「!K7」と一致するもの

パブリック娘。とはなんぞや - ele-king

 反応も上々だそうだ。「パブリック・エネミーとモーニング娘。の橋渡し……もとい、息子」を標榜する不遜さを、リリース元もお店の人も聴く人も、みんなまとめて笑って許させてしまう、ある意味で強力すぎる一枚。この3人組ラップ・ユニットを「ゆとり世代の最終兵器」──として認識するかどうかは、知略に優れ、クールなリアリズムをたずさえ、活躍めざましいモノホンのゆとり世代サマのご意見を拝聴しなければ判断の難しいところだが、ともかくも力技でみんなを破顔させる、この無計略のすがすがしさ、人のよさ、ゆるさ、そして真摯な発信をキャッチしてみてほしい。あえて音楽ともヒップホップとも言わない。観て感じて、考え、自らをも三省してみるべし! パブリック娘。『初恋とはなんぞや』、本日発売!

■パブリック娘。 / 初恋とはなんぞや

Tower HMV Amazon

発売日:7月6日
品番:PCD-22395
定価:¥2,200+税

 

待望のファースト『初恋とはなんぞや』より、パ娘。流、労働讃歌である意味ハスリング?な攻めのナンバー”おちんぎんちょうだい”のミュージックビデオが公開です!

 ゆとり世代の最終兵器にして、パブリック・エネミーとモーニング娘。の橋渡し…もとい、息子を名乗る、無謀で無軌道、無計略な男子3人組ラップ・ユニット、パブリック娘。のようやくとなるファーストアルバム『初恋とはなんぞや』。

 彼らの名前を広めた代表曲『初恋とはなんぞや』、彼らの労働讃歌アンセム『おちんぎんちょうだい』の2曲の先行ダウンロードも好調。

 そして、本日発売日を迎え、その全容が明らかになる!!

■作品詳細
パブリック娘。 / 初恋とはなんぞや
発売日:7月6日
品番:PCD-22395
定価:¥2,200+税

トラックリスト
1. 初恋とはなんぞや
2. 25mプール
3. Summer City
4. おつかれサマー
5. このままこの電車に乗って
6. DATE
7. 2nd Hotel
8. おちんぎんちょうだい
9. そんなことより早く、このパーティーを抜け出さない? feat. 森心言
10. 寄せては返す俺のアティチュード
11. 俺の誕生日
12. そんなことより早く、このパーティーから連れ出して。 feat. あまえん

パブリック娘。Twitter

James Blake - ele-king

 “CMYK”、ないしはポスト・ダブステップ時代からジェイムス・ブレイクがどうして自分の名前を名乗ったのかがずっと気になっていた。ブリアル『アントゥルー』からの連続性を強調するのであればもっと匿名性の高い名義にしただろうし、何よりその音自体があるひとりの人間固有の作家性が示されているようには聞こえなかったからだ。デビュー作『ジェイムス・ブレイク』の時点で彼はすでにはっきりと歌い手であり、なるほどその意味では個人の表現ではあるわけだが、その声には極端にエフェクトが――「ゴーストのように」――かけられていた。ヒップホップとダブステップとR&BとソウルとハウスとゴスペルとIDMがありながらそのどれでもなく、ジョニ・ミッチェルからアリーヤの時代までワープできるその自在さは同時に掴みどころのなさでもあった。言葉にはパーソナルな感情がこめられているようだが抽象度が高く、それを歌う声は過度にへしゃげているときも多い。さまざまなものの間を足をつけずに浮遊する存在としての「ジェイムス・ブレイク」。気がつけばそれは、ビヨンセにまでたどりつくほど滑らかに浸食していった。

 『オーヴァーグロウン』、そして本作『ザ・カラー・イン・エニイシング』とアルバムを重ねて想像されるのは、ブレイク自身が「ジェイムス・ブレイク」とは何かを探求しているのではないかということだ。『ジェイムス・ブレイク』にはある種の幼児性や思春期性が刻まれており、『オーヴァーグロウン』でははじめて発見した愛が描かれていたが、『ザ・カラー・イン・エニイシング』ではさらにか弱くも生々しいコミュニケーション欲求が歌われている……ようだ。ビヨンセのようにはっきりと自分の立つ場所が決まっているわけではない、帰属する場所が曖昧で内向的な白人青年による、自らの内面と愛を巡るソウル・ミュージック。それをブレイクはここでモダン・ソウルと名づけている。

 全体としては、前作に続きよりシンガーソングライター的な側面を前に出し、また声にかかるエフェクトもずいぶん減ってはいるが、曲数の多さもあって中心がどこにあるのかが断定しづらいアルバムだ。“レディオ・サイエンス”のすすり泣くようなピアノとねじれてやってくるシンセ、“ポインツ”の地を這う低音とシンプルなようで歪んだリズム感覚、“タイムレス”のどこか強迫観念的なリフ……。トラックの方法論としてはこれまでのスタイルの延長にあるが、リック・ルービンの共同プロデュースによるところもあるのかプロダクションがこなれている。ジェイムス・ブレイクだけのオリジナリティを深めていった結果の作風なのだと思うが、しかしそもそものスタイル自体に掴みどころがないため、ピアノ弾き語りのバラッド“F.O.R.E.V.E.R.”にアルバムがたどりつく頃には聴いているこちらも地面に足が届かない感覚を覚える。そしてそれがゆえの、そこはかとない不安と安堵を行き来する心地、それがジェイムス・ブレイクを聴くことなのだと思える。

 事前にはカニエ・ウェストとの共作が噂されていたが、結果として参加しているのがフランク・オーシャンとボン・イヴェールだというのはアルバムにとって自然な成り行きだったのではないだろうか。きわめて折衷的なゴスペルをやっているという点ではカニエも共通しているが、カニエ的な虚勢のおもしろさではなく、自身の率直な弱さのなかになんらかの美を探っているのがオーシャンでありジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)であり、ブレイクだからだ。ヴァーノンが参加した“アイ・ニード・ア・フォレスト・ファイア”の、メランコリックだが同時に晴れやかでもあるモダン・ゴスペルは、このふたりだからこそ作れた静かなアンセムだろう。

 もう少し曲数を絞ってタイトなアルバムにすることもできたとは思う。だが、ブレイクは自身の探究の、その混沌をも正直に提示したかったのではないか。この複雑で抽象的な愛の歌のコレクションは、ラヴ・ソング自体が定型化していくことを拒絶しているようだ。何かに熱狂するのでもない、どこに行けばいいのかわからない、彷徨える「現代の魂」たちがそれでも抱えるエモーションを、ブレイクは自分のなかに探し続けている。

 その意味でアルバムのもっとも美しい瞬間は、彼自身がエモーショナルな声を存分に聴かせるタイトル・トラックと……ラスト3曲だ。“モダン・ソウル”のよく響くピアノとアンビエントの音響、シンプルなリズムがじょじょに絡みあって、時空がねじ曲がっていくようなバラッドはブレイクのスタイルのひとつの完成形だ。「この優しい世界」と控えめに告げながらダビーな音響に溺れていくようなR&B“オールウェイズ”、そしてラストの“ミート・ユー・イン・ザ・メイズ”……「迷路のなかであなたと会おう」。アカペラで重ねられる声はまたしてもエフェクトがかけられ、まがいもののコーラスとしてゴスペルを奏でている。だがそれもまた、アイデンティティが混乱した時代や場所から発せられる真摯な歌にちがいない。

Squarepusher - ele-king

 今回のブレグジット(UKのEU離脱)という結果は、本当に難しい。様々な問題が絡み合っていて、一概に残留が正しい、あるいは離脱が正しいと断言してしまうことができないからだ。ただひとつ言えるのは、ミュージシャンの多くが残留を願っていたということである。スクエアプッシャーもそのひとりだ。
 去る金曜日、彼は声明とともにブレグジットに抗議する新曲を公開した。それと同時に同曲の音源データも無料配布し、世界中のアーティストにコラボレイションを呼びかけている。



 昨年パリで同時多発テロが起こったときに、トラックという形で真っ先に反応したのはサンダーキャットだった。けれどそれは抗議の音楽ではなく、あくまで鎮魂の音楽だった。今回、ブレグジットという結果に対しトラックという形で最初に応答したのはスクエアプッシャーということになる。そしてここには明確に、抗議の意思がある。
 彼は昨年リリースされた14枚目のアルバム『Damogen Furies』でも世界情勢に対する怒りをぶちまけていたが、今回公開されたトラックは『Damogen Furies』のように好戦的なものではない。彼はいま「繋がる」ということを考えている。MIDIが世界共通規格であることを踏まえた「国境なきMIDI」というフランス語のタイトルにも彼の痛切な思いが表れているが、これは静かに燃える青い炎だ。20年をこえるキャリアの中で、彼がここまでポリティカルな憤りを露わにしたことがあっただろうか。
 以下に彼の声明を掲げる。彼はなぜ怒っているのか。ブレグジットとは何だったのか。そしてそれは、日本とは全く関係のない出来事だったのだろうか。この国でももうすぐ選挙がある。ほんの少しでいい。スクエアプッシャーの新曲を聴きながら、考えてみてほしい。(小林拓音)

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 UKのEU離脱の是非を問う国民投票は、最悪の結果になった。社会における様々な意見の相違を増幅させ、さらには排外主義を再び正当かつ許容できるものとして定着させてしまった。グローバル化する極右の復興という状況の中でこれを目撃し、この現実を受け入れられない者たちは、自分たちの考えを伝え、行動を起こすことが不可欠だと強く思っている。

 これは国民投票が取り沙汰される中で書いた楽曲で、インターナショナリストの精神を持つすべてのサウンド・クリエーターたちが、音楽の種類や活動拠点、バックグラウンド、世代を問わず、コラボレートするための土台として作ったものだ。進歩主義の政治的行動の代わりというつもりはないが、それを補うものとして考えている。我々の間に存在する脆弱な関係性を脅かす偏見に対抗して俺はこれを提示する。これが、この不穏な状況において、我々の繋がりを再確認するきっかけになることを望む。

 完成した楽曲と一緒に、インストを構成する音源パーツ、スコア、そして一音一音の情報を示すMIDIファイルをここに用意した。パーツをダウンロードして、好きなように使ってほしい。シンプルなリミックスでも構わないし、原曲を認識できないくらいに作り直すのもいい。楽器編成、キー、音の順序、音そのものを自由に変えてほしい。唯一のルールは、“このサイトに制作した楽曲を載せるためには、必ずタイトルを「Midi Sans Frontières」とすること”。他のタイトルをつけるのも問題ないが、その場合は、このサイトに表示されない。

 作った楽曲をここで披露したい場合は、オフィシャル・サイトに音源をアップロードしてほしい。

One Love!

