、ボタンを押していただけだったのでちょっと不思議な感じがしたものですが。

石野:ドラマーがプログラミングをやるっていうのも珍らしいですよね。デジタルのドラムマシンを導入した結果、ドラマーがクビになったりってことも(笑)。

スティーヴン:80年代初期はドラマーたちにとって、まったく新しい仕事が作られた時期でしたね。ドラム・プログラムが重要になって、ドラマーが蚊帳の外になんて事態も起きました。私は両方やっていたので大丈夫でしたけど。でも現在はドラムとドラムマシンに対するが考えが巡りめぐって、ドラム以外がダメでも他がパーフェクトなら問題はないとする人々もいますよね(笑)。
さきほどドラムマシンがドラマーを困らせるという話をしましたが、サンプラーが登場したときも似たような心境になりました。今度はバンドそのものが盗まれる可能性が生まれたわけですからね(笑)。良い面もある一方で、アイディアが盗まれてしまう恐怖もありました。DJシャドウ『エンドトローデューシング……』は大好きなんですが(笑)。
私たちは80年代のはじまりからコンピュータを使いはじめました。当時のコンピュータはいまとは比べものにならないほど大きかったですが、そこから出てくるサウンドも想像がつかないものでした。でもいまは、もっと小さい機材でもっと複雑なことができます。音楽以外でもそうですよね。電話がポケットに入って、さらにそこにカメラが搭載されるなんて、30年前には誰にも想像できなかったでしょう。見方によっては、ここは狂った世界ですよね。

石野:クラフトワークの『コンピュータ・ワールド』みたいですね。

スティーヴン:まさにその通りです。

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どうしてマンチェスターでレコーディングすることにしたんですか? 私だったら絶対にニューヨークを選んでいたでしょうね(笑)。
──スティーヴン・モリス

石野:昨日のライヴを観ていて思ったんですけど、スタジオ・ワークと比較して、ライヴではかなりサブベースが鳴っている曲もありましたよね。例えば“ユア・サイレント・フェイス”とか。かなり図太いサブベースでした。ライヴのために誰がアレンジするんですか?

スティーヴン:バーニーが主にやっていますね。古い曲でも常にいろんなヴァージョンを準備しています。完ぺきなアレンジができたとしても、変えたい場所が出てくるんです。だからいつもリミックスをやってきる状態であるとも言えますね。「ここがあと2デシベル……」という具合に周波数にこだわったり(笑)。そういうのが好みなわけじゃないんですけど、頭がそっちにいってしまう。でもそれで曲が良くなるのなら、苦労をいとわないですね。

石野:30年前に初めて日本に来て、それから何回も来ています。僕は住んでいるからわからないですけど、日本に何か変化とかを感じますか?

スティーヴン:さっきも言いましたが東京に限って言えば、灰皿が町から消えましたよね(笑)。それから、じょじょにですが私みたいなヨーロッパ人に対しても、優しくなったようにも思います。昔はそこまで気楽に接してくれなかったのが、最近はリラックスして話せますね。それから日本人の男性には女性蔑視的な面を感じていたんですが、最近はそれも減ってきたように思います。昔はインタヴューの時に、ジリアン(・ギルバート)だけ無視されたりもしたんですよ。

石野:えー! それはたぶん距離と取り方がわからなかったんじゃないかな。とくに女性だったから。

スティーヴン:そうだったのかもしれませんね。でも最近はそういうことをあまり感じなくなってきました。いまは大丈夫なので、気にしないでください(笑)。

石野:これだけ長期間活動していて、ジリアンさんみたいに1回離れてまた戻って来たメンバーもいたけど、バーナードさんとスティーヴンさんはずっと一緒です。やっぱりニュー・オーダーはおふたりが中心になってやっている部分が大きいんですかね?

スティーヴン:ジリアンが一旦バンドを離れたのは、娘の病気の面倒をみるためだったのでやむをえなかったんです。本人もすごく参加したがっていて、抜けている間はフラストレーションを感じていました。レコードを作るよりも、子育ての方が大変ですからね。
バーナードと私は、なんだかんだでいっしょにやっている期間が長いですよね。今年で何年目だろう……、考えない方が良さそうですね(笑)!

石野:趣味で戦車を集めているんですよね?

スティーヴン:ええ。

石野:本物なんですか?

スティーヴン:ええ(笑)。

石野:おー。何台お持ちなんですか? もちろん動くんですよね?

