「Dom」と一致するもの

Flying Lotus - ele-king

 スティーヴ・エリソン、フライング・ロータスの名で知られるロスのトラックメイカーは、往々にしてJ・ディラ以降と位置づけられる(『ピッチフォーク』を参照)。が、本人がそれを歓迎している様子はない。たしかにエリソンは、神話化されはじめたデトロイトのトラックメイカーと違って、ダブステップやアンダーグラウンド・シーンとの太いパイプを持ち、その向こう側には広大なエレクトロニックな荒野も見渡せる。彼にとっての最高の影響がスヌープ・ドギー・ドッグの『ドギー・スタイル』(1993年)であろうと、彼の音楽は旧来のエクスペリメンタル・ヒップホップの領域のみならず、ダブステップはおろか、たとえばオウテカのアンビエントにまで拡張されているように思える。まずはこの幅広いアプローチにおいて、その活動領域において、彼はインスト・ヒップホップの最先端にいる。

 そして、その奇妙なハイブリッド感は、少なからず彼の育った環境によるものだと思える。「俺がヒッピーだって? そうさ、俺の連れの多くがビートニクのヴァイブを持ったヒッピーなんだよ」、エリソン、すなわちアリス・コルトレーンの甥は、『ガーディアン』がノー・エイジなど新しいLAシーンをレポートした記事のなかでこう語っている(2008年9月6日)。エリソンは続ける。「俺らはいま、経済と戦争の奇妙な移行期の真っ直中にいる。みんなが石けん箱を投げつけて、世間に向かって叫びたくなる時代なんだよ」

 彼の音楽が「世間に向かって叫ぶ」類のようなものかはわからないけれど、しかし、ロス・アンゲルスという街における独特の空気を彼が表現しようとしているのは、昨年のセカンド・アルバムのタイトルからもわかる。耳障りなビートが加速するかと思えば、それは空間に吸い込まれ、ゆったりとする。彼の特徴は、まるで静電気のようにパチパチと耳元で聴こえるノイズとスライドしてずれていくような、あるいは腐敗していくようなビートにあるが、それはラップトップの使い手とBボーイのあいだを往復するかのような感覚によって操られる。サイケデリックで実験的だが、しかしソウルフルでもある。そしてこれは、およそ10年前に同じ街でマッドリブがリサイクルしたソウルやファンクのループとは異なる、いまの時代における新たなムーヴメントの最良の部分なのだ。

 昨年の本当に素晴らしいアルバム、『ロス・アンジェルス』を発表後、スティーヴ・エリソンは、UKのダブステップ・シーンにおいていくつかの作品を発表している。ブリストルの〈テクトニック〉、ロンドンの〈ハイパーダブ〉や〈プラネット・ミュー〉、いまシーンでそれなりの力を持っているレーベルから、ファンの高まる期待に応える内容のトラックを提供している。そして『L.A. EP CD』は、昨年からこの夏にかけて彼が〈ワープ〉から発表した3枚のシングル(リミックスを含む)をまとめたものとなる。さすがに『ロス・アンジェルス』ほどの緊張感はないものの、リミキサーの人選もさることながら、このシーンの面白さがよくわかり、このジャンルの可能性を感じることができる好盤となった。リミキサーに関しては、まず彼の周辺で言えば、ラス・G、ノサジ・シング、サムアイヤ、イグザイルといった連中、ダブステップ系で言えば、ブレイケイジ、マーティン、クアトラ330......等々で、興味深いのはそれらリミックスがこのアンダーグラウンド・ミュージックをそれぞれの方向で拡張しようとしていることだ。例えば、マーティンはハウシーなダブステップに転換して、イグザイルのリミックスは〈プラグ・リサーチ〉流の歪んだ空間を創出するように。今年の夏にリリースされた3枚目「EP 3 X 3」の1曲目を飾ったディミライト――〈ソナー・コレクティヴ〉で作品を出している――によるポスト・ソウルのダウンテンポも相当面白かったけれど、そのシングルの最後を飾ったレベカー・ラフ(ビルド・アン・アーク:LAを拠点とするスピリチュアル・ジャズ集団)による美しいリミックスも印象的だった。ハープの音色を使って、アリス・コルトレーンへのオマージュとして"Auntie's Harp"を作りかえている。
 そういう意味で『L.A. EP CD』は、フライング・ロータス関係の15アーティストが参加したコンピレーションとしても楽しめる。新しいものに臆病にならなければ、やがて訪れる未来の兆候が聴こえるかもしれない。

