「ele-king」と一致するもの

Jake Bugg - ele-king

 僕は酔っていたが、ステージの彼は醒めていた。未成年だから飲むわけにはいかないにしても、フロアの興奮と熱狂に対して、ジェイク・バグは始終、理性的だった。デビュー・アルバムのジャケの写真の、力のある眼差しのように、彼はしゃんとして歌った。はしゃいでもいないし、乱れることもなかった。イキがってもいなければ、自分を大きく見せようともしなかった。うつろでもなく、泣いてもいなければ、ドリーミーでもなかった。
 ジェイク・バグは、そういう意味では、季節に酔って登場した、歴史的なロック・バンドたちとは違う。

 そして、僕は、とにかく、この感動的な夜を終えて、無意識だったにせよ、なんだかんだと言いながら、自分やいろいろな物事が、いかに311というトラウマから逃れたがっていたのかについて、あるいはロマンティックな抵抗について、思いを馳せていた。これはまったく予想外の展開だった。大災害が起きたあとなので、無理もないと言えば無理もないのだろうが、ジェイク・バグの迷いのない音楽を聴いたあとでは、そんなところにまで思いが広がった(結局のところ、マイブラがバカ受けしたのも、チルウェイヴもジェイムズ・ブレイクも、みんな似たようなものだろう......ネガティヴな意味ではない、ひとつの認識だ)。
 それほど久しぶりに、浮つくことのない、足下をしっかり見ている、自分を見失わない音楽、というものと直面したような気がする。

 僕はいまでもドリーミーな音楽を好む。悪夢のトリップはごめんだが、手のひらを返してサイケデリックを否定するつもりはない。色のついた液体も飲んでいる。ドリーミーな抵抗精神を忘れるつもりなども毛頭ない。が、しかしこの晩は、ドリーミーではないことの素晴らしさ、しらふの快感、現実を生きることの悦びを噛みしめた。ベンゲルではなく、ファーガソン監督の素晴らしさを思った。金や時間や健康や体力や記憶や視力や......いろいろなものを失っても、さまざまな思いを飲み込みながら、今日もまた灰色の1日を生きることの、バランスを失わないことの深い意味に思いを巡らせたのである。三上寛と話したときのことを思い出す。

 ジェイク・バグには、ひとりのギター弾きとして、ひとりの歌手として、僕なんかが思っていたよりもずっと素晴らしいスキルがあった。はっきり言って、うまい。間違いなく、一生懸命に練習しているのだろう。そして、アンコールの"ブロークン"はブリリアント過ぎた。それでも、フロアがロックンロールに酔って、熱狂の度合いをどんどん上昇させようとも、彼はギターを替えても演奏のテンションは変えなかった。
 熱狂でも興奮でも陶酔でも過剰でもない。まどろんでもいなければ、ハードコアでもない。もっと、より根源的なもの、シラフの良さ、平温で歌われる"トゥ・フィンガーズ"、最後に歌った平温そのものの"ライトニング・ボルト"のような逆説的な高揚が、きっといま必要なのだ。なんだか妙な感動の仕方をしてしまった。ニヤつきのない、大人びた若い青年の音楽に。(彼は1994年2月生まれである)

interview with Still Corners (Greg Hughes) - ele-king


Still Corners
Strange Pleasures

Sub Pop / Traffic

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 跳ねない。それがスティル・コーナーズのひとつの特徴だ。リズム、旋律、パフォーマンス、そして心も。急激な動きを嫌うように、テッサのウィスパー・ヴォイスはリヴァービーに烟るグレッグの音の底へとゆっくり沈んでいく。この感覚をどこかで知っているなと思う。気怠く、物憂く、蘭の匂いが立ち込めている――

 スティル・コーナーズの音楽は、ステレオラブやブロードキャストなどによく比較されているが、そこにサウンド・キャリアーズやコットン・ジョーンズ、ビーチ・ハウスなどを補助線として引くと、彼らのなかのコズミックな感覚やクラウトロック志向のわきに、スモール・タウン・ミュージック的な、フォーキーで温もりあるUSインディ・ポップの系譜、そしてそれらをつなぐように新旧のシューゲイズ・バンドの姿などが浮かび上がってくる。さらに当人らが影響源だとあかすジョルジオ・モロダーを加えれば、ばっちりとスティル・コーナーズの肖像が立ち上がるだろう。成熟と耽美と、わずかな瑞々しさからなるドリーミー・ディスコ・ポップ。〈メキシカン・サマー〉も〈4AD〉も、エメラルズも〈イタリアンズ・ドゥ・イット・ベター〉も存在する後期2000年代の座標軸の上で、彼らの音はにぶく輝いている。現実を離って遠くへ行くための、しかし人肌の記憶は捨てきれないというような、「誰ぞ彼」=たそがれ時の青い時間が立ち上がってくる。

 2011年、ロンドンで活動するこの4人組は『クリーチャーズ・オブ・アン・アワー』というフル・アルバムでデビューした。そのころのビビッドな存在感は、時とトレンドの推移とともに少しくすんだようにも思える。だが、セカンド・アルバムとなる今作『ストレンジ・プレジャーズ』では、グッと作家性を上げてきた。詞の上質なヤンデレ感もより強度を増し、サウンドはリッチに、クリアに。もともと持っていた世界観をよく磨いている。文脈や時代性に依らず純粋に作品を眺めるならば、間違いなく本作のほうがいい。傍目には地味な変化かもしれないが、艶の出た各楽曲をわれわれは長く愛でていくことができるだろう。

"ベルリン・ラヴァーズ"なんか5分くらいで作って、テッサと僕なんかその曲を作り終わったら部屋中でダンスしはじめちゃったりしたんだからね!(グレッグ・ヒューズ)

『ファイヤーファイルズ』(シングル)のアート・ワークはまさに60'sのサイケデリック・バンドの諸作品を彷彿とさせるものでしたが、音の方はというとレトロなシンセ・ポップやインダストリアル的ですらあるビートが参照されていて、前作と今作の特徴や差異をくっきりとあぶり出すように思いました。実際のところ、このシングルはどんな作品だと認識していますか?

グレッグ:数年前にスコット・キャンベルに会ったんだけど、僕らは彼の作品に一発で惚れ込んじゃって、それから僕らのカヴァーをやってもらいはじめたんだ。彼にこの曲を送って「ここから感じるものを表現して!」って言ったんだよ。思うに、この歌のカラフルなヴァイブスをうまく捉えてるよね。
"ファイヤーファイルズ"はこのアルバムの他の曲と同様に前作『クリーチャーズ・オヴ・アワー』以降に書いた曲なんだけど、以前のものよりポップで視野が広がった感じで、でもみんなで話しあったりして狙って作ったものじゃないんだよ。そんな感じにはしたくなかったし、自然に生まれてきたまんまだね。

とてもリズム・コンシャスなアルバムだと感じました。しかし、ダンス・アルバムにしたという意識はありました?

グレッグ:そうだね、僕らは踊るのが好きだし、僕がいきなりいろんなビート素材をたくさん作って、そこから曲を作ったりするんだ。"ベルリン・ラヴァーズ"なんか5分くらいで作って、テッサと僕なんかその曲を作り終わったら部屋中でダンスしはじめちゃったりしたんだからね!

ゲート・リヴァーブのようなエフェクトをめいっぱい効かせたりと、80'sっぽいサウンドを参照するのはなぜなのでしょう?

グレッグ:好きなリヴァーブを使ってるってだけだと思うよ。べつにそれが特別なサウンドだと思わないし、好きで選んでるからそれについての理由なんて考えたりもしないし。実際にアルバムで使ってるリヴァーブは、すべてサウンド的に厚みのあるプレート・リバーブだね。僕的にはほんとに全部、リヴァーブだらけにしちゃいたいくらいだから、今回それにかなり近い感じにできたね。

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僕らのサウンドは「ドリーミー」というよりは「ムーディー」と言った方が正確かもしれない。「ドリーミー」って僕的にいうとソフトでやんわりとした感じ、ほかにもチルアウト的な意味合いが強いし。(グレッグ・ヒューズ)


Still Corners
Strange Pleasures

Sub Pop / Traffic

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今作も男女の恋愛関係が繊細な感覚でシネマティックに描かれています。ですが前作が手に入らない愛を求めるような作品だったとすれば、今作は愛を失うことをおそれる作品という対称があるように思われました。あなたがたの場合、詞作は音に大きく影響を及ぼしたりするのですか?

