「CE」と一致するもの

KURANAKA 1945 × GOTH-TRAD × OLIVE OIL - ele-king

 KURANAKA a.k.a 1945 主催のパーティ《Zettai-Mu》が9月13日に梅田 NOON にて開催される。GOTH-TRAD、OLIVE OIL、mileZ ら豪華な面々が出演。5月にはライヴ・ストリーミングで「Zettai-At-Ho-Mu」が開催されていたが、今回はリアルに会場へと足を運ぶもの。コロナ時代における音楽やダンス、クラブのあり方を探っていくイヴェントになりそうだ。感染拡大防止対策をとりつつ、ぜひ参加してみてください。

Powell - ele-king

 先般、新たなプロジェクト「ƒolder」をスタートさせたばかりのパウウェルが、UKのオンライン・マガジン『The Quietus』の企画で、お気に入りの本を紹介している。遊び心と同時にコンセプチュアルな側面もあわせもつパウウェルであるが、やはり相当な読書家だったようだ。
 なんでも、もう一度音楽をつくりはじめるために、いったん音楽から離れる必要があったとのことで、ここ一年はレコードをほとんど聴かずに、ひたすら哲学や文学を渉猟していたという。「デリダを読むのは好きな音楽を聴くのに似ていて、脳がばらばらに引き裂かれる感じがする」「ドゥルーズはめっちゃ読んだよ。彼は音楽についても多く書いているしね」「ボードリヤールは読み込んできたわけじゃないけど、現実が死んでしまったという彼の考えは、パンデミックのいまこそあてはまる気がする」(意訳)などなど、1冊1冊についてその魅力を語っている。
 カフカやマンなどの小説、以前から好きだと公言していたクセナキスについての本、さらにはサメにかんする本までリストアップされているが(幼いころは海洋生物学者になりたかったらしい)、邦訳のある著作も多いので、気になった方は試しに手にとってみるのもいいかも。

■パウウェルのお気に入りの本

アレクサンダー・クルーゲ『Lernprozesse mit tödlichem Ausgang』
スーザン・ソンタグ『反解釈』&「沈黙の美学」(『ラディカルな意志のスタイルズ』)
ジャック・デリダ『ポジシオン』&『Artaud le Moma』
ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ「英米文学の優位について」(『ディアローグ』)
フランツ・カフカ『城』
スーザン・ケイシー『The Devil's Teeth』
ペーター・スローターダイク『Sphären I – Blasen』
トーマス・マン『ファウストゥス博士』
アルフィア・ナキプベコヴァ「Performing Nomos Alpha by Iannis Xenakis: Reflections on Interpretive Space」(『Exploring Xenakis: Performance, Practice, Philosophy』)
リナ・ボ・バルディ『Stones Against Diamonds』
デイヴィッド・シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』
ジャン・ボードリヤール『完全犯罪』
J・H・ロニー兄「もう一つの世界」

記事全文はこちら
https://thequietus.com/articles/28803-powell-interview-favourite-books

Erasure - ele-king

 誰もが才能を認めるジャンルの開拓者であり、数多くのヒット曲を持っていながら、そのわりにはメディアの露出が少ないアーティストが世の中にはいるが、イレイジャーはその代表だろう。プライマル・スクリームやオアシスよりもヒット曲があるのに、メディアがあなたを彼らよりもシリアスに扱わないことをどう思いますかとThe Quetusの取材で訊かれたヴィンス・クラークは、「うーん、答えられないなぁ。そういうことはホントに気にならないんだ、あ、これが答え」と笑っている。余裕というのかナンというのか、自分が好きなことをやり続けてきた彼には、そこはホントに気にならないのだろう。

