「Nothing」と一致するもの

OPNとFKAツイッグスがコラボ!? - ele-king

 どこまで交友の輪を広げるつもりなのでしょうか。「ともだち100人できるかな」とでも言わんばかりに、またしてもOPNが新たなコラボレイションを仄めかす映像を公開しました。お相手はなんと、FKAツイッグスです。ふたりはそれぞれ、同じ2秒ほどの短い動画をインスタグラムに投稿しています。今後のふたりの動向に注目です。

https://www.instagram.com/p/BEG-PMYDhxq/

https://www.instagram.com/p/BEG-bpSC-rv/

@eccojams_が投稿した動画 -

RYKEY - ele-king

 これはまだ十代のころ、すこし年上の夜の女のひとに教えてもらったことなのだけれど、人間の意志は目に、自信は声に表れるんだそうだ。それで、どっちがより大事かといえば、目だということ。
 なぜなら強すぎる自信は必ずしもよいものとは限らないし、でかい声というのはときには馬鹿さ加減の証明になる。だけど、意志というのはいくら強くてもけして過剰になることはない。つまり、目の力は強ければ強いほどいい。それはそいつがヤクザだろうがカタギだろうがおんなじ。もちろん世の中には目の見えない人も喋れない人もいるから、その場合はもっと別のしるしを探す必要があるけど、それでも目と声、とくに目は人をみるときにいい物差しになるよ、とのことだった。

 そんな話を思い出したのは、RYKEYの目を見たからだ。すごい目をしている。大きく見開くと黒目が瞼の縁から完全に離れて、強烈な眼光を放つ。でも彼はその目をぎゅっと細め、まるでガキみたいに破顔して笑いもする。じゃあその声はというと、芯があって、ときに優しく、ときに突き刺すようだ。歌えば意外にも美声なのに、RYKEYはいつもがなり立てるような調子で絶唱する。ラッパーなんて自信があって当たり前だけれど、これはアーティストとしてのペルソナなんかじゃなく、虚勢まじりの不遜な自信だけを頼りに生きてきた人間の声だ。
 日本の父とケニアの母を持つ、東京最西部、八王子エリア出身の元ギャングスタ。八王子はかつての暴力団の抗争事件で有名で、隣接する町田と競って「西の歌舞伎町」との異名で呼ばれる東京の西の拠点だ。本人のエスニシティについては印象的なタイミングでときどき口にされるだけだし、八王子クリップスの元メンバー、というそのプロフィールも、懲役帰りや現役の売人のラッパーが珍しくなくなった現在ではとくに目を引くものではない。彼自身も赤裸々なライフ・ストーリーを切り売りするわけじゃない。RYKEYの謎めいた言葉にリアリティを与えているのは、彼の声と、目だ。天性のカリスマティックな雰囲気と、そのせっかくのギフトを自分で台無しにしてしまいそうな危うさ。役柄は選ぶだろうけれど、ヴァイオレンス映画にでも出れば、きっといい演者になるだろう。

 フリーのミックステープで着実にプロップスを獲得してからデビュー・アルバムをドロップ、といった昨今のプロモーションのセオリーを覆して、RYKEYは2015年に立てつづけに2枚のフィジカル・アルバムをリリース。1枚目はオーセンティックでポップといってもいい『PRETTY JONES』、そして2枚目が去年の初冬にドロップされたこの『AMON KATONA』。内容は……本領発揮って感じだ。
 まくしたてるようなヘヴィ級のラップと魔術的なストーリーテリングによるサイエンス・フィクションは、初期のブルーハーブか東海岸アンダーグラウンドの雄、カンパニー・フロウを彷彿とさせる。けれど言葉選びとライミングはよりラフで、荒削りだ。サウンドの感触もざらつき、混沌としている。ドスのきいたサンプリングのビートに、しつこく連打されるハットとエグいベースが獰猛さを注入し、そこにブルージーなピアノやギターの叙情までかぶさってくる。前作のラップがオーソドックスなモダン・ジャズだとすれば、このアルバムはインプロヴィゼーションによるフリー・ジャズ。東京の黒社会を生き抜いた27歳の青年が、神話的なマジック・リアリズムを駆使して産み落とした怪作だ。

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 冒頭一発ですべての印象を決定づけてしまう“氷のさけび”。通常の意味でのグルーヴをまるで感じさせない、逆に聴く者の両膝を撃ち抜いて動けなくさせる極北のビート。ヒップホップに限らず、打楽器のビートというのはよく心臓の鼓動に喩えられるけれど、その比喩でいえば、この鼓動は不整脈だ。酒でもコデインでもなんでもいい、オーヴァードーズ寸前までなにかに溺れたことのある人間ならわかる。手脚の感覚がなくなり、意識が朦朧とし、暴れていた心臓がゆっくりと不規則に脈打ち始めると、やがて見える景色が一変する。最初は快楽を与えてくれたはずのものが悪夢の象徴に変わる。抽象と具象を行き来するリリックは、あることを理解しなければまったく意味をなさない。「氷」という言葉を英語にして、それがこの国の路上のスラングでなにを指すのかを知らなければ。地獄の季節をめぐるこの詩は、冷たく光るその結晶の一人称で書かれているのだ。

 自分にはまだ誰にも話してないことがたくさんあって、だけどそれを言葉にしてしまうと自分の命はなくなる。そんな笑えない告白で始まる“東京ナイチンゲール”。さんざんっぱら悪事を働いた大都市を架空の女の名で呼ぶこのリリシズムは、けして美辞麗句の言葉遊びではない。余韻をたっぷりと持たせたライミングで吐き出される、どうにもならない恐怖と覚悟。叙情(Lyricism)とは本来こうやって、言葉にできないことを口にするために、宿命的に召還されるものなのだ。静謐なシンセのイントロと、泥酔したチンピラが路上で絶唱しているようなフックのコントラスト。「アスファルトに咲く薔薇」というフレーズは、2PACのあの「コンクリートに咲く薔薇(The Rose That Grew From Concrete)」の変奏だろう。囚われの檻でひとり涙を流す自業自得の孤独は、罰あたりにもアンネ・フランクの面影に重ねられる。ふつうなら鼻白んでしまうそのナルシシズムを、けして冗談にはさせない熱量がこの歌声にはある。

