「P」と一致するもの

Washed Out - ele-king

 チルウェイヴは、ベッドルームを「現場」に変えた音楽ムーヴメントだ。ベッドルームで生まれ、ベッドルームから発信され、ベッドルームで聴かれ、世界中のそれをつないだドリーミー・(シンセ・)ポップの一大潮流。だが、だからこそ、「そんなところにこもってないで現実を見ろ」と繰り返し問われつづけてもきた。

 ベッドルームは社会からの退却点であるか否か? チルウェイヴを支持するブロガーたちは「ここが現実ですけど?」と主張し、アーティストたちはただアルカイックにドリーミー・ヴァイブを生みつづけた。決着はともかく、こうした議論を含んだことで、チルウェイヴは時代の音としてのリアリティとコンセンサスとを得るにいたる。彼らの音はさまざまなジャンルをまたぎ、やがて「ヒプナゴジック(入眠)」なるマジック・ワードが登場して一切合切にオチをつけるまで、シーンには嗜眠的なムードと柔らかなサイケデリアが広がりつづけた。

※アンビエントやダブ、ドローンといった手法さえ、この文脈でずいぶんと一般化され、カジュアル化されたことは周知のとおりだ。実際のところ、パンダ・ベア以降のサイケデリック・ミュージックが示したユーフォリックな感覚を、今日につづくベッドルーム/ドリーム・ポップの流行へと咀嚼・拡張し、新しいリアリティとして提示することができたのは、まず何より彼らではなかっただろうか?

 ウォッシュト・アウトは、この流れを象徴するアーティストのひとりである。というか、チルウェイヴという呼称自体が、彼の『ライフ・オブ・レジャー』のために作り出されたようなものでもあった。それで、今日にいたるまで彼自身も繰り返しエスケーピズムの是非をめぐって追及されることになる。

 だから、筆者が彼の新作に望むものはけっして「新傾向」などではなかった。わたしはただ証明してほしいと思う。あのEPが世に出てから、彼とわれわれが過ごしてきたベッドルームの5年間が、間違いではなかったということを。チルウェイヴを象徴し、逃避的音楽のアイコンとなったあのEPの時間の先を、彼が「元気に」生きているということを。その限りでは新傾向でもなんでもいい。チルウェイヴの季節が終わっても、ウォッシュト・アウトは生きている、われわれも生きていかなければならない、さらに遠くへ逃げるのか、逃げるのをやめるのか、そのことがうやむやにならない音を聴きたいと思っていた。

 はたして、彼の回答は「パラコズム(Paracosm)」である。泣ける答えだ。

 これは空想の世界を意味する言葉だそうだ。幼年期からしばらくのあいだにかけて発達するという、別世界の創造体験。ウォッシュト・アウトことアーネスト・グリーン本人の説明によれば、「ここにある現実で起きていることが二の次になってしまう」、「白昼夢に耽りすぎている人たちのこと」......とすると、これはつまり、現実逃避と向かい合いつづけるのだという、ウォッシュト・アウトいまひとたびの宣言ということになる。

 胸が熱い。しかしまた、少し意外でもあった。なぜ意外かといえば、彼らの体現するエスケーピズムは「大して強くない」ことが特徴だったからだ。ひきこもるといっても、母親が怯えながらドアの隙間に食事を差し入れなければならないような反世界的な力はないし、クスリを一発キメて別の世界に飛ぶというニヒリズムもない。それはもっと優しくて弱くて、普通の人間の生活実感にあふれた逃避感覚だった。リーマン・ショックのあおりを受けて就職がままならなかった20代の、しかし実家暮らしで差し迫った生活の危機はないという境遇の、平凡な憂鬱......。

 だから、新作ではグリーン自身がずっと問われつづけてきたエスケーピズムへの批判や反応を部分的に受け入れ、社会性を回復していくという筋書きを漠然と思い描いていたのだ。ウェル・プロデュースなR&B、レトロな意匠のディスコ、あるいはバンド編成でのロック・アルバムという線もあるかもしれない。人生はまだまだ長い、青春を終えてしまった自分たちにとっては、そろそろ世間とうまくやっていく道を手探りすべきタイミングがめぐってきている。なんて具合の音が鳴らされているんじゃないか。

 しかし、ウォッシュト・アウトはそうしなかった。『パラコズム』はあくまで『ライフ・オブ・レジャー』を肯定し、その自然なつづきを描くアルバムだ。ほとんどの楽器をプログラミングではなく生演奏で録っているが、それは夢をもっと現実らしい夢に塗り直しているという点で業が深い。

 ジャケットを飾る花々の鮮やかな色彩。それは"パラコズム"のハープやストリングスの彩りそのままであり、"グレイト・エスケイプ"のダブルベースはさながら肉厚の花弁、その繊毛をそよと揺らしていくのが"フォーリング・バック"のアコースティック・ギターだ。16ビートを刻むハットは浜風、メロトロンはむせるような花々の香り、"フォーリン・バック"のノスタルジックなイントロ(ヴァン・モリソンの影響というのは、たとえばこうしたところに感じられる)は、その美しい背景を構築する。

 手に取れるように鮮明な夢である。オキーフの花々がそうであるように、こんな花々は実在しない。その実在することのない色を、ウォッシュト・アウトはたしかな筆致で塗り重ねた。『ライフ・オブ・レジャー』においてはチープなローファイぶりに意味があったが、レゲエやアフロ・ポップを意識するようにリズムに豊満さを備え、16ビートも心地よく洗練され、よりフィジカルな快楽性を増した今作は、彼の重ねてきた「逃避的な」時間に十分な厚みがあったことを証している。

 ぶっ飛ぶためのサイケデリックではない。そんなことではどこにもいけないと歴史的に証明されてしまったあとの世界の、醒めてここにいつづけるためのサイケデリック・ミュージック。それがそもそも彼らの音でありチルウェイヴではなかったかということにあらためて思いいたる。インターネットのためにベッドルームの状況も変わり、そこは必ずしも世界を遮断する場所ではなくなった。パンダ・ベア『パーソン・ピッチ』のインナーには、自室に鎮座する彼のPCが象徴的に写し出されているが、それはベッドルームが世界への入口かもしれないという、いまを取り巻く環境の喩のようですらある。チルウェイヴの源流にあるあの名盤から、閉じながら開かれるベッドルーム・ポップへとサイケデリックの読み替えが行われたこの数年の成果をわれわれはまだ手放すわけにはいかない。

 彼の音の浮遊感は、上昇というよりは落下の感覚だ。自由落下。行くところまで行って止まる。なるようにまかせる。詞にもそうしたモチーフが頻出する。思えば、最初に今作を聴いて「やっぱりウォッシュト・アウトは信頼できる」と感じたのはこの落ちる感覚を手放していなかったからだったのかもしれない。昇ってほしくない。というか、じっと落ちることについて感じ、考えていてほしい。昇ることからは引き出せない種類の知恵と、誰も不幸にならない落ち方とを示してほしい。"ドント・ギヴ・アップ"だなんて、なんと美しい逆説だろう。筆者には諦めることを諦めないというふうにしか読めなかった。それがアルバム中もっとも心地よく、ポップスとしての完成度を備えた曲であることが頼もしい。

 ここのところ通勤の山手線は完全にヴァカンスへと赴く人々のムードで常ならぬ高揚感を運んでいるが、「夏までにどうしても出したかった」とウォッシュト・アウト本人が述べるように、"ドント・ギヴ・アップ"はイヤホンのなかで夏の車中にしっくりと馴染みながら、それを洗うようにも鳴っている。この曲があれば、日常が戻り、秋がくるのもこわくない。

マキ・ザ・マジック追悼文 - ele-king

 僕はマキ・ザ・マジックの男臭さが大好きだった。あの男臭さをダンディズムや男の美学と言い換えてもいいかもしれない。いずれにせよ、あの男臭さは古き良き日本男児のそれだったけれど、けっして排他的で窮屈なものではなかった。マッチョだったけど、他人の意見や生き方を力任せにねじ伏せて、自分の価値観をごり押しするような狭量で退屈なものではなかった。

 そして、もちろんマキ・ザ・マジックのその態度は、女性のファンやリスナーを遠ざけるものでもなかった。というよりも、「男の美学とか言っちゃってさ~、うふふふふ♪」というような女性のいけずな視線も意識していたように思う。その上で、「でも、やってやるんだぜ! オラ!」という清々しい覚悟があった。実際に僕はマキ・ザ・マジックが大好きな女性をたくさん知っている。

 マキ・ザ・マジックには、オトナの男の自虐性と客観性とサディズムが絶妙に入り混じった年季みたいなものがあって、それを僕はとても魅力的に感じていた。彼の作るトラックには細かいことを吹き飛ばす開放感があったし、ラップには毒と笑いがあって、しかもドロドロの愛とびしょびしょのエロがあった。曲のなかでセンチメンタルなムードになっても、我慢しきれずにちゃぶ台をひっくり返してしまうような、昭和生まれの日本男児の照れと不器用さがあったように思う。どんなに下衆でアホで乱暴なことをラップしていても愛嬌があって、キュートで、キモカワ系の愛くるしさがあった。僕は、相方CQとのラップの掛け合いを聴くと、ゴーストフェイス・キラーやレイクウォンを愛するアフロ・アメリカンの気持ちが少しわかるような気がした。