 もっとも、ヴィンス・クラークには確固たる評価がある。彼はシンセポップというジャンルを開拓したキーパーソンのひとりであり、まあ、マスターのひとりと言ってもいい、そしてなんと言ってもヒットメイカーである。イレイジャーとしてアバのカヴァー集を出しているように、ポップスは彼の永遠のテーマなのだろう。エレクトロニックであることと同時に。
 まずは歴史のおさらいからはじめたい。シンセポップは、70年代末から80年代初頭のUKポストパンク期に表出したスタイルのひとつで、当時はまだ珍しかったシンセサイザー・サウンドを前面に打ち出しながら、ポストパンク時代において“ポップス”を指標し、ニューウェイヴ時代のポップスを具現化したという点で、シーンにおける台風の目にもなった。ゲイリー・ニューマン、ウルトラヴォックス、OMD、ザ・ヒューマン・リーグ、へヴィン17、ブラマンジェ、ザ・ソフト・セルなどなど……、最初にクラークが所属したデペッシュ・モードもそのスタイルを代表するバンドで、デビュー時の彼らは少年の集まりのようにもっとも若く、そしてもっともポップだった。(※数年後に登場するペット・ショップ・ボーイズは最初からハイエナジーを意識した点において、初期シンセポップとはちょっと別モノ)
 その1stアルバム『Speak & Spell』(81)には当時の〈ミュート〉サウンドの魅力が集約されている。クラフトワーク的な最小限の音数による構成、ジョルジオ・モロダー流のシーケンスとDAF流のハンマービート、それらをシンプルなメロディと融合させ、サビのはっきりしたキャッチーな歌を載せる。ヴィンス・クラークはバンドの中核のひとりだったが、もうひとりの中心であるマーティン・ゴアの方向性と噛み合わず、アルバムは商業的に成功したがクラークはそのリリース後にバンドを脱退し、パワフルなヴォーカリスト、アリソン・モエットとのYazooを結成する。反資本主義や反レイシズムといった暗い社会的テーマを手掛けるようになっていくゴア主導のデペッシュ・モードに対して、クラークとモエットの『Upstairs At Eric's』(82)の光沢はシンセポップ・ミュージックの研磨にあり、ソウル・ミュージックとエレクトロニック・ダンスとの情熱的な激突にあった。それはハウス・ミュージックの青写真であり、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノをはじめ、電気グルーヴからハーキュリーズ&ザ・ラヴアフェアまで、あまりにも多くのエレクトロニック・ミュージシャンがその影響を受けている。
 また、この時期のクラークは巷のシンセポップ批判(機材に頼ってまともな曲が書けない、電子機材は生楽器より劣る等々)への反論とも受け取れるプロジェクト、The Assemblyなる名義でも1枚のシングルを出している。燃え上がる性愛のパンク・ソング“ティーンエンジ・キックス”を歌い、他方では「ママにシンセを買ってもらいやがって」(“My Perfect Cousin”)と、当時シンセポップに対にしてよくあった偏見──中産階級的なオタク性を罵倒したことでも有名なジ・アンダートーンズのヴォーカリスト、フィアガル・シャーキーを招いてのギター・ソング“Never Never”で、これもまたヒットしたのである。(サッチャー時代の底辺に生きる家族を描写したPVもいま見ると感慨深い)

 ヴィンス・クラークがアンディ・ベルといっしょにイレイジャーを結成するのは1985年のことだった。デペッシュ・モード~Yazoo~The Assemblyとすでに華々しい成功を収めていた彼は、新たなプロジェクトのための新しいヴォーカリストを探すべく音楽誌紙に求人広告を出し、そこに応募したのがアンディ・ベルだったのだ。ベルは、多くのゲイが自分のセクシャリティをまだ公には言えなかった80年代後半という時期にゲイであることを公言したポップスターのひとりになるが(2004年にはHIV検査で陽性であったことも公言している)、イレイジャーをはじめた頃はシンセポップの天才が見つけた、女性の靴売り場で働きながら売れないバンドをやっていた無名のヴォーカリストに過ぎなかった。
 が、その無名のヴォーカリストを擁したイレイジャーは最初のデビュー・シングルから連続3枚をチャートインさせると、その勢いのまま90年代初頭までに発表したシングルのほぼすべてをチャート入りさせた。当時日本で毎週放映していた「ビートUK」という英ポップチャート番組を観ていた人にはわかる話だが、イレイジャーは出せばとにかくヒットする存在だった。結局、このスーパー・シンセポップ・グループは、1988年の『The Innocents』から1994年の『I Say I Say I Say』までの4枚のアルバムを連続してUKチャート1位にさせ、デビューから現在までのあいだに25曲以上を40位内に入れ、2500万枚以上のアルバムを売ることになる。ベルのエモーソナルな歌と気取りのない、素朴でオネストな言葉で歌われる歌詞、そしてクラークのメロディアスなエレクトロニック・ポップ・サウンドはイギリスの大衆から大いに愛されたのである。

 というわけで、通算18枚目のアルバムが本作『ザ・ネオン』だ。ずっと聴き続けている律儀なファンには申し訳ないけれど、ぼくが聴いていたのはせいぜい『The Innocents』(88)、『Wild!』(89)、『Chorus』(91)、そして自分らのモットーをタイトルにしたかのようなベスト盤『Pop! - The First 20 Hits』(92)という彼らの最初の黄金期の作品で、それ以降はイレイジャーの世界から撤退している。もちろんそれ以降もイレイジャーは自分たちのペースでさらに25年以上も活動を続けていたわけで、ぼくが知らないスタジオ・アルバムを10枚以上も出している。21世紀に入ってからのアンディ・ベルのソロ活動もそれなりの話題になったけれど、日本盤のライナーによれば2013年のクリスマス・アルバム『スノー・グローブ』を契機にイレイジャーは再度注目を集め、2014年のアルバム『ザ・ヴァイオレット・フレイム』が10年ぶりにトップ20入りを果たすヒット作となったという。続く2017年の『ワールド・ビー・ゴーン』もヒットし、そして上昇気流に乗ってリリースされた3年ぶりの『ザ・ネオン』も現在快進撃を続けているようで、なんと現在(8/25)UKではザ・キラーズに続いて2位にまで登り詰めている。1994年の『I Say I Say I Say』以来のヒット作になりつつあるそうだ。