グレッグ:素晴らしい質問だね! 前作は手の届かない愛について、今作は愛を失いたくない思い、どちらの解釈も正しいよ。メロディと歌詞は相互に絡み合ってお互いを映し出し、聴く人々を惹きつける輝きを放ちながら、雰囲気やヴァイブスをいっしょになって作り出していくものだと思ってる。

"ビギニング・トゥ・ブルー"という曲がありますが、あなたがたの音はまさに「ブルー」ではなく「ビギニング・トゥ・ブルー」だと思います。ご自身たちではどう感じますか?

グレッグ:僕にとってこの歌は、現在の関係性が以前のものとはまったく違うことを悟ってしまう瞬間みたいなものを歌ったもので、それってかなり哀しい感じだよね。だから僕は今回「ブルー」を「ブルーになる」という意味で使ったんだ。たぶんこれはマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』からとったんだと思う。マイルスが自分のレコードにどんなタイトルをつけるか悩んでたときにバンド・メンバーのひとりが「ブルーっぽい(kind of blue)感じのサウンドだよね」と言ったって話を読んで、メランコリックな雰囲気がそのアルバムには漂ってるし、その表現は間違いないって思ったよ。

今作のコンセプトやモチーフは自然に生まれてきたものなのですか? 今作までのあいだにとくにハマっていた音楽や作品などがあれば教えてください。

グレッグ:「コンセプトを持ってない」ってことがこのアルバムのコンセプトかな。その方がアルバムが楽しくなるし。僕がまず曲を上げてテッサがそれに手を入れたり歌を被せたりしながら、メンバーで新しいアイデアがないかを出し合うんだ。よさげなアイデアを誰かが出したらそれをもうちょっと詰めてく、みたいな。もしかしたら今回はいつもよりちょっとだけ荘厳な感じを目指したのかもしれないね。

リヴァービーな音作りはあなたがたの音楽性の重要な部分を占めていますが、それはドリーミーと呼ばれるゆえんでもあると思います。どのくらい「ドリーミー」ということを意識されていますか?

グレッグ:僕らのサウンドは「ドリーミー」というよりは「ムーディー」と言った方が正確かもしれない。「ドリーミー」って僕的にいうとソフトでやんわりとした感じ、ほかにもチルアウト的な意味合いが強いし。僕らの曲みんながそんな感じだとは思ってないけど。もちろん、僕が曲を書いたからってその曲のことをいちばん知ってるってわけじゃないしね。

ステレオラブやブロードキャスト、またビーチ・ハウスらと比較されるのはどのように感じますか?

グレッグ:それはすごいね、どのバンドもすごく好きだよ。それに加えてカン、ジョルジオ・モロダー、それにモリコーネなんかもそのなかにいれてもらえたら、ね。

テッサには何かロール・モデルとなるような歌い手がいますか?

テッサ:ジョニ・ミッチェル、エリザベス・フレイザーそれにケイト・ブッシュはもうずっと好きだわ。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの新作はどう思いましたか?

テッサ:すごく好きだよ。前作につづいて素晴らしいよね!

きのこ帝国 - ele-king

 GW真っ直中のこどもの日の夕刻、初夏の香りの漂う下北沢は、びっくりするほど若者たちで賑わっている。人混みを避けるように、僕は菊地祐樹と茶沢通りのコンビニで待ち合わせた。「しかしあれだね、この爽やか休日の、幸福そうな若者で溢れている町中を、若きニート=菊地と廃人のおっさん=僕が一緒に歩いているのも、面白いというか、なんというか」「ハハハハ、そうですね」......とか笑いながら、下津光史の弾き語りを聴くために風知空知へと向かった。
 下津は、「俺はいま禁酒しんてるんや。もう2週間もやで」と言って、我々を迎えた。席について、演奏を聴きながら、しばらくして僕は言った。「キクリン、下津の禁酒がいつまで続くか賭けないか?」「いいですよ」「俺はさ、もってあと1週間。今週末には飲んでいると思うね」「僕は、実はすでに飲んでいるに賭けます」......と話していたちょうどそのときだった。数曲歌え終えた下津は、ステージの脇にギターを置くと、足下に置いてあったミネラルウォーターのボトルを指さして、「なんやねん、この液体は。なんで透明なんやねん」とわめきながら、「俺が欲しいのは、もっと色がついているやつや」と声を荒げたあとに、子猫のような声で「すんません、コロナ、1本もらえますか」とスタッフに言った。

 翌日の6時過ぎ、場所は代官山UNIT、若者とおっさんは、きのこ帝国のワンマン・ライヴを見に行った。チケットはソールドアウトだったので、当たり前だが、ものすごい人だった。酸素が薄く感じるほど、超満員である。
 自分たちがどう見られるかばかりを気にするバンドが多いなか、きのこ帝国は、人目など気にせずに自分たちのやりたいことをやってきている。それがこのバンドの最大の強みだと思う。
 僕がこのバンドを初めて見たのは、およそ1年前の、5月26日の下北沢GARAGEだった。小さいライヴハウスに、お客さんが20人いるかいないか、しかもその場にいる20人は対バンのお客、そんななかでの演奏だった。それでも8月に下北沢のERAで見たときには、50人以上はいただろうか、それなりに埋まっていた。
 だいたい、100人も入れば埋まるようなライヴハウスで演奏を見ていると、身内の多いバンドかそうではないバンドかがわかるものだが、きのこ帝国は後者だった。いつもの取り巻きがいるわけではないし身内でわいわい盛り上がっている感じもない。そんなきのこ帝国は、この1年で、代官山UNITをチケット売り切れの満員にするほどのバンドとなった。地道なライヴ活動と2枚のCD、自分たちの音楽だけで。

 ドアを開ければそこは人垣だった。フロアの、僕は前へと突進して、最初はステージの近くで聴くことにした。ライヴは、テルミン(あらかじめ決められた恋人たちへのクリテツさんによる)電子音を響かせながら、"足首"ではじまった。じっくりと音を重ねがら、ゆっくりとアップリフティングしていく。さあ、ノイズ・ギターにまみれた魂のドラマのはじまりだ。
 ステージにいるのは1年前と変わらないきのこ帝国だった。愛想のない佐藤がいて、愛想の良いギターのあーちゃんがいる、物静かでシャイなふたりの青年がリズムを支えている。たまにあーちゃんが喋るくらいで、ほとんどMCはなく、淡々と演奏は続く。
 変わったのは、聴きに来ている人たちの数だったが、バンドはその夜もまた、ストイックだった。しかし、3曲目の"夜鷹"の孤独な思いが反響すると、おそらくは多くのオーディエンスの感情は、ゆるみはじめ......、ストロボの激しい点滅のなかで演奏された"暇つぶし"でたくさんの耳と心は釘付けにされた。我慢できずに、大粒の涙を流している人もいた。

 きのこ帝国が素晴らしいのは、血みどろの恋愛劇、傷つけあい続ける人間関係を勇気を持って描いているからである。傷つけ、傷つき合うことを忌避するあまりだろうか、歌のなかでも、あるいは休日の下北沢でも、オブラートに包んだような人間関係ばかりが目につくようになった。しかしときには、当人たちの望んだことではないにせよ、それが真剣であればあるほど、こと恋人同士とは傷つき合うことから逃げられないものだ。それは心を重層的なものにさせる。佐藤の歌には、その重層性がある。魂の地層をほじくり返すように彼女が歌うとき、オーディエンスの内部もほじくり返され、自らのそれに気がつくのだ。
 途中、僕は前列から退避して、後半は最後列で聴いた。"春と修羅"はアルバムよりもライヴ演奏のほうが、僕にはよく聴こえた。わめき散らされる感情は、生で聴いたほうがいい。いちばん後ろまでいって立っていると、すぐ隣には、色のついた液体を片手に持った下津光史がいた。
 1時間半ほどの演奏が終わるとアンコールが2回あって、2回目のアンコールでは新曲をやった。フロアを埋め尽くしている多くが若く、男女比率6:4ぐらいだったろうか、それほど女性客が目に付き、開演中にツイッターをしているような輩はものの見事ひとりとして見なかった。