Tom Jenkinson
1st July 2016


https://www.squarepusher.net/

interview with Matthew Herbert - ele-king


Matthew Herbert
A Nude (The Perfect Body)

Accidental/ホステス

ElectronicNoiseExperimental

Tower HMV Amazon

人間が生きていくうえで、不可避的に身体が立ててしまう音=ノイズを用いて音楽を創ること。マシュー・ハーバードが新作で実践したコンセプトである。起床から睡眠まで。体を洗い、何かを食べ、トイレにゆく。それらの音たちは、極めて個人的なものであり、必然的に人間の「プライベート/プライバシー」の領域問題を意識させてしまう過激なものでもある。いわば音/音楽による「裸体」?

 そう、マシュー・ハーバートが新作で実践したこのコンセプトは、「音楽」における「裸体」の概念を導入する、という途轍もないものなのだ。むろん、いうまでもなく「映像」と裸体の関係はつねに密接であった。ファッションフォトであっても、ポルノグラフィであっても同様で、いわばジェンダーとプライバシーの力学関係が複雑に交錯する「政治」空間であったともいえるだろう(政治とは力学である)。同時に芸術においては「裸体」は、普遍的ともいえる主題でもあった(ヴィーナスから村上隆まで)。裸体、それはわれわれの知覚や思考に対して、ある種の混乱と、ある種の意識と、ある種の美意識と、ある種の限界を意識させてしまうものなのである。

 では、映像が欠如した「音楽」のみによる「裸体」の表現は可能なのか。ハーバートは身体の発するノイズ、そのプライベートな領域にまでマイクロフォンを侵入させ、それを実現する。急いで付け加えておくが、それは単なる露悪趣味では決してない。そうではなく。そうすることで、人間の身体のたてる音=ノイズを意識させ、聴き手にある自覚を促すのである。われわれは、何らかに知的営為を行う「人間」であるのだが、同時に日々の生存をしていくために「動物」として音を発する。これは極めて当たり前の行為であるはずなのだが、われわれの社会は「人間」が「人間」であろうとするために、その動物性を綺麗に隠蔽する。

 彼は、2011年に発表した『ワン・ピッグ』において、一頭の豚の、誕生から食肉として食べられるまでの音を再構築(サンプリング)し、「音楽」としてリ・コンポジションしていくことで、われわれの視界から隠蔽される食肉の問題を「意識」させたが、本作においてハーバートは「身体の発する音」を極めて美しいエクスペリメンタル・ミュージックへと再生成することで、われわれが発する「音」(動物的な?)のありようを「意識」させていくのだ。映像から切り離された音たちは、ときに自律性を発しながらも、ときに音それじたいとして主張をし、ときに元の状態がわからないサウンド・エレメントに生成変化を遂げたりもする。だが、それでも聴き手は「この音は、生活していくうえで、生物としての人間が、ごく当たり前に発する音」だと意識せざるを得ない。ハーバートが求めるものは、それである。「意識していないものを意識させてしまうこと」。それこそがサンプリング・アーティストとしての彼が「社会」に仕掛けていく「革命」なのではないか。

 しかし同時に、本作に収録された「音楽」たちが、とても美しい点も重要である。彼はまずもって才能豊かな音楽家だ。とくに本作のディスク2に収録された楽曲を先入観抜きで聴いてほしい。OPNやアンディ・ストットに匹敵するインダストリアル/アンビエントが展開されている、といっても過言ではない。だが、この美しいエクスペリメンタル・ミュージックたちは、ときに人間の排便の音で組み上げられているのだ。ハーバートは「ボディ」(ある女性とある男性だという。そしてハーバート自身の音は入っていない)の発する音の群れと、「音楽」のセッションを繰り広げているというべきかもしれない。

 今回、マシュー・ハーバートから本作について、社会について、興味深い言葉を頂くことができた。サンプリングが社会的な行為であり、同時に破壊でもあるとするなら、本作は、いかなる意味で「音楽」といえるのか。このインタヴューは、衝撃的な本作を聴く上での最良の補助線になるだろう。このアルバムを聴き、このインタヴューを呼んだあなたは、もはや「自分の発する音」に無自覚ではいられなくなる。

■Matthew Herbert / マシュー・ハーバート
1972年生まれ。BBCの録音技師だった父親を持ち、幼児期からピアノとヴァイオリンを学ぶ。エクセター大学で演劇を専攻したのち、1995年にウィッシュマウンテン名義で音楽活動をスタートさせる。以降、ハーバート(Herbert)、ドクター・ロキット、レディオボーイ、本名のマシュー・ハーバートなどさまざまな名義を使い分け、次々に作品を発表。その音楽性はミニマル・ハウスからミュジーク・コンクレート、社会・政治色の強いプロテスト・ポップに至るまでジャンル、内容を越え多岐にわたっている。また、プロデューサーやリミキサーとしても、ビョーク、REM、ジョン・ケール、ヨーコ・オノ、セルジュ・ゲンズブール等を手掛ける。2010年、マシュー・ハーバート名義で「ONE」シリーズ3作品(One One, One Club,One Pig)をリリース。2014年には4曲収録EPを3作品連続で発表。2015年には名作『ボディリー・ファンクション』『スケール』を彷彿とさせる全曲ヴォーカルを採用した『ザ・シェイクス』をリリースし、来日公演も行った。

世界をいまのままの状態で受け入れることに歯止めをかけるために。大切なもののために。闘い始めるために。探したのは逸脱したサウンドだ。

どうして、このようなコンセプトでアルバムを作ろうと考えたのですか?

MH:僕が考えていたのは、まず、サウンドを使って「世界を変えたい」ということだった。いま、世の中は間違った方向に進んでいると思う。だから僕は、それを変えたい。もしくは衝撃を与えたい。ただ、人にショックを与えて終わりではなく、みんなの考え方や受け止め方をそれによって変えることができればとも思っている。そして僕らが人生を送っていく上でのありきたりのパターンを混乱させるんだ。世界はすごい勢いで、どんどんおかしなことになっているからね。ドナルド・トランプしかり、ファシズムの台頭しかり、気候の変化しかり、核兵器しかり。僕らは、いまの自分たちのあり方を急いで変える必要があると思う。というわけで僕は予定調和を壊すようなサウンドや発想を探し求めた。世界をいまのままの状態で受け入れることに歯止めをかけるために。大切なもののために。闘い始めるために。探したのは逸脱したサウンドだ。たとえば、ショッキングだったり、不快だったり、あるいは耳馴染みがなかったり、奇妙だったり、そういう感覚を促す音だ。それは何だろう? と考えたとき、思い至ったのが自分自身の音、できれば聞きたくない音だったんだ。他人がトイレに行く音とか、そういう聞きたくない音に耳を向けていく。あ、そういえば日本には、自分の「その音」を、ほかの人が聞かなくて済むように音を隠すシステムがあるよね(笑)?

はい(笑)。

MH:他人が大便をする音なんていうのは誰も話題にはしない。誰もがやっていることなのに、それってすごく不思議だよね。誰もがすることなのにさ。何も特別なことじゃない(笑)。そんな「誰もがせざるを得ないことなのに」というのが、ひとつの出発点になったんだ。「そうか、僕がまず理解すべきなのは他人の肉体に感じる違和感なのかもしれない」と。そのためには誰か他人の肉体の音を録音してみる必要があるなと考えはじめて、それから何カ月か経ったところで僕は、それは、つまり、「ヌード」ってことだと思い当たったんだ。「裸にむき出しになるということだ、なるほど!」と。まあ、そんな感じで6カ月から8カ月ぐらいかけて発展していった発想なんだよ。ある日、目を覚ましたら急に「そうだ、これをやろう!」とひらめいたわけではない。少しずつ少しずつ、毎日そのことを考えていくうちに、そう、植物のように水をやり続けていたら、ある日、「あ、これってサボテンだったのか!」「あ、メロンがなったぞ!」となるような感覚だね。ここに至るまでのプロセスは、まさに進化の過程だった。

「ボディ」に、つまりは互いの存在に耳を傾け、受け入れる必要があるんだ。突き詰めれば人はみな同じ。女王様だってウンチはするし、カニエ・ウエストだってそう。

日本のトイレの消音システムは「自分の音を聞かれたくない」という感覚なんですよね。

MH:ああ……、だとしたら、それはそのまんまいまの世界がはらんでいる危険性だと思うよ。この資本社会において「もっとも重要な人物は自分である」と思い込まされて人は生かされているんだ。すべて自分が中心。自分自身が、個人が、すべてである、と。でも、それは真実じゃない。人は他人との関わりの中でしか生きていけない。車だってそうだ。僕は自分では作れないから誰かに造ってもらわないと、運転して子どもたちを学校へ送ることもできない。子どもたちに勉強を教えるのも、家族の食べるものを育てるのも、誰かにやってもらわなければ僕にはできない。だったら僕にできることは何か? というと、それは音楽を作ることであり、それが僕なりの社会貢献であり、教えてあげられることというのかな。
でも、それだって聴いてくれる人がいなければできない。とにかく、人はお互いを必要としているし、力を合わせる必要があるんだ。力を合わせなければ、たとえば気候の変化に歯止めをかけることもできない。消費を抑えるとか、移動を少なくするとか、みんなでやらなければ意味がないんだから。行動を共にする必要があるんだよ。そして、そのためには隣人に目を向ける必要がある。お互いに対して、あるいはお互いのために、いったい何ができるのかを考えなければならない。僕としては、このレコードは、そのあたりのことを表すメタファーになっていると思う。「ボディ」に、つまりは互いの存在に耳を傾け、受け入れる必要があるのだ、と。突き詰めれば人はみな同じ。女王様だってウンチはするし、カニエ・ウエストだってそう。みんなやることだ。そこを認めることができたら、人間性を協調させることが可能になるかもしれない。ひいてはそれがより健全な体制を生み出すことに繋がっていくんじゃないかな。

たしかに街中でもヘッドフォンをして周りの音をシャットアウトしている日本人もとても多いです。

MH:でも、それを責めることもできないけどね。だって世の中はどんどん騒々しくなっている。たとえば、これは最近じゃ常套句になってしまっているから僕がここでわざわざ言うのも申し訳ないようだけど(笑)、渋谷の町はその典型じゃないかな。音楽、テレビ、呼び込みの声。「こっちへ来てこれを買え!」という声が店やレストランから流れてくる。何かの統計を見たけど、人間の話す声はこの15年ぐらいで10%ぐらい大きくなっているらしいよ。まわりがうるさいから声を大きくしないと聞こえない。つまりマシーンの音に埋もれないように、人は声を荒げなければならなくなっているらしい。そういう意味じゃ、ヘッドフォンをしたくなる気持ちもわかるよ。あと、それで何を聴いているのかってのもあるよね。もしかしたら「沈黙について」なんていう番組を聴いていたりして(笑)。あるいはノーム・チョムスキーの講義だったりして。そう、何を聴いているのかわからないというのもまた、問題ではある。結局、人と人が繋がっていない、ということなんだから。