 沸騰寸前の熱がついにマジック・リアリズム的なサイエンス・フィクションに達するのは、独房の囚人が銀河鉄道の夜を渡る“AMON KATONA”。ヒップホップの醍醐味はビートとラップの殺し合いだけれど、この曲はそのふたつが互角に拮抗している。金がなくなればハッパを売ってグラムのあがりが1500円。そんな生活で月額30万もべつに怖くねえ。鏡に映ったオルター・エゴに悪魔の名前をつけ、そいつを通して自分自身に叩きつける言葉。なかば自暴自棄なその虚勢を、めちゃくちゃな音圧のベースがあとずさりできない地点までドライヴしていく。オーヴァードーズして痙攣を繰り返すハットと、囚人の背中を打つ鞭のようなスネア。まっさかさまに落ちていく墜落感に溺れ、絶唱フックの酩酊を何度かくぐり抜けると、驚くことに、このストーリーは宇宙にまで辿りつく。
 なぜなのかはわからない。拳銃をポケットに急ぎ足で駆け抜ける路上のリアリティが、なぜ遠い銀河の別な惑星に接続するのか、そこにはなんの理由も説明もない。とにかく囚人は、晴れていた空が曇り、奇妙なかたちの宇宙船が飛び交うのを目撃する。この時空を超えた悲痛なスペース・トリップを幻視させているのは、ドラッグではなく、あまりにも強い懺悔と後悔だ。もしも裏切ってはいけない誓いを裏切ってしまったら? もしも切れないはずの絆が切れてしまったら? 時間と重力の法則が乱れ、森羅万象が逆転し、けして起きるはずのないことが起こる。これはあってはいけないことが現実になってしまった先の、そのもしもの話だ。

 壮絶なオープニングで幕を開ける地獄のサウンド・スケープは、禁断症状的な幻覚とダークな内省を往復しながら凶暴なアグレッションをぶちまけ、やがてボーナス・トラックの手前の終盤の3曲、珠玉のブルーズのロマンティシズムに慰められる。いまのトレンドを追いかける音ではけしてないけれど、じゃあいつの時代の音だと言われても正直困る。たぶんどんな時代にリリースされても違和感があるだろう。未来の遺物というか、オーパーツ的な感覚。
 それにしてもやはり危険なのはリリックだ。「僕」と「俺」という一人称をランダムに使いわけ、やけに文学的な言いまわしや敬語表現とラフで口汚いスラングが混在し、過去形と現在形が食い違いながら衝突して時系列をズタズタに引き裂く。時空がゆがむ感じ。文章になったものを読めば文法的には間違っているし、矛盾や齟齬もたくさんあるのに、押しよせる膨大な言葉の連鎖を追っていくうちに、ドス黒い感情の毒液にやられてフラフラになる。「ドープ(Dope)」ってのは、こういうことだ。最近じゃすっかり陳腐な褒め言葉になってしまった感はあるけれど、得られる感覚がドラッグそのものじゃなければ、本当はこの言葉は使ってはいけない。

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 ライミングの水準はフリースタイル・バトルの盛り上がり後の高度化した感覚からすれば突出しているというほどじゃないし、ストレートに突き刺すラップのスタイルも、トラップ以降のフロウのトレンドとは無縁だ。それでも、ここにはそんな技術的な分析をふっ飛ばしてしまう力がみなぎっている。スキルを磨くのはもちろん大切なことだ。だが勘違いしちゃいけないのは、ラップはスポーツじゃないってことだ。リズム・キープのためにRYKEYが発する獣じみたうなり声は、小細工的なフロウやライミング以上に、その言葉の核にある熱を伝えてくる。いくら韻の科学を研究しようが、最新のフロウのトレンドをチェックしようが、その熱をトレースすることはけしてできない。今後ヴォーカロイドの技術がどれだけ発達しようと、この熱病の息吹だけは、ラップ・アートの真髄として永遠に残り続ける。

 不良であること、不良あったこと、それ自体にはなんの価値もない。問われるのは、そこからなにを持ち帰ったか、だ。きみは番号で呼ばれたことはあるかい? ドラッグ・ディールにのめりこんだこと。アフリカのマフィアに拳銃をつきつけられたこと。両腕に手錠をかけられ、塀の中で悔恨の涙に頬を濡らしたこと。それは彼だけのパーソナルな経験だ。けれど、たとえそんな路上のリアリティとは無縁の人間がこのアルバムを聴いても、きっとそこに何度も自分自身の顔を発見するだろう。それはRYKEYがみずからの経験を錬金術的に精製し、まるでおとぎ話か神話のような、無限に解釈可能なストーリーにまで昇華しているからだ。死ぬほど後悔しているのに、たとえその日その場所に戻れたとしてもきっと同じことを繰り返してしまうだろう、というタイプの悪事はこの世界にたしかに存在する。乱暴に女を抱いた後にその髪を優しく撫でてやるこの男の身勝手な指先は、そんな普遍的な罪の手ざわりをしっかりとつかみとっている。

 悪いことはしちゃいけない。シンプルなことだ。だけどそんな戒律がいつどこでも律儀に守られるんなら、西暦2000年を超えて、とっくの昔にこの地球には地上の楽園が出現しているはずだ。『AMON KATONA』というタイトルは、古代エジプトの神であり、ヨーロッパの民間伝承では悪魔でもある「アモン(AMON)」に、RYKEYのケニアの母方の名「カトナ(KATONA)」をくっつけたものらしい。古い悪魔学のグリモア(奥義書)の辞典によれば、アモンはフクロウの頭とオオカミの胴体、蛇の尾を持つ強力な悪魔の君主で、召還者に未来と過去の知識を与え、ときに人間同士の争いや和解をもたらすそうだ。なるほどこのラップは、聴く者の心臓を舐めまわす悪魔の舌によって奏でられている。『AMON KATONA』は、東京の地下社会をサヴァイヴしたひとりの青年の実録でありながら、同時にあらゆる文明をまたぐ、人類共通の闇をめぐる寓話でもあるのだ。

