「Low」と一致するもの

vol.55:素晴らしき新生ディアハンター - ele-king

 ディアハンターは、ジョージア州、アトランタのバンドなのだが、何かとニューヨークのイメージがある。ニューヨークでレコーディングしたり、レコード・レーベルがニューヨークだからだろうが、その第二の故郷で9月の半ば、3日連続ショー(全てソールドアウト)をおこなった。
 ジョージア州に縁のある著者なので、軽い気持ちで、1日目(ミュージック・ホール・オブ・ウィリアムスバーグ)を見にいったが、余りにも印象に残ったので、最終日(ウエブスター・ホールも見にいった。
 1日目はノイズ/エクスペリメンタル、最終日は歌もの中心で、最新アルバム「モノマニア」だけでなく昔のアルバム、EPからのヒット曲をミックスした。バンドの多様性がうかがえる。ブラッドフォード・コックスは、1日目はパンク少年、3日目はヒョウ柄のワンピース(黒髪ウイッグ付き)。以前は、ジョーイ・ラモーンの格好で登場したり、指に包帯を巻いたり、彼のコスプレも期待を裏切らない。
 ディアハンターから想像できるプレゼンテーション(ライトショー、ノイズフリーク)他に、驚いたのは超自然なバンド演奏。メンバー・チェンジを経て5人組になったのだが、レコードをそのまま演奏するのではなく、曲と曲との転換、繋がり、間、フェイドアウト/インなどで全ての曲に新しい命が吹き込まれていた。
 ほとんどMCはない。毎日セットは違うが、バンド演奏力のタイトさは極まっている。ブラッドフォードの、フリーキーなヴォーカルと対象に、ギタリストのロッケットがヴォーカルを取る"デザイヤー・ラインズ"では、バンドの温度を良い具合に下げ、"モノマニア"のノイズ・フリークが続いた後に来る"トワイライト・アット・カーボンレイク"のドラマチックな導入など、全体バランスも美しい。後半は、ブラッドフォードが観客にギターを渡し、ステージで居眠りしたり、被っていたウィッグをとってみたり(!)、ショーの間は、目と耳をフル回転させられっぱなしだった。
 ショーの終盤、ブラッドフォードは、ソールドアウトの会場を見回すと、故郷アトランタでは受け入れられなかったが、ニューヨークのみんながサポートしてくれたからいまがあると、観客ひとりひとりへ感謝を表し、拍手喝采を誘った。

photo via Brooklyn Vegan

 ブラッドフォードは、パンクだ、予測不可能だと言われる。自分たちを、インディ・バンドではないと言ったり、モリッシーへの感情をぶつけたり現在の社会経済状況への不満などを言及している。それでも、故郷のアトランタで、黙々と音楽を作る、彼のモンクな生活のほうが容易に想像出来てしまう。彼は究極にデリケートで、手助けが音楽だ。ショーのバックステージには、子供のような、はつらつとした彼の顔があった。「このアルバムで若返った」と言う、彼の言葉通りだった。

 知り合いが、ファーザー(元グレイトフル・デッドのメンバー)のショーを9日連続で、キャピタル・シアターに見にいくと興奮していたのを思い出した。彼らは9日間、1度も同じ曲を演奏しない。「9日も同じバンドを見に行くの?」と訝しがったが、今回のショーを見て、彼の言ってる意味がわかった気がする。裏切られたり、予想に反したりもするが、毎日でも見たいと思わせる中毒性を持っている。日本には12月に行くそうだ。新生ディアハンターに期待して良いと思う。





以下、3日間のセットリスト

Deerhunter at Music Hall of Williamsburg - 9/17/13 Setlist: (via)
Earthquake
Neon Junkyard
Don't Cry
Revival
Desire Lines
Blue Agent
The Missing
Hazel St.
Helicopter
T.H.M.
Nothing Ever Happened
Sleepwalking
Back to the Middle
Monomania
Encore:
Cover Me (Slowly)
Agoraphobia
Fluorescent Grey
--
Deerhuneter at Webster Hall - 9/18/13 Setlist: (via)
Sailing
Cryptograms
Lake Somerset
Desire Lines
Dream Captain
Never Stops
Little Kids
T.H.M.
The Missing
Spring Hall Convert
Saved By Old Times
Revival
Helicopter
Nothing Ever Happened
Encore:
Sleepwalking
Back to the Middle
Monomania
--
Deerhunter at Webster Hall - 9/19/13 Setlist:
Octet
Neon Junkyard
Don't Cry
Revival
Like New
Desire Lines
Hazel St.
T.H.M.
Rainwater Cassette Exchange
The Missing
Helicopter
Sleepwalking
Back to the Middle
Monomania
Twilight at Carbon Lake
Encore:
Cover Me (Slowly)
Agoraphobia
He Would Have Laughed


https://www.brooklynvegan.com/archives/2013/09/deerhunter_play_11.html

禁断の多数決
アラビアの禁断の多数決

AWDR/LR2

Amazon

 ○○の禁断の多数決......おもしろい。場所ごとに毎度リセットされるバンド/音楽です、というふうにもとれるし、○○という場所で行われる多数決(しかも禁断の)、というふうに奇妙に政治性あるいは物語性を帯びてくるようにも感じられる。はたして「アラビアの」禁断の多数決とは何なのか、どういうことなのか。
 00年代USインディ・ロックの記憶を煮凝らせた素晴らしいデビュー作『はじめにアイがあった』から1年。禁断の多数決セカンド・アルバム『アラビアの禁断の多数決』の情報が解禁されたが、トレイラーを見ても謎は深まるばかりなのだった。さあ、あなたは何を感じたでしょう......何を感じるよう誘導されたのでしょう......それともアラビアの魔法の向こうにはもしかして何もないのでしょうか。

「禁断の多数決」のセカンド・アルバム『アラビアの禁断の多数決』。
国内初ライヴ。そして『アラビアの禁断の多数決』のトレイラーが公開。



■禁断の多数決 『アラビアの禁断の多数決』

DDCB-12062
Released by AWDR/LR2
2013.11.20 on sale
2,500 Yen (Tax in)

1.魔法に呼ばれて
2.トゥナイト、トゥナイト
3.真夏のボーイフレンド
4.今夜はブギウギナイト
5.リング・ア・ベル
6.ココアムステルダム
7.くるくるスピン大会
8.踊れや踊れ
9.勝手にマハラジャ
10.Crazy
11.フライデイ・ナッツ
12.渚をスローモーションで走るも夢の中
13.バンクーバー
14.アイヌランド

