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カウンシル・エステート(公営住宅地)。というのは、むかしはUKロックとは切り離せない場所だった。「俺は、フィンズベリー・パークの公営住宅出身だ」とジョン・ライドンはいまでも言うし、マンチェスターの公営住宅地の若者のミゼラブルな日常をリリカルに歌ったのがモリッシーなら、それにある種の演歌性のような要素を加味して国民的アンセムにしたのはオアシスだった。最近では、昨年のロンドン暴動と関連付けて解説されることの多いフディーズ映画『アタック・ザ・ブロック』の舞台もロンドンの公営団地である。
と書くと、きっと貧しくてもヒップでクールなところなのね。と勘違いされそうだが、そんなクールな貧乏人は奇跡のような確率でしか出て来ないのであり、実際に暮らしてみればどれほど気が滅入る場所なのか。ということは、わたしは長年ブログで書き続けて来たのでここではスルーするが、ジェイク・バグの出身地、ノッティンガムのクリフトンという地域は、英国最大の公営住宅地の一つである。
わたしが初めて彼を見たのは、昨年の秋。BBC2の『Newsnight』の金曜カルチャー・レヴューのコーナーだった。作家だのなんたら評論家だのといったインテリ中年がずらりと並んで座ったスタジオで、まるでうちの近所を歩いていそうな風体の少年が、たったひとりでアコースティックギターを抱え、しんと醒めた目つきで歌っていた。
公営住宅地のボブ・ディラン。だと思った。が、同時に、このブリリアントなガキはこの時代にウケるのだろうか。とも思った。
公営住宅地と言えば、昔はピストルズだったりギャラガー兄弟だったりしたかもしれないが、現在はブラックやブラウンといった肌色の人びとの音楽が象徴する場所になっている。ロンドンのエスニックな食品の臭いのする公営住宅地ならそれでもいいだろうが、いまでも地方に行けば公営住宅地を占領している"ホワイト・トラッシュ(白屑)"の姿が、ロックの歌詞に現われなくなって久しい。UK白人ロックは、やたらとインテリおタクぶっているか、ウィーピーにめそめそしているか、のミドルクラス・ミュージックに成り果て、下層民のものではなくなっていた。そこには、たしかにニッチが存在していたのである。
しかし、R&Bがクールとされて久しい現在の英国で、いくらなんでも、ディランやドノヴァンみたいな白系レトロサウンドは受け入れられないだろう。
というわたしの予想はまったく外れ、弱冠18歳のジェイク・バグのデビュー・アルバムは、英国のマライア・キャリーと呼ばれるレオナ・ルイスを抜き、UKアルバムチャートで1位になった。ノエル・ギャラガー、ストーン・ローゼスなどの、この少年の音楽性を高く買っている大人たちが、自らのツアーのサポート・アクトとして彼を起用してきた効果もあったろう。また、昨年からBBCがテレビ、ラジオの双方でやたらと彼をプッシュして来た印象があり、同局の音楽好きの中年幹部たちが組織的プロモ活動を行ってきたのではないかとも思える。
とはいえ、そうした大人側の啓蒙活動だけでは、1位にはならない。それだけではないのである。きっとこの少年のプレ・ロックな音楽には、今世紀のUKロックが取りこぼしてきた世界があるからだ。
「スピード・バンプみたいな街に閉じ込められている。ここでただひとつのビューティフルなことと言えば、脱出する考えだけ。高層の公営団地が頭の上に聳え立つ。人びとが所持しているものといえば、生活保護受給金だけ。そんなもんじゃ日々の暮らしもままならない。問題を抱えたこの街では、問題ばかりが目につく」("Trouble Town")と、公営住宅地の若きボブ・ディランは歌う。
不況下で強行されている保守党政権の予算削減政策により、2年前には学生デモが勃発し、昨年はロンドン暴動、今年はジュビリーやオリンピックなどのため路上に警官が多数配置されていたので物騒な事件はなかったが、だからと言って貧しい若者たちの怒りが消滅したわけではない。
お祭り騒ぎの夏が終わってみれば、状況はその前より悪化していた。という現実を直視している若者たちが、どんどん店が潰れて行く地方都市のさびれた商店街を歩くとき、そこに流れている流行歌には、ジェイク・バグの曲こそがふさわしい。
Something is changing, changing, changing ("Two Fingers")
彼はアコースティック・ギターをつまびきながら、醒めた瞳で淡々と煽る。
それは、保守党政権下で締め付けられている貧民たちの夢想を代弁しているかもしれない。しかし、このような少年のアルバムがチャート1位になっているこの国の音楽シーンには、すでに変化は夢想ではなく、現実として起こりはじめている。
Something is changing, changing, changing
ひどい時代は、おもしろい時代でもある。
ブレイディみかこ