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 とても魅力的なアルバムではあるけれど、これがRYKEYの最高傑作だとは思わない。フリースタイルを再構築したという本作のラフでドープなラップと、前作の王道的なソング・ライティングを高いレベルで融合させられれば、たぶん彼は唯一無二のラッパーになるだろう。なにか表現しようなんて思い立つ連中は、かならず自分の中に得体の知れない別の生き物を飼っているものだ。アーティストはそこから2つのタイプにわかれる。その生き物を器用に飼い馴らす奴と、制御不能なそいつをもてあまし、その獰猛な衝動と殺し合いながら創作し続ける奴だ。本物のアーティストはだいたい後者だし、RYKEYもあきらかにそうだ。
 
 気に入らねえ奴には誰だろうが中指を立て、親しい相手にさえ愛情の裏返しの挑発をふっかけ、クソみたいにやられた夜に次の仕返しを思いめぐらせて血をたぎらせる。アルバムにあわせて公開されていたショート・ドキュメンタリー『TOKYO N*GGA DOCUMENTARY』を観る限り、このでたらめでどこか愛嬌のあるキャラクターは、間違いなくプロモーションのための演出ではないだろう。ビッグ・ネームとのコネクションにうわつくような雰囲気もまるでない。実際に周りにいる人間はかなり大変だと思うけれど、有り金を思わずすべてベットしたくなる破天荒な引力がこの男の目にはある。東京のリアリティ・ラップはハードボイルドの袋小路を抜け出し、さらなる高みに駆け上がろうしているようだ。氷点下近くまで気温が下がる冬の夜、マンホールから立ちのぼる蒸気のように、その熱の痕跡は目の高さまでくれば跡形もなく消えてしまうけれど、ともかくそれは宇宙を目指しているのだ。

 プロのトレーナーにヴォイス・トレーニングをうけ、事務所からインタヴューの受け答えまで演技指導されているようなアーティストが好みなら、このアルバムを手にとる必要はない。ノワールの巨匠、ジェイムズ・エルロイのロス四部作のサウンド・トラックになる狂犬の音楽だ。たしかに好き嫌いはわかれるだろうが、そんな言葉でお茶を濁すつもりはない。相手が誰だろうと、人間を計りたかったらまずはそいつの目を見ること。目はけして嘘をつかない。そして声は噓さえ交えて、その人間の腹の底の自信を語る。If This Isn't the RAP, What Is? これがラップじゃなかったら、他のなにがラップだっていうんだ?


Secret Boyfriend - ele-king

 シークレット・ボーイフレンドは、〈ホット・リリース〉〈アイ・ジャスト・ライヴ・ヒア〉などから多数のカセット作品をリリースしてきたノースカロライナの異邦人、ライアン・マーティンのソロ・プロジェクトである。
 今年2016年に発表された彼の新作は、レイム、トロピック・オブ・キャンサーなどのリリースで知られるUKの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉からのリリースで、同レーベルからは2014年の『ディス・イズ・オールウェイズ・ホエア・ユーブ・リブド』以来、2年ぶりのアルバムとなる。聴いてみて驚いた。新作『メモライズ・ゼム・ウェル』は、彼のボヘミアン的美意識が、旅人の記憶のような淡い音像の中に、これまで以上に自然に融解/結晶しており、まさに最高傑作といっても過言でない作品であったのだ。ダーク・アンビエント、シューゲイザー、サイケデリック、ニューウェイヴなどの音楽的なエレメントが、柔らかく霞んだ音響の中に、見事に溶け合っている。

 レーベルは本作のことを「孤立するマシン・ミュージック」と評しているが、まさに言い得て妙である。コンピューターではなく、マシン=機械であること。そして孤立とはライアン・マーティン自身のことでもあるのだろう。たしかに本作には、これまでのライアン・マーティン=シークレット・ボーイフレンドの作品に内包されていた「旅人の孤独さ」のような雰囲気、つまりは自ら進んで故郷から離れながらも記憶の中でかつて観ていた風景を希求しているようなノスタルジアが濃厚に漂っている。
 
 たとえば、どこか最近のマウリツィオ・ビアンキを思わせもするノイズ・アンビエント・トラック“ザ・シンギング・バイル”などは、まさにそのような曲だ。機械。光景。記憶、追憶。不可能。その交錯と融解。もしくは〈モダン・ラブ〉からリリースされたザ・ストレンジャーのような孤独な都市生活者のサウンドトラックとしてのインダストリアル/アンビエントとでもいうべきだろうか。その暗く霞んだ音の中で、夕暮れから夜の光景を想起させるようなノン・ビートのアンビエント曲が展開するのだ。

 また、ライアン・マーティン=シークレット・ボーイフレンドの音楽は、ダーク・アンビエントとサイケデリックでフォーキーなヴォーカル曲に分けることが可能だが、本作においては、ヴォーカル曲とダークなアンビエントサウンドは境界線を喪失するように共存している点も特徴的である。とくに“リトル・ジェミー・セントル”は、当初は簡素なリズム・トラックが入ったアンビエント・テクノイズなトラックとして展開するが、終盤近く、溶け合う記憶の層に侵食するかのように幽玄なヴォーカルが入ってくるのだ。この不意を突くような構成がじつに見事。また“ストリッピング・アット・ザ・ネイル(Stripping At The Nail)”は、壊れたスロウダイヴを思わせるシューゲイズな雰囲気が濃厚な曲で、どこか狂気の淵に佇むような印象を残サイケデリック・フォークな楽曲に仕上がっている。

 そして、アルバム中、もっとも深いノスタルジアの芳香を放つ楽曲は“ピアン・デッレ・パルム”だろう。16世紀の教会音楽を思わせる多声的な音響空間に、モノクロームでメタリックな音が微かな旋律を奏でる。いくつもの音の層はやがて溶け合い、ダーク・アンビエント/ドローンへと変化を遂げていくわけだが、それはまるで失われてしまった故郷への消えかけた追憶のように耳に浸透していくだろう。そして遠くの踏み切りを通り過ぎる列車を思わせる音の反復を残して、この曲は終わりを迎える。そのもの悲しさは、本作のムードを決定付けている大切な要素であり、アルバム最終曲“メモライズ・ゼム・ウェルl”においては、よりドラマチックに展開されていくだろう。