■「禁断の多数決」のセカンド・シーズン。

デビュー・アルバム『はじめにアイがあった』が話題になった「禁断の多数決」待望のセカンド・アルバムが遂に登場。
膨大な情報量が詰まったメンバーそれぞれの脳内ハードディスクから無限に生まれるアイデア。それをベースに試行錯誤を繰り返し、ようやく形になりつつあるものを初のスタジオ録音、豪華サポート陣にもお手伝いしてもらいながら、(前作よりも)環境を大幅にパワーアップさせ、バンドの持つ理想のサウンドに近づけることに成功した。
弦楽四重奏やホーン隊まで取り入れた壮大なオープニング曲"魔法に呼ばれて"。代表曲"透明感"の延長線上にありつつも確かな進化を感じさせるニュー・アンセム"トゥナイト、トゥナイト""真夏のボーイフレンド"。中央フリーウェイを走っているようなシティ・ポップ風の"リング・ア・ベル"。ミニマルな和太鼓のリズムを導入したお祭りとインディ・サイケのメランコリィな出会い"踊れや踊れ"。フィドルやティンホイッスルを導入した禁断風アイリッシュ・ダンス・サウンド"アイヌランド"。50曲を超えるデモの中から選りすぐられた全14曲。無邪気なほどポップなサウンドの中にも奇天烈な遊び心や霧のかかったサイケデリックが多分に含まれている。
たぐい稀な才能を持ち合わせた「禁断の多数決」2013年作の金字塔『アラビアの禁断の多数決』。

※2013年12月12日渋谷WWWにて日本国内初となるライブ『宇田川の禁断の多数決』も決定。

■『宇田川の禁断の多数決』詳細

タイトル: 宇田川の禁断の多数決
日程: 2013年12月12日(木)
会場: 渋谷WWW
時間: OPEN 18:30 / START 19:30
出演: 禁断の多数決 <https://kindan.tumblr.com
料金: 前売¥2,500 / 当日¥3,000(ドリンク代別)
前売: 【オフィシャル先行】
受付日時: 9/25(水)19:00~29(日) 23:59 <先着先行>
先行詳細: https://kindan.tumblr.com
【一般】
ぴあ[P:211-587] / ローソンチケット[L:74605] / e+ にて10/12(土)より発売
お問合せ:WWW 03-5458-7685

■禁断の多数決 プロフィール

尾苗愛、ローラーガール、シノザキサトシ、はましたまさし、ほうのきかずなり、処女ブラジルの6人組。
2011年より動画サイトにて自作のミュージックビデオやグラフィックなどを次々に公開。
2012年10月にデビュー・アルバム『はじめにアイがあった』を発売。
2013年11月にセカンド・アルバム『アラビアの禁断の多数決』を発売予定。
2013年12月12日に日本国内初ライヴを予定。
https://kindan.tumblr.com/


bonnounomukuro - ele-king

 ゴート/ボナンザスのメンバーであり、YPY名義でソロでも活動する日野浩志郎がついさきごろたちあげたテープ・レーベル〈birdFriend〉の設立についての一文がふるっている、というか、ふるっていないと思えるほど、いつわらざる気持ちが認めてあって、たしかにそうだと思うのである。
 私は日野浩志郎の年は知らないが、一度お会いしたときの肌のツヤを考えると、四十路の私より下であるのは確実なので、彼にとってカセット・テープはなじみがうすいと考えてまずまちがいあるまい。私は幼少期、音楽を聴くとなるとレコードかミュージック・テープ(MT)だった。CDは82年に生産ラインに乗った――大滝詠一の『ロンバケ』が邦盤の嚆矢であったことはあまりに有名である――が、高校のころ、はじめてCDプレイヤーを手に入れたことを考えると、CDで音楽を聴く聴き方が一般化したのは実感として80年代中盤から後半にかけて。その後、カセット・テープはCDの下位媒体として、たとえば、レンタルしたCDをカセットに落とすとか、これはあまり一般的ではないが、4トラのカセットMTR(マルチ・トラック・レコーダー)で宅録するとか、いずれにせよ、書き込めないCDに対する記録メディアとしてずぶとく生きながらえ、数年前、私がサラリーマン編集者としてわがの世の春を謳歌していたころはまだ、インタヴューの収録とかで使っていたのはカセットのテレコだったのである。一方、そんな私とは対照的にカセット・テープは青息吐息であった(いまは私が息も絶え絶えであるが)。データ化が進み、音楽はわざわざ媒体に残すべきものではなくなっていた。受容が落ち込み、コンビニの棚からも姿を消しはじめていた。同じころ、オノ・セイゲンさんに、もう使わないからあげるといわれ、段ボール2箱分、カセットをもらったのも、うれしかった反面、一抹の寂しさをおぼえた思い出である。
 そういった記憶が日野浩志郎にはないか、あったとしても近い記憶ではなかっただろう。ここ数年のレコードやカセットへの揺り戻しは、私たち世代にノスタルジーを感じさせるが、その後の世代には発見だった。日本はいわゆる日本的な「和」の意匠を除けば、基本的にスクラップ&ビルドな国なので、ちかぢか店頭に並ぶ、紙エレキング11号で、日野と同じくテープ・レーベル(https://crooked-tapes.com/)を主宰する倉本諒が指摘する通り、アメリカのように、福音伝道師をはじめとしたキリスト教原理主義――これはザッパが容赦なく糾弾しつづけた米国の広大な非都市圏と人口の多数派を構成するものだ――と車社会の隅々に効率よく音を届けるメディアとしてカセットは重宝がられたわけではない。もちろんカセットを聴く層は一定数いるだろうが、私は音楽の根づき方と同じく、ハードにしろソフトにしろ、それが日常の風景の一部になっているとまではいえない。
 日野浩志郎は先の一文で、MDやCDの方が接してきた時間は圧倒的に多い、という。彼は日本におけるカセット文化には文脈の切断があり、それが(再)発見をうながす土壌であることに自覚的ではないにしろ模索しはじめている。そこに音楽の旨味が生まれる――かもしれない、と私は期待する。それは倉本諒のレーベルも同じである。彼らはたとえば『EGO』のカセットブックなんか知らないだろうし、インディーズとは呼ばれる前の自主制作盤時代のテープを集めているわけでもないだろう。私はそれで(が)いいというのではなく、USアンダーグラウンドに併走しながら、しかしこの特異な風土が育む、ローファイの一語にたやすくくくれない音が生まれる可能性は棄てきれないと思うのである。
 今回〈birdFriend〉の第1弾は2点。〈パリ・ペキン〉〈360°〉の虹釜太郎との共同レーベル〈ICE RICE〉からファーストCD-R『Tape Days』を出した神戸のトラックメイカー、bonnounomukuro、ボンノウボムクロ、煩悩乃骸の『Mindows』はA、B面とも46分テープの片面をフルに使った長尺曲を収録。A面の"Enter the Exit"のBPM130あたりを基調に、音のビートとウワモノをなめらかに構成していく手法はDJ的であり、中域にくぐもりながらうねる音使いの総体的な印象はクラウト・ロック(カンとか何とか)のセッションのアウトテイクのようでもある。反対面の"Mindows Blow McJob"はA面よりも広いレンジでカットアップする音をダブでさらに飛ばすことでサイケデリックな音の場をかたちづくる。ともにコンプがかったテープの音色との相性も見事な名曲である。というより、媒体の制約が音に相乗効果をもたらしている。必要は発明の母であるが、制約のない必要は欲望でしかなく、制約は念に指針を与える、ということは、同じく第1弾であるYPY名義の日野浩志郎とウッドマンとのデュオ「はんぺん忍者:FISH CAKE SYNDICATE」の『Live Recordings Except From 納涼オナラ祭セッション @ 大阪ミナミ☆東心斎橋アトモスフェーレ』の弛緩させるナゾめいた音の場にもあてはまる。その空間性は、テープ・カルチャーの空隙を埋めるだけでなく、その退潮と交錯するように浮上した90年代再考への呼び水となるやもしれぬ、と私はヘッドと磁気テープの擦れあう、機械のフィジカリティともいえるカセット・テープに耳を傾けながら思ったのだった。