キエるマキュウ
Hakoniwa

第三ノ忍者 / Pヴァイン

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 告白すれば、キエるマキュウが昨年発表した、じつに9年ぶりとなる傑作『Hakoniwa』で僕はマキ・ザ・マジックのファンになった。ヘッズとしては失格かもしれない。もちろん、過去の作品も聴いていた。けれども、日本のヒップホップ・シーンで長いキャリアを誇る、この先達の偉大さを改めて思い知らされたのは、『Hakoniwa』の素晴らしさからだったのだ。でもきっと、そういう音楽ファンも多かったのではないだろうか。キエるマキュウは、『Hakoniwa』をリリースした後、ライヴ・ハウスでのライヴが増えていた。

 僕はここで自分なりにマキ・ザ・マジックの遺したものについて語りたい。伝えたいと思う。
 マキ・ザ・マジックのトラック・メイキングはサンプリングにはじまり、サンプリングに終わるものだった。『Hakoniwa』の9割のトラックは、彼が作っていた。ソウル・ミュージックやダンス・クラシック、オールドスクール・ヒップホップの大胆なサンプリングは、けっしてノスタルジーに甘んじるようなものではなかったし、流行ってはいるが魂のない音楽を「コノヤロー!」と蹴散らす威勢のいい反時代的態度があった。そう、僕がマキ・ザ・マジックを初めて、いまは無き恵比寿の〈みるく〉で観たとき、容赦なく当時ヒット・チャートを賑わせていたラッパーをディスり、MSCを褒め称え、「シーンを面白くしようぜ!」と缶ビール片手に演説していた。2006年のことだ。去年ライヴで観たときもよく喋り、大きくてごつい体をくねくねと捩じらせながら意味不明の身体パフォーマンスをくり広げていた。どちらも、会場は爆笑だった。

 僕より若い世代になると知らない人もいるかもしれないが、マイクロフォン・ペイジャーの日本語ラップ・クラシック"病む街"のトラックの作者はマキ・ザ・マジックで、96年にはマキ&タイキとして『ON THE1+2』という4曲入りのEPをリリースしている。MIXCDもたくさん発表していた。DJ/トラックメイカーとしてキャリアをスタートさせた彼がラップをするようになるのは、キエるマキュウが2000年に発表したデビュー・シングル『NANJAI』からだ。その事実は、親しい人のあいだでは衝撃だったと、ライムスターの宇多丸氏のラジオで知った。あの世代でいち早くMSCを評価し、トラックを提供したのもマキ・ザ・マジックだった。そして、ライムスターの『ダーティーサイエンス』ではキエるマキュウのイリシット・ツボイがプロデューサーとして大々的にフィーチャーされ、マキ・ザ・マジックも1曲提供している。あの作品にラッパーとして唯一参加しているのが、キエるマキュウのラッパーのふたりだった。

 定番の曲を参照しながら、マニア心をくすぐる仕掛けをいくつも用意するのもマキ・ザ・マジックの技だった。少なくないレア盤を贅沢に使っていたに違いない。イリシット・ツボイのツイートをあるとき見て、『Hakoniwa』のサンプリングはすべてがオリジナルの7インチからであることを知った。それはもちろん偏屈な拘りなんかではなくて、これぞフェティシズムの凄み! というもので、『Hakoniwa』の叩きつけるようなビートとノイズを聴けば、そうでなければならない理由がわかるはずだ。
 そしてそこにマキ・ザ・マジックは、三島由紀夫の『豊饒の海』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』といった文学から、SF小説やビートニクの詩、エミール・クストリッツァの映画からインスパイアされたラップをぶち込んだ。

 マキ・ザ・マジックはブログやツイッターでよく政治的な発言もしていたが、けっして政治思想を音楽に反映させなかった。マキ・ザ・マジックがクラスやザ・クラッシュの熱狂的ファンだったことはよく知られている。パンクの人でもあった。が、政治思想的には生粋の保守だったのではないかと思う。それを矛盾という人もいるかもしれない。でもね、そういうことを吹き飛ばす凄まじいエネルギーがあったんだよ。そのエネルギーが何か、僕にはまだはっきりと説明できないのだけれど、マキ・ザ・マジックの音楽を聴けばわかるはずだ。

 じつは僕はご本人と面識はなかった。でも、僕はきっとこの人といつか酒を飲みながら、音楽や政治や社会の話、しょうもないバカ話をくり広げてガハハハッと笑うときが来るのではないかと、僭越ながら勝手に信じていた。
 とにかく僕がここで言いたいのは、マキ・ザ・マジックの存在を心強く感じていたということだ。そして、「なんで、こういう人が早死にするんだよ」という残念な気持ちでいっぱいだということだ。7月14日に亡くなられたとき、まだ46歳だったことを知った。若すぎますよ。マキさんを知る方々の声を聞くと、湿っぽいのが嫌いな方だったのだろうと思う。
 しこたま酒を飲んだ朝方、"Somebody Got Murdered"を聴きながら、中野の町を歩いた。涙と笑いが止まらなかった。マキ・ザ・マジックは偉大だ。

乾杯 これが最後の杯 生まれてきたのが 最初の運の尽き
女神にKiss ケツにKiss どっちにしても墓場で笑う
今も昔も変わらない人生 清清するさ この世から Fade Away
息が止まる程飲む今日 天国へいくのさ リービング・トウキョウ "Somebody Got Murdered"

ele-king presents "ANTI GEEK HEROES" - ele-king

 ele-king本誌最新刊vol.10で掲載された特集「アンチ・ギーク・ヒーローズ──神にならない神々」、今後時代を担うであろう、若き才能たちにフォーカスした我ながら素晴らしい特集であったが、それだけでは飽きたらなかったので、下北沢THREEと手を組んで、同名のイベントを開催させることにした......! しかも8月の終盤、「まだ夏じゃない」というコンセプトで!

 時は8月25日(日)、18時より下北沢THREEにて。出演者は上半期屈指の傑作セカンド『MIRRORZ』を上梓したLowPass。そのクールな佇まいながら、熱量たっぷりのパフォーマンスで音源とは少々異なる表情で織り成す独特の音世界は、現場でなければ体感できない。そして今年の日本のブラテストホープであり(勝手に)、いまだ謎の多いヒップホップ・バンド、カタコト。和製ビースティーとでも言わんばかりのダンサブルで愉快なパーティ・バンドとしての側面を持つ彼らのライヴを共に楽しんでほしい。ちなみにオープニング・アクトとして、THREEスタッフ・イチオシ、TEI TOWAの秘蔵っ子、バクバクドキンが出演。DJ FUMIYAのアルバムでも彩りを与えていた彼女らがこのイベントでも華を飾る。

 近く、追加の出演者もあるので、心して待って欲しい。血気盛んで好奇心旺盛な読者、もといリスナー諸氏の来場を待っている!

ele-king presents "ANTI GEEK HEROES"
8.25 (sun) 下北沢 THREE
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV / DOOR 2,000 yen (+ drink fee)
LIVE: LowPass / カタコト
Opening ACT: バクバクドキン

*公演の前売りチケット予約は希望公演前日までevent@ele-king.netでも受け付けております。お名前・電話番号・希望枚数をお知らせください。当日、会場受付にてご精算/ご入場とさせていただきます。
https://p-vine.jp/news/4161
INFO: THREE 03-5486-8804 https://www.toos.co.jp/3


Savages - ele-king

 ライヴの翌日の取材で『AMBIENT defintive』を差し上げたらとんでもなく喜ばれた。とくにヴォーカルのジェニーさん。彼女は本を見ると、「これは私のよ!」と本気で奪い取る。「ドゥ・ユー・ライク・アンビエント?」「オブコース!!」、それからミュジーク・コンクレートやピエール・アンリについて語りはじめる。ページをめくりながら「これ国別? ああ、年代順になっているのね」とか何とか言いながら、デジカメで表紙の写真を写して誰かにメール。サヴェージズは、形(スタイル)だけのロックンロール・バンドではないし、その音楽はメッセージのための伴奏でもない。

 ライヴでは、ジェニーさんのシンプルな言葉はバンドの音のひとつの要素となっていることがよくわかる。くどくど言葉を並べないが、意味を与え、音の構成要素としても機能する。『メタル・ボックス』時代のジョン・ライドンと似ている。コードチェンジのないところも。
 コードチェンジがないことは、無闇やたらに高揚しない、泣き叫ばない、感情を露わにしない、という態度を表している。白けている状態の前向きな解釈で、サヴェージズにもそれがある。ドラマーはシンバルはほとんど叩かない。バスドラとハイハット、スネアで、リズムはミニマルに刻まれる。ジェニーさんの髪型のように削ぎ落とされている。エイスさんのベースがしっかり噛み合っているので身体が動く。
 昔、女性4人組のバンドが出たら、「~ガールズ」とか「ガールズ~」とか、なにかと女性性がタタキ文句に使われたものだが、サヴェージズにはもうその手のエクスキューズは必要ない。むしろ鬱陶しいかもしれない。カメラマンの小原は、今年見たライヴでもっとも良かったと上機嫌だった。それは演っているのが女性だからではなく、サヴェージズだからだ。僕も本当に格好いいと思う。(野田努)

photos : Yasuhiro Ohara

 というわけで、時間は再びライヴの翌日へ。菊地祐樹と一緒にほんの数十分だけど、取材した。以下のやり取りはジェニーさんがアンビエントについて熱くと話した続きである。


『サイレンス・ユアセルフ』を聴かせていただいて、エネルギッシュかつストイックなサウンドに興奮したのですが、それと同時に、抑えきれないフラストレーションに内在する力強さみたいなものをもの凄く感じました。実際、いまのシーンにおいて、あなたたちが一番憤りを感じることや、怒りを感じること、また、自分たちの敵だと思う対象ってなんですか?