スティーヴン:4台ですね。ちゃんと運転できますよ。大砲は打てませんが(笑)。軍は厳しかったです(笑)。

石野:それはイギリス製の戦車だけなんですか?

スティーヴン:イギリスの信頼のおけない戦車たちだけです(笑)。メンテナンスも大変なんですよ。だから問題を点検するために、いちいち写真を撮っているんですけど、あいにくいまは持ってないんですよ。

石野:メンテナンスを楽しんでいそうですね。

スティーヴン:常に集中していなきゃいけませんから、ニュー・オーダーみたいなものですね(笑)。メンテナンス中に指を切っちゃったりしますけど、楽しいですよ。

石野:何がきっかけで戦車をはじめたんですか? 

スティーヴン:最初は1947年製のブリストルの車が欲しかったんです。中年の危機ってやつですね(笑)。でも実物を見に行ったときに「高いからダメ!」ってジリアンに止められたんですよ。それでしばらく経ったら、戦車のパーツを置いているお店を見つけてしまって。そしたら「車よりもこっちを買うべきよ!」ってジリアンが言うんですよ(笑)。自分は買うつもりは全然なかったんですけどね。必要なパーツが全然ついていなくて、扱い方も最初はわかりませんでしたから(笑)。それでパーツをいろいろ買い集めることになったんです。
卓球さんはDJだけではなくバンドもやっているんですよね?

石野:電気グルーヴというバンドをやっていて、今年で26年目ですね。さっき初めて行った海外がマンチェスターだって言いましたが、それはファースト・アルバムのレコーディングのためだったんですよね。

スティーヴン:そういうことだったんですね! どこのスタジオでレコーディングしたんですか?

石野:スピリット・スタジオですね。

スティーヴン:録音した音源のスピードがすごく遅くなっちゃうテープマシンがありましたよね(笑)。もう直っているといいんですが。

石野:あのスタジオを使ったことはあるんですか?

スティーヴン:あります。そんなにたくさんスタジオがあったわけではなかったんですよ。どうしてマンチェスターでレコーディングすることにしたんですか?

石野:ソニーに所属しているんですが、会社がふたつの選択支をくれたんです。レコーディングをニューヨークでするか、それともマンチェスターでするか。それでマンチェスターにしたわけです(笑)。

スティーヴン:私だったら絶対にニューヨークを選んでいたでしょうね(笑)。住んでいる場所によって人がどこに行きたいかは変わるものです。私はニューヨークのディスコなどが好きなので、とても魅力的に感じるんですが、マンチェスターはもう……(笑)。

石野:ははは(笑)。でも当時の僕たちにとってはマンチェスターはニューヨークみたいなものだったんですよ。ハシエンダのイメージがありましたからね。

スティーヴン:まさに「隣の家の芝生は青い」ですね(笑)。バンドでは何をしてらっしゃるんですか?

石野:プログラミングとヴォーカルです。

みんなリミックス盤は聴いた? 今回のニュー・オーダーの来日をサポートした石野卓球。

当時の僕たちにとってはマンチェスターはニューヨークみたいなものだったんですよ。ハシエンダのイメージがありましたからね。
──石野卓球

スティーヴン:実は下の18歳の娘が日本の音楽が好きなんです。Jポップ、それから韓国のKポップも。いま日本語も勉強していますね。

石野:本当に隣の家の芝生は青いんですね(笑)。

スティーヴ:娘は日本の化粧品を買うようになってから日本語を勉強しはじめました(笑)。今回一緒に日本に来たかったでしょうね。日本に住みたいって言ってますよ。いつも卓球さんはどういうところでDJをしているんですか?

石野:いつもはクラブやフェスでDJをやっていて、プロデュースもします。

スティーヴン:CDJを使っていますよね。パソコンでDJをする人が最近は増えましたが、それについてはどう思いますか?