ackky (journal) - ele-king

チャートは順不同で。
最近また4つ打以外のセットでもDJしています。自分が今制作している楽曲の雰囲気もこんな感じです。アルバムサイズを目指して奮闘中w

新しいmixお楽しみ下さい。
https://www.mixcloud.com/akimotohideyuki/after-surf-2013/


1
Quantic And ALICE Russel - MAGDALEMA - Tru Thoughts

2
Chikashi Ishizuka - Step Forward - Nice&Slow

3
Skymark - Clavins Debauchery - Neroli

4
Someone - Beat - Jansen Jardin Music

5
Gredits - Sister Peak - Basic Fingers

6
Inner Science - Emphases - Plain Music

7
Andrew Ashong - Flowers - Sound Signature

8
Dubwise - Suenos - Electic Avenue Records

9
Organic Grooves - Sutukung - Codek

10
Blast Head - BBQ JAM - Free Hand Jazzy Sport

【スコット&シャーレンズ・ウェディング来日公演中止のお知らせとお詫び】

日頃よりP-VINE/ele-king主催イベント公演に格別のご愛顧を賜り、誠に有難うございます。
さて、11/18(月)、11/19(火)渋谷O-nest及び11/21(木)東心斎橋CONPASSにて予定しておりましたスコット&シャーレンズ・ウェディングの来日公演ですが、諸事情により来日公演を中止させて頂く事になりました。すでにチケットをご購入(ご予約)して頂いておりますお客様、ならびに関係者各位の皆様方には多大なるご迷惑をお掛け致しまして誠に申し訳ございません。スタッフ一同心から深くお詫びを申し上げます。

【各プレイガイドによるチケット払い戻しに関して】

払戻受付期間:11/6 (水) 〜 11/21 (木) (お買い求めの各プレイガイドにて対応させて頂きます。)

【払戻方法詳細】
※各プレイガイド、チケットの引取方法等により手続きが異なりますので、ご注意ください。

e+ (イープラス): https://eplus.jp/page/eplus/refund1/index.html

チケットぴあ: https://t2.pia.jp/guide/refund.html

ローソンチケット: https://l-tike.com/oc/lt/haraimodoshi/

お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。

 レイバーディ・ウィークエンド(日本でいう勤労感謝の日、9月最初の週末)に、ブルックリンのインディ・レーベル〈キャプチャード・トラックス〉の5周年記念パーティ(CT5)がブシュウィックのビアガーデンのウエルで開催された。ラインアップは以下の通り。

DAY 1  8/31 (sat)
HEAVENLY BEAT (ヘヴンリー・ビート)
CHRIS COHEN (クリス・コーヘン)
MINKS (ミンクス)
BLOUSE (ブラウス)
MAC DEMARCO (マック・デマルコ)
DIIV (ダイヴ)

DAY 2 9/1 (sun)
ALEX CALDER (アレックス・カルダー)
SOFT METALS (ソフト・メタルス)
SPECIAL GUESTS (スペシャル・ゲスツ)
WIDOWSPEAK (ウィドウスピーク)
BEACH FOSSILS (ビーチ・フォシルス)
WILD NOTHING (ワイルド・ナッシング)

 チケットは1日$30。同じ日(8/31)にユニオンプールのサマー・サンダーでサーストン・ムーアとダニエル・ヒグスをフリー見たあとに$30(!)と思ったが、フェスが終わる頃にはそんなことも忘れた。

 〈キャプチャード・トラックス〉は、設立者マイク・スニパーのバンド、ブランク・ドッグス他、ダムダム・ガールズ(マイクは初期ダムダムのメンバー)、グラス・ウィドウ、オーシーズ、レターエス、ヴェロニカ・フォールズなどのバンドのシングルから、最近はビーチ・フォシルス、ワイルド・ナッシング、スウェーデンのホログラムス(インタヴュー最後でマイクが話している、彼の聞きたかったパンク・バンド)などをリリースしている。モノクローム・セット、クリーナーズ・フロム・ヴィーナス、ウェイク、サーヴァンツなどの、英国バンド、シューゲイザーの再発にも力をいれている。また、このフェスの週末から、ヴァイナルのみのレコード屋もグリーンポイントにオープンした。
https://capturedtracks.com/news/captured-tracks-shop-now-open/

 2日目のスペシャル・ゲスツ、ダイヴ、ビーチ・フォシル、ワイルド・ナッシング、マック・デマルコのスーパーグループ(シット・ファーザー)では、〈キャプチャード・トラックス〉から再発されたクリーナーズ・フロム・ヴィーナスの「オンリー・ア・シャドウ」、「ヴィクトリア・グレイ」、レーベルオーナーのバンドであるブランク・ドッグスの「ティン・バード」のカヴァー。
 その他、ザ・ウェイク(ボビー・ギレスビーが一時メンバーだった)の「ペイル・スペクトル」では、コールがブラウスのチャーリに変装(?)してプレイ。ワンピースと黒のロングヘアで、本物と同じぐらい可愛いし、このスーパーグループは、レーベルのいまと再発バンドを楽しめる良い企画だった。



 ウィドウ・スピーク、ビーチ・フォシルス、ワイルド・ナッシングと代表アーティストを続けて見たが、何層にも重なったギター・サウンドやファジーなガレージ・ロック、ドリーミー・ポップなどすべてにスーパー・バンドで見たような80年代の英国音楽の影響を感じさせながら、独自の音楽を発展させていた。物販テーブルでは、お客さんやスタッフたちが情報交換し、一番前でノリノリの人から、後ろでまったりしている人、いろんな種類の人が〈キャプチャード・トラックス〉を軸に集まっていたのは、一昔前のインディポップ・フェスっぽくもあった。

https://www.brooklynvegan.com/archives/2013/09/mac_demarco_col.html

 以下、レーベル設立者のマイク・スニパーへの話をバッド・ヴァイブスのサイトから抜粋。
https://www.gimmebadvibes.com/...