Atlas Sound - ele-king

 00年代において僕をサイケデリック・ギター・サウンドに導いたのは、アニマル・コレクティヴだった。2003年にロンドンの〈ファット・キャット〉レーベルがブルックリンの若き夢見人たちのファーストとセカンドの2枚をカップリングして発表したとき、シド・バレットとジ・オーブとボアダムスがセッションしたようなその音楽に強烈な魅力を感じ、そして2004年に『Sung Tongs』を聴いたときには、すっかり心の準備はできていた。ようこそ、ピーターパン系サイケデリアの楽園へ。

 2008年に素晴らしいアルバムを発表したディアハンターのリード・シンガー、ブラッドフォード・コックスによる別プロジェクト、アトラス・サウンドのセカンド・アルバには、1曲、アニマル・コレクティヴの中心メンバー、ノア・レノックス(パンダ・ベア)が参加している。"Walkabout"というその曲は、アルバムにおいてもっともキャッチーな、いわばアニコレ的コーラスとエレクトロニクスの効いた明るい曲となっている。そしてステレオラブのレティシア・サディエールが参加した"Quick Canal"は、アルバムにおいてもっとも疾走感のある、いわばクラウトロック的な景色の広がりを持った曲となっている。エモーショナルで、意識を失いそうなほど、歌は容赦なく飛んでいくような......。

 こうした豪華なゲストも作品のトピックではあるが、僕にはこのアルバムは、ここ10年のあいだ子供たちのベッドルームで繰り広げられている(そう、90年代はそれがテクノだった)、ギターとエレクトロニクスのなかば妄想的な実験の最良の成果のひとつのように思える。アルバムの1曲目"The Light That Failed"は、爪弾かれるアコースティック・ギターの音色と奇妙な音の細かいループ、そして深いリヴァーブとエコーに輪郭をぼやかされた歌との組み合わせである。これは、それこそアニマル・コレクティヴが広めた新世代のサイケデリックにおける常套手段であり、ブラッドボード・コックスもそれを借用しているだけだと言ってしまえばそれまでだが、この病的なルックスをした男には、ソングライターとして非凡なものがあるわけだ(ディアハンターの『マイクロキャッスル』で証明済み)。2曲目の"An Orchid"や4曲目の"Criminals"は、コックスのそうした曲作りの巧さの所産であり、そのことがこのアルバムの立ち位置を決定している。まあ、早い話、アニマル・コレクティヴが歌やコーラスをほとんど完璧なまでに"音"の次元へと変換してしまっているのに対して、コックスはギリギリ、歌うという古典的なスタイルを保持していると言えよう。その絶妙なバランス感覚のなかでこのアルバム『ロゴス』は鳴っている(彼がカヴァーしたヴェルヴェッツの"アイル・ビー・ユア・ミラー"は、ただ今風にリヴァーブが深くかけらてたものでしかないが、しかし、それでも素晴らしく感動的である)。

 僕にとって興味深いのは、人間の幼稚性を賞揚するかのように、およそここ10年のUSサイケデリック・ミュージックは退行的な、いわばピーターパン的な様相を躊躇なく見せている。アニマル・コレクティヴにしてもアトラス・サウンドにしても、彼らの無邪気な子供っぽさは、そして確実に大人たちの様式を破壊し、因習打破を果たしている。

Zomby - ele-king

 生きる屍、自らをゾンビと名乗るだけはある。ダブステップ・シーンにおける異端児、変わり者、ミステリー、反逆者、もしくは頽廃。エイフェックス・ツインがDJでプレイするだけのことはあるけれど、フランツ・フェルディナンドがリミックスを依頼した根拠はよくわからない。B級だし、安っぽいし、レイヴィーだし、......そして、大人を舐めきったようなこの自称ジャングリストは、ベッドルームの歪んだ夢想にどこまでも戯れる。悪意はない。面白がっているだけなのだろう。