いまとなってはもう、ピアノもギターもドラムも僕は聴く必要を感じない。シンセサイザーだってそう。もちろん、それぞれ時と場所によっては素晴らしい音に聞こえるけれども、それが音楽の未来だとは僕は思わない。

「世界を変える」いう意味では『ワン・ピッグ 』(2011)もそうでしたね。豚の誕生から食べられるまでを音にして、聴いている人に「気づかせる」……。

MH:そう。最近、僕は音楽がすごくひとりよがりで無難なものになってしまっていると感じているんだ。いまとなってはもう、ピアノもギターもドラムも僕は聴く必要を感じない。シンセサイザーだってそう。もちろん、それぞれ時と場所によっては素晴らしい音に聞こえるけれども、それが音楽の未来だとは僕は思わない。だからナイトクラブで『ワン・ピッグ 』 を演奏して、あの大音量で聴かせる、というのは僕に言わせれば興味深くもあり、衝撃的でもあり、おかしくもあり、ちょっとバカバカしくもあり、それでいて、ごく真剣なことでもあったわけで。

さて、本作ですが、実際はどのくらいの期間で完成させていったのでしょうか。

MH:僕と「ボディ」とでやったんだけど、レコーディングは2日間かな。2日半ぐらいだったかもしれない。その音源をほかの録音機材に移して、さらに2週間ぐらいかけてあれこれ録音した。というのも彼女がその間にウンチをしなかったから(笑)。それで彼女に録音機を預けておいて、あとで催したときに録ってもらった。それでよかったと思いつつも振り返ると、違うやり方にするべきだったかなとも思ってしまう。もしかしたら最初からボディに録音機材を預けて彼女に委ねてしまったほうがよかったかもしれない。それはいわば画家が絵筆をモデルに預けるのと似た行為だよね。それってかなり斬新な解放であり、彼女にとってはそこから先の責任を自分で負えるわけで。

いま、とても驚いたのですが、本作の「ボディ」は女性だったのですね。

すごく迷ったところなんだけど、ありがちな「白人男性が見つめる女性の肉体」という視点では終わりたくなかった。

結果的にこのレコード上のジェンダーは、レコードから聴こえてくる以上に交錯しているんだよ。

MH:うん。そこはすごく迷ったところなんだけど、ありがちな「白人男性が見つめる女性の肉体」という視点では終わりたくなかった。女性の身体を見つめる、あるいは身体に耳を傾けると特定のイメージが、あらかじめできてしまいそうだから。でもその一方で、僕ではない誰か他人であることも重要だった。男性の「ボディ」にすると皆、単純にそれが僕だと思うだろうし、それだとあまり面白くない。それに僕が自分の身体が発するノイズを自分で録音して発表するのでは、あまりにも内向き過ぎる気がして、つまらないと思った。他人の音を録音する方が、僕には遥かに興味深い。他人という意味で僕と異性である必要があるとも思ったんだ。ただし、彼女には、また別の男性も録音するよう指示を出しておいた。男性のノイズも一部、取り入れるようにと、ね。だから結果的にこのレコード上のジェンダーは、レコードから聴こえてくる以上に交錯しているんだよ。女性の音かと思えば、実は男性の音も入っている。つまり、単体の女性のボディだけではない、ということ。

しかも、ご自身の音は入っていないのですね。私はハーバートさんの音も入っているものと思っていました。

MH:僕は何の音も立てていない。僕のノイズはこのレコードにはいっさい入っていないよ。僕じゃない。彼女は本当に大いなるコラボレーターだったよ。自分がウンチをする音を自分で録音して送ってくれる女性は、そう大勢はいないと思う。僕自身、このプロジェクトに取り掛かる以前は彼女のことを知らなかったんだ。あとオルガズムもそうだよね。あるいは洗い物をしたり、食事をしたり。正反対に眠るという、ものすごく無防備な状態も他人のために録音させてくれるなんてね。本当に彼女はこのレコードの重要な一部だよ。

ヒトの身体、とくに裸体というものに、聴覚だけで対峙するというのは、僕らがこれから検討していくべき使用価値の高いツールなんじゃないかな。

「裸体=ヌード」は、古来から絵画や彫刻などの芸術において普遍的な題材ですよね。しかし同時に映像のない音楽においては、「裸体」の表現は困難とも思います。だからこそ、このような方法論で音楽=ヌードが実現できるとは! と驚きました。

MH:そうなんだよ。このプロジェクトには 「パーフェクト・ボディ」という副題が付いているんだけど、それがエキサイティングだと僕は感じている。目で見るものではないからこそ「美」や「姿形」は問われず、人種も関係ない。聴いている側には、彼女が日本人なのか、ロシア人なのか、アフリカの人なのかスペイン人なのかもわからない。年齢もわからない。体の様子もわからない。男女の区別もつかない。いわゆる伝統的な感覚で美しいのかどうかもわからない。これこそ本当の意味での解放だと僕は思っている。ヒトの身体、とくに裸体というものに、聴覚だけで対峙するというのは、僕らがこれから検討していくべき使用価値の高いツールなんじゃないかな。そして人間はみな、食べないわけにはいかない。トイレにも行かなければならない。そうせざるを得ないし、しなければ生存していけない。そう考えると、「非の打ちどころのないボディ=パーフェクト・ボディ」とは、「機能するボディ」、つまりは「生きているボディ」なんじゃないか。そこからすべてがはじまっているんだ。

「命を糧として食べる」というと、ますます 『ワン・ピッグ』 の続編という感じすらしますが、その意識はありましたか?

MH:なかったよ。おかしいよね。インスピレーションというのは湧いてくるのを待つしかないんだ。自分のやっていることや決断の整合性も、あとになってようやく見えてくる場合もある。『ワン・ピッグ』 ときは、ここまでまったく考えていなかった。発想が浮かんだのは 『ザ・シェイクス』(2015) を作った後だ。実際、そう考えるとイライラするよね(笑)。自分の中にある発想に、脳みそが追いついてくるまで時間がかかって、それを待っているしかないわけだから。そして急がせることもできない。いまもまさに、その問題にぶち当たっているところだ。次のレコードをどうしようか考えているところなんだけど、まだ脳みそが追いついてこないんだ(笑)。

ちなみにハーバートさんは他人が発する音は不快ですか?

MH:う~ん……、このレコードを作ってから少しよくなったかな。でも好きではない。たとえば劇場で隣の人の呼吸音がすごく大きかったりすると、勘弁してくれ! と思ってしまうほうだ(笑)。それが、このレコードを作ることで少しは容赦できるようになった。というか、ひとつの音として受け入れられるように少しはなった、というのかな。あんまり気にしないで、ひとつの音だというふうに脳内でイメージするようにしている。

ある意味、ジャズのレコードみたいに考えればいいのかなとも思った。彼女の出す音が主役。僕がするべきことは、とにかく彼女の音を支えて、伴奏につくことだけだった。

録音された「音=ノイズ」の数々を、「音楽」としてコンポジションしていくにあたって何がいちばん重要でしたか?

MH:テーマの設定から入ったんだ。最初は、どう収拾をつけたらいいのかわからなくて、12時間の記録ということにした。1時間めは目覚め、2時間めは朝食、3時間めはジョギングというようにね。だけど、それがうまくいかなくて、こういう「行動別」のまとめになったんだ。ひとつのトラックが「洗う=「ボディ」のメインテナンスについて」というように、そのモデル(ボディ)が風呂に入るその時間がそのまま曲の長さになった。栓をした瞬間にはじまって、栓を抜くところで終わる。それが12分とか13分だったかな。だから難しかった。難しかったんだけど、ある意味、ジャズのレコードみたいに考えればいいのかなとも思った。モデルがマイルス・デイヴィスで、僕がバンドというふうに想像してみることにしたんだ。ソロイストをサポートする役が僕だ。彼女の出す音が主役。であれば僕は、彼女のすることをすべて受け入れて支えていけばいいんだとね。基本、彼女は全般的に物静かで行儀がよいから、僕がするべきことは、とにかく彼女の音を支えて、伴奏につくことだけだった。僕自身の構成とか音楽的な決断を押し付けるのではなくて、ね。

“イズ・スリーピング”は睡眠中の録音ですが、ディスク1をまるごと、この睡眠にした理由を教えてください。

MH:あの録音がその長さだったからだよ。彼女が僕のために録音してくれたものが、その尺だったんだ。そうか、じゃあ、このトラックは1時間にしないとダメだな、と(笑)。だって、どこで切ればいい? というか、切る理由は何? 3分で切るか4分で切るか、あるいは20分か? で、じつはこれが今回のレコードで僕がいちばん気に入っている「音楽」なんだ。たぶん、それは独自のリズムがあるからだと思う。

この1時間はまったく編集されていないんですね。

MH:してないよ。そのまんまだ。起きたことがそのまんま。

『ア・ヌード(ザ・パーフェクト・ボディ)』全曲試聴はここから!

僕がやろうとしたこと、あるいは僕が興味を持っていたことは、さまざまなポーズなんだ。僕は今回の作品の中で、ポーズというものの音楽における同義語は何だろう? ということに取り組んだ。

ディスク2の方は編集やアレンジがされていますね。サンプリングによる反復と逸脱という、いかにもハーバートさんらしいトラックが展開されていました。

MH:あははは。

「反復」というものがが、音楽、ひいては芸術において、どのような効果をもたらすとお考えですか?

MH:僕がやろうとしたこと、あるいは僕が興味を持っていたことは、さまざまなポーズなんだ。人間は、じつにさまざまなポーズをとる。モデルが何かに寄りかかっているポーズや、椅子に腰かけているときポーズまで。どれも静止したポーズだけれども、その人の一連の行動の中において、特定の一瞬でしかない。わかる? 静止しているけれども、モデルにとっては前後と繋がりのある動きの一環である、ということ。つまり動作と静止の「はざ間」の状態だね。そう考えるとすごく不思議だ。アートの世界では、その中の一瞬を切り取って静止した形で表現するけれど、音楽ではそうはいかない。発想がそもそも違うから。だから僕は今回の作品の中で、ポーズというものの音楽における同義語は何だろう? ということに取り組んだんだ。長尺で、これといった変化も起きない作品でも、目の前で、いや耳の前で、ほんのちょっとした震えや揺らぎが起きている。

私はこのアルバムを、不思議と美しい音響作品として聴きつつも、反復的な“イズ・アウェイク”や“イズ・ムーヴィング”、リズミックな“イズ・シッテング”などには、どこかハウスミュージックのような享楽性を感じてしまいました。

MH:ふふふ……。

で、なぜか『ボディリー・ファンクションズ』(2001)収録の“ジ・オーディンエンス”などを想起してしまったんです。

MH:マジで !? へぇぇ。

「声の反復」の感じなどから、そう感じたのですが、いかがでしょうか?