 『ザ・ネオン』の1曲目“Hey Now”は笑ってしまうほどヴィンス・クラークのサウンドだ。ぼくが聴いていた時代、第一期黄金時代を思い出さずにはいられないが、アナログ・シンセサイザー特有のじつに快楽的なサウンドの反復とシンプルなメロディライン、そしてアンディ・ベルのソウルフルな歌は、コロナ禍で疲れた心を励ますかのように響いたりもする。
 そう、コロナ前に作ったことがこれほどアドヴァンテージとなっている作品も珍しいかもしれない。ぶっちゃけ、威勢がいいのだ。暗い時代に前向きな歌詞、気持ちを愉快にさせる疾走感、シンセポップならでは絶妙な軽快さ(ポップさ)。2曲目の“Nerves of Steel”もクラークのソングライティングが光っているキラーな曲で、これまた彼らの黄金時代にリンクしている。いかにも80年代風の“Fallen Angel”も新鮮に響いてしまう。最後に収録された“Kid You're Not Alone”もイレイジャーらしい叙情性を持った感動的なポップ・ソングである。

 『ザ・ネオン』にはナンの迷いもケレンもなく、これぞシンセポップと言わんばかりの、快適でキャッチーな楽曲がたくさん収録されている。結成から今年で35年目というが、イレイジャーはいまのところは、そしておそらくこれからもいきなり新機軸を打ち出したり、新境地を開くことはないだろう。だからといって時代に逆行しているわけではない。シンセポップはいま旬である(ジェシー・ランザやマリー・ダヴィッドソンとか、グライムスやケイトNVとか、シンディとか、パソコン音楽クラブとか電気グルーヴとか……)。

 つまり、ノスタルジックだがタイムリーでもある。それは、彼らが作り上げたスタイルが21世紀でも充分に通用するという話ではない。彼らのポップスが、いま忘れがちな感覚を呼び起こしているように思えるのだ。それはやはり、彼らの音楽に通底するオプティミズムだろう。なにせナイト・ライフに自粛が強いられているこのときに「夜のネオン」がコンセプトである。
 意図したことではなかったとはいえ、オプティミズムを失い、意気消沈しているこの世界において、シンセポップのリジェンドによるこの原点回帰作は、ちょっと良い感じのシェルターとなっているのだ。ぼくも2020年に、よりによってイレイジャーをこんなにも楽しく聴くとは思ってもいなかった(笑)。

電気グルーヴ - ele-king

 ウィー・アー・バック宣言から2ヶ月、電気グルーヴ、ついに完全復活である!
 2019年3月のピエール瀧の逮捕を受け、一時は全作品が出荷停止~配信停止状態になっていた電気グルーヴであるが、去る23日、コロナの影響で開催が延期されたフジロックの配信番組において新曲 “Set you Free” のMVが公開され、昨日、配信も開始となった。
 新たなマネジメント会社「macht inc.」を設立してから初となるリリースで、シングルとしては2018年1月の「MAN HUMAN」以来2年半ぶり、アルバムを含めると2019年1月の『30』以来1年半ぶりのリリースとなる。作詞・作曲・プロデュースを石野卓球が、アディショナル・プロダクションを agraph が担当。
 驚くべきは、アンビエント・タッチのハウスが描くこの暗い時代におけるこのポジティヴなヴァイブだが、「おまえを自由にする」というメッセージの込められたタイトル、そしてその「Set you Free」と「先住民」をかけることば遊びなど、相変わらずというか、表現にもますます磨きがかかっている。
 ここまで来たらもう電気が止まることはないでしょう。まずはこの曲を耳にぶち込んで、卓球&瀧の新たな船出を大いに祝福しよう(配信はこちらから)。

電気グルーヴ、2年半振りのシングル「Set you Free」配信開始

電気グルーヴの新曲「Set you Free」が、8月24日より各配信ストア及びサブスクリプションサービスでリリースされた。

https://linkco.re/DY8tPG5n

同楽曲は、8/23に行われた「FUJI ROCK FESTIVAL'20 LIVE ON YOUTUBE(DAY3)」内でMUSIC VIDEOと共に初公開されたもの。
シングルとしては、「MAN HUMAN」(2018年1月)以来、約2年半振りとなる。

作詞・作曲・プロデュースは石野卓球、ギターを吉田サトシ、アディショナルプロダクションを牛尾憲輔(agraph)が手掛け、ミックスは石野卓球と兼重哲哉、マスタリングは兼重哲哉が担当。

ジャケットはMUSIC VIDEOと同じく、田中秀幸(FRAME GRAPHICS)が手掛けた。

尚、「Set you Free(Video Edit)」MUSIC VIDEOは、「FUJI ROCK FESTIVAL’20 LIVE ON YOUTUBE DAY3(リピート放送)」(8/24(月)07:00から)で配信される。
FUJI ROCK FESTIVAL チャンネル → https://www.youtube.com/fujirockfestival

[“Set you Free”クレジット]
Denki Groove are Takkyu Ishino and Pierre Taki
Produced by Takkyu Ishino
Lyric and Music by Takkyu Ishino
Guitar : Satoshi Yoshida
Additional Productions : Kensuke Ushio(agraph)
Recorded at Takkyu Studio, STUDIO Somewhere
Mixed by Takkyu Ishino, Tetsuya Kaneshige
Mastered by Tetsuya Kaneshige
Designed by Hideyuki Tanaka(Frame Graphics)