追記:きのこ帝国から涙を完璧に吸い取って、歯切れ良くポスト・パンク
へと変換するとサヴェージズになるのだろうか......というのは飛躍し過ぎだろうねぇ。

tofubeats - ele-king

 インターネット・インディ、とでも言うのだろうか。サウンドクラウドやバンドキャンプの普及によって無限に拡張された「音楽を発表する権利」、その意義や可能性は、いつまでも手放しで称賛されていいものではないのかもしれない。『ele-king』では昨年、その象徴というか、あくまで端的な例としてヴェイパーウェイヴの紹介にかなり固執したけれど、一年が終わるころにはその反動を肌で感じるようになったし、個人的にはその思いを紙版『vol.8』号に書いたつもりだ。
 ひとつのキッカケになったのは間違いなくアルーナジョージの取った軌跡であり、シングル・デビューから〈Def Jam〉あたりが完全包囲していてもよさそうなこの逸材が、最終的には〈アイランド〉にたどり着きつつも、どこかもどかしいステップを踏んだことに違和感があったのだ。もちろん、強力な刺激を求めていくマーケットの要請に、より過剰な人材の投入で応えざるを得ないメジャーの音楽が一方的に退屈だと言うつもりはないし、インターネットが解放したインディの新領域にあらゆる自由があるとも思わない。
 そう、現時点ではまだ、「メジャーとインディとのあいだにある種の倒錯が起きている」というのはあまりフェアではない。だが、少なくとも、生まれたばかりのデモ音源(ときにメジャー契約にあるミュージシャンの新作)が、レコード会社の担当部門だけではなくインターネット上にも流布される現在、だからこそそのスピード感(やレーベルの度胸)という点で、ヤキモキした思いを抱かされるリスナーは決して少なくないと思う。

 とすれば、トーフビーツの登場は、ある意味では遅すぎ、ある意味では早すぎたというほかない。もちろん、ここ数年の活動――アイドル・ポップのプロデュースやリミックス、バンドキャンプからの配信――が単なる消耗戦だったというつもりはない。だが、〈WIRE〉への初出演からも、あるいはいまでこそ文句なしの代表曲となっている"水星"が初めて世に問われたときからも、すでに数年が経過している。彼が(インターネット・インディ以降の)J-POPにおける試金石であるなら、この事実は軽視されるべきではないだろう。
 「すっかり"メジャーなんて"みたいな言われ方する時代になったけど、10年前の俺はメジャーデビューしたくて仕方なかったなぁ。早く音楽だけやってていいようにならないかなって毎日思ってた。」――これは、とある(メジャー契約にある)ロック・バンドのヴォーカリストの言葉だが、"朝が来るまで終わる事の無いダンスを"や"水星"のミキシングが少しずつアップデートされ、少しずつ多くの人の耳に届いていく様子から、僕はトーフビーツの言葉にならない胸の内を見せられた気がした。
 彼の初期のデモ音源集『2006-2009 demo tracks』に、"Bonjour at 5:00AM"という曲があるが、トラックに挿し込まれたタイピングの作業音は、無名のトラックメイカーがなんの約束もない未来を、ベッドルームでひとり想像する孤独な姿を浮かび上がらせる。とすれば、本作の"Intro"に収められた音が割れるほどのエールを聴けば、彼(ら)がどのような世界を手に入れつつあるのかを高い熱量で伝える。とてもアンビヴァレントに。
 そしてトラックメイカーは、また部屋へと戻っていく。そう、多くの思いを胸にしまい、いつものたれ流しUstreamを聴かせるような驚くほど軽いタッチで、『lost decade』は幕を開ける。

 "SO WHAT!?"はさしずめ「ひとりモーニング娘。」状態で、ヴォーカルを取る仮谷せいらのノリノリなコーラスでこのアルバムは急発進する(ちなみにこの二人はティーンエイジ・ポップの傑作"大人になる前に"をリリース済み)。これと好対照をなすと言えるだろう、ファンキーなベース・ラインが妖艶に体をくねらす"No.1"は、G.RINAの艶がかったヴォーカルによって夜のラヴァーズ・ソウルに生まれ変わっている。
 逆に男子校的なノリでやんちゃに遊び回るのは、パンピー(from PSG)をフィートした"Les Aventuriers"、SKY-HI(a.k.a. 日高光啓)が参加した"Fresh Salad"などで、いずれも性急なBPMに合わせた高速ラップが原動力となり、甘いポップスを期待して『lost decade』を手に取ったリスナーを挑発するように激しく動き回っている。
 とすれば、ストリートとクラウドを行き来するラッパー・ERAとマイクをバトンするドリーミー・ラップ"夢の中まで"は、遊び疲れた男たちの涙、報われることのない涙だ。

 そして、理屈から言えば"No.1"のように強力なポップ・アンセムに再録できたであろう"touch A"や"synthesizer"といったトラックは、いずれも既発のヴァージョンで残してあり(本音を言えば、専門のヴォーカリストでいつかリテイクして欲しい!)、その余裕がなせる業だろうか、"I don't care"や"time thieves"といったエッジーなビートものもガッツリ収録してある。そのふり幅、その落差こそが、本作の肝のひとつだろう。
 ブックオフで250円のJ-R&Bやアイドル・ポップから、中古レコード屋で拾ったようなディスコやソウル、同時代のダンス・ミュージック、果てはヴェイパーウェイヴに象徴されるウェヴのフリー・ミュージックまで、彼がツイッターなどでリスナーを誘い込んできた音楽の世界の、その遠い射程を追体験させるような仕掛けが、『lost decade』にはあると思う(だいたい、"水星"の元ネタを水星以前に認知していた人なんてどれくらいいたんだろうか?)。
 トーフビーツの描いてきた軌跡でもって、インディという概念が次のパラダイムに突入したことを――アルーナジョージやスカイ・フェレイラの登場がおそらくは欧米の若いリスナーのあいだでそう機能したように――多くの人が感じ取っているのもまたたしかだろう。だが(この話題をグズグズ引っ張って申し訳ないが)、いくつかの収録曲が、もう何か月も前にバンドキャンプで聴くことができた、ということを考えれば、『lost decade』のリリースはあと1年くらい早くてもよかったのでは......、というか、そうあるべきだったのではとも思ってしまう。

 小さなポップと、その新しい輝きについて――。「きらきら光る星のはざまでふたりおどりあかしたら/もっと輝くところに君を連れて行くよ」――ここにもまた、明るい未来への兆しがある。しかし、ますます真実味を帯びていくこの"水星"のキラー・センテンスが2013年という季節に含むのは、決してプリミティヴな高揚だけではないハズだ。
 だが、やがて『lost decade』は、南波志帆を招いてのタイトル・ソング、パーティの終わりにピッタリの"LOST DECADE"で大団円を迎える。いま、たったこの瞬間を祝福し続けることで、次の10年を繋げていこうというような願いが、さまざまなネガティヴの気配を追い払うように、この5分40秒を堅守する。それは感動的でさえある。僕たちはどうにかして彼を発見したし、この迷える時代に、彼によって発見されもしたハズだ。それがどれほど彼を待たせた結果であったとしても。

 今年の7月にようやく発売されるアルーナジョージのフルレンス・アルバム『Body Music』と、この『lost decade』によって、インターネット・インディとメジャー・レーベルの関係がうまく仕切り直しになればいいなと思う。トーフビーツのメジャー進出は、それくらいの意味をきっと持つ。
 ところで相変わらず、歴史性を欠いたままに惰性とノスタルジーとだけが蔓延しているように思えるJ-POPは、どのように再編可能なのだろうか? そのヒントになるかはわからないが、そういえば昨年、トーフビーツがツイートしているという「だけ」の理由で、森高千里やモーニング娘。をよく聴いた。もちろん、〈マルチネ〉が配信する『街の踊り』や『PR0P0SE』とともに。そこを繋ぐ架け橋、という言葉ではあまりにクリシェだが、彼(ら)が照らす未来を僕はそろそろ待ちきれない。この作品がまた、未来の誰か――ニュータウンや地方都市の片隅に生きる名もない若者たち――を勇気づけることを祈って、僕もその先を考えていきたい。時代に負けるな!