〈キャプチャード・トラックス〉の声明を教えてください。

マイク(以下、M):メジャー・リリースがないアーティスト、PRをすでに築き上げているアーティストにサインすること。音楽が一番だけど、レーベル関連の考えには疑問を持っていたから、〈クリエイション〉、〈ファクトリー〉、昔の〈4AD〉の凄さについて考えさせられた。彼らの主要アーティストはそのレーベルに最初からいるし、〈クリエイション〉に関してはアラン・マッギーに発見され、その後盗まれている。
 現代のたくさんのインディ・レーベルより、60~70年代のメジャーがイケてた頃の、たとえば60年代の〈アトランティック〉や70年代後期から初期80年代の〈サイア〉のことを考えてみようよ。現代とは違う時代だけど、少なくとも彼らは、『ピッチフォーク』や『NME』のお墨付き(もしくはそれに値するもの)を待つことなく、新しい才能を見つけることに頭を使っていたし、それに賭けていた。もしエコー・アンド・ザ・バニーメンがいま現れたら、たぶんアンダーグラウンドのためのレコードを作って終わっていると思うし、すべてのメジャー・レーベルやコロンビアは目も向けなかっただろうね。スミスやジーザス・アンド・メリーチェインがデモを送っても「お墨付きがない」というだけで無視されてただろうね。

レコード会社やレコード会社というコンセプトは、2000年代に終わってしまったと考えますか?

M:ここ5年、たくさんのレーベルは自分たちの好みでアーティストを開拓しようとしていないのはたしかだね。僕のヒーローのひとり、ダニエル・ミラーは「ミュートは働いていた人の好みの反映だったから良いレーベルだったし、レーベルを信用する人たちにも反映していた」と言った。デペッシェ・モードやイレージャーだけでなく、ノン、ディアマンダ・ガラスみたいな違ったモノをリリースしていたことが素晴らしい。まさに理想だよ。アイデンティティを持っていても、レーベルのリリースは音楽のスタイルで制限されていなかった。だいたい現代では、ほとんどの人が去年のベストワン・レコードがどのレーベルから出てるかなどは気にしていないだろう。

あなたが指摘した、ヒップなレコード会社のA&Rが欠けているという点は面白いと思います。レコード会社は、昔からのレコード会社というより、ブログ的な物になると思いますか?

M:ブログを非難しているわけじゃないよ。というか、実際たくさんのレコード・レーベルは『ピッチフォーク』や『ゴリラVSベア』や『20ジャズ・ファンク・グレイツ』、『ステレオガム』なんかに借りがあるから。彼らが音楽を発見し、熱狂的になるのに文句を言う筋合いもない。でも、これらのひとつが反応を示すのを待っているという現代のA&Rポリシーはかなり問題だよね。だから、A&Rなんてものは除去して、会計士に取引させておけば良いと言ったんだ。だって、自分のレーベルから最初のリリースがないなんて、それではいったいレーベルの役割って何なの? おいおい......。

〈キャプチャード・トラックス〉は、あなたが最初に持っていた7"のヴァイブをもつ良い名前ですね。なぜこの名前にしたのですか? また、あなたの音楽の選択にどのように反映していますか?

M:僕が、声に出して良く言ってたから、僕のガールフレンドが、「レーベル名に良いんじゃない」と言った。当時は、レーベルがどこまでいくのか想像もしてなかったら、名前を選ぶのに深く考えてなかったし、「OK、じゃあそうしよう」って感じだった。ただ、●●●レコーズとか、レコーズで終わる名前だけにはしたくなかった。

〈キャプチャード・トラックス〉が行き着く、最終的な美しい形はどうなりますか?

M:まだ100%定義しているわけじゃないけど、アイデンティティを持っているバンドが好きだ。音楽的には多くなくても、僕以外にその人がすべてのバンドが好きというケースが作れたら嬉しい。例えば、ティム・コーヘンはソフト・メタルに似ていないし、ソフト・メタルはワイルド・ナッシングに似ていないし、ワイルド・ナッシングはソフト・ムーンに似ていない。
 視覚的には、アートやデザインのバックグラウンドがあって、最初は工場のように、僕がデザインするシステムに入れるよう遊んでみる。サクリッド・ボーンズが既に似たような事やっていたんだ。僕がケイラブ(Caleb)のレーベルからEPをリリースしたときに、ケイラブのLPフォーマットを発展させた。僕らが相互にデザインした(定番レコードをベースにした)何かでつながっていくのは良いと思った。去年のゾラ・ジーザスのレコードを見て、「僕らがデザインしたブランク・ドッグスEPデザインはまだまだ強い」と思ったな。話が逸れたけど、〈キャプチャード・トラックス〉は、このルートでは行かないと決めて、それはよかったと思う。できたときのアートワークに意見は言うけど、アーティストに僕の美学を押しつけたくないから。サクリッド・ボーンズを否定しているんじゃないよ。僕はファンだし、見栄えも好きだ。

〈キャプチャード・トラックス〉の再発シリーズも楽しんでいますが、インターネット文化のなかでは、再発の紹介やリリースは新しいバンドとして無理があると思いますか?

M:僕たちが手がける再発は、所属アーティストに関連しているけど、尊敬の念を込めて推そうとしているわけでもない。元レコード屋店員、現在レコード店経営者という立場から言えば再発市場は強い。再発のために新しいレーベルをはじめるというプレッシャーがあったけど、いまと昔のバンドに迷惑になると思った。これが存在しないふりをして新しいレーベルでリリースするなんておかしいよね。
 僕らのアーティストは自分のことをやっている。リヴァイヴァルではないが、彼らの影響は無視していない。「進行のための進行」はよいが、ヴィジュアル・アート界がすでに成し遂げている。「そこからどこに行くのか」というぐらい、70年代のミニマリズムに行くまで、ヴィジュアル・アートはあっという間に進んだ。ヴィジュアル・アートはそれ以来、過去や技術について考え直すことに戻ってきた。すでに発掘されたことは、発掘され終わったことを意味しないと気がついたからね。音楽ライターは、まだそれで奮闘していると思う。それらを書類棚に寝かせてしまうには、あまりに用意ができすぎて軽蔑的だから。

一番驚いた成功は何ですか?

M:ソフト・ムーン。「これは良いレコードだね。たぶん2000枚は売れるんじゃないかな」ぐらいに僕は思っていたけど、それをとっくに通り越した。素晴らしい。つい最近まで、メインストリームのインディにこんな音楽が入る場所はなかったのを覚えているし、こうなることに貢献できたのも嬉しい。

〈キャプチャード・トラックス〉はサイト上をミックスし、インターネットをうまく包含していますね。インターネット文化内で働くことがレーベルを保持できたと思いますか?

M:もちろんテクノロジーの利益を無視したりしないよ。僕らはニューポートのボブ・ディランを見捨てるピート・シーガーじゃない。レーベルのアーティストが「僕らはデジタルはしない」と言ったけど、「何で?」と答えた。単純な質問だけど、まだ良い答えをもらっていない。デジタル技術は、物理的フォーマットやメジャー・レーベルがやっていることを殺さなかったし、誰かが本当にレコードを買いたいと思ったら、いまでも買う。たくさんの人は、消費者を過小評価していると思ってるよ。人びとはアーティストを支持したいし、彼らの努力を認識する何かを持ちたいと思っている。デジタルを買う人はそのなかの一部だ。彼らはレコード、CDプレイヤーを持っていないからね。それらを得る一つの選択として、メディアファイア上で、誰かが裂いた歌を盗んで欲しい? 人びとに支持する機会を与えようよ。

音楽に関して、英国はこれから来るバンドなどに対して停止しているように見え、アメリカは有り余るような刺激的なことが起こっているように見えます。どう思いますか?

