「UR」と一致するもの

K Á R Y Y N - ele-king

 英〈ミュート〉が新たに送り出す期待のプロデューサー、カーリーン(K Á R Y Y N)。先日アナウンスのあった「4分33秒」のカヴァー・プロジェクトにも参加している彼女が、3月29日にデビュー・アルバムをリリースする。さらに、そのアルバムとはべつに新曲“TILT”も発表。この曲はヤング・ペイントという、アクトレスことダレン・J・カニンガムが開発に関わった人工知能とコラボしたものだそうで、なかなかに興味深い。同曲はこちらより試聴可能。アルバムの詳細については下記を。

海外プレス大絶賛のMUTEの新人 K Á R Y Y N (カーリーン)、
ダレン・J・カニンガム制作の人工知能 ヤング・ペイントとコラボした新曲を発売!
待望のデビュー・アルバムは3/29に発売!

〈MUTE〉レーベル期待の新人、エレクトロニック・プロデューサー/ヴォーカリストの K Á R Y Y N(カーリーン)が、人工知能プログラム「ヤング・ペイント」とコラボレーションをした新曲“TILT”を発売した。

ヤング・ペイントは、英音楽プロデューサーのダレン・J・カニンガムがゴールドスミス・カレッジのデジタル学部とともに、音楽解析とパフォーマンス双方をこなすために作られた、いわゆる "AI=人工知能" プログラムである。今回、ダレン・J・カニンガム、ヤング・ペイントそれにK Á R Y Y Nの3者によって、ノイジーなデジタルサウンドにソフトなボーカルが融合した新曲“TILT”が制作された。
なお“TILT”はデジタル配信のみで発売され、3月に発売されるK Á R Y Y Nのデビュー・アルバムには収録されない。

シングル「TILT feat. Young Paint」

[iTunes/ Apple Music] https://smarturl.it/KARYYN_TILT/applemusic
[Spotify] https://smarturl.it/KARYYN_TILT/spotify
[smartURL] https://smarturl.it/KARYYN_TILT

実に7年を超える歳月をかけて完成したデビュー・アルバム『ザ・クアンタ・シリーズ』(3月29日発売)は、K Á R Y Y Nが自己啓発ために世界中を旅してきた移動の軌跡である。家族間の思い出、悲しみ、愛情、それに量子力学や人間同士がお互いに及ぼす影響などをテーマとして取り上げている。
現在、デビュー・アルバムからのシングル「EVER」が発売されている。
また日本盤ボーナストラックには、昨年ピッチフォークのベスト・ニュー・トラックを獲得した“MOVING MASSES”が収録される。

シングル「EVER」(デビュー・アルバム『ザ・クアンタ・シリーズ』収録)リンク
[iTunes/ Apple Music] https://apple.co/2CpLSJM
[Spotify] https://spoti.fi/2FJxiQF
[YouTube] https://youtu.be/Xe7Xce_d04I
[smartURL] https://smarturl.it/KARYYN_JP

デビュー・アルバム情報
https://trafficjpn.com/news/karyyn-2/

デビュー・アルバム商品概要

アーティスト:カーリーン(K Á R Y Y N)
タイトル:ザ・クアンタ・シリーズ (The Quanta Series)
発売日:2019年3月29日
品番:TRCP-239 / JAN: 4571260588776
定価:2,200円(税抜)
ボーナストラック1曲収録
解説:木津毅/歌詞対訳付

Tracklist
01. EVER
02. YAJNA
03. PURGATORY
04. BINARY
05. AMBETS GORAV
06. Un-c2-See
07. MIRROR ME
08. CYTOKINESIS
09. ALEPPO
10. TODAY, I READ YOUR LIFE STORY 11:11
11. SEGMENT & THE LINE
12. MOVING MASSES(ボーナストラック)

遠くで鳴るビート、蒸気を吸いそして Chill-out……
エイフェックス・ツイン最大の問題作を読み解く

リリース25周年!
エイフェックス・ツイン、あるいはテクノ、アンビエント、ヴェイパーウェイヴのファンであるなら避けては通れない本、テクノ史上もっとも謎めいた名作の秘密をさぐる快著、ついに翻訳!
アンビエント/IDMのオーソリティーが膨大な資料のもとに構成する、世界で唯一のエイフェックス・ツインの単行本。

発売当時、明晰夢によって作曲された音楽だと本人が解説した『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』。
曲名のクレジットもなく、ダンス・カルチャー全盛期に、いっさいのビートを削除した作品。リリース当時はリスナーとメディアを大いに困惑させた問題作。いまとなっては傑作と言い切れる先駆的なアルバム。
その『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』を紐解きながら、ブライアン・イーノのアンビエント、レイヴ・カルチャーにおけるチルアウト、そして21世紀のオンライン・カルチャーにおけるアンビエントまでを解読していく。

【著者】
マーク・ウィーデンバウム(Marc Weidenbaum)
サンフランシスコ在住。著述家。アンビエントとエレクトロニカに特化したサイト『Disquiet.com』の設立者。アメリカでもっとも有名なサイト『Boing Boing』や科学系のサイト『Nature』などにも寄稿。メディアやアンビエントにかんする講義もおこなっている。

A Man Called Adam - ele-king

 90年代初頭のアシッド・ジャズ期における粋な1枚に、ア・マン・コールド・アダム(AMCA)の『The Apple』(1991)というアルバムがある。サリー・ロジャーズとスティーヴ・ジョーンズのふたりを中心に、レフトフィールドのポール・デイリーなんかも参加したこのプロジェクトは、エブリシング・バット・ザ・ガールやウィークエンドのような品の良い折衷主義が売りで、ジャズとハウス、ポップスを混ぜながらも玄人受けもした。
 それからAMCAは、シングルを中心に作品を発表し続けているが、オリジナル・アルバムに関しては1998年に1枚のアルバムを出したきりだった。ここ数年サリーはリーズの音楽大学で教師として、スティーヴは音楽デザイナーとして大英博物館や英国文化協会などで働いたりで、ともに忙しくしていたようだが、ふたりがAMCAのことを忘れたわけではなかった。
 AMCAはこの3月にアルバムとしてはおよそ30年ぶりの新作を発表する。『Farmarama』というタイトルで、彼ららしい品のある折衷主義が聴ける。ジャズ、ハウス、ディスコ、ダブ、ポップス、そしてAORっぽさもある。今宵は、大人が奏でる極上のメロウネスなんていかがでしょう?


A Man Called Adam
Farmarama

other

https://www.amancalledadam.com/
 

The Specials - ele-king

 偶然だったとしても素晴らしい。2017年、バーミンガムにおけるイギリスの極右団体への抗議の現場を報じたガーディアンのひとコマには、あるイスラム系の女性の姿が写っていた。当時20才だったサフィヤ・カーンの着ていたデニムジャケットの下には、「THE SPECIALS」と描かれたのTシャツが覗いている。さっそくザ・スペシャルズは彼女をライヴに招待した。そして、およそ40年振りのアルバムのなかの1曲でMCをまかせることにした。大役である。なぜなら、彼女が任せられたのはプリンス・バスターのいにしえのヒット曲、“10 Commandmentsl”をリライトすることだった。バスターは、ルードボーイ音楽の王様にして2トーンにとっての英雄、ザ・スペシャルズにとっての巨大な影響だ。が、しかし、“10 Commandmentsl”には露骨な性差別が歌われていた。ザ・スペシャルズは、若き勇敢なフェミニストを起用して、名曲の言葉を書きかえるという大胆なアイデアに挑んだのだった(プリンス・バスターはイスラム教徒でもあるので、イスラム系の若い女性がそれを改稿するというのは、二重の反転がある)。
 ザ・スペシャルズ、さすがである。

 いまさらぼくと同世代のリスナーにザ・スペシャルズの偉大さを説くのは釈迦に説法なので、ここではリアルタイムでは知らない世代に向けて書こう。
 そもそもUKのパンクおよびポストパンクの多くがいまもなお参照点である理由は、彼ら/彼女らがサッチャリズム(新自由主義)に対する若者たちの最初の抵抗だったからだ。それゆえメッセージの多くは現在でも有効だし、音楽性に関していえば、そのメッセージを裏付けるように、彼ら/彼女らのほとんどは妥協なきオルタナティヴだった。
 ザ・スペシャルズは、70年代末〜80年代初頭のポストパンク期におけるスカ・リヴァイヴァルを代表するバンドだった。スキンズが好んだジャマイカのスカを音楽のモチーフにした彼らは、自らも、そしてオーディエンスも人種を混合させ、スキンズとパンクとモッズをいっしょに踊らせた。分断されたサブカルチャーを混ぜ合わせたこと、これがザ・スペシャルズの功績のひとつだ。もうひとつの功績は、新自由主義時代における若者文化の虚無感を実直に綴ったことだった。
 それは1980年のセカンド・アルバム『モア・スペシャルズ』であらわになる。スタジオでの多重録音を駆使したそのアルバムは、ご機嫌なスカを求めていたファンの期待を裏切るかのように、日々の生活における暗い心情が表現されている。それが1981年の傑作12インチ「ゴーストタウン」へと発展して、解散後はまったく楽しくない楽しい男の子3人(ファン・ボーイ・スリー=FB3)へと続いた。