〈キツネ〉2013! - ele-king

 さて、〈キツネ〉は過去か? 2002年の設立以来、エレクトロ・シーンとインディ・ロック・シーンとを軽やかなフットワークで往復し、ファッションとともにそれらを牽引してきた同レーベル。コンピレーション・シリーズ『キツネ・メゾン』を欠かさずチェックしていた方も多いことだろう。クラクソンズやブロック・パーティ、フェニックスにホット・チップ......しかし時代の移り変わりはどんなシーンにもやってくる。10年をこえて存続するレーベルがつねに新しくあるというのは大変なことだ。だが、その判断は『イズ・トロピカル』の新譜を聴いてみてからにしよう。
 ゲイリー・バーバー、サイモン・ミルナー、ドミニク・アパからなるこのロンドン3人組は、2009年に鮮やかなデビュー・シングルとともに現れ("When O' When"〈ヒット・クラブ〉)、2011年のフル・アルバムでもみずみずしいロマンチシズムをシンセ・ポップに溶け込ませていた。そしてセカンドとなる今作ではソング・ライティングに磨きをかけ、ポップスとしての爽やかな解をストレートに導き出している。愛らしく質の高いポップ・ミュージックとして洗練されることで、彼らのキャリアと〈キツネ〉のイメージを成長させていくような好盤だ。プロデューサーはフォールズやデペッシュ・モードを手がけてきた才人=ルーク・スミス。

■商品情報
アーティスト名:Is Tropical
タイトル:I'm Leaving
仕様:帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]
品番:TRCP119
価格:2,100円(税込)
発売日:2013.5.15
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70年代初期のサイケとブリット・ポップをテーマにロマンティックなエレポップ、疾走するロックンロール、さらに甘いメロディーを織り交ぜた新機軸サウンド!! 〈Kitsune〉発のスリー・ピース・バンド、イズ・トロピカル待望の2ndアルバム!!

・フォールズやデペッシュ・モードを手がけてきた才人=ルーク・スミスがプロデュース。
・ 先行シングル『Yellow Teeth』にはEllie Fletcherがヴォーカル参加。

クラクソンズ好きも必聴!! カラフルでポップな楽曲を散りばめた彼らの最高傑作!!

デビュー前から雑誌『Dazed & Confusion』の表紙を飾り、破格の新人として『NME』でも大絶賛された〈Kitsune〉発ロンドン出身の覆面スリー・ピース・バンド、イズ・トロピカル。日本でも〈BRITISH ANTHEMS〉に代わる新進気鋭のニューカマーを紹介するイベント〈RADARS〉(レイダース)や〈Kitsune〉レーベル10周年記念イヴェント〈KITSUNE CLUB NIGHT〉で来日するなど根強いファンを持つ彼らが、トレード・マークでもある覆面を脱ぎ捨て、約2年振りとなる最新作を発表! 2ndアルバムとなる今作はフォールズ、デペッシュ・モードまでをも手掛けるルーク・スミスをプロデューサーに迎え、70年代初期のサイケとブリット・ポップをテーマに制作。トゥー・ドア・シネマ・クラブ同様、確かなソングライティングに加え、若き日のデーモン・アルバーンを彷彿させる歌声とスーパー・ファーリー・アニマルズ、ステレオラブ、ティーンエイジ・ファンクラブ、〈Creation Records〉好きにはたまらない甘酸っぱいギター・ポップやロマンティックで切ないエレクトロ・ポップとエッジの効いたダンサブルなトラックまでをも織り交ぜた新機軸サウンドを展開。JKデザインを彷彿させるカラフルな楽曲を散りばめた彼らの最高傑作と言えるアルバムです!

interview with Vampire Weekend - ele-king


Vampire Weekend
Modern Vampires of the City

XL / ホステス

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 1曲ごとにわあっと歓声があがる。「アレだ!」という高揚がある。今年2月、〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉でのショウを眺めていて、『ヴァンパイア・ウィークエンド(吸血鬼大集合!)』はよく聴かれた作品なのだなあと、しみじみと感じた。「ヨウガクの共通体験」なんていうものがますます希薄になる昨今、彼らのようなちょっとややこしい音楽が多くのリスナーにしっくりと受け止められている様子には、やっぱり胸が熱くなる。

 ヴァンパイア・ウィークエンドは本当に素晴らしい。ちゃんとマジでドキドキ、ワクワクがある。ヒリヒリもある。アルバム一枚のなかに、走り、歌い、高揚し、泣き、切なくなって、飛び跳ね、愛し、虚無的になって、笑って、というようなことがひと揃い収まっている。この種のことは嘘っぽかったり安っぽかったりするとすぐに見破られてしまうから、エズラという人はよっぽど並み外れて広いエモーションの幅を持っているに違いない。並み外れて感じ、そして並み外れてそれをうまく音楽に変える。彼らのアフロ・ビートは輸入物ではない。いまそこで、彼らがありありと感じている生きた感情そのものだ。

 くだらないティーンの日常などはのぞきたくないという人も安心してほしい。ポロを着て、ちょっといい大学に通う、ソフトにやんちゃな若者たち......ミドル・クラスの余裕と、その日常への軽やかな批評を漂わせながら、アフロ・ポップに新鮮な血液を送り込んだ彼らは、同じ理由のために揶揄もされたとはいえ、それを跳ね返しておつりが戻るほどクレバーなインディ・ロック・バンドである。デヴィッド・バーンの系譜に数えることもできるだろうが、アフリカン・ミュージック原理主義に陥ることなく、あくまで彼らのリアリティを発火させているところが素晴らしいのだ。だからヴァンパイア・ウィークエンドは、2008年のデビュー作からこのサード・アルバムまでのあいだに、「地元のヒーロー」からワールド・クラスのポップ・アーティストへとステージを上げた。彼らのドキドキ、ワクワク、ヒリヒリには、とくに私小説的な湿り気もドラマも説教もないけれども、はっきりと同じ時代の空気を吸っている人間の心の躍動が感じられる。そして、世代を超えてさまざまな人々にリーチできる音楽的な強度がある。

 2008年。彼らは明るく、天使のように自由で、歴史性に足を絡めとられなどしないように見えた。そして彼らのうしろには、そうした空気を自然に吸うことのできる世代がジャンルを問わず登場してきている気配を感じた。表現ということに対して、何か無限のメタ認識と自己弁明を強いられるような90年代後半~2000年代初頭の息苦しさから突如解放され、あけすけに武装解除をはじめた才能たちを、筆者はとてもまばゆい思いで見つめていたのを覚えている。音は違えど、たとえばチルウェイヴのアルカイックな微笑みがぽつぽつと見えはじめてきたのもこの時期だ。だからこのバンドには万感の思いがあったのだが、ごく短い時間でのインタヴューで、なかなかうまく奥へと踏み込めなかったのは少々心残りだった。

 けれど、ややストレートなロック・アルバムになった印象のこの3枚め『モダン・ヴァンパイアズ・オブ・ザ・シティ』にも、やっぱり説得されてしまう。エズラが声を裏返すとき、途方もない力でわれわれのなかにメロディを押し込んでくるとき、ロスタムのシンセがまさに彼らでしかありえないフィーリングを鳴らすとき、筆者は2008年という初心に返る。ノスタルジーではない。何度でもやり直して前に進むための新しい原点、「モダン・ヴァンパイアズ」たちの「モダン」なマナーである。

僕らは、トライバルなサウンドというものは意識して避けていた。ただ、抽象的なリズムを採り入れるということは好きだったよ。(エズラ)

新しいアルバムは、(このインタヴュー収録時点の2月では)まだ4曲しか聴けていないのですが、ひとつの変化としてリズムを挙げることができるのではないかと思います。アフロ・ポップのエッセンスは残りながらも、かなりストレートな8ビートが聴けますね。こうしたストレートめなロックのアイディアはどのようなところから生まれてきたのでしょう?