 さて、これはロかの"Spliff Dub"で有名な、スモーカーズ系ゲームボーイ系プロデューサーによる、例によってチープで8ビットめいた作品で、ハドソン・モホークとも共通する感性=ポップとオナニズムの際どいせめぎ合いが展開される。いや、言い過ぎだった。オナニズムというほど自己完結的なものではない。エロール・アルカンだって彼の珍味なトラックをスピンしている。ただ......この人は、自分の音楽を1枚の"作品"として真面目に出す気があまりないようだ。2008年の『Where Were U In '92?』というアルバム・タイトルが暗示するように、彼はあの時代のジャングルを愛している。あの時代のレイヴのエネルギーを、若さゆえの暴走を、俗っぽさを、そのいかがわしさを賞揚している。実際そのアルバムは笑ってしまうほど、あの頃の音楽へのオマージュとなっている。

 昨年末、およそ1年前に〈ハイパーダブ〉からリリースされた2枚組のシングル「Zomby EP」も、なんとも捉えどころのない音楽だった。お決まりのダブステップを拒否するだけではない。スペイシーなレイヴ・スタイルもあればアンビエントもあるし、エレクトロニカ風のトラックもあった。コミカルだがダークで、実験的だがTVゲームめいている。低予算で作られたホラー映画の美学を彼からは感じたものだった。

 今回も実に、ある意味では投げやりにできている。すべての曲は途中ですぱっと終わる。エンディングというものを放棄しているのか、ただ面倒くさいだけなのか。しかし、正直な話、それぞれのトラックは、おかしなほど魅力を持っている(だから買ってしまうのだ)。タイトル曲の"One Foot Ahead Of The Other"にはメランコリックな輝きがあり、この変人の抒情性を感じることができる。"ゴジラ(Godzilla)"もまたエモーショナル曲だが、秋葉原的なものがそこには混じっている。今回は"Expert Tuition"のようなハマリ系のミニマルも展開しているが、これが実に良い。真面目な話、最良のデトロイト・フォロワーのトラックを聴いているようだ。タイトル・トラックとともに今回のベストである。それから......"メスカリン・コーラ(Mescaline Cola)"って、このひどいタイトルのトラックは、赤ちゃんの王国の華麗なるメリーゴーランドで、最後の"Firefly Final"もまた、このオタクめいた煙好きのソウルを感じる。が、しかし、それもどれも、いきなりぱっと終わる。すべての曲は、慣習的に言えば未完成なのだろうが、この生きる屍は完成など目指していない。アーティなるものとはほど遠いが、もうひとつ別の情熱がここにはある。

 そして彼は自分のベッドルームで煙を吐きながらチキンをほおばり、こんな下らない音楽を作っている......。

Jeff Mills - ele-king

 かつてテクノもブルーズも近づいてよく聴いてみようという気にならなければ全部同じに聞こえるというようなことを書いたことがあるけれど、そう思って聴いても聞き分けが難しくなっているのがこのテクノ・ウイザードだろう(二重のジョークですよ......というようなイクスキューズを書かざるを得ないのがネットという感じ)。

 3年振り、ソロ18作目(?)。この数年、ミルズは宇宙に取り付かれているようで、『コンタクト・スペシャル』(05)で知的生命体によって拉致された彼は『ワン・マン・スペースシップ』(06)では宇宙で感じる孤独に焦点をあて、さらにここでは地球を離れてから発見したことを音楽によってリポートするという設定に進んでいる。音楽的にはいつもながらの流麗なサウンド・スタイルに加えて、M3"ラジウム・ストーム"、M5"バーン・オフ~"などダンス・ビートから離れた曲も多く、M9"フロム・ビヨンド・ザ・スターズ"ではストリングスとの響き合いが絶妙の情感に達している。快楽的でありながら、それに対する懐疑を同時に拮抗させる作風や全体にSF的な音楽センスは元からのもので、かつてよりも洗練されてリプロゼイションされているという以外、とくにいうことはない。あるいは、アフロ系アメリカンの音楽家が宇宙にアイデンティファイしようとする傾向はP-ファンクやアフリカ・バンバータなど数限りなくあり、人種差別がなくならないアメリカでは国民国家時代の必要な置き換えでもあっただろうが、そこには常にコミュニティや適度な集団性が単位としては認識されていた。ミルズは、しかし、あくまでも個人単位で長い作業=観念操作を続けてきたあげく、ここへ来て60年代のサイケデリック革命に見られたような「スリーパーが目を覚ます」というユング的な観念へと歩を進め、いやな予感が立ち上がる(笑)。彼は何度も自分は「呼びかけ」てきたというようなことを話していて、誰ともつながらなかった結果が宇宙への旅立ちだったのかもしれないけれど、そういう意味では愚直に同じことが繰り返されているに過ぎないのかもしれない。いずれにしろ黒人社会の崩壊やヒップホップには逃げ込めないアフロ系が感じていることという意味では非常にリアルな表現ではないだろうか。そうとも思わなければ彼が矢継ぎ早にリリースを続けるモティヴェイションからして理解できないというか。そういえばサン・ラも山のように出していましたよね。