[電気グルーヴ プロフィール]
1989年、石野卓球とピエール瀧らが中心となり結成。1991年、アルバム『FLASHPAPA』でメジャーデビュー。1995年頃より、海外でも精力的に活動を開始。2001年、石野卓球主宰の国内最大級屋内ダンスフェスティバル“WIRE01”のステージを最後に活動休止。それぞれのソロ活動を経て、2004年に活動を再開。以後、継続的に作品のリリースやライブを行う。2015年、これまでの活動を総括したドキュメンタリームービー「DENKI GROOVE THE MOVIE?-石野卓球とピエール瀧-」(監督・大根仁)を公
開。
2016年、20周年となるFUJI ROCK FESTIVAL’16のGREEN STAGEにクロージングアクトとして出演。2019年、結成30周年を迎えた。


Bibio - ele-king

 歳のせいか、音楽を聴いて涙を流すなんてことはめっきり減ってしまったけれど、いまでも年に一度くらいはそういう瞬間が訪れる。2019年でいえばそれは、ビビオの “Lovers Carving” を聴いたときだった。
 同曲を収める「WXAXRXP Session」は〈Warp〉の設立30周年を祝うべく録音された企画盤で、いわゆるアコースティックな形式でヴォーカルを際立たせつつ(おもに)10年前の『Ambivalence Avenue』収録曲を再演するという内容だったわけだけど、なかでも “Lovers Carving” に惹きつけられてしまったのは、たぶん、大胆にアイリッシュ・トラッドへと舵を切ることで新境地を開拓し(ながら、従来の彼のフォーキーな側面が好きなファンにもアピールし)た、その時点でのビビオの最新型である『Ribbons』のスタイルが接ぎ木されていたからだと思う。
 もちろん、感傷や懐古がなかったといえば嘘になる。でもそれだけじゃない。生まれ変わった “Lovers Carving” は、ある楽曲がまったく異なる姿へと変身しうることの素朴な驚きを呈示してもいたし、また、ノスタルジーをこそ主武装とするアーティストが自己言及を試みることの意味について考える、そのきっかけを与えてくれてもいた。いまビビオは、そして、自己言及に自己言及を重ねがけしている。新作『Sleep On The Wing』収録の “Oakmoss” において彼は、2019年版 “Lovers Carving” で接ぎ木したパートの旋律を移調し、再利用しているのである。

 計30分未満とトータル・ランニング・タイムが短いためだろう、EP扱いしているサイトもちょいちょい見かけるが、レーベルの品番的にはアルバムであるところのこの『Sleep On The Wing』は、『Ribbons』とおなじ遺伝子を有する作品である。たとえば『Ribbons』を特徴づける要素のひとつであったバッハ~バロックからの影響は、本作においても “A Couple Swim” や “Awpockes” といった楽曲から聴きとることができる(前者はもともと、ジブリも一枚噛んだ2016年のアニメ映画『レッドタートル ある島の物語』のために提供された曲)。あるいは、おなじく前作を際立たせる要素のひとつであったヴァイオリンも、くだんの “Oakmoss” や表題曲 “Sleep On The Wing” で大いに活躍の場を与えられているわけだが、こと弦にかんして注目すべきは “The Milkyway Over Ratlinghope” と “Watching Thus, The Heron Is All Pool” の2曲だろう。まるでチェロのような響きを聞かせるその低音は、18世紀のヴァイオリンをもとにビビオ当人が独自の改造を施したヴィオラによって奏でられており、その創意工夫が清冽なメロディと合流することですばらしい情感を生み出している。

 他方、軽快なハンドクラップがダンスへの欲動をかきたてるジグ “Miss Blennerhassett” からはビビオの民俗的なものにたいする関心がうかがえるし(曲名は映画『ウィズネイルと僕』の登場人物に由来)、冒頭から唐突にキャッチーなベースラインをぶちこんでくる異色の “Crocus” は、絶妙な音響上の「揺れ」を強調することで彼の飽くなき実験精神を伝えてくれてもいる。そういった「現在」のビビオの冒険心を体現するアプローチとともに、フィールド・レコーディングを駆使した “Lightspout Hollow” や “Otter Shadows” によくあらわれているような、初期ビビオを想起させる独特のテープの触感も本作の聴きどころだろう。

 彼があえて古い機材を利用したり音質を劣化させたりするのは、ある特定の過去の時代──それは往々にして「あのころは良かった」という根拠なき感慨を人びとに与える──を思い出させるためではないと、ビビオ本人は最新インタヴューで力説している。彼が音を歪ませ、濁らせ、粗く処理するのはずばり、クリーンさを除去するためなのだ。おなじくボーズ・オブ・カナダのフォロワーであるタイコとは正反対のアプローチと言えるが、それはたとえば再開発に代表されるような、過剰なまでの潔癖主義にたいするささやかな反抗であると、そう考えることも可能だろう。
 おなじインタヴューのなかで彼は、興味深い事例を語ってくれている。〈Warp〉と契約する以前、大学で音楽のテクノロジーについて教えていた彼は、単純なギターのループを録音したデモを用意し、それをカセットに入れてふたたび録音、さらにそれをカセットに入れて録音するというプロセスを何度も繰り返した。その各段階の音を学生たちに聞かせたところ、ほとんど全員がもっとも損傷の激しい録音を好んだという。
 この実験は、何度も何度も傷つき、ぼろぼろになっていくことのポジティヴな可能性を示唆している。いうなれば劣化することの肯定であり、汚れていくことの称揚である。ここに “Lovers Carving” から “Oakmoss” へと至る、自己言及の重ねがけが結びつく。どんなかたちだっていい、過去に耽溺するのではなく変わっていくこと、変化することそれじたいをビビオのノスタルジーは肯定しているのだ。そのあまりに力強い肯定の連鎖に、わたしたちは涙を流してしまうのだろう。