M:これに関しては長く話せるよ。でも僕が事情に通じている見解を持っているとも言いがたいけどね。英国では、アメリカ、ヨーロッパ大陸、日本、オーストラリアと違って、遺産という感覚が少ないと思う。音楽とは別の何かどんちゃん騒ぎでもないと勢いを表せない報道のやり方に問題ありだよね。何でもかんでも新しい物につばを付けるようなものだ。
 陸的にも近く、英国とほとんど同じ市場ということもあるけれど、フランスやドイツがいまだ英国プレスに支配されているのが不思議だよ。アメリカのバンドはヨーロッパで売れるためには、いくつかの例外はあるけど(スペイン、イタリア、スウェーデン)、英国でのブレイクが必要で、なぜヨーロッパ大陸が自分たちの国のプレスを発展させないのか疑問だ。僕は支持するけどね。
 英国には、何よりも先にマネージャーをつけるという慣習がある。僕は、マネージャーは自分たちが本当にマネッジが必要になったときにつければ良いと思っている。僕たちは英国マネージャーから終始求められるけれど、マネージャーがついた名もないバンドにサインするのは順番で言って最後だね。いまは2013年だぜ。レコード売り上げのグラフをみて、君の7インチか何かに会計士が必要なのかな? 違うでしょう。決してマネージャーを否定しているわけじゃないけど、そこにはしかるべき時期ってものがあるんじゃないかな。マネージャーをつけることより、自分たちで歌を録音して、ショーをして、レーベルと話すのが先だ。マネージャーが長所を証明するのに必要なぐらい、十分なことが起こるのを待って、マネージャーに彼が君のディールを見つけたと証明させないようにね。
 これはただの意見だよ。バンドはしたいようにすれば良いんだ。でも僕は、7インチもリリースしていないバンドのマネージャーと取引することはしないってことだ。過去、英国の音楽のすべてのサブジャンルに対する世界的な影響が明白だったということは、恥じるべきだと思う。ニルバーナなどのアメリカの90年代は、ビッグ・ドラムやメタリック・ギター・サウンドを人気とし、アメリカのギター・ベースのインディ・ロック・バンドは英国の影響を殺し、さらにメタルになった。ブラーやスエード、パルプなどのメロディ重視のバンドはアメリカでは比較対象として無視されていたし、英国の音楽プレスでは内部の見解を作成し、長すぎたブリット・ポップにも関わらず、戻ってこなかった。僕はアメリカ人だから、他に何があるのかわからない。

他には、どんなレコード、バンドをチェックすれば良いでしょうか?

M:レーベル以外で? 2011年に出たニューラインというバンドのセルフLPがよかったよ。誰も気にしてなかったけど僕は好きだった。他には......わからないな。すべてがまわりにありすぎるよね。ハードコアじゃなくて、明らかにパンクでもない、ただアグレッシヴな新しいパンク・バンドが聴きたいかな。聴いたときにわかるよ。誰かリリースしてくれないかな。だって、最近は50~60年代のジャズばかり聴いているから。

   ────────────────────

 このフェスの週末にオープンしたレコード店にもお邪魔した。白を基調としたクリーンなイメージの店内で、キャッシャーの後ろにはレア盤がずらりと並んでいる。その奥にはオフィスがあり、パックマン、ギャラガーなどの、昔なつかしのゲーム・テーブルもあった(マイク曰く、バンドやスタッフとのコミュニケーション道具だとか)。店内には、レーベル・アーティストがピックアップしたお勧めコーナーがあり、さすが元レコード屋と思わせる、隅から隅までチェックしたくなるインディ泣かせなセレクションを。「自分の感覚を信じて、消費者に機会を与えることが僕の役目」と言いながら、「ゲームする?」と一緒にギャラガーをプレイしてくれた。5年目、〈キャプチャード・トラックス〉の挑戦は続く。

Robert Aiki Aubrey Lowe - ele-king

 というかほぼシンセの話をします。

 米国はアシュヴィル発、〈メイク・ノイズ(Make Noise)〉は現在のユーロラック・シンセサイザーのマーケットにおいて絶大なる支持を誇るガレージ・シンセ・メーカーである。〈ブックラ〉や〈サージ〉に代表される「西海岸シンセジス」に着想を得つつオリジナリティー溢れるサーキット・デザインを施されたモジュールは世界中のウィグラー(主にネコとシンセを愛するヲタ、僕やゲド・ゲングラスを含む)を魅了して止まない。

 〈メイク・ノイズ・レコーズ(Make Noise Records)〉は同社代表であるサーキット・デザイナーのトニー・ローランド(Tony Roland)が提唱する夢見る機械、自社のシェアド・システム(Shared System)の無限大のポテンシャルを証明すべく立ち上げられた7インチ・レーベルである。条件は至ってシンプル、使用する機材はシェアド・システムのみ、多重録音はNG。

 この業界の顔とも言える〈ワープ・レコーズ〉のサウンド・デザイナー、リチャード・ディヴァイン(Richard Devine)のマスター・オブ・ザ・ファーツ(屁の先生!)の俗称に恥じない(?)摩訶不思議なグリッチの応酬で幕を開け、先日のフジロックにて新編成でのご披露を果たした(見ていません......)NINでお馴染みのアレッサンドロ・コルティーニ(Alessandro Cortini)をリリース、こちらは〈インポータント〉からの目下最新作でも炸裂するヘヴィ・ブックラ・サウンド譲りのミニマルかつ重厚なトラックを収録。同社のケリー・ケルベル(Kelly Kelbel)によるハンドメイド・レタープレスによる美しいパッケージも相まってか、どちらも2週間で完売するというレーベルとしてはこの上ないスタートを切ったようだ。

 第三弾となるロバート・AA・ローの本作品は〈タイプ(Type)〉からの2012年作品の延長線ともいえる、無音の間を以てしてシンプルなモジュレーション・サウンドを引き立てるミニマル・ディープ・シンセジスだ。だいたいにおいて彼の近年のソロ作品に通じる極限まで削ぎ落とされたオリエンタルかつエキゾチックな世界観はサイケデリック・ミニマル・ロッカー、オム(OM)とのコラボレーションを経て一層研ぎすまされてきたようだ。

 そもそもゲド・ゲングラスを介してこのメイク・ノイズの連中と付き合うに至るワケで、彼もまたハードコア・メイクノイズ・ファンである。長年に渡りライフワークのごとく没頭してきたモジュラー・シンセジスもここにまた比類なき完成度を披露する。モーグ・イアーズと題されるからには存分にモーグをフィーチャーしているはずで、彼の愛機はMG-1とローグの二大お手軽モーグであったと記憶しているが、ここに収録されているサウンドがそうかは確証が持てない。このアルバムはゲドの近年の作品の多くで聴ける所謂"モジュラー"な無数のオシレーターによる過密なミックス、過激なモジュレーションを形作る複雑なパッチングはない。非常に繊細かつ丁寧に紡がれたシンプルな構成、スローかつ上品なモジュレーション、完全な調和を見せるグリッチがテープ・エコーとリヴァーヴに洗い流され、気づけば聴者は自身の雄大な心象風景を飛翔する。