 スカはアッパーでのりのりの音楽だと思われていたし、多くの若者にポークパイハットを被らせたザ・スペシャルズはファッション・リーダー的な存在でもあった。が、ザ・スペシャルズにはのちのマッシヴ・アタックと連なるようなメランコリーがあったし、自己矛盾かもしれないがファッション文化を空虚なものだと見なしていた。『モア・スペシャルズ』の“Do Nothing”(なんもやらない)という曲は、ファッションばかりに金を投じる若者の空しさをこれでもかと表現している。個人的にもっとも好きな曲のひとつ、“I Can't Stand It”(がまんできない)では、私生活から職場にいたる生活のすべてにうんざりしている若者の気持ちが描かれているし、「誰もが着飾ったチンパンジー」と歌う“International Jet Set”はエリート層への嫌悪が歌われている。
 いまの若い人には信じられない話かもしれないが、お洒落というのはある時期までは、お金のない抵抗者たちほど拘っていたものだった。パンクが服を重視したのもそういう事情があったからだ。服は、社会が強制するアイデンティティとは別の、個人が主張するアイデンティティを表現することも可能だからだ(家や車は買えなくても服は買えるからね、と昨年ドン・レッツは言っていた)。それゆえに、パンク〜ポストパンクはなるべくオルタナティヴな服装を選んだ。が、1980年のザ・スペシャルズによれば、ファッションはすでにエリート文化の一部になっていた。そう、このバンドは、オーウェン・ジョーンズの“エスタブリッシュメント”というあらたな上層階級の出現を40年も前に察知し、簡潔な言葉で皮肉っていたことになる。
 「ゴーストタウン」に関していえば、セックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」に次いで重要なシングルだという声もある。全英1位になったそのヒット曲は、この社会が生き地獄であることを歌っているのだから──。

 新作のタイトルは『アンコール』で、これは本作が『モア・スペシャルズ』からの続きだということを意味している。メンバーは、リンヴァル・ゴールディング(g)、テリー・ホール(vo)、ホーレス・パンター(b)というオリジナルのフロントマンが揃っている。
 『アンコール』は、ジ・イコールズのカヴァーからはじまる。
 ジ・イコールズは60年代に結成されたUKのロック・バンドで、当時としては珍しい白黒混合のバンドだった。のちにレゲエ・アーティストとして有名になるエディ・グラントが在籍していたことで知られているし、ザ・クラッシュは『サンディニスタ!』において彼らの“ポリス・オン・マイ・バックをカヴァーしているわけだが、ザ・スペシャルズが選んだのは、1970年のヒット曲“Black Skin Blue Eyed Boys”だ。この曲に続く2曲目は、今作のためのオリジナル曲で“B.L.M.”……これはもうブラック・ライヴズ・マターということで間違いないだろうし、この2曲の並びをみても本作でのザ・スペシャルズのメッセージのひとつは見えてくる。

 しかしながら、ぼくのような古いファンはノスタルジーを禁じ得ないだろう。3曲目の“Vote For Me”の曲調およびピアノのフレーズは、“ゴーストタウン”を思い出さないわけにいかない。FB3のカヴァー曲もある。ラテン調の“The Lunatics”(狂人たち)は、もともとは“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”(狂人たちが弱者の場さえ支配した)という長い曲名で、FB3のファースト・アルバムに収録されていた。FB3には、“Our Lips Are Sealed”(ぼくらの口は封じられている)という最高のキラーチューンがあるのだけれど、本作で演っているのはへヴィーな曲である。
 気怠いラテンのリズムは、今作のためのオリジナル曲のひとつ、インターネット社会の憂鬱を歌詞にしているという“Breaking Point”でも展開されているが、その曲が終わるとルードボーイ・クラシックのザ・ヴァレンタインズ“Blam Blam Fever”(別名“ガンズ・フィーヴァー”)のカヴァーが待っている。そして、銃について風刺したその曲が終わると、冒頭で紹介した“10 Commandmentsl”がはじまる。このあたりは『アンコール』におけるクライマックスだ。

 8曲目は、“Embarrassed By You”(あんたのおかげで困窮している)という、いかにもザ・スペシャルズらしい曲名のレゲエ・ナンバー。難解な言葉や文学的な言い回しはしない、シンプルで直球な言葉遣いは彼らの魅力のひとつで、それは本作でも変わっていない。そして、座ってでしか音楽を聴いていない連中を嘲るかのように、踊れない曲はつまらない(労働者階級ほど踊る音楽好きである)というアプローチも一貫している。しかしながら、踊れる曲であっても楽しげである必要はないということを実践したのもザ・スペシャルズだった。“The Life And Times (Of A Man Called Depression)”(うつ病と呼ばれた男の人生と時代)は、曲名が言うように物憂げな曲で、UKガラージのリズムが取り込まれている。『アンコール』の最後は、“We Sell Hope”(我々は希望を売る)というアイロニカルな題名の曲で締められる。このなんとも後味の悪い終わり方がいい(笑)。
 そもそもパンクたるもの、アンコールなんてものには応じないのが流儀だった。だからこの『アンコール』には、バンド内でもやや自嘲的な思いがあったのかもしれない。それでもザ・スペシャルズは、その21世紀版としてよくやったと思う。40年前にはできなかったことをやってのけたのだから。ちなみにもう1枚のCDには、ファン・サーヴィスというか、お約束というか、この手のベテラン再結成にありがちなライヴ演奏(2014年、2016年)が収められている。これは、ま、ご愛敬ということで。


追記:ぼくは知らなかったんだけれど、ザ・スペシャルズはテリー・ホール抜きの(もちろんジェリー・ダマーズ抜きの)メンバーで、1996年から2001年のあいだに4枚のアルバムを出している。この時期のオリジナルのメンバーは、リンヴァル・ゴールディングとネヴィル・ステイプルズのふたり(ともに元FB3)。で、これが意外と良かったりするから困る。ザ・クラッシュの“誰かが殺された”や“プレッシャー・ドロップ”のカヴァーなんてかなり良い。主役抜きのバンドが名前だけで続ける──よくある話だが、ザ・スペシャルズのおそろしいところは、それさえも素晴らしいという点だ。テリー・ホールの陰鬱やジェリー・ダマーズの作り込みはない。しかし、ゴールディング&ステイプルズはバンドの魂を保持していたと。ちゃんと聴いておけばよかったな。

 昨年12月、水道事業を民営化する伏線として改正水道法が成立した。いくつかのニュースサイトを見ると、大阪で地震が発生し、21万人以上が水道の被害を受けたことを理由に(というか逆手にとって)、「水道管の老朽化」問題を振りかざし、自・公、日本維新の会、希望の党など大多数の賛成によって可決されたという。ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で解き明かした、災害便乗型の新自由主義をぼくたちは目の当たりにしたわけである。

 水は……水だけを飲んでいれば良いという言葉があるように、水は人間が生きてくうえでの命綱だ。それを民営化するというのは、経済状況によっては水も飲めないひとが出てくる可能性があるということだ。こんな重要で恐ろしいことがわずか8時間の審議で可決されてしまうのが、我が国の現状だ。しかもだ……、水道事業の民営化こそサッチャリズムであり、この政策がはじまって数十年後の現在、結局のところ失敗だったという事例はすでにある。当のイギリスにだって自治体によっては倒産したという話もあり、再公営化の動きさえあるという、にも関わらず……なのだ。(日本において新自由主義が本格的にはじまったのは小泉政権から。つまり、英米よりおよそ20年遅れではじまっている)

 そういう意味でオーウェン・ジョーンズの『エスタブリッシュメント』の翻訳刊行は、日本の近未来を案ずるうえでの貴重な資料になる。新自由主義先進国のイギリスで起きたこと、そのプロセスと現状を知ること。まあしかし……もはやそんな悠長なことを言ってられないんだよというのが、日本で生活するひとたちの本音なんだろう。

 というのもつい先日、厚生労働相は9カ月にわたる実質賃金マイナスを認めた。サラリーマンの平均収入は相対的にみてアジアでも最低レヴェルじゃないのかなどと言われはじめて久しいけれど、いよいよ現実味を帯びてきているというわけだ。ちまたには日本でサラリーマンやるより香港で家政婦したほうが稼げるんじゃないかという説もあり、こと文化産業に携わっている身としては暗澹たる気持ちにならざるえない(円安政策がどれほどレコード好きにとって弊害かという話はおいておいて)。与党はしかしアベノミクスの非を認めないし、またいままでのようにだらだらと世間の関心が薄れるまで時間だけが過ぎていくんだろうなぁ。……とまれ。『エスタブリッシュメント』からは、いま読み方によっては未来に繋がるヒントが導き出せるんじゃないかとも思う。