忌野清志郎 - ele-king

 イギリスの小説家のハニフ・クレイシによれば、ジョン・レノンの賢明さ──MBEの勲章を返上し、白い袋のなかに入って“コールド・ターキー”ような曲を歌うことで、誰よりも早く体制化されそうだったザ・ビートルズはその文化的死を免れたというが、忌野清志郎もまたタイマーズと『カバーズ』(あるいは1999年9月28日付けの英ガーディアンも記事にした“君が代”)などによってRCサクセションの制度化と文化的死を忌避したと言えるだろう。芸能人がいくら彼を褒め称えたところで、タブーに挑んだ彼のラディカルな作品は残っている。家で清志郎を聴くと子供はたいてい「セブンイレブンの人だ」と言うけれど、その人はこんな歌も歌っていたんだと、いつか知ることもあると。これがポップ・カルチャーというものの醍醐味である。

 忌野清志郎『COMPILED EPLP ~ALL TIME SINGLE COLLECTION』は、先にリリースされたRC SUCCESSION の同名3枚組『COMPLETE EPLP ~ALL TIME SINGLE COLLECTION』に続く忌野清志郎デビュー50周年プロジェクトの第二弾。清志郎のソロ・プロジェクトのシングル集である。こうしたベスト盤には先述したような彼の反抗心や批評精神はあまり見あたらない。ここあるのは我らがロマン主義の英雄のヒット曲集であり(実際にはヒットしなかった曲も含まれる)、そしてその多くはラヴソングである。

 ラヴソングは清志郎にとってテーマであり、最重要ジャンルのひとつだった。彼は死ぬまでそれを歌い続けた。それらは中東の難民に思いを馳せたりするloveではないが、慎ましい人生を分け隔てなく肯定するloveではあった。そしてそれはつねにどんなときであってもカネよりも重要なものとして彼は歌い続けた(山本太郎は「必要なのは愛とカネ」ではなく「愛と反緊縮」と正確に言うべきだった)。
 ところが、いまや女性が結婚する条件はカネであると、先日ある学者から聞かされた。もちろんこうした傾向は昔からあったけれど、現代ではよりむき出しに、それが結婚の真っ当な理由としてなんの後ろめたさもなく通用しているという話で、これも新自由主義が支配する世界のひとつの場面なのだろう。こんな世界で、清志郎のロマン主義的恋愛ソングは、その純粋さゆえにますます重要であり、と同時に、カネがなければ恋愛もできなくなりつつある世界ではその純粋さはレトロに括られるかどうかの瀬戸際にもある。
 晩年に歌った清志郎のloveは、カウンター・カルチャーの文脈におけるloveが多かった。60年代の精神が彼の拠り所だったし、たとえニューウェイヴを装ったとしても、おおよそ彼がそこから外れたことはなかった。そして彼のそのスピリットがもたらす音楽は、誰からもアプローチしやすかった。エリート主義でもなければポピュリズムでもなかったというのに大衆的だった。そんなわけで忌野清志郎は、伝統や現状をどうにも擁護できない、親や教師が望むような立派な大人になりたくない子供たちにとって「あんな大人になれたら楽しそうだな」と思えた模範でさえあった。もちろん服装以外のところで。
 
 そう、あれは静岡の10代だったときのこと。ひとりで呉服町を歩いていた。江崎書店の前を通ったとき、聴き慣れた声が聴こえた。店に入って「いまかかっている曲」を買った。それが「い・け・な・い ルージュマジック」だった。その曲には、ぼくがその後の人生で何度も使うことになる「他人の目を気にして生きるなんてくだらない事さ」というフレーズがあった。
 たしかに、好きなことを好きなようにやっただけなのだろう。曲のバックは80年代シンセポップだというのに、歌の部分は60年代ソウル。Baby~Oh~Baby~ってなんだよと、パンクに夢中な10代からしたら清志郎はすでにヘンな大人だったけれど、しかし彼は自信とユーモアを持ち合わせた他に類のない魅力的な歌声で、目的のない人生を送っていた10代に自信と、少なくとも恋愛という(それそれは重要な、世界に目覚める第一歩としての、後のカバーズなんかにも繋がる)目的を与えてくれた。それだけでも充分だ。

the perfect me - ele-king

 ポップスというものの面白い一面に、構築的に作り込めば作り込むほどに、その音楽の表面部が研磨されていき、総体としてのフック(のようなもの)が後景に遠のいてしまうというのがある。こういう抽象的な言い方でピンとこないなら、例えば(特に『Aja』以降の)スティーリー・ダンの音楽について考えてもらうとわかりやすいかもしれない。ハーモニー、メロディー、リズム……それらの綿密な配置を司ろうとする「偏執的作家性」のようなものは、通常それが意識的な聴取によって発見されるまでは、「スムース」で「ポップ」な印象の中に大人しげに匿われることになる。もちろんスティーリー・ダンのふたりは、そのあたりのメカニズムにも通じているがゆえ、ハッとするほどに反構築(脱構築ではない)的な音の引き算をおこなったり、ときに異様ともおもえるほどあからさまに(それこそが彼らのルーツにジャズがあることを教えてくれるのだが)、個々の奏者の極めて一回的で火花散るようなプレイを焚べたりして、その「スムース&ポップ」を内側から壊そうとしもしたのだが。