ジェニー:「抑えきれないフラストレーションに内在する力強さ」......あなたの言葉好きだわ(笑)。フラストレーションっていうのはそれによって動かずにはいられなくなる衝動であり、感情のことよね。自分で行動を起こさざるを得ない感覚や、フラストレーションに推されて、そこから先がないぎりぎりのところまで突き詰めてるフィーリングが表れてる音楽が私たちも好きなの。
 私たちとBO NINGENがやってる、ワーズ・フォー・ザ・ブラインドっていうプロジェクト知ってる? 本当に彼らと私たちって姉妹や兄弟みたいな関係だと思うくらい似たようなところがあると思うの。いまはコラボレーションって言っても、1曲やってすぐに終わっちゃう関係がほとんどよね。それじゃあつまんないし、そこからなにかもっと違うことをやりたい、そしてその先を突き詰めたいっていうことで、彼らと一緒に考えてこのプロジェクトは始まったんだけれど、それはひとつの部屋にそれぞれのバンドが集まって演奏をするプロジェクトなんだけれど、40分の曲をお互いで一緒に書いて、ふたつのバンドがU字型に並んだ場所の真ん中にお客さんを入れて、バトルともいえるようなパフォーマンスを繰り広げるんだけど、ライヴを観てるお客さんも、そのあまりにもパワフルで直球な私たちの音楽にじっとしてられなくて、思わず身体の角度を変えてしまったり、あるいは音楽っていうものの考え方が変えられてしまったり、いろんな反応が聴いている側にも生まれてくるの。そのくらいの熱量を持って展開される音楽が私たちは好きなのよね。ごめんなさい、長くなってしまったわね(笑)。

どうぞ、続けてください。

ジェニー:質問に応えるわね。邪魔する人たちは皆敵ね。アーティストになりたかった理由や、音楽をはじめたかった理由っていうのはそもそもあるわけで、そこから私たちを違うところに反らそうとする邪魔者の存在すべてが敵だと言えるわ。理由は様々だけれど、ビジネスにかまけるあまりとかね。アーティストの核にあるものは本当の自分のなかの初期衝動であるべきなのに、そこから目を反らそうとする人たちがあまりにも多い気がするわ。それは個人であったり、組織であったりいろいろだけれど、本当にむかつく。自分を取り囲む環境っていうのは、自分から奪っていくんじゃなくって、自分の栄養になってくれるものであるべきだと私はそう思うの。だから、私は自分の内面っていうものをそのまま保っていける環境を大切にしたい。

原宿のアストロホールで行われた昨日のライヴ、お客さんも本当に踊っていたりノっいて、とてもエキサイティングだったんですが、アンコールをやらなかったのはなぜなんでしょうか? メッセージだったりしますか?

ジェニー:アンコールをやらなかったのはそこにいま述べたような敵がいたからよ(笑)。ジョークはこれくらいにして、それはどういう意味のメッセージかしら?

例えば、「ベストを尽くしてライヴをやったんだから、これ以上サーヴィスはしない」というか、予定調和への反抗みたいなものですかね。

エイス:それはもちろんあるわね。期待されてるから無理にやらなきゃいけないみたいなノリは嫌なの。それに実際、本編のライヴのなかで与えるものは与えたし、もうこれ以上いらないはずでしょ? っていう思いもあったの。

ジェニー:クリニックっていうリヴァプールのバンドは絶対にアンコールをやらないわよね。そういうやりかたが私も潔いと思うし、セット・リストを考えた時点でそれがひとつのジャーニーだし、ひとつの作品だから。クリニックの場合は事前にアナウンスが入るのよね。「今日は20分のセットを2回やります。もちろん途中で休憩はあります。ただし、それで終わりです」こんな具合にね。実際、本当にその通りに行われるのよ。まるでそれは演劇のようであり、舞台のような見せ方で、面白いなと思ったの。あとやっぱり、アンコールってサプライズであるべきだと私は思うのよね。だから、本当はやる予定だったけど、1曲やり忘れちゃったからアンコールをやるっていうんだったらありだと思うわ。

これだけいろんなジャンルがあり、選択があるなかで、どうしていまのようなバンド・サウンドに行き着いたんですか?

エイス:だからこそだと思うわ。いろんなジャンルがあって選択があるからこそ、こういったベーシックな、ギター、ドラム、ベース、ヴォーカルっていうフォーマットに立ち返って、そういうものが持つパワーをまた私たちは鳴らしたいの。

ジェニー:いろんな選択肢ね、よく言うけど、私はそれは幻想だと思うの。だって選択肢がたくさんあって、制約がないはずなのに、みんな同じような音を出しているわよね。その逆で、制約があるからこその自由みたいなものって絶対に私はあると思うし、特にアートの世界においては、制約のなかで工夫するところに表現の醍醐味があるでしょ? やり方はもちろんいろいろあるかもしれないけれど、自分がやろうとしてることにフォーカスするっていう意味では、いまの形が一番理想的だと思っているの。

「私はシンガーではなく詩人なんだという意識があって、歌うという行為に抵抗があった」というパティ・スミスが歌いはじめたときの話がありますが、あなたはどの程度自分がシンガーであることを自覚し、意識していましたか? 

ジェニー:すごく昔のことだから思い出せないけれど、小さい頃シャワーでよく歌っていたのはたしかね(笑)。8歳のときにジャズ・ピアノをはじめて、10年近く夢中になって練習したわ。10歳~13歳の頃はジャズ・スタンダードが多かったんだけれど、女性のピアノの先生に、レッスンの一環として歌を習うようになったの。当時は声量が本当になくて苦労したわ。で、チェット・ベイカーみたいだと呼ばれてね(笑)。
 その後、クラシック・オペラを習いはじめたときからわりと声量も付いてきて、きちんと歌えるようになったんだけれど、それを人前でやることへの経験不足をすごく感じたし、そういうことをやる自分が嘘っぽく感じてしまって、当時は歌うことに対してコンプレックスに似たものさえ抱いていたわね。その後、自然と演技のほうに興味が移ってしまったんだけれど、そのときジョニー・ホスタイルと出会って、私の人生は変わったの。そこから彼とジョニー&ジェニーのプロジェクトをはじめて、そこからいまのサヴェージズに繋がるのよね。
 ただ、サヴェージズをはじめた当初も、ステージに出ることが本当に苦手だったし、スタジオに入るごとにパニックを起こしてしまったり、そんなことがしょっちゅうあった。でも、もう大丈夫。私は成長したの。ここに至るまで長った。いまとなってはそう感じるわね。
 パティ・スミスはそもそも詩の朗読をやっていて、人前でも朗読のパフォーマンスをはじめて、それが演奏や曲に発展していったのよね。最近ギターのジェマとかと実験的にはじめたスポークン・ワーズをサヴェージズでも取り入れるようになって、所謂メロディなしで、言葉だけを使って自由さを楽しむプロジェクトをはじめたんだけどね。
 そもそもパティと私とではまったくプロセスが違うし、私自身、自分のことを詩人だとは思っていない。でもパティ・スミスはいつでも私にインスピレーションを与えてくれるし、新鮮みがあって、『ジャスト・キッズ』も素晴らしかったし本当に尊敬してるわ。ただ、サヴェージズっていうバンドにおいて、詩は間違いなく曲作りの念頭にないし、私たちはサウンドを重視しているの。繰り返すけれど、私自身も詩人ではない。私はシンガーなの。

ドリーミーなサウンドがシーンの主流にあるなかで、サヴェージのストイックなアテュテュードは際立っているように思いますが、いかがでしょう?