 そう、どの曲も簡単には癒されないほどの深い「孤独さ」が息づいているのだ。霧の中に降り注ぐ星空のようなネオ・サイケデリック/ネオ・ニューウェイヴとでも称したい本作は、このポスト・インターネット時代において、特異なほどに心を強く揺さぶるような孤高のノスタルジアを生成しているように感じられたのだ。ここには初期〈クレプスキュール〉のようなヨーロッパ審美主義的なものを小さな記憶に封じ込めていくようなアトモスフィアがある。

 まさに21世紀における孤立主義とロマン主義的電子音楽。もしくは霞んだテープ録音によるフランツ・シューベルト的なボヘミアニズムか。または初期ル・クレジオ的な物質的恍惚か。その不安定な音の揺れは、世界が不穏に揺れ動く時代を生きる、われわれの「実存」そのものだろうか。ライアン・マーティンの音楽は、不安で、不穏で、曖昧で、しかし、だからこそ美しい。2016年だからこそ聴いておきたいアルバムである。

Toyomu - ele-king

 京都のビートメイカー、Toyomuがbandcampにアップした、想像上のカニエ・ウェストのニュー・アルバムが海外でものすごく話題になっている。とにかく聴いてみて。コンセプト(ヒップホップmeetsヴェイパーウェイヴ!)、楽曲、ユーモア、じつに面白い! ナイスです。なお、この若きビートメイカーは、昨年12月にchartを寄せてくれています(thanks RILLA)。

 https://toyomu.bandcamp.com/album/iii-imagining-the-life-of-pablo

commmons10 - ele-king

 坂本龍一を中心に、アーティストたちのゆるやかな連携をめざし設立した〈commmons〉の10周年を記念する、初のレーベル主催イベント。音楽と知と笑いと食と運動──人間の生の根幹となるものを多方面から考えながら、なにより楽しむことを主眼としていることが、下記特設サイトをひとたず訪れていただければ腑に落ちること必定であります。場所は恵比寿ガーデン・プレイス一帯。先行イベントとして、教授セレクトがセレクトした映画をムジークエレクトロニクガイザインのスピーカーで聴きかつ観る「爆音映画祭」は4月2日にすでにスタートしており、この週末はトーク、公開オーディション、ワークショップ、落語&コミック・ソング、ヨガと太極拳とラジオ体操などがそこかしこでおこなわれる。聴いてよし観てよし、笑いあり涙は流れたとしてもおそらくよろこびのそれにかぎるだろう。
 ele-kings booksより、漢方と西洋医学の重なりあうところをていねいに論述した『からだとこころの環境』を刊行した伊達伯欣も畠山地平とのOpitopeで生演奏でのヨガをおこなうほか、坂本龍一はもちろん、高橋幸宏、細野晴臣、青葉市子と小山田圭吾とU-zhaan、空間現代、やくしまるえつこ、蓮沼執太――弊媒体読者も気になる出演者が書ききれないほど出演予定なので、週末はひとつ、万障お繰り合わせのうえ、心と体、身体の全部をフルに働かせていただきたい。

Susumu Yokota - ele-king

 ダンス・カルチャーとは朝まで踊ること。いちどダンスフロアに出たら水分補給以外はフロアに居続けること。現実には起こり得ないと思っていたことが目の前で起きていること。知り合いと会うと、いや、初めて会ったひとともハグしあって、「愛してるよ~」と真顔で言い合うこと。気持ち悪いよなぁ、でも当時はそれが普通だった。で、明け方、帰るときに(踊りすぎで)膝がガタガタになっていることに気がつくこと。ダンス・カルチャーとは朝日がやたら眩しいこと。あるいはトイレ付近で……(これ以上は書かないでおこう)。
 あの地下の階段を下りるときいつもドキドキした。今夜は何が起きるんだろう、明け方にはどうなっているんだろうと思ってドアを開けた。クラブはビールを片手に談笑する場ではなく、ただ無心に踊る場であり、クラバーはDJを見るのではなくお互い(もしくは宇宙)を見ていた。これが1992年から1994年の東京の週末に起きていたことだった。

「ダンス・カルチャーとは、ラジカルに対立するふたつのレイヴすべてに関する事柄が一体化されたものである。ひとつ、トランセンデントラル(超越的)で、ネオサイケデリックかつより高次な意識の論述──ヒューマニティ/ガイア/宇宙が結合する海。もうひとつ、エクスタシーとレイヴ・カルチャーがせき立てる10代の安っぽいスリルのラッシュ・カルチャー……」サイモン・レイノルズ『Generation Ecstasy』

 この狂騒の季節において欧州(とくにUKとドイツ)の主要都市では、多くの記録者(プロデューサー)が多くのドキュメント(作品)を残しているが、横田進は東京において数少ない記録者のひとりだ。この度サブライムから再発された『Acid Mt.Fuji』は彼の代表的な記録のうちの1枚。1994年の作品である。
 じつはこの前年のEBI(海老)名義のアルバム『Zen』(ベルリンのスペース・テディからリリース)やFrankfurt-Tokio-Connection名義の諸作(フランクフルトのハートハウスからリリース)の頃がダンス・ムーヴメントのピークだったので、『アシッド富士山』はその第一段階の最終章と言える。メロディ重視の曲作り、ささやかなアンビエント・タッチは熱から冷めようとする次の季節の予兆ともいまとなっては言えるが、まあやはり、『アシッド富士山』(というタイトル)であることは誤魔化しようがない。再発されたこのCDには、1994年6月の伝説のライヴが収録されているが、それは狂騒の季節の記憶の断片、それ以外の何ものでもない(そういう意味では貴重な音源)。
 ぼくは1995年の『Metronome Melody』を評価している。透き通った音色の綺麗なメロディ、それが横田作品の最大の魅力だったと思っているからで、実際の彼も物静かで耽美的な人だった。しかし本来ならダンスしなかったそういうひとたちもダンスなしではいられなかったのが1992年~1994年の東京のアンダーグラウンドだった。あれは何だったんだろう……何年も経って、いろいろな人がさまざまなことを考えている。ある海外の批評家が、あれは、社会のさまざまなプレッシャーから集団まるごと解放されてしまった状態であり、ゆえに当たり前だと思っていたことがじつはプレッシャー(抑圧)だったと気づいてしまったと、よってノンポリ集団が社会とリンクしていくのである云々と分析していたことがあったけれど、それはたぶん正解で、たぶん間違ってもいる。