MH:そう言われてみるとたしかにそうかも。僕の頭にはぜんぜん、なかったけどね。僕が興味を持ったのは、モデルには声があるから、ノイズもメロディも、すべて彼女の声からできている、という点なんだ。それが僕にとってはとても興味深い転換なんだ。絵に描かれたものを見ただけでは、そのモデルがどんな声をして、どんな音を立てているのかわからないけれども、音楽のポーズにおいてはモデルにも声があり、その声のトーンや質にも彼女らしさがあり、それが僕のメロディや構成を生み出す上で助けになっている。ハウス・ミュージックは今回のレコードでは僕は参照していななかったけど、反復によるリズムは有効だと思う。グルグルグルと同じところを繰り返し、めぐりめぐることによって特定の場所にハマっていられるから、そこで何かひとつの発想を固定することができる気がする。そういう意味で反復やリズムは、僕にとってはものすごく重要だ。ひとつのツールとして。

MH:じつはひとつ、ぜひとも大きく扱いたかった音があった。それが「肌」だったんだ。「肌」というか「接触」かな。

アルバムに使われた音以外も、さまざまな音素材を録音されていたと思いますが、音を選ぶ判断基準について教えてください。

MH:まずは因習的な伝統を網羅しておきたかった。たとえば“イズ・イーティング”ではいろいろな食べ物を食べているんだけど、繰り返し登場する食べ物はリンゴなんだ。それはアダム&イヴが提示するものに繋がるからであり、リンゴが非常に象徴的な存在になったわけ。それで僕が「よし、じゃあリンゴでいこう」と決めて、7分とか、そんなものだったかな(ちょっと正確に覚えてないけど)、リンゴ1個を食べ終わるまでの時間をそのまま1曲にした。また、さっきいったように「風呂に入る」時間をそのまま録ってたり、さらに「爪を切る」音や「髪をとかす」音も、あとから乗せてある。つまり、サウンドのクラスタというかグループを作ったわけだ。彼女は風呂に入っているんだけれども、同時に「髪をとかす」音や「乾かしている」音も鳴っているという。いわば音の群像だね。かつ、ひとつひとつの音が明瞭に聴こえてほしかった。それが何の音か? とわかる程度に。いまひとつ明瞭ではないと判断した音は使わなかった。それが判断基準のひとつだね。

録音・制作するにあたって、苦労した音というのはありますか。

MH:小さな音はすごく扱いづらかったな。じつはひとつ、ぜひとも大きく扱いたかった音があった。それが「肌」だったんだ。「肌」というか「接触」かな。手のひらで腕をこする感じとか。そういわれると、すぐに思い浮かべることはできる音だと思うけど、これが録音で拾うのは難しくて。皮肉にも僕がもっとも録音で苦労したのが「やさしさ」ということになってしまった。やわらかで、やさしくて、ごくシンプルな感覚。人間同士の「接触」の重要性は誰もが語るところだし、それが僕の訴えたかったことでもあるのに、これを捉えるのに、これを表現するのに、すごく苦戦してしまった。マイクの宿命で、どうしてもドラマチックな音の方がよく拾えるし、技術的にちゃんと録音可能なんだよね、うんと静かな事象よりも……。おもしろいことに、まだそうやって手の届かない部分が人間の身体にはある。マイクの力が及ばない部分がある。そう考えると、ある意味、なかなかに詩的だよね。

MH:誰かが小便をしている音、と言ったときに一般的に思い浮かべる音は、じつは水と水がぶつかる音であって肉体の発する音ではない。僕としては肉体の発する音と環境音との区別にこだわって、環境音は使わないよう細心の注意を払った。

つまりサンプル音源などは、まったく使っていないわけですね。

MH:うん、それはぜんぜんしていない。「ボディ」の音だけだよ。録音は、最初はホテルの部屋ではじめたんだ。「白紙のキャンヴァスを用意する」的な考え方。ただ、たとえば誰かが小便をしている音、と言ったときに一般的に思い浮かべる音は、じつは水と水がぶつかる音であって肉体の発する音ではない。僕としては肉体の発する音と環境音との区別にこだわって、環境音は使わないよう細心の注意を払った。大便だってそうだよ。あれだってウンチが水にぶつかる音であって、聴けば、すぐに「あ、これは……」とわかるだろうけど、肉体の音ではないんだ。別物だ。そこが僕にとってはチャレンジだった。肉体の音だけを抽出するということがね。風呂に入っているときの音も、水の音に頼って音楽を作ってしまわないように心掛けた。面白みはそこにあるんじゃなくて、「洗う」という行為の方にあるんだから。大便はね、彼女がじつは下痢をしていたんだよ。驚いたことに、彼女はその状態でありのままを録音してきた。本当に勇気のある女性だよね。おかげで物体が彼女の肉体を離れる瞬間の音をとらえることができたわけ。そんな感じで、環境の音を入れ込まないように、できるだけ努力した。

「音」であっても、個人のプライバシーの領域になればなるほど、他人には不快に感じてしまうかもしれません。そして本作は、そんなプライバシーの領域に足を踏み込んだ内容だと感じました。

MH:そう、まったくそのとおりだよ。でも、人間だって結局は動物だからね。もっと洗練された生き物だと思いたがっているけれど、要はただの獣だ。僕らはじつは農場に移り住んだところで、羊を飼っている。その羊が草をはむときに立てる音が最高に美味しそうでね。同じなんだな、と。人間も何も変わらない動物で、だからやることも同じなんだよ。ただ互いのそういう行為の音を聴くことに慣れていないだけ。

となると、ハーバートさんにとって「音楽」と「非音楽」との境界線が、どこにあるのか気になってきます。

MH:うん、そこは僕自身、興味を持つところ。というのも、今回のこれも着手するにあたって「どうしてわざわざ音楽にするんだろう、ただのサウンドのままで十分かもしれないぞ」と考えたから。

MH:判断が難しいときがあるんだよ、何をもって「音楽」と呼ぶのか。ただ「音」を聴くのと「音楽」を聴くのとの違いは何なのか。

なるほど。

MH:でもね、判断が難しいときがあるんだよ、何をもって「音楽」と呼ぶのか。ただ「音」を聴くのと「音楽」を聴くのとの違いは何なのか。だから、さっき話した、彼女(ボディ)がマイルス・デイヴィスで音楽はバンドとして彼女のサポート役に回る、というのがひとつの答になるかな。「洗う」が入浴である以上、そこでラウドでアグレッシヴな音楽を奏でるのは明らかに不適当だよね。彼女はただリラックスして静かにお湯に浸かったり身体を洗ったりしているだけ。その事実、そこに乗せる音楽を定義づける。自分で考えて音楽を乗せるというよりは、風呂の情景を優先して自分は身を退く。風呂というランゲージや、そこでの時間の流れに身を委ねるしかないんだ。

ハーバートさんの方法論は物理的には制約が多いかもしれないけれど、不思議と「自由」に音楽をしているように思えます。

MH:ものすごい自由度だったよ。何しろいまは音楽を作りながら自分で下さなければならない決断があり過ぎるほどある時代だ。音ひとつ作るのにも、使えるシンセサイザーが山ほどあって、出せる音が何百万通りもある。さらにはそれを加工する方法がまた何百万通りもある。選択の自由を与えてくれているようで、音楽を作る上では、出だしからものすごい労力が必要になる。だったらむしろ「リンゴを食べる音だけで音楽を作る」という枠組みをはっきりさせておいた方が、音楽を作るという作業に専念できる。そこに僕は自由を感じる。
たとえていうなら、京都に「RAKU」(楽茶碗)って綴りの茶碗を作る工房があるんだけど、僕は、そのお茶の茶碗をすごく気に入っているんだ。その茶碗は16世紀から、おおよそ同じ作りだ。そこに僕は「作るのは茶碗。そして基本的に、こういう作り」というのがわかっている安心感の上で、思いきり制作の手腕を磨くことに専念できる、喜びみたいなものを感じるんだ。同じ枠組みの中で、どうしたら機能的で、特別で、興味深い作品を作り上げられるか。そこが勝負であって、窯を作るところからはじめなくてもいい。もちろん、そこからはじめたい人もいるだろうし、「さて、この土を練って何を作ろう」というところからはじめるのが醍醐味だと思う人もいるだろうけど、僕は「作る」という技にすべてを集中させたいから、ほかは制約しておくことがとても大事だったりする。そうしないとまったく収拾がつかなくなってしまうから。

同じ枠組みの中で、どうしたら機能的で、特別で、興味深い作品を作り上げられるか。そこが勝負であって、窯を作るところからはじめなくてもいい。僕は「作る」という技にすべてを集中させたいから、ほかは制約しておくことがとても大事だったりする。

この作品を舞台化する計画があるそうですね。

MH:いまのところ1回だけなんだけど、ロンドンのラウンド・ハウスでやる予定だよ。希望としては振付師についてもらって、いくつかのボディを登場させ、それに動きを与えて……。まだ最終的な案ではないんだけど、観ている人のそばを通りかかるボディの気配から何か感じるとか、あるいは通りすがりに何か匂いがするとか……。でもけっこう不安もあるんだよ。というのも、そもそもこのレコードの主旨としてボディの見た目に捉われないというのがあるわけだから、舞台化してもボディを普通に露出することは避けたい。そこにはこだわりたいんだ。具体的には来月あたりから打ち合わせに入るので、それからだね。

舞台作品は、アナウンスされているインスタレーションの展示とは違うものなのですか。

MH:うん、ナショナルギャラリーに常設するアート作品として寄贈する話もある。そっちの発想としては、ギャラリーの床とか壁とか天井とかに穴を空けて、そこに頭を突っ込むと音が聞こえてくる、というやつにする。目で見るのではなくて、聴く。音源は建物のどこかに仕込むことになると思うんだけど。そんな感じかな。

「三次元的な体験」ですね。

MH:そうだよ。そもそも、このレコードに影響を与えたものは、さまざまなアートなんだ。音楽だけに限らない。というより音楽以外の「アート」だ。出来上がったものも「音楽作品」というよりは「芸術作品」と自分は考えている。

「世界を変えること」が目標だとおっしゃっていたこのアルバムですが、満足するような反応は返ってきていますか。

MH:う~ん、まだちょっと早いかな。日本では7月1日のリリースだしね。まだキャンペーンもはじまったばかりで、反応らしい反応も返ってきていない状態だ。ラジオで流れるかどうかというのもポイントだね、わりとアダルトなトラックに関しては。まあ、だから、現状まだ世界を変えるには至っていない(笑)。

つまり、僕の次のレコードは、いわば目に見えないレコードってことになるかな。

もしかすると気分を害する人もいるかもしれませんが、「警鐘」という意味では大成功でしょうね。

MH:いや、人を嫌な気持ちにさせるつもりはないんだ。ただドナルド・トランプに消えてもらいたいだけ。

彼がこのレコードを気に入ってしまったらどうしましょう?

