久しぶりだった。女子高生が踊っているような、10代が主役の若者文化の渦中にいたのは。その翌日この原稿を書いている。それで僕は、彼女たちにデリック・メイを紹介するとしたら、どう説明すればいいのだろうか......と考えている。
デトロイト・テクノとは、テクノにとっての、ロックにおけるブルースのようなモノと言って通じるのだろうか。立ち帰る場所であり、一種のルーツだと。君たちがもし将来テクノを好きになったとしたら、いちどは訪れる場所だと。デリック・メイはそのルーツにおいて、3本の指に数えられる重要人物で、言葉がないゆえにカヴァーということのあまりないテクノ・ミュージックにおいては珍しく複数の人にカヴァーされている、当時もっとも多くの人に幸せを感じさせた曲"ストリングス・オブ・ライフ"の作者だと。
世界でもっとも影響力のあったイギリスの『NME』というロック・メディアが、全盛期にもっとも肩入れしていたDJという説明もできる(その当時のデリック・メイの傍若無人ぶりと反抗を知れば、彼もまたロックンロールのひとりだということがわかってもらえるだろう)。
実話としてこれもある。ノッティングガムからロンドンにやって来たふたりの青年のうちのひとりがマンチェスターのライヴハウスでストーン・ローゼズを発見して、もうひとりは1988年にデトロイト・テクノの記事を書いたと。1988年のその記事と同時に発売されたデトロイト・テクノのコンピレーションが、国際舞台で初めて「テクノ」という言葉が使われたときなのだと。そして、翌年にはデペッシュ・モードがそのゲットーな街を斜めに走るグラショット・アヴェニュー沿いの、デリック・メイのレーベル(そして当時は彼の住居でもあった)〈トランスマット〉を訪れている。
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『ビヨンド・ザ・ダンス──トランスマット4』は、デリック・メイと〈トランスマット〉にとって4枚目のレーベル・コンピレーションだ。デリック・メイの実質的な制作活動は、80年代で終わっている。自身の曲に関して言えば、90年代以降は未発表曲しか出していない。彼には完成間近だったアルバムがあったが、そのリリースは見送られ、結局、当時録音された曲はこの20年のあいだ、前触れなく、1曲ずつ、地味~に発表されている。『ビヨンド・ザ・ダンス』にも新しい"未発表"がある。パズルのワンピースだ。
もちろん『ビヨンド・ザ・ダンス』は、未発表曲のために発売されるわけではない。CDにして2枚組、全23曲には、〈トランスマット〉の眩しい歴史が編集されている。
ブックレットには、懐かしい写真もたくさんある。カール・クレイグ、ロラン・ガルニエ、ケニー・ラーキン、ステイシー・プレンといったベテラン勢から、トニー・ドレイクやマイクロワールドといったマニアにはお馴染みの名曲、そして、地味~に発表されている〈トランスマット〉の新人までが並んでいる。なにせ10年ぶりのレーベル・コンピレーションなので、選曲にもパッケージングにも気持ちが込められている。当然、良いアルバムだ。
僕にはこの機会に、突っ込んで訊いておきたい話があった。11月末、代官山のエアーのレストランでデリック・メイと待ち合わせた。
この男は、若くて、怒りに満ちていて、革命を起こしたくてうずうずしている。しかしこの男は、レコード・ビジネスに疲れてぐったりしている。DJをしながら世界を回って、女の子とセックスしてダンスして、たまに東京にも住んでいる。このふたりはまったくの別人だ。
■まずアートワークがすごく良いね。ブックレットには〈トランスマット〉レーベルの歴史がわかるように、古い写真、関わった人たちの写真がコラージュされている。歴史を見せようという意図が伝わってくるよ。
デリック:歴史だけじゃなくて、これからのはじまりの〈トランスマット〉も出したかったんだよ。
■今回の『ビヨンド・ザ・ダンス──トランスマット4』を出すに当たって、いくつか僕のなかで「おや」と思ったことがあって、そのひとつが、デリックが25年以上にもわたるレーベルの歴史を初めて振り返ったということなんですよね。
デリック:そうだね。
■たしかに過去には、1992年の『レリックス』のような、80年代のベスト盤みたいなコンピレーションはありました。でも、あれは、あくまでリズム・イズ・リズム中心の内容でした。今回のように、カール・クレイグの"クラックダウン"(1990)からケニー・ラーキンの"ウォー・オブ・ザ・ワールド"(1992)、そしてロラン・ガルニエ(ルドヴィック・ナヴァールやシャズ)の"アシッド・エッフェル"(1993)とか、〈トランスマット〉というレーベルの歴史を綴っているのは、今回が初めてなんですよね。