ロスタム:よりストレートなリズムを打ち出すというのは目標ではあったかな。でもそれと同時にユニークなものも作りたかった。シンプルだけどいろんな要素を取り込んでおもしろくしていきたかったんだ。"ドント・ライ"って曲に関してはほんとにロックっぽいものを考えていたんだよね。でもキック・ドラムで16ノーツ、これを繰り返すことでロックだけどアン・ロックなものにできたと思うよ。ちょっとヒップホップ調の、ドラム・マシンで出すような音を目指してみたんだ。今回のアルバム全体が目指したのは、オーガニックな音、だけれどもユニークなもの、ってところかな。

そもそもダーティ・プロジェクターズとかアニマル・コレクティヴとか、ギャング・ギャング・ダンスとか、あなたがたのファースト・アルバムが出た2008年当時はニューヨークの多くのバンドが、ファッションやリズムにおいてもトライバリズムというものを志向していました。そうしたムードをどのように見ていましたか?

エズラ:僕らは、トライバルなサウンドというものは意識して避けていた。ただ、抽象的なリズムを採り入れるということは好きだったよ。なぜ、こうしたバンドたちが同時に同じような音を出しはじめたのかということはわからないけれど、いま自分たちにとって新鮮に感じられるものは、当時の彼らが感じていたものとは違うだろうね。

ヴァンパイア・ウィークエンドのアフロ・ポップって、たとえばカリンバをフィーチャーするとか、現地でフィールド・レコーディングをしたりとか、民俗衣装を着けたりってことをしなかったところが素晴らしくもあると思うんですね。ラルフ・ローレンを着て、世界の中心たるニューヨークで、軽やかにアフロのリズムをはじき出した......そこにわれわれはしびれたわけです。こういうスタイルの選択は何か意識的なものがあったのではないかと思うのですが、どうですか?

エズラ:うん。プランはつねに立ててるんだ。けれどそれが意識的である場合もあれば無意識である場合もある。ミュージシャンとして、アーティストとして、自分が惹かれるものに対して素直にそれを取り入れていくべきだと思っているよ。ステージの上でいろんな格好をするっていうのは、それに惹かれているってことだから、そういう人たちはそれでいいんじゃないかな。

なるほど、ファッションって点で気になるものもあるんですか?

ロスタム:ジュンヤワタナベが好きだよ。僕らが作る曲と、彼の服には何か共通したものを感じるな。アフリカン・ビートだったり60年代ポップスだったり、クラシックだったり、僕らは既存の音楽に共感して取り入れているんだ。ジュンヤワタナベの服も、そうした過去のもの、伝統的なものに共感して作られているという感じがするな。

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キック・ドラムで16ノーツ、これを繰り返すことでロックだけどアン・ロックなものにできたと思うよ。今回のアルバム全体が目指したのは、オーガニックな音、だけれどもユニークなもの、ってところかな。(ロスタム)


Vampire Weekend
Modern Vampires of the City

XL / ホステス

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かつてデビュー作がリリースされた頃の『ガーディアン』なんかを読みますと、みなさんのことは「ローカル・ヒーロー」というふうに呼んでいるんですけど、一昨日のライヴ(ホステス・クラブ・ウィークエンダー)を拝見して思ったのは、大きいバンドになったんだなということなんです。ヒット・ナンバーを中心にステージ構成をしていくような、メジャーなバンドになったんだなと。この数年で、自分たちが引き受けるべき役割への意識に変化はありましたか?

エズラ:最初はかなり高いゴールを設定していたんだ。キャッチーでありながらも深さがあって、より複雑な構成で、というような曲をね。いま自分たちの音楽が世界やシーンのなかのどのあたりに当てはまるのかということを答えるのは難しいけど、自分たちが作った曲が人々に届いて、人々とたしかにつながっているということは感じているよ。自分たちの存在をあらためて確認できている、という感じかな。

ヴァンパイア・ウィークエンドのサウンド・イメージにおいて、ロスタムさんのキーボードの音色が生んでいるユーフォリックなムードはとっても大きな役割を果たしていると思います。たとえば"Aパンク"とか、"オックスフォード・コマ"とか。あの音はもともとあなたのなかにあったものなのですか? それともバンドをやる上で試行錯誤して生まれてきたものなんでしょうか?

ロスタム:大学でクラシックを学んでいたんだけれど、自分の奏でるハーモニーが曲全体に与えるパワーっていうものに魅力を感じていて。弾き語りでもなんでも、そうしたパワーにはつねに意識を置いているよ。

ここのところ80年代風のシンセ・ポップなんかがすごく流行しましたけど、そういう一種通俗的な、ギラギラとした音ではなくて、もっとあたたかくてクリーンで、どことなく新しい感じがする音だと思うんですね。もうちょっと音作りについて教えてもらえませんか?

ロスタム:空間をあけることを意識してるよ。スペース。最小限のもので曲を作るということを意識しているんだ。ただ、そのぶんどの楽器をどのように演奏するかということが重要になってくる。同じメロディ、同じ部分をいろんなパターンで作ってみて、みんなに聴いてもらうんだ。実験することが好きだし、自分がやっていなかったことに挑戦するのも好きだから、"Aパンク"だって、ああいう音はあの時点ではじめてだったんだよ。スペースの話に戻ると、キーボードが抜けてギターが入ってくるときに低音にスペースが生まれるんだ。そこにベースとドラムが入る。そんなふうに作っているんだよね。メロディがどうやってできるかというと、まずは即興、それを聴き直してどんどん形を整えていく、その繰り返しだよ。そのときも考えながらバランスをとっているんだ。

何か別のインタヴューを読んでいて、エズラさんが次の作品は「darker & more organic」になるというようなことを話されていたと思うんですが、「darker」ってどのようなことを指しているんでしょう?

エズラ:今回のアルバムは全体的に同じだけの緊張感を保つようにしたんだ。メジャー・キーの曲が多いにもかかわらず、なんとなく霧が漂うように暗い感じ。それはハーモニーでもメロディでも歌詞でもいっしょなんだけど、僕がダークだと思っているのはそういう緊張感のことだよ。オーガニックということに関しては、部屋のなかでドラムを鳴らすことだね。ウッディな感じ。すべての曲、すべての楽器に、ウッディさを持たせたかった。呼吸をしているような感じというのかな。

なるほど。"フィンガー・バック"なんかは、あなたがたのルーツにファンクもあるんだなってことがストレートに出ている曲かと思いますが、こういうようなアイディアや傾向には、プロデューサーのアリエルさんが関係してたりもするのでしょうか?

ロスタム:メロディや歌詞をエズラが考えて、それに対して僕がドラムを加えていったんだ。50'sロック、ファンク、アフリカン、そのあたりは意識したけど、アリエルとの作業をはじめたときにはリズムはできあがっていたんだ。そこからどのようなドラムのサウンドを曲に反映させていくか。その時点でアリエルの意見は反映させたんだけどね。リズムは僕らのなかにあったものだよ。

本日スタート、東京公演は10日! - ele-king

 ついに全貌を現したぞ、マーク・マグワイヤ2.0!! エメラルズ脱退後初となる新譜リリース&来日という嬉しい情報は、いったいこの敷島の大和の電脳空間をくまなく駆け巡っているのであろうか? 「マーク・マグワイヤ・ジャパン・ツアー2013」は本日5/8(水)、名古屋からスタート。東京公演は10日(金)となる。
 「前回観たしねー」「GWでおこづかい使っちゃったしねー」と躊躇している方にお教えしたいのは、来月発売の新譜の内容だ。東洋趣味のニューエイジ・スタイルからはじまる冒頭1曲だけで、彼におとずれているポジティヴな変化を感じ取ることができるだろう。これまでのソロとはあきらかに違う。よりクリアに、よりドリーミーに、リズム志向に、手も引き出しも広がった印象だ。ピアノまで鳴っている。そして時折、「ああ、マグワイアだ! 久しぶり!」とも言いたいようなマグワイア節が顔をのぞかせる。ストイシズムを遠く置き去りにしたギター・アンビエンスの桃源郷。この感じをライヴでやってくれるだろうか? そうだとすればこれまでの来日を観てきた方にも絶対に損はない。

さて、5.10(金)のUNIT公演は読者の皆様から3名様をご招待! 本記事掲載後にele-kingアカウントよりツイートされる該当記事をRTしてくださった方を対象として、抽選させていただきます!