MH:あははは。いや、あいつがこれに興味を持つはずがない。自分にしか興味がない人間だから、他人の音になんか興味を持つわけがないよ。あるいは自分でカラオケをやるとか? 自分が風呂に入ったりウンチしたりする音を自分で録音して、このレコードのカラオケに乗せて流す。トランプによるトランプのためのトリビュート・レコード(笑)!

(笑)。ちなみに本作の楽曲を象徴するような素晴らしいアートワークは誰が担当したのですか?

MH:写真はクリス・フリエルだ。この国では有名な風景写真家の作品で、アートワークは僕の作品を長年手掛けてくれているサラ・ホッパーがやってくれている。『ボディリー・ファンクションズ』も彼女のアートワークだったよ。中にはフォノペイパーというものを使っているんだけど、これを使うと写真を読むことができるんだ。写真の上に電話をかざすと、写真からノイズが出て、モデルが曲のタイトルを語る声が聴こえる。そして表はグラフをイメージしている。「幽霊を測ろう」としているようなイメージ。

しかし、ここまで究極的な録音・音響作品を完成されたとなると、どうしても「次」の作品も気になってしまいます。

MH:次にやることは決まっているよ。次は本だ。『ミュージック』(MUSIC) というタイトルの本を書いたんだ。これは、僕が作ることのないレコードの解説書。つまり、僕の次のレコードは、いわば目に見えないレコードってことになるかな。

目に見えないレコードとは! それはすごい! つねに意表をつきますね。

MH:あははは。それをめざしているよ。

Steve Jansen - ele-king

 美しい写真のような音楽だ。もしくは、まだ観ぬ/存在しない映画のサウンド・トラックのような音楽でもある。シルキーで、エレガントで、ときに仄暗く、ときに眩い光が射し込むかのごとき優美な楽曲たち。柔らかいストリングスや水滴を思わせるピアノ、細やかなリズムと緻密な電子音、多彩なボーカリストたちの声が交錯し、聴き手に深いイマジネーションを与えてくれるだろう。だが、しかし、それらは、過剰なロマンティシズムに変化する直前に、音楽の具体性に慎ましく留まる。誠実さ、慎ましさの美徳、具体的な音そのものの美に。音楽の美しさに。かといって現実のキャズムから目を背けているわけではない。彼は世界の矛盾や陥没地点に透明な眼差しをむけるのだ。まるで、彼の写真集『スルー・ア・クワイエット・ウィンドウ』のイメージのように、静謐で、誠実で、寡黙で、透明な意志のロマンティシズムが、このアルバムには満ちている。そう、スティーヴ・ジャンセン、9年ぶりソロ・アルバムのことである。

 スティーヴ・ジャンセン 。彼はいうまでもなくデヴィッド・シルヴィアンの実弟としても知られているミュージシャン/音楽家である。ジャパンからナイン・ホーセスまで、ドラマーとして、コンポーザーとして、サウンドデザイナーとして、シルヴィアンと密接なコラボレーションを続けてきたジャンセンは、2007年に最初のソロ・アルバム『スロープ』をリリースする。シルヴィアンが運営する〈サマディサウンド〉からのリリースであった。このアルバムは当時のエレクトロニカ的手法を用いつつも、ジャンセンのソングライティングとサウンドデザインによって、いわばアダルト・オリエンテッド・エレクトロニカとでも呼びたいエレガントなアルバムに仕上がっていた。シルヴィアンはヴォーカルで2曲、ギター演奏で1曲参加している。

 本作は、その『スロープ』から9年ぶりのセカンド・ソロ・アルバムだ。リリースは〈サマディサウンド〉を離れ、〈ア・スティーヴ・ジャンセン・プロダクション〉から。まずはバンドキャンプで配信され、CDはオーダー制となっていた。一般販売は、この「国内盤」が初という快挙である。本作にはシルヴィアンは参加していないが、ほとんどの楽器演奏を彼自身が手掛け、前作同様に電子音楽を基調したパーソナルでロマンティックな作品集になっている。制作は、ほかのプロジェクトと並行しながら、3年もの月日をかけたという。じっさいトーマス・ファイナー、
メレンティニ、ペリー・ブレイク、ティム・エルセンバーグ、ニコラ・ヒッチコックなど魅惑的な声の質感を持つヴォーカリストたちを招いているが、作品のトーンは彼のスタティックな美意識で見事に統一されており、まさに「ソロ・アルバム」といった仕上がりだ。

 1曲め“キャプチャード”のヴォーカルはトーマス・ファイナー。彼は〈サマディサウンド〉からアルバム(音源)をリリースしているヴォーカリスト/音楽家で、シルヴィアンを思わせる低音ヴォイスが魅力的なシンガー。彼の歌声とともに、朝霧のような弦の響き、ピアノの香水のような音、グロッケン、ベース、電子音が繊細に折り重なり、緻密にしてミニマルなオーケストレーションが展開する。2曲め“サッドネス”を歌うメレンティニは、ジャンセンがサウンドクラウドで見出したシンガーとのこと(村尾泰郎氏による国内盤ライナーノーツ参照)。管楽器とベースとシンセサイザーが折り重なり、曲名どおり深い悲しみを表現する。3曲め“ハー・ディスタンス”のゲスト・ヴォーカルはアイルランドのシンガー、ペリー・ブレイク。この曲もミドルテンポの曲で、ジャンセンらしい打楽器のグルーヴを感じることができる。ティム・エルセンバーグがヴォーカルを担当する5曲め“ギブ・ユアセルフ・ア・ネーム”も打楽器のリズム感が魅力的だ。ソングライティングは伝統的な構成になっており、ナイン・ホーセスの曲を思わせる。元マンダレイのニコラ・ヒッチコック歌唱による7曲め“フェイスド・ウィズ・ナッシング”は、50年代のポップソング・バラードのようなシルキーな曲。ジャンセンの作曲力とトラックメイクのセンスのよさも満喫できる名曲といえよう。

 そして忘れてならないのが、ジャンセン自らがヴォーカルをとった8曲め“メンディング・ア・シークレット”と、10曲め“アンド・バーズ・シング・オール・ナイト”である。とくにアルバムの最後を締める後者は、短い収録時間ながらアルバム屈指の名曲。イントロで聴けるスウェーデンのフルート奏者ステリオス・ロマリアディスの演奏は、どこか日本の雅楽を思わせ、時間と国境を超越するようなフォーキーな楽曲に仕上がっている。またインスト曲も素晴らしい。徳澤青弦がチェロで参加する4曲め“メモリー・オブ・アン・イマジンド・プレイス”、マイクロなサウンド・エディットとギターによる幽玄なエレクトロニカ的トラックである6曲め“ダイアファナス・ワン”、曲名からしてミニマルなアンビエント曲といえる9曲め“シンプル・デイ”など、彼の慎ましやかなロマンティシズムの本質がよく表れているトラックばかりだ。どの曲も都市の光景に寄り添う(存在しない)映画のサントラのようにも聴こえてくる。物語性、もしくは旅の光景=記憶のような情感があるのだ。

 いや、そもそも本作は、アルバムとおして「旅」の(ような)記憶が結晶のように生成している作品ではないか。全10曲、まるで彼の写真集のページを捲るように、記憶の結晶のように音楽が展開していくのだ。それは具体的な音による記憶ともいえる。まるでスティーヴ・ジャンセンの美意識と人生そのもののように。本年、翻訳が刊行されたクリストファー・ヤングの評伝『デヴィッド・シルヴィアン』には次のような一節が出てくる。シルヴィアンはジャンセンについてこう語る。「スティーヴと僕は多くの問題で、ことに哲学や精神性、信念体系に関する問題で、けっして目と目を合わせずにきた。彼を不可知論者と呼んでいいのかどうかわからない。独我論者かもしれない。彼はどんな神でもなかなか認めることができないんだ。自分自身の経験の範囲外にあるものはなんでも、存在を認めることを拒絶する」。だが、これはジャンセンの特有の美意識、つまり「見えるもの」や、「記憶」を、いかに大切に慈しむか、という意味にとれるだろう。そう、まるで彼の写真作品のように。音楽のように。

 ラストを飾る“アンド・バーズ・シング・オール・ナイト”は、ジャンセン自身が「パーソナルな曲」と語っていたが。じじつ、ステリオス・ロマリアディスのフルートと、イオルゴス・ヴェアリアスのギターとジャンセンの詞と歌と電子音によって奏でられる「微かな諦め、続いていく人生と、別れの曲」である。ここでの彼は、人生の淡い情景の中で、終わりを誠実に見つめている/歌っている。何かが終わり、そして、何かがはじまること。音楽とともに、芸術とともに続いていく人生。世界がどれほど醜悪になっても、微かな光を見出すために。まさにスティーヴ・ジャンセンの「アート・オブ・ライフ」である。むろん、私たち聴き手の人生にとっても……。

イギリスの国民投票とデモクラシー - ele-king

 いまとなっては進むも地獄戻るも地獄だろう。EU離脱に一票を投じた右翼でもリバタリアンでもない、ギリギリで生きているイギリスの人たちにとっては。これは彼らの切り札だった。少なくともそう使える価値のあるものだった。議会に自らの代表も持たず、誰も守ってくれるものもないかつての労働者、今では労働者とは名ばかりの、だからと言って失業者にもカウントされない「ゼロ時間契約(オン・コール・ワーカー)」に象徴される人々である彼らの最後の切り札だった。だけど、誰もそのことに気づいていなかったのだ。保守党のキャメロン首相はもちろん、労働党党首になった筋金入りの左翼、ジェレミー・コービンも、そして誰より有権者自身も気づいてなかった。そうやって、ほとんど最後の1枚だったかもしれない切り札をみすみす無駄にしてしまったのだ。離脱派が勝ってからうろたえて「離脱派は無知だ」と怒る(ネオも含む)リベラルのインテリたち、喜びの雄叫びを上げる極右のナショナリストたち、イギリスはもう終わりだ、EUはもう終わりだと嘆くメディアの人びと、その他(「プーチン高笑い」など)世界を巻き込んで繰り広げられるこのスラップスティックみたいな選挙には、とてもたくさん、日本の崖っぷちの人びとが参考にできることがあったと思う。
 
