Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第5回:ヨイトマケとジェイク・バグ
16年ぶりに日本で新年を迎えた。
で、大晦日は炬燵ばたで親父と飲みながら紅白歌合戦を見ていたのだが、これがなかなかエキゾチックで面白かった。自分の母国について、エキゾチック。というのも鼻持ちならん言い方だが、しかし、16年といえば、おぎゃあと生まれた女児が合法的に結婚できるようになる時間の長さだ。実際、わたしの感慨は、初めてテレビでユーロヴィジョン・ソング・コンテストを見たときにも似たものがあったのである。
やたらと幼い若者がぞろぞろ多人数で出て来た前半部分は、初音ミクなどというキャラが出て来る土壌をヴィジュアルに理解できる機会になったし、オタク、マンガ、コスプレが大好きな英国のティーンなんか(ミドルクラスの子女に多い)が大喜びしそうなジャパニーズ・カルチャーの祭典になっていた。
この世界が、現代の日本を象徴しているのだ。ならば、もはや見なかったふりをしてスルーすることはできない。向後、わたしは日本を訪れる英国人には、俄然、紅白を見ることをお勧めする。Different, Weird, Tacky, Bizarre。スモウ・レスラーは審査員席に座っているし、これほど外国人観光客が喜びそうなキッチュな番組は他にないだろう。
「もう、子供番組のごとなっとろうが」
北島三郎の登場を待って眠い目をこすっていた親父が言った。というか、これを見ていると、日本には子供と老人しかいないようである。
キッズ番組から一気にナツメロ歌謡集に変わって行く番組を見ながら、ちびちび焼酎をなめていると、黒づくめの衣装で美輪明宏が出て来て、"ヨイトマケの唄"を歌いはじめた。
「......これ、普通に流行歌としてヒットしたわけ?」
「おお。お前が生まれたぐらいのときやった」
「その頃、この人はゲイって、もうみんな知っとったと?」
「おお。この人がその走りやもんね。日本で言うたら」
「そういう人が、『ヨイトマケ』とかいう言葉を歌って、さらにそれがヒットしたって、ちょっと凄いね」
「この人は長崎ん人やもんね。炭鉱町で働く人間のためにつくったったい、この歌ば」
歌の途中で親父を質問攻めにしたのは、"ヨイトマケに出る"という表現が日常的に家庭で使われていた環境で育ったわたしが、土建屋の父親とふたりっきりであの唄を聴いている、というシチュエーションがけっこう感傷的にきつかったからだ。が、そういうのは抜きにしても、わたしは当該楽曲にハッとするような感銘を受けた。
これは日本のワーキング・クラスの歌だ。と思ったからだ。
翌日、ブライトンの連合いから電話がかかってきた。大晦日の夜は、例年のようにBBC2で「Jools' Annual Hootenanny」を見ていたという。日本に紅白があるなら、英国にはこの番組がある。
「ジェイク・バグが『ライトニング・ボルト』を歌った。それが一番良かった」
と連合いは言った。
紅白を見ながら、日本にも46年前にはワーキング・クラスの歌があったのだということをわたしが確認していた頃、英国では、「下層階級のリアリティを歌う」という作業を久しぶりに行った少年が、やはり国民的な年越し番組に出て2012年を締め括っていたらしい。
「日本もね、階級社会になってきたよ」
という言葉を聞く度にわたしが思うのは、階級は昔からあった。ということだ。
しかし、わたしは長いあいだ日本では無いことにされてきた階級の出身なので、こういう反論をすることを不毛だと思う癖というか、諦めてしまう癖がついている。
例えば、わたしは「できれば高校には行かず、働いてくれ」と言われた家庭の子供だった。奨学金で学校には行けることになったが、通学用の定期券を買うために学校帰りにバイトしていて、それが学校側にバレたとき、「定期を自分で買わなければならない学生など、いまどきいるはずがない。嘘をつくな」と担任にどやされた。
思えば、この「いまどきいるはずがない」は、わたしの子供時代のキーワードであった。
「俺の存在を頭から否定してくれ」と言ったパンク歌手があの頃の日本にいたと思うが、そんなことをわざわざお願いしなくとも、下層階級の存在は頭から否定されていた。
年頭からこんな自分を裸にするようなことを書かなくてもいいんじゃないかと思うが、しかし、わたしにとって英国のほうが住み心地が良いのは、ここには昔もいまも継続して消えない階級というものが人びとの意識のなかに存在し、下層の人間が自分の持ち場を見失うことなく、リアリスティックに下層の人間として生きているからだと思う。
わたしが育った時代の日本は、リアリティをファンタジーで抑圧していたために、当の下層民が下層民としてのアイデンティティを持てなかった。そんなところからワーキング・クラスの歌が聞こえてくるはずがない。
「わたしは生まれも育ちも現在も、生粋の労働者階級だ」ということを、わたしが大声で、やけくその誇りのようなものさえ持って言えるようになったのは、英国に来てからだ。
"国民全員それなりにお金持ち"などという、人民ピラミッドの法則を完全無視したスローガンに踊らされた国民が一番アホだったのだが、あの、国民が共犯してリアリティを隠蔽した時代が、わが祖国の人びとの精神や文化から取り上げたものは大きい。
が、そんな日本でも、いきなり下層の人びとの存在認定が降りたらしい。
紅白の"ヨイトマケの唄"が話題になっているというのも、そんなことと関連しているんだろう。しかし、この国の下層の歴史には黒く塗りつぶされた期間があるので、再びワーキング・クラス文化が生まれ育つには時間がかかる。「母ちゃん見てくれ、この姿」の"ヨイトマケの唄"と、二本指を突き立てて親に愛想を尽かして出て行くジェイク・バグのあいだには、46年の隔たりがあるのだ。
ジェニー・ロットンやケン・ローチやギャラガー兄弟やマイク・リーが、現実を直視することによって生まれる下層の声が、中野重治が「すべての風情を擯斥せよ もっぱら正直のところを 腹の足しになるところを 胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え」と言ったところの表現が、わたしが育った時代の日本には生まれなかった。世代と共に少しずつ変容し、洗練され、進化して行くはずのワーキング・クラス文化が、わが祖国では育たなかったのである。
そんなことを考えながら機内に座っていると、いつの間にかヒースローに着いていた。
入国審査には長蛇の列。80年代に日本で人気のあった男性アイドルグループのメンバーとその妻子がデザイナーブランドに身を包み、アサイラム・シーカーみたいな切羽詰った感じのアフリカ系の人びとや、険しい顔つきの中東の家族にまみれて所在なさそうに並んでいた。
「Do you miss Japan?」
唐突に入国審査官に訊かれて、反射的に
「No, not at all」
と言うと、脇に立っていた6歳の息子が声を出して笑った。
「Fair enough」と金髪の若い審査官の男性も笑う。
「Well, my life is in this country now...」と妙に言い訳がましくなりながら、審査官に手を振り、パスポート・コントロールを後にすると、息子が言う。
「そもそも、なんで母ちゃん、日本からこの国に来たの?」
「貧乏人だったから」
「いまも貧乏じゃん」
「まあね、でも、そういうことじゃなくて。あんたがもう少し大きくなったら、説明する」
そしてずっしりと重い荷物を受け取り、わたしは息子を従えて、ずかずかと大股で英国に帰ってきた。
脇にさげた手荷物の中には、知り人にもらった祖国のカステラ。
I couldn't ever bring myself to hate you as I'd like....
懐かしい曲の一節が、到着ロビーのカフェから聞こえてきた。