 『エスタブリッシュメント』は、早い話、新自由主義に乗っかって、おいしい思いをしている連中のことを定義し直している。エスタブリッシュメントとは、支配的な経済エリートとも言えるだろうし、格差社会の上層部と言えるだろうし、そういう連中は、有能で高額な会計士を雇うことで巧妙な税金逃れをしながら、政治のみならずマスメディアも操作し世論すらコントロールできる立場を築いている。(ここでザ・クラッシュの“コンプリート・コントロール”でも聴いて気合いを入れよう)

 よし、気合いが入った。エスタブリッシュメントとは、ある意味リベラルでさえある。LGBTにだってアプローチする。しかもエスタブリッシュメントには(金融が良い例であるように)お互いが助け合う社会主義がある。そしてエスタブリッシュメントは、エスタブリッシュメントではないひとたちを容赦なく蹴落としていく。

 それはサッチャーが右翼というレトリックを使ってやってのけた、その後の世界の方向性を決定づける経済実験の行き着く先を象徴している。『エスタブリッシュメント』にはそのことが詳述されている。あまりにも詳細に書かれているので、イギリス政治マニアでもない限りすらすらと読める代物ではないけれど、ただし、左派も右派も呑み込んでいく新自由主義の恐ろしさを知るうえでは入魂のレポートであり、たんに自分の教養を肥やすためだけではないヒントもあるように読める。

 ぼくがもっとも興味深く読めたのは、警察の話である。これは新鮮な驚きだった。ジョーンズによれば、第一次大戦後のイギリスの警察は、自分らの労働条件に不満を抱き、労働党を支持し、政府に楯突く存在だったそうで、しかしその警察を政府への反対勢力を取り締まるための兵器に仕立て上げたのもサッチャーだった。デモがあればデモ隊を鎮圧する役目を引き受けるあの警察とは、サッチャーが作り上げたもののひとつだったのだ。サッチャーは公務員や労働者階級にむごたらしい仕打ちをしたが、警察には砂糖を与え、そして人員を増やし、みごとに手懐かせた。それは、警察が新自由主義を守るうえで重要な役割を担っていることを見越しての政策だった。

 しかしいまとなっては……たしかに、こんな文章を書いている人間は奇人であり、変わり者であり、アホであり、スマートではないマイナーな人間だと思わせてしまう世の中にしてしまえば、まあ、監視装置や対抗者撃退のために金をかけなくても済む。スリーフォード・モッズなんかのいうことはスルーして、口当たりのいい言葉をふるまうセレブの一挙手一投足に注目せよと。いや、こんなところまでジョーンズが言っているわけじゃないんだけれど。

 だが、しかし、新自由主義の勝者であるエスタブリッシュメントがメディアさえも我がモノにしたとき、もはや警察の力はかつてほど重要ではなくなった。もともと公的資金を福祉や公共事業につぎ込むくらいなら儲かる話に投資しようというのが新自由主義なので、さほど重要ではなくなった警察に対して冷淡になるのは必然といえば必然である。かくして人員削減がはじまり、民営化がはじまり、かつては激突していた労働者たちと同じ運命を彼らもたどるにいたり、そして2012年には警察のデモがはじまった。数年前までデモを包囲していた人間がデモをはじめたというわけだ。


 だれもがきつい思いをしているってことだ。右左関係なく、下の方にいる人間はきつい、『エスタブリッシュメント』を読みながらぼくが思ったのはそういうこと。ぼくはいま怒りのこもった初期のURが聴きたい。レゲエが聴きたい。パンクが聴きたい。スペシャルズが聴きたい。CRASSが聴きたい。底辺にいる人間の声が聴きたい。『エスタブリッシュメント』を読んでしまっては、そうするしかないだろう。マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』も同じようにイギリスにおいての新自由主義の行き着いた現在を描いているが、フィッシャーが思想ないしは文化批評ならこちらは直球の政治ジャーナリズムだ。

 で、結局のところ世界はエスタブリッシュメントにとって好都合にしかならないように動いていると。そうかもしれないが、歪みは見え軋みも聞こえはじめている。こうした流れをぼくたちなりに表現するためにも、たったいま、『別冊エレキング』臨時増刊号として「黄色いベスト運動」に関する一冊を作っている。3月末までには出る予定です。お楽しみに!

Bibio - ele-king

 2017年の暮れに美しいアンビエント・アルバムを送り出し、昨年はその続編となるEPを届けてくれたビビオが、突如新曲を発表しました。再生ボタンを押すと……あのギターリフです。ビビオです。と思いきやヴァイオリン。なんでも昨年弾きはじめたんだとか。アルバムごとにいろんなスタイルにチャレンジする彼のことだから、また何か考えていることがあるのかもしれませんね。そして前作とは関係のない新曲が公開されたってことは、ニュー・アルバムがリリースされる日も近い? 続報を待ちましょう。

Bibio

聴く者の記憶や、心に浮かぶ情景に寄り添う心温まるサウンドで支持を集めるビビオが新曲“Curls”をリリース!

『A Mineral Love』(2016年)ではグラミー賞アーティストのゴティエと共演をし、サカナクションの山口一郎やボーズ・オブ・カナダなどを筆頭に、国内外のアーティストから賞賛を集めるビビオ。聴く者の記憶や、心に浮かぶ情景に寄り添う心温まるサウンドで、幅広い音楽ファンから支持を集める彼が、新曲“Curls”を突如リリース!

https://www.youtube.com/watch?v=Vx9_FIIH-UM

僕の多くの歌やインストゥルメンタルの楽曲と同様に、この曲はギターのリフから始まる。そこから、去年始めたマンダリンとヴァイオリンで演奏した主旋律に繋がる。歌詞については、一見すると関係なく見えるけど、実は結びついている人生の小さな物事──異なる記憶の断片やこの目で観測したこと、そして空想──がインスピレーションになっている。ここ数年のことを振り返ってみると、自分にとって大切なもののいくつかは、日常の小さな観察や体験だと気づいた。木に染み付いた雨の匂いだったり、外から部屋に入ってきた人の髪の毛が持ち込んでくる新鮮な空気だったり。そういう瞬間は喜びに満ちているし、とても意義深いものだったりもする。人生がどんなものかってことや、生きることの意味、もしくは意味すら超えた何かだってことに気づかせてくれる。それはまた、歌詞を乗せた曲よりも、言葉を持たない曲の方が多くを語りかけてくれることに気づかせてくれる。そういう日々の瞬間が、生まれ持った資質や、野心的に物事を達成することよりも重要だったり、記憶に残ることもある。それは太古まで遡っても存在することだし、個人の心の中の世界を超えたものなんだ。こういった意識っていうのは恐らく何千年も昔から体験されてきたことなんだろうと思う。新鮮な空気以外にも世の中には素晴らしいものがたくさんあって、そういった存在を目の当たりにしたとき、人は幸せを感じることができる。だからこそ、日々の小さな物事が自分の心に響くし、それらを曲の中で歌うことは意味のあることなんだ。 ──スティーヴン・ウィルキンソン(Bibio)

新曲“Curls”は各種サービスにて配信中!

label: WARP RECORDS
artist: Bibio
title: Curls

iTunes: https://apple.co/2SvA9mS
Apple Music: https://apple.co/2DY6AlR
Spotify: https://spoti.fi/2WSHUTo

Beirut - ele-king

 タイトルの『ガリポリ』はガリポリの戦いで知られるトルコのガリポリ半島かと思っていたら、イタリア南部に位置する海沿いの街のことらしい。ガリポリに関する知識がまったくないのでグーグルの検索に入れてみる。美しい地中海沿いの風景、城塞都市であるという旧市街、美味しそうな地中海料理の写真。なるほど、行ってみたくなる場所だ。あるいは、『ガリポリ』のタイトル・トラックを聴いてみる。ベイルートらしい8分の6のゆったりしたリズムに合わせて叩かれる柔らかい太鼓の音、大らかなブラス・セクションとともに伸び伸びと歌うトランペット、ザック・コンドンのバリトン・ヴォイス。地中海の街に立つ即席の楽団を想像してみる。どちらのほうが僕たちはより豊かに「ガリポリ」を感じられるだろう?