■チケット・プレゼント応募方法
ele-kingのtwitterアカウントをフォロー後、当該ツイート(【マーク・マグワイヤ来日情報】ではじまります)をRTしてください。
締切は5/9。
当選者の方には5/9(木)24:00までにアカウントへDMを差し上げますのでご注意ください。当日はゲストとしてお入りいただくかたちとなります。

■作品情報
発売日:2013年6月13日
品番:YAIP-6027
アーティスト:Mark McGuire (マーク・マグワイヤ)
タイトル:Along The Way(アロング・ザ・ウェイ)
定価:¥2,300 (税込)
バーコード:4532813530277
フォーマット:国内盤CD
レーベル:Yacca / Inpartmaint Inc.
ジャンル: Electronic / Indie-Rock
商品情報:https://www.inpartmaint.com/#/post-4428
*日本先行発売

次世代エレクトロニック・ミュージック・シーンをリードする若きアメリカ人ギターヒーロー、Mark McGuire(マーク・マグワイヤ)のニューアルバムが日本先行リリース決定! 個人の精神的発展をベースにした「旅」の物語を繰り広げる壮大なスピリチャル・ドリーム・ポップ!!

USアンダーグランドのアナログ・シンセ・リヴァイヴァルの代表各バンド・エメラルズのギタリストとしての活動と平行し、カセットテープ等も含む数多くのソロ作品を発表してきたアメリカ人ミュージシャン、マーク・マグワイヤ。2012年末にエメラルズを脱退し(その直後、スティーブ・ハウシルトもバンドを脱退し、エメラルズは解散。)、現在はソロとして活動を続けている彼が、各方面から高い評価を受け、ソロとしての人気を確立した前作「Get Lost」(2011年 / Editions Mego)から2年ぶりとなる新作「Along The Way」を完成させた。

本アルバムの制作は、エメラルズのラストアルバムとなった「Just Feel Anything」制作後の、2012年8月から2013年2月の間に行われた。このアルバムは、複数のコンポジションから成る4つパートによって構成され、個人の精神的・心理的な発展をベースにした壮大な「旅」の物語として展開されていく。この旅の物語にはマーク本人の成長の過程で起こった様々な経験からの心理描写が反映されている。

本アルバムでは、これまでのソロ作品で主に用いられてきたギターとエレクトロニクスに加え、ピアノ、シンセ、ドラムマシーン、パーカッション、サントゥール、マンドリン等の数多くの楽器が導入されており、さらにマーク本人の歌声やトーキングボックスを使用したボーカルもより前面に押し出された内容となっている。アシュラ~マニュアル・ゲッチング等のクラウトロックとミニマリズムを融合させたギター・アンビエントと前途の様々な楽器やボーカルによる多彩なサウンドアプローチには、これまで以上にソング・オリエンテッドな要素が含まれており、アンビエントやテン年代クラウトロックと称されたサウンドから大きなスケールアップを遂げている。煌めくギターワーク、情熱的なリードギター、センチメンタルにやさしく響くボーカルや生楽器、ニューエイジ感溢れるドリーミーでコズミックなエレクトロニクスのアレンジメントが渾然一体となった、非常にエモーショナルで豊かな音楽性を包含するエレクトロニック・ポップ・サウンドは、マグワイヤの新たなチャプターの始まりを象徴する重要な1枚となるだろう。


■公演情報
Mark McGuire Japan Tour 2013
special guest: Ken Seeno (ex. Ponytail)

5.8(水)名古屋 TOKUZO
5.9(木)大阪 CONPASS
5.10(金)東京 UNIT
5.11(土)新潟 正福寺
5.16(木)広島 ヲルガン座 (*Ken Seenoは出演致しません)
5.17(金)香川 ノイズ喫茶iL (*Ken Seenoは出演致しません)
5.18 (土) 京都 THE STAR FESTIVAL 2013 (*Ken Seenoは出演致しません)

詳細 ⇒ https://www.inpartmaint.com/markmcgure2013/

 

interview with Youth Lagoon - ele-king


Youth Lagoon - Wondrous Bughouse
Fat Possum / ホステス

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 なるほど、彼はベッドルームで録音などしたことがないのだそうだ。てっきりテレコで部屋録りした素材を大事に作り直しているのだとばかり思っていたが、それはベッドルーム・ポップと呼ばれるものへのひとつの偏見だったかもしれない。「音がアイデアのはじまり」と語るユース・ラグーンことトレヴァー・パワーズは、制作環境ではなく、めぐらせた音によって彼自身のパーソナルなスペースを築いている。けっして陰険な音楽でも人嫌いなタイプでもないが、〈ウッジスト〉や〈キャプチャード・トラックス〉にも連なるようなリヴァーブ感は、心地よい遮蔽感覚を与えてくれるだろう。いい具合の隙間にすっぽりと入り込んで、外に陽のあたたかさを感じながら、膝を抱えて眠り込んでしまうような感覚。そこにはうっすらと狂気のにじんだドリーミー・ヴァイブが満たされている。ジャケットの絵が薬物中毒患者の手になるものだというのは、本作のサウンド・スケープをぴたりと象徴するものだ。
 2011年、ドリーム・ポップに活気づくインディ・シーンの追い風も受けながら、彼のデビュー作『ザ・イヤー・オブ・ハイバーネイション』は高評価をもって迎えられた。その時点では、流行や数多の才能のなかにやや埋もれがちな印象もあったが、ときをおいて、いま、彼本来のシンガー・ソングライター的な佇まいがようやくくっきり見えてきたように感じられる。遠景にパンダ・ベアをかすませて、イディオット・グルーやザ・ウォー・オン・ドラッグスやMGMTの間を縫いながら、まるでポスト・チルウェイヴ世代のダニエル・ジョンストンといったような楽曲が並ぶ。プロデューサーは、アニマル・コレクティヴやディアハンターでもお馴染みのベン・アレンだ。ドリーミー・サイケはお手のもの。もちろん時代性やモードに比較するよりも、彼個人の本当にパーソナルな表現だととらえるほうが、本作は輝くだろう。そのような遠近法がとれるようになった、よいタイミングでの快作である。ダニエル・ジョンストンもジャド・フェアも知らないというのは驚きだったけれども......。


自分の心が妙なはたらき方をするっていう事実を受け止めるのに少し時間がかかったんだ。その間に、不安だらけで心配性みたいな、間違った僕の人物像ができてしまったけど、実際の僕はそうじゃないよ。

あなたが活動をはじめた2010年前後から、音楽シーンも少しずつ変化しました。アニマル・コレクティヴが2000年代半ばに示したような新しいサイケデリック・ミュージックも、あなたのような才能を産みながらいろいろな方向へと拡散しています。いまあなたがこのアルバムを “スルー・マインド・アンド・バック”というメディテーショナルなノイズ・アンビエントからはじめたのはなぜでしょう?

パワーズ:アルバムへのイントロダクションになるものが欲しくて、あの曲がそれにぴったりだったんだ。あの曲自体が完成したのはアルバムに入っている曲のなかでも最後の方だったんだけど、出来上がったとき「この曲は冒頭に入れたら上手くいくんじゃないか」って思ったのさ。

“スルー・マインド・アンド・バック”の「バック」とは何ですか?

パワーズ:これはある意味で転換点みたいなトラックなんだ。僕がこの曲を書いていたとき、まるでどこか別の、何もかもつじつまの合っている世界へと連れて行かれたような感じがした。そして書き終わった途端に、また元の世界に「戻って」来たような感じがしたんだよ。

今作はプロダクションも整理されて、しかしあなたの音楽のシンセの丸みや太さ、ノイズ感やえぐみといったものはきちんと残されていますね。プロデューサーのベン・アレンとは相性も合うのではないかと思いますが、録音はいかがでしたか?

パワーズ:ありがとう。このアルバムの録音のプロセスはかなり綿密なものだったよ。ベンと僕は2ヶ月近くもの間、毎日レコーディングし続けた。インターンやエンジニアから成るベンのチームもみなすばらしい人たちだったよ。とても健全な感じのするプロセスだったね。僕が目指していたようなものを引き出しやすい雰囲気だった。

あなたの方からプロダクションについて要望したことはありますか?

パワーズ:レコーディングのためにアトランタに行く前から、ベンとはしばらく電話で話をしていたんだ。彼とは最終的なゴールについてしっかり話し合って意見を一致させておきたかったからさ。そしてそれってどんどん変わっていくものなんだ、ある曲やアルバムについて特定のヴィジョンを持っていたとしても、実際の制作が始まると、そこからまったく違ったものへと変化してしまったりする。それぞれの曲が意志を持って動きはじめるんだよ。今回のプロダクションでは、それぞれの曲が発したがっている音をそのまま出せるようなものにしたかったから、ベンと僕との間には良い意味での緊張感があった。彼の見方が僕の見方と違っていることはあっても、目指しているゴールは同じだったのさ。

ファースト・アルバムは大きく注目され、高い評価をもって迎えられました。このことがその後の音楽制作上の足枷になっているようなことはありませんか?