ジェニー:アイデアはそれぞれのメンバーで山ほど持っているから、それを無理せず自然に選び出していくっていう作業が私たちの曲作りなの。だからそうしたプロセスはある種引き算とも言えるわね。でもその作業って得てしていろんなところから邪魔(敵)が入るから、つい気をとらわれがちだけれど、曲の核心になるのは本当に必要なものだけだと思ってる。
 ロンドンにおいてはとくにそうなのだけれど、所謂トラディショナルなロックンロールが消えたとされるなかにあって、「そうじゃないでしょ?」っていう周囲に対する反発からこういう音を突き詰めてるっていう気持ちも少なからず私たちのなかにはあるし、必要最低限のシンプルなものだけで、立派にショーとして成り立つっていうのは本当にすごいことだと私は思うの。日本にもそれを体現しているBO NINGENっていうバンドがいるわね。私たちは無駄なものを削ぐことに躊躇はまったくしない。なぜなら、私たちがそもそもなにが言いたかったのかっていう、もとにある主張みたいなものが音で埋まって欲しくないから。
 そして、それがちゃんといろんな人に伝わって皆に理解してもらう、それを恥ずかしがってなにかで覆い隠すのは一切しない。それが私たちサヴェージズだから。

工藤キキのTHE EVE - ele-king

 285 KENTはサウスウィリアムズバーグにある中箱のウェアハウスで、がらんとしたダンスフロアとステージとチープなバーがあるだけのシンプルな箱だ。その285 KENTで月1ペースで開催している「Lit City Rave」は、Jamie Imanian-Friedmanこと J-Cushが主宰するJuke / Footworkのレーベル〈Lit City Trax〉がオーガナイズするパーティ。たぶん私が出入りをしているようなダウンタウンまたはブルックリンのパーティのなかでも極めてクレイジーで、この夜ばかりはステージの上も、DJの仲間たちの溜まり場になるステージ裏も、一応屋内喫煙が禁止されているNYで朝の5時までもうもうもと紫の煙が立ちこめている。
 基本的には、Chicago House直系のベース・ミュージック──Ghetto Houseから、Grime、Dub Step、UK Garageなどのビート中心で、特にJuke/FootworkをNYで逸早く取り上げたパーティだと思うし、例の'Teklife'という言葉もここではCrewの名前として日常的に、時に冗談めかしで使われている。

 DJ RashadやDJ Manny 、DJ SpinnそしてTraxmanはこのパーティのレジデントと言っていいほど「Lit City Rave」のためだけにChicagoからNYにやって来て、彼らのNYでの人気もここ数年の〈Lit City Trax〉の動きが決定づけたと言ってもいいんじゃないかな? さらに興味深いのがTRAXを経由したChicagoのミュージック・ヒストリーをマッピングするように、DJ DeeonなどのOGのDJ/プロデューサーから、Chicagoローカルの新人ラッパーのTinkやSASHA GO HARDが登場したり、ARPEBUことJukeのオリジネイターRP BOOのNY初DJ(!)などを仕掛けるなど、そのラインナップはかなりマニアックだ。
 本場ChicagoのようにMCがフロアーを煽るものの、Footworkersが激しくダンスバトルをしている......というような現場は実はNYでは遭遇したことがないかも。人気のパーティなので毎回混んでいるし、誰しも踊り狂っているけど、パーティにRAVEと名はついているものの俗にいう"RAVE"の快楽を共有するようなハッピーなものではない。はっきり言って毎回ハード。アンダーグラウンドで生み出された新しい狂気に満ちたビートを体感し、自らファックドアップしに行くといったとこだろう。振り落とされないようにスピーカーの横にかじりつきながら、踊るというよりもビートの粒を前のめりで浴びにいくような新感覚かつドープでリアルなセッティングで、本場Chicagoのパーティには行ったことがないけど毎回「果たしてここはNYなのか?」と思ってしまう。

Pphoto by / Wills Glasspiegel

 J-Cushは実はとてもとても若い。LONDONとNYで育った彼は、Juke/FootworkがGhetto Houseの進化系としてジャンル分けされる以前からDJ DeeonなどのChicago Houseには絶えず注意を払っていた。2009年頃からChicago Houseの変化の兆候をいち早く読み取り、一体Chicagoでは何が起きているのか? とリサーチをはじめた。それらの新しいChicagoのサウンドは彼にとってはアフリカン・ポリリズムスまたはアラビック・マカームのようにエキゾチックであり、UKのグライムのようにフューチャリスティックなサウンドに聴こえたそうだ。それからはJuke/Footworkを意識して聴くことになり、〈Ghettotechnicians〉周辺や〈Dance Mania〉のカタログを総ざらいした。
 その後NYでDJ Rashadと出会うことになり彼が生み出すビート、圧倒的かつ精密なまでにチョッピング、ミックスし続ける素晴らしくクレイジーなプレイに未だかつてない程の衝撃を受け、それに合わせて踊るQue [Red Legends, Wolf Pac] や Lite Bulb [Red Legends, Terra Squad]というFootworkersにもやられた彼は、Chicagoのシーンにのめり込むことになり〈Lit City Trax〉というレーベルを立ち上げるに至る。

 NYのパーティは割とノリと気分、ファッション・ワールドの社交の場になっているものも多く、「Lit City Rave」のようにビートにフォーカスし、かつ毎回趣向を凝らしたラインナップで続けているパーティは案外少ない。東京とブリティッシュの友人たちに多いギーク度、新旧マニアックに掘る気質がやはりJ-Cushにもあるし、そして彼は単なるプロモーターでは無い。ジャンルを越境できるしなやかなパーソナリティを持っているし、ストリートからの信頼もあつく、気鋭のビートメイカーたち、Kode9、Oneman、Visionist、Brenmar、Dubbel Dutch、Durban、Fade to Mindのkingdom、Mike Q、Nguzunguzu、もちろんTotal FreedomやKelelaなども早い段階から「Lit City Rave」に招聘している。

Photo by Erez Avis

 J-Cush自身もDJであり、常日頃から新しいビートを吸収しているだけあってスタイルはどんどん進化しエクスペリメンタルなGarageスタイルがまた素晴らしい。そのプレイは先日『THE FADER』や『Dis Magazine』のwebにMixが上がっているので是非チェックしてみて。
 さらにJ-CushとNguzunguzuとFatima Al Qadiriで構成された'Future Brown'というCrewでトラックを作りはじめていたり、今後の「Lit City Rave」ではUSのGrimeや、さらに地下で起きているアヴァンギャルドなダンスシーンを紹介していきたいと語っていた。
 そんなわけで、先週の「Lit City Rave」ではドキュメンターリー映画『Paris Is Burning』で知られたBallのダンス・パーティの若手DJとしても知られている〈Fade To Mind〉のMike Qがメインで登場。こっちのダンスシーンもプログレッシヴに進化を遂げているんだなと、ヴォーギング・ダンサーズのトリッピーな動きに釘付けになったのでした。

https://soundcloud.com/litcity

Lit City Traxからのリリース
https://www.beatport.com/release/teklife-vol-1-welcome-to-the-chi/919453
https://www.beatport.com/release/teklife-vol-2-what-you-need/982622

Download a Mix from Lit City Trax
https://www.thefader.com/2013/08/02/download-a-mix-from-lit-city-trax/

J-Cush XTC MIX
https://dismagazine.com/disco/48740/j-cush-xtc-mix/

Housemeister - ele-king

 ナイアガラのクラウス・ワイスやガビ・デルガドーのソロ・アルバムなど、ジャーマン・ファンクにはまったくといっていいほど揺れがなく、ダンス・ミュージックとしてはかなり厳しいものがある。同じことがジュークを取り入れたジャーマン・エレクトロのハウスマイスターにも言える。

オープニングは"東京"。


 4作目はタイトルにもなっている通り、DJで世界を回りながら、それぞれの土地でOP-1だけを駆使してつくったそうで、なるほどジュークの質感は上手くトレースされている。チープで痙攣的。ジャーマン・エレクトロとして考えれば、ディプロを意識したらしきシャラーフトーフブロンクスに続く新機軸と言える。

M4"ニュー・ヨーク"。


 リズムに揺れがないからといって、楽しめないということはない。同じようにつくろうと思ったかどうかもわからないけれど、同じようにつくれないからこそ違う良さが出てくることもある。ジュークが基本的にセクシーな音楽だとすれば、『OP-1』で肥大しているのは過剰なまでのガジェット性である(ホルガー・ヒラーやダー・プランがもしもジュークをやったら......)。

M6"メキシコ・シティ"。


 ドイツ人の笑いというのは、それにしても不自然である。放っておくと観念論に走りやすいので、異化効果をもたらすためにはどうしてもそうなってしまうと三島憲一だったかが書いていた覚えがあるけれど、そのこととリズムに揺れがないこともどこかで繋がっているのだろうか。日本人がつくったハウスは重すぎてつなげないとはよく言われるし、きっと日本人がつくるジュークにも特有の民族性は滲み出てくるだろうから、それはもう少し先の楽しみということで。

M8"シカゴ"。


 ジュークのご当地である"シカゴ"では、むしろドイツっぽい曲になり、"モントリオール"はフザけすぎ(最高!)。そして、エンディングはなぜか"大阪"で、"東京"に比べて、妙にアグレッシヴだったり。やっぱりそれぞれの土地柄を表したということなんだろうか......。