 選挙期間中からの残留派の宣伝通り、為替や株価が下がろうと上がろうと自分の生活には関係ない、だいたいその数字が信用できない、その情報を流すシティも大手メディアも利害関係者じゃないか。極右が流す情報だって同じくらい信用はできないにしても、「いままで」の体制で生活が悪化してきたことは確かで、それなら「いままで」とは違う体制を試してみてもいいじゃないか。もう失うものは何もないんだ──これって日本の私たちと同じだ。アベノミクスで円安株高、求人率は1倍以上だと胸を張られても、自分の生活にはまるで関係のない出来事でしかない。政府はしたり顔で「ヘイトスピーチは悪い事だ」と言いながら、やってることは難民受け入れ拒否に外国人「研修生」という名の奴隷制度まがい。なぜか消費税しか財源にできなくされた社会保障の問答無用の削減で、老後はもちろん病気も災害も、それどころか子供が生まれることさえ人生の不安材料になる──。そんな時、「自分の国ことは自分で決めようじゃないか!」なんてね。たぶん、そんなことをしても別にいいことなんか起きない。イギリスがEUを脱退したとしても、離脱に投票した人たちの生活は何も良くならない(残留派の宣伝ほどには悪くもならないとしても)。その人たちの中には、すでに100万人にも及ぶというゼロ時間契約の労働者が多く存在したという。これはオン・コール・ワーカーと言われる、つまり待機労働者というか、勤務時間はゼロで、雇用者が必要とする時だけ働いてその分だけの時給を受け取る働き方で、日本政府もお得意なあの「柔軟な働き方」のナイス・アイディアなのだ。さらに、仕事が減っているのも移民に奪われているせいとばかりは言えない。そもそも全体的に仕事は減っているし、これからも減っていくのだ。少々の移民入国制限が仮にできたとしても、ゼロ時間契約(あるいは派遣社員)のようなふざけた(雇用者に好都合な)仕事以外のまともな仕事が増える見込みは、どの先進国にもない。

 この現象を、「EUの終わりの始まり」「国民国家の復権」なんていう論調もあったけれど、私にはむしろ国民国家の断末魔だろう。スコットランドやウェールズ、北アイルランドばかりかロンドンまでが「独立してEU加盟」を目指したいとか言っている。グローバル経済は、「国民国家」の内側に、第三世界、(永遠に発展しない)発展途上国を作ったのだ。そんな「国内」で、意見がまとまるはずもない。国民国家を絶賛分断中のグローバル経済はもはや止めようはない。だってこれは人権のグローバル化と裏表の関係なのだ。グローバル経済は「格差を拡大する」のではなく、むしろ地球上の普通の暮らしをする人たち(中流層)の「格差を縮小する」。ただ、それが世界規模で起こるから、国レベルくらいの狭い地域だけで見れば、先進国では貧困が増えてしまう。先進国が発展途上国の人たちを差別して搾取して豊かになっていた時代の人権意識はすでに更新されていて、どの国で生まれようと人権は尊重されるという考え方を、人類はもう捨てることができない。何十年も先になれば、ベイシックインカムが普及して、働かない(消費するだけの)人の地位も上がり、貧困は仕事に就くことによってではない形で解決に向かうだろうが、いまのところはまだ、貧困は世界中に拡散中なのだ。21世紀になって、EUのエリート官僚をはじめ、アメリカでさえも、大金持ちからもう少し税金を徴収できないかと考え始めている。オキュパイ運動やパナマ文書への反応、ユーロ圏で合意済みの金融取引税、アメリカ大統領選では民主党左派のサンダースばかりかトランプまでが富裕層への増税を主張している。
 それでもゼロ時間契約は禁止されようとはしない。だから「離脱」が勝たざるをえなかったし、私はそれを「勝利」と感じるを禁じえなかった。テレビの中でこの「勝利」に快哉を上げるのは排外主義の極右ばかりだったけれど、これほどたくさんのイギリス人がレイシストなはずがないだろう。なぜ、キャメロンもコービンも彼らを説得できなかったのか。いや、説得しようともしなかった。本当なら、離脱派にはどうやって仕事を増やすか、あるいは社会保障をどうやって守るかを説明し、残留派の中の金持ちたちには「国は分裂の危機にある、どうかもう少しだけ増税させてくれ」と説得する姿を見せなければならなかったのに、そもそもそれをEUの責任だとする論調を、国内の緊縮財政や再配分の問題から目をそらさせるために利用したのだ。極右ナショナリストはさらにそれをイデオロギーのために利用し、ブライアン・イーノが控えめに訴えたように、企業経営者や富豪のリバタリアンたちがEUの規制を逃れられるとほくそんでいた。
 ゼロ時間契約の、最もマネー経済の割りを食った人々の訴えは、つまりは目的を共有していない人たちに食い物にされ、彼らはいまや最後の取引材料を失った。この選挙は最後の取引になるはずだった。その仲介をコービンが果たすべきだったのに。そうして、フランス革命よりも平和的で知性的な変革の一歩となすべきだったのに。彼らは、かろうじてEUの規制で守られていたささやかな労働者や消費者としての権利さえ失うかもしれない危機に立たされている。

 さて、こんな風に、イギリスのこの国民投票に関しては参考になることばかりだ。まず、「これはキャメロンの失敗だった、議会制民主主義の破壊である」というよく聞く意見について。これは右派左派関係ない。穏健派も急進派も関係ない。だいたい選挙なんてもんは、自分が肩入れしている側が勝てば正しい選挙だし、そうでなければ何かしら問題のある選挙になるんだ。けれども日本も含めたこれからの世界では、国民投票や住民投票はもっと一般的になるはずだ。議会制民主主義は基本的に信用を失いつつあって、それは大メディアと同じだ。テレビと代議士選挙の時代から、インターネットと住民投票の時代へと変わっていくだろう。いくべきだ。そして、選挙は「正しい意見」を決める制度ではないということもよくわかった。「正しい意見」なんてないんだ、ということについて、これほど世界の(ものを考える)人たちに突きつけた選挙は他になかったんじゃないだろうか。アメリカ大統領選でトランプが勝ち続けるのも、イギリス労働党でコービンが党首に選ばれることさえ、メジャーな人たちから見れば「正しい選択ではない」。ということになる。つまり、投票するときには「正しさ」より自分自身に必要な人、をストレートに選べばいいし、1人も「正しい人」がいなくても「よりマシな人」で我慢するときがあってもいい。なので、選挙結果についても、多数をとったから絶対的に正しい、とか絶対的に選ばれた、なんて思う必要もないのではないか。結果は尊重するにしろ、それは何かの偶然や喜劇的な「判断ミス!」があったからかもしれない。いずれ次の選挙までの話だ、絶対権力、白紙委任状を渡したわけじゃない、そんなに威張るな、という姿勢でいればいい。
 それから、どこかの選挙はなにがしか、世界と関係があるってこと。スペインの選挙では、左派政党ポデモスの勝利という大方の予想が外れたが、これはイギリスの国民投票の影響だ。どこかの国でナショナリストが勝利すれば、遠い国のナショナリストが力を得る。富裕層への増税やタックスヘイブンの規制なんかも一国や一地域ではできない話だ。何もかもがグローバル化しているのだ。グローバル経済、とつぶやけば、グローバル化は良くないことのように思えるかもしれないけれど、人権も富裕税もグローバル化していて、そのことで自国政府に圧力をかける可能性も出てくる。例えばロンドンの若者たちが、「この選挙では、私たちがよその国に出て勉強や仕事を自由にできる可能性を奪った」と怒っていた。多額の奨学金を背負い、苛烈な競争にさらされる若者の多くが、ナショナリズムではなく欧州人であることを選んだのだ。これはきっとイギリスだけではないだろう。きっと日本で同じような選挙をしても同じような結果になる。このことは大きな希望だ。崖っぷちの底辺生活者の切り札は無駄になったが、この新しい若者たちが、ギリギリの賭けにしか使えない切り札なんかより有効な、正当な取引きに最も近いように思えた。
 やっぱり投票には行く方がいいと思う。そして、白票ではなく、誰かの名前を書こう。いちばんマシな人を選ぼう。自分の意図をより反映していると思える人を。失うものなど何一つなくなったある日、いつの間にか積み上げられた掛け金を見せつけられ、ギリギリの切り札を切らなくて済むように、地味なことをやっとこう。たとえ負けても、その一票は得票率には反映される。

ROSKA Japan Tour 2016 - ele-king

 すべての音が出尽くしたとさえ言われているダンスミュージック。けれども、クラブで流れる曲は絶えず表情を変え、様々なスタイルが生まれている。もちろん、そのなかでトップDJとしてプレイし続けるのは容易なことではなく、今回来日するロスカの遍歴を見るだけでもそれが手に取るようにわかる。UKファンキーの重要プレイヤーとしての顔も彼にはあるが、時にはコールドなテクノから、図太いダブステップ、さらに艶かしいハウス・ミュージックまでも彼のDJデッキからは飛び出してくるから驚きだ。
 2015年に若手のスウィンドルと共に来日したときは、両者の相互作用もあり、ときに激しくときに緩やかにフロアの腰を突き動かす、UKブラックミュージックの「黒さ」を体感することができた。現在もラジオやクラブの一線で活躍するロスカが、どのように現在のシーンを切り取るのか注目しよう。イベントは今週末、東京(3日)と大阪(2日)で開催される。パート2スタイルやハイパー・ジュースなど、東京ベース・シーンのプレイヤーたちも出演。

