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DUBKASM

Jun 18,2016 UP

DJ file (12)

DUBKASM

取材:髙橋勇人

123

 ダブカズムのストライダとディジステップは、ブリストルを拠点に90年代からダブ/レゲエのシーンで活動してきた。世代的にはスミス&マイティの後輩、ピンチやペヴァラリストの先輩である。ストライダはセレクターとしてクラブやラジオで活躍。相棒のディジステップは楽曲のプロダクションを行うだけではなく、音楽学校で教鞭も握っているという。
 グッド・バランスなコンビネーションは、ダブステップ世代のプロデューサーたちにも影響を与え、その交流からも数々の名曲が生まれた。ストライダの海賊ラジオを聴いてルーツについて学んだブリストルの若手チーム、ゴーゴン・サウンドのEPを、ダブカズムがまるまる再構築した『ザ・ヴァージョンズ』や、ふたりが生み出したアンセム“ヴィクトリー!”のマーラによるリミックスは、シーンにおける近年の名作だ。
 ブリストルが素晴らしい音楽が生み続けるのは、もちろんそのユニークな環境も理由のひとつだろうけど、彼らのような、世代やスタイルを超えていけるセンスと姿勢を持ったミュージシャンたちによるところも大きい。今回お届けするインタヴューは、ブリストルにおけるダブ/レゲエやダブステップ黎明期の貴重な証言であるだけではなく、音楽と人との関わり方を再考させる言葉で溢れている。
 2016年の2月、ダブカズムのふたりは初の日本ツアーを行い、“ヴィクトリー!”は合唱を巻き起こした。以下の取材は、ツアーも終盤に差し掛かった相模原公演でのリハーサルをぬって行われた。

Dubkasm /ダブカズム
DJ StrydaとDigistepによるイギリス、ブリストルを拠点に活動するレゲエ/ダブのユニット。15才の頃に地元ブリストルで体験したJah Shakaのセッションで人生を変えられ、サウンドシステム文化に没入していく。以降、20年以上に渡りトラック制作/ライヴ&DJ/ラジオ番組などでシーンに関わり続けている。そのトラックはJah Shaka、Aba Shanti-Iらのセッションでも常連で、昨年リリースの「Victory」はここ日本でもアンセムと化している。09年に発表したアルバム『Tranform I』は高い評価を受け、全編を地元の盟友ダブステッパーたちがリミックスしたアルバムも大きな話題となった。最近ではMalaやPinch、Gorgon Soundらとの交流も盛んで、ダブをキーとした幅広いシーンから厚い信頼を獲得している。2016年2月、待望の初来日を果たした。


Photo Credit: Naoki E-jima

1993年に事件が起こる。レコード屋へ行ったら、壁にジャー・シャカのイベント告知のポスターが貼ってあって、そりゃ行くしかないと思って会場に直行した。あれが人生初のサウンドシステム体験で、いま自分たちがやっていることの素地となっているのは間違いない。

■:初来日、おめでとうございます。まずは簡単に自己紹介をお願いします。

ディジステップ(Digistep以下、D):僕はディジステップで、隣のストラライダと一緒にダブカズムというユニットをやっている。人生のほとんどを音楽のプロデュースに捧げてきた。それが今回の来日に繋がったんだから、すごく誇りに思うよ。

ストライダ(Stryda以下、S):俺はストライダって名前で、ダブカズムのふたりのうちひとりを担当。もうひとりはベン(ディジステップ)。いままで訪れたことがない国の知らない街で、自分の音楽をやれて、とてもエキサイティングだ。

■:現在、ふたりともイングランドのブリストルを拠点に活動されています。どんなきっかけで音楽を作るようになったんですか? 以前のインタヴューで、ジャー・シャカのギグから大きな影響を受けたとおしゃっていました。