 ベイルートことザック・コンドンの音楽に無条件で親近感を覚えてしまうのは、彼が映画館でアルバイトしていたときに観たエミール・クストリッツァの映画を観て東欧の音楽に興味を持ったエピソードのせいかもしれない。日本にもクストリッツァの映画の影響でバルカン音楽を好きになったという人間は多いが、つまり、コンドンの東ヨーロッパ音楽への関心はとても素朴な場所から始まっている。彼はその憧憬の純度を保ったままヨーロッパを旅し、そして自分の音楽にとても素直に取り入れた。それが素晴らしいはじめの2枚になる──僕のお気に入りは哀愁がとめどなく迸るセカンド・アルバム『ザ・フライング・カップ・クラブ』(2007)だ。その終わり3曲を聴けば、いつか東ヨーロッパを旅してみたいという気持ちが何度でも鮮やかに蘇る。
 『ガリポリ』は彼にとっての5枚めのアルバムで、注目されるトピックはふたつ。ひとつが初期2作の作曲に使ったファルフィッサのオルガンを再び使ったこと。もうひとつが、コンドンがニューヨークを離れ、ベルリンに居を移したことだ。レコーディングはイタリアでおこなわれたという。前者については、サウンド・アプローチを大きく変えた前作『ノー・ノー・ノー』(2015)から引き返しぐっと初期のムードに近づいた要因だと言えるだろう。もちろんコンドンは初期2作からアルバムを重ねるごとに音楽性の幅──取り入れるサウンドの地域性やリズムのボキャブラリーを増やしてきたので、この『ガリポリ』は12年前と比べて遥かに成熟したものであることは間違いない。が、どこかで初期のような衒いのない伸びやかさが感じられ、そのことがアルバムに再びフレッシュな風をもたらしている。
 そして後者について。ニューヨークを離れた理由として、コンドンはいわゆる「大統領」の問題やストレスフルな都市のムードに嫌気が差したからだと語っている。この2年ほどのアメリカの政治と社会の混乱はミュージシャンたちに様々な反応を促したが、ベイルートは文字通り逃げた。アメリカではない場所へ。そのことが結果として、ベイルートらしさ──自分が「住まなければならない」場所から音楽の想像力で羽ばたくこと──を充溢させることとなった。ふくよかな管楽器のアンサンブル、音色を変えていく多様なリズムによる舞踏感覚、鷹揚なメロディといくらかのペーソス。ポップなヴァラエティをアピールする前半もいいが、ベイルートの音楽性の奥行きを感じさせるのはB面に当たる曲群だ。リヴァーブのこもったビート・ボックスと控えめなコーラス、柔らかなトランペットが次第に華やかなオーケストラを導いてくる“Family Curse”。南米のリズム感覚とメロディが注がれた“Light in the Atoll”はベイルートとしては新鮮だし、あるいはぐっと抽象的なエモーションへと舵を切る“We Never Lived Here”の曖昧な悲しみは、増していく音の重なりとともにゆっくりと去っていく。

 その“We Never Lived Here”でコンドンは「僕たちはここに住んでいなかった」と歌うが、それは新たな土地へと降り立った心境とも取れるし、かつて住んでいた場所が自分の心を捕まえていなかったことの比喩とも取れる。それは、いま日本に「住まなければならない」僕たちにも共感できる引き裂かれた感情ではないだろうか。シンプルに、ここにいたくないという気持ち。この社会が自分たちの心を殺していくというような恐怖。“Family Curse(家族の呪い)”はコンドンの家系に多い精神疾患に対する恐怖心についてだそうだが、それはつまり、生まれ落ちた場所や状況に縛られるしかない閉塞感を指しているとも言える。
 だが、僕たちは本当はそれに縛られなくてもいい。ベイルートの音楽が、『ガリポリ』がそのことを僕たちに語りかけてくる。彼が主宰するアンサンブルはミスタッチやミストーン、すなわち人間による偶発的なエラーも許容しながらその瞬間瞬間を受け入れ、架空の旅を続ける。その「ワールド」の咀嚼が正確なものではないがゆえにこそ、想像はどこまでも広がっていく。翻って現在の国家は人間の移動を制限しようと必死だが、しかし本質的には何者もけっしてそれを押し留めることなどできない。かつてブルックリン・シーンの「非アメリカ」を体現していたザック・コンドンはアメリカを実際に脱出し、そして彼の音楽を聴く僕たちは移動し続ける音楽の自由を知っている。

interview with Phony Ppl - ele-king


Phony Ppl
mō'zā-ik.

300 Entertainment / Pヴァイン

SoulFunkHip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 現代の“What's Going On”──そう称されたのは2018年の優れたアルバムのひとつ、ジ・インターネットの『Hive Mind』で冒頭を飾る“Come Together”だった。かのLAのバンドは同曲で、われわれに衝突を強いてくるものについて歌っている。深刻な人種差別が続く合衆国の惨状は、いまなおアーティストたちを突き動かし続けているようだ。
 西海岸だけではない。東にもまたおなじ問題意識を共有するグループがいる。ブルックリンの新世代5人組ソウル・バンド、フォニー・ピープル。ジョーイ・バッドアスらの属するプロ・エラとともにビースト・コースト・ムーヴメントを盛り上げてきた彼らは、ジ・インターネットと同様、ことさらにポリティカルなバンドというわけではないけれど、彼らの新作『mō'zā-ik.』の最終曲“on everythinG iii love.”でもやはり、警察の暴力によって命を落としたアフリカ系たちのことが歌われている。
 おもしろいことにフォニー・ピープルの音楽は、言葉だけでなくそれを輝かせるサウンドのほうもまたマーヴィン・ゲイを想起させるところがある。ミーゴスの所属する〈300 Entertainment〉から発表された『mō'zā-ik.』にはマーヴィンやスティーヴィー・ワンダーといった70年代黄金期のソウル・ミュージックの真髄が見事に受け継がれているが、この殺伐とした現代、トラップのような音楽が猛威をふるういま、彼らはあえてかつての“古き良き”サウンドを信頼することで、改めてソウル・ミュージックのなんたるかを示そうとしているのかもしれない。
 では彼らにとってソウルとはいったいなんなのか? じっさいのところ彼らはどのような思いで『mō'zā-ik.』を作り上げたのか? ヴォーカルのエルビー、ギターのイライジャ、ベースのバリ、ドラムのマフュー、キイボードのエイシャ──大きな盛り上がりを見せた渋谷 WWW X での公演前日、バンド・メンバー全員が取材に応じてくれた。

人間が人生を歩むなかで経験するたとえばトラウマとか喪失感とか心の痛みとか失恋とか、あらゆる痛みを音楽として表現する。それがソウルだよ。

今回日本で『mō'zā-ik.』がCDリリースされますが、タイトルの綴りが特徴的ですよね。

エルビー(Elbee Thrie、ヴォーカル):音声記号(IPA)のとおりに書くとこうなるんだ。

そうしたのには何か特別な理由が?

エルビー:音声記号で書くとひとつひとつの文字にフォーカスできて、1文字ごとの意味が深くなると思ったんだよね。あと、ヴィジュアル面でもこっちのほうがきれいなんじゃないかなと。「モザイク(mosaic)」って本来は「c」で終わるんだけど、「k」にしている。発音記号だと子音が「k」の音だから、こういうスペルにしたんだ。グループ名の「Phony」も音声学(phonetics)と関連しているんだよね。サウンドを意味する「-phone」ともつうじるし。

曲名にはすべてピリオドがついていますよね。

エルビー:ピリオドは「この曲はここで終わっている」ということを示すために打っているんだ。それにも意味があるんだよ。

イニシャルでないところが大文字になっていたり。

イライジャ(Elijah Rawk、ギター):「G」はいつも大文字なんだ。

エルビー:子どものころ、ジュヴィナイルの“Ha”って曲がすごく大好きだったんだ。そのなかに、「ビッグ・Gならブロック・オン・ファイア(Big G, you got your block on fire)」という歌詞があってね。「ビッグ・G」だから、「G」は大文字。

では一人称の「I」が「iii」と三つになっているのは?

エルビー:ひとつの「I」のときと三つの「iii」のときがあるんだけど、ひとつの「I」はふつうの、「私はトイレに行きます」や「私はご飯を食べます」みたいな一人称なんだ。肉体的なものとしての自分を指すときはひとつの「I」。でも三つの「iii」は肉体的なものから離れて、もっとスピリチュアルな、精神的なものを表すときに使う。前世とか来世とかね。そういう自分の体を越えたものは三つにする。そこには肉体的なものも含まれてるんだけど、それを越えた自分まで含めて、ということだね。

先祖とか、そういうことではないんですよね。

エルビー:ノー。先祖ではなくて、自分が生まれるまえの前世とか、死んだあとの来世とか。それから、なぜいまここに自分がいるのかとか、そういう意味のときも三つ繋げてる。

そういったことを考えるようになったきっかけは?

エルビー:いまここにこうしてみんなが集まっているのは、ここに肉体があるということだけど……この考えは一日でできたものじゃなくて、人生を重ねるうちに認識していったアイディアなんだ。まだ自分のなかでもいろいろ問いかけている最中で……たとえば肉体はここにあるけど、魂みたいなものはもしかしたらべつのところにあるかもしれない。そういうことを人生を重ねていくなかで考えるようになったんだ。だからそういったことをテーマに歌詞を書いたりもしているよ。

サウンド面では、前作の『Yesterday's Tomorrow』の時点ですでに洗練されていましたけれど、新作の『mō'zā-ik.』はさらに洗練されているように感じました。

イライジャ:そういってもらえて嬉しいよ。

今回、音作りの面でもっとも意識したことはなんでしょう?

