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RYKEY

Hip Hop

RYKEY

Amon Katona

Pヴァイン

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泉智   Apr 12,2016 UP

 これはまだ十代のころ、すこし年上の夜の女のひとに教えてもらったことなのだけれど、人間の意志は目に、自信は声に表れるんだそうだ。それで、どっちがより大事かといえば、目だということ。
 なぜなら強すぎる自信は必ずしもよいものとは限らないし、でかい声というのはときには馬鹿さ加減の証明になる。だけど、意志というのはいくら強くてもけして過剰になることはない。つまり、目の力は強ければ強いほどいい。それはそいつがヤクザだろうがカタギだろうがおんなじ。もちろん世の中には目の見えない人も喋れない人もいるから、その場合はもっと別のしるしを探す必要があるけど、それでも目と声、とくに目は人をみるときにいい物差しになるよ、とのことだった。

 そんな話を思い出したのは、RYKEYの目を見たからだ。すごい目をしている。大きく見開くと黒目が瞼の縁から完全に離れて、強烈な眼光を放つ。でも彼はその目をぎゅっと細め、まるでガキみたいに破顔して笑いもする。じゃあその声はというと、芯があって、ときに優しく、ときに突き刺すようだ。歌えば意外にも美声なのに、RYKEYはいつもがなり立てるような調子で絶唱する。ラッパーなんて自信があって当たり前だけれど、これはアーティストとしてのペルソナなんかじゃなく、虚勢まじりの不遜な自信だけを頼りに生きてきた人間の声だ。
 日本の父とケニアの母を持つ、東京最西部、八王子エリア出身の元ギャングスタ。八王子はかつての暴力団の抗争事件で有名で、隣接する町田と競って「西の歌舞伎町」との異名で呼ばれる東京の西の拠点だ。本人のエスニシティについては印象的なタイミングでときどき口にされるだけだし、八王子クリップスの元メンバー、というそのプロフィールも、懲役帰りや現役の売人のラッパーが珍しくなくなった現在ではとくに目を引くものではない。彼自身も赤裸々なライフ・ストーリーを切り売りするわけじゃない。RYKEYの謎めいた言葉にリアリティを与えているのは、彼の声と、目だ。天性のカリスマティックな雰囲気と、そのせっかくのギフトを自分で台無しにしてしまいそうな危うさ。役柄は選ぶだろうけれど、ヴァイオレンス映画にでも出れば、きっといい演者になるだろう。

 フリーのミックステープで着実にプロップスを獲得してからデビュー・アルバムをドロップ、といった昨今のプロモーションのセオリーを覆して、RYKEYは2015年に立てつづけに2枚のフィジカル・アルバムをリリース。1枚目はオーセンティックでポップといってもいい『PRETTY JONES』、そして2枚目が去年の初冬にドロップされたこの『AMON KATONA』。内容は……本領発揮って感じだ。
 まくしたてるようなヘヴィ級のラップと魔術的なストーリーテリングによるサイエンス・フィクションは、初期のブルーハーブか東海岸アンダーグラウンドの雄、カンパニー・フロウを彷彿とさせる。けれど言葉選びとライミングはよりラフで、荒削りだ。サウンドの感触もざらつき、混沌としている。ドスのきいたサンプリングのビートに、しつこく連打されるハットとエグいベースが獰猛さを注入し、そこにブルージーなピアノやギターの叙情までかぶさってくる。前作のラップがオーソドックスなモダン・ジャズだとすれば、このアルバムはインプロヴィゼーションによるフリー・ジャズ。東京の黒社会を生き抜いた27歳の青年が、神話的なマジック・リアリズムを駆使して産み落とした怪作だ。

            *

 冒頭一発ですべての印象を決定づけてしまう“氷のさけび”。通常の意味でのグルーヴをまるで感じさせない、逆に聴く者の両膝を撃ち抜いて動けなくさせる極北のビート。ヒップホップに限らず、打楽器のビートというのはよく心臓の鼓動に喩えられるけれど、その比喩でいえば、この鼓動は不整脈だ。酒でもコデインでもなんでもいい、オーヴァードーズ寸前までなにかに溺れたことのある人間ならわかる。手脚の感覚がなくなり、意識が朦朧とし、暴れていた心臓がゆっくりと不規則に脈打ち始めると、やがて見える景色が一変する。最初は快楽を与えてくれたはずのものが悪夢の象徴に変わる。抽象と具象を行き来するリリックは、あることを理解しなければまったく意味をなさない。「氷」という言葉を英語にして、それがこの国の路上のスラングでなにを指すのかを知らなければ。地獄の季節をめぐるこの詩は、冷たく光るその結晶の一人称で書かれているのだ。