 福岡を拠点に活動する若きミュージシャン/エンジニア Takumi Nishimura によるユニット the perfect me のセカンド・アルバム『Thus spoke gentle machine』は、彼にとっての初のソロ編成作品でもあり、その幅広い音楽性を思うさま開陳したような快作だ。ユニット名の由来は、かつて来日公演時にサポート・アクトを努めたことのある米バンド Deerhoof の曲名から。その Deerhoof をはじめとしたアヴァンなUSインディ・ロック系アクトや、その少し前の時代に全盛を迎えたポストロック系バンド、あるいはそのもっと前のオルタナ系バンドやニューウェーヴ/ポストロック、さらにはクラウトロックまでをもぐるりと視界に収めようとする折り目正しい内容は、それだけで既に、熱心なインディ・ミュージック・ファンを唸らせるに十分なものだろう。
 ステレオラブ、ハイ・ラマズ、トータス、コーネリアス、トクマルシューゴ、ロバート・ワイアット、吉村弘、10cc、ビーチボーイズ、ビートルズ、ヴァン・ダイク・パークス、ベック、ヴァニラ・ファッジ、初期ディープ・パープル、toe、ダフト・パンク、ウルフペック、ルイス・コール……各曲を聞きながら去来する様々な固有名詞が寄せては消える様は、この作品が確実に真摯な音楽愛好家によって仕立て上げられた音楽愛好家のための音楽であることを告げているが、どうやらそういう「いろいろな音楽の繚乱」を嬉しがるだけの評価に押し込めることのできない特異な煌めきがあるようだ。わかりやすく言うなら、単なる「優れた編集センス」の向こう側、というか……。

 それを読み解く鍵こそはおそらく、彼がフェイヴァリットとして上げているスティーリー・ダンの手法に通じる何かなのではないだろうか。実際、M2. “two colors expressway (album ver)” や、M14. “drive in the basement car park” は、その複雑な和音進行や構成、フレーズ的な類似からしても、かなりスティーリー・ダンっぽいともいえる。昨今、AOR風の意匠を纏うサウンドは溢れ尽くしているわけだが、スティーリー・ダンという高難度のそれに挑戦するという時点で奇特だといっていい(世界を見回せば決して珍しいというわけではないが、満足の行く習熟度で取り入れている例となるとかなり稀に思う)。
 そうしたスティーリー・ダンへの顕示的な類似にもまして感じ取りたいのは、冒頭に述べたような、構築的な手法を追求することで自然と立ち現れてしまう「ポップ&スムース」なテクスチャーに対してどうやら Perfect Me はかなり自覚的な「内部からの攻撃」を仕掛けているふうだ、ということだ。
 まずそれは、(まさにスティーリー・ダンがそうだったように)上述2曲風の曲における個々の演奏へのクローズアップに見出すことが可能だろう。ゲスト参加した Sohei Okamoto によるディーン・パークスやデヴィッド・スピノザがごときギターソロは、あきらかにこの「品の良いオルタナ風の」アルバムの中では(すごく良い意味で)浮きまくっているし、また、曲ごとに加わる白根賢一(GREAT 3, manmancers)、高桑圭(Curly Giraffe)という手練のリズム隊の「熱い」プレイにも、そういう「内部からの攻撃」を嗅ぎ取ることができるだろう。もしかすると、こうしたオルタナティヴ経由のプレイアビリティの表出を指して、コンテンポラリーなジャズとの共振を感じとることもできるかもしれない。

 さて、このアルバムを「スムース&ポップ」の淵へ落とさせないもうひとつの重要な要素がなにかと問われるなら、ずばり、このアルバムの中盤部、特にM5~8へと向けて展開される「ロック」的意匠の奔出にあるのではないだろうか、と応えたい。事実、私が最も楽しんだのがこのパートで、かなり大胆なUKロック的要素(あえて具体名を出すなら、ザ・ストーン・ローゼズとか、ブラーとか)を感じたのである。私見混じりになってしまうが、こうした要素を、先のスティーリー・ダン的メロウネスや甘やかなチェンバー・ポップ~アヴァン・ポップ的な要素と同居させた例を寡聞にして他にしらなく、新世代の屈託のなさだね、といい切ってしまうのを留まらせる鈍色の異様さを放っているように思えた。わかりやすく言うなら、これらはいまもっとも「スムース&ポップ」という感触から遠いものなのではないか?
 スリージーなギター・サウンドやブルージー(とあえていわせてほしい)な歌唱が収まりの悪そうに(繰り返すが、それがなにより素晴らしい)アルバムの中腹部にその腰をデンと下ろす時、いきなりロックという重心点が「オルタナティヴ」という地平線の向こう側から突然現れ、他の「スムース&ポップ」的安寧をグリグリと揺るがしてくるようなのだ。