イライジャ:ファースト・アルバムを褒めてもらえてすごく嬉しいけど、じつはあれにはいろんなドラマがあって、さまざまなストレスや不安を抱えながら作ったアルバムだったんだ。あれは、それまでにあったものをぜんぶひとまとめにして出したものだから、その過程で辞めるメンバーもいたりして、「未来はどうなるんだろう」「自分たちはこれでいいのか」って、ものすごい不安を抱えながらリリースしたものだった。だから今回の『mō'zā-ik.』のほうがもっときちんとしていると思う。インフラも整っていたし、ツアーの回数も増えて、経験も積んで、メンバーも再調整されてね。あと、〈300 Entertainment〉と契約したこともすごく大きかった。システム化してもらえたからね。たとえば、あちこちでレコーディングするんじゃなくて、同じミキサーやエンジニアにやってもらえたりとかさ。1曲目の“Way Too Far”以外はどれも1年ぐらいかけて作った曲だから、すごく一貫性のあるアルバムなんだ。だから、今回のほうがより洗練されているっていうのはありえる話だね。

“somethinG about your love.”や“Move Her Mind.”といった曲にはロックからの影響が表れています。

イライジャ:子どもの頃からクラシック・ロックとかコンテンポラリー・ロックとか、ポップ・パンクを聴いて育ったからね。俺がこのバンドに貢献している部分があるとしたら、それはやっぱりロック的な要素だと思う。泥くさい音とか、汚い感じの音とか、「これ、ここには入らいないよね」みたいな音だから、メンバーのみんなはおもしろく思ってないかもしれないけど。だろ? エイシャ。

エイシャ(Aja Grant、キイボード):いや、俺もヤバい音は好きだよ!

イライジャ:そういうコントラストが生まれるからこそおもしろいと思っている。このバンドはすごく極端なものを持ってきてくれるんだ。3曲目の“somethinG about your love.”は最近書いた曲じゃなくて、前回のアルバムよりもまえに書いた曲なんだけど、時間をかけてどんどん前進していって、いまのような曲になった。8曲目の“Move Her Mind.”のほうはすごくアグレッシヴな、直球でパンチを食らうような曲で、スタートからいきなり迫力がある。“Move Her Mind.”は70年代のロックから影響を受けた曲なんだ。当時のロックはすごく多岐にわたる音楽性を持っていたと思う。R&Bやソウル出身のキイボーディストとかギタリストがいておもしろかったよね。そういうところから影響を受けて書いた曲なんだよ。で、スタジオで一気に録音した。エルビーの自宅の地下で、メンバーそれぞれが楽器を持って、一発録りしたんだ。

70年代のロックという話が出ましたが、アルバム全体としてはマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーのような、70年代のソウルの遺産が良いかたちで受け継がれていると感じました。トラップ全盛のいま、このようなスタイルのソウルをやろうと思ったのはなぜですか?

バリ(Bari Bass、ベース):もちろん、いまどういうものが流行っているかとか、トラップのような方向性は知っている。それはアルバムのレコーディング中も把握してた。でも、いま世の中で起きていることとは違うエネルギーをあえて持ってくることで、新しいこと、違うことに挑戦して、より多岐にわたる音楽を作ったほうがリスナーにチャレンジできるんじゃないかと思ったんだ。ただじつは、トラップから影響を受けて書いた曲も今回のアルバムには入っているんだよ。だから、トラップの領域も知っているけど、もっと違うものを作りたかったし、結果としてそれをうまく表現できたと思ってる。

エルビー:えーっと、バリが言ったこととは違う話になってしまうけど……バリはリスナーにチャレンジしたかったって言ったけど、必ずしもそういうわけじゃなくて、僕らがそれぞれ楽器を持つと、リスナーのことは意識しないで自然に、やりたいように演奏するから、すごくオーガニックになったんだ。

バリ:俺が言っていることと違ってくるからまずいって!

エイシャ:まあ、そういった細かいところまでは話さなかったよな。『mō'zā-ik.』に収録されている曲は何年もライヴで演奏してきたんだ。とくにニューヨークのブルーノートでね。レジデンシーをもらえたのはすごくラッキーだった。そこで演奏することによってレスポンスが得られたからね。「ここはもうちょっと変えよう」とか「これは引き算しよう」とか、ライヴで得られるものが大きかった。曲ってその時代のスナップショットみたいなものだから、俺たちの代表曲“Why iii Love The Moon”も、いま演奏しているものは、かつて演奏していたものとまた変わってくるよね。

ちょっと水を買いに近くの店まで行ってそのまま戻ってこられなかったりとか、家族が仕事へ行って「帰ってこないな」と思ったら突然殺されていて、今日が最後だったなんてこともありえる時代になってきている。

去年はXXXテンタシオンの殺害が大きな話題になりましたけれど、いまのヒップホップにはある種の過剰さ、「いっちゃうところまでいっちゃう」みたいな状況があるように思います。いまのヒップホップに問題があるとすれば、それはなんだと思いますか?

イライジャ:エゴじゃないかな。

マフュー(Matt "Maffyuu" Byas、ドラム):ドラッグも大きな問題じゃないかな。ドラッグを神格化するというか、そういうことをかっこいいことみたいに持ち上げるのは良くないと思う。

エイシャ:個人的にドクター・ドレーは好きなんだけど、でも、まるで水を飲むようにドラッグを自分たちの音楽と関連づけているヒップホップ・アーティストを見ていると、ヒップホップっていま若い世代にもっとも影響力があるから、すごく汚染しているな、ダメにしているな、って残念に思うね。

エルビー:いまのヒップホップが抱えている問題は、ずっとヒップホップのスターの座にいる人たち、スター級のアーティストたちが、それが永遠に続くと思って、ほかのアーティストにたいして失礼だったり「何を言ってもいい」みたいな、そういう風潮があることだね。ある日突然環境がガラッと変わることだってあるんだから、それはどうなのかなって。態度が失礼っていうのも問題のひとつだと思う。

今回のアルバムの最終曲“on everythinG iii love.”では、警察の暴力で命を落とした黒人のことが歌われていますね*。

エルビー: 最近は減るどころかずっと増えている。

マフュー:ここでは三つの「iii」を使っている。肉体から離れた、魂の話をしているからね。

エルビー:僕は基本的にテレビを観ないんだけど、たまにテレビをつけると毎回と言っていいほど、黒人が警察に射殺されただとか、少年が警察官に間違えて殺されただとか、そんなニュースばっかりでうんざりする。それはもちろん僕らの知らない人たちだけれど、でももしかしたら自分たちもちょっと水を買いに近くの店まで行ってそのまま戻ってこられなかったりとか、家族が仕事へ行って「帰ってこないな」と思ったら突然殺されていて、今日が最後だったなんてこともありえる時代になってきている。人種差別をするのはほんっとうにばかげたことだと思う。だから、自分たちでも何かを訴えたいと思ってこの曲を書いたんだ。自分たちはみずから選んでこういう肌で生まれてきたわけではないし、いや、もちろん黒人として生まれてきたことはものすごく誇りに思っているし、それは嬉しいことなんだけど、でもなんで肌の色でこうやって罰せられなくちゃいけないのか、って。

マフュー:撃った側の警察官は刑務所に入ることもなく、ちゃんと給料も支払われる。本来であれば僕たちを守るべき仕事に就いている人なのに、黒人の少年を殺したことで給料をもらえて、裁判があったら必ず勝ってしまう。ありえないなと思う。

* 取材後にエルビーが語ってくれた説明によれば、黒人の主人公が殺された事件の裁判に、本人の魂が現れる。その魂は天井から裁判を見守るが、その主人公を射殺した白人は結局無罪になる。判決にがっかりした主人公が「あぁ、俺は弔いの言葉さえかけてもらえなかった。それなら自分で自分を“安らかに眠れ(Rest In Peace)”と弔おう」とする内容(湯山)。

おばあちゃんの家へ行ったら、そこでおばあちゃんがソウルフードを作ってくれる、その音楽版みたいな感じかな。それがソウル・ミュージック。

あなたたちはジョーイ・バッドアスのプロ・エラと一緒にビースト・コースト・ムーヴメントを牽引していましたよね。ニューヨークのヒップホップだけが持つ特性はなんだと思いますか?

イライジャ:ニューヨークの音楽ってすごく変わってるんだ。一時期は見失っていた時期もあるけどね。いまはエイ・ブギー(A Boogie)とかシックスナイン(6ix9ine)とか、新しいアーティストがでてきた。ニューヨークのプロデューサーが集まるようなスタジオもできた。ニューヨークではいまプロ・エラは大きな存在だよね。お互い助け合って、ニューヨークの音楽を全体的に盛り上げることに貢献している。ヒップホップだけじゃなくて、もっと大きな意味でもね。ニューヨークはすごく幅が広くて多岐にわたる音楽を扱っているから、そこが魅力なんじゃないかな。ありえないぐらい表現力豊か、それがニューヨークの魅力だと思う。

同じくビースト・コースト運動をやっていたジ・アンダーアチーヴァーズはLAの〈Brainfeeder〉からもリリースしています。LAのシーンについてどう見ていますか?

