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DUBKASM

Jun 18,2016 UP

DJ file (12)

DUBKASM

取材:髙橋勇人

123

大量のダブプレートを用いたマーラのプレイや、ポークスのMCを見ていて、完全にピンときたよ。「これは自分たちが携わってきたサウンドシステム・カルチャーの一部だ」ってね。

■:僕がダブカズムを知ったきっかけは、ダブステップのプロデューサーたちも参加していたリミックス・シリーズ、『Transform I – Remixed』でした。2000年代初期にダブステップが出てきたとき、あなたたちはどのように反応したのでしょうか?

S:たしか2004年から2009年の間、ベンはまだブラジルに住んでいたんだよな。俺はブリストルにいたから、ダブステップが現れた瞬間をしっかり目撃することができた。もともとプロデューサーのピンチとは友だちだったんだけど、彼に誘われてイベントによく行っていたよ。あれは彼のイベント、サブローデッドだったかな。とにかく小さいハコだったんだけど、マーラとサージェント・ポークスも出ていて、禁煙法が施工される前だったからクサを吸っているやつも多かった。そんなダークな空間で、大量のダブプレートを用いたマーラのプレイや、ポークスのMCを見ていて、完全にピンときたよ。「これは自分たちが携わってきたサウンドシステム・カルチャーの一部だ」ってね。ダブステップのサウンドは多様だから、レゲエと音楽的にまったく同じだとは言わないけど、文化的な意味ではレゲエ、そしてジャングルやドラムンベースの延長線上にあるのは間違いない。DJがいてMCがいて……、このスタイルはジャマイカに端を発するものだからね。それに、新しい音楽が生まれて、そこに若いやつらが踊りに来るのは、とても健全なことに思えた。
 2007年にはピンチといっしょにティーチングス・イン・ダブというイベントを同じハコでやるようにもなった。あれはブリストルのシーンにとってかなり重要なことだったと思う。あの当時はダブステップ目当てにクラブへ行く人が多かったんだけど、俺たちのイベントは2階構造になっていて、上の階はダブステップのフロアで、下ではレゲエのルーツサウンドが流れていた。多分あの試みは初めてだったんじゃないかな。サウンドシステム・カルチャーという括りのなかで、ダブステップのルーツを提示したわけだ。その現場に来ていたのが、カーンとニークだったりしたんだよね。


ティーチズ・イン・ダブのフライヤー。同クラブの別フロアではピンチ主催のイベント、サブローデッドが行われていた。

よく若い世代から、「ダブのBPMって何ですか?」って訊かれるんだけど、そんなものないよ(笑)。

D:音楽的には、低音を強調する点においてはレゲエやルーツに共通するよね。あえて違う部分を言えば、ダブステップのプロデューサーはテンポに縛られ過ぎているように思える。よく若い世代から、「ダブのBPMって何ですか?」って聞かれるんだけど、そんなものないよ(笑)。僕はブリストルにあるdBsミュージックという学校で音楽テクノロジーを教えていて、学生の多くはダブステップ的なアプローチをしてくるんだけど、彼らはジャンルのルーツであるダブに強い関心を示すんだ。僕はデジタル技術だけには収まらない方法、例えばミックスに外部の機材を使ったりするダブの手法を教えると、パソコンに慣れ親しんでいる学生たちでも、それを貪欲に吸収しようとする。ライヴだけではなくて、制作の現場でも次世代との繋がりできるのは嬉しいね。なかには「ダブプレートってどこでどうやったら切れるんですか?」って質問をしにくる学生もいて、デジタル時代のなかでもダブの手法は残ることは可能だって実感した。

S:90年代のブリストルにおけるジャングル・シーンについて補足すれば、ジャングルにダブやレゲエの影響を見ることはできたけど、その逆はほとんどなかったと思う。さっき言ったようなティーチングス・イン・ダブみたいなイベントもなかったからね。当時は各シーンがいまよりも分離していて、その状況を変えようという意味でも、俺たちはそれとは逆のベクトルへ進んで積極的に異なるものをミックスしようとしたわけだ。

■:いまよりもシーンに隔たりがあったのは驚きでした。では、ダブステップが現れる前は、おふたりはレゲエやダブのイベントにだけ出演していたんですか?

S:最初の頃はベンといっしょにプレイすることはあんまりなかったんだよね。ベンは勉強のためにロンドンに住んでいたし、そのあとにはブラジルにしばらく引っ越していたからさ。だからふたりで頻繁にツアーをするようになったのは、2009年以降なんだ。だから2000年代の最初の頃は、俺はストライダ名義でダブのセッションに出ることが多かったよ。それから当時はブレイクビーツのシーンもあったりして、そういうイベントでプレイしていた。

■:最初にふたりでやったライヴを覚えていますか?

D:初めてのショーは、僕の通っていた大学でのライヴだったよね? 98年頃のことだ。ストライダはその頃、僕に会いにロンドンによく来ていてね。会場は大学の学生バーだった。誰もダブのセッションがはじまるなんて予想していなかったな(笑)。シンセやサイレン装置をバーのテーブルの上に設置して、サムはテープを準備していた。

S:そうそう(笑)。それでロンドンから帰ってきてから、俺はそのライヴの録音をブリストルの海賊ラジオで流したんだ(笑)。それを聴いたヤツからは「お前はロンドンを完全に自分たちのモノにしてるな!」って言われたくらい、その録音はヴァイブスを捉えていた。たぶん、あれが学生バーでのライヴだったってことは気づかれなかったんじゃないかな(笑)。

■:そのときはいまと全く同じスタイルでライヴをやっていたんですか?

S:俺は曲を流してベンがサックスを吹いていたから、いまとあんまり変わらないよ。

D:その時もさっき話したヤマハのDXを使っていたね。


大学で行われたライヴのフライヤー。当時はダブチャズム名義で活動していた。本人たちのフェイスブック・ページより。

取材:髙橋勇人