 6/25に惜しまれながら閉店したアザー・ミュージックは、6/28に最後のインストアライブを行った。バンドは、75ダラービル、リック・オーウェン率いるドローンでジャミングなデュオである。5:30開演だったが、4:30にすでに長い行列が出来ていた。こんな人数が店内に入るのかなとの心配をよそに、時間を少し過ぎて、人はどんどん店の中に誘導されていく。すでにレコード、CDの棚は空っぽ、真ん中に大きな空間が出来ていた。こんながらーんとしたアザー・ミュージックを見るのは初めて。たくさんのテレビカメラやヴィデオが入り、ショーはリック・オーウェンの呼びかけでスタート。デュオではじまり、順々にスー・ガーナーはじめ、たくさんの友だちミュージシャンが参加し、ユニークで心地よいジャムセッションを披露した。たくさんの子供たちも後から後から観客に参加し、前一列は子供たちでいっぱいになった。私は、ジャム・セッションを聴きながら、いろんなアザー・ミュージックでの場面がフラッシュバックし、なきそうになった。インストア・ショーが終わると、彼らはそのままストリートに繰り出し、この後8時から、バワリー・ボールルームで行われる、「アザーミュージック・フォーエヴァー」ショーへ、マタナ・ロバート、75ダラービルなど、この日のショーで演奏するミュージシャンとプラスたくさんのアザー・ミュージックの友だちが、セカンドライン・パレード率い誘導してくれた。アザー・ミュージックの旗を掲げ、サックス、トランペット、ドラム、ギター、ベース、などを演奏しながら、アザー・ミュージックからバワリー・ボールルームまでを練り歩いた。警察の車も、ニコニコしながら見守ってくれていたのが印象的。バワリー・ボールルームの前で、散々演奏したあと、みんなはそのまま会場の中へ。


Geoff & daniel @ other music staff。私個人的にとってもお世話になりました。


Juliana barwick


Frankie cosmos

 バワリー会場内もたくさんの人であふれていた。コメディアンのジャネーン・ガロファロがホストを務め、バンドを紹介する(いつの間にか、アザー・ミュージックの共同経営者ジョシュ・マデルに変わっていたのだが)。ジョン・ゾーン、サイキック・イルズ、マタナ・ロバーツ、ビル・カラハン、ヨラ・テンゴ、ヨーコ・オノ、ジュリアナ・バーウィック、シャロン・ヴァン・エッテン、フランキー・コスモス、ヘラド・ネグロ、メネハン・ストリートバンド、ザ・トーレストマン・オン・アースがこの日の出演陣。ドローン、サイケデリック、ジャズ・インプロ、フォーク・ロック、ポップ、ロック、アヴァンギャルド、エレクトロ、インディ・ロック、ファンク、ラテン、ビッグ・バンド、などそれぞれまったくジャンルの違うアーティストを集め、それがとてもアザー・ミュージックらしく、ヘラド・ネグロのボーカルのロバート・カルロスは、「これだけ、さまざまなミュージシャンを集められるなら、アザー・ミュージックでミュージック・フェスティヴァルをやればいいんじゃない」、というアイディアを出していた。オーナーのジョシュが、バンドひとつひとつを思いをこめて紹介していたことや、お客さんへの尊敬も忘れない姿勢がバンドに伝わったのだろう。


Sharon Van etten

 サプライズ・ゲストのヨーコ・オノが登場したときは、会場がかなり揺れたが、ヨーコさんのアヴァンギャルドで奇妙なパフォーマンスが、妙にはまっていておかしかった。ヨ・ラ・テンゴとの息もばっちり。個人的に一番好きだったのは、トーレスト・マン・オン・アースとシャロン・ヴァン・エッテン、ふたりとも、個性的な特徴を持ち、いい具合に肩の力が抜け、声が良い。最後に、アザー・ミュージックの昔と今の従業員たちが全員ステージに集合し、最後の別れをオーナーのジョシュとクリスとともに惜しんでいた。スタッフを見ると、なんてバラエティに富んだ人材を揃えていたのか、それがアザー・ミュージックの宝だったんだな、と感心する。スタッフに会いにお店に通っていた人も少なくない(私もその中の一人)。バンド間でかかる曲も、さすがレコード屋、アザー・ミュージックでよく売れたアルバム100枚が発表されたが、その中からの曲がキチンとかかっていた。最後のアクトが終わり、みんなで別れを惜しみながら、写真を取ったり挨拶したり。会場で、最後にかかった曲はコーネリアスの“スター・フルーツ・サーフ・ライダー”だった。21年間、ありがとうアザー・ミュージック。

https://www.brooklynvegan.com/yoko-ono-yo-la-tengo-sharon-van-etten-bill-callahan-more-played-other-music-forever-farewell-pics-review-video/

■Other Musicで売れたアルバム100枚

1. Belle and Sebastian – If You’re Feeling Sinister
2. Air – Moon Safari
3. Boards of Canada – Music Has the Right to Children
4. Kruder and Dorfmeister – K&D Sessions
5. Yo La Tengo – And Then Nothing Turned Itself Inside Out
6. Os Mutantes – Os Mutantes
7. Neutral Milk Hotel – In the Aeroplane Over the Sea
8. Sigur Ros – Agaetis Byrjun
9. Arcade Fire – Funeral
10. Magnetic Fields – 69 Love Songs
11. Belle and Sebastian – Boy with the Arab Strap
12. Cat Power – Moon Pix
13. The Strokes – Is This It
14. Yo La Tengo – I Can Hear the Heart Beating As One
15. Talvin Singh Presents Anokha: Sounds of the Asian Underground
16. Joanna Newsom – Milk-Eyed Mender
17. Interpol – Turn on the Bright Lights
18. Cat Power – Covers Record
19. Cornelius – Fantasma
20. Serge Gainsbourg – Comic Strip
21. Belle and Sebastian – Tigermilk
22. Godspeed You Black Emperor – Lift Your Skinny Fists
23. Amon Tobin – Permutation
24. DJ Shadow – Endtroducing
25. Animal Collective – Sung Tongs
26. Dungen – Ta Det Lugnt
27. Beirut – Gulag Orkestar
28. Belle and Sebastian – Fold Your Hands Child, You Walk Like a Peasant
29. Clap Your Hands and Say Yeah – S/T
30. ESG – South Bronx Story
31. Cat Power – You Are Free
32. Broadcast – Noise Made by People
33. The Notwist – Neon Golden
34. Animal Collective – Feels
35. Mum – Finally We Are No One
36. Elliott Smith – Either/Or
37. White Stripes – White Blood Cells
38. Bjorn Olsson – Instrumental Music
39. Boards of Canada – In a Beautiful Place
40. Tortoise – TNT
41. Handsome Boy Modeling School – So How’s Your Girl?
42. Antony and the Johnsons – I Am a Bird Now
43. Zero 7 – Simple Things
44. Broken Social Scene – You Forgot It in People
45. Flaming Lips – Soft Bulletin
46. Devendra Banhart – Rejoicing in the Hands
47. Panda Bear – Person Pitch
48. My Bloody Valentine – Loveless
49. Kiki and Herb – Do You Hear What I Hear?
50. Thievery Corporation – DJ Kicks
51. Boards of Canada – Geogaddi
52. Yeah Yeah Yeahs – S/T EP
53. TV on the Radio – Desperate Youth
54. Yo La Tengo – Sounds of the Sounds of Science
55. Sufjan Stevens – Greetings from Michigan
56. Stereolab – Dots and Loops
57. Tortoise – Millions Now Living Will Never Die
58. Neutral Milk Hotel – On Avery Island
59. Le Tigre – S/T
60. ADULT. – Resuscitation
61. Langley Schools Music Project – Innocence and Despair
62. The Shins – Oh Inverted World
63. Slint – Spiderland
64. Air – Premiers Symptomes
65. Roni Size – New Forms
66. Shuggie Otis – Inspiration Information
67. Nite Jewel – Good Evening
68. Fennesz – Endless Summer
69. Bonnie ‘Prince’ Billy – I See a Darkness
70. Radiohead – Kid A
71. Stereolab – Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night
72. Franz Ferdinand – S/T
73. Amon Tobin – Supermodified
74. Fischerspooner – S/T
75. Stereolab – Emperor Tomato Ketchup
76. Cat Power – What Would the Community Think?
77. Elliott Smith – XO
78. TV on the Radio – Young Liars
79. UNKLE – Psyence Fiction
80. The Clientele – Suburban Light
81. Clinic – Walking with Thee
82. The xx – xx
83. Serge Gainsbourg – Histoire de Melody Nelson
84. Vampire Weekend – S/T
85. J Dilla – Donuts
86. Massive Attack – Mezzanine
87. Joanna Newsom – Ys
88. Sufjan Stevens – Illinoise
89. Portishead – S/T
90. Jim O’Rourke – Eureka
91. Pavement – Terror Twilight
92. Modest Mouse – Lonesome Crowded West
93. Sleater-Kinney – Dig Me Out
94. Tortoise – Standards
95. Sam Prekop – S/T
96. Blonde Redhead – Melody of Certain Damaged Lemons
97. Arthur Russell – Calling Out of Context
98. Aphex Twin – Selected Ambient Works Vol. 2
99. Grizzly Bear – Yellow House
100. Avalanches – Since I Left You

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Yumi Zouma - ele-king

 少しのもの足りなさ、少しの空腹感は、切ないという感覚と根本を同じくするのではないだろうか。何かが足りていないために生まれた隙間、それを埋めたくてやみくもな希求が生じる。いずれも空腹と切なさのメカニズムだ。そしてユミ・ゾウマの“バリケード(マター・オブ・ファクト)”は、それを具体的に証明してくれる。絶妙な隙間に支配されたこの曲を前に、私たちはわずかな渇きを、そしてもっと欲しいという願いを感じずにはいられない。

 ニュージーランドのシンセ・ポップ・ユニット、ユミ・ゾウマのデビュー・フル・アルバム。なんて「足りない」んだろう……音数もだが、プロダクションもヴォーカルも世界観も、どれも得がたい引き算によって隙が生じている。整えられ過ぎず、かつ粗雑さもない、情感に頼ることなく、しかしドライになることには慎重な──ごく上品な彼らのシンセジスは、無限に薄い空腹感を生みつづけ、満たすということがない。空いた心の隙をあるかないかの力で刺激して、さらに求めさせる。

 ほんの少し聴くだけで、すぐにエール・フランスからの影響を感じとることができる。タフ・アライアンスやJJなどの名を挙げるまでもなく、2008年前後はそうした北欧発のシンセ・ポップに大きな風が吹いていた。バレアリックと呼ばれながらも、潔癖的でどこか厭世感もにじませる彼らの音楽は、当時の一大潮流であったチルウェイヴに並行するように、ヒプノティックで逃避的なムードを表現し、時代の音として多くの人に記憶された。

 2013年にニュージーランドのベッドルームではじまったこのささやかなポップ・プロジェクトも、その影響をもろに浴びているようだ。何よりも音がそれを雄弁に語っているが、実際にエール・フランスをカヴァーしてもいて、それがきっかけでコラボレーションにまで発展している(※)。