Various Artists - ele-king

 2009年はダブステップの多様化をさらに強く印象づけられた年だった。2008年に発表したベンガの『Diary Of An Afro Warrior』(Tempa)にはジャジー・ヴァイブやハウスのビートが注がれ、2562の『Aerial』(Tectonic)にはミニマル・テクノのグルーヴが脈打っていた。2009年にはマーティン(Martyn)の『Great Lengths』(3024)やフェルティDLの『Love Is A Liability』(Planet Mu)といったデトロイト系ダブステップもあったし、ジョーカーやジェイミー、グイードといったブリストル新世代によるGファンクとの融合もあった。ハウスへの接近という意味で言うなら、何よりもブリアルの「Moth」(Text)があった。ブリアルの学校の先輩にあたるフォー・テットのレーベルから出されたその真っ黒なヴァイナルは、ガラージ/2ステップから派生したUKのアンダーグラウンド・ミュージックの、地下数100メートルからのダンス回帰のように感じられた(個人的には今年のベスト)。

 ダブステップはここ数年、ずっと好きで聴いているのだけれど、ハウスやテクノやジャングルなどと比較するまでもなく、それが踊りやすい音楽だとは思っていない(DJミックスを聴いていると決してそんなことはないんだけれど......)。レイヴ・カルチャーの発展型でありながら、むしろ孤独を好むようなところがこの音楽からは感じられ、その倒錯した感覚を僕は気に入っている。が、この2年における著しい多様化とハウスやテクノとの接合のなかで、ダブステップもその孤独に背を向けようとしているようにも思える。ハルモニアとイーノの曲のシャックルトン・ミックスの12インチ、やっぱ欲しいでしょう!

 〈ハイパーダブ〉レーベルにとって初めてとなるコンピレーションは、多様化するダブステップを見事に見せているが――いや、多様化というか、正確に言えば、この編集盤の音源はもはやダブステップとは言えないのだけれど、同時にその孤独さも際だたせている。その意味において、奇妙な輝きを放っていると言える。キング・ミダス・サウンド(ザ・バグによるダブ・プロジェクト)の濃い霧に包まれたスモーカーズ・サウンド"Meltdown"で幕を開けるこのCD2枚組、全32曲の地下旅行は、1枚がレーベルの新局面、もう1枚がレーベルのクラシック音源で構成されている。冒険的なのは、もちろん1枚目のほうだ。"Meltdown"が終わると、レーベル主宰者であるコード9のメランコリックなファンクへと続く。それから注目株のひとり、ダークスターによる美しいテクノ・サウンドが聴こえる。

 フライング・ロータスはこの素晴らしいディストピア・サウンドの編集盤に1曲提供している。彼の個性的なビートの余韻が残っているうちに、日本人アーティストによるダークR&B、ブラック・チャウの"Purple Smoke"がはじまる。そして多くのファンが聴きたいであろう、ブリアルのイクスクルーシヴ音源"Fostercare"がはじまる。1枚目のクライマックスだ。この曲を聴いていると、かつてマッシヴ・アタックに期待してきた音楽をいまはクロイドンのこの秘密主義者がやっていることがよくわかる。
 昨年、レーベルから12インチ2枚組を発表しているゾンビーは(今年は〈Ramp〉から奇妙なミニ・アルバムを出している)、出来損ないでがらくたのドラムンベースを披露する。『XLR8R』によれば「たくさんのジョイントとチキン」が彼の日課だそうで、彼のつかみ所のない作品にはその怠惰な感じがよく出ていて面白い。1枚目のCDの最後を飾るのはジョーカーで、パワフルなエレクトロ・ファンクを披露する。

 もう1枚のCDには、コード9の素晴らしい"9 Samurai"や"Ghost Town"、ブリアルの決定的な"South London Boroughs"や"Distant Lights"といったクラシックが収められている。そしてゾンビー、ザ・バグ、ジョーカーといったいま勢いのある連中の曲に混じって、コード9のダブ/レゲエ趣味がところどころで顔をのぞかせる。「1日1本のspliff(意味は調べよ)は魔除けとなる」、手の付けられないスモーカーであるゾンビーの"Spliff Dub"は、そう繰り返して主張する。コード9は大学で教鞭を執るほどのインテリだが、レーベルにはチンピラやオタクも一緒に混じって、この新時代のアンダーグラウンド・サウンドを楽しみ、変化を与えているようだ。