 マシュー・サリヴァンやショーン・マッカンとのご近所切磋琢磨がここにきて如実な好結果をもたらしたであることは明白であり、さらなる相乗効果で彼らが昇りつめるであろう輝きに思いを馳せ胸躍る。

 各自やりたいことをやりたいだけやるように、ハイ、解散。......からはじまる林間学校と言えばいいだろうか。この日の〈THREE〉には、ショウの緊張感に並んで自由な雰囲気やくつろぎやすさがあった。

 ゆるいとか締まりがないとかいうことではない。個性も属性もバラバラだけれども、ミュージシャンという制服を着ないという点では一致するような、未知数で、若く、貪欲な表現スタイルを持った面々が集まっている。そういう空気やエネルギーを浴びる場所だというふうにも思えた。到着して重い扉を開けるとバクバクドキンの可愛らしい声が絡みついてくる。ここからLOWPASSまで繋ごうというのだから、おそらく今日のイヴェントに予定調和はない。ジャンルに縛られることもないし、バラバラなファン層が乗り入れているから閉鎖性もない。快適なぼっち観覧が期待できそうだった。やる側同様、聴く側も自由解散スタンスだ。その意味ではクラブのようでもあり、ライヴ・イヴェントに独特の風通しを生んでいたと思う。

 前座のバクバクドキンは初見。ダボ着したTシャツから素足を出し、機材机の向こうで棒立ちをきめる女子二人組だ。DJフミヤが手掛けたという2010年のデビュー作はハルカリなどに比較されていたが、たとえば花澤香菜がCSSをやったらと言えばイメージしてもらえるだろうか、萌えヴォイスと聴きやすくしたバイレファンキ、ポップでキュートな音使い、詩的な飛躍の強い言葉をリフレインするさまには、ちょっと古風ではあるが、「青文字」という言葉が生まれる遥か以前から脈々とつづく、メタで知的な(もちろん無知を装う)女子ポップの一類型が感じられた。

 かなり場慣れた様子もある。ピコピコ、ザワザワ、ララララという擬音や、「改造人間になりたい」「グッピーちょうだい」という"お願い系リフレイン"を散りばめながら、まよいなくわがままでファンシーな世界を立ち上げていく。このイヴェント出演にあたっては、カタコトやLOWPASSの前座ということもあって、彼女たちなりの「ヒップホップ的な」セットリストを意識したという。筆者の前にいた当のB・ボーイたちは、ときどきちょっと小馬鹿にするような身振りで笑いあったりしていたが、あれはたぶんバカにしていたというよりも、照れていたんじゃないだろうか。カワイイ女子から発せられるカワイイ声、そして気のきいたトラック(クラウドラップ風、ネオアコ風、EDM風、さまざまな"風"がコンパクトにまとめられていた)で巧妙にコーティングされた媚態の正体を、まっすぐ見ることができなかった、というような。ということは彼女たちの勝ちかもしれない。MCでは今回のショウについて「あたしたちヒップホップの人たちじゃないから照れくさい」と感想。なるほど余裕綽々である。LOWPASSのライヴで毎度必ずキレて抗議する人がいるが(そしてこの日も鮮やかにキレていたが)、もしあの人が観ておられたなら、バクバクドキンにキレるのもよかったかもしれない。

 カワイさに敬意を表して『アイドルマスター シンデレラガールズ』に興じながら次を待っていると、下津光史は毎度のごとくふらりとステージに姿を現した。どこからかやってきてどこへともなく消えていくという風体。本物の風来坊に見える。ダテでもパロディでもなく、彼の生き方や生活がそのままこのスタイルなのだろうと感じさせる。

 「いい夜だ」と、真意のつかめない表情で夜を祝うのもいつものとおり。下津光史の歌をはじめるためには、まずいい夜が必要なのかもしれない。

 ギターが鳴って歌がはじまると、オーディエンスや場の雰囲気はなんとなく車座のようになっていく。以前〈渋谷7th FLOOR〉で観た折に、開演後オーディエンスが自然にその場に座りはじめたことがあった。そのとき、そうか、下津光史は座って囲んで聴くものなのかもと妙に納得したのを覚えている。観せているのではなくて、文字通り、聴かせているのだ。よってわれわれも体育座りをして、直に弦の軋みを聴きとり、直に言葉を受け取る、本来そういう規模の演奏なのではないか。その彼の辻説法のようなフォーク・スタイルは、四畳半の自意識や社会的抗議をリプリゼントするものというよりは、まさに辻や往来の無意識を拾う艶歌であり民衆歌のように感じられる。それに、"踊ってはいけない"や"セシウム"も、国や特定の対象へ向けたメッセージとしてだけとらえると正確さを欠く。それは生まれてきたからには生きなければいけない、生きよう、という、もっと普遍的で根源的なことを喉とコードを使って歌いきる、ふるえるようなブルーズだ。もちろんどちらがいいとかわるいとか言うのではない。下津にとっての歌や音楽がどのようなものなのか、ライヴを観るととてもよくわかるということだ。シンプルなスタイルだが、それだけ圧倒的な情報量を持っている。

 ショウを作っていくのではなくて、やったことがショウになっていく。その点では、カタコトも油断ならない存在感を放っている。

 紙版『ele-king vol.10』にも登場してもらった謎の男、ドラゴンと仲間たちが繰り広げる、何というのだろう、セッション・アドベンチャーというか(言い方ダサくてすみません)。ヘドバンを決めさせられるラップ・グループ、ラップを聞かされるサイケデリック・ファンク・バンド、何と呼んでも隔靴掻痒、めいめいのやりたいことをやりたいだけやるというようなキメラなフォームの楽曲(セッション)は、ジャンルレスというむずがゆい言葉を遠く置き去りにしていた。
 既視感のなさ、というのはそれだけでものすごく価値のあるものだと思う。よくできたものではなく、何かおもしろいものを見たいという人にはカタコトをおすすめしたい。新しい音楽があるわけではないけれども、既視感もない。見たことのないものをやる男子たちを久しぶりに見た。それは彼らに見たことのないものをやろうという意志があることを示している。