 南アのアヨバネスやポルトガルのリスボン・ベースといった新興のエレクトロニック・ダンス・ミュージックを聴いていると、ジャーマン・テクノと大して違わないと思うことが多い。あるいは『OP-1』も、そのような南半球寄りのダンス・ミュージックに聴こえてしまう面が少なからずあり、実際、何の気なしに続けて聴いたヴェネズエラのダンス・ミュージック、チャンガ・トゥキと最初は見分けがつかなくなって、少し混乱もした。


https://soundcloud.com/bazzerk/bazzerk-changa-tuki-classics

 フランスのDJチーム、ジェス&クラッブがアンゴラ起源のクドゥロをまとめた『バザー』(2011)に続いてコンパイルした『チャンガ・トゥキ・クラシックス』はしかし、どちらかというとバイレ・ファンキを思わせるところが多く、これにDFCチームが"スエーニョ・ラティーノ"(89)に続いて仕掛けたラミレスやディジタル・ボーイなど90年代初頭のハード・テクノを注入したような曲が多く、ライナーによれば現地では猛禽に喩えられる音楽だという(DJババによればテクノトロニック"パンプ・アップ・ザ・ジャム"(89)が起源だそうで、確かにDJイルヴィン"ポポ・サウンド"には強い影響が聴き取れる。また、チャンガとトゥキは当初は違うジャンルだったらしく、興味のある方は長~いライナーノーツを参照のこと)。

 ディジタル・クンビアやシャンガーン・エレクトロなど南半球に存在する他のエレクトロニック・ダンス・ミュージックに較べてチャンガ・トゥキは圧倒的にハードだし、途上国に対して抱くようなエキゾチジスムは最初から打ち砕かれてしまう(......どこにもないとは言わないけれど、しかし、ほとんどないに等しい)。それこそアフリカで最も人気があると言われるヒップ・ホップのMCが完全にUSのコピーでしかなくなってしまったのと同様、そういったものはもはや過去にしか存在しないか、むしろ先進国でデラシネとして息を吹き返すしかないのだろう(女性の割礼=FGMが数字の上ではフランスで増えているように......)。

 いずれにしろ現在のヴェネズエラはここに炙り出されているような強い性格の国なのだろうと思うだけである。チャベスが死んでからのことはよく知らないし、行ってみたいと思うわけでもないけれど、スノーデンが最初に亡命を申請したということは、いまでも反米の拠点か、そのように見做されているということだし、それだけのエネルギーが『チャンガ・トゥキ・クラシックス』から聴こえてくることは間違いない。

Vol.9 「Razer Edge」 - ele-king

 

 みなさんこんにちは。夏真っ盛りですね。今回は少し趣旨を変えて、いつものゲーム・ソフトではなく、ハードウェアの方を取り上げたいと思います。というのも、面白いガジェットを手に入れたのですよ。

 それが上記写真のこちら。まるでiPadの左右に無理やりコントローラーを付けたかのような豪快なデザインのこのガジェットこそ、今年3月末に発売された、PCゲームが遊べるタブレットPC(史上初!)、「Razer Edge」です。

 近年多種多様な機種が出ているタブレットPCですが、その中でもRazer Edgeはトップ・クラスのスペックを誇り、また専用のゲーム・パッドと組み合わせれば、まさに携帯機さながらの感覚で最新のPCゲームを遊ぶことができるのです。いままでこういうハードウェアはありませんでした。

 これを作った〈Razer〉というメーカーは、マウスやキーボード等PCゲーム用の周辺機器を中心に手掛けていて、普通のコスト感覚から外れたハイ・スペックと高価格を併せ持つ、変態的デバイスを数多く世に送り出しています。かく言う僕もこのRazer Nagaという17ボタンマウスには、趣味と仕事の両面でお世話になっています。何かもう17ボタンって聞くだけで変態的でしょ。

 
12個のテンキーをそのままサイドにくっつけた暴力的とも言えるデザイン。しかしこれが意外と使いやすいんです。

 そしてこの『Razer Edge』もご多分に洩れず、じつに〈Razer〉らしい変態的な製品です。ていうかまぁ、変態なのは見るからに明らかなのですが、外見以外でも、たとえば価格は本体が約14,5000円に専用のゲーム・パッドが2,4000円と、ゲーム機としては有り得ない高さ。また本製品はアメリカとカナダの限定販売だったので、今回僕は輸入代行業者を挟んで購入し、その手数料や送料も含めると総額180,000円以上になりました。知り合いにこの話をしたら「命懸けてるね」と言われましたよ。

 いやー、でも、外でPCゲームを遊びたかったんですよ。普段忙しくてゲームをやっている暇がなかなか無いから、せめて電車のなかとか移動中の時間を有効活用したかった。それに本製品のOSはWindows 8なので、持ち前のハイ・スペックと組み合わせるといろいろと遊べるんじゃないかという期待もありました。

 果たしてRazer Edgeはそんな期待に応えられる製品だったのか。180,000円も出すに値するものだったのか。そこのところを今回のレヴューで明らかにしていきたいと思います。

『Razer Edge』のプロモーションビデオ。大体どんなものかわかるはず。

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■ゲーム機としてのRazer Edge

 さっそく、ゲーム機としてどうなのよって点について語っていきたいと思いますが、その前に基本的なスペックの説明をすませましょう。

 Razer Edgeには複数のモデルがありますが、今回僕が手に入れたのは最上位に当たる「Razer Edge Pro 256GB」。CPUはCore i7-3517U 1.9GHz、メモリが8GB DDR 3、256GBのSSDにディスプレイが10.1インチで解像度が1364x768、さらにそこにグラフィック・カードのGT 640M LE(2GB DDR3)が加わり、そこらのコンバーチブルPCと同等以上のスペックを誇ります。

 なので、約14,5000円の本体価格も、ゲーム機としてとらえるとギョッとしますが、本製品と同等のスペックのコンバーチブルPCの価格と比較すると決して法外な値段ではありません。ただしゲーム・パッドの方はぼったくってますね。これ単体で2,4000円というのは正直有り得ないと思いますが、これが無いと本製品の真価が発揮されないので仕方がない。

 
本体の外見は厚めのiPadといった感じ。〈Razer〉にしてはシンプルなデザインに好感。

 さて肝心の使い心地ですが、良い点から挙げると、まずは没入感がとても高い。ディスプレイの大きさも解像度もタブレットPCとしては最大級ではありませんが、ゲーム・パッドを装着して持ったときの視界の占有率はとても高く、市販の携帯ゲーム機を遥かに凌駕しています。それこそ感覚的には24インチのディスプレイで遊ぶときとほとんど遜色ありません。

 実際にゲームを遊んだときのパフォーマンスはまずまずといったところでしょうか。いくらタブレットPCとしてハイ・スペックとは言え、最新のPCゲームを最高画質で且つ60FPSで動かすのは不可能です。どうしても動かしたい場合は相当設定を下げざるを得ません。

 ただし30FPSを基準にすれば、最高設定とまではいかないものの、かなりの品質を出すことができます。これは人によって考えが違うとは思いますが、現行のコンシューマ用のゲームがほとんど30FPSで動いていることを考えれば、コンシューマと同等のパフォーマンスでより高い品質で遊べる、というふうにとらえればアリかな、というのが僕の感想です。

 あまり専門的な話にしたくないので今回は詳細なベンチマークは行いませんが、あくまでもザックリとした観測として30FPS基準で大体これぐらいの画質で動くよ、という感じで最近のゲーム4本のスクリーン・ショットを用意しました(クリックで拡大できます)。

 
『BioShock: Infinite』は今回の4本のなかでは最もコスト・パフォーマンスが良かった。グラフィックス設定をすべてHighにしても30~40FPSを維持し、快適に遊べた。

 
次いでパフォーマンスが良かったのがウクライナ産ポスト・アポカリプスFPSの『Metro: Last Light』。SSAAとTessellationをオフにする以外はすべて最高設定。これで屋内はほぼ30FPS以上を維持。屋外では20FPS代前半に落ち込む場面もあり。

 
いちばん厳しかったのが『Crysis 3』。PCゲーム・グラフィックスのベンチマーク的存在の同作は、元々重いこともあり、30FPSを出すにはすべての設定を中以下に落とす必要があった。

 
脱メスゴリラを遂げた、等身大のララ・クロフトが売りの新生『Tomb Raider』。画質は簡易プリセットのままではコスト・パフォーマンスが良くないが、各項目を個別に設定すれば大分改善される。

 もうひとつ良かった点が、〈Steam〉のゲームを遊ぶ際のSteam Cloudによる連携ですね。最近の〈Steam〉のゲームはセーブ・データをクラウド管理でき、すべての環境でそれを読み出すことができます。これを利用することで、ひとつのゲームを出先ではRazer Edgeで遊び、家に着いたら続きをデスクトップPCでやるといったことが可能なのです。まさにハードウェアに縛られないクラウド時代ならではのゲーミングと言え、じつは今回いちばん感動したのもこの点でした。

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■携帯し難い携帯機

 良い点を先に挙げてみましたが、悪い点ももちろんあります。というか、本製品は良い点も相殺しかねないぐらいの弱点を抱えており、それはズバリ物理的に重くて長いということです。