イライジャ:フライング・ロータス!

マフュー:LAのヒップホップって、ケンドリック・ラマーとかブルーフェイスとかジ・インターネットとかがいるけど、ニューヨークと違って天気が良いから、太陽を浴びてすごく自由な感じだよね。もちろんダーティでヴァイオレントなものもあるけど、ダンス的な要素があったり楽しい音楽がある。タイラー・ザ・クリエイターとか。あとはすごく結束力があるよね。

「西のジ・インターネット、東のフォニー・ピープル」と言われることについてはどう思います?

イライジャ:会った瞬間から気の合う人たちだったよ。すごく良いエネルギーを感じるし、お互い助け合っている。応援し合っているよ。東西を行き来して自宅へ遊びに行ったりとか、すごく仲が良いんだ。あと黒人バンドということで、そういう意味でも応援しあっている。

バンドであることの良い点と悪い点はなんでしょう。

イライジャ:唯一悪い点があるとすれば、パーソナルな、プライヴェイトな計画がうまく立てられないことだね。ライヴがあるから、一週間前とかにならないと先のことがわからないし。たとえば最近母親の結婚式があったんだけど、ライヴの予定が入っちゃって。逆にバンドの良いところは、音楽的な面でお互い助け合えることだな。友人というよりは兄弟って感じ。たとえば曲を書いていてライターズ・ブロックにぶつかって、この先どうしようなんて思ったときも、誰かに相談すると会話から何か新しいものが生まれてくる。ひとりじゃないということが大きいね。

バリ:難しいのは、すごく民主的なバンドでみんなの意見を反映させているから、判断するプロセスが非常に難しいんだけど、ひとつ決まるとびしっと協力しあって、結束力が固いところは良い点かな。

メインストリームで成功することについてどう考えていますか? それを目標にすることもある?

イライジャ:そうだね、もちろんメインストリームを目指したいんだけど、バランスが重要だよね。そもそも自分はなぜ音楽をやっているのかっていうのを考えると、全員に気に入ってもらえるポップ・ソングを作るためにやっているわけではないから。

あなたたちにとって「ソウル」とはなんでしょう?

エルビー:ソウル・ミュージックというのは、歌詞の内容がわからなくても、たとえばポルトガル語だとか日本語だとか、英語だとわからなくても、言語がわからなくても、心ですごく感じるものなんだよね。

バリ:そもそも自分たちはフォニー・ピープルをブルックリンで、DIYスタイルで作ってきたわけだ。手作り感があったんだ。「ここブルックリンでソウルを作ろうぜ」っていう形からできあがってきた純粋なエネルギー、自分たちのなかにあるものをぜんぶ出しきったもの、それがソウルなんだ。リスナーにはそれを感じてほしい。

イライジャ:ソウル・ミュージックは、人間が人生を歩むなかで経験するたとえばトラウマとか喪失感とか心の痛みとか失恋とか、あらゆる痛みを音楽として表現する。それがソウルだよ。

マフュー:言葉にするのはとても難しいんだけど、子どものころからソウルを聴きながら育ってきたから、フィーリングがすごく伝わってくる。ソウルを聴くと身体が温かくなる。それがソウル・ミュージックだね。

エイシャ:みんながいろいろ言っちゃったからもう出つくしちゃったけど(笑)、ひとつ言えるのは、黒人の音楽であるということ。おばあちゃんの家へ行ったら、そこでおばあちゃんがソウルフードを作ってくれる、その音楽版みたいな感じかな。すごくノスタルジアを感じるもので、たとえばみんながソウルを聴きながら踊りだしたりね。それがソウル・ミュージック。自分の魂から何かを表現するときの音楽。まあ魂から表現するということは他のジャンルにも言えるけど、特に黒人音楽のソウル・ミュージックにかんしてはそれがすごくあると思うね。


マデイラディグ実験音楽フェスティヴァル - ele-king

「あんなに楽しいフェスは経験したことがなかった。だからフェスが嫌いなひとのために、自分でもやってみようと思ったんだ」

 ポルトガルのマデイラ島で開催されている、マデイラディグ実験音楽フェスティヴァルのオーガナイズ・リーダーであるマイケル・ローゼンは、大西洋を見晴らす崖に面したホテルのバーのバルコニーに座っている。雨と汗と泥にまみれた、よくあるフェスの体験からは数百マイルも隔たった雰囲気がそこにはある。というかその雰囲気は、ほかのどんな場所にも似ていないものだ。
 フェスの来場者の大半が滞在する小さな町ポンタ・ド・ソルは、高く深い谷の上に位置している。フェスの運営を取り仕切るメインとなる中継地点であるホテル、エスタラージェン・ダ・ポンタ・ド・ソルはとくに素晴らしく、まるで崖沿いを切りだしたようにして作られていて、海に沿った通りからはただ、崖の岩肌を上に向かってホテルへと至る、すっきりとした作りのコンクリート製のエレヴェーターだけが見えている。

 エスタラージェンでのアフター・パーティーや毎晩行われるライヴはあるが、フェスのメインとなるプログラムは、ホテルから車ですこし移動したところにあるアート・センターで行われる、午後の二つのショーのみである。

 ローゼンは次のように述べている。「毎日たくさんのパフォーマンスが行われるフェスが好きじゃないんだ。テントを張って、雨が降って、人混みに囲まれてっていうやつがね。僕らが借りている会場のキャパは200人くらいで、それがちょうどホテルが受けいれられる上限でもあるから、そのくらいが集客の上限なんだよ」

 フェスは金曜の夜、ポルトガルのサウンド・アーティスト、ルイ・P・アンドラーデ&アイレス[Rui P. Andrade & Aires]によるアンビエント・セットとともに開幕し、アナーキーで混沌としたフィンランドのデュオ、アムネジア・スキャナー[Amnesia Scanner]によるデス・ディスコがそれに続く。マデイラディグのプログラムはみな、多くの人が実験音楽と理解しているものの元にゆるやかに収まる音楽ばかりなわけだが、主催者側がはっきりと意図して普通とは異なったアプローチを見せているこの組みあわせ方によって、2組のアーティストのあいだにある違いが強調されることになっている。


アナ・ダ・シルヴァとフュー

 日曜日の夜は、不気味さや打楽器のような調子や、美しさや激しさのあいだで移り変わっていく自らの演奏から生みだされるループによって音楽を構築する、ポーランドのチェリスト、レジーナ[Resina]の演奏とともに始まる。彼女の演奏は、つねに変化するアニメーションによるコラージュや、戦争の映像、自然や文明や、コミュニケーションやテクノロジーといったものの相互の関係を映しだすヴィデオの上映を背景して行われる。コミュニケーションというテーマは、より遊び心に満ちたものとして、ただ一つのテーブル・ランプに照らしだされた多くの電子機材を前に演奏される、アナ・ダ・シルヴァ[Ana da Silva]とフュー[Phew]による、めまぐるしい展開によって方向感覚を狂わせるようなライヴのなかでも取りあげられている。参加したアーティストのなかで、フェスの開催日に到着したフューはもっとも遠くからやってきている人物だが、その一方でダ・シルヴァは、生まれ育った島に戻ってくるかたちとなっている。2人のアーティストのあいだにあるこのコントラストは、それぞれの言語を使い、ひとつひとつの言葉にたいし、ユニークかつときに不協和音的な解釈を与えている彼女たちのパフォーマンスそのもののなかにも、はっきりとその姿を見せているものだ。演奏のある地点で彼女たちは、曲間のおしゃべりの一部分を取りあげてループさせ、それをパフォーマンスのなかに組みこむことで、ライヴのもつ遊び心に満ちた親密な性格を強調している。

 ローゼンは、そうした彼女たちのライヴを生む根底にある自身の哲学を次のように説明している。「普通では一緒に見ることのないような二組のアーティストに同じ舞台に上がってもらうんだ。まったく異なっているように見えながら、だけど質の部分で繋がっているアーティストにね」

 こうしたアプローチは、ドイツのクラブ「キエツザロン」[Kiezsalon]で彼がオーガナイズしているイヴェントにも見られるもので、マデイラディグについて理解するためには、多少ベルリンのことについて触れておく必要がある。というのも、ローゼン以外のオーガナイザーだけではなく、オーディエンスの大半もその街からやってきているからだ。

 ローゼンはベルリンのシーンを退屈でバラバラなままの状態だと述べている。いわくそこには、すでに存在しているオーディエンスに媚びたありきたりなイヴェントばかりがあり、結果として、シーンやジャンルを分断する区別を強化することになっているのだという。オーストリアを拠点にしたスロバニアのミュージシャンであるマヤ・オソイニク[Maja Osojnik]もやはりこの点を繰りかえし、彼女が暮らしているウィーンも同じように、まれに土着的な「ヴィーナーリート」[Wienerlied]という民謡の一種がジャンルを横断した影響を見せているくらいで、パンクがあり実験的な音楽があるというかたちで、内部での音楽シーンの分断という状況にあると述べている。東京のインディーでアンダーグラウンドなシーンのなかに深くかかわっている人たちもきっと、すぐに同じような状況に思いあたることだろう。