石野:パソコンでDJをするのはあまり好きじゃないですね。レコードでDJをはじめたもんですから。

スティーヴン:パソコンは編集にはいいんですが、DJのときは便利すぎてズルしてる気分になりますよね(笑)。

石野:僕はDJはあくまでディスク・ジョッキーだと思っています。

スティーヴン:その通り。いまはパソコンがあればいろいろ手の込んだことができますけど、もしパソコンが壊れたら何もできなくなってしまいます。でもレコードでDJをするのなら、レコードをターンテーブルに乗せればいいだけですから、いたってシンプルなんですよ(笑)。

石野:DJの場合、機材が運びやすいですよね。

スティーヴン:レコードを持っていくだけでいいですもんね。でもCDJでできることもすごいなぁと思います。グランドマスターフラッシュの“ザ・ホイール・オブ・スティール”が出たとき、なんで他人のレコードからこんなレコードが作れるんだって思ったものでしたが、CDJの機能を使えば、あれをやるのも夢じゃない。

石野:たしかに革新的ですよね。最初はCDJの音はクソだったんですが、いまはレコードとまったく変わらないですよね。

スティーヴン:最初CDJを使ってプレイをしている人を見ても、何をやっているのか意味がわかりませんでした(笑)。でもいまはCDを使わなくても、USBメモリだけで曲やサンプルを再生したりもできますよね。

石野:いまはUSBで世界を周れちゃいますもんね。

スティーヴン:そうなんですよ。いままで買ってきた何千枚ものレコードがもったいないですよね(笑)。

 ミヒャエル・ローターとはクラウトロックにおける最重要バンドのひとつ、ノイ!のギタリストだった人である。もっともノイ!にはもうひとり、ドラマーがいるだけだったが。
 ローターのギターが壮麗なアンビエンスを奏で、そして烈火のドラマー、クラウス・ディンガーが一直線に突き進むモータリック・ビートを叩く。まさに静と動という相反するもの同士が一体化した奇跡のバンド、それがノイ!だった。
 オウガ・ユー・アスホールがホストをつとめる『””DELAY””』の2016年版に、ミヒャエル・ローターが出演することになった。素晴らしい出会いが準備された。あとはそれを体験するだけだ。

Neu!のアルバムやハルモニアの「Deluxe」はある時期よくターンテーブルに載せていて、いま聴いてもやっぱり格好いいと思います。生まれた年代も活動している場所も全然違いますが、いま同じステージで演奏できるのが、とても嬉しいです。こんな機会はなかなかないと思うので、ぜひ聴きに来てほしいです。 OGRE YOU ASSHOLE 出戸 学 https://www.ogreyouasshole.com

■Michael Rother × OGRE YOU ASSHOLE ""DELAY 2016""

出演:
Michael Rother plays NEU!, Harmonia & Solo Works
OGRE YOU ASSHOLE

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2016/07/29(FRI)
<DAIKANYAMA UNIT 12th Anniversary>
会場: 代官山 UNIT
開場: 18:30 開演: 19:30 前売: 5,500円 (税込/オールスタンディング/ドリンク代別途)
問: UNIT 03-5459-8630 www.unit-tokyo.com
チケット先行予約(ぴあ):6/14(火)~6/20(月) ぴあ先行URL:https://w.pia.jp/t/delay2016/
一般発売日:6/28(火)~
チケットぴあ(Pコード:302-226)/ローソンチケット(Lコード:75159)/e+ (https://eplus.jp/)

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2016/07/31(SUN)
METRO 26th Anniversary Special Live!
〈Michael Rother plays NEU!, Harmonia & Solo Works in Kyoto〉
会場: 京都 METRO
開場: 18:30 開演: 19:30 前売: 4,500円 (税込 / オールスタンディング / ドリンク代別途)
(早割 \4,000 ドリンク代別途)
問: METRO 075-752-2787 www.metro.ne.jp
★期間限定:早割\4,000 ドリンク代別途 [受付期間:6/10(金)~6/18(金)]
※『特別先行早割お申し込み方法』 → タイトルを「7/31 ミヒャエル・ローター早割希望」
として頂いて、お名前と枚数を明記して 宛でメールして下さい。
一般発売日: 6/19(日)~
チケットぴあ(Pコード:302-055)/ローソンチケット(Lコード:51684)/e+ (https://eplus.jp/)


企画/制作/招聘: OGRE YOU ASSHOLE, 代官山UNIT, 京都METRO, root&branch, doobie, Deuce inc.