 去る3月27日は横田進の一周忌ということで、生前につきあいのあった人たちが集まった。その会場となった渋谷のクラブ・ギャラクシーに向かう途中で、桜を見ながら、ああ、横田さんはこんなに桜が綺麗なときに亡くなられたのか、そういえば彼の最高傑作の1枚は『SAKURA』というタイトルだったな、と思った。

interview with Yeasayer (Ira Wolf Tuton) - ele-king


Yeasayer
Amen & Goodbye

Mute / Traffic

PsychedelicIndie Pop

Tower HMV Amazon

 イエーセイヤーは、とくに世界的なヒットとなった『オッド・ブラッド』以降はポップ・フィールドでサイケデリックを追求してきたバンドだ。それはMGMTやドードースがそうであるようにサイケデリックであり、また、ヴァンパイア・ウィークエンドがそうであるようにエキゾチズムを内包している。以下の発言ではアラン・ローマックスからジョン・コルトレーンにまで言及されているけれども、彼らは学究肌でもスピリチュアルに突き抜けるでもなく、トライバルな意匠をあくまでポップに扱いつづけてきた。その少しねじれた感覚は、このインタヴュー冒頭においていくつかの質問への回答が絶妙にかわされていることにもあきらかだろう。登場こそブルックリンのアンダーグラウンドだったものの、彼らはアニマル・コレクティヴやギャング・ギャング・ダンスとも、あるいは、初期のレーベルメイトであるポニーテールらのエクスペリメンタリズムとも別の道を行った。そして参照点は異なれども、もはやフレーミング・リップスやオーウェン・パレットなどにこそ比較すべきストレンジ・ポップの旗手となりつつあるのかもしれない。

 『オッド・ブラッド』よりも抽象性とダンス要素を上げた『フラグメント・ワールド』から4年、今作『エイメン&グッドバイ』はアートワークにデイヴィッド・アルトメイド(ニューヨークで活動するカナダ人彫刻家)を加えていることにまず目が行くが、ジャケットにあふれている乱雑で多様な意匠のせめぎあいは、彼らの音楽の在り処としてとてもしっくりとくる。そしてこの一見無秩序な要素の中から、彼らにとっての中心はここだといわんばかりに歌と旋律が立ち上がってくるのは感動的だ。“アイ・アム・ケミストリー”にはスージー・ローチェ(ロバート・フリップのプロデュースでデビューした三姉妹コーラス・グループ)がフィーチャーされているが、子どもの声かと錯覚するそれは、アルバム全体から奇妙な歌の力を引き出しているように感じられる。こうしてみると、イエーセイヤーが歌や旋律の引力に魅せられてきたバンドであったことにあらためて気づかされる。
 それではこのタイトルも奇怪なポップ・アルバムについて、ベースのアイラ・ウルフ・トゥートンに訊ねてみよう。

■Yeasayer / イエーセイヤー
NYブルックリンのインディ・ロック・バンド。クリス・キーティング(Chris Keating Vo/Kb)、アナンド・ワイルダー(Anand Wilder G/Vo/Kb)、アイラ・ウルフ・トゥートン(Ira Wolf Tuton B/Vo)、2007年に『オール・アワー・シンバルズ(All Hour Cymbals)』でアルバム・デビュー。ベックのツアー・サポート等を行い、2010年には〈ミュート〉移籍第一弾のセカンド・アルバム『オッド・ブラッド』をリリースし、同年フジ・ロック・フェスティヴァルにて来日。2013年にサード・アルバム『フレグラント・ワールド』をリリース。同年、初の単独来日公演を行う。

シェイプノート唱法、シェイカー・スピリチュアル、ミサ・ルバというコンゴの合唱団、それにバルカンの合唱音楽など数例を取っても、すべての伝統的ヴォーカル音楽が僕らを惹きつけたんだ。

エキゾチズムはあなたがたが初期から持っている特徴だと思います。これはイエーセイヤーのひとつのテーマととらえてもよいのでしょうか?

アイラ・ウルフ・トゥートン(以下アイラ):僕らはいつもたくさんの異なったかたちや過去やいまの様式を組み合わせるようにしているし、そうしたいと思ってるんだ。その中でお互いを活かしあって、しなやかでまがい物でなく、コンテンポラリーなサウンドになるように努めてるよ。

そうしたものは、専門的な民族音楽へのアプローチを通してではなく、あくまでポップ・ミュージックとして表現されていると感じます。純粋な民族音楽の表現にはあまり興味がありませんか? また、とくに興味を寄せている地域の音楽はありますか?

アイラ:アラン・ローマックス(Alan Lomax)の作品に関してはバンド結成前にメンバー全員がそれぞれいっぱい聴いたね。シェイプノート唱法、シェイカー・スピリチュアル、ミサ・ルバというコンゴの合唱団、それにバルカンの合唱音楽など数例を取っても、すべての伝統的ヴォーカル音楽が僕らを惹きつけたんだ。
 それから、僕らは映画音楽にも多大な影響を受けてきている。その(音楽的)解釈や録音物を通して、通常だったらそんなにたやすく出会うことのない伝統なんかに、一足飛びに触れることができるんだ。早坂文雄は好きで印象に残っている。彼はまだ幼い頃の僕に世界の扉をひとつ開けてくれたんだ。

地理的にもそうですが、時代的にも大胆な混淆を好まれているように見えす。“チャイルド・プロディジー”などはわかりやすい例かもしれませんが、とくに脈絡なく突然バロック音楽が参照されたりもしますね。このようにいろいろなものが混ざるのはなぜなのでしょう?

アイラ:思うにそれは音楽に対する一つのアプローチ手段だよ。僕にとっては、美しさ、それに音楽制作にチャレンジすることも無限の可能性の中に存在している。そのかけら(可能性)さえも完璧に掴むことはできないけど、むしろ自分のあらゆる理解力を養ったり拡げるため、また、時には別の伝統で自分の最高の声をより理解するために、すべてのことは可能だと知るほうがいいだろう。

僕の好きな音楽は、いま生きているこの世界を見るためのレンズとして機能するような音楽なんだ。僕らは懐古主義になろうとしたことは一度もないよ。

こうした音楽性には、実際に世界の現在の状況や未来についてのヴィジョンが重なっていたりしますか?