 自分にはまだ誰にも話してないことがたくさんあって、だけどそれを言葉にしてしまうと自分の命はなくなる。そんな笑えない告白で始まる“東京ナイチンゲール”。さんざんっぱら悪事を働いた大都市を架空の女の名で呼ぶこのリリシズムは、けして美辞麗句の言葉遊びではない。余韻をたっぷりと持たせたライミングで吐き出される、どうにもならない恐怖と覚悟。叙情(Lyricism)とは本来こうやって、言葉にできないことを口にするために、宿命的に召還されるものなのだ。静謐なシンセのイントロと、泥酔したチンピラが路上で絶唱しているようなフックのコントラスト。「アスファルトに咲く薔薇」というフレーズは、2PACのあの「コンクリートに咲く薔薇(The Rose That Grew From Concrete)」の変奏だろう。囚われの檻でひとり涙を流す自業自得の孤独は、罰あたりにもアンネ・フランクの面影に重ねられる。ふつうなら鼻白んでしまうそのナルシシズムを、けして冗談にはさせない熱量がこの歌声にはある。

 沸騰寸前の熱がついにマジック・リアリズム的なサイエンス・フィクションに達するのは、独房の囚人が銀河鉄道の夜を渡る“AMON KATONA”。ヒップホップの醍醐味はビートとラップの殺し合いだけれど、この曲はそのふたつが互角に拮抗している。金がなくなればハッパを売ってグラムのあがりが1500円。そんな生活で月額30万もべつに怖くねえ。鏡に映ったオルター・エゴに悪魔の名前をつけ、そいつを通して自分自身に叩きつける言葉。なかば自暴自棄なその虚勢を、めちゃくちゃな音圧のベースがあとずさりできない地点までドライヴしていく。オーヴァードーズして痙攣を繰り返すハットと、囚人の背中を打つ鞭のようなスネア。まっさかさまに落ちていく墜落感に溺れ、絶唱フックの酩酊を何度かくぐり抜けると、驚くことに、このストーリーは宇宙にまで辿りつく。
 なぜなのかはわからない。拳銃をポケットに急ぎ足で駆け抜ける路上のリアリティが、なぜ遠い銀河の別な惑星に接続するのか、そこにはなんの理由も説明もない。とにかく囚人は、晴れていた空が曇り、奇妙なかたちの宇宙船が飛び交うのを目撃する。この時空を超えた悲痛なスペース・トリップを幻視させているのは、ドラッグではなく、あまりにも強い懺悔と後悔だ。もしも裏切ってはいけない誓いを裏切ってしまったら? もしも切れないはずの絆が切れてしまったら? 時間と重力の法則が乱れ、森羅万象が逆転し、けして起きるはずのないことが起こる。これはあってはいけないことが現実になってしまった先の、そのもしもの話だ。

 壮絶なオープニングで幕を開ける地獄のサウンド・スケープは、禁断症状的な幻覚とダークな内省を往復しながら凶暴なアグレッションをぶちまけ、やがてボーナス・トラックの手前の終盤の3曲、珠玉のブルーズのロマンティシズムに慰められる。いまのトレンドを追いかける音ではけしてないけれど、じゃあいつの時代の音だと言われても正直困る。たぶんどんな時代にリリースされても違和感があるだろう。未来の遺物というか、オーパーツ的な感覚。
 それにしてもやはり危険なのはリリックだ。「僕」と「俺」という一人称をランダムに使いわけ、やけに文学的な言いまわしや敬語表現とラフで口汚いスラングが混在し、過去形と現在形が食い違いながら衝突して時系列をズタズタに引き裂く。時空がゆがむ感じ。文章になったものを読めば文法的には間違っているし、矛盾や齟齬もたくさんあるのに、押しよせる膨大な言葉の連鎖を追っていくうちに、ドス黒い感情の毒液にやられてフラフラになる。「ドープ(Dope)」ってのは、こういうことだ。最近じゃすっかり陳腐な褒め言葉になってしまった感はあるけれど、得られる感覚がドラッグそのものじゃなければ、本当はこの言葉は使ってはいけない。

                *

 ライミングの水準はフリースタイル・バトルの盛り上がり後の高度化した感覚からすれば突出しているというほどじゃないし、ストレートに突き刺すラップのスタイルも、トラップ以降のフロウのトレンドとは無縁だ。それでも、ここにはそんな技術的な分析をふっ飛ばしてしまう力がみなぎっている。スキルを磨くのはもちろん大切なことだ。だが勘違いしちゃいけないのは、ラップはスポーツじゃないってことだ。リズム・キープのためにRYKEYが発する獣じみたうなり声は、小細工的なフロウやライミング以上に、その言葉の核にある熱を伝えてくる。いくら韻の科学を研究しようが、最新のフロウのトレンドをチェックしようが、その熱をトレースすることはけしてできない。今後ヴォーカロイドの技術がどれだけ発達しようと、この熱病の息吹だけは、ラップ・アートの真髄として永遠に残り続ける。