S:たしかにあの夜は自分たちのインスピレーションになったのは間違いない。OK、時系列をもっとさかのぼってみよう。俺とベンの出会いはお互いが生まれる前だ。妊婦のママさんクラブみたいなのがあったんだけど、そこで俺たちの母親が妊娠中に出会っているんだよ。それでお互いが生まれてから数日で顔を合わせていたらしい(笑)。だから文字通り、俺たちは生まれたときから友だちなんだよね。それで後ほど、偶然にも同じ音楽を好きになって、90年代には一緒に地元ブリストルのレコード屋巡りをしていた。ベンは特にダブのLPを集めるのに夢中になっていて、俺はどっちかっていうと、ダブの7インチと12インチにハマってた。で、1993年に事件が起こる。レコード屋へ行ったら、壁にジャー・シャカのイベント告知のポスターが貼ってあって、そりゃ行くしかないと思って会場に直行した。あれが人生初のサウンドシステム体験で、いま自分たちがやっていることの素地となっているのは間違いない。

■:93年というと、ジャングルやドラムンベースも当時のイングランドで大きなムーヴメントになっていたと思います。ダブやレゲエと並行して、それらのシーンにも興味はありましたか?

S:もちろん。あの時代をブリストルで過ごせたっていうのはラッキーだったね。街の規模が大きいわけじゃないから、周りには異なる音楽のスペシャリストたちがたくさんいて、いろいろ学べた。それに91年にマッシブ・アタックが『ブルー・ラインズ』を出して大きな存在になったときに、地元からあんな音楽が出てきてすごく興奮していたんだ。
 ジャングルに出会ったときもよく覚えてるよ。ブリストルにも海賊ラジオがあって、特定の時間、特定の場所で電波をチューニングすれば、スピーカーから聴いたこともないアンダーグラウンド・ミュージックが流れてきていた。俺のお気に入りはルーツ系の番組だったけど、ラガの番組やジャングル、レイヴ系のものまであったからチェックしていた。もちろん、全部の番組がブリストルのDJによるものだ。ベン、やっぱあの環境は良かったよな?

D:間違いない。僕の場合はジャングルも聴いていたけど、もっと折衷的な音楽の聴き方をしていたね。もちろんダブはいつも自分のパッションの源だけど、幼いころから親父の故郷のブラジルの音楽にも慣れ親しんできた。ボサノヴァ、サンバ、ショリーニョ、ムジカ・ポプラール・ブラジレイラとかね。それと同時に音楽の技術的な側面にも興味があった。8歳ときに両親がヤマハのシンセサイザーDX11を買ってくれて、独学でプログラミングを勉強したよ。マニュアルには日本語も書いてあったのが印象的だったね(笑)。

■:当時、シンセサイザーを弾くことは一般的だったんですか?

D:必ずしもそうじゃなくて、ハイテクなものだって見なされていた。だから、自分をクリエイティヴな方向に導いてくれた両親には感謝しきれないね。ダブカズムの初期の曲にはDX11で作られたものもある。シンセをやっていたせいもあって、実験的な電子音楽も当時から聴いていて、エイフェックス・ツインももちろん通ったし、ザ・フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンやオーブが大好きだった。そこで得た経験は、いまもプロダクションに欠かせないね。当時からテープレコーダーをタンスの上に乗せて録音してたよ(笑)。昔からダブも制作していて、作った曲をストライダに聴かせてフィードバックを貰うことも、そのときからの習慣だね。

■:お互いずっとご近所に住んでいたんですか?

S:いや、そんなわけでもないよ。学校もいつも同じだったわけじゃないし、お互い違った友人付き合いもあったけど、週末はほぼ一緒に音楽をやっていたって感じだ。

D:一緒に休日を過ごしたりね(笑)。

S:そうそう(笑)。ベンが言ったように、彼はかなり初期の頃からベーシックなダブ・トラックを作っていたんだけど、僕はそれを聴かせてもらっていた。まだ当時は曲を聴かせ合うフォーマットはカセットで、ウォークマンで歩きながらよく聴いていたな(笑)。もちろん会ったときに口頭で感想を伝えたりもしたけど、たまに手紙で意見を言ったりもした。「このベースがヤバい!」とかそんなことだったけどね(笑)。