デリック:ああ、そうだね。ただし、今回のコンセプトは忘れられているものを選んだんではない。いま聴き返されるべきものを選んだ。いまの時代でも古くなっていないもの。たとえばジョン・アーノルドの"スパークル"(2000)、この曲は当時も売れたけど、早すぎたんじゃないかと思っていた。いまこそ、あのドラム・パターンは聴かれるべきだってね。
■最近はまた、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノへの回帰みたいなことが起きているので、良いタイミングではありますよね。世界的にダンス・ブームだし。
デリック:もちろん。逆に言えば、今回"ヌード・フォト"や"ストリングス・オブ・ライフ"のような曲を入れなかったのは、知られていない曲に光を当てたかったというのもある。これからの〈トランスマット〉をよくするものじゃないかと。俺は過去に生きているわけじゃない。「いま」を生きている。その視点で選んだ。そして、こうなった。
■なるほど。もうひとつ......、まあ、個人的には最大の興味は、デリックの未発表曲が入っていたことなんですよね。
デリック:(日本語で)うっす!
■はははは。
デリック:ああ、"ハンド・オーヴァー・ハンド"ね。
■あれ、良かったよ。
デリック:(日本語で)ありがとございます。
■俺は好きだね。
デリック:そりゃあ、良かった。本当に。入れないほうが良いんじゃないとも思った。ものすごく考えたよ。
■古い曲だからね。
デリック:最初は2~3曲入れようかなと思った。でも、気が変わった。あまりにも多くの才能が〈トランスマット〉にあることを再発見したから、できる限り、たくさんの人のたくさんの曲を入れたいと思った。本当に良い才能が揃っているよ。彼らの曲への注目が削がれるようなことはしたくなかった。それで"ハンド・オーヴァー・ハンド"だけを残した。
この曲は、もともとは15分の曲なんだよ。このアルバムのために8分にエディットしたけど、フル・ヴァージョンは12インチで発表するよ。
■それは楽しみ。
デリック:どう思った?
■デリックらしい、メランコリックで美しい曲だよね。あのー、1993年に『ヴァーチュアル・セックス』というコンピレーション盤が出たじゃない?
デリック:(日本語で)うっす!
■あのコンピで、初めて"アイコン"を発表したわけだけど、あんな曲が未発表曲であるってことに当時はすごく驚いて。普通「未発表曲」というと、ボツにした曲だったりして、質は落ちるけどマニア向けの曲として価値があったりするものじゃないですか。でも、"アイコン"は、通常言われる未発表というレヴェルじゃなかったでしょ。で、あとからあの曲は幻のファースト・アルバムのために録音した曲のひとつだって知って納得したんだけど。
デリック:ああ、そうだよ。アルバムのために録音した曲は、他にも9曲ある。
[[SplitPage]]俺のコンセプトは、ドラム・マシンの限界に挑戦することだった。ドラム・マシンでどこまでできるのかを見せたかった。しかし"ハンド・オーヴァー・ハンド"ではドラム・マシンに集中するんではなく、メロディや構成で、もうひとつのチャプターを見せるという考えだった。
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■実は今日、そのことについて訊きたかった。ようやく幻のファースト・アルバムについて訊くことができる(笑)。いままでも訊きたくても訊けなかったからね。1992年にデリックは『イノヴェイター』というベスト盤を〈ネットワーク〉から出している。しかし、本当は、『イノヴェイター』ではなく、あなたのファースト・アルバムが出るはずだった。
デリック:そう、トレヴァー・ホーンとミーティングをしていた。彼は"ハンド・オーヴァー・ハンド"に興味を持ってくれた。デイヴ・ガーン(デペッシュ・モード)もこの曲で歌っても良いと言ってくれた。ビョークも気に入ってくれた。俺の当時のエージェントは、この曲で俺をポップスターにしようと企んでいた。彼らは俺がデペッシュ・モードやビョークのようなポップの一部になることを望んだ。それで俺は、トレヴァー・ホーンとエージェントと喧嘩した。和解できずに終わってしまった。
■1992年の『イノヴェイター』のアナログ盤には、"ザ・ビギニング"が入ってないんですよね。なんで、初めてのベスト盤に"ザ・ビギニング"が入っていないのかがずっと引っかかっていましてね。そこで推理したんだけど、"ザ・ビギニング"にはデリックにとっての次のコンセプトが詰まっていた。しかし、UKの音楽業界がそれを理解しなかったってことなのかなと。
デリック:そう、理解されなかった。"ザ・ビギニング"は、リズム・イズ・リズムの最初のアルバムの1曲目に収録されるはずだった。だから『イノヴェイター』には入れなかった。"ケオティック・ハーモニー"、"ザ・ビギニング"、"アイコン"、"ハンド・オーヴァー・ハンド"......それから......。
■ロング・アゴー?