 まず重さ。本体自体が約960gでiPad 2の1.5倍近い重さがあり、これにさらにゲーム・パッドを装着すると約1.9kgになる。それを左右のグリップで支えると手首にとても負担が掛かります。とてもじゃないけど普通の携帯機と同じ感覚で持つことはできず、座って膝に置くなり何らかの支えが不可欠です。

 次に長さ。これも本体だけなら約280x180mmとiPadより少し細長い程度なのですが、ゲーム・パッドを装着すると横幅が約410mmになります。これは電車の座席で利用すると両サイドに手がはみ出る長さ。普通に迷惑であり、使う際は状況をよく考えなければいけません。

 またこの長さは持ち運ぶ際にも何かと不便。まずリュックサックは必携。個別のケースにしてもゲーム・パッドを装着したときの約410x190mmという変則的な大きさをピッタリ収めてくれるものは見つかりませんでした。ここは公式でケースを販売してほしかった。

 
持ち運びが不便な携帯機。良くも悪くも常識を打ち破っていると言える。

 加えてバッテリーの短さについても触れておかなければなりません。平常時は大体4~5時間程ですが、いざゲームを動かすと、保って1時間半といったところ。ヘヴィなゲームを動かすには大量に電力が必要なのはわかりますが、これだけ短いと携帯機としては何とも心許ない。一応ゲーム・パッド側に内臓させる拡張バッテリーも別売りされていますが、それを積むとさらに重くなるというジレンマにも悩まされます。

 要するに携帯機としてはあまりにも取り回しが悪すぎるわけです。ただ、これについては初めからわかっていないはずがなく、普通は取り回しも考えてベターな仕様に着地させるものを、たとえ本末転倒になっても極端な大画面・高性能に舵を切ってしまうのが〈Razer〉らしいというか、変態たるゆえんだと思います。

 良さも悪さも理解した上で、それでも使いたいやつだけが使えばいい。むしろこれだけ高額のものを購入した時点で、覚悟はできているんだろ? そうとでも言いたげな開き直りさえ感じます。

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■タブレットPCとしてのRazer Edge

 ここまではゲーム機としてのRazer Edgeについて触れてきましたが、前述したように本製品はそれだけに留まるものではありません。ここからは汎用タブレットPCとして見た場合にどうなのかという点について書いていきましょう。

 ズバリ言ってしまえば、本製品のタブレットPCとしての最大の長所であり同時に短所でもあるのは、OSがWindows 8であるということです。

 周知のとおり、Windows 8は新たにタッチパネル操作に最適化されたModern UIが採用されていますが、使い勝手は良くありません。というか、従来のデスクトップ型のUIと混合していて、両者を行ったり来たりするのが非常に煩雑なのです。

 
Modern UIもそれだけなら決して悪くはないのだが......

 それを象徴しているのがWin 8版Internet Explorer 10。こいつはなんとModern UI版とデスクトップ版の2種類が混在している。Modern UI版はタッチパネル操作に最適化されていますが、履歴機能が欠けており、また一部動作しないプラグインもあって、ブラウザとして十分ではありません。

 一方のデスクトップ版はModern UI版の物足りなさはありませんが、各ボタンが小さくてタッチパネル操作では使い難い。さらにModern UI版とデスクトップ版はCookieやブックマーク等の情報が共有されない!

 こうしたちぐはぐさはOS全般に見られ、何をするにもまずはこのオペレーションの煩雑さに慣れなければいけません。Windowsではいまにはじまった話ではありませんが、改めて普段使っているiPhoneとの差を実感してしまう次第です。

 ただしどんなに腐ってもWindowsであり、巷に溢れる多種多様のソフトウェアやハードウェアを使うことができるのが何よりの利点。従来のWindowsと同じく、OSそのものの煩雑ささえ克服できれば、スペックの高さも利用していろいろなことができるでしょう。

 ゲーマーとしてまず思いつくのが、Frapsを使ったスクリーン・ショットや動画の撮影。またはゲームの内部データを弄ったり、ネットからMODをダウンロードしてきて適用したりも思いのままです。

 しかしそれ以上に僕がやりたかったのが、Photoshopを動かして絵を描くということ。これさえできれば僕にとってはPCで行うことのおよそ8割が実現できるも同然なのです。とは言えPhotoshopを十分に使うにはさまざまな周辺機器も不可欠です。マウスとかキーボードとかペンタブレットとか。そんなわけで、半ば強引に必要なものを揃えてみました。

 
何か根本的に間違っている気がする。

 じゃん。出オチ感が半端ないですが一応解説すると、マウスは例の17ボタンのRazer Naga、ペンタブレットはIntuos 4のLargeとそれぞれ普段愛用しているものを転用。キーボードはBuffaloのワイヤレス・キーボード、SRKB04BKを新調。テンキー付きで大分横長ですが、そもそもRazer Edge自体横長なので、いっしょに持ち歩くなら関係あるまいとこれを選択。またRazer Edge自体はひとつしかUSBポートがないので、ElecomのUSBハブ、U3H-A401BBKも合わせて用意。

 結論から言えばPhotoshopを動かすこと自体は可能でした。今回この連載のタイトルバナーを新調しましたが、この絵の原寸が4320x2080px。これだけの大きさの画像でも軽快に動作し、ほぼストレス無く作業ができたのは感激です。ただし前述した本製品の携帯機としての意義以上に、本末転倒感が拭えません。

 少なくともこういうことをやるのであれば、ゲーム・パッドと同じくアタッチメントとして販売されているキーボード・ドックやドッキングステーションが必要不可欠でしょう。またマウスとタブレットもさらにコンパクトで且つワイヤレスにするのが望ましい。言うまでもないことですが、今回のセッティングはまったく実用的ではありません。

 理想は液晶タブレットのようにタッチパネルを直接ペンで操作できることですが、現状のスタイラスペンでは実用に耐える精度は出せませんし、この辺は今後の技術向上に期待といったところでしょうか。PCゲームの携帯化が実現できたいま、僕が次に待ち望むのはCG制作環境の完全な携帯化に決まりました。

 
ちなみにRazer Edgeでの制作は早々に切り上げ、結局普段通りデスクトップでの作業に戻っていきました......

■まとめ

 個人的には、この『Razer Edge』は大満足です。180,000円出した価値はありました。やはりPCゲームを野外で遊べるというのは、他には代え難い体験です。しかしその体験を得るために犠牲にしなければいけないこと、克服しなければいけない課題がたくさんあり、その点で他人にはまったく薦められないデバイスなのも確か。これは一般人を端から度外視した、どうしても使いたいやつだけが使うものなのです。

 ただこうしたゲーム体験は現状こそ『Razer Edge』のみで得られる特異なものですが、あと数年すればわりと近いことは一般のタブレットPCでもできるようになるんじゃないかと僕は思っています。先日iOS7がゲーム・パッドへの正式対応を発表し、それとともに出回った装着型のゲーム・パッドの画像は、まんまRazer Edgeを彷彿させるものでした。一般向けタブレットPCの性能向上も著しく、そう遠くないうちに現行機レベルのゲームをそこらのタブレットPCで動作させられる環境が整ってくるはずです。

 そんな、来るかもしれない未来を想像しつつ、現状においてはその未来を唯一体現できるこのRazer Edgeを、僕はこれからも満喫したいと思います。


P.S.
本記事でもサラッと触れましたが、今回長らく仮のままだったタイトル・バナーを一新しました。日本人の立場から洋ゲーを遊ぶ、レヴューするという意味で、日本的美少女を中心にした絵になりました。

 装いも新たにした当連載を、引き続きよろしくお願い致します。
 

The XX - ele-king

 今年も終わってしまった......。
 フジロックは3日間で100を超すアクトがライヴを繰り広げるのだが、そのなかで毎年いくつかの奇跡のようなステージが生まれている。毎年必ずフジに行く人たちはそのことをよく知っているので、自分のアンテナを最大限に広げ、最高の瞬間の目撃者たろうとがんばるのである。
 それはかならずしもメイン・ステージのヘッドライナーではないし、自分が大好きなアーティストであるわけでもない。普段はあまり聴かないアーティストでも、会場にいてタイムテーブルを眺めていると、妙に気になったりするのだ。
 そしてその予感につられて泥濘んだ山道をえんえん歩いた先にとんでもない瞬間を目撃するのは、このフェスの醍醐味のひとつだろう。

 今年は予想通り3日間断続的な雨に降られはしたものの、オーディエンスは雨などものともしない完全装備であの広い会場を移動していた。まったく目撃することはできなかったが、ライ(Rhye)やマムフォード・アンド・サンズ(Mumford & Sons)、マヤ・ジェイン・コールズ(Maya Jane Coles)そしてウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson)はよかったんじゃないだろうか? 僕は今年それほど多くのステージを観ることはできなかったが、それでもThe XXだけは見逃さなくてほんとによかった、まさに奇跡としか言いようのないステージだったのだ。