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Michael Rother (ミヒャエル・ローター)

言わずと知れたジャーマン・エレクトロニック・ミュージックの巨頭クラフトワークの初期メンバーであり、その際に出会ったドラマー、クラウス・ディンガーと共に伝説のジャーマン・ロック・バンド、ノイ!(NEU! )を1971年に結成。ハンマー・ ビートと呼ばれた機械的な8ビートを大胆に導入して注目され、その後のパンク~ニュー・ウェイヴに絶大な影響を与えた。彼等の代表曲「Hallogallo」を収録したファースト・アルバム『NEU!』は、永遠のマスターピースとしてデヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、イギー・ポップ、ディーヴォ、ジョイ・ディヴィジョン、ジョン・ライドン、ソニック・ユース、ステレオラブ、ボアダムス、U2、オウテカ、レディオヘッド、プライマル・スクリームなど数多の多くのミュージシャンが傑作として言及し、多大な評価を受けている。1973年に発表されたセカンド・アルバム『NEU! 2』では、当時まだ先駆的な手法であったリミックスを大胆に試み物議を呼んだ。ミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの音楽的方向性の違いから、サード・アルバム『NEU! 75』を最後にノイ!は解散。ノイ!解散後のミヒャエル・ローターは、クラスター(ディーター・メビウスとハンス・ヨアヒム・ローデリウス)の2人と後にブライアン・イーノも合流した、ハルモニア(Harmonia)を結成。ジャーマン・エレクトロニック・ミュージックの最高峰として、エイフェックス・ツインを筆頭とする後のテクノ~エレクトロニカ世代に絶対的な影響を与えた。ハルモニア以降はソロ活動を活発化させ、数多くのソロ・アルバムをリリースしている。2010年にはスティーヴ・シェリー(ソニック・ユース)とアーロン・マラン(Tall Firs)とHallogallo 2010を結成、世界各国で積極的なツアーを敢行。2012年からベルリンの若手バンド、カメラをバックに従えてヨーロッパ各国でプレイを行い、近年は『NEU! 75』に参加したドラマーであり、後にクラウス・ディンガーを中心に結成されたラ・デュッセルドルフのドラマーとしても活動、また70~80年代のドイツを代表するプロデューサー/サウンド・エンジニア、コニー・プランクのアシスタントであったハンス・ランペをドラマー、ギタリストに元カメラのフランツ・バーグマンを迎えた3人編成でライブを行っている。


リヴァイヴァルじゃないのだ。 - ele-king

 リヴァイヴァルじゃないのだ。

 英語詞で歌う、英米インディそのものって感じの邦人バンドは、昔からいた。たとえば〈トラットリア〉なんかを見てみるだけでも、かっこいいバンドが見つけられる。そして、探してみればそんな存在はこれまでも途切れることなくずっと存在してきたはず。

 しかるに、ここ10年くらいの国内のカルチャー状況を鑑みれば、とかくドメスティックなものが席巻していたわけで、ある種の閉塞性やそれが生みだした歪みや奇形はガラパゴスと名づけられてクール・ジャパンの神輿に乗せられ、そんな中では英語詞とかヨウガクなんて完全に後塵を拝するというか、勢いのあるジャンルといいにくい時期だった。

 しかしここへきて90年代生まれの若い人が、しかも世間はシティ・ポップだはっぴいえんどだといっているところへ、べらぼうに英語詞な、まんまUKインディだったりUSインディだったりする音を引っさげて登場し、同世代の子から大喝采を送られている……のは何なんだろう!

 オヤジが喜んでいるのではないのだ(でもオヤジも喜んでいる)。やっていることはちっとも新しくない、どころか既視感バリバリだけど、しかし、けっしてリヴァイヴァルというのでもない。彼らはまったく頓着することなくあっけらかんとそれをやり、まったく美しく、まったく新鮮で、説得力にあふれている。同世代の子たちが喝采を送っている。同じ「ロック」で「バンド」でもまったくちがう。ポップ・シーンにおいて驚くほど長い間更新のなかった「ロック・バンド」たちの風景が、彼らを契機に変わろうとしているのかもしれない。

 ……というのは、ある特定のバンドを念頭に置いて書いている。ピンとくるかたも多いだろうが、それはYkiki Beat(ワイキキ・ビート)のこと。この年若く輝かしい東京のバンドを筆頭に、ロック界隈にはたくさんの才能が噴出している。そしてYkiki Beatがおもしろいのは、DYGL(デイグロー)というアルターエゴを持っているところだ。


DYGL
Don't Know Where It Is(CD)