アイラ:僕の好きな音楽は、いま生きているこの世界を見るためのレンズとして機能するような音楽なんだ。僕らは懐古主義になろうとしたことは一度もないよ。

前作『フラグメント・ワールド』などは、そのタイトルがまさにあなたがたの音楽を示唆するようにも思われます。ダークでモノトーンな印象ながら、とてもリズム・オリエンテッドなダンス・アルバムでしたよね。今回は、対照的に楽曲性の高いものになっていると思いますが、これは意識された差なのでしょうか?

アイラ:僕らは毎回アルバムでは異なったアプローチをしている。個々人が変わるのと同じように、友人関係もそう、愛や家族、影響を受けるものや環境もそう、挙げていくとそのリストはずっと続くよ。どの作品であれ意図的に過去にやってきたものと同じようなものをリピートして作るのは不誠実だと感じるんだ、だってその間僕らの周りはめまぐるしく変わってるんだから。

お答えいただけるみなさんそれぞれにお訊ねします。あなた方が考える意味でもっともエキゾチックだと思う作品(音楽でも映画でも小説でもなんでも)と、もっともドリーミーだと思う作品を教えてください。

アイラ:僕がもっともインスピレーションを受けたのは個人で、彼らは完全に自身のアート、創造そして愛に身を投じていて、それは普通では到底できないことのようだ。『ジャイアント・ステップス(Giant Steps)』から『至上の愛(A Love Supreme)』『クル・セ・ママ(Kulu Se Mama)』までのジョン・コルトレーン。ボウイ(David Bowie)はいまでも忘れられない。グスタフ・スティックリー(Gustav Stickley)、ドビュッシー(Debussy)、ジョージ・ナカシマ(George Nakashima)、ショパン(Chopin)、ミース・ファン・デル・ローエ(Mies Van Der Rohe)、ジョン・ミューア(John Muir)……と、挙げていくと止まらなくなるよ。
 僕が夢見るのは自分の住むキャストヒルにある湖のことだね、毎日それぞれ少しづつ違う表情を見せるし。自然界のほうがより自分にとっては夢のようなものになってきているよ。

『オール・アワー・シンバルズ』をミックスした場所はいまやジェイクルー(J Crew)というブランドのデパートになってるね。そう、ブルックリンは変わってしまった。

『オール・アワー・シンバルズ(All Hour Cymbals)』の頃から聴いています。当初は「ブルックリン」というキーワードとともにあなたがたの音楽を知りましたが、あなた方自身は当時「ブルックリン」で起きていたことをどのようにとらえていましたか?

アイラ:『オール・アワー・シンバルズ』をミックスした場所はいまやジェイクルー(J Crew)というブランドのデパートになってるね。そう、ブルックリンは変わってしまった。まだ巨大な都市だけど。カルチャーやアート・スポットはもっと遠くの郊外に移ったみたいだよ。でも悲しいのは僕らが当時知っててよく通ったいくつかのクラブやアパート、リハ用の場所や溜まり場がブランドやインスタントな建造物にとって代わったことだね。もっと頭にくるのは、金のある企業の取り繕ったようなサマで、すぐに乗り替わってブランド企業の取り巻きになったこと。しかし、僕らはこの年の過剰開発を止める第一世代にはならないだろう。理由として、世代に限らずニューヨークの過去を懐かしむ心が強いのは、都市の変化のスピードがいつの時代も急速だから。そこはコンスタントに建造物を建て、破壊する都市なんだ。

あの頃と比べて、時代が要請している音にどのような変化があったと思いますか?

アイラ:思うに音楽の消費のされ方が変わってしまったね。インターネット上のコンテンツ増加を通して、いまや誰でも自らの手でブランディングをできるようになったから。僕らは手っ取り早く、より自分と同質で安全なものに近づき、恐ろしいものにも近づいている。前者はすぐに消え去るようなつまらないカルチャーであり、後者は、仲間や会社、政府の監視を認識したり受け入れたりすることによって生じる個人の権利への不安だね。

今作のアートワークにデイヴィッド・アルトメイド(David Altmejd)さんを起用したのはどのような経緯ででしょう? また、人体やとくにその頭部の表現に特異な方法を持っているアルトメイドさんですが、彼の作品とイエーセイヤーとの音楽の関連をどのあたりに見られますか?

アイラ:デイヴィッドが僕らといっしょにやりがってくれてたんだ。彼のようなヴィジョンを持ったアーティストが僕らの作品を解釈し、また違った視点から彼の作品として表現してくれるなんて、光栄だったよ。

“アイ・アム・ケミストリー(I AM CHEMISTRY)”のMVもじつにインパクトがありました。子どもたちのコーラスが挿入されているのは、テーマやコンセプト上での必要があったからでしょうか?

アイラ:あのヴィデオはマイク・アンダーソンの作品で、ニュー・メディア・リミテッド(New Media Ltd)が手がけたものなんだ。いつもながら、才能ある人たちと仕事をするのは僕らの世界観を広げてくれてすごく興奮するね。あのコーラスは実際ザ・ローチェス(The Roches)のスージー・ローチェの声を目立つようにフィーチャーしてるんだ。レコーディングの過程で女性のパートを意識して作った部分で、実際、女性の声が必要だと感じたんだ。スージーと彼女のバンド(彼女の二人の姉妹とともに)から僕らは多大な影響を受けてきたから、彼女といっしょにやるのはとても光栄だったよ。

ミュートが僕らにアドバイスしてくれたのはプロデューサーといっしょに仕事すること。

アルバムを重ねてこられる中で、よりポップに感じられるもの、より複雑な音楽性をもったもの、それぞれに特徴があったと思います。〈ミュート〉への移籍はアルバム制作の上でどのような影響があったでしょう?

アイラ:ミュートが僕らにアドバイスしてくれたのはプロデューサーといっしょに仕事すること。それはいままで僕等がやってこなかったことで、やろうとも思ってなかった。しかし数度の失敗を経て、僕らが出会ったのがジョーイ・ワロンカー(Joey Waronker)、彼は自然と僕らの作業プロセスに馴染んでくれて、思うに気分的にも盛り上げてくれた。彼は4番めのメンバーになってくれて、いままで見れていなかった音楽的なポイントのいくつかを埋めてくれたね。

“ハーフ・アスリープ(Half Asleep)”などのようにテクスチャーを優先したサイケ・ナンバーと“デッド・シー(Dead Sea)”などビートが優先される曲では制作の過程はまったく異なるものでしょうか?