E王
The XX
Coexist

Young Turks/ホステス

Amazon iTunes

 彼らのセカンド・アルバム『コエグジスト』が発売になったときには全体のトーンがファーストより落ち着いていたこともあって聴き流してしまい、どうしても自分なりの入り口が見つからなかった。
 しかしその状況は3月ぐらいに一変した。きっかけはユーチューブにアップされたBBCのスタジオ・ライヴで、彼らがカヴァーしていたのは2001年に世界中で大ヒットとなったハウス・ナンバー、キングス・オブ・トゥモロー(Kings Of Tomorrow)の"ファイナリー(Finally)"だった。その解釈のあまりの素晴らしさにドギモを抜かれ、これは『コエグジスト』を完全に聴き逃しているに違いないと、即座にリピート再生を開始した。

 それは界面のあまりの滑らかさに、かえって手触りや特徴を消し去られているような純度の高いアルバムだったと、ようやく発売から半年たってから気がついた。そして4月のコーチェラ、6月のボナルーとグラストンバリーのライヴをユーストやユーチューブで見ると、演奏も歌もファースト発売時より格段にレベルアップしている。まさかこれほど旬な時期に彼らのライヴを観られるとは願ってもないタイミングだ。
 昼間のうちに降った雨の湿気が森に溜まり、照明の光がぼやけた輪郭となって反射するなか、ライヴは"トライ(Try)"からはじまった。まず驚いたのはビートの音色の多彩なことだった。決して音数は多くないリズム・パターンなのに、ひとつひとつの音がほんとによく響いてくる。
 彼等の大きな特徴はダンス・ビートとの絶妙な距離感にある。そう、ダンス・ミュージックそのものを作ろうとはしてないのだ。そうではなく自然とこのビートを感覚で選びとっているのだ。ちょうどユーチューブで"ファイナリー"を発見した頃、同じようにジェイミーがソロ名義でルイ・ダ・シルバ(Rui Da Silva)の"タッチ・ミー(Touch Me)"のカヴァーをやっているのを見つけたことを思い出した。"タッチ・ミー"は2002年に全英でナショナル・チャート初登場2位でランク・インしている。
 彼等にとってティーンネイジャーの入口だった2000年から2002年あたりのイギリスのチャートの半分はダンス・ミュージックだったのである。これから自分はどんな音楽を聴くべきかを彼等が真剣に考えはじめたときに、イギリスでいちばん勢いがあったのがダンス・ミュージックであったことは間違いない。少なくともテレビやラジオからはさまざまなダンス・ミュージックが、毎週トピックになる新譜として流れていたはずだ。だとするならば音楽が彼等にとって大事なものとして意識された時点から、すでにそれはダンス・ミュージックだった。そしてこれは僕の妄想かもしれないけれど、"ファイナリー"と"タッチ・ミー"に共通する存在はダニー・テナグリア(Danny Tenaglia)である。テナグリアのDJで2000年から2005年ぐらいに踊ったことのある人ならすぐわかるだろう。The XXがもしテナグリアやジョン・ジョン・ディグウィードになんらかの影響を受けていたとすれば、彼等のビートの洗練のされ方は納得がいく。
 ステージにはスモークが焚かれ、白を中心とした照明が黒い服を着たロミーとオリバーを照らす。ちょうどライヴの中盤あたりで"ナイト・タイム(Night Time)"、これまでのステージに圧倒され言葉も出ない。ここからの後半さらにふたりのヴォーカルの響きが強さと深さを増した。彼等は孤独を歌っているけれど決して孤独を嘆いてはいない。その部分は変わっていないのだが、彼等の声の響きと演奏から強力な自信と信念が伝わってくる。
 これまで共鳴というかたちで響き合っていたメンバーの関係性がさらに進んで有機的に絡み合っているように思えてならない。もし、彼等が、もしくはロミーとオリバーがより深く向き合ってこのステージを行っているとしたら、いまこのときにしか見ることのできないライヴだ。僕は"シェルター(Shelter)"あたりから、ロミーとオリバーからまったく目が離せなくなってしまった。彼らもオーディエンスの思いに応えるということでなく、オーデェンスもそれぞれの気持ちを重ねるということではなく、目の前に現れた予想を遥かに超えたなにか純粋なものに息を飲むというような瞬間が続く。

 ラストの"エンジェル(Angel)"を終えてステージ袖に消えてゆくロミーとオリバーが手をつないだ瞬間、僕はほんとに胸が締め付けられた。
 もしあのふたりが僕の想像するように向き合っているのなら、これほどまでにピュアな関係性が現実ならば、僕はこの先の彼等に訪れるものを想像して震えてしまう。いやそうではない、終わってほしくない物語がまたひとつはじまったのだ。
 イギリスでは3枚、4枚と続いて進化もしくは深化し、さらにテンションを維持しながらアルバムを作り続けるアーティストはまれである、それはしかたのないことなのだ。しかし彼等なら、次の次元あるいは想像を超えた風景を見せてくれるかもしれない。

The XX "finally"


Jamie XX & Yasmin "touch me"


Pet Shop Boys - ele-king

「だから、レインボウ・ステージが必要なんですよ」

 フジロックも終わりに近づく3日目の深夜3時、僕は酔っ払って40代のゲイの友人に、日本のフェスでのゲイ・ステージの必要性を説いていた。
「海外のフェスだったらけっこうゲイ・ステージあるじゃないですか。日本で洋楽を含むフェスやるんだったら、その文化も取り込まないと。日本ではゲイ・ポップスなんて皆無に等しいし」
「まあね。世間的にはゲイだと知られてるポップ・シンガーも歌の上ではノンケってことになってるし」
 友人は僕のデタラメな思いつきに付き合ってくれている。
「でしょう。だから、マトモスとか、ハンクス・アンド・ヒズ・パンクスとか、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアとか、カッコいいゲイのアーティストを呼んで、でもゲイの内輪ノリにならないようにストレートも入りやすいようにして。トリを大物にするとか......わからないけど、カイリー・ミノーグとか」
「いや、カイリーがゲイ・ステージのトリをやる文脈すら、日本には浸透してないよ」
「ええーっ!? そうか。じゃあ、アントニーだったら主旨を伝えればやってくれるかも。でも賑やかな感じも欲しいから、ベタだけどミーカとか、シザー・シスターズとか、それかペッ......」
 ペット・ショップ・ボーイズ、と言おうとして、僕は口が止まってしまった。ペット・ショップ・ボーイズは、レインボウ・ステージのトリをやってくれるだろうか?

 というのは、ペット・ショップ・ボーイズは自らのゲイ性(と、ここでは呼ぼう)をいつも高らかに謳っていたわけではなかったからだ。いや、どちらかと言えばそこに何かしらの批評を用意している例が多かったように思う。たとえばニール・テナントが大っぴらにカミングアウトする以前の"キャン・ユー・フォーギヴ・ハー?"では、ロックが嫌いでディスコが好きなことを女にからかわれる男のことが歌われているが、もちろんこれは性的嗜好を隠して女と付き合って失敗するゲイについての歌だ。もっと言えば、「異性愛の」セックスに失敗する屈辱についてだろう。ゲイにとってこういった話はよく聞くところではあるが、かと言ってそれをポップ・ソングにしてしまうことはそうあることではない。「みんな違って、みんないい」みたいながんばれソングになりがちなゲイ・ポップス界において、PSBの知性は異色であった。それこそある程度の「文脈」を理解していないと本当の意味で楽しめないものも多く、そのゾーニング自体が、ゲイが社会においていくつもの顔や隠語を用意しておかなければならない状況に対する痛烈なアイロニーのようだ。ヴィレッジ・ピープルによる同性愛賛歌"ゴー・ウェスト"のカヴァーがサッカーの応援歌としてマッチョな連中に無自覚に歌われることを嫌がるゲイも少なくないが、逆に言えばそのねじれた状況にほくそ笑むことだって、ある意味ではできるわけである。
 では、ペット・ショップ・ボーイズのエレポップは「文脈」を楽しめるひとたちだけのものなのだろうか?