※ユミ・ゾウマ・フィーチャリング・エール・フランス「イット・フィールズ・グッド・トゥ・ビー・アラウンド・ユー」。彼らの音は〈Cascine〉のアンテナにかかり、最初のシングル「EP I」や、それにつづくこれまでのリリースとして結実した。前掲のタフ・アライアンスやエンバシーらを擁する、スウェーデンのエレクトロ・ポップ~ソフト・ディスコ・レーベル、〈サーヴィス〉と縁の深いレーベルだ。

 しかしながら、2013年にもなっていまさらのエール・フランス・フォロワーかと若干の警戒をする向きもあっただろう。2015年にもなればなおさらだ。そう思うのももっともだし、事実として、それっぽいバンドやユニットはひっきりなしに生まれてきた。そして、そのすべてを切り捨てるわけにはいかないが、突出した存在を認めることもまた難しい。

 だが、そんな中でユミ・ゾウマはまったく段違いに輝いている。この日系ふうの名もまたよけいな先入観を抱かせてしまいそうだが、まったくの辛口のキレ、でなければ渋みを持ったユニットだ。音はもちろんドリーミーで甘やかだが、それを生む美意識は磨かれている。

 とにもかくにも“バリケード(マター・オブ・ファクト)”だ。アルバム中、もっとも忘れがたい面影を残していく。2、3年前の登場時のイメージからさらに垢抜けている。コード感とともにリズムを与えているシンセがハタと途切れるとき、わたしたちはユミ・ゾウマのデビューという完成形に触れるだろう。

 これまでのシングルには、〈サラ〉や〈エル〉などのギター・ポップに通じるところがわずかに感じられたが、このアルバムはもう少しダンス・オリエンテッドで、“テキスト・フロム・スウェーデン”や“ヘミスフィア”などのハウシーなディスコ・ナンバーにそのひとつの極点を持ち、“ドラクマ(Drachma)”のギターが刻む16ビートで幕を引く。だが全編を通して熱くなることはなく、チルアウト感も心地いい。時代の風の影響を受けずに立つ作品であり、かつ、シンセ・ポップ・リヴァイヴァル・ブームの残した最良の種が芽吹いている印象だ。お祭は一過性のものだが、あのとき残されたものが、ただのレトロ・ブームではなかったこと──新しいスタンダードとなるフォームを生んだということを、この作品を通して感じることができる。

 ちなみに、ニュージーランドと言われればついついとキウイ・ポップばかりを思い浮かべてしまうけれども、もちろんのこと、いろんなバンドやユニットが存在している。ネット時代だというのに、思いがけず聴こえてきた北欧バレアリックのフィーリングに驚いてしまった。ベッドルームに国境はない。ちなみにメンバーは故郷のクライストチャーチと、ニューヨーク、パリと、現在はバラバラに生活を営んでいる。

粉川哲夫 - ele-king

 前宣伝を見てリドリー・スコット監督『オデッセイ(原題:Martian)』はメンタルな映画だと思い込んでしまった。「火星にたった独り取り残された宇宙飛行士」だとか「奇跡のSFサバイバル」と謳われていれば、そう思わない方が不思議ではないだろうか。そして、その謳い文句は間違っているわけではなかった。実際に「火星にたった独り残された宇宙飛行士」が「奇跡のSFサバイバル」をやってのけるのだから。ただし、それは『127時間』や『ゼロ・グラビティ』のように「独り取り残された宇宙飛行士」が絶望したり、希望を抱いたりという精神的なプロセスには微塵も時間を割いていなかったのである。
 何をしていたのか。
 手作業である。
 「独り取り残された宇宙飛行士」は植物学者という設定なので、頭を抱えるシーンもなくいきなり食料をつくり始め、記録(=自撮り)を開始し、あちこちを修繕し、地球とも交信(=チャット)ができるようにする。主人公はまったく手を休めることがない。マット・デーモンによるそれらの演技はとくにコミカルな描写というわけではないものの、ゴールデン・グローブ賞ではコメディ/ミュージカル部門賞を受賞する。全編に流れるディスコ・ミュージックがそうした方向性を決定付けた気もしないではない。最初に予想したような悲壮感は地球に戻れるかもしれないという段階になって初めて訪れる。「独り」でいることはまったくネガティヴな響きを持たなかったのに。

 この作品を観る前に、粉川哲夫著『アキバと手の思考』を読んでいれば、リドリー・スコットの問題意識にもっと深く分け入ることができたかもしれない。タイトルから察することができるように、これまで逸早くニュー・メディアやコンピュータ社会を先取りしてきた著者が、本書ではこれからは「手作業」だと示唆している。粉川氏にしては珍しく、自らの生い立ちを導入部とし、戦後の秋葉原に通いつめた話から自由ラジオ、そして、執拗に繰り返されるのは半田ゴテでパーツを繋ぎ合わせていく手作業のプロセスで、時にはケガをすることから多くのフィードバックを得ていることがよくわかる。「自己責任」という言葉が秋葉原では早くから使われていたという指摘なども興味深い。
「手作業」の対極に置かれているものはパッケージ化された商品である。ラジオやコンピュータを自分で組み立てるのではなく、秋葉原でも始めから出来上がっているものが売られるようになっていくことを粉川氏は快く思っていない。パッケージ化されることで、身体性は疎外され、能動性を失っていくことに危惧があるからである。『オデッセイ』に即していえば、想定外のことが起きて物流が絶たれた場合、食料もつくれないし、地球との交信も確保できない人間が量産されていくことを意味している。
 粉川氏の本の書き方もパッケージ型とはだいぶ性格が異なっている。部品だけを並べたような構成で、これはデビュー作が書かれた80年代からまったく変わっていない。たとえばそれは「手作業の復権」というような思想をマニュアル化して読者にそのまま流し込もうというような性質からは遠ざかり、どの部分からでも好きに思考を発展させて下さいという書き方なのである。要するに使える人と使えない人が出てくる。僕は、まあ、上に書いたように『オデッセイ』という作品に手作業の復権という解釈を当てはめてみたと。

 マッチョの両義性にこだわってきたリドリー・スコットは、なんでも「手作業」でやってしまうことに同種のオブセッションを投影してみたのかもしれないけれど、ただ単純に「手作業」の面白さを伝えてきた映画監督には、たとえばミッシェル・ゴンドリーがいる。ダフト・パンクのクラスメートだったことから知名度を得たせいか、僕のまわりでは非常にバカにされているムードしかないものの、『僕らのミライへ逆回転』や『ムード・インディゴ』で全面展開される手作業の数々が類まれな爽快感を運んできたことは間違いない。そして、ハリウッドに疲れ、フランスに戻って撮った最新作『グッバイ、サマー』には彼の原点である少年時代の「手作業」が同じように爆笑を伴って再現されていた。子どもたちは廃品を集めて自動車をつくりあげる。ライセンスを取得できなかった二人は自動車にさらなる手を加えて、まんまと旅に出てしまう(どうやら実話らしい)。『オデッセイ』は追い詰められて仕方なく始めた「手作業」だった。しかし、『グッバイ、サマー』のそれは勝手に始めた「手作業」である。それが楽しかったからという以上の理屈は存在しない。粉川氏が「(アートの誕生日を祝う)「アーツ・バースデイ」は、「自主独立というよりも「勝手」にやるお祭りでありパーティである」(P110)と評した箇所にどこか重なるものがある。しかし、無条件で楽しいはずの「手作業」が実際にはパターン化され、お祭りからはほど遠いものになっていることも確かで、たとえば僕は自動改札の普及がすぐに思い浮かぶ。

 鉄道の改札が自動手改札に切り替わった頃、僕はボーッとして切符を入れる穴に家の鍵を差し込もうとしたことがあった。あの時、僕の手は何も考えていなかった。いまではパターン通りに動くようになってしまったけれど、自動改札に切り替わってすぐに、切符を裏にしたり横にしたり、様々なインサート方法を試みていた人もいた。そこにはこの世界とどう付き合うかという方法論や距離感が、ただ単に馴れてしまうだけではなく、予想外の回路を開くことがないかと「考える手」が躍動しているという印象があった。ヒドいのになると、前の人に続いて自動改札を通り抜ける時に、自分の切符は隣の自動改札に入れてしまうというのもあった。隣の改札は人数に対して一枚切符が多いだけだから、流れに支障は生じないけれど、その人が通り抜けた改札では自分は次の人の切符でゲートが開くものの、次の人は自分の切符がリターンしてくるにもかかわらず、ゲートが閉じてしまうという目に合ってしまう。この人は、しかし、わざとそうしたわけではない可能性もあることに僕は気がついた。利き腕の問題なのである。自動改札というのは右手で切符を入れるようにしかつくられていないので、左利きの人がそれに慣れていなければ=右手で考えるようにしなければ、システムには順応できないのである。どうして自分のなかからそんな動作が出てくるのか、本人にもきっとわからないに違いない。そういうことを目撃してからしばらく僕は左手で切符を入れるようにしてみた。いつしかそれにも馴れてしまったけれど、それだけのことがけっこう大変だったという記憶が僕の「左手」には残っている。

 自動改札が機能しなくなった時に、それを復旧させて通り抜けるのが『オデッセイ』なら、既存の自動改札の横にもう一台、自動改札を設置してしまうのが『グッバイ、サマー』だろうか。あるいはマルクス・ディートリッヒ監督『ビームマシンで連れ戻せ(原題:Sputnik)』はさらに面白い次元に辿り着いている。これは旧東ドイツの子どもたちが「ベルリンの壁」を無効にしてしまう装置を発明してしまうという映画で、裏打ちされている政治性とファンタジーの交錯がここまで見事だった作品はそうはない。それこそ自動改札にはなんの特権性もなくなり、自動改札がそこになければならない理由まで解体してしまうからである。「手作業」でここまで飛躍してしまうことは現実にはありえないけれど、なんとも面白い話を考えたものである。

 興味深いことに糸井重里もこのところ「手作業」の見直しを繰り返し訴えている。粉川哲夫と糸井重里はまったく接点がないし、それどころか資本主義に対する考え方は正反対のような気がしなくもない(?)。さらには思想的にも相容れなかった花田清輝と吉本隆明の思想をそれぞれに伝えるなど、場合によってはいがみ合う位置に行ったとしてもおかしくはないにもかかわらず、しかし、おそらくはまったく違う回路を経て同じことを予見しているのである。機械いじりが極端に苦手な僕としては、とにかく耳が痛い予見ではあるけれど(ちなみに糸井重里が「ほぼ日」のトップ・ページで毎日書いていることの全部とは言わないけれど、90%はミッシェル・ゴンドリー監督『僕らのミライに逆回転』にすべて盛り込まれている)。

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