マヤ・オソイニク

 マヤ・オソイニクは、パリを拠点としたカナダのミュージシャンであるエリック・シュノー[Eric Chenaux]による、キャプテン・ビーフハートの経由したニック・ドレイクといった雰囲気のジャズ・フォークの後に続いて、金曜日の夜の最後に出演した。シュノーの演奏が、いったん心地よく美しく伝統的な音楽的発想を取りあげ、それをさまざまなかたちで逸脱させていくことによって特徴づけられるものであるのにたいし、オソイニクの音楽は、不協和音の生みだすことを恐れることなくさまざまな要素を重ねていき、そのすべてが、彼女がときに「ディストピア的な日記」と呼ぶ、音によるひとつの物語をかたちづくるものにしている。全体の雰囲気や演奏に通底する低音やパルス音は、催眠的でインダストリアルな高まりを見せ、オソイニクのヴォーカルは、豊かな抑揚をもった中世の歌曲からポストパンクの熱を帯びた怒りまで、自在に変化していくものとなっている。


エリック・シュノー

 後に彼女と話したさいオソイニクは、同時代の音楽からの影響ももちろんあるが、古典的な音楽教育を受けてきのだという事実を明かしてくれた。一三〇〇年代にフランスのアヴィニオンに捕囚されていた教皇たちのためだけに作曲された、あまり知られていない音楽に興味があるのだと、興奮気味に彼女はいう。自身が受けてきた折衷的で渦を巻くような影響にかんして彼女は、次のように述べている。「いろんな音楽をアカデミックに学んでみた結果、そこには多くの並行性があることに気づいたんです。たしかに規則は違うし、アプローチも違う、根底にある美学も違っていますが、同じ鼓動が感じられるときがあるんです」

 シュノーとオソイニクが共有しているのは、二組のライヴがともにどこかで、人間は複雑で、つねに仲良く議論しているわけではないのだという事実を感じさせるものだという点にある。したがってオーディエンスにたいするメッセージは、オソイニクがいうとおり、「目を覚ますこと。受けとるだけでいるのをやめて、探すことをはじめること」にあるのだといえる。

 マデイラディグは、多くの点で伝統的な音楽フェスと異なるものとなっているわけだが、一方でそれは、参加する者たちのなかに普通とは異なる現実を創造するというその一点において、真の意味で伝統的なフェスティヴァルといえるものとなっている。フェスの初日の時点では、どこか気後れしたような初参加者と毎年参加しているヴェテランのあいだに目に見えるはっきりとした違いがあったが、フェスのオーガナイズの仕方によって、そこにはすぐに、その場にいる人間たちによる共同体の感覚が育まれることとなっていた。イベントの後の食事やエスタラージェン・ダ・ポンタ・ド・ソルでのアフター・パーティーは、交流の機会となり、毎回あるメイン会場への車での移動が、参加者をひとつにすることを促している。日中に辺りの自然のなかや最寄りの大きな町であるファンシャルへ旅することは二重の意味をもっていて、参加者がひとつのグループとして絆を深める機会となっていると同時に、イヴェントの会場でもあるホテルの盛りあがりからの息抜きとしても機能している。

 またマデイラ島は並外れて美しい島であると同時に、不思議なことにどこかで日本に似たところもある場所だといえる。通りに沿ってその島を旅していると、山がちな景色が必然的にトンネルのなかを多く通ることを強いてくるわけだが、気がつけばやがて古い通りに出て、島がその本当の姿を見せてくる。そこには雲を突きぬけ緑で覆われた、ぐっと力強く迫りだしている火山の多い地形があり、谷に沿って並ぶ家々や急な勾配に沿った畑があり、浅くコンクリートで舗装されれ、海まで続く川が見られる。海を見張らしながら、古い時代の商人たちが登った道のひとつを登っていたとき、ポルトガルの現地スタッフのひとりが、「この景色を見るためには、ここまで登ってこなきゃいけないんですよ」と述べていた。

 美しさを見いだすためには努力が必要だというこの発想は、風景についてだけではなく、音楽についても当てはまるものだろう。フェスの最終日は、カナダのアーティストであるジェシカ・モス[Jessica Moss]による繊細で複雑なヴァイオリンの演奏とともに始まる。彼女はマデイラディグに参加する多くのアーティスト同様、ループによってレイヤーを生みだし、自らの音楽のなかにテクスチャーとパターン(そしてパターン内部におけるパターン)を作りだしている。その後に続くのは、デンマークのデュオであるダミアン・ドゥブロヴニク[Damien Dubrovnik]によるハーシュ・ノイズの荒々しい音である。彼らはまるでモルモン教徒の制服のモデルのような出で立ちでステージに上がり、会場を音による恐怖で連打していく。


ダミアン・ドゥブロヴニク

 マデイラディグは間違いなく、オーディエンスにたいし、このフェスがステージ上で生みだそうとする美のために協力するように求めているのだといえるが、一般的にいって実験音楽にかんするイヴェントや、とくに遠方からの参加を前提とした特殊なフェスには、参加を阻む誤った種類の障害を設けてしまうという危険性が存在しているものである。すぐに思い当たることだが、日本で行われる同様のイベントは、全員ではないにしろ、多くの熱心なファンには厳しい金額が参加費として設定されているし、結果としてそのことが、音楽シーンの断片化を助長し、多くの地方都市における文化の空洞化に繋がることとなってしまっている。
 マデイラディグの参加費は目をみはるほど安い(チケットの料金は4日間で8000円ほどであり、ホテルの価格も納得のいく範囲に維持されている)。だがいずれにしてもそれは、もっぱら市場の情けによって生き残っているだけであるヨーロッパのアートを手助けしている、ファウンディング・モデルなしには機能しなかったものだといえるだろう。ローゼンはこうした状況を自覚したうえで、それでもやはり、難解で聞きなれないような音楽を集めるイヴェントは、可能なかぎりアクセスしやすいものではくてはならないという点にこだわる。

 「音楽にかかわりのないような人にも届いてほしいと思っているんだ」。「ホテルの予約間違い」でフェスを知り、結果として、いまでは毎年参加しているベルギーのカップルの話をしながら、ローゼンはそんなふうにいう。

 「文化を近づきやすいものにしたい。これは音楽だけじゃなく、文学でも哲学でも何でもそうであるべきだと思う。誰もが参加できるファンドによるフェス、政府から資金を引きだすフェスというかたちで、僕はそれを立証しているんだよ」

https://digitalinberlin.eu/program2018/

Madeiradig experimental music festival
November 30 (Fri) to December 3 (Mon)

by Ian F. Martin

“I've never been a fan of festivals, so I wanted to make one for people who don't like festivals.”

Michael Rosen, the lead organiser of the Madeiradig experimental music festival on the Portuguese island of Madeira, is sitting on the balcony of a hotel bar, situated on a cliffside overlooking the Atlantic Ocean. It feels a million miles from a typical festival experience, drenched in a cocktail of rain, sweat and mud. It feels a million miles from anywhere.

The village of Ponta do Sol, where most of the festival guests stay, nestles in the mouth of a tall, deep valley. The main organisational hub of the festival's activities, the hotel Estalagem da Ponta do Sol, is a particularly striking, looking almost as if it has been carved out of the cliffsides, visible from the road only by the thin, concrete elevator shaft that rises skywards out of the rock towards the hotel proper.

The main festival programme is limited to two shows an evening, held at an arts centre a short coach ride away, while the Estalagem hosts after-parties with DJs and live acts into the morning every night.

“I don't like festivals where there are lots of performances every day – all the tents, rain, crowds,” explains Rosen, “The capacity of the auditorium we use is about 200 people, which is also all the hotels in Ponta do Sol can accommodate, so that’s the audience limit.”

The opening Friday night of the festival opens with a spacious, ambient set by Portuguese sound artists Rui P. Andrade & Aires, which is followed by the anarchic, chaotic death disco of Finnish duo Amnesia Scanner. While Madeiradig’s programme all falls loosely under what most people would understand as experimental music, it’s clear through the choices of pairings that the organisers are keen to see different approaches rub up against each other.

Saturday night opens with Polish cellist Resina, whose music builds around loops that draw from her instrument sounds variously eerie, percussive, beautiful and harsh. Set against this are video projections featuring an ever-shifting collage of animations and images exploring subjects such as war and the relationship between nature, civilisation, communication and technology. The theme of communication recurs more playfully in the lively and disorientating set by Ana da Silva and Phew, performing behind masses of electronic equipment and lit intimately by a single table lamp. Of all the artists at the festival, Phew has travelled by far the furthest to be there, having arrived from Japan on the first day, while da Silva is revisiting the island where she was born. This contrast between the two performers informs the performance, with each member delivering their vocals in the other’s language, adding their own unique and sometimes dissonant takes on the words. At one point, they pick up and loop what seem to be snatches of inter-song backchat and integrate that into the performance, reiterating the playful and intimate nature of the set.

