Home > Reviews > Album Reviews > Jake Bugg- Shangri La
イタリアから戻って来た翌日のことである。
出勤前にマクドナルドで朝飯を食っていると、見るからにアンダークラス&チャヴな青年がベビーカーを押しながら入って来た。
いやー。英国に戻って来たな。と思っていると、店内音楽がオアシスに切り替わる。と、くだんの若い兄ちゃんが、ベビーカーをゆらゆらさせて赤ん坊をあやしながら、メイビーーーー、ユーゴナビーザワンザットセイヴズミーーー、アンドアフタアアーオーーーーーールとリアム・ギャラガーと一緒に歌いはじめた。
いやー。英国の公営住宅地に戻って来たな。と思った。
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米国の大物プロデューサー、リック・ルーベン所有のマリブのスタジオの名前をタイトルに掲げたジェイク・バグのセカンドには、英国メディアは賛否両論のリアクションを見せている。もろ手を挙げて大絶賛だった前作とは違う。
『NME』は、オアシスが遺した穴に自分をすっぽり入れようとする時のジェイク・バグの楽曲はまったくつまらないが、ファースト同様のボブ・ディランエスクな音を奏でる時は素晴らしいと書いた。『ガーディアン』紙は、バーバリーのファッション・イヴェントでギグをおこない、スーパーモデルと浮名を流す身分になったジェイク・バグが、いまさら公営住宅地を歌うのは偽善だろう。英国のボブ・ディランになるかと思われた若者の音楽は、もはやリチャード・アシュクロフトや後期オアシスにしか聞こえない。と書いた。
英国のアーティストは全部ダメで、ボブ・ディランならクール。という論調には、英国人のコンプレックスを見るような気もするが、実はわたしも1年前、「公営住宅地のボブ・ディラン」とジェイクを形容した人間である。で、セカンドを一聴した感想は、あれ? であった。
アルバム・ジャケットの如く、今回はモノクロじゃない。カラーなのである。サウンド(楽曲ではなく、音の処理という意味で)にアナログ・レコードのように聞こえる細工や歪みが施されていないので、ずっと現代的に聞こえる。ブリット・ポップみたいじゃねえか。と大人たちが言うのも道理だ。一見シンプルに聞こえていた前作のほうが、実はサウンドのイメージ構築(レトロ化)には凝っていたようで、いろいろやってる感じの今回のほうが逆説的にシンプルというか、普通のロックに聞こえる。
が、半信半疑で2回、3回と聞き込むにつれて、あることに気づいた。
それはジェイク・バグが非常に優れたメロディー・メイカーであるということであり、即ち優れたアンセム・メイカーだということだ。これは前作では十分に発揮されていなかった資質だろう。
アンセム。というのは小バカにされがちな言葉だが、その語源は英国国教会の祈祷合唱曲であり、言葉(スローガン)とメロディーが耳と心の両方で聞き取りやすく、万人に歌うことができ、何よりも祈祷者(歌う者)の魂を鼓舞する唱歌のことだ。英国国教会の賛美歌のジャンルが語源になっているだけにUKの人びとはアンセム作りが得意で、もっとも優れたもののひとつにはナショナル・アンセム(国歌)の“God Save The Queen”があるし、その裏ヴァージョンを歌ったジョン・ライドンなんかもアンセム作りの天才である。
わたしは1996年から英国に住んでいるが、この国の貧民街にいまほどアンセムが必要とされていたことはなかったと思う。公園で人が喧嘩して刺されたり、オーバードーズで若者が病院に運ばれたりしてサイレンの音が頻繁に聞こえている世界では、人は知らず知らずのうちに祈祷するからだ。祈祷の方法というのが単に流行歌を歌うことだとしても、人はなんとか魂を高揚させて生きていこうとする。
もう末期としか言いようのない保守党政権下で締め付けられ、荒廃した暗い社会が、その終焉を切望していた90年代前半にアンセミックなブリット・ポップが生まれた。というのは拙著にも書いたところだが、やはり今という時代はあの時代とよく似ている。
「電灯は打ち割られ
街の通りは封鎖されている
誰もうろつこうなんて思わない場所だ
ずっと前に俺たちは切り捨てられた 見込みはないって
聞こえるのは風の音だけ ストーンドしようぜ」(“Messed Up Kids”)
嘘くさ。
とかいうシニカルな批評は、彼のファーストを聴いて勝手にうっとりしていた中年文化人たちに任せておけば良い。
同世代の若者たちの耳や心にリアルに響く限り、それは10点中8点だの9点だの採点されるブリリアントなだけの楽曲を超えて、時代を象徴するアンセムになるのだから。
“Seen It All(すべて見てきた)”と言ってシーンに登場した少年のしんと醒めた瞳は、最近ではある種のふてぶてしさすら帯びて来た。
ジェイク・バグはきっと自分の進むべき道を知っている。
ブレイディみかこ