Hard Enough

Tower HMV Amazon

 DYGL。Ykiki Beatのヴォーカルの秋山信樹と、ギターの嘉本康平、ベースの加地洋太朗を共有する、彼らによるもうひとつのバンド。どちらがメインということではなく、いずれも英米インディ感を振り切っているが、DYGLのほうがラフで、より強固なポップ・フォーマットを持つYkiki Beatでは拾いにくいガレージ感を、のびのびと呼吸し、楽しんでいる印象だ。

 こちらはマーケットすらドメスティックを意識することなく、この春は活動場所もLAへと……海を渡って展開している。そんな彼らの音楽やインディ観、USでの日々、日本との相違、などなど大変興味深いインタヴューを、弊誌では追って公開予定! もうちょっと待っていてください。

 そしてそれを読んで何曲か試聴してみたら、もう間違いなくツアーを目の当たりにしないではいられないはず。行ってみてほしいし、彼らの言葉を読んでみてほしい。きっと若い音楽好きはもうとっくにチェックしているはずなので、このニュースは、どちらかといえばオーヴァー30に届いたらいいなと思います。

 DYGL。読み方はデイグロー。かつてはロック雑誌を読んでたんだけど、ピンとこなくなったっていうか、大人になったのかな、聴くことに怠惰になって、タワーでCD買うこともなくなっちゃって……みたいなあなたに向けて、行かないと何かを逃すかもってことを知らせるために、書いています。

 それでは会場で!


■DYGL 最終日公演に写真展を開催!

フォトグラファーのShusaku Yoshikawaが今回のツアーに帯同し、
初日の京都、2日目の名古屋、三日目の大阪で撮り下ろすツアー写真と、
今まで撮影してきたDYGLを中心した写真をツアーファイナルの新代田FEVERにて展示予定。

Shusaku Yoshikawa
https://shusuck.tumblr.com/

■DYGL / デイグロー
2012年に大学のサークル内で結成。メンバーはYosuke Shimonaka(G)、Nobuki Akiyama(Vo, G)、Kohei Kamoto(Dr)、Yotaro Kachi(B)の4人で、すぐさま東京でライヴ活動を開始。これまでにCassie RamoneやJuan Wautersなどといった海外のミュージシャンとも共演している。2015年には『EP#1』をカセットとバンド・キャンプで自主リリースし、世界の早耳な音楽リスナーの注目を集める。その年の秋にはアメリカに長期滞在し、感性の近い現地のミュージシャンたちとコミュニケーションを交わすなか、LAの注目レーベル〈Lolipop Records〉のスタジオでレコーディングを決行。ライヴでも盛り上がりをみせる「Let’s Get Into Your Car」などの曲を再録し(『EP#1』に収録)、台湾ツアー後に書き溜めていた「Don’t Know Where It Is」なども録音。影響を受けたインディ・ロックの音の鳴り、スタイル、スケール等の全てを自らのサウンドに消化させた6曲入りファーストEP『Don’t Know Where It Is』が完成した。


DYGL - Let It Sway (Official Video)


■DYGL "Don't know where it is" RELEASE TOUR

チケット料金:[前売]¥2,500 / [当日]未定(各税込)
主催・お問い合わせ:シブヤテレビジョン TEL 03-5428-8793 (平日12時~20時)
※Drink代別

京都公演
・開催日時:6月10日(金)開場:18:30 / 開演:19:00
・開催場所:京都 METRO(https://www.metro.ne.jp
・出演者:DYGL / Seuss / Cemetery
・協力:SECOND ROYAL RECORDS

名古屋公演
・開催日時:6月11日(土)開場:18:00 / 開演:18:30
・開催場所:名古屋 CLUB UPSET(https://www.club-upset.com
・出演者:DYGL / mitsume / Cemetery
・協力:ジェイルハウス

大阪公演
・開催日時:6月12日(日)開場:18:00 / 開演:18:30
・開催場所:大阪 LIVE SQUARE 2nd LINE(https://www.arm-live.com/2nd
・出演者:DYGL / Wallflower / Cemetery

東京公演
・開催日時:6月16日(木)開場:18:30 / 開演:19:00
・開催場所:新代田 FEVER(https://www.fever-popo.com
・出演者:DYGL / batman winks / boys age / Burgh

【チケット情報】
一般発売
・発売日:4/29(金・祝) 12:00~
・取り扱い:イープラス / ぴあ(Pコード:296-192) / ローソン(Lコード:76293)

【公式サイト】
https://dayglotheband.com/



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