 ラップがあって、メタルがあって、ビートはファンクで、と書くとミクスチャーやラウドといった印象になってしまうが、ジャズのサンプリングなどネタも幅広く、かつ急転直下の展開でスラッシュがはじまったりハードコアになったり、ポップ・パンク調の歌やポスト・パンクやサッドコアまでがぶつ切れにはさまったりする。
 ジャンクという感覚とも違う。人力のMADというか、ラップをやりたい人、ギター・リフをギンギンにきめたい人、シンコペートしたい人、カットアップの構築にかまける人、フリースタイルを披露する人、互いの抑制や調和よりも、それを直列つなぎしたときのエネルギー量を信じるような、痛快にしてスリリングなアンサンブルだ。そうしたところに突如「まだ夏じゃない」という叙情と微量のメランコリーが忍び込んでくるところもにくい。ひとつひとつがまだ発展途上の技量であり未知数でありながら、それがきちんとかたちになっているところもいいなと思う。メンバーのそれぞれが、そのセッション冒険譚の少年主人公のようにも見えてくる。
 
 それも、友情、努力、勝利のカードをひとつずつ裏返しに伏せていくような、悪くて不気味な主人公たちだ。なにせ「夜は墓場でヒップホップ」なのだ。ドラゴンのTシャツには足の切れたいやなチキンが描かれている。福田哲丸は「みんなもっと不安になったほうがイイよ」とMC。"夜の学校"というのは曲名だっただろうか......まさに夜の学校を舞台にした、妖怪たちの宴である。なるほどこの不完全形で異形のヒップホップは、鬼太郎のように片目がなかったり、あるいはその親父のように目だけだったりする、欠損や負のエネルギーを抱えつつもどこかコミカルな妖怪たちのイメージよってしっくりと視覚化される。「俺たちがブライテスト・ホープだぜ」という謎のボースティング(?)が線香の煙のように立ち昇っていった。
 一方で「朝から晩まできみの部屋で遊んでいるよ」というような言語センスも素晴らしい。妖怪シチュエーションにも思えてくるが、繊細な語の選択と配置によって、主体の不鮮明な意図が最大限に気味悪く、かつ詩的に増幅されている。一瞬でビリっと空気を異化する、印象深いフレーズだ。
 ヒップホップのシーンにもインディ・ロックのシーンにも加わりきらない、本当にマージナルな場所から聴こえてくる音として(「マージナル」で連想されるものは、大抵がすでにマージナルな場所にはない)、奇妙な緊張感を湛えるバンドである。アルバムも期待したい。

 さて、ちょっと書きすぎてしまったのと、筆者ではこのシーンの新しい牽引者を語るのに役不足だという理由から、LOWPASSについては詳述できないけれども、彼らがスタイルという点ではこの日最も洗練された存在であり、静かな迫力があったのは間違いない。洒落たセンスのトラックに、日常会話と変わらないトーンでスキルフルなラップが乗る。「USヒップホップを貪欲に吸収」といった紹介がよくなされているけれども、なるほど輸入盤を聴くような抑揚を持つ彼らの音楽は、「ヒップホップだし言葉を聞かなきゃいけない」という筆者のような門外漢のオブセッションをするすると解いてくれる。聴いていればいいんだ、音に身を委ねていればいいんだ、という開放感は、彼らにしてみれば本意ではないかもしれないけれども、少なくとも何も知らずにただ音を楽しみにきた人間を拒まない、特筆すべき性質だと思った。
 耳をこじ開けることばかりが正解ではない。GIVVNの軽く静かなステップを眺めながら、このスマートさはジャンルを超えて散見される、若手の特徴のひとつでもあるように感じられた。押し付けないし、押し付けられない。拒絶することなく個を保つには、あるいはストイシズムにしばられることなく個を確立するには、という全方位にやわらかいぼっちのマナーが、あるいは彼らの生み出す音のなかにも吸収されているものなのかもしれない。

山崎春美 - ele-king

 その時代を美化するつもりはない。ただ、先日の九龍ジョーとのトークショーでも話したことだが、僕が中高学生だった1970年代後半の日本には、ロック・メディア(ロック評論ないしはロック作文)文化は、手短に言って、カオスとして存在していた。ソツのないモンキリ型の社会学や便利屋ライターなんぞは出るすき間がないくらいに、好むと好まざるとに関わらず、まあいろんな人たちがろくすっぽ資料など読みもせず、が、その代わりに、深沢七郎や夢野久作や坂口安吾や、ウィリアム・S・バロウズやフィリップ・K・ディック、トマス・ピンチョンやルイ=フェルディナン・セリーヌなんかを耽読しながら、内面をどこまでも切り裂いたような、好き勝手な文章を書きまくっていたのである。山崎春美は、間章を「ファナティックな文学青年」と形容しているが、僕にしてみたら、山崎春美こそが「ファナティックな文学青年」がひしめく70年代後半の日本にあった文学的ロック批評/言語空間におけるもっとも不吉な巨星に他ならない。たとえばラモーンズを、そう、あのラモーンズを、以下のような、モリッシーも顔負けの、胸をえぐられるような切ない日本語で意訳/変換できる人は他にいないだろう。

 冬が来て
 もう二年も居座っている
 今は、最前線の「寒さ」だ
 俺の持っていた最低の威厳までもが吸いつくされるほどに
 すべてが冷厳だ

 でもまた、
 こんな素敵な季節が外にあったか?
 彼らは言う、"唇をゆるめよう、ラクにやろう"
 ケッ、くだらない
 それが実は嘘っぱちの固まりだってことは、
 まず一番に君が知っている

 これからが本物の冷時冷分だぜ
Ramoes"Swallow My Pride"(1977)

 こういうのは、もうどう考えても一種の芸で、訳詞という仮面を被った何か別モノだ。当時の訳詞とは、海外取材などできない立場の人たちが、自分なりの言葉で欧米の音楽を紹介し、日本の文化(コンテキスト)に落とし込むためのメソッドのひとつでもあった。これを積極的に利用したのが『ロッキングオン』と『ロックマガジン』だった。こうした、正確さよりも解釈力や表現力を念頭においた独自の訳詞は、発想が不自由な人がやるとひとりよがりの自慰行為に終わるのだけれど、文学的なセンスを持っている人にかかるとそれ自体がひとつの作品となる。

 小6で洋楽に目覚めた僕は、『ミュージック・ライフ』という白人さんが大好きなミーハーなロック雑誌を定期購読していたのだが、中1の後半に"シーナはパンク・ロッカー"や"ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン"にがつんとやられ、出てきたばかりのパンク・ロックなるものに心奪われてしまったお陰で、後にも先にも唯一雑誌のバックナンバーの取り寄せなる行為を『ZOO』というファンジンみたいな雑誌で早まってしまい、そして、同じようにまだファンジンみたいだった『ロッキングオン』から『音楽専化』、まだまだヒッピー臭かった『宝島』からプログレ雑誌時代の『フールズメイト』までをと、買ったり借りたり立ち読みしながら読みあさっていた。アメリカの西海岸文化が清潔感溢れる『ポパイ』となったように、『宝島』もぴかぴかのニューウェイヴ雑誌となり、『ロッキングオン』が商業誌として確立する、少し前の時代のことだ。
 それはもう14歳~17歳あたりの子供にしてみたら、親の目を盗んで見るエロ本よりスリリングだった。僕の中学の3年間は、『ニュー・ミュージック・マガジン』以外の音楽誌ほぼすべてを読んでいたと言っていい。阿木譲の『ロックマガジン』だけは静岡に売っていなかったので読みたくても読めなかったのだが、高校時代、知り合いが『ロックマガジン』と『モルグ』を見せてくれたことがあった。僕が文筆家としての山崎春美の名前を確実に覚えたのは、そのとき初めて手にした『ロックマガジン』に載ったラモーンズの"ナウ・アイ・ウォナ・ビー・ア・グッドボーイ"の訳詞による。表紙は忘れたが、山崎春美の強烈な言葉だけはいまでも憶えている......つもりでいる。それが果たしてどんな言葉だったのか、九龍とのトークショーでは調子こいて記憶起こしで朗読までしてしまったわけだが、後から記憶違いだったらどうしようと不安になったので、ここでは止める。