D:スネイル・メール(注:ハガキなどの時間がかかる伝達手段)でそんなことを言っていた時代もあったね(笑)。

■:僕は若手のミュージシャンにインタヴューをすることが多いのですが、彼らの多くはスマホを使って、曲のやりとりは大体ネットを経由して行っています。少なくとも手紙を使って音楽のやり取りしたことがある人には会ったことがありません(笑)。当時はいまほどコンピュータも普及していたわけではなかったと思いますが、そのような環境を振り返ってみてどう思いますか?

S:まぁ、オールド・スタイルだったよね(笑)。90年代はコンピュータを取り入れたりはしていなかったから、プロダクションにそれなりの時間を要したけど、その分感じられる成果も大きかった。いまはテクノロジーが進歩して、プロダクションそのものだけではなくて、いま言ったように、それを取り巻く環境も大きく変わったのは事実だ。でも当時俺たちがやっていたことには、「効率の良さ」の一点には収まりきらないものがあると思うんだ。カセットに曲を焼いて、ラベルを貼って、誰かに送ること。それからサウンドシステムのイベントで、素晴らしいシンガーに実際に会って、デモテープを交換して、次のセッションに繋げること。時間はかかるけど、そうやって音楽だけじゃなくて、友だちのサークルもできていったわけだ。予想外の出会いも多かった気がするし、そうしてできた繋がりって長続きするもんなんだよ。

D: 90年代のエディット作業っていまとは比べものにならないくらい面倒なものだった。いまは音源がソフトになっているけど、前はひとつひとつのハード音源の使い方を覚えるところからはじめきゃいかなかったからね。一個一個の機材をつなげて、それに対応するMIDIのコントロール・ナンバーとパラメーターを割り振って……。それからいまみたいに、機材の動作を完璧にコントロールすることができなかったから、良い意味では偶然性が生まれたし、生のダブ・ミックスの醍醐味も大きかった。まぁ、逆に言えば機材の動作を記録するのが難しいってことなんだけどね。でもいまは、オートメーション機能を使えば、エフェクトのノブの細かい動きでさえも完璧に再現できて、操作がかなり簡略化されている。というか、昔の経験があったから簡単に見えるんだろうね。90年代にハードに慣れ親しんだことによって、いまみたいなデジタル機材が多い環境でも、機材の動きを把握できていることは間違いないし、コンピュータを併用しつつ、いかに偶発的なことをするかという姿勢も身に付いたのは間違いない。いまでもハードを使ってライヴ・ミックスができる環境は整えてあるからね。

■:さきほどおっしゃったブリストル・シーンの良い意味での狭さは、現在にも引き継がれていて、カーン&ニークといった若い世代のプロデューサーたちとも交流する機会が多いと思います。「デジタル・ネイティヴ」とも呼ばれる世代と話していてギャップを感じることはありませんか?

D:テクノロジーの面で言えば、ギャップを感じることは多々あるよ。僕はシーケンサーにアタリのSTeを使っているんだけど、これには文字通りシーケンサー機能しかついていないから、外部の音源と繋げる必要がある。でもいまって、シーケンサーとソフト・シンセが一緒になっているのが当たり前でしょ? だからそれについて説明すると驚かれたりするね(笑)。

S:でも次世代と繋がるのはかなり面白いよ。俺たちだって、ルーツのシーンでは若手だったけど、成長して先輩格のプレイヤーたちと交流や、彼らのリミックスの作業を通して、知識を増やしていったわけだ。そういう立場にいまの自分たちがいればいいんだけど(笑)。

D:真のミュージシャンやプロデューサーになるためには、常に新しいことに心を開いていなきゃいけない。それまでの経験の有無に限らずにね。じゃなきゃ、音楽的にも人間的にもフレッシュでいることなんてできないよね。だから若い世代にも謙虚に接するべきだと思う。

取材:髙橋勇人