アイラ:僕らがトライしているのは、曲それぞれに異なった、その曲に正直なアプローチなんだ。だいたいにおいて、もし2つの曲で同じアプローチやお題があるとしたら、そのうちの1つは削ることになるだろう。君が言った2曲の制作上の違いは、僕ら3人から生まれるまさに(それぞれの曲で)異なったパーツの組合せから作り上げられた、ひとつの結果だね。

今回のアルバム・タイトルでもある「エイメン・アンド・グッドバイ(Amen & Goodbye)」ですが、これは誰か(何か)に向かって投げかけられた言葉なのでしょうか? 表題曲がニューエイジ風の短いトラックだったことで、謎かけのようにも感じられます。あなたたちが何かに決別したということですか?

アイラ:だいたいにおいて、僕らが決別したのは時間と諍い事、そしてこのアルバムを作るためにかかった手順だね。そうたくさんのことと決別したよ。

僕がいま注目してるのは、いくつかのLA関連のもので、ケンドリック・ラマー関連やサンダーキャット周りのミュージシャンたちかな。

“ユーマ(Uma)”などは壊れた懐メロといった雰囲気を感じました。あなたがたの音楽には時折古風なポップ・ソングの片鱗も現れますが、これはとくにあなたがたのうちの誰の資質によるものなのでしょう?

アイラ:アナンドが“ユーマ”に、より70’sロックのアレンジのテイストを持ち込んだんだ。グループ的にもそっちのほうがおもしろそうだったし、もともとのララバイにするよりも、もっとコラージュした感じでジュークボックス的、それに子どもっぽい感じのアプローチのほうがね。僕ら的には初めてドラムスもパーカッションも使わなかった曲で、そういうふうに極端に振れることが重要だったんだ。

ライヴ・パフォーマンスにも定評のあるみなさんですが、今回のアルバム・コンセプトはどのようにライヴに反映されているでしょうか?

アイラ:ちょうどいまそれに取り掛かっているところさ。僕らにはライティングなどショウを組み立ててくれるアーティストの友人がいて、アルバムをライヴ用に組み替えているところなんだ。このプロセスは実際すごく楽しくて、早くその完成形を見せたくて仕方がないよ。

現在の音楽シーンのトレンドを意識することはありますか? どんなものをトレンドだと感じていますか?

アイラ:僕がいま注目してるのは、いくつかのLA関連のもので、ケンドリック・ラマー関連やサンダーキャット周りのミュージシャンたちかな。いま現在起きているミュージシャンたちのフレッシュな動きを見るのはいいと思う。だけど僕がよく聴いてるのはオスカー・ピーターソンで、そんなにトレンドを追ってはいないよ。

結成から10年になります。これからの活動として意識的に話しあっている目標などはありますか?

アイラ:未来に生きるほど危険なことはないよ、いまだけを生きるようにしてるよ。

Fatima Al Qadiri - ele-king

 ただのグライム。ファティマ・アル・カディリならそう言うだろう。そこに枕詞を付け足す必要はない。「元々あった呼び名で十分だったのに」と、フューチャー・ブラウンの一員として彼女は昨年のインタヴューで答えている。アンビエント・タッチのグライムは昔からあったのであり、わざわざそれをリ・ブランディングする必要などない、と。
 とはいえ彼女の前作『エイジアティシュ』が注目を集めたのは、単にその「想像上の中国」というコンセプトが、グライムの上モノにときおり現れるアジア趣味(シノグライム)の受け皿となって、西洋文化に潜む東洋への欲求をうまい具合に満足させたから、というだけではない。低く唸るベースとヴォーカル・ドローンとの共存によって特徴づけられた『エイジアティシュ』は、ベース・ミュージックであると同時にアンビエント・ミュージックとしても成り立っていた。オリエンタルな意匠の下にグライムとアンビエントとを同居させてみせたこと、やはりそこにこそファティマ・アル・カディリの面白さがあったと言うべきだろう。

 セカンド・アルバムとなる本作でも基本的にその路線は踏襲されている。悪く言えばサウンドの上で大きな変化はないということだが、明確に前作にはなかった要素もある。それはメッセージ性だ。彼女は同じインタヴューの中で「フューチャー・ブラウンの政治的関心をひとつ挙げるとしたら?」という問いに対し、「警察の残忍性について」と答えている。本作のテーマは、ジョシュ・クラインの彫刻が大きく掲げられたアートワークからも窺えるように、近年合衆国で多発している警察による過剰な暴力の行使である。
 いくつかタイトルを並べてみよう。「血色の月」、「外出禁止令」、「集中砲火」、「地下牢」、「崩壊」、「権力」。これらの語が差しあたって映し出しているのは、いまアメリカで実際に繰り広げられている壮絶な暴力行為だ。そういう意味でこのアルバムは、アティテュードの面で最近のビヨンセと共振しているとも言える。
 だがさらに言ってしまえば、本作が告発しようとしているディストピアは必ずしもアメリカ国内に限定されるものではない。アル・カディリの出身地がクウェートであることを思い出そう。「軍隊の警察化」や「警察の軍隊化」が主張されるようになって久しいが、その転換期にあたる湾岸危機当時、彼女はまさにイラク軍による占領下で幼年時代を送っていたのである。このアルバムには彼女のそのような過去も色濃く反映されているように思われる。つまり本作は、「ブラック・ライヴズ・マター」からパリ同時多発テロやシリアの騒乱までをも射程に含んだ、怒りと絶望の音楽なのである。