 先にも書いたように、1980年になるとロック/サブカル雑誌文化は経済的な自立を果たそうとする。ケオティックな言語空間と言えば聞こえはいいが、一歩間違えれば文学かぶれのアマチュアリズムとも言えるわけで、「マリファナ論争」をやっていた『宝島』が郷ひろみを表紙にツバキハウスを紹介するようになるのも、それが時代の要請でもあり、おそらく当事者の目標でもあり、サブカル・メディア業界の流れでもあったのだろうと僕は受け止めている。とはいえ、レーガノミクス、サッチャーリズム(そして中曽根)の時代だ。世のなか効率と経済が第一ですよとなれば、70年代後半の日本のロック批評/言語空間という、効率とも経済とも縁のなさそうな、カオスのなかのもっとも純度の高いカオスたる山崎春美の居場所をどこに探せばいいのだろう、世渡りを拒み、かつてラモーンズをラモーンズ以上の想像力で受け止めてしまった血まみれの若者はどこに行けば良かったのだろう。『ロックマガジン』と決別し、間章を敬愛を込めてデブメガネと呼び、『ロッキングオン』をコケにして、工作舎をしれっと離れ、そして彼は赤裸々にもこう書いている。「僕はいつでも、情況の中で沸騰する泡のように、消えたり現れたりしていたかった。けれど、オカシナ疎外者意識を軸にした共同幻想か、デッチアゲとすぐにわかるそれ以外に情況らしきものはなかった」(1980年)

 本書『天國のをりものが』は山崎春美の初の著作集である。『ロックマガジン』時代の文章から最近のものまで載っているが、多くは70年代末~70年代の余韻の残る80年代初頭に書かれている。再録されているほとんどの原稿は、著者が10代から20代前半に書いたものだということを知れば、その早熟さに驚くかもしれない。数々の「訳詞」は、各章の扉にある。そして、紙エレキングに載った三田格の発言への反論もある(こんなところにまで......、さすがミタカク!)。
 70年代のロック・サブカル雑誌文化および批評/言語空間は、60年代への意識的なカウンターとしてはじまっている。パンクもまた60年代への弁証法的反論だったことがいまでこそわかるが、当時の山崎春美はパンクに「分裂的、非体系的、反ヒエラルキーの思想」を見ている。彼のこうしたある種のアナキズム(ないしは虚無)は、文章だけではなく、ガセネタやタコでの音楽活動はもちろんのこと、自身も編集を務めたエロ本を扱う自販機本『Jam』、そして伝説の雑誌『HEAVEN』の編集にも垣間見ることができる。
 本書の素晴らしい装丁を手がけている羽良多平吉は、『HEAVEN』のデザイナーでもあり、僕の世代にとってはネヴィル・ブロディやテリー・ジョーンズみたいな人たちとは比べようのないくらい憧れのデザイナーのひとり。当時は、海外雑誌の物真似デザインとは別次元の、実験精神旺盛のエディトリアル・デザイナー、あるいは伊藤桂司のようなイラストレーターがこの手の文化に関わっていたことも重要な事実である。ヴィジュアルも含めて、ロックについてのコンセプチュアルな解釈、活字文化が、ここまで自由なのだということの再発見にもなるだろう。
 また本書は、この国の音楽メディアのターニングポイントにおけるもっとも重要な軌跡でもある。アニメ雑誌『アウト』も『Jam』やら『HEAVEN』やらの、この時代のケオティックなアングラ出版文化のなかで生まれているということは僕も初めて知った。ちなみに(笑)という表現は、山崎春美の発明で、今日のメールや書き込みのwなど、制度から離れた現代の書き言葉の先駆的な試みも著者はやったと言える。
 が、そうした細かい話はさておき、あらためて何故いま山崎春美なのだろうか。80年代に経済的に自立したロック・サブカル雑誌文化は、しかし90年代に向けて70年代的な文学性を切り捨てながら、再編していく。たとえるなら、深沢七郎よりもボリス・ヴィアン、坂口安吾よりもサリンジャーという具合に。90年代後半の赤田祐一編集長時代の『クイックジャパン』が山崎春美を特集したのも、それをナキモノとする風向きへの抵抗だったのだろう。つまり、気がついたら飼い慣らされたロック・シンガーばかりの、ソツのない社会学を使った文章、便利屋ライターが500回以上も聞いたことのある言葉をさらに上塗りしているご時世だからこそ、本書『天國のをりものが』は刊行される意義がある。日本におけるポストパンクの知性がここにある、とも言える(世代的にも、著者は欧米のパンク/ポストパンクの人たちと重なる)。

 僕個人が70年代後半の、山崎春美に象徴されるようなロックの言語をどのように享受して、やがていかなる考えにおいて、恐れ多くも先達の文学性とは意識的に距離を置きながら、自分自身のスタイルを自分なりに模索したかについては九龍とのトークショーで話した。それはあの場での話なので、聞いていた人はツイッターしないで下さいね。ただあのとき話したように、僕が深沢七郎を好きになったのは間違いなく山崎春美からの影響(藤枝静男と、そしてフィリップ・K・ディックもそうなんですね、きっと......)。それだけでも僕は著者に感謝しているし、山崎春美がいなかったら......と気づかされることは少なくない。だいだいこんなに長く書いてしまうなんて、やはり思い入れがあるんだなあと自分でもびっくり。
 以上、敬称略でした。

Chikashi Ishizuka (Nice&Slow) - ele-king

自身のレーベル、Nice & Slow より
Chikashi Ishizuka - Step Forward / Boogie Man
リリースされました。

www.chikashi.ishizuka@facebook.com

can you feel it 2013/08/09


1
George Duke - Feel - Mps

2
Chateau Flight - La Pregunta - Permanent Vacation

3
Pacific Horizons - Witches Of Castaneda - Pacipic Horizon

4
Claudio Passivanti - Fantasy - Sunlight

5
Mat Anthony - Lune Afrique - Aficionado

6
Finis Africae - Last Discovery - Em

7
Michael Booth Man - Waiting For Your Love - Invisible Touch

8
Manu Dibango - Kusini - Lpk

9
Missa Luba - Les Troubadours Du Roi Baudouin - Philips

10
Chikashi Ishizuka - Boogie Man - Nice&Slow
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