デリック:いや、あれは違......、いや、そうそう、イエス、イエス、イエス! 俺は......、本当にUKの音楽業界が嫌いだ。本当に大嫌いだ。本当に、本当に、だいっきらいだ! "ハンド・オーヴァー・ハンド"は一発録りだったな。たった1回で録った。心を込めて作った。
■こうして、時期がズレながらも、当時の曲が発表されて、デリックの幻のファースト・アルバムの正体がじょじょに露わになってきているというのも面白いね。相当にメランコリックなアルバムだったんだなと思いますが。
デリック:そうだよ。そういうことだ。まあ、パズルだな。
■インナー・シティがヒットしていた頃なんで、UKの音楽業界がリズム・リズムにヒットを求めるのもわからなくはないんですが、そんなにも考えに大きなギャップがあったんですね。
デリック:80年代の話から話そうか。俺とホアン・アトキンスとケヴィン・サンダーソンの3人は、(バーミンガムの)〈クール・キャット〉レーベルのニール・ラシュトンとディストリビューション契約を結んだ。俺らのレコードのUKやヨーロッパでの流通は、すべて〈クール・キャット〉が拠点となってやっていた。やがてケヴィンはインナー・シティとして〈ヴァージン〉と契約したが、俺は依然として〈クール・キャット〉だった。〈クール・キャット〉は大手の〈ビッグ・ライフ〉と契約していたから、〈トランスマット〉の作品はすべて〈クール・キャット〉~〈ビッグ・ライフ〉経由で流通していた。最初に揉めたのは、〈トランスマット〉の作品が、結局、〈ビッグ・ライフ〉傘下でしか流通しなかったということにあった。
■デリック・メイがやりたかった音楽性が理解されなかったとか、そういうのが原因ではなかったんだ?
デリック:それは大いにある。ニール・ラシュトンは俺の音楽性をディレクションしはじめて、どんどん意見を言うようになった。たとえば"アルセム(R-Theme)"、これがリズム・イズ・リズム名義で出なかったのは、〈クール・キャット〉が気に入らなかったからだ。なぜ俺が好きな曲を自分のレーベルから出せないんだろう、俺はそう思った。〈ビッグ・ライフ〉は......、ヤズ(Yazz)っていただろう? ポップ・シンガーの女の子で、ああいうのを出したがっていた大手メジャーだ。最初〈クール・キャット〉は、〈ビッグ・ライフ〉からリズム・イズ・リズムのアルバムを出すつもりでいた。それで最初に"ザ・ビギニング"の12インチ・シングルのUK盤がリリースされた。しかし、〈ビッグ・ライフ〉は"ザ・ビギニング"を嫌った。〈ビッグ・ライフ〉は、"ザ・ビギニング"は完成度が低いと言ってきたんだ。
■それは怒るよね。
デリック:アルバムのタイトルは『ザ・ビギニング・オブ・ジ・エンド』だった。〈ビッグ・ライフ〉は〈クール・キャット〉に圧力をかけてきて、そして俺と〈クール・キャット〉の関係も悪くなってしまったんだよ。
■あのドラム・マシンをよりパーカッシッヴのように扱うのが、"ザ・ビギニング"のコンセプトだったと思うけど、その後の"アイコン"、"スエーニョ・ラティーノ"もそうだったし。
デリック:その通りだよ。あのときの俺のコンセプトは、ドラム・マシンの限界に挑戦することだった。ドラム・マシンでどこまでできるのかを見せたかった。そのリリースを終えたあとに、そして"ハンド・オーヴァー・ハンド"ではドラム・マシンに集中するんではなく、メロディや構成で、もうひとつのチャプターを見せるという考えだった。
■そのパーカッションのコンセプトはどこから来たんですか?