 『エレクトリック』はPSBの久しぶりの快作で、とにかくアッパーなナンバーが揃っている。しかも簡潔。9曲という比較的少ない曲数を、ハウス・ビートとシンセ・サウンドで一気に聞かせてしまう。PSBは何にアッパーになっているのだろうか。イギリスでの同性婚合法化に? UKでのハウスな気分に? たんに内省的だった前作『エリシオン』の反動? わからないが、テンションとして近いのは『ナイトライフ』(99)辺りか。つまり、音としてはゲイ・ポップスの度数がとても高い快楽的なアルバムである。
 とにかく、煌びやかなピアノの和音のリフと、得意のゴージャスなストリングス・ワーク、そしてフワフワしたニールのヴォーカルを聴くと、ああPSBだ! と思う。いきなり攻撃的な"アクシス"でのオープニングに驚いている場合ではない。"ラヴ・イズ・ア・ブルジョワ・コンストラクト"なんて"ニューヨーク・シティ・ボーイズ"と"ゴー・ウェスト"を掛け合わせたような臆面もなくキャッチーなナンバーだし、"シャウティング・イン・ジ・イヴニング"のトランスめいたアップリフティングさには腰を抜かしそうになる。
 その"ラヴ・イズ・ブルジョワ・コンストラクト"は格差社会における無力感と愛の欠如が重ねて歌われる、いかにもPSBなややこしさが孕まれたナンバーだが、アルバムには彼らならではの皮肉めいたスパイスも用意されてはいる。なかでも"ラスト・トゥ・ダイ"はなんとブルース・スプリングスティーン『マジック』収録曲のカヴァー。ここでは汗と大地の匂いがする男の怒りが、ミラーボールの下のダンスに読み替えられていて、そこには多くのポリティカル・ソングのマッチョさへの批評を見て取ることもできるかもしれない。かつてU2の"ホェア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネーム"のカヴァーをやって、見事にその男臭さを消していたこと(と、U2がそのカヴァーを聴いて怒ったこと)を思い出すひとも多いだろう。

 けれども、アルバムは......PSBは、それ以上にこの音を前にした者を分け隔てなく踊らせることを欲望している。全編を通してきわめてダンサブルだが、ラスト2曲が本作をよく表している。まず"サースデイ"はタイトル通り、週末がまだ訪れていない木曜日についての歌だ。ハウシーなイントロがウィークエンドへの期待をどこまでも高めていく。新しくもなくトレンドでもない音だが、クールとアンクール、インとアウトの境界がここでは消えていく。そして、歌詞もヴィデオも衒いなく古きよきレイヴを謳う"ヴォーカル"。20年前にタイムスリップすることを、この曲は少しも恥ずかしがらない。その高揚において。
 だから僕は、いまのPSBにはレインボウ・ステージにぜひ立ってほしいと思うのだ。そこには男も女も、もちろんそうでないひともたくさんいる。「文脈」を知るひとも知らないひとも、等しく踊っている。たくさんのキスとハグがある。レインボウ・フラッグがゲイとストレートを、マイノリティとマジョリティを分断するものであってはならない。ロックよりもディスコで踊りたい気分のストレートが、ダンスフロアで開放されてもいいのだ。「今夜は全てが正しく、すごく若々しい/ぶちまけたかったこと全てが高らかに歌になる("ヴォーカル")」

goat - ele-king

 女の子はともなっていなかったが、先週島に帰った私は南国の海に繰り出した――というか、島では海は繰り出すまでもなくすぐそこにあったのであった。どこまで行っても海しかない。潮騒が耳ざわりである。東京ではおがめない満点の星空がプラネタリウムのようで白々しい。島の特産はいろいろある。なかでもヤギ汁はヤギをまるごと釜ゆでにしたような、羊肉に何倍か臭みを足した味わいが珍味好きにはたまらないが、さいきんは家でヤギをつぶさなくなった、とは私の母の弁である。なんでも、法律によれば家庭内で勝手に家畜をつぶしてはならないらしく、そういえば、家で最後にヤギ汁が出たのは、内地の高校に行くことが決まったときのお祝いの席で、ロックを聴きはじめていた私はヤギ汁を前にストーンズの『山羊の頭のスープ』のことを考えていたが、このたびの帰島の折、ヤギを指す「ヒンジャ」なる島口を耳にしたとき、その言葉に私はむしろ「貧者」を連想した。富者、つまり富める者の対義語としての貧しき者。賢者の風采のヤギに貧者というのも失礼な気もするが、富者はたいがい賢者ではないことを考えあわせれば、足るを知る賢者はやはり貧者でなければならない。

 前身「TALKING DEAD GOATS"45」から2011年に「goat」と名称をつづめた日野浩志郎(ギター)、安藤暁彦(サックス)、西河徹志(ドラムス)、田上敦巳(ベース)からなる大阪の4人組のファースト『NEW GAMES』もまさに剰余をきりつめた貧者の音楽である。というと語弊があるかもしれないが、ギター、ベース、ドラムス、サックスというあたりまえの編成であるにもかかわらず、弦楽器のミュート、ハーモニクス、サックスのフラジオ、ドラムのリム・ショットなど、ものの本では効果音、装飾音に分類される奏法のノイズを純化し配置することで、ゴートの音楽は楽音の豊かさに背を向けている。精確にいえば、音を音楽ならしめる意味の体系にゴートは対抗する。ところが、意味の反作用としてノイズを位置づけるだけでは、サウンドの強度は容易に情動によみかえられる。ノイズがノイズ・ミュージックにフォーマット化されたのはそう遠い昔のことではない。そこから逃れたのは、変わることを、あるいは変わりつづける同じものを自覚した者だけであり、それはドローンの時代になり、やがてそれがひと息ついてからも、同じ過程をたどらないとはいえない。だからそこには、体系とか、ましては新ジャンルといっては大仰だが、楽音の世界に背を向けるだけでなく、交通の場が必要であり、ゴートはそれを「NEW GAME」と呼ぶ。彼らのルールでは、音はかすかに高低をもつ記譜困難なノートとなり、連鎖するノートは変拍子やポリリズムといった解釈可能な構造を跛行しながら踏みはずす。"NEW GAMES""HEXMAN""MW""std"、収録した4曲は初期のバトルズやsimを思わせる抽象度とリズムをもっているが、先達がハードコアやジャズから離反する方途として抽象化していったのとは反対に、ゴートはたとえばギターのハーモニクスを親指ピアノにみたて、リズムのズレを輻輳することで集団的なりズムに擬装し、架空の......というより異次元のワールド・ミュージックを想起させる新しいゲームの理論を提示することで、豊かさを盲信する意味の世界と積極的に軋轢を起こすのである。

 ゴートがワールド・ミュージックなら、日野浩志郎の参加するもうひとつのバンド、BONANZAS(ボナンザス)はハードコアである。といっても、ストレートなそれではない。いや、ボナンザスはじつはこれ以上ないほどストレートなのだけど、その直裁な一撃は複雑な経路をたどるため、一撃そのものが発せられたときには呆然としてしまっている感がある。日野はボナンザスではベースを担当しているのだが、ここでもあたりまえに単音だけ弾くのではなく、あるときはギターの役割を兼ね、コードを、ピチカットするのではなく叩きつけるように弾く。ちょうどハンマーダルシマーのように、あるいは打楽器アンサンブルを運営できなくなったケージが代わりにプリペアード・ピアノを発明したように、このやり方だと弦楽器はパーカッションに近づいていく。演奏陣はエレクトロニクスの蓮尾理之のほか、ドラムの西河と日野はゴートのメンバーなので、兄弟ユニットともいえるが、ボナンザスとゴートとを差別化しているのはなんといってもヴォーカルの吉田ヤスシだろう。元スパズマム/ナスカ・カーの吉田ヤスシは2000年代なかごろ、あらゆる音楽の断片を高速でシャッフルするうちに全体がシュールレアリスムというよりホラーめいてくるサスペリアなるバンドで気を吐いていたが、ボナンザスでは記号を攪拌するのではなく、攪拌しきった後に残ったものを鍛錬することで、それ以上のテンションをめざしているかにみえる。関西シーンの連綿たるややこしい音楽のなかでも、主流派に与しない特異さをみせる吉田ヤスシのフロントマンとしての存在感が演奏のテンションと渡り合うから、ボンナンザスはハードコアあるいはマス・ロック(ってもういわないですかね?)の軛(ルビ:くびき)から自由に、むしろ異形のダンスミュージックとしてさえ機能し、ゆえに昨年の『Music For The Quiet Hour / The Drawbar Organ EPs』でポスト・ダブステップのステップを踏み抜いてみせたシャックルトンと彼らを共演させようと企む方もいらっしゃったのだろう。それをこの目でたしかめようと私は先日のメテオナイトに足を運んだ。ドラムスを中心にベースとエレクトロニクスが対置するなか、あれはなんというのか、イスラムの女性のかぶるブルカに似た黒布をかぶる吉田ヤスシがステージでくねりはじめたとき、もしかしてムスリム・ガーゼへのオマージュもこめているのかしらん、といぶかったけれども、彼らのグルーヴは瞑想というよりも儀式的で、しかもスピリチャリズムには回収される気配もなかった。simの大島輝之の客演はドンズバすぎていささかメン食らったが、ボナンザスの(二重の意味で)コンクリートな音響構造物の内部で、アンサンブルを崩すことなく同居できるギタリストは大島をおいてほかにいない。私もしばらく頭をひねってみてそう思った。そして今回の彼らの演奏はハードコアの祭典で特異な位置を占めただけでなく、フォークやインディ・ロックとハードコアの折衷主義においても最先端を走ることを印象づけた。『bonanzas』はそんな彼らのファーストであり、LP片面ほどの時間に濃縮した5曲は、点状の打撃音と線状のノイズと面状のヴォイスが空間を画す彼らの特性を端的にとらえている。録音はタグ・ラグの前川典也。ヴァーミリオン・サンズのPAでもある。ゴートを録った西川文章ともども、音盤における録音の重要性をいやがおうにも教えてくれる。それは『bonanzas』のジッパー風にミシンを入れたジャケットにもいえる。CDをとりだそうと、ミシン目に沿って開けるとジャケはなくなってしまうのである。リリース元の〈MEATBOX〉のこだわりもまた付言すべきものである。

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