Rosen explains his philosophy as being based on, “Placing two artists on the same stage who you wouldn’t normally see together. Artists who are connected in terms of quality, but nonetheless quite different.”

It's an approach that he follows with the “Kiezsalon” events he organises in Berlin as well, and in understanding Madeiradig, we really need to talk a bit about Berlin, since that's where not only othe organisers but the vast majority of the audience come from.

Rosen describes the scene in Berlin as boring and fragmented, with events typically pandering to existing audiences, in the process reinforcing the divisions that separate scenes and genres. Austrian-based Slovenian musician Maja Osojnik echoes the point, saying that her adopted hometown of Vienna suffers from similar internal divisions in the music scene, with punk, experimental and the unique local “Wienerlied” folk style rarely interacting. Anyone who has spent much time immersed in the Tokyo indie and underground music scene will find their complaints immediately familiar.

Maya Osojnik closed Sunday night after the rhythmically dislocated Nick Drake-via-Captain Beefheart jazz-folk of Paris-based Canadian musician Eric Chenaux. While Chenaux’ set was characterised by the way he would take conventionally pretty or beautiful musical ideas and then investigate multiply ways of knocking them off centre, Osojni's music layers element over element, not shying away from dissonance, but bringing them all together in the service of a single sonic narrative – what she sometimes calles a “dystopic diary”. Tones, drones and pulses build up to a hypnotic, industrial crescendo, Osojnik’s vocals ranging from richly intoned, almost medieval sounding singing to haranguing postpunk rage.

Speaking to her later, she reveals that, despite her more contemporary influences, she was classically trained and she talks excitedly about her interest in obscure music composed only for the exiled popes of the French town of Avignon in the 1300s. She explains her music's eclectic swirl of influences, saying, “Studying all this music academically made me realise that there were many parallels. There are different rules, different approaches, different aesthetics, but you can find the same heartbeat.”

Where Chenaux and Osojnik are perhaps similar is that their sets both feel in some way like people having complex and not always friendly discussions with themselves. The challenge to the audience is, as Osojnik puts it, “To wake up. To stop receiving and start seeking.”

Despite the many ways Madeiradig diverges from a traditional music festival, one way it is a traditional festival in a very real sense is in the way it creates a kind of alternate reality around its attendees. On the first day, there is a visible division between the rather intimidated-looking first-timers and the veterans who return every year, but the way the festival is organised very quickly fosters a sense of community among those present. Post-event food and after-party entertainment at the Estalagem da Ponta do Sol give us opportunities to interact, while the ritual of the coach trip to the main venue regularly hustles everyone together. During the daytime, trips into the countryside and the main town of Funchal served the dual purpose of giving us chance to bond as a group and at the same time breaking us out of the hotel-venue bubble.

And it has to be said that Madeira is an extraordinarily beautiful island, but also one in some ways strangely reminiscent of Japan. Travelling around it by road, the mountainous landscape means that you spend a lot of your time in tunnels, but finally finding our way out onto the old roads, the island’s real form revealed itself, the volcanic topography thrusting aggressively skyward, piercing the clouds, swaddled in thick vegetation, houses clinging to valleysides and farmland carved out of steep slopes, shallow, concrete-lined rivers racing seaward. Hiking along one of the crumbling ancient merchants’ roads, overlooking the ocean, one of the local Portuguese staff remarked that, “To get this beauty, you have to work for it.”

The idea that to find beauty requires effort feels just as appropriate to music as it does to a landscape. The closing night of the festival opens with the fragile, fractal violin of Canadian artist Jessica Moss, who, like many artists at Madeiradig uses loops to build layers, textures and patterns (and patterns within patterns) in her music. She is followed by a raw blast of harsh noise, delivered by Danish duo Damien Dubrovnik, who stalk the stage like models from a Mormon menswear catalogue, pummeling the theatre with sonic terror.

While Madeiradig undoubtedly wants its audience to work for the beauty it gives a stage to, there is always a danger with experimental music events in general, and exotic “destination festivals” in particular, that they put up the wrong kinds of barriers to participation. It's easy to imagine a similar event in Japan being priced far out of the ability of any but the most dedicated fans to access, and that in turn feeds the fragmentation of the music scene and contributes to the cultural hollowing-out of much of rural Japan.

Madeiradig is remarkably cheap (a festival ticket costs about ¥8,000 for four days, and the hotels are also kept very reasonable) and I don't think it's unfair to say that it would never be able to function without the arts funding model that ensures European arts aren't left solely at the mercy of the market. Rosen is aware of this situation, and adamant that an event offering difficult or unusual music needs to be as accessible as possible.

“I want to reach people who have nothing to do with music,” he explains, recounting the story of a couple from Belgium who discovered the festival because of “a booking mistake” and ended up returning every year.

“I want to make culture accessible, and this should be true not just for music but also literature, philosophy, anything,” he continues, “I make a point that at a funded festival – one that’s getting money from the government – anyone should be able to go.”

Bbno$ - ele-king

 カナダでファーウェイのモン副社長が拘束された後、カナダ資本のショップが中国での開店時期を遅らせるなど両国の関係悪化が懸念されたりもしたけれど、ヴァンクーヴァーのラッパー、ベイビーノーマニー(BabyNoMoney)ことアレキサンダー・グムチアンはむしろ中国だけで大スターになっている。中国初の少年アイドル、TFボーイズのメンバーが彼の曲で踊っているヴィデオをソーシャル・メディアにアップしたらしく、一気に彼の名が知れ渡たったため、中国に行けば地元でもやったことがないような大きな会場でライヴをやるようになったのだという。流行りのサウンドクラウド・ラッパーとして知られるグムチアンの曲をTFボーイズがどうやって見つけたかは謎だけれど、おそらくはまだグムチアンがトラップをコピーしていた時期のものを材料に「ハーレム・シェイク」のマネでもしようと思っただけなのだろう。グムチアンがトラップにこだわっていた時期は2年ほどで、今年に入ってリリースされた『Recess』でも最後の1曲だけはトラップを引きずっているものの、すでに彼はそこから大きく飛躍してしまった。

 音楽に出会ったのは背中を折ったことがきっかけだったというグムチアンはブローク・ボーイ・ギャングというクルーとして活動を開始し、すぐにもひとりになってしまったにもかかわらず、2016年が終わる頃にはとにかく曲を量産し、片端からサウンドクラウドにアップしまくったという。スーサイド・ボーイズやポウヤなどがインスピレーションだったというわりには明るい曲調が多く、実際、それは彼の信条でもあるらしく、『Recess(=凸)』でもリリックのほとんどは自分がいかに成功し、人々に感謝しているかということで占められている。そして、現在でも大学に在籍している彼は背中を折ったことで興味を持った運動学などを専攻しつつ、ラッパーらしくなくありたいという動機から大学の学位を持ったラッパーを目指しているという。そう、汚い言葉を多用し、典型的なマンブル・ラップにもにもかかわらずいわゆるマンブル・ラップにありがちなリリックから遠ざかることも意識的なら、そうした姿勢に導かれたのだろう、『Recess』というアルバムはサウンド的にもあまり聴いたことがない領域へと踏み込んだヒップホップ・アルバムとなった。ひと言でいえばワールド・ミュージックとヒップホップを不可分なものとして結びつけ、それはかつてネプチューンズが試みたポリリズムを飛び石的に受け継ぎ、躍動感を削ぎ落としたものといえる。USメインストリームよりもイキノックスやダブ・フィジックスといった最近のUKモードに近いビート感。実にリラックスしていて、ファティマ・アル・ケイディリとかウエイトレスの流れと結びついたら面白そうなんだけど。

 ワールド・ミュージックと接点を持ったのはサウンドクラウドをたどっていくと、グレイヴス“Meta”にフィーチャーされた時が最初だったのかなあと思う。兆候などというものを探し始めると限りなく存在する参照点に振り回されるだけかもしれないけれど、次にピンときたのは昨年アップされていた“Who Dat Boi”。民族楽器に特有の高音がループされ、明らかに原型はここから始まっている。共にレントラ(Lentra)のプロデュースとなる“tony thot”や“Moves”などがこれに続き、それらとはやや趣向を変えた“Opus”がウェブ上では初のブレイクスルーになったとされている。つまり、この段階ではまだ方向性は厳密に定まっていなかったということで、“Opus”を含む「BB Steps」EPは実にヴァラエティ豊かな内容でもあった。しかし、ソー・ロキとの「Whatever」EPを挟んでリリースされた『Recess』は11曲中8曲でレントラとタッグを組み、完全にサウンド・イメージをひとつに固めている。こういう人は次でまったく違うことをやりそうなので、この先も楽しめるかは未知数だけれど、しばらくこの路線にこだわってくれないかなあと。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495