デリック:俺は当時3つのドラム・マシンを使っていた。909と808、それから727と626も使っていた。基本は909と808を同期させて、スウィング・パターンのループを少しずつ変化させながら、独特なうねりを出すことを考えていた。いまでこそ簡単にできることだけど、当時は複雑な構成だったと思うよ。ドラム・マシンによるバウンシーな感覚を表現したかったんだ。
俺は高校時代から、ホアン・アトキンスと一緒に毎日のように909で遊んでいたんだよ。パーティに909を持って行って、パーティを盛り上げる楽器のひとつとして、909を使った。ジェフ・ミルズがまだ909の存在を知るずっと前の話だぜ(笑)。ジェフがDJで909を使ったりするのは、誰のアイデアから来ていると思うよ?
■はははは。〈ミュージック・インスティテュート〉?
デリック:いや、だから高校生時代からやっていたから。ジェフにこんど会ったら訊いてくれよ。その909のアイデアについて。
■高校時代から知り合いだったの?
デリック:18歳の頃から知っているよ。
■ザ・ウィザード。ジェフはもう有名なDJだったでしょう。
デリック:有名だったよ。ジェフは俺よりもつねに有名だった。ジェフはランDMCのようなポップな選曲もしていたからね。
[[SplitPage]]3つのドラム・マシンを使っていた。909と808、727と626も使っていた。909と808を同期させて、スウィング・パターンのループを少しずつ変化させながら、独特なうねりを出すことを考えていた。いまでこそ簡単にできることだけど、当時は複雑な構成だったと思うよ。
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■話を戻すけど、デリックの性格を考えると、〈ビッグ・ライフ〉からダメだしされたぐらいで動揺するとは思えないんだけど。なおさら燃えてくるほうじゃないですか。あんたは、そんなことで心が折れるようなヤワな人間じゃないでしょう!
デリック:娘にも同じことを言われたよ。「ネヴァー・ギヴ・アップ!」って。
■はははは。
デリック:もうどうしようもなかったんだよ。1991年~1992年は、ニール・ラシュトンが俺のマネージャーで、〈トランスマット〉も彼に半分預けていたところがあった。だから彼と揉めて、〈トランスマット〉を誰かに売ることも考えた。一文無しになったし、追い詰められたよ。
■悔しさもあったでしょうね。
デリック:自分のレーベルだけでやっていれば良かったんだけど、〈ビッグ・ライフ〉みたいな大手と組んでレコード・ビジネスの世界に足を踏みれて......、その頃は学びながらやっていこうと思っていたんだけれど、でも、それが失敗だったな。"ビヨンド・ザ・ダンス"を作ったときも〈ビッグ・ライフ〉は理解しなかったんだからね。
俺も自分で反省しているよ。当時の俺はマネージャーに頼りすぎていたんだ。世間知らずだった。だから、ニール・ラシュトンから意見を言われると、まるで自分を否定されたような気持ちになった。自分が追い出されているような気分になってしまったんだよ。それで、とにかくニールがレーベル経営のこともほとんどやっていたから、彼と別れて、俺は路頭に迷うような感じになった。それでもなんとか、2年かけてレーベルを立て直すことができた。新しいアーティストを集めて、また一からやり直そうと思った。
■その立て直した〈トランスマット〉から何故、リズム・イズ・リズムのアルバムを出さなかったんですか?
デリック:(ブックレットに載っている20代のデリックの写真を指さしながら)この男は、若くて、怒りに満ちていて、革命を起こしたくてうずうずしている。(もう1枚の写真、現在の自分の写真を指さしながら)この男は、もうレコード・ビジネスに疲れてぐったりしている。すべてにクソ疲れている。DJをしながら世界を回って、女の子とセックスしてダンスして、たまに東京にも住んでいる。このふたりはまったくの別人だよ。
■いや~(笑)。しかし、ホアン・アトキンスだって新しい作品を出しているんだから、デリックだって、新しいシングルを出したいと思っているでしょ? それとも怒りにまかせてスタジオを破壊したとか?