 そういえば、スティーリー・ダンをAORと評すると怒り出す人がいるらしいけれど、たしかに、仮に本作を「聞き心地の良いオルタナ風アヴァン・ポップ」とか形容している人を見つけたら、私も軽く憤ってしまうかもしれない。一見「よくできた」「心地よい」音楽は、肌を優しく撫でるようにみえて、そこに隠された棘がしたたかに痛点をついてくることもある。

Sufjan Stevens - ele-king

 コロナ禍で経済が落ち込んでいるなか、巷の噂ではゲーム業界は調子良さそうじゃないですか。昔エレキング編集部にいた橋元優歩もゲーム業界だし……。
 そんな折りにスフィアン・スティーヴンスの新曲はずばり“Video Game”。軽めの80年代風エレポップで、MVには10代のTikTokダンサーが大フィーチャーされております。うーん、これは面白い!

 「I don't wanna play your vdeo game....」。ラナ・デル・レイにも同名曲があって、彼氏の家に行ったけど彼氏はゲームに夢中で「一緒にやらない?」みたいな、これって昔からある風景なんですが、スフィアンの曲における“TVゲーム”は、なんつうか、ニューエイジへのアイロニーというか、メタファーですね。「あなたの神になんてなりたくない/自分自身の信者になりたい/宇宙の中心になんかなりたくない/自分の救世主になりたい/あなたのTVゲームなんかやりたくない」

※スフィアン・スティーヴンスのニュー・アルバム『The Ascension(昇天)』は9月25日リリース。

Cabaret Voltaire - ele-king

 時代が悪くなるとアートは面白くなる。昔からよく言われる言葉で、20世紀においてもっとも重要な芸術運動であるダダイズムは第一次世界大戦中に起きている。そのダダイズムの拠点から名前を取ったバンド、キャバレー・ヴォルテール(通称キャブス)が11月に26年ぶりの新作を出す。

 1970年代のUKはシェフィールドで結成されたキャブスは、UKで失業者が急増した時代におけるポストパンクの重要バンドのうちのひとつで、音楽的に言えば、感情を抑えたドイツ実験派(カン、クラフトワーク、ノイ!ら)からの影響とウィリアム・S・バロウズ仕込みのカットアップ(ミュージック・コンクレートともサンプリングとも言えるのだろうが)、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのノイズとミニマリズム、そしてジャマイカのダブやなんかが電子的に入り混じった状態で、レーガン時代の右傾化を予見した『Voice Of America』や中東の政治情勢を題材にした『Red Mecca』など政治性もはらみながら、彼らはディスコやハウス、デトロイト・テクノといったダンス・カルチャーとも積極的にリンクしていったし、初期〈Warp〉にとっての精神的な支柱でもあった。
 そんな大物の復活作、タイトルは『Shadow of Fear』(恐怖の影)という。公開されたばかりの曲“Vesto”を聴きながら11月を待とう。


 

Cabaret Voltaire
Shadow Of Fear

Mute/トラフィック
発売日:2020年11月20日(金)

Atropolis - ele-king

 ニューヨークで閉店した飲食店の6割はアフリカ系の経営する店だったという(白人の経営する店舗は2割弱、ほかはアジアやヒスパニック系)。ニューヨークで新型コロナウイルスの犠牲になるのは圧倒的に黒人だという報道が流れはじめた当時、僕はついエイドリアン・マシューズ著『ウィーンの血』(ハヤカワ文庫)を思い出してしまった。2026年のウィーンを舞台に新聞記者が殺人事件の真相を調べていると、同じような死因で亡くなる人がさらに増え(以下、ネタばれ)特定の人種だけを殺すウイルスがばらまかれていたことが判明するという理論物理ミステリーである(ヒトラーのユダヤ殲滅思想はウイーン起源という説を下敷きにしている)。実際にはバーニー・サンダーズも激昂していたようにゲットーでは水道が止められていて手も洗えなかったとか、住宅が密集していて人との距離が取れず、エッセンシャル・ワーカーが多かったという社会的条件による制約が黒人の多くを死に追いやったことは追加報道の通りなのだろう。ニューヨーク文化といえば、人種の坩堝であることが活力の源であり、とりわけダンス・ミュージックが多種多様な生成発展を繰り返してきた要因をなしてきたと思うと実に悲しい話である。アフリカ系とヒスパニック系の出会いがヒップホップを誕生させた話は有名だし、2000年代にはジェントリフィケーションに反対してジャズからハウスまで、エレクトロクラッシュを除くすべてのダンス世代がデモ行進を行ったことも記憶に新しい。ニューヨークの音楽地図はこの先、どうなってしまうのだろうか。この3月から〈Towhead Recordings〉が『New York Dance Music』というアンソロジーをリリースしはじめ(現在4集まで)、スピーカー・ミュージック『Black Nationalist Sonic Weaponry』にも参加していたエースモー(AceMo)や飯島直樹氏が年間ベストにあげていたJ・アルバート(J. Albert )など無名の新人がダンス・ミュージックの火を絶やすまいとしている。ジョーイ・ラベイヤ(Joey LaBeija)やディーヴァイン(Deevine)といったニューヨークらしい外見のDJたちも健在である。そう、途絶えてしまうことはないにしても、しかし、何かが大きく変わってしまうことは避けられない気がする。