 ハードな現実を直視するという意味で、本作はたしかに正統なグライムだ。彼女の言葉で言えば、ただのグライムである。それなのにこのアルバムでは、グライムの大きな要素の一つであるラップという手法が用いられていない。ニュース番組や引退した巡査部長の発言などがサンプリングされてはいるものの、それらはあくまで装飾の域に留まっている。つまり、本作には明確なメッセージ性があるのにもかかわらず、それが直接的に主張されることはないのである。フューチャー・ブラウンのように、やろうと思えばMCをゲストに迎えることだってできたはずだ。だが彼女はそうしなかった。それには彼女の音楽のもう一つの重要な側面であるアンビエントが関わっている。
 アンビエント・ミュージックには、通常は聴く必要のないものとして意識からシャットアウトされている音を強制的に顕在化させるという機能がある。ベッドルームでアンビエントを流しながらうとうとしたことのある者ならば一度は体験したことがあるであろう。風が窓を叩く音、車が外を走る音、換気扇が回る音、衣服が擦れる音、自分が呼吸する音、そういう普段は意識から排除されている様々な「ノイズ」が際立って耳に入ってくる瞬間を。
 アル・カディリはこのアルバムで、そのようなアンビエントの効果を音以外の事象にまで拡張させようとしているのだ。仕事に忙殺されている人びとに、エンターテインメントに熱中している人びとに、恋愛のことで頭がいっぱいになっている人びとに、かれらの意識からシャットアウトされている現実──いま合衆国で、世界中で起こっている悲惨な出来事──へと一瞬でも注意を向けさせること。
 要するにこのアルバムは、あなたのオフィスやあなたのベッドルームと、実際に暴力行為が発生している海の向こうの現場や戦場そのものとを、直接的な手段を用いずに接続しようとする試みなのである。だから彼女の言葉に逆らって言おう。これはただのグライムではない、と。

Terrace Martin - ele-king

 第58回グラミー賞受賞式のハイライトとなったケンドリック・ラマーのステージ。最初にケンドリックやバンド・メンバーたちは監獄の囚人に扮したが、ケンドリックとともにテナー・サックスを吹くテラス・マーティンの存在感も光っていた。5冠に輝いた『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』でもテラスはキー・パーソンのひとりで、ケンドリックにとってデビュー・アルバムの『グッド・キッド、マッド・シティ』からテラスは音楽的参謀の位置にある。

 ミュージシャン、ラッパー、プロデューサーという複数の顔を持つテラスだが、そもそも2000年代半ばからパフ・ダディ、スヌープ・ドッグらの作品や活動に関わり、とくにスヌープのプロデューサーとして知る人ぞ知る存在だった。ヒップホップ界での成功により注目を集めるが、もともとはジャズ・サックスが出発点で(父親はジャズ・ドラマーで、母親はゴスペル・シンガー)、コルトレーン、チャーリー・パーカー、ジャッキー・マクリーン、グローヴァー・ワシントン・ジュニアなどの影響を受けてきた。奨学金をもらってカリフォルニア芸術大学へ進学後、プロのジャズ・ミュージシャンとなるが、子どもの頃からドクター・ドレやスヌープをはじめとした西海岸のヒップホップやR&Bは身近にある存在で、自然とそうした分野での演奏も増えていく。こうした経歴は東海岸を代表するジャズ・ピアニストのロバート・グラスパーと同じ流れで、いまのUSのジャズ・ミュージシャンらしい。西海岸でジャズとヒップホップ/R&Bを繋ぐ存在がテラスなのだ。実際彼らは高校時代にサマー・キャンプで出会い、ロバート・グラスパー・エクスペリメントの『ブラック・レディオ2』にもテラスはスヌープといっしょに参加している。

 2013年に発表したソロ・アルバム『3コードフォールド』は、そんなテラスの集大成的な作品で、グラスパー、ケンドリック、スヌープ、レイラ・ハサウェイ、ウィズ・カリファ、ミュージック・ソウルチャイルドらが参加した。グラスパーの『ブラック・レディオ』に対するヒップホップ/R&Bサイドからのアンサー・アルバムにあたるような内容で、『ブラック・レディオ』から『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』への流れを結ぶ作品でもある。なお、この中ではマイケル・ジャクソンの“アイ・キャント・ヘルプ・イット”をカヴァーしているが、原曲のプロデューサーだったクインシー・ジョーンズまでが共同制作を買ってでるなど、新旧のアーティストから高い評価と信頼を集めている。クインシーやスティーヴィー・ワンダーなどからの影響を、しっかりといまに受け継ぐミュージシャン/プロデューサーでもあるのだ。

 『3コードフォールド』から3年ぶりとなるテラスのニュー・アルバム『ヴェルヴェット・ポートレイツ』は、グラスパーやレイラ・ハサウェイなど前作から続く面々に加え、カマシ・ワシントン、サンダーキャットというLAジャズ・シーンのキー・パーソンも参加する。ほかにジャズ系のミュージシャンでは、ディアンジェロのツアー・メンバーで、グレゴリー・ポーターのニュー・アルバムにも参加したキーヨン・ハロルドも演奏している。全体的には前作に比べてヒップホップ/R&B度は薄れ、そのぶんジャズ方向へ傾き、同時にディアンジェロ的な70年代ソウル~ファンク・リバイバルの流れを汲んだアルバムとなっている。“ヴァルデス・オフ・クレンショー”はダニー・ハサウェイの“ヴァルデス・イン・ザ・カントリー”からの引用で(ダニーの娘のレイラが本アルバムに参加するのも感慨深い)、「プッシュ」はカーティス・メイフィールドの『スーパーフライ』の“プッシャーマン”を意識したように聴こえる。“トライブ・コールド・ウェスト”はATCQからインスパイアされた曲だそうだが(皮肉にも、先に急逝したファイフ・ドーグへの鎮魂歌となってしまった)、曲自体はキーヨンのトランペットをフィーチャーし、ファンクやアフリカンの要素を取り入れた現代版エレクトリック・マイルスとでもいうようなもの。“シンク・オブ・ユー”ではカマシのサックスとともに女性シンガーのローズ・ゴールドをフィーチャーし、ジャズとソウルの最良の接点を見せてくれる。

 なお、現在テラスはフライング・ロータスやサンダーキャットとともにハービー・ハンコックの新作を制作中とのことで、そちらへの期待も否が応でも高まる。

New Order - ele-king

 ニュー・オーダー、5月25日の、29年ぶりの単独公演即日完売につき、追加公演が決定しました!
 追加公演は週末金曜日(5月27日)、場所は新木場スタジオコーストです。フェス以外で彼らのライヴを見れるのは、滅多にありません。ファンの方はここを逃さないように!
 また、25日、27日の両公演では、石野卓球がDJをやることも決定しました。待望の12インチ盤もついにリリースされました。アートワークは鮮やかな紫です。

Tutti Frutti ‒ Takkyu Ishino Remix

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