デリック:まさか! そんなことやるわけないだろう。
■リー・スクラッチ・ペリーみたいに(笑)。
デリック:止めてくれよ、俺はそんなことはしない。いまでちゃんとスタジオはあるよ。ちゃんと証拠の写真だってあるよ。今回もアルバムも自分のスタジオを使ったんだ。
■そういえば、今年デトロイトのベル・アイランド(デトロイト川の中州にある公園)でやった「デイパック・フェスティヴァル」について教えてください。
デリック:ベリー・ナイス。ジュディという友人がやったんだ。おまえは来るべきだったよ。
■子供のためにやったんですよね?
デリック:そう、腎臓のない子供たちのためのチャリティでやった。デイパックには、腎臓のない子供たちの薬が入っている。薬を持ち歩かなければ外に出れないからね。だからデイパックを背中に背負った子どもたちのためのチャリティとしてはじまったんだよ。
■ああ、それで......、それであんなにもそうそうたるメンツが出ていたんですね。デリック、マイク、ホアン、カール、ケニー、ムーディーマン......。
デリック:もちろん、フェスティヴァルには障害のない子供たちも遊びに来るよ。
■それでワークショップをやったり、子供たちにDJや機材の使い方を教えたりしていて。
デリック:そうだね。でも、もともとは募金のためのフェスティヴァルなんだ。だから、みんなで協力した。金儲けのためにやったんじゃない。子供たちのためにやったんだ。
■小学生を相手にベテランのDJたちがやっているのが良いなと思いました。
デリック:まったくそうだよ。でも、その根本にはもっとシリアスな理由があるけどね。子供たちを相手にしているけど、あくまで腎臓のない子供たちのためにやったんだからね。まあ、俺の娘みたいな変な子ばかりがそこに集まって(笑)、日中は子供たちみんなが楽しそうだったな。でも、夜になると子供たちは帰ってしまうから、ちょっと訳がわからなくなった。でも、日中は良かったよ。
■子供たちにテクノやハウスの作り方、機材の使い方を伝えたいと思いますか?
デリック:すごくあるよ。来年はワークショップを増やして、子供たちにもっとたくさんのことを教えたいと思っている。ただ俺は、良い先生じゃないからな。精神的なことなら教えられるけど、テクニックに関しては良い先生じゃない。気持ちのあり方に関しては教えられるだろうな。子供たちにエネルギーを注入することはできるよ。
■ターンテーブルの使い方を教えてないと。
デリック:ふぅ~。この写真を見ろよ!(といって、自分の娘、ソレンがDJミキサーをいじっている写真を見せる)
■はははは、いいね。
デリック:彼女は俺のDJを知らないのに、クロスフェーダーをこう操作してやがった。
■はははは、父親似じゃない。
デリック:そうなんだよ、それって俺のDJスタイルだろ(笑)!
■才能があるんだね。
デリック:かもしれないな。
■ソレンちゃんに自分の音楽を聴かせたの?
デリック:いや、俺は聴かせてない。母親がいちど、車のなかで聴かせたことがあるらしいけど、あんまよく憶えてないみたいだ。
[[SplitPage]]サック・マイ・ディック・サック・マイ・ディック・サック・マイ・ディック・サック・マイ・ディック!!!! 音質は良くはないけど、ファンキーで、ダーティーで、速くて......ってヤツだろ。俺、ああいうの大嫌い。
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■いつか感想を聞くのが楽しみだね。ところでデリック、シカゴのフットワークについてはどう思う?
デリック:知らない。
■ジュークと呼ばれている音楽だよ。新世代のゲットー・ハウス。
デリック:知らないな-。
■けっこうテンポが速い最新のダンス・バトルで、デトロイトで昔、ジッツと呼ばれていた音楽とも似ている。
デリック:ああ、ハウスというよりもエレクトロを速くした感じじゃない。(早口で)トゥクトゥクトゥクトゥク!!!! パーパパパーララパーパパパーララ!!!! トゥクトゥクトゥクトゥク!!!! (甲高い声で)プッシー・プッシー・プッシー・プッシー!!!! サック・マイ・ディック・サック・マイ・ディック・サック・マイ・ディック・サック・マイ・ディック!!!! 音質は良くはないけど、ファンキーで、ダーティーで、速くて......ってヤツだろ。俺、ああいうの大嫌い。
■〈ダンス・マニア〉は好きだったじゃない。
デリック:好きだよ。〈ダンス・マニア〉はそこまで酷くなかっただろ。もっとハウス寄りだった。
■それがもっと進化したんだって!