 不良であること、不良あったこと、それ自体にはなんの価値もない。問われるのは、そこからなにを持ち帰ったか、だ。きみは番号で呼ばれたことはあるかい? ドラッグ・ディールにのめりこんだこと。アフリカのマフィアに拳銃をつきつけられたこと。両腕に手錠をかけられ、塀の中で悔恨の涙に頬を濡らしたこと。それは彼だけのパーソナルな経験だ。けれど、たとえそんな路上のリアリティとは無縁の人間がこのアルバムを聴いても、きっとそこに何度も自分自身の顔を発見するだろう。それはRYKEYがみずからの経験を錬金術的に精製し、まるでおとぎ話か神話のような、無限に解釈可能なストーリーにまで昇華しているからだ。死ぬほど後悔しているのに、たとえその日その場所に戻れたとしてもきっと同じことを繰り返してしまうだろう、というタイプの悪事はこの世界にたしかに存在する。乱暴に女を抱いた後にその髪を優しく撫でてやるこの男の身勝手な指先は、そんな普遍的な罪の手ざわりをしっかりとつかみとっている。

 悪いことはしちゃいけない。シンプルなことだ。だけどそんな戒律がいつどこでも律儀に守られるんなら、西暦2000年を超えて、とっくの昔にこの地球には地上の楽園が出現しているはずだ。『AMON KATONA』というタイトルは、古代エジプトの神であり、ヨーロッパの民間伝承では悪魔でもある「アモン(AMON)」に、RYKEYのケニアの母方の名「カトナ(KATONA)」をくっつけたものらしい。古い悪魔学のグリモア(奥義書)の辞典によれば、アモンはフクロウの頭とオオカミの胴体、蛇の尾を持つ強力な悪魔の君主で、召還者に未来と過去の知識を与え、ときに人間同士の争いや和解をもたらすそうだ。なるほどこのラップは、聴く者の心臓を舐めまわす悪魔の舌によって奏でられている。『AMON KATONA』は、東京の地下社会をサヴァイヴしたひとりの青年の実録でありながら、同時にあらゆる文明をまたぐ、人類共通の闇をめぐる寓話でもあるのだ。

             *

 とても魅力的なアルバムではあるけれど、これがRYKEYの最高傑作だとは思わない。フリースタイルを再構築したという本作のラフでドープなラップと、前作の王道的なソング・ライティングを高いレベルで融合させられれば、たぶん彼は唯一無二のラッパーになるだろう。なにか表現しようなんて思い立つ連中は、かならず自分の中に得体の知れない別の生き物を飼っているものだ。アーティストはそこから2つのタイプにわかれる。その生き物を器用に飼い馴らす奴と、制御不能なそいつをもてあまし、その獰猛な衝動と殺し合いながら創作し続ける奴だ。本物のアーティストはだいたい後者だし、RYKEYもあきらかにそうだ。
 
 気に入らねえ奴には誰だろうが中指を立て、親しい相手にさえ愛情の裏返しの挑発をふっかけ、クソみたいにやられた夜に次の仕返しを思いめぐらせて血をたぎらせる。アルバムにあわせて公開されていたショート・ドキュメンタリー『TOKYO N*GGA DOCUMENTARY』を観る限り、このでたらめでどこか愛嬌のあるキャラクターは、間違いなくプロモーションのための演出ではないだろう。ビッグ・ネームとのコネクションにうわつくような雰囲気もまるでない。実際に周りにいる人間はかなり大変だと思うけれど、有り金を思わずすべてベットしたくなる破天荒な引力がこの男の目にはある。東京のリアリティ・ラップはハードボイルドの袋小路を抜け出し、さらなる高みに駆け上がろうしているようだ。氷点下近くまで気温が下がる冬の夜、マンホールから立ちのぼる蒸気のように、その熱の痕跡は目の高さまでくれば跡形もなく消えてしまうけれど、ともかくそれは宇宙を目指しているのだ。

 プロのトレーナーにヴォイス・トレーニングをうけ、事務所からインタヴューの受け答えまで演技指導されているようなアーティストが好みなら、このアルバムを手にとる必要はない。ノワールの巨匠、ジェイムズ・エルロイのロス四部作のサウンド・トラックになる狂犬の音楽だ。たしかに好き嫌いはわかれるだろうが、そんな言葉でお茶を濁すつもりはない。相手が誰だろうと、人間を計りたかったらまずはそいつの目を見ること。目はけして嘘をつかない。そして声は噓さえ交えて、その人間の腹の底の自信を語る。If This Isn't the RAP, What Is? これがラップじゃなかったら、他のなにがラップだっていうんだ?


泉智