パワーズ:唯一気にかかるのは、前のアルバムと同じものを期待している人たちがいるってことだね。僕自身が音楽でエキサイティングだと思うことは、予測の出来なさなんだ。同じことを2度はやらないよ。だからそういうのを期待している人たちには、何もあげられるものがないね。

ファースト・アルバムには「不安の克服」というモチーフがあったという記事を読みました。今作にはより穏やかであたたかいムード(“ミュート” などは力強くすらあります)があると思うのですが、「不安の克服」はその後今作にいたるまでの間に形を変えたと思いますか?

パワーズ:とくに不安の克服っていうテーマを意識していたわけじゃないよ。自分の心が妙なはたらき方をするっていう事実を受け止めるのに少し時間がかかったんだ。その間に、不安だらけで心配性みたいな、間違った僕の人物像ができてしまったけど、実際の僕はそうじゃないよ。

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基本的には、無理をしたところのない音楽に共感するね。何か「これをしなきゃいけない」っていう特定の方針みたいなものを持っているバンドだったり、無理をした感じのする音楽が多いけどさ。正直で純粋なものって、聴けばすぐにわかるんだ。


Youth Lagoon - Wondrous Bughouse
Fat Possum / Hostess

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ジャケットのアートワークはあなたの絵ですか? 生命の輪廻の模様が暖色で描かれていますね。これは今作のテーマのひとつでもあるのでしょうか?

パワーズ:僕も絵を描くのがうまかったらよかったんだけど、あのジャケットの絵はマルシア・ブレーズル(Marcia Blaessle)っていう女の人が描いたものだよ。まだアルバムのレコーディングをはじめる前に、たまたまドイツで出版された『ラウシュ・イム・ビルト(Rausch Im Bild)』っていう、70年代の薬物中毒患者についての研究と、彼らの作ったアートについての本を見つけたんだ。そしてその作品のうちのひとつに無性に心が惹かれて、僕のマネージャーにお願いしてその絵の著作権について調べるのを手伝ってもらった。その本のもともとの出版社はすでに無くなっていて、他の出版社に権利が渡っていたから、それを見つけるのに何ヶ月もかかったよ。マルシアももう既に亡くなっているみたいで、彼女についての情報もほとんど見あたらなかったしね。最終的にやっとあの絵の現在の権利者である出版社が見つかって、僕がレコーディングをはじめる頃には絵を使用する許可も全部クリアできた。

曲作りにおいては、歌メロからできることが多いですか? あなたが言葉の上で影響を受けていると感じる作品などがあれば教えてください。

パワーズ:いつも音を作るところからはじめるよ。大抵は強くエフェクトをかけたギターやキーボードの音とかで、そういうふうに実験しながらサウンド面でのインスピレーションを受けていくことが多いんだ。最初に歌詞が出てくることはないよ。僕の場合、歌詞を付けるには、まず先に音楽的な骨組みがなきゃダメなんだ。

ピアノや鍵盤楽器が発想や作曲の中心になるのでしょうか?

パワーズ:そのときどきで違うけど、だいたいギターかピアノだね。まずひとつのアイデアからはじめて、そこから組み立てていくんだ。

あなたは、たとえばダニエル・ジョンストンやジャド・フェアのような我が道をゆく吟遊詩人と、ギャラクシー500や〈エレファント6〉周辺で活躍するようなインディ・バンドのどちらによりシンパシーを覚えますか?

パワーズ:ここに挙げられているアーティストどれもあんまり聴いたことがないよ。基本的には、無理をしたところのない音楽に共感するね。何か「これをしなきゃいけない」っていう特定の方針みたいなものを持っているバンドだったり、無理をした感じのする音楽が多いけどさ。正直で純粋なものって、聴けばすぐにわかるんだ。それがアヴァン・ギャルドなものであれ、ストレートでわかりやすいものであれね。そういうものに惹かれるんだ。

イクイップメントについて教えてください。やはりアナログ機材にこだわっているのでしょうか?

パワーズ:僕はアナログもデジタルも両方使うけど、やっぱり好きなのはアナログだね。温かみを感じるからさ。

ライヴと録音作業ではどちらが好きですか? 宅録に限界を感じることはありますか? 

パワーズ:どちらもそれぞれ独特のものだし、まったく違った体験だよ。でもどちらかを選ぶなら、レコーディングの方が好きと言えると思う。僕にとっては、アイデアがはじまるところだからね。宅録についていえば、僕は自分のベッドルームとかでレコーディングはしないし、したこともないよ。デモのほとんどはカセットテープで録音したけど、それはカセットだと屋外でもアイデアをすぐにレコーディングできるからで、そういうアイデアは大抵外にいるときにできるんだ。『ザ・イヤー・オブ・ハイバネーション』は僕の家の近くのスタジオでレコーディングしたんだよ。

Tim Hecker - ele-king

 まさに待望の初来日だ。ティム・ヘッカー......日本でもいまだ信者の多い『ピッチフォーク』をはじめ、イギリスの『ワイアー』まで、みんな大絶賛の、ここ10年のエレクトロニック・ミュージックにおいては超重要人物ですよ。
 以下、今回の来日に関して、三田格が寄せた文章です。

 ミル・プラトーからリリースされた『レイディオ・アモーレ』(2003年)がはじまりだった。
 テクノ/エレクトロニカはこの時、初めてゼロ年代のアンダーグラウンドを席巻したドローンと接点を持つことになった。
 ひたすら気持ちよければよかったアンビエントはとくにそのセールス・ポイントを失い、耳を覆いたくなるような瞬間を経験しながらもアンビエント・ドローンとして新たなタームを歩みはじめる。ティム・ヘッカー自身もアンビエントやノイズを呑み込んだドローンの多様性にこだわり、その裾野を1作ごとに広げていく。
 〈クランキー〉からリリースされた『ハーモニー・イン・アルトラヴァイオレット』(2006年)はそのひとつの集大成であり、アイスランドの教会で取り組んだオルガン・ドローンの 『レイヴデス、1972』(2011年)は新たな方向性を示すものとなった。
 昨年はOPNと組んだ『インストゥルメンタル・ツーリスト』も話題になった。日本でつくられるアンビエントはいまだに90年代マナーのものがほとんどである。それらがすべて古く聴こえてしまうのは間違いなくティモシー・ヘッカーのせいである。(三田格)

WWW presents Tim Hecker Japan Tour 2013

<東京公演>
日  程:2013年6月7日(金)
会  場:渋谷WWW
時  間:OPEN 19:00 / START 20:30
料  金:前売¥4,000 (ドリンク代別 / オールスタンディング)
問合わせ:WWW 03-5458-7685 

<京都公演>
日  程:2013年6月8日(土)
会  場:京都METRO
時  間:OPEN 17:00 / START 17:30
料  金:前売¥2,800 (ドリンク代別 / オールスタンディング)
問合わせ:METRO 075-752-2787 / WWW 03-5458-7685 

<チケット情報>※2公演共通
先行予約:3月29日(金)19:00 ~ 4月7日(日)23:59
受付URL https://eplus.jp/timhecker
一般発売:4月13日(土)
チケットぴあ[P:197-955]、 ローソンチケット[L:75645]、e+ (https://eplus.jp/timhecker)、
WWW・シネマライズ店頭(東京公演のみ)にて発売。
     
主催:渋谷WWW
協力:京都METRO / p*dis / melting bot

東京イベント詳細URL→ https://www-shibuya.jp/schedule/1306/003742.html
京都公演URL → https://www.metro.ne.jp/


interview with Karl Hyde - ele-king


Karl Hyde - Edgeland
Universal / ビート

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 強風のために電車が止まり、〈ソナー・フェス〉はそこそこの入りだった。おかげでトリにもかかわらず、カール・ハイドも悠々と観ることができた。初めて新宿リキッド・ルームでアンダーワールドを観たときは、客が40人もいなかった。「ボーン・スリッピー」がヒットしてからはどこもかしこもギュー詰めで、もう、こんな風にカール・ハイドを観ることはないと思っていた。いつもはまるで落ち着きのないカール・ハイドが静かな曲ばかり演奏しているうちに、だんだん無駄な動きをしなくなっていったことがとくに印象的だった。