デリック:でも、野田が言っている意味もわかるよ。ただ、俺はもともとエレクトロがそこまで好きじゃなかった。エジプシャン・ラヴァーのような好きなエレクトロもあるよ。でもホアンほど好きじゃなかったな。
■なるほどね。エレクトロが好きか嫌いかでそこが分かれるんだね。
デリック:あんま若い人の音楽知らないんだよね。いまでもよく付き合っている若い世代は、セオ・パリッシュとオマー・Sぐらい。
■いまでも〈トランスマット〉はグラショット・アヴェニューにある?
デリック:ああ、そうだよ。
■昔は、グラショット・アヴェニュー沿いの〈トランスマット〉の隣には〈KMS〉(ケヴィン・サンダーソンのレーベル)があって、ダニエル・ベルの〈セヴンス・シティ〉があったけど、いまはもう誰もいなくなったでしょ。なんでデリックだけがいまでもグラショット・アヴェニューに居続けるの?
デリック:コミュニティのためだよ。あの辺のコミュニティにとってものすごく重要だからだ。良い写真を見せてあげよう。(iPhoneから写真を探して見せる)
■結婚式?
デリック:そう、誰かがそのあたりで結婚すると、必ずここで写真を撮るんだ。それが〈トランスマット〉がそこに居続ける理由だ。(注:オフィスのあるビルの通り沿いの壁に、デリック・メイは〈トランスマット〉に関わってきた絵描きたちに絵を描いてもらっている。たとえば壁にはアブドゥール・ハックなどの絵が描かれている。いつしか、その大きな壁画の前で近所の教会で式を挙げた新婚さんたちが記念を写真を撮るようになった)
■ああ、なるほど-。
デリック:もう〈トランスマット〉のビルは歴史の一部になったんだよ。それだけで、そこに居続ける理由が充分にある。
■デトロイト・テクノのヒッツヴィルUSA(モータウンの拠点)だね(笑)。
デリック:はははは。
■観光名所だ(笑)。
デリック:それもある。観光客が、テクノの生まれた場所としてそこを訪れて、写真を撮るんだ。
■へー、初めて〈トランスマット〉に行ったときには、地下の部屋をアブドゥール・ハックがアトリエにしていて、事務所にはニール・オリヴィエラ(デトロイト・エスカレーター・カンパニー)がいたね。そしてグローバル・コミュニケーションがかかっていたんですよね。
デリック:ニールはいま、すごい、ハリウッドで二番目に有名な弁護士として活躍している。
■えー、ホント! 映画のために大学院に再入学するっていうメールはもらってたんだけど。
デリック:もともと頭の良い男だったからね。
■ミスター・スポックと呼ばれていたほどだもんね(笑)。
デリック:そうだった(笑)。ちなみに『ビヨンド・ザ・ダンス──トランスマット4』ではニールもライナーを書いているんだよ。(......と言って、見本盤を見せる)
■ホントだ。
デリック:デリック・オーテンシオ(ニールが辞めた後のレーベル・マネージャー)にも書いてもらっている。覚えているだろ?
■もちろん。
デリック:それからジョン・マックレディ(デトロイト・テクノについてよく書いていたUKの音楽ジャーナリスト)にも頼んだ。
■へー、ホントに、歴史なんだね。
デリック:そういう意味でも、音源だけではなく、パッケージも含めて、とても良いコンピレーションになったと思う。野田、でも歴史だけじゃないんだ。とくにChronophoneってヤツの曲をよく聴いてくれよ。こいつは、若き日のロラン・ガルニエに匹敵する才能だと思う。
■わかったよ。それでは今日はありがとう。相変わらずデリックがクレイジーで嬉しかったよ(笑)。いつか幻のファースト・アルバム『ザ・ビギニング・オブ・ジ・エンド』を聴ける日を楽しみにしているよ。




























