Home > Reviews > Album Reviews > Washed Out- Life of Leisure
みんな繭のなかに入って、繭のなかでゆらゆら、無害な夢を見るぶんにはかまわない。どうせ社会全体が巨大なコクーンのなかだ。個人の繭を出たところで、また繭である。そこに情報を送り、資源を送り、システムを支えているのが誰なのか......もっとも大きな権力を持つものが何なのか、そんなことはなかばどうでもいいし、よく見えない。
チルウェイヴ、またグローファイなどと呼ばれるシンセ・ポップは、ここ1年ほどのあいだに浮上してきて、そのまま2000年代を覆った柔らかなサイケデリアの水面に揺籃され、新たな年代をまたいだ。アニマル・コレクティヴが照射した世界が2000年代という大きな繭だとすれば、これらの音は個人の小さな繭のなかにひたひたに満たされた羊水のようなものだと言えるかもしれない。繭に羊水もないものだが......。コミュニケーションを拒絶するのではなく、いちど撤退する。そしてそこを出ずして繋がれるものとは繋がる。一般に「流動性が高い」と記述される社会において、これは現実的で安全な方法である。その退却地点に、精神を刺激せず、身体に心地よい音をめぐらせるというのも特に意外なことではない。チルウェイヴ/グローファイというのは、こうした局面において見つけ出された、いわば機能性の音楽だ。そしてその点において鋭い批評性を宿したものだと言えるのではないだろうか。
ウォッシュト・アウトはサウス・カロライナ在住のアーネスト・グリーンによるひとりユニット。新世代ローファイの発信地のひとつでもある〈メキシカン・サマー〉より昨年デジタル・リリースされ、直後にアナログ盤でも流通した本デビューEP「ライフ・オブ・レジャー」は、メモリー・カセット(メモリー・テープス)やネオン・インディアン、またトロ・イ・モア等、アニマル・コレクティヴ以降のサイケ感覚やローファイ/シューゲイズなモード感を持ったシンセ・ポップ・ユニットと比較され、折からのバレアリック再燃ムードも追い風として作用し、チルウェイヴ、グローファイ、あるいはドリーム・ウェイヴといった呼称をいっきに浸透させる1枚となった。このジャケットはすでにその象徴のように記憶されている。
意味にではなく物質に、こと身体に働きかける音楽である。心臓より少し速いくらいのリズム、4拍子の裏はめいっぱいディレイをきかせたスネア、すーっとのびて途切れないシンセの波、ループするメロディ。冒頭の"ゲット・アップ"はおよそその気のない呼びかけだ。永遠に微睡んだってかまわない。いや、目を覚ましたところでうたた寝とそう変わるところはない。なんといっても"ライフ・オブ・レジャー"なのだ。〈イタリアンズ・ドゥー・イット・ベター〉のカラーに近い、重くもつれるようなビートに、レイジーというよりは、だるくて目が開かないといったヴォーカルが水絵具のようにひと刷け。この淡さと諦めの入り混じる色合いには、タフ・アライアンスやエール・フランスなどスウェディッシュ勢への共感も見て取れる。"ニュー・セオリー"などはとくにそうだ。現在の流行と平行するシューゲイジンなサウンド、そしてローファイな感触はレーベル自体のキャラクターだとも言えるが、とても抑制がきいていて品格がある。何から何まで文句のつけようがない。
しかし、なぜか諸手をあげて本作を受け入れることができない。これを聴きながら散歩をしたいし、家にいてもよく再生している。しかし、なんとなくそれを認めたくないのはなぜだろう。かくも意識に涼しい音に身体をゆだねっぱなしでいると、音楽において精神性が持つ意味が後退してしまったかのように感じられてしまうのだ。そんなことは本当はどちらでもいいことなのだろう。しかし、ロックを好んで聴いてきた自分のような人間にとっては、どちらかといえば精神性が音を引っぱり出してくるという順序にプラトニックな憧れとプライオリティを認める傾向がある。音楽で気持ちよくなるのは素晴らしいことだ。しかしそれが麻薬のように享受されることについて躊躇がある。そして世界を追認するのではなく、世界の意味を塗り替えるような音を期待してしまう。
いずれこの流行も去るだろう。本作の登場がそのピークであったかもしれない。しかし、個々の繭を満たす心地よさをぶち破るような強度が、今後音楽に求められるのだろうか。おそらくそのようなことはないのではないか。中央は見えず、末端のみが無数に浮かんでいる、あとはそのときどきの潮の流れと気分で末端から末端を渡り歩いてみる。マイ・スペースの宇宙そのもののような環境だ。
「起きてくれ どこかへ行ってくれ」「きみはぼくだ」......"ゲット・アップ"はじつはこのようにパラノイアックな世界をうたっている。自分と他人と夢と現実が渾然とした小さな意識。8分音符で刻まれるシンセのリズムはディレイによって分裂をはじめ、やがてとじあわされる。焦点は狂っては合い狂っては合いを繰り返す。それでもこんなに心地よい。われわれはすでに、このくらいには分裂した自分に慣れているのかもしれない。
橋元優歩