 クイーンズ区に住むアトロポリスはシェイドテックの〈Dutty Artz〉から2010年にデビュー。ホームページを開くと1行目に書いてあるのが「多様性に対する情熱が自分をインドやガーナ、コロンビアやメキシコ、そして南アフリカなどのミュージシャンとの仕事に導いてくれた」という趣旨のこと。そして、彼は自分の音楽がどれだけ多様性に満ちているかをくどくどと説明しだす(https://www.atropolismusic.com/about)。実際、彼の音楽は水曜日のカンパネラ以上にルーツのわからない雑種志向の産物で、初めて聞いたときはカリブ海出身だろうと思ったし、まさかギリシャ系キプロス人だとは予想もしなかった(ギリシャ人の音楽はもっと堅苦しいイメージがあったので)。テクノポリスならぬアトロポリスというネーミングもギリシア由来で、グランジ都市(国家)という意味になるらしく、ギリシアとカリブ海の共通点といえば海に近いことぐらいだった(レバノンの爆発はキプロス島まで振動が伝わったという)。久々となる新作もチャンチャ・ヴィア・シルクイトやノヴァリマなど南米のミュージシャンや日本のDJケンセイなどをアメリカに紹介するニコディーマスのレーベルからで、げっぷが出るほど多様性の嵐(失礼)。先行シングルはレゲトンのMC、ロス・ラカス(Los Rakas)をフィーチャーした“Gozala”。これがウイルスとか多様性とかがどうでもよくなるほど夏に涼しいさわやかモードだった。

 クンビアやレゲトンを基調としつつ『Time of Sine』は全体にシンプルで、ほとんど間抜けと呼びたくなるほど隙間の多いサウンドを、柔らかく、透き通るようにアコースティックなサウンドで聞かせてくれる。力が入るところがまったくなく、水曜日のカンパネラがフィッシュマンズをカヴァーしたら、こんな感じになるのかな。違うな。とにかく涼しい。そのひと言だけでいいかもしれない。ニューヨークに浸透したカリビアン・サウンドは様々にあるだろうけれど、そのなかで最も気が抜けているんじゃないだろうか。そよ風を音楽にしたようなもの。石原慎太郎が湾岸に高層建築を建てられるようにするまでは東京でも夜になると海から内陸に吹いてきた涼しい風。日中の気温は同じでも、東京の夜も昔は東北と同じく涼しかった。そんな人工的ではない涼しさを思い出す。後半には“Funk”などというタイトルの曲もあるけれど、汗が飛び散るようなファンクではなく、ガムランやアラビアン・ナイトの怪しげな響きがトライバル・ドラムを引き立てるだけ。ブラス・セクションが入っても涼しさは損なわれず、水の音が流れ、どの曲も見せてくれる景色がとにかく涼しいとしか言えない。言いたくない。涼しい、涼しい、広瀬……いや。

 ここ数ヶ月、これまでアフロ・ハウスと呼び習わしてきたものをオーガニック・ハウスとタグ付けを変えていく動きがあり、それはアフロと称しながらまったくポリリズミックではないことに気がついたからなのか、環境問題と親和性を持たせようとしているからなのか、それともニュー・エイジやスピリチュアルがマーケットをもっと低俗な方向に移動させようとしているからなのか、そのすべてのような気がするなか、呼び方だけが変わった「オーガニック・ハウス」をアルバムにして10枚分ほど聴いてみた結果、95%はクズでしかなかった(マイコルMPやキンケイドなど、ちょっとは面白いものがあるのが逆にやっかい)。「オーガニック・ハウス」自体は〈Nu Groove〉の時代からジョーイ・ニグロやトランスフォニックにヒット曲があり、北欧ハウスの始まりを告げたゾーズ・ノーウェジアンズ『Kaminzky Park』(97)や日本のオルガン・ランゲージ『Organ Language』 (02)などすでに傑作と呼べる作品はいくらでもあるものの、いわゆるムーヴメントと呼べるほど大きな波になったことはなかった。たぶん、『Bercana Ritual』『Sounds of Meditation』『Don’t Panic – It’s Organic』『Continuous Transition of Restate』と立て続けにコンピレーションが編まれ、アリクーディやレイ-Dがアルバム・デビューしている現在が「最高潮」である。さらにはダウンテンポやプログレッシヴ・ハウスもこの流れにまとめられはじめたようで、南アのゴムのなかにも4つ打ちはナシという基本からはみ出したものがこれに加算され、僕にはオーガニック・ハウスというものがただの「その他」のようにしか思えなくなってきた。しかし、「オーガニック・ハウス」を最初に聴こうと思ったとき、その言葉から期待していたものがすべて流れ出してきたのが『Time of Sine』だった。

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