Home > Reviews > Live Reviews > Jake Bugg- @渋谷クアトロ
僕は酔っていたが、ステージの彼は醒めていた。未成年だから飲むわけにはいかないにしても、フロアの興奮と熱狂に対して、ジェイク・バグは始終、理性的だった。デビュー・アルバムのジャケの写真の、力のある眼差しのように、彼はしゃんとして歌った。はしゃいでもいないし、乱れることもなかった。イキがってもいなければ、自分を大きく見せようともしなかった。うつろでもなく、泣いてもいなければ、ドリーミーでもなかった。
ジェイク・バグは、そういう意味では、季節に酔って登場した、歴史的なロック・バンドたちとは違う。
そして、僕は、とにかく、この感動的な夜を終えて、無意識だったにせよ、なんだかんだと言いながら、自分やいろいろな物事が、いかに311というトラウマから逃れたがっていたのかについて、あるいはロマンティックな抵抗について、思いを馳せていた。これはまったく予想外の展開だった。大災害が起きたあとなので、無理もないと言えば無理もないのだろうが、ジェイク・バグの迷いのない音楽を聴いたあとでは、そんなところにまで思いが広がった(結局のところ、マイブラがバカ受けしたのも、チルウェイヴもジェイムズ・ブレイクも、みんな似たようなものだろう......ネガティヴな意味ではない、ひとつの認識だ)。
それほど久しぶりに、浮つくことのない、足下をしっかり見ている、自分を見失わない音楽、というものと直面したような気がする。
僕はいまでもドリーミーな音楽を好む。悪夢のトリップはごめんだが、手のひらを返してサイケデリックを否定するつもりはない。色のついた液体も飲んでいる。ドリーミーな抵抗精神を忘れるつもりなども毛頭ない。が、しかしこの晩は、ドリーミーではないことの素晴らしさ、しらふの快感、現実を生きることの悦びを噛みしめた。ベンゲルではなく、ファーガソン監督の素晴らしさを思った。金や時間や健康や体力や記憶や視力や......いろいろなものを失っても、さまざまな思いを飲み込みながら、今日もまた灰色の1日を生きることの、バランスを失わないことの深い意味に思いを巡らせたのである。三上寛と話したときのことを思い出す。
ジェイク・バグには、ひとりのギター弾きとして、ひとりの歌手として、僕なんかが思っていたよりもずっと素晴らしいスキルがあった。はっきり言って、うまい。間違いなく、一生懸命に練習しているのだろう。そして、アンコールの"ブロークン"はブリリアント過ぎた。それでも、フロアがロックンロールに酔って、熱狂の度合いをどんどん上昇させようとも、彼はギターを替えても演奏のテンションは変えなかった。
熱狂でも興奮でも陶酔でも過剰でもない。まどろんでもいなければ、ハードコアでもない。もっと、より根源的なもの、シラフの良さ、平温で歌われる"トゥ・フィンガーズ"、最後に歌った平温そのものの"ライトニング・ボルト"のような逆説的な高揚が、きっといま必要なのだ。なんだか妙な感動の仕方をしてしまった。ニヤつきのない、大人びた若い青年の音楽に。(彼は1994年2月生まれである)
野田 努