 とはいえ、インタビューの席に現れたカール・ハイドは、やはりとてつもなく落ち着きがなかった。ひとつの質問に答え終わると、すぐに口笛を吹き出し、初のソロ・アルバムとなる『エッジランド』を聴いて、どことなく『スキッパー』というアルバムを思い出したと僕が言うと、すぐにメモ帳にタイトルを書き付けていた。あるいは、イーノが表紙のエレキングを見せると、写メを撮ってその場でイーノ本人に送信しはじめた......え、どうして僕はイーノの表紙を見せたのか? それはカール・ハイドがソロ・デビュー・アルバムをつくろうと思ったきっかけがイーノとの出会いにはじまるからです。では、まあ、順を追って。

イーノとはすでにアルバム1枚分はレコーディングもしてるんだ。でも、僕はいつも誰かに従ってしまうので、このアルバムでは責任を持ちたいと思って、自分がプロジェクトを引っ張れる体制にしたかったんだよ。

(『エッジランド』の特徴をひと言でとらえ、)いまは落ち着いた表現に興味があるんですか?

ハイド:たまたまそうなったというだけだよ。アンダーワールドでも同じようなことはやっていたし、いつもとは違う人たちと組んでみて、音楽に導かれるままやっていたら、こうなったというだけ。僕はプロセスを楽しみたいんだ。だから、コンセプトを決めて、その通りにやるというようなことはしない。

大きく言えばロック・ミュージックをやっているわけだし、クラブ・ミュージックへの反動もあった?

ハイド:僕はクラブ・ミュージックを愛しているよ。でも、そればかりやっていたら飽きて嫌いになってしまうかもしれないから、バランスを取りたいとは思ったよね。

(顔も態度も阿部周平に似てるなーと思いながら)歌い方も全体にすごく優しくなっているし、それは80年代にやっていた感じを思い出したということでしょうか?

ハイド:それは違うんだ。僕はブライアン・イーノに声をかけられて、〈ピュア・シーニアス!〉というイベントのシリーズで歌うことになったんだ。

そうみたいですね。

※「ピュア・シーニアス!」は09年にイーノのキュレイションによって行われた即興パフォ-マンスで、シドニーのオペラ・ハウスを舞台に6時間に渡って繰り広げられた(翌10年には1時間半のヴァージョンがブライトン・フェスティヴァルでも再演されている)。カール・ハイドのほかにはザ・ネックス(『裏アンビエント・ミュージック』P.117)、ジョン・ホプキンス、リオ・エイブラハムが参加。

ハイド:オペラ・ハウスで座席に腰をかけている観客とコミュニケイトするのはとても難しかった。クラブとはぜんぜん違って、いってみれば1対1のような関係だったんだ。どうすれば自分の歌が届くのか。メロディ自体はどんな状況でもすぐに浮かんでくる。いつも家ではドローンやインド音楽を聴くことが多くて、それに合わせて適当に歌っていたから、それは簡単なことだった。フェアポート・コンヴェンションの"フラワーズ・オブ・ザ・フォレスト"(5thアルバム『フル・ハウス』のクロージング)だっけ? あんな感じが好きなんだ。それこそイーノが一音でもピアノを鳴らしてくれれば、どんな風にも歌えた。でも、それだけでは観客には届かない。そうやって歌い方をあれこれと変えているうちに出来上がったものが、いまの歌い方なんだ。同じように日曜日の〈ソナー〉でもMCでオーディエンスに話しかけることは、自分なりのチャレンジだったんだよ。45年もステージに立っていて、まだ新しいことにチャレンジできるなんて、とても嬉しいことだよ。

ああ。ステージの最後で「ペイシェンス(忍耐)」という言葉を使っていたのが気になりました。あれは、ダンス・ミュージックをやるわけでもないし、オーディエンスに「プレジャー」を与えていないということなんですか?

ハイド:いや、違うよ。まだ発売もされていないアルバムの曲を忍耐強く聴いてくれたことに感謝したかったんだ。それどころかアンコールまで求めてくれて。アンダーワールドのアルバムが出てからも大分経つし、そうやって間隔が空いてしまうことにも同じような気持ちを持っているよ。

そうですね。あのときのオーディエンスはまだ聴いてなかったんですね。僕自身はアンダーワールドとはかなりかけ離れた印象を持っていたんですけど、"ダーティ・エピック"を曲目に織り交ぜていたことで、なるほど一貫してるんだなと思えました。

ハイド:そう、そう。

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「エッジランド」......都市も田舎も雑誌では特集されるけど、そのどっちからも外れてしまう場所のこと。ほとんどが廃墟になっていて、忘れさられた場所なんだけど、たくましく生きている人もいる。


Karl Hyde - Edgeland
Universal / ビート

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そういえば、どうして〈ピュア・シーニアス!〉の流れでそのままイーノにプロデュースを頼まなかったんですか?

ハイド:彼は忙しすぎるんだよね。実のところ、イーノとはすでにアルバム1枚分はレコーディングもしてるんだ。でも、僕はいつも誰かに従ってしまうので、このアルバムでは責任を持ちたいと思って、自分がプロジェクトを引っ張れる体制にしたかったんだよ。だから、〈ピュア・シーニアス!〉で知り合ったリオ・エイブラハムに共同プロデュースを頼むことにしたんだ。イーノに頼むと全部、引っ張られちゃうからさ(笑)。

そうですよね(笑)。インタビューしてても、どうも主導権はあっちにあるんですよね(と、エレキングを見せたら、冒頭で書いたようなことになり、ついでにフルーアーの12インチを取り出して、ニュー・ロマンティクス時代のカール・ハイドを見せると......)

ハイド:この曲("ランナウェイ")はこの間、iTUNESで買ったばかりだよ。はっはっはー(といって、ジャケットを持ってマネージャーのところに走っていく)。

(あまりに受けたので、もう1枚、見せる)

ハイド:これは撮影が大変だったんだよ。(ひとりずつメンバーの写真を指差しながら、ああだこうだ言いはじめ)ジョン(・ワーウィッカー)はいま、僕らのスタッフをやっているよ。アルフィー(・トーマス)は、これはグラム時代のイーノをそのままマネしてる。こいつはヒドいやつだね(と、最後に自分の写真を指差す)。

(ひと通り笑い転げてから)音楽はどちかというとカントリー・サイドを連想させるんだけど、『エッジランド』というのは都市を意味しているんですよね。

ハイド:田舎と都市の中間にある地帯だね。都市の端っこの方という意味で使っている。都市も田舎も雑誌では特集されるけど、そのどっちからも外れてしまう場所のこと。ほとんどが廃墟になっていて、忘れさられた場所なんだけど、たくましく生きている人もいる。昔からそういうところに惹かれてたんだ。子どもの頃、そういった場所や錆びた鉄などをアートの題材にしようとしたら、父親から「そういうものはアートの題材じゃない」と言われてしまったんだ。でもね、やっぱり興味があったんだね。

ジャケットの写真に使われている立体交差は実在の場所ですか?

ハイド:そう、ロンドンからエセックスに帰るときはいつもここを通っていくんだ。高架下が、やっぱり昔から好きだったので、こういった写真だけを集めて写真集も出そうかと考えているんだ......。

(ここで時間だと合図される)

ハイド:もう1問いいよ。

じゃー、(アンダーワールドが音楽監督を務めた)ロンドン・オリンピックにモリッシーは批判的でしたけど、彼の意見はどう思いました?

ハイド:自由に自分の意見が言えることは素晴らしいことだと思うよ。いいんじゃないかなー。

 さすがに本人には言わなかったけれど、『エッジランド』にはどうしてもザ・スミスに聴こえてしょうがない曲がある。その曲を〈ソナー〉で演奏しはじめたとき、僕は隣にいた橋元優歩に「ザ・スミスに聴こえるよね」といってふたりで声を押し殺して笑っていた。橋元さんがそれにもうひと言、付け加えた。「声も似てますよね」。

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