 『ピッチフォーク』はこのアルバムを1992年の〈ワープ〉による『アーティフィシャル・インテリジェンス』に比肩するものだと評しているが、僕も賛同する。思い出して欲しい、あの作品が出たときもみんなが言ったものだ。この音楽では踊れないと。だが、それは確実に時代を切り拓いたのである。

Volcano Choir - ele-king

 渋谷のワルシャワは好きなレコード店のひとつで、店にカフェ・コーナーが設置されて以来、アルコール目当てで立ち寄るようにもなってしまった。去る10月、店内に「傑作です」のキャプションとともに壁に並んであったこれをじっと見て、視聴して、悩んだ挙げ句に買うことにした。実は僕は、その時点でボン・アイヴァーさえもまだ聴いていなかった。

 およそ1年前、『ガーディアン』や『オブザーヴァー』はボン・アイヴァーの『For Emma, Forever Ago』を最大限に褒め称えた。「2008年の最高のレコードはアメリカの僻地の闇のなかの人影によって作られた」、『オブザーヴァー』の記者はそう書いた。もっともその背後には「この年には2年前の『Whatever People Say I Am...』のような、決定的なアルバムが1枚もなかった」という失意もあった(2008年12月7日)。『ガーディアン』にいたっては2008年は「ゴミだめインディの死が宣告された年」であり、「ギター・レコードは年間ベストのどこにもない」と記したほどだった(2008年12月12日)。そしてこのふたつのメディアは、TV・オン・ザ・レディオとボン・アイヴァーを持ち上げたのである。「コールドプレイがブライアン・イーノとそのバカげた一式を借りて急進派を急いでいる」ような時代において、27才のジャスティン・ヴァーノン(ボン・アイヴァー)が2006年の冬のあいだ父親の山小屋で録音した音楽は、実に感動的な愛の音楽だったと、そういう話だ。

 そして、これは僕の悪い癖で、たとえばフリート・フォクシーズのような、汚れを知らないような音楽を聴いているとどうにも落ち着かなくなるという事情もあって、僕は欧米を代表する大メディアの推薦をスルーしていたのである。そんな人間がどうして・ヴァーノンを擁するヴォルケーノ・クワイア(火山の聖歌隊)なるバンドのアルバムに惹かれたのかと言えば、ワルシャワの「傑作です」の言葉と、そしてこのバンドの前身にペレがあること――ギタリストのクリス・ローズナウとドラマーのジョン・ミュエラー――が興味深く思えたからだった。ペレは、90年代から00年代初頭にかけて活動していたバンドで、わかりやすく言えばポスト・ロック的な実験(エレクトロニクス、ジャズ、クラウトロック等々)を好んだバンドだ。好き嫌いはともかく、その工夫された音はモダンだった。同じように禁欲的だが、ボン・アイヴァーの素朴さとはいわば対極にある。
 そんなわけで、ヴォルケーノ・クワイアのファースト・アルバムを買った。1曲目のギターのイントロがその決め手となった。アルバムには美しい調和があるが、それはヴァーノンの、ボン・アイヴァーで見せたファルセット・ヴォイスとアコースティック・ギターのコード・ストロークの組み合わせとは違った類のもの、控えめなエレクトロニクスと実験的なポップスとの調和だ。

 2曲目の"Seeplymouth"はバンドの抒情性が広がり、劇的な高まりが爆発する。その激しさは、まさにUSオルタナティヴの真骨頂なのだろう。実験色の強い曲――アンビエント・テイストを展開する"Dote"、ギターのループとコーラスの絡み方において『ピッチフォーク』がアニマル・コレクティヴの『Sung Tongs』との近似性を指摘した"And Gather"、プリペアード・ピアノめいたトラックとロバート・ワイアットめいたソウルがねじくれていく"Mbira In The Morass"なども面白い。

 このアルバムを聴いて、そして遅ればせながらヴァーノンのデビュー作であるボン・アイヴァーの『For Emma, Forever Ago』を聴いた。結論を言えば、ヴォルケーノ・クワイアのほうが気に入っているし、こちらのほうに可能性を感じている。

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